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2011年3月31日 (木)

東京新聞の「福島原発事故」の記事

11329  一昨日の朝、東京駅から千葉に向かいました。こういう時はいつも東京駅で東京新聞を買います。

 いきなり1面の左側に、右の記事があるのが飛び込んできたのです(「11.3.29東京新聞PDF①.pdf」をダウンロード) 。避難している福島第1原発の作業員に「日当40万円を出すから来ないか」というのです。彼には「長男はまだ3つと幼く、妻には新しい命が宿った。ためらいなく断った」という。

 福島原子力発電所の事故の状況や、被災地の救援の状況が、他の新聞同様に紙面を埋めていました。読み進んでいるうちに文化欄に2つの記事がページを渡って書かれていました。「内部被ばく 軽視する日本」(左下写真「11.3.29東京新聞PDF②.pdf」をダウンロード )と、「ヒバク国なのになぜ 『反核』の動きを使う側抑える?」(「11.3.29東京新聞PDF③.pdf」をダウンロード )。

 実は、この2週間、私が見聞きする限りとはいえ、テレビなど大手マスコミがなぜ内部被ばくの問題を伝えず、「レントゲン検診と比べても安全」と政府や東電の言うままに報じるのかといらだっていただけに、正直驚きました(今週の「週刊現代4月9日号」が「体内被曝は始まっている」との特集記事)。

 しかし、東京新聞のこの2つの記事に「内部被ばく」が非常にわかりやすく書かれていました。広島、長崎の原爆症認定訴訟に証人としてかかわってこられた沢田昭二名古屋大学名誉教授などに取材するかたちで。

 11329_2 「放射性物質はスギ花粉よりも小さく、ちりに付着して漂う。その汚染された空気を吸い、飲食物を取ると体内に入り、内部被ばくする」「しかも、体内の測定は事実上不可能だ。後年、がんや白血病などを発症しても、実際にそれが放射線物質による内部被ばくかどうかを見極めることも難しいという」。

 「核実験や核兵器開発を続けるとなれば、内部被ばくの被害は無視できなくなる。遠距離まで広い範囲で影響を与えることが明らかになれば、非人道的な兵器禁止の声も強まるからだ。核兵器を使う立場の人が被害を低く見て、日本もこれを受け入れてきたのでは」と沢田氏は強調したというのだ。

 「沢田氏がさらに懸念するのは、こうした人体に影響するとされる数値で、政府が『しきい値』を用いる点」と言われます。先のレントゲンの話しもそうですが、「琉球大の矢ケ崎克馬名誉教授も『人工の放射線はすべて人体に有害。 放射線量が少なくても必ず影響は出る。限度の基準というのは被ばくしても安全な数値ではなく、どこまで受任するのかという数値』と説明する。『この程度の汚染ならホウレンソウを1年食べても大丈夫』といった表現についても『内部ひばくを知らず、あまりにも乱暴』」と書かれています。

 Photo_2 この「しきい値はない」という主張から、原爆症認定の範囲が最近拡大されるとともに、そもそも広島、長崎の現場被害を見直さななければならないということが主張され始めているのです。右図は高木仁三郎さんの著作から引用しましたが、放射能の人体への影響が、「急性障害」と「晩発性障害」に分けて論じられています。こうした考えもこのことに基づいています。

 同じ日の朝日新聞朝刊に東京新聞「日当40万円・・・」と同じニュースソースではないのかと思われる記事がありました。しかしそこには、「断った」話しの紹介はなく、見出しも「それでも原発しか仕事がない」とされています。今、原発で多くの東電の下請け企業の労働者と消防や警察、自衛隊などの人々が被ばくしながら、非常に危険な状況の中で必死で苦闘していただいていることに、本当に心が痛みます。しかし、朝日が「ここは原発以外に働くことがないから」と記事をまとめるのに言いようのない違和感を覚えます。

 この日、たまたま千葉から帰ってきてから知人のお孫さんのことを聞きました。ある関西の市の消防士を務めておられるのですが、福島市の被災地支援に派遣され帰ってきてあまりのショックにダメージを受けておられる様子をお聞きしたばかりだったのですが、今度は福島第1原発の支援に派遣されることになったというのです。そのお孫さんにも面識があるだけに、思わず「任務を断ってくれないかな」と願うとともに、無事を祈らざるをえませんでした。

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2011年3月30日 (水)

第3誘導路許可処分取消訴訟 第1回口頭弁論開かれる

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 3・27全国集会の余韻も冷めやらぬ昨日29日、国交大臣による第3誘導路建設の許可処分の無効と、空港会社による工事の中止を求める「第3誘導路許可処分取り消し訴訟」の第1回口頭弁論が千葉地裁で開かれました。裁判長は、市東さんの農地法・行政訴訟を取り仕切っているのと同じ人物で、「聞いている顔」をしながら、訴訟の期日指定を2回ずつ指定しようと「拙速裁判」の意図を隠そうともしない男で、気を付けないと・・・。

 原告は北原事務局長、市東さんほか反対同盟16人。被告は国と成田空港会社です。被告側代理人は10人以上、仰々しく並んでいました。

 11329_2 法廷では冒頭、北原事務局長から原告団を代表しての意見陳述です。北原さんは、第1に、第2誘導路建設の時にも安全性などの指摘をしたにもかかわらず強行し、結局、今頃になって「安全性に問題があり」などと言って200億円もかけて第3誘導路の建設を進めようとすることなどを指摘し、第3誘導路は全く必要ないものだ。第2に、殺人的大騒音による生活破壊、市東さんの同意が必要であるにもかかわらず強行された団結街道封鎖の暴挙による市東さんへの営農破壊など、この建設が市東さん追い出しを狙ったものだ。第3に、3・11原発事故を引き合いに出されながら、羽田国際化による需要低迷、地盤沈下は必然であり、成田空港にとって第3誘導路建設に合理性はないと。そして最後に、空港廃港の勝利の日まで闘いぬくと宣言した上で、裁判長はまず現場検証をするべきだと要求されて陳述を終えられた。

 11329_3 葉山弁護士を先頭に、遠藤、一瀬、大口、長谷川、浅野の各弁護士から成田空港の歴史的経過や暫定滑走路がICAO条約と国内の航空法に違反していることをはじめとした請求の骨子が述べられました。請求の趣旨は、①国交大臣による2006年許可処分(暫定滑走路北延伸と東側誘導路)の無効確認、②国交大臣による2010年許可処分(西側誘導路=第3誘導路、横堀地区誘導路、「へ」の字誘導路改良工事)の無効確認、③成田空港会社は暫定滑走路、東側誘導路を使用してはならない、④西側誘導路(第3誘導路)、横堀地区誘導路の工事をしてはならない、⑤「へ」の字誘導路改良工事をしてはならない、の以上です。

 被告が提出した準備書面で、「反対同盟に当事者能力がない」とか、暫定滑走路で起こったオーバーラン事故や接触事故などがそれぞれ事故、事案、事例と使い分けられあたかも「事故でない」かの装いをすることは原発事故に見られる「安全性」に対する国の姿勢に底通するものだなどと、口頭での求釈明が求められましたが、相も変わらず「文書で」と逃げる国側、空港会社側代理人に対する「口頭弁論だろうが!答えろ!」と怒りのヤジが傍聴席から飛び交います。

 最後に、予想した通り、第2回口頭弁論は6月17日(金)、第3回口頭弁論は9月6日(火)と2つの期日が指定されました(時間は、いずれも10時30分開廷)。

 法廷後、場所を移して「記者会見&報告会」が開かれました。冒頭、あいさつに立たれた北原事務局長は、「いつも裁判に勝って判決に負ける。三里塚闘争は勝利しなければ終わらない」、「原発はやめさせましょうよ。核は絶対にダメだ」、そして福島の住民が自分の住んでいたところに入れない現実への怒りなどを語られたました。「こういう状況ですので、4月3日の恒例の花見交流会は中止します」と発表されるとともに、弁護士の皆さんへの謝辞を述べられました。

 続いて弁護団から、「この種の裁判は非常に難しい」。「67年4月に提訴した当初の工事実施計画取消訴訟」などいずれも長期にわたったことに触れながら、「長期になろうが勝利に向けて全力で闘いぬきたい」とこもごも決意が語られました。

 11329_4 最後に、萩原事務局次長から、「一昨日、いろいろある中で重要な確認がなされた集会だった」とされた上で、4月もまだいろいろ裁判があるが、「5月20日の判決公判に大動員、大結集をお願いしたい」。「空港は1060ヘクタールとして計画された」が、北延伸、第2、第3誘導路、駐機場の拡張などで「1割以上の拡張が行われたんじゃないのか」と弾劾。「こんなことが許されるか」「第2と第3の誘導路で約500億円だろ」「今の状況でさえ、外国から乗り入れるのかどうかが協議されている。その状況の中で第3誘導路などいろいろの施設がせっせ、せっせと考えられ、東京からの時間を短縮するにはなどと・・」「東京の電波塔が600メートルだとか、頭がどうなってるのかかち割って見てみたい」「2番目ではどうかだとか言ってるけれども、我々は5番目だっていいでしょうが。政治は5流、経済は最低でしょ。これで1番になろうなんて時代じゃない」「空港をやろうたって、福島がどうなるかわかんない。だったら、重機やカネをつぎ込んで救済するべきじゃないか」「空港の第1は観光だろう。誰がこんなとこに観光に来るか」「第3誘導路は逆流するようなものだ」「40年やってきて、反戦・反核の闘いが正しかったことを今証明したんだ」「根を張って闘っていきたい」と怒りを語られて報告会を終えました。

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2011年3月28日 (月)

3・27三里塚全国総決起集会に840名

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 昨日、3月27日、冷え込みが厳しいものの晴れ渡った空のもと市東さんの天神峰の畑に全国から840名の皆さんが結集して、全国総決起集会とデモが行われました。

 「東北・関東大震災の犠牲者を悼み、被災地支援の決意を込めて」とプログラムで呼びかけ、正面の舞台には「人民の力で被災者支援!」「全国の原発の即時停止!」と大書されています。冒頭、震災犠牲者への黙祷で集会がはじまりました。そして現地で闘っている東北大学の学生と自治体労働者から現地の生々しい様子と、被災者支援、原発の即時停止、菅政権への怒りが語られました。11327_3 福島の農民の皆さんからいくつものメッセージが「報告」として寄せられ代読されました(そのうちの一つ「11.3.27被災地福島からの報告.pdf」をダウンロード)。

 反対同盟を代表して、北原鉱治事務局長から「3・18被災者救援の呼びかけと、原発即時停止の訴え」(「11.3.27反対同盟声明.pdf」をダウンロード )との反対同盟声明が読み上げられました。

 開会宣言は、94歳になられる森田恒一さん。森田さんは、自らの1940年ごろの朝鮮北部での伝道の中での朝鮮人への日本の権力による弾圧になぞらえながら、市東さんへの農地取り上げ、天神峰現闘本部解体に向けた裁判所などの攻撃に対し、「国家犯罪」と弾劾し、この日の集会とデモの成功と闘いへの決起を呼びかけられました。

