断じて許せない! 38名全員に拘留延長
先ほど、三里塚現地から5・20弾圧で拘留されている38名全員に、さらに10日の拘留延長がつけられたとの連絡がありました。
本当に許せない弾圧です。怒りの反撃を!
先ほど、三里塚現地から5・20弾圧で拘留されている38名全員に、さらに10日の拘留延長がつけられたとの連絡がありました。
本当に許せない弾圧です。怒りの反撃を!
今週の土曜日、6月4日に、三里塚産直の会のじゃが芋掘りを中心にした「産地交流」が開かれます。これを具体的に担ってこられた方々の大半が、少なくとも今日までのところ、まだ5・20弾圧によって拘留され続けている状況にありますので、反対同盟はじめ支援の皆さんは大変だと思いますが、昨年秋の「産地交流」が台風直撃で流れただけに、そしてこの弾圧下だけになおのこと実現したいという反対同盟の農家のみなさんの想いが伝わってきます。まだ申し込みは、6月2日まで受け付けておられます。可能な方は(産直会員でなくとも)、℡0478-75-2163 「ふろむあす千葉」までお申込みください。迎えのバスも用意されていますので、電話でお問い合わせください。
当日は、午前10時半までに萩原進さん宅に集合し、まず畑を回って、今年の作物の作柄や農作業のいろいろについて、萩原富夫さんや市東孝雄さん、鈴木謙太郎さんから説明していただきます。いつも30品目くらいが育てられています。(右写真正面が萩原進さん宅で、その前にある畑です。市東さんが説明しておられます。)
昨年は、収穫の終わったばかりのスナックエンドウの畑で、残っているのを自由に採っていいよということで、子どもたちだけでなく大騒ぎに。(左写真)
その後、ジャガイモ畑に移動して、芋ほりをします。(最初の写真 昨年は空港用地内の清水の畑でした。)収穫したじゃが芋をそれぞれ好きなだけ計って産直の値段(1Kg 180円)で買って帰ります。10kg、20Kgと持って帰られる方も。
それから拡げられたブルーシートで、それぞれがお弁当。野菜が豊富な豚汁やサラダ、漬物、などなど。いろいろと農民の皆さんの前の日から準備をして頂いたものが美味しい。本職かと思うほど上手な手さばきで焼きそばをいつも作ってくれたFさんが、今も拘留されているので、どうなるだろうか? (今年は、状況が状況なので、あまり期待しないで、お弁当は一応自前で準備してくださいね。)
その後、しばらく毎年恒例になっているトラクター乗りに子供たちが興じたりなのですが、これも人手があるかどうか?
そして生産者の農民の皆さんを囲んで交流のひと時がもたれて解散です。市東さんや鈴木さん、萩原さんから直接、その想いを聞く貴重な時間です。
みなさん。いかがですか?
写真はいずれも昨年6月12日に開かれた「産地交流」の折のものです。
昨日29日、市東さん宅の近くにある開拓道路で、20日の東京高裁・井上裁判長による仮執行宣言付きの反動判決と、50名逮捕、今も38名が拘留され続けているという大弾圧に抗議して、台風2号が近づいている嵐の中で緊急現地闘争が、185名の結集を持って闘いぬかれました。
井上裁判長の反動判決は、第1審において強行された偽証に対する反対同盟の反対尋問の権利を奪い、現場検証すらしない中で、忌避の手続きをも自ら棄却するという東京高裁始まって以来の暴挙によって強行された。しかも、急ぐ理由もない中で「仮執行宣言」を付けて判決の確定を待つことなく三里塚闘争の拠点である天神峰現闘本部解体を許可するという、これ自体が自らの反動判決、犯罪の物証を隠滅することを企んだ暴挙でしかない。こんな暴挙を許すことなど到底できるはずもない。
その上、仮執行の執行停止の手続きを求めた弁護団に対して3時間以上も不当にも会おうともしない井上裁判長に対し、高裁第15民事部前に抗議に集まってきた人々に突然「全員逮捕!」を叫び襲い掛かり、北原事務局長をはじめ反対同盟8人や90歳になる関実山本世話人をはじめ50人もの大量逮捕を強行した国家権力・機動隊による暴挙、弾圧を私たちは絶対に許さない。しかも、そのうち38名が今なお拘留され続けているのだ。
こうした20日の事態に怒った人々が、連日の勾留理由開示公判の闘いの最中に、しかも、台風2号による雨と風の中を決起したのが、昨日の緊急現地闘争でした。
デモの出発の前に、鈴木謙太郎さんが司会をして「打ち合わせ」が行われた。北原鉱治反対同盟事務局長から5・20反動判決と大弾圧に対して「こんなふざけたやり方はない」と弾劾が行われ、「今も獄中で闘っている仲間とともに、日本の将来のために闘おう」「生きるためには闘うしかない」「雨で外は冷えているが、心は燃えている」と、自らへの不当逮捕に対する疲れも見せず、烈々と語りかけられました。 動労千葉と関西実行委員会から挨拶が行われた後、この不当弾圧を弾劾し、沖縄と三里塚が共に闘う想いを込め、6・22沖縄で反対同盟と共催による集会『三里塚の今を考える沖縄集会』を呼びかける「市東さんの農地を守る沖縄の会(共同代表=金城実・安次富浩・知花昌一)」からのメッセージが鈴木さんから代読、紹介されました。
現地支援連4党派による決意表明を受けて、さあ、デモに出発です。雨と傘で全体が見渡せなかったのですが、デモに出た隊列を見て、200人近くいることが初めてわかりました。三里塚反対同盟を先頭とする私たちの怒りが凄いことを実感しました。このころには雨も小やみになり、市東さんの南台の畑、天神峰現闘本部近くまでのデモです。
南台の畑で、萩原進事務局次長のまとめの挨拶が行われました。先ず「今も拘留されている38名を一刻も早く奪還する」とキッパリと宣言された上で、20日の闘いについて「井上裁判長による反動判決に対して、そのまま頭を垂れて帰ってくるわけにはいかなかったし、それをはね返す闘いをやり遂げたのだ」と総括された。そして「仮執行」が強行されるなら、天神峰現闘本部を実体的にもぎ取り、市東さんの畑に対する攻撃に対しても総力を挙げて闘う」「原発・空港を作ってきた奴らは一体だ。必ず責任を取らせる」と闘いの方向を明らかにされました。
38名の即時奪還、天神峰現闘本部破壊を阻止し、第3誘導路建設阻止へ闘いぬこう。そして6・22沖縄での三里塚・沖縄連帯集会を成功させ、「国策」をぶち破る三里塚・沖縄を先頭にしたうねりを爆発させよう!
今、三里塚から産直野菜がとどきました。今週もにぎやかです。写真上右から玉レタス、ラディッシュ、キャベツ、小松菜、葉玉ねぎ、スナックエンドウ、カブ、チンゲンサイ、ほうれん草の9品です。
現地はご存知のように、5・20の大弾圧で50名の不当逮捕、12名の奪還は勝ち取れたものの、今なお38名ものみなさんが拘留を続けられています。ほんとうに怒りが収まりません。不当極まる東京高裁の判決を塗り隠し、天神峰現闘本部解体攻撃の核心である三里塚闘争の解体を目論んだ攻撃に一歩踏み込んだこととして、断じてい許されません。
今もなお拘留されている皆さんの半数が、現地の支援連のみなさんですから、現地での闘いはもとより、援農にも重大な支障が出ているのではと案じています。その中で、これだけの野菜が届いて、うれしい限りです。
先週は、5・20弾圧で東京にへばりついていて、野菜が来ることを完全に失念し、皆さんを奪還している最中(22日、午後9時ごろ)に、萩原さんから指摘され、びっくりするやら、うろたえました。どうもすみません。
右写真は、送られてきた太ネギの根っこがもったいないので、鉢に植えたら立派に花が咲きました。ときおり刻んで、みそ汁に入れたり・・・。
24日、市東さんの裁判に向かう東京駅で、いつもなのですが東京新聞を購入。今回も、福島原発の事故の問題で、今ご奮闘中の京都大学の今中哲二助教のインタビュー記事(2面にわたる)がありました。朝日新聞などでは絶対にお目に係れないいい記事です。ご覧ください。「11.5.24東京新聞記事.pdf」をダウンロード
5月20日の裁判を前に、萩原進さんが行かれた福島の訪問報告記をいただきましたが、もったいないので、当ブログへの転載をご本人に了解いただきましたので、転載いたします。なお写真が、印刷物からのコピーですので見苦しい点、お許しください。写真はクリックしていただければ大きく見れます。
4・27~28福島現地訪問報告 (萩原進)
4月27日~28日、東日本大震災、福島原発事故で被災した福島県の農民のみなさんの所へ激励かたがたお邪魔し、3・27集会で寄せられたカンパを手渡し、野菜など支援物質を届けてきました。聞きしにまさる被害の深刻さとひどさに言葉を失いました。この実感を共有してもらうための報告です。被災農民の怒りと向き合い何をなすべきか、どう連帯すべきか、考えていきたいと思います。(右上写真は、いわき市小名浜近く 28日)
私とドライバーのF君は4月27日の朝8時、野菜や米農家の小川さんから預かった米、さらにペットボトル入り水などを積み込んで成田を出発しました。
まず向かったのは福島市の果樹農家Oさん宅(左写真)。3・27全国集会に被災地からのメッセージを寄せてくれた福島市の果樹農家です。
最近やっと作付規制も解除されたそうですが、風評被害や原発による放射能被害の今後を考えると実際に出荷できるのかどうか、不安を訴えていました。そこで野菜をカンパ。それでも菜の花プロジェクトというチェルノブイリ救援団体の協力も得て、土壌調査や勉強会を立ち上げて、60軒ほどの周辺農家との連携を始めているとのことでした。
「被曝覚悟で留まる」
次に30キロ南に下った本宮市のSさん宅(右写真 27日)を訪問。3・27集会のメッセージで「中通り 酪農家」と訴えていたお宅です。Sさんに野菜と3・27集会のカンパを手渡しました。Sさんは「自分たちも原発反対の闘いをやってきたが、三里塚のような絶対反対の姿勢が足りなかったことを悔やんでいる」と語り、さらに「農民は個々バラバラでは殺される。団結していきたい」と語っていました。
連れ合いの方の「自分たちはもう被曝している。こんな危ない所に来てもらわなくていいですよ」という言葉には参りました。 『農民に逃げる所などない。この地に留まり家族、地域みんなと農民として生き抜く』という決意を語られたものと受けとめました。(左写真は、Sさん宅の乳牛 27日)
しかし今回の訪問をきっかけに、原発反対運動を共にした仲間を再結集させたいという言葉を聞き、こちらも勇気づけられました。
夜は三春町の宿へ。いわき市の元労働者Oさんも一緒です。宿には火力発電所復旧工事の職人や労働者が多数泊まっていて、東京電力の権力的体質への怒りを口にしていました。
翌日はいわき市のRさん宅(右写真 28日)へ。「浜通りの酪農家」という名でメッセージを寄せてくれたお宅です。
今回まわった中では、もっとも原発に近い場所です。Rさん宅では子供を避難させているとのことでした。Rさんも原発に反対して闘ってきた一人。「当時、村八分のようなあつかいを受けた。しかし、放射能は原発賛成・反対に関係なく降り注ぐ」と 悔しがっていました。(左写真は、Rさんが飼っている黒毛和牛 28日)
最後にOさんの案内でいわき市の津波被害の現場を見て回りましたが、「言葉を失う」とはこのことです。Oさん自身も大変な被害を受けたそうです。3月11日の直後からガソリンもない、ライフラインは止まる、物はないの3重苦で、家から出られなかったそうです。三春の宿での風呂が1週間ぶりだ、とも語っていました。
被災現場では、人に対してカメラを向けることもはばかられ、車内から撮影しました。(右写真は、いわきし小名浜港周辺 28日)重い問いをつきつけられたというのが訪問しての実感です。
今こそ農民は怒り連帯しよう
津波被害の甚大さ、深刻さに衝撃を受けた訪問でした。(左写真は、いわき市小名浜港周辺 28日)同時にきびしかったのが放射能被害です。これは自分たち成田の農民も他人ごとではないいう意味で身につまされました。訪問記にも記しましたが、本宮市のSさん宅で言われました。「自分たちはすでに被曝している。逃げる所もないし、あっても逃げることもできない。20頭の牛を放っぽり出して逃げるわけにもいかない。逃げた所でいつまでそこにとどまるのか。
