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2011年9月30日 (金)

鈴木さんの一坪裁判を傍聴して

 昨日、千葉地裁で鈴木さんの一坪裁判の口頭弁論が開かれました。

 すでに一昨日の当ブログで報告していますように、1年前に鈴木幸司さんが亡くなられたことに伴う継承問題で、仲戸川裁判長は、鈴木加代子さんを謙太郎さんと共に権利を受け継ぐことを法廷外で却下決定を強行していました(7月28日)。これは仲戸川が、この一坪が「三里塚地区周辺における土地をもつ会」(以下「組合」とします)所有であることを認めようとせず、一般的な相続扱いですまそうとしているからです。仲戸川は直前の他の一坪裁判で、「全面的価格賠償方式」で強奪を強行する反動判決を行なっています。この裁判でもその適用を狙っている仲戸川にとって、「一般的な相続」がその前提となります。「組合」所有を認めれば、千葉県の買収自体が「違法」となるのです。しかも、その適用には最高裁でも「特段の事情」の存在が求められており、仲戸川の意図するところは、天神峰現闘本部裁判の2・25地裁反動判決と同じ国家意志を背景とした闇雲な土地強奪であることは明らかです。つまり、立証にも入っていないこの訴訟を進める上での前提的な原告、被告双方の主張を確かめるというこの段階で、こうした意図的な裁判所の方針を押し付けることは、被告(「組合」)の裁判を受ける権利そのものを剥奪するものであり断じて許されません。反対同盟と弁護団はこの棄却決定に対し、昨日、即時抗告を行いました。

 当然にも、葉山、遠藤、一瀬、長谷川、浅野の5人の反対同盟顧問弁護士たちは、猛然と仲戸川裁判長を糾弾し、却下の意図を説明しろと迫りました。仲戸川は、「双方の考えは書面で見たので、決定を出したが、法廷でやるべきだったという点では謝ります」と開き直り、釈明には「抗告審で論議されるので」と拒否しました。弁護団と傍聴席からの激しい抗議と弾劾の声に完全に行き詰まった仲戸川は、休憩、合議でかわそうとしました。

 なんと合議の上で仲戸川は、「現状のまま進める」か「幸司さんといとさんを分離し、いとさんの部分だけ進める」とあくまで進めると主張したのでした。この「分離」という思いつきでしかないデタラメ極まる言辞に法廷の怒りは爆発します。「『抗告審』を理由にするなら最低でも、審理自体を停止しろ」という弁護団の怒りの声と「裁判長をやめろ」などという傍聴席の怒りの声に、顔をひきつらせて仲戸川は退廷命令を出そうとしますが、自らの不正義にそれさえできません。最後は「憲法上の意見書・・・」とか「進行協議をやりませんか」などと何とか審理を進める手立てはないかと姑息にも言を左右していますが、完全に行き詰まり、再度の休廷と合議を弱々しく宣言します。

 そしてその上で合議から出てきて、「抗告審の結果が出るまで審理を停止し、次回期日はその結果がでてから」と仲戸川が宣言して閉廷しました。

 1169_2 その仲戸川の姿は、後の打ち合わせの中で長谷川弁護士が指弾したように、「5分あれば出来ることを、50分もかかっている」「未練たらしく、見苦しく、こんなみっともない裁判長は私も初めてだ」というものでした。そこに、とことん国家の意思を代弁しようとする仲戸川の裁判官としてあるまじき反動的な、国家権力の狗でしかない哀れな姿があることを、そしてそこにある成田空港の完成、拡張に追い詰められておし進もうとする「国家意志」「国策」を、私たちは断じて許してはなりません。

 打ち合わせの中で、鈴木いとさん(右写真、前回6月9日の口頭弁論で)は「私ら個人のものじゃなく、反対同盟のものですから、体が続く限り頑張ります」とお元気に想いを語られました。

 1169_3 また鈴木謙太郎さん(左写真、前回6月9日の口頭弁論で)は、「弁護団と共闘の力で(分離裁判を)粉砕した。あとは10・9全国集会を全力で今のこの勢いで頑張って成功させたい」と語られました。

 最後に萩原進さんがまとめをされ、「仲戸川のプライドをズタズタにした」「ああいう闘いですよね」「高裁における50名逮捕という我々の闘いが今も続いている」「裁判というものも実力闘争だ。それが現地の闘いにつながる」「10・9は今置かれている階級情勢の中で非常に重要だ」「1人でも多く、大爆発をかちとり、また、裁判所を包囲するようなものを作っていきたい」などと語られました。

 先日の8月30日の行政訴訟・農地法裁判に引き続いて、この日も、弁護団、傍聴席一体となった闘いによって、仲戸川裁判長と国による集中砲火ともいうべき攻撃の強まりに対して、完全に押し返したのです。正に萩原さんが言われるように「実力闘争」の力でした。

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2011年9月28日 (水)

鈴木さんの一坪裁判の傍聴を

 昨日、当ブログで明日の鈴木さんの一坪裁判のことを書きましたが、その中で、あすの裁判で土地の所有者の継承問題が確定せず被告が決まらないことに決着がつくかと触れましたが、昨夜発信された反対同盟ブログによれば、裁判ではなく進行協議ででしょうか、すでに7月28日に仲戸川裁判長が、千葉県側の主張通り一般の相続扱いとして、「三里塚周辺に土地をもつ会」所有であることを認めず、鈴木加代子さんが権利を受け継ぐことを却下したそうです。

 予想されていたことではありますが、法廷の口頭弁論で争われていたことを、法廷に出さず、一方的に通告してくるというこのやり方は許せません。

 ここにも、5・20東京高裁反動判決、あるいは仲戸川自身の昨年の2・25反動判決、あるいは市東さんの農地をめぐる多見谷裁判長の早期結審策動など、ここへきて三里塚闘争関係の裁判を「迅速裁判」の名のもとに、無法な訴訟指揮によって一気に判決へ進もうとする意図がありありと現れています。

 成田空港の完成、拡張に向けて、三里塚闘争を、そして三里塚反対同盟の暮らしと営農を一気に破壊しようとする国家意志を前提とした、裁判所の蠢きであり断じて許されません。

 皆さん。明日の鈴木さんの一坪裁判の傍聴に駆けつけよう。

【日時】 9月29日(木)午前10時半開廷

【所】 千葉地裁 601号法廷

傍聴券の配布の関係がありますので、開廷40分前までに千葉地裁1階ロビーにお集まりください。

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2011年9月27日 (火)

9月29日 鈴木さんの一坪裁判の傍聴を

 明後日、9月29日(木)午前10時半から、鈴木さんの一坪裁判が千葉地裁601号法廷で開かれます(傍聴には、傍聴券の配布がありますので、開廷40分前に裁判所1階ロビーにお集まりください)。

 08330 鈴木幸司さんが昨年7月に亡くなられて1年を過ぎました(右写真は、08年3月30日の全国集会でお元気だったころの幸司さん)。この裁判で、亡くなられた鈴木さんを誰が引き継ぐのかが未だに決まりません。明後日の裁判で、仲戸川裁判長(天神峰現闘本部の地裁反動判決を強行した男だ)は、この一坪が「三里塚地区周辺に土地を持つ会」が所有するものであることを認めず、千葉県側が主張する一般の財産相続として扱おうとしています。一坪の土地を取り上げる判決を強行するためです。「土地を持つ会」の所有と認めることは三里塚闘争を認めることになるのです。この問題で一年以上もかかったのは、この決断をズルズルと仲戸川が引き伸ばしてきたからです。

 航空需要が落ち込み、千葉県の開発事業が破綻している中で、なぜこの一坪に固執するのかという論議があります。千葉県が、この一坪を取り上げて周辺一帯を造成し、成田空港会社に売って貨物集積基地を作るなど必要ないだろうという論議です。

 そうではないのです。すでに当ブログhttp://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-d122.htmlで明らかにしましたが、今、国はアジア、世界から取り残された「ヒト、モノ、カネ」の流れを取り戻そうと成田空港の完成、拡張にその帝国主義としての延命をかけて全力で襲い掛かろうとしています。

 それが5・20→8・6の天神峰現闘本部への襲撃であり、昨年の団結街道封鎖に始まる市東さんへの農地強奪の攻撃、第三誘導路建設による市東さん叩き出しの攻撃です。そして「農家だより」が報じていますが、岩山記念館破壊への策動、さらには東峰・横堀の一坪への裁判による強奪攻撃など一連の攻撃の目指しているところです。「2013年、27万回化。2014年、30万回化」はそうしたこと抜きにはあり得ないし、何より「成田・羽田一体化」「羽田国際化」だけではどうにもならない限界があることに追い詰められた成田空港拡張、「ハブ化」への彼らの衝動は、正に「国策」として鈴木さんがもつ一坪をも必要としているのです。

 成田の国際貨物が激減し、一時、世界一の取扱量だったのが転落しています。これは成田の狭隘さが、便数が限られていることが引き起こしたことで、成田の地位が落ちたからではないのです。ですから保護主義を軸として進めてきた航空政策を大きく転換し、成田空港の拡張を前提として中国を始めアジア各国との成田空港の自由化に向けた交渉に政府、国交省は必死になっているのです。

 そのためには45年間、この現実を強制してきた三里塚闘争と反対同盟の根絶を意図してきているのです。

 「国策」を掲げればすべてが正当化されるという帝国主義の政治を私たちはこれ以上許してはなりません。沖縄県民あげての「基地撤去」の闘いもまたそのことを指し示しています。福島への原発事故もまた、「核政策」という日本の「国策」が引き起こしたことであり、何年かかろうとこの誤りを糺し、福島の皆さんと、土地を、暮らしを、農業、漁業を取り戻すまで闘いぬかねばなりません。格差と貧困を強制し、差別を当然とし、排外主義をはびこらせる現在の状況を生み出しているものこそ、この「国策」による政治だと言って過言ではないでしょう。

 鈴木さんの一坪裁判は、単に三里塚闘争の中で起こったこととして軽く見られる傾向がありますが、断じてそうではありません。

 明後日の法廷に傍聴に駆けつけましょう。

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2011年9月26日 (月)

播磨灘を守る会40周年記念シンポジウム

11925

 24日、25日の二日間にわたって播磨灘を守る会が40周年を記念して開かれたシンポジウムに参加してきました。

 瀬戸内海の赤潮被害が深刻になる中で1971年7月、青木敬介さん(右下写真)が代表となり御津町の漁師のみなさんも加わって「播磨灘を守る会」は結成されました。11924 姫路や加古川でのLNG建設、火力発電所、原発建設などへの反対、あるいはPCB問題など様々な取り組みをされてきました。私たちとの長いお付き合いの元となった関西空港の候補地となったことや播磨空港反対なども。その中から、磯浜復元運動や骨抜きされた瀬戸内保全法の改定への取り組み、そして大阪湾で唯一残された自然海岸の新舞子の干潟のラムサール条約への登録の取り組み、そして地域の子どもたちを招いての「海のアドベンチャースクール」の取り組みなどと、その海への熱い思いに支えられた活動が40年、休むことなく続けてこられました。ただただ敬服するばかりです。

 この辺の経緯と青木さんご自身の想いが、つい最近出版された『青木敬介随想集 寒僧記』に綴られております。11924_2 日頃難しい文章を書かれて私たちを悩ませる青木さんにしては珍しい、読んで楽しい本です。一読をお薦めします(探究社 2011年7月出版 2200円)。

