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2011年6月30日 (木)

6・22三里塚の今を考える沖縄集会での萩原進さんの挨拶

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 先程もでましたけれども、鈴木さんなんてのは、オヤジさんとつれあいと20歳になる娘、3人一度にもっていかれたんですよね。この間、20日に。ここにも90何歳になる山本先生もおられますが、 上は90何歳から20歳の娘まで50人きれいにもっていかれる。 これは何かと言ったら、先ほどちょっと出ましたけれども、3月11日の震災をもって、今の社会とか政治とかが一変しちゃった。それが、とりわけ霞ヶ関において顕著に現れてきている。

 11622_7 あの日もちょうど福島から、おっかさん、おとっさんが、子どものために文科省、もとの文部省に入って、 校庭の(放射能を20)デシベルまで下げられちゃって、こんなもんじゃしょうがないと庁舎内にすわりこんで抗議行動をしていたんですね。街頭では福島の人たちが支援運動を呼びかけている。

  そういう騒然とする中で東京高裁で60人余が立てこもるみたいな、そして裁判所そのものに「こんなもの裁判じゃない。我々こそが正しいんだ」とやっていて、「これじゃあしょうがない」と公安が先走って、思考能力無くなちゃって50名全員を逮捕する。なによりも、こんな姿を他に見せたくないと、福島の人たちとこういうのがつながりを持たれたら困ると、あるいは被災者の人たちにこの問題が明らかになったら困る。なんとしてもあの中の問題としてだけで済ましたい。

 11622_8  ですから50名が逮捕されてね、高裁であの日逮捕されてね、ほんのちっちゃいベタ記事しか載らない。裁判でああいうような事件というのはないですからね。90何歳のひとから20歳の人まで一気に逮捕されて、いろんな職種の人もいるわけですから。ほんとなら大きなニュースですよ。だけどニュースとして出せない。いかに三里塚を恐れているか。あるいは、三里塚の問題と、福島や被災地の人たちの怒りが手をつないだら困る。その表れが出てきたんですよ。

 今日の沖縄集会にしても、自分たちは沖縄の闘いが勝利するには、ひとつの大きな柱は本土における闘いが不十分だ、本土の闘いが爆発しなければ沖縄の闘いも勝利できないんだと、ということで誰が本土の中で旗を振るんだということで、何十年悩んできたわけですよ。 三里塚の闘いも、砂川や、北富士とか、あるいは茨城の百里、そして沖縄の人たちの指導を受けて、40年闘い抜いてこれたんですよ。そういう闘いがここでもう一度必要なんだ。

 11622_9 今、沖縄が置かれている大きな政治問題、社会問題、沖縄の人たちが生きる生活の問題も含めて、三里塚も、沖縄も、福島の人たちも同じじゃないのか。根は同じじゃないのか。基地も原子力も空港も根は同じじゃないのか。そして怒りは同じじゃないのか。ということをここではっきりさせて、共に手を携えて、怒りを共にして、闘おうじゃないか。

  震災の前からこの集会は考え準備されてきた。そこへ突然、3月11日、震災という形で出てきたわけです。我々は、あるいは福島の人たちは非常な苦境に立たされている。自分たちは、ここで肩を叩きあって、傷を舐め合って、「たすけあい運動」で済ませては絶対にダメですよ。自分も福島に行ってきました。言葉にでませんよ。どういう言葉をかけたらいいのか。「頑張ってください」とかなんとか、とんでもない話です。「自分たちは頑張ってんだ。どうやってこれ以上頑張るんだ」と、そういう言葉が返ってくるんじゃないのかと。ひしひしと来るわけですよ。写真1枚だって撮れないんですよ。やっぱり涙が出る。被災地で、話をしてやはり我々と敵は同じだと。そのことを我々は頭を垂れて見逃したら、また頭を押さえつけられて同じ目に合う。だったらそういうのを一緒に闘って倒さなきゃあダメなんだ。一緒に闘いましょう。そして一緒に生活しながら手を携えて進んでいきましょうという話をしてきたんですね。

 11622_11 ですから沖縄の人たちとも、歴史的には我々も非常に加担者としてあって、不安があったんです。だけれども、今こそ我々は沖縄の人たちと手をつないで、団結して、勝利するために一緒に闘いましょうという形で、今日馳せ参じました。そして、今後もそういう形でやっていきたいと思います。あすの闘いも、そういう意味で、ほんとに小さな問題に付き合っていくと言うんじゃなくって、大きな展望の中で今こそ大きく羽ばたくためにみんなが大きく大同団結していく時期じゃないのか。敵はほんとに弱っているんですよ。もう経済は底をついて一番悪いところに行っている。政治は5流ですよ。もうどうしようもない時代になってきているんです。だからこそ彼らは凶暴になるのだと思います。50名の逮捕もありました。しかし、それは弱さの表れであってね、我々がほんとに団結して手を携えていけば勝利はつかめるんだ。そういうことを証明した闘いだったと、この前の闘いを総括しています。

 ですから、今日のこの場のようなことが、敵さんが知ったら驚愕するだろう。「こんなことがあってはならない」と。沖縄の人たちと三里塚が手を結ぶなんて、とんでもない話だと。

11623_3  我々は、明日、その中に大胆に反対同盟の旗を立てます。そして幟も持ってデモ行進します。沖縄の人たちも、三里塚と一緒に闘うことができるだろう。要するに敵は同じだ。時には体を張っても闘いますよと。そして正義が正義として貫くためには勝たなければいけない。そのために闘うために来ましたと明日も訴えます。

 そういう意味で、今日、こういう形で皆さんと会合を持ててほんとに嬉しいです。涙が出るほど嬉しいです。またこういう機会を作って、もっともっと幅を広げて集会を作っていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

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2011年6月29日 (水)

7・18緊急現地闘争へ

1165 写真は、現在の天神峰現闘本部とその周辺(6月5日撮影)。空港のフェンス(写真中央)の左側が団結街道です。第3誘導路建設のために、団結街道の左側(西側)のフェンスがすべてとっぱらわれています。

 5月20日の東京高裁井上裁判長によるあの許し難い反動判決は、仮執行宣言によって本部所有者である反対同盟に本部を解体・撤去するよう命じています。 当然にも反対同盟がそれに応じるはずもなく、空港会社NAAは、6月9日、千葉地裁に対して執行官による解体・撤去するよう求めた「建物等収去命令申立書」を提出しました(その「申立書」には、なんと係る経費については当事者の反対同盟の負担であることを求めています)。千葉地裁はすでにその手続きに入っており、21日までの当事者としての申し立て書の提出(「審尋」)を求めていましたが、反対同盟は書類ではなく当事者の面談による申立てをするよう求めていました。しかし、千葉地裁は許し難いことにこれを拒否し、期日だけを28日まで延期してきました。そのため反対同盟は代理人による申立書の提出を行なっております。

 天神峰現闘本部に対するNAA、国の動きは予断を許さない状況になっています。そんな中、先日、高裁判決を受けてNAA社長・森中は記者の問いに答える形で、「『へ』の字問題の解決には、天神峰本部の解体だけでは事態の解決にならない」と、市東さんの闘いへの消耗感をにじませながら、すぐには取り掛からないような雰囲気で語ったようです。これは、5・20反動判決への怒りの決起としての63名による東京高裁占拠と言える闘いと、50名逮捕という国家権力自らが引き起こした事態にたじろいだがゆえの動揺の表れ以外の何物でもありません。しかし、同時に姑息にも反対同盟の動きを探ろうとする意味でのアドバルーンであることも明らかです。

 これに対し、先日開かれた「耕作権裁判」の報告会の中で、北原鉱治事務局長は、「我々は裁判に頼らない。現地の闘いで45年、決着を付けてきた」と怒りを込め宣言し、萩原進事務局次長から「天神峰現闘本部を守るために、7月18日、緊急現地闘争を行う」と提起されました。

 先日、沖縄の新基地建設に向けた「2ぷらす2」の21日の合意による沖縄への「国策」の強要と全く同様に、日本の航空政策の完全な行き詰まりに追い詰められた民主党政権、日本帝国主義による成田空港完成のための「第3誘導路建設攻撃」「市東さん叩き出し」「三里塚闘争の解体」をかけた宣言として、まさに「国策」の強要として5・20反動判決が強行され、50名の逮捕が強行されたのです。

 こんなことがどうして許されようか。福島原発の事故こそ、こうした強要してくる「国策」というものが私たち人民に何をもたらしているかが端的に示されているではありませんか。6・22、23沖縄での三里塚闘争の画期的な位置を築く端緒についた三里塚反対同盟が、「沖縄・三里塚・福島を結び国策を打ち破る」と提起され、その怒りの決起の中から新たに7・18緊急現地闘争を提起されたのです。全力で応えようではありませんか。

7・18緊急現地闘争

【日時】 7月18日(月・休日)午後1時半より

【会場】 天神峰・開拓道路の萩原さんの畑(市東さん宅の南側、昨年の6・27現地集会が開かれた畑です) 

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2011年6月26日 (日)

今週の産直野菜(6月25日)

11625  昨日朝、三里塚から産直野菜がとどきました。沖縄の報告がやっとで、遅れました。

 大根、じゃがいも、玉ねぎ、ズッキーニ、人参、セロリ、きゅうり、にんにく、なす、ピーマンと今週もどっしりと重い箱でした。

 早速昨夜は焼肉に。今朝はセロリと人参でジュース。

 さて、明日は市東さんが耕している南台の農地の一部が不法耕作だというとんでもない空港会社NAAのデッチ上げによる裁判です。「言いがかり」をしながら、その畑の特定が間違っていることが明らかとなり、本当なら裁判を維持すること自体が難しいにもかかわらず、裁判所の手助けで続けているという状況です。こんな国策裁判は断じて許せません。天神峰現闘本部裁判の東京高裁による反動判決を弾劾していくためにも一つ一つの裁判に全力で取り組んでいくことが必要です。傍聴に駆けつけましょう。

 あすの裁判の後、「市東さんの会」は学習会を予定しておられます。テーマは「福島第1原発とTPP」、講師は三角忠さんです。こちらも面白そうですよ。

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2011年6月25日 (土)