一蓮托生、死ぬときは一緒」という話しに衝撃を受けました。(右写真は、いわき市小名浜港周辺 28日)安易な激励や慰めの言葉など受け付けない厳しい言葉でした。「ともに闘いましょう」との言葉でこちらの決意を伝えました。
福島はじめ東北、茨城、千葉などの農民を、ここまで苦しめる原発の存在というものに改めて憤りを感じると同時に、 しかし、現実に起きてしまった事故と人体への被害という問題とどう向き合うのか。考えさせられました。(左写真は、宿泊先から車で10分ほどの所にある滝桜。風評被害で観光客はまばら 28日)
逃げればいいのか。そうじゃないだろう。農民にとって、畑や田んぼから離れて農民としての暮らしや生き方があるわけではありません。まして、三里塚闘争を45年間も闘いぬいてきたわれわれにとって、他の場所に逃げて三里塚闘争を続けられるはずもない。(右写真は、いわき市四倉で。右がOさん 28日)
その場所に踏みとどまって「原発」に示された現代社会の腐敗と非人間性を告発しつづける、これ以外に生き方、闘い方はないと思います。
それでも三里塚を思う言葉には勇気づけられました。「以前から三里塚闘争を支援してきた自分たちは当然原発建設反対だった。不十分ながら運動もしてきた。しかし、建設を許してしまった事実は重い。三里塚のように絶対反対で原発反対を闘いぬきたい」と。(左写真は、いわき市四倉で 28日)
さらに、今回の訪問を「原発反対で闘ってきた人々の再結集の機会にしたい」「農民はバラバラでは殺されちゃう。団結しなければならない」という思いも聞くことができました。「次の全国集会には参加します」と約束してくれました。三里塚の闘いも今回の震災を経て新たな前進を実現しなければならない、と肝に銘じた訪問でした。
昨日のブログに続き、5・24裁判の記者会見、報告会の発言より。
【西村弁護士】20日の事態というのは、ほんとに裁判闘争が勝利していて、結局、明け渡しを求めて裁判がにっちもさっちもいかない、そういう中での敵の完全な焦りの表れだと思う。あそこの逮捕の場面を分析してみると、明確に完全に公安が途中から主導して、逮捕方針を強引に推し進めたという感じがある。廷吏が先ず出てきて、その後機動隊が出てきて、それがうまくいかないと見るや、警視庁公安部が大挙して前面に出て、それで後戻りが効かないような形で、逮捕に突入する。そして、北原さんや山本さんを含めて同盟を逮捕するということに何の躊躇もなくやるという、ここの敵の踏み込みというのが凄まじいものがあるんですけれどもね、完全に今、そういう事態に来ているという、敵にとってここまで国策を踏みにじられているという焦りというのがね、出てきているという事態ですね。残り38名を完全黙秘で奪還する。10日の拘留で何としても奪還したい。頑張りましょう。
【浅野弁護士】弁護士で手分けして獄中の皆さんと面会してるんですけれども、中にいる人たちは非常に元気ですね。あらためて三里塚闘争勝利、不当弾圧粉砕、そのことを改めて貫徹していくんだと、みなさん気合が入っている、というようなことをご報告しておきます。
【市東さんの会共同代表井村さん】とにかくね、この間の拘留の仕方、裁判、裁判長というのは、ああいうことをするというのは非常に人権の問題だと思いますよ。女性に対してなんですか。ああいうふうな引っ張り方。酷いですよ。もう少し彼らにも紳士的な態度があってもいいのでは。 なんで彼らは犯罪人を何かするような、われわれは犯罪人ではないんです。実におかしい。これからも、ああいう司法の態度を改めさせるようなことを私たちはやっていきたい。おかしいです。
この後、新聞記者を含む3人の方から意見や質問が出され、反対同盟の出荷作業がこの後あるということで、萩原進事務局実長からまとめの挨拶がありました。
【萩原進さん】ほんとにみんなしゃべりたくてしょうがないと思いますよ。この間の事態の中でね。
その上で、被逮捕者で、怒りを持って同盟で逮捕された人、起立してください(北原さんを除く7名全員が起立)。北原さんの話しが出ましたけれど、今日はちょっと充電させてくれということで欠席しましたけれど、元気で、自分は思想的には完黙だと。それで、取調官に対して、自分が書いた本の内容を得々と取り調べの間、ずーっと述べてたと。彼らの質問なんか全然聞こえない。だから完黙なんだと。闘ったと。そういう形で昨日話しました。われわれこそ正義なんだと。頑張りぬいたんだと。まあ、80歳、90歳の人たちがそういう風に闘いぬいて、同盟もほんとに元気に、これからも闘いぬくということを証明していますんで。これができるのも、取り囲む全国の人たちが三里塚闘争に寄せてくれる力だと思います。ほんとにありがとうございます。
その上でね、29日、まあ、独りになってね、独りでもやるのかと、そういうのもありますよと。先ず何よりも残っている人たちを先ず奪還すると。そのことを一義的に考えて闘いぬいて、そのことをどうするのかということをやれることを120%やり抜く、そういう考えのもとにやっていきたいと思います。
先生方の分析がいろいろありました。しかし、ああいう事態が起きたというのはね、今の情勢が規定しているんじゃないか。焦り、焦りということがあります。第1点は、あんな反動的な判決はありませんよ。一審を踏まえて仮処分を付けるなんてね、最高裁まで行ったってそんなに事態は変わらないんですから。これは誰が見たって同じですよ。最高裁の判決が下りてからやったほうが、向こうにとっても社会的に見たって「当たり前だ」という風になるわけですよ。しかしここで(仮執行を)付けていく。こういう状況。要するに遅れちゃったんだと。ふざけんじゃない。40年間遅れといて、「遅れちゃった」はないですよ(会場爆笑)。破産してるんでしょう。それを「遅れた」と我々のせいにしているんですよ。とんでもない話しですよ。そんなの理由にならない。てめえらの不始末じゃないか。
そういう判決を下しといて、われわれ帰るわけに行かないですよね。現闘本部というのは全国の人の心のよりどころと、実際の場所、そこに来て援農やったり民宿したり、そういうところで、みんな関係者なんですよ。その上で、反対同盟なんてのは関係者以上でしょ。自分の持ち物なんだから。北原さんなんてのは弁護士と一緒にあそこにいていいと裁判所も認めてるんですから。退去命令そのものが成り立たないんですよ。我々はあれに対して国賠請求でも何でもやりたいですよ。それぐらいの立場ですよ。
それでも彼らがやらなきゃあならないのは、今の霞が関の状況を見てください。公安がきりきりしているのは、昨日も見てください。福島の婦人方が来てね、法定の基準値を下げてさ、子どもたちのことを考えないで、自分たちの延命のために放射能基準値を下げてんですよ。
一つの裁判で50名逮捕するなんて歴史的にありますか。やっぱり三里塚だなぁと自分は改めて感じたんですよ。三里塚がああいう形で高等裁判所を占拠して大問題になったんだったらね、こんどは東京電力でもそうなる、あらゆる霞が関の中でね、ああいう風にやった方がいいんじゃないかとなったら、たちまちどうなります。今でさえそういう状況になっててね、これじゃあ抑えきれないという状況になっちゃう。だけどもひた隠しに隠さなきゃあしょうがないという状況がいっぱいある。あれ以上やられちゃあ困る。なんとしても捕まえ、隔離してやっていかなきゃあしょうがない。だから、彼らの焦りというのもあるけれども、焦り以上にその場でこれをなんとか押しつぶさなきゃあしょうがないというね、そういう中でできた問題だと思いますよ。
みなさんがどう思われるか知りませんけれども、あの判決をブッ飛ばす闘いを闘いとして出来たんじゃないのか。これが、弁護団を先頭としながら、今もつかまっている人もいますけれども、それをまた囲む部分があるわけですよ。デモも150名いました。150名いましたけれど、逮捕者は50名です。150名全部行ったら裸になっちゃいますけれども、50名がまた150名に帰れるわけですから、千名を呼び集めることができる闘いをやったんだと、我々は自信を持って言い切りましょうや。そして本日の裁判もほんとに心配したんです。どれくらい結集させられるかと。しかし、やってみればこれだけのものが勝ち取れる。
裁判官も今日は、会社が降ろすんじゃないかと問い詰めたらまだだという形で、「裁判官頑張れ!」と言いたいぐらいで(爆笑)、そういう状況になったんだけれども、そこまでああいう裁判の中でも、我々は闘えば勝てますよと。
そういう中で、この震災の闘い。みなさんが、行けたら一度見てください。見てくださいというとあれだけれども、いかにして彼らと連帯して闘いぬいていくかということのためには、一度あの地に立っていただきたい。そうするとわかります。今日の新聞を見ても、来るときにちょっと話したけれども、牛を今日から競りにかけると、しかしどれくらい放射線を浴びているかとそれを検査している写真が出ていた。農家はそのままですよ。検査している人は防護服を着てこうやってるんです。これは何を意味するか。2つありますよ。1つはね、そこにいる住民は常に放射能を浴びているということを意味してるんですよ。もう1つは、牛が放射能浴びてて、それを競りにかけたらどうなると言ったら、風評被害以上に、これはもう叩かれるんですよ。農家はそこで死ねっということでしょう。それと同じように、本部に対する仮執行、今日も明らかになったけれど市東さんに対する仮執行を付けているというのは、本部をぶち壊すのは証拠隠滅になるんですから、最高裁でその中に建物があったといったって、それはもう消される。市東さんの土地を一審判決によって仮執行するということは、更地にするということは市東さんに「死ね」ということでしょう。こんなこと許していいのか。我々はほんとに怒りを持って闘いぬいていきたい。
東北の被災地の人たち、そして我々の闘い、そして沖縄の闘い、こういうものが今こそ問われてるんですよ。その中で、三里塚が自信を持って旗を振ればみんなついてくる。そして霞が関そのものが騒然とする。日本全体がそういう状況になるんだということを、自分ら自信を持って、確信を持って闘いましょう。
みなさん。この萩原さんの訴えに応えていきましょう。まずなによりも、5・29緊急現地闘争に全力で駆けつけましょう。
なお、反対同盟から5月21日付けで、「5・20大量不当逮捕を弾劾する」声明(「11.5.21不当逮捕弾劾声明.pdf」をダウンロード )が出されております。
5月29日(日)午後1時半~ 緊急現地闘争(会場・市東さん自宅南側の開拓道路)、あとデモ。
今日、千葉地裁で市東さんの農地をめぐる行政訴訟と農地法裁判の口頭弁論が開かれました。「傍聴のために」が反対同盟法対部から配られました(「11.5.24傍聴のために.pdf」をダウンロード )。
行政訴訟では、市東さん(原告)側から準備書面として21人の証人申請などの立証計画が出され、その概要について葉山弁護士などから説明がありました。
続いて行われた農地法裁判で、前回の口頭弁論で「請求の放棄もありうる」と言っていたことがどうなったかという裁判長からの催促に、NAA(原告)側から「なお検討中」。「ふざけるな!」などのヤジが飛ぶ。市東さん(被告)側から一瀬弁護士や市東さん本人から質され、また裁判長の指摘を逆手に取ったような原告の開き直りに裁判長自身むっとした表情をしながら追及する一幕も。5月20日の東京高裁の不当判決、そして警察による不当弾圧、38人もの拘留決定の直後だけに傍聴席の怒りがすごい。
一瀬弁護士が、農地法裁判の訴状の冒頭にNAA側が「仮執行宣言」を求めていることを指摘し、天神峰現闘本部裁判での5・20反動判決で仮執行宣言がつけられたことを糾弾しつつ、市東さんの営農をめぐる問題でこんな請求は到底許されないことを指弾された。
