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2011年12月30日 (金)

市東さんの農地を守り抜こう

086

 今年も残すところ1日となりました。

 2011年は、三里塚反対同盟、そして私たちにとって厳しい正念場の年になりました。天神峰現闘本部への5・20東京高裁反動判決と50名の逮捕という襲撃。1186 8・6夜陰に乗じた天神峰現闘本部への破壊・撤去攻撃。しかもそれは、反原発・反核闘争、8・6ヒロシマの留守を狙った空き巣コソ泥の所業でした。そして多見谷裁判長(農地法裁判・行政訴訟)、白石裁判長(耕作権裁判)、仲戸川裁判長(鈴木さん一坪共有地裁判)、いずれもが年内結審を窺い、団結街道裁判、第3誘導路裁判は「原告不適格」で切り捨てようと、2012年にも市東さんの農地強奪を強行しようと襲い掛かってきました。

 しかし、三里塚反対同盟と私たち支援は、前代未聞の5・20弾圧に対し獄中の完全黙秘の闘いと獄外の闘いによって起訴攻撃をはね返しました。そして何よりもそれぞれの裁判闘争の法廷での反対同盟、弁護団、傍聴団一体となった全力の闘いが、結審攻撃をはね返し、押し戻し、年内どころか来年2012年内の結審をも阻止することができました。裁判所を使嗾した国・国交省の市東さんへの2012年の農地強奪の攻撃をはね返したのです。

 世界は、ギリシャをはじめヨーロッパ各国の財政破たんを切り口に、正に世界金融恐慌への道をひた走っています。巨大な負債を抱え、経済指標ではギリシャ以上の深刻な財政危機、破たんを迎えている日本は、東日本大震災、福島原発事故を奇貨として、消費税の増税、TPP参加、原発輸出とすべての犠牲を私たちに押し付けて、ごく一部の人々の延命の道を探ろうとしています。「ヒト、モノ、カネ、情報」の時代と言われる中で、その物流をはじめとした金融とともに一切の基軸の一つともいえる航空・空港政策の破たんは、致命的な事態となっています。

 極度の東京一極集中というひずんだ構造の中で、行き詰ったその航空・空港政策を立て直すには、国・国交省にとってそこに展望があろうがなかろうが、勝算があろうがなかろうが、「羽田国際化」「成田・羽田の一体運用」、とりわけ成田空港の「30万回化」と「24時間使用」に突き進む以外に道がない所へと追い込まれています。

 その追い詰められた「国策」に仁王立ちして立ちはだかっているのが市東さんであり三里塚闘争なのです。

 「国策」が追い詰められ、破たんしているからと言って、市東さんが精魂込めて作ってきた土を、農地を奪うことなどどうして許されるでしょうか。親子3代、100年近くにわたって開墾され、耕されてきた農地を、1級農地を、本来農地を守るべき農地法で奪い取ることなどどうして許されるでしょうか。法の理念を踏みにじり、人権、耕作権、財産権を踏みにじるこのような暴挙が、国だからと言って許される道理はありません。

 同時に、安全性と住民の生活を無視して内陸に作られた成田空港の「30万回化」「24時間化」は、確実に北総の住民の生活と営農を破壊するとんでもない犠牲を生み出すことは確実です。

 2012年の市東さんの農地の強奪という国の目論見を破産させたとは言え、多見谷裁判長が先日の口頭弁論で、来年一年間の法廷の日程を決め、2013年早々にも結審、判決へと突き進もうとする意志を隠そうともしていません。しかも「違法行為があろうと手続きは進められる」と「国策裁判」であることも隠そうともしていません。すでに国は2014年の「30万回化」を国際公約として公表し、闇雲に進もうとしています。

 私たちは、今こそほぞを固め、新しい年を、この国の2014年に向けた攻撃をはね返す決戦の年としなければなりません。消費税増税、TPP参加、原発輸出に走ろうとする野田民主党政権の目論見を、この三里塚闘争の決戦の中から吹き飛ばそうではありませんか。ニューヨーク・ウォール街の「1%の人間のための政治を拒否する」と立ち上がったアメリカの人々や、中東のエジプトを始めとしたイスラムの人々、中国・アジアの人々とともに闘いぬきましょう。卑劣な「評価書持ち込み」に象徴される国の差別的な沖縄への「日米同盟」の押しつけと闘う沖縄県民とともに闘おう。内部被曝を無視し、「福島事故は収束した」と被災者、被曝者切り捨ての道を歩み出した国に対し、怒りの決起を開始しておられる福島、東北のみなさんと共に闘おう。

 新しい年を、勝利の年としよう。

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2011年12月28日 (水)

第35回団結野菜市が開かれる

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 昨日、明石教会で恒例の「第35回団結野菜市」が好天に恵まれ開かれました。

 早朝、無事に三里塚現地からの野菜がどっさりと届きました。特に大根のでっかいのが目立ちます。

 111227_2 先ず作業の打ち合わせを兼ねた集会が開かれました。冒頭、この12月1日に亡くなられた加辺永吉さん(前関実事務局長)のご冥福を祈り全体で黙祷をしました。遺影が飾られる中、加辺さんの連れ合いの妹さんである山田さんから最後の加辺さんの様子とその三里塚や差別の闘いへの想いが語られるとともに、謝辞が述べられました。加辺さんの「壮絶」としか表現の仕様のない癌との闘いと、戦列に加わることのできない悔しさが語られました。

 111227_4 続いて山本世話人が挨拶をされました。涙を流されながら加辺さんへの追悼の想いを語られた上で、「1日、1日、1年、1年を力のある限りやっていきたい」と決意を語られました。そして沖縄、福島とともに、関実が力を強く、大きくなっていくことが三里塚闘争にとって大事になっていると確信を語られ、裁判闘争が当面の大きな闘いとなっていることを確認し、一人でも多くの人々に「三里塚の心」を伝えようと提起されました。

 最後に、野菜を運んでいただいた三里塚現闘のFさんから、111227_5 生産者である萩原反対同盟進事務局次長からのメッセージが代読され、紹介されました(「11.12.27萩原さんからのメッセージ.pdf」をダウンロード )。

 35年間、一度も欠かすことなく続けられてきた団結野菜市。手馴れた感じで、野菜が次々と計られ、各グループに分けられていきます(最初の写真)。2時間足らずですべての作業が終えられ、各グループが直接車に積んで出発していきます。私たちなど幾つかのグループが、その場で注文された各個人ごとへの仕分け作業をしています。地域の方たちが、「もういいですか」と残った野菜を買い求めにこられます。

 最後に私たちが仕分けられたものを車に積み込み、10数箇所の各個人へ配達です。前日と様変わりして、強い日差しで暖かいのが何よりでした。5時過ぎに全ての配達が終わり、ほっとして帰途につきました。

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2011年12月18日 (日)

今年最後の産直野菜(12月17日)

111217  昨夜、今年最後の三里塚からの産直野菜がとどきました。

 じゃがいも、ブロッコリー、人参、さつま芋、ターサイ、ほうれん草、カブ、長ネギ、青首大根の9品です。いろいろ気候からくる心配が今年もありましたが、後半は今回に見られるように順調でした。ダメだと思っていたブロッコリーも届きました。

