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2011年10月29日 (土)

萩原進さんの農業への想いと福島・TPPへの怒り

 111024 すでに報じていますが、10月24日、市東さんの農地取り上げに反対する会が主催して「TPP(環太平洋経済連携協定)は『日本占領計画』!」と題した勉強会(講師・永田研二さん・右写真)が開かれました。講演のあとの2時間あまりにわたる熱心な討論の中で、反対同盟の萩原進事務局次長が論議されていた「食管法」などの論議に事寄せる形で自らの農業への熱い想いと、福島の農民への想い、そして原発事故を奇貨としてすすめられているTPPへの怒りを語られました。非常に貴重なお話しでしたので、全文(約11分)を無断で掲載します。(文責は当方「関実ブログ」管理人にあります。)

 萩原進反対同盟事務局次長

 一方あるけれども、食管には2つあったわけでしょう。消費者米価と生産者米価というのが。2重構造があって、そういうのをもってたわけですね。そこには労働者も強かったわけですよ。コメがばーんと上がるだけじゃなくって、それに対して政府に補償しろと。111024_2 それで逆ざやになって米価が消費者の方が安くなった。そういうのが通っていって政府が赤字にアップアップして赤字になってもうダメだと食管制度そのものまでポイしたわけです。

 そういうところで先ほど秋田のことが出ましたけれども、自分もほんとにどっち支持していいか迷ったんです。減反てのは絶対ダメだと。だけど、あの時ヤミ米で、それを検問突破して消費者に届けた、それもねえ、ひとつの道じゃねえのかと、その時はね。これも支持せざるを得ないのかとね。あるいは食管制度をまもってコメを作っていくことがいいのか。ほんとにどっちを支持したらいいのかと思ったが、今になってみたら、ヤミ米やっていた人らはみんな商社になっちゃってね、コメそのものを商品として売り込んじゃってる。一方では食管制度守っていた人たちは、ほんとに借金抱えるようになっちゃった。

 だからこれはね、両方ともそういう意味では、苦渋の選択を迫られたと言えるし、しかもそういう形でポイされてるんですよね。そういう状況があったんじゃないかと思います。

 だからそういう意味で、農業そのものが、戦後、農地解放というのがあったけれども、それで半分以上の人が、ある人たちは中農という形でいいますけれども、日本の場合は小農ですよね。そういう形で、自分も自作農という形になってきたけれども、それだけじゃあ食べられないという状況があったんだけれども、努力する中で食糧難を克服する中から、せっせ、せっせとやってきて、給料格差というのがあったけれども、70年代の終わりから80年代にかけて何とか追いつけ、追い越せという形でやってきて、近づいたら一気にまた離された。

 だからそれは30年前の、あるいは20年前のコメより安いコメが販売されているのと同じように、卵だって、あるいは生鮮野菜だってね、ずーっと同じですよ。卵が売り出しで1パック100円で買える、こんなのないでしょう。

 そうするとやっぱり100羽飼ってたのが1000羽、1000羽飼ってたのが1万羽にしなくちゃしょうがない、10万羽にしなくちゃしょうがない、100万羽にしなくちゃ。これで鳥インフルエンザなんかがはやる。そうすると一気に潰れちゃう。牛でもそう。

 111024_3 だけど、日本の国土でそういうふうに出来るわけないんですよ。机上の上の計算で「規模を拡大していけばいい」なんだという話しじゃない。だから牛にしたって200頭、200頭止まりでね、何千頭なんて飼えるわけじゃない。それを今度は企業でやろうなっていったってね、それは絶対失敗するわけでね、これだけ南から北まで長い日本の中で、沖縄・九州でとれて、それが北海道までずーっと1年間続いていけばね、そういう意味では日本の農業というのは家族農業を主力にしながら、採算性では経済性の効率から見て非常に悪いか知らないけれども、そういう中から食というものを考えてみなさんに供給していくという立場をとって、自給率を高めていくっというのが、農家というのが絶対的に正しんですよ。

 それを一律に欧米諸国の農民、農家という形で比べるけれども、よく出ますけれども、何百ヘクタールとか、何十町歩とか、あれは、地主は農家かもしれないけれど、そこで働いているのは農夫、つまり農業労働者です。そういう形になるわけです。そうすると日本はそんなことができるのかと言ったら、出来るところはないですよ。八郎潟でさえ、そういうふうにやって借金を抱える状況になっている。

 そういう意味では自分たちは、空港問題を取り組んできて、北総の基盤の中心のところを空港を中心にしながら1040ヘクタールだけじゃないですよ、そのまわりを全部荒らされる。農業高校はなくなる。農業をやっていく人は、後継者がいなくなる。後継者がいないのは、農家が悪いみたいに言われるわけですよ。農家が後継者を作れるように見えない状況を醸し出して自然淘汰させてきた、そういうやり方が悪かった。それを全然反省しないわけでしょ。

 そこへもってきて、今度は「安楽死」って形でありますけれども、TPPみたいなもんだ、これでもかというやりかた、これはひどいやり方だ。それ以外の何物でもないですよ。だから労働者もわかって欲しい。これを、今矢面に立っているけれども、これは農家の問題だけじゃありませんよと、労働者もそういう意味では攻撃されている。その中では、とりわけ食という問題を考えて欲しいんだと。これは「商品」じゃないんだと。要するに、人間が生きていくためにはどうやっていくのかという問題を真剣に考えなければならない。それが自給率20%、30%でまかなえるのか。それをもってくればいいという話しじゃないだろう。

 それを証明しているのが、今の福島の状況がそうじゃないか。原発(放射能)に汚染されて、「さあ、福島のものは食べられませんよ」と、そう言って福島の農民は背を向けられているわけですよ。関東の農民もそこまで含まれた。それじゃあ、九州と愛知から向こうの野菜だけを集めてきて、それで「安全ですよ」とやればいいのか。そうじゃないでしょう。

 今、福島の人たち。作られた電力は、福島の人たちは一晩もその恩恵に預かっていないわけです。それを東京の人たち、関東の人たちが、その(電力の)もとにあって生活していて、しかも福島の人たちが被曝し、しかも今置かれている立場を抜きにして、「さあ、自分たちは安全な食べ物を食べましょう」なんて、そんなことは出来るのかどうか。福島の状況を作ったのは誰なんだということももう一度立ち返ってみる必要があるんじゃないか。

 そっから福島の人たちと一緒になって、どうやってやるのか、農地を洗浄し、農業ができるか考え、そしてその厳しい中からも農業をやっていこうという人たちを育てていくということを今こそ考えなければならない。

 111024_4 そんな時に、震災と表裏一体のものというような形でTPPの攻撃を持ってくるな。こんな卑怯なやり方ないじゃないかと思う。これには本当に怒りがある。だから福島の人たちからとってみれば、もっともっと死に追い込むようなやりかたでしょう。

 自分たちも放射能をめぐって、食をどうするのかというところで非常に悩み苦しみながら、消費者と対談し、福島の人たちとつながりを持っていこうとしているんです。そういう意味でいまこそ農民が手を組み、食べる側、労働者を含めて手を組んで、怒りを持って行かなければならない時代だと本当に思うんですよ。

 この間も千葉で話がありましたけれども、「私は福岡から野菜をとっています」という形で言ってましたけれども、取るのは個人の選択の自由かもしれないけれども、取って食べる前に今までの問題をもう一度考えてほしいと。放射能を出したのは自分は全然責任はないのか、あるいは放射能の現実の中でどういう態度を取るべきか、この問答をして欲しいというのが本音だと思うんですよ。

 だから、我々の飛行場の問題、これは「国策」という形で持ってきました。しかし、沖縄の基地と同じように、ある時には戦略的に「祖国防衛のために」と40万、50万の米兵を迎えざるを得ない。そんなことを我々は許せるのか。そのためにホテルが開放されるのか。そして我々から取り上げた土地がそういうものに使われるのか。市東さんはそのために、今農地を取り上げられようとしている。それを阻止するために自分は頑張っている。これは金の問題じゃないんだ。そう言って、せっせと作物を作っているわけですね。

 この現状の中で、この末には福島の住民を三里塚に招いて一緒に収穫祭をやろうと計画を立てていますけれども、そういう中で、何としてもこの状況を克服していきたいという想いがありますので、一方ではみなさんのお力を拝借したいと、この場を借りてお願いしたいと思います。

 (なお萩原さんの写真は、この日直前に開かれていた「耕作権裁判」の報告会でのものです。なお、今晩から三里塚現地に向かい、収穫祭に参加し、火曜日まで援農をというか、ほんとにお邪魔をしますので、ブログをお休み致します。)

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2011年10月28日 (金)

国交省(大阪航空局)に申し入れ

111027

 昨日、淡路の空を守る会(淡路)、神戸空港の中止を求める市民の会(神戸)、大阪の海と空を戦争に使わせない会(大阪)の3団体8人が、関西空港と大阪空港の統合という新たな段階を迎えて、国交省(大阪航空局)への1時間半にわたる申し入れを行いました。国交省は、関西国際空港課永友課長、管制課船山課長など5名が対応しました(上写真は申し入れる永井満守る会代表)。

 淡路からは①経営統合で環境保全業務が後退しないよう「三点セット」の厳守、②『関西国際空港2期事業に係る環境影響評価』の遵守、特に深夜早朝帯の離陸便枠15便の厳守、③淡路島上空の迷惑飛行の早期改善などを求めました。

 111027_2 神戸からは①神戸空港の埋め立てによる海洋環境への影響について何らかの措置、②『関西3空港』という枠組みの中での神戸空港の今後についての姿勢、③神戸市による神戸空港への規制の緩和要請を拒否すること、特に国際便(ビジネスジェット・チャーター便)の認可をしないよう求めました(右写真は、申入書を永友課長に手渡す讃岐田訓市民の会代表)。

 大阪からは①関西空港と大阪空港との統合で採算が取れるのか、②LCC導入が言われるが「安全対策」に対する国交省としての監督責任は、③連絡橋国有化による泉佐野財政への責任は、などが問いただされました。

 国交省(大阪航空局)に申し入れるたびに思うことですが、この日も、航空機がコンピューター制御で動いているのでといった説明や、LCCの価格がなぜ安いかなどの講釈、あるいは「関西3空港活用検討会」の経緯などをくどくどと言って時間が過ぎ(「わかっとるわい!」)、それに長々と弁解めいた話しが。「弁解を聞きに来とんじゃない!」と思わず怒りの声が。

 111027_3 とにかく関西空港についての「三点セット」などの約束を新会社に移っても責任をもって守らせていくと約束をさせました。あるいは神戸空港について現状の規制を変更する意思はないと(左写真は、申し入れる「海と空」の弥永さん)。

 最後に、欧米便がほとんどなくアジア便が80%以上を占める関西空港の現状の中で、当初の2兆数千億円の税金の上に、1兆3千億円もの負債を抱え、今も毎年75億円から90億円もの税金を投入し続けなければならないということは、関西空港建設という「国策」が大失敗したということではないのか、国交省は国民に謝るべきではないのかという指摘に対し、なんと「私見ならば言うことはあるが、『どう現状をやっていくのか』しか持ち合わせていない」と開き直り、「大失敗」であったことを暗に認めざるをえなかったのです。

 しかし、居並ぶ連中の一人が最後に「みなさんと変わらないのですよ。新聞を読んで初めて知るのですから」とぼやくように発言するのを聞き、また繰り返し「厳しいですが、(諦めるわけにはいかず)努力しています」などと言われる言葉に、関西空港が統合されても沈み続けている、すでに破綻していることを強く印象づけられました。

 

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2011年10月27日 (木)

10・9三里塚 市東さんの農地を守ろう

11109

 市東孝雄さん

 みなさん。今日は。裁判傍聴、日頃のご支援、本当にありがとうございます。みなさんの力をもって、私も今、自然体でがんばっています。

 11109_2 福島の農家の報告を受けまして、私は今、「国策」という名のもとでの力で取り上げようとしている私の農地を守り抜くということが被災地に応えることだと固く決意しています。

 農家の喜びとは、魅力とは一体なんでしょうか。それは手塩にかけた作物が消費者のみなさまのもとに届き、「美味しい」と言っていただけるということが一番の喜びだと思います。

 しかし、今、福島ではそれはできません。難しくなりました。受け入れてもらえないのです。農家にとって一番、絶望的そのものであります。また警戒区域では、家畜を泣く泣く放置し餓死や共食いのあげく、殺傷処分。牛肉は出荷停止になり、果物は半値に暴落。我が身と思えば、本当に胸の張り裂ける思いがします。

 農民や漁民、住民たちのどこに非があったのでしょうか。額に汗し、誠実に働いてきた農家のどこが罪だと言うのでしょうか。罪もないのに家を捨て、農地を置いて、故郷を去る、去らなければならない。そして子どもたちには、被曝の恐怖。私は福島の人々の怒りと悔しさを我が身においていく決意を何よりも明らかにします。

 086 また今、去年の団結街道封鎖をはじめ、先ほど来言われています8・6ヒロシマの日に現闘本部破壊、そしてまた第3誘導路工事が始まり、農地取り上げの圧力が日々強まっています。

 また裁判では、突然、年内結審の動きがあります。21人(注・後に24人に)予定している証人をわずか2人で終わらせようとして、事の始まりの農業委員会や県の役人などの重要証人を全部切り捨て、私たちの正義があるのに、一つの事実も採用せず、正義の一かけらもない裁判が行われております。絶対、許せません。

