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2011年7月31日 (日)

今週の産直野菜(7月30日)

11730  昨夜、三里塚現地から産直野菜がとどきました。モロヘイヤがやっと届きましたが、オクラはおやすみ。なすびも小さめが2本。それににんにく、ピーマン、玉ねぎ、にんじん、きゅうり、瓜、とうもろこしと9品です。

 「野菜だより」によれば、今年は「猛暑が一転、梅雨に逆戻りしたような天気」とか。「ケースの中身はさらに少なくなります」と・・・。さみしい・・・。

 11730_2 野菜が遅くなったのは、早朝から「神戸空港の中止を求める市民の会」の第13回海洋環境調査に出かけたからです。

 昨年から作業船として使う条件が厳しくなり、やむなく今年は2隻に分乗して15人で実施。写真の清心丸は、中心の海底の泥採りとベントス(生き物)の採取、そして透明板による透明度の測定。もう1隻の仁嬰丸で、海中の塩分やDO、水温などをクロロテックという機械で自動測定、そして海水を採取してプランクトンやチッソ、リンなどの測定をやりました。

 2_2 調査は、左図にあるように下げ潮(東流)に乗って、明石海峡大橋の近くの垂水の沖合から淀川河口近くまでの10箇所。 ほとんどのものが協力してくれた京都学園大学の研究室にもって帰ってコンピューターなどで測定するため、今、直ちにわかっているのは透明度だけ。①地点、6.0m、②6.5m、③5.8m、④4.8m、⑤2.0m 黒ずむ、⑥1.5m 真っ黒、⑦1.0m 黒(赤緑色)、⑧1.0m 硫黄の臭い、⑨1.0m、⑩1.2m。神戸空港を挟んで西と東で明らかに違います。東は、潮の流れが完全に滞留しています。透明度1.0mというのはほとんど見えていないのと同じです。

 11730_3 私の船では、前夜盛り上がりすぎて屈強の若い学生君2人がダウン。最近はカメラを持ってウロウロするのが仕事の私がやむなく水の採取の手伝いに。表面、3m、5m、10m、15m、そして海底と採取される水を受け取って小さなプラスチックの容器4本(深いところでは2本)に入れてしっかりキャップを締めていきます。泥取りのような力仕事とは違いますが、これが結構大変。腰に来るわ、海水に濡れてびしょびしょになりながら船の揺れに抵抗。さすがに疲れました。雲があり、日照りが強くなくてたすかりました。おかげで、写真は、最初の垂水でのスナップだけです。

 全行程は6時間。あ~しんど。参加されたみなさん。ご苦労様でした。

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2011年7月30日 (土)

『原爆に夫を奪われて』 -広島の農婦たちの証言-

Img  1週間後、8月6日です。今、私たちの国には66年前のヒロシマ、ナガサキに落とされた原爆による「死の灰」の数倍、いや数十倍の「死の灰」が福島原子力発電所から空に、海に吐き出されてしまいました。今も、吐き出し続けています。福島のみなさんが、農民、漁民のみなさんが、どういうお気持ちで日々を過ごしておられるか、思わざるを得ません。

 数年前に広島出身の友人から紹介されながら絶版で手に取ることができなかった本が、先日、岩波から再版されたことを知り、急いで本屋に行きました。数軒回ってやっと見つけました。1982年に出版された岩波新書『原爆に夫を奪われて-広島の農婦たちの証言-』(神田三亀男編)です。これから少なくとも数十年はかかるだろうと言われる福島の「死の灰」との付き合い。それを強制され、ふるさとを奪われた福島のみなさんに寄り添うとはどういうことかと思い悩みながら、この本を読みました。涙がとまりませんでした。是非、お読みください。

 少し長いですが「まえがき」から引用します。

― 本書は、原爆によって夫や子供を奪われた農婦たちから、生い立ちや結婚、原爆被災とその後の生きざまを聞き取り、記録したものです。取材地は、広島市の北郊十キロ、デルタの北辺部にひらけた近郊農村、広島市安佐南区佐東町(旧安佐郡川内村)です。この町に「原爆未亡人村」といわれる川内温井地区があるのです。

 当時の川内村は、所帯数550戸、人口約2千人(昭和20年)の小さな村里でした。ここに昭和20年6月、本土決戦体制に即応して、川内国民義勇隊が結成されました。・・・(略)・・・。温井中隊191名は広島市に出動することになりました。

 8月6日午前8時15分、勇んで疎開作業に着手した温井中隊の頭上に原子爆弾が炸裂、全市を火焔地獄に叩き込んだのです。義勇隊は全滅です。わずか7名が焼けただれて帰村したのみ(のちに全員死亡)で、あとは行方不明です。

 悲報がもたらされるや、肉親の行方を求めて、温井の人たちは焦土と化した市内をかけ回ったのです。一週間たち十日たっても行方のわからないものがほとんど、影も形もないのです。あきらめきれない人々のなかに、夫を奪われた75人の妻たちがいました。温井の村落は無残でした。家々に未亡人が同時出現したのです。―

「証言の記録を終えて」から

― 生き残りの原爆未亡人は、26人になった(1982年で)。うち19人の一代記を聞くことができた。・・・(中略)・・・。

 私は人気の無い浄行寺の庭に立って、あのお婆さん、このお婆さんと思い出す。「戦争をしちゃいけん」「核じゃことの作らにゃええにのう」「原爆ほどむごいものはない」と、みんなひとことで、しめくくってくれた。―

 ヒロシマ、ナガサキ、そして第5福竜丸を経験した私たちが、フクシマを生み出してしまった、フクシマを止めさせることができなかったこのことを、8・6ヒロシマを迎える中でしっかりと考え、すべての原発を止めるために行動しようではありませんか。福島・沖縄・三里塚を貫く闘いで、「国策」の名による差別と抑圧、収奪、押しつけを止めさせよう!

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2011年7月29日 (金)

天神峰現闘争本部への解体攻撃を許すな!

P110723_1_2  左の写真は、反対同盟ブログに7月23日に掲載されたものですが、天神峰現闘本部を解体するために重機を入れるべく16枚もの鉄板を敷き詰めたというのです。

 千葉地裁藤山裁判長は、7月4日、不当にも「収去命令」決定を出しました。その中で、5・20東京高裁井上裁判長の判決の中で天神峰現闘本部が1990年以来、今も成田治安法によって閉鎖されて誰も入ることができないことについてどうするかの判断をしていない問題に対して、「立ち入りは禁止されているが、取り壊しは禁止されていない」という信じられないような屁理屈の「独自判断」を強行しています。

 また、裁判での争点でもあった登記された木造建築が残っているという問題を高裁判決が回避して仮執行宣言を付けたことに対し、「収去命令」は「その建物も含む」とこれまた「独自判断」を付けています。

 高裁の「仮執行」宣言を受けて審議する千葉地裁が、事柄の根幹に関わる原判決にもないこれほど重大な「独自判断」を付け加えるというのは、明らかな越権行為です。しかし、これは到底千葉地裁の藤山になしうる判断ではありません。言い換えるならば、「何としても解体しろ」という国家意志が、藤山にそうさせたのです。45年間繰り返されてきたと言えばそれまでですが、法理を無視した成田空港建設への国家権力の横暴がまたここにもあらわれています。

 086 他方、農地法裁判、行政訴訟が重大な立証段階に差し掛かっています。すでに反対同盟弁護団から、21名に上る証人申請が出されています。当然にも、国、空港会社、千葉県側の最大の根拠とされた「同意書」と「確認書」について地主・藤崎某が、自分が書いたものでもなく、あずかり知らないと明言していることが法廷で明らかにされており、地所「41-9」問題とともに重大な争点となっています。それゆえ弁護団は、地主・藤崎をはじめ21名もの証人を申請したのです。ところが千葉地裁多見谷裁判長は、萩原さんと市東さんの証人採用だけで審理を進めようとしていることが、この間の交渉で明らかとなっています。とんでもない話しです。一切の証人申請を切り捨て、立証をさせず、真実を覆い隠して国、空港会社、千葉県の意向に沿った判決、市東さんの農地取り上げを強行しようとしているのです。

 これは具体的に市東さんの農地を奪い、「へ」の字問題の根本的解決を天神峰現闘本部の解体と共に強行しようとしているということです。それは第3誘導路建設と相まって市東さんの生活を破壊し、あわよくば叩き出し、成田空港の13年度27万回、14年度30万回の運行を強行しようとする攻撃そのものです。こんなことがどうして許せるでしょうか。

 三里塚闘争45年のひとつの大きな山場、決戦を私たちが迎えているということです。この状況を、一人でも多くのみなさんに知らせていく宣伝戦に打って出ること共に、現地からの要請、状況の変化があり次第、全力で天神峰現闘本部の解体を許さない現地の闘いに決起することが何よりも必要です。こうしたうねりを実現する中から、10・9三里塚全国総決起集会への大きな流れを作り出していこうではありませんか!

 

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2011年7月25日 (月)

7・23緊急報告会 済州島カンジョンマウルからのメッセージ

11723

 一昨日、7月23日、大阪で「7・23緊急報告会 済州島江汀(カンジョン)マウルからのメッセージ」が、金時鐘さん、金石範さん、徐勝さんなど在日のみなさんと済州島、とりわけ「4・3事件」に関わってこられた日本人などの呼びかけで開かれました。航空母艦の接岸施設も持ったアメリカ軍の巨大な海軍基地が、江汀(カンジョン)に作られようとしていることに村をあげて反対運動が起こっている、その状況を「まず知ろう」ということでした。

 江汀(カンジョン)村は済州島では大きめの村で、上の写真にあるように済州島南側の中央部にあります。「川がほとんどない済州には珍しく、あゆが生息する江汀川の清流を挟んで、1200ヶ所の湧き水があると言われ」(徐勝さんの文章より)るところです。11723_2 この言葉を読んで、山口県上関町の長島をすぐに連想しました。多様な珊瑚類が水深10~30メートルの岩盤に群落を形成し、2002年にはユネスコによって「生物圏保全地域」に指定されています。イシマキガイ、ボウシュウボラ、ベンケイガニ(右写真)などの絶滅危惧種が生息していることが確認され、村の全面積のうち15%が絶対保全沿岸地域として確定され、埋め立てが不可能な地域なのです。にもかかわらず道行政と海軍によって、その自然の中心となっているムン島、ポム島、ソプ島をもふくみこんで米海軍基地が建設されようとしているのです。