6・23 国際反戦沖縄集会に参加して

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 6月23日、沖縄の慰霊の日、三里塚反対同盟を始め前夜の「三里塚の今を考える沖縄集会」の参加者をはじめ、百数十人のみなさんがひめゆりの塔の近くの駐車場に集合。11623_2 近くの魂魄の塔(左下写真)まで1時間足らずですがデモをしました。真夏の太陽が降り注ぎ暑いことこの上ありません。山本先生は、周りの心配をどこ吹く風とお孫さんから贈られた日傘で気持ちよさそうにデモに加わっておられます。反対同盟は、同盟旗に加えて新調ののぼりが5本、目立っています。萩原さんも持っておられます。

 敗戦後、那覇などで米軍基地に農地と家屋が強奪され、敗戦直前の激戦地だったこの地に強制移住させられた皆さんが、3万余の遺骨を収集して建てられたのが「魂魄の塔」です。摩文仁の「平和の礎」よりもここを大事にする沖縄の人が多いとも聞きます。11623_3 そこで黙祷をした後、隣の「ひろしまの塔」がある少し広くなったところへ移動して、昼からの集会にむけてしばしの休憩です。最初の写真は、「ひろしまの塔」の端っこから集会全体(画面に入りきらない)を写したものです。みなさん、散在する碑などにある木々の日陰をもとめて三々五々。集会途中からは日陰が伸びてきて、少し風があるので、思いの外気持ちよく集会に集中できました。

 集会は、一坪反戦地主会の末永さんが司会をして始められました。11623_4 最初に主催者を代表しての挨拶が集会事務局の比嘉さんから。そのあと安里えい子さんが書かれたメッセージが、松井さんによって代読されました(右写真)。いつもは魂魄の塔の前で黙祷の前に読むのですが、少し長いので集会の冒頭に読まれることに。その内容が、この集会に集まられた皆さんの想いを本当によく代表していると思いますので、是非お読みください(「11.6.23国際反戦沖縄集会メッセージ.pdf」をダウンロード )。

 11623_5 続いて海勢頭豊さんはじめ3人によるミニコンサートです。昨年も海勢頭さんだったように思います。今年作ったばかりという「ああ、対馬丸」をじっくりと唄いながら「元気を出さないと、負けますよ。憲法9条が今あぶないんですよ」「いろんなことがありながら誰も戦争を止められなかった。これを反省しないと」と語りかけられます。あとは、3人で「月桃の花」。会場でも一緒に口ずさんでおられる方も。

 11623_6 今度は沖縄キリスト教大学、短期大学の若い学生さんたちの「チーム琉球」の皆さんです。「沖縄のことを世界に発信したい」ということで昨年作った経緯や、実際にこの戦争の中で起こったことを自分たちの世代こそが子供や孫に伝えていかないとという想いから、伊江島など各地を訪れ、壁新聞(右写真)を作って大学の壁に張り出したりといった活動をしている、若い世代の想いを語ってくれました。

 11623_8 「一番最初に声を上げた」と紹介されて、反戦地主会の照屋秀傅会長は、66年前(44年)に8歳で国民学校に入学したころへの思いから話されました。入学したことは記憶にあるが、先生に話してもらったことも、勉強した記憶もありませんと。ウチナーを交えながらなので、少しわかりません。その奥田国民学校は戦時中は日本軍に使われ、戦後米軍によって校舎も運動場も自宅も郵便局も嘉手納飛行場の中に奪われたと。そしてお母さんが7名のこどもを産んで38歳で、下の弟も、戦争で死んでいったと。母や弟が何のため生まれ、生きてきたのかと思うと「戦争は絶対に許したらいかんなぁ~」と思うと。そして基地を押し付ける自民党、民主党の沖縄への差別を糾弾されました。「ここにいるヤマトも含め、この事態の責任は、我々にもある」と訴えられました。

 11623_9 続いて「沖縄戦はおわらない」と言われ、今も沖縄の各地に残る膨大な遺骨の収集の活動をしてこられた「ガマファー」のみなさんを代表して具志堅隆松さんが、最近、「戦没者の遺骨のDNA鑑定をして欲しい」という陳情を県や厚労省に行なっておられる取り組みの現状と問題点を話されました。シベリア抑留されていた人々の遺骨についてはDNA鑑定をしている厚労省が、「沖縄は熱帯だからDNA鑑定できない」としてきたのだ。2009年末に行なった172体の遺骨収集の中で、歯からDNA鑑定ができて千葉の遺族のもとへ遺骨が帰ることができて、琉球放送で昨日報じられたことを紹介し、全部DNA鑑定をすべきだと要求を始めておられます。ただ、工事が行なわれるとき乱暴な工事でダメにするあり方があることを糾弾し、ハガキ一枚で戦地へ奪い、遺骨を返さない国に責任があると訴えられました。

11623_10  この日の正午、菅総理が来沖し全戦没者追悼式典に出席したことへの抗議の報告が行われました。21日の「2プラス2」による公約破りに怒って、緊急で50名が集まり抗議したが、「警察官が200名いたので250名で抗議してきた」と。戦後ずっと「密約」のもとに基地を沖縄に押しつけてきた「構造的差別」を弾劾されました。オスプレイ配備にともなう経緯に、1996年以来日本が真実を覆い隠してきたことを指摘し、「これ以上隠せないからと今明らかにしてきた。こうして生き延びてきた日本国家だ」と指弾されました。そして「沖縄的インティファーダーを展開していこう」と訴えられました。

 11623_11 「合祀ガッティンナラン」原告団を代表して金城実さんです。「クソオヤジ、騙された」ということから始める。沖縄の中にある「内なる弱さ」を叩くことから始めなければならないと話し始められました。自分のオヤジや息子をなくしたからと6・23に涙を流して、明日からどうするんだと。6・23なんか慰霊する気持ちは全くない、必要ないと。「抑止力」とは沖縄の言葉で「ユクシ力」、さらに翻訳すると「ウソをつく力」だと。その「ウソの力」に沖縄の人間がどこまで引きずられていくのかが問題だと。靖国裁判で、裁判長は「原告の信教の自由を認めたら、国や靖国神社の信教の自由を脅かす」と断じた。戦前の明治憲法が、皇室への脅威以外における信教の自由はみとめるとして、100年前に大逆事件を起こしたのと同じだと。台風で叩かれた木が愛おしいが、1週間経てば桑の木は元気になる。ガジュマルも、バナナも、叩かれれば叩かれるほど強くなる。沖縄の人間も、抵抗の文化を必ず進化させ、その抵抗の遺伝子を子供たちに継いでいく。そのことに希望をもって進もうと。

 11623_12 ついで泡瀬干潟を守る連絡会からの報告です。泡瀬干潟で海ガメが産卵してくれた、これは泡瀬の干潟を失ってはならないとういう啓示だと。また今夜あたり珊瑚が産卵しそうです。手を振ったらマジックハンドのように夜光虫の光の帯が広がる。どれだけの命が世界に溢れているか実感する。海は私たちのふるさと、母とも言われています。それを何の経済的合理性もなく、ただ工事をやればいいと国も県もこの8月以降工事をはじめようとしていると。高江のヘリパットも、原発も、人と自然の命を奪うだけだと。そんあことをしてまで人間は自分のエゴを追求しようとする、そんなことが許せますか、しっかりと反撃しようと訴えられました。

 11623_13 ここで三里塚反対同盟のみなさんの登場です。ヘリ基地反対協の安次富浩さんが、前日開かれた「6・22 三里塚の今を考える沖縄集会」と交流会が、「市東さんの農地を守る沖縄の会」と反対同盟との共催で開かれたことを報告するとともに、国策を相手に50年近く農地を守る闘いをやり抜いてきた三里塚と沖縄は同じ闘いだ、沖縄の闘いと福島・三里塚の闘いを結合し、今の日本政府の誤った国策を、民衆の力で、抵抗で変えていきましょうと三里塚闘争を紹介されました。

 11623_14 萩原進さんの登場です。成田の闘いは、砂川、百里、北富士の各基地闘争の指導の下、闘い抜いてきましたと。そして沖縄の祖国復帰、あるいは戦後の沖縄のみなさんの入植など沖縄とつながりながら46年闘い抜いてきましたと。アジアでの位置の低下や暫定滑走路の北延伸や誘導路問題など成田空港の破綻した現状を具体的に明らかにした上で、農民を守るべき農地法を使って市東さんの農地を強奪しようとする攻撃を断罪されました。そして今こそ、かってそうだったように、砂川、北富士などとともに沖縄と共に闘い抜いて行き、全国の労働者、市民、学生とともに闘い抜いていきたい。そして沖縄に対して我々が内地において徹底的な立ち遅れと決意の欠如、運動の停滞がもたらしたものとして今の沖縄の事態があると。そして、沖縄の怒りは成田の怒りなんだとされた上で、福島を訪れた体験を語り、「ことばが出ません」「ガンバッてくださいなどと言えません」「写真など撮れません」、福島の怒りは成田の怒りだというものを作っていかなければならない。無農薬でやってきたけれども、今度は放射能です。その責任は誰にあるんだということだと。11623_15 国であり、裁判所じゃないかと。3・11によって今までの価値観、政治情勢が変わりましたと。ここで何をすべきか。闘い抜いて、一緒になって彼らを倒す、団結だと思います。沖縄と共に全力で闘い抜きます。

 代わって市東さんが立ち、「農民として耕すものに権利ありと農民の権利を訴えます」とした上で、米軍が銃剣とブルドーザーで農地と宅地を奪い、日本政府が法律をねじ曲げて基地を存続させてきた沖縄の歴史を断罪しました。そしてこの3年沖縄に来ていることを明らかにした上で、これからも一緒にできることはどんどんやって何ども沖縄を訪れたいと決意を明らかにされました。

11623_16  ここで再び安次富浩さんが登場し、辺野古の報告です。アメリカの議会では我々辺野古の闘いは「怪物」とされていると紹介され、 「海にも陸にも基地を作らせない」市長、議会、そして2620日に及ぶヘリ基地反対協の闘いが、アメリカ議会に「予算はない」「不可能」という認識を持たせてきたと。民衆の粘り強い闘いがこれを生んだんだ。私たちは勝てるんだという強い認識を今もっていると。そして戦前天皇制にひれ伏した連中が、今はアメリカに隷従し、これが誤った方向にもっていっていると。3・11以降、解決能力のない政府、国会という状況の中で、国民が、民衆が立ち上がらないとこの国は救えないと。辺野古から、沖縄からこの国を変えるたたかいに起とうと呼びかけられました。嘉手納統合案などとんでもない。普天間の固定化も許さないと。

