6月23日、沖縄の慰霊の日、三里塚反対同盟を始め前夜の「三里塚の今を考える沖縄集会」の参加者をはじめ、百数十人のみなさんがひめゆりの塔の近くの駐車場に集合。
近くの魂魄の塔(左下写真)まで1時間足らずですがデモをしました。真夏の太陽が降り注ぎ暑いことこの上ありません。山本先生は、周りの心配をどこ吹く風とお孫さんから贈られた日傘で気持ちよさそうにデモに加わっておられます。反対同盟は、同盟旗に加えて新調ののぼりが5本、目立っています。萩原さんも持っておられます。
敗戦後、那覇などで米軍基地に農地と家屋が強奪され、敗戦直前の激戦地だったこの地に強制移住させられた皆さんが、3万余の遺骨を収集して建てられたのが「魂魄の塔」です。摩文仁の「平和の礎」よりもここを大事にする沖縄の人が多いとも聞きます。
そこで黙祷をした後、隣の「ひろしまの塔」がある少し広くなったところへ移動して、昼からの集会にむけてしばしの休憩です。最初の写真は、「ひろしまの塔」の端っこから集会全体(画面に入りきらない)を写したものです。みなさん、散在する碑などにある木々の日陰をもとめて三々五々。集会途中からは日陰が伸びてきて、少し風があるので、思いの外気持ちよく集会に集中できました。
集会は、一坪反戦地主会の末永さんが司会をして始められました。
最初に主催者を代表しての挨拶が集会事務局の比嘉さんから。そのあと安里えい子さんが書かれたメッセージが、松井さんによって代読されました(右写真)。いつもは魂魄の塔の前で黙祷の前に読むのですが、少し長いので集会の冒頭に読まれることに。その内容が、この集会に集まられた皆さんの想いを本当によく代表していると思いますので、是非お読みください(「11.6.23国際反戦沖縄集会メッセージ.pdf」をダウンロード )。
続いて海勢頭豊さんはじめ3人によるミニコンサートです。昨年も海勢頭さんだったように思います。今年作ったばかりという「ああ、対馬丸」をじっくりと唄いながら「元気を出さないと、負けますよ。憲法9条が今あぶないんですよ」「いろんなことがありながら誰も戦争を止められなかった。これを反省しないと」と語りかけられます。あとは、3人で「月桃の花」。会場でも一緒に口ずさんでおられる方も。
今度は沖縄キリスト教大学、短期大学の若い学生さんたちの「チーム琉球」の皆さんです。「沖縄のことを世界に発信したい」ということで昨年作った経緯や、実際にこの戦争の中で起こったことを自分たちの世代こそが子供や孫に伝えていかないとという想いから、伊江島など各地を訪れ、壁新聞(右写真)を作って大学の壁に張り出したりといった活動をしている、若い世代の想いを語ってくれました。
「一番最初に声を上げた」と紹介されて、反戦地主会の照屋秀傅会長は、66年前(44年)に8歳で国民学校に入学したころへの思いから話されました。入学したことは記憶にあるが、先生に話してもらったことも、勉強した記憶もありませんと。ウチナーを交えながらなので、少しわかりません。その奥田国民学校は戦時中は日本軍に使われ、戦後米軍によって校舎も運動場も自宅も郵便局も嘉手納飛行場の中に奪われたと。そしてお母さんが7名のこどもを産んで38歳で、下の弟も、戦争で死んでいったと。母や弟が何のため生まれ、生きてきたのかと思うと「戦争は絶対に許したらいかんなぁ~」と思うと。そして基地を押し付ける自民党、民主党の沖縄への差別を糾弾されました。「ここにいるヤマトも含め、この事態の責任は、我々にもある」と訴えられました。
続いて「沖縄戦はおわらない」と言われ、今も沖縄の各地に残る膨大な遺骨の収集の活動をしてこられた「ガマファー」のみなさんを代表して具志堅隆松さんが、最近、「戦没者の遺骨のDNA鑑定をして欲しい」という陳情を県や厚労省に行なっておられる取り組みの現状と問題点を話されました。シベリア抑留されていた人々の遺骨についてはDNA鑑定をしている厚労省が、「沖縄は熱帯だからDNA鑑定できない」としてきたのだ。2009年末に行なった172体の遺骨収集の中で、歯からDNA鑑定ができて千葉の遺族のもとへ遺骨が帰ることができて、琉球放送で昨日報じられたことを紹介し、全部DNA鑑定をすべきだと要求を始めておられます。ただ、工事が行なわれるとき乱暴な工事でダメにするあり方があることを糾弾し、ハガキ一枚で戦地へ奪い、遺骨を返さない国に責任があると訴えられました。