 空港による農地取り上げと、原発による農地の破壊、特別区域の攻撃は違うでしょうか。さらにまた、関税ゼロのTPPによる市場開放はどうでしょうか。また沖縄におけるヘリパッド建設、辺野古の埋め立て、基地移転の問題など、私は同じものが別の形で現れていると思います。そして何よりも資本による農業からの収奪、東電による迫害、こういうことではないでしょうか。

 私は農地を守る正義を確信します。福島の怒り、悔しさと手をつなぎ、また動労千葉を先頭とする労働者の力とともに、体を張って闘っていきたいと思います。どうぞご支援ください。

 市東さんの会事務局

 闘う仲間のみなさん。今日は。

 私たちは5月20日の50名の不当逮捕という中で、初めて会員の不当逮捕に接して、会としての救援活動を取り組みました。弁護団のみなさんの力も借りながら解雇攻撃も撤回をさせ、今も意気軒昂と働きながら三里塚闘争を闘い抜いている仲間がいることを先ず報告したいと思います。

11109_5  そしてこの半年間で事務局の仲間を押し立てて3つの選挙戦を闘い抜きました。街頭では、原発と闘うというこの「国策」との闘いには三里塚のように闘うことが重要なんだということをはっきりと訴え、三里塚の実力闘争をともに闘い抜いている候補者こそ自治体でも闘い抜ける政治家なんだということを訴えました。そして2つの選挙戦で勝利を勝ち取りました。

 9月25日には現地調査を行い、ここに、初めて三里塚の地を踏んだ仲間がこの集会に複数参加していることをご報告したいと思います。

 今、三里塚の闘いは、本当に広範な人々に受け入れられます。私たちはありとあらゆる分断策動を乗り越えて、さらに広い、力強い闘いを繰り広げていきたいと思います。

 つい先日、千葉県のすべての職員に対して文書が回覧になりました。今まで議会の議員に対してまでは文書が回っていましたが、今回、非正規も含む全ての県職員に対して「10月9日に三里塚で反対同盟が集会を開く。みんな防衛策をこうじるように」という文書です。自治体労働者に対して、「生命保険に入れ」「火災保険に入れ」「犬を飼え」「通勤ルートをバラすように」といったこういった文書を回覧させ、自治体労働者や非正規労働者、委託、派遣の労働者に対して、三里塚闘争がおどろおどろしい暴力的なものだということを植え付けようとしています。

 私たちはこうした自治体労働者に対する分断攻撃を許さず、地域から、職場から、キャンパスから沢山の闘う仲間を作り出して行きましょう。

 市東さんの会共同代表 井村弘子さん

 みなさん。今日は。ただいまご紹介いただきました「市東さんの農地取り上げに反対する会」の代表をしております井村でございます。

 11109_4 とにかく農民を大事にすること。これは日本の一番の生き方なんです。農民がいなくて、工業をいくら発達させても、これは日本の衰微、滅びにつながっていく。日本はこの長い歴史、全部、農民で支えられているんです。

 そして農地というのはですね、勝手に今、政府が取り上げることを考えていますが、勝手にそこに何かを作るとかいうことでですね、ですけれどもそんな馬鹿な(ママ)ことはできない。農地というのはですね、100年も、それ以上も、先祖代々耕してきたものなのです。それを今、何に変えようと言うんですか。その尊い農地を。

 日本の一番の宝、これは農地なんです。農地を守っていくのが農民なんです。農民にほかのことをさせるとか、農地にほかのことをして金儲けをするとか、そんなもんじゃない。農地イコール(=)農民なんです。ですから我々は、農民を大事にすると共に、農地を大事にしていくことを、本当に心底から考えていかなくちゃあならないと思っています。

 そして今、国ではですね、新聞なんかもこういうことを書いていいのかという勝手な、妄想のようなことをやたらに書きたてております。ですけれども、そこには真の日本の昔から受け継いできた思想がひとつも流れていない。ただ、今の空気中をただよっているその空気を・・・(不明)・・出している。あなたがた、昨日の新聞、今日の新聞、私は〇〇しか読みませんが、何を言ってるんだ、いい加減なことを言うんじゃない、国民はそんな甘いもんじゃないんだと、涙が出るほど悔しい想いをしました。みなさんも是非、昨日、今日のをお読みになってください。

 とにかくそういう風なことで、日本はまだまだぐらついている。政府が第1、ぐらついている。政府がもっと心底日本のことを考えているんだったら、あんないい加減なことはしないと思う。

 そういうことで、我々はとにかく、自分たちの真実をしっかり見つめて、そして農民の働き、それは我々の命に繋がっていくんだということを心底から見極めて、これからもやっていきたいと思います。

 みなさん。一緒にやりましょう。よろしくお願いいたします。

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2011年10月26日 (水)

10・9三里塚 反原発・TPP絶対反対 農民アピール

11109

 鈴木謙太郎さん

 本日の集会にお集まりのみなさん。どうもごくろうさまです。三里塚の一農民としての発言とさせていただきます。

 この数週間、政府はTPPに積極的に参加することを表明しています。11月にハワイで行われるAPECに参加を表明したということです。大震災や原発事故の問題で議論が中断している中、TPPへの関心が薄れている中で、なしくずし的にTPP参加を進めてしまうということです。全国の農民のTPP参加絶対反対の声を無視したとんでもないことです。

 11109_2 読売新聞は10月6日の社説で積極的参加を主張しています。強い農業に転換するということです。「強い農業」というのは、中小の農家を潰して農地を強奪し、企業を引き入れていくことではないと思います。農業を金儲けの道具にしてはなりません。日本の農業はこれでは潰れてしまいます。日本経団連は、大震災後の復興のためにもTPPへの参加を急ぐべきだとの提言をしています。

 津波にのまれた農地は宮城、福島、岩手の3県で2万ヘクタール。今年、作付けできない農地もたくさんありました。津波だろうと、原発事故だろうと、大切に育ててきた農地でまた農業を続けたい、それが農民の気持ちです。三里塚を闘うわれわれ農民は、被災地農民の怒りと叫びを受け止めて、ともに闘う決意を新たにしています。被災地農民の気持ちを踏みにじるTPPには断固反対します。

 TPPを許して関税がゼロになったら、自給率は14パーセントです。ほんとに日本の農業は潰れてしまいます。TPPは農民だけの問題ではありません。労働者にとっても大切な問題です。競争がもっと激しくなって低賃金や失業が増えることは明らかです。とんでもないことだと思います。

 反対同盟は昨年11月、APECの時にTPP反対の声明を出しました。この3月にも全国集会で「参加阻止」を訴えました。TPPは知れば知るほど許せない、その気持ちがますます強まってきています。原発再稼働阻止と共に、今こそTPP参加絶対阻止のために闘いに入っていこうではありませんか。以上です。

 北総の農民 小川浩さん

 さきほど福島の農民から、福島で農民として生きていくためには原発を阻止する、あるいは放射能に汚染された農地を必ず再生すると、そして福島で農民として生きていく、三里塚と連帯して闘いながら生きていくという力強い発言がありました。

 11109_3 福島の農民は、大震災あるいは原発の事故によって農地を奪われ、あるいは故郷を追われて今までの生活を根底から奪われてしまいました。こういう中で補償だとかなんだとか言ってますけれども、果たして放射能に汚染されてまだ帰れない農地を農民たちに対してどうやって補償するのか。補償なんか出来ないと思います。

 そういう意味では、福島もそうなんだけれども、原発とわれわれ農民は絶対に相容れない。そういう意味では三里塚の市東さんの闘い、三里塚反対同盟の闘いと同じような闘いとして原発との闘いを進めていかなければならないと思います。

 そして今、先ほど来言われていますけれども、復興特区という形で漁民から漁業権を奪い、農民から農地を奪って、大資本を入れてね、農民を賃労働者にして、そこで金儲けをしようという、そういう特区による復興がそこで行われようとしている。とんでもないことです。われわれは、先程の福島の農民のように自らの力で復興を勝ち取っていくようなそういう闘いを支援しながら闘い抜いていかなければならないと思います。

 同時に今、市東さんの闘いは、農地を守る闘いは、5月の反動判決と反対同盟をはじめ50人を逮捕、そして8・6の日に現闘本部を破壊するというほんとに重要な段階に入ってきたと思います。今日、ここに反対同盟が、原発阻止と市東さんの農地取り上げに反対する全国集会を開いたということは、この意味というのは決定的に重要だと思います。

 8・6ヒロシマで闘い抜いている時に、現闘本部を破壊するということは、権力が、反原発、原発との闘いと三里塚の闘いが結びつくことを、いかに権力が恐怖しているかということが言えるんじゃないかと思います。

 そういう意味で三里塚の市東さんの闘い。今までも原発の裁判闘争の中でほとんどが原発を推進するという判決を出してきました。今、市東さんの農地取り上げの裁判は、原発は安全だと言ってやってきたのと同じようなやり方で、裁判の中でもほんとにデタラメな裁判、市東さんの耕作している農地をまったく違う位置で、デタラメな図面をつくり、ましてや書類まで偽造して、それで市東さんの農地を取り上げようとしているという、こういうことは絶対に許せないと思います。

 特に今、反原発の闘いの中で、全国で労働者と農民が立ち上がってきて、先ほど動労千葉の方からも「今、大きく情勢が変わって、労働者や農民がどんどん決起し始めている。9・19、6万人のそういう闘いが全国各地で起こっている」と。そういう中で、全国の農民にあらためて訴えたいと思います。そういう各地で決起している農民と労働者がもっともっと結びついて、三里塚と原発の闘いを結びつけて大きな闘いにしていくことが、今、求められているんじゃないか。明治公園の6万人の闘いを三里塚の現地に結集したら、いったいどうなりますか。絶対に市東さんの農地を取り上げることなどできないし、それを絶対に阻止することができると思います。

 どうかみなさん。全国でそういう闘いをしていこうじゃありませんか。私たちも微力ながら、北総地域、あるいは千葉県の中で、そういう風に闘い抜いていきたいと思います。ともに頑張りましょう。 

 

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2011年10月25日 (火)

10・24耕作権裁判を傍聴して

 昨日、千葉地裁で市東さんの耕作が「不法耕作」だとして農地(右下図、AとCの農地)の強奪を図ろうとする耕作権裁判の口頭弁論が開かれました。

 法廷後開かれた記者会見・報告会の冒頭、市東孝雄さんは、「空港会社のずさんなやり方、原告・被告が逆になるようなこんな裁判は絶対に許すわけにいかない」と怒りもあらわに挨拶されました。 

Photo_2  結論を先に言うと、先日のお知らせの記事でも「こんなふざけた白石裁判長を断じて許してはならない」と書きましたが、弁護団の厳しい追求と、「場合によれば爆発するぞという勢いで息を詰めて見つめていた」(葉山弁護士談)傍聴席の闘いが、白石裁判長を追い詰め、「裁判に証拠として提出された書類が偽造かどうかは重大なことで、裁判長もさすがに正面から取り上げざるを得なかった」(浅野弁護士談)のです。8・30、10・18の2度にわたる行政訴訟・農地法裁判での押し返した闘いとこの日の闘いで、この間の国・空港会社による襲撃的とも言える攻撃をはね返す地平が勝ち取られつつあることが実感できました。

 111024_2 反対同盟や弁護団にとっても、なぜこのような主張を国・NAAが始めたのか当初は戸惑っていたようです(一瀬弁護士談)。ですから「不法耕作」という主張を「錯誤」と表現していました。しかし、調査を進めるうちに最大の根拠とされる証拠、市東東市さんの「同意書」と「境界確認書」がNAAによって偽造されたものであることが明らかとなり、なぜNAAが偽造しなければならなかったかを含めて追求する段階に入っています。(「偽造」の中身は、この日配布された「傍聴のために」「11.10.24耕作権裁判資料.pdf」をダウンロードに詳しく書かれていますのでご覧ください。なおこの資料の右手上、4行目の「疎外」は「訴外」、6行目の「賃借値」は「賃借地」の間違いです。)

 この「同意書」「境界確認書」は地主・藤﨑氏の名前も間違え、筆跡も違い、ハンコもないという「とんでもないものだし、藤﨑本人もまったく知らないもの」(葉山弁護士談)です。別の機会で「農業委員会に提出された書類」と何度か書いてきましたが、間違いで実際は1988年に空港会社から千葉県収用委員会に提出された書類です。 一瀬弁護士の説明を要約すれば、市東東市さんに直接尋ねるわけにもいかなかったNAAが、地主・藤﨑に市東さんに聞かせたようです。ところが現場を実際には知らない藤﨑には「よくわからなかった」ようです。Photo_3 しかし、NAAにせっつかれた藤﨑が手描きで書いたメモ(右図)が生まれ、これに基づいてNAAが「同意書」「境界確認書」に添付された図を偽造したのです。行政訴訟の方ではこの1988年に収用委員会に提出したはずの書類が千葉県では見当たらないとしています。しかし、本裁判ではNAAは今だに認否さえしていません。少なくとも、その控えなりがNAAにはあるはずです。そのことを「文書提出命令」を裁判所に要求する形で、弁護団は明らかにさせようとしています。

 多見谷、白石、そして千葉地方裁判所の「早期結審・判決」の方針が音をたてて崩れていっています。まだまだ予断は許せませんが、踏ん張りどころであることは明らかです。三里塚裁判に注目し、傍聴に一人でも多く結集しようではありませんか。