 さて、記念シンポジウムですが、初日は九州大学応用力学研究所所長の柳哲雄さん(左写真)から「里海のかたちと磯浜」と題した2時間にわたる基調講演でした。海の破壊に対して、ちょうど「里山」が課題として提示されているように陸と海の境目に「里海」を「人間の自然化」を課題としながら人間と自然が強調して作っていくといったことを提示され、そのことがアジアやヨーロッパでも注目され始めていることなどを紹介されました。11924_3 質疑を含めて3時間余り。明らかに高齢者が多い中で、ちょっとしんどかったです。

 その後、播磨灘を守る会の総会が開かれ、今年度の活動報告などが行われました。

 ひと風呂浴びてから、今度は交流会です。残られたのは40人くらいですが、千葉県の三番瀬の問題をされている方や、埼玉から、東京から、あるいは九州から、そして姫路で古くから関わってこられたみなさんと多彩です。

 11925_2 翌日は朝からパネルディスカッション(最初の写真)です。まず、讃岐田訓元神戸大学教授から播磨灘を守る会とともに続けてこられた海底の汚染を調べる海洋調査と、私たちと共に進めてきた神戸空港反対の立場からの大阪湾の海洋調査を重ね合わせ、11925do 説明されました(右図写真、クリックすると大きくなり見やすくなります)。実は、この2つの調査を重ねての発表は私も初めてで、興味深くお聞きしました。

 続いて、大阪芸術大学のハービィ・シャピロ教授から、アメリカのサンフランシスコ湾での埋め立てを元に戻すミティゲイションをされた経験を元に、11925_3 2つ以上の環境の接点地帯(エコトーン)の問題を前日の柳さんの話に重ねながら、特に近畿、大阪湾の生態系などについて話されました。

 同氏が属していた「環境計画学科」が廃止されたとのこと。国の環境問題の大学での後退と基を一つにしたこの動き、あるいは環境庁が省に昇格することを通して、環境アセスなど姿勢が明らかに後退してきたこの10年余を想いながらお聞きしました。そうした環境省に、原子力保安院などの機能が移されるという現在の流れのインチキなども想いながら。

 11925_4 最後に、環瀬戸内海会議顧問で、ピースデポ代表の湯浅一郎さんから、瀬戸内海、大阪湾がどうなっているのかがわかりやすく示されました。特に海砂採取が禁止されてからアマモなどの生育が戻り始めていることなどが紹介されて興味深かったです。11925_5 あるいは瀬戸内海全体で見られていたスナメリの動向や、海砂採取によるイカナゴへの影響などがわかりやすく紹介されました。

 討議に入り、東京湾の三番瀬での経験や、兵庫県の水産関係の職員の方からなどの興味深いお話があり、3時間あまりのパネルの時間でしたが、時間が足らないことを感じながら全ての予定が時間通りに終了し、姫路の西にある網干を後にしました。

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2011年9月25日 (日)

今週の産直野菜(9月24日)

11924 今週の産直野菜が三里塚から届きました。「え? いまごろ」と思われるかもしれませんが、昨日から「播磨灘を守る会」の40周年記念集会と記念シンポジウムで泊り込みで行っていましたので、受け取るのが今になりました。台風のあとで、「野菜だより」も伝えていますが千葉も直撃を受け、「幸か不幸か」葉物もなく、帰ってからでいいかとなりました。

 葉しょうが、オクラ、ゴーヤ、ししとう、なす、小玉ねぎ、ピーマン、じゃがいも、さつまいもの9品です。慌てたので写真が少しぶれました。玉ねぎがいささかだぶついていますが、残っているのを見られた萩原さん曰く「もつから置いといたらいい」と気楽にいなされました。じゃがいもは6~7日もすると芽が出ています。

 「野菜だより」で放射能を吸収しやすいと言われているさつま芋の成分検査で放射性物質が不検出だったことが案内されています。一昨日の当ブログでの萩原さんの発言にあるように、「産直の会」は、あくまで行政当局、国の責任を追求していくという立場から行政に検査をさせるという方針です。購入している消費者として「まどろっこしい」と思われるかもしれませんが、生産者と消費者の信頼を前提とし、「灰色であれ、出荷を停止する」という厳しい思いの中で苦闘しておられる「産直の会」、萩原さんや市東さん、そして鈴木さんの想いを支持し、共に闘って行きましょう。

 10月30日の芋ほり大会(収穫祭)に参加し、共に話し合う機会にしていきましょう。そして楽しく過ごしましょう。関西からの参加も呼びかけます。「産直の会」の会員でなくてもどうぞ。お問い合わせください。

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2011年9月23日 (金)

3・11ですべてが変わった  萩原進さん(その3)

 産直野菜と放射能

 そういう中で、話しが飛びますけれども、関西の方にも我々の生活基盤である産直という形で野菜を送っています。それで、みなさんに放射能の心配をかけておりますけれども、我々が望んで放射能を持ってきたわけではないし、その原因を作ったのは国であるし、県であるし、自治体なんですよ。11918 だから一刻も早く検査しろという形で成田市を追求してきたんだけれども、成田市は頑としてやらないですね。「これは県や国がやることであって、成田市には手に負えない」と全部放棄しているわけですよ。で、「個々にやったんでは混乱を起こす」という形で今まで一度も調査をしないですね。

 で、国の方針で「県がやりなさい」という形で県がいろんな調査をピックアップして、そこから各自治体におろして、そういう形でいろんな品目を月に2、3度ずつ調査するようにはなりました。それをニュースとしてはお伝えしておりますけれども。

 ただ成田の場合は、そこに空港というのがあるんですよ。いわゆる夏の乗降客というか、それも27%減っておりますけれども、その一番のもとは原発なんですね。その前は一気に減って、在日の外国の人たちが。このまえの3月の集会の時には、関西の人たちがビジネスホテルに泊まろうとしたら全部いっぱいで泊まれなかった。それは何かと言ったら、東北の在日の外国の人たちが一斉に帰国ラッシュになっちゃったんですね。成田に全部宿の斡旋があって、それでホテルとかが満杯になっちゃったんですよ。

 そういう関係も含めて、そういう意味で全部、東北の外国人は引き上げる態勢になっちゃった。と同時に、「日本は危ない」、まして「成田は危ない」ということで、成田に来る外国人が居なくなった。とりわけ大きなところだった中国の人たちがやっぱり来なくなった。

 11918_2 成田で放射能を浴びるというような作物が出たとなったら、もっともっと輪をかけたように空港にくる人が居なくなっちゃうというところで、そうすると成田市は空港から入る金がなくなっちゃうんで、そういうところで問題を起こしたくないというのが腹の底にあるんですね。

 だけどもそうじゃないんだという形で、もうこれ以上(放射能調査を)やらないんだったら、我々はトラックに野菜を積んで成田市の市庁舎の玄関に並べると。そして1トン位の野菜を並べて「調査しろ」ということをやろうとニュースにして、会員に「何時、何日、これをやりますから、そこにたちあってくださいと」という形でまいたんです。それで、どうしようもなくなって彼らは、本来は違うところでやるほうれん草の検査を、「自分(萩原)のところへもってきて、自分のところのほうれん草を検査します」と寸前のところでやらざるを得なくなった。それからずっとやるようになったんですね。

 だけど、それまでは千葉県の中でも茨城の方から銚子、そして成田の辺に上がってくるルート、このルートが旭とか、佐原とか、多古町とか、これが全部、ほうれん草が基準以上になって出荷停止になったんですよ。ある一定期間ですが。

 だから我々は検査してください、あくまでクロとなれば我々自身でも出しません、いやクロじゃなくって灰色でも出しませんから調査してくれと。「調査してクロになったら農家は困るでしょう」と市が言うわけですよ。ふざけんじゃない。我々は無農薬で、農薬を使わない形でやってきたけれども、それ以上の、言葉では言い尽くせない悪の根源である放射能を浴びたものを食べさせられるのか。人間対人間の関係なんだ。これを行政がそんなことを言う必要はないんだ。だからなんでもいいから調査しろという形で。

 調査機関はあるんですよ、民間に。だけどもあえてやらなかった。やるのは行政であるし、県であるし、国だ。責任をもってやるべきだ。我々が代替え的にやっちゃうと、それが「それでいいんだ」ということになっちゃうんですよ。だからあくまでも彼らの責任を追求したい。

 で、こんどは安全だったら安全宣言を出してくださいというと、「それはできません」と。これもおかしいんですね。要するに検査して「検出せず」というのがずっと出てるんですよ。これもそうですが。千葉県のやつで20品目くらいあるんですよ。これは9月14日に全部検査したんですよ。だけど、安全宣言出してくださいと言って、千葉県知事がやったのはコメについてだけで、「千葉県のコメは安全ですから食べてください」と、コメだけについて言いましたけれども、他のものについては全然出さないんですよ。

 で、「御用学者」は「今食べても体を害しない」というような形で逃げるわけでしょう。そうじゃないだろう。国や県は我々の農産物を出荷停止したんだろう。それをしておいて「安全宣言を出せない」という、こんな卑怯なやりかたないだろう。だったら、我々はあんたらが言う「出荷停止」にだって言うことを聞かない。それを決めるのは我々自身だ。「安全宣言を出せない」と言うんだったら、あくまで「安全宣言」を追求しますからと、もっともっと定点的に放射能を測るのを増やせ、そしてあらゆるところを測れということを今、もっと追求しているのです。

 こういうやり方で、もう東電には任せられない、東電から補償を貰えばいいっていう話じゃない。これが福島の声ですよね。そういう意味でみなさんと一緒にこの問題を考えてやって行きたいと思う。

  そしたらそういう中で、ある消費者団体が、東北と関東地域(の野菜)を除いた「子どもむけセット」として愛知以西の野菜を集めて「安全セット」として売り出した。これについて自分は怒ったんです。こんなやり方があるのかと。要するに「風評被害」と言ってるけれども、実際にやっているは「風評被害」じゃなくってこういうやり方が、今の政府などのやり方と同じで、この時だけを過ごせばいいんだというやり方なんだと。0810190018_2

 放射能の問題、ほんとにいろいろありますけれども、詳しくはニュースの中で出します。そして先程もありましたけれども、我々のイベントの中で、そして集会も含めて福島の人たちに三里塚の現地に来ていただいて、子供たちについては裸足で芋を掘って土をかきわけてもらう。そういうことも追求していきたい。

 三里塚闘争そのものが広範な人たちを巻き込んで闘い抜いていきたいという風に思います。10・9現地でお待ちしています。以上です。

 

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2011年9月22日 (木)

3・11ですべてが変わった  萩原進さん(その2)

 そのためには沖縄に三里塚が行ってやるのが一つ。しかし、その間に関西があります。関西の人たちが沖縄に行って、沖縄の人たちとはなしし、あるいは沖縄の人たちと一緒に手を組む。そして関西の人たちは三里塚と手を組む。そういう「間の架け橋」というのも非常に必要なのですよ。11918 これまた間の四国、九州の人たちがまた沖縄、そして関西と、こういうだんだん、だんだん点が線になっていくようなね関係をね本当にこれから緻密に作っていきましょうよと思うんですね。