最後に、証人などの都合などから両裁判の併合も検討するとして、8月30日(火)午前10時半からと、10月18日(火)午後2時~5時の2つの日程が決められ、閉廷しました。
法廷後記者会見と報告会が、鈴木謙太郎さんの司会で始まりました。鈴木さんは冒頭、5・20不当弾圧、38名が今も拘留されている状況の中でこれだけの人が来てくれたと感謝の言葉を述べられて始められました。
【市東さん】みなさん、ご苦労様。まあ、皆さんも驚かれたと思います。あれが今の司法と権力の姿だと思います。決して許すことができません。今日の裁判もそうですが、来月6月は3つあります。みなさん、お忙しいと思いますが、ぜひ傍聴に来ていただきたい。また6月は沖縄に行きます。同盟として、沖縄と一つの闘いとして頑張っていきますので、みなさん、どうかよろしくお願いいたします。
【葉山弁護士】みなさん、傍聴闘争参加、ありがとうございます。5月20日のあの不当極まる弾圧、その前の仮執行付きの判決。 井上裁判長は、はじめから成田空港の建設が、特に「へ」の字が遅れている。遅れているから「仮執行宣言」を付けるんだと言ったんですが、とんでもない話しだ。だいたい「へ」の字型誘導路のまんまで開港すること自体がおかしいんで、開港したうえで「遅れている」「遅れている」と、だから撤去しろと、まったく国策的なことをやってきた暴挙なわけです。正に国策の名の下での司法による犯罪的な行為だ。それに上乗りして、仮執行宣言の停止を求めた事に対して「決定はすぐ出るから待ってください」ということで弁護団は中に入って待っていたわけです。その決定を踏まえて直ちに措置を取るということで、担保を積むというようなこともありまして、当事務所の職員もそれで待機していたわけですが、みなさんもその決定を待っていた。その状況の中で、仮執行宣言に関する決定を待たずに強制的に排除を始めた。
こちらとしてはそこに居残る正当な権利がある。その状況の中で強引に退去させて、その途中の階段のところでおろして、途中で気が変わって今度は引っ張り上げ、それで逮捕する。うちの事務職員たちは「葉山事務所の職員だ」と言ったら、「そんなことはわかっている。逮捕だ」というとんでもない話しなんでね。要するにその程度なんですよ。丸の内署では、どっかの公安が機動隊に対して「なんでお前ら逮捕したんだ」と怒鳴っているというね、そういう大混乱を権力側がきたしている。権力がめちゃくちゃになっているという状況なんですね。獄中の人は断固として黙秘して頑張っているし、釈放された人が12名いるわけですが、ここにいない弁護士も含めて弁護団は頑張った、それを支援していただく皆さんが頑張ったという中で、ともかく反対同盟のみなさんを始め12名は奪還できた。まだ38名いるという中で、断固黙秘を頑張って、全員の釈放を勝ち取るまで頑張りたいと思います。
今日の裁判については、行政事件と明け渡し請求事件、両事件について立証計画を出しました。黒野、堂本、千葉県農業会議の議長とか成田市農業委員会の議長、あるいは事務局長を始めとして。なんでこういうものを受理して、しかも「そんなものを許可するのはまずいんじゃないか」という委員もいたわけですよ。それを押し切って「付帯決議を付けたらいいでしょう」と決議で押し切って上にあげた。農業会議の方ではまるで市東さんの陳述も聞かないで出してしまったという不当な実態を立証の中で断固として人証として展開してもらう、また追及しようというわけなのです。
その上で、「41-9」というこの問題については依然として彼らとしては騙しにだましている。同意書と確認書という確固たるものがあるんだから、それに基づいてやったんだからと居直っているんですが、そんなものはデタラメだということは藤崎政好と直にあって聞いたところでは「誰が作ったかわかんない」と言ってるわけです。それを盾に「41-9」が初めからの賃借地だと言ってるんですが、それがいまぶっ壊れようとしている。裁判長の方が釈明を求めて、「明確な反論が無ければ当初から賃借地でないと見なせますよ」ということを言ったのに対して、前回は上野という千葉地裁の裁判長上がりで、天下りして向こうの代理人になってるんですが、それが「請求の放棄を検討している」と言ったんですが、一体どうなったのか。今日までにと思ったところが、「そういうことについてまだ検討中だ」というんですね。取り下げた上で放棄するという念がいったことなんですが「それをやるかどうかまだわからない」ということなんですが、こういう矛盾をさらについてやっていく。それをどんどん広げて全面的な勝利に持ち込みたい。
【一瀬弁護士】冒頭、20日での全体に対する大弾圧を弁護団としてもほんとに怒りをこめて弾劾したい。今千葉地裁で、市東さんの裁判を中心に6件闘かわれてきているんですが、その裁判闘争は、毎回、毎回、相手方、権力側を追い詰めてきている。それは明らかだ。それに対する国家権力の反動的な取戻し策動、大弾圧という性格を持っていると思います。ほんとに許せないということと同時に、三里塚闘争が、50名も「建造物不退去」というようなことをデッチ上げて逮捕せざるを得ないという地平を、反対同盟を先頭とした全体の闘争で作り上げてきているということを確認できるのではないかと私は思う。
天神峰現闘本部があって、市東さんの耕作地がある中で暫定滑走路を供用するというふざけたことをやっていること自体が、おおもとの大間違いなわけなんですよ。
現地闘争本部に仮執行を付けるなんてことを請求すること自体が、そしてそれを裁判所が認めるというようなこと自体が、とてつもないデタラメなことだということなんですよ。今日の後の事件でも、市東さんが耕作している南台の農地や天神峰の農地に対しても、空港会社の方は仮執行の宣言を求めてるわけですよ。判決が確定しなくても、一審で判決が出れば収用してしまえというそういう凶暴な攻撃なんですね。それが、反対同盟が1966年に結成したその年に作った我々の現地闘争本部、同盟の本部をですね、そういう形で仮執行してきているという、これは2重3重に許せない。今回改めて思いました。
もう一つは、井上が仮執行の停止を認めないという中で、遅れているとなか何とか言っているけれども、そもそも市東さんの南台の耕作地なんかもケリが着かなければ、「へ」の字の修正などできないわけです。まったく意味がないんですよ。にもかかわらず、ああいう形で仮執行の停止をしなったという東京高裁の反動的な、国策的な、国策に全面的にのっかった判断という、これは本当に許しがたい攻撃だと思います。
その上で、今日の裁判はいよいよ21名のたくさんの人証を申請しました。反対同盟の方を含めて、全体を併合して一つの事件として、我々の主張をきっちりと立証していくためには、絶対に欠かせない、必要な人証群、21名の人たちの名前をきちっと出したわけですね。この21名の人たちを1つも残さず全員採用するということを裁判所に強く求めていきたいと思っております。こういう一つ一つのことを千葉地裁でやり抜くことを通して、今回の5・20の50名逮捕という不当弾圧に対しても反撃していくことができるし、38名の人たちが今なお完黙でですね闘っている、その人たちに連帯する、そういう闘いの質を弁護団も貫いていきたい。
【遠藤弁護士】高裁の現闘本部判決は、今までやらないこと、異例なことをやったために結果をもたらした。
ひとつは忌避を直前に申し立てたのに、東京高裁なのに自分の所に引き取ってそのまま却下するいう、私も東京高裁で何度も忌避をしたことがありますが、そんなことは一度もありません。別の部に回って審査する。仲戸川と全く同じことを東京高裁がやった。これは特筆すべきことです。
それから強制執行停止の申し立てをやったのに面接もしない。これも極めて異例です。しないでわかるほど簡単なことという場合もあるかもしれませんが、これだけの事件ですからね。いかにも検討しているようなふりをして我々を3時間も待たせてですよ、それで不退去罪をデッチあげたという極めて悪質なやり方だと思います。時間かかってるから審議してるんだとそう思っちゃいますよね。そうじゃないんですよ。結論は1行かそこらですから、「認めない」と書くのに5分と掛からない。それなのにいかにも今やっていると装って逮捕するというそういうやり方なわけです。
要は、三里塚闘争と裁判闘争が非常に盛り上がっていることに対する権力全体の意志が反映した暴挙だと思います。
判決に書いてあったんだけど、平成16年からの事件だと書いてあるんですね。足かけ8年目。判決の中に焦りが書かれていて、だから仮執行だということを書いているだけで、なお懲りずに国策の、原発で裁判の責任を叩かれていますけれども、なお国策の追随者として暴力的な姿勢に徹底的に弾劾したいと思います。
日曜日に当弁護団、朝からここにいる人みんなと大口さんで、10時半から東京地検公安部に申し入れに行って、接見要求等々やって、公安の副部長に申し入れをやって全員の釈放を申し入れた。その結果、その一角を崩すという大きな成果、同盟全員を出させてという形で、その日は夜9時まで38人の接見を手分けして、昼飯も食わないで1日やって、ふらふらになりました。だけど成果が出たから少しは報われたかなと。一角崩せれば全部が崩せるという構造になっているから、絶対に奪還しましょう。そして三里塚の闘いの爆発でさらに敵を追い詰めよう。
(続く)
すでに報告してきましたが、5月20日、天神峰現闘本部裁判の控訴審で東京高裁井上裁判長による本部解体に向けた仮執行宣言をつけた不当な反動判決、国策裁判が強行されました。
この日、日比谷公園霞門には法廷を前に200を超える反対同盟を先頭にした人々が結集しました。わけても反対同盟は、この日の産直出荷を早朝からやり抜いての全力の決起でした。そして審理の再開を強く求め、不当な判決の強行を許さない怒りの集会とデモをやりぬきました。
この怒りを無視して行われた反動判決の暴挙に対し、反対同盟は直ちに弾劾声明(「11.5.20反対同盟声明.pdf」をダウンロード )を発し、顧問弁護団は裁判所、井上裁判長に対する仮執行の停止を申し立てる行動に入りました。
ところが井上裁判長は、不当にも2時間余りにわたって弁護団と会おうともしなかったのです。怒った反対同盟を先頭とする私たちは、16階にある高裁第15民事部(井上裁判長所属)前に結集し、弁護団と会うことを求める抗議行動を行ったのです。以下の経緯は昨日のブログ掲載のとおりです。
50名の不当逮捕という暴挙に対し、昨日、萩原進事務局次長を先頭に東京高裁、東京地検に対する抗議を叩きつけ、北原事務局長を先頭とする反対同盟8人をはじめ山本関実世話人など12名の奪還を昨夜遅くに勝ち取りました。しかし、38名の支援の拘留が継続され、起訴にむけた卑劣な攻撃が続けられています。本当に許されません。
90歳になられて初めての不当な逮捕に合われた山本関実世話人は、検察の取り調べに対する完全黙秘を貫かれ、2泊3日に疲れも見せず「いい経験をさせてもらった」と新たな闘いに向けた闘志を明らかにされて、今日関西に戻られました。(右写真は、裁判前のデモでの山本世話人)
反対同盟は、今日、拘留されているみなさんへの差し入れを全力で行うとともに、明日の市東さんの農地をめぐる農地法裁判、行政訴訟(午前10時30分より、千葉地裁で)を全力で闘いぬくことを明らかにしておられます。国、NAAは、5・20弾圧の勢いの中で、「41-9」の取り下げを裁判所に認めさせ、その破綻を隠そうとこの法廷で策動しています。そんなことを許してはなりません。全力での傍聴闘争の実現が必要です。
また、この天神峰現闘本部への仮執行宣言=解体攻撃に対し、緊急の現地闘争を反対同盟は呼びかけています。5月29日(日)午後1時半から、市東さんの自宅の南にある開拓道路で集会が開かれます(集会後デモ)。45年にわたる三里塚闘争の一つの節目ともなる決戦に突入したことを確認し、実力闘争の意気を国家権力、国交省、NAAに突きつける重要な闘いです。是非結集しよう!