 111024 報告会で挨拶に立たれた北原鉱治事務局長は、「正義の弁論だった。このままいけば、絶対に勝てる。しかし、三里塚ではいつも判決が問題だ」と裁判そのもののあり方を含め厳しく語られました。そして8・6天神峰現闘本部破壊について「取りに来い」と言ってきたので「とんでもない。もとの姿にもどせ」と拒否したら、「撤去したガレキが7万6千円で売却した。撤去費用は1万6千円だ」という通知があったと暴露し、「そんなもんで出来る訳がないし、信憑性はない、証拠隠滅を示している」と弾劾されました。そして「TPPは日本の農業を破壊することであり、将来への戦争への道だ」と締めくくられました。

 ほかの5つの裁判はすべて火曜か金曜という出荷日に当たるため、私たち支援の発言はないのですが、この日は久しぶりに、市東さんの農地取り上げに反対する会、動労千葉、群馬の青柳さん、そして私、関西実行委員会から挨拶と取り組みの報告がされました。

 111024_3 最後に萩原進事務局次長がまとめの挨拶です。「常識を外れた裁判だ」「空港建設ということが露骨に出た裁判だ。そういうやり方しかできないということを見ていく必要がある」とされた上で、現在の政治状況を「超反動の手法しかできなくなっている。その中で三里塚の位置が決定的になっている」と提起されました。そして「市東さんを守る決戦に突入した」「裁判へのより大きな結集と、市東さんを守る輪を足元から拡大しよう」と訴え、新たな「三里塚裁判を支える会」運動を訴え、まとめられました。

 昼食をとってから、場所を変え、市東さんの農地取り上げに反対する会が主催する「勉強会」が開かれ、参加してきました。

 ホットスポットがある流山、柏、野田、松戸などで行政との闘いなどを取り組んできておられる永田研二さん(月刊ミニコミ誌「タンポポ」編集部)が講師で、「TPP(環太平洋経済連携協定)は『日本占領』計画!」と題した1時間あまりの講演でした。①TPP「開国神話」の虚妄、②「日米同盟の深化」としてのTPP、③東日本大震災とTPP、④原発とTPPに共通する思想 とレジメの見出しを見たでけで、引き寄せられました。

 111024_4 アメリカが日本の市場に介入して好き放題をするのがTPPだとは理解していましたが、「日米同盟の深化」という提起には、想いを新たにするものがありました。

 あとの討論をあわせ、3時間半はいささか疲れましたが、熱心に質疑が続けられ、講師の永田さんの魅力はもちろんでしたが「市東さんの会」のみなさんの厚味というか、力強さを感じさせられました。萩原さんが最後に熱弁をふるい、想いを語られましたが、本当に中身の濃い勉強会でした。夜行バスであまり眠れなかったため自信がなかったのですが、面白く、眠るどころではありませんでした。

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2011年10月23日 (日)

10・9三里塚 福島現地からの報告 果樹農家Oさん

11109

 全国のみなさま。こんにちは。福島現地からまいりました。

 まず初めに、先ほど報告があった動労水戸の闘いを支持し、ともに闘うことを最初に申し上げます。

 三里塚闘争に関わらしていただいてかなり経つわけですけれども、まさか私がここで発言することになろうとは先日まで全く考えておりませんでした。それだけ世の中が激動しているということではないでしょうか。

 11109_2 それはともかく、3月11日の震災の折には全国のみなさまの暖かい物的、精神的ご支援をいただき本当にありがとうございました。特に反対同盟のみなさまにはあの3月の集会を前にした忙しい最中、ましてや交通網が寸断された中で、わざわざ機械の燃料、あるいは食糧を届けていただき、ほんとにありがとうございます。おかげさまをもちまして、この半年、東北・福島の農民は全力で生きてまいりました。

 こうした厳しい中で、なんとか頑張ってこれたのは、ひとえには先ほど申しました全国の皆様の暖かい支援があったということは勿論言えますけれども、それと同時にこの三里塚の闘う陣形の皆様との関わりの中で築き上げてきた、ささやかで不十分ではありますが、築き上げてきたものがあったからだと思っております。

 いささか古い話しになって恐縮なんですけれども、ちょっと我慢してください。1969年に初めての減反政策が強行されました。翌70年に三里塚の闘いの存在を知りました。小川プロ制作の「三里塚の夏」という映画でした。映像を見た瞬間、体が震えました。涙が止まりませんでした。そして無条件で支持しました。翌71年9月16日、三里塚駒井野砦の決戦に参加しました。それまで経験したことのない心臓の高まりと体の震えを覚えました。それ以来三里塚をはじめとする闘う全国のみなさまとの様々な出会い、学び合い、そして気づき合いの場をいただいてきたわけですけれども、その全てが、今、私の財産となっております。

 その出会い、その人たちの存在も素晴らしいものであったのですが、そうした中であえて一つを挙げるとすれば、動労千葉の皆様がジェット闘争に突入するときの中野委員長の報告です。あの時はまだ肩書きは書記長であったかと思いますが、その中で彼が語ったことは、ジェット闘争に対する並々ならぬ決意と共に、「労働者は経済闘争だけやっていては決して勝利はありえない。政治闘争をやりぬいてこそ真の勝利があるんだ」というその言葉を聞いた時に、動労千葉のみなさまの生きがいと気概を感じると共に、人がほんとに団結するには何が必要なのかということを改めて教えられた気がします。

 11109_3 とは申しましても、正直申しまして、闘いをしている、関わるということは精神的にも物理的にも、あるいは金銭的にも結構大変なものがあるなと感じたことも事実であります。しかしながら、この3・11に自分が支援される側、いわゆる当事者に立ってみたら、初めて感じたのは、いやいやとんでもない、支援される側、当事者になることの方がはるかに大変なんだということに改めて気付かされました。

 そうした時に反対同盟の皆様が、そして市東さんが抱えてきた全国的な闘い、これがいかに素晴らしく偉大なものであるかということを改めて気付かされた思いであります。別な面から見れば、この3・11災害というものが、私にとってはそれまでの闘争の関わり方、在り方、それを総点検しろということであったのかも知れません。

 今、福島で我々が仮に生きていくとすれば、この原発問題に対して屈服するのか闘うのか、これが厳しく妥協の余地なく突きつけられています。そして、ここに、福島に生き抜こうとするのであれば、闘う以外にない。それは、とりもなおさず「お前は、この闘いの矢面に立つ気概があるやなしや。旗頭の一角を担う意志があるやなしや」という問題であります。そうした時に、改めて自分自身のこれまでの関わり方、在り方を振り返った時に自分の人生というのは、出発点というのは、あの71年9・16三里塚・駒井野の闘いだったのです。

 お恥ずかしい話しですけれども、権力者との攻防戦の中で、正直言って、8割がた、いや9割方逃げたいと思いました。しかし、逃げず、踏みとどまり、闘い抜いたというのが私の今の誇りであり、立脚点になっております。あらためてみなさまの前に表明しておきます。この原発をなくす運動、止める運動、この戦端の一翼を担うことをみなさまの前にはっきりと表明しておきます。

 11109_4 さらにこの闘いというものは、自分自身の在り様、別の面から言えば、これを闘うためには一体なにをしなければならないのかということです。今回の原発の問題というのは、余りにも突発的で、大きかったが故に、ややもすると自分が被害者であるという面が強調されています。まあ、それは間違いない。その原発の事故の一切の責任は、東電であるし国、国の側です。しかしながら、この原発をこれまで止めることが出来なかったいうことが、それ自体、人々に大きな迷惑をかけております。

 ご承知のように汚染水は大量に海に流されました。そしてそれ以外にも、春になればつばめがまた福島にやってきました。つばめは泥をこねて巣をつくります。そこで産卵をし、子育てをし、もう南の島に帰りました。もうすぐ北の国から白鳥をはじめとする冬の鳥がやってきます。福島を流れる阿武隈川は、白鳥の一大生息地です。今年、福島の河川、阿武隈川、あるいはその支流に住む鮎からは基準値以上の放射能が検出され、ついに鮎漁は解禁になることはありませんでした。この川で鳥たちは餌を探し、泥をかきまわし、そして探すわけです。そしてまた北へ帰るんです。もう汚染を全世界的にまき散らす、そういう事態になってしまったという、この事態を私たちは止められなかったということの重みをやはり感じ取る必要があると思います。

 あともう一つは、私たちは生き延びたいと言うことかもしれませんけれども、ご承知のようにこの放射能という性格上、多くの子どもたちを抱えたお母さんたちが様々な行動を起こしています。福島からの何度かの政府交渉というような形で交渉の場面が、テレビなど報道機関を通じて報道されたので、みなさまもご存知だと思います。しかしながら、そうした発言の中に、これはまだまだ克服しなければならない問題が一杯あるなというふうに感じたのも事実です。それは彼ら、彼女たちの問題ではなくて、私自身も内側にある克服しなければならない問題がまだまだあると、これに対してあくまでも謙虚で、自分自身を徹底的に明らかにしながら、それをやりきれてこそはじめてこの闘いは担えるんだということではないかと思います。

 あともう一つ。これは私の課題です。あるいは福島に住む農民の課題です。みなさんの前ではっきりと約束します。福島の農地を私たちの主導権のもとに必ずや再生させてみせます。6月の福島の集会ではすでにこのことを伝えています。しかしこの時には、まだ十分手応えがあるというような形で語ってきました。しかし、現在、私と志を同じくする数名と取り組み、学習する中において、すべての農産物からヨウ素、セシウムは「正」という結果を得ております。もっともこの数値をことさら強調するということが果たしてどういうことになるのか、消費者のみなさまに正確にお伝えすると思う反面、一部には数字がひとり歩きしているという状況があります。ですから、ここは強調する気はありませんが、一つのこれまでの取り組みの成果として、ささやかながらお伝えしておきます。

 しかし、これだけに飽き足らず、全世界からのありとあらゆる声と要請に応え、かならずやできるだけ短期間に福島の大地を再生させてみせます。このことをみなさんの前にお約束しておきます。今後ともよろしくお願いいたします。

 

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2011年10月22日 (土)

今週の産直野菜(10月22日)

111022  先ほど三里塚から産直野菜が届きました。ずしりと箱が重い。

 サニーレタス、じゃがいも、チンゲンサイ、水菜、大根、黒豆の枝豆、さつま芋、切り生姜、カブ、長ネギ、以上10品です。

 18日の裁判のおりに鈴木謙太郎さんにお聞きしたら、この初秋の作柄は厳しい峠を越して順調だとのことでした。よかった。

 「野菜だより」によれば、高めの気温が続いているので葉物野菜の育ちがいいようですね。大根が入っていたのでびっくり。

 「記念写真」をとってすぐ、葉物などは水に浸し、枝豆はもぎりました。これが大変。

 来週の「今週の産直野菜」は、現地の「芋掘り大会」とそのあとの援農に参加しますのでおやすみします。「芋掘り大会」には、福島の田村市からの家族参加もあるようです。関西からも3人。いわき市からも。多彩な顔ぶれの「芋掘り大会」になりそうで、今から楽しみです。今からでも遅くはありませんので参加されませんか。30日(日)午前10時~午後3時。集合場所・東峰部落・萩原進宅。申し込みは ☎0478-75-2163 へお電話してください。予約すれば成田駅まで迎えの車があります。

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10月24日 市東さんの耕作権裁判へ

 来る10月24日(月)午前10時半より、市東さんが不法に耕作をしていると空港会社NAAがデッチ上げ、取り上げようとして起こした「耕作権裁判」の口頭弁論が開かれます。

 Photo_2 そもそも市東さんが親子3代、90年にわたって耕してきた農地を、空港会社が得手勝手に分割し、耕作もしていない畑を「契約地」だと言い、他方、ずっと耕し続けてきた畑が「不法占拠」だと、すくなくとも長年の耕作による「耕作権」が発生していることをも無視したまったくデタラメな「言いがかり」としか言いようのない主張で始められた裁判です。

 現在、千葉地裁では反対同盟に係る裁判が5つ闘われております。市東さんの農地を農地法で奪おうという「農地法裁判」とその処分を違法とする市東さんが訴えた「行政訴訟」(この二つは先日から併合されました)。それに団結街道の封鎖処分取り消しを求めた団結街道裁判、第3誘導路建設の差止めを求めた第3誘導路裁判。この4つの裁判は、いずれも多見谷裁判長の指揮のもとに進められ、国家意思を背景に多見谷裁判長は、早期結審、農地取り上げの意思を隠そうともしていません。重大な攻防に入っています。それにこの「耕作権」裁判です。

 「耕作権裁判」は空港会社による悪辣な農業委員会への耕作権解除申請のデタラメな「農地特定」の間違いによって発生し、現在進んでいる全ての裁判に先立って2007年2月に開始されました。その第1回口頭弁論で市東孝雄さんは「なぜ私が被告席に座らなければならないのだ」と怒りを陳述されました。

 そして途中で代わって裁判長となった白石裁判長は、全体像が反動的な多見谷裁判長によって決せられていくことを前提に、露骨に空港会社NAA側に寄り添った訴訟指揮を取り続けています。

