« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »

2011年8月31日 (水)

早期結審策動を押し返した(8月30日)

11830

 8月30日、千葉地裁で空港会社NAAが市東さんの農地強奪を図ろうとしている「農地法裁判」と、その前提となる千葉県などの耕作権解除決定が違法であるとする「行政訴訟」の口頭弁論が開かれ、多見谷裁判長が企んでいた早期結審策動をものの見事にはね返し、押し返す勝利が勝ち取られました。

 この日に先立つ7月4日の進行協議で多見谷裁判長は、「もう全ての主張が出尽くしただろう」として次回10月18日の裁判で証人調べを行うことを表明していました。しかも、農業委員会などの手続きをめぐる証人や農地の特定をめぐる地主の証言など必要ないと明言し、恫喝的に一切の立証を否定して、市東孝雄さんと萩原進さん2人の証人調べを10月18日に行い、一気に年内結審、年度内判決へと突っ走ろうとしました。

 11830_2 しかし、事前の2度にわたる裁判所前街宣とこの日早朝から150人にのぼる人々が駆けつけて裁判前の集会とデモが行われました。そして何よりも反対同盟弁護団から、核心的な2つの準備書面が提出されたことで、多見谷裁判長は、茫然自失としか言えないような状況に陥り、2つの裁判の併合と年内にあと2度の弁論を行うことを認めざるをえませんでした。葉山弁護士が準備書面の弁論を展開している間、多見谷裁判長は、陪席の裁判官が示す書面を見ようともせず、葉山弁護士と反対側のあらぬ方向を見つめながら硬い表情のまま幾度も舌なめずりをするなど明らかに混乱をきたしていました。進行協議のために千葉県側の代理人を呼んでいる間のいわば法廷が休憩時のような時にまったく意図のわからない「退廷命令」を出すという醜態をもしめしました。

 10月18日(午後2時~)と12月6日(午前10時半~)の2度にわたる弁論を認めざるをえませんでしたが、なおも未練がましく、1月に「証人調べ」の期日を入れようとして、反対同盟弁護団から「どう進むかわからないのに・・・」と諌められ、しぶしぶとひっこめざるをえませんでした。

 「5・20東京高裁判決」と「8・6天神峰本部の破壊」にその気になったのか、国策裁判として一気に判決、そして市東さんの農地強奪へと道筋をつけようとした多見谷裁判長の目論見を、ものの見事にはね返し、押し返すという大きな勝利が勝ち取られたのです。

 11830_3 準備書面29では上右図にあるように、南台の「41-8」が4分の1ほど空港敷地(事業計画)からはみ出しており、それを1988年の時点で許可を得ることもなく取得し、転用を図るということは明確に農地法5条に違反しているなどという指摘です。これに衝撃を受けた多見谷裁判長は、被告・千葉県に「この畑の農業上の分類はどうなっているのか回答せよ」などと的はずれな指示をだしていました。準備書面30では、農業委員会に提出された「41-9」の「同意書」や「境界確認書」が「地籍測量図」を付けていないために不備として突っ返され、慌てて地主の藤﨑政吉氏の了解もなく偽造して添付し提出されたという経緯が明らかにされています。こうした卑劣極まるNAAの唯一とも言える「根拠」のデタラメさを立証する権利を奪うなど、裁判と言えるはずはありません(左上写真は奮闘した弁護団。裁判後の集会で)。

11830_5   しかし、千葉地裁、そして国とNAAが、天神峰現闘本部破壊に続いて「へ」の字問題を口実として市東さんの農地強奪に向けた国策裁判の強行を意図していることまでを粉砕できたわけではありません。

 裁判に先立つ集会の冒頭、北原事務局長は、「8・6本部破壊」を弾劾された上で、「三里塚は裁判では勝っている。判決がおかしい。正義が通らない」と闘いを訴えられました。

 11830_6 裁判後開かれた総括集会の冒頭、市東さんが発言され、先ず「この時にああいうことしかできない空港会社の体たらく」を笑わざるを得ないとされた上で、「形はどうあれ、やることはやってくると思います。ですから私の畑も、またどんな手を使ってやってくるかわからない。その攻撃に対していかに反撃するか、その気持ちを持ち続けています」と決意を語られ、闘いを訴えられました。

 11830_7 すべての最後に発言にたった萩原事務局次長は、「8・6本部破壊」に対して、「支配者も含めて核廃絶を言わざるを得ない日だ」「三里塚は45年、戦争に反対し、核に反対して闘い抜いてきた」とされた上で、その闘いの拠点である本部をその「8・6」に「やらざるを得なかった彼らの意味ははっきりしている」と弾劾されました。そして「3・11によって世の中が一変した福島の事態に対してもあれ(「8・6」)は犯罪的行為だ」とも。そして「そういうことも含めて人民の中に踏み込んで行く必要がある」と提起されました。この日の闘いで「一歩、押し返した」とされた上で、三里塚闘争の中での裁判闘争の重要性を訴えられ、「天神峰現闘本部裁判闘争を支援する会」を発展的に解消し、新たな決意を持って「三里塚裁判支援運動」を発足させ全国的なうねりを生み出していって欲しいと訴えられました(「11.8.30三里塚裁判支援運動のお願い.pdf」をダウンロード )。

 11830_8 国、国交省、そしてNAAは、アジア、世界の航空業界から完全に取り残された日本の航空政策の破綻を取り繕おうと、これまでタブーとされてきた成田空港の自由化を、昨年末から韓国、香港、シンガポール、ベトナムなどアジア諸国と次々と自由化協定を結び進めようとしています。そのために2013年には離着陸を今の22万回から27万回に、2014年には30万回にすることを既に公表し、その実現のためと称して、天神峰現闘本部への「5・20攻撃」「8・6襲撃」を強行し、今また市東さんへの農地強奪を強行しようと国策裁判を多見谷裁判長を使嗾して出てきたのです。

 「国策」をめぐって三里塚闘争が新たな段階に入ったことを示しています。この8月30日、ひとまず私たちはこの攻撃を押し返すことができました。9・18三里塚関西集会の成功と、10・9三里塚全国集会へのうねりのような流れを生み出し、この新たな段階に入った決戦に立ち向かおうではありませんか。

 

| | コメント (0)

2011年8月30日 (火)

市東さんの農地裁判

先程、市東さんの農地裁判が終わりました。多見谷裁判長のなんとしても弁論を終わらせ年内結審、早期判決を強行しようとした目論見を、同盟、弁護団、廊下に溢れた傍聴の闘いによって押し返しました。詳しくは明日に。

| | コメント (2)

2011年8月29日 (月)

JAL解雇撤回闘争の学習会に参加して

11828  昨日、労組交流センター関西協議会が主催した夏季セミナーで、JALの解雇撤回闘争を闘っておられる裁判(乗員)原告団団長の山口宏弥さん(ボーイング777機長)をお招きした学習会が開かれました。日本の航空政策が破綻した中での象徴的な一つの重要な出来事という想いから参加させていただきました。

 山口さんはまず、昨年8月の更生計画の発表に伴う9月頃からの仕事を奪われた厳しい状況の報告をされながら、日航本体の削減目標1500名に対して希望退職者が1733名に達し、削減目標が達していたにもかかわらず12月31日の時点で山口さんと同じような状況にあった乗員81名、客室乗務員84名全員が年齢と病気欠勤を理由に整理解雇された経緯を話されました。

 その中から9割の乗員76名(当初74名)、客室乗務員72名、計148名が今年1月19日に東京地裁に乗員、客室乗務員にわかれて2つの裁判を提訴し、解雇撤回闘争が始まりました。「解雇されると世の中のことがよく見えるようになった」と語られながら話されます。「3分の1が非正規で、これからの日本がどうなるのだろうかと感じます」とも。

 パイロットという仕事から期間があくことと再訓練といった期間を必要とすることから東京地裁には「迅速な裁判」を求められた。この9月には4回の法廷が開かれ、9月30日には稲盛日航会長を証人として喚問している。稲森は、1月の提訴時点で「清心誠意話し合う」と言いながら、会うどころか5度にわたる要望書に応えてくることすらしていない。2月には「165名を残すことは経営上は可能だった」と不当解雇であることを認め開き直っている。

 11828_2 裁判の目標は、現職復帰を世論のもりあがりを背景に獲得したいと言われた。その点で、整理解雇まではさんざん報道をしながら、整理解雇が行われたとたんにほとんど報道しなくなったマスコミの姿が、広告料で縛られた電力会社(原発)をめぐるのと同じ問題があることを告発された。

 そして先ず「稲盛さん自身が経営上問題ないと言っている。本来ならこれで勝負ありのはずだ(右写真2010年度、過去最高の営業利益)」と。2つ目に整理解雇をする前に解雇の回避努力をしようとせず、組合からのワークシェアリングや一時帰休などの提案も無視し、出向や再就職支援も全くしなかったことなどを指摘されました。3つ目に解雇対象の人選基準が、年齢と病歴、組合経験など、明らかに労基法、国際人権規約、ILO条約などに違反していると。そしてパイロットにとって安全性などから「情報の共有」が非常に重要であるのにそれを破壊していると。

 4つ目に手続きの妥当性として、特に昨年11月、日航の更生手続きを行うために選ばれた管財人、企業再生機構が「整理解雇を争点とする争議権を確立した場合、それを撤回するまで企業再生支援機構は3500億円の出資は出来ない」として、不当労働行為を公然と行なったことを弾劾されました。更生手続中であっても労働者の権利が制限されることはないはずだと。現実に東京都労働委員会は不当労働行為として認定し救済命令をこの8月3日に交付しました。11828_3 行政処分であるこの命令に応じようとしない日航の現在の姿勢を厳しく断罪されました。そして日航がこれまでも数々の不当労働行為、客室乗務員の昇格差別、さらには9862名におよぶ客室乗務員の個人情報収集の実態が明らかになった「JAL客室乗務員監視ファイル事件」など異常な労務姿勢が断罪されてきていることを紹介されました。

 そしてこうした事の背景として日航の経営破綻を指摘し、その原因としてアメリカとの間の貿易不均衡解消の名のもとに行われた各地の新空港の建設や滑走路の2500メートルへの延長(「パイロットとしては助かるのですが」と言われながら)の問題など、あるいはジャンボなど大型機材の購入などと、長期ドル先物予約で2200億円の損失を出したとかホテル・ゴルフ場の世界各地での乱開発の失敗、国内での45億円ものゴルフ会員権を獲得など日航の放漫・乱脈経営と、空港整備勘定(昨年、JALもANAも、1700億円の空港税を払っている)や無駄な空港建設に象徴される航空行政のいろいろな誤りを指摘されました。

 11828_4 そして「今の公共交通機関の在り方が問われている」と指摘されました。安全性と公共性、技術の共有、伝承が弱ることで安全性が損なわれていると。そして航空法にも「安全性の向上」が求められているにもかかわらず、稲盛会長が、「安全性重視というのは本末転倒だ」「利益を出して余裕がなければ、安全を担保出来るわけがない」(2011年5月16日付、日経ビジネス誌インタビューで)と主張するのは許されないと断罪し、「安全・安心な公共交通機関として再建を目指すべき」だと指摘されました。

 最後に、11月の結審、来春判決の見通しを語られた上で、負けない、勝つまでやりぬくと支援を訴えられて1時間あまりにわたる熱弁を終えられました。

 30分あまり熱心な何人もの質問に答えられた上で、あとの予定があり中座されました。集会は、このあと交流会が続けられ、私の方から8月30日の市東さんの「行政訴訟・農地法裁判」の重大性と、9・18三里塚関西集会、10・9現地総決起集会の重大性を訴えさせていただきました。 

| | コメント (1)