 11327_4 萩原進事務局次長より基調報告が行われます。萩原さんは「怒りに震えて、言葉が先走るかもしれないけれど」と語り始められました。「今日から怒って怒って怒って、怒りを爆発させた闘いを始めようではありませんか」と。「マグニチュード9.0の地震と津波は天災です。しかしそれに伴った津波の被害と原子力発電所の事故による被害は人災だ」とまず、視点を提起。「誰がこれを起こしたのか徹底的に責任をとってもらおう」と。 「誰が2万人の死者を出したんだ」「誰が停電させたんだ」「誰が野菜や果物を、そして農地を死なせたんだ」「もう怒りを爆発させて闘う以外にない」と。そして「被災地の救援に全力を挙げよう」「支配者は全情報を徹底的に明らかにせよ」「延命のための情報操作を許さない」「被災者の住宅、生活、医療を無条件に保障し、そのために何兆円かかろうとも直ちに差し出せ」と。そして「直ちにすべての原発を中止せよ」と。「役にたたない第3誘導路に投入している200億円を被災者に回し、工事をやっている重機を被災地にまわせ」「新たに建設している機動隊宿舎を被災者に解放しろ」とも。

 以上の第1の提起に続いて、第2に「原発は核武装の道具だ」「核戦争のための原発作りにすぎない」「震災を口実として成田に軍用機が飛来し、軍艦が来るという状況を許すな」「40数年にわたって反戦・反核の砦としての三里塚の闘いを通して、イラク、アフガン、チュニジアなどの中東の闘いに連帯し、今こそ大きく反戦の旗を掲げて日本で闘いを起こそう」と。

 11327_5 第3に「TPP反対を貫こう」と。「このどさくさにTPPをあくまでも推進するというこんなことが許せるか」と。「TPPは、日米中のアジア市場をめぐる争闘戦の面がある」「一つの反戦闘争だ」「日本の農業技術の水準は高い。アジアにふんだんにある土地を使って安い農産物を確保できるという、こんなものは植民地支配そのものではないか」と。

 第4に、「3・11震災を前後して価値観が一変した」「今や民衆は政府や官僚の言うことを信じなくなった」「これじゃあダメなんだ」と。「このことは非常に重要だ」「40数年かかっても空港ができないというのはそこなんだ」「三里塚と結びつけよう」「『国策』でつくる空港よりも、農民が作る農作物のほうが大切なんだというところまで押し返してきた」「国のやることを信じるな、政府のやることを信じるなというところまで押し返してきたんだ」「これを怒りに転化しよう」と。

 そして最後に「成田の野菜は安全なのか。はっきりさせろ」と「成田市や県、国にたたきつけよう」「我々は何も悪いことをしていないのに、何の根拠も出せずに『出荷停止』などと一方的にやってくることが許せるか」「しかも今度は増税だという。許せるか」「東電の社長が福島県知事に謝りに来た時に突っぱねたというが、知事は被害者なのか。原発を受け入れたのは知事じゃないのか」「成田空港でもそうだ」「もう徹底した鉄槌を被災者とともに下そう」と。「新たな気持ちをもって闘いぬこう」と。

 11327_6 こんどは特別報告です。動労千葉の田中康宏委員長に続いて、遠く沖縄から来られた「市東さんの土地を守る会」事務局長の大宮育雄さんと辺野古で座り込みを続ける名護の農民の宮城節子さん(左写真)です。

 まず大宮さんは「沖縄の反戦反基地闘争のただ中で、三里塚闘争と連帯できる内実を作り上げ拡げていきたい。そのために、反対同盟と共催で、この6月に沖縄・三里塚連帯集会を開催する」ことを明らかにされました。

 続いてマイクをとられた宮城さんは「30年前の10数年間に三里塚で学んだものがあったから沖縄で30年、現場でやりぬいてこられた」と三里塚への熱い想いを語られた上で、11327_7 「14年ぶりに私たちのリーダーとして稲嶺市長を誕生させ、議会も過半数以上をとった」「元の名護市にもどった」「もう交付金に頼らない町づくりをする」「今度は高江で、これが公務員かという暴力的な攻撃をしてオスプレイのヘリパッド建設が進められようとしているが、辺野古と同じように闘いぬく」「東北の人たちが回復するまで避難できる立派な施設がキャンプシュアブにある。自分たちのカネで作ったのだから、開放できればと思うが、安保が邪魔をしている。安保さえなかったらこの60年はなかった」「怒りしかない」と訴えられて、「6月の沖縄・三里塚連帯集会を成功させるために帰って頑張りたい」と語られました。

 11327_8 こんどは関西から永井満さん、山本善偉さんが登壇しての特別報告です。

 永井さんは、3月9日、市東孝雄さんと沖縄から知花盛康さんを招いた関西の集会が成功できたことを報告するとともに、その集会で見た映像で「畝に一粒、一粒の種を植えておられる市東さんの姿、土を愛し営々と農業を営んでおられる姿に感動した」と語られた。阪神淡路大震災に数日後に萩原進さんがリュックを担いで激励に来られたことを紹介しつつ、また仙台に娘さんのご家族がおられ、ご自身が幼少期に石巻で過ごしたことから東北・関東大震災への想いを語られた。11327_11 「権力の正体見たり」だとして、「安保を叩きつぶす闘いを三里塚から起こそう」「6月の沖縄での三里塚の集会を成功させよう」と訴えられました。

 山本さんは、「萩原さんの話しから、三里塚の45年を通して、世の中が変わらねばならないし、変わる、そういう転換点に来たことを思う」「原発から戦争へと入っていくことなど許せない」「二度と戦争をやってはならないという反省から三里塚と結びついた」「生かされる限り闘いぬく」「世の中を変えましょう」と決意を述べられました。

 11327_13 鈴木健太郎さんが、東北・関東大震災で、東北の農家に甚大な被害が広がり、4県にわたる出荷停止や風評被害が出ていること、集会に寄せられた福島の農家のメッセージを涙なくして読めないと語られた上で、「TPP(環太平洋経済連携協定)参加阻止!原発事故による農地・農業破壊を弾劾する!――三里塚から全国の農民に訴える!」とする「TPP絶対反対 農民アピール(「11.3.27TPP反対農民アピール.pdf」をダウンロード )が読み上げられました。

 そのあと地元北総の農民が登壇し、今回の大震災、原発事故によって農民は明日の営農をどうやっていくのかさえ目途が立たないと訴えられた上で、TPPに反対する想いを語られました。「生きるか死ぬかとなったら日本の農民は必ず立ち上がる」「『想定外』の闘いに立ち上がろう」「農民が立ち上がるとき勇気を与えてくれるのが三里塚の闘いだ」と。

 11327_14 続いて「市東さんの農地を守る大運動を」として市東孝雄さんと「市東さんの会」が登壇した。市東さんは「牛乳を捨てたり、作物を破棄する。他人ごとではない」と訴えられた上で、「農地は私たちの命だ。有機の土づくりを頑張ってきた。メッセージをいただいた福島の皆さんも同じだ。原発はこの私たちの努力を一瞬にしてつぶした。原発はいりません」「成田市に各地の測定を行えと『産直の会』で要求しているが、何の返事もない」「『国策』としての成田空港と闘ってきたが、原発が目の前の敵となった。すべての原発を停止させる大きな声を上げよう」、「3月29日の第3誘導路の裁判、5月20日の天神峰現闘本部の裁判に集まってください」、「これからも自然体で、農地を守り頑張っていきたい」と訴えられました。

 続いて、「市東さんの農地取り上げに反対する会」の事務局と、「群馬・市東さんの農地を守る会」の青柳さんから想いと決意が語られました。その中で、「反対する会」の人々が東京湾沿いの埋め立て地である浦安市や船橋市、習志野市、千葉市に住み、地震によって厳しい生活の中にありながら闘っておられること、また匝瑳市のコメ農家の小川さんの田んぼが津波で真っ白になる塩害を受け用水路が破壊されて、必死の再建の闘いをしておられることなどが紹介されました。

 11327_15 集会はさらに三里塚裁判闘争報告を弁護団(左写真)が、被災地支援のカンパアピールが婦人行動隊の鈴木加代子さんから行われました(カンパは35万円を上回る金額が寄せられ、全額被災地へ送られる)。そして住民団体として、部落解放同盟全国連合会、婦人民主クラブ、「障害者」戦線、山谷と福日労からそれぞれ決意が語られました。現地支援連として共闘の4団体の決意表明の後、11327_16 反対同盟の野平さんから集会宣言(「11.3.27集会宣言.pdf」をダウンロード)が朗読され、スローガンの採択、そして団結ガンバローを全体でして、さあ、デモへ出発です。

 デモは、現在第3誘導路工事で、小見川県道をまたぐために天神峰トンネルの延長工事が開始された事に抗議して、初めて小見川県道のトンネルを通っていくコースです。反対同盟を先頭にした(左写真)デモは、集会場を出て東峰十字路で右折して初めて小見川県道に入ります。天神峰トンネルを出たところが、両側がフェンスで囲まれ、第3誘導路の工事が続けられています。11327_17 「工事を中止しろ」「重機を被災地に回せ」「工事に従事する労働者は被災地に行け」「警備の機動隊も被災地に行け」「200億円の工事費を被災地に回せ」「第3誘導路反対」とシュプレヒコールに力が入ります。

 最初の交差点で左折して新たに作られた切り回し道路から市東さんのお宅へ。「市東さんの農地を守ろう」「第3誘導路を許すな」とここでも力が入ります。市東さんのお宅の反対側の開拓道路に入ってデモは解散です。2.5キロのデモでした。11327_18

 私たち関西からの人々は、それから東峰十字路に戻って、バスに乗って帰途につきました。私たちは幕張で下してもらって、JRに乗り換え。幕張駅前の酷い液状化の被害にびっくり。阪神淡路大震災を思い出しました。

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今週の産直野菜(3月28日)

11328  先ほど三里塚から産直野菜が届きました。畑から摘み取ってから3日間以上も箱の中で暮らしていたから、大根の間引き菜(写真左下)など、かわいそうなくらい萎れてしまっていました。1時間近く水の中に浸けて、衣装直し。元気を取戻し、記念撮影。

 実は先週のサニーレタスが1日半で萎れてしまっていたのです。もともと熱に弱い作物(昨年の5月、溶けてしまった)。来てすぐに1時間近く水に浸けてやったら、なんと1週間以上経った今朝食べてもしゃきしゃきっと元気で美味しい。三里塚の野菜は強いです。

 ということで、今日届いたのは、ネギ、ニンジン、からし菜漬け、大根間引き菜、サツマイモの5品。「端境期や~」という感じです。それでも、まだ放射能の影響は受けていない(多分)。風向き次第ですが、三里塚の大地の無事を祈るばかりです。

 11327 しかし原子力発電所が、今回の事故で明らかになったように脆弱なものでしかないことがわかりながら、指摘されていながら、「安全だ」と住民に押し付けてきた日本の電力政策と核開発のおぞましさに、改めて激しい怒りを覚えます。

 これから写真を整理したり、録音を聞き直してから昨日の三里塚全国総決起集会の報告をいたしますが、東北関東大震災の被災者支援と原発政策への怒りの声が、集会全体に溢れていました。そして「国策」の押しつけということでは、この事態と沖縄の基地、そして三里塚が同じ構造であり、三里塚から反撃ののろしを上げていこうと確認された、熱気のこもった集会でした。右写真は、小見川県道の天神峰トンネルを出たところで、両側のフェンスは、市東さんのお宅のすぐ西側で、第3誘導路をこの上を通すための工事を現在進めている場所です。

 すでに同盟ブログ(http://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2011/03/post-233.html)が訴えていますが、明日は、この第3誘導路許可処分の取り消しを求めて反対同盟が起こした裁判の第1回口頭弁論です。昨日の集会の報告を立ち上げてから、私も、再度千葉に向かいます。みなさん。特に関東のみなさん。大事な裁判です。是非、傍聴闘争に立ち上がってください。

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2011年3月24日 (木)