 11623_17 続いて高江から宜保のぼるさんが。満4年を迎える高江が今、大変な状況を迎えているとして報告をされました。全県、全国そして外国からも応援がある中で、工事をストップさせてきたが、去年末の12月以来、無理やり工事の重機を搬入するなどの事態が続いていますと。そして3月から6月は生きものたちの繁殖期などの理由で中断されていますが、7月からの工事開始ということで、先日来重機搬入の動きがあり、60人での座り込みなどで阻止し、それ以来24時間ぶっ通しでの監視、座り込みを続けているために、ここに来ることができません。夜座り込みを続け、昼に畑に行くという生活が続いています。是非、高江に来てくださいと。

11623_18  最後のミニコンサートは大城しんやさんです。来沖した菅政権に明日にでも退陣してもらいましょうと挨拶をされての演奏です。「沖縄、戦ぬ世」を「命どぅ宝」と歌い始められました。拍手や指笛、あわせて歌う人。のんびりとした雰囲気の中で盛り上がっていきます。「いやさっさ」としんやさんのいつもの歌が始まります。歌の中で、来年復帰40年を迎える秋に天皇を迎える行事が行われることに対し、絶対に許されないと怒りのアジテーション。「迎えていいのか」「いいはずない!」と。

11623_19  いよいよ閉会です。閉会の挨拶は建築家、真喜志好一さんです。今度の21日のアメリカでの「2プラス2」共同声明についての新聞報道で、「辺野古新基地建設について期限を設けないが追求する」と報じているが誰が報じさせたのかを見なければならないと冒頭提起されました。そして未亡人製造器オスプレイMV22のための着陸訓練基地として、直径45メートルのヘリパットが高江に作られようとしていることを弾劾されました。日本政府は、その事実を昨日今日聞いたから通告するという態度をとっていることへの怒りの弾劾を。1997年から今日までほんとに日本政府は知らなかったのかと。とんでもない嘘だ。1996年、SACOでの日米の話し合いをアメリカでのジュゴン訴訟で証拠として提出しているが、そこに日本政府の高見沢が、沖縄の県民にバレて怒らせてはならないと隠匿することを日本の側から要請しているというのだ。11623_20 防衛省の高見沢はこの3月まで防衛政策局長という防衛省ナンバー2の位置にある人物だと告発されました。こんな官僚に支配されている政府に負けてどうするかと訴えられました。

 暑さも忘れ、充実したこの日の闘いに、一人一人が溶け込んでいました。沖縄への重い想いと、三里塚と沖縄の闘いを結びつけるひとつのステップを作り上げたという喜びが、疲れを吹き飛ばしていました。しかし、山本先生のお元気さには本当に脱帽。那覇空港で反対同盟のみなさんと打ち上げのビールを美味しく頂いて別れました。

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2011年6月24日 (金)

6・22三里塚の今を考える沖縄集会

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 6月22日、沖縄・那覇の沖縄船員会館で、三里塚芝山連合空港反対同盟と市東さんの農地を守る沖縄の会共催の「6・22三里塚の今を考える沖縄集会」が70人の人々が集まられ、開催されました。関西実行委員会からも山本善偉世話人を先頭に7人が参加。

 11622_2 集会は「沖縄の会」の事務局の豊見山雅裕さんが司会をして進められました。「沖縄の地に反対同盟の旗が翻るということに感慨があります」という紹介に、「涙が出る」と会場からの声も。

 主催者を代表して「沖縄の会」の共同代表である金城実さんが登壇。ご自身が30年以上前に、岩山大鉄塔に「抗議する農夫」という大きな等身大の彫刻を据え付けた時と、大鉄塔の破壊によってその像の様子を見に行った時の話しをされながら、沖縄と三里塚のかかわりを、この集まりの中で課題として考えていくことの大切さを語られました。

 市東さんの農地取り上げに反対する会の事務局の小川さんからの「反対する会」の説明を含めた報告の後、DVD「2010年三里塚・異常気象と能動封鎖・弾圧とのたたかい」の上映が、制作した本間さんからの簡単な説明のあと行われました。

 11622_3 さあ、三里塚反対同盟の報告です。先ず、鈴木謙太郎さんは、この日の集会を準備してきた沖縄への謝辞の上で、5・20東京高裁の不当な仮執行付き反動判決と50名不当逮捕に対し、全員を奪還したことを報告し、国策による土地強奪をともに許さず闘っていきますと語られました。

 初めて沖縄を訪問した伊藤信晴さんは、5・20弾圧と関西生コン弾圧を挙げて情勢が変化してきている中で、不当な判決によって反対同盟の主張の正しさが、敵の目論見を完全に粉砕していると。

 11622_4 萩原富夫さんは、学生のころに知花昌一さん、盛康さんの「日の丸裁判」に毎回のように駆けつけ、大学でビラを撒いたりしてきたことを報告し、沖縄の闘いに学んできたことを明らかにし、今回の集会が実現したことをきっかけにともに闘っていきたいと語られた。

11622_5  市東孝雄さんは、農民が農地を取り上げられ、辺野古のきれいな海が奪われる、この国策による攻撃は根っこは一つだと語られ、3年目になるけれども毎年できれば沖縄に来たい、空港をぶっ潰すように頑張ります、沖縄とヤマトが垣根を越えて共に闘いぬけるよう三里塚が橋渡しになればと願うと語られました。

 最後に萩原進事務局次長が、3・11震災で世の中が一変してしまった。11622_6 5・20の弾圧に対する闘いと、同じ日霞が関で闘われていた福島の被災者の闘いが結びつくことを権力は恐れたと明らかにされました。本土の闘いが不十分だったことによって沖縄の60年があるとした上で、三里塚の45年は、砂川、北富士、百里、沖縄の闘いを受け継いで闘われてきたとし、三里塚と福島、沖縄は根っこは一つだ。今こそ一緒に闘い、敵を打ち倒そう、大きな展望を持って今こそ大同団結を実現して闘いぬく時じゃないかと語りかけられました。11622_7

 ここで、福島原発の被災者である酪農家の鈴木光一郎さんと果樹園の農家の大内孝さんからのメッセージが、名護市議の川野さんから代読されました。

 沖縄からの特別報告です。まず、辺野古からヘリ基地反対協の安次富浩さん、高江からゲート前の座り込みを続けておられる佐久間さん、一坪反戦地主会北部ブロックから儀保さん、普天間から高橋さんがそれぞれ現地の闘いの状況と報告が行われました。11622_8 安次富さんは、前日の「2プラス2」に対する弾劾、そして沖縄県民はこの日米両政府による攻撃に屈することなく闘い続けていることを明らかにするとともに、「おもいやり予算」の問題をもっと広く訴えていく必要を語られました。

 最後に「沖縄の会」の共同代表でもある安次富さんがもう一度立たれ、この討論と交流を広げていこう、福島、三里塚、沖縄のこの結びつきをもとにした大同団結で日本全体に打って出て、今始まったファシズムの動きを打ち砕こうとまとめをされました。最後の方は、掛け声だけでなく指笛もなる賑やかな雰囲気に。しかし、司会の豊見山さんが、「時間通りに始まって、時間通りに終わった、沖縄ではあるまじき事態だ」と評されましたが、緊張感あふれた集会でした。

 場所を変え40人以上の人が残って行われた交流会の冒頭、乾杯の挨拶で、関西実行委員会の世話人で91歳になられる山本さんが、「ここで斃れてもいいという思いで来たけれども、まだまだ5年、10年は長生きしたくなった。この年まで生きてきてよかったと感動しています」と語られたことが印象に残りました。

 なお、「市東さんの農地取り上げに反対する会」のブログが2週間余り停止になっていました。何人かの方からお問い合わせがありましたが、沖縄に向かう朝、新たなアドレスで復興していることを知りました。もうこのブログでもリンクを改めております。http://www.shitou-nouchi02.net/をクリックしていただければ、たどり着きますのでよろしく。 

 

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2011年6月20日 (月)

三里塚反対同盟が沖縄へ

 明後日、6月22日夜、三里塚芝山連合空港反対同盟と市東さんの農地を守る沖縄の会共催で、「6・22三里塚の今を考える沖縄集会」が、那覇の「沖縄船員会館」で開かれます。そして翌23日には、「第28回 6・23国際反戦沖縄集会」(会場 魂魄の塔そば)で三里塚反対同盟からの報告がプログラムに加えられました。(最初の写真3枚は、昨年の「6・23国際反戦沖縄集会」とデモの様子です。)

 「6・22三里塚の今を考える沖縄集会に参加しよう!」のビラより全文転載いたします。

闘い続ける三里塚農民

10623  1966年、日本政府は三里塚・芝山への空港(成田空港)建設を一方的に閣議決定しました。

 以降45年間、政府は農民を叩きだし農地を強奪するために、「アメとムチ」を用いたあらゆる攻撃を繰り返してきました。

 一方、極めて暴力的な強権発動と同時に、農民を分断し闘いを押さえ込むために姑息な手段を駆使してきたのです。

 しかし、反対同盟はこれと断固としてたたかい続けてきました。そしてそのために、誘導路が「へ」の字に曲がっているなど空港は今なお不完全なままです。

 この事態にあって政府は今、市東さんの農地を強奪する攻撃を強めています。

「国策」と闘う沖縄・三里塚

10623_2  「アメとムチ」をもって強権的に土地を奪い「国策」を押しつけるこの攻撃は、まさに沖縄に「基地の島」としての現実を強制し続けてきたやり方と全く同じです。

 米軍は沖縄戦中住民を収容所に隔離している間に次々と基地を建設し、戦後も「銃剣とブルドーザー」で住民を叩き出し基地を拡大し続けました。

 72年「復帰」以降日本政府は、軍用地料の引き上げなどによる懐柔とともに、同時に反戦地主への締め付けと軍用地の強制使用、米軍用地特措法の度重なる改悪を繰り返してきました。

