『原爆に夫を奪われて』 -広島の農婦たちの証言-
1週間後、8月6日です。今、私たちの国には66年前のヒロシマ、ナガサキに落とされた原爆による「死の灰」の数倍、いや数十倍の「死の灰」が福島原子力発電所から空に、海に吐き出されてしまいました。今も、吐き出し続けています。福島のみなさんが、農民、漁民のみなさんが、どういうお気持ちで日々を過ごしておられるか、思わざるを得ません。
数年前に広島出身の友人から紹介されながら絶版で手に取ることができなかった本が、先日、岩波から再版されたことを知り、急いで本屋に行きました。数軒回ってやっと見つけました。1982年に出版された岩波新書『原爆に夫を奪われて-広島の農婦たちの証言-』(神田三亀男編)です。これから少なくとも数十年はかかるだろうと言われる福島の「死の灰」との付き合い。それを強制され、ふるさとを奪われた福島のみなさんに寄り添うとはどういうことかと思い悩みながら、この本を読みました。涙がとまりませんでした。是非、お読みください。
少し長いですが「まえがき」から引用します。
― 本書は、原爆によって夫や子供を奪われた農婦たちから、生い立ちや結婚、原爆被災とその後の生きざまを聞き取り、記録したものです。取材地は、広島市の北郊十キロ、デルタの北辺部にひらけた近郊農村、広島市安佐南区佐東町(旧安佐郡川内村)です。この町に「原爆未亡人村」といわれる川内温井地区があるのです。
当時の川内村は、所帯数550戸、人口約2千人(昭和20年)の小さな村里でした。ここに昭和20年6月、本土決戦体制に即応して、川内国民義勇隊が結成されました。・・・(略)・・・。温井中隊191名は広島市に出動することになりました。
8月6日午前8時15分、勇んで疎開作業に着手した温井中隊の頭上に原子爆弾が炸裂、全市を火焔地獄に叩き込んだのです。義勇隊は全滅です。わずか7名が焼けただれて帰村したのみ(のちに全員死亡)で、あとは行方不明です。
悲報がもたらされるや、肉親の行方を求めて、温井の人たちは焦土と化した市内をかけ回ったのです。一週間たち十日たっても行方のわからないものがほとんど、影も形もないのです。あきらめきれない人々のなかに、夫を奪われた75人の妻たちがいました。温井の村落は無残でした。家々に未亡人が同時出現したのです。―
「証言の記録を終えて」から
― 生き残りの原爆未亡人は、26人になった(1982年で)。うち19人の一代記を聞くことができた。・・・(中略)・・・。
私は人気の無い浄行寺の庭に立って、あのお婆さん、このお婆さんと思い出す。「戦争をしちゃいけん」「核じゃことの作らにゃええにのう」「原爆ほどむごいものはない」と、みんなひとことで、しめくくってくれた。―
ヒロシマ、ナガサキ、そして第5福竜丸を経験した私たちが、フクシマを生み出してしまった、フクシマを止めさせることができなかったこのことを、8・6ヒロシマを迎える中でしっかりと考え、すべての原発を止めるために行動しようではありませんか。福島・沖縄・三里塚を貫く闘いで、「国策」の名による差別と抑圧、収奪、押しつけを止めさせよう!
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