2011年8月27日 (土)

今週の産直野菜(8月27日)

11827  午前中、出かける直前に三里塚から野菜が届きました。今週も大きい箱です。ゴーヤ、じゃがいも、オクラ、にんにく、玉ねぎ、きゅうり、ピーマン、なす、葉しょうが、枝豆の10品です。夏前の夏物が厳しいのではという現地からの便りが嘘のような・・・。

 「野菜だより」に添えて「放射能」について添えられていました。その中の一部ですが・・・

―― 私たちの生活と原発は絶対に共存できない! ここをあいまいにしては子どもたちの未来に責任がもてないと、今強く感じています。私たちよりずっと過酷な現実を強いられている福島の農林漁民が、8月12日に日比谷に集まって集会とデモをしました。彼らと怒りを一つにして、生きるために闘いたいと思います。

 芋ほり大会の日にちはまだ決まっていませんが、土に触れることのできない福島の子どもたちを参加させたいとの話もきています。例年にも増して、楽しい催しにしたいと張り切っています。

 私たちは、皆さんとともに今の困難を乗り越えたい、安全にこだわってきた有機農業の産直を何としても続けたいと切望しています。会員のみなさん、一緒に悩んだり考えたりしながら、共に産直を育ててください。――

 11811 昨日は、4時間ほど関西電力の本店前での座り込み(包囲行動)に参加してきました(右写真は8月11日のものです)。連日、少ない人数ですが続けられています。少し日照りが和らいで過ごしやすくなっています。

 9月1日にはハンストも企画されています(午前9時~19時)。9月11日には「原発ハヨトメロ!デモ in 大阪」がなんばの元町中公園で、午後2時~4時半・集会、デモがその後。9月13日と26日は、いつも通り午前11時~午後7時、「STOP原子力★関電包囲行動」が呼びかけられています。できる時間に覗かれませんか。一緒に座りましょう。

 今日は、JR西日本の職場で非正規で「障害者」の里美さんに上司のKがカミソリで脅しながら性暴力を働いたことを訴えている「里美さんの裁判を支える会」が開かれました。謝罪をKも、JR西日本も拒否し、大阪高裁が勧告していた和解が決裂し、判決公判が11月4日(金)午後1時10分から大阪地裁大法廷で開かれることになりました。事件の経緯など詳しくはブログ「里美ドットコム」http://satomi-heart.cocolog-nifty.com/blog/をご覧ください。「支える会」では、最終段階を迎え、もう一度判決を前に大阪高裁第5民事部にむけた第2次署名活動を早急に行うことと、大阪駅近くでJR西日本本社にむけた街宣活動などをすることを決めました。不当な差別と卑劣な性暴力への抗議の声と、判決公判への支援を心からお願い致します。

| | コメント (0)

2011年8月26日 (金)

市東さんの農地を守ろう (その4)

Photo 写真は、2007年8月の南台の畑で。フェンスと畑の間の雑草の部分が問題の地番「41-9」です。

「1988年」問題

 先にも述べましたが、空港会社NAAは、2006年成田市農業委員会に市東さんの「耕作権解除」の申請を行うにあたって、当該の畑を「2003年に取得した」として申請を行いました。反対同盟弁護団は法務局への調査などで、その取得が1988年に既に行われていたことを見出し、「虚偽の申請を行なっている」「取得しながら耕作者の市東東市さんの立会も了解もなく行われたことと、15年間も農業委員会にも届けられていない」と、「1988年の取得自体が違法である」ことを訴えました。しかし、空港会社NAAはその事実を否定し、農業委員会も何一つ調べることなく、空港会社NAAの主張を鵜呑みにして、申請を受理したのです。この経緯自体がでたらめ極まりないもので、後に触れますが、成田市農業委員会は地番「41-9」問題始めこのような虚偽に満ちた根拠による申請を認可するどころか、受理すること自体するべきではなかったのです。(実は、堂本千葉県知事が06年9月に申請を認可した直後の11月、空港会社NAAは、「2003年は間違いで、1988年だった」と訂正しました。それなら農業委員会の審理を差し戻しすべきだったのです。)

 さて、その1988年は、「二期工事強行」のために、秋富空港公団総裁が土地収用法発動を宣言し、行き詰る「二期工事」を強行するために農家の家のすぐそばで生活破壊、人権侵害の工事の騒音と振動で進められていました。いわゆる「軒先工事」です。1989年3月には、松井空港公団総裁が「反対派の軒先まで工事を進めご理解いただく」と追い出しの脅迫であることを隠そうともしていない時期でした。他方で、天神峰現闘本部の増築・強化が9月に完成し、10月には千葉県収用委員会の委員全員が辞任するという事態も生まれました。正に二期工事をめぐる攻防が熾烈を極めていた時です。その中で、市東孝雄さんのお父さんPhoto_2 東市さん(右写真)は母屋を新築し(84年)、作業場を新築(89年)して、「農地死守」「二期工事阻止」の自らの農にかけた強固な意思を内外に明らかにされていました。

 こうした状況の中で、1988年春、空港公団(当時、現空港会社)は、南台の土地(地主・藤﨑政吉氏)と天神峰の自宅前の土地(農地と作業場、地主・岩澤和行氏)を買収していたのです。しかし、農地を買収するには、耕作者の立会と了解が、「耕作者に権利あり」とその第1条で明記する農地法によって要求されていましたが、法務局に登記されたものの売却について市東東市さんには隠し、農業委員会にも届けないという違法なものでした。当然にも市東さんは、「地主」でもない岩澤氏と藤﨑氏に地代を払い続けることになり、2000年以降は市東孝雄さんがそれを引き継ぎました。これは詐欺ではありませんか。実際には、空港公団(空港会社)が、岩澤、藤﨑両氏に改めて農地として貸して、地代を市東さんから受け取らせていたということです。2003年までこの状態が続きました。

 農地法は、耕作者の権利と農地を守るために農地の転用を厳しく制限していました。(現在、2007年に改訂されてなお農地法の改革が叫ばれているのもこの点を緩和しようという新自由主義的な農業破壊の動きですが。)すでに書いていますように、耕作者の立ち会いと同意を大前提としています。そして転用する(農地から空港へ)場合は、毎年、転用の工事の進捗を農業委員会に報告することを義務付け、10年も放置される(土地の値上がりになどの投機的目的を排除するため)ことを禁止しています。そして新たな法人など所有者が、同じ県内に所在することが求められています。

 ところが、空港公団(空港会社)は1988年当時、東京に所在し、しかも15年間も農業委員会に申請すらしていなかったのです。明らかにこの空港公団(空港会社)の市東さんの農地の取得は、農地法違反であり、無効なのです。

 空港会社はそのことを知ればこそ、2006年、成田市農業委員会に市東さんの「耕作権解除」の申請をするのに、「取得したのは2003年である」と虚偽の申請を行なったのです。それを指摘されながら無視した成田市農業委員会や千葉県農業会議の犯罪も許されませんが、空港会社(空港公団)の明確な違法行為は断じて許されません。

 こうした常識では許されないことが、「国策」だから許されるとでも言うのでしょうか。こうした事実を承知で、それらの立証を求めてきたこの4年にわたる口頭弁論の審理を一切無視し、切り捨て、立証をかけらもすることなく、空港会社NAAの違法、不当な要求を認めるために、結審、判決へと多見谷千葉地裁裁判長が訴訟指揮を行うことなどどうして許せるでしょうか。市東さんと反対同盟に対し「国策」だからと農地強奪を強制する、そのために裁判所が尖兵となることなどどうして許せるでしょうか。

 8・30「行政訴訟」「農地法裁判」の傍聴に、千葉地裁へ行こう!

| | コメント (0)

2011年8月25日 (木)

市東さんの農地を守ろう (その3)

F

 「境界確認書」問題

Photo_2   空港会社NAAが、市東さんの農地の耕作権解除を申請するにあたってその唯一の根拠にしているのが、地主藤﨑政吉氏と市東孝雄さんのお父さん東市さんとが1988年に交わしたとされる市東東市さんの署名の入った「同意書」(右図上)と「賃借地境界確認書」(右図下)です。この2つの書類には、畑の特定の前提となる「地積測量図」(左下図)が添付されています。Photo_3 この「地積測量図」が、昨日の記事で示した法務局の公図と異なる空港会社NAAの作成図のもとのなったものです。そして昨日明らかにした地番「41-9」を前提として作られています(いずれの写真もクリックしていただければ大きくなります)。

 この「地積測量図」は、地主藤﨑氏自身が空港公団の交渉のために作ったと思われる1984年の地積測量図と大きくことなり、またその当時たまたま市東東市さんが元永さんに話されたメモが残されていて「元永メモ」としてこの法廷で証言されているものとも大きく違います。

Photo_4  この「地積測量図」のもとになったとされる「藤崎メモ」(右写真)にかかれている言葉の説明が法廷で反対同盟弁護団から「矛盾している」と指摘され、空港会社NAAは、何も答えることができませんでした。

 そして、今年に入って、反対同盟弁護団と藤﨑政吉氏本人との面談で、重要なことが明らかにされました。なんと藤﨑氏が「署名は自分の字ではない」「測量に立ち会ったことがない」「自分がこの測量図を作ったことはない」と明言したのです。事実左上図の「地積測量図」左下の署名の名字が「藤﨑」であるべきところが「藤崎」と間違えているのです。

 当然にも反対同盟弁護団は「いったい、何時、誰が、この「地積測量図」を作ったのか」と空港会社NAAに釈明を求めましたが、NAA代理人は何一つ答えることができなかったのです。

 成田農業委員会、千葉県農業会議への申し立て以来、一貫して空港会社NAAは、この「地積測量図」を前提とした「同意書」と「境界確認書」を唯一の根拠として申し立て、裁判を提訴してきたのです。その重大な根拠の信憑性が今や問題となっています。地番「41-9」問題と言い、この「同意書」「境界確認書」が虚偽のものであるとするなら、裁判の提訴そのものが直ちに却下されるべきではありませんか。

 にもかかわらず、多見谷千葉地裁裁判長は、藤﨑証人の申請を却下し、こうした明確に明らかとなってきた事実、裁判が成立するかどうかの核心的ことがらを闇に葬ろうとしているのです。こんなデタラメは、ゆるされません。

 怒りの集会と地裁包囲デモ、そして怒りの傍聴闘争で、多見谷裁判長の結審・判決策動をはね返し、立証を行わせるよう声をあげていこうではありませんか。

 8月30日(火)、午前8時45分、千葉市中央公園に結集しよう。9時40分、傍聴券を求めて千葉地裁ロビーに結集しよう。

| | コメント (1)

2011年8月24日 (水)

市東さんの農地を守ろう (その2)

086

 地番「41-9」問題

 空港会社NAAが、2003年、突然、市東さんの南台の農地と自宅前の作業場と離れ、農地がある天神峰の土地を地主から買収したことを明らかにし、耕作をやめ明け渡すよう求めてきました。親子3代、90年にわたって耕作してきた農地ですから、当然にも憲法、そして「耕す者に権利あり」とする農地法に保障された耕作権が存在し、市東さんは当然にもこの明け渡し要求を無視しました。ところが、空港会社は2006年7月、成田市農業委員会に対し、市東さんの耕作権を解除するよう申し立てを行い、十分な審査も現場を見ることもなく、成田市農業委員会は、申し立てを認め千葉県農業会議に申し送りました。千葉県農業会もまたほとんど審査もないまま「了」とし、千葉県知事堂本が、その年の9月に耕作権解除決定を承認したのです。Photo この経過と空港会社NAAの申し立て自体がもつ農地法違反、虚偽などの問題は別途に明らかにしたいと思います。

