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2011年12月 1日 (木)

田中前防衛局長への怒りで燃える高江の一日

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 11月28日のマスコミとの懇親会での田中聡沖縄防衛局長(当時)の差別発言問題が大きく社会問題となり、局長自身は翌日には更迭されるという事態になりました。しかし、この問題が、田中個人の資質問題として処理されてお茶を濁すことなどあってはなりません。防衛大臣の任命責任が問われ、野田政権自体の「日米合意」による新基地建設の動きが止められなければなりません。

111129_3  田中発言は、①防衛相が環境影響評価の提出時期を明言しないのは、「犯す前に犯しますよと言いますか」と言った上で、②1995年の米兵による少女レイプ事件を隠蔽しようと当時のリチャード・マッキー米太平洋軍司令官の「犯行に使用した車を借りるカネがあれば、女が買えた」と発言したことを「その通りだと思う」と、10万人の県民大会の怒りに公然と開き直ったのです。そして、③沖縄における軍隊の意義について「(400年前に)薩摩に侵攻されたときは(琉球に)軍隊がいなかったから攻められた。基地のない平和な島はありえない」と薩摩、明治政府(ヤマト)による400年にわたる沖縄への侵略と強搾取の歴史を居直ったのです。(田中発言要旨の引用は、30日付け『沖縄タイムス』によります)

 これらの内容は、田中個人の資質の問題などで済まされる問題ではありません。沖縄県民の90%以上が、普天間の県外撤去を求め、新基地建設に反対していることが繰り返し明らかにされ、県議会、知事がこぞってその県民の願いを全面支持しているにもかかわらず、野田政権が「日米合意」を振りかざし、沖縄県民にあくまで新基地建設を押し付けようとすることに沖縄のみなさんは「差別だ」と怒っておられます。当然ではないでしょうか。新たな野田政権の意向を受けてこの8月に局長に就任した男が、しかも「県民の考えを十分に聞いていきたい」と就任の弁で述べていた男が、かくも露骨にその自らの本音を語るとき、それは背後にある野田政権、ヤマトの意思がそこにあると考えるのが当然ではないでしょうか。111130 たとえそれが酒の席であり、オフレコの席であったとしても、いやむしろそれだからこそ、そうしたヤマト政府の真意が語られたと見るべきではないでしょうか。田中の更迭で済ますことは許されず、少なくとも一川防衛相の辞任と、直後、一切無視して取材に答えようともしなかった野田首相の引責辞任が求められて当然だと思います。

 翌日、琉球新報が唯一この田中差別発言を報じた(右上写真)中で、怒りに燃えた人々が、雨の中、早朝から高江の「ヘリパッド建設」阻止のためにN4ゲートの座り込みに結集しました。ちょうど沖縄を訪れていた私たちも。

 なんと沖縄防衛局の約20人の連中が恥ずかしげもなく名護署の警察官を引き連れ、現場に乱入したのです。高江のN1ゲートに泊まり込んで阻止行動の先頭に立っておられる沖縄平和運動センターの事務局長山城博治さんが、報じた琉球新報を手に怒りの弾劾を防衛局に投げつけます(右写真)。111129_4 「沖縄県民140万人にこれだけの侮辱を与えて、こんなものが許せるか!先ず釈明か謝罪が必要でしょ。謝罪も説明も無く『基地を作らせろ、基地を作らせろ』と、それはないでしょう。恥もなく、こういう局長のもとで基地を作らせろと言うんですか。ふざけたことすんじゃねえよ。局長を連れてこい」と。1時間余りの攻防の末、一歩も座り込んだところに近づくことを許しませんでした。雨が強くなり、防衛局はいったん車にもどり昼食。

 1時を過ぎて、再び防衛局がやってきます。昼からは、いつもの高江の座り込みのスタイルに戻り、私たちはダンマリを決め込みラジオの音楽や、田中の更迭への動きを報じるニュースに聞き入ります。防衛局は、その私たちに最初の写真にあるように、「工事ができません。立ち退いてください」「座り込む場所ではありません」「お願いします」などと10数人で連呼、合唱。111129_5 時折、私たちの側から女性が「環境を壊さないでください。お願いします」とやさしく応じます。1時間余り過ぎた頃、防衛局を下がらせて、名護署の責任者が、山城さんに話し合う形をとって「威力業務妨害の恐れがあります」と脅しをかけてきます(左写真)。しかし、ヤマトだったら威喝的に「威力業務妨害だ」と断じ込んでくる所でしょうが、「沖縄は違うな~」と思わず心の中で感心。闘いの成果なのでしょうね。名護署はすぐに引いて、また防衛局が「お願いします」の連呼をはじめます。3時を過ぎて、「もう帰る時間だろ」と野次られる中、帰り仕度を始めます。帰り始めた彼らに、座り込んだ私たちは「ごくろうさん」、「もう来るなよ」と・・・。(左上の『沖縄タイムス』の記事が、この私たちの闘いを報じてくれました。写真右手前の人は、関西から現地に入って頑張っておられるTさん)

 まだ3時半だから明るいうちにたどり着けるよとの皆さんの励ましを受けて、私たちは7時間に及ぶ座り込みを終えて、山城さんはじめみなさんと握手を交わして失礼し、旅の続き、一路北端の辺戸岬へと向かいました。111129_6 幸い降ったり止んだりの雨模様が薄日が指す天気にかわり、「天気だったら見えるが・・・」と言われていた与論島を辺戸岬から見ることができました。写真中央にうっすらと写っているのですがわかるでしょうか。

 前日も雨の中の高江での座り込みをやって、来ると言われた防衛局が来なくて「ちょっと残念」と思っていただけに、闘いと怒りをみなさんと一緒にでき、しかも、旅を続けられたのですから、満足感というか勝利感をもって帰途につきました。おまけに名護では、高江から飛んで帰ってこられた地元で頑張るKさんの案内で、琉球料理に舌づつみ。安くて美味しいので、めっちゃほっくりとしてホテルに帰ることができました。実は連日時間がなくてコンビニ弁当で暮らしていたものですから。

 しかし、防衛局がくるからと毎日のように、名護からでも1時間半近くかかる高江現地に集まり阻止行動をするのは本当に大変です。高江の様子は、ブログ「がんばる東村・高江」http://takae.ti-da.net/をご覧いただければわかります。声援やカンパを送ってください。なお、昨日、今日と防衛局の動きはないようです。

 

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