 後は、12月27日(火)の第35回団結野菜市です。注文が次々と上がってきています。注文締切は、明後日の20日中ですのでみなさんよろしく。

 野菜についての放射能検査に続いて、落花生についても不検出の報告が三里塚から届いております。

111217_2  昨日は、港合同のもちつき大会に関西実行委員会からのお祝い1本を下げて参加してきました。厳しい寒さと言われていたのですが、風も弱く、思ったほどではありません。若い人たちの威勢のいい掛け声の中でもちつきが進みます。うすが4つ用意されているのですが、4台のせいろの方が火の勢いが燃料で違い、なかなか全部のうすで一緒にとはなりません。少しゆっくり気味に進んでいきます。奥の方では突き上がったおもちを手際よく小餅に練り上げていきます。111217_3 お餅を頼んだ近所の人なども集まってこられます。

 恒例の田舎汁、きなこもちが振舞われ、お酒も・・・。いい気分になったところで次の会議の時間が来て、集会が始まる前に失礼したのが心残りでした。特に楽しみにしていたおろし餅が集会後に振舞われるので残念・・・。

 なお港合同南労会闘争の2012年元旦デモが呼びかけられています。

 2012年1月1日(日)午前10時集会~10:40デモ~11:20集約、解散、場所は伊射奈岐(いざなぎ)神社内の公園(吹田市山田東2-3-1)で、「前代未聞の刑事罰に及ぶ賃金事件を始め長年にわたる不正経理、不正労働行為の実行者である若杉の経営責任・争議責任を改めて糾すため、そして何より20年争議の決着を迫るため、若杉自宅抗議闘争を闘います」(呼び掛けのビラより)。(詳しくは港合同南労会支部 06-6583-4880へお問い合わせください。)

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2011年12月17日 (土)

何が「事故は収束」だ!

 昨日、野田首相が「原発事故は収束」と記者会見で放言したことが大きく報じられています。本当に怒りを覚えます。そこには、この春ほとんどの原発が稼働を停止しようとしている現実への危機感と、被災地の被曝の現実を軽く見せて消費税増税やTPPへの参加の策動、そして原発輸出への蠢きなどを実現したいという目論見がありありと見て取ることができます。

 111217 そもそもメルトダウンした燃料棒などがいったいどういう状態にあるのか何一つ解っておらず、破壊されたままの4号炉などから放射能が放出され続けており、海へは漏れた放射能をかなり含んだ水が垂れ流され続けているのが放置されたままではありませんか。

 「廃炉にして30年から40年かけて解体する」と言いますが、正常に停止したイギリスやドイツの原発でも数十年かけてなかなか解体できないでいます。日本でも「ふげん」がそうではありませんか。メルトダウンした燃料棒をどうすることができるかさえ全く目処が立っていない中で、この野田首相の放言は、断じて許すことができません。それは被曝問題がこれから深刻になる中で、一昨日、この放言に先立って「20ミリシーベルト」基準を追認することで、被曝問題を切り捨てようとしていることと一体となったものです。

 あらためて怒りを燃やし、すべての原発の再稼働を許さない巨大な声を、うねりを生み出していこうではありませんか。

 1112 話しはコロっと変わりますが、昨日、山本先生と京都で10数年ぶりに開かれた金城実さんの彫刻の個展に伺いました。

 京都の寺町三条を少し上がって右側、天性寺の前にあるギャラリー・ヒルゲートの2階で開かれていました。金城実さんもおられ、私たちがいる間も、いろいろな知人が訪れておられました。京都沖縄県人会の大湾会長にもお会いしました。年配の御婦人と「昔の天王寺のあたりは一番良かった。11622 今は、規制がありすぎてダメだ」などと話しておられました。この日はカメラをもって行っていたのですが、話しに夢中で撮るのを忘れ、右写真は、今年の6月の沖縄での集会のものです。

 111216 山本先生が彫刻の作り方を聞いておられましたが、沖縄の読谷にある金城さんのアトリエに置かれた彫刻をしっている私には、激しい主張を込めた大きな彫刻のイメージでしたが、この日展示されていたのは、左の写真のような小さなもので、ご自身が書かれた小説の『ミッチアマヤーおじさん』の彫刻がいろいろあったりしました。

 08820 金城さんは先日、30年ぶりに三里塚を訪れられ、ご自身の作品で横堀の小屋に今もそびえている「闘う農民像」を見に行かれたそうです(右写真)。この像が三里塚の岩山鉄塔に飾られることになったいきさつなどをお伺いすることができました。

 山本先生は、金城さんとは昨年の県民大会の後での金城さんのアトリエでの交流会、そして今年の6月の沖縄での三里塚集会でお会いされただけですが、ほんとに旧知の間柄のようにお二人で話し込み、お会いできたことを喜んでおられました。

 彫刻展は明日まで開かれています。行かれてみませんか?

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2011年12月14日 (水)

12・10市東さんの会シンポジウムに参加して

111210

 12月10日、千葉市文化センターで『人の命か、「国策」か 12・10市東さんの会シンポジウム』が、120名近い人が集まって開かれました。ちょうど同じ時間に東京の日比谷で、大江健三郎さんなどが呼びかけた「さようなら原発・1000万人アクション」があり(5500人結集)、どうかなとちょっと心配したのですが、去年を上回り、新しい顔が沢山お見えになりました。やはり、フクシマの事態とTPP問題が、一人ひとりの生活に深く関わり皆さんが自分の意志で立ち上がっておられることを感じさせました。 

 集会は、足立満智子成田市議の総合司会で始められ、まず「“ナリタ”国策はばむ農地」という直近の市東さんの闘いを紹介する映像です。冒頭10月30日の芋掘り大会に招かれた福島の子供たちが歓声を上げて遊ぶ姿から始まり、8・6天神峰現闘本部破壊と第3誘導路建設工事の様子を紹介。さらに市東さんの畑での「市東さんの会」の現地調査の様子や今年の秋の高温と集中豪雨などの中での作柄などが紹介されました。111210_2 最後に先日の行政・農地法裁判での市東さんの気概あふれる挨拶が紹介されました。

 その後、「市東さんの会」事務局の三角忠さんが聞き手になって、市東孝雄さんが語られます。

 冒頭「福島だけでなく、各地の農家の方々との交流をこれから作っていきたい」と闘いへのイメージを語られました。そして8・6本部破壊に対しては「団結街道封鎖の時もそうだったが、人がいなくなる時にかぎってやってくる」「『国策』なら昼間堂々とやればいいのだ。そこがおかしい」「立ち会いもなく、執行官が弁護士に会おうともしないのもおかしい」「8・6破壊は自分の畑への、いつでもやるぞという脅しだろう」と。5・20不当弾圧について、「拘留された警察で、取り調べた警察官も『おかしいよね』と言っていた。ひどいものだ」と。そして最後に「『国策』だから当たり前だという傲慢な態度で、沖縄でも福島でも住民が不利益をうける。こんなことに負けられない」と決意を明らかにされました。