 しかし、何よりも前提となる南台の農地について申し立てされた畑の特定が、法務局の管理する公図とも全く違い(右図)、おまけにでたらめであることを成田市農業委員会の段階から反対同盟は明らかにし、農業委員会に、そして裁判所に現場を見ることを求めてきたのです。

 右の図の「41-9」と「41-8」を市東さんが借りているとしてその明け渡しを空港会社NAAは求めてきたのです。そしてその余の「41-1」 と彼らが称する部分の一部の市東さんによる耕作は、「不法耕作」だと断じて、明け渡しを求めて「耕作権裁判」を提訴しています。

 農地はもともと周囲の状況などで、耕作者の熱意によって自然と広がってくるものです。法律でもそのことを踏まえて、耕作者と地主との間に10年間にわたって何も問題が発生しなければ、そこに耕作権が発生することを認めています。親子3代にわたる耕作と、とりわけ1966年、成田闘争の開始以来周辺が徐々に耕作をやめていく中で、孝雄さんのお父さん東市さんは、「農地死守」の固い決意のもと耕作を広げ、それに見合った地代を地主に納め続けてこられました。市東孝雄さんもそれを引き継がれたのです。ですから、空港会社NAAが主張するような(右上図、右側)分離された農地などそもそも存在しないのです。

Photo_2  その上で、地番「41-9」と空港会社NAAが主張する部分ですが、少しわかりにくいですが左写真(クリックしていただくと大きくなり少しわかりやすいです)の手前の畑とフェンスの間にある雑草で覆われた部分が「41-9」です(右下写真にある雑草が繁った地面が「41-9」です)。フェンスのところまで元反対同盟副委員長の石橋政次氏宅があり(その南側の庭に天神峰現闘本部はあった)、フェンスあたりには高い植木がぎっしりと並んでいました。三里塚は風が強く、開拓農家のほとんどが、今も家の周りに防風のために高い植木を植えています。その北側にある「41-9」は木立の北側のため影になり農地にはもともと適さなかったのです。ですから、裁判でも石橋政次氏の妹さんが、「41-9」では石橋家で植木の苗などを育てていたと証言しています。つまり、写真にあるように現在はもちろんですが、市東家では90年にわたって「41-9」を農地として借りたことなどないし、耕したこともないのです。これは、空港会社NAA自身、空港公団(当時)が石橋氏との条件交渉をした時の図面を持っているはずで、そこには石橋家の借地として記載されているはずです。

 1186 反対同盟は、成田市農業委員会の時点ですでにこの問題を指摘し、現場を見るよう強く求めましたが、成田市農業委員会、千葉県農業会議は、この明らかな畑の特定の間違いへの指摘を無視し、「審理」を進めたのです。ここに大きな誤り、犯罪の出発点があります。

 しかし、空港会社NAAは、両農業委員会(会議)が指摘を無視したことを前提に、そのまま明け渡しを求める裁判を提訴しました。これは明け渡しの前提となる畑の特定が間違ったままなのですから、裁判そのものが成り立たないはずなのです。しかし、国策裁判を進めようとする千葉地裁は、この重大な問題を無視したまま裁判を継続し、今回、この事実を切り捨て判決策動を進めようとしているということなのです。

 空港会社NAAは、当初、反対同盟弁護団からの指摘を無視し続けました。空港公団(当時)の石橋氏との交渉の図面の提出を求めましたが、それも拒否し続け、裁判所の訴訟指揮に頼り続けていました。しかし、反対同盟弁護団の激しい追求についに1年前、「41-9」は「使用されていない」ことは認めましたが、「借地」であることは維持しようと開き直りました。しかし、ついにそれも維持できず今年に入って「41-9」を訴訟から外すと言い出したのです。「41-9」を外すとは、明らかに畑の特定の間違いを認めるのかどうかの問題です。つまり裁判が維持できないのではないのかという問題なのです。

 ところが、それが明らかになったとたんに、千葉裁判・多見谷裁判長は立証を切り捨てて裁判を進めることをこの8月30日の口頭弁論で強行しようとしているのです。こんなことが許されるでしょうか。明らかになってきた裁判の核心とも言うべき事実を切り捨て裁判を終了させようとすることなど断じて許されません。5・20東京高裁井上裁判長による反動判決、国策裁判を上回る犯罪的所業といわざるをえません。裁判所という衣を着た国家犯罪です。こんなことがどうして許せるでしょうか。

 8月30日、千葉地裁に結集しよう!

| | コメント (0)

2011年8月23日 (火)

市東さんの農地を守ろう (その1)

086

 この8月30日、市東孝雄さんの農地をめぐる「行政訴訟・農地法裁判」の口頭弁論が開かれます。一昨日の反対同盟ブログ、そして8月17日の当ブログでも明らかにしましたが、この日の口頭弁論で、具体的な立証をめぐる方針が千葉地裁多見谷裁判長から出されようとしています。先立つ進行協議の中で、多見谷裁判長は、反対同盟代理人の弁護団から出されていた21人に上る証人申請に対し、萩原進さんと当該の市東孝雄さんの2人だけを証人として認めることを明らかにしています。とんでもないことです。

 これまでも、4年近い口頭弁論の中で浮かび上がってきた様々な事実について空港会社や千葉県、成田市の代理人はほとんどまともに応えることなく「沈黙」することで逃げ回ってきました。裁判所もまた、それを支えようと明らかに偏った訴訟指揮を繰り返してきました。そうした虚構を暴き、市東さんの農地を守るための立証過程に入ろうとするこの時、多見谷裁判長が萩原さん、市東さんの2人の証人だけしか認めないということは、裁判の中で明らかにされてきた多くの事実、争点について、一切の立証を認めないということを意味します。そして国と空港会社などが描いたシナリオに従った「判決」で決着を早々に付けようと、年末か年明けの結審、そして判決へと進もうとしているということです。こんなデタラメな訴訟指揮がどうして許されるでしょうか。明らかにされてきた事実を問うことなく、「国策」に従って市東さんの農地の強奪を、土地収用法に代わって民法(農地法)によって強行しようと、裁判所がその正体を剥き出しにしてきたのです。

 多見谷裁判長が、これまでの4年にわたる口頭弁論のやりとりを一切無視し、事実上立証を行わないという暴挙に出てくるには根拠があります。

 成田空港は「国際ハブ空港」と言われながら、45年を経過してもなお半分ほどしか出来ていない欠陥空港です。昨年3月、2500メートルに拡張したことを期に安全性を無視した22万回に航空機の離発着の枠を拡大しました。さらに昨年秋の羽田空港の4本目の滑走路の供用開始による国際線枠6万回が「羽田・成田の内際分離」の原則をかなぐり捨てて設けられました。しかし、これでも首都圏空港としての国際線の枠は狭隘で、アジア、世界の航空自由化(オープンスカイ)の流れに乗れず、日本の空港の自由化を羽田・成田以外で実現しても、関西空港、中部空港の惨状に端的に示されているように自由化には程遠いのです。諸外国の航空会社にとって羽田・成田が自由化されなければどうにもならないというのが現実です。

 日本が今、もっとも自由化を進めたいのが中国です。「尖閣列島」をめぐる中国の「漁船衝突事件」によって中国との航空自由化交渉が現在頓挫しています。ここで、日本は関西空港、中部空港の自由化で乗り切ろうとしましたが、「それならば交渉を打ち切る」という中国の強い姿勢に、現在成田空港の自由化に向けて水面下で交渉が継続されていると言われます。

 今年に入って、国は韓国との自由化交渉を締結し、この6月から韓国のLCCなどの成田空港への乗り入れが始まっています。そして香港、ベトナム、シンガポールなどとすでに2013年の成田空港の自由化にむけた協定が今年から次々と結ばれています。これは、国が言う「2013年、27万回。2014年30万回」を成田空港で実現するということを前提としていることは明らかです。それを不可能にしているのが、45年にわたる三里塚闘争の歴史であり、天神峰現闘本部であったし、具体的には市東さんの南台の畑なのです。「へ」の字誘導路の現実なのです。

 農民が「耕すものに権利あり」と農業に勤しむ土台としての農地を、こうした日本の航空政策の破綻を理由に、「国策」を掲げて強奪するということが本当に許されていいのでしょうか。福島で、「国策」によってすすめられてきた原子力発電所の事故、放射能(死の灰)によって農民が、漁民が生活を、生業(なりわい)を奪われることが許されるのかという問題と底通する問題ではないかと思うのですがいかがでしょうか。

 国はこの破綻した暴挙を行うために、「へ」の字問題の解決のために、少なくとも「法の下」で裁くという裁判所の最低限の前提をもかなぐり捨てて、千葉地裁、東京高裁の「判決」をもって、天神峰現闘本部を破壊・撤去し去ったのです。引き続いて市東さんの農地をも、多見谷裁判長を使嗾して「判決」を強行させ、仮処分というような形で、来年にも強奪しようとしているということなのです。「2013年」に間に合わせるために。裁判所が、裁判自体の中で明らかになってきた事実、争点を立証する権利を反対同盟と市東さんから奪い、農地を強奪する口実とするとは、裁判が裁判としてのあるべき姿を自ら放棄する自殺行為であり、民主主義を否定するものです。本当に怒りで身が震える思いです。

 明日から、数回に分けて、この裁判で明らかになってきた事実、争点の主なものについて明らかにしていきたいと思います。

 そして、多見谷裁判長に、国にこのような理不尽極まる農地強奪を許さないために、8月30日の口頭弁論傍聴に、それに先立って呼びかけられている集会と裁判所包囲デモに、一人でも多くのみなさんが駆けつけてくださることを呼びかけます。

【緊急集会】8月30日(火)午前8時45分~ 千葉市中央公園

【千葉地裁包囲デモ】 同午前9時20分~

【行政訴訟】 同午前10時半~  千葉地裁601号法廷

【農地法裁判】 同午前11時10分~  千葉地裁601号法廷

 なお、市東さんの農地裁判は3つあります。一つが、空港会社が提訴した農地法による市東さんに農地の明け渡しを求めた「農地法裁判」。もう一つは、この提訴の前提となる成田市農業委員会、千葉県農業会議の審理、そして2006年9月に強行された堂本知事による農地法による市東さんの「耕作権解除決定」を不当として、市東さんが訴えた「行政訴訟」。この2つの裁判は、併合すべき内容なのですが、空港会社が拒否し、同じ日に審理されてきました。3つ目は、「農地法裁判」で特定された農地以外の、南台の畑で市東さんが耕作しているのは不法耕作だとの言いがかりで空港会社が提訴した「耕作権裁判」(白石裁判長)です。本来1つにして審理されるべきなのですが、分離されています。ここにも「農地強奪」を前提化した、空港会社、千葉地裁の許し難い姿勢がありありと窺えます。

| | コメント (0)

2011年8月21日 (日)

昨日、産直野菜(8月20日)

