10・9三里塚 特別報告 関西実行委員会から
永井満関実代表世話人
結集された反対同盟、また全国の闘う仲間のみなさんに関西空港に反対して闘ってまいりました住民を代表して一言ご挨拶させていただきます。すばらしい闘いの報告に続いて、こうしてこの場から私たちの闘いをご報告できることを大変光栄に存じております。
一番直近で言えば9月の18日に反対同盟より萩原さんをお迎えし、また沖縄のご代表もお迎えしまして、大阪で集会をもちました。こうした震災、原発の問題のさなかでありまして、結集される方がいつもより少なかったかということはありましたが、とりわけ今、反対同盟と強固な結束をもって連帯して闘おうとしておられる沖縄のご代表の方からもほんとうに素晴らしいご挨拶をいただきました。
今日も、北原さんがかなり早い時期から沖縄に行こうとしておられたが、まだビザがいる時代であったと、今朝私たちが伺った時(左写真)におっしゃっておられましたが、そういう遠い昔から三里塚と沖縄の闘いはともに闘われてきたと思います。
そしてまた、私たちは知花さんのあの決起をもって、ほんとに目が覚めるような思いで沖縄の闘いに加わらせていただくことになりました。そして今、この三里塚と沖縄がほんとに一つになってこの今の状況を作り変えていく闘いを進めようとされていることに喜びを感じ、またそれに加わることができることを本当に光栄に思っております。 私たちは微力ですけれども、反対同盟、また沖縄のみなさんとともに、この闘いにも全力で取り組んでいきたいとそう思っております。
今年の5月20日のあの東京高裁による不当判決、そしてそれに続いて起こったところの50名の逮捕、考えられないようなことを権力は強行しました。ここの山本さんも90を超えておられますけれども、その最先頭におられて獄中闘争を闘われました。ほんとに権力のなすこと、彼らがこれはもう必死のあがきをしていることの反映であると思います。
ましてやその不当判決に基づいて、8月6日に強行されたあの現闘本部の闇討ち強行破壊。 これは本当に心底からの怒りをもってこれに抗議し、断固とした反撃の闘いを立ち上げていかなければならないと思っております。私たちも、何度かそこでもたれた同盟の旗開きその他の様々な会合に出席もし、ともに決意を固めあったその現闘本部を、20有余年封鎖し、あまつさえそれを強制的に撤去してきたことを断じて許せない。必ず、闘う人民はその報復をしなければならないと思っております。
私たち住民団体も、今日ここに結集されたみなさんとともに、反対同盟とともに、これからも最前線で闘っていきたいと思っております。申し上げたいことは一杯あるんですけれども、時間もありませんので、後、山本先生の方からよろしくお願い致します。
山本善偉関実世話人
結集されたみなさん。ごくろうさんです。もう、ここに立っていいたいことを全部もう言われた感じで、それに加えて何を言うことがあるかと思うほどです。
一番最初に森田先生が94歳にしてあの開会の挨拶をなさった。その中に小林多喜二の話しをされましたが、今、世の中は正にそういう状態に刻々と迫っているということをしみじみ感じています。私はなんぼ頑張っても森田さんを追い越すことはできない。私が91になったと思ったら、向こうは94になって。2人で頑張って100までもやりたいと思います。
あの東京の6万人集会。私はよう参加しませんでしたけれども、私の孫夫婦が、新婚ですが、ああいう集会に出たこともない若い夫婦があの日に行ったそうです。先日、こっちへ帰ってきまして、「おじいちゃん。ものすごかった。6万の人というのはもの凄い」、「うん。そうか。えらかった」。僕は甲子園の5万は見たことがあるけれども、それ以上は沖縄の集会での10万人集会をみているわけです。関西でなかなかそれだけ集まらないのは非常に残念に思っています。 しかし、この先日(10月2日)、「さようなら原発 in 関西」を、屋内集会でやりました。非常に反響のいい、大きな会場でして、耳の悪い私も十分に話しが聞き取れたんですが、満員になったら恐らく1200人くらいの会場ですが、2階の席まで一杯。しかもそれは、今まで見たこともない市民がいっぱい来ていました。
今、この世の中では、原発、福島の原発の問題が、若い人たちにとって「次の世代はどうなるのか」、そういう不安で一杯になっていることがあの集会でもわかりました。ただ、関西で6万人の聚会が持てないのはほんとに残念ですけれども、しかし、あらたに人民の間に起こっている「日本の原発政治そのものが間違っているんだ」という風潮が大きな力で、どんどん上がってきている。沖縄では、あの鳩山元首相が行ってですね、軽々しく「少なくとも普天間基地を県外に」てなことを言うておいて、すぐその後に「間違っていた」と謝っております。 だらしのないことをやりましたが、沖縄の怒りはいっぱいあります。
そして三里塚では46年、私自身は37、8年になりますが、三里塚の闘いは原則を守って、反戦・反核、農民を中心にした闘いだと、これを貫いている。どうかしてこれを一つに結びつけることができないのかと私たちは沖縄に行き、沖縄と三里塚を結びつける掛け橋になりたいと思ってここ数年、力いっぱい頑張ってきました(右上写真は、昨年4・25沖縄で)。今、さきほど豊見山さんが言われた通り、沖縄には三里塚の闘いを知っている人が随分いるんです。その人たちの闘い、怒り、それと我々の怒りを一つにすればほんとに強い。今の政府が向かっている反動的な流れをぶっ潰す新しい力が生まれると私は思っております。
5月20日に弾圧を受けましたが、あんなことをしなければやれない「国策」なんていったい何ですか。私たちを捕まえておいて、私にむしろ敬語にちかいような言葉を使うんですよ。それに騙されていたら完黙ができないような、そういうへつらうような言い方をしながら、あんな無法なことをする。そしてこの8月6日には、ヒロシマに我々闘うものの関心が向かっている暇に、現闘本部をぶっ潰す。しかもそれは、私はその時には広島によう行きませんでしたですから、テレビを見ておりましたら、関西からも闘う仲間が行きましたけれども、近くでは屏で遮られて中が見えない。
あの現闘本部の建物の中は、外枠をとったら中にあるはずのものが見えない。ところが、空から映したのでしょうか、パッとありました(左上写真)。
無闇に法を破ってでなければできない三里塚。これがどうして04年、30万回の飛行場など、まるで「絵に書いた餅」のようなものです。
私たちは心を新たにして闘いたいと思います。中途半端ですが、これで終わります。
| 固定リンク
「たたかいの報告」カテゴリの記事
- 市東さんの所での座り込みに参加して(2023.01.21)
- 市東さんの農地を守ろう! 現地決戦に参加して(2022.12.15)
- 11・28 耕作権裁判傍聴報告 証拠隠し許さず 審理を尽くせ(2022.12.05)
- 強制執行許すまじ ー 11・27三里塚報告(2022.12.03)
- 4・25耕作権裁判報告 空港会社の証拠・証人隠しを追求(2022.04.29)
コメント