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2011年1月31日 (月)

2・13 神戸空港反対・市民の集いにお集まりください

 昨日、神戸空港の中止を求める市民の会の7人が、雪まじりの凍えるような寒さの中、JR元町駅前で、「2・13 神戸空港反対・市民の集い」を呼びかけるビラまきとマイクによる宣伝を行いました。76歳になられるHさんが久しぶりにお元気な姿を見せてくださり、みんなの先頭に立って寒さもいとわずビラまきをしてくださいます。思わず「市民に犠牲を強いるだけの金食い虫・神戸空港の廃港を考えませんか」と訴える声にも力が入ります。

 以下は、市民の会のビラの訴えです。

空港に市税を投入するな! 空港廃港を実現しよう!

2・13神戸空港反対・市民の集いに参加を

 市民のみなさん。神戸空港が開港して丸5年を迎えようとしています。しかし、開港前に多くの人々が指摘していたように、さまざまな問題で破綻しようとしています。矢田神戸市政は、その破綻による犠牲を私たち市民に押し付けようとしています。こんなことが許せるでしょうか。

沖縄から知花昌一さん来る

 来る2月13日、沖縄から知花昌一さんをお迎えして、「神戸空港反対・市民の集い」が下記要領で開かれます。

 1046 知花昌一さんは、長く沖縄の読谷村で村議として、平和な村づくりを「読谷ルネッサンス」と表現して進めてこられました。

 自らが所有していた土地に作られた米軍基地「象の檻」を取り戻したことをはじめ、読谷村の米軍基地を撤去させることを実現してこられました。そして、普天間基地閉鎖・新基地建設反対の沖縄県民のたたかいの先頭に立ってこられました。

 この知花さんのお話しを聞くことから、私たちの町で起こっている神戸空港の破たんの問題を考えようではありませんか。

 とりわけ、大阪府の橋下知事によって「先行きの見えない神戸空港に普天間基地の代替え機能を」などと勝手なことを言われています。そんなことが許せるでしょうか。知花さんのお話し、沖縄県民の基地撤去の願いと闘いをお聞きする中から、この神戸での空港と港の軍事使用の問題も考える必要があるのではないでしょうか。

 ぜひ、2月13日、神戸市勤労会館にお集まりください。

 (上写真は、昨年4月6日、首相官邸に抗議に赴かれた知花昌一さんです。)

2・13神戸空港反対・市民の集い要綱

【とき】2月13日(日)午後2時15分開始

【ところ】神戸市勤労会館(三宮)・2F多目的ホール

         (下図をご参照ください)

【講演】知花昌一さん(沖縄読谷村前村議・反戦地主)

【歌と演奏】はるまきちまき(おおまきちまきさんとHALMA GENさん)

(このほかに、知花昌一さん演奏の三線と沖縄民謡の唄もあります)

【資料代ほか】1000円(ただし、大学生・高校生は半額、中学生以下無料)

【主催】神戸空港の中止を求める市民の会

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2011年1月29日 (土)

今週の産直野菜(1月29日)

11129  先ほど三里塚から産直野菜が届きました。思わず「ん、軽いな」。

 サツマイモ、ネギ、三浦大根、ニンジン、カブ。以上5品です。

 「野菜だより」によれば、現地は先月中旬から雨が降らず、乾燥と低温が続いているようです。そのために甘味は増していますが、成長は止まってしまい、葉物が育っていないようです。北陸や山陰、東北では大雪で困っているというのに。昨年から、異常な気象に泣かされ続けですね。

 しかし、個人的には先週のキャベツと白菜、大根が余り気味でしたが、大根もこれが最後とか。大事に食べなければ・・・。といってもそのうちあのデッカイ聖護院大根が出てくるかな?

 まだまだしばらく鍋や湯豆腐などが楽しめそう。

 しかし、呑気なことをいってはおれません。2月4日、天神峰現闘本部裁判闘争です。この間の「道路付け替え」や「団結街道封鎖差し止め仮処分裁判」の動きなどに見られるように、東京高裁は、控訴審の打ち切り、結審攻撃に出ようとしていることは明らか。2月4日(金)午前9時15分、日比谷公園霞門に結集し、東京高裁包囲デモでこの攻撃を迎え撃ち、結審攻撃を阻止し、石橋恵美子証人の尋問、現地調査を実現しよう!

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2011年1月27日 (木)

神戸市との話しあい (1月26日)

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 昨日、26日、神戸空港の中止を求める市民の会は、新しい神戸を作る市民の会や神戸再生フォーラムのみなさんと、神戸空港についての神戸市との4回目の話し合いを行いました。海洋環境への影響についてと絞って、先に提出していた質問に環境局が応えてきた回答を基に話し合うということでした。そのためか、空港を担当しているみなと総局は出てきません。このあたりに神戸市の行政としてのいい加減さ、市民にきちんと向き合おうとしない姿勢が垣間見えています。出てきたのは窓口の広聴課と環境局でした。

 1087 神戸市(みなと総局)は、当初、市民の会が2001年以来指摘してきた神戸空港の埋め立てによる海峡環境への影響について、「神戸空港のせいではない」として「高温少雨のため」、「空港より東側海域の地形のため」とか、いろいろ論じてきました。しかし、10年にわたる市民の会の科学的な調査とその結果に基づいた指摘は、こうした言い逃れを許さず、07年12月の議会で行われた当局の嘘を暴露し、追い詰めました。神戸市(みなと総局)は、それ以降、神戸空港の事後の環境影響を調査している(ことになっている)「神戸市環境影響評価審査会」(以降、「審査会」と略す)が、04年3月にすでに出していた「近年の神戸海域における底層DO濃度の低下傾向は、神戸海域全域で概ね同様の変動傾向を示していることなどから、自然的な要因によるものと考えられる」という「意見」を錦の御旗に、一切答えないという姿勢を通し、市議会での審議が行われないという状況が生まれました。この日の話し合いは、結果的には、このみなと総局(神戸市)の答弁のデタラメさを環境局に問いただすものになりました。

2  私たちは、垂水沖合から尼崎沖合まで10ヶ所の定点(左図)を定め、同じポイント(右上図の①~⑩)での調査結果をもとに論じています。実は、神戸市環境局もほぼ同じ海域で1992年以来、海洋調査を行っており、市民の会のデーターとほぼ同じ結果を得ています(右下図)。

 右下図は、空港の直近の東側(⑤ポイント)と西側(④ポイント)ですが、垂水から兵庫の沖合の海域(①~③ポイント)は、従前のまま非常にきれいな海で低下していないのではないかと問うたところ、「そうですね」と答えてくる。Photo それでは「神戸海域全体の傾向」というのは何なのだと問いただしていくと、なんと、ほとんど神戸空港東側を指しているのです。甘く見ても④~⑥ポイントの範囲だというのです。

 市民の会がこれまで一貫して問うてきたのは、①~④(空港西側)と⑤~⑩(空港東側)で傾向が明らかに異なっていることをどう説明するのか、神戸空港の影響ではないのかということだったのです。