11820  昨夜、三里塚から産直野菜が届きました。この時期には珍しい大きい箱だったのでびっくり。そして持つと重たいので2度、びっくり。

 夏野菜は今年はダメかもと聞いていたので心配していただけに驚きました。

 枝豆、玉ねぎ、じゃがいも、ミニトマト、ししとう、ゴーヤ、きゅうり、にんにく、なす、モロヘイヤ、ピーマン、オクラとなんと12品です。

 8月5日、市東さんのところで収穫を手伝った時には、モロヘイヤは虫食いがひどく、オクラもなすびも出来ていませんでした。この2週間に大いに育ってくれ、しかも虫の被害が少なかったのが歴然。よかった。よかった。何より、待ちに待った枝豆。早速ゆがいて酒の肴に。綺麗で美味しい。ついつい飲みすぎました。(そのためブログが遅れました・・・。)

 「野菜だより」に被災地の福島からの便りが紹介されていますので転載します。(5日の出荷作業のあとで、私もいろいろ届いているお便りを見せていただきましたが、そのごく一部です。)

―― 農家の心情、当時の状況を、国や県は理解もしなければ分かってもいない。震災と原発事故で物流が滞り、何も入ってこない。かわいいベコが腹をすかせて「モー、モー」って鳴く。国や県に指摘されるまでもなく、放射能で汚染されているかもしれないと分かっていても、水やわらを与えざるをえなかったんです。牛たちが被曝するということは、稲わらの埃を吸う畜産農家自身も、内部被曝を覚悟しなけりゃいけないんです。(いわき市の酪農家Sさん) ――

―― もう4ヶ月も経ちますが、南相馬市の復興は他の市町村に比べて進んでいません。秋まで本当に緊急時避難区域は解除になるでしょうか。子どもたちとその親たちは、放射線量の値が心配で、町を離れています。私たち年寄りばかりの町になってしまうのでしょうか。贅沢は言いません。一つ屋根の下で、家族が一緒に生活したいのです。もう少し皆様方の力を貸してください。私たちも頑張ります。(南相馬市Oさん) ――

 また「野菜だより」には、千葉県の7月、2度にわたる検査で「茶葉」をのぞいて、成田市を含むいろいろな市町村のいろいろな野菜で、放射能が検出されなかったことが報告されています。私たち関西産直の会でも会員のDさんから、勤め先の病院で三里塚からの産直野菜を検査をしてもらい、「検査器の針がぴくりとも動かなかった」と報告がありました。様子を見るために中断していた地域での「野菜市」を再開されるそうです。

 激しい、不当な攻撃がかけられ闘っておられる中で、市東さん、萩原さん、鈴木さんたちは、必死で無農薬栽培、有機農法で野菜作りを励んでおられます。ともに踏ん張りましょう。

| | コメント (0)

2011年8月20日 (土)

9・18三里塚関西集会のビラができました

11918

 10・9三里塚現地へ向かおうと「9・18三里塚関西集会」のビラができました。「110918.pdf」をダウンロード をクリックすれば印刷できます。みなさんの周り広げてください。また必要な方は、関実事務局にご連絡いただければお送りいたします。

11918_2

集会要項

【とき】9月18日(日)午後1時半開場(ビデオ上映) 2時開会

【ところ】大阪市立中央会館1階ホール(右図)Photo_2

【会場費・資料代カンパ】 1000円(学生 500円、高校生無料)

◇三里塚現地からの報告   萩原進さん(三里塚反対同盟事務局次長)

◇沖縄闘争の報告

◇東日本大震災被災地支援の報告

◇連帯挨拶、決意表明

◇集会後、なんばまでデモ

【主催】三里塚決戦勝利関西実行委員会/三里塚芝山連合空港反対同盟

天神峰現闘本部破壊弾劾 市東さんの農地を守ろう

 政府と空港会社は、反対同盟が所有する天神峰現闘本部を、闘争拠点であることを「理由」に21年間も封鎖し続けてきました(成田治安法による封鎖処分)。そして8月6日、反対同盟に一片の通告もなく現闘本部建物を破壊し去りました(左下写真)。

 1186_2 「国策」として始められて45年が経過し、また「緊急性」の名のもとに農地・家屋の強制収用を強行しながら、未だに完成しない成田空港。事業そのものがすでに国策としての位置を失っており、もはやこれ以上のごり押し、強制は絶対に許されません。

 政府・成田空港会社は、現闘本部破壊に続いて一気に市東さんの農地の強奪に向かう動きを見せています。三里塚現地農民の生活と権利を守り抜こう! 市東さんの農地と暮らしを守り抜こう!

 それぞれに異なる「国策」とはいえ、その押しつけと破壊のなかで、被害と犠牲に苦しむ沖縄、福島、三里塚、そして全国の人々が、今こそ怒りと悔しさを共有し、手を結び、この社会と政治の変革に向かって歩みだそうではありませんか。

 10月9日、三里塚反対同盟は三里塚現地に全国総決起集会を呼びかけています。ともに参加しましょう! ―― 9・18ビラより

 9・18三里塚関西集会へ!

| | コメント (0)

2011年8月19日 (金)

武谷三男編『原子力発電』を読んで思う

 たまたま昨年来、高木仁三郎さんの本をはじめ、原発、核、原爆被害などの本を読んでいました。そこへ、3・11。広瀬隆さんや小出裕章さんはもとより、肥田舜太郎さん、広河隆一さん、堀江邦夫さん、などなど、どんどん広がっていってしまいます。

 そんな中、1976年に岩波新書から出版された武谷三男編の『原子力発電』を本棚から取り出して読んでみました。茶色くなってしまった「古色蒼然」としています。1979年に購入していることから見るとアメリカのスリーマイル島の事故(1979年3月28日)を契機に購入したのだと思いますが、ほとんど内容は覚えていませんでした。ただ、武谷さんには、自然科学を学ぼうとしていた当時の私たち学生にとって『自然科学概論』(1957年刊)という名著があり、70年頃、各地の公害問題と自然科学との関係、学者・専門家の責任などに関心をもっていた私も熱心に読んだ記憶があります。

 さて、武谷さんたちがこの『原子力発電』で指摘されている内容が、今日、3・11を経過した中でも、全く古びていない正確な論議をしておられることに驚きました。商に長けた岩波が、再版して店頭に並べるのもなるほどとうならせるほどです。もちろん、スリーマイルはもとより、チェルノブイリ(1986年4月26日)も、高速増殖炉もんじゅの「ナトリウム漏れ事故」(1995年12月8日)も、東海村の核燃料加工工場での「JCO臨界事故」(1999年9月30日)もいずれもこの本が出版された後、起こっています。

 同書の中にこうあります。―― 大出力の、つまり潜在的危険の大きな発電炉はまだ運転をはじめて日が浅く、幸いにしてそれからの大事故はまだ発生していない。しかし小型の原子炉はすでに数多く建設されていて、その大小の事故の経験の中からさまざまな教訓をくみとることができる。(同書 90ページ)―― としています。

 もちろん時代的限界による曖昧な表現も各所にあります。「核」と「原子力」があたかも違うものであるかのように扱われ、原爆被害者の「反核」運動の中から「核と原子力は同じだ」「核兵器反対でなく核反対だ」という声が福島事故の現実の中からようやく全体的に大きく起こってきたことが明らかになる現在の状況ですから、35年も前の当時の専門家としてどこか「原子力の平和利用」に片足が突っ込まれているような表現があります。

 しかし他方、「さまざまな教訓」が35年も前にこれほどに分かりやすく、「一般向きのよみやすい本」(あとがきより)として武谷さんはじめ専門の学者たちから提示されていながら、3・11以降マスコミを賑わせ、政府、東電の犯罪的とも言える対応のお先棒を今もなお担ぎ続けている学者・専門家がいることに、この国のありようについて本当に考えさせられます。それは小出裕章さんが発言されるたびに、「40年間、止めるどころか、3・11を招いてしまった専門家としてみなさんにお詫びする」と言われますが、それに人ごとのように関わることしかできなかった私たち自身もまた問われていると思います。

 もちろん、堀江さんやカメラマンの樋口さんが訴え続けておられるように、原子力発電というものが、コンピューターで自動制御されているのではなく、日常的に電力会社の下請け、孫請けなどの非正規の労働者の手仕事によって、膨大な労働者の被曝の犠牲によって維持されている問題があります。この40年間、巨大な電力業界の政治力によって闇に葬られ続け、多くの被曝労働者が人知れず病み、殺されてきた問題です。また田中三彦さんなど原子力産業の現場の専門家によって指摘され続けている「原発老朽化」、核反応による中性子照射が引き起こす原子炉容器の脆化や膨大なパイプなどの劣化などの恐ろしい問題があります。さらに石橋克彦さんなどが指摘されているように、当時の地震に関わる学会の水準では明らかに出来ず、この20年足らずの中で明らかになり指摘され続けてきた「地震国日本」の問題があります。これらは1976年当時にはまだ問題として把握される状況にはなかったでしょう。

 それでも、表現される単位などの難解さがあるというものの、子どもたちへの内部被曝の問題など、驚くほど、今言われていることが、ほぼ正確に指摘されているのです。

 私たちの国は、政府は、財界は、なによりも専門とする学会は、この35年間、何をしてきたのでしょうか。そして私たちは・・・。

 最後に同書のひとつの指摘を貴重なものとしてご紹介します。―― このような大都市中心の地域エゴばかりではない。企業エゴという怪物もある。原子力発電の利益にあずかる一部の人々が、被害を弱い人々に押し付けておきながら、公共の名を利用して社会全体として利害のバランスが成立すると主張している。こういう錯覚から開放されることが必要なのである。どのくらいの害なら受け入れられるか、それを決めるのは、被害を受けつつある「あなた」なのです。(同書 84ページ)―― と。

 

| | コメント (0)

2011年8月17日 (水)

新たな段階を迎えた三里塚闘争

086

 天神峰現闘本部への5・20東京高裁判決、8・6破壊・強制撤去の攻撃によって三里塚闘争が新たな段階を迎えました。8月30日に千葉地裁で開かれる市東さんの農地をめぐる行政訴訟、農地法裁判の口頭弁論はその重大な戦場となろうとしています。多くのみなさんが傍聴闘争に駆けつけてくださること、そして10・9三里塚全国集会への態勢を今から準備していただけるよう訴えます。関西的には、萩原進反対同盟事務局次長を迎えて開かれる10・9に向かう9・18三里塚関西集会が大切になっています。Photo_4 (最初の写真は、08年6月、南台の畑での市東さん。昨年6月この部分に空港会社によってフェンスが設置されたため現在では様変わりしていますが。)

  市東さんの農地をめぐる行政訴訟、農地法裁判、そしてそれと対をなす耕作権(不法耕作でっち上げ)裁判において、そもそも空港会社が訴訟を起こした農地(右写真B、41-9の地番)の特定が間違っていたことが明らかになりました(「41-9」問題)。空港会社は、勝手に訴状から「41-9」を抹消することで乗り切ろうとしていますが、そんなことが許されるはずがありません。また、地主藤崎氏が書いたとされる「藤崎メモ」(左下図)を含む空港会社の訴えの最大の根拠とされる「境界確認書」について、藤崎氏本人が「あずかり知らない」「書いた覚えはない」と語っていることが明らかとなり(署名の名前の字が間違っている)、それを指摘された空港会社代理人は沈黙を守り一切答えようとしていません。

 Photo_2 行政訴訟、農地法裁判はこうした重大な争点をめぐる立証過程にはいろうとしています。反対同盟顧問弁護団は、この問題の憲法違反をめぐるなどの意見書の提出と、21名の証人採用を申請すると共に、裁判の煩雑さを回避するために同じ問題を争っている行政訴訟と農地法裁判を併合するよう求めています。8月30日の口頭弁論はこうした立証に向かう重大な岐路とも言うべき法廷になっています。