 ここで、裁判事務局から、裁判の現状についての報告と訴えが行われていったん休憩。

 第2部はパネルディスカッション「フクシマ、沖縄、成田をつらぬく棄民政策・農業つぶし」ですが、牛の競り市があるために来れなくなった福島県いわき市の畜産農家、斎藤栄一さんに電話インタビューです。111210_4 スクリーンには斎藤さんを紹介し、福島の現状を紹介する写真が次々と映されています(左写真は、家族が故郷を離れた家で、放置された豚たちが何かを食している)。

 斎藤さんは双葉などでの牛や豚が放置され亡くなっている惨状を語られた。横浜に避難させていた小さい子供が8月に戻ってきて家の中にこもっている様子なども。堆肥が溜まって持って行き場がないことと、年老いて子牛を生むことができなくなった牛の処分(売る)ができず、世代交代に困難が生まれていることで困っている。国や県は何もしてくれない。年よりも、子どもたちや知り合いに米や野菜を贈るのを楽しみにしていたのに、できないので嘆いているなど。

 今度はパネルディスカッションです。111210_5 パネラーは坂本進一郎さん(秋田県大潟村)、市東孝雄さん(千葉県成田市)、小川浩さん(千葉県匝瑳市)、金治明さん(キムチミョン・沖縄県名護市)の4人で、農民新聞の林伸子さん(市東さんの会事務局)がコーディネーターです。

 各パネラーの自己紹介の後、先ず「市東さんの農地を守る沖縄の会」のキムさんから、半年ぶりに再開された高江でのヘリパッド建設強行という中での、先日の田中前防衛局長の差別暴言に対する闘いの様子が報告されました。そして半年前と違って絶対に重機を現場に入れさせない闘いが続けられていると。111210_7 一方で辺野古区で、8割以上の県民が新基地建設に反対する中、侵略者としての政府の動きに呼応して辺野古区でのテント村撤去の攻撃が誘致派の反転攻勢として開始されていることが報告された。これを背景に政府が環境アセスの最終報告を出そうとしていることへの闘いがこの日10日にも沖縄で取り組まれていることが報告された。

 つい先日2000名のJAによるTPP反対集会が開かれたが、TPPの強行は砂糖黍産業を壊滅させ、離島の人口を激減させるだろうと言われている。さらに、現在のLCCによって成田・那覇間が980円で飛ぶことが示すように、TPPによってヤマトの大手企業による沖縄の観光植民地化が進むとしか考えられず、大変なことになると。

 放射能ということについては、「思いやり予算を被災地に」という10万署名運動が続けられていることと、被災者を受け入れて行きたいが、沖縄は安全ではなく、9・11事態の中で言われたこと、原潜が出入りしているなどの現実を踏まえて来て欲しいなどと。111210_8

 大潟村でコメ農家として40年やってこられた坂本さんは、TPP問題として思うことは、外交が下手だということと、自由貿易がひとり歩きしていることに警鐘を鳴らされた。12・8、負けると知りながら戦争を始めた。そして「戦争を進める」立場を表明すれば出世し、生きていけた。それと同じことが今、TPPで起こっていると。アメリカやオーストラリアの畑の面積を対比すれば勝負にならないことはあきらか。戦後の農政の中でアメリカの言いなりで、すでに米の部分的自由化まできてしまっている。農業つぶしの最終局面が今のTPPだ。日本が日本でなくなってしまうと恐怖さえ感じると。

 農業と工業を対比させるのは酷な話で、ヨーロッパでは50年も前から戸別保障が行われていると。

 三里塚から20キロの匝瑳市で40ヘクタールのコメ専業農家を営んでおられる小川さんは、「私のようなコメの専業農家がTPPでまっ先に淘汰される」と語られた。111210_9 その上で、ねっからの自由貿易論者の野田が、具体的には何もはっきりさせないで国益のためと「参加してみないとわからない」とすることを批判された。そもそもTPPをやらなくてもこのまま行ったらダメになるというが、そんな農業に誰がしたのだと。この20年で農家も半分に、農産物価格も半分位になってきたのは、市場原理主義がもたらしたものだと。高齢者がダメなのじゃなくって、高齢者が必死で支えて自給率40%が維持されているのだと。オバマが雇用の創出といっているのは、日本市場を狙っているからだ。担い手農家が一番打撃を受ける。メキシコを見ろ。

 汚染された稲藁を牛に食べさせたと農民を批判する声があるが、東電の責任を棚上げしたそうした議論は農民を冒涜するものだ。原発をどうできるかということと共に農家も瀬戸際に立たされているとも。

 市東さんは、オヤジが亡くなって帰ってきたが、土が好きなんで農家になってよかった。111210_10 昔の農家は本当に貧しかったから、オヤジは「手に職をつけろ」と外へ出した。「産直で食べれる」という方向づけができたので帰ってきたのだ。土地収用法が失効したから、ずっと農業をやれると思っている。

 放射能汚染については、成田の隣の香取で出ているという中で行政の動きが遅かったと批判した上で、放射能ということに経験がないから、ずいぶん悩んできたと。堆肥の方はどうにか使えるが、床土からの落ち葉に放射能がでれば使えなくなり、有機農法が難しくなる。福島の人には悪いのだが、土にでれば使えなくなる。出ないで欲しいと。

 (パネラーの発言は便宜上、それぞれにまとめました) この後、会場から山梨の山の中腹で果樹農家をやっておられる方など、多彩な方から質問や意見が飛び出し、あらためて「市東さんの会」がこの日のために大変な努力をされて準備してこられたのだなと感心させられました。しかし、3時間半を超えるのはいささか厳しいでしたが、「時間の経つのも忘れて」とはこのことでしょうね。

111210_11  最後に群馬・市東さんの農地を守る会と市東さんの農地取り上げに反対する会からそれぞれ簡単な活動報告が行われました。

 そして市東さんの農地取り上げに反対する会の共同代表の井村弘子さんから最後のまとめの挨拶が行われ、集会を終えました。

 いつもは帰ることが付きまといますので、交流会(二次会)の途中で失礼するのですが、今回は昨日報告したように翌日も三里塚に伺うことになっていたので、市東さんの会のみなさんと4次会までにぎやかに楽しむことができました。ありがとうございました。

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2011年12月12日 (月)

今週の産直野菜(12月12日)

111212  今週の産直野菜が先ほど三里塚から届きました。やったぞ!ベイビー! 心配していた白菜が届きました。今日は一発目の「忘年会」があるので、明日は鍋にしよう・・・。市東さんのところも全滅かと言われていたのですが半分は持ち直したとか。この2日間、千葉にいたのですが霜が降りて寒かった。これで白菜はじめ野菜たちも、いつもの状態に戻ってくれるといいのですが。

 届いたのは、じゃがいも、ゆず、人参、里芋、白菜、チンゲンサイ、ほうれん草、かぶ、長ネギ、ごぼう、大根の11品目です。2日間もクロネコさんに預かってもらったので心配したのですが、ふた近くにあったほうれん草が少し萎れているだけで、大丈夫。今、水に浸けてやって蘇生させています。これで、この1週間は傷みもせず大丈夫でしょう。しかし、白菜がでっかいなあ。芋掘り大会の時に、白菜が背が高く大きく広げて育っていたので、こいつはでっかくなるだろうなとは思っていたのですが、やっぱり・・・。

 111211 10日は「市東さんの会」のシンポジウム。これについては写真や録音を整理して明日ご報告します。翌日、レンタカーを借りて、久しぶりに萩原さん、市東さん、北原さん、鈴木さんのそれぞれをご訪問ししばらく歓談させていただきました。その上で、前日映像を見て気になっていた第3誘導路の工事の進捗状況と、鈴木さんのところでお聞きした岩山記念館周辺の変わりようを見に現地調査してきました。

 第3誘導路の工事はかなり進んでいます。市東さんのお話しでは、思ったより工事の振動や騒音はないようですが、これから上物を作る段階でどうなるだろうかと懸念をはなしておられました。右上写真の右手上の隅に現闘本部の跡地の木々が見えます。111211_2 左手の2本の筒状のものが小見川県道のトンエル部分の上を通る誘導路の基礎工事、手前の鉄骨が誘導路の補強のためでしょうか? 盛土があっちこっちにあるのですが、誘導路の高さを空港の高さに揃えるためのものでしょうか?