 このように住民の生活を破壊してまでも極めて暴力的に「国策」を押しつけてくることに対して、沖縄住民は60年間、三里塚農民は45年間たたかい続けてきています。

 また「暴力と金」の攻撃を正面からはねのけて非妥協的にたたかう両者のたたかいは、ともに文字どうり全国の反戦反基地闘争の結集軸となってきました。

沖縄反戦反基地闘争と三里塚闘争の連帯を創り出そう

10623_3  政府は現在、「振興策」という露骨な買収策をも用いながら、辺野古・高江の新基地建設を強行しようとしています。

 そして三里塚においては、市東さんの農地を奪い取ろうとしています。

 私たちは決してこれを許してはなりません。不屈にたたかい続ける三里塚農民に学び、三里塚闘争と連帯して、沖縄反戦反基地闘争を強化していきましょう。

 その両者の連帯したたたかいをもって「国策」を暴力的に強要してくる日本政府の攻撃を打ち砕いていこうではありませんか。(右上写真は、グアムからの連帯挨拶をされるチャモロ代表のビクトリアさん)

「思いやり予算」・「米軍再編予算」は被災者の支援へ

42514  言うまでもなく福島原発を巡る事態は人災です。「国策」として原発を推進してきた政府と東電は一切の責任を負わねばなりません。

 また「金」で住民の生活を売り渡した「促進派」の責任も問われねばなりません。全国の原発はただちに停止させるべきです。

 ところで、多数の犠牲者・被災者が出ている中、政府は「思いやり予算」として、この先5年間で1兆円を米国に提供することを決めました。

 何ということでしょう!思いやるべきは被災者です。「思いやり予算」や辺野古新基地建設費・グアム移転経費日本負担分などを中止して、被災者支援に使うべきです。(左上写真は、昨年の4・25県民集会9万人の真ん中に陣取った三里塚の市東さん、萩原さんと、関実の永井さん、山本さん)

【6・22三里塚の今を考える沖縄集会・集会要項】

日時・6月22日(水)午後7時開会

会場・沖縄船員会館(那覇市泊港南岸となり ℡098-868-2775)

参加費・500円

 三里塚反対同盟からは7人が参加し、関実からも7人が駆けつける予定です。みなさん、注目してください。

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2011年6月19日 (日)

6・18石橋克彦講演会

11618

 昨日18日、エル大阪南館ホールで、「若狭原発震災を防ごう~関西広域連合を無人の曠野にしないために~ 石橋克彦講演会」(グリーン・アクション&美浜の会主催)が開かれ、参加してきました。土砂降りの雨の中、会場のホールを一杯にする300人(?)の人々が集まっておられました。

 11618_2 1995年の阪神淡路大震災を前にして、その前年に「大地動乱の時代」(岩波新書)を書くときには、原発の問題が頭にありながらそれを踏まえて書くことを躊躇されたことを紹介しながら、1997年から「原発震災」を訴えてこられた経緯をまず冒頭明らかにされて石橋克彦さん(神戸大学名誉教授 67歳)は話し始められました。

 「ほとんどの方が原発について詳しいのではと思いますが、初めての方もおられると」と、先ず原子力発電所とは何かから。思わず、時間が足らなくなると危機感をもちましたが、案にたがわず・・・。11618_3 先日、国会で参考人として話された時に、配ったのですという絵の画面(「日本の原発は『地震付き原発』 左写真、少しわかりにくいですが)には、思わず会場から爆笑。

 田中三彦さんの指摘を紹介しながら、原発のもっとも重要な3つの機能のうち、3・11福島原発事故では、1号機で「冷やす」機能が、2号機では「閉じ込める」機能が最初の地震の揺れによって失われた公算が大きいことを示され、東電、政府、保安院、安全委が「津波原因説」で押し切ろうとしてきたことを批判されました。そして保安院が、事故を受けて3月30日に電力各社に津波原因説に立って「緊急安全対策」の実施を指示したが、これ自体が1964年に原子力委員会が決定した「原子炉立地審査指針」に「大きな事故の誘因となるような事象が過去においてなかったことはもちろんであるが、将来においてもあるとは考えられないこと。また災害を拡大するような事象も少ないこと」が原則的に必要だと明記していることに明確に違反していると断罪されました。11618_4 余談ですが、昨日、海江田経産相が、「各地の原発の安全性が確認されたから停止しているものも動かしたらいい」と発表しましたが、笑止千万とはこのことでしょうね。原発立地県の各知事が「新しい内容無し」「論評に値せず」と冷たく突っぱねたことは当然でしょう。この国の姿勢は本当に許せません。

 石橋さんは、「原発と地震」の問題を考える際に考えるべきこととして、「①原発の安全性は、莫大な放射能ゆえに、ほかの施設より格段に高くなければならない。②ところが原発は完成された技術ではない。③いっぽう地震は、最大級になると本当に恐ろしい。④しかし人間の地震現象に関する理解はまだ不十分で、予測できないことがたくさんある。」と上げられました。そして飛行機を例に挙げながら、「安全には『制御されている安全』と『本質的な安全』がある」とされ、「原発はひとたび大事故が起これば影響が非常に広範囲に及び、地球規模の汚染と未来世代への災厄を残す。11618_5 従って原発は、限りなく本質的安全を追及すべきだ」として、「それは設置しないことだ」と断じられたのです。

 さらにマスメディアによる「大本営発表」のごとき報道と芸能人や「文化人」「専門家」が宣伝に動員されて、大多数の国民が「原発は必要で安全である」と信じ込まされていると指摘されました。そしてこれは「戦前の帝国軍隊にも似た絶対的善」とされており、その失敗によって大変な事態を招くとされました。

 もちろん石橋さんは「アムールプレート東縁変動帯」という自らの学説を根拠とした地震学の話しをされました。「地表新断層」と「活断層」の話しなど、など。私が読んだ「大地動乱の時代」(1994年)に比べ少し表現を明確にしながらのお話しでした。その上で、多くの原発を進めた時代が、こうした地震学がまだ明らかにされていない前夜だったことと、たまたまその時代が地震の活動の静穏期だったために技術者が地震の恐ろしさを体験せず、技術的に取り込めると錯覚していたことを指摘されました。11618_7 また、「従来の原発の耐震設計が、『短い活断層は小さな地震しか起こさない』という誤った考えに立ち、電力会社は活断層をなるべく短く評価し、また無視しようとした」とも指摘されました。

 最後に、本題である若狭の原発の問題に触れられました。最初の地図は、過去の大地震が考慮されていないことを指摘し、これを踏まえながら、活断層について関西電力の指摘のようにはいかず、東日本大震災でそうであったように、あるいは阪神淡路大震災でも野島断層と六甲断層が連動したことを上げられながら、幾つもの活断層が連動する危険性を指摘されました。

 そして若狭の原発の事故が起こった場合、直接的な琵琶湖への影響だけでも「近畿の水がめ」であるだけに、11618_8 非常に広範囲に深刻な事態となることを指摘されました。神戸や大阪でもわずか100キロしか離れているだけですから、正に「関西広域連合が無人の曠野になる」と警告され、自治体行政を含めた広範な取り組みを訴えられて2時間余にわたる話しを終えられました。

 石橋さんは『大地動乱の時代』以来、繰り返し「東京一極集中」の日本の在り方を批判され、「分散型国土の創生」を訴え続けておられます。これは、単に地震に対する対処の問題にとどまりません。新自由主義による効率、格差を是とする経済と政治がこの「東京一極集中」をますます局限化させていると言っても過言ではありません。航空政策における「羽田・成田」問題への傾斜も、正にこうした流れの中で、「成田空港の整備と拡大」にしか道を見いだせない国交省、政府の極めて強暴な三里塚農民のみなさんへの生活破壊、市東さんへの農地強奪、そして三里塚闘争解体の攻撃として現在激化してきています。沖縄への差別的な米軍基地の強制、そして東北など過疎地域農村、漁村への原子力発電所の強制、そして三里塚への成田空港の強制、これらの国策を断じて許さない一つの水路が、この日の石橋さんの熱のこもった講演の中にあったことを感じながら帰途につきました。

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2011年6月18日 (土)

今週の産直野菜(6月18日)

11618  今、三里塚から産直野菜が届きました。ズシリと重い。

 大根、キャベツ、玉ねぎ、ズッキーニ、ニンジン、ジャガイモ、キュウリ、ニンニクの8品です。

 キャベツが、先々週4日の「産地交流」で、育ちすぎ(?)による割れや青虫の被害がひどかったから、もう終わりだろうと思っていたのが、今週が最後とかで入ってきました。

 「ニンニクの出来は過去最高」とか。先日5日の現地調査でお寄りした鈴木さんの所と市東さんの所でそれぞれニンニクをいただいて帰っていたのをようやく昨日、すって食べたところ。「あ~辛!」と思いながら。この辺で購入する(中国産?)と違って味と香りが、「正にニンニク!」と美味しい。もう隠居の身ですから、翌日に会う人のことなど構わずどんどん食べよう。しかし、こんなにたくさん、どうやって食べるか? 鈴木さんの所では、そばでもなんでも生姜でというところでもニンニクをすって使っておられたが・・・。 うまく保存できるかな?

 キュウリが多い。毎日、1本食べないと・・。先週の大根がそのまま残っています。人参と一緒に漬物にするか・・・。

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第3誘導路裁判 第2回口頭弁論 傍聴報告

110617_110601

 6月17日、「第3誘導路建設の許可処分の無効確認と空港会社の同工事の中止を求める裁判」の口頭弁論が、千葉地裁601号法廷で行われました。

 110617_093801 原告席には北原事務局長、萩原さん、市東さんや各弁護士が並び、被告の成田市や空港会社に厳しい視線を注ぐ中、10時30分に開廷。冒頭に原告、被告双方から書面や書証の提出があり、裁判長から答弁書の提出を双方に依頼。被告代理人から「出来るだけ準備します」と不真面目な返答があり、傍聴席から「ふざけるな、真面目に仕事しろ」などの怒声が飛びました。

 そして、葉山弁護団長からは「被告の求釈明の答弁書は納得できない。測定値は市東さんの直近場所の値でないし、シカゴ条約の勧告で滑走路と誘導路の間隔が182.5mとされているのに120mしかとっていない理由が不明だ。法律違反ではないか」など、被告の不法不正を糾弾しました。

 次回の口頭弁論期日を、9月6日と11月29日に決定し閉廷。

裁判報告会で

 裁判終了後に隣の弁護士会館で「報告会」が行われ、北原事務局長から「先の5・20高裁判決がこの国の正体だ。本日の裁判も黒判決を画策しているが、気をひきしめて、一本筋を通して闘おう。反対同盟は最先頭で闘う」との決意が述べられました。