 この指摘を10年近く議会に対して行ってきているのに、なぜ「審査会」に環境局は「こういう市民の声がある」と反映させようとしてこなかったのだと問うと、なんと「市長に対してでないので、議会の判断にゆだねられていると解した」というのです。まさに縦割り行政の悪弊か。そこで、「こうした結果がでた2002年4月12日に、粟原市議の立会いの下で環境局と話しあったが、なぜ、環境局としてその経緯を『審査会』に報告しなかったのか」という問いには沈黙するだけ。

 「審査会」が「自然条件」という誤りなど、いくつもの問題点をさらに指摘しました。そして最後に環境局に、「『審査会』に市民の会の言われんとしていることをできるだけ伝えたいと思います」と約束させ、さらに海洋環境の専門家として神戸空港について10数年にわたって関わってこられた讃岐田訓市民の会代表(京都学園大学教授)と市民の会に「審査会」に出席する機会を設け意見を聴けと要求して、2時間の話し合いを終えました。

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2011年1月25日 (火)

耕作権裁判の傍聴 (1月24日)

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NAAと裁判所一体の「早期判決」攻撃をはねかえそう

110124_092602_2  1月24日千葉地裁601号法廷で耕作権裁判の第18回口頭弁論が開かれました。この裁判は、市東さんの農地を「不法耕作だ、明け渡せ」とNAA(成田空港会社)が裁判を起こしているものですが、裁判の回数を重ねるたびに「市東さんは正当に耕作している」ことが事実として次々明らかになり、NAAをさらに追い詰めています。

 この日、NAAは「訴えの変更」申し立てを行い、「不法耕作地の範囲を40センチメートル拡大して、市東さんが新たに使用している堆肥作りの場所を入れた」ことが判明。この策動は、裁判所と一体になった攻撃で、早期結審・判決文作成に変更点を加筆する、という許せない動きです(弁護団解説)。

弁護団が藤崎氏と会談、重大な事実を確認

 Photo_4 裁判に先立って、この1月に裁判で問題となっている農地の証拠書類(同意書や教会確認書=「藤崎メモ」)を弁護団は元地主の藤崎氏に見せて、2時間程度話し合った結果「同意書も境界確認書も知らない。立ち合いもしていない」ことなどが判明、NAAの大うそが暴露されました(右上が、この経過を報告したもの。左が藤崎メモ)。今までの裁判でNAAに対し、藤崎氏を証人として出すべきだと何度も要求したが、言を左右して拒否してきた理由は、彼が証言したらNAAの虚構が崩れることを百も承知しているからです。

 裁判では、NAA側の「41-9」をめぐる用地特定の錯誤が問題となっていますが、しかしここにきて契約の段階での同意書や確認書などをNAAが「偽造」していたとしたら契約は不成立であり、当時のいい加減な用地買収が浮き彫りとなっています。このようなズサンなやり方で「土地収用」という国家権力が発動されたことは許しがたい暴挙です。

 次回裁判は4月18日、早期結審反動判決を画策する白石裁判長の訴訟指揮を許さない怒りの傍聴闘争を続けましょう。

反対同盟が報告会で今年の裁判闘争に勝利する決意を表明

11124_5  この日の裁判は30分間の短時間でしたが、核心に触れる攻防を行い、反対同盟は意気軒高と報告会に臨みました。

 市東さんは「厳しい闘いが続くけれど、昨年を上回る決起をお願いします」と語り、北原事務局長は「本日は現地では切り回し道路強行阻止の態勢を組んでいる。3・27に向けかって何回かの決戦を勝ち抜こう」と緊迫した現地情勢を伝えました。

 最後に萩原事務局次長から「2月4日の高裁決戦は、朝9時15分に日比谷公園からデモに向かう。また、この1月に切り回し道路強行を市東さんに通告してきたが、絶対阻止する。この闘いに立ち上がろう」との呼びかけがありました。

 関西実行委員会も共に闘う決意表明をいたしました。

                    報告 事務局次長 安藤

【管理人】 最初の報告会の写真と市東さんのこの日の写真は「市東さんの会」ブログより、「藤崎メモ」は「週刊三里塚 792号」からいずれも無断転載いたしました。

 また、北原さんの発言にもあるように、この日に裁判の留守の間に「切り回し道路」の切り替えが強行されるかと緊張していたのですが、反対同盟のブログの昨夜の報告にあるように、すでに舗装していたアスファルトを10メートル近くも剥ぎ取り、廃棄するという醜態をさらけ出していたというのです。(http://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2011/01/post-220.html参照)「第3誘導路」建設に向け、いかに慌てているか、ずさんな工事をしているかが暴露されています。市東さんの生活を破壊し、営農を妨害するこんなデタラメな攻撃が許せるか! 2・4天神峰現闘本部裁判控訴審第3回口頭弁論の傍聴闘争、東京高裁包囲闘争に決起しよう! 2月4日午前9時、日比谷公園霞門に結集しよう!

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2011年1月24日 (月)

山口県庁前で、若者たちがハンガーストライキ

 Photo_2 山口県の上関町長島の田浦(右図参照)に住民の反対を無視して原子力発電所が作られようとしています。その海域と島々は日本でも屈指の自然が豊かで、絶滅危惧種の多くの生き物が生息している大切な自然が守られてきたところです。この暴挙に抗議して若者たちが山口県庁前でハンストを始めたという連絡があり、その後本人たちのメールでの訴えが流れています。転載可能とのことですので、転載させていただきます。

こんにちは

21
13時から、
山口県庁にてハンガーストライキを始めました。
行っているのは、
僕を含めて5人です。
20
歳が三人、19歳が二人とみんな若造です()
僕らは、
『上関原子力発電所の工事一時停止と、
 埋め立て許可の再検討が行われるまで、一切食べません。』
これを掲げます。

Photo_4  以下声明文より
原子力発電所が作られ、稼動する事によってうまれる放射性廃棄物や、
海や大気中に蓄積されていく放射線を僕等の世代や、
僕等の子供達に残して欲しくないという想いからこの行動を決起しました。
放射性廃棄物は何千年もの間、放射能を出し続けますが、
その処理方法はまだ確立されていません。
そして、原子力発電所は40年ほどしか稼動出来ず、
建物自体が放射性物質になっていくため、
 廃炉になった後の安全な解体方法も見つかっていません。
そんな中、新たに山口県上関町で原子力発電所の建設計画が進んでいます。
稼動する過程で出る放射性廃棄物の処理方法や、
 廃炉になった後の解体方法がないまま、
新たに原子力発電所を作る事は問題をこれから生きる
 若い世代に先送りする行為です。
僕達は、誰一人上関町の住民ではありません。
しかし、原子力発電所の問題は、けして上関町だけの問題ではなく全国の問題です。
少しでも、この事を多くの人に知ってもらい、
そして山口県上関町田ノ浦の埋め立て許可を出した山口県知事に
今上関で起きている事実と思いを伝えていきたいです。
以上声明文より

11123 正直、興味ない人や、知らない人には難しい話だと思います。
でも、僕は、みんなが知った上で考えるべき問題だと思います。
電気はみんな使いますからね~()
反対・賛成の前に、
電気のこと、原発のこと、この国のことを知りましょうよ~()
『電気を使う者』だからこそ、知って考えて欲しいです。
原発問題。

何の力もない
僕たち若者が、このタブーに触れるには、これしかありませんでした。
ただただ、
食べないことで、平和的に
想いを伝えたいです。

ハンガーストライキ。
いってみれば、究極のだだコネです()
みんなで考えて、楽しい方向を見つけましょう
こちら、ブログです

http://blog.goo.ne.jp/newgenerations
生存確認お願いします
読んでくれて、
本当にありがとうございました!m(_ _)m
よろしければ、
転載・転送お願いします~!