 鈴木さんのところでは、ちょうどお餅をご家族総出で朝から一日中ついておられるとか。つきたての美味しいお餅を腹いっぱいいただきました。そこで岩山記念館の変わりようを教えていただいたので、その足で岩山記念館に向かいました。左上写真が記念館ですが、鬱蒼とした森の中にあるという雰囲気の記念館でしたが、この部分の藪が残されているだけで、当たり一体の木々や笹、藪、全てがきれいに刈り取られ、フェンスで囲まれてその中で連日工事が続けられているそうです。111211_3 この日は、日曜でしたので人影はありませんでしたが。

 右写真が記念館屋上から滑走路を眺めた写真ですが、4000メートルを使えるようにするために滑走路南端の誘導灯が新たに完成し、その手前にさらに誘導灯を作っているのでしょうか鉄骨が組み上げられています。気になるのは記念館周辺が完全に平地に舗装され(写真の位置だけでなく反対側も)、工事車両が出入りできるためか大きな門が3つも(写真はそのうちの2つ)作られています。谷も埋められ、かって産土さんがあったうっそうとした辺りが見る影もありません。

 この周辺にはこの記念館をはじめ、現闘本部同様に成田治安法がかけられたままの野戦病院、蜂起派の団結小屋があります。111211_4 「空港完成」を何とか仕上げたい空港会社と国が、熱田派の一坪共有地を裁判で取り上げようと進めているのと一体で、この成田治安法がかかったところを強奪し、市東さんと東峰部落住民、そして反対同盟に孤立感を強制しようとしているのでしょうか。

 そんな姑息な攻撃でたじろぐ反対同盟でも、三里塚闘争でもありません。46年にわたる三里塚闘争の重みと、航空政策が破綻し追い詰められた国、国交省、空港会社の悪あがきでしかないことをあらためて確認しました。新しい年を市東さんの農地を守る決定的な年にしなければとの思いを深め現地をあとにしました。

 帰りには経産省前の反原発の拠点となっているテントを訪問しましたが、すでにその日のデモと、経産省包囲の行動も終わって、たくさんの人たちが暗闇の中で歓談しておられました。場所を変えて交流しておられたみなさんに少し交流し、挨拶をして帰途につきました。

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2011年12月 9日 (金)

明日、市東さんの会シンポジウムに集まろう

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人の命か、「国策」か

―フクシマ、沖縄、成田をつらぬく棄民政策・農業つぶし

  市東さんの会シンポジウム

【日時】 12月10日(土)午後1時開場

【会場】 千葉市文化センター 5階セミナー室

      協力費 1,000円

【主催】 市東さんの農地取り上げに反対する会

― 福島第1原発の爆発は人々から住み慣れたふる里を奪い、子どもたちを被曝の恐怖の下におき、日本有数の漁場と肥沃な農地を汚染しました。

 沖縄では辺野古の基地建設、成田ではふたたび農地取り上げの動きです。

 農地は私たちの命! 耕す者に権利あり! ――「国策」「国益」が生み出した「棄民」の現実を、被災地・福島と会場を結んで考えます。  (12・10シンポジウム案内チラシより) ――

 1210 先日6日の農地法・行政訴訟の裁判で、多見谷裁判長は、「手続きに違法があろうと、(農地取り上げ)処分を行うことができる」と開き直り、市東さんの農地強奪に向け予断に満ちた訴訟指揮を強行する意志を公然と表明しました。これが私たちの国の「国策」を進めようとする現実です。

 この現実について、福島、沖縄、成田を結んで考えようと呼びかけられた「12・10市東さんの会シンポジウム」はまことに時宜を得た取り組みです。沖縄からも「市東さんの農地を守る沖縄の会」を代表して駆けつけられ、沖縄の現状が報告されます。右が案内チラシ(「12.10市東さんの会チラシ.pdf」をダウンロード )です。

 一人でも多くの皆さんがお集まりくださり、ともに考えてくださることを私たちも呼びかけます。

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2011年12月 8日 (木)

加辺永吉関実事務局長がご逝去されました 享年81歳

1992628

 三里塚決戦勝利関西実行委員会の事務局長として、35年の今日までそのにこやかな表情と大きなお身体を微動だにさせることなく闘い抜かれてきた加辺永吉さんが、先日12月1日午前10時13分、長い闘病生活の末、永眠されましたことをご報告いたします。享年 81歳でした。

 10年あまり前、加辺さんは「闘いに参加できない」ことを理由に関実の事務局長を辞されましたが、今日まで永井、山本両世話人にとってその存在は大きな支えとなってきました。それは私たち関実事務局にとっても同様でした。それゆえに、私たちは事務局長の席を空席のまま今日に至っております。

 あの1983年を中心とした三里塚反対同盟の分裂・裏切りという厳しい局面の中で、加辺さんがまったく動揺することなく私たちの中心で、私たちを大きく包み込み支えてくださったことを思い起こします。また2009年、関西実行委員会への分裂攻撃に対しても病床から「人の道にもとる」と直ちに弾劾の言葉を送り、私たちを支えてくださいました。

 加辺さんはこの9月28日、危篤状態で再入院されながら主治医も驚く65日の闘病生活を、ご家族、とりわけお孫さんたちに囲まれながら送られたそうです。意識が混濁したのは亡くなられる直前の数時間だけだったそうです。この春、お電話させていただいた時も、お元気に話され、「関実ブログで世の中とつながっている」「天眼鏡で見なければならないけれども」とおっしゃってくださり、想いが常に三里塚と共にあったことを知らされました。

 退職してようやく思うように動けると楽しみにされながら、交通事故による長い闘病生活、そして癌との闘い。三里塚に熱い想いを馳せながら、動くことのできないことへの悔しさと、三里塚、沖縄が抱える現実への怒りと絶えることのない闘いへの闘志のもって行き場のないもどかしさに、幾度悔し涙を流されたことでしょう。

 私たちに今できることは、この加辺さんの悔しさと怒り、そして三里塚反対同盟のみなさんと私たちへの熱い想いに、三里塚闘争の勝利、市東さんの農地を守り抜き、沖縄・福島・三里塚を貫く闘いを実現し勝利することをもって応えることだとお誓いしたいと思います。