 これが今本当に出来る絶好のチャンスなんです。彼らは玉虫色で物事を解決することなど絶対に出来ない。

 「来るなら来てみろ」という態勢づくりを

 この本部の問題についてもね、あれだけ元の小屋があるということは誰が見たって明らかなんんですよ。だからフェンスを作って、マスコミをフェンスの中に入れないんですよ。マスコミ用として雑草地を綱で「取材用の土地」なんてするけれども、見えないところに作ってるんですよ(左写真はFNNテレビの空からの映像。ユンボのアームの左手に明らかに木造建築の屋根が見える)1186fnn。 そういうやり方で取り壊したわけだけれども、「証拠隠滅」とか「闇討ち」とかそういうことが言われました。しかし、自分は再三言ってますけれどもね。8・6という国でさえ核というものに、カッコ付きだけれどもね「ノー」と言う日にね、そういう意思表示をヒロシマでやろうとしたその日に、しかもフクシマでそういう事態が起こっている、そういう中でああいうことをやるってことは、三里塚闘争の中で「反戦・反核」を40何年掲げて闘い抜いてきたその闘いそのものに対する攻撃であるわけですから、このことは彼ら自身も、今の原子力政策、あるいは核に対する、そういうものに対するある意味で向こうからの反革命的な攻撃としてそこに存在せざるを得なかったということを証明しているんですね。ですから、三里塚闘争じゃなくって、三里塚の歴史の中でも大きな汚点を作ったんだということで、記者に言っても、記者はわかんないんですよ。

 だけどもね、2度、3度、4度、こういうことを話すことをもってね、我々の中でもそうですよ。居なかった、居留守を狙った卑劣なというのはもっともですよ。東電が悪いなんていうのは当たり前のことですよ。だけども東電、もうやめてもらいましょう、というところまで我々は言わなければしょうがない。東電やめたらどうするのか。それだったら我々の手で電力会社やりましょうよ。そういうところまで我々自身が変えていく必要があるでしょう。

 そういう意識を今こそ持つべきだ。飛行場がなくなった。4万人の雇用がなくなった。どうしますかという形でいうわけですよ。じゃあ、ほんとになくすということが前提で、そこまで具体的な作業としてにあるんだったら自分たちも考えましょう。それに対してね。だけど、仮定の話として彼らがそうなっていくと我々を攻撃するための言い訳だったら、そんなものは構わない。先ず、無くすことが前提なんだ。要するに、そういう意味でどんどん、どんどん向こうのふところに飛び込んだ闘いを今できる状況にあると思うんです。

 ですから今度の本部の破壊については、我々は暫定滑走路に伴う3本目の誘導路建設の大きな一環として本部の破壊と、そして市道の封鎖と、またその周辺の整備計画と、そういうのが攻撃としてあって、もう一つは、頂点として市東さんの農地を取り上げるという攻撃が一体としてあったんだと。その取り上げる過程で、やはり本部の破壊があったと思うんですね。ですから、まだまだ本部というの最高裁というのがあるんだけれども、口頭弁論というのはまず開かれないと思うんで、時期がきて我々の主張を却下するという形で判決が出てくると思いますけれども。そっからくる今度は市東さんの農地を守る闘いをどうするのかというところで、やはり闘いを組んで行かなくちゃあならん。

 119 それについて「東灘区住民の会」の84号(この日会場で配布されていました)、これは市東さんの境界問題、88年問題とか、農業委員会の犯罪とか、そういう問題を抜き出して書いてあります。これを読んでいただくと非常にわかりやすいんですね。いわゆる市東さんの問題についてみれば、もう場所の選定とか間違ってるんですよ。いわば、違った人を犯罪人として仕立てようとしているんですね。冤罪ですよ。そしてそれを「買った」なんて言ってるけれども、15年も前に買って、それをひた隠しにして、一生懸命市東さんは地代を払ってた。こんなの成立しないですよ。実際、当時空港公団は買えないんですから。本社は東京にあって、機関として成田のところにあったわけじゃないし、土地を買うなんてできない状況にあったわけですね。それを15年も前に買ったと放置しておいた。まあ、おおよそそういう形です。農業委員会は、そんな偽造の書類をもとにして審議している。そういう経過が詳しく書いてありますんで、非常にわかりやすいと思います。

 市東さんが作ってもいないところを「貸してある」んだとか、あるいは作っているところは「これは違うんだから不法耕作なんだからすぐよこせ」とかね。それをマスコミは「成田市天神峰の50いくつの農民が不法耕作している」という形で記事として出すんですね。農民が不法耕作していると言ったら、これはもう犯罪人なんですよ。こういうやりかたをマスコミは出すんだけれども、マスコミに説明したって一切、もうこれからね訂正記事と謝罪記事を出させようと思うくらいですけれども、市東さんは「実名を出せ」とマスコミにまで言うんですね。怒りを持ってんです。不法耕作じゃないんだから。不法に耕作していることは絶対に有り得ないし、そういう問題について本人にすれば非常な怒りを持ってんですね。

 原発問題とか話しがいろいろ飛んじゃって申し訳ないんだけれども、まあ、こういう意味でこれをどうして守るのかと言ったら、やはり先日も千葉地裁で裁判がありましたけれども、150人くらいの傍聴人がありました。そして傍聴できるのは60人くらいから70人くらいの範囲ですから半分以上入れませんけれども、やっぱりこれから千葉地裁を250くらいあると人の輪で包囲できるんですよ。それくらいのところまでもっていって、大きな圧力をかけながら、先ず裁判闘争で勝利的な展開をしていく。そういうことを作りながら、世論の声を作り上げていくというようなね、そういうやり方が大きな意味があるんじゃないか。

 ただ、そこに予断は許しません。本部の破壊と同じように地裁の判決において「仮執行」を付けろというのが(空港)会社の言い分です。要するに判決内容にそれをつけろという形で裁判所に要望しております。提出しております。これは地裁の判決で「会社のもんだ」という判決が出た上で、それについて「畑も更地にしていい」というのを付随させて判決をおろせというような形で、本部よりもひどい早さでやろうとしているわけですね。そのためには何としても結審だという形で、迅速な裁判だという形で、我々、20何名の証人申請を出したんだけれども、市東さんと自分だけしか認めないんですよ、裁判官は。それで裁判を結審しようとする動きがあるんで、先日、それについてやりあって、なんとかもう2回だけは実質審理を行なって、それから証人調べに入っていこうという段階にあるんで、そのためにも裁判そのものの闘いと、それに対する世論の喚起。そして「来るなら来てみろ」という我々の態勢づくりを作る必要がある。それが大きな意味合いとなってくるんじゃないかと思います。

(明日へつづく)

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2011年9月21日 (水)

3・11ですべてが変わった  萩原進さん(その1)

11918

「3・11ですべてが変わった」

9・18集会 三里塚現地からの報告と決意

             三里塚反対同盟事務局次長 萩原進さん

 暑い中、ほんとうにご苦労様です。

 日本列島どうなってるのかというぐらいに、・・・。地震や津波に学者は「想定外」とかなんとか言いますけれども、天候だけを見てもね「想定外」なんてものはないという情勢の中に入ってんじゃないのか。ましてや闘いが「想定外」なんて絶対にありえませんからね。

 11918_2 そういう意味であまりにも自然に対して、人類が調和していくって言うんじゃなくって、文字通り挑戦して、それを破壊した、その結果が今、反逆されているというね、そういう情勢にあるんじゃないか。これが大きくは「3・11」という東北における災害という形で、はっきりと我々に突きつけたという風に思います。このことによって政治や経済や、あるいは社会や人間の生き様そのものが、ほんとに一変したんじゃないのか。

 もう一度、我々は生きるということ自体を、どういう形で考え、あるいは実践していかなければいけないかということを捉え返すほんとに重要な時期じゃないかという風に思うわけですよ。

 ですから空港だとか基地だとか、あるいは原発だとか、そういう「国家のため」だとか、あるいは「人民のため」だとか、「国策なんだ」と言われてきたこのこと自体がね、どういうことなんかということをほんとに今、捉え返す必要があるんじゃないか。

 闘うものの絆を固めよう

 今度、野田内閣になって、まあ、「初めて千葉県から総理大臣を出した」というかたちで、千葉県人が浮かれ上がっているかどうか知りませんけれども、今の内閣にしても、今までのやり方とか、常識でやっていこうとしたって、絶対に出来えないんですね。もう国家的に経済が破綻しているし、政治の運営もねじれちゃってるし、社会的に国民は政府を信用していないしね。どうしたらいいのかと言ったら、やっぱりとてつもない、突拍子もない、あるいは非常識な、わかりやすく言えばヒットラーみたいなね、そういうようなやりかたを遂行していかざるを得ないんだと。まあ、この大阪の橋下みたいなやり方が、その典型として、模範として出てくるんじゃないのか。そういう政策が起こってくるだろう。

 もちろん野田なんてのは三里塚の闘いなんて知りませんからね。まあ、文字では読んでいるだろうけれども、その内容については知らない。そして今置かれている立場から言ったら、もう三里塚の闘いを潰さなければならない、あんなことがあったら自分は延命できない、そういうところにあるわけです。こっから出発していくとなると、三里塚の闘いというのは、彼らが必死になって延命するためには、強権的な策動を連発してくるだろうという風に思うわけです。

 この例として、前段でやった鳩山から続いてきて菅まで来て、どっちも行き詰まって出てきた形が、先ほど沖縄の人たちから言われたように、高江に対する攻撃だとか、辺野古だとか、そういう形で出てくるし、関西においては関生の労働者にかけられた弾圧だとか、あるいは三里塚の農民を先頭とする東京高裁で50人が逮捕されるという。11520 裁判所の中で50人が逮捕されるというのは大きな問題なんですよ。だけどもマスコミは、ほんとに押し込んで、押し込んで報道しなかったね。ここにも山本先生がいますけども、90の人から20歳の人まで一緒に。あすこにいること自体が悪いんだということでしょう。

 そこにあったことはどういうことかというと、その前にデモをしてはっきりしてますけれども、福島の農民を先頭とする住民が、福島の産物を食べてくださいという形で霞が関でバザーを開いてるんですよね。そういうところに脇を三里塚の農民が通るわけですよ。そして裁判所でそういう形で闘い抜く。先ほど全国連の人たちの挨拶がありましたけれども、あらゆる闘う人たちが裁判所の周りで、大きく、国会闘争もそうだけれども、宣伝をしているわけですね。そういう人たちが大同団結なされちゃったら、非常に恐ろしいわけですよ。そういう中で、裁判所の中で篭城したわけじゃないんですね。向こうが跳ね上がって、恐怖を抱いて「不退去罪」みたいのをくっつけて逮捕していくというね、先程も言いましたけれども、おおよその常識の尺度では測れない、事前にはわからないことが実際に起こってくるというような状況がそうだろうと。

 1186 それの典型的な事例として、本部撤去で、夜明け前3時から彼らが動き出して、ほんとに真っ暗な中、それを取り壊し作業を行なっている。やはり、その建物が三里塚でしかない「成田治安法」という法律で、そこに人が住んじゃいけないという法律なんですね。そこに住んでた人間は3キロ以上離れたところに住めという、こんな法律。こんな法律が通用するのか、日本の中でそんなものがあるのかという。そのために封鎖した。そして封鎖して何十年経ってね、今度は邪魔だから取り壊すんだと。こういうやり方がまかり通るなんてのは、ちょっとおかしいというよりも、これはもう法治国家じゃないし、民主国家じゃないし、「三里塚だからやっていい」という話じゃないでしょう。こんなことを許していたらとんでもないことになる。

 だから今度の野田にしても、日米の関係を強化していくんだ、安保条約は重視するんだと、そして辺野古の問題については協定を守っていくんだと、そこまで今、踏み出してくる。で、増税するんだという形でやってくるんだけれども、だったら我々も意識変えましょうよ。先ほど、原子力の火を消せと、当然です。もう、あらゆる、どんな人たちでも、どんな社会でも、どんなとこでも、原子力はもたないという形になってくるわけですけれども、その上で、東電にまかせて、ここは関電ですけれども、我々にとっては東電ですよね。あんな奴らに電力会社を任せることはできないんですよ。東電も資産を全部なげうって倒産しろと、お前たちには電力会社を任せられませんよと。一切関係切れと、そして責任とれと。