3・27三里塚全国総決起集会へ

Photo  みなさん。3月27日、三里塚での全国総決起集会まであと3日。全力で取り組んでくださることを、あらためて訴えます。

 先日の当ブログでも明らかにしたように、三里塚反対同盟は、この闘いの軸に東北関東大震災の「被災者救援」を掲げて闘われます。そしてこの闘いが第3誘導路建設を水路にした市東孝雄さんへの農地強奪、叩き出し攻撃への反撃として闘われることは言うまでもありません。

 市東さんのお宅の東側の畑(写真右手)の際を第1誘導路が通っています。一昨年、NAA(成田空港会社)は、運行時間を朝晩、30分づつ一方的に延長し、A滑走路と同じ、朝6時から夜11時までの運用としました。暫定滑走路を供用開始する時、「周辺住民の騒音への配慮」としていた運行時間を何の理由もなくその「配慮」をはずし、凄まじい騒音の中に市東さんや東峰部落住民を落とし込んだのです。さらに、昨年3月末、22万回に離発着回数を増やすとともに、着陸機のほとんどを暫定滑走路に回すことを強行しました。北風が年間の7割近くを占めるといわれるこの所で着陸専用にすることは、多くの日に2、3分おきに100ホーンを超える爆音が市東さん、東峰部落を襲うことになったのです。

 そして便数をさらに増やし、3年後には30万回にするためと、第3誘導路建設のための本格的工事をこの1月に始めました。右上写真にあるように、第3誘導路は市東さんのお宅の西側(左手)100メートルもないところを通るのですから、自走する航空機の騒音と振動はこれまで以上になることは確実です。しかも、お宅の前を通って北約500メートルにある南台の畑に2~3分で行けた団結街道を昨年6月に封鎖し、約3キロを4倍近い時間をかけていかなければならないという妨害までしています。そのために廃道化の当然の手続きである市東さんの同意を求めることなく強行するなど、違法行為を積み重ねてです。これほどの人権侵害、生活と営農の破壊が、「国策」の名のもとに強行されるなどどうして許されるでしょうか。

 1139 この理不尽極まる攻撃が行われる理由は、写真の北端(上)の南台の畑によって誘導路が「へ」の字に曲げられ、滑走路と近づきすぎるために、30万回が不可能となっているからです。NAAは、農地を守るべき農地法を曲解して、農地法で市東さんの農地を取り上げようとしてきましたが、当然にも裁判の中で追い詰められ破綻しはじめています。業を煮やしたNAAと国が、市東さんを叩き出し、三里塚闘争を破壊しようとたくらんだのがこの第3誘導路建設なのです。

 昨日の記事に書きましたが、日本の航空政策は、オープンスカイの世界の流れに完全に遅れてしまい、韓国のインチョン(仁川)空港をはじめとした東アジアのハブ空港化の流れに完全に取り残されました。その結果は、成田空港のアジアでの地盤の低下です。(これを羽田の国際化による地盤の低下とする主張がありますが、違います。) 自民党の安倍政権時代に「アジア・ゲートウェイ構想」としてこの事態を明らかにし、取り組もうとしましたが失敗しました。民主党菅政権は、これをそのまま引き継ぐとともに、羽田の国際化とともに成田をハブ空港化するという「成長戦略」として必死で巻き返そうとしています。実は、空だけでなく海の港湾でも、韓国の釜山などに完全に追い越され、日本の運輸をめぐる「ヒト・モノ」の流れは、アジアで完全に取り残され始めているのです。

 F_2 1966年7月4日に、新東京国際空港が午前中に閣議内定し、その日のうちに閣議決定するという、なんらの民主的手続きや地元への説明もなく強行されたのも、急激に伸び始めていた世界の航空需要に対応した航空政策として羽田空港だけではダメだという(ベトナム戦争のために米軍による占有が一つの原因でもありましたが)局面の中で、民主的装いを投げ捨て、札束と機動隊暴力による成田空港建設が始められたのでした。それから半世紀がたち、オープンスカイに象徴されるように世界の航空をめぐる状況は完全に様変わりしました。関西空港や中部空港を作っても、東京一極集中の経済構造をもつ日本にたいするアジアや世界の評価は、関西空港や中部空港では何の役にも立たないことが明らかになってきています。

 慌てた日本の政府、国交省が、「羽田・成田の一体運用、成田のハブ空港化」を「アジアゲートウェイ構想」「新成長戦略」と打ち出してきたということです。しかし、この市東さんに対する攻撃は、そもそも成田空港建設の1966年以来の「過ち」を繰り返しているだけで、そこには何の展望もありません。まさに「原発は安全」と地域住民を補助金浸けにして原発を押し付け、今回の福島原発の破たんを招いたのと同じ問題です。そもそも巨大なハブ空港のイメージには程遠い北総台地の内陸部に、力づくで作ろうとしたこと自体が間違いなのです。このまま市東さんの農地を奪い、三里塚闘争を破壊して「ハブ空港」を出現させようとすること自体が、地域の自然と生活、環境を破壊することなくありえない、到底許されない攻撃です。

 こうした意味で、第3誘導路をめぐる現下の攻防は、成田空港の存在そのものを問うものとなっているのです。3・27全国集会は、極めて重大な決戦に突入した中での闘いです。

 なお、29日、この第3誘導路建設の差し止めを求めた裁判の第1回口頭弁論が、千葉地裁で午前10時半から開かれます。27日の闘いと一体のものとして、極めて重要です。とりわけ関東の皆さん。ぜひ、裁判傍聴に立ち上がってください。

 最後に、放射能の農作物や牧畜、水、土への影響が、次々と明らかになっています。報道の中で、体外被曝についてはペテン的にしろ報じられていますが、もっとも深刻な体内被曝についての正確な情報は流されていません。本当に心配です。菅政権、東電による、あるいは御用学者やマスコミによる事実隠しを許さず、被災者の皆さんとともに闘いましょう。

 3・27三里塚へ!

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2011年3月23日 (水)

オープンスカイと日本の航空政策(試論)

 敗戦後、米軍占領のもとで日本の航空の自主運行が一切禁止されたが、1952年7月航空法が制定され航空庁の内局として航空局が発足した。そして1970年閣議了解、1972年運輸大臣通達のもとに成立した「航空憲法」をもって航空局のもとに航空政策が進められていった。「市場での事業者間の競争を回避することによって、合併したばかりの東亜をはじめとする各事業者間の経営状態の安定を図ることであり、ローカル線を中心とした不採算路線への内部補助を可能にし、国内航空ネットワークの整備・安定を図るものであった」「航空憲法は『路線権あれども経営権なし』と称されるように非常に厳しいものであったが、それらは事業者自身が望むものであり、規制に対する批判は行われなかった」(有斐閣、「公共政策の変容と政策科学」2007年、今後(A書より)と表記)。1984年第2臨調による行政改革の流れの中で運輸省の機構改革が大幅に行われたが、国際交渉などを担当する国際航空課が国際運輸観光局に移管されただけで、航空局の機能は何一つ変わることなく今日まで継続されてきた。その結果が、自由化に舵を切ったと言われながら今日の「管理された競争」(A書より)という日本の航空政策の全面的な行き詰りと、「成長戦略」の名の下で進められる羽田国際化と成田ハブ化(拡張)、関空・大阪の一体化といった強引な航空政策の見直しが、その航空局の徹底した主導のもとに行われているのだ。航空政策については、政権交代の当初から「政治主導」などありえなかった。

 アメリカの流れに簡単に触れておくと、アメリカでは1938年の民間航空法によってCAA(民間航空庁)として発足したが、1940年、独立規制委員会としてCAB(民間航空協会)に発展し、路線、運賃などすべてにわたる強力な規制機関となってアメリカの航空政策を進めた。しかし、1970年代からCAB規制が連邦政府内でも問題とされた。新自由主義を進めたフォードは、1974年、CAB委員長を大統領指名で交代させ介入を始めた。これによって規制当局CAB自身と議会の公聴会などによる航空自由化の論議が進み、1978年航空規制緩和法が成立。ついに1984年CABそのものが廃止され、完全な航空自由化が生まれた。この自由化には、フォード、カーター(1977年~)の両大統領による直接的介入が大きく寄与をしたと言われているが、日本の航空局による航空政策支配には、当時の中曽根首相も関与が難しかったと言われている(A書より)。

 一つの例として、1992年9月、アメリカとオランダにおいて世界で初めオープンスカイ協定が結ばれた。資源もなく、人口も少なく、消費力の小さいオランダが運輸と観光に力を入れようとしてとった政策だった。そしてスキポール空港は成田の1.5倍、世界第4位の旅客数を、そしてKLMオランダ航空は国際線旅客数で世界第5位を占めるまでになっている(2008年)。

 このオランダの成功はヨーロッパ各国の2国間協定の自由化を一気に進め、2008年になってイギリスの自由化は、ついにアメリカとEUの航空協定を可能にして、同時並行的に進んでいた香港を皮切りに始まったアジアでの航空自由化がどんどんと進んでいった。

 他方、ベネルクス3国という人口わずか46万、国土面積は神奈川県くらいしかないEU(欧州連合)のほぼ中心に位置するルクセンブルク空港は、貨物取り扱いに特化し、自由化の中で成長し、世界各国から受け入れた貨物をトラックでEU全域に輸送することで効率化を上げ、貨物扱い量は羽田空港を上回る世界23位(EU5位)を占めている。このことで、国民一人当たりのGDPは世界1位なのだ。この空港は、日本の市場に強い思いを抱いて関西空港への乗り入れを希望したが、日本の航空局は拒否し、小松空港での取り扱いとなっている。このため小松空港の貨物取扱量は飛躍的に伸び、成田、関西、中部、福岡に継ぐ国内5番目の規模に成長した。関西空港が成長戦略の中で「貨物空港としてのハブ化」を標榜しながら、航空局は小松経由での関西空港行きを認めているだけで、未だに直行便は許可していない。しかも、以遠権を認めていないため、ルクセンブルクにとっても関空は魅力のないものとなっている(冬幻社新書 「血税空港 -本日も遠く高く不便な空港」より 以降(B書より)とする)。これが航空局による日本の航空政策支配の一端だ。

 それに対して、日本でも1983年の全日空と海運会社による日本航空貨物(NCA)の事業申請、1984年の日米航空協定の暫定的取り決めを背景とした全日空のハワイ・チャーター便申請は、「航空憲法」による規制に風穴を開けるものとなり、航空自由化への動きが開始された。この渦中、1年間にわたってアメリカに調査員を派遣した運輸省(航空局)は、アメリカにおける徹底した自由化の問題点として、「①事業者の収益悪化、②運賃の一部上昇、③主要空港の混雑、④辺地へのサービス低下」などを挙げた(Aより引用)。

 1984年航空政策の転換が言われたものの、航空局は米国の規制緩和には否定的で、航空憲法の見直しの必要性を認めつつ、羽田拡張と関空の完成をまつ1993年まで基本的には先送りするという中途半端なものだった。結局航空憲法はまもなく廃止されたが。そのために、それまでの航空審議会という航空局の追認機関ではなく、事業者を排除した運輸政策審議会航空部会が1985年9月に発足した。しかし、アメリカのCAB廃止を含む論議の展開とは本質的に異なり、これまで日本の航空政策を批判する専門家が皆無だった(そうです)こともあり、またこの航空部会専門委員として新自由主義経済の専門家が加わらなかったことによって、結局航空局の追認機関としてしか機能しなかった(A書より)。この点で、最近出た主張で「以上の諸政策は、本来的な航空・運輸政策というよりは、高度成長を支えた建設土木事業としての空港建設がその中心であった」(「展望 8号」)とするが、いささか実際の経緯を踏まえない雑駁なものではないだろうか。利権を柱とした「空港建設」のラッシュという問題は、それ自体として航空政策と関連して独自の問題として論じられるべきだろうし、「航空憲法」が形成される過程で起こった成田空港建設への1966年のあの事態は、そのような「建設土木事業」の問題というより(候補地の綱引きという事態はあったものの)、航空政策の形成過程の必死さが引き起こした暴虐極まりない、非民主的手続きとして見るべきではないのだろうか。