 なお、加辺さんご自身の強い願いから、ご家族のみなさんだけで葬儀などがすでに執り行われましたことと、一切のお悔みやお見舞いをお断りしておられますことをご了解いただけるよう私たちからもお願い致します。

 野火への送りの時間が日曜日の礼拝の時間と重なり、結果的に加辺さんが日頃通われた教会の会堂中央に遺体を置いて礼拝が行われ礼拝後出棺されたそうです。奥様は、「牧師冥利に尽きる幸せなことだったと思う」と語っておられました。心からご冥福をお祈りいたします。

 なお、最初の写真は、1992年6月28日、泉佐野での関西空港闘争を終えて、反対同盟のみなさんとの交流と永井代表世話人の還暦祝い(ですから永井さんが6本の指を立てておられます)の記念写真です。すでに亡くなられた市東東市さん、鈴木幸司さんがご一緒の素晴らしい写真です。もちろん右端でにこやかに微笑んでおられるのが加辺永吉事務局長です。

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2011年12月 7日 (水)

市東さんの農地裁判 新たな重大証拠

 昨日、千葉地裁で市東さんの農地をめぐる併合された行政訴訟と農地法裁判の口頭弁論が開かれました。

 この7月の進行協議以来、多見谷裁判長は、立証過程を萩原さんと市東さんの証言だけでお茶を濁し、一気に結審、判決へと突っ走ろうとしてきました。それは国の航空政策をかけた国家意志を背景にしたものだけに正に千葉地裁あげての「確信犯」としてのものでした。

11126  これに対し、反対同盟と弁護団、そして支援傍聴団は8月30日、10月18日の2つの口頭弁論で全力ではね返し、この日を迎えました。この日、多見谷裁判長は、何としても証人立証の日程を確定し、自らの反動判決への道筋を付けようと必死の策動を強めてきました。何と、法廷で弁護団に追い詰められる中で、「手続きに違法があっても、処分を進めることは問題はないんだ」と、国、空港会社側の居直りを全面的に肯定した予断に満ちた姿勢にあることを隠そうともしなかったのです。そして、新たに空港会社の2人の証人を認めることでお茶を濁し、一気にこの日、全日程を確定し年内の結審、判決へと突き進もうと繰り返し審理を進めようとしたのです。

 これに対し、冒頭、弁護団は、すでに地主藤﨑の「同意書」「境界確認書」の署名が偽造であることを明らかにしてきましたが、耕作者市東東市さんの署名自体がこれも偽造であることを、日本筆跡鑑定協会会長根本寛さんの筆跡鑑定書を添えて明らかにしたのです(右上写真、「11.12.6裁判資料.pdf」をダウンロード )。それでも必死になって立証の日程決定に入ろうとする多見谷裁判長に対し、弁護団の必死の弁論の展開と、断固たる弾劾、裁判所追求の傍聴団の闘いが繰り広げられました。これに対し多見谷は傍聴者を3名も退廷命令を行い暴力的に放り出したのです。

 しかし多見谷は、合議せざるを得なくなるところまで追い詰められ、合議の末、ついに「千葉県農業会議の耕作権解除認定」の責任者である千葉県農地課長渡辺とそもそもの始まりを強行した成田市農業委員会事務局長山崎の証人採用を行わざるを得なかったのです。必死で食い下がる多見谷は、後2回の審理の上で、立証過程を7回の半日かけた尋問として年内いっぱいかけて行うことを決めました。しかしこの日程自体が「司法改革の迅速要請」を旧来のところへ引き戻し、かなり押し込んだ闘いの成果でした。弁護団から力関係の中でギリギリ引き延ばせるところまで引き伸ばし、一方的なやり方を阻止したのだと明らかにされました。11126_2 また、地主藤﨑の証人採用問題など、今だに棄却されたわけではなく、また例え多見谷が主観的にこのまま進もうとしようが、6人の立証過程で他の証人、とりわけ地主藤﨑の証人尋問をかちとれるようこじ開けていくことがこれからの闘いだと明らかにされました。そしてこの勝ち取った新たな1年をかけて全力で反動判決を阻止しようと方針が明らかにされました。

 報告会の冒頭発言に立った市東孝雄さんは、「今年はいろんな大変なことが起こった。来年は今年以上に向こうの攻撃が強まるが、みなさんと一緒に頑張る」「国策であれば何をやってもいいということがまかり通っていますが、こういうデタラメはみんなで変えていかないといけない」と決意を語られました。11126_3 また、報告会の最後に北原鉱治事務局長は、3・11の震災と福島事故そして5・20弾圧を振り返られながら「46年間法廷では勝っているが、判決では負けてきた」「企業優先、金儲け優先の裁判で、これではダメだ」「来年を明るく闘い抜こう。いじめられればいじめられるほど強くなるのが反対同盟だ」とまとめられました。

 次回以降の日程は、2月20日、3月26日(以上は午前10時半から)、4月23日、5月28日、6月25日、9月10日、10月15日、11月12日、12月10日(4月以降はいずれも月曜日、午後1時半から)と決定(とりあえず「予定」という確認の上で)されました。この裁判の攻防が、他の裁判はもとより、三里塚闘争の現在を決定するものとなっています。全力で注目し、傍聴闘争に決起しましょう。

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2011年12月 5日 (月)

もんじゅを廃炉へ! 全国集会 (12月3日)

11123

 12月3日、高速増殖炉もんじゅの対岸にある白木海岸に地元福井をはじめ全国から1300人を越す人々が集まりました。関西からも数百人が。私も、宝塚などの市民団体と一緒に大型バスを満杯にして参加できました。(案内ビラの「もんじゅは動かしてはいけない」というビラ「11.12.3もんじゅを動かしてはいけない.pdf」をダウンロード ) バスの中で宝塚の中川さんなどからこの日の闘いに向けた想いが語られ、私も機会が与えられてこの28日、29日の沖縄、高江の闘いの報告をさせていただきました。

11123_3   もんじゅを前に海岸で簡単な集会が原水禁の皆さんなどによって進められ、直ちにもんじゅの正門前までのデモです。幸い予想された雨もなく、おまけに異常な暖かさに少し驚きました。正門前で、集会で採択された抗議文(「11.12.3抗議文.pdf」をダウンロード )を読みあげ、全体で抗議のシュプレヒコールです。

 そこからバスに乗り、全国集会が開かれる敦賀市内の会場・プラザ万象へ。着いたときにはもう会場の席はほぼ満杯、仕方なく舞台右裾のところに、腰がもつかなと不安を感じながら座り込みました。11123_4 動けなくなると困るので早速全体の写真を撮りに会場最後尾に(左写真)。ちょうど開会の挨拶が始まります。降りるときにはもう階段、通路も人がいっぱいになりだし、降りていくのに大変でした。

 定刻に集会が始まり、最初に主催者の呼びかけ団体を代表しての挨拶がありました。

 昨年の集会では国会議員の挨拶やメッセージ、そして六ヶ所などいろいろな報告と訴えがありましたが、 今回は3つの大きな講演があるだけで、用意されていた訴えなども時間がなくなりました。

