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2011年9月15日 (木)

なぜ、今、「成田空港」なのか?

 上海港 世界一

 11830 8月30日の朝日新聞に大きな記事で「上海港 世界一」というのが載りました(右写真)。2010年の世界の港のコンテナ取り扱い量で上海港が世界一になったという記事です。しかも、上位8位までが、中国、アジアの港で、9位が中東のドバイ、10位にやっと欧州のロッテルダムがでてきます(写真をクリックすると大きくなって見やすくなります)。

 日本は? 東京港が27位にやっと出てきます。2004年が20位でしたから、大変な下がりようです。1980年世界4位だった神戸港は、2004年には32位まで下がったのですが、2010年には何と番外(50位以下)です。ちなみに横浜港は、29位から36位に転落です。

 GNP世界第3位の経済大国日本が、海運の世界で、完全にアジア(世界)の蚊帳の外にいて、しかも転落が下げどまらないことが如実に示されています。

 これが「アジアゲートウェイ構想」(2007年、自公・安倍政権)、「新成長戦略」(2010年、民主党政権)で、「ヒト・モノ・カネの流れを取り戻さなければならない」と叫ばれた原因です。

 保護主義の国交省

 このことは航空業界の現実にもそのまま当てはまります。同じ国交省が管轄しているのですから。日本は、1960年代から80年代、正に高度経済成長による驚異的な経済発展を謳歌していました。1983年から1987年、航空旅客輸送量で日本航空JALが世界一になります。成田空港が開港し、「需要は作るもの」と豪語していた国交省は、関西国際空港(1994年開港)、中部国際空港(1996年決定、2005年開港)を作ればいいのだとその保護主義的な航空政策を見直そうとしませんでした。世界のオープンスカイが進む中でも「航空の自由化といっても実益のないことだろうというのが基本にありまして」(1985年、西村航空局長)と言ってはばかりませんでした。後に成田空港会社社長になる黒野(現NAA顧問)は、成田空港の自由化を拒否する根拠として狭隘さを原因として「新規参入は難しい」(1986年、当時航空局課長)とし、国交省は実際にも安全性の審査を複雑にし新規参入を阻んでさえいるのです。そしてNAA社長になった黒野は「日本にハブ空港はいらない」(2000年)とさえ表明したのです。

 しかし、成田空港の狭隘さによる現実と、関西空港、中部空港の惨状は、最初に挙げた海運業の惨状とも相まって、アジアゲートウェイ構想や新成長戦略の流れを生み出します。アジアゲートウェイ戦略会議の航空部門の座長を務めた伊藤元重東大教授は、この国交省の頑固なまでの保護主義と「政策の遅れ」を苛立ちを持って「07年5月に出された政府のアジアゲートウェイ戦略会議の報告書では、『オープンスカイ政策』という文言を入れることに国土交通省が難色を示した」(伊藤著『日本の空を問う』07年、日本経済新聞社)と暴露しました。伊藤は、さらに同書の中で、JAL・ANAの航空会社保護をその政策の軸に据える国交省のあり方に、「こうした意見の根底には、日本の航空会社の路線を増やすことが国益であるというような考え方が見え隠れする」「航空利用の国益は、企業の利益や省益ではなく、利用者や地域の利益を中心に考えるべき」と揶揄しています。

 成田空港をめぐる政策転換

 こうした経済財政諮問会議(当時)など財界の苛立ちを背景に国交省は2002年暫定滑走路の供用開始の強行を転機に、成田空港の自由化のための成田空港拡張、完成に向けた政策転換をはかったのです。それが市東さんへの2003年から始まる農地明け渡しを求める攻撃の開始として現れたのです。

 「世界的な大不況による航空産業の低迷は、ハブ空港から陥落した成田の危機をますます促進しています」とこの間、よく言われます。しかし、そうでしょうか。冒頭にあげた海運業界の現実が示すように、中国を軸にしたアジアの経済の巨大化の流れに、その巨大な「ヒト・モノ・カネ」の流れに、経済大国でありながら日本だけが独り乗り遅れているということの結果ではないのでしょうか。

 海運業の遅れは、昨年「ハブ港湾構想」が打ち出され、東京港と阪神港がハブ港湾に指定されましたが、もう取り返しがつかないでしょう。正に追い詰められた国家権力は、航空政策の転換で遅れを取り戻そうとしているのです。関西空港や中部空港は合わせても成田空港の規模にも追いつかず、しかもその8割以上が中国、アジアの路線しかなく、欧米にはJALもANAも飛んでいないという地方空港に転落している惨状にあります。国策として航空政策を立て直すには、東京一極集中が極度に進む現実の中で、首都圏の航空容量を拡大することにしか方策は成り立たないことがこの10年余の現実の中で明らかとなっています。そのことが、民主党政権に「羽田国際化」、「成田・羽田の一体運用」を決断させたのです。しかし、羽田の拡張はこれ以上は無理だと言われています(スーパー港湾に指定した東京港を阻害するからです)。また首都圏第3空港が言われて久しいですが、これも引き受けてくれる自治体が無い以上「絵に書いた餅」となっています。結局、国交省は成田空港を自由化するための拡張、完成しか選択肢はなかったのです。