 同時に、「山側には、済州4.3事件当時、掃討作戦のなかで虐殺され、焼尽して、『失われた村』と呼ばれる嶺南村があり」(徐勝さんの文章より)ます。この日参加された済州選出・民主党の国会議員は、「4.3事件を通して平和がどれほど大切かを思う」「4.3事件を踏み越えて平和の島としなければならない」と江汀(カンジョン)のみなさんとともに闘う思いを語られました。

 11723_3 この日のメインスピーカーの一人と考えられていた江汀(カンジョン)マウル会会長の姜東均さんが、この問題で前日22日から村が警察によって包囲されている状態のため「何が起こるかわからないから」と来れなかったという緊迫した状況の中で、この日の集まりがあることが報告されました。

 「済州軍事基地阻止と平和の島実現のための汎道民対策委員会」共同執行委員長の高由基さん(左写真)から事態の詳しい経緯と報告が行われました。1937年の日帝によるアルトル飛行場(現在も空軍基地)建設にはじまり、1948年の李承晩大統領、あるいは1974年の朴正熈大統領による米軍基地への提供の提案と済州島を基地にしようとする動きがあり、2002年以来、具体的に米軍の海軍基地の計画が和順(ファスン)、南元面(ナムォンミョン)、為美里(ウィミ)の3ヶ所で住民の反対で追い出された結果、2007年4月にごく一部(当時のマウル会会長や海女など)を抱き込んで誘致が行われて江汀(カンジョン)への動きが始まったのです。しかし、その年の8月、姜東均さんが新たな会長に選出され、1050人の有権者のうち725名が参加して開かれたマウル会総会で反対が680人(94%)、賛成36人という圧倒的多数で基地誘致反対が決議され、米軍基地反対の闘いがはじまりました。

 11620 この4月には工事現場で抗議する人たちの不当逮捕と、獄中での断食闘争が闘われ、この6月20日には、ゴムボート2台を出して、浚渫工事に抗議し、ひとりひとりが工事船の上で暴行され逮捕されながら工事を阻止するという事態に発展しました(右写真)。道当局と海軍は、この8月第1週か2週に工事を強行しようとしているという緊迫した状況にあります。

 韓国本土から警察が送り込まれ、新たな「4.3情勢」とも言われる状況です。

 11723_4 警察による村の包囲という状況のため来れなかった姜東均会長に代わって、そのつれあいの鄭順仙さん(左写真)が来られました。つい先日の7月15日早朝、お二人の自宅に警察が踏み込み、姜東均さんと駆けつけたコ・グォンイル対策委委員長と平和活動家ソン・ガンホさんを連行、姜東均さんはその日の夕方には釈放されましたが、残る二人は今も拘留されたままです。そのため、姜東均さんは、この二人が居ないまま日本に行くことは現場の責任がとれないと日本に来ることを断念されたのです。鄭順仙さんは、「夫を日本に来れなくさせるために、逮捕劇があったのでは」と語られました。そして鄭順仙さんは、住民として、子を持つ母として話をされました。「村人が忙しい時を狙って何かをしようとするが、気がついた誰かがサイレンを鳴らし、仕事を置いてみんなが現場に駆けつける」「村人は、みんな農業をし、魚をとって暮らしている純粋な人たちです」11723_5 「私たちが反対するのは、海軍基地がくることによって私たちが追い出されるからです」「子供たちが、お金やそんなものをもらうというのではなく、母のところに帰ってくるように、故郷にかえって来れるような村として、子供たちに残したい」などと。

 米軍は、中国への戦略的基地として道行政、韓国政府を巻き込んで、この江汀(カンジョン)への基地建設を進めようとしています。しかも、事態は急を告げています。その政治的構造は、沖縄の普天間、辺野古、高江をめぐる状況と全く同じものです。こんなことが許せるでしょうか。一人でも多くのみなさんにこの問題を伝えてくださることを訴えます。

 同時に、江汀(カンジョン)マウルのみなさんへの支援のカンパをお願いいたします。郵便振替で、口座名義「四・三事件を考える会・大阪」、口座番号00910-2-50548 です(振込用紙に必ず「カンジョンマウルへのカンパ」と記してください)。よろしくお願いいたします。

 なお、画像が見にくいですが、集会中のスライドや映像から写真で写したものですので、ご了解ください。それぞれクリックしていただければ拡大してご覧いただけます。

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2011年7月24日 (日)

8・6ヒロシマ 平和の夕べ ご案内

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 8・6ヒロシマ、8・9ナガサキがあと2週間、3・11フクシマからすでに5ヶ月を経ようとしています。呼び掛けられている「8・6ヒロシマ ~平和の夕べ~」のご案内を掲載いたします(「11.8.6平和の夕べチラシ.pdf」をダウンロード )。(最初の写真は、昨年8月7日、「被爆電車・平和学習」の折のスナップです。)

8・6ヒロシマ -平和の夕べ-

86 【とき】8月6日(土)開場15:00、開会15:30

【ところ】広島YWCA・国際文化ホール(広島市中区八丁堀7-11、☎082-227-6816)

【主催】8・6ヒロシマ 平和の夕べ実行委員会

【平和講演】中沢啓治さん(被爆者、『はだしのゲン』作者)11nakazawa

-ヒロシマの継承と連帯を考える-

インタビュアー・河野美代子(産婦人科医、広島被爆二世)

86_2 【司会】中村周六(浄土真宗本願寺派僧侶)

【リレートーク】草薙順一(弁護士)/小林圭二(元京都大学原子炉実験所講師)

【歌】早苗NENE

【参加費】 1000円

被爆電車・平和学習

【とき】8月7日(日)午前11時 JR広島駅南口噴水前集合

   11:30~ 電車出発/13:00~ 平和記念資料館東館地下会議室(2)

【講師】米澤鐵志さん(電車内被爆者)

【参加費】500円

【チラシの案内より】

君は明日生きるか

 私たちは、これまで三回にわたり、暑い広島の夏、8月6日に集まってまいりました。08年は、電車内被爆者の米澤鐵志さんの話しを聞きました。09年は広島被爆二世、産婦人科医の河野美代子さんが戦後広島を生きてきた、その思いを話しました。そして韓国併合100年目の昨年は、作家・高史明さんの、仏教哲学に基づいた壮大なお話を聞きました。

 戦後、被爆から66周年。短くないときが刻まれましたが、核兵器と原発はいまも作りだ出されています。そして私たちは、3月11日の東日本大震災と福島第一原発による被災と被曝という緊迫したなかで、今年の8月6日にとりくみます。

 四回目の平和集会を企画するにあたって私たちは論議してまいりました。核廃絶という広島、長崎、世界のすべての被爆者・被曝者の願いに、いまだその道筋は見つかっていません。世界に向けて、ねばり強く訴え続けてきた被爆者は高齢となり、力尽きようとしています。

Photo  いま一度、被爆の原点に立って核廃絶の道を見つけたい。そして、『はだしのゲン』に行き当ったのです。私たちがむさぼるように読んだ『はだしのゲン』は英語、フランス語、韓国語など全14か国語に翻訳され世界中に飛び立っています。映画、アニメ、テレビドラマにもなりました。その作者、中沢啓治さんは肺がんで一時は危篤状態になり、ICUで治療を受けました。そして奇跡的に体力を取り戻されています。

 命の大地が原爆により粉々にされ、ゲンは涙を流し、怒りつづけながら、焼け野原をたくましく生きてきました。ゲンは中沢啓治さんその人として、今日まで生き続け、「君は明日生きるか」という問いに答えています。ゲンは今年8月6日、ヒロシマで、戦争と核兵器のない大地を示そうとしています。みなさん、ゲンの、命の大地の声を聴きましょう。

 2011年3月28日 スリーマイル島原発事故32周年の日に

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2011年7月23日 (土)

今週の産直野菜(7月23日)と「さようなら原発署名」

11723  先ほど三里塚から今週の産直野菜が届きました。

 ピーマン、じゃがいも(トヨシロ)、人参、オクラ、瓜、なすび、にんにく、きゅうり、トウモロコシ、セロリの10品です。この時期に大きい箱と思ったら、重たい。スッゴーイ!

 台風を心配していましたが、大きく海の方へそれたため、雨が降ってくれて風の被害はなし。昨年、この頃から1っ箇月以上ほとんど雨がなく、厳しい夏になったことを思い出しました。(「野菜だより」のこの点の記事の日付が全部7日ずれています。Kさん、忙しいので、疲れているのかな・・・?) 

 とうもろこしはいつも時期をずらせて2度作っておられるのですが、今年は両方ともうまくいったようですね。沢山入ってきた! ラッキー!

11722  昨日、内橋克人さんや大江健三郎さんなどが呼びかけておられる「さようなら原発1000万人アクション」に取り組もうと呼びかけられた兵庫県実行委員会(準)が、京都大学原子炉実験所の元講師の小林圭二さん(右写真)の1時間あまりの講演を中心に開かれました。呼びかけられたのは、一つは来年3月までに「原発にさようなら」と1000万人の署名を集めよう(署名用紙は「11.7.22さようなら原発1000万署名.pdf」をダウンロード )というものと、9月19日(月・祝)、東京の明治公園で「原発にさようなら全国集会」に5万名で結集しようというものです。左下写真がそのチラシです。

 Photo さらにこの日、8月28日(日)午後3時~講演会「被爆の時代を生きる」(講師・影山あさ子さん/会場・神戸学生青年センター、主催・神戸YWCA)、9月10日「さよなら原発!9・10阪神集会」(午後2時~・日本キリスト教団宝塚教会、午後6時半~・尼崎女性センタートレピエ/主催・集会実行委員会)、9月11日(日)午前11時~午後3時「いのちを考える 9・11神戸アクション(仮称)」(会場・神戸メリケンパーク、集会後パレード)などが、当面の行動としてそれぞれの団体から呼びかけられました。

 いろいろなスタンスから、とにもかくにも福島原発事故被災者への救援とすべての原子力発電所の停止、廃炉に向けたうねりが始まることが大事だと思います。踏ん張りましょう!