 11123_6 その講演の最初に、福島県知事として在職中にプルサーマルに反対し、地方自治の主体性を主張して国や東電と衝突し、知事辞任に追い込まれた佐藤栄佐久さんから「これが民主主義か」といった訴えが行われました。

 続いて弁護士の海渡雄一さん(右写真)からもんじゅ高裁判決や浜岡原発静岡地裁判決を具体的に批判されました。静岡地裁判決に石橋克彦さんが「この判決が間違っていることは自然が証明するだろうが、そのとき私たちは大変な目に遭っている恐れが強い」と語られたことを紹介されたのが印象的でした。

 11123_7 最後に立った小林圭二さん(元京大原子炉実験所講師、左写真)は、もんじゅで「フクシマ級」が起こればと、画像でシュミレーションを行われました。加圧水型原発に比較して異常に薄い冷却系配管、しかもそれが異様に曲がりくねっていることを指摘し、直下だけでなく活断層に囲まれたもんじゅで何が起こるかわかりやすく指摘されました。

 いずれの講演も3・11フクシマを踏まえているだけに迫力があり、時間が足りなかったことが残念でした。

 集会では決議文(「11.12.3集会決議.pdf」をダウンロード )の採択をしてデモに出発です(右写真は、会場のプラザ万象前を出発する関西の部隊です)。11123_8 ここでのデモでいつも感じるのですが、人通りが本当に少ない。最後は敦賀駅前の大通りですので、さすがに少しの市民が熱心にデモの様子をご覧になっておられましたが・・・。

 敦賀駅前でバスに乗り一路関西へ。この日福井に留まって福井のみなさんなどと交流するのだという若い人たち3人が別れの挨拶をされて降りましたが、そのあと高速に入り、バス車中での感想を交えた交流会が行われました。たくさんのみなさんと一緒に行けるといいですね。

 ついでに。11124 昨日4日は、疲れていたので躊躇しましたが、広瀬隆さん(左写真)が一人で語る「福島原発事故の真相と放射能汚染の恐怖」と題した講演会に参加しました。

 内容は省略しますが、3時間を超えるその講演は、広瀬さんが訴え続けてきたにもかかわらずその警告通りの深刻な事態となった「福島事故」への悔しさの滲んだ激しいものでした。とりわけ子どもたちへの将来にわたる厳しい現実をどうしていくのかという熱い思いには本当に考えさせられました。11124_2 当初、4月頃の広瀬さんの2時間にわたるお話しを映像で見たり、著書の『原子炉時限爆弾』を読んだりしていましたので、今の時点でどう語られるか興味深く聞くことができました。新長田勤労センター大会議室を一杯にする300人以上の熱気の中、いい集会になりました。ここでも広瀬さんの話だけで時間がなくなり、主催者の訴えができないという事態でした。

 関実世話人の山本先生が、一生懸命に聞いておられたのが印象的でした。

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2011年12月 4日 (日)

6日の市東さんの農地の行政訴訟・農地法裁判を傍聴しよう

市東さんの農地をめぐる行政訴訟・農地法裁判

【とき】 12月6日(火)午前10時半~

【ところ】 千葉地裁601号法廷

なお、傍聴券の配布がありますので、千葉地裁1階ロビーに40分前までのお集まりください。

 前回の口頭弁論(10月18日)で、NAA側は裁判所から求められていた書面も準備できなかったことが、今回の法廷でどうでてくるか。Photo そしてこの2回の口頭弁論を通して反対同盟が明らかにしてきた「境界確認書」などの偽造問題、あるいは農地「41-8」の空港敷地外の問題などNAA側が答えるべき点がいくつも明らかにされており、それにどう答えてくるか。今回の法廷は非常に興味があります。

 しかし、一旦はこうした新しい事実を突きつけられうろたえているとは言え、多見谷裁判長は、8月30日の口頭弁論で突き進もうとしていたように、一切の立証を拒否し早期結審、判決、つまり市東さんの農地取り上げを狙っておりその現実は何ら変わってはおりません。

 また、裁判所から指示されながら書面を提出しないNAA側も、結局は裁判所が農地強奪のための単なる手続きとして進めてくれるものと期待し、真面目な対応をしようとしないというのが現実です。

 8月30日、10月18日の口頭弁論での弁護団、反対同盟、そして傍聴団の一体となった必死の追求が裁判所、NAA側を押し戻し、その目論見を破綻させました。今回の口頭弁論で23名に及ぶ立証証人を何としても勝ち取らねばなりません。多見谷裁判長の早期結審策動をはね返さなければなりません。市東さんの農地を守れるかどうかをかけた決定的に重要な裁判となっております。是非、みなさん。傍聴に駆けつけてください。

11124  昨日は早朝から「2011もんじゅを廃炉へ!全国集会」に出かけていたため、産直野菜が今朝届きました。豊かな野菜の姿を見ながら、あらためて市東さんの農地を守ることの重大性をかみしめました。

 届いたのは、かぶ、人参、じゃがいも、ラディッシュ、サニーレタス、ほうれん草、小松菜、長ネギ、青首大根、里芋の10品です。

 白菜やキャベツ、ブロッコリーなどが高温でうまくいっていないようですが、それ以外は、却って育つのが早くなりうまくいっているようです。自然を相手というのは本当に難しいですね。

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2011年12月 2日 (金)

沖縄に行って

111127

 昨日の当ブログに報告した29日の高江での闘いを含め、26日にこちらを出発し、30日まで沖縄に行ってきました。書籍情報社出版の『沖縄・米軍基地ガイド -本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること-』(2011年6月発行 須田慎太郎写真、矢部宏治文、前泊博盛監修。一読をお薦めします)を読んで、一度、米軍基地の74%が0.6%の国土・沖縄に集中している現場を実感してみたいと思っていました。111128 そこへ知人のMさんから、「誰か4、5日沖縄を案内してくれないだろうか」と相談を受け、「それなら僕が」と即決。ただ、直前になって高江のヘリパッド建設の工事を沖縄防衛局が再開してきて闘いが始まった最中でしたので、現地の要請次第で高江での座り込み阻止行動に参加するという前提で行きました。

 そんなわけで、28日は「来るようだ」との前日の情報で雨の中を座り込んだものの結局空振り、午後からは地元のKさんの案内で辺野古の街の現状を詳しく説明していただき、夜は、たまたま名護市民会館で「第46回琉球古典芸能祭」があるというので、チケットをいただき、4時間に及ぶ琉球舞踊の様々(15も)と三線や沖縄箏曲などの演奏を楽しみました。そこでは知花盛康さんご夫婦や「市東さんを守る沖縄の会」の宮城さんとの交流もできました。 高江から辺野古に向かう途中では、慶佐次(げさし)の日本最大のマングローブの森を案内していただきました。111128_3 ここは天然記念物として保護しながら、以前からタイやフィリッピンなどで日本がマングローブの森を破壊し、エビなどの養殖をやっていたりしていることなど悪どいことをやっていることを知っていたものの、そのマングローブというのが実感がつかめず、大浦湾にあることを知っていたのですが、何ども来ながらその場所を訪れることができず、2年越しの願いが実現したわけです。