 そして羽田、成田の空港容量の現実を背景としながら、羽田、成田の徹底した従来通りの規制をする一方での関西、中部、地方空港の自由化をすすめた。しかし、それとても「以遠権」を認めないなど極めて規制が激しいものであった。それゆえ「管理された競争」と言われたのだ。こうした現実にいらだつ自民党安倍政権が、さらなる自由化を求めて打ち出したのが「アジア・ゲートウェイ構想」であった。とりわけ「焦点の羽田空港の国際化については『骨抜き自由化』『玉虫決着』などと揶揄され」(B書より)ている。「具体策と言っておきながら、ほとんど抽象的な内容ばかりだ」(B書よりの引用)というのである。

 イギリスのヒースロー空港は、08年第5のターミナルビルを建設してアメリカとのオープンスカイに臨んだ。敷地面積では成田と同規模でありながら24時間使用で50万回の離発着を実現して、国際線旅客数では世界1位なのだ。それ故に、成田空港について地元財界などを使嗾して「24時間使用、30万回の離発着」が目標として掲げられたのだ。航空局として、それしかないと考えていたからではないだろうか。

 これに対して民主党政権前原は、「アジアゲートウェイ構想」をそのまま受け継ぎつつ、羽田国際化を具体的に打ち出すことで航空局の弱点を批判し、「新成長戦略」としたのだ。しかし、オープンスカイが求められている「自由な受け入れ」を実現するには羽田空港は絶対的に狭隘(国内線の需要を無視することはできない)という「航空憲法」以来の「羽田空港は国内線」という呪縛からは自由ではありえない。それ故に、「成田空港ハブ化」は、一部で言われているような「お題目」などでは断じてない。いやむしろ、関西空港のハブ化を唱えながら、むしろアメリカを始め開港期のご祝儀相場的就航はあったものの、どんどん撤退し、現在の体たらくに陥入り、大阪空港との合併で現実を糊塗し生き延びようとするのがやっとではないか。そして成田空港には40国以上の就航希望が今もなおあるのだ。やはり「成田ハブ化」は、日米合意、TPPに生命線を置く菅政権にとって、超一級の「国策」なのだ。

 ところが成田空港は「ざっくり言えば、20万回の成田の発着枠全体の4分の1ずつのシェアーを米国とJALで分け合っている。成田空港における米国は、相手国のナショナルフラッグキャリアに匹敵する既得権益を持っているのだ。残り半分のシェアーをANAやその他多数の諸外国で分け合っている」(B書より引用)。アメリカによる日本占領の残渣というものだろう。アメリカのアジア路線は、1995年日本経由が38%あったが直行便が47%だったものが、2006年には直行便は62%と飛躍的に伸びており、関連して空いた米国の成田空港の枠をJALが使ってしのいでいるのだそうだ(B書より)。(注・空港の発着には「祖父権」という商習慣があり、すでに路線を確保し発着実績のある会社が権利を放棄しない限り、その発着枠は固定され、順番待ちの会社は新規に路線参入できない。)それゆえ、成田空港の整備、完成、拡張は、「成田ハブ化」の絶対的条件として、「アジア・ゲートウェイ構想」を前にすでにこうした意味で浮上していたのであり、アジアにおけるハブ空港争闘戦に、3周、4周も遅れているとはいえ、そうであればあるほど強暴な日本帝国主義の意志として「成田ハブ化」は絶対的なのだ。

 昨年、2・25天神峰現闘本部裁判で「仮執行宣言」=本部解体の道を粉砕され、団結街道閉鎖、第3誘導路建設開始を強行しながら、市東孝雄さんの実力決起を軸としたこの1年の三里塚の闘いは「反戦の砦」に相応しく、「成田空港ハブ化」の攻撃をぶっ止め、勝利してきたのです。

 今年に入って、菅政権は、第3誘導路建設の本格工事に着手するとともに、日米合意の意志として、沖縄東村・高江ヘのヘリパッド建設を強行し、成長戦略の目玉である原子力政策の成否をかけて自ら設置許可を下していないにもかかわらず、山口県上関への工事に、海上保安庁の部隊を前に出して着手した。そして、天神峰現闘本部裁判控訴審において、法廷後の記録、調書を偽造してまでして「5・20判決」を強行しようとしている。これは昨年出来なかった現地闘争本部の解体を持って一気に三里塚闘争破壊、成田空港完成、拡張への悪辣な攻撃を開始しようとしているということだ。

 「成田空港の位置の低下」論によって三里塚闘争の現在を語ることは、不十分とはいえこれまで述べてきた日本の航空政策の流れと菅政権の立ち位置から見て決定的に不十分であると私は考える。「完成できない」待機論への道を開けるものとして、批判せざるを得ない。

 3・27三里塚全国総決起集会が向かっている情勢は、以上のことからも明らかなように、「反戦の砦」を掲げた三里塚闘争45年をかけた決定的な決戦情勢となっている。東北関東大震災という被災者にとって、人民すべてにとって深刻であるとともに、この国を変える絶対的な機会ともなっていることからも、反対同盟が呼び掛ける「闘いの中から被災者救援を取り組もう」という提起は決定的に重大だ。まなじりを決して、3・27全国集会に総決起しよう!

 折に触れてこの「試論」を詳細に論じて膨らませていくことが出来ればと念じていますが、まだまだ資料不足は否めず、皆さんからの批判の声を期待します。

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2011年3月22日 (火)

2011とめたいんや戦争!守るんや命!3・21行動

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 昨日、3月21日、10日前の東北関東大震災と原発事故という事態を受け、準備されてきた集会内容を急きょ変更して8回目の「2011とめたいんや戦争!守るんや命!3・21行動」が、230人の参加のもとに開かれました。11321_6

 集会はまず、全日建関西生コン支部の若い人たち4人による「関生太鼓」の勇壮な太鼓の演奏で幕が開き、続いて今回の大震災で犠牲となられたみなさんへを追悼し黙祷が行われました。

 フリージャーナリストの西谷文和さんなどから送られてきたメッセージが代読され紹介されました。

  主催者を代表して、守田基師子さんから第1回からの取り組みなどの映像をまじえてこの行動の趣旨が語られました。

 11321_7 緊急企画として、「原発のウソを暴く」と題して、「原発の危険性を考える宝塚の会」の中川慶子さん(左写真)、「チェルノブイリ・ヒバクシャ救援関西」の田中章子さん、「若狭ネット」の久保きよ子さん、「京都原発研究会」の山田耕作さん、そして「地球救出アクション97」の稲岡美奈子さんが壇上に並び、「原発とは何か」からはじまる原発にかかわるいろいろな問題が1時間半を超えて会場から事前に寄せられた質問にも答えながら語られました。政府や東電の発表の「ウソ」も暴きながら、自分の周りで一人一人の力で情報を集め、考え、行動しようと訴えられました。チェルノブイリの25年を経た現状から何を学ぶか、そして学者と呼ばれる人々が自己の果たしてきた責任を謝罪することなく「客観的に評論」する姿への糾弾と、若狭原発の現状に対する怒りや、11321_10 山口県上関の原発建設の動きなどが次々と語られました。被災地への支援を兼ねたカンパ要請が行われた後、いったん休憩。

 休憩後開かれた第2部は、「橋下知事!在日の子どもたちの笑顔を奪ってどうするの」と題して、まず東大阪朝鮮中級学校の生徒たちによる吹奏楽「プルムタリョン」の演奏(右写真)と、舞踊「パラの舞」(左写真)を通して、橋下大阪府知事による助成金カットと、11321_11 民主党政権による差別的無償化からの排除への、朝鮮学校に通う子供たちの想いが表現されました。

 つづいてアンソロジーとして河津聖恵さんと許玉汝さん(右下写真)による、それぞれのハッキョ(学校)、ウリハッキョ(私の学校)、そしてふるさと、祖国、あるいはハラポジ(祖父)やオモニ(母)への想いをつづられた自作の詩が朗読されました。

 11321_12 集会決議(「11.3.21集会決議.pdf」をダウンロード )が読み上げられた後、長崎由美子さんによる閉会の挨拶で集会を終えました。

 参加者の多くはそのまま残って、今度は梅田の繁華街までのピースウォークです。先頭の宣伝カーから道行く人々に、東北関東大震災の被災者支援のためにできることをしようと呼びかけ、また政府による情報隠しなどを許さないようにしようと。そして、大阪府知事による朝鮮学校への助成金カットの差別的、排外主義的な子どもたちへの取り扱いを許すなと訴えられました。多くの人が、配られるビラに目を通し、訴えに耳を傾けておられました。

 11321_13 なお、集会には、関西交流センター協議会南大阪が三里塚の写真パネル展(左写真)を行い、関西実行委員会は「『想定外』のデマゴギーを許すな! 3・27三里塚全国集会に参加しよう」とビラで訴えました。ビラには三里塚反対同盟の「3・18声明」を全文掲載し、反対同盟による「被災者救援」の訴えを紹介しました。11321_14

 また集会には永井満関実代表世話人と山本善偉世話人がそろって参加され、山本さんはお元気にデモにも参加されました。

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2011年3月21日 (月)

「想定外」のデマゴギーを断じて許すな!

 連日、テレビ、マスコミに御用学者、「専門家」と称する連中が物知り顔に「まだ大丈夫だ」と登場することに辟易する。なぜか? それは彼らの論理のすべてが「想定外」というデマゴギーを根拠に裏付けられているからだ。

 デマゴギーである第1の根拠は、多くのテレビや大新聞で、これまで「反原発」、あるいは少なくとも「脱原発」を訴えてこられた学者や専門家、あるいは市民運動家を登場させることができないということに何よりもそのことが現れている。ひとたびこうした人々を自由に登場させるならば、日本の原発政策の根幹にある誤りと歴代の政府の責任が問われ、全国の原発を直ちに停止しなければならないという事態を恐れるからだ。

 原発は「絶対に安全だ」「日本でチェルノブイリのようなことは起こらない」と断言してきたのは誰だ! 今、テレビやマスコミに登場している御用学者や「専門家」と称する連中ではないか。その連中が、10日前までは「安全だ」と言い続けてきたことを、「自らの不明」としてひと言でも謝罪したか。この厳しい現実の中でもなお、「原子力政策は間違っていない」ということを主張するために、政府の責任を隠ぺいするために、恥ずかしげもなく無内容なことを放言しているだけではないか。

 デマゴギーである第2の根拠は、今回の震災のでっかさが「想定できなかった」ということ自体に含まれる「安全」ということに対する科学的な根拠のなさだ。

 1975年、神戸では大阪市大や京大の地震の専門家による調査が神戸市の依頼で行われた。結果は「震度6以上の直下型大地震の起こる可能性があり、準備せよ」だった。しかし、依頼した神戸市は当時進められていたポートアイランド2期の工事が、あるいは一部でひそかに進められていた神戸空港計画が破綻するとして、神戸大学の当時の工学部の学部長であった某(震災当時もいくつもの神戸市の審議会で大きな顔をしてのさばっていた)をして「千年に1回あるかないかのことだ」と否定させ、震度5強の防災対策でお茶を濁させたのだ。結果があの1995年の阪神淡路大震災の酷い被害だったのだ。私たち神戸市民は、この犯罪を、悔しさを絶対に未来永劫忘れない。