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2011年7月22日 (金)

朝日社説「日本の空の戦略を示せ」に思う

 一昨日、7月20日の朝日新聞が、関西空港と伊丹空港の経営統合のための新会社を国が全額出資して発足させる問題について「日本の空の戦略を示せ」と題する社説(右下写真、あるいは「11.7.20朝日新聞・社説.pdf」をダウンロード )を書いています。2空港の一体運用で羽田・成田と並ぶ拠点空港にして民間に売却し1兆円を超える関空の負債を返済するというプランについてだ。「3空港論議」、少なくとも「統合論議」が盛んなときにこの「社説」が出たんだったら「拍手・喝采」「さすが、朝日」となるのだが、最近は、ことが終わってから、なんの役にも立たないボヤキのようにつぶやく。これで大新聞の権威を維持しているつもりなのだろうか。うんざりします。

11720  しかし、「両空港の統合問題」について、「絵に描いた餅になる恐れはないか。疑問は尽きない。」「そこでひねりだされたのが統合法であり、抜本的な解決になるとはとても思えない」と正しく切り捨て、「需要確保のめどが立たないなら」と核心的な問題点を指摘し、「日本の空の玄関口の長期戦略をどう描」くのかと問題を立てています。これを半年前に書いていたらなぁと思わずぼやいてしまいます。(右写真をクリックしていただければ大きく拡大されて読めます)

 先日友人が、祖母の危篤の報でパリから関空へ帰ってきて午前中に実家へ。そして帰ってきたその日の夜の臨終に立ち会えたそうで、帰りは成田から帰って行かれました。関空にはパリからはエア・フランス1社で、日に1便しかないので不便だと。日本の航空会社、JAL、ANAは関西空港から欧米便には飛ばしていません。関西空港の欧米便の便数は、関西空港全体の8%しかない上に、金融の世界の中心、ロンドン、ニューヨークには便がほとんどありません。これらは、関西空港に航空会社が利益を見込めるビジネスクラスやファーストクラスの乗客がいないからです。不況にあえぐ世界の航空会社が、JAL、ANAを先頭に関西空港を見放しているのです。旅行客が中心の韓国、中国、東南アジアで71%、ハワイなどを入れたら、実に81.9%と、関西空港は今や観光客だけの世界のローカル空港に転落しています。「羽田・成田と並ぶ国際拠点空港」などというのは夢のまた夢。

 統合などというのは、この関西空港の需要の実態になんの効果もなく、正に「絵に描いた餅」でしかありません。もちろん、橋下大阪府知事が言うリニアモーターカーやカジノも。

 ご承知のように羽田・成田の狭隘という問題は、成田空港建設に活路を求めた1970年代以来、一貫した日本の航空政策(「空の戦略」)の最大の欠陥となっています。1966年6月22日、あの佐藤首相・友納千葉県知事による密室の会議で一方的に成田空港計画を決定し、法的に求められていた住民、地権者への説明の機会や同意さえも取ることもなく機動隊の国家暴力と莫大な金をばらまくことで、憲法にも違反して建設が開始された当時の政府や国交省が想像したこともない「想定外」の事態が今日生まれています。

 中国に追い抜かれたとはいえ、今なお世界第3位(国民一人あたりで言えば世界第2位)の経済大国である日本で、その経済の根幹である「ヒト・モノ・カネ」を動かす空港が、世界はもとよりアジアの韓国やシンガポール、香港はじめ中国の各空港、フィリッピン、タイなどの並み居る各空港の巨大化に追いつかないでいる惨状にあることは衆知の事実です。深刻な「国家体制としての危機」にあることは当然です。

 1970年代に国交省に行くと、官僚や政治家共は「需要は作るものだ」とうそぶき、日本全国に100もの空港を巨額の税金を投入してつくりました。とりわけ世界の動きに対応していくために、関西空港と中部国際空港を作ったのです。平行した4000メートル級の2本の滑走路を持ち24時間運用できる関西空港などは、陸地の騒音問題にからむ飛行コースの制限があるものの少なくとも離発着が年間30万回以上、同規模の内陸にあるロンドンのヒースロー空港の例から見ても50万回も可能な空港です。しかし、観光客を相手にしたローカル空港では11万回がやっとで、関西の3空港を合わせても30万回に届くどころではありません。世界の航空事情から完全に取り残された日本の現実が、東京に次ぐ大都市圏関西で露呈しているのです。

 「日本の空の戦略」を云々する国交省や国家権力にとって問題は、破綻したこの関西空港(あるいは統合問題)などではなく、異常な首都圏への一極集中を新自由主義的政策によって強めている日本の中で、首都圏空港の容量が異常に狭隘だという問題にあるということです。道州制もまたそうした傾向、国家体制を進めるものとしての新自由主義者の主張でしかないことが明らかになっています。しかし、拡張されたとはいえわずか6万回の国際線の枠を生み出すのがやっとの羽田空港と、騒音問題と安全問題を無視した成田空港を一体運用したところで、わずか28万回にしかならない現実は、帝国主義として「ヒト・モノ・カネ」を自分の手で動かすことができないという「信じられないような」事態となってその喉元に突きつけられ、長期デフレに苦しむ自らの破綻を引き寄せ続けるものとさえなってきているということなのです。

 「成田空港の地盤低下」は、成田空港の株の上場、自由化に空港利権が吹っ飛ぶのではないかと恐れる地元自治体や地元財界の問題でしかなく、国交省や国家権力、大資本にとっては、それどころではありません。何がなんでも成田空港の完成、拡張による首都圏空港の50万回(ヒースローで50万回)規模への道を「国策」とする以外に道がないところへと追い詰められているのです。それは1966年当時とは全く異質な事態なのです。首都圏第3空港計画の破たん、羽田の拡張もこれ以上は無理、横田基地の返還など論外の対米従属を深める現政権にとって、文字通り「成田拡張」にかけるしかないところへと追い詰められているのです。これが現在の日本の国交省、国家権力の「日本の空の戦略」の姿です。

 成田空港での2002年の暫定滑走路の供用開始直後から、農地法による市東さんの農地強奪攻撃がはじまり、それが8年を経た今でもうまく進まない現実に規定され、ついに昨年の2・25天神峰現闘本部千葉地裁反動判決以来、暴力的に「国策」を掲げ、襲いかかってきているのは、正にこうした彼ら国家権力の追い詰められた現実ゆえでしかありません。

 こうした理不尽極まる三里塚農民とその闘いにに襲いかかる政治は、福島原発による地域住民の途端の苦しみにとどまらない惨劇を生み出し、沖縄で沖縄県民の基地撤去の願いと闘いを今もなお踏みしだこうとするこうした「国策」の名のもとにすすめられてきた政治の故であり、多くの労働者、人民、農民、漁民とは相容れない、いや犠牲を強いて格差と貧困を強制してくる以外の何ものでもありません。

 11718 こうした成田空港をめぐって現在、日々起こっている非民主的な凄まじい現実と政治を意識的に棚上げし、関空の統合問題で「日本の空の戦略を示せ」と提起して何かを言っているつもり(それもピントをわざわざずらせた)になっている「同じ穴のムジナ」の思い上がりを、腹のそこからの怒りを込め糾弾するものです。

 今こそ、この朝日新聞の社説のインチキに惑わされることなく、先日の7・18現地緊急闘争で提起されたように、沖縄・福島・三里塚を切り結んで、「国策」を吹っ飛ばし、新しい時代を、社会を築こうではありませんか。

 なによりもまず「反戦の砦」三里塚の闘いの真骨頂をかけて、天神峰現闘本部を守り抜き、第3誘導路建設を粉砕して市東さんを守り抜こう!

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2011年7月21日 (木)

7・18緊急闘争  山本善偉関実世話人あいさつ

11718

 結集されたみなさん。5・20のけしからん高裁の判決。そのまま引き継いで千葉地裁は、この現闘本部の収去命令を決定するという、腹の中が煮えくり返っています。

 この間のいきさつは今、葉山先生が言われて、十分みなさん、ご理解いただけたと思います。私は5・20のあの判決で承知できなくて、弁護団がもう一度裁判長と話し合っている間、もう出てくるか、もう出てくるかと待って、2時間待っても出てこない。3時間待っても出てこないと思うと、そこで待っておった人間は「不退去罪」だと、「逮捕だ」と90歳で生まれて初めて手鎖(手錠)をかけられました。私はびっくりしたと言えばびっくりしましたけれど、しかし結果的には私を若返らせてくれた、新しく闘う力が出来たと思います。

11718_2  2002年にこの第2滑走路、「第2」じゃなくて暫定滑走路が出来て10年になるのにまだ「第3誘導路をつくる、云々」で、今日も来まして、あそこの市東さんのところの前のあのやぐらにあがって見ましたら、数か月前に来たのとはまるで様子が違う工事をしている。いったい誰の金でこんなことをしてるんだ。怒りでいっぱいです。 ・・・入れ歯が飛んでしまう・・・。

 6月には、6月22日、三里塚の萩原進さんを先頭に反対同盟と一緒に沖縄に行ってまいりました。去年の沖縄に行ったのがもう最後だろうと思っていましたが、また元気だったんで行ってみようと。23日の沖縄の慰霊の日の前の日に「三里塚の今を考える会」を、沖縄で開いてくれました。そのとき、私よりも早く三里塚を知っておられる沖縄の方がおられた。大木よねさんの話しをされた。沖縄にもたくさん三里塚を知っておられる方がある。11623_20 沖縄の怒りを、本土でも我々は知っているはずだ。どうして沖縄の怒りを、本土で共に怒ることができないのか。三里塚の怒りをどうして沖縄で共通にならないのか。

 そういう意味で萩原さんの話しが、沖縄で大きな影響を与えたと思います。今後、沖縄でともに闘っていくことを固く約束しました。今日は、これないけれども激励のメッセージが届いているはずです。(左写真は、6月23日、沖縄・慰霊の日の「国際反戦沖縄集会」で)

 今、東日本の地震の被害。もちろんこれは大きな被害でしたが、もっとも怒るべきは、何といっても福島の原発、放射能の被害がどんどんひっろがっている。我々はみな、もともと「反原発」を言っていた人間です。しかし、神戸で反原発の集会を先日やったときに、ちょっと名前を忘れましたが、当然助教授になっていてもいいはずの万年助手の先生(小出祐章さんのこと)が頭を下げて、「原子力の平和利用ということは絶対できないんだ。手を付けたらダメなんだ」ということをみんなに伝えながらいにここに至ったのは科学者としてほんとに申し訳ないと言って深く頭を下げられました。

 そういう意味では、なんやら言うややこしい航空機、忘れましたが(MV22オスプレイのこと)、ヘリポートを作るのに対する闘い、もちろん説明するまでもありませんが、今や沖縄の闘いと、三里塚の闘いと、福島の原発に対する闘い。これが結びつく時が今きたと思います。

 11718_3 特に原子力問題については、日本中に広く報道がなされています。ところが残念なことに三里塚のことは関西に居てはなんにも伝えません。これは僕から言わせれば、報道は何してるんだということです。今から40年前、1971年頃、あの頃の報道はもっと農民の怒りを伝えていました。私はそれに励まされて三里塚に来て40年になります。ところが、今は、三里塚の怒りを伝える報道はない。先ほど(萩原)進さんが言われた通り、上から誰かがやってくれることじゃなしに、我々自身が拡げる以外にありません。しかも、この闘いは絶対に正しい。勝てる闘いです。それに勝たなければ日本の国はダメになってしまうんです。