 弁護団からは「本日の裁判は今後、第3誘導路建設強行の違法性を追及してゆきたい。また、6月9日に現当本部撤去に向けた申し立てがあり、この「審尋」を書面だけで済まそうとする動きを粉砕するために、先ほど千葉地裁民事部とやりとりしてきた。地裁は6月21日を期限としているが、28日に延期せよと申し入れた。いよいよ現闘本部を死守する闘いを始めよう」との決意が述べられました。

 報告会は早めに終わり、直ちに反対同盟と弁護団の打ち合わせ会が開かれ、支援の皆さんは解散しました。

                      事務局次長  安藤眞一

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2011年6月17日 (金)

東京新聞の記事 (6月9日付)

Img_2  6月9日、千葉での鈴木さんの一坪裁判に向かうため東京駅を通った時に、いつも通り東京新聞を購入しました。先日当ブログに掲載しました原子力発電所の労働者の被曝問題と並んで、右のように汚染水の問題が2面にわたって特集されていました(「11.6.9東京新聞.pdf」をダウンロード 右新聞記事もクリックしていただくと大きくなって読めます)。

 私たちは、今回の福島原子力発電所の事故で、空気中、あるいは地面への放射能の汚染には関心が集まるのですが、事故当初から「海に流せば薄められるから問題ない」とする東電、国の姿勢によって膨大な汚染された水が流し続けられてきました。また原子力建屋の地下などに溜まった汚染水が地下水から流れ出ていることが推測されています。その2つの水量は、冷却のために投入された水や海水の量から推測しても、半端なものではありません。Photo_2

 そもそも原子力発電所は、タービンを回した蒸気を冷やすために大量の海水を取り込み、7度も温められ放射能が含まれた状態で海に捨てられています。「薄めればいい」という発想です。しかし、実際には重大な海洋環境の破壊を行っています。

 ところが今回は海に膨大なしかも高濃度に汚染した水が漏れ出しているのです。いやそれだけではなく4月には意図的に汚染された水を1万トンも(漏れ出した量から見ればわずかですが)流しています。

 この海域には沖に強い南下してくる親潮と北上してくる黒潮があるために、海岸沿いにある海水は余り外洋には出ません。そのことで、この沿岸一帯が栄養豊かで、牡蠣やわかめなどの海藻、沿岸魚などの日本でも屈指の漁場となっていることは有名です。

 Img_0002 すでに沿岸でのイカナゴなどへの放射能汚染が明らかになっていますが、これから数か月をかけて食物連鎖によるいろいろな魚への影響が出てくるだろうと思われます。それは放射能が数百倍、数万倍の濃縮を伴うため、大変な問題となるでしょう。そして海の汚染は、必ず自然の循環によって「母なる海」から陸へと伝搬していきます。

 また、東電や政府が期待するような外洋へ流れ出すこともあるでしょうが、水という物質の性質から水塊となってまとまって動く恐れがあります。外洋でゴミがまとまって動いていくことでこの性質は知られています。そうすれば巨大な海の中に入っても、放射能による重大な影響の恐れが残ります。韓国や中国が国際賠償の声を上げることもうなずけるのです。なにしろ全体像がつかめないほどの膨大な水の量と高濃度の放射能なのですから。ほんとうに「漁業崩壊」の恐れが出てきているということです。

 この責任を誰が取るのでしょうか。漁師の皆さんから生業(なりわい)を奪うという問題にとどまらない大変な事態を生んでいます。

 1143 原子力とは、このように取り返しのつかないものです。放射性廃棄物や使用済み燃料の問題だけでも大変ですが、その原因は、人間は放射能を作ることはできても、出来てしまった放射能(死の灰)を処分することはができないということにあります。数万年、100万年の単位で、今放出されている放射能は、その破壊の力を海で、空で、地上で発揮し続けるのです。アメリカではじめられ40年にわたって行われた原水爆の423回もの実験によって出されてきた放射能の1割以上の放射能がチェルノブイリの1回だけ、1基の原発の事故によって放出されたと言われています。今回は4基の原発による複合事故で、その放出された放射能はチェルノブイリを上回る恐れすら出てきています。漏れ出した水や海水の実態が全くつかめないように、当初からメルトダウンしていたのではないかといわれながら、それを東電が認めるのに2か月もかかったことから見て、全体像はまったく闇の中です。

 みなさん。福島原発の放射能被害のただ中で暮らさざるを得なくなっておられる被災者の皆さんの現実を一人一人の問題として受け止めましょう。そして無責任極まる東電や国の姿勢を糾弾し、すべての原発の停止を求めていきましょう。

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2011年6月15日 (水)

東京新聞の記事 (5月24日付)

Img  先日、5月24日、千葉での市東さんの裁判に行くとき、朝着いた東京駅でいつものように東京新聞を購入しました。

 真ん中のところで開いた両面にA4代の2つの記事の形をとって、京都大学原子炉実験所の今中哲二助教へのインタビュー記事が掲載されていました(「11.5.24東京新聞.pdf」をダウンロード 右の記事もクリックしていただければ大きくなり読めますので )。福島原発事故が起こった時の印象と、自らチェルノブイリ原発事故を研究して来られたことと重ね合わせた印象としての「情報隠し」の問題が語られています。

 今中さんと同じ原子炉実験所の「6人組」のお1人の海老澤さんからも、「電力会社の中でも、東電の情報隠しは際立っている」とも聞きました。

 また、東電のスポークスマンをやって「安全だ」「安心だ」と言ってきた学者は現場に近づこうともしていないとも聞きます。建設されてから40年もたち、もともとアメリカの技術で作られたものですから、原子炉容器の周りにおびただしい配管が張り巡らされているのですが、実際にどういう風になっているかは、その当時に立ち会った技術者しかわからないと言われます。「今、東電の現場で作業をしている東電の社員は、順調に動いている時のマニュアルを知っているだけで、今、現に何が起こっているか全くわかっていないと思う。何しろ『安全で、事故は起こらない』と教育されてきているんだから」とも聞きました。なんという世界でしょうか。これが「科学」なのでしょうか。そこに「情報隠し」の遠因があり、一人一人の責任回避が、最近の「メルトダウンしていた」という2ヶ月以上も遅れた発表といった事態につながってきているのではないでしょうか。

 そして政府もまた、実際の汚染状況への正確な情報開示をせず、放射能で汚染された人々への的確な避難指示などの指示をしようとしないばかりか、昨日の記事にも触れましたが、子どもたちに「20ミリシーベルトまで大丈夫だ」とか、作業員が「250ミリシーベルトまで大丈夫だ」とか、事態の先送りと責任逃れの言い訳に腐心しているにすぎない状況にあります。

 福島の子どもたちは「集団疎開」すべきではないかという声も上がっていますが、政府と行政が責任を持って当たらない限り実現が難しい問題です。こうした困難な課題から逃げ回っている政府や行政に対し、私たちも自分のこととして声を上げていかなければならないのではないでしょうか。

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2011年6月14日 (火)

福島原発作業員の被ばく

Img  昨夜からマスコミは一斉に福島原発の作業員に被曝の上限を超えた被害が出ていることを報じています。右の表は今朝の朝日新聞より転載したものですが、東電が3月11日から3月末までの2367人(対象者の64%)の作業員の被曝量を発表したものです。なぜ2ヶ月以上たっても3月末までなのか、それも対象者の64%に過ぎないのかは、一応置くとしても驚くべき数字です。

 ここで気になるのは、原子炉の放射能が溢れている現場に入っている多くが「協力企業」「下請け」の労働者だと言われているのに、その労働者の被曝程度が相対的に数字が低いことです。Photo 後掲の東京新聞(6月9日付け)の記事でも「作業員は線量計を携行する決まりだが『貸出係はいても、点検係がいない。線量計なしでも現場に入れる状態になっている。自分の身は自分で守れ、自己責任でやれということだろう』とあきれ顔だ。」と書かれています。「協力企業」「下請け」の労働者の実態は、実はほとんど放置され、犠牲が広がり深刻になっているのではないでしょうか。

 そもそも250ミリシーベルトという福島原発の事故の緊急性を理由に定められた「上限」自体が各方面から指摘されているように乱暴極まりないものなのです。左の図で示されているように、250ミリシーベルトは急性障害が起こり始めるとされる限度で、晩発性障害では、とんでもなく高い数値です。晩発性障害では「閾値はない」と指摘されてさえいますから、100ミリシーベルトの従来の限度でさえ高すぎる(一般の大人で年間1ミリシーベルトが本来の被曝限度。ただし、これも今、20ミリシーベルトに上げられています)数値なのです。

 Img_0001 「原発は安全。絶対に事故はない」と言い続けてきた東電、国、そして専門家が、何の反省も謝罪もないまま、今、福島原発の深刻な事故を前に、「子供で20ミリシーベルトまで安全」「250ミリシーベルトが限度」ということをどうして信じれるでしょうか。また今朝の朝日新聞でもそうですが、何の躊躇もなく、この東電や国の主張をおうむ返しに「250ミリシーベルト。超えてもすぐ健康を害するわけではないが、安全確保のための限度だ」と書く姿勢に怒りしか覚えません。何が「安全確保」だ! 余談ですが、こうした大手新聞に比して、東京新聞は結構、事実に即したいい記事を書いてくれるので、東京駅を通る機会にはいつも購入します。右記事などその典型でしょうか。(「11.6.9東京新聞記事.pdf」をダウンロード

 今、私たちは東日本大震災の被災者支援に全力を挙げるとともに、こうした原発事故の収束のために命がけで働いておられる東電社員はもとより、「協力企業」「下請け」の労働者の皆さんの被曝問題に注目しなければならないのではないでしょうか。

 少し古いですがカメラマンの樋口健二さんが、原子力発電所で働く「下請け」労働者の問題を『これが原発だ』(岩波ジュニア新書 194 1991年出版)に書いておられます。この局面ですので、最近再版されています。非常に参考になります。是非、お読みください。

 釜ヶ崎の労働者が、「トラックの運転手にと応募したのに福島原発の現場に連れて行かれた」と告発したことがマスコミで取り上げられました。先日大阪で開かれた「5・28日米合意を撤回しろ」5・29集会では、「釜ヶ崎の労働者がトラック運転手で募集され、原発事故現場に連れて行かれ、抗議すると直ちに解雇された」との報告がありました。

 最底辺の労働者を搾取し、命まで奪う現実が、「福島原発事故の収束」の名のもとに強制されていることを断じて許してはならないと思います。あるいは樋口さんが追い続けられたように、原子力発電所というものが、そもそもそうした底辺労働者や、過疎の農村の貧しい農民の労働によって、命がけの手作業によって支える事しかできない代物だということを、私たちは知らなければなりません。何が「クリーンエネルギー」か!何が「コストが安い」か!