 ところが驚くべきことに多見谷裁判長から打診として出された証人採用が、反対同盟の萩原進さんと市東孝雄さんの2人に絞りたいということがわかりました。とんでもないことです。これは明らかに、先に述べた「41-9問題」や「境界確認書」などの事実についての立証過程を一切行わないということです。それは、萩原さん、市東さんの2人の証言を情状証人として認めるものの、基本的には空港会社の主張に沿って結審、判決へ、そしてあわよくば市東さんの農地などの強奪をはかる仮処分決定を付けた判決を強行しようとしているということです。

 Photo_3 これは明らかに、国策裁判として強行された東京高裁の5・20判決に支えられ、多見谷裁判長が、不当、不法な国策裁判を強行しようとしていることにほかなりません。右写真は少し古く、北延伸される前のものですが、市東さんの畑によって誘導路が「へ」の字に湾曲し、滑走路に接近しているために十分使えない状態にあることがよくわかります。この裁判の背後にある国、国交省の意図は、この「へ」の字問題の解消です。そのためには、何がなんでも、市東さんの農地を強奪しようというのです。

 昨年、空港会社は安全性を無視した運用を開始し、22万回の離着陸を強行しています。そして今年に入って、韓国、シンガポール、香港、ベトナムと相次いで成田空港のオープンスカイ(自由化)の協定を結び、2013年の27万回、2014年の30万回を何がなんでも実現しようとしています。成田空港の自由使用を強く求める中国とのオープンスカイ協定も「尖閣列島」をめぐる漁船衝突問題で中座しているものの、早急に結びたいとしています。アジア、世界の航空事情から完全に取り残され、航空政策の破綻に追い込まれた国交省は、何としても30万回を実現させ、成田空港完成への道をこじ開けようとしているのです。

 それが天神峰現闘本部への5・20判決であり、5・20、50名逮捕の暴挙であり、8・6解体・強制撤去の「証拠隠滅」攻撃が意図したものなのです。そうした国交省、国の意思を背景に、多見谷裁判長が市東さんに、三里塚反対同盟に、三里塚闘争に襲いかかろうとしているというのが、8・30口頭弁論をめぐる一切なのです。

 冒頭、「三里塚闘争が新たな段階を迎えた」と述べた根拠はこうしたことです。45年をかけて国策を阻み続け、今もなお成田空港完成を阻み続けている三里塚闘争が勝ち取ってきた地平の重大性が、現下のフクシマ事態、そしてオキナワへの日米合意の新たな押しつけという国策に対する闘いを組もうとする中で、非常に鮮明となってきています。追い詰められたがゆえのこの国家権力、空港会社の市東さんへの農地強奪の企みを断じて許してはなりません。8・30口頭弁論の傍聴闘争に集まろう! そして9・18三里塚関西集会から10・9三里塚全国総決起集会へ、怒りのうねりを生みだそうではありませんか。9・11から9・19へ福島・東北の被災者とともに、フクシマ原発事故に対する怒り、すべての原発を即時停止させようといううねりと一体となるうねりを、福島・沖縄・三里塚をつらぬく闘いを起こそうではありませんか。

市東さんの農地をめぐる行政訴訟・農地法裁判

【とき】8月30日(火)午前10時半~

【ところ】千葉地裁601号法廷

なお、傍聴券が発行される関係で、開廷40分前までに裁判所1階ロビーにお集まりください。

| | コメント (0)

2011年8月16日 (火)

8・15平和のための市民の集い

11815ohp

 昨日、戦争を起こさせない市民の会が主催して恒例の「平和のための市民の集い」が開かれました。「なにゆえに憲法は揺らぐのか」と題した神戸大学名誉教授の浦部法穂さんの講演と、「フクシマ原発事故の黙示するもの」と題した元京都大学原子炉実験所講師の小林圭二さんの講演です。こんな大きなテーマの講演を2つもどうするのだろうと初めから不安に。案の定、3時間半に及ぶ、それも時間がなくなって「小林さんへの質疑は、あとの交流会で」というウルトラなものでした。あ~しんど。しかし、面白かったです。

 浦部さんは、「揺らぐのか」という主催者が付けた演題を「なぜ根付かなかったか」だと修正されて話しを始められました。11815 詳しくは省略しますが、「この憲法を敵視する勢力がずっと政権の座にあった」経緯と、「護憲」を掲げたのが「社会主義・共産主義を目指す勢力であった」ことによって「さしあたり護憲」という事態が生まれたと話された。浦部さんの話しを初めて聞く私には、何となく新鮮に聞こえた。戦後の豊かさの中で「「護憲」論は左翼的な一般的でない議論だ」という意識が広まり、「「護憲」論は国民一般の意識からは浮き上がった議論として遠ざけられることにならざるを得なかった」として「根付かなかった」根拠を示されました。

 豊かな社会の中で「平和や自由に価値を見出す市民層」が生まれ「個別課題に取り組む市民運動」を発展させたとした上で、それを「組織化する主体が必要なのだ」が、「セクト主義から抜け出せない左翼勢力が無残な衰退を遂げて」主体となれなかったと。そして「個人主義を基本としてこそ憲法は実現可能」としながら、経済第一主義に慣らされ「集団主義社会。個人の主体よりも集団の協調を重視する。その点は右も左も同じ」と一刀両断。それが今日まで「護憲」が「根付かなかった」現実を生んだとされたのです。

 聴きながら徐々に苛立ちが。「個別課題に取り組む市民運動」が生まれたことを評価しながら、確かに「組織化する主体」がまだまだ生まれきってはいないというものの、それを「左翼勢力」一般に解消し、紆余曲折を経ながらではあれ、戦後66年の中で、今日のフクシマの事態やオキナワのうねりに象徴される市民、大衆のありようをそれとして評価できないまま、客観主義的に「個人主義と集団主義」といった二分法に自らの視点を置いて「評論」しているだけなのではないのかという疑問を持ちました。そして、この「根付かない」状況の中で苦闘する市民・大衆に対し、「護憲」論を「理論的に確立する」ことを抽象的に提起するにとどめるのではなく、具体的に憲法学者として歩んでこられた今の局面での想いと提起が聞きたかったのです。いろいろ聞きたかったのですが、後の予定とかで退席され、残念でした。

 小林さんは「黙示することはできませんが」と切り出された上で、「核と原子力と使い分けられてきたものが同一のものであったことが、今回のフクシマの事故によって明示された」と話しを始められました。11815_2 「安全神話」と「経済(安価)神話」にお墨付きを与えてきたのはことごとく最高裁判所であり、そのひとりひとりの裁判官の責任が問われなければならないと。放射線の説明(最初の写真)から、放射線障害の説明(分類)をされた上で、推進側が「晩発障害があたかもないかのような大宣伝をやっている」と福島県のアドバイザー山下長崎大学教授などを厳しく批判されました。「我々自身がこういう人間を告発して闘っていかなければならない」と。そして小さい子どもたちへの「発ガンの効果が大人とは全然違う」と被爆の影響についても。そして「核と人類は共存できない」ことが今回の事故であらためて示されるだろうと。

 「放射性物質(死の灰)を外に出さなければいいじゃないか」という推進側の主張を、具体的に原発の仕組みや放射性物質が放出される仕組みなどをくわしく図を示し説明しながら、今回のフクシマで起こったことを説明され批判されました。そしてチェルノブイリとフクシマの汚染の状況の地図を示しながら国の避難指針の後手後手にまわった無様さとデタラメさを厳しく批判されました。

 「5重の壁」と言われるものが崩壊した上で、まだ放射性物質が出たのは詳しくは分からないが、直感的には数パーセントに過ぎないだろうとされました。「それだけでもこれほどの大事態になっている」と。欧米では1979年のスリーマイル事故以降、「5重の壁」は壊れるものだとして安全対策が講じられたが、日本はそれを否定したままだと厳しく批判されました。そして東電や政府の「想定外」という論拠を、田中三彦さんの指摘などを紹介しながら詳しく批判されました。「これまで世界が経験した原発事故すべてを経験しなければ日本はわからない」、「それほど酷い」と。1999年のJCO事故を例に挙げ、世界では「臨界事故を繰り返しながらその経験によってどうすれば事故が起こらないか」が確立されたにもかかわらず、日本は設計段階の審査からそれを見落とし起こらないはずの、技術的に避けられる事故が起こったのだと、日本の原発をめぐる体制のひどさを明らかにされました。

 そして人ごとのように開き直っている東電や財界、政府の様子を見ると、また必ず深刻な事故が起こるのは確実だと警鐘を鳴らされ、すべての原発の即時停止しかないと訴えられました。

 最後に、国と東電が行程表に従って進めることにある意味で面子をかけているが、必ずそこでは無理をしている。そして財界が早くしろと圧力をかけ、被災者が早く帰りたいという二重の圧力の下で、強い放射線下にある現場の作業をしている労働者の被曝が深刻な事態になっているのではないかということを恐れるし重大な問題だ、現場の作業員の命を削るようなことは決してやってはならない、急いではならない、現場の労働者を守らなければならないと指摘をされました。

 そしてまとめとして、どこに燃料があるのか、どこに穴があいているのか、何も分からない中で本当に冷温停止がありうるのか、余談は全く許されないことと、今重要な問題とされている汚染された土地の除染はまずできない、多くの土地が放棄されざるを得ない。細野事故担当相が「県外に持っていく」と放言していることに対し、「一体どこへ持っていくのだ」と批判され、事態の深刻さに向き合っていないと弾劾され、2時間近くにわたる講演を終えられました。

| | コメント (0)

2011年8月15日 (月)

マスコミの大罪

1186

 すでに当ブログで報告していますが、8月6日、夜陰に乗じて国家権力による天神峰現闘本部の破壊が強行されました。「来たよ!」の声にたたき起こされたのが午前3時過ぎ。慌てて身繕いをして飛び出し、最初の車に乗せてもらって市東さんのところに着いたのが4時前。そこからは監視台に登らないと何もわかりません。市東さんも現場に行っているということで、車に乗り直して、南台の畑に。畑の入口には機動隊が沢山いましたが、見ているだけ。現場についてすぐ撮ったのが最初の写真で、午前4時20分くらいでした。その時、最初に破壊の動きに気がついた解放派のみなさんはじめ私たちは20人たらずでした。ところが、報道関係者がそれと変わらずいるではありませんか。明らかに彼らは、権力による天神峰現闘本部破壊が3時過ぎから行われることを知っていて、そこにいたのです。後で分かったのですが、大手の各紙が朝刊の東京版で、「団結小屋、きょうにも撤去」と報じていたのです。そこには「強制執行に踏み切ることが5日、関係者の話で明らかになった」(毎日新聞)とあるではありませんか。

 先立って4日、5日と、突然マスコミが現地に取材に入ってきました。「関係者の話」で来たに違いありません。ところが彼らは、その時、取材した反対同盟のみなさんや、近くにいた支援に「8日頃ではないですか」と言っていたのです。ですから、私もそれを聞いて8日まで現地に留まる予定に変更し、その準備をして5日の夜、寝たのです。マスコミは、「関係者」=警察か空港会社から情報をもらった時に、「6日」は聞いていたはずです。ですから4日、5日に突然現地に入り、6日当日、始まると同時に現場にいたのです。私たちよりも早く。ではなぜ、「8日頃」と言ったのでしょうか。「関係者」から、「6日は聞かなかったことにして、8日とでも言っておいてくれ」と言われたからではないでしょうか。それでなければ、わざわざ「8日」ということが何人ものマスコミから出るはずがありません。つまり、闘いの爆発を恐れる国家権力はデマをマスコミを使って流したのです。また、マスコミはその言われるままにデマを私たちに流したのです。