(2枚目のポスターと最後の写真は、上記の若者たちのブログより転載させていただきました。)

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1月18日 「取り下げ」を勝ち取った

京都生協の働く仲間の会より以下の勝利の報告をいただきましたので、掲載いたします。

 私(たち)は、重大な勝利を勝ち取りました。

 118日、京都生協(理事長二場邦彦)と、前理事長小林智子、そして、理事安保千秋は、ついに、差押命令を出させておきながら、その取り消しを行うに至りました。重大な勝利です。

 本当にご協力ありがとうございました。

1、2011年1月6日に、京都生協(理事長二場邦彦)と、前理事長小林智子、そして、理事安保千秋の諸君は、京都地裁民事5部とともに、京都生協の働く仲間の会代表であり、京都滋賀地域合同労働組合執行委員長Aさんに対して差し押えを行ってきた。利き手である右手の親指以外の4指を労災で奪われた労災被災労働者、障碍者労働者である。そのAさんの労働者災害補償法に基づく労災年金と厚生年金保険法の障害年金の銀行口座に差し押さえをするなどという言語道断な、暴挙を京都生協(理事長二場邦彦)と、前理事長小林智子、そして、理事安保千秋らは、行ってきた。私たちは、直ちに、そのような障碍者労働者とその家族の生活の非道な破壊、労働組合つぶしやめることを強く求めた。

2、京都生協(理事長二場邦彦)と、前理事長小林智子、そして、理事安保千秋らは直ちに差押をやめよ!と抗議をし要求をした。 また、京都地裁民事5部に対して、直ちに、差押をやめるように申し立てを行った。 

 そして、関西合同労組を先頭にした多くの方々の連帯と支援を受けて、抗議のビラまき活動を、京都生協烏丸店、および、二条駅前店を中心に行ってきた。 

3、ついに、118日、京都生協(理事長二場邦彦)と、前理事長小林智子、そして、理事安保千秋は、取り下げたのであります。

 私たちは、完全に勝利しました。歴史的な労働者階級の闘いによって勝ち取られてきた労働者災害補償法に基づく労災年金と厚生年金保険法の障害年金を断固守らせたのです。

労働者災害補償保険法では、「第12条の5の2  保険給付を受ける権利は、譲り渡し、担保に供し、又は差し押さえることができない。」と規定している。

厚生年金保険法では、「(受給権の保護及び公課の禁止) 第41条  保険給付を受ける権利は、譲り渡し、担保に供し、又は差し押えることができない。」と規定している。

これらを、しっかり守らせたのです。

4、私たちは、これを踏まえて、京都生協などの労働者階級の闘いつぶし、生活と労働条件労働環境の破壊、年金と福祉の破壊を、絶対に許さず闘います。今日菅政権は年金破壊、高齢者福祉切り捨て、特に高齢な労働者の年金支給年の引き上げなど年金福祉破壊に血眼になってきています。こんなことは絶対に許しません。労働者階級を中心にした団結で、消費税増税、年金福祉破壊、労働者らとその家族の生活破壊を、阻止します。全軍事費を、福祉に回せと訴え、反戦平和を貫きます。ともに闘いましょう。以上。

2011年1月24日  京都生協の働く仲間の会/京都-滋賀地域合同労働組合

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2011年1月22日 (土)

今週の産直野菜(1月22日)

11122 今週の産直野菜が、今、三里塚から届きました。

 サツマイモ(紫芋)、ネギ、三浦大根、ニンジン、ほうれん草、カブ、白菜の7品です。

 まだ先週の大根とカブ、チンゲンサイ、里芋が少しずつ残っています。さあ、頑張らなくちゃあ!

 それにしても民主党政権の農業切り捨ては極まれり・・・。TPP(環太平洋経済連携協定)に具体的に参加するために、行き詰っていたオーストラリアとのEPA(経済連携協定)を早急に6月までにまとめる方向で努力すると。そして11月のAPECでTPP参加を進めると。遅れると国内の反対の声が強くなるのを恐れてか。

 アメリカ追随一辺倒の上で、そのアメリカのアジア政策、アジア支配への介入でしかないTPPになりふり構わぬ尻尾を振っての参加という道は、輸出大企業の資本家どもの生き残りが頭にあるだけで、農業・農民のみならず国内産業、とりわけ日本の社会と経済を支えてきた多くの中小企業、そして労働者を切り捨てる道でしかない。こんなデタラメな、国民への約束を一切かなぐり捨てた政治が許せるか。しかも、法人税の減税と消費税の増税だと。ふざけるんじゃない。

 つい最近、TPPについて26人の各方面の論者が、TPP反対一色の本を出した。結構、面白く、内容もあり一読に値します。お奨めします。社団法人・農山漁村文化協会 編集出版 農文協ブックレット 『TPP反対の大義』 定価800円(税抜) です。本屋によったら農業問題関係のところに山積みされているそうです。日経や朝日新聞をはじめとした「TPP推進」のキャンペーンをはね返そう!12月12日の「市東さんの会」で、沖縄の知花盛康さんが、「ここにいるみなさんは大人しすぎる。沖縄は基地を押し付けられた上に、TPPで農業が壊滅する」と激しく訴えておられました。

 三里塚現地では、「第3誘導路建設のため」旧小見川県道のトンネル化のためと称して、道路の付け替えを強行する攻撃が迫っています。この攻撃は直接的にも市東さんの営農を団結街道閉鎖に続いて妨害するもので断じて許せません。すでにアスファルトの舗装は終わり、いつでもかかれる状態だそうです。またもや24日の市東さんの耕作権裁判の留守を狙ってやるとでもいうのか。

 現地の闘いが大変なのでしょうね。今回の「野菜だより」が、野菜の明細を除いて先週と全く同じです。近くのみなさん。現地に駆けつけよう。

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2011年1月20日 (木)

24日の「耕作権裁判」の傍聴を

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 来週、1月24日、市東さんの畑に係る「耕作権裁判」の第18回口頭弁論が、午前10時半から千葉地裁601号法廷で開かれます。市東さんの農地をめぐる今年最初の裁判です。是非、行ける方は駆けつけてください。傍聴券の関係で、9時50分までに裁判所1階ロビーにお集まりください。(最初の写真は、争われている畑で作業をする市東さん。10年11月1日撮影)