 映画で「日本列島沈没」や「東京・・・」と描かれたということは、少なくとも一部の学者やちまたでは、こうした地震が想定されていたのだということなのだ。それを御用学者や「専門家」と称する連中が「原子力政策」擁護の立場から「一笑」に附していただけではないのか。それはとても科学的と言える論理ではなかった。また、この10日近くの彼らのおしゃべりの無内容さがこのことを立証しているではないか。

 デマゴギーの第3の根拠は、そもそも原子力発電所の立地が、すべて今回の福島原子力発電所と同じ、過疎化してきた農漁村の海岸に強行されていることだ。各地の原発に対する反対運動の中で、常に言われてきたのは「本当に安全なら、消費地のど真ん中、東京のど真ん中に作れ」という言葉だった。

 そもそも現在当たり前のように言われる「農村の過疎」「限界集落化」はなぜ起こったのか。戦後一貫した自民党政治による農業破壊の農政のせいではないか。1960年イギリスのカロリー自給率は42%、穀物自給率は52%だった。アメリカ依存以外に道はなく、必死で農業復興への舵を切って2003年、カロリー自給率は70%、穀物自給率は99%に回復した。他方、日本は戦後の農地解放によって1960年にはカロリー自給率は79%、穀物自給率は82%を達成していた。しかし1950年代後半からの自民党農政によってアメリカからの輸入に依存する政策が1954年の「学校給食法」を手始めに始められ、2003年にはカロリー自給率40%、穀物自給率27%に転落しているのだ(数字は集英社新書「食料自給率100%を目ざさない国に未来はない」より)。今、菅政権は、TPPによって、さらにこれ自体を根底的に破壊しようとしている。こうした農政によってイギリスやヨーロッパの国々とは対照的な「農村破壊」「限界集落」の現実が起こっているのではないのか。

 デマゴギーの第4の根拠は、以上の全問題点、とりわけ第3の問題の裏側としての原発を進めるための「補助金」の垂れ流しによる地域社会の破壊という問題だ。それはイギリスが進めたような農業保全、回復を目指した農業保護のためのカネの流れでは決してなかった。「東京に作ればいいんだ」という反対の声をねじ伏せ、地域の人間関係をも破壊して進められた「補助金」依存の体質を作り上げてきたことだ。また、この「補助金政治」が、原発だけでなく、瀬戸内海を始め高度経済成長の中での海岸線での埋め立て、工業立地の中で漁業者に対して最も鋭く進められ、漁師の皆さんの背骨を叩き折ってきたことは周知の事実であろう。

 こうした「補助金政治」の流れとそのおぞましさは、基地撤去を求め立ち上がった沖縄の皆さんに対して、県知事選挙や名護市議選に見られたように、民主党政権が「補助金」垂れ流しで、今また辺野古新基地建設、「日米合意」を強制しようとしていることに鋭く現れているではないか。しかし、65年の米軍支配、130年にわたる沖縄差別の日本、ヤマトに対して、沖縄の皆さんは「基地が無くてもやっていける」自信を深め、稲嶺名護市長はこの年頭に「自ら汗して稼いだお金で街づくりをする」と宣言した。ここまで名護市長に言わせるほど菅政権の「補助金」政治は、腐敗し、破たんしているのだ。今回の事態こそ、そうした政治の本質を最も鋭く突き出しているのだ。

 三里塚反対同盟は、この「想定外」のデマゴギーを糾弾し、すべての市民、労働者、学生の力で、被災者救援の闘いを起こす中からこの世の中を変えていこうと強く訴えておられます(http://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2011/03/post-232.html)。そして、3・27三里塚全国集会を。

 本当に怒りが収まりません。みなさん。3・27三里塚現地へ全力で集まりましょう。

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2011年3月20日 (日)

今週の産直野菜(3月19日)

11319  昨日、今週の産直野菜が三里塚から届きました。先週は、出荷時に東北関東大地震が直撃し、宅急便に頼る関西は届かなかって流れたので、どうなるかなと心配したのですが、ちゃんと届きました。

 届いたのは、ネギ、ニンジン、ブロッコリー、里芋、かぶ、切り干し大根、サニーレタスに、小さくしかできなかったからとサービスでキャベツの8品。端境期に入ってきているこの時期に8品は立派なものです。ありがとうございます。

 しかし、地震のあった翌々日には、神戸のスーパーで福島の野菜が「売れない」からと半額以下で売り出されていたとか。あるいは先日には東京で廃棄処分とか。思わず「なんで?」。あれだけいい加減な対応しかできない政府が、昨日には、茨城、福島両県の農地の放射能を測定し、福島県の牛乳、茨城県のほうれん草の一部に対して出荷自粛を要請したという。その前に、すでに「風評被害」が出始めた農家に政府が補償の方針を明らかにすべきだろうがと思わず思う。農民のせいではない。政府、菅政権、そして東電、お前らのせいだろうが・・・。

 無農薬有機農法で、しかも露地栽培にこだわる三里塚の場合、福島原発で爆発が起こるような事態になればどうなるだろうかと、思わずにはいられません。「被災者救援!」をかかげ、菅政権の成田空港第3誘導路建設、TPPに反対して開かれる3・27三里塚全国集会に集まろう!

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2011年3月19日 (土)

3・27三里塚へ

 想像を絶する東北関東大震災の惨状。加えて福島原子力発電所の炉心溶融などの深刻な事態。まさに目を覆いたくなる惨状です。16年前の阪神淡路大震災の渦中にいたものとして、被災された皆さんに心からのお見舞いを申し上げます。「頑張れ!」という励ましの言葉に、多くの被災者が、そして私自身も「これ以上どう頑張ればいいのだ」とうめいたことを鮮明に覚えております。多くの方が亡くなられ、ご家族の安否も定かでない方が多くおられ、その中での、しかも真冬並みの厳しい寒さの中での避難生活を思えば思うほど心が痛みます。加えて、いつ果てる展望もない放射能の恐怖。これが人災でなくて何だというのでしょうか。

 テレビなどマスコミで説教を垂れる学者、専門家、そして政権、東電のほとんどが数日前まで「原発は安全」と叫び続けていた人たちではないか。福島原発の非常事態が明らかになった翌日も、山口県上関でまだ認可さえ降りていない原発工事を強行しようとしたのが、中国電力、菅政権ではないか。

 福島原子力発電所の事故がこれ以上拡大しないことを心から祈ります。しかし、こうした事実を私たちは絶対に忘れてはならないし、こうした事実への怒りを土台に、被災者の皆さんとともにこれからの日々を勝ち取っていかなければならないと改めて思います。

 三里塚芝山連合空港反対同盟は、菅政権による成田空港拡張、完成に向けた市東さんの農地強奪、第3誘導路建設の闇雲な攻撃に対して、非常の決意を持って3月27日、全国集会を呼びかけておられました。なんと空港会社、菅政権は、人手が足らず、被災者救援が進まないこの過程でも、黙々と第3誘導路建設の工事を進めています。こんなことがどうして許されるでしょうか。

 この事態の中で、三里塚芝山連合空港反対同盟は、3月16日夕刻、成田駅頭で「被災者救援! すべての原発の即時停止と速やかに情報開示を!」として、3・27全国集会を改めて訴える宣伝を行われました。「私たちはその痛みをわが身に受け止め、家族を失い津波にすべてを奪われた被災者のみなさんのために何ができるかを真剣に考え、被災者救援のために行動を起こしたいと思います」と訴えておられます。

 11327 みなさん。3月27日、成田市天神峰で開かれる全国集会に結集し、この反対同盟農民のみなさんの新たな決意と闘いを全面的に支持しようではありませんか。共に闘おうではありませんか。

 菅政権による日米合意とTPP(環太平洋経済連携協定)を軸とした政策と攻撃は、この悲惨な事態を招いた菅政権の原子力政策と一体のものでもあります。「被災者救援!」を軸にしてあらためて呼びかけられた3・27三里塚全国集会に総決起しよう!

 集会要項など詳しくは、当ブログhttp://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/post-1e48.htmlをご覧ください。

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2011年3月16日 (水)

神戸市役所前で、市の職員にビラまき

 今朝、神戸空港の中止を求める市民の会が、出勤してくる神戸市の職員へのビラまきを行いました。真冬並みの寒さの中、延5人で1200枚をまいて、「借金漬けの神戸空港 どうするつもり?」と呼びかけました。以下に、ビラの一部を掲載します。

借金漬けの神戸空港 どうするつもり

神戸市はすべての情報を開示しなさい

東北関東大震災の被災者のみなさんにお見舞い申し上げます

 死者が1万人を超えると見込まれる東北関東大震災の被災者のみなさんに、心からのお見舞いを申し上げるとともに、亡くなられた皆さんに衷心からの哀悼の意を表します。そして福島原子力発電所の事故が、これ以上に被害を拡大しないでほしいと祈るのみです。
 同時に16年前、あの阪神淡路大震災を「千載一遇のチャンス」として、新長田などの再開発事業を「復興」の名をかりて強行し、「震災復興の希望の星」と称して神戸空港建設を推し進めた神戸市行政の姿勢にあらためて怒りを覚えます。それらの事業が16年を経て、いずれも破綻し、市民への過大な負荷となろうとしているだけに。 東北関東大震災の被災地で、こうした愚が繰り返されないことを祈ります。

問題を先送りしてどうするのだ

 Photo 右グラフ(11.2.7産経新聞より転載)に示されるように、神戸空港の利用者数は、今年度403万人の見込みが223万人(55%)、そして空港事業会計の収入の柱の着陸・停留料が6億2千万円(対当初予算37%)、そして売却できた空港島の土地は、金額ベースでまだわずか5%という惨状です。
 このため神戸市は、新年度予算において、空港事業会計に新都市整備事業会計から3億8千万円を繰り入れ、そしてポーアイ2期なども合わせて780億円の新年度の返済予定のうち6割以上の480億円を借り換えるというのです。
 これは問題を先送りして、事業の破たんによる負担を10年後、20年後の市民に押し付けたのと同じです。

神戸市は破たんを認めなさい

 関西空港の救済に汲々の国交省は、神戸空港の問題は神戸市自身の力で何とかしろと、関わる意思がないことを明らかにしています。
 神戸市が、問題を先送りして自分たちの時にはうやむやにしようなどという無責任を私たちは絶対に許しません。1998年の住民投票を求めた35万の署名の声を「議会制民主主義に反する」などという今では考えられないような見解で葬り去ったのは誰ですか。その点からも、矢田市長をはじめ、神戸市当局は、神戸空港の破たんを認め、市民に謝罪すべきです。そして神戸空港についてのすべての情報を、ただちに市民に開示すべきです。(3月14日)

タコの足食い?

 昨年の日本航空の全面撤退以降、神戸空港はますますスカイマーク社への依存を深めています。新年度には同社の増便で、神戸空港の枠いっぱいである30便を達成すると言われています。
 そのスカイマーク社が、1月に、羽田空港に続いて神戸空港に専用の格納庫を確保すると発表しました。「えっ。空港島を買ってくれるの?」と誰もが思いました。Photo_2
 ところがなんと、格納庫建設予定地を、空港事業会計が新都市整備事業会計から買い取って、スカイマーク社に貸し付けるというのです。まさに「タコの足食い」です。
 スカイマーク社は、神戸空港などの増便によって、今年度は大幅黒字になり、昨年8月に1株400円だった同社の株が、この2月には1300円まで大幅に値上がりしていることが話題になっています。
 そのスカイマーク社に、神戸市の空港条例で定めた着陸料を4割近くまで値下げをしてやった上に、格納庫の底地まで神戸市が用意するという優遇措置をするというのです。
 なんか変ではないですか?
 建設の借金2千億円の返済のめどが全くつかず、先送りをはじめた神戸市が、空港管理収支の赤字を新都市整備事業会計から4億近くも繰り入れてやりくりしなければならない神戸市が、これほどの大判振る舞いをするというのは・・・。それも借り上げ住宅から高齢の被災者を追い出し、財政難を理由に「高齢者無料パス」などいろいろな福祉を切り捨てている神戸市が、ですよ。
 神戸市は、明らかに向き合っている相手が違うのではないでしょうか?