 我々の力で、今こそ本当に人間を大切にする新しい国を作る根源の闘い、三里塚が言われている「反戦、平和の砦」と言われてきたのは、そういう闘いが、今から始まるのだと思います。

 沖縄に行って、私は、一杯飲んでですけれども、「挨拶を」と言われたときに何を言ったのか覚えておりませんが、覚えているのは「去年沖縄に来てもうだめかと思ったが、今度来てみて励まされ、もう91歳になりますが、いつ死んでもいいなんて言えない、もう5年、もう10年生きたい」と沖縄で言いました。

 皆さん。どうぞ、ここに集まっておられる方、ひとりひとりが固い決意を持っておられる。それを仲間に広げてください。共に闘いましょう。 

 

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2011年7月20日 (水)

7・18緊急闘争 萩原進さんの基調提起

11718 ほんとに目覚しい情勢の中で、 いろいろ立て込んだスケジュール、そういう中で今日集まっていただいてありがとうございます。

 まあ、畑が固まるのは、腹のそこでは泣きたいんだけれども、これも闘いの一つだという風に思いながら、むしろ土地を武器に闘えるんだと。機動隊宿舎がここに建ったんだけれども(右下写真 【注】)、こんなのはいずれ我々が占拠するぞという、そういう立場に立ってやっていきたい。

 状況的に、北原さんの方からも、市東さんの方からも出ましたけれども、本部を盗ることを持って我々を押し込めていくと、もっと言えば市東さんに対する重圧を大きくかけてくる。それに対して、市東さんがはっきり言いましたけれども、本部を盗られちゃっても自分は自分の土地で闘えるんだと、あるいは闘うんだと、このことの重要性なんですね。ここで今、市東さんがそういう形で明らかに宣言するということが大きな位置を占めているという風に思います。11718_2

【注】 萩原さんのすぐ横に「マンションのような」と萩原さんが評していた機動隊宿舎。その手前のフェンスが排水が考えられていないため、昨年の秋の大雨で、手前の萩原さんの畑の人参が水に浸され壊滅的な被害を受けました。

 その上で、また福島で牛肉の問題が出ましたけれども、さすがに今度は「農家が悪い」というような声は少なくなってきている。今までの野菜とか風評被害の中ではそういう声もまかり通ってきたんですが。生産者は、純粋な意味でインタビューに答えているんですけれども、「自分の子供に放射能を食べさせる親がいるか」と、「牛は自分の子供なんだ」と、「その牛に放射能を食べさせる親がいるだろうか」と。11427s_2 何10頭、何100頭いる牛に名前を付けて、1頭、1頭識別できる、そういう飼い方してるんですよ。そういう人たちが、ほんとに知らなかったとはいえ、食べる人たちに送ったということについて、ほんとに真摯に結果的にそれを消費者に送ったということについて謝りたいといっているわけですからね。(左写真は、4月27日、福島県本宮市の酪農家Sさん宅を萩原さんが訪れた時のもの)

 これを我々はどう受け止めるのか。藁に滲み込んでいる、あるいは牧草に滲み込んでいる放射能を農家は判らないわけですよ。だけども、そういう中で検出されたということに対して真摯に受け止めて、これからどうするのかということがあるわけです。ほんとにそういう人たちは、悲しみを通り越して怒りに満ちているわけですね。怒りに満ちてるんだけれども、これをどうしたらいいかというところに問題があるんです。そこにこうするべきなんだという、あるいは上からの言い方じゃなくってね、文字通り同じ立場で、同じ闘いの仕方として持ち込んでいく、あるいは並んでいくというやり方が、今ほんとに求められてるわけですよ。

 11718_3 その農家が、あるいは農民は素手で放射能に汚染された藁を掴んでるんですよ。それを牛に与えて、それを日常的にやってるんですね。われわれも、この土地に、今立っているこの土地にどれくらい放射能があるかわからない。しかし、これを素手で作物を土をいじってね作ってるわけでしょう。洗ったって、どのくらいかわかんない。だけども、そういう形で東電をはじめ、それを容認した今までの歴代の政府や、あるいは経済団体が、今のこの状況を作ってるわけですね。

 我々はそれに対してほんとに責任をとらせなくちゃあならないということが、今あるんじゃないのか。そのことの重要性を考えていただきたい。

 じゃあその責任をどうするのかということはありますけれども、やっぱり、今までの考え方を変えるべきだ。先程から出てますけれども、もう裁判所は第2の国家権力になってんですよ。裁判所が原子力を推進したわけでしょ。あるいは門戸を開いたわけですよ。あらゆる産業の中で国家的事業であるという国家のための働きをしてきたわけですよ。こういう形で、三里塚の地においても、数々の裁判が、三里塚裁判が、ほんとに内容的に、法律的に完全に勝利している裁判であってもね、国家のそういう意思のままに行われている裁判としてなされているわけですよ。その現れが本部の撤去の裁判の判例であるし、市東さんの裁判について農民を守るべき農地法を適用して農地を取り上げ、それを潰すなんてね、誰が考えたってとんでもない話しですよ。(左写真は、市東さんの南台の畑から見た天神峰現闘本部)

 11718_4 こういうことを言うこと自体が許せない。「自己責任を取らなくていい」というようなそんな人間は絶対にいないんですから。だから、いかなる法律であろうとそんなものはとっぱらわなくてはダメだ。地位を握って、知らん顔をして口をぬぐってればいいという、そういう存在など許すことはできない。それをはっきりさせていくという闘いがこれから必要になってくる。

 だから、本部裁判にしたって、彼らがそれを手にかけると言うんだったら、あらゆる手段を通して、あらゆる手法を通して我々は闘いを挑んでいく。そして、そこには制約をもうけない。そういう闘いを求めていかざるを得ないだろう。そういう中で、先ほど来出ていますけれども、福島においては原発を頂点にしながら怒りを渦巻いて、そういう中から三里塚のような闘いをほんとに待ち望んでいるという、そういう状況を我々としてはわかっている。やることは一杯ある。そういう中での本部闘争です。我々がほんとにここで炎を燃え上がらせれば、その炎は絶対に消えることなく彼らのもとに到達します。そのことを確信しよう。

 P110623_11thumb150x1121154 沖縄からも今日、メッセージが届きました。(右写真 6月23日、沖縄で。反対同盟ブログより)高江においてヘリパットの問題、これは7月の5日かな、500名集めて、こういう集会を開いて座り込みをやり、搬入に対して車を並べて夜中中のパトロールをやり抜いて、彼らの攻撃を打ち砕いている。そういう闘いの真っ最中で、三里塚もこういう形で一緒になって闘い抜いている。

 また労働者の闘いにおいても、関西で、関西生コンの労働者が、1年前の問題をこじつけて逮捕され全員起訴だということに昨日闘っている。そういう状況なわけですよ。

 だけれども、余裕をもって攻撃をかけている状況じゃない。切羽詰って、もうどうしようもない状況の中で、もうやらなきゃあしょうがないという攻撃としてあるんだということを、我々が見極めて闘い抜けば、勝利の大道を切り開くことは必ずできる。そうでしょう。本部盗ったってどうなるんだよ。あの問題が解決しますか。大きな意味で三里塚の空港が、このことによって「ハブ空港」としてできますか。そうじゃないでしょう。やっぱり、何といっても、そういう形を作らなきゃあならない。あるいは、そういうことをやって、世間に対して見せなきゃあならないというところまで追い込まれて、40何年の闘いの中で我々はここに立っているわけですよ。

11718_5  ですから我々がどう構えるのかという形で勝負が決まると思います。今まで、向こうの攻撃なんだということじゃなくて、我々は本部を通して、本部の闘いをいま挑んでいるんだ、我々が挑んでいるんだという闘いを組んでいく。そういう闘い、そういうふうに本部の闘いを挑んでいけば必ず勝利するというふうに思います。

 団結街道の封鎖についても、ここでやってその翌日の月曜日にという状況がありましたけれども、これで、休み明けに抜き打ち的にやる可能性はあります。ですからこれから連絡態勢、総決起するための連絡態勢を各党派は、各党派間で練っておいて欲しいし、また市民団体、あるいは個々の人については反対同盟として責任をもってやっていきたい。それと同時に、それが来るのを待っているんじゃなくって、我々は人やあらゆる機会を通じて宣伝戦を撃って出ていく、そういう闘いをやっていきたい。

 そのために、各団体、各個人に対して、弾劾声明をお願いしました。普通だったら裁判所、あるいは裁判官に対して抗議声明という形で出すんだけれども、そうじゃなくって、今、現闘本部を潰しに来たら我々はこういうふうに闘いますよという形で、今まで三里塚闘争を闘い抜いた人たち、組織、あるいは団体が、もう一度一堂に会してここで声明を上げていくという形で、100に上る声明が反対同盟に結集しました。我々は心強く思って、闘い抜くことができると思います。そういう中で、宣伝戦についても、あらゆる組織、あらゆる団体、あらゆる個人が、あらゆる内容を含めて、そういう宣伝戦を展開していただきたいという風に訴えたいわけです。

 そして何よりも工事というときにはいち早く駆けつけられる態勢を確立していただいて、断固たたかい抜きたいと思います。反対同盟も、この46年にならんとするこの闘いを、現闘本部の闘いを、我々の側の闘いの拠点として闘い抜いていきたいと思いますので、ぜひ皆さんの力をお借りしたいと思います。

 以上です。

 

 

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2011年7月19日 (火)

天神峰現闘本部を守ろう! 7・18緊急闘争

11718

 昨日、7月18日、三里塚現地で、天神峰現闘本部への解体攻撃の強制執行を許さない緊急闘争が、250人の結集で闘い抜かれました。11718_2 会場になったのは、昨年の6・27「緊急大結集闘争」が闘われたのと同じ市東さんのお宅の近くで、空港に接した空港用地内の萩原さんの畑。踏み固めていないところは足が吸い込まれるように入っていく柔らかい細かい土が暑さでサラサラに乾いています。萩原さんがその発言(基調報告)の中で、「畑が固まるのを、腹の底では泣きたいんだけれど」と思わず語られましたが、ほんとに準備するだけでも大変です。(写真は、すべてクリックしていただければ拡大して見れます。)