 そして増税する前には、それを許した裁判官、あるいはそれから泡銭をもらった政治家、あるいは市町村の長、また利権屋、全部、今までのやつを吐き出せと。それをやって足らなかったら、我々も税金でもなんでも払いましょう。しかし、そういう責任をいっさい取らないんじゃないのか。こんなことを闘いの中で我々は主張すべきですよ。悪いのは、電力を使っている国民がしわ寄せを受けるんだ、増税をして払うんだと、全部現場の人たちの責任になっちゃうんでしょう。JRの運転手が追突したら、運転手が全部責任をとらされるわけですよ。あるいは作業現場でもそうだ。だけども、その方向性を作った親会社の社長だとかなんだとかは全然責任取らないですよ。

 だけど東電は民間会社ですから。独占会社ですから、儲かるようになってるんですよ。そして儲けた金で政治家に献金したり、そして地域を買収したりしてやってきたわけでしょう。その結果がこういう風になって、安全だ、安全だと言っている。何が安全なんだ。福島の人たちは今被爆して、どうなってるのかというところまで来ているわけでしょう。ほんとに血の叫びを今流してるんです。そしてその責任を取れと。補償をもらったってしょうがないんですよ。あるいはその土地をもう一度きれいにして返しますといったって、今置かれている立場で、もとに帰りたくても帰れない、悶々とした半年の間で、身体も壊し、精神的にもやられて、子供や家族もバラバラになり、部落がなくなり、町がなくなって、役場までなくなって、そしてどうなるのかというところに来ているのに、増税だ、あるいは原子力をもう一度再稼働するんだという、こんなことを許していいのか。

 そういう根がね、我々がやられている三里塚の根も同じだし、沖縄がやられている姿はほんとに同じなんですね。ですから、なんとかして、闘う側で、この一つ一つをがっちりと絆を固めていきたい。  (明日につづく)

 

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2011年9月20日 (火)

9・18三里塚関西集会成功  10・9三里塚へ!

11918

 一昨日、9月18日、三里塚反対同盟と関西実行委員会が主催して大阪・中央会館で「三里塚関西集会」が開催され、130名の結集の下、10・9三里塚現地への流れを生み出す闘いが勝ち取られました。

 開会前に、この間、5・20不当弾圧、8・6闇討的天神峰本部への破壊攻撃についてのTVニュースや反対同盟ブログの映像、8・6現場の写真などが、紹介されました。

 11918_2 集会は「大阪の海と空を戦争に使わせない会」の長澤民江さんが司会をして進められました。先ず、永井満関実代表世話人が主催者の挨拶をされました。永井さんは、東北の震災と原発事故、原発反対の闘いを取り組むことを述べられた上で、決戦に入った三里塚への決起を訴えられました。そして市東さんの農地を、全力で闘い守り抜くことと、三里塚を全国の人々に知らせていくことの重要性を訴え、関西の我々は「反対同盟と一体です」と宣言されて挨拶を終えられました。

11918_4   「部落解放同盟全国連合会」の木邨秀幸中執が、連帯の挨拶をされました。木邨さんは、市東さんはじめ三里塚農民の生活と権利を守る決意を語られた上で、狭山第3次再審闘争をめぐる状況を訴えられ、この7月の三者協議において「証拠の開示を拒否」した検察を弾劾し、10・31狭山闘争への決起を訴えられました。

 続いて「市東さんの農地を守る沖縄の会」から来ていただいたキムチミョン(金治明)さんから連帯の挨拶がされました。キムさんは昨年の4・25県民大会、そして今年の6月22日、23日と三里塚反対同盟が沖縄を訪れたことで、ようやく沖縄で「三里塚のように闘おう」という動きがはじまったことを語られました。11918_5 70年、71年に始まる闘い、岩山大鉄塔の闘い、5・20大弾圧、8・6暴挙は、辺野古、高江への攻撃と同じものだとされました。福島、沖縄、三里塚の怒りを一つに結んで闘おうと訴えられました。その上で、高江、辺野古をめぐる闘いの現状を報告されました。特に高江では、防衛施設局の「重機搬入」を6月15日、徹夜で車両を並べて阻止したことによって、膠着状態を闘いとっていると。そして最後に「おもいやり予算」の全てを被災地に回せという署名運動によって、全国で沖縄のことを訴えていきたい。三里塚のように、三里塚と共に闘っていきたいと決意を述べられました。

 続いて活動報告として、一つは6月22日の沖縄での「三里塚の今を考える沖縄の集い」の詳しい様子を高見元博さんが報告されました。今一つは、6月、9月と1ヶ月あまり福島を訪れ、その現地の様子とボランティア活動をされてきた中での具体的な被災者の声を、古河潤一さんが報告されました。

 カンパアピールを「関西新空港反対明石住民の会」の日原年和さんが行われ、三里塚に寄せる想いと天神峰本部破壊への怒りを語られました。

 11918_6 ここでこの日のメインである三里塚現地からの報告と決意が、反対同盟事務局次長の萩原進さんが登壇され、語られました(詳しくは、明日以降に掲載いたします)。

 萩原さんは、「日本列島はどうなっているんだ」という言葉で話し始められました。そして「3・11で全てが変わったんじゃないか」「我々も意識を変えよう」と提起されました。「福島、沖縄、三里塚も根は同じだ」「点が線につながっていくような関係、闘いを作っていこう。それができるチャンスだ」「向こうの懐に飛び込むような闘いをやろう」とも。

 そして「不法耕作」などと市東さんを「犯罪人扱い」している農地強奪攻撃への怒りをあらためて訴えられました。裁判闘争として裁判所を包囲するような結集力で闘い抜くと共に、世論を喚起しようと。そして「くるなら来いという我々自身の態勢を作ろう」と。

 最後に産直運動への思い、放射能をめぐる行政、国家権力との闘いの有り様を訴えられました。

 会場は、萩原さんの30分を超える熱烈な、しかもわかりやすい提起に、「10・9現地に結集しよう」という熱気で応えました。

11918_7  萩原さんの提起に応えて、「高槻医療福祉労働組合」執行委員長の吉岡一彦さん、「風を起こす女の会」の松野尾かおるさん、「関西合同労働組合」執行委員長の石田勝啓さんが決意表明を行い、10・9三里塚への決意が語られました。

 集会のまとめに立った山本善偉関実世話人は、集会の各発言を振り返りながら、「福島の怒り、沖縄の怒り、三里塚の怒りを一つにしよう」「10・9三里塚へ全力で集まろう」と訴えられ、「91歳になるが、命あるかぎり後顧の憂いなく闘いを全力でやり抜きたい」と自らの決意を明らかにされました。

 最後に、安藤眞一関実事務局次長の音頭で「団結頑張ろう」を行い、さあ、デモに出発です。

 11918_8 幸い雲が出て残暑の熱気が和らぐ中、人通りの多い心斎橋からなんばへのデモです。萩原さん、永井さん、山本さんを先頭にしたデモは、沿道の人々の注目を集め、若い人々が驚いたように先頭の横断幕に見入りながらカメラを構えたりしています。

 なんばで永井代表からのまとめの挨拶と、再度の団結ガンバローですべての日程を終えました。

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2011年9月17日 (土)

今週の産直野菜(9月17日)

11917  先ほど三里塚から産直野菜が届きました。雨やその後の猛暑にもかかわらず、今日もたくさん届きました。

 ミニトマト、オクラ、じゃがいも、ピーマン、ゴーヤ、玉ねぎ、にんにく、ピーマン、さつまいも、モロヘイヤ、唐辛子 以上、11品も。

 画面を見ながら品名を打ち込んだのですが、なんの躊躇もなく「野菜だより」を見ることなく品名が打ち込めるようになっています。3年もおつきあいすると、進歩するものですね。みなさんには当たり前かもしれませんが、私には大きな変化です。

 先日の雨できゅうりがダメになったとか。残念。

 11916 この三里塚の野菜とは別に、昨夜、福島から梨がとどきました。12個。購入最小単位の5キロです。先日9月12日の当ブログで書きましたが、神戸の9・11アクションでちょっとしたトラブルがあり、驚いて個人的には「申し訳ない」という思いがいっぱいになって、連絡を取り、購入させていただきました。大内果樹園さんです。詳しくは、ホームページ「福島・未来塾すばる」http://space.geocities.jp/miraijuku_subaru/をご覧ください。リンクされている「福島・未来塾すばる」ブログに福島でのいろいろなことが書かれてあり、知らずに以前から覗いておりました。ホームページの「梨の販売」というのを見ていただくと購入することができます。送料がありますのでちょっと割高ですが、めっちゃ美味しかったですよ。「有機発酵肥料主体の土作りをして25年」だそうです。品物に横浜市の「同位体研究所」の放射能検査結果のコピーが付けられていました。「不検出」です。

 大内さんの奥さんとメールで意見交換をしていて、大切な友人が共通なことが分かり、「世間は狭いなぁ」と驚くことしきりです。

 みなさん。明日の大阪市立中央会館での「三里塚関西集会」においでくださいね。

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2011年9月15日 (木)

なぜ、今、「成田空港」なのか?

 上海港 世界一

 11830 8月30日の朝日新聞に大きな記事で「上海港 世界一」というのが載りました(右写真)。2010年の世界の港のコンテナ取り扱い量で上海港が世界一になったという記事です。しかも、上位8位までが、中国、アジアの港で、9位が中東のドバイ、10位にやっと欧州のロッテルダムがでてきます(写真をクリックすると大きくなって見やすくなります)。

 日本は? 東京港が27位にやっと出てきます。2004年が20位でしたから、大変な下がりようです。1980年世界4位だった神戸港は、2004年には32位まで下がったのですが、2010年には何と番外(50位以下)です。ちなみに横浜港は、29位から36位に転落です。

 GNP世界第3位の経済大国日本が、海運の世界で、完全にアジア(世界)の蚊帳の外にいて、しかも転落が下げどまらないことが如実に示されています。

 これが「アジアゲートウェイ構想」(2007年、自公・安倍政権)、「新成長戦略」(2010年、民主党政権)で、「ヒト・モノ・カネの流れを取り戻さなければならない」と叫ばれた原因です。

 保護主義の国交省

 このことは航空業界の現実にもそのまま当てはまります。同じ国交省が管轄しているのですから。日本は、1960年代から80年代、正に高度経済成長による驚異的な経済発展を謳歌していました。1983年から1987年、航空旅客輸送量で日本航空JALが世界一になります。成田空港が開港し、「需要は作るもの」と豪語していた国交省は、関西国際空港(1994年開港)、中部国際空港(1996年決定、2005年開港)を作ればいいのだとその保護主義的な航空政策を見直そうとしませんでした。世界のオープンスカイが進む中でも「航空の自由化といっても実益のないことだろうというのが基本にありまして」(1985年、西村航空局長)と言ってはばかりませんでした。後に成田空港会社社長になる黒野(現NAA顧問)は、成田空港の自由化を拒否する根拠として狭隘さを原因として「新規参入は難しい」(1986年、当時航空局課長)とし、国交省は実際にも安全性の審査を複雑にし新規参入を阻んでさえいるのです。そしてNAA社長になった黒野は「日本にハブ空港はいらない」(2000年)とさえ表明したのです。