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2011年6月13日 (月)

映画「襤褸の旗」上映会 in 堺東

11612

 昨日12日、「大阪の海と空を戦争に使わせない会」の映画「襤褸の旗」上映会が南海堺東駅近くの「創造空間BOX1-6」で開かれました。同会の堺の会員Nさんの希望で、ここが会場に選ばれました(右写真)。11612box16 20数人が入れる会場ですが、オーナーの神谷さん(写真で正面を向いておられる方)のご厚意で自由に使わせていただき、映画後の交流会も。ここでは落語会が恒常的に開かれ、西谷さんのイラク報告やいろいろな音楽の生演奏の会も催されているとか。この日も、「襤褸の旗」の上映後、昨年1月にイラクを訪問した4人の大阪の芸人(?)さんたちの「国境なき芸能団」の報告の映像(約20分)を楽しく見せていただきました。

 土砂降りの雨の中、人数は10人と少なかったですが、新たに35ミリフィルムの原版から再録されたDVDでの映像は、会場の機器が良かったこともあり、きれいで音声もはっきりしていました。最初の映像の「襤褸の旗」の字は、生前の荒畑寒村さんの筆によるものだそうです。37年前の1974年の制作ですから、出演されているみなさんの若いこと。幸徳秋水の中村敦夫さん、治平の西田敏行さん、荒畑寒村の古谷一行さんなどなど。先日、5・20弾圧で89歳にして不当に逮捕された北原鉱治三里塚反対同盟事務局長が、ほんとにお若い姿で出ておられます。眼鏡をかけておられないので、「わからなかった」という人も。亡くなられた南三里塚の宮本さんの懐かしいお顔も。

Photo  何度見ても感銘を受けるのは、やはり主演の田中正造を演じる三國連太郎さんの演技です。帝国議会での「亡国に至るを知らざれば即ち亡国の儀につき質問」の大演説と、強制収容を阻む場面での土を口にしながらの演技。「鬼気迫る」とはこのことでしょうね。

 「川俣の闘い」にはじまるストーリーが敗北に継ぐ敗北で終わっていくことに「しんどかった」という感想もありましたが、北原事務局長は、「三里塚闘争を闘いながら、あの谷中の敗北、義人田中正造の敗北を常に考え、ああならないためにはどうするかと常に考え勝利してきた」と言っておられました。

 関西実行委員会では、この映像DVDを三里塚反対同盟のご協力で無料でお貸ししております。いろいろな場でお使いください。そして今日まで農地強奪、農業破壊を続けながら戦争へと進み、戦後も「経済発展」の名の下での収奪を繰り広げてきた歴史を、そして三里塚の闘いを考えましょう。

 詳しくは関実事務局へお問い合わせください。

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2011年6月12日 (日)

6・11脱原発100万人アクション 神戸で

11611

 昨日、全国129ヶ所と、パリ、メルボルン、香港、台北など世界各地11ヶ所でも、「6・11脱原発100万人アクション」が取り組まれました。関西でも大阪で5000人、神戸で500人、東京では3ヶ所で3万人。パリでは5千人とか。少なくとも数十万人になったかな? 11611_3 神戸でも、とにかく若い人、それも明らかにいろんな種族(?)の若い人たち、それに小さな子供さんを連れたお母さんや、お父さん。ほんとにいい雰囲気でした。

 雨上がりの神戸は、神戸市役所の南隣にある東遊園地(右写真)が会場。ここに来るたびに、この神戸市役所の異様さにうんざりします。こういうのを「景観を壊す」というのでしょうね。その下に小さく見えるのが、「いのちを考える神戸パレード」として開催された集会です。

 集会には、映画「祝(ほうり)の島」を監督した纐纈(はなぶさ)あやさんがかけつけ(左写真)、中国電力上関原発の建設予定地の山口県上関の祝島に8年前に訪れ、11611_4 そこで「元気で、明るくて、生きる力に満ちているじいちゃん、ばあちゃんに魅せられて映画を作りました」と、原発問題に寄せる想いを語られました。

 続いて、この間、正に「時の人」として東奔西走して活躍しておられる京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さん(右下写真)が話されました。まず福島の事故について「こんなことになってしまったのを残念に思います」と専門家として止められなかった自分の責任を語られました。そして「私たちには放射能というゴミを始末できない」「福島で調査をしてきて、とてつもないシグナルを出しているそこに福島の人たちが生きているということを、どうして日本の人たちは自分の問題として考えていないのか」11611_5 「次の事故は絶対に防ごう」「10万年、100万年の先までこのゴミを残すことになる。なんという酷いことですか」「原発を今すぐ止めても何の支障もない。それ以上に、電気など足ろうと足りまいと原子力だけはやってはならない」と訴えられました。

 関西電力への申し入れ行動や、兵庫県・神戸市への申し入れ、被災地への支援活動、神戸での放射能の測定状況、太陽光発電でパネルが動く実物を示しながらの自然エネルギーの訴え、動物・生き物への犠牲を許さないでという訴えなどいろいろな取り組みが報告されていきます。また、音楽、歌がいくつも披露されました。11611_6

 外での会場で2時間の集会に少し疲れましたが、いよいよデモに出発です。それぞれ工夫を凝らした5つの梯団にわかれてデモに出発です。

 いつもの年よりの多い、しかし威勢の良いデモに慣れている者にはちょっと調子に乗りにくい雰囲気。しかし、若い人が多いので、梯団によっては最後まで元気いっぱい。いろんな人が、とにかく「反原発」「脱原発」「さよなら原発」「福島を支援しよう」の1点で繋がっていることは実感できます。11611_7

 しかし、なぜか2列のデモ申請になっていたため、神戸で一番の繁華街センター街では、デモ隊がいるのか通行人なのか全くわからない(右写真)状態に。まあ、プラカードやデコレーションを用意して来なかった私たちが悪いのですが。

 とにかく久しぶりに蒸し暑かった。終わっての1杯のビールの美味しかったこと。

 終わって、夜、神戸空港の中止を求める市民の会の例会で、NHKスペシャルで09年10月に放映された「原発解体」の録画を見ました。日本のふげんや東海村の実験炉の解体とドイツやイギリスの解体の報道を通して、原発解体の困難さとそれから生み出される膨大な放射性廃棄物の問題が淡々と語られていました。「さすがNHK」と思わせるしっかりした内容で、この状況ですからほんとに考えさせられました。しかし「原発ルネッサンス」が語られた当時ではなく、今こそ放映してほしいと思いましたが、その勇気がNHKにあるでしょうか。それに解体される状況にあるふげんや東海村原子炉は小さなもので、今、廃炉になる運命にある福島原子力発電所とはくらべものになりません。そして放射性廃棄物は、解体するから出るのではなく、運転する間中出ていることが語られない、また使用済み燃料がどこへ処分することもできず福島に溜め込まれ4号炉のように事故の原因となったことに関連した問題などが何も触れられません。そしてイギリスのセラフィールドの原子炉解体による膨大な廃棄物に触れ、地元で賛否両論の様子を伝えながら、ここでの再処理工場の失敗、膨大な放射能の垂れ流しによる海への汚染がヨーロッパ中で大問題になったことなどが一言も触れられないのに疑問をもちました。それでも、今放映してくれるなら拍手しますよ。いい映像でした。

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2011年6月11日 (土)

今週の産直野菜(6月11日)

11611  先ほど三里塚から今週の産直野菜が届きました。受け取った重さ。思わず、「重い!」。昨日の午後2時過ぎ、この荷物の出荷作業の最中に、5・20弾圧の全員釈放の一報が届いたのだと思います。弾圧を完全に粉砕した大勝利、大いににぎやかになったことでしょうね。釈放された皆さんはもとより、反対同盟農家のみなさん、そして留守を守った現地支援のみなさんや学生の皆さん。本当にご苦労様でした。

 届いたのは、大根、キャベツ、玉ねぎ、ズッキーニ、そら豆、チンゲンサイ、スナックエンドウ、カブ、葉付きニンジン、それにサービスのヤングコーンの10品です。

 先週のじゃが芋掘りの「産地交流」で、割れたキャベツ、風で倒れたソラマメなどを見ていたので、「入ってる~」と感激。そのじゃが芋掘りでどっさりじゃが芋(豊しろ)を持って帰ってきているところへ、ニンジンと玉ねぎ。久しぶりのカレーライスだ! さて、それにしても多いな~。食べ切れるかな?

 どうやら6・11反原発行動の昼には雨も上がりそう。出かけるまでせっせと野菜の世話をするか・・・。

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2011年6月10日 (金)

昨日の「鈴木さんの一坪共有地裁判」で

1169  昨日、千葉地裁で、鈴木さんの一坪共有地裁判の口頭弁論が開かれました。5・20弾圧で拘留された38名がまだ出てこない中ですので、法廷が開かれるや否や、怒りの声が傍聴席から。裁判長が、天神峰現闘本部裁判の第1審で不当、違法な訴訟指揮を強行し、許すことのできない反動判決を行った仲戸川ですから無理もありません。

 ところが仲戸川は、右陪席の裁判官が変わったことを理由に、この裁判の被告である鈴木幸司さんが亡くなられたことに伴う「訴訟受継問題」を今回も見送りました。この問題が法廷で明らかにされてから半年以上が経過しているにもかかわらずです。1169_3 そこには、「三里塚地区周辺に土地を持つ会」が所有するものであることを認めようとせず、一般の財産相続として扱おうとする千葉県の意図に沿った仲戸川の姿勢が丸見えです。ここでそんな判断を出すのは、5・20の怒りが充満しているのでまずいという姑息な仲戸川ならではの「時間稼ぎ」があったとしか思えません。

 法廷が具体的な進展を見せなかったものですから、法廷後の報告会は、司会の鈴木謙太郎さん、北原鉱治事務局長、弁護団の葉山さん、一瀬さん、遠藤さん、浅野さんの各弁護士のみなさん、そして萩原進事務局次長のまとめの挨拶と、いずれも5・20の東京高裁による不当判決と50名逮捕の大弾圧、38名の拘留延長に対する激しい怒りと闘いへの強い意志が語られました。反対同盟ブログに詳しく明らかにされていますので、そちらをご覧くださいhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2011/06/post-259.html。鈴木いとさんも元気な姿を見せられ、「最後まで頑張ります」と挨拶されました。

 1169_4 次回口頭弁論は、9月29日(木)午前10時半から千葉地裁601号法廷です。今月は、6月17日(金)午前10時半からの第3誘導路工事差し止め訴訟、6月27日(月)午前10時半からの耕作権裁判と続きます。そして、6月22、23日には反対同盟が総力で取り組む沖縄現地でのたたかいがあります。

 暖かくなってきて畑は一斉に草が生え、農作業は本当に忙しくなっています。そこへ5・20大弾圧と続く闘い。反対同盟は本当に大変です。みなさん。できる支援を!