 11718_3 タクシーで山本先生などと駆けつけた私たちは、集会の開始時間を気にしながら、まず市東さんの家の前にある監視台に上がって、現闘本部の様子を見ました。すでに同盟ブログにも紹介されていますが、6月5日の現地調査の時にはなかった本部の左手に新たな盛土があり、その上には監視台にするためか手すりが添えられています。第3誘導路の工事現場も含め、久しぶりに見られた山本先生は、その様子の変わりように驚かれていました。

 11718_4 さて集会は、萩原富夫さんの司会で「今日は、現闘本部への強制執行を迎え撃つ現地緊急闘争として」と始められました。富夫さんは冒頭沖縄の高江で座り込み、バリケードで重機搬入阻止の闘いが今連日闘われていることを紹介し、「沖縄、福島、三里塚をつなぐ闘いとして」とこの日の闘いを位置づけられました。

 主催者の反対同盟を代表して北原鉱治事務局長からの挨拶です。11718_6 北原さんは、これまでの三里塚に関わる裁判が先日の5・20東京高裁判決をはじめ不公正、一方的な判決で「裁判はどこに行ったのか」と糾弾されました。その上で「5・20判決は、判決なんてものじゃない」「三権分立はどこに行ったのだ」と指弾。「三里塚の闘いは続く。まだ戦いの場は、点々とある」「この世の中を根本から変えなければ、若い人や幼い人の将来はどうなるのだ。三里塚は闘い続けます」と訴えられました。

 続いて市東孝雄さんが登壇。「昨年は自分と富夫さんが逮捕され奪還されて、この場所で集会をした」「5・20大弾圧で入るのが久しぶりの人も含め全員が元気よく出てこれた」11718_7 「現闘本部をとっても、自分が耕作している畑を取らなければ一緒で、何も変わらない」「自分は農民です。空港会社の不法、不当なやり方を絶対に許すことはできない。耕す者に権利ありです」「現闘本部をやったら、今度はうちの畑です。体を張って闘います。みなさんよろしく」と決意をみなぎらせて挨拶をされました。この市東さんの言葉と想いに今日の闘いが凝縮しているように思われました。

 続いて萩原進事務局次長から基調提起です(明日のブログに全文を掲載いたします)。 まず冒頭、市東さんが語られた決意の重要性を確認されました。そして福島の農民、酪農家の皆さんの想いと怒りをどう受け止め、どう闘っていくかだと訴えられました。11718_9 東電、歴代の政権にほんとに責任を取らせなくてはならないと。そして第2の国家権力と化した裁判所が、この原発の事態を生み、三里塚で犯罪を犯し続けていると。それが5・20反動判決を生み、今また農地法で市東さんの農地を取り上げようとしていると。そういうことをはっきりさせていくことがこれからの闘いだと。5・20、そういう攻撃に対しては、制約をとっぱらってあらゆる方法で闘い抜いて行く。福島の闘い、沖縄の闘い、昨日の関西生コンの闘いをはじめとした労働者の闘いの中で、切羽詰って、追い詰められた国家権力の攻撃の姿であり、それを見極めて闘い抜けば、勝利の大道は必ず実現できると。「我々がどう構えるかで決まる」と。そして緊急態勢の構築と宣伝扇動の重要性を訴えた上で、この間、7・6反対同盟の戦闘宣言に応えて100に上る弾劾声明が各地から寄せられたことを報告された。

 11718_10 続いて、反対同盟弁護団を代表して葉山岳夫弁護士から。葉山弁護士は、5・20弾圧で全員不起訴を勝ち取ったことは、「恐るべき勝利だ」と。そして7・4千葉地裁藤山裁判長の「収去命令決定」の不当性、デタラメさを暴露されその違法性を弾劾されました。

 11718_11 住民団体の発言に移り、まず動労千葉の滝口誠さんが登壇。滝口さんは、現闘本部は我々の体の一部だとそれを防衛する闘いと市東さんの農地を守る闘いの重要性を確認されました。そして3・11以降、三里塚、国鉄をはじめすべての戦線で決戦情勢に入ったと。すべての農民、漁民、怒れる労働者、大衆との闘うほんとの合流、総反撃を闘い取ろうと。

  さあ、関西実行委員会の山本善偉世話人と安藤眞一事務局次長の登壇です。

11718_13  山本さんは「腹の中は煮えくり返っている」と冒頭思いを語られ、5・20、90歳で初めて手錠をかけられ不当逮捕された経験を語られ、「私を若返らせてくれた」と闘い抜いた勝利感を語られました。あまり激しく怒りを語るために、思わず入れ歯が飛び出しそうに。(久しぶりです。)そして6月22、23日の反対同盟とともに沖縄を訪れた感動を語られました。そして福島原発事故にふれ、沖縄、福島と三里塚が結びつく時が来たと。

 安藤さんは、「1970年に永井さんと一緒に現闘本部に泊まった」と本部への「闘いの原点だ」という熱い思いを語られました。そして、9月18日、反対同盟と共に関西で三里塚集会を開催して闘い抜くと。

 11718_14 つづいて、市東さんの農地取り上げに反対する会のみなさんが登壇されました。まず事務局の山口千春さんから「現闘本部を取り上げようという攻撃は市東さんの農地を取り上げるのと2つにして1つの攻撃だ」と、会として初めて「弾劾声明」を出した根拠を明らかにされました。

 続いて農民の小川浩さんが。小川さんは、「現闘本部の破壊は、三里塚闘争の破壊を目論んだものだ」と弾劾し、その上で、福島の農民が農業をしたくてもできない、農民、漁民、労働者が生きられない福島の状況は誰の責任なのかはっきりさせなければならないと。三里塚の闘いが、福島、沖縄の闘いと直結し、我々農民が生き抜いていく闘いとして断固たたかいぬいて行きたいと語られました。

11718_15  このあと、カンパアピールが婦人行動隊の宮本麻子さんから行われ、現地支援連として4党派からの決意表明が行われました。

 最後に鈴木謙太郎さんが、まとめの挨拶と「団結頑張ろう」を行なって、さあデモに出発です。反対同盟を先頭に、猛暑のなか、市東さんの南台の畑、そして天神峰現闘本部に向けて。

 11718_16 解散地点の現闘本部の前のフェンスには、カメラやビデオをもった権力が鈴なりになり、空港会社のガードマンとおぼしき人間がハンドマイクを持って、蚊のなくような声で「ここは空港会社所有地です。退去してください」と。反対同盟の宣伝カーから北原事務局長が「成田警察署長に告ぐ。ここはデモの解散地点です。フェンスの上の機動隊を下がらせないさい」と大音響で弾劾。シュプレヒコールを上げて解散しました。

 帰途につく車のところへ着いた頃に台風の影響か、ポツリポツリと雨が。よかった、よかった。

 

 

 

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2011年7月16日 (土)

今週の産直野菜(7月16日)

11716  今週の産直野菜が、今、三里塚から届きました。小さめの箱。(メ・ん・)?

 開けて見ると、結構いろいろあります。

 セロリ、じゃがいも(トヨシロ)、ニンジン、なす、ピーマン、きゅうり、赤毛瓜(アカモーウィ ???)、オクラ、玉ねぎ、以上9品です。

 「野菜だより」には「オクラ、モロヘイヤなどはまだ出荷見通したたず」とありますが、オクラが入ってきました。昨年も調べたら7月24日(第4週)に初めて入ってきていますから・・・。

 しかし「開けてびっくり」は、思わず、「なに? これ?」、赤毛瓜(アカモーウィ)。これのために別にレシピーが入っているので、ほっ。ウリ科でキュウリの仲間とか。沖縄ではよく見られるそうです。そういわれれば何とかなるか? がんばるか・・・。

 実は昨日デジカメがまったく動かない。春先から変な動きが続いていたのですが、故障。ブログの維持のためには修理をしていたら間に合わない! それに安いのを買っていたので、修理するよりと、昨日、電気屋へ飛び込んで、新しいのを買いました。トホホ・・・。その写真第1号です。これで18日の現地闘争に間に合います。

 みなさん。天神峰現闘本部を守ろう! 7・18緊急闘争へ!

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2011年7月14日 (木)

7・18三里塚緊急闘争へ!

11714

 写真は、昨夜反対同盟ブログに掲載されたものを転載しました。天神峰現闘本部を解体するために重機を入れるための鉄板を敷く作業をしているようです。断じて許されません。7・18三里塚現地緊急闘争に結集しよう!

 2000年頃、国交省は、関西空港と中部空港で日本の首都圏空港の逼迫状況は改善できると考えていました。しかし、今日の関西空港、中部空港が、欧米便が8%程度しかなく、おまけに金融の中心とも言えるロンドン、ニューヨークに便がない、また経営状態が悪化したJAL、ANAが両空港の欧米便から撤退していることが示すように、関西空港と中部空港は国際線の基幹空港どころか、アジア、ハワイなどの観光客が使うローカル空港でしかない状況にあります。

 中国との航空自由化に向けた交渉の中でも、日本は中部、関空を使ってもらうことを前提に交渉を進めようとしましたが、中国が成田空港使用を頑として譲らず、仕方なく日本が譲歩したと聞きますが、これもまた、この関空、中部の状況を示しています。

 中国にGNPで追い抜かれたとはいえ、経済大国日本の「ヒト・モノ・カネ」の流れの水路となる空港が、首都圏空港しか評価されない。しかも、羽田の拡張があったとはいえ、成田・羽田で国際線の路線があわせて28万回しかないという惨状にあります。ロンドンのヒースローは50万回、アメリカのシカゴは90万回などに比してもそれは明らかです。これまで首都圏第3空港が、幾度も浮上しては消えていますが、引き受ける自治体がないからです。また羽田のこれ以上の拡張は、日本最大の港湾である東京湾の航路を塞ぐことになり、これも不可能と言われています。勢い、国交省にとっては日本の航空政策の生き残りをかけた政策として、成田空港の完成、拡張しかないところに追い込まれています。

 自公政権下での「アジア・ゲートウェイ構想」、あるいは現政権の「新成長戦略」で、「航空自由化」「成田・羽田の一体運用」が声高に叫ばれるのも、極度に進んだ東京一極集中の中での「首都圏空港の狭隘」というこの問題に、世界・アジアの航空政策に完全に立ち遅れているという問題にその根拠があります。

 世界の先進国の中で、唯一長期のデフレに苦しみ、アメリカ追従に唯一の道を探ろうとする現政権とはいえ、帝国主義として「ヒト・モノ・カネ」の流れを自らの力で引き寄せることができないという破綻が、ここに表面化しているのです。成田空港問題とは、現政権にとって、自公政権からそのまま引き継いだ、しかもそれ以上に深刻な自らの存在の根幹に関わる問題となってしまっているのです。