 市東さんの農地をめぐる裁判は3つありますが、最初にNAAによって提訴されたのが(07年2月)、この耕作権裁判です。市東さんが借りてもいない土地を不法に耕作しているから明け渡せというものです。とんでもない言いがかりなのですが、そうでもしないと維持できないのがNAAであり、日本の国交省、政府なのです。

Photo  NAAは、06年7月、市東さんの南台(上写真)と天神峰(自宅前)の畑を03年に取得したので市東さんの耕作権を解除してほしいと農地法によって成田市農業委員会に申請し、同委員会は現場を見ることもなく即座に千葉県農業会議に送付し、同会議は全く審議らしい審議もせず、同じく現場も見ることもなく県知事に諮問し、堂本県知事(当時)はその9月、許可決定をしたのです。申請されてからわずか2ヶ月余でした。

 いろいろデタラメがあるのですが、2つ、大きな虚偽をNAAはこの申請で行っています。一つは、NAAがこれらの土地を取得していたのが1988年で、15年間も耕作者である市東さん親子に隠していただけでなく、農業委員会にも報告していなかったという農地法違反を隠すために、03年取得したとしたことです。もう一つは、この申請で南台の畑についてNAAが市東さんが借りているとしたのが、右上図のD(左下図41-9)とBだというのです。そしてCとAは、借りてもいないのに耕作しており、不法耕作だとして、今回の「耕作権裁判」が起こされたのです。Photo_2 しかし、D(41-9)は元石橋家の立木が南側に隣接し、日陰になるため畑に適さず、市東さんでは親子3代、90年間耕したこともないのです。このことは、石橋政次さん(元反対同盟副委員長)の妹さんが証言しておられます。そして、NAAが作成した畑の図は、法務局の公図とも違っているいい加減なものでしかないことも明らかになっています(左図)。そして市東さんは、当然にも地主との間でA、B、Cの畑を一つのものとして毎年、地代を払い続けてきておられるのです。何が「不法耕作」だ!農地法とは、戦後の柱の法律として、「耕やすものに権利あり」として耕作者保護を最優先し、耕作権が10年の経緯で自然に発生することさえ規定しているのだ。

 こうした2つの虚偽を市東さんの側は成田市農業委員会の審理の段階ですでに指摘しております。NAAの作成図の根拠となっているのは地主の藤崎某の手書きのメモなのですが、それが作成された8ヶ月前に、当時強制収用準備のために空港公団(当時、今のNAAの前身)が収用委員会に裁決申請したものと全く違っています(反対同盟ブログより)。

 こんな調べればすぐにわかる虚偽に、指摘されながらなぜNAAが固執したのか全く理解できませんが、口頭弁論の中での右往左往の様子からも、NAAはわかっていなかった、ずさん極まりない申請だったというのが事実ではないでしょうか。市東さんからの農地強奪を急いだNAAと国は、そしてそれを支えた成田市、千葉県は、嘘を承知で押し切ろうとしたのではないでしょうか。そして、それが裁判の中で具体的に指摘されても裁判所が言を左右してNAAを支えようとするというのは、この農地の特定という虚偽が確定すれば、この申請が認可されたことが破綻し、裁判自体が成り立たない、すべてが原点に戻ってしまうということを恐れるからではないでしょうか。

 では、なぜそうまでして、成田市、千葉県、裁判所までも動員して、ごり押しをNAA、国はしようとしているのかということです。この前年、05年5月、NAAの黒野社長(当時)は、東峰地区住民に空港建設の人権を無視した強引なやり方を謝罪するお詫びの手紙を書いていますが、その2か月後に暫定滑走路の北延伸を一方的に発表し、06年秋着工し、東峰の森を住民との約束を反古にして伐採し、第2誘導路を建設しました。これらは、市東さんへの農地強奪攻撃とともに、先日当ブログhttp://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/post-2447.htmlで明らかにしましたが、日本の航空政策の決定的な破たんという現実を前に06年5月「アジアゲートウェイ構想」として出されてきた「羽田・成田の一体運用」「成田のハブ化」実現のために、必死で動き出してきた中での事態だということです。今日、民主党政権が、国交省の官僚どもに脅かされ、事態の深刻さゆえにそのまま引き継いだということなのです。

 086 先日の反対同盟の旗開きで萩原事務局次長が、「何よりも今の支配階級が、彼ら自体が経験したことのないような事態に追い込まれているわけです。何一つ解決能力はありません。・・・・ですから強暴な攻撃を行わなくちゃあならない」と喝破されていますが、正にそういう事態なのです。

 ですから市東さんの農地をめぐる3つの裁判の中で、農地「41-9」の虚偽を暴き、NAAを破綻させることは、この闇雲な市東さんへの農地強奪、三里塚闘争破壊の攻撃を決定的に破綻させる正に「実力闘争、話し合い拒否」の三里塚闘争の原則に裏打ちされた重大な局面を切り開くことができると言うことです。そういう意味で、「41-9」をめぐって焦眉の争点と化している24日の「耕作権裁判」は、2・4天神峰現闘本部裁判での反動攻撃をはね返す一歩ともなるのです。

 24日の「耕作権裁判」に注目しよう!

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2011年1月19日 (水)

沖縄についての訴え (被災地反失業総行動集会より)

 集会としてこの局面で沖縄のことを聞きたいということで、沖縄戦体験者でもある上江洲清さんが快諾していただいていたその想いに応えたいということで、主催者の一人として沖縄についてしっかりと確認したいということで、しばらく時間をいただきたいと思います。時間もありませんので、今の局面での沖縄への想いに絞って話させていただきます。

 10425 まず最初に確認したいのは、沖縄の「民意」です。1月24日、国挙げての選挙妨害をはね返し、基地反対派の稲嶺進市長の誕生。県議会で全員一致による「普天間基地の県外移設」の決議。これはヤマトの議会ではありえない事態です。そして4月25日、県知事以下、各自治体の長が壇上に並んだ9万人の県民大会。そして菅政権の日米合意の圧力のもとで、これまた選挙妨害が行われる中で9月名護市議選で、27名の議員の中で、自民党も含めた16名の当選を市長派(与党)が勝ち取る。そして県知事選で残念ながら伊波さんは破れましたけれども、仲井真県知事が「普天間県外移設」を言わざるを得ず、「関空を見に行きたい」とか「アメリカに行きたい」とか「基地撤去のために動くんだ」と言わざるを得ない状況を生み出しています。

 民主主義が言われた戦後の日本の歴史でもこんなことはなかった。これを国政の中で反映できなければ、それはもはや民主主義ではない。「琉球処分」と言われる130年にわたる差別の歴史と、今に至る戦後の65年の米軍支配のもとでの形だけの「祖国復帰」。このことへの沖縄のみなさんの「もう我慢できない」という想い。沖縄をを切り捨てて作った日米安保のためになぜ0.6%の国土に75%もの基地が押し付けられるのか。農地も家も奪われていった歴史を子供たち、孫たちに残すのかという切実な思いの中から、あの70年代の祖国復帰をめぐる闘いを超えるものとして勝ち取られました。