不当な逮捕・基礎攻撃をはね返し、5・24裁判~5・29緊急現地闘争に決起しよう!
これからとんぼ返りで、千葉での明日の裁判に向かいます。
今、東京地検前にいます。不当に逮捕された50人の皆さんはすでに地検に入り検察庁の取り調べに入っていると思われます。大半の人に勾留がつけられるかもしれないという報告が入りました。
20日の弾圧の様子を報告します。仮執行の停止を求める弁護団にたいして裁判長が2時間以上会おうとしないため、弁護士会館で待機していた私達は裁判所16階にある井上裁判長の属する高裁民事15部のまえに行きましが、そこにはすでに裁判所の職員やガードマン20人余りがスクラムを組み阻止線を作っていました。仕方なくその前の通路で三々五々に井上裁判長はでてこい、弁護士と話し合えなどと抗議を行っていたり、座り込んで休んでいたりしていました。そのうちに機動隊の部隊か、離れて配置につき、裁判所の職員が退去命令を何度か行い、どういう根拠からかなどとこちらも応酬。途中省略しますが、機動隊が突然、全員逮捕と叫んで襲いかかってきたのです。あとで弁護団にきくと弁護団の停止申し立てを却下する前に逮捕しないと大変な騒動になると全員逮捕という方針が出された模様で、逮捕騒ぎの最中に却下が強行された。その廊下では一人を3、4人が宙吊りにしてつぎつぎに逮捕し、さらに控え室におられた北原さんと山本先生を連行しさりました。最後に萩原
さんと座り込んでいた人や車椅子の人、高齢者など13人も逮捕するとつれていかれようとしたのですが、ちょうど弁護士さんたちが裁判官との話し合いを終わってでてこられて合流しました。すると権力はしばらくして逮捕を退去に方針変更してきたのです。ここにも今回の大弾圧のいい加減さがあらわれています。おかげでこうやって報告できるのですが。
反対同盟と現地支援のほとんどが、不当逮捕という現実の中で、萩原さんを先頭に現地は昨日統一救対を立ち上げ、今日は早朝から萩原さん自身がマイクをとり、地検のまわりで街宣活動をしておられます。さらに、明日は全勾留者への差し入れ活動。そして明後日は千葉地裁で市東さんの農地法裁判、行政訴訟がこの状況の中で開かれようとしています。また仮執行宣言にともなう手続きを千葉地裁が進めようとしている状況にあります。反対同盟は、この機会にと攻め込もうとしている空港会社、国の動きをゆるしてはならないと、裁判の延期を求めつつ、裁判が強行された場合に備えた傍聴闘争への決起を訴えておられます。また、5月29日午後1時半から市東さんの自宅南の開拓道路に結集して緊急現地闘争を行うことを呼び掛けておられます。
開始されたこの緒戦を反対同盟とともに勝ち抜くことが決定的です。全力で起とう!
今日、不当判決が強行された後、弁護団を先頭に仮執行の差止めを交渉中、却下を強行する前に北原事務局長はじめ反対同盟8人はじめ関実の山本先生など50人が不当に逮捕されました。許しがたい暴挙です。詳細はあとで。
今、天神峰現闘本部裁判で許しがたい反動判決が強行されました。井上裁判長は、控訴棄却、仮執行宣言をつけた。自らへの裁判官忌避は時間稼ぎだという許しがたいことばで切り捨て、現場検証も拒否し、反対同盟の尋問権、防御権を踏みにじった。今、弁護団は執行停止の闘いをしています。怒りがおさまりません。今、事務局からの報告をうけている最中です。のち程、詳細を報告します。国策裁判を粉砕しよう。萩原さんが発言しています。29日に緊急現地闘争が今提起されました。
明日、天神峰現闘本部控訴審の判決攻撃が行われようとしています。井上裁判長の意図は明確です。菅政権の国家意思に使嗾され、違法極まる訴訟指揮をはばかることなく強行し、天神峰現闘本部解体にむけた「仮執行宣言」を付けた判決を強行しようとしているのは明らかです。どうしてこんなことが許されるでしょうか。午前11時半、日比谷公園霞門に結集し、怒りの声をあげ、反撃しようではありませんか。
そもそも天神峰現闘本部が、憲法違反の成田治安法で封鎖され毎年更新されて21年間もこの異様な姿(右写真)をさらし続けてきたこと自体が、成田空港建設の45年にわたる破たんの歴史を象徴しています。あの前原前外務大臣も、一昨年の9月、政権交代の折、国交相として就任早々最初の仕事の一つとして、この本部封鎖の更新に喜々として印を押したのかと考えるだけでも腸が煮えくり返る思いです。
市東孝雄さんは、帰ってこられて以来11年、毎日、この本部の無残な姿を見ながら農作業を続けてこられました。 その姿があまりにも不様で無残であるだけに、農民への国家権力の不当、非道な攻撃、わけても自らへの農地強奪の攻撃に対する怒りと闘志をはぐくんでこられたのではないかと想像に難くありません。
天神峰現闘本部解体の攻撃は、この市東さんの闘いへの強い意志を、営農と土への篤い想いを粉々に打ち壊そうと企まれたのだということが、その攻撃の根拠の一つです。こんなことがどうして許されるでしょうか。昨年5月に強行された団結街道封鎖と並ぶ非道極まりない攻撃です。しかし、国家権力・空港会社は、45年にわたる闘いの中で培われてきた反対同盟農民の、市東さんの人間としての、農民としての尊厳をかけた想いを見誤っています。この攻撃によってその怒りを倍加することはあっても、そこで挫けるようなものでは決してないことを思い知るでしょう。全力でその反対同盟、市東さんの想いとともに前進しよう!
本部解体の攻撃は、第2に誘導路の「へ」の字問題に追い詰められたが故の攻撃だということです。
世界、アジアの航空事情から完全に取り残され、帝国主義としての存亡の危機にある日本にとって、成田空港の完成、30万回の実現によるハブ空港化は、いかに45年を経過しようが、いや、現下の情勢だからこそますます絶対的な課題となっています。海運事情は、航空事情よりも惨憺たる状況にあり、「アジア・ゲートウェイ構想」や「成長戦略構想」がいくら「ヒト・モノ・カネの流れ」とお題目を唱えようが、どうにもならない現実となって日本を、菅政権を追い込んでいます。
彼らにとって今や一切の問題は「へ」の字であり、市東さんの営農と存在なのです。ですから、この東日本大震災、正に国家的な危急存亡の危機の中でも、第3誘導路建設工事の強行とこの本部解体攻撃を一気に推し進め、「へ」の字問題の解決と市東さんの叩き出し、農地強奪を謀ろうと闇雲な攻撃に撃ってでてきているのです。私たちは、このことを絶対に軽視してはなりません。まさに三里塚闘争45年の一つの節目としての闘いとして始まったのだということを確認したいと思います。(左写真は、市東さんの会の会報「耕す者に権利あり」第15号に掲載された、通行量の多い小見川県道の天神峰トンネル西側出口のところで、通行を止めないまま第3誘導路が県道をまたぐための橋梁部分の工事が強行されている写真です。)
明日の東京高裁での闘いは、まさにこの節目の闘いの出発点です。日比谷公園霞門へ全力で結集しよう。
昨日、衆議院で関西・大阪(伊丹)両空港の統合法が本会議で可決され、成立しました。一昨年、にぎにぎしく始まった「関西3空港」論議の結末だが、果たしてめでたし、めでたしでしょうか。
一切の根源は関西空港の経営破たんです。関空と同じ滑走路2本のヒースロー空港(イギリス)で、航空機の離発着が48万回(2008年年)なのに対して、4分の1以下の11万回前後(左下グラフ参照。関空会社ホームページより引用)が関空の現状です。国の財政から毎年90億年近くを補てんしてもらいかろうじて黒字を維持しており、しかも1兆3千億円の負債が減らないのです。これへの毎年の利払いだけで200億円を超えています。
統合したからと言って「効率的な運用で関空の経営を改善」できるのでしょうか。2つの会社を1つにするといっても、旧の関空会社を土地保有会社にするのですから、2つに変わりません。今までマスコミで言われてきたのは、大阪空港の利益50億円から80億円で赤字が解消され、世界1高い着陸料を下げられるということでした。実はこれがインチキなのです。
大阪空港の利益は、空港整備特別勘定に毎年繰り入れられていました。ほとんどの空港が赤字の中、同会計にとって貴重な収入源だったと言われます。だったらこれまで国が関空への補給金をこの会計から出していたのですから、同じことではないですか。しかも、これまで税金をごまかすために2期工事を中途で止めていたのを完成させました。大阪空港と一体化させ新しい会社にするために。そのため、固定資産税などで60億円の支出が新たに発生したと言われます。だから、関西財界は国は補給金を150億円にしろと言い出したのです。確か、民主党の「仕分け」で、いったんは「無駄な支出だ」と切り捨てられたのではなかったのでしょうか。なんという人たちでしょうか。
右の表は直近のこの5月の関空の国際線の状態を示したものです。アメリカ本土とヨーロッパが足しても8%しかありません。しかも、JALもANAも飛んでいません。世界の金融の中心と言われるニューヨークとロンドンには、わずかに中国のチャイナエアラインが週に3便(毎日ではない)ニューヨークに飛んでいるだけで、ロンドン便はありません。先ほどあげたヒースロー空港には行っていないのです。そしてアジアとハワイなどで82%もあります。中国、韓国、東南アジアなどとの貿易が急激に増加していますからビジネス客もあることはあるでしょうが、ほとんどが観光客ではないでしょうか。確かに、菅政権は「観光」を成長戦略の目玉とはしていますが・・・。
もし、着陸料を下げる事が出来て、この状態が改善され、ヨーロッパやアメリカへの客が増え、便が増えるのでしょうか。「国際拠点空港として再生、強化」することができるのでしょうか。
観光需要が増え、とくにLCC(格安航空)の流れが強まる中、ハブ空港を必要とする(LCCは必要としません)大手航空会社は、ビジネスクラスとファーストクラスの客層によって利益を上げ、路線を維持しています。関空にこれほどまで欧米の航空会社の便がなく、そもそも日本の航空会社が欧米に一便も飛ばそうとしないのは、ビジネスクラスやファーストクラスの客が関西空港にはいないからなのです。ですから開港当初飛んでいた日本と欧米の航空会社が次々と撤退したのです。この問題は、基本的には日本の極端な一極集中による経済構造に起因しており、関空と大阪空港を統合したところで何も変わりません。空港がガラガラですから、LCCの市場にはなるかもしれません。それとても、日本にはカボタージュ規制があり、外国(アジア)のLCCにとってそれほど魅力のある空港ではありません。少なくとも、LCCを軸にしたアジアのハブ空港にさえ程遠いというのが現状です。
関西空港は「民間活力の活用」と言われ、確かに民間資本も投入されましたが、2兆円を超える国税と地方自治体の税金が投入され続けています。この現状を見る時、関西空港が国策として進められてきた破たんについて何一つ私たち納税者に謝らないばかりか、何の展望もなく統合による延命を続けるという法律として、今回の統合法が、私たち納税者の意見を問うことなく、成立されたと思わざるを得ません。こんな一部の人間たちのパイの奪い合いによって無駄なカネが垂れ流され続けることに私たちは反対です。
しかも、橋下大阪府知事のように「新たなアクセスの建設」と露骨な利権をさらに求める蠢きに怒りを覚えます。その橋下の言動にもあったように、関空は明らかに海上要塞として、有事には軍事転用されることは明らかです。これほど利用価値がないのですから、すぐにもそちらへの転換がおこなわれるだろうと考えざるを得ません。