 しかし、成田空港の狭隘さによる現実と、関西空港、中部空港の惨状は、最初に挙げた海運業の惨状とも相まって、アジアゲートウェイ構想や新成長戦略の流れを生み出します。アジアゲートウェイ戦略会議の航空部門の座長を務めた伊藤元重東大教授は、この国交省の頑固なまでの保護主義と「政策の遅れ」を苛立ちを持って「07年5月に出された政府のアジアゲートウェイ戦略会議の報告書では、『オープンスカイ政策』という文言を入れることに国土交通省が難色を示した」(伊藤著『日本の空を問う』07年、日本経済新聞社)と暴露しました。伊藤は、さらに同書の中で、JAL・ANAの航空会社保護をその政策の軸に据える国交省のあり方に、「こうした意見の根底には、日本の航空会社の路線を増やすことが国益であるというような考え方が見え隠れする」「航空利用の国益は、企業の利益や省益ではなく、利用者や地域の利益を中心に考えるべき」と揶揄しています。

 成田空港をめぐる政策転換

 こうした経済財政諮問会議(当時)など財界の苛立ちを背景に国交省は2002年暫定滑走路の供用開始の強行を転機に、成田空港の自由化のための成田空港拡張、完成に向けた政策転換をはかったのです。それが市東さんへの2003年から始まる農地明け渡しを求める攻撃の開始として現れたのです。

 「世界的な大不況による航空産業の低迷は、ハブ空港から陥落した成田の危機をますます促進しています」とこの間、よく言われます。しかし、そうでしょうか。冒頭にあげた海運業界の現実が示すように、中国を軸にしたアジアの経済の巨大化の流れに、その巨大な「ヒト・モノ・カネ」の流れに、経済大国でありながら日本だけが独り乗り遅れているということの結果ではないのでしょうか。

 海運業の遅れは、昨年「ハブ港湾構想」が打ち出され、東京港と阪神港がハブ港湾に指定されましたが、もう取り返しがつかないでしょう。正に追い詰められた国家権力は、航空政策の転換で遅れを取り戻そうとしているのです。関西空港や中部空港は合わせても成田空港の規模にも追いつかず、しかもその8割以上が中国、アジアの路線しかなく、欧米にはJALもANAも飛んでいないという地方空港に転落している惨状にあります。国策として航空政策を立て直すには、東京一極集中が極度に進む現実の中で、首都圏の航空容量を拡大することにしか方策は成り立たないことがこの10年余の現実の中で明らかとなっています。そのことが、民主党政権に「羽田国際化」、「成田・羽田の一体運用」を決断させたのです。しかし、羽田の拡張はこれ以上は無理だと言われています(スーパー港湾に指定した東京港を阻害するからです)。また首都圏第3空港が言われて久しいですが、これも引き受けてくれる自治体が無い以上「絵に書いた餅」となっています。結局、国交省は成田空港を自由化するための拡張、完成しか選択肢はなかったのです。

 しかし、この成田空港の拡張、完成には地元の受け入れと、三里塚闘争の根絶という2つの問題が立ちふさがっています。2010年3月、暫定滑走路の北延伸で2500メートル化して供用開始をした時、効率をあげるために当然のように暫定滑走路を着陸専用にしました。しかし、これは大変な騒音被害が出てしまい地元の猛反発を受けました。拡張どころではありません。わずか1ヶ月余でこの「着陸専用」を中止せざるをえませんでした。今は、騒音対策を頭におきながら間隔や、離陸機も使うことが行われています。

 国交省は、2013年までの暫定滑走路の「へ」の字問題の解消と第3誘導路建設を前提に、中国をはじめアジア各国との成田空港の自由化に向けた航空交渉を次々と行い、すでに今年に入って韓国、シンガポール、香港、ベトナムなどと協定が結ばれています。それが「2013年には27万回化、2014年には30万回化実現」というキャンペーンの中身です。それは三里塚反対同盟の解体、闘争根絶を前提としています。それが昨年からの開拓道路の閉鎖、市東さんの南台の農地のフェンスによる囲い込み、そして天神峰現闘本部の破壊・強制撤去の攻撃であり、市東さんの農地強奪に向けた行政訴訟・農地法裁判の早期結審・判決策動の攻撃を、正に「追い詰められ」てかけてきたということなのです。

 一昨年9月から、6ヶ所の一坪共有地に対して「売却を求めて」国が提訴し、先日、東峰の団結小屋が和解して自主撤去すると報じられましたが、これも成田空港完成(つまり空港用地内の東峰部落の更地化、凍結されている横風用滑走路の着手など)を国交省が追及していることの現れです。

 地域の破壊を招く成田空港完成

 もともと成田空港の建設については決定された1966年当時の非民主的な経緯と、農民から農地を強奪するという問題と同時に、内陸にこれだけ狭い範囲の空港建設による騒音問題の発生をはじめとした地域の破壊という問題が各方面から指摘されていました(例えば、『成田空港って何だろう』松田秀雄著、1981年 (株)技術と人間出版)。

 アジア、世界からの遅れを取り戻そうとする帝国主義としての衝動から進められる成田空港の完成は、とりあえずは地元を抱き込むために騒音問題を根拠とした「夜間飛行の禁止」を維持するでしょう。しかし、その意味で暫定滑走路の供用開始時点では、「A滑走路との差別化」として朝と夜、30分づつ使用時間がずれていたのですが、2009年春、その「差別」は住民への何の説明も無くとっぱらわれました。そして『羽田 VS. 成田』(2011年 マイコミ新書)をはじめ多くの本で書き立てられているように、「世界の国際空港で夜間飛行禁止は成田だけ」の大合唱があり、「30万回化」による騒音問題の強制(地元はすでに受け入れていることにされています)の後には、24時間化(これも「地元の声」と言われています)が強行されることは時間の問題でしょう。

 すでに萩原進さんの証言にもあるように、現在でも暫定滑走路の22万回化は、住民(農民)にとって恐怖を感じさせる事態となっています。それが30万回化、そして24時間化となればどういうことになるか、指摘するまでもないと思います。それは、今とは比較にならない広大な地域で、人が住めない、暮らせない、農業ができない破壊が、北総の大地で確実に進行します。

 沖縄で、90%の県民が基地撤去の声を上げているにもかかわらず、「国策」の名の下に辺野古新基地、高江のヘリパッド建設を強行しようとする国です。「安全神話」によって農民と漁民から暮らしと生業を原発事故、「死の灰」放射能によって奪う国です。そして福島の事態が何一つ解明もされないのに、全国の原発を再開しようとする国です。その国が、アジア、世界からの航空政策の立ち遅れを理由に「成田空港完成」「成田の自由化」の「国策」を振りかざし、三里塚反対同盟に、東峰の住民に、北総の住民に襲いかかろうとしているのです。これが国交省の「政策転換」の実態です。

 三里塚闘争の45年は、こうした終始一貫した「国策」による住民無視、生活破壊の攻撃をはね返し、押しとどめてきたのです。そのことに追い詰められた国が、今、総力で三里塚闘争の破壊、市東さんの農地強奪に一切をかけて襲いかかろうとしているのです。どうして許せるでしょうか。

 9・18三里塚関西集会を成功させ、10・9三里塚現地へ駆けつけようではありませんか。そして福島、沖縄、三里塚を結び、この国を変えていこうではありませんか。 

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2011年9月13日 (火)

10・9三里塚全国総決起集会 招請状

 三里塚反対同盟より、10・9全国総決起集会の招請状(「11.10.9案内状.pdf」をダウンロード )が届きました。

 9・18三里塚関西集会(9月18日午後1時半開場、大阪市立中央会館ホール)を成功させ、10・9三里塚へのうねりを関西から作り出そう!

   招 請 状

                  三里塚芝山連合空港反対同盟

 全国の労働者、農民、闘う仲間のみなさん! 3・11の大震災と今なお放射能をまき散らす福島第1原発の爆発事故は、すべての人々に対して、これまでのあり方や価値観の転換を求めています。反対同盟は「国策」=空港建設に対して身体を張った45年間の原点に立ち、福島の怒りに限りなく連帯し、全国の農民の最先頭で闘う決意を新たにするものです。この情勢下、三里塚闘争もまた新たな決戦段階に入りました。10・9全国集会への大結集を呼びかけます。

 政府権力と空港会社は、8月6日、大量の機動隊を押し立てて、天神峰現闘本部の破壊を強行しました。仮執行宣言をもってする緊急性もまったくない中で、あえて踏み切ったこの憎むべき攻撃の本質は、市東さんの農地強奪です。直後の裁判(8・30 行政・農地法裁判)では、「年内結審・年度内判決」の構えを露骨にし、現地では第3誘導路工事を急ピッチで進めています。

 三里塚の不屈の闘争は「国策」=成田空港を未完の欠陥空港に追い込みました。世界的な大不況による航空産業の低迷は、放射能の拡散やドルの信用不安による円高と相まって、ハブ空港から陥落した成田の危機をますます促進しています。現闘本部破壊はあせりに満ちた攻撃であり、「国策」に組み敷くための闘争破壊そのものです。反対同盟は8・30闘争でその策動を押し返し、農地決戦への突入を宣言しました。

 泊原発3号機の再稼働に心底から怒りがこみ上げます。情報隠しとウソ、やらせ指示、原子力村の癒着こそ原発のすべてです。崩れ落ちた「安全神話」に代えて放射能安全デマがふりまかれ、低レベル放射能が子どもたちを襲っています。拡散した放射能が東京23区を超える面積から住民を締め出し、農地を破壊しました。被害は福島にとどまらず東北・関東一帯に広がり、すべての農家が直接の脅威にさらされています。

 新自由主義による農業つぶしと地方の切り捨てが過疎をつくり、原発誘致を選択させ、その結果の原発事故が広大な無人地帯と放射能の驚異をもたらしました。あげくの「経済特区」と農業破壊、資本による漁業権のはく奪です。これこそ棄民政策そのものです。「国策」を掲げて強行された成田の農地収用、その象徴としての市東さんの農地取り上げ攻撃、基地拡張の沖縄の現実とまさに一体です。

 ますます迷走する民主党・野田政権は、大失業と非正規労働を生み出す一方で、日本経団連と連合にしがみつき、原発推進とTPP(環太平洋経済連携協定)参加、法人税率引き下げをあからさまに打ち出しました。「国難」を掲げ、一切の矛盾を人民にしわ寄せして生き延びようとしています。しかしこれこそ巨万の怒りと決起を生み出す過程そのものです。攻撃をうち破る道は「国策」に対して身体を張って闘う「絶対反対」の闘いです。それを可能にする情勢が眼前に広がっています。

 いまこそ大胆に、攻撃的に闘おう! 違いを超えて連帯し、巨万の力を生み出そう! 反原発と反TPPの農民反乱、基地全面撤去を求める沖縄の闘いは、もはや押しとどめることはできません。反対同盟は、国鉄解雇撤回、偽装請負・外注化阻止へストライキで闘う動労千葉と労農連帯の絆をさらに強め、沖縄・関西住民と連帯して闘います。学生の決起こそが未来を切り開く。中東・北アフリカから世界に広がる民衆蜂起の嵐の中、いまこそ韓国やアメリカ、そして全世界の労働者・農民と連帯して闘おう。野田政権を打倒しよう。

 市東さんの農地を守る闘いへの総決起を誓う10・9全国大結集を、渾身の力をこめて訴えます。

 2011年9月6日

                

【集会名称】 第3誘導路粉砕・市東さんの農地を守ろう! / フクシマ連帯・原発再稼働許すな! / TPP(環太平洋経済連携協定)反対! / 軍事空港粉砕・改憲阻止!