 ところが菅政権は、民主党政権として当初は「少なくとも県外移設」と言いながら、その約束を反故にし、まったくこれらを無視して日米合意を押し付けようとしています。いろいろありますが、一つだけ言いたい。

 今、防衛大綱の見直しが行われました。そこで2万数千人の自衛隊を、「中国の脅威」「北朝鮮の脅威」の名のもとに南西配備するというものです。もともと沖縄には日本軍はいなかった。しかし、1944年に「本土決戦」の名のもとに中国戦線から数万の日本軍が沖縄に入り、沖縄県民の3分の1が死ぬという悲惨な沖縄戦がありました。この沖縄に、これまでの人口比率での配備という慣例を無視して、2万数千の配備、家族を入れれば10万近い人間を送り込む。県民の1割近い人間を送り込むというのは、沖縄の「民意」を変えるという大変な攻撃でもあります。軍隊は住民を守らない、衝立にするということを体で感じ、そのことを沖縄の皆さんは訴えてこられました。

 これはヤマトが、われわれがこんなことを許していいのかということだと思うんです。沖縄の人たちにこうした事態を押し付けるということを本当にやっていいのだろうか。戦争を許すのかどうか、沖縄の人たちの想い「二度と嫌だ」、この想いを我々は受け止められないのか。沖縄の犠牲の上に、「防衛」を語るのか。絶対に許してはならないのではないでしょうか。

 09523 具体的なことを一つだけ申します。ジュゴンが棲む辺野古の海と並ぶ大切な自然を残すやんばるの森、辺野古からさらに車で1時間半ほど北へ行ったところに高江という小さな部落があります。住民が150人ぐらいの小さな村ですが、若い夫婦が入って日本の農村では稀な平均年齢が若い、パイナップルを中心にした農業を営んでいる村です。この村に新しいヘリコプターの着陸訓練基地「ヘリパッド」を作ろうという攻撃がかけられて、住民の人たちがテントに座り込み阻止し続けています(左写真は、その4番ゲートのテントで、三里塚の萩原さんと市東さんが訪ねた折のものです。09年5月)。

 高江から北側、国頭にベトナム戦争の頃、ゲリラ訓練をやっていた演習場があります。80年代から、もう使われなくなっているので、返還する代わりに、そこの7つのヘリパッドを返還するのだから、高江周辺に6つのヘリパッドを作らせろというものです。その新しいヘリパッドは、MV22オスプレイ、「未亡人製造機」と言われているほど事故の多い、そして離着陸の時に大変な爆風と爆音が起こる輸送機のためのものです。そのヘリパッドがなぜ作られようとしているのか。辺野古なんですよ。辺野古の新基地は、このオスプレイを50機ほど収容するために作られようとしている。しかし、その新基地は立ち往生している。101222 つい先日も「普天間基地、棚上げ」などと日米で言っている。高江にヘリパッドを作る理由は何もない。しかも、このヘリパッドをめぐって裁判も行われており、裁判所も「住民と防錆施設局で話し合ってくれ」と言ってるのです。

 ところが昨年末12月22日、未明、午前6時ごろ、防衛施設局は100人ほどで現場を襲い、重機を入れ、フェンスを作るという形で工事を強行したのです(右上写真)。

 翌日、23日の午後7時半ごろ、住民が座り込みを続けている第4ゲートのテント(左上写真)の上空15メートルに、米軍ヘリコプターが1分間とどまってホバーリングを続け、大変な爆風がテントを襲ってテントが吹っ飛んだ(左下写真)。101223 ここは米軍演習場ではなく、県道ですよ。もしテントの中に人がおれば、また道路を人が通っておれば、大変なことになっている、殺人行為です。これは明らかに、そこで座り込みを続けている人たちに対する殺人行為です。米軍がやってるんです。

 つまり防衛施設局が前の日、夜中の3時に突っ込んで、翌日には米軍が。これが先月の末の話しです。今、その工事が続いている。こんなことが、この国で平気で行われている。菅政権の名のもとに。

 少女暴行事件だとか、沖縄国際大学への米軍ヘリの墜落事故、一昨年末の読谷での米軍兵士による男性ひき殺し事件だとか、これが沖縄の現実です。米軍占領下と何も変わっていない。

 米軍自身が「世界で最も危険な基地だ」と認める「普天間基地」を、平然と「棚上げだ」と言い切る菅政権。そして高江に襲撃する菅政権。そして2万数千の自衛隊を押し付けようとする菅政権。これを我々はヤマトとして認めるのか。安保体制を絶対につぶさなければならない。このことをどうしてもやらなければならない。

(最後の2枚の写真は、ブログ「やんばる東村 高江の現状」 http://takae.ti-da.net/ より無断で転載しました。)

 

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2011年1月18日 (火)

生きる権利・働く権利を保障せよ

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 一昨日16日、「生きる権利・働く権利を保障せよ 震災16周年 第30回 被災地反失業総行動集会」が、104名の結集で闘い取られました。

 集会は、関西合同労組の石川さんが司会をして進められました。まず冒頭、阪神淡路大震災によって犠牲となった人々と震災後に亡くなられた組合員さんを追悼して黙祷がおこなわれました。

 11116_6 被災地雇用と生活要求者組合の長谷川代表が主催者を代表してのあいさつ。この日の集会を「運動をし、寄り合い、譲り合い、助け合ってきた仲間の同窓会として盛り上げていきたい」とされた上で、「あの時は絶対に忘れるものではない」と振り返られ、「失業給付をまずやり、震災という人間関係の絆によって作り出してきた運動とがれきの中からの団結が、全国の人々を動かし、私たちを支えた」と。そして孤独死や借り上げ住宅問題をあげながら「長生きすれば長生きするほど苦しまなければならない今の世の中にふざけるんじゃないと言いたい」「働く権利、生きる権利を主張し闘い取ろう」と訴えられました。

 11116_7 連帯挨拶の最初に粟原神戸市議は、自ら会長を勤める港島中町の公団自治会で、県内最大の329戸の借り上げ住宅があることを明らかにされ、避難所から仮設住宅、そしてこの十数年でようやく落ち着いてた住民がまた追い出されるなどということは絶対に許されないとして、この闘いの先頭に立つ決意を明らかにされました。そして、今次統一地方選挙が、橋下大阪府知事や河村名古屋市長などによる議会をファッショの場所に変えようとする動きと対決した重要な闘いの機会となっていることを訴えられました。

 11116_8 続いて立った港合同南労会支部の石原さんは、元旦早々みぞれ交じりの和歌山・かつらぎ町での闘いを報告するとともに、20年にわたる医療法人南労会の執拗な不当労働行為、弾圧、大量の首切りや、多額の未払い賃金。さらには賃金の原資ともいうべき医療報酬の全額が三菱東京UFJ傘下のノンバンクに債権譲渡されるという違法行為が行われていることを明らかにされました。現在起こっている経営陣の権力争い、分裂騒ぎは、自分たちの闘いが追い詰めたからだとして、血も涙もない判決が続いているが、いろいろな闘いと連帯しておおきな運動を生み出す中から勝利していきたいと語られました。