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2011年3月15日 (火)

3・27三里塚全国集会に参加しよう

10328           写真は、昨年の3・28三里塚全国集会

 三里塚芝山連合空港反対同盟より、以下のように3・27三里塚全国集会の招請状が送られています。呼びかけに応え、3・27三里塚へ!

 招請状

                    三里塚芝山連合空港反対同盟

 全国の労働者、農民、闘う仲間のみなさん! 朝鮮半島の戦争危機と中東における民衆蜂起、世界は大動乱の時代に突入しました。この時、三里塚闘争もまた、政府権力との新たな激突を開始しました。反対同盟は「国益」を掲げて人々に犠牲を迫り、戦争の惨禍に導くあらゆる策動に反対し、広く闘う人民との連帯を求め、ともに闘うことを呼びかけています。3・27三里塚全国集会に大結集されるよう訴えます。

 闘争45年、三里塚闘争は「国策」=成田空港を未完の欠陥空港に追い込みました。追いつめられたあげくの羽田基軸への政策転換は、新自由主義と恐怖による航空産業の低迷と相まって、ハブ空港から陥落した成田の危機をますます促進しています。

 羽田国際化が本格的に始まって4ヵ月、その国際線旅客数は前年比2倍、貨物の取り扱い量は5倍増と言われます。対する成田の国際線旅客数は前年比マイナス15パーセントに落ち込みました(2010年11月)。これこそがぶざまな成田の現実です。

 この破たんの取り戻しを、さらなる農地取り上げに求めることは断じて認められません。反対同盟は実力闘争を決意し、市東孝雄さんの決起を先頭に、団結街道封鎖、農地囲い込みと身体を張って闘っています。誘導路のための道路工事と対決しつつ、東京高裁・井上繁規裁判長(第15民事部)の現闘本部結審・反動判決策動と闘い続けています。そして道路切り替えをめぐる1月攻防に勝利し、第3誘導路建設阻止の本格的な闘いに突入したのです。市東さんの農地法裁判ではついに、明け渡し請求の一部取り下げに空港会社を追い込む決定的勝利を勝ちとりました(2・22)。

 韓国・延坪島(ヨンピョンド)砲撃戦は新たな朝鮮侵略戦争の危機をもたらし、チュニジア、エジプトの民衆決起は北アフリカから中東、そして世界に拡大しています。米・オバマ政権は戦後最大の危機に陥り、ブロック化と戦争の道に突進し、民主党・菅内閣は混乱と迷走の果てにTPP(環太平洋経済連携協定)と日米同盟の強化へと暴走を始めました。

 この歴史の激動にあって、いま、私たちに問われているのは「国策」「国益」との闘いではないでしょうか。日本農業を壊滅させ、労働者の首を切り、若者を非正規へとおいやり、消費大増税を強行し、辺野古に基地を強制する、――これらすべてが、「国難」をあおり「国益」を振りかざして迫っています。TPPこそその象徴であり、極東から中東、世界に向かう日米同盟のエスカレーションと新防衛大綱に明らかな戦争国家への道はこれと一体です。

 みなさん! 反戦・反権力の砦、農民闘争としての三里塚の大義が、その真価を発揮する時が来たのです。いま三里塚はまったく新たな段階を迎えました。

 大胆に、攻勢的に闘おう! TPP反対の農民反乱、基地全面撤去を求める沖縄の闘いは、いまや押しとどめようがありません。反対同盟は国鉄解雇撤回・外注化阻止をストライキで闘う動労千葉と労農連帯の絆を強め、沖縄・関西住民と連帯して闘います。未来のために学生こそ立ち上がろう。韓国やアメリカ、全世界の労働者・農民と連帯して闘おう。倒壊の淵に立つ菅政権を打倒しよう!

 第3誘導路建設阻止! 現闘本部控訴審の仮執行宣言付き反動判決策動を粉砕し、市東さんの農地を守りぬく3・27全国集会への大結集を訴えます。

2011年2月22日

          

【集会名称】

第3誘導路建設阻止!/TPP(環太平洋経済連携協定)反対!/現闘本部の破壊を阻止し、市東さんの農地を守ろう!/軍事空港建設粉砕・改憲阻止!

  3・27全国集会

【日時】3月27日(日)正午

【会場】成田市天神峰 反対同盟員所有地

【主催】三里塚芝山連合空港反対同盟11327

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2011年3月14日 (月)

実行委員会ニュース 第133号を発行しました

1139  3月9日、関実の機関誌「実行委員会ニュース」第133号が発行され、 「3・9三里塚・沖縄を結ぶ集い」に集まられたみなさんに配られました。

 三里塚反対同盟は、本格工事が始まった第3誘導路建設に対し、その差し止めを求める提訴を行い、その第1回口頭弁論が、「3・27全国集会」直後の3月29日、午前10時半から千葉地裁で開かれます。

 これで反対同盟は7つの裁判を抱え、「現地闘争と一体のもの」として闘いぬこうとされています。この3月、4月には、月に3つも裁判があり、そのいずれもが「産直」の作業日にあたるため反対同盟はもとより、現地支援も大変な状態です。

 これへの全国的な支援体制の確立は非常に重要な課題となってきています。

 しかも、天神峰現闘本部裁判控訴審で、すでに報じましたように、菅政権の焦りに満ちた三里塚への反動攻撃の意図を受けた東京高裁井上裁判長による裁判調書の偽造による5月20日「判決」攻撃が企まれています。「判決」が強行されるということは、昨年の2・25千葉地裁仲戸川裁判長がなしえなかった「仮執行宣言」がつけられ、現闘本部解体攻撃が直ちに強行されるという局面を迎えようとしているということです。

 市東孝雄さんの不当逮捕も辞さず闘いぬかれた昨年の反対同盟の闘いの前進と勝利の地平を破壊し、彼我の関係を逆転させようとする国家権力、裁判所のこの悪辣な意図を断じて許してはなりません。

 3・27全国集会をかってない怒りで決起することが決定的に重要であるとともに、3・29第3誘導路建設差し止め裁判第1回口頭弁論闘争に決起して、国・裁判所のこの悪辣なたくらみに対して怒りの声を上げることが、「5・20」情勢に対して決定的に重要となっていることを訴えます。

 そうした思いから、実行委ニュースを7つの裁判を整理し、現状をまとめる「三里塚裁判特集号」として作りました。賛同会員の皆さんへはお送りいたします。

 113 それにしても土曜日の東北地方への大震災に、言葉もありません。3日目を迎えた今もなお孤立しておられる方々が8千人を超えておられることをはじめ、本当に大変であろうと、被災されたみなさんに心からのお見舞いを申し上げるのがやっとです。17年前、2ヶ月あまりたってからやっとライフラインが整った自分の経験を思い出しながら、それを上回る現在の事態に、涙さえしています。

 そして、原子力発電所が2基が破綻し、4基が今もなお予断を許さない状況にあることに、とにもかくにもこのまま収まってほしいと祈るだけです。「日本のすべての原発を直ちに止めろ」「ひと言の謝罪もなく『電力不足』をこれをチャンスと叫んでいる国や電力会社」といろいろ思うことはありますが、とにもかくにもこれ以上悲惨なことが起こらないでほしいと心から祈っています。

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2011年3月10日 (木)

3・9三里塚・沖縄を結ぶ集いに110人が結集

1139

 昨日、3月9日、大阪市立住まい情報センターで、3・27三里塚全国集会にむけた「3・9三里塚・沖縄を結ぶ集い」が、110名の結集のもとに開かれました。

 1139_11 集会は、安藤眞一関実事務局次長が司会をして開会。まず冒頭、「市東さんの農地取り上げに反対する会」が昨年末に制作した映像を上映しました。30分あまりにわたる映像は、昨年5月以来の市東さんへの不当逮捕の弾圧に始まる団結街道の封鎖攻撃など、10・10全国集会の様子や開始された団結街道裁判などを織り込みながら、猛暑と水不足の中での市東さんの営農のご様子や、2.5倍の距離で4倍の時間がかかる付け替え道路の様子、あるいは集荷作業などが詳しく映され、観ていた人々は自然と引き込まれていました。

 1139_12 映像の後、まず主催者を代表して永井満関実代表世話人が挨拶をされました。永井さんは観たばかりの映像への感想を「市東さんが、あんなに丁寧に、大事に野菜を作っておられることをこの目で確かめさせていただいた」「農業こそ公共だと言っておられましたが、ほんとに感動しました」と語られました。そして、先日の天神峰現闘本部裁判控訴審の様子を報告され、「脱兎のごとく逃げ出した」裁判長が、言ってもいない「判決期日は5月20日」と調書に記されていることへの怒りと、裁判闘争とそれへの傍聴の大切さを訴えられました。最後に、知花盛康さんに謝辞を述べられ「日の丸焼き捨て」以来沖縄に関わってこられたご自分を振り返りながら、先日のアメリカの「メア発言」に対する怒りを明らかにされた上で、「三里塚と沖縄をともに闘い、現地に行こう」「万難を排して3・27三里塚に駆け付けよう」と会場に呼び掛けられました。

 1139_4 知花盛康さんと市東孝雄さんが演壇に座られました。まず、知花さんが、鳩山の「5・28日米合意」から「メア日本部長の暴言」まで最近「頭にくることばっかり起こっている。これは何か」「許せんという怒りの一言で済ませるものではない」と語り始められました。沖縄戦で20万余の沖縄の人々がなくなったのに、何が「無血上陸」だと。読谷では上陸地点と言うこともあり、村の95%が基地とされ、住む場所さえ限られた。ご自分も飢えで生きるか死ぬかの幼い時代があったと明らかにされ、作物を作ろうにも土地はない。読谷では、52年4・28「屈辱の日」の時点で80%、53年から銃剣とブルドーザーで土地、住まいや畑の取り上げが始まった。1972年の復帰時点でも73%が基地だ。

 基地を解放させて作物を作っていきたいという農民としての想いがあり、読谷飛行場を取り返し、そこに文化と生きていくための作物を作る場に変えていこうという努力をしてきた。「農業立村」にしていこうと。今は、嘉手納弾薬庫とトリイステーションで36%になっている。沖縄のすべての基地をこうしていきたい。基地による経済効果はわずか5%だ。ほとんどの人が基地をなくしていろいろなことで使っていった方がいいと考えるようになった。1139_5 あの少女暴行事件と県民大会をとおしてそう変わっていき、昨年の読谷での4・25県民大会ではすべての人が関わって、「これ以上の沖縄からの表現はない」ところまで行き着いている。みんなの力で、沖縄からもヤマトからも基地をなくしていこう。

 そして最後に、「市東さんの農地は絶対に失われてはいかん」「農民が土地を奪われたら生きるすべを失う」「沖縄の反基地運動と三里塚の農地を守る闘いは一緒のものだ」「ともに頑張っていきたい」として、3・27には辺野古で座り込みを闘う農民と読谷からの2人が駆け付けたいと結ばれました。