 現在法廷では「41-9」問題から始まった「境界確認書」などの問題が争点となっていますが、無視することで逃げようとする空港会社NAA側代理人を露骨に支え、市東さん側の主張・指摘、訴訟指揮への要求を無視する姿勢を露骨に示します。傍聴席からの怒りの声に動揺し、「退廷命令」を乱発したりしてその無節操、無能ぶりをさらけだしています。

 多見谷裁判長による「行政訴訟」「農地法裁判」の早期結審の流れに寄り添って、「国策裁判」の自らの任務を早くやり遂げたいという姑息な願望をも隠すこともできない体たらくです。

 こんなふざけた白石裁判長の姿を断じて許してはなりません。他の裁判と一体となった重大な局面を迎えていると言わざるを得ません。そのためには、先日の裁判後の報告会で北原事務局長が私たちに厳しく求めたように「傍聴する我々も当事者だ」という怒りと闘志をもって傍聴闘争に決起しましょう。

 傍聴券の発行の関係で、開廷の40分前(9時50分)までに千葉地裁1階ロビーにお集まりください。

 またこの日、裁判後の記者会見・報告会の後、「市東さんの農地取り上げに反対する会」が主催する学習会が開かれます。参加しましょう。

【日時】10月24日(月)午後1時半~ / 【場所】千葉市民会館 / 【テーマ】TPP(環太平洋経済連携協定) / 【講師】永田研二さん(月刊ミニコミ誌「たんぽぽ」)

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2011年10月21日 (金)

10・9三里塚 特別報告 関西実行委員会から

11109

 永井満関実代表世話人

11109_2  結集された反対同盟、また全国の闘う仲間のみなさんに関西空港に反対して闘ってまいりました住民を代表して一言ご挨拶させていただきます。すばらしい闘いの報告に続いて、こうしてこの場から私たちの闘いをご報告できることを大変光栄に存じております。

 一番直近で言えば9月の18日に反対同盟より萩原さんをお迎えし、また沖縄のご代表もお迎えしまして、大阪で集会をもちました。こうした震災、原発の問題のさなかでありまして、結集される方がいつもより少なかったかということはありましたが、とりわけ今、反対同盟と強固な結束をもって連帯して闘おうとしておられる沖縄のご代表の方からもほんとうに素晴らしいご挨拶をいただきました。

11109_3  今日も、北原さんがかなり早い時期から沖縄に行こうとしておられたが、まだビザがいる時代であったと、今朝私たちが伺った時(左写真)におっしゃっておられましたが、そういう遠い昔から三里塚と沖縄の闘いはともに闘われてきたと思います。

 そしてまた、私たちは知花さんのあの決起をもって、ほんとに目が覚めるような思いで沖縄の闘いに加わらせていただくことになりました。そして今、この三里塚と沖縄がほんとに一つになってこの今の状況を作り変えていく闘いを進めようとされていることに喜びを感じ、またそれに加わることができることを本当に光栄に思っております。11109_4 私たちは微力ですけれども、反対同盟、また沖縄のみなさんとともに、この闘いにも全力で取り組んでいきたいとそう思っております。

 今年の5月20日のあの東京高裁による不当判決、そしてそれに続いて起こったところの50名の逮捕、考えられないようなことを権力は強行しました。ここの山本さんも90を超えておられますけれども、その最先頭におられて獄中闘争を闘われました。ほんとに権力のなすこと、彼らがこれはもう必死のあがきをしていることの反映であると思います。

 ましてやその不当判決に基づいて、8月6日に強行されたあの現闘本部の闇討ち強行破壊。11109_5 これは本当に心底からの怒りをもってこれに抗議し、断固とした反撃の闘いを立ち上げていかなければならないと思っております。私たちも、何度かそこでもたれた同盟の旗開きその他の様々な会合に出席もし、ともに決意を固めあったその現闘本部を、20有余年封鎖し、あまつさえそれを強制的に撤去してきたことを断じて許せない。必ず、闘う人民はその報復をしなければならないと思っております。

 私たち住民団体も、今日ここに結集されたみなさんとともに、反対同盟とともに、これからも最前線で闘っていきたいと思っております。申し上げたいことは一杯あるんですけれども、時間もありませんので、後、山本先生の方からよろしくお願い致します。

 山本善偉関実世話人

11109_6  結集されたみなさん。ごくろうさんです。もう、ここに立っていいたいことを全部もう言われた感じで、それに加えて何を言うことがあるかと思うほどです。

 一番最初に森田先生が94歳にしてあの開会の挨拶をなさった。その中に小林多喜二の話しをされましたが、今、世の中は正にそういう状態に刻々と迫っているということをしみじみ感じています。私はなんぼ頑張っても森田さんを追い越すことはできない。私が91になったと思ったら、向こうは94になって。2人で頑張って100までもやりたいと思います。

 あの東京の6万人集会。私はよう参加しませんでしたけれども、私の孫夫婦が、新婚ですが、ああいう集会に出たこともない若い夫婦があの日に行ったそうです。先日、こっちへ帰ってきまして、「おじいちゃん。ものすごかった。6万の人というのはもの凄い」、「うん。そうか。えらかった」。僕は甲子園の5万は見たことがあるけれども、それ以上は沖縄の集会での10万人集会をみているわけです。関西でなかなかそれだけ集まらないのは非常に残念に思っています。11109_7 しかし、この先日(10月2日)、「さようなら原発 in 関西」を、屋内集会でやりました。非常に反響のいい、大きな会場でして、耳の悪い私も十分に話しが聞き取れたんですが、満員になったら恐らく1200人くらいの会場ですが、2階の席まで一杯。しかもそれは、今まで見たこともない市民がいっぱい来ていました。

 今、この世の中では、原発、福島の原発の問題が、若い人たちにとって「次の世代はどうなるのか」、そういう不安で一杯になっていることがあの集会でもわかりました。ただ、関西で6万人の聚会が持てないのはほんとに残念ですけれども、しかし、あらたに人民の間に起こっている「日本の原発政治そのものが間違っているんだ」という風潮が大きな力で、どんどん上がってきている。沖縄では、あの鳩山元首相が行ってですね、軽々しく「少なくとも普天間基地を県外に」てなことを言うておいて、すぐその後に「間違っていた」と謝っております。42514 だらしのないことをやりましたが、沖縄の怒りはいっぱいあります。

 そして三里塚では46年、私自身は37、8年になりますが、三里塚の闘いは原則を守って、反戦・反核、農民を中心にした闘いだと、これを貫いている。どうかしてこれを一つに結びつけることができないのかと私たちは沖縄に行き、沖縄と三里塚を結びつける掛け橋になりたいと思ってここ数年、力いっぱい頑張ってきました(右上写真は、昨年4・25沖縄で)。今、さきほど豊見山さんが言われた通り、沖縄には三里塚の闘いを知っている人が随分いるんです。その人たちの闘い、怒り、それと我々の怒りを一つにすればほんとに強い。今の政府が向かっている反動的な流れをぶっ潰す新しい力が生まれると私は思っております。

 1186fnn 5月20日に弾圧を受けましたが、あんなことをしなければやれない「国策」なんていったい何ですか。私たちを捕まえておいて、私にむしろ敬語にちかいような言葉を使うんですよ。それに騙されていたら完黙ができないような、そういうへつらうような言い方をしながら、あんな無法なことをする。そしてこの8月6日には、ヒロシマに我々闘うものの関心が向かっている暇に、現闘本部をぶっ潰す。しかもそれは、私はその時には広島によう行きませんでしたですから、テレビを見ておりましたら、関西からも闘う仲間が行きましたけれども、近くでは屏で遮られて中が見えない。11109_8 あの現闘本部の建物の中は、外枠をとったら中にあるはずのものが見えない。ところが、空から映したのでしょうか、パッとありました(左上写真)。

 無闇に法を破ってでなければできない三里塚。これがどうして04年、30万回の飛行場など、まるで「絵に書いた餅」のようなものです。

 私たちは心を新たにして闘いたいと思います。中途半端ですが、これで終わります。

 

 

 

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2011年10月20日 (木)

10・9三里塚 特別報告 市東さんの農地を守る沖縄の会

11109

 豊見山雅裕さん

 11109_2 こんにちは。沖縄から来ました。

 一番最初にちょっと報告させていただきたいんですけれども、今年の6月ですね、ほんと沖縄にとって歴史的な、そして感動的な情景が生まれました。

 特にみなさんもご存知だと思いますが、6・23というのは沖縄にとってはすごく大衆的な行動の日です。国際集会、連帯集会として、摩文仁で沖縄戦をかみしめながら「なぜ我々は戦争を止めることができなかったのか」「私たちの先輩は、どういう想いで沖縄戦の中を生き延びてきたのか、そしてどうやって死んでいったのか」といったことを噛みしめる日です。

 11623 その時に、反対同盟の人たちが大勢沖縄の場に来てくれました。私たちは、歴史的とも言える大衆集会を那覇市内でかちとって、ともに摩文仁の地、糸満の地を、反対同盟の旗を先頭にして、共に私たちはデモンストレーションを貫徹することができました(左写真)。

 私たちにとっては、特に私たちの先輩は、この三里塚の闘いの中で決起し、今もなお熱い想いをもって沖縄の中で闘っている先輩たちが大勢います。

 私たちの闘いの中で三里塚と言うのは、ほんとに特別な想いを持たざるを得ない、あるいは強い熱い想いをかきたてるそういう存在としてあるのですね。

 そして今、沖縄自体もほんとに厳しい状況にますます陥っています。ただ、一方では今、沖縄の中ではあの自公の政治家たちも「沖縄県内移設阻止」「米軍基地を反対する」ことを表明しないとですね、立候補すらできないという状況になっています。あの仲井真知事がですね、訪米して「もう沖縄で移設は現実的に無理だ」「移設を可能とする状況ではない」ということを彼は表明せざるをえなかったのです。ただ、その2日後に、野田政権、野田がですね、外交デビューという名のもとに、「沖縄の米軍基地、辺野古への現行案を粛々と進める」「来年の夏までには成果をあげる」と彼は言い切っているんですね。11109_3 年内にアセス準備書を作成し、3月を山場として来年の夏までに成果を出すということを、あのオバマ政権によって恫喝をされながらそれを確約している。

 先ほど言った沖縄の現実、もはや自公ですら「米軍基地に反対する」と言わざるを得ない。言わないと存在として彼らは抹殺されるという危機感を覚えている状況がある。この状況は、実は、今日結集されている全国の仲間のみなさんと共に、辺野古と高江で今現在、止め続けている、そのことがこの状況を生み出しているんだということを確認したいと思います。

 我々は、何度でも何度でも立って、闘います。どのような弾圧を受け、どのような政治家共が、自公などにしても政権は状況によってコロコロ変わりますから、そういう裏切りが出ようとも、私たちは絶対に闘いを曲げるつもりはないし、これからも体を張って闘い抜いていきます。

 そのことは、私たち自身にとって、やっぱり大きなものとして三里塚の闘い、そしてここに結集しておられるみなさんの存在があるということです。私たち自身がほんとに闘うために、そしてもしかするとその私たちの闘いが、この三里塚の闘いに対して何らかの寄与することができるとしたら、私たちの闘いも大きな実のあるものとしてあるし、私たちにとっても誇りです。ぜひみなさんとともに、沖縄の闘い、そして三里塚の闘い、ともに闘っていきたいと思っています。

 もう一人来ていますので、名護から来ている仲間です。一言よろしくお願いします。

 川野純治さん

 11109_4 全国から結集された仲間のみなさん。ご苦労様です。私、名護市議会議員の川野と申します。

 本日、この場にあらためて結集し、みなさんの熱い想いと、そして何よりも三里塚反対同盟の決意を、大きく私のエネルギーとすることができました。

 反対同盟46年に達する闘い、その闘いは国策との闘いであった。そのことは沖縄においても国策と闘い続けるその中で、私たちは野田政権の「日米合意」の対策に、こんな民意を反映しないデタラメな「合意」など沖縄にとってまったくナンセンスであります。そして福島と、三里塚、沖縄の闘いをつなげることが、あらためて大きな勝利の道だと、この場に来て私も確信をしました。

 この場に結集された多くのみなさんが、名護、辺野古にも結集してこられた多くの仲間だと思います。その力をもっともっと大きくし、そして私たちはなによりも米軍再編と闘う岩国や神奈川、そして韓国の、多くの、多くの闘う仲間と共に輪を広げながら国策と対決していく。11109 そしてこの沖縄においては、何としても辺野古(移設)を粉砕していく。

 何よりも私自身が学んだことは、反対同盟の闘いの中で、「原則を守って闘う」というこのことであります。私たちの闘いは、普天間基地の即時閉鎖、撤去であります。辺野古移設で問題は解決しません。私たちはその原則をきっちりと守りぬきながら、今、民主党政権は新たに宮古、八重山に自衛隊基地の配備を行う、さらに八重山においては教科書問題で、育鵬社の教科書を押しつけようとしています。そういう新たな軍事化、差別的な軍事支配の攻撃に、このわたしたち名護においても、私自身も微力でありますが、皆さんの力を糧とし、共に闘うことをお誓いし、連帯の挨拶としたいと思います。ありがとうございました。

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2011年10月19日 (水)

市東さんの行政訴訟・農地法裁判を傍聴して

 昨日、千葉地裁で市東さんの農地をめぐる行政訴訟・農地法裁判の口頭弁論が、初めて併合して審理が行われました。

 多見谷裁判長は、やりとりの中で「はじめから(証人採用が)萩原さん、市東さんだけになるとは言ってませんよ」と弁解をするものの、「市東さんは4月になると忙しいでしょうから」などと、早期結審への自らの思いを端々ににじませながら審理を進めようとしました。