目先の延命に汲々とした中で生まれたこのような「統合法」に私たちは反対です。直ちに廃止すべきです。
すでに皆さんがご存知のことかと思いますが、古いことですので少しおさらいします。
1960年代、池田内閣の「所得倍増」政策を水路に戦後の高度経済成長への道を歩み始めた日本で、航空業界と空港の整備への新たな動きが始まった。羽田空港にしても大阪空港にしても、戦後、航空行政をアメリカの支配に牛耳られてきた上、ベトナム戦争による米軍機や米軍チャーター機による混雑で、まともな運用さえできないほどの混乱状態にあった(当時福岡空港はまだ米軍支配の板付基地、72年に返還)。日航自体が、1951年就航を始め、1952年航空法と日本航空法によって歩みを始めたばかりの幼稚産業の域を出ていなかった。
日本の国全体が、1962年から始まった全国総合開発計画(第1次)、そして田中角栄の「日本列島改造」への最中だった。日本の航空政策の独り立ちを目ざして、新東京国際空港、そして少し遅れて新関西国際空港の計画への端緒がついた。いずれも(運輸)族議員と言われる国会議員の利権と地元住民(農民)の反対のせめぎ合いの中で、候補地が点々とするという事態を生んだ。
いったん政府として地元説明会の手順に入ってほぼ決まりかけていたと言われた新東京国際空港冨里案が、旧来から日本有数の農業地域であった富里村(現在は市)農民の村ぐるみの決起で、県庁に1500人規模や2000人規模で繰り返し包囲し突入するという闘いによって1966年完全に頓挫した。1966年6月4日、佐藤栄作(当時首相)は、千葉県知事友納(当時)を訪れ、御料牧場などがある三里塚に空港を持ってくることで合意し、1ヶ月後の7月4日、午前中に閣議了解を取り付け、その日の午後に閣議決定を行った。そこには土地に住み、農業を営んでいる住民、農民への説明もなければ、もちろん住民合意などあろうはずがなかった。(右上写真は、1971年の千葉県収用委員会で大木よねさん。その右写真は故小川明治副委員長。三留理男さんの『三里塚 -成田闘争の記録-』より転載。)
この寝耳に水の突然の話しに、空港予定地の山武郡芝山町、成田市三里塚でそれぞれほとんどの住民が立ち上がって「反対同盟」が結成され、ただちに一緒になって現在の「三里塚芝山連合空港反対同盟」となった。
反対同盟結成直後、天神峰の石橋政次さん(当時副委員長、後に闘争から脱落)が、闘いぬく拠点として自らの家の中に小屋を建てて反対同盟に使ってもらいたいと実行役員会に申し出られ、生まれたのが天神峰現闘本部なのだ(1966年12月16日)。登記も67年9月20日に行われた。
その後、石橋政次さんが闘いを離れて移転する時分筆され、「現闘本部の土地は、反対同盟に提供したものだから同盟にどのように使ってもらっても結構です」と確認し、裁判所にも念書が提出されている。左の写真の鉄骨の下の木造建築がそれだ。といっても、これも後に整備、拡張されたものだが、二期工事を巡る攻防の中で、1978年憲法違反とも言うべき「成田治安法」が制定され、収用・破壊の攻撃に備えるために、1988年、写真のように母屋を増築する形での鉄骨3階建ての建物となった。そして1990年1月16日、雪が降り積もる中でだまし討ち的攻撃により封鎖され、今日の鉄板に囲まれた無残な姿となった(右下写真)。
芝山の多くは古村であったが、三里塚は駒井野や取香といった古村もあるものの、1910年代(大正時代)に開墾された天神峰部落や戦後開拓された東峰部落など、それぞれの村の歴史が異なり、日頃話し合うこともなかった人々が、ともに闘いをすすめていくために交流し、生活や営農の悩みなどを話し合う格好の場として、天神峰現闘本部はなっていった。ある時は茶を飲み、酒を酌み交わすなくてはならない場となっていたのだ。もちろん、闘いの方針をめぐる相談の場であったことはいうまでもない。また、全国から心を寄せて訪れてくる人々にとっても、ここへ来ればいいという大切な場所となっていった。
こうした意味で、天神峰現闘本部は、三里塚闘争開始以来45年の闘いの歴史をはぐくみ、闘いの象徴であるとともに、正に三里塚農民の生活の場であったのだ。
それを現場を見ることもなく、登記されている事実をも無視し、国の成田空港政策の指示のもとに、裁判の体をもなさない訴訟指揮によって反対同盟農民の弁護権、反対尋問権も奪い、ただただこの現闘本部解体を目ざして違法ともいうべき裁判が進められるなど、どうして許せようか!
5・20天神峰現闘本部控訴審闘争に決起しよう!
反対同盟ブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2011/05/post-243.htmlが呼び掛けていますが、5月20日、東京高裁での天神峰現闘本部裁判控訴審闘争は、三里塚闘争45年の一つの節目となる闘いです。皆さんの注目と、当日の高裁包囲闘争と傍聴闘争への決起を心から呼びかけます。
第1審千葉地裁での本裁判における萩原進さんの証言に明らかにされているように、第1審での空港会社側証人・石橋恵美子の証言は、事実に反した偽証です。しかも、ビデオリンクという特別な刑事事件でとられる手法を用い、しかもわずか2分で本人が提出した陳述書が、本人が書いたものかどうかを確認しただけというでたらめ極まるものが、その偽証の一切でした。反対同盟は、こうした偽証の強行に対して、開廷自体を抗議し、裁判官を忌避しました。千葉地裁は、この反対同盟による裁判官忌避を受理しておきながら仲戸川裁判長による上記審理の強行を黙認したのです。これ自体が法理に反した暴挙でした。
ところが高裁井上裁判長は、この暴挙を追認し、なんと「被告(反対同盟)は、反対尋問の権利を放棄した」と強弁し、反対同盟による現場検証と1審証人への反対尋問の請求を棄却し結審を強行したのです。しかも、法廷で反対同盟代理人からこの不当な審理の強行に抗議して「裁判官忌避」が行われたにも関わらず、これを無視し、その場で言うことさえできなかった判決の日時を裁判調書に書き込むという虚偽、違法行為をも行って判決を強行しようとしています。こんなことがどうして許されるでしょうか。こんな裁判が許されるはずもありません。まさに暗黒裁判であり、国家意思を振りかざした階級裁判ではありませんか。
すでに当ブログでも繰り返し明らかにし、先日も「成田空港の位置」http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-37cd.htmlとして述べておりますが、世界、アジアの航空業界でのヒト・モノの流れから取り残され、航空政策として破たんの極みにある国家権力が、追い詰められているが故の凶暴性を持って成田空港の拡張に向け、市東孝雄さん、反対同盟に襲い掛かろうと、なりふり構わず東京高裁井上裁判長を指嗾して判決を強行しようとしていることは明らかです。そこには一切の法理や合理性をかなぐり捨て、ただただ天神峰現闘本部の解体をのみ目的とした「仮執行宣言」付きの判決の強行が目論まれていることは明らかです。
5月20日(金)午前11時半 日比谷公園霞門集合(右図・クリックすると大きくなります)/同午前12時からデモ/同午後1時から東京高裁傍聴券交付所集合/同午後2時から口頭弁論(判決)
日比谷公園霞門は、地下鉄丸ノ内線・霞が関下車、B1出口を出たところです。
先ほど三里塚から産直野菜がとどきました。「野菜だより」にあるように現地は風が強い日はあるものの、昨年と違いからっとして気温が低めのようで作付と作物の成長は順調だそうです。春の葉物がいっぱい届きました。下に報じておりますように、この上ほうれん草もあったようですが、「成田市の検査が終わるまで待ってくれ」ということで、今回はパスだそうです。三里塚のほうれん草は、この辺のと違っていてしっかりしていてほんとに美味しいので、残念。
届いたのは、玉レタス、大根、サニーレタス、ラディッシュ、小松菜、チンゲンサイ、キャベツ、カブの8種類です。ラディッシュだけ泥を落としてやって衣装直しをしてから記念撮影です。「4、5月にキャベツをお届けできるのは初めてです」と「野菜だより」にありますが、昨年は4月の末から春キャベツが来ていて(玉キャベツと春キャベツは違うか?)、5月15日のキャベツに「寒いから青虫がいない」と書かれているのに、着いた夕方片づけていたら6匹も青虫があちこちからゾロゾロと。こちらが温いので旅をしてきた一晩で大きくなって出てきたのか。いないと思っていたからほんとにビックリ。そのまま三里塚に向かって「緊急現地闘争」。そして帰ってきたら翌日未明に団結街道の封鎖強行と市東さんの不当逮捕。すぐに現地に向かったことを思い出しました。いろいろありすぎたので、わずか1年前だとは思えない気分ですが、昨年のブログの記事を見て思い出しました。
「野菜だより」に以下の報告がありました。そのまま転載。
放射能問題で進展
12日、ほうれん草を検査へ
ようやく成田市が、放射能検査のために萩原の家の前の畑からほうれん草2kgを採取していきました。
12日に、成田市農協関連のほうれん草検査があることがわかり、成田市を追及した結果、こちらのほうれん草畑にも立ち寄ることになったのです。
検査野菜は、検査結果が出るまで出荷しないでくれとのことでしたので、今回予定していたほうれん草の出荷は延期しました。 (以上です)
【追記】先ほど三里塚の萩原進さんから電話があり、検査結果が出たそうです。県内26ヶ所の調査の一環として行われたそうで、場所によっては5~6品目の野菜を検査対象としたようです。萩原さんたちとしてはこれまでの経緯からもっとも影響が早く出ていると思われるほうれん草を検査させたようです。その上で、検査結果が「灰色」でも出荷を停止する覚悟を決めておられたようですが、県内26ヶ所すべてで「シロ」ということで、今日、三里塚産直の会として出荷を続ける事を確認されたそうです。
なお、その折の萩原さんの説明では、野菜と牧草では国の基準値が違い、牧草はずっと低い値で「クロ」となるそうです。
さあ、みなさん。営農に、闘いに、そして被災地支援に大奮闘の反対同盟のみなさんに応えて、5月20日、天神峰現闘本部控訴審判決闘争に、そして5月24日、市東さんの行政訴訟・農地法裁判の口頭弁論に、全力で参加しましょう。
昨日昼過ぎ、アメリカ第7艦隊(横須賀)旗艦である揚陸指揮艦ブルーリッジ(18400トン、右写真=Wikipediaより転載)が大阪港に、 「今回の入港はテロで戦うという日米同盟の象徴」(ルーエ米海軍西南地域司令官)と豪語して入港を強行した(17日まで)。
東日本大震災での「トモダチ作戦」を誇示し、1年目を迎える「5・28日米合意」、辺野古新基地建設を進めようとするものであることは明らか。そして、2年ぶりとなる大阪港への米軍による軍事使用の新たな恒常化を狙ったものであることは明らか。
南大阪平和人権連帯会議の呼びかけで、仕事帰りの労働者を中心に会場の天保山公園には続々と皆さんが集まってくる。デモが出発するころには400人を超える人々が。
集会は主催者であり港合同副委員長の中村さんが司会をして始められた(左写真)。中村さんは「大阪港が軍港であったがゆえに大変な被害を受けた。繰り返さず平和港へとの取り組みをしてきたとされた上で、「トモダチ作戦を拡げる中から沖縄の基地固定化を図ろうとしている。許されない」と語られた上で、この日の闘いが2日前に強行された関西生コンへの13人のデッチアゲ逮捕という大弾圧への反撃の闘いでもあると、この日の闘いの意義を明らかにされて始められた。