 それは2002年の暫定滑走路の供用開始にもかかわらず、2003年、市東さんへの農地強奪に向けた蠢きの始まりによって示されていました。土地収用法による強制収用の道を閉ざされた国家権力にとって、農地を守るべき農地法を用いて農地強奪を図らねばならなかったこと自体にその破綻が突き出されています。しかし、国家権力にとってそこにしか道がなかったのです。以来、すでに8年が経過し、事態の深刻さは彼らにとって抜き差しならないものとなっています。それが、昨年以来、この1年の団結街道の廃道化、閉鎖に始まる今日の状況です。

 それは5・20天神峰現闘裁判における「国策裁判」の強行、5・20弾圧、あるいは裁判の中での論争で「41-9問題」に象徴されるように完全に破綻しながら、今回、反対同盟弁護団からの21名の証人申請に対して、萩原さんと市東さん2人の証人採用でお茶を濁し、反対同盟の立証を一切封じ込んで、市東さんの農地強奪の国策裁判を強行する意図を露わにした「農地法裁判・行政訴訟」の多見谷千葉地裁裁判長の訴訟指揮(断じて許されない!)に、その追い詰められたが故の強暴な姿が現れています。

 7・18緊急闘争で問題となっているのはこうした状況なのだということ、天神峰現闘本部解体攻撃とは、追い詰められた敵、国家権力の攻撃の先陣であるということなのです。

 みなさん。7・18三里塚現地へ全力で向かおうではありませんか。

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2011年7月13日 (水)

第4回団結街道裁判の傍聴報告

11712

 7月12日、いつも通り千葉地裁に着くと、多数のテレビ中継車や何百人もの傍聴者がつめかけており、直感的に「外国人殺人事件」の裁判であることがわかりました。見知らぬ人から「傍聴券手に入りましたか」と尋ねられ、「三里塚裁判の傍聴券は今から並びます」とやりとりする一幕もあり、こちらの傍聴券配布はいつもより10分遅れで配布。法廷に入ると開廷前10分なのに、裁判官が着席しているではありませんか。こちら原告席もそろい、2分遅刻で着席した被告代理人たちに傍聴席からブーイングが起こりました。

道路地代の「鑑定報告」を無視しようとした成田市に痛打

 この日の裁判は、原告が第3準備書面を陳述し、従前からの主張を補強するように、①封鎖した迂回道路の使用実態、②封鎖した団結街道と現闘本部が原告の運動にとって勝利を確信するものであること、③道路の封鎖売却はこの地区の入会権を抹殺するものだ、との3点を強調しました。特に①の道路使用実態では市東さんが、毎日何回となく自宅と畑を往復するのに、封鎖前はトラクターで2分で着くところ、迂回道路は8分かかり、一日何回も往復するのに難儀を強制されている、途中のヘアピンカーブは危険だ、と封鎖にともなう営農破壊を訴えました。道路の使用実態報告は市東さんの場合だけでなく、萩原進さん、鈴木謙太郎さんの場合についても詳しく陳述、成田市の違法性を追及しました。

 また、③の入会権については、この道路が生活の一部で、これを使って地域の農作業が成り立っており、明治以前より集落の大切な道路として保守管理されてきた「入会権を有する道路」であり、成田市が勝手に処分できる道ではない、などをあらためて主張しました。

 以上の主張からも「原告としての適格性」は十分にあり、「不適格」とする被告らの主張は間違っています。また、前回に原告が要求していた「道路代の鑑定書提出」を裁判長が無視しようとした動きに、弁護団より厳しく提出を要求、被告成田市は8月に出すことをしぶしぶ認めました。

 次回の口頭弁論期日は10月11日午前10時半、さらに核心に迫る攻防となります。

裁判報告会で萩原事務局次長が7・18全力決起を訴える

 裁判後の報告会は千葉市文化センターで行われ、冒頭北原事務局長から「現闘本部の強制執行にいつやってくるか分からないが、我々は死守する決意だ。みなさんも決起してほしい」との挨拶がありました。

 裁判の報告では弁護団より「売り渡した道路の地価が異常に安すぎる。一坪裁判での地価は、1平米75000円なのに、道路を1平米2800円で売却している。だから鑑定書を要求しているが、成田市の勝手気ままな判断は許せない。そもそも道路売却にあたって市東さんや萩原さんらに了解もとっていない」などの補足を行い、さらに現闘本部の「収去命令」がいかにデタラメな内容のものであるか葉山弁護団長が、以下の説明をしてくれました。「現闘本部の収去命令を出した藤山裁判長は、判決文になかった建物の表記も加筆して、国土交通大臣の建物使用禁止命令を無視する命令を出している」と。報告会場で配られた「収去命令」の判決文(http://www.sanrizuka-doumei.jp/home/documents/110704kettei.pdf)を見ながら、あらためて裁判所の「無法ぶり」に怒りがこみ上げてきました。

11712_2  私は、萩原さんに「収去命令では撤去費用が債務者(反対同盟)が払え、となっていますが」と思わず聞きましたら、「無理やり撤去されて費用を払えとはひどすぎる攻撃だ」とおっしゃっていました。

 報告会の最後に、萩原事務局次長は「現闘本部の撤去攻撃に、全国から70を超える抗議文が届いた。うれしく励まされる思いだ。反対同盟は7月6日に戦闘宣言を発した。この闘いに勝利し、現闘本部を死守するために、7月18日の緊急闘争に総決起してほしい」との呼び掛けがあり、全員異議なしの声で報告会は終わりました。

                    事務局次長  安藤眞一

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2011年7月12日 (火)

7・18三里塚緊急闘争に起とう

7月7日発行の関西実行委員会の「実行委ニュース第135号」巻頭文(関実事務局)を転載します。

7・4千葉地裁による現闘本部の収去命令決定を弾劾する

7・18三里塚緊急闘争に決起し、天神峰現闘本部破壊を阻止しよう!

 千葉地裁藤山裁判長が、7月4日、天神峰現闘本部に対し、収去命令決定を行なったことに対し、満腔の怒りを込め弾劾する!

暗黒の国策裁判を許すな

 5月20日、東京高裁井上裁判長は、天神峰現闘本部の解体・撤去を認めた仮執行宣言を付けた反動判決を強行しました。

 それは1審の仲戸川判決を引継ぎ、争点の核心である現場検証を拒否するばかりか、1審の偽証などに対する被告・反対同盟の弁護権、反論の権利を無視した裁判の体をすらなしていない反動判決です。11520 その唯一の根拠は、破綻した航空政策を取り繕い、市東さんたたき出しと三里塚闘争の解体に活路を見出そうとする政府、国交省の成田空港完成、拡張に向けた国家意志です。即ち、暗黒の国策裁判以外の何ものでもありません。 (右写真は、5・20裁判を前に本部判決強行を弾劾する反対同盟のデモ)

 しかも自らの犯した罪に怯える井上裁判長は、仮執行の停止を求めた弁護団の当然の申し立てに対し、会おうともしませんでした。申し立ての結果を待っていた反対同盟を先頭とした60数名は、裁判所16階にある井上裁判長が属する東京高裁第15民事部の前に行きました。なんと、弁護団に会わないだけでなく、裁判所の職員やガードマンがスクラムを組んで阻んでいるではありませんか。

 私たちは、「裁判長、弁護団と会え」と求めて、そこに待機しました。1時間ばかりの経過の後、突然機動隊が「全員逮捕」と叫びながら襲いかかってきました。控え室におられた北原鉱治事務局長や90歳になられる山本善偉関実世話人をはじめ、50名を逮捕するという暴挙を行いました。

 そしてこの弾圧を背景に、井上裁判長は申し立ての却下を強行するという二重の犯罪に手を染めたのです。本当に許せません。

 反対同盟の8名や山本さんをはじめ12名は、22日夜になり釈放されましたが、残る38名は23日間の拘留を強制されました。11529 しかし、誰一人起訴されることなく、全員の完全黙秘の闘いと、反対同盟を先頭にした5・29緊急闘争(左写真)をはじめとした闘いによって6月10日、全員が奪還されました。

 しかし、空港会社NAAは6月9日、千葉地裁に対して執行官による本部の解体・撤去を求めた「建物等収去命令申立書」を提出し、千葉地裁はそれを受けて、反対同盟に当事者としての意見を文書で求めるという手続き「審尋」を6月28日に強行しました。そして冒頭述べたように、7月4日、藤山裁判長は、天神峰現闘本部の収去命令を決定するという暴挙に手を付けました。

この攻撃を正面から見据えよう

 今、三里塚闘争は重大な局面を迎えています。

 現在は成田治安法によって封鎖されているとはいえ、天神峰現闘本部は、三里塚反対同盟にとって45年にわたる三里塚闘争の象徴として常に存在し、現実にも「へ」の字誘導路を強制している闘争の拠点です。091011 その解体・撤去は、現闘本部裁判の証拠隠滅とともに、市東さんの営農を孤立させ、三里塚闘争の解体・根絶を図ろうとするものです。それが国家権力、NAAの追い詰められているが故の展望のない正面突破の攻撃であるという、敵の強暴性をいささかなりとも見誤ってはなりません。 (右写真は、2011年10月11日、現闘本部前をデモする関西実行委。)

 今、なぜ市東さんへの農地法による農地取り上げの攻撃と一体のものとして、天神峰現闘本部への攻撃が行われようとするのかということです。

 アジア、世界の航空業界の流れの中で「アジアのハブ空港」と期待された成田空港の行き詰まりと、関西空港、中部空港の破綻という形で突き出された日本の航空政策は、無残な現実にあります。自公政権下でのアジアゲートウェイ構想や、民主党政権下での新成長戦略といかに打ち出そうと、「羽田・成田の一体運用」といかに叫ぼうと、極度に進む東京一極集中と首都圏空港の狭隘という現実は、羽田空港の拡張がこれ以上は無理であり、第3空港の展望もない中で、成田空港の完成と拡張にしか道を見いだせないところに追い込まれています。帝国主義として「ヒト・モノ・カネ」の流れを自らの力で引き寄せることができない危機的状況が、彼らの喉元に突きつけられています。市東さんへのこの数年にわたる農地取り上げ攻撃と、現下の天神峰現闘本部解体攻撃への強暴極まる攻撃の正体が、ここにあることを私たちは見据え切らねばなりません。

  言い換えれば、三里塚闘争の45年が、日本の国家権力を、その国策をここまで追い詰めたと言えるのではないでしょうか。まさに「反戦の砦」と言われてきた真骨頂が、ここに示されています。

