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2011年9月21日 (水)

3・11ですべてが変わった  萩原進さん(その1)

11918

「3・11ですべてが変わった」

9・18集会 三里塚現地からの報告と決意

             三里塚反対同盟事務局次長 萩原進さん

 暑い中、ほんとうにご苦労様です。

 日本列島どうなってるのかというぐらいに、・・・。地震や津波に学者は「想定外」とかなんとか言いますけれども、天候だけを見てもね「想定外」なんてものはないという情勢の中に入ってんじゃないのか。ましてや闘いが「想定外」なんて絶対にありえませんからね。

 11918_2 そういう意味であまりにも自然に対して、人類が調和していくって言うんじゃなくって、文字通り挑戦して、それを破壊した、その結果が今、反逆されているというね、そういう情勢にあるんじゃないか。これが大きくは「3・11」という東北における災害という形で、はっきりと我々に突きつけたという風に思います。このことによって政治や経済や、あるいは社会や人間の生き様そのものが、ほんとに一変したんじゃないのか。

 もう一度、我々は生きるということ自体を、どういう形で考え、あるいは実践していかなければいけないかということを捉え返すほんとに重要な時期じゃないかという風に思うわけですよ。

 ですから空港だとか基地だとか、あるいは原発だとか、そういう「国家のため」だとか、あるいは「人民のため」だとか、「国策なんだ」と言われてきたこのこと自体がね、どういうことなんかということをほんとに今、捉え返す必要があるんじゃないか。

 闘うものの絆を固めよう

 今度、野田内閣になって、まあ、「初めて千葉県から総理大臣を出した」というかたちで、千葉県人が浮かれ上がっているかどうか知りませんけれども、今の内閣にしても、今までのやり方とか、常識でやっていこうとしたって、絶対に出来えないんですね。もう国家的に経済が破綻しているし、政治の運営もねじれちゃってるし、社会的に国民は政府を信用していないしね。どうしたらいいのかと言ったら、やっぱりとてつもない、突拍子もない、あるいは非常識な、わかりやすく言えばヒットラーみたいなね、そういうようなやりかたを遂行していかざるを得ないんだと。まあ、この大阪の橋下みたいなやり方が、その典型として、模範として出てくるんじゃないのか。そういう政策が起こってくるだろう。

 もちろん野田なんてのは三里塚の闘いなんて知りませんからね。まあ、文字では読んでいるだろうけれども、その内容については知らない。そして今置かれている立場から言ったら、もう三里塚の闘いを潰さなければならない、あんなことがあったら自分は延命できない、そういうところにあるわけです。こっから出発していくとなると、三里塚の闘いというのは、彼らが必死になって延命するためには、強権的な策動を連発してくるだろうという風に思うわけです。

 この例として、前段でやった鳩山から続いてきて菅まで来て、どっちも行き詰まって出てきた形が、先ほど沖縄の人たちから言われたように、高江に対する攻撃だとか、辺野古だとか、そういう形で出てくるし、関西においては関生の労働者にかけられた弾圧だとか、あるいは三里塚の農民を先頭とする東京高裁で50人が逮捕されるという。11520 裁判所の中で50人が逮捕されるというのは大きな問題なんですよ。だけどもマスコミは、ほんとに押し込んで、押し込んで報道しなかったね。ここにも山本先生がいますけども、90の人から20歳の人まで一緒に。あすこにいること自体が悪いんだということでしょう。

 そこにあったことはどういうことかというと、その前にデモをしてはっきりしてますけれども、福島の農民を先頭とする住民が、福島の産物を食べてくださいという形で霞が関でバザーを開いてるんですよね。そういうところに脇を三里塚の農民が通るわけですよ。そして裁判所でそういう形で闘い抜く。先ほど全国連の人たちの挨拶がありましたけれども、あらゆる闘う人たちが裁判所の周りで、大きく、国会闘争もそうだけれども、宣伝をしているわけですね。そういう人たちが大同団結なされちゃったら、非常に恐ろしいわけですよ。そういう中で、裁判所の中で篭城したわけじゃないんですね。向こうが跳ね上がって、恐怖を抱いて「不退去罪」みたいのをくっつけて逮捕していくというね、先程も言いましたけれども、おおよその常識の尺度では測れない、事前にはわからないことが実際に起こってくるというような状況がそうだろうと。

 1186 それの典型的な事例として、本部撤去で、夜明け前3時から彼らが動き出して、ほんとに真っ暗な中、それを取り壊し作業を行なっている。やはり、その建物が三里塚でしかない「成田治安法」という法律で、そこに人が住んじゃいけないという法律なんですね。そこに住んでた人間は3キロ以上離れたところに住めという、こんな法律。こんな法律が通用するのか、日本の中でそんなものがあるのかという。そのために封鎖した。そして封鎖して何十年経ってね、今度は邪魔だから取り壊すんだと。こういうやり方がまかり通るなんてのは、ちょっとおかしいというよりも、これはもう法治国家じゃないし、民主国家じゃないし、「三里塚だからやっていい」という話じゃないでしょう。こんなことを許していたらとんでもないことになる。

 だから今度の野田にしても、日米の関係を強化していくんだ、安保条約は重視するんだと、そして辺野古の問題については協定を守っていくんだと、そこまで今、踏み出してくる。で、増税するんだという形でやってくるんだけれども、だったら我々も意識変えましょうよ。先ほど、原子力の火を消せと、当然です。もう、あらゆる、どんな人たちでも、どんな社会でも、どんなとこでも、原子力はもたないという形になってくるわけですけれども、その上で、東電にまかせて、ここは関電ですけれども、我々にとっては東電ですよね。あんな奴らに電力会社を任せることはできないんですよ。東電も資産を全部なげうって倒産しろと、お前たちには電力会社を任せられませんよと。一切関係切れと、そして責任とれと。

 そして増税する前には、それを許した裁判官、あるいはそれから泡銭をもらった政治家、あるいは市町村の長、また利権屋、全部、今までのやつを吐き出せと。それをやって足らなかったら、我々も税金でもなんでも払いましょう。しかし、そういう責任をいっさい取らないんじゃないのか。こんなことを闘いの中で我々は主張すべきですよ。悪いのは、電力を使っている国民がしわ寄せを受けるんだ、増税をして払うんだと、全部現場の人たちの責任になっちゃうんでしょう。JRの運転手が追突したら、運転手が全部責任をとらされるわけですよ。あるいは作業現場でもそうだ。だけども、その方向性を作った親会社の社長だとかなんだとかは全然責任取らないですよ。

 だけど東電は民間会社ですから。独占会社ですから、儲かるようになってるんですよ。そして儲けた金で政治家に献金したり、そして地域を買収したりしてやってきたわけでしょう。その結果がこういう風になって、安全だ、安全だと言っている。何が安全なんだ。福島の人たちは今被爆して、どうなってるのかというところまで来ているわけでしょう。ほんとに血の叫びを今流してるんです。そしてその責任を取れと。補償をもらったってしょうがないんですよ。あるいはその土地をもう一度きれいにして返しますといったって、今置かれている立場で、もとに帰りたくても帰れない、悶々とした半年の間で、身体も壊し、精神的にもやられて、子供や家族もバラバラになり、部落がなくなり、町がなくなって、役場までなくなって、そしてどうなるのかというところに来ているのに、増税だ、あるいは原子力をもう一度再稼働するんだという、こんなことを許していいのか。

 そういう根がね、我々がやられている三里塚の根も同じだし、沖縄がやられている姿はほんとに同じなんですね。ですから、なんとかして、闘う側で、この一つ一つをがっちりと絆を固めていきたい。  (明日につづく)

 

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