加辺永吉関実事務局長がご逝去されました 享年81歳
三里塚決戦勝利関西実行委員会の事務局長として、35年の今日までそのにこやかな表情と大きなお身体を微動だにさせることなく闘い抜かれてきた加辺永吉さんが、先日12月1日午前10時13分、長い闘病生活の末、永眠されましたことをご報告いたします。享年 81歳でした。
10年あまり前、加辺さんは「闘いに参加できない」ことを理由に関実の事務局長を辞されましたが、今日まで永井、山本両世話人にとってその存在は大きな支えとなってきました。それは私たち関実事務局にとっても同様でした。それゆえに、私たちは事務局長の席を空席のまま今日に至っております。
あの1983年を中心とした三里塚反対同盟の分裂・裏切りという厳しい局面の中で、加辺さんがまったく動揺することなく私たちの中心で、私たちを大きく包み込み支えてくださったことを思い起こします。また2009年、関西実行委員会への分裂攻撃に対しても病床から「人の道にもとる」と直ちに弾劾の言葉を送り、私たちを支えてくださいました。
加辺さんはこの9月28日、危篤状態で再入院されながら主治医も驚く65日の闘病生活を、ご家族、とりわけお孫さんたちに囲まれながら送られたそうです。意識が混濁したのは亡くなられる直前の数時間だけだったそうです。この春、お電話させていただいた時も、お元気に話され、「関実ブログで世の中とつながっている」「天眼鏡で見なければならないけれども」とおっしゃってくださり、想いが常に三里塚と共にあったことを知らされました。
退職してようやく思うように動けると楽しみにされながら、交通事故による長い闘病生活、そして癌との闘い。三里塚に熱い想いを馳せながら、動くことのできないことへの悔しさと、三里塚、沖縄が抱える現実への怒りと絶えることのない闘いへの闘志のもって行き場のないもどかしさに、幾度悔し涙を流されたことでしょう。
私たちに今できることは、この加辺さんの悔しさと怒り、そして三里塚反対同盟のみなさんと私たちへの熱い想いに、三里塚闘争の勝利、市東さんの農地を守り抜き、沖縄・福島・三里塚を貫く闘いを実現し勝利することをもって応えることだとお誓いしたいと思います。
なお、加辺さんご自身の強い願いから、ご家族のみなさんだけで葬儀などがすでに執り行われましたことと、一切のお悔みやお見舞いをお断りしておられますことをご了解いただけるよう私たちからもお願い致します。
野火への送りの時間が日曜日の礼拝の時間と重なり、結果的に加辺さんが日頃通われた教会の会堂中央に遺体を置いて礼拝が行われ礼拝後出棺されたそうです。奥様は、「牧師冥利に尽きる幸せなことだったと思う」と語っておられました。心からご冥福をお祈りいたします。
なお、最初の写真は、1992年6月28日、泉佐野での関西空港闘争を終えて、反対同盟のみなさんとの交流と永井代表世話人の還暦祝い(ですから永井さんが6本の指を立てておられます)の記念写真です。すでに亡くなられた市東東市さん、鈴木幸司さんがご一緒の素晴らしい写真です。もちろん右端でにこやかに微笑んでおられるのが加辺永吉事務局長です。
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