 11623_2 今、福島原発の事故は、展望の見えない苦難を多くの人々に強制しています。私たちは、その人々と共に生きていく道筋を何としても作り上げなければなりません。同時に巨大な独占、電力会社によって作られてきた原子力発電という国策が、崩壊の淵にあることも(もちろん私たちの闘い如何ですが)明らかとなっています。

 そして、巨大な米軍基地の存在と日米安保体制という国策が、沖縄県民の66年にわたる差別を食い破った闘いによって、前にも後ろにも行きえない深刻な破産状況にあります。 (左上写真は、6月23日、沖縄慰霊の日の「第28回国際反戦沖縄集会」に参加してデモをする三里塚反対同盟。)

沖縄・福島・三里塚とともに

 天神峰現闘本部の解体・撤去の攻撃は、第3誘導路建設、そして市東さんの農地強奪の攻撃と一体のものとして開始されています。Photo 国策を掲げたこの攻撃がいかに理不尽な、人民の生活と相容れないものであるかを、今こそ広範な人々に訴え、巨大な人民のうねりをもう一度北総の大地に蘇らせることが必要です。それは、農業を破壊し、農民のみならず多くの労働者・市民、中小零細の事業者を途端の苦しみに追いやるものでしかないTPP(環太平洋経済連携協定)を推し進める現在の政権を追い詰め、「日本農民の名において」打ち出される巨大な火柱となるでしょう。 (右写真は、福島菊次郎さんの「戦場からの報告 1977年刊」より転載)

 今、まったく展望の見えない福島原発事故によって、放射能の恐ろしさ、人間が原子力を作ることはできてもそれを制御も処理もできないことが明らかになり、巨大なうねりが始まろうとしています。

 そして、「基地が無くてもやっていける」という沖縄のみなさんの確信は、予断は許れさないとはいえ、保守の人をも含めかって日本で経験したことのない島ぐるみの闘いを生み出し前進を開始しています。ヤマトによる66年、いや130年にわたる差別をも乗り越え、日米安保に抗して共に手を携えて立とうと呼びかけておられます。

 今こそ、沖縄、福島、三里塚を切り結んで、巨大なうねりを生みだそうではありませんか。

 その第1歩として、天神峰現闘本部の破壊を阻止し、反対同盟と共に死守しようではありませんか。7・18緊急闘争に全力で結集しよう。

         (三里塚決戦勝利関西実行委員会 事務局)

 

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2011年7月 9日 (土)

今週の産直野菜(7月9日)

1179  先ほど三里塚から産直野菜が届きました。じゃがいも(北あかり)、玉ねぎ、ジンジン、トウモロコシ、きゅうり、インゲン、なす、ピーマンの8品です。

 「野菜だより」によれば、ピーマンとなすがピンチとか。大事にしていただいております。

 しかし、きゅうりととうもろこしが毎回、たくさん入ってくるのは大歓迎。とうもろこしは毎回焼いていたのですが、「たより」にあるように、早速、水からゆがいてみます。それに「魚焼きグリル」もなるほど。

 今朝、広河隆一さんの本を読んでいて、思わず三里塚の市東さんや萩原さん、鈴木さんを思い浮かべました。チェルノブイリの事故で被害を受けたドイツで、安全な場所で生産されたものと混ぜて放射能値を下げて出荷していたことを書かれたあとで、「こうしたことができなかったのが有機農家である。有機農家は土をつくるだけで何年も費やし、人間の健康にいいものを栽培するために大変な努力を要する。そしてそれを信頼する人々が顧客となり購入する。だから汚染を隠したり、ほかのものと混ぜ合わせたりすることはできない。放射能は最も命を大切にしてきた人を直撃する」と(『暴走する原発』2011年刊)。そして福島県須賀川市で3月24日に64才で自殺された農民の方に触れておられます。

 つい最近、三里塚の生産者のみなさんにお会いすると、本当に厳しい表情で顔を曇らせておられることに気がつく時があります。「出荷できなくなる日が来る」ことを思わずに居られない、そして大事に育ててきた土のことを思っておられるのだと思います。そのことをひとりひとりの消費者である私たちがしっかりと受け止め、この産直運動を守っていきたいと願わずにはおれません。

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2011年7月 8日 (金)

実行委員会ニュースの発行

Photo  昨日、「委員会ニュース 第135号」を発行しました。最終稿が出来上がったところに、7月4日の千葉地裁・藤山裁判長による天神峰現闘本部への「収去命令」決定の報が入り、慌てて巻頭文を加筆訂正。見出しも「7・4千葉地裁による現闘本部の収去決定を弾劾する」に変更して、7・18緊急闘争を呼びかけるものに。慌てた分、見出しで「収去命令決定」とすべきところを「収去決定」となっていますが・・・。6・22~23の三里塚反対同盟とともに訪れた沖縄での闘いの報告が3人の方から。そして当ブログから6月5日の「久しぶりの現地調査をして」の一部転載が記事となっています。

 また、7月6日、反対同盟から発せられた「闘争宣言」と、7月5日、関西実行委員会から出された「弾劾声明」が、別紙で添付されております。

 Photo_2 そして、5・20弾圧で三里塚の現地支援をはじめ38名が不当に逮捕・勾留が続けられているという中で実現が危ぶまれた「産地交流」が6月4日、晴天に恵まれ開かれましたが、そこの交流会での萩原進さんが語られた全文が、関実事務局の責任で録音からほり起こされ、「実行委ニュース 別冊」として、同時に発行されました。

 関実賛同会員などの皆さんのところへは明日か明後日くらいにお届けできるのではないでしょうか。是非お楽しみに。

 なお、この間の活動が激しいため、関実財政が逼迫し、関実始まって以来の「カンパアピール」が同封されております。ご協力よろしくお願い致します。

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2011年7月 7日 (木)

反対同盟が戦闘宣言

 三里塚芝山連合空港反対同盟が、昨日、現闘本部死守の戦闘宣言を発せられました。同盟ブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2011/07/post-271.htmlに掲載されていますが、当ブログにも転載させていただきます。(下記文章中の下線は、管理人が注意を喚起するため引きました。)

天神峰現闘本部死守! 戦闘宣言

 7月4日、千葉地裁民事第4部・藤山雅行裁判長は、6月9日に、成田空港会社から出されていた「天神峰現地闘争本部建物等の収去命令申し立て」に対して、「収去命令」の決定を行い、反対同盟に送達してきた。

 われわれは5・20東京高裁判決に輪をかけた反動決定を断じて許すことはできない。徹底的に弾劾するとともに、全国・全人民に現闘本部死守決戦への戦闘宣言を発する。反対同盟は体を張り現闘本部防衛の先頭に立つとともに、全国・全人民にこの決戦への決起を訴える。

 まず何よりも藤山決定そのものが権力・司法機関の危機を露呈している。同決定は「(成田治安法による)封鎖処分は建物の取り壊しをも禁止しているものではない」などと荒唐無稽な虚言を吐いて、現闘本部建物の撤去と治安法による封鎖処分という、あいいれない絶対的矛盾を居直っている。

 しかも、鉄骨造り建物の中には登記された木造建物が存在しており、この建物が「取り壊しの対象から抜け落ちている」という破たん点について、「判決のあいまいさ」を自認しながら逆に、「仮に木造建物が存在すればそれも取り壊し対象に含める」と、藤山決定は権限を逸脱して高裁判決を勝手に拡張したのだ。こうまでしなければ「現闘本部収去命令」の決定すら出せないという司法権力の危機の表現であり、デタラメな法的根拠をもってしか「へ」の字誘導路の解消すらできない国土交通省、成田空港会社の末路を示している。

 天神峰現闘本部は三里塚45年の歴史と一体のわれわれの魂である。ここを訪れた労働者・農民・学生・市民の数は数十万人に達するであろう。これらすべての人々の思いの詰まった、三里塚闘争にとって特別な存在だ。だから1990年の成田治安法決戦でわれわれは、当時の運輸省・空港公団を圧倒し除去(撤去)処分を粉砕した。そして今、あの決戦以上の決意で、死守の闘いに立ち上がる。この中で十重二十重の分厚い支援陣形を発展させたい。

 この歴史的決戦を、震災-原発事故という、数千万人民が怒りを沸騰させる情勢下で、さらに沖縄の人々が基地への怒りを噴出させる中で迎えている。「国策」と45年間闘ってきた三里塚が、その真価を発揮できることに武者ぶるいを禁じ得ない。「フクシマの怒り」と「ナリタの怒り」はひとつだ。そして国家と資本の利益を最優先にし、労働者・農民を虫けらのごとく扱う今の社会のあり方に対して、これを根本から覆す労働者・農民の闘いへの号砲としよう。

 現闘本部情勢はいつ強制撤去に来てもおかしくない完全な決戦に入った。「強制執行」という一報が入り次第、全国から三里塚現地に馳せ参じてほしい。この決戦の中で共に巨大な勝利への展望を切り開こうではないか。以上、戦闘宣言とする。

2011年7月6日        三里塚芝山連合空港反対同盟

 

 すべてのみなさん。7・18緊急闘争に総決起しよう。そして、それ以前に、「強制執行」の一報が入り次第、全国から三里塚現地に馳せ参じようではありませんか。反対同盟のこの「戦闘宣言」に応えよう。しかし、裁判所とは何という存在か。これでは正に「国家権力の手先、走狗」ではないか。こんなことを許して私たちに未来はない。7・18三里塚へ!

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2011年7月 5日 (火)

天神峰現闘本部への収去命令決定弾劾!