主催者を代表してまず、南大阪平和人権連帯会議議長の全港湾の大野さん(右写真)から「1週間前にしか入港の情報が入らない」と糾弾された上で、沖縄の米軍基地撤去の取り組みを訴えられた。
つづいて大阪平和人権センターの山下事務局長から「ブルーリッジ入港を満腔の怒りを込めて抗議したい」との挨拶が行われました。
港区選出の大阪市議会議員からの来賓のあいさつの後、決意表明に入ります。まず、不当な弾圧を受けている関西生コンから西山さんが。
西山さんはまず大阪港へのブルーリッジの入港に自分たちも反対だという立場を神戸港での非核方式による米艦船入港が阻止されている現実との対比で語られた上で、1年前のストライキを口実とした13名の一昨日のデッチ上げ逮捕と連日の不当な家宅捜査を怒りを込め報告された。立ち合った警察官が「ストに参加した100人全員を逮捕するまでやるからな」と脅したことを弾劾しつつ、大規模ストへの反撃としてのこの攻撃を、長期戦になろうとも全力ではね返すと決意を明らかにされました。
最後に自治労大阪青年部の決意表明が行われ、さあ、デモに出発です。夕暮れが迫る海遊館の前から大阪港の町の中を、400人余りが一隊でのデモですからなかなかの迫力です。
集会に先立って山本先生等関実の面々は思い思いに、会場のすぐそばにある戦時中、労働力として強制連行されてきた中国人の亡くなられた方々を追悼した「彰往察来の碑」(2005年6月建立)を見学しました。もうほとんどの人が知りませんが、この日本一低い天保山、大阪港が明治以来日本の朝鮮、中国への侵略の拠点、日露戦争以降の軍隊の出征、食料などの製造と積出港だったのです。そこで処分された豚や鶏のための「獣魂碑」がすぐ近くに戦時中建てられながら、千人を超える中国人が強制的に連れてこられ、多くの方がここに亡くなったことを示す慰霊碑が、戦後60年を経た2005年になって初めて建てられたことなどを話しました。
一昨日の朝日新聞に使用済み核燃料の貯蔵・処分を日米でモンゴルに押し付ける話しが進んでいるという報道があった(右新聞、5月9日付け朝日新聞)。「唖然とする」としか言いようがない。
日本では原子力発電所の使用済み核燃料からプルトニウムを取り出して「永遠の燃料」とすると謳われて六ケ所の再処理施設と高速増殖炉「もんじゅ」(実験炉)が膨大な税金をつぎ込んで建設され、いずれも事故で破綻している。六ケ所にはすでに全国の原発から使用済み核燃料が運び込まれ、そのプールが満杯状態であることが、今回の福島原発事故をきっかけに明らかになった。だから、多量の行き場のない使用済み核燃料が福島原発4号炉の貯蔵プールなどにあり、今回の事故の一因となり今も収拾がつかない危険な状態にある。これが全国の54基の原発で基本的に同じ状況にあるのだ。
アメリカでも、日本に倍する原発と核兵器製造によって想像を絶する膨大な放射性廃棄物が溜め込まれている。それを原子力産業の育成によって利権を生み出そうとするモンゴルの「指導部」を抱き込んで、日米両政府がこの放射性廃棄物の捨て場にしようというとんでもない話しだ。
日本では、低レベル放射性廃棄物がドラム缶に詰め込まれて、原発敷地の中や六ケ所に膨大に積み上げられている。かって遠くミクロネシアの海に捨てようという話しが出て、ミクロネシアの人々の怒りを買い、当時の首相の中曽根が予定していた訪問をやめざるをえなかって沙汰やみになったこともある。
アメリカでは、高レベル廃棄物を地底深い岩塩層に溜め込もうという研究が進められたが、「地球科学者は、どの場所が過去において地質学的に比較的安定であったかを指摘することはできるが、将来にわたって安定であると補償することはできない」(アメリカ地質調査所「サーキュラー779」1978年)という指摘によって頓挫した。
日本政府も地底に埋めることを追及していたが、アメリカ以上に地震立国である日本では不可能であることは火を見るよりも明らかだろう。
高レベル放射性廃棄物は、長い寿命を持った放射性物質が含まれるので、その崩壊熱を少しずつ冷やしながら、数十万年から100万年以上にわたって生物環境から隔離しておかなければならないといわれる。そんなものを、日本でもアメリカでも方策のないことをモンゴルという貧しい国に押し付けるという、こんな帝国主義的発想をどうして許せるだろうか。
菅政権よ。そして自民党よ。あるいは電力会社経営者たちよ。「安全だ」といって原発を今も押し付けているのはお前たちではないか。本当に「安全だ」というのなら、自分たちが所有する膨大な土地に、あるいは、巨大な空き地がある東京のど真ん中、「皇居」に地底深く穴を掘って埋めてみるがいい。これ自体が、東海大地震、関東大地震が控えている現在、恐ろしい話しであり、許せないのは承知だが、そう言いたくさえなる。
「安全だ」と今も言い続けながら、他方で、その尻拭いをモンゴルに押し付けようというこの連中の発想を許していて、私たちの日々そのものが肯定できるのだろうか。
みなさん。考えてみてください。
(注)今や普通の大きさとなった100万キロワット級原子力発電所1基で、1年間に生み出される放射性廃棄物(死の灰)は、広島に落とされた原子力爆弾が生んだ死の灰の1000倍にあたると言われている。原発がフル稼働すれば、日本では広島に落とされた原爆の5万4千発分の死の灰を毎年生み出し、その処分ができなくて困っているのだ。
羽田空港の国際化によって成田空港の位置の低下がよく言われます。しかし、そうなのでしょうか。
国交省は、世界的な航空需要の増大という趨勢の中で羽田と成田が狭隘化してくるのを受けて、関西国際空港、中部国際空港をそれぞれ建設し、2007年には関西空港でさらに2本目の滑走路を供用開始しました。
関西空港と中部国際空港の国際線のこの5月の就航状況が右の表にあります(各社のホームページより)。若干東日本大震災による減便などの影響がある数字かもしれませんが、基本的傾向は変わらないと思われます。関西、中部などが自動車産業や電器産業の拠点であるだけに、中国に多くの便があることはあろうかと思います。しかし、それぞれの右下に書いていますが、アジア全体とハワイ、グアムなどが関空で82%、中部で90%になり、アメリカ、ヨーロッパ線があわせて共に9%にもなりません。明らかに「観光需要」に特化してかろうじて維持されていることが現れています。特に世界の金融の中心であるニューヨークには関空がチャイナエアラインが週3便飛ばしているだけで中部にはなく、ロンドン便は両空港ともありません。そして、驚いたことに日本のJAL、ANAともに、欧米便(ハワイ、グアムなどを除く)には1便も飛ばしていないのです。
つまり、ここには日本はもとより欧米の航空会社が、関空、中部を評価していないということが如実に表れています。航空会社にすれば、観光需要が急激に伸びている現状の中で、経営を維持するにはファーストクラスとビジネスクラスの確保が大前提となっています。関空、中部にはそうした需要がないから、日本と欧米の航空会社が敬遠しているということがこの現状の原因と考えられます。勢い関空、中部の空港経営自体が赤字に転落することもまた当然の結果です。
ここに羽田、成田の狭隘という問題をなんとか関空、中部の建設で解消したいとしてきた「作ればなんとかなる」という国交省の思惑は完全に破産しているのです。それは1周遅れと言われながらの「オープンスカイ」への舵きりでも何ともならないのです。
そこに羽田の国際化、成田の拡張による羽田・成田の一体運用という追い詰められた姿があるのです。世界の空港で発着回数の上位20空港を見ると(2008年のデーター)、アメリカの14空港が年間98万回から43万回にひしめいています。その間に、ドゴール(フランス)56万回、フランクフルト(ドイツ)49万回、ヒースロー(イギリス)48万回、バラハス(スペイン)47万回、スキポール(オランダ)45万回、ミュンヘン(ドイツ)43万回とヨーロッパの6空港があります。ヒースローは、3千メートル代の滑走路が2本の面積も成田と変わらない空港です。
単純に言って、今日、羽田・成田で合わせて30万回を達成できるかどうかでは、羽田が国際化したことなどこの全体の中でほとんど意味もないことは明らかでしょう。ますます経済大国日本で東京圏への1極集中が激化している現状の中で、世界の航空会社が、関空や中部を問題とせず、羽田、成田に集中し、そのうえで、左の図(幻冬社新書「血税空港」2009年、森功著より転載)にあるように、オープンスカイの環境の中で、成田空港を経由せずどんどんアジアへの直行便をアメリカの航空会社が飛ばしているのが現状です(成田パッシング)。
徹底した保護主義と、経済大国の驕りの中で胡坐をかいてきた日本帝国主義、政府が慌てだしたのは至極当然です。これ以上の羽田の拡張や、第3空港などの展望のない今、国の政策として成田空港の整備・拡張に死活をかけようとするのは理の当然でしょう。
この数年の市東さんの農地をめぐる攻防はそういう中での闘いだったのです。そして目前の5・20天神峰現闘本部控訴審判決闘争とは、そうした国家権力の追い詰められているが故の「突破口」をこじ開けようとする攻撃であり、文字通りの新たな決戦情勢の入り口と言えるものとなっているのです。
今、東日本大震災の中で、「国策」(原子力問題であり、農業問題など)が震災と自らの住民支配の破たんとして音を立てて崩れています。嘉手納爆音訴訟が2万2千人もの原告(住民)を擁して4月28日に提訴されましたが、昨年一年間の普天間、名護の闘いを通して築かれてきた「基地撤去」の闘いが「日米合意」の「国策」を破綻させようとしていますし、ヤマトの闘いもそれに向けて踏ん張る状況が生まれています。そして日本の航空政策をめぐる破たんを強制してきた大きな柱が45年にわたる三里塚闘争にあることは明らかです。
5・20天神峰現闘本部控訴審判決闘争とは、こうした局面の中で、一つの節目をこじ開ける闘いと言っても過言ではないと思います。みなさん。結集しましょう。
関実の実行委ニュース第134号が発行されました。賛同会員のみなさんの所へは、今日か明日届くと思います。
今号は、5・20現闘本部裁判控訴審判決闘争への呼びかけと、3・9三里塚関西集会(「三里塚・沖縄を結ぶ集い」)の報告、特に市東孝雄さんと知花盛康さんのお話しの全文、そして3・27三里塚全国闘争の報告を柱に、永井満関実代表世話人の巻頭言、被災地農家を支援するカンパのお願い(三里塚産直の会)、三里塚関係裁判日程などが内容です。
紙面の都合で、3・27全国闘争については、いろいろな報告がすでに行われておりますので、「農民アピール」を掲載させていただいただけで、事務局からの簡単な報告になっております。
一昨日は、伝わってきているだけで東京(渋谷)の1万5千人をはじめ、大阪、神戸、滋賀で「原発を直ちに止めろ」と各地でデモが行われています。東京では、反動としての警察による不当な妨害と逮捕が強行されたようです。断じて許せません。レイバーネットの画像を見ていて、あまりのデタラメな妨害と不当逮捕に、唖然としたのは私だけではないでしょう。
この反原発(脱原発)の取り組みと、5・28「日米合意」1年を期した沖縄の基地撤去の取り組みが、この5月は目白押しにあります。そして、三里塚の5・20天神峰現闘本部を守るための重大な決戦として東京高裁闘争があります。本部への「仮執行宣言」付き判決を許してはなりません。直後には5月24日、市東さんの農地をめぐる農地法裁判と行政訴訟があります。