 11116_9 連帯挨拶の最後に、部落解放同盟全国連書記長の中田さんが、まず震災を思い起こしながら「震災は平等でも、被害は弱い立場にあるものほど大きかった」とされ、この差別、自治体などの対応に対して主催者とともに闘っていくことを明らかにされました。そして狭山闘争にこの一年、大きな変化が、流れが始まったとされ、なんとしても石川一雄さんの無実を再審の中で明らかにしていきたいし、支援をお願いしたいと訴えられました。「検察の横暴、裁判所の真実を見ようとしないことを絶対に許さない」「『検察のデッチアゲ』が言われるが、狭山事件では当たり前のように行われてきたのだ」と糾弾されました。

 11116_10 ここで兵庫県被災者連絡会の河村さんから、「借り上げ住宅」問題についての特別報告が行われました。河村さんは、まず、全壊が18万戸、半壊が25万戸。その半壊のうち「今建て替えたらただやで」というのに乗せられて12万戸が解体。あわせて30万戸の住宅が無くなったことを明らかにされました。その上で、避難所に入った人だけ仮設住宅へ。仮設に入った人だけが復興住宅へという流れが強制され、しかも、仮設をどこに作るかについて被災者への相談は全くなく、また耳を貸さなかった行政。しかも、地域ごと、小学校校区ごとの移動などの提案も無視して、「弱い人から」という口実で、一棟に母子家庭だけとか、老人だけとかという風に管理し、そのために仮設の地域としての行動力が奪われた経過。さらには何の反省もなく復興住宅でも同じことが行われたなどの行政の姿勢に厳しい批判をされました。その上、30万戸の住宅に対し復興住宅は4万2千戸しかなく、しかも借り上げ住宅がその中で6733戸もあったのです。当時、20年の期限がつけられたことについて、神戸市当局は「期限というのは伸ばせばいいんだ」としていたにもかかわらず、今日、「そりゃないで」と出ていくことを求めているという現状を河村さんは暴露され、「これから攻めたてる」「この件については負けはない」と闘いの方向を示され、決意を語られました。

 11116_11 さあ、ここで今日のメイン。おおまきちまきさんとHALMA GENさん(はるまきちまき)のお2人の登場です。おおまきちまきさんの「アスファルトを掘り返せ」「われらのあいのうた」など9曲におよぶ唄、そしてHALMA GENさんのピアノ演奏、おおまきさんの語りを交えながらの1時間でしたが、冒頭の長谷川さんの「同窓会」にふさわしく、参加したみなさん一人一人、受け止め方は違うでしょうが、震災から16年の来し方を思い起こし、新たな暮らしと闘いに向けた貴重なひと時となったのではないでしょうか。

 11116_12 おおまきさんは、「あれから16年も経つんだ。みなさん、よく生き延びてこられました」と呼びかけて始められました。「あれだけしんどい中を、手をたずさえあって生きてきた経験があるというのは、だからこそ発信できるんじゃないか」「いろいろなつらさも、人の温かさも知ってる」「空港に代表される酷さも知ってるし、経験してきたことを活かして町を作っていこう」。そして毎年釜ヶ崎で歌っていますが、「お父さんの世代の人たちが寂しく住んでいる。『派遣切り』は今に始まったことじゃない。都合のいい時に働かされ、都合の悪い時に切られるというのは昔からあった。でも釜ヶ崎は元気でやさしい。いつも元気をもらって帰ってきます」「豊かさってなんだろう」。11116_13 昨年、(山口県の)祝島に行きました。「28年、原発に反対している。本当に何もない、質素な島です。でも島の人たちは、仲よくくらしていて、お金はいらない、ここで生活していきたいといわれます」「おばさんたちが『エイ、エイ、オー』とデモするけれど、とっても可愛い」。「空港とか原発とか、理不尽なことがいっぱいあるじゃないですか・・・」と。最後にご自身がかかわられた引きこもりのひとたちのことも。最後に「みあげてごらん 夜の星を」とその替え歌をみんなで合唱して終わりました。

 この日沖縄戦の体験者として上江洲(うえず)清さんが滋賀からお出でになるお話しをいただく予定でしたが、風邪をひかれてこられず、沖縄の問題はこの集会として一言欲しいということで、主催者を代表して東灘区住民の会の松原から訴えをしました。

 11116_14 フリートークとして、高槻医療労組の吉岡委員長、関西合同労組の野々村さん、NPO法人長田の「医療・介護相談」を代表して春本さん(元兵庫県スモンの会会長・右写真)、個人で須磨の守田基師子さん、そして被災地労働者企業組合(下写真)とNPO長田のみなさんがそれぞれ勢ぞろいして前に並び紹介されました。11116_15

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2011年1月17日 (月)

何が「震災復興の希望の星」だ

 1月17日。阪神淡路大震災から丸16年たつこの日、早朝から神戸市役所前で出勤してくる神戸市職員、そして市役所南隣にある東遊園地の慰霊の記念行事などに訪れた市民の皆さんに、「何が『震災復興の希望の星』だ!」と神戸市を糾弾し、「2・13神戸空港反対・市民の集い」を訴えるビラまきを神戸空港の中止を求める市民の会が行いました。関西合同労組の皆さんなども応援に駆け付け、10人が参加。

 11117 さすがにこの日は、いつもの市役所前のびらまきと違って、吸い取られるようにビラが受け取られていきます。途中、休憩をはさみながら2時間半で、2200枚がまかれました。

 何人もの市民が、「ほんとに腹が立つ」「頑張ってください」と声をかけて行かれます。すぐそばでは、市役所前に陣取って無料のぜんざいがふる舞ったりしながら、神戸市行政の市民不在、被災者無視の姿勢への抗議の展示などが行われています。とりわけ、借り上げ住宅に住む被災者追い出しの神戸市の姿勢への怒りの声が。

 以下が、ビラの裏面です。

何が「震災復興の希望の星」だ!

 あの阪神淡路大震災から16年です。あの時、30万を超える人々が避難する中で、神戸市は「自己責任」と援助もせず、その一方で、「震災復興の希望の星」だとして、神戸空港の建設を決めました。蓄えられていた2千億円を空港で使い果たし、福祉の切り捨ての上に、今度は、借り上げ住宅からの被災者追い出しを謀っています。ふざけるんじゃない。

2千億円の借金は?
 空港島の土地を売って借金は返すと言っていましたが、10年たっても売れたのは5%足らずです。借り換えれるのも、あと20年。20年先の子供たち、市民に押し付けるのか? 金利だけでも毎年数十億円。「売る努力をしております」などという議会答弁で済ませる問題ではないでしょう。

空港管理収支の赤字は?
 日航の全面撤退のあと、格安航空のスカイマーク社に頼るために着陸料をどんどん下げて、着陸料収入は予算の半分以下。来年度にも大幅赤字に転落するのは確実。国は、関西空港の維持・救済に汲々として、神戸空港など眼中にありません。「関西3空港」など「絵に描いた餅」です。国交省は、神戸空港のための規制の緩和や国際線の導入などとんでもないと言い切っています。一体どうするのですか?