 何ということことでしょうか。これが「大本営発表」でなくてなんでしょうか。

 3・11以降、政府や原子力安全保安委の言うままに報道し、御用学者のみを登場させて「安全です」「心配いりません」と率先してデマを流し続けるテレビや新聞の報道に、うんざりしたこの5ヶ月ではなかったでしょうか。マスコミならば、原子力発電の問題について自らの手で、足で調べ報道するべきではないのかという怒りの批判が私たちの周りであふれかえりました。政府が、「チェルノブイリクラスの事態」と認めた4月、そして2ヶ月も経って初めてメルトダウンを認めた5月になって、ようやく原子力発電の問題を、放射能の問題を弱々しく報じたのではなかったでしょうか。それでも、子どもたちの環境を20ミリシーベルトという恐るべき基準で進める政府、文科省の動きを、そこでもただ無批判に伝えるだけでした。1186_2 内部被曝の問題や放射性廃棄物、あるいは現場の被曝労働者の問題を伝え始めたのは3ヶ月もたってからではなかったでしょうか。そんなことは自らの手で、足で調べれば、最初からわかったことではないでしょうか。

 明らかに私たちの国のマスコミが、大きく変質し、国の、大企業の宣伝機関に転落してしまっていることを私たちは知らなければなりません。

 8月6日、反対同盟は現場で10時半から記者会見を行いました(右写真)。しかし、残っていた報道機関は、それを聞きながら半分以下でした。大方のマスコミは、目の前から天神峰現闘本部が姿を消した午前9時頃には帰っていったのです。写真や映像を撮り終えたと。事実、どの新聞記事にも、記者会見、当事者の反対同盟の声は紹介されていませんでした。

 戦前の自らの報道機関としての姿と変化を、朝日新聞が昨年まで連載で赤裸々に伝え、あたかも反省するかのポーズを、その「歴史検証」の中でとっていました。実は、そこへの回帰を自覚したが故の記事だったのかと想わざるをえません。いや、そういう時代になったと反面教師よろしく警告したかったとでも言うのでしょうか。

 私たちは、この三里塚の闘い、「国策」をめぐる闘いに対するマスコミの姿を断じて許すことができません。まさに民主主義に歯向かう「大罪」を、それも意識的に犯している姿がそこにあります。何ということでしょうか。

| | コメント (0)

2011年8月12日 (金)

「8・10世界同時水曜デモ in 大阪」に参加して

11810

 一昨日、大阪中の島公園の女神像前広場で、「日本軍『慰安婦』問題解決のための世界連帯行動の日」として約150人が参加して集会とデモが行われました。

 「類例のない残虐な性暴力犯罪である日本軍『慰安婦』問題に対し、事実否認と責任回避の態度を続けるにとどまらず、教科書への記述すら削除してしまった」(この日の「声明書」より)日本政府に抗議し、「日本政府は、日本軍『慰安婦』問題に対する徹底的な真相究明と公式謝罪、そして法的賠償など速やかな問題解決をはかり、戦争と植民地支配に対する正しい過去精算を履行し、国際社会で戦犯国としての責任を果たすことを強く求める」(同上)ための、この日韓国で行われた982回目の水曜デモに連帯したものです。

 冒頭、司会から故金学順ハルモニが告発して20年が既に経過し、未だ解決しえていないことの悔しさが明らかにされました。11810_2 主催者を代表して方さんから韓国でこの日、夏休みの子供たちをはじめ300人近い人々が日本大使館前に集まり、第982回目の水曜デモが行われたことが報告されました。戦後66年を経てもなお変わらぬ差別、植民地主義がこの日本にあることを厳しく指摘された上で、しかし、ここに集まった人々をはじめ、日本の良心、人権が守られ、差別を許さない取り組みが行われてきたことを語られました。

 集会では、東大阪市教委によって「育鵬社」公民教科書が関西の公立校として初めて採用されたことが弾劾され、来春実際に配布させないよう闘おうと訴えられました。11810_3 また「高校無償化」制度がはじまって1年4ヶ月、いまだに朝鮮高校が除外されていることについて、「慰安婦問題」や「教科書問題」と根は一つだと訴えられました。

 またこの日の集会には韓国(左写真)と台湾からの参加があり挨拶がありました。またニューヨークから女性のサックス奏者の参加があり、最後に演奏。この猛暑の中デモの最後まで、ずっとデモの先頭で演奏を続けられたのには脱帽でした。

 11810_4 さあ、デモに出発です。「日本軍性奴隷制被害者の名誉を回復せよ」「日本政府は公式に謝罪せよ」「『慰安婦』問題を学校で教えろ」などとシュプレヒコールを響かせながら夕闇迫る大阪・梅田の繁華街を西梅田までデモを行いました。

 この日、集会で、デモの最中で、そしてデモの解散地点で、口汚くののしりながら殴りかかったりの数人の「在特会」による妨害が有りましたが、動じることなく闘い抜かれました。

| | コメント (0)

2011年8月11日 (木)

芦原の住宅追い出し阻止裁判(結審)闘争

1189

 一昨日、西宮・芦原の住宅追い出し阻止裁判が結審を迎え、猛暑の中、芦原支部を先頭にした部落解放同盟全国連合会のみなさんや支援、50名が結集し、裁判前の集会とデモ、そして裁判所への申し入れ行動を闘い抜き、法廷では寺下さんからの断固とした最終意見陳述が勝ち取られました。山本善偉関実世話人もお元気な姿を見せて参加されました。

 1189_2 裁判所近くの石田公園で裁判前の集会です。芦原地区自治会連合会長の東口博さんが基調報告です。

――まず冒頭、良いニュースをお伝えします。この間、住宅と一緒に駐車場も明け渡せと言ってきた西宮市に対して裁判をやってきました。裁判所は私たちの訴えを認め、駐車場はこれまで通り使っても良いと決定を出しました。2010年6月30日のことです。これに対し西宮市は、今度は「停めている車が許可している車と違う。事情が変わったから出て行け」とまたもや裁判を起こしてきました。車検で車を乗り換えることはよくあることです。これに対して、先の7月7日、裁判所は、「判断するまでもなく、西宮市の訴えには理由がないから、これを却下する」と決定を出しました。私たちの100%の完全勝利です。1189_4 この勢いで本体の住宅裁判も必ずや勝利しましょう。――

  全国連中央本部を代表して中田潔書記長は、「各地で住宅家賃値上げ反対の闘いは、行政が住民と話し合いに応じざるを得ない地平を勝ち取ってきた」「しかし、西宮市は芦原の住民の差別に対する闘いそのものに対する敵対と憎しみに満ちた対応をしている」と弾劾し、裁判勝利に向けて闘うことを訴えると共に「裁判に私たちの未来を委ねるのではなく、自らの力で、自らの生活や権利を守っていこう」と提起されました。

 1189_5 集会後直ちに裁判所までのデモです。「裁判長は差別に向き合え」「追い出しを許さないぞ」と怒りのデモが貫徹されました。裁判所前で、シュプレヒコールを上げたあと、裁判所への申し入れを読みあげました(左下写真)。

 そのあと、裁判所2階で、裁判長に対する全国連各支部や関西合同労組、高槻医療福祉労働組合などからの申し入れが行われました。

 1189_6 開かれた法廷では、芦原地区自治会連合理事の寺下眞治さんからの最終意見陳述が行われました。寺下さんは戦後の国の都市計画・土地政策・住宅政策によって土地の価格が異常なスピードで上がり続けたことによる住宅家賃が高すぎること自体を弾劾した上で、西宮行政の差別による住宅追い出しの現実を弾劾しました。そして「差別と闘うから部落民なのです」と自らの差別と向き合う想いを語られて、裁判所に「責任をもって答えを出せ」と迫られたのです。

 判決公判は11月15日(火)です。西宮行政による歴史的経緯を一切無視した差別的な改良住宅からの追い出しを絶対に許さないために、のこされた3ヶ月を、芦原の住民と共に闘い抜きましょう。

| | コメント (0)

2011年8月10日 (水)

8・6ヒロシマ 平和の夕べ

1186

 会場は満席。

 1186_2 この集いは08年から始まり、初めは被爆電車に乗り合わせ奇跡的に一命を取り留めた米澤鐵志さん、09年が被爆二世で産婦人科医の河野美代子さん、昨年10年が現代文明の愚かさを話され、まるで原発事故を予言されていたかのような高史明さんだった。

 今年は「はだしのゲン」の作者でゲンのモデル、中沢啓次さん。河野美代子さんのインタビューでお話しが進む。

 中沢さんは今年初めて、平和式典の招待状が来たので行ってみられたそうです。1186_3 「しらけムードだった。あの日の8時15分は地獄の中を這いずり回っていたのに、鳩を飛ばして平和になるかと思う」とおっしゃっていました。「聞くほうがヘドが出るような話しを差し込んで欲しいと思う。それがリアルだ」と。そして私たちに、ヘドが出るような地獄絵図を話してくださいました。

 ―― その日の空は真っ青で、B29が一機、白い飛行機雲を引いて飛んできた。「なんで空襲警報が鳴らんのかね」と思っていた。友達のお母さんが「今日の登校場所はどこか?」と尋ねてきて、すんでのところで校門をくぐらなかった。そのおかげで校舎の下敷きにならずに助かった。立木がつっかえ棒になって塀を支えて、空間ができて助かった。しかし友達のお母さんは電車道まで吹き飛ばされてまっ黒こげで、目だけがこっちをにらんでいた。怖くて走り出した・・・。1186_4 途中、半裸の人、皮膚がズルッと垂れて爪で止まりその皮が体につくのが気持ち悪くて手の先を体から離して幽霊のように歩く人、おびただしいそういう人がいた。家に走っていくと、母は物干し台にいて助かったが、父、姉、弟が家の下敷きになっていた。身重の母と、家族を引っ張りだそうとしたが、梁や柱はびくともしない。通りがかりの人に助けを求めても、その人たちも自分のことで必死。そうしているうちに火の手が迫ってきた。3人を助けられなかった。

 その後、母と生まれたばかりの妹との生活が始まった。厳しい生活。みんな。そういう時は人間の本性が出る。母は傘を盗ったと警察に突き出され、二度としないと一筆書かされた。自分は後頭部に原爆の水ぶくれがあったが、その傷をつついて何度も割られ、はやし立てられた。

 手塚治虫の宝島が好きで、自分も漫画家になりたいと思った。どうしたら漫画家になれるかと考えて、中学を出て看板屋になった。デッサン力、レタリングなど、漫画の勉強になる。東京の出版社に原稿を送っていろいろと教えてもらいながら勉強した。1186_6 漫画家で食べていけなくても看板屋で食べられると、22歳の時上京。しかし、東京で被爆したと言ったらひどいことをされた。最初は原爆のことを漫画にしなかった。躊躇があった。そんな時、母が7年間の入院生活の末62歳で死んだ。火葬にしたら骨が残らなかった。「原爆は母の骨まで奪うのか」と思った。「日本人の手で戦争責任をなんとかしたか?」という気持ちから「黒い雨にうたれて」を描いた。命短い被爆青年が悪徳アメリカ人を次々と殺していく話。 過激だ、とどこからも拒否された。出版されれば読んでもらえる、と思い、エロ本の出版社に持ち込んだ。「出そう」と言ってもらえた。しかし「あなたも私もCIAに捕まるかもしれないぞ」と言われた。「喜んで」と言った。 ――