 29日は、昨日の報告にあるようなことになりました。

 111127_2 さて初日の27日は日曜でしたので、防衛局は動かないのが解っていましたので、安心して基地回りと観光です。

 まず、那覇の北側にあるアジア最大の兵站基地キャンプキンザーに行きました。FM沖縄(元米軍極東放送)の前にある第5ゲート(右写真)から58号線に沿って延々と倉庫が並びます。流通基地といっても巨大なものです。

 そこから嘉数高台公園から普天間基地を望みました(最初の写真)。日曜ですので動きは全くありません。111127_3 そして2004年に米軍ヘリが墜落した沖縄国際大学へ。基地のフェンスがすぐそばにあります。ちょうど大学祭が始まる直前でした。それから佐喜眞美術館へ行き、丸木夫妻の絵「沖縄戦」「チビチリガマ」などを観ました。もともと基地の中(北の端)の位置にありますので、屋上にあがってここからの普天間基地を観ました。屋上は6月23日(慰霊の日)の夕陽に向かうように構造ができているそうで、一風変わった構造になっています。

 そこからキャンプフォスター、キャンプレスターの横を通って嘉手納基地へ。111127_4 「道の駅かでな」が定番。4000メートル滑走路というのはでっかすぎて写真にはいりません(関空でもそうですが)。基地のフェンスに沿って「猫の額」のように畑が作られています(右写真)。以前読んだ本に、自分の畑や家が基地の中にあるので、自然とその近くの基地のヘリに畑を作っていったと書かれていたことを思い出しながら見ていました。日曜には訓練がありませんの本当に静かですが・・・。

 111127_6 そこから読谷の方はMさんも以前行っておられるので、東海岸の与勝半島の方へ。 まずは「護佐丸・阿麻和利の乱」という琉球王朝の統一に抗して闘った勝連城跡に。写真の石垣の上にさらに城蹟があり、半ば息切れ。やっとの思いで最上段から中城湾の対岸にある泡瀬通信基地を一望。米海軍唯一の通信基地としてアジアにおける第7艦隊の交信をはじめ米海軍すべての通信業務を担当しています。

 111127_7 次はホワイトビーチ。平敷屋公園というところから一望出来ますと案内されているのですが、カーナビにはなく、小さな村の中の細い道をうろうろしながらやっとたどり着きました。残念ながら、写真にあるように船影はまったくなく、がっかり。昨年末の日米合同演習の折には、自衛艦もここに結集し、さながら沖縄戦の時のようだったとブログ上に出ていました。ただ、この岸壁からは弾薬などの陸揚げができないそうです。また原子力潜水艦が頻繁に入港しており、沖縄にも「原発」はあるのだと沖縄の人が言っておられたのを思い出しました。

 それから海兵隊の司令部があるキャンプコートニーへ。近づいて見れるものはなく、横を走るだけで、天願桟橋へ。111127_8 すぐそばの海岸から観ることができます。勝連城跡から見たときには船影はなかったのですが、行くと2隻の輸送船でしょうか、何かをしています。ここが沖縄で唯一、弾薬を下ろせる岸壁なのです。ここから辺野古弾薬庫は近く、巨大な辺野古新基地は港の能力も持ち、海兵隊の出撃拠点として考えられていることは明らかです。普天間基地の「移設」などではないのです。

 111127_9 ここからは実弾射撃訓練が毎日のように行われているキャンプハンセンを右手に見ながら、本島を横断し、西海岸の恩納村へ。「命身にかきて米軍演習許ちならん」と村ぐるみの闘いで特殊部隊訓練場建設を阻止した現場を見たいと思い、行きました。結局は日曜ですので役場も休みで、沖縄の観光地である万座毛(まんざも・右写真)を観ることにしかなりませんでしたが。地元の人々が大切にしている恩納岳を今回の旅行では何度も観る機会がありました。

 そこから名護市内を通ってもう一度東海岸の方へ。111127_10 キャンプシュワブの横を通って辺野古の座り込みテントです。辺野古へは、昨年の県知事選以来ですので、基地との境目にあったバラ線が取り払われて、コンクリートのフェンスに変わっているのですが、これは初めて観ます。強い風に吹かれて、写真のようにリボンがきれいになびいていました。

 最後に関西から来ているTさんを訪ねてこの日の行程を終えました。

 今回の沖縄での4日間は、何か目的があったというほどのものではないのですが、結果的には貴重な経験と、ほんとに楽しい交流が沖縄の皆さんとできました。お世話いただいたみなさん。本当にありがとうございました。

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2011年12月 1日 (木)

田中前防衛局長への怒りで燃える高江の一日

111129_2

 11月28日のマスコミとの懇親会での田中聡沖縄防衛局長(当時)の差別発言問題が大きく社会問題となり、局長自身は翌日には更迭されるという事態になりました。しかし、この問題が、田中個人の資質問題として処理されてお茶を濁すことなどあってはなりません。防衛大臣の任命責任が問われ、野田政権自体の「日米合意」による新基地建設の動きが止められなければなりません。

111129_3  田中発言は、①防衛相が環境影響評価の提出時期を明言しないのは、「犯す前に犯しますよと言いますか」と言った上で、②1995年の米兵による少女レイプ事件を隠蔽しようと当時のリチャード・マッキー米太平洋軍司令官の「犯行に使用した車を借りるカネがあれば、女が買えた」と発言したことを「その通りだと思う」と、10万人の県民大会の怒りに公然と開き直ったのです。そして、③沖縄における軍隊の意義について「(400年前に)薩摩に侵攻されたときは(琉球に)軍隊がいなかったから攻められた。基地のない平和な島はありえない」と薩摩、明治政府(ヤマト)による400年にわたる沖縄への侵略と強搾取の歴史を居直ったのです。(田中発言要旨の引用は、30日付け『沖縄タイムス』によります)

 これらの内容は、田中個人の資質の問題などで済まされる問題ではありません。沖縄県民の90%以上が、普天間の県外撤去を求め、新基地建設に反対していることが繰り返し明らかにされ、県議会、知事がこぞってその県民の願いを全面支持しているにもかかわらず、野田政権が「日米合意」を振りかざし、沖縄県民にあくまで新基地建設を押し付けようとすることに沖縄のみなさんは「差別だ」と怒っておられます。当然ではないでしょうか。新たな野田政権の意向を受けてこの8月に局長に就任した男が、しかも「県民の考えを十分に聞いていきたい」と就任の弁で述べていた男が、かくも露骨にその自らの本音を語るとき、それは背後にある野田政権、ヤマトの意思がそこにあると考えるのが当然ではないでしょうか。111130 たとえそれが酒の席であり、オフレコの席であったとしても、いやむしろそれだからこそ、そうしたヤマト政府の真意が語られたと見るべきではないでしょうか。田中の更迭で済ますことは許されず、少なくとも一川防衛相の辞任と、直後、一切無視して取材に答えようともしなかった野田首相の引責辞任が求められて当然だと思います。

 翌日、琉球新報が唯一この田中差別発言を報じた(右上写真)中で、怒りに燃えた人々が、雨の中、早朝から高江の「ヘリパッド建設」阻止のためにN4ゲートの座り込みに結集しました。ちょうど沖縄を訪れていた私たちも。