111018  しかし、弁護団のやんわりと裁判長に迫る闘いと傍聴席からの激しい怒りの声は、そうした多見谷裁判長の意図をはね返し、8月30日の口頭弁論の闘いに続いて、この日も明らかに押し返し、追い詰めました。それは次回12月6日以降(来年)の日程を決めさせなかったことに象徴されています。市東さんは報告会の挨拶の中で、「みなさんと弁護士さんの力で、向こうが出し切れない、出せば向こうの悪が露見するという形で、まだまだ突っついて行くことがたくさんあります。これからも頑張ります」と語られて、こうした状況を確信をもって明らかにされました。

 前回、弁護団が出した準備書面28~30に対して、千葉県側は膨大な、しかし木で鼻をくくったような認否を出してきたが、空港会社(NAA)側は、裁判所から9月30日までに出すようにと言われながら、今日も出すことができないでいることが明らかにされました(葉山弁護士)。しかし、その千葉県も、書いた筈の代理人が準備書面に書いたことを「わかんない」というデタラメさだ(遠藤弁護士)。

 前回明らかにされた南台の農地「41-8」が空港敷地をはみ出していることについて、分筆されていない以上、千葉県知事の許可がない用地取得全体が無効になることは明らかで、NAAが応答できない、認否を出せないでいる原因となっていることが明らかにされました(葉山弁護士)。

 また、天神峰の岩澤から借りた土地は1970年の収用対象に挙げられているが、南台の土地は対象とされておらず、1987年4月に、初めて収用対象に追加されることが行われた。法律論からこうした収用対象を後で追加することが可能なのか問題があるということと、なぜか千葉県収用委員会に、この1987年の追加した書類が残っていないということが千葉県側の認否の中で明らかになっているが、これは何か収用委員会にとってまずいことがあるということを示しているのではないか。空港公団、空港会社は相当ずさんなことをやってきていることを示している。空港建設そのもののデタラメさと市東さんの土地に対するデタラメさが暴かれてきている。空港会社の人間の人証調べを何としても実現したい(一瀬弁護士)。

 本来権利に関わる行政処分を行う以上「立証責任」は行政機関の側にあるにもかかわらず、多くの裁判の中でこの原則がいい加減にされ、行政はいい加減なものを出しても大丈夫という裁判所との関係を作ってきている。本件の証人採用問題は、こうした問題を背景としたこの裁判の本質が露になるとして12月6日の法廷の重要性が明らかにされました(大口弁護士)。

 証人は、空港会社の用地取得の責任者などを新たに加え、23人と本人の市東さんで、24人が申請されていることが明らかにされました。111018_2 北原事務局長が質疑の中で発言を求め、藤﨑政吉の証人尋問を絶対に実現しなければならない、弁護団は頑張って欲しいと激励されました。

 まとめの挨拶で、北原鉱治事務局長は、「傍聴人も関係人なんだ。自分も当事者だという気持ちで頑張って欲しい」と檄を飛ばされました。

 多見谷裁判長の空港会社側にベッタリと寄り添い、早期結審、判決を虎視眈々と狙うそのあり方を全力で粉砕しなければなりません。12月6日の次回口頭弁論はこの勝ち取られている地平を守り抜き、市東さんの農地を守る決定的に重要な戦場となっています。立証過程を破壊しようとする多見谷裁判長の企みを許さず、証人採用を全面的に勝ち取るために、次回口頭弁論に全力で決起しよう。

 この日、関西からT先生が初めて参加してくださいました。二人で、千葉での後、経産省前で座り込んでいるテントを激励訪問して帰途につきました。

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2011年10月17日 (月)

明日、市東さんの農地をめぐる行政訴訟、農地法裁判

11109

 明日、千葉地裁601号法廷で、午後2時から市東さんの農地をめぐる行政訴訟、農地法裁判の口頭弁論が開かれます(上写真は、10・9全国集会で壇上に上がった「市東さんの農地取り上げに反対する会」のみなさんと発言する市東孝雄さん)。

 すでに前回の8・30口頭弁論を前に、当ブログで詳しく紹介しておりますが、4年にわたるこの裁判の中で明らかにされてきた空港会社NAA、成田市、千葉県、そして国による市東さんへの不当な農地強奪の攻撃に関わる様々な事実を、多見谷裁判長は、その一切を闇に葬り去って早期結審、判決を強行し、来年にも農地強奪を具体的に強行しようとする道筋をつけようと企んでいることが明らかになりました。

 具体的には、空港会社による成田市農業委員会、千葉県農業会議への耕作権解除申請の不当・違法、そしてその審理過程の不当性、あるいはそもそも空港会社NAAによる市東さんの賃借地所有の経緯の違法性などを立証するための反対同盟と弁護団による21人にのぼる証人申請をことごとく却下し、萩原進さんと市東孝雄さんの2人の証人尋問だけで、多見谷裁判長はすまそうとしていたのです。8月30日に、それを強行し、明日の弁論で萩原さんと市東さんの証人尋問を行い、その上での年内結審、年明けでの判決強行を目論んだのです。ですから、三里塚に関わる千葉地裁の口頭弁論としては珍しく午後2時の開廷だったのです。これは、産直出荷日の作業への妨害ともなり、反対同盟の農民のみなさんにとっては大変な負担を強いる攻撃でもありました。

 しかし、当ブログ(8月31日付 http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-86c8.html)に詳細に報告しましたように、反対同盟と弁護団、そして傍聴席の闘いによってひとまず押し返す勝利が勝ち取られました。

 11109_2 しかし、多見谷裁判長が、その悪辣な企を諦めたわけではありません。あすの法廷で、その企を手を変えて出してくることは確実です。あの許し難い8・6天神峰現闘本部の破壊・強制撤去の攻撃に続いて、市東さんの農地強奪に道筋をつけようと虎視眈々と目論んでいることは明らかです。それは、この攻撃が多見谷ひとりの判断で出されたものではなく、2013年・27万回化、2014年・30万回化の攻撃のために、成田空港の完成・拡張に向けた攻撃のために何としても市東さんをたたき出したいと願望する国家権力の意思によって出されたものだからです。(右写真は、10・9全国集会での市東さん)

 「国策」を前に、原子力発電所の裁判が常にそうであったように、裁判所が、司法の立ち位置をかなぐり捨て、国家意志を体現する単なる手続き機関となるというこの国の「民主主義」「三権分立」の虚構が、ここにものの美事に示されています。私たちは、このような虚構をもはや断じて許してはなりません。3・11事態、フクシマ事態が、そして沖縄に対する「日米合意」の強制が、私たちにこのことを許してはならないことを指し示しています。三里塚こそ、正にそれを粉砕するにふさわしい戦場です。

 みなさん。市東さんへの農地強奪は断じて許してはなりません。今、土地収用法の権力を奪われた国家権力は、裁判という虚構を使い切って、民事裁判でその国家意志、「国策」を強制しようとしています。

 明日の千葉地裁における口頭弁論の場は、正にその闘いの帰趨を決するような場となろうとしています。全力で傍聴に駆けつけよう。傍聴券の関係で開廷40分前までに、千葉地裁1階ロビーにお集まりください。

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2011年10月16日 (日)

今週の産直野菜(10月15日)

111015  昨日の昼前、三里塚から産直野菜が届きました。

 生落花生、チンゲンサイ、ししとう、切り生姜、長ネギ、水菜、サニーレタス、じゃがいもの8品です。

 先週の小松菜につづいて、今週も葉物が。ネギも久しぶり。すぐに水に浸けて蘇生。

 秋にはひどい状態になるかと心配していたのですが、なんのなんの。立派なものです。

 落花生をもいでやったり、とりあえずの処置をして、明石での映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を見るために飛び出しました。夜は、「神戸空港の中止を求める市民の会」の例会。

 111016 今朝は、会議。昼からは「10・16 変えよう!日本と世界」の集会とデモに京都へ。それで「今週の産直野菜」の報告が今になりました。

 京都では、瀬戸内寂聴さんの数えで90歳の元気で含蓄に富んだ語りに「めっちゃ元気なおばあちゃんやなぁ」と思わず聴き惚れました。関西の山本先生や千葉の井村さんが今月91歳になられますが、「人生でやりたいことは全てやり終えました」と答えられた軽快な語りはわずかな時間でしたが集まられた950人を魅了したようでした。「1千万人の一人になることは人間の誇りです」と最後に、111016_2 「さようなら原発1000万人署名」への想いを一言で語られたのは、さすがかなと初めてお聴きする私も感心させられました。

 夕方の観光客で賑わう祇園さんから京都の四条河原町、そして三条河原町、京都市役所への1千名のデモは、結構、注目を集め、各所で見守る人々から手を振ったりの反応がありました。

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2011年10月15日 (土)

10・9三里塚 基調報告 萩原進事務局次長(その2)

11109  やっぱりそういう中で彼らがまた「経済を立て直すためにはやらなくちゃあしょうがない」というのが出てきたのがTPP問題ですよ。「この際、日本の経済を立て直すためにはこれしかないんだ」と。「そのためには農業が潰れても構わない」と。そして「それを遂行するんだ」と。

 しかし、みなさん。表面に出ているのは、農家が潰れる、農業が潰れるというだけですけれども、TPPというのは文字通り労働者にもかけられた攻撃でもあるんですね。医療問題と労働問題と輸入問題と、全部今までの経済体系をひっくり返すような攻撃なんですよ。

 文字通りここにおいて労農同盟の名のもとに闘い抜く、そういう大きな闘いの柱として今登場しようとしているのですね。そのことを我々は捉えて、一緒になって闘い抜いていく必要がある。

 その上で、三里塚現地における農地死守の闘い。これは、先ほど来から言われているように、市東さんの農地を今、直接的に取り上げて、そして空港の中に閉じ込めて、闘いを放棄させ、そっから追い出そうというような攻撃です。しかし、本人は意気軒高と闘い抜いていくと、平常心にのっとって誰が来ようと自分はここから出ていかないと。そのことの強さですよね。そのことが、反原発であり、反戦であり、労働者に対する鼓舞激励であると思います。このことの積み重ねが、三里塚の46年の積み重ねが、今日、まだまだ中途半端な空港でしかない、空港の無様な姿を強制しているわけですね。

 どちらがヘゲモニーをとっているかと言ったら、その意味で我々の方がとっているんですよ。このことを誇りにもって闘い抜けば勝てるんですよ。

 11830 その上で、もっともっとはっきりさせるには、一つには裁判闘争(右写真は、11.8.30市東さんの行政訴訟・農地法裁判で)です。その重要性。いくつもある裁判を、もっともっとみんなの力を発揮していただきたい。本部裁判があのような形で物証をなくして、最高裁で負ける判決はもう見えています。しかし、本部は潰されたって、本部は物理的に失くなたって、我々の心の中に本部はあるし、また闘いの中で建てていけばいいわけです。みんなの力によって作っていけばいいわけですから。そういう闘いをすでに鉄塔取り壊しに対してもやってきたわけですよ。ですから我々は崩れません。それをもっともっと炎を燃やす糧として闘い抜きます。

 その裁判闘争を通じながら、裁判所をもう一度大きな人民の渦、400名を結集して包囲して、反動判決を出させない、出すにしたって中途半端な、あるいは簡単には出せない、そういう状況を作ってやっていく。原発にしたって裁判所が果たした役割は大きいです。責任をとってもらわなければしょうがない。行政との問題、今非常に大きな問題になっていますけれども、そういう闘いの頂点として、今、千葉地裁、あるいは三里塚裁判というのがあるのです。そういう闘いを見せつけていく。そして反動判決を出させないような闘いを作っていく。

 11109_2 内容的には弁護団が頑張り、傍聴団が頑張り、「被告」と言われる人たちが頑張りぬいてやっていく。それと同時にそれを支える輪が必要なのです。これが「市東さんを守る会」であるし、あるいは現闘本部裁判を支える運動がありましたけれども、これを発展的に、現闘本部という名前は使いませんけれども、今後の三里塚裁判を支援する運動として、継続的に発展的に行います。新たな裁判として市道廃道の問題、あるいは第3誘導路建設に対する取消の訴訟にも入っています。裁判だけで大変な労力と仕組みが必要です。ですからそういうものを作っていく。その資金援助だとか、あるいは傍聴だとか、また裁判に関心を寄せるとか、これは誰にでも出来ることなんですよ。ですから民衆の中に飛び込んでいって、それを理解してもらって、目を向けさせ、その上で現地に結集させていく。そういう闘いが出来るものとしてあるんです。

 ですから自分たちは、裁判闘争も実力闘争だ、実力を持って裁判も闘い抜く。その力を現地に返して、現地の闘いとして一体として闘い抜いていく。そういうものとして裁判闘争を構えていきたい。それが市東さんを支える大きな要素です。

 そして沖縄、福島を闘う勢力。先日の明治公園の6万。そういう意味での大きなうねりです。1万と言いません。6千と言いません。一部でいいですよ。600でもいいです。あるいは60でもいいです。まず60をその中から獲得したらね、その3倍になるのは目に見えているんですよ。今こそ、そういう人民の渦の中に入り込んでいく活動が一番大切なんじゃないのか。