  10・9全国総決起集会

11109【日時】10月9日(日)正午

【会場】成田市東峰 反対同盟員所有地

【主催】三里塚芝山連合空港反対同盟

 なお会場への行き方は右図の左側に記載されておりますが、これとは別に時間が開会に少し遅れますが、京成成田駅東口(または成田市役所前)から午前11時44分発の「くるくるバス」(津富浦ルート)に乗り、会場前の東峰(東峰神社の前が停留所)で降りれば(12時00分着予定)、200円で行けます。

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2011年9月12日 (月)

「命のメッセージ 希望」

11911 3・11から半年、9・11から10年を迎えて。

 たんぽぽ社のホームページの映像で「JIMネット」の事務局長、佐藤真紀さんの話しを聞いていて、「命のメッセージ 希望」という写真エッセイ集が出版されるのを知りました。2011年9月11日出版です。それが今日届きました(右写真)。「JIMネット」代表の鎌田實さんの文章と佐藤真紀さんの写真で、東日本大震災の被災地への想いと、最後にイラクの子どもたちへの想いが綴られています。

 気持ちが和むことができました。詳しいことは読んでみてください。今、私たちひとりひとりが、どういう立ち位置に佇むのかが問われているのではないでしょうか。こんなことを想いながら読ませていただきました。

 11910 一昨日、10日は、宝塚教会で開かれた「さよなら原発! 9・10阪神集会」に参加しました。会場いっぱいの100人近い人が参加され、元京都大学原子炉実験所講師の小林圭二さんのお話しを聞きました。軽水炉の原子力発電の原理から、福島事故の経緯と見通しなどについてわかりやすく話されました。印象的だったのは、「子どもたちをつれたお母さんたちが立ち上がっている」と強調された上で、「外に出ていくこと」「デモに参加することが今本当に大事です」と訴えられたことです。

 11910_2 10日の夜は、神戸空港の中止を求める市民の会の例会で、ETVがこの8月14日に再放送した「私にとっての『3・11』 『フクシマを歩いて』」という作家の徐京植(ソ・キョンシク)さんの語りを中心にした映像をみなさんで見ました。

 徐さんは「根こぎにされている」と被災者を語り、酪農家で自殺をされた方への想いを語りながら、ひとりひとりが彼の命を自ら絶った想いを受け止められるかだと指摘されました。

 11911_2 昨日は、神戸のメリケンパークで開かれた「さようなら原発 9・11神戸アクション」に参加しました。めっちゃ暑かったです。それでも、全部で1000人くらいは来ておられたのではないでしょうか。なにしろ一日中のイベントでしたから。夕方、神戸市の中心部へのデモには400人を超す人が参加され、道行く人々に語りかけていました。

 ただ、今日、「福島・未来塾すばる」ブログhttp://blogs.yahoo.co.jp/fukushima_apple/MYBLOG/yblog.htmlの昨日の記事を読んでいて、この「神戸アクション」の主催者の準備の論議で、いったんお願いしていた「福島の梨」を断ったということを知り、本当に残念だと思いました。一人ひとりが、今、放射能「死の灰」にどう向き合うかは、いろいろな想いがあるとは思います。しかし、大事なことは、徐さんの指摘にもあるように、先ず私たちが、福島の人々に、福島の事故にどう向き合うかではないのでしょうか。ほんとに残念です。この行動に賛同した参加者の一人として、悲しく、お詫びしたい気持ちでいっぱいです。

 

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2011年9月10日 (土)

今週の産直野菜(9月10日)

11910  今、三里塚から産直野菜が届きました。小さ目の箱で、持つと「軽い」。

 ピーマン、オクラ、ししとう、にんにく、玉ねぎ、ゴーヤ、じゃがいも、なす、モロヘイヤの9品。まあ、この時期としてはいいほうですね・・・。

 しかし、夏明けの野菜が入ってこないのが少し不安。そういえば、空芯菜が今年はなかったのですね。

 ゴーヤはもっぱら焼き飯。玉ねぎとじゃがいもがどうしても余り気味。先週の残りのジャガイモには芽が・・・。にんじんが待ち遠しいですね。

 「野菜だより」によると台風12号の影響はなかったようで、よかったですね。和歌山、奈良などこちらは未だに被害が残り、孤立した地域がある状態。今日の新聞の1面見出しが「海 山 恵み喪失」と農、林、漁業に大きな影響があったことが報じられています。被災地のみなさんにお見舞い申し上げます。

 福島では、政府と東電が事実を隠してきた結果として、半年も経った今になって深刻な事態が毎日のように報じられています。人間には処理の出来ない「死の灰」。これから長い期間にわたって文字通りの闘いになっていくのでしょうね。

 政権が変わったことによって、官僚や政府、電力会社の露骨な「原発再開」への動きが始まっています。鉢呂経産相の「暴言」もそうしたことが背景にあるのではないでしょうか。本当に許せません。

 長い闘いになるとは思いますが、福島の皆さんが生き抜いて、その生業(なりわい)を奪還していく道筋を共に進めればと想いを新たにしながら、「福島と共に生き抜いていく」という三里塚の皆さんの思いを噛みしめて野菜をいただきます。

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2011年9月 9日 (金)

「神戸市住宅公社 破産を」の記事に思う

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 今朝の朝日新聞の兵庫版に上のような記事が。神戸市の大規模団地の開発など住宅政策を担ってきた「神戸市住宅供給公社」が433億円の借り入れがあり改善される見込みがないから破産手続で精算するのがよろしいと神戸市の第三者委員会が提言したのだというのです。破産させたほうが市民の負担が240億円に納まって「軽く」済むというのです。

 一見もっともらしく見えるのですが・・・。神戸市の「第三者機関」とか「○○審議会」というのが、行政の隠れ蓑でしかないことは多くの市民が知るところです。ですから、これも、神戸市行政が考えていることを「第三者機関」を通してアドバルーンを上げたというのが正確でしょう。

 いかにも「これ以上の市民の負担に拡大させてはならない」と言っているようですが、神戸市は震災前に笹山市長(当時)の肝いりで、六甲山をぶちぬいて巨大なシンフォニーホールを作るという計画を立て、震災のどさくさに放置されてきました。ところが神戸市は、計画をやめるどころか用地の取得などを進めてしまい、10年ほど経って市民が情報公開で知るところとなりました。その損失は200億円以上です。これを市議会で追求された当局は「適正に手続きが行われた」と開き直り、200億円を超える無駄な支出が税金を使って行われたことを市民に謝ろうともしませんでした。

 震災を理由に手がけられた新長田周辺の「復興事業」(震災前から計画されていた再開発事業を「復興」の名ですべりこませたのだ)が、半分しか出来ず、しかも虫食い状態なのですが、全部売れたとしても150億円以上の欠損を出すことが明らかにされながら、神戸市は市民に謝罪しようともしません。

 ワールドカップ開催を理由に市民の反対を無視して強行された地下鉄高松線は、赤字の垂れ流しですでに800億円近い累積赤字を抱えていますが、これも神戸市は謝罪しようともしません。

 関西空港とのアクセスだとして神戸空港で運営が続けられている「海上アクセス」もまた、150億円を超える累積赤字が増え続けており、廃止すべきだという市民の声に耳を傾けようともしていません。

 例を挙げればきりがないほど、神戸市が240億円ぐらいの「市民への負担」を気にするような「柔な」行政でないことは明らかです。

 そもそも、市の行政とは衣食住に関わる市民生活を守ることを最大の任務としています。それは憲法25条が規定する「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」に根拠づけられた重要な職務です。その最大の問題が「住」、住居の問題です。ところが神戸市は、これまで国の公営住宅に関わる法律が改悪されたのに便乗して、改良住宅や震災住宅などの助成金の大幅削減を強行し、昨年来、震災復興住宅の借り上げ契約期限を理由に住民を追い出そうとしてきた行政です。

 その神戸市が「433億円」の借入を理由に、住宅政策の根幹とも言える「住宅供給公社」を精算するとは、住宅政策から手を引くという宣言以外の何ものでもありません。市民の生活を顧みないということではないでしょうか。(433億円程度の借金でおたおたする神戸市ではないだろう!神戸空港の2千億円の借金をどうするつもりだと聞いても、「努力しています」と平然としておれるくせに・・・。)

 この記事に繰り返し先ほど指摘した「借り上げ住宅」の問題への言及があります。おまけに最後のまとめに「震災復興に伴う借り上げ住宅事業が年間4億円以上の赤字を計上し、公社の経営を圧迫しているという。」としています。「何をか言わんか」ではないでしょうか。第三者機関の提言では「復興住宅所有者との借り上げ契約については市あるいは市の外郭団体が引き継ぐべき」としているようですが、要するに住宅政策の切り捨ての中で、借り上げ住宅問題の切り捨てを暗に意図しているのではないかと考えざるを得ません。

 神戸市がその「山、海に移る」「神戸市株式会社」といわれてきた大規模開発の破綻のつけを市民への犠牲の転嫁で乗り切ろうとしていることを私たちは断じて許せません。「住宅政策」の切り捨てなど断じて許されません。

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2011年9月 8日 (木)

3・11から半年

 3・11東日本大震災からはや半年を迎えようとしています。

 17年前の阪神淡路大震災の時は、2ヶ月でほとんどのライフラインが回復し、3ヶ月目で住民の会のビラまきを開始しました。避難所も半年経ったころにはほとんどが仮設住宅や自宅(新しい自宅も含め)に移ることができました。しかし、震災復興住宅でのお年寄りの「孤独死」や「自死」で16年を経た今でも年間60人近くの方が亡くなり続けています。東灘区の本山地区の復興計画が頓挫し、国道2号線沿いにもそれと分かる仮住まいのままのところが残っていたり、神戸で最も被害がひどかった長田では、神戸市が強引に進めた新長田周辺の復興事業(という名の「再開発事業」)が破産し、半分が放置されたままで、出来たところも虫食い状態で、住民と神戸市の間で争いが起こっています。何より「震災復興の希望の星」と建設が強行された神戸空港が、国の航空行政からも見放され、莫大な借金をかかえ市民の大変なお荷物になろうとしています。

 私たちは、福島で、東北で、「復興」の名のもとに同じことが繰り返されるのではと大きな懸念を持っています。未だに実態さえつかめない原発事故による様々な問題がこれからこの半年以上に吹き出してくるだろうと思うとき、その厳しさを思わざるを得ません。とりわけ多くの地域で、国と東電の「責任逃れ」による情報秘匿によって多くのみなさんが1ヶ月も2ヶ月も「死の灰」(放射能)に晒され続けていた結果が、晩発性の障害としてこの年末くらいから数十年にかけて出始めるのではないかと言われています。

 政府は、福島事故を通した「原発の安全性」への何の見通しもないまま北海道の泊原発を再開させる一方、野田政権は、被災者を放置し、「死の灰」に晒し続けたことへの謝罪の言葉もなく、何の対処も展望もないまま、「震災対策の財源確保」と増税への動きを開始しました。怒りなしには見ることができません。被曝しつつある子どもたちの未来に、農業や漁業の未来にどう責任を取ろうとしているのかまったく見えてきません。

 私たちは、今、この福島、東北の皆さんと共に生き抜いていくにはどうすべきなのか本当に考え、立ち上がらねばなりません。

 3・11を期して、「反原発」「脱原発」を水路として、この国を変えていこうという声が、春以来うねりのように大きくなってきています。半年を迎えるこの土曜日、日曜日には全国で「さよなら原発」「とめよう原発」との掛け声で取り組みが行われています。そして19日(月・休)には東京・明治公園で「集まれ5万人・さようなら原発」(「11.9.191000万人アクション.pdf」をダウンロード )と呼びかけられています。

 9月10日、阪神間では、「さよなら原発! 9・10阪神集会」として、宝塚(午後2時から、宝塚教会)、尼崎(午後6時半から、尼崎女性センター)の2ヶ所で開かれます(詳しくは「11.9.10さよなら原発.pdf」をダウンロード )。