 なんと沖縄防衛局の約20人の連中が恥ずかしげもなく名護署の警察官を引き連れ、現場に乱入したのです。高江のN1ゲートに泊まり込んで阻止行動の先頭に立っておられる沖縄平和運動センターの事務局長山城博治さんが、報じた琉球新報を手に怒りの弾劾を防衛局に投げつけます(右写真)。111129_4 「沖縄県民140万人にこれだけの侮辱を与えて、こんなものが許せるか!先ず釈明か謝罪が必要でしょ。謝罪も説明も無く『基地を作らせろ、基地を作らせろ』と、それはないでしょう。恥もなく、こういう局長のもとで基地を作らせろと言うんですか。ふざけたことすんじゃねえよ。局長を連れてこい」と。1時間余りの攻防の末、一歩も座り込んだところに近づくことを許しませんでした。雨が強くなり、防衛局はいったん車にもどり昼食。

 1時を過ぎて、再び防衛局がやってきます。昼からは、いつもの高江の座り込みのスタイルに戻り、私たちはダンマリを決め込みラジオの音楽や、田中の更迭への動きを報じるニュースに聞き入ります。防衛局は、その私たちに最初の写真にあるように、「工事ができません。立ち退いてください」「座り込む場所ではありません」「お願いします」などと10数人で連呼、合唱。111129_5 時折、私たちの側から女性が「環境を壊さないでください。お願いします」とやさしく応じます。1時間余り過ぎた頃、防衛局を下がらせて、名護署の責任者が、山城さんに話し合う形をとって「威力業務妨害の恐れがあります」と脅しをかけてきます(左写真)。しかし、ヤマトだったら威喝的に「威力業務妨害だ」と断じ込んでくる所でしょうが、「沖縄は違うな~」と思わず心の中で感心。闘いの成果なのでしょうね。名護署はすぐに引いて、また防衛局が「お願いします」の連呼をはじめます。3時を過ぎて、「もう帰る時間だろ」と野次られる中、帰り仕度を始めます。帰り始めた彼らに、座り込んだ私たちは「ごくろうさん」、「もう来るなよ」と・・・。(左上の『沖縄タイムス』の記事が、この私たちの闘いを報じてくれました。写真右手前の人は、関西から現地に入って頑張っておられるTさん)

 まだ3時半だから明るいうちにたどり着けるよとの皆さんの励ましを受けて、私たちは7時間に及ぶ座り込みを終えて、山城さんはじめみなさんと握手を交わして失礼し、旅の続き、一路北端の辺戸岬へと向かいました。111129_6 幸い降ったり止んだりの雨模様が薄日が指す天気にかわり、「天気だったら見えるが・・・」と言われていた与論島を辺戸岬から見ることができました。写真中央にうっすらと写っているのですがわかるでしょうか。

 前日も雨の中の高江での座り込みをやって、来ると言われた防衛局が来なくて「ちょっと残念」と思っていただけに、闘いと怒りをみなさんと一緒にでき、しかも、旅を続けられたのですから、満足感というか勝利感をもって帰途につきました。おまけに名護では、高江から飛んで帰ってこられた地元で頑張るKさんの案内で、琉球料理に舌づつみ。安くて美味しいので、めっちゃほっくりとしてホテルに帰ることができました。実は連日時間がなくてコンビニ弁当で暮らしていたものですから。

 しかし、防衛局がくるからと毎日のように、名護からでも1時間半近くかかる高江現地に集まり阻止行動をするのは本当に大変です。高江の様子は、ブログ「がんばる東村・高江」http://takae.ti-da.net/をご覧いただければわかります。声援やカンパを送ってください。なお、昨日、今日と防衛局の動きはないようです。

 

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第3誘導路裁判傍聴

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108頁もの準備書面で被告を圧倒

 11月29日、「第三誘導路建設の許可処分の無効確認と空港会社の同工事の中止を求める裁判」の第4回口頭弁論を傍聴するために、いつものとおり午前9時過ぎに千葉地裁に到着すると、反対同盟の宣伝カーから「市東さんらを追い出す第3誘導路建設の攻撃を許すな」などの呼びかけがあり、闘争勝利への決意を固めながら601号法廷に入りました。

 前回9月の第3回弁論時は、始まる前から最後まで傍聴席よりの糾弾のコールが鳴りやまなかったのですが、今回は多見谷裁判長の「穏当」な訴訟指揮もあって、比較的静かでしたが、しかし1時間たっぷりの裁判でした。

 今回は弁護団からの108頁におよぶ大量の準備書面が陳述され、被告の国と空港会社(NAA)を圧倒。この準備書面の中心は、被告が主張する「原告に裁判を起こす権利がない(原告不適格)」との主張を徹底的に論破するもので、被告が航空法の条文のみに依拠した反論に対し、反対同盟弁護団は「騒特法と騒防法」に照らして、市東さん、萩原さん、鈴木さんらが第3誘導路建設によって甚大な被害を受けることを明らかにして、原告こそ裁判を起こす権利があることを陳述しました。さらに、第3誘導路建設のズサンで法律を無視するやり方も指摘。誘導路の幅がICAOの国際条約に違反して狭すぎること、着陸帯が300m未満である欠陥を露呈し、様々な面で問題だらけの計画であることが明らかにされました。

航空法も無視し、農民を追い出す国やNAA

 航空法の第1条には「この法律は、国際民間航空条約の規定並びに同条約の付属書として採択された標準、方式及び手続きに準拠して、航空機の航行の安全及び航空機の航行に起因する障害の防止を図るための方法を定め・・・」との条文がありますが、国やNAAがやっていることはICAOの国際条約を無視し、危険極まりない誘導路(への字や幅の狭い)をつくり、航空機の安全航行を阻害しているのです。こんな法律違反の計画は判決が出る前に直ちに止めるべきです。

 さらに許せないことは、計画策定にあたって周辺への環境影響調査をなおざりにして、市東さん宅周辺での騒音調査もせずに計画を強行する「殺人政策」のやり方です。彼らの狙いは、「国策」の名のもとに第3誘導路を強行して、市東さんの家を取り囲み、騒音攻撃、追い出し攻撃を激化させることのみを目的にしています。断固はね返しましょう。

 この日の裁判では、弁護団より「2006年と2010年の許可申請を全文開示せよ」との要望を出しました。この計画の手続き上でかなりの問題が内包されており、今後この点からも追及していく予定です。

「国は46年前から間違っている」

 裁判が終了し、近所にある「きぼーる」の会議室で報告会が行われ、北原事務局長から「国は46年前の閣議決定で成田空港を決めたが、地元に対する事前の説明も、公聴会も、環境調査もせずに勝手に決めた。46年前から間違い続けているのが国だ。しかし我々は、正しい闘いを行ってきたし、これからも断固闘おう。我々の手で国の政治を変えよう」などの決意を表明されました。

 また各弁護士から、今年の一大決戦を闘い、来年はもっと厳しい局面となるが、がんばろう」との決意が語られました。

 次回の裁判期日は、2月7日、次々回は5月1日。各回とも10時半開始。

                  報告 関実事務局次長 安藤眞一

 

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