今、連絡が入りました。38名全員奪還されたそうです。(午後3時前)

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2011年6月 8日 (水)

のんびりと産地交流 (6月4日)

1164

 6月4日、ジャガイモ掘りを中心にした三里塚産直の会主催の「産地交流」が、気持ちのいい晴天の中、開かれました。久しぶりの暑さに少し疲れましたが・・・。

 1164_2 午前10時半すぎに萩原進さん宅に集合。運動会や行事が重なり、日曜から土曜にシフトしたためか、私が参加して初めて40人程度と少なかったですが、萩原進さんによると「初めのころは、こんな程度だった」とか。恒例の畑の案内を萩原富夫さんがマイクを持ってされる。進さんや市東さん、鈴木さんが一緒に動きながら、それぞれに消費者のみなさんの質問に答えておられます。

 1164_3 説明の途中で、収穫が終わったラディッシュの畑で、大きめになっているラディッシュを採ってもいいよということで、子どもたちが走り出す(左写真)。畑の南側の土手で、子どもたちが卵を発見。富夫さんの話しでは、前日草を刈ったので出てきたとのことで、キジの巣のようで、むき出しになって親鳥がどこかに?育ちかけのニンジン畑で、子どもたちにぬいてもいいよと。一人が3~5本を抜いていく。柔らかいので、後で、洗った生をかじって「美味しい~」と男の子。

 1164_4 それから移動して清水の畑へ。早速、ジャガ芋ほりです(最初の写真)。ほとんどの皆さんは車で来られているので、でっかい運ぶための手押し車を用意された方も。家族みんなが大きな袋を抱えて、1キロ150円で即売。新幹線で帰る私も、3キロ、450円。

 さあ、お待ちかねの食事。同盟や支援の皆さんが、野菜の具だくさんの味噌汁、肉じゃが、サラダ、漬物と、この弾圧で人がいない中、驚くほどの準備に、感激。1164_5 食事が終わって、子どもたちは疲れを知らず、林の中を走り回ります。

 ひと段落してから、富夫さんの司会で、交流会。まず生産者のみなさんが、市東孝雄さん、鈴木謙太郎さん、加代子さん、そして進さんが話されました。そのあとほとんどの参加者から感想や野菜への想いが、語られます。あるいはTPPについての訴え。また福島の原発事故による放射能の問題にどうしても行きます。

 1164_6 最後に進さんがまとめて、この日の一日を終えました。私たちは、生産者のみなさんと支援の打ち上げ会に参加させていただいて、お開き。

 あらためて産直運動、無農薬有機栽培の農業の大切さを考える貴重なひと時になりました。同時に、この厳しい弾圧下で、これだけの企画を一日かけて行われた反対同盟、生産者のみなさんの熱い想いを思わざるを得ませんでした。時間があったこともあって、いつもの集会と違う萩原進さんのこの間の問題、とりわけ放射能をめぐる想いについてじっくりと聞くことができたことは、非常に貴重なことだったと思います。ありがとうございました。次は10月の、サツマイモ掘りです。みなさん。いかがですか。

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2011年6月 7日 (火)

6月9日に、鈴木さんの一坪裁判

 6月9日、千葉地裁で鈴木謙太郎さん、いとさん、加代子さんが所有する一坪共有地を千葉県が強奪し、NAAに売ろうとする裁判、一坪裁判の口頭弁論が開かれます。傍聴闘争に駆けつけよう。

【とき】 6月9日(木)午前10時半~ (傍聴券のために9時40分までに千葉地裁1階ロビーへ)

【ところ】 千葉地裁601号法廷

 1164 前回の裁判は「3・9三里塚と沖縄を結ぶ集い」の翌日だったため、関西からは参加できませんでした。千葉県は、当該の一坪の土地を除く周辺をすでに購入し、土地造成を行った上で成田空港の貨物基地として売ろうとしています。それはずっと昔のバブル期の計画で、すでに同じ時期の他の計画のほとんどがバブルの崩壊の中でとん挫し、中止されてきました。その中でこの事業だけを継続するおかしさが争点の一つとなってきた裁判です。同時に「全面的価格賠償方式」というこれまで「一坪共有地」をNAAが強奪してきた論理の不当性が争われています。

 同時にこの一坪を管理している「三里塚地区周辺に土地を持つ会」として、一昨年鈴木幸司さんが逝去されたことに伴い、鈴木謙太郎さんと加代子さんに継承手続きを行ったのですが、千葉県側がそれを認めず単なる「相続」で処理しようとして加代子さんを被告として認めないという問題が発生しています。1164_2 「土地を持つ会」の存在を認定したくなかったからです。これが前回の裁判でどうなったかはわかりません。

 さて、この裁判は、市東さんの農地をめぐる裁判や本部裁判、あるいは第3誘導路差し止め裁判などの陰に隠れがちになりますが、三里塚闘争の現局面の中で、国の成田空港政策、NAAの空港経営に、しっかりと楔を打ち込んだ重要な裁判になっていることを訴えます。

 ご存知のようにアジア、世界の航空自由化の流れの中で、成田・羽田の必死の拡張・整備にもかかわらず、「成田パッシング」と言われる事態が生まれています。そしてアジアで流通する貨物量が膨大になっていく中で、成田空港はいったん世界1にその取扱量がなりながら、その地位の低下の趨勢は留まるところを知りません。2006 右のグラフは少し古くて2006年のものですが、そのことを端的に示しています。(幻冬舎新書「血税空港」より転載)

 旅客においても、現状、アジアで最大の欧米に対する拠点空港であることには変わりありませんが、その位置も危うくなっています。国交省が思い描いたようには中部空港、関西空港が機能しないことが明らかになった今、日本のアジアにおける経済・政治的位置、成長戦略がいうところの「ヒト・モノ・カネ・情報」の流れの「東アジア共同体」における中軸となるには、他のアジアの巨大なハブ空港の存在の前に、羽田・成田一体の空港機能、能力の強化が帝国主義として絶対的に求められており、それゆえの「30万回化」の追及であり、第3誘導路建設による市東さんへの攻撃なのです。1970年代に考えられていた空港の規模や能力では到底対応できないヒト・モノの流れなのです。それが、日本の場合、極度に進む「東京一極集中」に規定されて、羽田・成田に集中しているということであり、国にとって千葉県が貨物流通のための基地を作ってくれるのはありがたいし、成田空港に「地域の発展」を賭けて「カジノ」などを騒ぐ森田県政にとっても、重要な施策として、この鈴木さんの一坪をめぐる自らの「三角構想」の重要性があるのです。このような手前勝手な論理と政策がどうして許されるでしょうか。

 農地を奪い、住民の生活を犠牲にして「国策」「国益」を進めてきたことがどれほどおぞましいものであったか、今私たちは、福島原発事故で恐ろしいほど知らされています。三里塚闘争が、市東さんの農地をめぐって、そして鈴木さんの一坪をめぐって国とNAAが「国策」「国益」として進める空港政策に巨大な楔を打ち込んでいるのです。鈴木さんの一坪裁判は、そうした意味で重要な裁判であることをもう一度確認したいと思います。

 みなさん。傍聴に駆けつけましょう。

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2011年6月 6日 (月)

第3誘導路建設が進む現場に怒り

1165

 一昨日、三里塚現地で開かれた三里塚産直の会の「産地交流」に参加し、現地に泊まって、この機会に初めて現地を訪れた被災地労働者企業組合のMさんを案内し、この一ヶ月福島の被災地で頑張っているカメラマンのFさんの応援を受けて、7か月ぶりの現地調査を行いました。昨年、団結街道と第3誘導路をめぐる攻防のために作られた市東さん宅前の監視台に上がって驚くと共に、怒りがこみ上げてきました。

 最初の写真は、監視台西側の小見川県道のトンネル延長の工事と第3誘導路がそれをまたいで渡るための基礎工事が行われていてまったく様変わりしていました。1165_2 写真左側にある空港の変電所はフェンスで囲まれ、駐車場が無くなってすでに使われていないで撤去を待っている状況でした。さらに驚いたのが、右写真にある団結街道周辺です。先日の5・20反動判決で仮執行宣言がつけられた天神峰現闘本部の周りと市東さんの南台の畑の周りのフェンス、そして空港側のフェンスを除いて、幾つもあったフェンスがすべて取り除かれ、写真左側奥の倉庫群の手前には大量の盛り土が運び込まれ、その手前ではユンボやトラクターが何かをしています(といってもこの日は日曜ですので、人影はなく動きはありませんが)。

 1165_3 あらためて怒りとともに、「第3誘導路建設阻止」の決意がわいてきます。 と言っても、この日、南台の畑、東峰神社、開拓道路(左写真)、東峰墓地、そして東峰の森を回って、空港ど真ん中の横堀の鉄塔(右写真)、そして岩山鉄塔跡と回り、市東孝雄さん、萩原進さんご夫婦、鈴木さんご夫婦と交流させていただいて、1165_6 三里塚闘争45年、成田空港の破たんと三里塚闘争が勝利してきた現実を改めて確認できた現地調査でした。

 左下の写真が、すぐに何かがお分かりになる方は、相当現地にお詳しいですね。言わずと知れた、東峰神社の立木が完全に空港敷地に姿を現している写真です。1165_7 この立木の影響で、すでに滑走路は数メートル短くなってしまっています。島村さん宅の前にある巨木の立木とともに、南側から暫定滑走路に着陸する航空機のパイロットにはとんでもない妨害物に見えているはずです。事実、この滑走路では着陸失敗で再上昇する航空機を一日に何度も見ることがあります。最初の頃は、「なんで?」と思ったのですが、最近ではそれを見ると思わず腹を抱えて笑ってしまいます。今では、この立木たちの成長を見るために市東さん宅前の畑の東側にある古い監視台に上がるのが、ほんとうに楽しみになっています。南に延長して3500メートル化など、「夢のまた夢」。本当に破たんした空港です。

 1165_8 右写真は、農作業に出られる前に私たちのためにニンジンを収穫してくださる市東孝雄さんです。

 5・20反動判決と弾圧によって現地は本当に忙しくなっています。なにより現地支援の多くが拘留され続けているのですから。この日も、日曜日でしたが、市東さんの所では支援の応援も入り農作業。鈴木さんも、畑にでてサツマイモのマルチ張りをされてから私たちを迎えてくださいました。そして今週9日には、鈴木さんの一坪裁判があり、17日には、第3誘導路差し止め訴訟、27日には耕作権裁判が。しかし、反対同盟のみなさんは動ずることもなく、22日、23日には総力で沖縄に向かわれ、「三里塚の今を考える沖縄集会」を「市東さんの農地を守る沖縄の会」とともに主催されます。みなさん。第3誘導路建設を阻止し、市東さんの農地を守るために全力で闘いましょう!