 中沢さんのこういう真っ直ぐな所はどこから来ているのだろうか。それはお父さんにあると思った。毎日夕食の前に「天皇制は間違っている」「この戦争は間違っている。お国のために死ぬなどというのは間違っている」と、繰り返し繰り返し聞かされたそうです。1186_7 そういうお父さんのことは人の知るところとなり、特高に連れて行かれて拷問に遭い、帰ってきた時にはやせてやつれていたそうです。中沢さんの絵本にも出てきますが、「麦のように真っ直ぐに生きろ」というのがお父さんの教えだったそうです。

 ―― 戦後、天皇が広島に来た時、学校で半紙にクレヨンで日の丸を作れと言われた。天皇の車列を迎える小旗だった。日の丸振って万歳しろと言われたが「誰が許すか」という思いだった。風の冷たい日だった。首に噛み付いてやりたいと思った。下駄で蹴った小石が天皇の車に当たったのを覚えている。――

 不屈の被爆証人、中沢さんのお話しを聞けて本当によかった。肺がんで入院されたと聞いていたので心配でしたが、本当に良かったです。しかし、8月後半にはまた治療のために入院されるそうです。どうか治療がうまくいって、もっとお話しを聞かせていただきたいです。

1186_9   リレートークでは、政教分離裁判に取り組んでこられた草薙順一弁護士が、日本は天皇教の国だが、原発安全教の国でもある。イェリングが唱えた「国民の抵抗権」がある。闘争だ、と力強いお話し。敗戦時に国民の手で戦争責任を裁かなかったことに大きな問題があることも強調された。

 1186_10 もう一人のリレートークは元京大原子炉実験所の小林圭二さん。今、「原発を早く再稼働しろ」という財界 VS 子どものいるお母さんたち、となっている。お母さんたちは頑張っている。滋賀でも京都でも。必ず同じような事故が起こる。東電も国も加害に無責任、戦前の軍部と同じ、と話された。

 1186_11 全てが終わって、友だちと、「え? もう6時半? 短く感じた」と話していました。ほんとにあっという間の3時間でした。もっと聞きたいお話しばかりでした。

               (岩崎晶子記)

 (管理人より、 最後の写真は集会で熱唱した早苗NENEさんです。)

| | コメント (0)

2011年8月 8日 (月)

反対同盟が弾劾声明を発しました

1186_2

             弾劾声明

 8・6現闘本部破壊の暴挙を、反対同盟は満腔の怒りを込めて弾劾する。

 天神峰現闘本部は反対同盟の闘争本部であり、闘いの象徴であった。鉄骨造り建物の中には、旧地主との間に地上権を設定した木造建築が現存したのであり、反対同盟には底地を使う正当な権利がある。

 ところが、空港会社は「へ」の字誘導路の直線化のために、この建物そのものの破壊を企てて裁判を起こした。そして異例ずくめの手続が進行した。一審・千葉地裁は、こともあろうに最重要証人に対する反対尋問も、実地検証も認めず不当判決を下した。高裁はこれを踏襲したばかりか、一審では付すことができなかった仮執行判決を強行した。執行停止申立の結果を待つ反対同盟農民と支援者など50人を高裁フロアーで不当逮捕した。

 授権決定も二転三転である。千葉地裁は、NAAが「滅失」したとして収去の対象から除外した木造建物を勝手に目録に書き加えた。さらに成田治安法による封鎖を解除せずに破壊できるとして授権決定を行った。ところが高裁はこれらの判断が間違っているとしながらも、なお授権決定を強行した。その混乱と不当決定を不服として行なった上告のさなかに、建物破壊を強行したのである。

 しかも、執行過程は徹底した非公開だったのだ。反対同盟に対して、成田治安法の封鎖解除の通知は無く、執行宣告も立ち会いを求められる事もまったくなかった。それどころか、執行官への面談を要求した顧問弁護団に対して、空港会社職員を名乗る者が問答無用で立ちはだかった。破壊作業は報道陣を排除し、証拠物の木造建物の存在が外部から見られないように建物の南側から鉄骨もろとも破壊したのである。証拠隠滅そのものだ!

 三里塚の歴史は、卑劣で暴力的な権力行使とだまし討ちの歴史だが、現闘本部の破壊はその最たるものである。8月6日とはいかなる日なのか? 反戦・反核ヒロシマの日であり、フクシマの怒りを共にして反原発・脱原発を誓うその日である。反戦・反核を担う三里塚支援者の多くが広島に向かうこの日(しかも土曜日!)をあえて選んだ所業はまさに犯罪である。しかも未明の午前4時!まさに「夜襲」そのものである。

 「国策事業」「国策裁判」は、このようにして進められるのだ。原発誘致でも、沖縄を始めとする軍事基地建設でも、そのやり方は同じである。だが、こうした攻撃に屈する反対同盟ではない。建物は不当に破壊されたが、絶対反対で闘う魂は脈々と生きている。

 現闘本部の破壊を急いだ狙いはただ一点。隣接する市東孝雄さんの農地強奪のための威喝である。反対同盟は、放射能で生活と命を脅かされる福島と全国の農漁民、そして被爆地ヒロシマ・ナガサキ、基地の全面撤去を求めて闘う沖縄の人々と固く連帯し、市東さんの農地を守り抜いて空港廃港へと闘い抜く。10・9全国集会への大結集を呼びかける。

2011年8月7日

                     三里塚芝山連合空港反対同盟

| | コメント (0)

今週の産直野菜(8月7日)

1186  三里塚現地に行っていましたので、三里塚からの産直野菜の報告が1日遅れました。心配した熱気の影響もなくほっ。

 にんにく、オクラ、きゅうり、じゃがいも、モロヘイヤ、ピーマン、玉ねぎ、なす、ミニトマトの9品です。

 すでに当ブログに現地から、5日の日に援農をさせていただいたことを報告しましたが、そのあと、出荷作業が萩原さんの作業場であり、自分も加わって送り出しただけに想いもひとしおです。

 春野菜のじゃがいも、玉ねぎ、にんにくはかってなかった豊作で、市東さんのところで積み上げているじゃがいもや玉ねぎを見せていただきましたが、びっくり。まだ収穫しきれないで(雨などの影響で)畑にあるじゃがいもを早急に収穫しなければと言っておられました。1185_2 2年前だったと思いますが、玉ねぎがやはり豊作だったのですが、畑で干している間に雨が降ったりして結果的には散々だったことを援農に来て目の当たりにしたことがあるだけに、嬉しくなります。しかし、夏野菜で出てきたオクラ、モロヘイヤ、なす、ミニトマトはいずれも収穫の作業をしながら数が足りません。どうしても小さめのものも入ります。ミニトマトなどは熱にやられて割れが入り、半分以上捨てていきます。市東さんが「年中通してよくできるというのはないなぁ」とつぶやかれるのを聞いて「難しいなぁ」と思わずひとりごと。右の写真はなすびの畑。

 昼前に急に温度が上がりだした中でのごぼうの畑の草取りを市東さんと一緒にわずか30分やっただけですが、完全にグロッキー。実は現地について前の晩、緊張で眠れなく寝不足だったのです。1185_3 よほどひどい顔をしていたのか昼食の後、現闘のOさんが「もう出荷までは大したことはないですから休んでいたら」と甘いお言葉。喜んで市東さん宅の東側にある監視台に。これが楽しみ。バックの東峰の森の木立と重なっているのでわかりにくいですが、東峰神社の立木が6月に見た時よりもさらに育って立派になってきています。滑走路先端からわずか100メートルほどのところにあるこの立木で、南から着陸するには、なれない外国のパイロットには驚く原因に必ずなっているはずです。こんな欠陥滑走路で「国際ハブ空港」などとは、物笑いだろうと納得させられます。いよいよ東峰神社の立木が立派になってきたと喜びました。

| | コメント (0)

2011年8月 7日 (日)

天神峰現闘本部破壊攻撃を弾劾する!

1185

 空港会社NAAと国家権力は、昨日、卑劣にも「裁判所の決定に従って」と夜陰に乗じた天神峰現闘本部の破壊攻撃を強行しました。先日、当ブログでも明らかにしましたが(http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-3bb1.html)、この攻撃は不当・違法であり、国家の名においてその違法の「証拠隠滅」を図るというとんでもない代物です。上の写真は前日の5日の本部とその前の市東さんの畑でのモロヘイヤの収穫作業です。1185_2 右写真は、同じ前日に市東さん宅前の監視台から見た本部ですが、写真左手の土盛の下の草むらの中に黄色いものが、中央にクレーンの本体の後部が、そして右手草むらには赤いものが見えます(写真はいずれもクリックしていただけると大きくなります)。これは、巨大なクレーン(左下写真)を分解してすでに運び込んでいたのです。このコソコソと隠れてやるやり方自体に、国家権力の「不法」への自覚と三里塚闘争の爆発への恐怖が物語られています。

 1186 昨日、午前3時半ごろ「開始された」という一報に飛び起きた私たちは現場、本部北側に接する市東さんの南台の畑に駆けつけました。すでに市東さんが仁王立ちしておられました。マスコミが多数、私たちよりも早く現場に。「なんで?」と思う。上記の巨大なクレーンが組み立てられ、フェンスの上のアクリル板で防御された監視台を3ヶ所も作っています。現地支援連による抗議と弾劾のシュプレヒコールが絶え間なく行われています。4時半ごろ、私たちが居るのと反対側で破壊が開始されたのか破壊音とユンボがチラリと見えました。反対同盟のみなさんが次々と駆けつけられます。5時過ぎには北原事務局長も。1186_2

  2台のユンボによる破壊攻撃が延々と続けられています(右写真は午前6時ころ)。6時頃には、南側の上の方半分くらいが取り壊されたのでしょうか。

 来られてから記者会見が始まった10時半までずっと先頭で終始仁王立ちしておられた北原事務局長が、結集した仲間と集まったマスコミに語りかけるように天神峰現闘本部の1966年建てられて以来の歴史を振り返られ、1186_5 成田治安法による封鎖の中でのご自身の闘いなどを振り返りながら、三里塚闘争45年の歴史の中での天神峰現闘本部が持つ意義を語られました。そして裁判の中で現場を責任をもって案内するからと現場検証を幾度も訴えたにもかかわらず、裁判所がこの最大の裁判の争点を一顧だにせず無視してきた違法を弾劾されました。その諄々と静かに語られる一言一言に、45年のたたかいの歴史への想いと自負、そしてまた再び眼前で繰り広げられる不当極まる国家暴力への怒りが染みとおるように私たちに感じられました。

 1186_4 9時頃には現闘本部の建物は完全に私たちの視野から消えました。しかし、この時点で、まだ強固に作られた2階以下の部分に手こずって、さらに2時間以上にわたって破壊攻撃が続けられました。

 10時半からは、畑中央部に設置されたテントのところで、反対同盟のみなさん全てが揃われて記者会見が行われました(右写真は、記者会見での萩原さんと市東さん)。

 1186_6 萩原さんが、「悔しい思いはあるが、国家権力の余りにも卑劣なあり方に、これは勝てるという思いを手にすることができた」と語られて記者会見が始められました。北原さんは「裁判官が法を破っている。証拠隠滅を国と裁判所がしている。何が真実か」と。駆けつけられた一瀬、長谷川、遠藤の顧問弁護団3人から、「正式に登記され地上権が設定されているものへの暴挙であり、憲法違反だ」「執行官に弁護士として面会を申し入れているのに会おうともせず、名も名乗らない『NAAの人間だ』という人物が『必要ない』とこちらの要請をすべて拒否すること自体違法であり、1186_7 法治国家として自殺行為だ」「債務者(反対同盟)の立ち会いを求めることなく強行された強制執行は許されない」などと不当性が明らかにされました。その間も、本部の前のフェンス傍では抗議と弾劾のシュプレヒコールが続けられています。7時間を超える闘いです。8・6ヒロシマに多くの人々が駆けつけていることを狙った攻撃をはね返し、少数ですが断固としてやりぬかれ、国家権力に怒りを思い知らせ、震え上がらせるに十分でした。