11623  いろいろあります。意見の違いもあります。それを乗り越えると言うんじゃなくって、納得させ、我々の中に引きずり込む、それが闘いなんですよ。それができないで、「もうだめなんだ」と最初から門戸を閉じていく、そういう時代じゃないでしょう。大きく目を見開いて、確かに6万大衆の中で、その指導部はダメかもしれません。しかし、その下にいる多くの「これからどうしようか」という労働者に対して「こういう風に闘うんだ」、「こういう風にやれば勝てるんだ」、「こういう風にやれば自分たちの将来に展望が出るんだ」ということを指し示すのがこの部隊でしょう。そういうことを先ず確認した上で、その人たちも含めて獲得する作業が必要なんですよ(右上写真は、6・23沖縄国際反戦集会でデモをする反対同盟)。

 そういうことを三里塚闘争の中で、裁判闘争を通じながら、「市東さんを守る会」に入っていただく。「市東さんを守る会」に入る中から、今日も多くの方がこの現地に馳せ参じ、本部闘争のときにも決起してくる、そういう構図が生まれてきているわけです。我々はそれを、逆に言えば「やる側が信じきれるかどうか」、そして「できるだろうか」と不安を持っていたんじゃできません。自分たちが確信をもってそれを信じるかどうかにかかっていると思うんです。それは三里塚の闘いがそこまでずっと追求してきた問題なんです。今こそ、そういう問題をやり抜いていこうじゃありませんか。

 そういう中で、現地闘争を展開するにあたって、将棋じゃないんですが、「駒」が必要なんですよ。「駒」を作るには、くどいようだけれど地道な、あるいは大胆な、あるいは戦闘的なそういう闘いが必要だということを確認した上で、何度も言いますけれども、労働者階級の戦闘的な闘いを、我々農民は待っているわけじゃないですから、作り上げていく。このことは、三里塚闘争の中で、戦闘的労働運動も実証されているわけですね。そういう意味で、三里塚の中に労働運動を持ち込んで、労働運動の闘いを確立していただきたい。そして戦闘的労働運動を大きくは再生させていきたいというふうに思います。

 11623_2 そういう意味で、沖縄も、福島も、三里塚も、今までは汗水たらして、あるいは涙を流してやってきました。しかし、これからは闘いの喜びを共有しながら、そして今持っている怒りを本当に闘いに転化して、お互い、文字通り団結して共有しながら闘い抜いていきたい(左写真は、6・23沖縄国際反戦集会で壇上に並ぶ反対同盟)。

 このあと、沖縄と福島から発言がありますけれども、我々は、それに対してほんの小さな種ですけれども、この一年の中で蒔いてきました。それを大きく、大きく育てていきたいと思います。そのためにも、全国の農民に対しても、大きな旗を、同盟旗を振って、「三里塚都一緒に闘おう」という檄を発し、「闘えば勝てるんだ」ということを発信していきたいと思います。

 そういう意味で、長く、くどくどと言いましたけれども、本日をもって、原発再稼働などとんでもない、廃炉にするということをもって、大きな新聞だけれども「核抑止力のためには原発は必要なんだ」などという社説を載せた新聞もありますけれども、核そのものは安全といった問題だけじゃなくって文字通り戦争につながるものであるということを、そういう中で知らしめて、原発反対運動、なくしていく運動を。ほんとに今度こそ勝たなければならないわけですから。

 そのためには、単独でやるんじゃなくって、労働者と、農民と、漁民も含め大きな波の渦を作って闘い抜いていくというふうにしたいと思います。その先頭に反対同盟は立って、大きな旗振りをしたいと思いますので、今後とも力をいただき現地における闘いの陣形の構築をお願いして基調の報告に代えたいと思います。 

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2011年10月14日 (金)

10・9三里塚 基調報告 萩原進事務局次長(その1)

11109_2

 本集会、反原発として福島を焦点とする東北住民と強い連隊を求めて、そしてもう一つは、市東さんの土地強奪に見られるようなそういう事態に対して「農地死守」を高らかに宣言して闘う場とするような集会にしたいと思います。そしてもう一つは、今回の震災を逆手にとって11月参加期限を前に急速に高まっております「TPP参加」に対して絶対反対を、集会の名のもとに確認をしたいと思います。

11427s_2  福島の地においては、彼らが作ったところの警戒区域、その中に牛が3500頭、豚が2万頭、鶏が44万羽、これらを放置せざるを得ない状況を醸し出したわけです。この地域から離れたところで死に絶えた牛や豚から放射能が検出されたという形で出荷制限がなされ、あるいは市場に出しても半値にしかならないような状況が醸し出されている。今日、ここに駆けつけた福島の果樹農園の人もしかりです。

 明日どうやって営農を続けていくかというところまで追い込まれて、自ら命を絶った人もおります。こういう人たちにほんとに1歩でも2歩でも近づくような闘いを我々はやはり構築しなければならない。

 これは福島の地で作られた電力が東京や関東でぬくぬくとその恩恵に与って、その痛さや苦しみをほんとに知らない人。あるいは沖縄の基地の犠牲を文字通り日常の中でも忘れ去って生活をしている我々の姿。このことを今一度ほんとに捉え返す必要があるんじゃないか。

 農民は土地を持って、あるいは、牛や豚、果樹を背負ってほかに行くことはできないんですよ。それで、「出荷したらダメだ」、「この牛をこっちに移動したらダメだ」、こんなこと言われたってどうやってやっていけばいいのか。それに飼育している人にしたって、毎日糞尿はでるわけですね。「その糞尿を捨てたらダメだ」。あるいは「絞った乳は出荷できないんだから」。それをどこに捨てるんだ。どうやって処分するんだ。

 11109_3 その地に生きて立った牛や豚や鶏は、殺傷したり、あるいは共食いしたり、飼っていた犬の餌になったり。それを見る飼育してきた農民はどういう心境になるのか。20頭、30頭飼っている酪農家の人はね、1頭、1頭、名前を付けて、それを識別できるように、自らがもう家族の一員として飼っていたそういうものをね、今ここで自らの手によって死に至らしめなければならないという状況を作られたときに、そしてほんとにその人たちが自分で作った原因じゃなくって、降って湧いた人災によって作られた原因の元で、それを強制されるということについて、我々は同じ農民として、このことを許してはいけない。もう、前の集会で言いましたけれど、涙はつき果てた、もう怒りしかない。怒りをほんとに闘いに転嫁して、自分たちの生活、あるいは動物を飼育していく必要があるんだということを我々に突きつけているというふうに思います。

 ですから東北の、とりわけ福島の農民、あるいは漁民、そして波によって工場がなくなり、あるいは放射能によってそこに住めなくなり、会社が倒産し操業ができない、あるいは会社経営できないという形で放り投げられた労働者と一緒になって、今、手を取り合って戦わなければならない状況ではないでしょうか。

 それを逆手にとって、今、文字通り農業特区とか生産特区とか言われてますが、我々にとって原発とはなんだったんだということをもう一度捉え返す必要がある。ヒロシマ、ナガサキの中で苦しみ、差別され、排外主義のもとに生活を余儀なくされて、我々の闘いが原発の中で大きく挫折し、誘致させたその痛恨の反省の上に立って、今度こそは負けられないわけですよ。ほんとにこれを廃炉にして、それだけじゃない、これを作った奴らに徹底的に責任を負わせる、そして責任をとらせる、そういう闘いを作っていかなきゃあならない。

 三里塚の地に何ども訪れた、つい先日亡くなられた坂井留吉さんがね、「原発は人間破壊や放射能製造工場なんだ」と、そういう形で原発を看破しております。やっぱり、彼はその先頭に立って、死ぬまで闘い抜いて、戦い半ばで、今一番高揚しようとする時に亡くなられたその苦しみ・悔しさをね、我々は引き継いでいかなければならないのじゃないか。そのことも今日、訴えたいと思います。

 そういう中で、こんにち登場した野田内閣は、単に今までを継承していくだけでは最早できないというかたちで、大反動の渦の中に飛び込んでいくだろう、大反動の政策を打っていくだろう。労働問題についてもそうだ。農業問題についてもそうだ。政治問題についてもそうだ。まさしく、原発問題については再稼働を許し、そして原発輸出についても前向きに検討していかざるをえない。あるいは沖縄の基地については日米共同声明の強化、そして辺野古の推進という形でどんどん推し進めてくるだろう。原発による経済不況の中で大増税を民衆に、国民に押し付けてくる。そういう形できた、そうしなきゃあならんと、そのためには、超反動の政治や体制を階級に対して生み出していかざるを得ない、そういう中にはいってくるのじゃないのか。

 11109_4 それが三里塚の地においても本年度、現れてきているわけですね。3月の後、5月、高裁における50人という大量逮捕。反動逮捕です。そんなことが世の中にあっていいのかという形で、我々があきれるほどの問題ですよね。彼ら自体が言う「想定外」の事態だったという、だけど、もう「想定外」なんてないんですよ。我々の闘いの中で「想定外」なんて絶対にありえないんですよ。ですから、50名の逮捕、あるいは8・6の中での現闘本部の破壊、これはありうると我々は構えて闘い抜いたわけですけれども、やっぱり、こういうことをやらなければ支えきれないということがあるんですね。関西の生コンの大弾圧、闘うものに対して刃をもともっと強くそうしたものを出してくるだろう。

 しかし、これは彼らの文字通りの弱さの顕れですよ。福島についてもそうです。沖縄についてもそうです。三里塚についてもそうです。そして根はみな同じなんですよ。そのことを我々が闘いとってね、もう、撃って、撃って、撃って、撃ってでてね、攻勢的に闘い抜いていけば、これは絶対勝てるんですよ。そしてそのことについて民衆が、そっぽを向いているのかといったら、そうじゃないんです。そういう政治を打つ政府に対して、みな、そっぽをむいているんです。このことについては紛れもない。今、原発に反対かと言ったら90%以上の人がそうでしょう。・(不明)・・・の問題に関してもみんな関心もつわけでしょう。そして勇気を与えているのは三里塚なんですよ。これをもう一度、この闘いの中で、沖縄・三里塚・福島をこの闘いを、点を線にして、線を面にして、そういう闘いにしていったならば、必ず、三里塚も加速度的に勝利の展望が見えてくるわけですね。

 ですから我々は、けっして、本部が取られた、50名が逮捕されたというのは、闘いの中では有りうること、そしてそれを大きなテコにして闘い抜いていくことには変わりないわけで、実際、そういう闘いを展開していきたいわけですよ。

 そういう中で、やはり彼らの言ってきたのは国のやることは「国策なんだ」と、「それが国益なんだ」という形でしか言ってくるしかなかった。そういう形で民衆を愚弄し、騙し、そしてやってきたわけでしょ。「原発は国策なんだ」と、「成田空港も国策」、あるいは「沖縄基地は国益なんだ」と。

 しかしね、先の世界大戦も含めてね、それについて国民は誰もそれについて納得したわけでも、賛成したわけでもないんですよ。「それをやらなかったら、あんた、電気止まりますよ」「それをやらなかったら経済成り立ちませんよ」という恫喝の中でみんな押し込まれてきた。しかし、もうそんな嘘は消えたんですよ。「何が国策だ」と。「何が国益だ」と、「もう糞くらえだ」ととんでもない話のところまで来ているんですよ。   (つづく)

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2011年10月13日 (木)

10・9三里塚 主催者あいさつ  北原鉱治事務局長

11109  全国から集まられた共闘関係のみなさん。いつも10月は、萩原さんの畑で集会を開くんだけどあまり天候のいい日がなかったんですよ。ところが今日は晴れてる。三里塚闘争の勝利が見えてきている。

 今日の集会は、この1年間、とりわけ全国の労働者のみなさんにとってみれば、大変な年月だったと受け止めております。

 3月11日、天変地異が起きて大地震がやってきました。それと同時に各原発の破壊が起こったわけです。そして大量の原発の放射能が、日本列島を縦断するほどの大きな被害がでております。

 ここで私たちは何をすべきか。それを見たとき、ここに集まったみなさんは、ほとんどが日本の将来について、日本の国が太平洋の中において生き続けられるのだろうかという疑問が湧いていると思います。そのとおりです。

 11109_2 今の情勢を見たときに、彼らは権力争いばかりで、国民の命などはまったく念頭にありません。これはどういう現象でしょうか。

 反対同盟は足かけ46年にわたりみなさんと共に、若いものの未来、幼子たちの生命、こういうものを気遣いながら闘ってこれたと思いますけれども、今の政治を見ると、彼らの頭の中には労働者や農民の命などなんら考えてはおりません。いつも消耗品として彼らは見ているわけです。

 「他力本願」という言葉がありますが、「他力本願」の時代は終わりました。そして日本の国の人たちが本当に生き残れるのかどうなのか、よく見てみると日本列島に将来はもうありません。台風、津波、地震、そして原子炉の再稼働、これらが先行している限り我々の未来はない。

 反対同盟は46年間にわたり絶えずここまで闘ってまいりました。とりわけ8・6の政治があります。その日に夜討ちをかけて、全国の人々が心のよりどころであり、自分自身が生きるための闘いである、そういう場であった現闘本部を撤去するという暴挙に出てきたわけです。今日は弁護団も来ておりますが、あの8・6の現闘本部。封鎖されてから21年になります。ところがそれを破壊、撤去するという国家暴力ではなくて陰謀によって彼らは破壊、撤去したわけです。