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2011年6月 2日 (木)

『水と緑と土』を読んで

Photo  福島原子力発電所事故の果てることのない現実と被災者のみなさんの苦しみを見るにつけ、三里塚農民への「空港建設」の名の下での農地強奪の45年、そして農民、農業のを始めとした様々な分野への破壊をもたらすものでしかないTPP(環太平洋経済連携協定)を見るにつけ「国策」の名のもとに進められるものへの怒りとともに、自らの不甲斐なさをも痛切に感じるこの頃です。

 そんな折に友人から進められて読んだ、『水と緑と土-伝統を捨てた社会の行方-』(富山和子著、2010年改版 中公新書)に大きな感銘と勇気をもらいました。

 著者は、「おそらく世界のどの国にも増して、日本ほど豊かな地力を誇ってきた国はなかったであろう。放っておいてもひとりでに緑の育つこの国の土壌は、その沃土を失わぬため懸命に取り組んできた日本人の土の労働に支えられて、一方では優れた林業や農業の技術をはぐくみ、他方ではその技術が生かされて単位面積当たり世界一という収量を実現させた。それが、この国土に文明を絶やさなかった秘密だった。  にもかかわらず日本ほど、その誇るべき資源をあっさりと放棄してしまった国もない。アメリカは依然として食糧を自給し、自国の土壌を守るために膨大な国費をさいて余剰農産物を他国へ売りつけ、国内の市場価格を支えてきた。西ヨーロッパ諸国もまた、手をたずさえてその攻勢を防ぎ、自国の農業の振興に精力的なエネルギーを注いでいる。それにひきかえ、自由化を歓迎して自国の土壌を見捨て、その土地の上に大量の原料と食糧とを他国から運び込んできた日本は、いま、あふれるばかりの廃棄物に悩まされながら、物質文明を謳歌している」(同書175頁)と明快にまとめています。

 水を全体の導きの糸としながら、自然と科学、文明論といったことをも含んだ著者の想いがつづられていきます。

 「現在行き詰っている問題の多くは、いずれも土に立脚せず、土地のバランスを大きく崩した土地利用に根ざしている。それは本書で眺めてきた諸問題にとどまらない。生産と消費との間に横たわる流通――交通問題にしても、スピードを必要とする大量の交通需要を増大させている原因は、もとをただせばその地域で完結されなくなった土地利用にある。それら現状の隘路を打開し、この国土に文明を維持させて行きたいと真に私たちが願うのであれば、この原則に立ち戻るべく新しい土地利用を求めて、努力するしかないであろう。それが後代への義務でもあろう」(同書の最後 198頁)。

 またこうも言われます。「人間の行うことのできる真の生産とは、農林漁業をおいて他に何があるだろう。工業――それは鉱業の上に成り立っている貯金の下ろし食いに過ぎないではないか」(同 193頁)。 これを「価値観の相違」で括ってしまってはならないのではないでしょうか。

 「残された資源は、いまもなおその守り手たちが懸命に守っている農地の土壌だけである。この最後の資源が失われた時、100年にわたってくりひろげられてきた列島改造の巨大な事業も、おのずから終止符を打つことになるだろう。土壌の生産力を失ったとき、いかなる文明もその地から姿を消すしかなかったことは、過去の歴史が証明しているからである」(同 158頁)とも。

 「早くから森林が払いつくされ、農耕や放牧それ自身が森林の対立者として作用してきたヨーロッパとは異なり、日本では農耕は森林の対立者とはならなかった。日本の農耕は森林の助けを借りて土壌の有機源を補い、森林の助けを借りて水源を求め、また水や風の被害からも免れた。このように、人間の生産活動である農業が、森林と有機的に結びつくことで一定の環境が形成され、それによってこの国土の自然と文明とのバランスが維持されてきたところに、過去の日本の環境の特質があり、日本人の土地利用の特質があった」(同 116頁)。ここを読んだとき、福島、宮城でその水産漁業が壊滅的に破壊され、放射能によって復旧のめどすら立たないことや、三里塚で300億円もかけて役にも立たない第2誘導路のために東峰の森が破壊されたことを思わざるを得ませんでした。

 6月11日の「脱原発100万人アクション」を1つの大きな水路として、私たちは、ここで富山和子さんが指摘されておられるように、私たちの生き方そのものをも捉えなおしていく歩みに大きく舵を切って進まなければならないのではないでしょうか。そのためには、国策を掲げ、60年以上も沖縄に差別的に米軍基地を強制し、各地に原発とともに生きていくしかない状況を強制し、成田空港の名のもとに農地強奪を45年も進めようとする、このような国を変えていかなければならないでしょう。

 ことのついでですが、最近これも読んだ本で、「文明の中心地は農法によって動く」「(古代農法)の復活が辺境の地から始まっている」として著された『文明は農業で動く-歴史を変える古代農法の謎-』(吉田太郎著 2011年4月 築地書館)も面白かったですよ。

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2011年6月 1日 (水)

断じて許せない! 5・20弾圧で38名全員を拘留延長

 昨日、東京地裁は、天神峰現闘本部裁判判決をめぐって現在も逮捕・拘留されている38名に対して、さらに10日の拘留延長決定を強行しました。断じて許されません。

 ことの発端である東京高裁井上裁判長による本部裁判判決の不法、不当性、その国策裁判としての暗黒性を100%棚上げしたとしても、20日午後7時前の50名に対する逮捕自体が極めて不当であり、弾劾されなければなりません。

 ことのきっかけは、反対同盟顧問弁護団が、午後3時前には井上裁判長に対し、本部解体の仮執行停止の申し立てをしたことです。これは何ら特別なことでもなく、東京高裁の決定に対し、供託金を積んで、それを担保として最高裁の判決による確定まで仮執行を停止しろという通常の手続きです。それには200万円から300万円が必要だろうと、判決直後から反対同盟とともに相談を私たちも始めていました。

 ところが井上裁判長は、この申し立てに来た弁護団に会おうともしなかったのです。結論から見て、申し立てを却下するのならば何の躊躇もなく弁護団に会い、「申し立ての却下」を言い渡せば済んだことのはずです。それには5分と掛からないでしょう。ところが2時間も待たせても会おうとしなかったのです。これ自体、自らが行った「暗黒裁判」の結果に井上裁判長自身が怯え、三里塚闘争の45年の重みに恐怖したからにほかなりません。

 それまで申し立ての結果がでるのを弁護士会館でまっていた私たちは、あまりの東京高裁井上裁判長の「会わない」ということへの「なんでや」という疑問と怒りから、誰が言うともなく東京高裁第15民事部(裁判所16階)の前の廊下に集まって、事の推移を直接見極めようとしたのです。すでに判決から2時間以上後の午後4時半を回っていました。

 そこにはすでに裁判所の職員とガードマン20人近くがスクラムを組んで阻止線を張っていました。何人かの人々がそれに対して、「何の法的根拠で阻止するのか」「裁判長は出てこい」「弁護士に会え」と抗議の声を上げ続けていましたが、多くはその様子を見ながら待機していたというのが実際です。

 そのうち、5時過ぎころだと思うのですが、千葉地裁で見かける廷吏を含めた数十人の廷吏が構え、その奥には機動隊が旗をかざして待機しているという状態になりました。相変わらず井上裁判長は、弁護団と会おうともしません。そのうち裁判所の職員と思われる女性が、午後6時過ぎまでに3度ほど「退去を命じる」と居丈高に叫びました。こちらの数人から「法的根拠はなんだ」「文書でもってこい」などと揶揄していました。

 ところが午後6時半ごろ、判決が出て4時間以上が過ぎて、突然、機動隊が「全員逮捕」と大声で叫びながら襲い掛かってきたのです。いったん全体を廊下の端まで追い込み、一人を3、4人で宙づりして廊下の反対側にあるエレベーターで次々と下していきました。控室に退避していた北原事務局長や鈴木加代子さん母娘、山本関実世話人なども1人を2人で抱えて「逮捕する」と拉致したのです。反対する会の井村さんたちや車いすの方が廊下のくぼんだ所に退避し、私は座り込んだ数人の女性たちを機動隊の動きからかばっていたために13人が、廊下にそのまま取り残された結果になりました。

 井上裁判長は、なんとこの騒ぎの最中に弁護団と会い、「却下」を言い渡したというのです。「全員逮捕」しないと「却下」の結果でどんな騒動になるかわからなかったからというのです。そこには自らの所業に対する確信や裁判官としての矜持などを投げ捨てた、三里塚闘争への恐怖に震えあがった姑息な人間の姿しかありませんでした。姑息さのゆえに、卑劣な弾圧で押さえつけようとする、こんなことがどうして許せるでしょうか。

 今回、拘留延長を決めた東京地裁の判断は、「不退去罪」の前提として「事前共謀」か「現場共謀」がなされたかを調べるためと言われているといいますが、そもそも4時間余りも、申し立てに来た弁護団に何の根拠もなく会おうとしなかった井上裁判長の所業に一切の原因があり、逮捕された50名には、当事者として「なぜ会わない」ととがめ、経緯を注視したいという当然の権利があったのです。しかも、天人とも許されない暗黒裁判が強行されたのですから。

 こんな不当、不法な権力犯罪が、白昼公然と、しかも裁判所の中で、裁判所、権力機動隊一体となって強行されたことに満腔の怒りを込め弾劾するものです。

 東京地裁は、直ちに38名全員を釈放せよ!

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