 9月11日、神戸では「さよなら原発 9・11神戸アクション」として、午前11時から午後9時まで、メリケンパークで開かれます(詳しくは「11.9.11神戸アクション.pdf」をダウンロード )。また同じ日、大阪では「原発ハヨトメロ!! デモ in 大阪」が午後2時から大阪ナンバの元町中公園(地下鉄各線「なんば駅」32号出口から)で開かれ(ライブあり、リレートークあり)、集会後デモをします。

 みなさん。それぞれの場所で、できる取り組みを、ひとりひとりの力を合わせやっていこうではありませんか。

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2011年9月 7日 (水)

第3誘導路裁判を傍聴して

 第3誘導路裁判は殺人的な国策を裁く裁判だ

 9月6日、「第3誘導路建設の許可処分の無効確認と空港会社の同工事の中止を求める裁判(第3誘導路裁判)」の第3回口頭弁論が、千葉地裁601号法廷で行われました。

1196  この日も、10時半の開廷10分前には原告(反対同盟)も裁判官らも着席しているのに、ギリギリで被告の国、NAA代理人が着席するという横柄な態度に、傍聴席から「早く来い」との声が飛びました。

 最初に原告、被告双方から求釈明のやりとりで応酬、反対同盟の葉山弁護士は「第3誘導路建設の必要性は認められないし、誘導路計画自体がシカゴ条約に違反している。被告は運用面を理由にあげているが、風向きのデーターも隠しているし、建設工程も明示していない。安全を口実に設置した信号機も撤去するなど、整合性がない計画だ」と被告を糾弾し、この誘導路建設が、市東さんを追い出すことのみを最大の狙いにしていることを暴露しました。

 この裁判の大きな争点となっている「原告適格性」について、被告らは航空法が周辺住民の権利を対象にしていないとして「法律上の利益はない」と反対同盟の訴えを門前払いする訴訟指揮を画策していますが、反対同盟代理人は、最近の判例を明示して、周辺住民の安全を考慮し国民の利益を守る事例が多くあり、行政訴訟法の改定で原告適格性を広げる国会付帯決議を守れ、と裁判長に強く求めました。

 また、環境調査のデーター実績が、52dB~63dBのWECPNL(平均値)のみを公表して、安全が脅かされる市東さん、萩原さんなどのお宅の騒音測定をしていない事実を厳しく指摘、被告の暴虐ぶりがあきらかにされました。

 次回口頭弁論が、11月29日、次々回が2月7日に開廷することを決めて閉廷。

「こんな空港はいらない、国策を変更させよう」萩原さんが訴え

 裁判終了後の記者会見と報告会は弁護士会館で行われ、1196_2 冒頭に萩原進事務局次長から「3・11以降半年が経過したが、国策によって多くの人々が犠牲になり、苦しんでいる。三里塚は最先頭に立って、この誤った国策を糾弾し、変更させる」との決意が述べられました。

 続いて弁護団から今日の裁判の解説があり、「工事をさせない、誘導路建設の許可を撤回させるまで闘う。市東さんらの地区の騒音調査もしないで安直に許可を出している。人間扱いしていない。しかし、非常識と思われることを裁判所は通すので油断せずに取り組む」との決意が語られ、記者会見に移りました。

 私からは、騒音調査データーのことで「WECPNLの平均値はうるさい実態を表していない、1機ごとのピークレベル値を公開させて欲しい」との要請を弁護団にいたしました。

 この裁判所の1階では、待ち時間を利用して鈴木加代子さんら数名の女性が、ある週刊誌記者から取材を受けていました。鈴木さんらは5・20不当逮捕勾留中の人権蹂躙の数々を証言し、三里塚闘争への弾圧の実態を明らかにされました。国家権力の非道なやり方に怒りを込めて「多くの読者に伝えて欲しい」と三里塚の闘いを訴えていました。

 今こそ私たちは、三里塚の闘いの決意を我がものにして、裁判を勝利させ、9・18三里塚関西集会の大成功と、10・9三里塚全国闘争の爆発を勝ち取りましょう。

                【報告 関実事務局次長 安藤眞一】

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2011年9月 6日 (火)

「憲法の改悪に反対する元教職員ひょうごネット」ニュースより

8・6ヒロシマの日の早朝、三里塚(成田)で起こったこと

 3・11フクシマの事態の後、多くの人たちがヒロシマ・ナガサキに立ち返ってこの国を変えたいという想いをもって8・6ヒロシマへ参加していた。

 その8月6日、それも漆黒の闇に閉ざされた午前3時。国家権力は、機動隊千人を配置し三里塚闘争45年の象徴ともいうべき「天神峰現地闘争本部」に襲いかかり、8時間を費やして破壊・解体し尽くした。「国策」をかかげ、土地収用法など国家を上げあらん限りの手段を尽くしても、なお45年の経過の中で完成できない成田空港のために。

Photo_2   天神峰現闘本部は、法的に登記され三里塚反対同盟が所有する木造建築があり、反対同盟に厳然と地上権が存在している。この天神峰現闘本部、そして市東孝雄さんが耕作している農地がB滑走路(つぎはぎだらけ、いまだに「暫定滑走路」といわれている)完成を阻止し、「への字」に曲がった誘導路をもたらしている。空港会社NAAと国家権力は、何とかこれを取り上げようと「木造建築は存在せず不法に建築された鉄筋の建物だけだ」と撤去を求め裁判を起こしていた。

 昨年2月千葉地裁判決、今年5月20日の東京高裁判決は、木造建築を確かめる現場検証を拒否し、(NAA側)証人偽証に対する反対尋問を三里塚反対同盟から奪い、木造建築と地上権の存在を抹殺した。この不正義を闇に封じるために、東京高裁は「闘争本部」解体を許可する「仮執行」を判決に付するとともに、抗議する50名もの人々を裁判所内で理由なく逮捕するという暴挙を働いた。

 1186 天神峰現闘本部を「8・6」の夜陰に乗じて襲撃、解体したことは「木造建築の存在」(反対同盟に地上権あり)を抹殺するという不正義を暴かれることを恐れた、権力側の証拠隠滅以外の何ものでもない。国家権力は、この襲撃を「成田闘争の終焉」として演じるためにマスコミを午前3時に集めた。しかし、そのマスコミの誰一人、フェンスの中に入れ現場を見せなかった。多少なりとも「証拠隠滅」が映像や記事にされることを恐れたからだ。それも、直前に現地を「取材」したマスコミに、6日と知れることを恐れ「8日だろう?」とデマまで流させるという念の入れようである。

 裁判所が、「成田空港完成」の国家遺志を支えるために、地上権という憲法で保障された権利を抹殺し、その証拠隠滅を図るために千葉地裁に「収去命令」決定という形で踏み込ませたのは、いかなる事態というべきか。法の正義を守るべき裁判所が、自らの不法、不正義を証拠隠滅(証拠捏造もするが)で維持しようとするとは。しかも、その命令が出てから1ヶ月以上待ち、「8・6ヒロシマ」のその日の未明に照準を据え、夜陰に乗じて強行したのである。

 そこには「法の正義も、民主主義も」存在しない。国家権力の統治能力が崩壊していることを、国家権力自らが明示しているとしか言いようがない。

 沖縄で、9割を超える県民が新基地建設に反対し、普天間の県外移設を求めていることが、これほど明らかになりながら、政府は「日米合意」を再確認し、辺野古への新基地建設と高江へのヘリパッド建設を、なおも進めようとする。ここにも、それが如実に示されている。

 フクシマの事態がなに一つ解明されず、被災者にとって将来への展望が何一つ見えてこない中、玄海原発の再開にむけ「安全性は政府が保証する」という海江田の暴言もまた、同様であろう。

 三里塚闘争は45年が経緯する中で、確かにひとにぎりの農民の闘いとなっている。しかし、それでもなお、千人の機動隊を差し向けて天神峰現闘本部の解体、証拠隠滅という手段を取らざるを得ないのだ。それも8・6に合わせて。この国を、わたしたち民衆の力で変えなければならない。沖縄しかり。福島もしかり。福島、沖縄、三里塚をつらぬく闘いが、いま求められている。 

 「耕す者に権利あり」(市東孝雄さん)である。

      ―― 新空港反対東灘区住民の会事務局長 松原康彦

『憲法の改悪に反対する元教職員ひょうごネットワーク』ニュース 第27号(2011年8月30日号)より転載

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2011年9月 5日 (月)

市東さんの農地を守る沖縄の会が弾劾声明

   弾 劾 声 明

 2011年8月6日早朝、未明によるNAAおよび国家権力による天神峰現地闘争本部の建造物破壊を満身の怒りをもって弾劾する。

 国家権力は姑息にも平和運動の原点である8・6ヒロシマデーの早朝に、反戦、反核、反基地闘争を闘う平和勢力の留守を狙い三里塚闘争の象徴的な存在としてあった天神峰現闘本部を破壊し尽くしました。国家権力は用意周到にもマスコミまで動員してデマを流し8月6日の強制執行はないと触れ回り、反対同盟を欺瞞したのです。

 71916 思い起こせば、国家権力の手口は何時も姑息卑劣でした。例えば、1971年第2次強制代執行時に友納千葉県知事は、大木よねさんに対し「今日は強制代執行は行わない」と発表し、支援者が居なくなると機動隊を大動員して、よねさんを家から引きずり出し住居を破壊しました。また、1977年5月6日、岩山大鉄塔を破壊した時は、5月の連休明けで、支援の仲間が引き揚げた隙に機動隊を動員し「家宅搜索」と騙して鉄塔を引き倒しました。

 三里塚闘争の当初から日本政府は法治国家として自ら遵守すべき三権分立などの法的規範をかなぐり捨てて、三里塚反対同盟および支援団体、個人に襲いかかってきました。

 Photo_2 生前、故戸村一作委員長は「我々は一つ一つ見れば空港公団、国家権力に負けているように見えます。しかし、滑走路が造られても飛行機は一機も飛んでいません。我々は勝っているんです」と発言されました。1978年暫定開港以来いまだ市東さん、萩原さんの農地に阻まれ成田空港は未完成な欠陥空港なのです。

 1967年10月の強制測量阻止の闘いで大地に杭を打たれてしまいましたが、三里塚農民のこころには強大な国家権力でさえ杭を打つことはできませんでした。岩山大鉄塔が破壊されても、こころの中の鉄塔は倒されたでしょうか?

 私たちは改めて確認しなければならない。三里塚45年の闘いで敵が卑劣な手段を凶行すればするほどに我々は着実に国家権力を追い詰めていることを。天神峰現闘本部は破壊されましたが、反対同盟は「悔しい思いの中でも、これは勝てるという思いを手にすることができた」、 「夜になったら怒りがこみ上げてくるんだろうが、その悔しさを数十倍にして返してやろう」、Photo_4 「我々は勝っているんだ、追い込んだんだ」と益々血気がみなぎっています。反対同盟員と三里塚を闘う人民の中に「現闘本部」は聳え立っているのです。

 沖縄の反基地闘争の原動力は一坪たりとも農地を譲らない反戦地主会および一坪反戦地主が頑として存在していることです。辺野古新基地反対闘争は、名護市民や県民の粘り強い闘いで政府を追い詰め計画を破綻させています。

 いよいよ闘いの正念場です。市東孝雄さんの農地死守、不屈、非妥協、実力の三里塚精神を貫き、ともに闘いましょう。

 いざ、10・9へ。

                 市東さんの農地を守る沖縄の会

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2011年9月 4日 (日)

関実 『実行委ニュース』第136号 発行

1191  市東さんの農地をめぐった攻防が新たな段階を迎えた今、9・18三里塚関西集会と10・9三里塚全国総決起集会が決定的に重要になっています。それにむけて、直ちにみなさんの周りで準備を始めてください。

 関実では、9・18、10・9に向け、『実行委ニュース 第136号』を9月1日に発行いたしました。賛同会員のみなさんなどにはもう届いている頃と思います。

 巻頭が、永井満関実代表世話人の「今こそ、市東さんの農地を守るために起とう」です。

 見開きには、三里塚反対同盟による天神峰現闘本部解体・強制撤去に対する「弾劾声明」(8月7日発)。

 8月6日の報告が2つ。一つは「裁判所が『証拠隠滅』の先頭に」(関実事務局)、今一つが「8・6ヒロシマ ヘドが出るような地獄絵図」(岩﨑晶子)

 そして「早期結審策動をはね返したぞ」(松原事務局次長)です。

 これを武器に、9・18中央会館へ、そして10・9三里塚へ起とう!