利用客は予測の半分以下?
 神戸市の試算では今年の利用客は403万人。しかし、実際には、200万人を割り込む恐れが出てきています。建設前に、高すぎる需要予測への批判が繰り返し市民から議会に出された時に、「大丈夫です」と言い続けたのが矢田市長本人(当時局長)ではないのですか。

大阪湾の破壊は?
11117_2  私たちの10年にわたる科学的な海洋環境調査の結果、神戸空港の埋め立てが大阪湾奥部を「死の海」と化そうとしていることがわかりました。事実、この数年かってなかった「青潮」の発生が見られます。
 神戸市はこの事実を一貫して否定し、「自然現象」と開き直っていますが、環境庁(当時)の調査でも、90年代に大阪湾奥部の海洋環境が改善されていたことが明らかになっています。
 神戸市は、責任を取るべきではないでしょうか。

軍事使用など許せるか
 市民の平和への願いから、神戸には「非核神戸方式」があり、米軍艦船はこの35年にわたって入港できていません。
 今回、神戸空港の米軍基地への転用という橋下大阪府知事の主張に対し、矢田市長は「国の決めること」としています。これは「非核神戸方式」をも否定し、神戸港と神戸空港の軍事使用への道を開けることです。
 断じて許されません。

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2011年1月15日 (土)

今週の産直野菜

11115  今、三里塚から今年最初の産直野菜が届きました。大きいほうの箱で、しかもずしりと重いです。

 開けてびっくり。昨年の秋から年末とは様変わりで、10品も。しかも、年末届かなかった(団結野菜市には届きましたが)白菜が、入っています。「野菜だより」によれば、この間の寒さで、やっと巻いてくれたとのこと。萩原さんのところで、全滅じゃなかったんだ・・。よかったよかった。

 里芋、ネギ、三浦大根(デッカイ!)、ニンジン、ほうれん草、カブ、チンゲンサイ、白菜、じゃがいも(豊しろ)、キャベツの10品です。

 今日は、最初を祝って豪勢にすき焼きにしようかと待ち構えていたので、ばっちりです。外は雪が降っている寒さですのでなおさらです。今日から明日が、気温の底だとか。

 産直野菜を取り出して3年目。ようやく慣れて、いろいろ工夫もできるようになりました(ほんのチョットね)。反対同盟のみなさん。今年も、美味しい野菜をよろしくね。

 明日は、極寒になりそうですが、阪神淡路大震災のあった17日を前にした反失業被災地総行動です。みなさん。新長田の勤労市民センターに午後2時、お集まりください。

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2011年1月12日 (水)

1・9反対同盟旗開きでの萩原進さんの提起

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 あらためておめでとうございます。全国の皆さんから年賀状、いろいろ激励を受けまして、新たな気持ちをもって闘いぬいていきたいと思います。

 1119_2 多くはこの闘争宣言で網羅しております。もう一度、みなさん、2度、3度読み直していただいて自らのものとしていただきたいと思います。

 多くの仲間、同志から今日の階級情勢、あるいは攻撃等について語られております。今年一年、文字通り決戦の年であるということを、みなさんおっしゃっております。そして昨年の闘いを勝利の年だったという風にみんな総括しております。

 ですから文字通り今年は、我々も決戦の年としてとらえ返す。しかもこれをはね返して闘いぬく。

 第1番目には、昨年の闘いを無にすることなく、いやむしろそのことを一面にしながら攻勢的に、攻撃的に闘いぬいていきたい。それが第1点であります。これは、何よりも今の支配階級が、彼ら自体が経験したことのないような事態にみな追い込まれているわけです。何一つ解決能力はありません。三里塚にしたってそうです。国鉄にしたってそうです。沖縄にしたってそうです。医療問題、老人問題、福祉問題、どれ一つ解決できるような状況じゃありません。ですから強暴な攻撃を行わなくちゃあならない。

  あの千葉県知事森田を見てください。東京まで15分くらいで行けるリニアモーターカーを成田から走らせるんだと。それだけじゃあない、賭博場を設ければいいんだと。これはね、何も彼のパフォーマンスや思い付きから言ってるんじゃないんですよ。三里塚の空港がこのままでは潰れちゃう。そのためにはどうしたらいいのか。多分、インチョン空港に匹敵するような、あるいはその真似をして観光客を集め、三里塚に人を集めるにはどうするのかと。そのためには賭博場も作んなきゃあダメなんだと。東京まで15分で行くような乗り物を作んなきゃあしょうがないんだと。これを真剣に考えざるを得ないところまで彼らは追い込まれているんですよ。こういう世の中でね、1兆円を超えるような乗り物をもう一度作ろうと、あるいは新たなホテルや建物を建ててね、賭博場を作るんだと。

 1119_4 こんなことが今の世の中で許されるのか。あるいは常識的に許されるのか。これはね、我々にとってみればもの凄いチャンスなんですよ。このことが学生戦線、労働者戦線、農民戦線の中にね、みんなはびこってるんですよ。だからね、ここを、我々は、大胆に、攻撃的に、今までの殻を打ち破って闘いぬこう。これが今年の第1の目標なんです。

 第2点は、まあ、くどくど言うなと言われたんで、いわゆる原則的に闘うんですね。闘争宣言でも言っています。われわれから言えば、農地を売らない。農地を死守するんだと、それを武器にして闘いぬくんだ。そして一切の話し合いを拒否して、時には実力でもって、体を張って、命を懸けても闘うんだと。そういう闘いをやろう。しかし、我々はあえて人民に押し付けることはしませんよ。我々が闘う。そして勝利する。その道を見ていただきたい。そして、それを体で体験していただきたい。一人でも多くの人たちを三里塚に来させることなんですよ。そして今までの生き方を自ら撤回してね、そして今の社会を見つめなおしてもらう。そして我々と、三里塚と一緒に闘おうじゃないかと、これが勝利の道なんだということを指し示す。そういう闘いを今年はやろう。それができる時なんですよ。

 第3番目に、やはり反対同盟は、そういう意味で全国の人たちから、あらゆる階層、あらゆる人たちからの支援を受け、自らの課題として取り組んでいただいて45年闘いぬいて、勝利の大道を歩んでおります。これは大きく、人民の闘いとしてここに存在しているからなんです。そして空港の持つ意味、農地を守って闘いぬく大きな柱。もう一つは空港の持つ軍事性の問題として、反戦・反核の闘いとして今ある。その闘いが、今こそ発揮できる状況。この二つがね、輸入貿易の問題として一方であるし、農業問題として一方であるし、もう一方は戦争の問題として反戦の闘いとしてあるんだと。これこそが彼らが言うところの、「国策だから人民はこれにひれ伏せ」ということに対して、これこそが正義の闘いなんだという形で闘いぬくことが必要なんだということを声を大にして撃って出ていくことが必要じゃないかと思います。

