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2011年9月22日 (木)

3・11ですべてが変わった  萩原進さん(その2)

 そのためには沖縄に三里塚が行ってやるのが一つ。しかし、その間に関西があります。関西の人たちが沖縄に行って、沖縄の人たちとはなしし、あるいは沖縄の人たちと一緒に手を組む。そして関西の人たちは三里塚と手を組む。そういう「間の架け橋」というのも非常に必要なのですよ。11918 これまた間の四国、九州の人たちがまた沖縄、そして関西と、こういうだんだん、だんだん点が線になっていくようなね関係をね本当にこれから緻密に作っていきましょうよと思うんですね。

 これが今本当に出来る絶好のチャンスなんです。彼らは玉虫色で物事を解決することなど絶対に出来ない。

 「来るなら来てみろ」という態勢づくりを

 この本部の問題についてもね、あれだけ元の小屋があるということは誰が見たって明らかなんんですよ。だからフェンスを作って、マスコミをフェンスの中に入れないんですよ。マスコミ用として雑草地を綱で「取材用の土地」なんてするけれども、見えないところに作ってるんですよ(左写真はFNNテレビの空からの映像。ユンボのアームの左手に明らかに木造建築の屋根が見える)1186fnn。 そういうやり方で取り壊したわけだけれども、「証拠隠滅」とか「闇討ち」とかそういうことが言われました。しかし、自分は再三言ってますけれどもね。8・6という国でさえ核というものに、カッコ付きだけれどもね「ノー」と言う日にね、そういう意思表示をヒロシマでやろうとしたその日に、しかもフクシマでそういう事態が起こっている、そういう中でああいうことをやるってことは、三里塚闘争の中で「反戦・反核」を40何年掲げて闘い抜いてきたその闘いそのものに対する攻撃であるわけですから、このことは彼ら自身も、今の原子力政策、あるいは核に対する、そういうものに対するある意味で向こうからの反革命的な攻撃としてそこに存在せざるを得なかったということを証明しているんですね。ですから、三里塚闘争じゃなくって、三里塚の歴史の中でも大きな汚点を作ったんだということで、記者に言っても、記者はわかんないんですよ。

 だけどもね、2度、3度、4度、こういうことを話すことをもってね、我々の中でもそうですよ。居なかった、居留守を狙った卑劣なというのはもっともですよ。東電が悪いなんていうのは当たり前のことですよ。だけども東電、もうやめてもらいましょう、というところまで我々は言わなければしょうがない。東電やめたらどうするのか。それだったら我々の手で電力会社やりましょうよ。そういうところまで我々自身が変えていく必要があるでしょう。

 そういう意識を今こそ持つべきだ。飛行場がなくなった。4万人の雇用がなくなった。どうしますかという形でいうわけですよ。じゃあ、ほんとになくすということが前提で、そこまで具体的な作業としてにあるんだったら自分たちも考えましょう。それに対してね。だけど、仮定の話として彼らがそうなっていくと我々を攻撃するための言い訳だったら、そんなものは構わない。先ず、無くすことが前提なんだ。要するに、そういう意味でどんどん、どんどん向こうのふところに飛び込んだ闘いを今できる状況にあると思うんです。

 ですから今度の本部の破壊については、我々は暫定滑走路に伴う3本目の誘導路建設の大きな一環として本部の破壊と、そして市道の封鎖と、またその周辺の整備計画と、そういうのが攻撃としてあって、もう一つは、頂点として市東さんの農地を取り上げるという攻撃が一体としてあったんだと。その取り上げる過程で、やはり本部の破壊があったと思うんですね。ですから、まだまだ本部というの最高裁というのがあるんだけれども、口頭弁論というのはまず開かれないと思うんで、時期がきて我々の主張を却下するという形で判決が出てくると思いますけれども。そっからくる今度は市東さんの農地を守る闘いをどうするのかというところで、やはり闘いを組んで行かなくちゃあならん。

 119 それについて「東灘区住民の会」の84号(この日会場で配布されていました)、これは市東さんの境界問題、88年問題とか、農業委員会の犯罪とか、そういう問題を抜き出して書いてあります。これを読んでいただくと非常にわかりやすいんですね。いわゆる市東さんの問題についてみれば、もう場所の選定とか間違ってるんですよ。いわば、違った人を犯罪人として仕立てようとしているんですね。冤罪ですよ。そしてそれを「買った」なんて言ってるけれども、15年も前に買って、それをひた隠しにして、一生懸命市東さんは地代を払ってた。こんなの成立しないですよ。実際、当時空港公団は買えないんですから。本社は東京にあって、機関として成田のところにあったわけじゃないし、土地を買うなんてできない状況にあったわけですね。それを15年も前に買ったと放置しておいた。まあ、おおよそそういう形です。農業委員会は、そんな偽造の書類をもとにして審議している。そういう経過が詳しく書いてありますんで、非常にわかりやすいと思います。

 市東さんが作ってもいないところを「貸してある」んだとか、あるいは作っているところは「これは違うんだから不法耕作なんだからすぐよこせ」とかね。それをマスコミは「成田市天神峰の50いくつの農民が不法耕作している」という形で記事として出すんですね。農民が不法耕作していると言ったら、これはもう犯罪人なんですよ。こういうやりかたをマスコミは出すんだけれども、マスコミに説明したって一切、もうこれからね訂正記事と謝罪記事を出させようと思うくらいですけれども、市東さんは「実名を出せ」とマスコミにまで言うんですね。怒りを持ってんです。不法耕作じゃないんだから。不法に耕作していることは絶対に有り得ないし、そういう問題について本人にすれば非常な怒りを持ってんですね。

 原発問題とか話しがいろいろ飛んじゃって申し訳ないんだけれども、まあ、こういう意味でこれをどうして守るのかと言ったら、やはり先日も千葉地裁で裁判がありましたけれども、150人くらいの傍聴人がありました。そして傍聴できるのは60人くらいから70人くらいの範囲ですから半分以上入れませんけれども、やっぱりこれから千葉地裁を250くらいあると人の輪で包囲できるんですよ。それくらいのところまでもっていって、大きな圧力をかけながら、先ず裁判闘争で勝利的な展開をしていく。そういうことを作りながら、世論の声を作り上げていくというようなね、そういうやり方が大きな意味があるんじゃないか。

 ただ、そこに予断は許しません。本部の破壊と同じように地裁の判決において「仮執行」を付けろというのが(空港)会社の言い分です。要するに判決内容にそれをつけろという形で裁判所に要望しております。提出しております。これは地裁の判決で「会社のもんだ」という判決が出た上で、それについて「畑も更地にしていい」というのを付随させて判決をおろせというような形で、本部よりもひどい早さでやろうとしているわけですね。そのためには何としても結審だという形で、迅速な裁判だという形で、我々、20何名の証人申請を出したんだけれども、市東さんと自分だけしか認めないんですよ、裁判官は。それで裁判を結審しようとする動きがあるんで、先日、それについてやりあって、なんとかもう2回だけは実質審理を行なって、それから証人調べに入っていこうという段階にあるんで、そのためにも裁判そのものの闘いと、それに対する世論の喚起。そして「来るなら来てみろ」という我々の態勢づくりを作る必要がある。それが大きな意味合いとなってくるんじゃないかと思います。

(明日へつづく)

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