メーデー、憲法集会、そして被災地支援、反原発の行動と、いろいろとすでにこの10日近く、取り組んでおられるみなさんが多いとは思いますが、この5月いっぱい、全力でやりぬきましょう。
5・20現闘本部控訴審判決闘争
11:30 日比谷公園霞門集合
12:00 デモ
13;00 傍聴券交付所集合
14:00 開廷(判決)
4月19日、文科省が示した子ども「20ミリシーベルト基準」を即時撤回させるために以下の署名の要請が入りましたので、転載いたします。
記
「20ミリシーベルト基準」撤回に向けては、1,074団体、53,193人の署名をいただき、大変ありがとうございました。みなさまの声を後ろ盾にした政府交渉では、政府の様々な矛盾が浮き彫りになってきています。私たちは、撤回に向け、さらに要請行動を強めていくべく、下記のように署名活動第2弾を開始いたしました。今回は、子どもたちの被曝最小化にむけた要請も入れ、県内の取り組みも応援したいと思っています。
私たちは、福島の子どもたちを放射能から守るために、日本政府に対し以下を要請します。
1.4月19日に文科省が示した学校等の校舎・校庭等の「20ミリシーベルト基準」の即時撤回および現行の1ミリシーベルト基準の維持(注1)
2.子どもの被曝量を最小化するためのあらゆる措置を政府の責任で実施すること。また、自治体や市民団体、個々の市民自らが被曝量を低減させるために実施する、除染・自主避難・疎開などの自主的な取り組みが円滑に進むよう、最大限の支援を行うこと
3.内部被曝を考慮に入れること
4.屋外で3.8マイクロシーベルト/時以下になったとしても、モニタリングを継続すること(注2)
【呼びかけ団体】グリーン・アクション、グリーンピース・ジャパン、原子力資料情報室、福島老朽原発を考える会(フクロウの会)、美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会(美浜の会)、国際環境NGO FoE Japan
【署名】署名はこちらのサイトから http://blog.canpan.info/foejapan/archive/19
【背景】4月19日、文部科学省は、学校等の校舎・校庭等の利用判断における放射線量の目安として、年20ミリシーベルトという基準を、福島県教育委員会や関係機関に通知しました。この年20ミリシーベルトは、屋外で3.8マイクロシーベルト/時に相当すると政府は示しています。これは以下の点で、極めて憂慮すべき基準です。
①3.8マイクロシーベルト/時は、労働基準法で18歳未満の作業を禁止している「放射線管理区域」(0.6マイクロシーベルト/時以上)の約6倍に相当する線量である。②20ミリシーベルト/年はドイツの原発労働者に適用される最大線量に相当する。③原発労働などによって白血病を発症した場合の労災認定基準は、5ミリシーベルトx従事年数である(注3)。実際に白血病の労災認定を受けているケースで、20ミリシーベルト/年を下回るケースもある。④本基準は、子どもの感受性の強さや内部被ばくを考慮に入れていない。⑤本基準により、子どもの被ばく量を低減するための取り組みをやめてしまった学校も多い。⑥3.8マイクロシーベルト/時を下回った小中学校・幼稚園・保育園・公園におけるモニタリングが行われなくなった。
【高まる撤回を求める声】「20ミリシーベルト基準」撤回を求める要請第1弾では、61ヵ国から1,074団体および53,193人の電子署名が集まり、5月2日に日本政府に提出されました。日本国内外の怒りの声が結集した結果を生みました。また、海外の専門家からも多くの憂慮の声が上げられています。
【政府交渉で明らかになったこと】「20ミリシーベルト基準」撤回に向けて、5月2日に行われた政府交渉では、政府側からは下記の発言が飛び出しました。すでに「20ミリ」の根拠は完全に崩れています。
①原子力安全委員会は、「20ミリシーベルト」は基準として認めていないと発言。また、安全委員会の委員全員および決定過程にかかわった専門家の中で、この20ミリシーベルトを安全とした専門家はいなかったと述べた。 ②原子力安全委員会が4月19日に示した「助言」(20ミリシーベルトは「差支えない」)は、助言要請から2時間で決定されたが、決定過程においては、正式な委員会も開催されず、議事録も作成されなかった。 ③原子力安全委員会は子どもの感受性の高さに鑑み、大人と区別する必要があると発言したが、それに対し、文科省は区別する必要はないと発言した(注4)。 ④厚生労働省は、放射線管理区域で子どもを遊ばせてはならないと発言したものの、放射線管理区域と同じレベルの環境で子どもを遊ばせることの是非については回答しなかった。 ⑤原子力安全委員会は内部被ばくを重視するべきだと回答しているが、文科省はシュミレーションで内部被ばくは無視できると結論した(注5)。しかし、このシュミレーションの根拠は、示されていない。
以上のこから、私たちは、あらためて、「20ミリシーベルト基準」の撤回とともに、子どもの被ばく量を最小化するためのあらゆる措置を行うことを要請します。 以上。
(注1)現状、超えている場所については、あらゆる手段を使って低減に努めるべきである。 (注2)福島市防災情報サービス「屋外活動制限対象小学校等の環境放射線測定結果」および平成23年5月1日付「福島県環境放射線再モニタリング調査結果について」によれば、2度連続して基準を下回った学校等では計測が中止されている。これは「3.8マイクロシーベルトを下回ればよいということではなく、モニタリングにより状況を把握していく」とした5月2日の文部科学省・原子力安全委員会の答弁と完全に矛盾する。 (注3)労働省労働基準局(基発810号)「電離放射線に係る疾病の業務上外の認定基準について。被ばく量の「相当量」について、解説の第2の5番で、白血病の場合は0.5レム(=5ミリシーベルト)x従事した年数としている。 (注4)文科省は、この理由としてICRPでも区別していないとしたが、実際は、ICRPのPub.36「科学の授業における電離放射線に対する防護」(1983年)では、18才以下の生徒が実験などで被曝する可能性がある場合を想定して、一般人の被ばく限度の10分の1にすることなどを勧告している。 (注5)両者とも食物による被ばくは考量していない。
なお、本要請への署名は「20ミリシーベルト基準」が撤回されるまで当面継続し、文部科学省、厚生労働省、原子力安全委員会、原子力災害対策本部、その他対政府交渉などの機会に提出させていただきます。
先ほど三里塚から今週の産直野菜が届きました。宅急便さんから受け取って「おっ」と思いました。ほんとに久しぶりに大きい箱で届きました。
中身はご覧のとおり春の野菜たちが並んでいます。
玉レタス、大根、サニーレタス、ラディッシュ、小松菜、チンゲンサイ、間引き人参の7品です。
「野菜だより」にサニーレタスが「とても大きくなって、食べごたえがあります」とありますがほんとにそうですね。私の方では、野菜たちが着くなり葉物は1時間ほど水に浸けてやるのですが、そうすると1週間たってもめっちゃ元気です。今朝も、残っていた大きなお皿一杯のサニーレタスを正に「バリバリ」といただきました。実は、昨年は暑さも加わり、水に浸けなかったのですぐに萎れて大失敗。それに先週の竹の子は美味しかったです。
予想されたことですが、東日本大震災の現地での放射能汚染は非常に厳しい状態が続いています。写真家の森住卓さんが飯館の酪農家の皆さんのところに留まって状況を伝えておられますが(http://mphoto.sblo.jp/)、その厳しさが伝わってきます。北風の多い季節でしたのでその広がりが北に偏っていますが、南風が吹けば、南のいわき市や茨城県、千葉県にも天候次第で放射能が広がってくることが予想されます。すでに2ヶ月が経過し、なお放射能が放出されている私たちの国は、世界で初めての経験をしていることになるのでしょうか。
すでに関西の産直の会のみなさんからも、不安の声が届いております。まだ三里塚現地は大丈夫のようで、野菜が届きうれしさを味わってはいますが、わかりません。現在、萩原さんたち「産直の会」の考えと想いをお聞きしております。そうしたことがこちらに届きしだい、それをもとに関西産直の会として意見交換が早急にできればと考えております。
被災者であり、被害者である東北、関東の農業者や漁業者のみなさんの想いを受けとめ、共に歩んでいければと考えております。萩原さんたちは、「野菜だより」や反対同盟ブログにも報告されておりますように、成田市との闘い、そして福島の農民の皆さんへの支援を闘いながら、自らの営農と現地三里塚闘争を家族の団結をもとに、歯を食いしばり全力でこの局面を放射能との闘いをもあわせて闘いぬいておられます。私たちに出来る支援を、応援をしようではありませんか。
「浜岡原発の停止」が昨日菅政権から出されましたが、それ自体は良しとしつつも、幼い子供たちに年間20ミリシーベルトを平然と押し付けているインチキな政権だということを断じて許さず、私たち自身で三里塚や被災者の皆さんとともに生きていく生き方、歩み方を求めていきたいと考えております。
今朝の朝日新聞が、自民党が「原発を守るためにつくった」と公言して「エネルギー政策合同会議」を発足させたと報じています(左記事)。
委員長には甘利元経産相、中曾根元首相を押し立てて原発推進を進めてきた議員たちや加納東電顧問(元東電副社長)などが居並んでいる。
アメリカの水爆実験によってマグロ漁船の第5福竜丸が被曝し、深刻な犠牲を生んだ。これを契機に日本中、そして世界にも波及する「原水爆禁止」の大きな声と運動が広がった。これに危機感を持ったアメリカ政府を後ろ盾に、中曾根や正力などを先頭に、「毒をもって毒を制する」と原子力の平和利用の一大キャンペーンを自民党は繰り広げた。これは当時の米ソ冷戦の中でのアメリカの核戦略を支えるとともに、原子力発電を国策とするだけでなく、「六ヶ所、もんじゅ」に見られる日本自体の核武装化への道をこじ開けたと言っても過言ではない。
そして「原発推進」を「国策」として僻地の農漁村、とりわけ今日「限界集落」といわれるような地域に54もの原子力発電所を、「絶対に安全」とカネをばらまき押しつけてきた。多くの地域で、反対の声はねじり伏せられ、地域の人間関係をも破壊して進められた。
今、福島第1原子力発電所の事故を前に、自民党は一言の謝罪をもすることなく、朝日新聞さえも「収束のメドが立たない中」と書かざるを得ない状況で、自民党が「原発を守る」「推進する」としてこの「エネルギー政策合同会議」を発足させたことに満腔の怒りを込め弾劾する。
すでに「原発震災」の指摘をされて今日の事態を予言されていた石橋克彦さん(神戸大学名誉教授)は、阪神淡路大震災が起こる5か月前に「大地動乱の時代」(岩波新書)を著し、警告を発しておられた。その中に以下の一節がある。
― (1923年関東大)震災後、これを天罰だとする「天譴(てんけん)論」が広く唱えられた。大戦景気で贅沢三昧の成金、暴利をむさぼる悪徳商人、政争に明け暮れる政治家などに鉄槌がくだったというものもいたが、相次ぐ戦勝で日本人全体が傲慢になっていたからだとするものや、大正デモクラシーの中で花開いた芸術や思潮も槍玉にあげて、人々が奢侈隠逸に堕したためだと説く者もいた。(2か月後の)11月には、贅沢や危険思想をいましめ質実剛健の気風を発揮せよという「国民精神作興ニ関スル詔書」が発せられ、精神主義が強調された。(同書 79ページ)―