 あの建物の中には、当時、1966年、みなさんの浄財によって建てられた、意見・交流の場であった初めての団結小屋をすっぽりとかぶさっていたんですね。それがマスコミや大衆に判ってはまずいということで、マスコミも入れないで、最も当事者であります反対同盟の立ち会いも求めることなく、彼らは根こそぎ破壊してもっていきました。

 11109_3 しかも破壊した後、1時間ぐらい経ったら私のところに空港会社から通知が来ました。「裁判所によって撤去した建物がある。従って取りに来い」ということなんですね。こんなふざけた話はない。法律に照らしても、代執行をやるときには関係者の立ち会いが必要なんですよ。それを省略している。そして跡形もないのに、その物件を取りに来いという。我々はそんな物件は受け取らない。元の現状に復しなさいと言ってやりました。

 こういうようなことがあるからこそ、46年間も闘ってきたということなんですね。彼らは、人間は相互不信だと、こういう風にしか受け取っていないわけですよ。もう今の政治はダメだ。

 人たちが本当に信じ合って、そして未来のために生きている限り戦わなければならないのではないでしょうか。

 反対同盟はそんなことには挫けません。何とかして勝利を握るまでは絶対に屈しないという信念はこれからも続きます。反対同盟は健在です。従って、未来を変えるために私たちは、1億3千万の人たちを安全な地平を築くよう総員が立ち上がるよう私は全国に訴えております。

 どうか若い労働者、学生の諸君。君たちの未来のために、君たちは闘わなければならない。大学で学ぶことも必要だ。だが社会がどうなっているかということをやはり考えてもらいたい。君たちの未来のために、闘いには年齢の差はない。生きるために闘いましょう。そして三里塚は必ず勝てる。その大きな展望を持って労働者のみなさんと国際連帯を作り、そしてまた日本中の国民が「他力本願」ではなく、ひとりひとりが闘ったら世の中は変わり始めます。

 どうか今日一日、天候もいいけど、まあね、今度は汗が出るかも、寒いよりはいいから頑張ってもらいたい。あいさつに代えます。

 

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2011年10月12日 (水)

団結街道廃止処分取り消し第5回裁判を傍聴して

111011

 昨日、千葉地裁で「団結街道廃止処分取り消し裁判」の第5回口頭弁論が開かれました。(上写真は、裁判後の報告会)

 この日の法廷では、何も明らかにしないで「原告不適格」と門前払いを迫る成田市、空港会社に対する追求が行われました。

 すでに団結街道が、通常の5分の1以下の安い価格で払い下げられていることが明らかにされています。

 一つは道路廃止のための「用途廃止」を定めた成田市の条例が、千葉市など多くの自治体では隣接する住民などの同意を書面で取ることが求められていますが、こうした常識的な規定が何もなく、「したい放題」であることが明らかにされました。しかし、それでもこれまでの空港用地の買収などの折には同意が取られているのに、今回は市東さんに同意を求めようともしなかったのです。

 もう一つは成田市から「乙9号証」として提出された「不動産鑑定意見書」には次のように書かれていたのです。「本意見書は、価格など基本的事項及び手順が不動産鑑定基準に則っていないため、不動産鑑定基準に則った鑑定評価を行なった場合には結果が異なる可能性があります。本意見書は前記で記載した依頼目的以外の使用及び記載されていないものへの開示を想定していません。本意見書の利用により万一利害関係を生じた場合、当方はその責めを負いません」と。一体、何のための鑑定書なのだ!

 弁護団からは、団結街道の天神峰部落の入会権の問題や、成田市は代替え道路で違いは6分と主張するが1日に10回以上使うことになり、その要する時間は1時間以上になる、営農妨害そのものだといった指摘が行われました。

 次回口頭弁論は、2012年1月17日(火)、午前10時半からです。

 111011_2 法廷後、弁護士会館で記者会見と報告会が、鈴木謙太郎さんの司会で行われました。

 最初に北原鉱治事務局長から挨拶です。2日前の全国集会の成功の確認とお礼が述べられたあと、「流れを見ていると、現闘本部と一緒で、市東さんの畑に対し判決前に代執行がかけられるんじゃないかと見ています」、「いよいよ決戦の時が迫っている」、「反対同盟は健在です」と語られました。

 111011_4 葉山弁護士からは、「道路の廃止については、一般・抽象的で普通の通行人に訴える利益はないんだという傲慢無礼な主張」、「現闘本部について地裁、高裁の判断(憲法違反だと糾弾)が出たんだからもう権利はないんだ」、あるいは「あの道路には入り会い権はないんだ」という成田市や空港会社の主張は不当極まるものだと弾劾されました。

 111011_5 一瀬弁護士は、行政訴訟、農地法裁判、第3誘導路裁判、そしてこの日の団結街道裁判の4つの裁判が多見谷裁判長のもとで継続されていることを指摘し、「かなり煮詰まってきている」、「多見谷を土俵の外にどう追い出すかだ」とされた上で「鑑定意見書」のデタラメさの尻尾をつかみ、廃止処分の違法性を暴いていこうと語られました。

 111011_6 遠藤弁護士は、行政訴訟が国や自治体にとってやりやすいように「原告適格」の問題をクリアすることの難しさがあるから、デタラメな証書が出されても平気なのだと指摘された上で、三里塚の裁判が千葉地裁全体の判断で行われているが、その訴訟指揮に最高裁の事務当局が睨みをきかせ、治安問題としてこの裁判を見ているのだと批判され、5・20東京高裁のような刑事弾圧がこれからも何回か必ず来ると指摘されました。

 最後に萩原進事務局次長がまとめの挨拶をされました。111011_7 2日前の全国集会を「内容的に中身の濃い集会だった」、「東北の住民とのあくなき連帯を求め、市東さんを焦点とする農地取り上げに対する闘いを高らかに宣言した」とされた上で、「決戦態勢に入ったその一環として今日の裁判があった」とまとめられました。そして「裁判所を包囲する陣形を作ることだ」、「我々の意識を変えないとダメだ」とされて、福島や成田での放射能測定のように、住民に言われないと動かない国や行政を弾劾し、「民衆を獲得する材料は一杯あるんだ」と訴えられました。

 111011_8 裁判所からの帰途、ついでだからと東京の経産省前のテントを訪問しました。午後2時過ぎということもあり、おられるのは私よりも年配の方々がほとんどでしたが、わずか1時間あまりの間にもいろいろな方が訪ねてこられます。

 27日から29日(10時~15時)には、「ついに・・・ 女たちは立ち上がり、そして座り込む」と「原発いらない福島の女たち」が100人の座り込みをされるそうです。http://tentohiroba.tumblr.com/post/10760742394#disqus(「経産省前テント」で検索できます)に新しいブログも先日立ち上げられました。

 みなさんも、立ち寄って見てください。地下鉄丸の内線の霞が関駅・A12出口を出たところにあります。

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2011年10月10日 (月)

10・9三里塚全国総決起集会に1045名

11109

 昨日、三里塚現地・萩原さんの畑で「原発反対・農地取り上げ阻止」を掲げ、11109_2 全国から1045名が結集して全国総決起集会が開催され、集会後、市東さんの南台の農地までのデモが闘い取られました。

 森田恒一さんの開会挨拶、北原鉱治事務局長からの主催者挨拶、11109_3 そして萩原進事務局次長から基調報告が提起されました。

 特別報告が、動労千葉の田中康宏委員長、沖縄から豊見山雅裕さんと川野純治名護市議、11109_4 関西から永井満さんと山本善偉さんからそれぞれ行われました。

 ここで福島から果樹農家のOさんが登壇し、三里塚に寄せる想いと原発と闘い農地を必ず再生させていくという決意が語られました。

 11109_5 鈴木謙太郎さんを先頭に北総の農民が登壇し、反原発、TPP絶対反対の農民アピールが語られました。

 市東さんの農地取り上げに反対する会のみなさんと共に登壇した市東孝雄さんから、11109_6 決戦を迎えた闘いに向けた決意と想いが語られ、反対する会を代表した発言が続きます。

 反対同盟顧問弁護団から葉山、一瀬、大口、遠藤、浅野の各弁護士から、8・6天神峰現闘本部破壊への弾劾と、重大局面を迎えた裁判闘争の決起が訴えられました。

 11109_8 婦人行動隊の鈴木加代子さんからカンパアピールが行われたあと、住民団体、共闘団体からの挨拶と決意表明が続き、団結ガンバローを行なって、反対同盟を先頭にデモに出発しました。

 明日は、千葉地裁で団結街道廃道化差止め、封鎖解除を求める裁判の口頭弁論が開かれます。11109_9 今から出かけますので、集会の基調報告などの詳しい報告は、後日、順次掲載していきたいと思いますのでご期待下さい。今日は、非常に簡単ですが、これで・・・。(写真はクリックしていただけると大きくなります。)

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2011年10月 7日 (金)

11日、団結街道裁判の傍聴を

 明後日の10・9全国総決起集会に向けて態勢を作っておられるみなさんへ。その2日後、団結街道封鎖解除を求める裁判の口頭弁論が開かれます。現地闘争と一体の闘いとして傍聴席を一杯にして反対同盟とともに踏ん張りましょう。

団結街道の廃道化差止めと封鎖解除を求める裁判

【とき】 10月11日(火)午前10時半

【ところ】 千葉地裁601号法廷

 傍聴券配布の関係で、開廷40分前までに千葉地裁1階ロビーにお集まりください。

 この団結街道の解除をめぐる裁判は、昨年11月から始まってすでに4回の口頭弁論が開かれています。ところが、そこで今だに反対同盟に訴える権利があるかどうか、原告不適格かどうか、裁判の入口をめぐって争われています。成田市側、空港会社側代理人の主張自体許せないことですが、この論議に決着を付け、裁判を進めようとしない千葉地裁裁判長の姿勢も断じて許されません。

 この間、東京高裁の5・20反動判決、あるいは行政訴訟・農地法裁判の多見谷裁判長、鈴木さん一坪共有地裁判の仲戸川裁判長の早期結審策動に見られるように、裁判所・司法は、国の成田空港完成・拡張の追い詰められた「国策」強行に軌を一にして、法理をかなぐり捨て、国家意志強制の機関となって三里塚に、三里塚闘争に襲いかかろうとしています。この意味からも裁判闘争は、今や三里塚現地闘争と一体の闘いであり、ひとつとしてその口頭弁論の場はゆるがせにできません。

 市東さんにとって生活と営農のなくてはならない道であり、地域にとって江戸時代以来の生活道路である道を、「空港」「第3誘導路」を理由に、それも「第3誘導路」計画が国交省によって認可される以前に、成田市が廃道を議会で決議すること自体が不法・不当であり、空港会社が封鎖することなど許されるものではありません。その上、市東さんや反対同盟に「原告資格がない」とは何という言い草か! 「国策」であればなんでも許されるとでもいうのか!

 今、国は、福島原発の事故の現状について何一つ解明されないまま、停止されている原発の再稼働にむけ大きく梶を切ろうとしています。「国策」だからと、こんな理不尽が許されるはずもありません。大きなうねりが、9・19明治公園の6万人を先頭に開始されています。三里塚においてこそ、この「国策」をかかげ、裁判所がその尖兵となる事態を断じて許してはなりません。

 10・9全国闘争の爆発のうねりを、直ちに、10・11団結街道裁判に、そして10・18行政訴訟・農地法裁判に、10・24耕作権裁判につないでいこうではありませんか。まずは10・11千葉地裁へ!

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2011年10月 5日 (水)

「成田ハブ化」への空港完成・拡張の新たな「国策」を許すな!

