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2011年10月 5日 (水)

「成田ハブ化」への空港完成・拡張の新たな「国策」を許すな!

 今、日本は「3・11フクシマ事態」と極端な円高によって、先進国で唯一長期にわたるデフレに苦しんできた政治と経済が、ますます混迷を深め厳しい局面を迎えています。

 今年4月から8月の成田空港の旅客数と貨物取扱量はそれを反映し、回復しつつあるというものの旅客で対前年76%、貨物で同87%と、旅客はかってない落ち込みで、貨物は大幅に落ち込んだ08年、リーマンショックによる落ち込みに並ぶ落ち込みを記録しています。では、その前年である2010年度はどうだったのでしょうか。成田空港の旅客、貨物はいずれも2004年に過去最高を記録しています。貨物取扱量では世界1でした。その後、世界的な不況と08年のリーマンショックなどでの大きな落ち込み、低下傾向にありましたが、2010年には少し持ち直して、対04年で旅客7.5%、貨物10%の落ち込みとなっています。世界での順位は資料がなくわかりませんが、お隣韓国のインチョン空港にも抜かれました。しかし、「ハブ空港からの陥落」なのでしょうか。

 ここで海運の状況を見てみますと、同じ04年と10年の比較で貨物取り扱い量が、東京港で1.2倍、横浜港1.3倍、神戸港1.1倍に伸びています。世界的な不況とはいえ中国を中心としたアジアの隆盛がその伸びの原因であることは明らかです。ただ、この時期に世界3位から1位に上がった上海は実にこの期間に2倍に伸ばし、東京港の扱い量の7倍を扱っています。この時期に東京港は世界で20位から27位に、横浜港は29位から36位に転落しています。1980年に世界4位だった神戸港に至っては10年には50位以下の番外になっています。そして世界の上位1位から8位まですべて中国、シンガポール、韓国のアジアの港で占められ、9位に中東のドバイ、10位に初めてヨーロッパのロッテルダムが出てきます(11.8.30朝日新聞より)。ここで示されていることは、日本の「ヒト、モノ、カネ」の流れが、中国、アジア、世界の流れから大きく取り残されているということです。そのことへの日本の支配者による悲鳴が「アジアゲートウェイ構想(07年)」「新成長戦略構想(10年)」として叫ばれているのです。

 しかし、それでも成田空港の旅客と貨物が、04年より10%近くも減少していることは海運と同じようには説明がつきません。では、なぜでしょうか。

 国交省(航空局)は、日本航空の旅客数が世界1位になった1980年代、関西空港の工事を着工し、中部空港の計画決定に動き、全国100の地方空港の建設へとひた走りました。空港を作れば需要はついてくると当時彼らは豪語していました。しかし、地方空港の破綻は別に論じるとして、世界との「ヒト、モノ、カネ」の流れは、その彼らの思惑通りにはいきませんでした。ご承知のように関西空港が1994年に開港し、中部空港が2005年に開港しましたが、関西空港は今だに年間11万回(成田の半分)がやっとで、中部空港はそれにも届きません。両空港併せても成田空港以下なのです。そして両空港からのJAL、ANAの欧米便は全て撤退され、国際ハブ空港としての位置さえ失っているという惨状にあります。

 「尖閣列島での漁船衝突事故」によって遅れていますが、国交省は中国との自由化交渉を必死で進めています。そこで国交省は、関空と中部の自由化ですまそうとしましたが、成田空港の自由化を求める中国は、関空・中部なら交渉を打ち切ると迫り、現在、成田空港の自由化を軸に交渉が継続されていると言われています。ここに示されていることは、海運と違い、時間的制約をもつ航空の旅客と貨物にとって、極端な東京一極集中が進む日本の空港は、首都圏、具体的には成田空港でなければならないということなのです(羽田の国際化が言われますが、国内線の最大の拠点として国際線の枠は、6万回しかなく、やはりとりあえずは成田空港なのです)。この好対象として、「関西経済の地盤のかさ上げ」のために関西空港が作られたはずですが、1994年以降もとどまることなく関西経済の地盤沈下は続き、現在、大阪空港との統合による関西空港の救済、橋下大阪府知事によってカジノの導入やリニアモーターカーの導入での関西空港へのテコ入れなる暴論が出てくる始末です。

 しかし、成田空港の旅客と貨物は落ち込んでいます。それは、成田空港が狭隘で自由化するための容量をもたないという決定的な欠陥があるからです。国交省は、2000年代に入って自由化に梶を切りましたが、関空・中部で成田空港の狭隘という欠陥は乗り切れるだろうと見誤っていたのです。しかし、そうならなかった。そして2002年の暫定滑走路の北延伸と併せて成田空港の完成と拡張へとやむなく梶を切り、新たな「国策」として2003年市東さんの農地強奪の方針を掲げたのです。それ以降の流れ、国による攻撃の激化は、昨日のブログに掲載した通りです。

 国交省官僚たちの政策の誤り、戦略のなさの故に起こった航空政策の完全な破綻、その結果として現れた成田空港の現実(04年に比して1割もの落ち込み)の解決として、成田、三里塚、北総の農民、住民のくらしと営農、そして人権を当然のごとく破壊することが、市東さんの農地の強奪がどうして許されるでしょうか。その不当性は、この間の裁判における法理をも無視したあり方にも現れています。

 同時に高度経済成長の中で、住民の生活や想いを無視して暴力的に成田空港建設を進めてきた46年の歴史に現れた国交省官僚たちの思いあがりと誤りこそが今日の事態を招いたといっても過言ではありません。三里塚農民と反対同盟のこの46年にわたる闘いこそ、こうした国交省官僚と国家権力の「国策」を掲げた「政治」の誤りを実力で糾弾し続け、今日の事態を生み出す形でその正義を世に示したと言うことができるでしょう。同じ時代、1960年代の国の核政策として強行された原子力発電所の建設が、今日のフクシマの事態を招いています。

 目前に迫った10・9三里塚全国総決起集会とは、この国と官僚による「国策」を掲げた「政治」を弾劾し、福島・沖縄・三里塚を結ぶ新たな人民のうねりを生み出す大きな場となろうとしています。みなさん。全力で10・9三里塚へ結集しよう!

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コメント

ここで「ブルジョワ的な解決策」として、東京の解体!関西・中京圏の強化というのが挙げられると思いますが…ブルジョワ階級ではできないんですね。
もっとも、日本に空港は沢山あるのだから、もっと人口を分散させた国土づくり…というのを考えないといけないのでしょう。

投稿: あるみさん | 2011年10月 5日 (水) 21時17分

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