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2011年6月14日 (火)

福島原発作業員の被ばく

Img  昨夜からマスコミは一斉に福島原発の作業員に被曝の上限を超えた被害が出ていることを報じています。右の表は今朝の朝日新聞より転載したものですが、東電が3月11日から3月末までの2367人(対象者の64%)の作業員の被曝量を発表したものです。なぜ2ヶ月以上たっても3月末までなのか、それも対象者の64%に過ぎないのかは、一応置くとしても驚くべき数字です。

 ここで気になるのは、原子炉の放射能が溢れている現場に入っている多くが「協力企業」「下請け」の労働者だと言われているのに、その労働者の被曝程度が相対的に数字が低いことです。Photo 後掲の東京新聞(6月9日付け)の記事でも「作業員は線量計を携行する決まりだが『貸出係はいても、点検係がいない。線量計なしでも現場に入れる状態になっている。自分の身は自分で守れ、自己責任でやれということだろう』とあきれ顔だ。」と書かれています。「協力企業」「下請け」の労働者の実態は、実はほとんど放置され、犠牲が広がり深刻になっているのではないでしょうか。

 そもそも250ミリシーベルトという福島原発の事故の緊急性を理由に定められた「上限」自体が各方面から指摘されているように乱暴極まりないものなのです。左の図で示されているように、250ミリシーベルトは急性障害が起こり始めるとされる限度で、晩発性障害では、とんでもなく高い数値です。晩発性障害では「閾値はない」と指摘されてさえいますから、100ミリシーベルトの従来の限度でさえ高すぎる(一般の大人で年間1ミリシーベルトが本来の被曝限度。ただし、これも今、20ミリシーベルトに上げられています)数値なのです。

 Img_0001 「原発は安全。絶対に事故はない」と言い続けてきた東電、国、そして専門家が、何の反省も謝罪もないまま、今、福島原発の深刻な事故を前に、「子供で20ミリシーベルトまで安全」「250ミリシーベルトが限度」ということをどうして信じれるでしょうか。また今朝の朝日新聞でもそうですが、何の躊躇もなく、この東電や国の主張をおうむ返しに「250ミリシーベルト。超えてもすぐ健康を害するわけではないが、安全確保のための限度だ」と書く姿勢に怒りしか覚えません。何が「安全確保」だ! 余談ですが、こうした大手新聞に比して、東京新聞は結構、事実に即したいい記事を書いてくれるので、東京駅を通る機会にはいつも購入します。右記事などその典型でしょうか。(「11.6.9東京新聞記事.pdf」をダウンロード

 今、私たちは東日本大震災の被災者支援に全力を挙げるとともに、こうした原発事故の収束のために命がけで働いておられる東電社員はもとより、「協力企業」「下請け」の労働者の皆さんの被曝問題に注目しなければならないのではないでしょうか。

 少し古いですがカメラマンの樋口健二さんが、原子力発電所で働く「下請け」労働者の問題を『これが原発だ』(岩波ジュニア新書 194 1991年出版)に書いておられます。この局面ですので、最近再版されています。非常に参考になります。是非、お読みください。

 釜ヶ崎の労働者が、「トラックの運転手にと応募したのに福島原発の現場に連れて行かれた」と告発したことがマスコミで取り上げられました。先日大阪で開かれた「5・28日米合意を撤回しろ」5・29集会では、「釜ヶ崎の労働者がトラック運転手で募集され、原発事故現場に連れて行かれ、抗議すると直ちに解雇された」との報告がありました。

 最底辺の労働者を搾取し、命まで奪う現実が、「福島原発事故の収束」の名のもとに強制されていることを断じて許してはならないと思います。あるいは樋口さんが追い続けられたように、原子力発電所というものが、そもそもそうした底辺労働者や、過疎の農村の貧しい農民の労働によって、命がけの手作業によって支える事しかできない代物だということを、私たちは知らなければなりません。何が「クリーンエネルギー」か!何が「コストが安い」か!

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