この日の正午、菅総理が来沖し全戦没者追悼式典に出席したことへの抗議の報告が行われました。21日の「2プラス2」による公約破りに怒って、緊急で50名が集まり抗議したが、「警察官が200名いたので250名で抗議してきた」と。戦後ずっと「密約」のもとに基地を沖縄に押しつけてきた「構造的差別」を弾劾されました。オスプレイ配備にともなう経緯に、1996年以来日本が真実を覆い隠してきたことを指摘し、「これ以上隠せないからと今明らかにしてきた。こうして生き延びてきた日本国家だ」と指弾されました。そして「沖縄的インティファーダーを展開していこう」と訴えられました。
「合祀ガッティンナラン」原告団を代表して金城実さんです。「クソオヤジ、騙された」ということから始める。沖縄の中にある「内なる弱さ」を叩くことから始めなければならないと話し始められました。自分のオヤジや息子をなくしたからと6・23に涙を流して、明日からどうするんだと。6・23なんか慰霊する気持ちは全くない、必要ないと。「抑止力」とは沖縄の言葉で「ユクシ力」、さらに翻訳すると「ウソをつく力」だと。その「ウソの力」に沖縄の人間がどこまで引きずられていくのかが問題だと。靖国裁判で、裁判長は「原告の信教の自由を認めたら、国や靖国神社の信教の自由を脅かす」と断じた。戦前の明治憲法が、皇室への脅威以外における信教の自由はみとめるとして、100年前に大逆事件を起こしたのと同じだと。台風で叩かれた木が愛おしいが、1週間経てば桑の木は元気になる。ガジュマルも、バナナも、叩かれれば叩かれるほど強くなる。沖縄の人間も、抵抗の文化を必ず進化させ、その抵抗の遺伝子を子供たちに継いでいく。そのことに希望をもって進もうと。
ついで泡瀬干潟を守る連絡会からの報告です。泡瀬干潟で海ガメが産卵してくれた、これは泡瀬の干潟を失ってはならないとういう啓示だと。また今夜あたり珊瑚が産卵しそうです。手を振ったらマジックハンドのように夜光虫の光の帯が広がる。どれだけの命が世界に溢れているか実感する。海は私たちのふるさと、母とも言われています。それを何の経済的合理性もなく、ただ工事をやればいいと国も県もこの8月以降工事をはじめようとしていると。高江のヘリパットも、原発も、人と自然の命を奪うだけだと。そんあことをしてまで人間は自分のエゴを追求しようとする、そんなことが許せますか、しっかりと反撃しようと訴えられました。
ここで三里塚反対同盟のみなさんの登場です。ヘリ基地反対協の安次富浩さんが、前日開かれた「6・22 三里塚の今を考える沖縄集会」と交流会が、「市東さんの農地を守る沖縄の会」と反対同盟との共催で開かれたことを報告するとともに、国策を相手に50年近く農地を守る闘いをやり抜いてきた三里塚と沖縄は同じ闘いだ、沖縄の闘いと福島・三里塚の闘いを結合し、今の日本政府の誤った国策を、民衆の力で、抵抗で変えていきましょうと三里塚闘争を紹介されました。
萩原進さんの登場です。成田の闘いは、砂川、百里、北富士の各基地闘争の指導の下、闘い抜いてきましたと。そして沖縄の祖国復帰、あるいは戦後の沖縄のみなさんの入植など沖縄とつながりながら46年闘い抜いてきましたと。アジアでの位置の低下や暫定滑走路の北延伸や誘導路問題など成田空港の破綻した現状を具体的に明らかにした上で、農民を守るべき農地法を使って市東さんの農地を強奪しようとする攻撃を断罪されました。そして今こそ、かってそうだったように、砂川、北富士などとともに沖縄と共に闘い抜いて行き、全国の労働者、市民、学生とともに闘い抜いていきたい。そして沖縄に対して我々が内地において徹底的な立ち遅れと決意の欠如、運動の停滞がもたらしたものとして今の沖縄の事態があると。そして、沖縄の怒りは成田の怒りなんだとされた上で、福島を訪れた体験を語り、「ことばが出ません」「ガンバッてくださいなどと言えません」「写真など撮れません」、福島の怒りは成田の怒りだというものを作っていかなければならない。無農薬でやってきたけれども、今度は放射能です。その責任は誰にあるんだということだと。