 1139_6 代わって市東孝雄さんがマイクをとられ、まず、干ばつ、水が全然なく2か月半も雨が降らない中での無農薬栽培はほんとに厳しいものがあると昨年を振り返られた上で、その昨年、国と空港会社によって団結街道の封鎖、切り回し道路、畑の囲い込みとすべてコソコソ、誰もいないときを狙って工事する。そういうことが、45年経っても空港が完成しない原因だと喝破された。

 その上で、ご自分を振り返られました。昔の農家はほんとに貧しかった。家族を養うことも厳しく、おやじ(東市さん)が農業は自分の代で終わらせるんだとして、物を作ることが好きだった孝雄さんに「手に職をつけろ」と、中学を出て家を出られた。その直後に空港が来て、空港会社は「市東のところは猫の額くらいしかないからいつでも追い出せる」と高をくくっていたが、おやじは「絶対に売らない」と頑張った。

 農業については子供のころはほとんど手伝いもしなかったし、昔のままならやっていけなかった。しかし、無農薬の産直ということで、萩原さんが「俺が面倒を見るから帰ってこい」「教えるから」という一言で農業をやることに。最初の3年くらいは貯金をはき出した。「作れないですから」。4年目くらいから「生活の糧」ができ始め、6~7年して「どうにかやっていける」ように。「今でも作物を作っていて何が一番うれしいかというと、種をまいて、育って、収穫した時に、考えていたようにピタッとできた時、それが一番うれしい」とも。

 第3誘導路の工事が着々と進んでいるように見えるが、切り回し道路をめぐる闘いで、1月中と言われていたものを闘いで引き伸ばさせた。それに天神峰トンネルを延長させる工事で今朝も事故が起こったが、そのうち大事故が起こるだろうと。裁判でも、「41-9」を取り下げると言うが、それなら裁判そのものを取り下げるべきだ。県議会での先日の吉川県議の闘いを報告され、成田市、千葉県の行政が「空港と共存、共生」と言っている現状を糾弾されながら、悔しい想いをしていると。

 そして羽田の拡張によって成田空港が15%も落ち込んでいる現状に触れ、第3誘導路など必要ない、反対運動している人間を追い出そうとしているだけだと批判され、「今いる人々はそんなことでは負けません」ときっぱり。「耕す者に権利あり」「農は公共だ」という思いでやっていきますと。

 最後に、「戦争のときはまず沖縄と成田が使われる。沖縄は基地をなくすこと、我々は成田空港を閉鎖する。関西のみなさんと沖縄、そして地元のみなさんと力を合わせて頑張っていきたい」と結ばれました。

 1139_7 ここで、部落解放同盟全国連合会の中田潔書記長が挨拶をされました。「三里塚と沖縄がそれぞれ基本的な闘いのスタンスを大切にして大地に根を張った闘いを続けてこられたことを感じる」とまずお二人のお話しへの感想を語られた上で、「20回目の全国連の大会(4月2、3日)を迎えるにあたって、創立の原点である重大な局面を迎えた狭山をしっかり勝利していくことと、三里塚・沖縄の反戦反核の闘いの一翼を解放運動の立場から担っていきたい。3・27三里塚には全力で取り組む」と決意を明らかにされました。

 この後、討論の時間がわずかですが取られました。そこで知花さんが、前日の琉球新報をかざしながら、米国務省のメア日本部長の言葉を「まぎれもなく植民地の立場でものを言っている」「人間の尊厳を踏みにじっている」と弾劾し、1139_8 「もうこれ以上我慢できない」と、かって40年前に1歳の娘さんを連れて米軍の夜間パラシュート降下訓練に持っていったムシロ旗をもう一度持って、みんなと闘うと語られました。そこには、「命(ぬち)どぅ宝」「にじてぃ にじららん(こらえてもこらえきれない) いちむしぬ あちけー(虫けらあつかい) 命(いぬち)かけていん 演習しみらん(身体をかけて演習を阻止する)」と書かれていたそうです。

 「1億8千万よりも1本100円の大根」という話を聞かれた市東さんは、「実際は1億8千万はいいですよね」「大根1本が独り歩きしちゃいましたね」と会場を大いに笑わせたうえで、「でも根本はおカネじゃないですよね。おカネで人間の生き方が左右されてはいけません。これからも自然体でやっていきます」ときっぱりと語られました。その上で重ねて「3・27現地へ」と訴えられました。

 永井さんがマイクをとられ、お二人の話しの感想として「沖縄と三里塚で勝利したら日本は変わりますよね」とされた上で、市東さんには「降って湧いたように帰ってこられた」「そういう息子さんを育てた東市さんが偉いなと感心します」、知花さんには「後についていきます」と。

 さらに3人が、それぞれ想いと感想、そして質問をされました。

 1139_9 最後に、知花さんが「言い落したので」と東村高江でのヘリパッド建設強行をめぐる地元の厳しい闘いの現状を報告され、支援を訴えられました。

 集会の最後に、山本善偉関実世話人がまとめと閉会の挨拶です。まず30年近い昔に沖縄の集会で「ヤマトンチュウがここに何しに来たんだ。ヤマトでやってくれ」と女性に言われた体験を話されながら「一緒に闘うことがやれているのか」と知花さんへの謝辞と共に問われました。そして市東さんのビデオを見て、「1本1本植えていくことの大変さ。気が遠くなる」と語られ、1139_10 「TPP反対」の大事さを「土からいただく農民の働きがなかったら我々は生きていけない」と語られ、自らが90歳であることから、「みなさん、まだ若いわけですから、20年も30年もやれる」「3・27全力で駆けつけよう」と呼びかけられて終えられました。

 最後に、安藤さんの音頭で団結ガンバロウを唱和して集会を閉じました。

 さあ、3・27三里塚現地へ!

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2011年3月 6日 (日)

3・9三里塚・沖縄を結ぶ集いにお集まりください

 空港会社NAAと菅政権は、ついに一線を踏み越えてきた。東京高裁第15民事部井上裁判長を指嗾(しそう)し、2月4日のあの天神峰現闘本部裁判控訴審第3回口頭弁論の裁判調書を偽造させた。井上自らが「裁判官忌避」された事実を抹消し、忌避された直後、「閉廷」を宣することがやっとで脱兎のごとく法廷から逃亡したみっともない姿を隠ぺいして、「5月20日に判決を行う」と期日指定したと嘘の調書をでっち上げたのだ。

Photo  これは、昨年千葉地裁2・25反動判決でできなかった「仮執行宣言」を付けた判決を強行させ、一気に天神峰現闘本部の解体に走ろうとするNAA、菅政権の悪辣な強行突破の意志を示したものだ。この攻撃は、一つには三里塚反対同盟とその45年にわたる闘いの「本丸」とも言うべき天神峰現地闘争本部そのものの抹殺をめざしたものであり、断じて許されない。本部が、違法・不当な成田治安法によって21年間にわたって鉄板で囲まれ封鎖された状態にあり、しかも昨年の団結街道閉鎖によって、今や近づくこともできない状態にあるがゆえに、なお一層、許しがたい闘争破壊の攻撃である。第2に、この攻撃によって市東さんの南台の畑を完全に孤立化させ、第3誘導路建設攻撃と相まって、市東さん叩き出しを策する許せない攻撃だということだ。10111

 3・27三里塚現地闘争は、この悪辣な野望と対決する重大な現地決戦となったのです。それに先駆けて開かれる「3・9三里塚・沖縄を結ぶ集い」もまた、市東孝雄さんを迎え、この悪辣極まる攻撃に対する3・27決起に向けた関西での狼煙となったのです。みなさん。全力で「3・9集い」に結集し、市東孝雄さんとの熱い交流を通して、市東さんの農地を守り、三里塚闘争勝利の道筋を照らす狼煙をあげようではありませんか。

 「3・9集い」では、まず昨年の夏の猛暑の下での市東さんの農作業の様子を軸にした現地の様子と市東さんご自身のその中での想いを31分のDVD上映で見ていただきます。101212 そして沖縄から駆けつけてくださる読谷で島ラッキョウの生産を続けておられる農民の知花盛康さん(左写真10.12.12)から、米軍基地を撤去して豊かな農地を奪い返し平和な島に変えていきたいという願いとTPPに対する腹の底からの怒りを語っていただきます。

 続いて市東孝雄さん(右下写真10.10.10)から、お父さんの東市さんが亡くなられ(99年1月)て、戻ってこられ、無農薬有機農法の農業を継がれて12年。その農業に寄せる熱い思いと、それ以前、飲食業に従事しながらお父さんの闘いなどにどう思っておられたのかなど、市東さんご自身について語っていただけたらとお願いしております。101010

 そして時間が許す限り、会場のみなさんと市東さん、知花さんお2人とのフリーなやり取りができればと考えております。市東さんも、「自分の話す時間を短くしてでも、できるだけたくさんのみなさんのお話しを聞きたい」と言っておられます。そのために、いつもある「連帯挨拶」や「決意表明」の時間は取りませんのでご了解ください。

【3・9集会要項】

●スローガン 市東さんの農地を守ろう/TPPによる農業破壊を許すな/沖縄の米軍基地撤去/3・27三里塚へ総決起しよう

●とき 3月9日(水)午後6時15分開場、6時40分開会

●ところ大阪市立住まい情報センター・ホール(3階)

 地下鉄谷町線・堺筋線、阪急「天神橋筋6丁目」駅下車、3号出口より直接連絡Photo_2

●おはなし 市東孝雄さん(三里塚芝山連合空港反対同盟)/知花盛康さん(沖縄・市東さんの農地を守る会)

●映像による三里塚現地報告

●資料代1000円(ただし大学生、高校生は半額、中学生以下は無料)

●主催 三里塚決戦勝利関西実行委員会/三里塚芝山連合空港反対同盟

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2011年3月 5日 (土)

今週の産直野菜(3月5日)

1135  先ほど今週の産直野菜が三里塚から届きました。

 ネギ、ニンジン、ほうれん草、からし菜漬け、小松菜、さつま芋の6品です。

 ネギは、これまでのと少し雰囲気が違い細め。種類が違うのかしら?