 今、日本は「3・11フクシマ事態」と極端な円高によって、先進国で唯一長期にわたるデフレに苦しんできた政治と経済が、ますます混迷を深め厳しい局面を迎えています。

 今年4月から8月の成田空港の旅客数と貨物取扱量はそれを反映し、回復しつつあるというものの旅客で対前年76%、貨物で同87%と、旅客はかってない落ち込みで、貨物は大幅に落ち込んだ08年、リーマンショックによる落ち込みに並ぶ落ち込みを記録しています。では、その前年である2010年度はどうだったのでしょうか。成田空港の旅客、貨物はいずれも2004年に過去最高を記録しています。貨物取扱量では世界1でした。その後、世界的な不況と08年のリーマンショックなどでの大きな落ち込み、低下傾向にありましたが、2010年には少し持ち直して、対04年で旅客7.5%、貨物10%の落ち込みとなっています。世界での順位は資料がなくわかりませんが、お隣韓国のインチョン空港にも抜かれました。しかし、「ハブ空港からの陥落」なのでしょうか。

 ここで海運の状況を見てみますと、同じ04年と10年の比較で貨物取り扱い量が、東京港で1.2倍、横浜港1.3倍、神戸港1.1倍に伸びています。世界的な不況とはいえ中国を中心としたアジアの隆盛がその伸びの原因であることは明らかです。ただ、この時期に世界3位から1位に上がった上海は実にこの期間に2倍に伸ばし、東京港の扱い量の7倍を扱っています。この時期に東京港は世界で20位から27位に、横浜港は29位から36位に転落しています。1980年に世界4位だった神戸港に至っては10年には50位以下の番外になっています。そして世界の上位1位から8位まですべて中国、シンガポール、韓国のアジアの港で占められ、9位に中東のドバイ、10位に初めてヨーロッパのロッテルダムが出てきます(11.8.30朝日新聞より)。ここで示されていることは、日本の「ヒト、モノ、カネ」の流れが、中国、アジア、世界の流れから大きく取り残されているということです。そのことへの日本の支配者による悲鳴が「アジアゲートウェイ構想(07年)」「新成長戦略構想(10年)」として叫ばれているのです。

 しかし、それでも成田空港の旅客と貨物が、04年より10%近くも減少していることは海運と同じようには説明がつきません。では、なぜでしょうか。

 国交省(航空局)は、日本航空の旅客数が世界1位になった1980年代、関西空港の工事を着工し、中部空港の計画決定に動き、全国100の地方空港の建設へとひた走りました。空港を作れば需要はついてくると当時彼らは豪語していました。しかし、地方空港の破綻は別に論じるとして、世界との「ヒト、モノ、カネ」の流れは、その彼らの思惑通りにはいきませんでした。ご承知のように関西空港が1994年に開港し、中部空港が2005年に開港しましたが、関西空港は今だに年間11万回(成田の半分)がやっとで、中部空港はそれにも届きません。両空港併せても成田空港以下なのです。そして両空港からのJAL、ANAの欧米便は全て撤退され、国際ハブ空港としての位置さえ失っているという惨状にあります。

 「尖閣列島での漁船衝突事故」によって遅れていますが、国交省は中国との自由化交渉を必死で進めています。そこで国交省は、関空と中部の自由化ですまそうとしましたが、成田空港の自由化を求める中国は、関空・中部なら交渉を打ち切ると迫り、現在、成田空港の自由化を軸に交渉が継続されていると言われています。ここに示されていることは、海運と違い、時間的制約をもつ航空の旅客と貨物にとって、極端な東京一極集中が進む日本の空港は、首都圏、具体的には成田空港でなければならないということなのです(羽田の国際化が言われますが、国内線の最大の拠点として国際線の枠は、6万回しかなく、やはりとりあえずは成田空港なのです)。この好対象として、「関西経済の地盤のかさ上げ」のために関西空港が作られたはずですが、1994年以降もとどまることなく関西経済の地盤沈下は続き、現在、大阪空港との統合による関西空港の救済、橋下大阪府知事によってカジノの導入やリニアモーターカーの導入での関西空港へのテコ入れなる暴論が出てくる始末です。

 しかし、成田空港の旅客と貨物は落ち込んでいます。それは、成田空港が狭隘で自由化するための容量をもたないという決定的な欠陥があるからです。国交省は、2000年代に入って自由化に梶を切りましたが、関空・中部で成田空港の狭隘という欠陥は乗り切れるだろうと見誤っていたのです。しかし、そうならなかった。そして2002年の暫定滑走路の北延伸と併せて成田空港の完成と拡張へとやむなく梶を切り、新たな「国策」として2003年市東さんの農地強奪の方針を掲げたのです。それ以降の流れ、国による攻撃の激化は、昨日のブログに掲載した通りです。

 国交省官僚たちの政策の誤り、戦略のなさの故に起こった航空政策の完全な破綻、その結果として現れた成田空港の現実(04年に比して1割もの落ち込み)の解決として、成田、三里塚、北総の農民、住民のくらしと営農、そして人権を当然のごとく破壊することが、市東さんの農地の強奪がどうして許されるでしょうか。その不当性は、この間の裁判における法理をも無視したあり方にも現れています。

 同時に高度経済成長の中で、住民の生活や想いを無視して暴力的に成田空港建設を進めてきた46年の歴史に現れた国交省官僚たちの思いあがりと誤りこそが今日の事態を招いたといっても過言ではありません。三里塚農民と反対同盟のこの46年にわたる闘いこそ、こうした国交省官僚と国家権力の「国策」を掲げた「政治」の誤りを実力で糾弾し続け、今日の事態を生み出す形でその正義を世に示したと言うことができるでしょう。同じ時代、1960年代の国の核政策として強行された原子力発電所の建設が、今日のフクシマの事態を招いています。

 目前に迫った10・9三里塚全国総決起集会とは、この国と官僚による「国策」を掲げた「政治」を弾劾し、福島・沖縄・三里塚を結ぶ新たな人民のうねりを生み出す大きな場となろうとしています。みなさん。全力で10・9三里塚へ結集しよう!

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2011年10月 4日 (火)

10・9三里塚へ行こう!

086

第3誘導路粉砕・市東さんの農地を守ろう! / フクシマ連帯・原発再稼働許すな! / TPP(環太平洋経済連携協定)反対! / 軍事空港粉砕・改憲阻止!

 10・9全国総決起集会

11109 【日時】10月9日(日)正午

【会場】成田市東峰 反対同盟員所有地

【主催】三里塚芝山連合空港反対同盟

 すべてのみなさん。闘いが始まって46年目を迎えた三里塚闘争が、また再び重大な決戦局面を迎えています。

 それは、GNP第3位という経済大国日本が、アジア、世界の航空事情に完全に取り残され、日本の首都圏空港が機能しなくなっていることに完全に追い詰められたがゆえに、自公政権から民主党政権に引き継がれてもなお修正することもなく、むしろ民主党政権になってストレートに「羽田国際化」「成田・羽田一体運用」「成田のハブ化」を新たな「国策」に掲げ、成田空港完成・拡張にすべてを賭けて三里塚農民、三里塚闘争の根絶を目指して襲い掛かってきています。

 具体的には、2014年成田空港の離発着の30万回化であり、世界の国際空港で「唯一の夜間使用禁止」をキャンペーンし、24時間化をさえ射程に入れたものです。それは反対同盟の叩き出しはもとより、内陸空港特有の地域社会への騒音問題を始めとしたくらしと営農の破壊を始めとした深刻な事態を生み出すものであり、断じて許されません。いかに「国策」を掲げようと、三里塚農民の営農とくらし、命を懸けた46年にわたる闘いが成田空港の完成を未だに半分も阻止し続けてきたことによって、もはや「国策」として破たんし、少なくとも「見直し」論議が開始されるべき失政であることは言うまでもありません。46年もかかって完成できない「国策」とは何なのかなのです。県民の9割が基地撤去を願う沖縄の闘い、あるいは未だに方向性すら見いだせない原発事故による生活破壊を強いられている福島の現実、これらも「国策」の破たんを示して余りあります。

 人民に「国策」の破たんを押し付け生活と営農、生きる権利を奪おうとする国家権力に対し、今こそ、この新たな三里塚の決戦を闘いぬく中から、沖縄、福島、三里塚を貫く巨大なうねりを生み出し、この国を変えていこうではありませんか。

 086_2 成田空港の自由化への方針転換を背景とした2002年の暫定滑走路供用開始強行、2003年市東さんへの農地強奪の意図の発表にはじまった国家権力による「国策」押しつけの攻撃は、ついに昨年2月25日の仲戸川裁判長による天神峰現闘本部への解体に向けた反動判決にその正体を露わにしました。昨年3月、成田市議会による団結街道(市道)閉鎖決議の強行。5月、団結街道閉鎖に向けた市東孝雄さんなどの逮捕攻撃、そして6月27日の団結街道閉鎖、7月の市東さんの南台の畑のフェンス囲い込み。第3誘導路の工事開始。そして今年の5月20日の東京高裁井上裁判長による天神峰現闘本部への仮執行宣言付きの反動判決の強行と裁判所内にいた50名もの人々を不当に逮捕するという暴挙。そして8月6日の本部の破壊・強制撤去の攻撃。そして裁判所を使嗾した市東さんの農地をめぐる裁判を始めすべての三里塚裁判で、法理を無視し、三権分立の憲法をも無視した早期結審・判決への攻撃が激化しています。

 またこの数年での東峰、横堀、木の根などの一坪共有地への裁判による強奪攻撃や、A滑走路の「4000メートル」完全使用のための新たな誘導灯建設を口実とした岩山大鉄塔などに対する、もはや亡霊でしかない「成田治安法」を使った破壊攻撃の策動などもそうした動きの一環です。

 他方、暫定滑走路の2500メートル化(北延伸)の強行と供用開始(10年4月)、22万回化の強行と夜間飛行禁止の短縮(10年3月28日)、アメリカとの自由化に向けた航空協定の締結と羽田国際化(10年10月)、昨年末からの2013年、27万回化に向けた韓国、香港、シンガポール、タイ、ベトナムなどとの成田空港自由化の航空協定締結、同時に中国をはじめとした各国との自由化に向けた交渉が継続されています。そして暫定滑走路の「へ」の字部分の停止信号の廃止と、この10月からのA滑走路と暫定滑走路の同時離陸の許可強行など、安全性を無視した施策が強行されています。しかし、こうした攻撃、そして「2013年 27万回化」「2014年 30万回化」のすべてが、市東さんの南台の畑の存在、「へ」の字問題の未解決によって「絵に描いた餅」となっていることが現実です。

 私たちは、今こそ、この現実を守り抜き、市東さんとともに、南台の農地を、市東さんの農地を守り抜こうではありませんか。市東さんの行政訴訟・農地法裁判における理不尽・デタラメ極まる現状が、何よりも彼ら国家権力の展望のなさを赤々と示しています。

 まさに三里塚闘争46年の闘いの歴史の真価をかけて、三里塚反対同盟とともに、10・9全国総決起集会を成功させ、決戦への態勢を作り上げていこうではありませんか。

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2011年10月 3日 (月)

「さようなら原発 in 関西」に1200人

11102

 昨日、いたみホールで、「さようなら原発1000人集会 in 関西」が、1階席を満杯にし、2階席もわずかに空席があるだけの1200人の参加で開かれました。

 11102_2 9・19明治公園での6万人が結集した「さようなら原発」集会を引継ぎ、その呼びかけ人である落合恵子さんの講演を柱にした、「1000万署名」を実現し、脱原発への道筋をつけようという集会でした。

 集会は、ラジオのパーソナリティを務める小山乃里子さん(右写真)が司会を勤め、最初に集会実行委員会を代表して原発の危険性を考える会代表の中川慶子さんが主催者の挨拶をされました。

 11102_3 続いて原発労働者の健康問題などに長年関わってこられた阪南中央病院副院長の村田三郎医師が、福島原発による広範な食品、環境への放射能汚染、内部被爆の問題、子どもへの20ミリシーベルト基準の弾劾などを明らかにされました。現在福島ですすめられている被曝調査が、ABCCによる広島での調査と同様、健康への調査とは言えず、責任と補償を明確にした健康調査と医療でなければならないと指摘されました。そして予防策は被曝をしないことだと断じられました。

 11102_4 衆議院議員の服部良一さんが登壇し、国会報告を行い、脱原発に向けて共に闘う決意を明らかにされました。

 ここで休憩に入り、ロビーに出ましたが、人の多いのにびっくり。1000万人署名の呼び掛けや、落合恵子さんの著書の販売の声やいろいろな案内が錯綜し、すごい騒がしさでした。

 後半で落合恵子さんの登場です。落合さんは、第5福竜丸のことを知っていたし、スリーマイル事故、そしてチェルノブイリの事故を知っていた、11102_5 何よりもチェルノブイリの事故で運動をいろいろな人と共にし、反原発を言ってきたのに、今回の事態を止めることができなかったことへの様々な想いを語られました。そして栗原貞子さんの「産ましめんかな」や、今年の6・11広島での集会での4歳の子どもさんを持つ母親の発言を紹介しながら、もう「知らなかった」「知らされなかった」「やったけれどもダメだった」といった言葉では済まされない。退路を断ってひとりひとりが自分の出来ることをしよう。福島に関西で応えるには、若狭の原発を止めることですと。そしてその力を集めようと、呼びかけられました。11102_6 1時間あまりにわたる軽妙なその語り口が、参加者ひとりひとりの胸にしみとおっていっているようでした。

 最後に主催者からの閉会の挨拶で、政府に訴え、その責任を問う福島の中学生の言葉を紹介しながら大人の責任が呼びかけられました。

 こうした取り組みを重ねながら、この国で、そして世界で反原発、脱原発のうねりを生み出し、実現させていくことが大切だなと想いながら会場を後にしました。

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2011年10月 1日 (土)

今週の産直野菜(10月1日)

11101  先ほど三里塚から産直野菜が届きました。今日は、早い。

 小玉ねぎ、じゃがいも、さつまいも、ししとう、ピーマン、しいたけ、なす、冬瓜、葉生姜の以上9品です。

 夏前の予想を裏切り、しかも台風15号の被害の後にしては、立派な野菜たちが届きました。といってもゴーヤがやられ、「野菜だより」にあるように移植したばかりのレタス、ブロッコリーなどこれからが楽しみの野菜たちがかなりやられたようですね。

 しかし、昨年、やはり台風で育つ前にやられたしいたけが早くも届きました。すぐ焼いたら美味しいですよ。葉生姜は、甘酢に漬けたのが大好物ですから、このところ喜んで食べています。葉っぱは冷蔵庫の臭い消しで役立っています。さて、冬瓜は去年どうやって食べたかな???

 みなさん、10・9三里塚へ行きませんか。そして、10月30日の芋ほり大会(収穫祭)も楽しいですよ。畑を見物しながら、農作業の苦労話や、作物の出来具合を現場で聞くのも、勉強になりますよ。芋ほりの後の懇談と食事、子供たちには大人も混じったいろいろなゲームとほんとに盛り沢山です。詳しくは関実事務局までお問い合わせください。

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