 しかし、この成田空港の拡張、完成には地元の受け入れと、三里塚闘争の根絶という2つの問題が立ちふさがっています。2010年3月、暫定滑走路の北延伸で2500メートル化して供用開始をした時、効率をあげるために当然のように暫定滑走路を着陸専用にしました。しかし、これは大変な騒音被害が出てしまい地元の猛反発を受けました。拡張どころではありません。わずか1ヶ月余でこの「着陸専用」を中止せざるをえませんでした。今は、騒音対策を頭におきながら間隔や、離陸機も使うことが行われています。

 国交省は、2013年までの暫定滑走路の「へ」の字問題の解消と第3誘導路建設を前提に、中国をはじめアジア各国との成田空港の自由化に向けた航空交渉を次々と行い、すでに今年に入って韓国、シンガポール、香港、ベトナムなどと協定が結ばれています。それが「2013年には27万回化、2014年には30万回化実現」というキャンペーンの中身です。それは三里塚反対同盟の解体、闘争根絶を前提としています。それが昨年からの開拓道路の閉鎖、市東さんの南台の農地のフェンスによる囲い込み、そして天神峰現闘本部の破壊・強制撤去の攻撃であり、市東さんの農地強奪に向けた行政訴訟・農地法裁判の早期結審・判決策動の攻撃を、正に「追い詰められ」てかけてきたということなのです。

 一昨年9月から、6ヶ所の一坪共有地に対して「売却を求めて」国が提訴し、先日、東峰の団結小屋が和解して自主撤去すると報じられましたが、これも成田空港完成(つまり空港用地内の東峰部落の更地化、凍結されている横風用滑走路の着手など)を国交省が追及していることの現れです。

 地域の破壊を招く成田空港完成

 もともと成田空港の建設については決定された1966年当時の非民主的な経緯と、農民から農地を強奪するという問題と同時に、内陸にこれだけ狭い範囲の空港建設による騒音問題の発生をはじめとした地域の破壊という問題が各方面から指摘されていました(例えば、『成田空港って何だろう』松田秀雄著、1981年 (株)技術と人間出版)。

 アジア、世界からの遅れを取り戻そうとする帝国主義としての衝動から進められる成田空港の完成は、とりあえずは地元を抱き込むために騒音問題を根拠とした「夜間飛行の禁止」を維持するでしょう。しかし、その意味で暫定滑走路の供用開始時点では、「A滑走路との差別化」として朝と夜、30分づつ使用時間がずれていたのですが、2009年春、その「差別」は住民への何の説明も無くとっぱらわれました。そして『羽田 VS. 成田』(2011年 マイコミ新書)をはじめ多くの本で書き立てられているように、「世界の国際空港で夜間飛行禁止は成田だけ」の大合唱があり、「30万回化」による騒音問題の強制(地元はすでに受け入れていることにされています)の後には、24時間化(これも「地元の声」と言われています)が強行されることは時間の問題でしょう。

 すでに萩原進さんの証言にもあるように、現在でも暫定滑走路の22万回化は、住民(農民)にとって恐怖を感じさせる事態となっています。それが30万回化、そして24時間化となればどういうことになるか、指摘するまでもないと思います。それは、今とは比較にならない広大な地域で、人が住めない、暮らせない、農業ができない破壊が、北総の大地で確実に進行します。

 沖縄で、90%の県民が基地撤去の声を上げているにもかかわらず、「国策」の名の下に辺野古新基地、高江のヘリパッド建設を強行しようとする国です。「安全神話」によって農民と漁民から暮らしと生業を原発事故、「死の灰」放射能によって奪う国です。そして福島の事態が何一つ解明もされないのに、全国の原発を再開しようとする国です。その国が、アジア、世界からの航空政策の立ち遅れを理由に「成田空港完成」「成田の自由化」の「国策」を振りかざし、三里塚反対同盟に、東峰の住民に、北総の住民に襲いかかろうとしているのです。これが国交省の「政策転換」の実態です。

 三里塚闘争の45年は、こうした終始一貫した「国策」による住民無視、生活破壊の攻撃をはね返し、押しとどめてきたのです。そのことに追い詰められた国が、今、総力で三里塚闘争の破壊、市東さんの農地強奪に一切をかけて襲いかかろうとしているのです。どうして許せるでしょうか。

 9・18三里塚関西集会を成功させ、10・9三里塚現地へ駆けつけようではありませんか。そして福島、沖縄、三里塚を結び、この国を変えていこうではありませんか。 

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