 大好物のからし菜漬けはこの時期だけなので、「待ってました~」。

 これからがいよいよ端境期。昨年末からの異常気象が、ここにきて、厳しい寒さ、雪。「農家便り」にもその様子が伺えますが、現地は大変。

 そこに裁判。2月2回、3月3回、4月3回、5月2回。しかも、それらがすべて月、火、木、金と産直出荷作業に必ずぶつかっています。それに1月以来、旧小見川県道の道路の「切り回し」攻撃で、完全に反対同盟はオーバーワーク。

 しかし、かといって闘いの手を緩めるわけにはいきません。いよいよ3月9日の「三里塚・沖縄を結ぶ集い」もあと4日。市東さんは大変ですが、それに応えて、みなさんお出でください。市東さんは、みんさんの声を聴きたいと言っておられます。フリートーキングの時間を持ちますので、市東さんに聞きたいことを用意してお出でくださいね。

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2011年3月 4日 (金)

「TPPが日本を壊す」

Tpp  「TPP反対」は確実に正しいだろうと思いながら、どうも「木を見て森をみない」の言葉通り、例えば「TPP反対の大義」(農文協ブックレット)を読んでも、その感じをぬぐいえなかったのです。そこへ、左写真の「TPPが日本を壊す」(扶桑社新書、3月1日出版)というのを見つけ、さっそく読んでみました。

 ちょっと出版社が気になったのと、著者・廣宮孝信さんという人の立ち位置が不明で、「どうかな?」と思いながら。

 著者の立ち位置という点では、読み進むうちに「TPPのデメリットを考えると、なぜFTAやEPAではいけないのかという疑問がわいてきます」(66ページ)とあるように、「ちょっと待って・・」というところが先ずあります。これはもちろん、今の農業の「専門家」と言われる学者たちのほとんどが「FTA、EPA」やむなしの立場ですから、「とりあえず譲るか」と読み進みました。

 しかし、「日本という国を維持するためには、そこに住む日本人の生活を守る必要があります」(131ページ)となると、思わず「えっ」となります。この類の表現は「国益」という言葉とともに随所に出てきます。排外主義が底流にはあるようです。

 それらを念頭に置きながら読んだ上での感想ですが、非常にわかりやすくTPPの全体像と問題点を明らかにしてくれているように思います。読みやすい本ですので、詳しくは読んでいただくとして、例えば「メリットは海外に進出する、もしくは海外と取引を行うということに関してで、多くの中小零細企業や政府調達(注・自治体などとの取引を含め)を主たる業務とする企業には関係のない話ですし、むしろ逆に競争相手が増えるデメリット、場合によっては致命傷になりかねない問題です。」(63ページ)と。

 農業問題についても簡潔にまとめられていますが、それとは別に、地方への影響、労働者への影響などがわかりやすく書かれています。著者が関西の人ということで、関西への影響、特に橋下の「大阪都構想」について節を改めて「TPPと大阪都構想は一卵性双生児」と表題を付けて論じられているあたりは、思わず「え~?」と引き込まれました。

 「大義」に比べ読みやすいですし、740円は高くなかったなという読後感です。騙されたと思って、読んでみてください。

 「あろうことか菅内閣はTPPを政治的実績づくりとして利用する始末です。TPPのような国情を激変させる重要問題がほとんど論議されぬまま国際公約のような形で既成事実化されてしまったことからもそれは明らかです」(133ページ)。

 いずれにしろ、TPPは「日米合意」とともに菅政権による重大な攻撃であることは事実です。そして多くの人々がすでにそれに呑み込まれているのも事実です。これに核心的に反撃し、北海道や沖縄をはじめ全国で「TPP反対」にすでに立ちあがっておられる農民の人々とともに、巨大な大衆的うねりを作り出していくことが必要です。そのためには「TPPとは何か?」と謙虚に立ち止まり、説き起こしていくことが必要ではないでしょうか。

 

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2011年3月 3日 (木)

東京高裁・井上裁判長の犯罪を弾劾する!

Photo_2  すでに報じたように2月4日、天神峰現闘本部裁判控訴審第3回口頭弁論において、東京高裁第15民事部井上繁規裁判長は、反対同盟が求めていた第1審証人への反対尋問のための証人申請と現場検証などすべてを理由も明らかにすることなく一方的に却下しました。直ちに反対同盟弁護団の長谷川弁護士が大声を上げながら裁判長席に迫って「裁判官忌避」を申し立てたのです。ところが井上裁判長は、「閉廷」を小さな声で言うや否や身をひるがえし「脱兎のごとく」法廷から退去しました。本人は「結審」を意図してはいたのだろうが、期日も指定できずに逃げ出したのです。そもそも「忌避」が申し立てられているのですから、その時点で一切の審理は中断されなければならなかったはずです。

 ところがこの法廷の記録を記した「調書」には、「裁判官忌避」が行われたという事実の記載は一切なく、「5月20日午後2時を、判決公判の期日とする」と井上裁判長が述べて閉廷したということにされているのです。断じて許されません。

 一昨日、「団結街道」第2回口頭弁論の法廷後の記者会見で、反対同盟弁護団の葉山弁護士と浅野弁護士が、怒りを込めこの事態を報告しておられますので、それぞれに語っていただきます。

【葉山弁護士】 2月4日の天神峰現地闘争本部の控訴審ですが、「反対尋問を経ていないものを証拠にすることは一般的にできないぞ」ということを最高裁が言われている事でありますが、行かれた方はご存知の通り、反対尋問の機会も経ずに強引にべらべらしゃべってですね、で、証人調べを却下するという風に。1131_2 その瞬間に「忌避」の申し立てをしたんですが、その「忌避」の申し立てについてあとから聞いたら、「それは聞かなかった。法廷の中ではなされていない」ということを高裁側は言って調書に記載しない。その代り、調書の中には「次回の期日は5月20日の午後2時にする」と言ったというんですが、行った人間誰でもわかることだと思うんですが、そんなことは一言も言ってないんですよ。ところが調書に勝手に書き込んで、次回は5月20日の2時に判決期日を開きますということです。

 それに対して、これは不当極まることで、これは浅野弁護士を中心にして「忌避」の申し立てをして最高裁に特別抗告の申し立てを2月25日に出しています。そういう形で闘ってるわけですが、裁判所の方が5月20日にやるというもんだから、これはやるといったからには、こちらは黙っているわけにはいかないという状況だと思いますので、それに対してどう対応するかということを含めて、反対同盟、弁護団とともに協議しながら進めて行きたいと思います。

【浅野弁護士】 先ほど葉山弁護団長が申し上げた天神峰のことなんですが、ほんとに、調書には法廷で「忌避」を申し立てたなどということは一言も書かれていないということで、それで弁論が終結したわけで5月20日に判決言い渡し期日を指定するという風な、法廷で誰も聞いていないことが調書に載っていて、法廷で起こった「忌避申し立て」という全員が知っていることが載っていないわけなんですよ。1131_3 本当に事実と180度デタラメなことが書いてあるんですよ。要するに内容虚偽の文章を裁判官が作成した。

 考えてくださいよ。たとえば、住民票と住んでいる住所が違うとか、あるいはホテルの宿帳にペンネームで書いたとか、面会の申し入れにペンネームで書いたとかで平気で逮捕・拘留するわけですよ、権力は。しかし、当の裁判長が、調書という公文書に内容虚偽のことを書いてデタラメな公文書を作ってるわけです。

 こんなことが許せるわけないじゃないですか。この天神峰の5月20日の判決言い渡しを絶対に許さずですね、この市東さんの裁判を勝ち抜いて、この団結街道を守り抜きましょう。―――

 東京高裁第15民事部裁判長・井上繁規は、明らかに権力の走狗として、2月4日を行動したのです。この日、日比谷公園霞門に傍聴のために集まった人々を100名以上の私服公安が取り囲み、法廷でも廊下に座る傍聴に入れなかった人々を50名近い公安私服が取り囲んでいました。ここには「三権分立」といった裁判所の平生の姿はかけらもなく、三里塚反対同盟とその闘いに恐怖し憎悪した国家権力の姿がさらけ出されていました。

 そして公文書である裁判調書に、事実を捻じ曲げ、「裁判官忌避」の事実を抹殺し、「5月20日、判決期日」を書き込まれたということは、反対同盟と弁護団が求めた証人尋問、現場検証で、事実と正義が明らかになることに恐怖するとともに、なんとしてもそれらを抹殺し、「仮執行宣言」を付けて、一気に天神峰現闘本部の解体へ、そのことによる係る一切の過去の事実の抹消へと道をこじ開けようとしている裁判所、国家権力の意図があまりにも見え見えではありませんか。権力の走狗と化した裁判長井上繁規は、反対同盟とその闘いの「本丸」ともいうべき天神峰現地闘争本部への攻撃に手を染めようとする「確信犯」であり、断じて許されない。その汚れた名前を我々は決して忘れない。

 みなさん。事態は極めて重大な局面を迎えていると言わざるを得ません。昨年来の市東さんへの営農破壊、生活破壊、人権侵害の様々な攻撃、団結街道封鎖、第3誘導路建設を柱とした攻撃を絶対にはね返し、天神峰現闘本部を守り抜く闘いに直ちに決起しよう。敵・国家権力は明らかに踏み込んできたのです。無謀なその攻撃には一片の道理も正当性も、そして展望もない。そこまで、追い詰められ、後がないのだ。ならば、我々の闘いでとどめを刺してやろうではないか。沖縄の高江で、山口の上関で、同じようにむき出しの襲撃が国家権力によって繰り広げられているが、住民と支援者の力で押し返している。こうした闘いと一体となって撥ね返していこうではありませんか。3・9「三里塚・沖縄を結ぶ集い」(大阪)を成功させ、3・27三里塚現地へ総決起しよう!

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2011年3月 2日 (水)

団結街道裁判 第2回口頭弁論

 昨日、千葉地裁で団結街道の廃止処分取り消し(対成田市)と空港会社による「通行止め」撤去を求めた「団結街道裁判」の第2回口頭弁論が開かれました。

 この日は、被告の成田市、空港会社の双方から出された「原告適格なし」などの2月10日に出された書面に対する、原告側(市東さんと反対同盟)代理人からの求釈明が行われました。報告会で一瀬弁護士が指摘しておられましたが、被告の「理屈だてが完全じゃなく、自信がないために、口頭で応えればいいようなことまで、『後日、書面で』となっている」状況が、傍聴席でもありありと見て取れます。

 法廷後、弁護士会館で記者会見と報告会が開かれました。1131

 冒頭、反対同盟を代表して北原鉱治事務局長が挨拶。北原さんは、団結街道の現状に触れ、「ここには市東さんの宅地と耕地があり、鉄板で囲まれている。捕虜収容所でもこんなことはない。これで人間が住めるか」と弾劾された上で、「今の政治は国民不在の政治だ」「国民の生活など彼らは考えていない」「闘わなければ生きられない。闘うのは当たり前であり、正義だ」「裁判でどういう答えが出ようが、我々は現地闘争を闘いぬく」と。

 「空港と成田市が共生している」と被告書面に書かれていることに関連して「共生とはどういうことか」と法廷でも問われたが、1131_2 葉山弁護士は、これに関連して「成田市は26億円の固定資産税をもらうために成田空港と一心同体になって、市民を弾圧している」と批判されました。

 また成田市が「道路を利用する利益は単なる反射的利益」と書き、「原告適格はない」としていることに対して、遠藤弁護士は、「公益と個人が分裂したブルジョア法の観念にすぎない」「お上(公益のために)が作ってやっているのを、1131_3 下々(個人)はありがたく使うだけで、『造るも壊すも行政の勝手』という論理」「観念で個人の権利を葬っている」と批判されました。

 成田市はさらに「市道廃止がなされると、道路としての供用も廃止される。あらためて供用の廃止手続きは必要ない」と開き直っていますが、道路法によって、道を道でなくする用途廃止には、隣接地権者や利害関係人(市東さんや反対同盟など)の同意、承認手続きが必要で、この用途廃止処分の違法、無効がこの裁判の一番の争点です(裁判事務局資料より)。1131_4

 また大口弁護士は、「空港と共生しているのではなく、空港を強制しているのが事の本質だ」とし、書面の中で「B滑走路」と表記されていることについて、「当初『暫定開港』と言い、『暫定滑走路』とされていたが、いつのまにか『B'(Bダッシュ)滑走路』と抽象的な言葉に言い換え、今回それが、『ダッシュ』が取られて、『B滑走路』とされている。この欺瞞性を許せない」と弾劾された。

 1131_5 一瀬弁護士は「泥沼に引きずり込んでやろう」と。

 また、この日、葉山弁護士と浅野弁護士から、先日開かれた天神峰現闘本部裁判控訴審について、その後の経過の報告が怒りを込めてなされました。この点については、明日のブログに掲載します。

 この日は反対同盟農家の出荷日に当たり、出荷作業を急ぐたため、簡単な質疑が行われましたが、記者会見と報告会は、それで終えられました。

 なお、この本裁判に先立って、昨年7月に申し立てられていた団結街道の妨害物撤去の仮処分について地裁民事4部(藤山裁判長)は、1月13日に予定されていた審尋を一方的に中止して、2月10日に、この申し立てを却下したことが、「裁判事務局資料」に報告されていました。

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