この翌年、治安維持法が制定され、世の中は一気に全体主義、戦争へと雪崩をうっていったことは言うまでもない。
石原慎太郎が3月に「天罰」発言をしたのもこの1923年と同じ趣旨だったのだろう。批判の声に石原には珍しくてこの言葉を撤回をしたが、「堂々」と都知事に再選された。本質的には石原は何も撤回をしていないことは衆知の事実であろう。そしてこの自民党の動きである。
私たちは、今、あらためて全ての原発を停止させ、原発に頼らない世の中を作るということは、こうした蠢きを断じて許さない世の中を、こうした蠢きをはね返して作ることであるということを石橋克彦さんの指摘に学ばなければならないのではないでしょうか。この自民党による蠢きと、民主党による日米合意の流れをはね返すには、私たちにほんとうにそれをはね返す大きなうねりを生み出すことが必要です。
石原の「天罰」発言と前後して、民主党が米軍に対する「おもいやり予算の特別協定」の改悪を、1900億円をこれから5年にわたって拠出するという法案をなんの審議もなく3月30、31日、正に震災のどさくさにまぎれて衆参両院を追加させ成立させていることなど、正にそうした事態ではないでしょうか。
「原発反対」「すべての原発の即時停止」を実現するために、全力で取り組もう。
上の写真は、昨年5月16日の緊急現地闘争で天神峰現地闘争本部前をデモしている関西実行委員会のみなさんです。右手のフェンスに囲まれたものが現地闘争本部です。 この写真の一か月後、不当、不法な団結街道の閉鎖(右写真)によって、この位置にはもうたてません。現地闘争本部は、完全にフェンスに取り囲まれ、フェンスの中では周囲の立木や竹林が伐採され、いつでも解体撤去工事にかかれる準備がされていると言います。
天神峰現地闘争本部は、1966年、三里塚闘争開始とともに、元副委員長石橋政治さんの庭に木造建築で建てられ、農民の皆さんの日々の憩いと交流の場、そして私たち全国からの支援者が先ず訪れる場所でもありました。 2期工事を迎え撃つために1980年代に旧の本部を増築する形で鉄筋コンクリート3階建てに増築されたのです(左写真。旧の本部がそのまま残されたまま増築されている様子がわかります)。
ところが1990年1月16日、国は憲法違反の悪法、成田治安法でこの本部をフェンスで囲い使用禁止、出入り禁止の状態に置き、最初の写真の右下にある看板で、毎年9月に国交相の名で成田治安法によって封鎖を継続していることを宣言しています。この前に東峰の団結砦や南三里塚の闘争会館などを始め、成田治安法をかけられた建物はすべて機動隊の暴力で重機を使って撤去されました。この天神峰現地闘争本部だけが、封鎖という状態であれ現存しています。これは天神峰現地闘争本部が、反対同盟農民にとって重要な憩いと交流、農作業の相談などの生活の場であることを国も承知していたからこそ撤去を強行できなかったのです。
しかし、この現地闘争本部の存在が右写真にあるように暫定滑走路の最大の欠陥である「へ」の字誘導路を市東さんの農地とともに強制していることに追い詰められ、成田治安法でも解体撤去できなかったものを、仲戸川裁判長の反動判決、そして井上高裁裁判長による違法な訴訟指揮と判決によって解体・撤去しようとしているのです。こんなデタラメがどうして許せるでしょうか。
この卑劣な攻撃は、市東さんの南台の農地を完全に孤立させることで、第3誘導路建設と一体となって、市東さんを追い出そうという意図もあります。こんな人権無視、非道が許されるはずもありません。
「国策」の名のもとに進められるこのような暴挙がまかり通るなら、原子力政策、沖縄の基地建設もまたまかり通ることになります。これらは今や完全に一体の闘いになっています。
5・20天神峰現闘本部裁判控訴審の反動判決、本部解体のための仮執行宣言を絶対に許さないために起ちあがろう。
みなさん。天神峰現闘本部裁判控訴審が、井上裁判長による違法極まる訴訟指揮によって5月20日、判決公判を迎えようとしています。(左写真は、2月4日の裁判闘争の前に行われた「打ち合わせ」で提起する北原事務局長)
2月4日の法廷で、証人採用と現場検証を求めた反対同盟に対し、井上裁判長は一切の審理を打ち切り、結審を強行しようとしました。このでたらめな訴訟指揮に抗議して、当然にも反対同盟代理人・長谷川弁護士は大声を上げて裁判長席に迫りながら「裁判官忌避」を申し立てました。ところが、井上裁判長は、聞こえないような小さな声で「閉廷」と言って、脱兎のごとく法廷から逃亡しました。これがこの日起こった事実です。
ところが井上裁判長は、この日の法廷の調書に言いもしなった「結審」「判決期日」を書き込むとともに、自らが「忌避された」事実を抹殺したのです。公文書である調書を裁判官自ら偽造して、5月20日、判決が強行されようとしています。こんな違法な裁判官を許せるでしょうか。
市東さんの農地を取り上げるために第3誘導路の建設に走ろうとする国家権力、政府の意図を受けて、正に国策裁判として判決を強行しようとするこの井上裁判長の姿をどうして許せるでしょうか。国策裁判強行の確信犯である井上裁判長は、第1審であの反動判決を強行した仲戸川裁判長でさえできなかった「仮執行宣言」を判決で強行して、天神峰現闘本部解体に手を染めようとしていることは明らかです。
三里塚現地では、この東日本大震災の渦中にあってもなお、第3誘導路建設に向けた作業が機動隊に守られながら強行されています。震災現地では一人でも多くの手が求められ、資金を必要としています。この時に、市東さんの農地を奪い、空港を拡張するために200億円もの無駄遣いと機動隊、作業員の手がこの悪行に投入されているというこんなことを私たちは断じて許せません。そして、井上裁判長による判決強行、天神峰現闘本部解体に向けた「仮執行宣言」こそは、原子力発電の国策の犯罪を開き直り、なおも国策として成田空港の拡張、完成のために市東さんの農地を強奪しようとする権力犯罪と一体となった悪虐非道であり、到底許せるものではありません。
この攻撃は、この一年間余りの現地攻防によって、窮地に追い込まれた政府、空港会社NAAによる「逆転ホームラン」を目論んだ重大な攻撃であると見なければなりません。事態は急迫しています。
すでに反対同盟と支援連は、この反動判決の動きに対し闘いに起ち上がっています。(反対同盟ブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2011/05/post-241.html#extendedをご覧ください。)同じ日、萩原進さんは福島現地に、カンパと野菜などの物資を携えて激励に訪れておられます。45年にわたる三里塚闘争の神髄をかけて「すべての原発を止めるまで闘う」と決起しておられる反対同盟のみなさんの闘いに応え、三里塚闘争の本丸であり象徴でもある天神峰現闘本部を守り抜こうではありませんか。5・20裁判闘争に決起しよう!
【5・20天神峰現闘本部裁判控訴審判決闘争】
とき・5月20日(金)午前11時半
ところ・東京・日比谷公園霞門(地下鉄丸ノ内線、霞が関下車B1号出口から上がったところ) 12時よりデモ
13時までに東京高裁傍聴券交付所集合 (法廷は、14時開廷)
昨日の当ブログで一言触れましたが、反対同盟のみなさんが営農と産直運動をする立場から現下の放射能問題について成田市に対して追及をしておられることが、昨日届いた「野菜だより」に報じられています。そのまま掲載させていただきます。
放射能問題経過報告
4月20日、成田市農政課を訪問、「市独自の調査を行い、風評被害の懸念に対処すべき」と追及
皆さんにお伝えした通り、3月22日に成田市独自の放射能測定を申し入れてから、すでに1ヶ月がたちましたが、その後どうなったのか問い合わせても、回答がありませんでした。
そのため、4月20日、萩原進、富夫、市東孝雄と産直スタッフ2名で、成田市農政課を訪問しました。成田市は「県の調査に任せてある」と、責任逃れに終始。私たちは、「現実から逃げていては何の解決にもならない。農家の必死の思いを受け止めて、きちんと調査すべき」と、1時間半にわたって成田市を追及しました。(産直)会員の皆さんからの問い合わせや、心配する声に応えるには、正確なデーターが必須です。成田市の事なかれ主義が、風評被害を拡大させていることに、怒りを禁じえません。
千葉県の出荷制限は22日で全て解除、今後も検査を注目
現状で、私たちが参考にできるのは、千葉県のホームページに載っている県産農産物の放射性物質検査結果です。最新情報は4月21日のものです。多古町や旭市で規制値(ヨウ素で2000ベクレル)を超えた3月下旬から、数字は徐々に下がって、21日は『2桁~検出されず』の範囲まで低下しています。これを受けて、4月22日、千葉県産農産物の出荷制限は全て解除されました。しかし原発がまだ収束していないため、引き続き検査結果に注目する一方、成田市の検査を行うよう、追及していきます。(県の検査で、これまで11市町村が検査の対象となったが、成田は行われていない)
今、私達に出来る事は有機農業を続ける事、原発はいらないと声を上げること
「農家の努力で何とかなる事ならすぐにも行動する。じっと耐えて待つだけしか出来ないのは本当につらい、とにかく原発を早く止めてほしい」―テレビで報道された農民の声です。これは、原発被害者全員の切なる叫びです。
私たちは、安全・安心にこだわって有機農業を続けてきたことが、放射能汚染で無に帰することはないと信じているからこそ、これまでどおりの農業を続けています。
私たちは、座して待つだけでなく、全原発を止めるまで、声を上げ続けなければならないと思います。それが、子供たちの未来に責任を取る唯一の選択肢だと思うからです。 ―― 以上です。
私たちは、三里塚はもとより、千葉、茨城、福島、岩手、あるいはすでにもっと広がっているかと思うのですが、すべての農民の皆さん、そして漁師のみなさんが、生まれ育った土地と海で、農と漁が続けられることを心から祈っています。またそうでなければなりません。
私は、私見ですが、この福島の地に原発を持ってきた政府、東電、そして福島県に農民や漁民のみなさんに「出荷停止」を「指示する」資格などないと考えます。
使用済み燃料(死の灰)が膨大に溜め込まれ、今後数十年、数万年にわたって放射能を出し続ける問題を何一つ明らかにしようとせず、また内部被ばくの恐ろしい問題を明らかにしないまま、子供たちに20ミリシーベルトまで大丈夫だから留まって勉強しろなどと指示を出し続けて平然としている政府、東電の許しがたい現実を見るにつけ、激しい、持っていき場のない怒りとともに、多くの農民や漁民、そして被災者のすべての皆さんの想いやいかばかりかと思わざるを得ません。
40年にわたってこの危険極まりない原子力発電の存在を許してきたことへの自らのあり方を含めた痛苦な想い、自らへの怒りを含めた想いをこめて、反対同盟の皆さんが厳しい営農と闘いの中から決意を込め語りかけられているように、今こそ全ての原発を止めるまで闘いぬく声と力を結集しようではありませんか。子供たちの未来のために。
「国策」としての原子力政策を打ち壊そう! 「国策」としての米軍基地を撤去しよう! 「国策」としての市東さんの農地取り上げ、成田空港の拡張を阻止しよう!
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