 1186_8 それから全体で市東さんのお宅の作業場に移動し、総括集会が開かれました。司会をされた萩原さんから、「夜になったら怒りがこみ上げてくるんだろうが、その悔しさを数十倍にして返してやろう」とまず提起が行われました。北原さんからは「我々は勝っているんだ。追い込んだんだ」と。動労千葉からは後藤さんが、関西実行委から私が挨拶をしました。弁護団3人からそれぞれ挨拶がありました。遠藤さんから「いくつもの強制執行に立ち会ってきたが、執行官というのは基本的に土、日は仕事をしないし、普通の日でも午前10時以降でないと拒否してくる。にもかかわらず、土曜日の午前3時に行われるというのは、やはり国策を掲げた三里塚だからだ」との指摘がありました。「ほんとに居たんだろうか」との声も。1186_10 最後に現地支援連の4党派から発言があった後、萩原さんから「これからの焦点は、農地法裁判を軸にした市東さんの農地を守っていくことだ。8月30日の裁判にまず全力で取り組んで欲しい」という提起を受けて終わりました。陽が出るまでは気になりませんでしたが、陽が昇った7時前ぐらいからは暑さがひどく、本当にご苦労様でした。

 最後に、大手マスコミはほとんどが3時には現場に駆けつけています。そして4日、5日には突然の現地取材をやってきました。これは明らかに権力情報を獲得していたからでしょう。しかし、彼らは「8日かな?」というデマ情報を平然と私たちに流し、6日を隠し続けました。ここに、3・11以来の国、東電の「安全情報」を垂れ流してきたマスコミと同じ国策ゆえに国家権力べったりのマスコミの許し難い惨状があります。しかも、情報を垂れ流しながら、そのマスコミを一人としてフェンスの中(右上写真)の現場に入れようとはしなかった国家権力の姿に、現闘本部の中に登記された木造建築が現存し、それを一体として破壊が強行された証拠隠滅の現場をマスコミに掴まれたくなかった意図が余りにも如実に示されていることに、その破綻した哀れな国家というものの姿を私たちは確信しました。

 萩原さんが言われたように、「悔しい思いの中でも、これは勝てるという思いを手にすることができた」ということだと思います。それは、勝利感溢れた総括集会の雰囲気にも示されました。

| | コメント (1)

2011年8月 6日 (土)

今、我々の視野から本部の建物は消えた。しかし、国会権力よ。これで何をお前たちが手にいれえたのだ。何が変わったというのか。想い知るがいい。フクシマ、オキナワの戦いとともに、8・6ヒロシマとともに戦い抜く反対同盟とともに我々はとことん闘いぬく。

| | コメント (0)

南台の畑から

すでに南台の畑で1時間以上前から抗議のシュプレヒコールが続くなか、先程5時25分ころからショベルカーなどを使った破壊が始まったようです。当事者の立ち会いもなく夜陰に乗じた強制執行とはなになのだ!

| | コメント (1)

今、天神峰現闘本部に攻撃が始まったという一報あり、現場に向かいます。

| | コメント (1)

2011年8月 5日 (金)

今日は静かです

1185
三里塚にいます。朝から市東さんのところで援農。出荷の準備で、写真は最初のなすびの収穫。それからモロヘイヤ。残った時間でごぼう畑の草取り。わずかな時間でしたが、急に暑くなってきたこともありヘトヘト。そこでお昼の休憩。ほっとしたところです。
マスコミが昨日から押しかけてきています。

| | コメント (0)

2011年8月 3日 (水)

天神峰現闘本部を守り抜こう!

1182  反対同盟ブログに詳しく報じられているように、国家権力、NAAは、天神峰現闘本部をこの数日中にも解体しようと態勢を固めつつあります。非常に重大な局面です。反対同盟が掲げる「本部死守」の方針を、全面的に支持し、全力で闘う態勢を築こうではありませんか。

 言うまでもなく、天神峰現闘本部は、反対同盟はもとより、三里塚闘争に関わった全国の十万を超える人々が、三里塚闘争45年の象徴として使い、親しんだものです。1990年以来、成田治安法という憲法違反の悪法によって今日まで21年間封鎖されてきたとはいえ、そうなのです。

 その天神峰現闘本部の登記をはじめとした法的に行われていた一切をも無視し、2010年2・25千葉地裁判決と、11年5・20東京高裁判決は、NAAの求めにそのまま応じた反動判決をいずれも強行し、高裁判決は仮執行をも認めた。それは裁判の場を使いながら、司法の自殺行為とも言える国家権力の暴虐な意志に使嗾されたものでしかなかった。その不当性・犯罪性は、なによりも彼らが5・20当日行なった50名逮捕という不当弾圧の強行によって白日のもとに明らかにされた。

 7月4日には、この高裁判決を受けた千葉地裁藤山裁判長が、「成田治安法には壊してはならないと書かれていない」との法理を無視した暴論と、高裁判決に判決を強行するには書くこともできなかった木造建築部分について「一緒に撤去すればいい」なる拡大解釈を紛れこませた「収去命令」決定を強行した。これ自体が違法そのものである。

 1182_2 この千葉地裁、東京高裁、そして収去命令決定の流れには、裁判所としての一片の法的整合性も、論理性もなく、ただただ「成田空港完成」に向けた国家意志の押しつけでしかない。こんなことが民主国家日本でまかり通ることがどうして許されようか。

 7・18三里塚現地の緊急闘争で「彼らがそれを手にかけるというんだったら、あらゆる手段を通して、あらゆる手法を通して我々は闘いを挑んでいく。そして、そこには制約を設けない」と萩原進事務局次長は宣言されました。

 右上の写真は、重機を入れるための入口の外を被っていたフェンスをとっぱらい使えるように昨日したようです(同盟ブログより)。1182_3 また、市東さんの畑に接するフェンスの裏側に置かれていた移動式のバリケードが移されいつでも使えるようにされています(左写真)。

 事態は急を告げています。とりわけ関東のみなさん。可能な態勢をとってください。私は、あす現地に向かいます。

 日本全体が、フクシマの事態に怒り、その力をもって8・6ヒロシマ、8・9ナガサキの新たな闘いを、反戦・反核・反原発のうねりとして開始しようとするその背後から仕掛けてきた許し難い攻撃でもあります。断固として、反対同盟のみなさんとともに闘いましょう。

 (なお、使用した写真はすべて三里塚反対同盟ブログより転載いたしました。)

| | コメント (0)

2011年8月 1日 (月)

9・18三里塚関西集会 ご案内

10919

 昨日、関西実行委員会の拡大世話人会議が開かれ、直面する天神峰現闘本部を守る闘いへの取り組みや、8・6ヒロシマへの取り組みなどとともに、9・18三里塚関西集会の開催が決定され、その案内状が作られましたので、ご案内いたします。(上写真は、昨年の9・19三里塚と沖縄を結ぶ関西集会)

三里塚・沖縄・福島を貫くたたかいの炎を/天神峰現闘本部破壊攻撃を許さない/市東さんの農地を守ろう 第3誘導路建設阻止/10・9三里塚現地に総決起しよう

  9・18 三里塚関西集会 ご案内

 三里塚に想いを寄せるみなさん。

 ついに菅政権・国家権力は、三里塚闘争45年の象徴ともいえる「天神峰現闘本部」に手をかけてきました。自らの航空政策の破綻であるとともに、その因となる三里塚闘争の解体・根絶を企んでいます。それは大地に根をおろして踏ん張る市東孝雄さんへ、直接に重圧をかけることであり、許されません。

 「国策」として始められた事業が45年も経過し、緊急性の名のもとに土地収用法による強制執行を強行しながら今だに完成しない成田空港とは、事業そのものがすでに国策としての位置を失っています。完成しない空港という、その姿自体が如実にそれを物語っています。

 国家権力と空港会社は、反対運動弾圧のため反対同盟が所有する天神峰現闘本部を、憲法に違反する超法規的「成田治安法」のもとに21年間も封鎖し続けました。さらに、その強奪にむけ強制撤去をもくろんできました。5・20東京高裁は仮執行付きの反動判決を強行した上、警察権力と結託し反対同盟員、傍聴者50名を不当逮捕しました。7月4日には、千葉地裁が「現闘本部収去命令」を決定しました。現闘本部に手をかけるということがどうして許されるでしょうか。

 そもそも長年にわたって自民党(自公)独裁政権は、労働者を格差と貧困の生活に落とし込め、農民・漁民からその生業(なりわい)を奪い続けてきました。「成田・羽田の一体運用」「成田をハブ空港に」と声高に叫ぶこと自体が、世界・アジアの航空事情から完全に取り残されてしまった航空政策の矛盾と破産を取り繕い、取り戻そうとする悪あがきでしかありません。それは、何一つ変わらず民主党政権に引き継がれました。45年間も破綻させ続けながら、農民から農地を強奪し、周辺住民に生活破壊を押し付け、なおも推し進めようとすることが許されるでしょうか。

 東日本大震災、今なお癒えぬ惨状と福島原子力発電所の大事故は、「国策」成田空港の破綻と同じことを突きつけています。今回の大事故、大惨事は、農民・漁民への差別そのものの原発立地、現実を押しつけ、「安全神話」を偽装し、補助金漬け生活を強制してきた原子力発電、核政策の破産としてあります。福島の農民たちは、もって行き場のない苦しみと怒りの中にいます。今、三里塚反対同盟は、その福島の農民の有り様に自らの身を置き、ともに生き抜いていこうと闘いの決意を固めています。

 また、沖縄が県民挙げ基地県外撤去を求めていることに対し、民主党政権は自民党政権とまったく変わらず、なおも辺野古新基地建設と高江ヘリパッド建設を強制しようとしています。ここでも、もはや「国策」の体をなさず、破産していることは明らかです。三里塚反対同盟は、6・22~23沖縄現地を訪問し、沖縄の人々とともに進むことを内外に明らかにしました。

 三里塚反対同盟とともに、三里塚・沖縄・福島をつらぬく闘いの炎を燃やし、この社会と国を変える道筋に立とうではありませんか。当面の集約点は10・9三里塚全国集会です。10・9に向け、全国でうねりを生み出していく、その関西における突破口として、私たちは9・18三里塚関西集会を成功させねばなりません。

 三里塚に想いを寄せるすべての関西のみなさん、三里塚は今どうなっているのかというみなさん。9・18三里塚関西集会にお集まりくださることを訴え、ご案内といたします。

2011年8月1日

           三里塚決戦勝利関西実行委員会 代表・永井満

【とき】9月18日(日)午後2時開会Photo

【ところ】大阪市立中央会館ホール(地下鉄堺筋線・長堀鶴見緑地線 「長堀橋」下車、出口⑦徒歩6分)

【三里塚現地報告】萩原進三里塚反対同盟事務局次長

 その他、沖縄、福島などの取り組みの報告

【主催】三里塚決戦勝利関西実行委員会/三里塚芝山連合空港反対同盟

【参加費】1000円(資料代)、大学生半額、高校生以下無料

集会後、デモの予定。

| | コメント (0)

« 2011年7月 | トップページ | 2011年9月 »