天神峰現地闘争本部とは?
上の写真は、昨年5月16日の緊急現地闘争で天神峰現地闘争本部前をデモしている関西実行委員会のみなさんです。右手のフェンスに囲まれたものが現地闘争本部です。 この写真の一か月後、不当、不法な団結街道の閉鎖(右写真)によって、この位置にはもうたてません。現地闘争本部は、完全にフェンスに取り囲まれ、フェンスの中では周囲の立木や竹林が伐採され、いつでも解体撤去工事にかかれる準備がされていると言います。
天神峰現地闘争本部は、1966年、三里塚闘争開始とともに、元副委員長石橋政治さんの庭に木造建築で建てられ、農民の皆さんの日々の憩いと交流の場、そして私たち全国からの支援者が先ず訪れる場所でもありました。 2期工事を迎え撃つために1980年代に旧の本部を増築する形で鉄筋コンクリート3階建てに増築されたのです(左写真。旧の本部がそのまま残されたまま増築されている様子がわかります)。
ところが1990年1月16日、国は憲法違反の悪法、成田治安法でこの本部をフェンスで囲い使用禁止、出入り禁止の状態に置き、最初の写真の右下にある看板で、毎年9月に国交相の名で成田治安法によって封鎖を継続していることを宣言しています。この前に東峰の団結砦や南三里塚の闘争会館などを始め、成田治安法をかけられた建物はすべて機動隊の暴力で重機を使って撤去されました。この天神峰現地闘争本部だけが、封鎖という状態であれ現存しています。これは天神峰現地闘争本部が、反対同盟農民にとって重要な憩いと交流、農作業の相談などの生活の場であることを国も承知していたからこそ撤去を強行できなかったのです。
しかし、この現地闘争本部の存在が右写真にあるように暫定滑走路の最大の欠陥である「へ」の字誘導路を市東さんの農地とともに強制していることに追い詰められ、成田治安法でも解体撤去できなかったものを、仲戸川裁判長の反動判決、そして井上高裁裁判長による違法な訴訟指揮と判決によって解体・撤去しようとしているのです。こんなデタラメがどうして許せるでしょうか。
この卑劣な攻撃は、市東さんの南台の農地を完全に孤立させることで、第3誘導路建設と一体となって、市東さんを追い出そうという意図もあります。こんな人権無視、非道が許されるはずもありません。
「国策」の名のもとに進められるこのような暴挙がまかり通るなら、原子力政策、沖縄の基地建設もまたまかり通ることになります。これらは今や完全に一体の闘いになっています。
5・20天神峰現闘本部裁判控訴審の反動判決、本部解体のための仮執行宣言を絶対に許さないために起ちあがろう。
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