天神峰現闘本部の解体・強制撤去の暴挙を許さない!

今こそ、市東さんの農地を守るために起とう

             ― 永井満 関西実行委員会代表世話人

 「NAA及び国家権力が一体となって強行した現闘本部破壊の暴挙を弾劾し、共に勝利するまで闘うことを誓う」

 これはこの8月6日早朝、NAA及び国家権力が天神峰現闘本部の破壊を強行したとの一報を受け、私が反対同盟北原事務局長に送った激励電報である。北原さんからはほどなく丁寧な、しかし闘う決意に満ちた電話を頂戴し、感動を覚えた。

 その電話の中で北原さんは反対同盟がこの卑劣な攻撃に屈することなく断固闘い抜くことを力強く宣言された。反対同盟は不滅である、とも。

 多くの仲間が、8・6ヒロシマに結集しているその隙に、しかも早朝否、深夜3時に彼らは強盗のごとく現闘本部に襲いかかり、破壊を強行した。

 Photo この事あるは、あの5月20日、東京高裁井上裁判長が、同盟が要求した証人尋問、現地調査をことごとく却下し、仮執行付きの反動判決を下した時に予測されたことではあった。しかもあの日、高裁に申し入れを行い、その回答を求めて16階の高裁事務所前の廊下で回答を待っていた人々50名に機動隊が襲い掛かり、「不退去罪」で逮捕拘留するという断じて許せぬ暴挙を行なった。中には共に90歳を前後される反対同盟北原事務局長、わが関実の山本世話人はじめ、同名のみなさんや「障害者」のみなさんたちが大勢いたのだ。

 同盟の正当性・正犠牲ある弁論の前に何等反論できない国・裁判所がこうした暴力によって同盟と闘う仲間を脅し屈服させようとの意図が明白な「事件」である。「公共事業」を錦の御旗に問答無用と力づくで強行されてきた「成田空港」の暴虐は今も全くかわらない。

 反対同盟とその旗の下に結集する仲間は四十有余年この理不尽な暴虐と闘い続けてきたのだ。

 次なる彼らの攻撃の目標は市東さんの畑である。闘いの人であった父東市さんの遺志を受け継ぎ、断固として闘う市東孝雄さんの農地を守り抜く闘いを反対同盟と共に闘おう。

 その決意を撃ち固める9・18三里塚関西集会に総結集されんことを願う。そして10・9三里塚現地へ全力で集まろう。

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2011年9月 3日 (土)

今週の産直野菜(9月3日)

1193  今、三里塚から産直野菜が届きました。台風12号が関西に直撃(といってもこの辺は静かですが、これからかな?)という中で、どうだろうかと思っていましたが、無事に。

 被災されているみなさんにはお見舞い申し上げます。しかし、8月30日の時点では、千葉に直撃かと言われ、農地法裁判の闘いに来ておられた市東さんが、「直撃されると困るなぁ」と言っておられたのが気になっていただけに、その点ではほっ。

 届いたのは、じゃがいも、にんにく、きゅうり、ゴーヤ、玉ねぎ、ピーマン、ししとう、オクラ、モロヘイヤ、葉しょうが、なすびの11品です。箱は小さかったですが、中身はしっかり。2週間前のこの記事で、「モロヘイヤが盆前には虫食いが酷かったが、盆が明けてきれいだ」といったことを書きましたが、先日30日の裁判の時に市東さんにお聞きしたら、「萩原さんのところのがきれいで、うちのはとことんやられた」と。わずかの距離でそんなにも違うものかとびっくり。「やっぱり自然相手というのは難しいなぁ」とあらためて思いました。

 今年の芋ほり大会(収穫祭)が、10月30日に決まったと「野菜だより」が伝えています。楽しいですよ。みなさん。行きませんか。

 1192 昨日は、台風が迫り、風と雨が激しい中、労組交流センター関西協議会などが呼びかけた橋下大阪府知事と大阪府議会議長に対して「職員基本条例」「教育基本条例」が大阪維新の会によって8月22日提案されたことに対する廃案を求める請願行動に参加してきました(橋下知事への申し入れ書は「11.9.2橋下知事への申し入れ.pdf」をダウンロード )。

 申し入れに立ち会えるのは4人と制限され、廊下で待機していたのですが、警備員と私服警察官がうろうろ。「なんだ、この警備は」と怒りが。

 1192_2 府庁前で申し入れを終わった代表からの説明の後、怒りのシュプレヒコールを府庁にたたきつけました。

 そのあと、天満橋駅に移動し、マイクを使った訴えが行われる中、「基本条例に反対しよう」というビラと、「4・24『君が代』強制大阪府条例はいらん!全国集会」の案内ビラをみんなでまきました。

 強風で傘の骨が折れ、トホホ・・・。

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2011年9月 2日 (金)

尼崎・伊丹実行委員会 「抵抗の旗」より

 現闘本部破壊に怒り

 この悔しさをバネに、10・9三里塚に大結集し、市東農地を守り抜こう!

 8月6日(土)未明、ついに三里塚闘争の象徴であった天神峰現地闘争本部が多数の機動隊暴力に守られながら、NAA(成田空港会社)の手により破壊されました。1186 当日早朝その第一報を受けたときはただぼうぜんとしてしまい、三里塚にかかわってきた自分のこれまでの人生が頭の中をかけめぐっていました。徐々に落ち着きを取り戻しましたが、「あってはならない事」への怒りと悔しさをどう考え整理すればよいのか全く見当がつきませんでした。本当に悔しい!

【明らかな証拠隠滅】

 以前も記しましたが、破壊された現闘本部はその「存在」そのものをめぐって今裁判中でした。反対同盟は一審過程から一貫して「鉄骨3階建ての中には正式に登記された地上権が設定されている木造建屋が存在しているので調査してほしい」と何ども要請していました。しかし裁判所は調査を拒み続け、あろうことか二審ではこれを撤去できる「仮執行宣言」付の反動判決を下しました。Img_0205 そして今回、所有者である反対同盟の立ち会いどころか一片の通告すらなく破壊が強行され、反対同盟の「論拠」は消滅してしまいました。この状態で反対同盟はどのようにして上告審を闘うことが出来るというのか! まさに裁判所をして「証拠隠滅」に手を貸し、三審制度を否定したのです。絶対に許せません!

【三里塚は無法地帯】

 そもそもこの現闘本部は悪名高い成田治安法により90年から20年以上も運輸省(現国交省)に封鎖され続けていました。(このこと自体も全く許せないことですが・・・)この成田治安法は明らかに憲法違反だったため当時は時限立法とされたのですが、毎年ほとんど審議されることもなく更新され続けてきました。まさに現闘本部は国から長期にわたって違憲状態を強制され続けてきたのです。いずれにせよその解除がなければ所有者の反対同盟員さえ立ち入ることが出来なかったのですが、今回NAAはその法的手続きすら行わず立ち入り、破壊を強行したのです。これを無法と言わずして何と言うのでしょうか! 本当にひどい話です。この恨みは生涯消えることはありません。

【数十倍にして】

 8月6日は多くの闘う人々が「8・6ヒロシマ」に全力を傾注する日であり、当然三里塚現地も手薄になります。その日を狙って深夜に破壊を強行するとは・・・本当に卑劣です。まさに「闇討ち」「騙し討ち」の三里塚の歴史に新たな「闇討ち」が加わりました。またマスコミ各社もこの日のことは事前に知らされていたにもかかわらず、同盟側には一切知らせず、権力の指揮通りに報道しました。彼らは自らの使命を放棄して、かっての暗黒の歴史を繰り返すつもりなのか、恥を知れ!

 本当に悔しい限りですが「その悔しさを数十倍にして返してやろう」(総括集会での萩原事務局次長)の言葉通り、三里塚、沖縄、そして福島の闘いを軸に反撃を開始していきましょう。9・18三里塚関西集会を成功させ、10・9三里塚へ怒りの大結集を勝ち取りましょう!

【三里塚決戦勝利・関西新空港粉砕 尼崎・伊丹実行委員会 「抵抗の旗 第254号」 2011年9月1日号より転載】

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2011年9月 1日 (木)

淡路町空港反対同盟 「空港反対新聞」より

  闘争本部建物の破壊に抗議する

 この国家暴力は許せない

 1186 8月6日の夜明け前3時半、多数の機動隊に守られて反対同盟の天神峰現地闘争本部の強制破壊が始まり、3階建て建物がユンボ2台によって暴力的に破壊撤去されました。

 急を聞いてかけつけた反対同盟の皆さん、現地の支援勢力、関西からかけつけていた仲間の皆さんが、暴力工事に怒りを燃やしながら果敢に抗議の行動を続けました。

 総括集会で、萩原事務局次長から「悔しいが、これは勝てるという思いを手にすることができた」との決意表明があり、国家権力や空港会社NAAを更に追い詰める闘いに立ち上がろうと呼びかけました。

 コソ泥まがいに証拠隠滅

 この日の暴力的破壊は、だまし討ち同様に夜明け前に開始され、鉄骨3階建ての建物を覆っている外側の鉄板を「目隠し」のように利用し、3階建物の1階部分に残っている木造建物を見られないように破壊するという姑息なやり方で、裁判で争われた証拠を隠滅・破壊しました。

11830  正式に登記された木造建物の地上権は絶対に守られるはずですが、裁判所、国家権力、NAAは一体となって、木造建物がない、とウソの主張を強弁し、建物調査もやらずに、こそ泥のように建物を破壊撤去しました。こんな憲法違反の暴力は許せません。

 9・18三里塚関西集会へ

 私たちは、淡路空港反対運動を勝利させた原点のひとつに三里塚反対同盟との連帯があり、その三里塚の闘いに参加するときに必ず利用させていただいたのが天神峰現地闘争本部でした。

 淡路の闘いの原点でもある闘争本部の破壊は、わが身を切られる思いであり、断じて許せません。自民党から民主党に変わっても、戦争につながる政治、闘う者を弾圧する政治は変わりません。裁判所まで一体となって、益々暴力的にエスカレートする国家権力に対し、私たちは三里塚、沖縄、福島の闘いと手をつないで反撃しましょう。

 9月18日、三里塚関西集会(午後2時、大阪市立中央会館)を開きます。戦争に向かって、生命、人権、平和を踏みにじる「国策」に立ち向かう、三里塚の皆さん、沖縄の皆さん、福島の皆さんの怒りを我がものにして、大きな闘いのうねりをつくらねばなりません。淡路島からも参加しましょう。

 【淡路町空港反対同盟発行「空港反対新聞 第232号」2011年8月30日号より転載】

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