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2011年10月23日 (日)

10・9三里塚 福島現地からの報告 果樹農家Oさん

11109

 全国のみなさま。こんにちは。福島現地からまいりました。

 まず初めに、先ほど報告があった動労水戸の闘いを支持し、ともに闘うことを最初に申し上げます。

 三里塚闘争に関わらしていただいてかなり経つわけですけれども、まさか私がここで発言することになろうとは先日まで全く考えておりませんでした。それだけ世の中が激動しているということではないでしょうか。

 11109_2 それはともかく、3月11日の震災の折には全国のみなさまの暖かい物的、精神的ご支援をいただき本当にありがとうございました。特に反対同盟のみなさまにはあの3月の集会を前にした忙しい最中、ましてや交通網が寸断された中で、わざわざ機械の燃料、あるいは食糧を届けていただき、ほんとにありがとうございます。おかげさまをもちまして、この半年、東北・福島の農民は全力で生きてまいりました。

 こうした厳しい中で、なんとか頑張ってこれたのは、ひとえには先ほど申しました全国の皆様の暖かい支援があったということは勿論言えますけれども、それと同時にこの三里塚の闘う陣形の皆様との関わりの中で築き上げてきた、ささやかで不十分ではありますが、築き上げてきたものがあったからだと思っております。

 いささか古い話しになって恐縮なんですけれども、ちょっと我慢してください。1969年に初めての減反政策が強行されました。翌70年に三里塚の闘いの存在を知りました。小川プロ制作の「三里塚の夏」という映画でした。映像を見た瞬間、体が震えました。涙が止まりませんでした。そして無条件で支持しました。翌71年9月16日、三里塚駒井野砦の決戦に参加しました。それまで経験したことのない心臓の高まりと体の震えを覚えました。それ以来三里塚をはじめとする闘う全国のみなさまとの様々な出会い、学び合い、そして気づき合いの場をいただいてきたわけですけれども、その全てが、今、私の財産となっております。

 その出会い、その人たちの存在も素晴らしいものであったのですが、そうした中であえて一つを挙げるとすれば、動労千葉の皆様がジェット闘争に突入するときの中野委員長の報告です。あの時はまだ肩書きは書記長であったかと思いますが、その中で彼が語ったことは、ジェット闘争に対する並々ならぬ決意と共に、「労働者は経済闘争だけやっていては決して勝利はありえない。政治闘争をやりぬいてこそ真の勝利があるんだ」というその言葉を聞いた時に、動労千葉のみなさまの生きがいと気概を感じると共に、人がほんとに団結するには何が必要なのかということを改めて教えられた気がします。

 11109_3 とは申しましても、正直申しまして、闘いをしている、関わるということは精神的にも物理的にも、あるいは金銭的にも結構大変なものがあるなと感じたことも事実であります。しかしながら、この3・11に自分が支援される側、いわゆる当事者に立ってみたら、初めて感じたのは、いやいやとんでもない、支援される側、当事者になることの方がはるかに大変なんだということに改めて気付かされました。

 そうした時に反対同盟の皆様が、そして市東さんが抱えてきた全国的な闘い、これがいかに素晴らしく偉大なものであるかということを改めて気付かされた思いであります。別な面から見れば、この3・11災害というものが、私にとってはそれまでの闘争の関わり方、在り方、それを総点検しろということであったのかも知れません。

 今、福島で我々が仮に生きていくとすれば、この原発問題に対して屈服するのか闘うのか、これが厳しく妥協の余地なく突きつけられています。そして、ここに、福島に生き抜こうとするのであれば、闘う以外にない。それは、とりもなおさず「お前は、この闘いの矢面に立つ気概があるやなしや。旗頭の一角を担う意志があるやなしや」という問題であります。そうした時に、改めて自分自身のこれまでの関わり方、在り方を振り返った時に自分の人生というのは、出発点というのは、あの71年9・16三里塚・駒井野の闘いだったのです。

 お恥ずかしい話しですけれども、権力者との攻防戦の中で、正直言って、8割がた、いや9割方逃げたいと思いました。しかし、逃げず、踏みとどまり、闘い抜いたというのが私の今の誇りであり、立脚点になっております。あらためてみなさまの前に表明しておきます。この原発をなくす運動、止める運動、この戦端の一翼を担うことをみなさまの前にはっきりと表明しておきます。

 11109_4 さらにこの闘いというものは、自分自身の在り様、別の面から言えば、これを闘うためには一体なにをしなければならないのかということです。今回の原発の問題というのは、余りにも突発的で、大きかったが故に、ややもすると自分が被害者であるという面が強調されています。まあ、それは間違いない。その原発の事故の一切の責任は、東電であるし国、国の側です。しかしながら、この原発をこれまで止めることが出来なかったいうことが、それ自体、人々に大きな迷惑をかけております。

 ご承知のように汚染水は大量に海に流されました。そしてそれ以外にも、春になればつばめがまた福島にやってきました。つばめは泥をこねて巣をつくります。そこで産卵をし、子育てをし、もう南の島に帰りました。もうすぐ北の国から白鳥をはじめとする冬の鳥がやってきます。福島を流れる阿武隈川は、白鳥の一大生息地です。今年、福島の河川、阿武隈川、あるいはその支流に住む鮎からは基準値以上の放射能が検出され、ついに鮎漁は解禁になることはありませんでした。この川で鳥たちは餌を探し、泥をかきまわし、そして探すわけです。そしてまた北へ帰るんです。もう汚染を全世界的にまき散らす、そういう事態になってしまったという、この事態を私たちは止められなかったということの重みをやはり感じ取る必要があると思います。

 あともう一つは、私たちは生き延びたいと言うことかもしれませんけれども、ご承知のようにこの放射能という性格上、多くの子どもたちを抱えたお母さんたちが様々な行動を起こしています。福島からの何度かの政府交渉というような形で交渉の場面が、テレビなど報道機関を通じて報道されたので、みなさまもご存知だと思います。しかしながら、そうした発言の中に、これはまだまだ克服しなければならない問題が一杯あるなというふうに感じたのも事実です。それは彼ら、彼女たちの問題ではなくて、私自身も内側にある克服しなければならない問題がまだまだあると、これに対してあくまでも謙虚で、自分自身を徹底的に明らかにしながら、それをやりきれてこそはじめてこの闘いは担えるんだということではないかと思います。

 あともう一つ。これは私の課題です。あるいは福島に住む農民の課題です。みなさんの前ではっきりと約束します。福島の農地を私たちの主導権のもとに必ずや再生させてみせます。6月の福島の集会ではすでにこのことを伝えています。しかしこの時には、まだ十分手応えがあるというような形で語ってきました。しかし、現在、私と志を同じくする数名と取り組み、学習する中において、すべての農産物からヨウ素、セシウムは「正」という結果を得ております。もっともこの数値をことさら強調するということが果たしてどういうことになるのか、消費者のみなさまに正確にお伝えすると思う反面、一部には数字がひとり歩きしているという状況があります。ですから、ここは強調する気はありませんが、一つのこれまでの取り組みの成果として、ささやかながらお伝えしておきます。

 しかし、これだけに飽き足らず、全世界からのありとあらゆる声と要請に応え、かならずやできるだけ短期間に福島の大地を再生させてみせます。このことをみなさんの前にお約束しておきます。今後ともよろしくお願いいたします。

 

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