091011 先ほど、三里塚芝山連合空港反対同盟事務局より以下のファックスが送られてきました。

 7月4日、(千葉地裁)藤山裁判長は天神峰現闘本部の収去命令決定を行い、今日5日葉山弁護士に文書が(午後)4時過ぎ送達されてきました。

 反対同盟は本部を死守します。明日、決戦アピールを発出します。今夜、反対同盟ブログに速報を載せます。(http://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2011/07/post-269.html

 反対同盟は、各団体、グループにそれぞれの弾劾声明を、萩原進あてに送っていただくことを要請します。       (以上。上写真は09年10月11日、天神峰現闘本部の前をデモする関西実行委員会)

      

   弾劾声明

 千葉地裁・藤山裁判長が、天神峰現地闘争本部に対し収去命令決定をしたことに対し満腔の怒りを込め弾劾する。

 そもそも天神峰現地闘争本部は、三里塚芝山連合空港反対同盟の45年にわたる闘いの拠点であり、象徴であるとともに、反対同盟農民のみなさんにとって、寄り合いの場所として、心と団結のかけがえのない拠り所である。それを解体・撤去するための収去命令決定が行われたことなどどうして許されようか。

 しかも、いかに空港会社NAAが虚偽の主張を繰り返そうと、法的に正式登記された地上物件であることは明々白々である。

 その事実を隠蔽するために、天神峰現地闘争本部裁判において、第1審仲戸川裁判長は、現場検証を拒否し、空港会社NAAによって使嗾された証人らによる偽証を一体となって強行し、反動判決を強行した。第2審で、井上裁判長は、この第1審の判決を維持するために、現場検証の要請を再度拒否すると共に三里塚反対同盟の弁護権、証人の偽証に対する反対尋問権を奪い去り、520日、仮執行宣言を付けた反動判決を強行した。仮執行宣言、そしてこの度の収去決定とは、こうした最早三権分立の司法の名をも辱める、裁判の体をなさない国策裁判であるという事実を隠すための証拠隠滅の策謀以外の何ものでもない。正に、裁判所として二重三重の極悪犯罪であることを弾劾する。

 この国策裁判、権力犯罪の背後に、45年をかけても完成させることのできない国策、成田空港の現実に何一つ反省することなく、自らの航空政策の破綻を、天神峰現地闘争本部の解体・撤去、第3誘導路建設、市東さんの農地強奪という暴力的手口で乗り切ろうとする国交省、菅政権があることを私たちは断じて許さない。

 あの520日の東京高裁における50名逮捕とは一体何だったのか。国交省、菅政権による三里塚闘争破壊をめざした恐怖に駆られた弾圧ではなかったのか。また、その弾圧を前提に、仮執行停止の申し立てを却下するという東京高裁井上裁判長の無様な姿こそ、そのことを何よりも物語っているではないか。

 我々は、かかる卑劣な裁判所、国交省、菅政権一体となった攻撃を断じて許さない。三里塚反対同盟と共に、全力で天神峰現地闘争本部を死守する。そして、福島原発の事故に怒る多くの被災者の皆さんとともに、また基地撤去のうねりを生み出している沖縄県民とともに、国策の名のもとに進められる人民へのあらゆる攻撃を跳ね返す。何よりも、45年かけても完成し得ない国策・成田空港を廃港にするまでとことん闘い抜くことを宣言する。

201175

           三里塚決戦勝利関西実行委員会

                 代表  永井満

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2011年7月 3日 (日)

新聞記事 2題

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 上は今朝の朝日新聞の「ザ・コラム」の記事の一部です。クリックしていただければ大きくなって読めます。また「11.7.3asahi.pdf」をダウンロード で印刷していただければ出てきます。原発ゴミ(高レベル放射性廃棄物)の問題に触れたいい記事です。すでに日本では、この原発ゴミが、青森県六ヶ所の核燃料再処理施設をはじめ全国の原発に膨大に貯蔵されています。この処理(無害な状態になる)には1万年とも100万年とも言われる保存を必要としています。記事を引用しますと「2009年、米原子力規制委員会(NRC)はネバダ州に計画されている高レベル放射性廃棄物最終処分場について、1万年ではなく100万年後の放射線レベルまで考慮する方針を示した。100万年といえば、原人ピテカントロプスの時代だ」と。地震国日本では、このゴミを保管する最終処分場を地下300メートルに埋めるという計画を政府は考えていますが、当然にも応じる地域は今のところありません。先日、当ブログでも日米両政府がモンゴルにこの原発ゴミを輸出するとんでもない話しが出ていることを報じましたが(http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-204b.html)、このことは人間が放射能を作ることはできても、一旦出来た放射能をどうすることもできないという恐ろしい現実を突きつけています。

 この問題についての各地の取り組みや国の動きを含めて『原発ゴミは「負の遺産」』(2009年 創史社刊 西尾漠・末田一秀編著)に詳しいですので一度ご覧ください。

 1172 もう一つは昨日のこれも朝日新聞の記事というか写真です(右写真)。福島原発の4号機の燃料プールが、放水で冷やしても今も85℃で湯気を出しているというものです。ご存知のように4号炉は3月11日にたまたま定期検査中であったため原子炉は動いてなく、燃料棒も使用済み燃料とともにこの燃料プールにあったのです。しかし、冷却ができないために崩壊熱で水素爆発を起こし建屋が吹っ飛びました。1~3号炉は、漏れているとかの問題があるにしろ頑丈な原子炉容器の中の問題です。ところが、この4号炉の問題は、完全に開放系のなかにあって、放射能を空中に放出し続けています。放射能の崩壊はこれから数十年続きます。膨大な量の燃料棒が貯蔵されていますから、その間に、冷却などの問題でミスが起これば、再び爆発、メルトダウンという恐れがあります。ひとたびここで爆発が起これば、開放系のため手の打ちようがなくなり、誰も近づけない恐れがあるといいます。そうすれば、1号炉から3号炉にも近づけなくなり、第1原発全体が管理できない恐れがでてきます。それは、チェルノブイリとは比較にならない事態を生み、日本中、いや世界中に惨禍を招くことは確実です。こうした事態が起こらないことを祈ることしかできません。

 この7月17日、こうした問題に詳しい元京都大学原子炉実験所助教授の海老澤徹さんの講演があります。どうですか?

「核の平和利用」という幻想~フクシマを通して見えてきたもの~

【講師】海老澤徹さん(元京都大学原子炉実験所助教授/【とき】7月17日(日)13:30~/【ところ】神戸市勤労会館308号室/【資料代】500円/【主催】「ききたい つなげたい8・6ヒロシマを」実行委員会

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2011年7月 2日 (土)

今週の産直野菜(7月2日)

1172  先ほど三里塚から今週の産直野菜が届きました。今週も重い。

 大根、じゃがいも、玉ねぎ、とうもろこし、人参、セロリ、きゅうり、インゲン、ズッキーニ、なす、ピーマン 以上、11品です。

 じゃがいもは「北あかり」という種類で、先週までの「豊しろ」にくらべサラダに向いている、味が一段と美味しいそうです。その分、ゆがくと型くずれしやすいそうです。

 先週からピーマンとナスが、少しづつ入っていますが、27日の裁判で市東さんにお聞きしたら、これまでが非常に順調に来ているのにたいして、春から6月の強い風で夏から秋の野菜がかなりやられたそうです。その結果だそうです。「オクラやモロヘイヤが・・・」と言っておられました。

 トウモロコシが7本(小さめのためか6本分のところ)も入ってきたのは初めて。大好物ですから、ウシシ・・・。

 27日の耕作権裁判のあとの「市東さんの会」の学習会は、三角忠さんが講師で「福島第1原発とTPP」。最後の方で、萩原進さんが、「玄米の放射能汚染」などについて厳しい口調で発言しておられましたが、萩原さん等、反対同盟の生産者の皆さんの頭に「死の灰」「放射能」による汚染の問題がこびりついているのを肌で感じました。明日の関西の産直の会の交流会で、6月4日に行われた「産地交流」での萩原さんが放射能問題についての想いを語られたものを掘り起こして資料にしたものを配りますが、関実の「実行委員会ニュース」の別冊にして近日中に発行します。乞うご期待。

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2011年7月 1日 (金)

東京新聞の記事 (6月27日)

11627  6月27日、千葉での耕作権裁判に行く途中、東京駅で東京新聞を求めたところ今回は、上関原発予定地で現在進められようとしている埋め立て工事の是非をめぐる山口県(上写真)と上関町(下写真)の対応についてでした。写真はクリックしていただけると大きく見え読むことができます。また「11.6.27東京新聞.pdf」をダウンロード をクリックしていただければA4サイズで、それぞれの記事が印刷できます。

 上の記事の最後に「県議会の代表質問は27日。二井知事の真意はここで明らかに」と書かれていますが、ブログ「虹のカヤック隊」(http://ameblo.jp/nijinokayaker/entry-10936872295.html)によると、27日山口県議会において二井知事は「この度の福島第1原子力発電所での事故の発生にともない、国においてエネルギー政策などの見直しが行われることとなりましたことから、この埋め立ての目的である原子力発電所の立地自体が不透明な状態になっております。11627_2 このことによって私は、公有水面埋め立ての前提となる土地利用計画についても実質的に不透明となっていると認識を致しております。このような状況が続く限り、例え(埋め立ての)延長の許可申請があったとしても、それを認めることはできないと考えております」と明言しております。

 予断は許せませんが、非常に注目したいと思います。本当に綺麗な、瀬戸内海で唯一と言っていい自然が残された海をはじめとしたこの海域に原子力発電所の建設など絶対に許してはなりません。

海江田経産相の「安全宣言」を断じて許せない

 この点で、一昨日、29日、海江田経産相が、玄海原発の地元である玄海町と佐賀県を訪れ、玄海原発について「原発の安全性については国が責任を持つ」「玄海原発では津波が起こる可能性は低い。そこが(浜岡原発との)大きな違いだ」「緊急安全対策を取り、安全は確保出来ている」として、定期検査中の原発の早期再開を強く求めたというのです。断じて許されません。

 そもそも福島原発第1原発の1号炉から6号炉のそれぞれについて、事故の原因の解明がいかほど進んだというのでしょうか。そのことの説明すら政府からは未だないではありませんか。そして政府や東電は、今回の原発事故を一義的に「想定外の津波による事故」としていますが、それ自体、田中三彦さんをはじめ専門家の皆さんによって、3月11日の地震による配管の破損の問題や、全電源の喪失に至る対策の問題などが指摘され、すべての原発の停止、とりわけ福島原発1号炉同様に老朽化した原発の即時停止、廃炉が多くの国民の声によって求められているのです。こうしたさなかに、「津波問題」のみを根拠に「安全の担保」とする姿勢と、福島原発事故への国の責任が明らかにされないまま、「安全性については国が責任をもつ」という思いあがりと、問題の所在への無理解と無能力を示すだけのものでしかないこうした海江田経産相の言動を私たちは断じて許せません。

 「国策」としての原子力政策を「安全性は国が保証する」などということばで押し切ろうとするこの姿勢には、多くの住民、人々の生活、くらしなど視野になく、帝国主義の利権に唯一の根拠を置いて「国策」を国民に強制してきた戦前の姿とどこが違うのでしょうか。そして佐賀県の知事や玄海町の町長のように、国に責任のげたをあずけるという在り方にこそ、そうした民主主義を破壊するあり方を支えるものでしかないと思います。

 上関原発の建設中止はもとより、青森の大間原発などすべての新規原発の工事中止と、関西電力の福島原発群はもとより、玄海原発、浜岡原発などすべての原発、そして高速増殖炉もんじゅ、六ヶ所の再処理工場の停止と廃炉に向けた歩みを進めることを求めていきましょう。

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