国であり、裁判所じゃないかと。3・11によって今までの価値観、政治情勢が変わりましたと。ここで何をすべきか。闘い抜いて、一緒になって彼らを倒す、団結だと思います。沖縄と共に全力で闘い抜きます。
代わって市東さんが立ち、「農民として耕すものに権利ありと農民の権利を訴えます」とした上で、米軍が銃剣とブルドーザーで農地と宅地を奪い、日本政府が法律をねじ曲げて基地を存続させてきた沖縄の歴史を断罪しました。そしてこの3年沖縄に来ていることを明らかにした上で、これからも一緒にできることはどんどんやって何ども沖縄を訪れたいと決意を明らかにされました。
ここで再び安次富浩さんが登場し、辺野古の報告です。アメリカの議会では我々辺野古の闘いは「怪物」とされていると紹介され、 「海にも陸にも基地を作らせない」市長、議会、そして2620日に及ぶヘリ基地反対協の闘いが、アメリカ議会に「予算はない」「不可能」という認識を持たせてきたと。民衆の粘り強い闘いがこれを生んだんだ。私たちは勝てるんだという強い認識を今もっていると。そして戦前天皇制にひれ伏した連中が、今はアメリカに隷従し、これが誤った方向にもっていっていると。3・11以降、解決能力のない政府、国会という状況の中で、国民が、民衆が立ち上がらないとこの国は救えないと。辺野古から、沖縄からこの国を変えるたたかいに起とうと呼びかけられました。嘉手納統合案などとんでもない。普天間の固定化も許さないと。
続いて高江から宜保のぼるさんが。満4年を迎える高江が今、大変な状況を迎えているとして報告をされました。全県、全国そして外国からも応援がある中で、工事をストップさせてきたが、去年末の12月以来、無理やり工事の重機を搬入するなどの事態が続いていますと。そして3月から6月は生きものたちの繁殖期などの理由で中断されていますが、7月からの工事開始ということで、先日来重機搬入の動きがあり、60人での座り込みなどで阻止し、それ以来24時間ぶっ通しでの監視、座り込みを続けているために、ここに来ることができません。夜座り込みを続け、昼に畑に行くという生活が続いています。是非、高江に来てくださいと。
最後のミニコンサートは大城しんやさんです。来沖した菅政権に明日にでも退陣してもらいましょうと挨拶をされての演奏です。「沖縄、戦ぬ世」を「命どぅ宝」と歌い始められました。拍手や指笛、あわせて歌う人。のんびりとした雰囲気の中で盛り上がっていきます。「いやさっさ」としんやさんのいつもの歌が始まります。歌の中で、来年復帰40年を迎える秋に天皇を迎える行事が行われることに対し、絶対に許されないと怒りのアジテーション。「迎えていいのか」「いいはずない!」と。
いよいよ閉会です。閉会の挨拶は建築家、真喜志好一さんです。今度の21日のアメリカでの「2プラス2」共同声明についての新聞報道で、「辺野古新基地建設について期限を設けないが追求する」と報じているが誰が報じさせたのかを見なければならないと冒頭提起されました。そして未亡人製造器オスプレイMV22のための着陸訓練基地として、直径45メートルのヘリパットが高江に作られようとしていることを弾劾されました。日本政府は、その事実を昨日今日聞いたから通告するという態度をとっていることへの怒りの弾劾を。1997年から今日までほんとに日本政府は知らなかったのかと。とんでもない嘘だ。1996年、SACOでの日米の話し合いをアメリカでのジュゴン訴訟で証拠として提出しているが、そこに日本政府の高見沢が、沖縄の県民にバレて怒らせてはならないと隠匿することを日本の側から要請しているというのだ。
防衛省の高見沢はこの3月まで防衛政策局長という防衛省ナンバー2の位置にある人物だと告発されました。こんな官僚に支配されている政府に負けてどうするかと訴えられました。
暑さも忘れ、充実したこの日の闘いに、一人一人が溶け込んでいました。沖縄への重い想いと、三里塚と沖縄の闘いを結びつけるひとつのステップを作り上げたという喜びが、疲れを吹き飛ばしていました。しかし、山本先生のお元気さには本当に脱帽。那覇空港で反対同盟のみなさんと打ち上げのビールを美味しく頂いて別れました。
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