 1119_5 そういう意味で、今年度は、あらゆる戦線に対して、動労千葉と一緒になってね、「この指とまれ」「こうして一緒に闘おうじゃないか」とその旗振りを反対同盟は大きくやろうと。しかも、あらゆる戦線、市民の闘い、とりわけ沖縄の闘いに対してね、もう一度沖縄の中に反対同盟の旗を掲げて闘いぬく、こういう闘いを今年は実現したい。そして、3月、10月の全国集会をあらゆる地域で、三里塚の全国集会的なものを全国に波及したい。そういう大きな希望を持って本日の旗開きを迎えました。

 昨年を上回る、150を上回る熱気ある旗開きができました。感謝します。

 そしてこの1月すぐにでも、13日、我々が提起した団結街道仮処分の審尋に対して、この時に3名の審尋を要求しましたけれど、千葉地裁はこれを却下して、13日の日にちを取り消して、1月31日に終結するんだというような文章を送りつけてきた。これは2月4日の現闘裁判の終結を意図するのと一つでね、彼ら自身が裁判の終結、あるいは反動判決をこじ開けようとする攻撃としてあるんだということを、我々は肝に銘じて、この1月と2月の闘いを闘いぬいて、3月の大集会を実現しなければならない。そういう風に考えます。ですから、もう休んでる暇はありません。文字通り、1月、2月の闘いをやり抜き、もう裁判の日にちがあるわけじゃない。明日からまたビラまき、情宣、そういう形をもって。現地的には、市東さんに対して、昨年、切り回し道路を1月冒頭から始めると通告してきた。これは宣戦布告です。我々はこれを受けて立とう。そしてそれを現地的に打ち破って闘う。このことを通して裁判闘争も勝利する。その1月、2月です。今まさに決戦のただ中にいるということを、みなさん、自覚していただいて、本日の旗開きにしたいと思います。以上です。

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2011年1月11日 (火)

2011年団結旗開き

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 昨日、大阪の港合同・田中機械ホールにおいて、約60人が集まって、前日の三里塚反対同盟の旗開きに続いて、三里塚決戦勝利関西実行委員会の団結旗開きがもたれました。

 安藤眞一事務局次長が司会をして進めます。11110_2 冒頭、主催者の挨拶として永井満代表世話人から、昨年の三里塚現地での闘いを振り返りながら「今年もまた三里塚と一体となって闘いぬく」決意が明らかにされました。そして4・25沖縄県民大会で反対同盟の旗が会場のど真ん中で翻ったことなどを語りながら、「三里塚と沖縄の結合が現実のものとなってきている」として、関実自体がこの三里塚と沖縄の結びつきに深く関わっていこうと呼びかけられました。

 続いて、三里塚反対同盟を代表して駆けつけられた鈴木謙太郎さんから来賓のご挨拶をいただきました。11110_3 鈴木さんは、2・25天神峰現闘本部裁判で仮執行宣言を粉砕し、5・17「市東さんが実力で本気のところを見せて闘いぬいた」ことを軸に勝利してきたことを確認されました。そして新しい年、「2・4天神峰現闘本部裁判控訴審闘争と3・27全国集会を実力で闘いぬく」反対同盟の決意を明らかにして、関実の決起を呼びかけられました。

 乾杯の音頭に立った山本善偉世話人からは、昨年10月19日に90歳になった直後の現闘本部裁判控訴審闘争の過程で、11110_4 頭を打ち、硬膜下血腫になったが、手術することもなく自力の体力で乗り切ることができたと話された上で、「昨年は厳しい闘いだったが負けることなく闘えた」「気持ちは新しい気持ちで頑張りたい」と決意を明らかにされて、大きな拍手が起こりました。

 11110_5 部落解放同盟全国連を代表して寝屋川のきむら秀幸さんから、4月の寝屋川市議選、9月の東大阪市議選を全国連の総力で選挙必勝を勝ち取る決意が明らかにされ、「1・23新春の集い」(午後6時から、寝屋川市民会館で)への結集が呼び掛けられました。そして狭山闘争が非常に緊迫した決戦的情勢にあることが訴えられ、支援が訴えられました。

 被災地雇用と生活要求者組合の長谷川正夫代表から、11110_6 「生きる権利と働く権利をかちとるべく16年闘いぬいてきた」と語られた上で、「三里塚、沖縄とともに戦争に反対する被災地行動でありたい」とされて、1・16被災地総行動(神戸市新長田勤労市民センター、午後2時から)への結集が訴えられました。

 ここでいったん歓談の時を持ったうえで、国労の高崎さんや京都生協の働く仲間の会など各団体・個人からの決意、アピール、そして歌あり踊りありの出し物が次々と披露されました。11110_9

「大阪の海と空を戦争に使わせない会」の珍妙なラインダンス。

 旗開きでは恒例となった「劇団ほうき星」による鈴木さんをも巻き込んでの踊り(右下写真)。

 高槻医療福祉労働組合の吉岡委員長によるギター演奏と唄(左下写真)。11110_10

 関西合同労組の蒲牟田書記長による唄。途中で忘れて続かず、「思い出した」と出てきて、またまた続かず(これも芸?)。

 11110_11 などなど。大いに盛り上がりました(ご紹介を全部できませんがお許しください。)

 最後に全体が輪になって、「反対同盟の歌」を合唱してから、団結ガンバローを行って(最初の写真)、お開きとなりました。

 終えてから、20人近くで、近くのカラオケボックスで鈴木さんを囲んでの交流会がもたれました。

 (なお写真が小さいですが、クリックすれば大きくなります。)

 

 

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2011年1月10日 (月)

2011年 三里塚反対同盟団結旗き

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 昨日9日、成田市で三里塚反対同盟の団結旗開きが開かれ、関西を未明に立って永井代表とともに駆けつけました。1119_2 この日午前中、第3誘導路のための旧小見川県道トンネル化に向けた切り回し道路建設という市東さんへの営農妨害を狙った攻撃に対する今年第1波の闘いをやりぬかれた150名のみなさんが入られて、会場はすごい熱気と喧騒でした。

 鈴木謙太郎さんの司会で始まった旗開き、まずは萩原富夫さんから「2011年闘争宣言「2011.pdf」をダウンロード が読み上げられました。続いて北原鉱治事務局長が、1119_3 「勝ち抜いた一年だった」「今年は決戦の年になるだろう」と挨拶されます。さらに、市東孝雄さんが乾杯の音頭です。ここでしばらく会場は歓談のひと時でした。

 私たち関西の二人は、市東さん、野平さんの同盟のお2人と一瀬弁護士と同じテーブルで歓談しながらしゃぶしゃぶなどの料理をいただきますが、何しろバイキング方式で150人が一斉に動きますから、料理の確保が厳しいこと。1119_4 市東さんがせっせとお世話してくださるのには恐縮でした。

 そうこうしているうちに挨拶が始まります。トップは動労千葉の田中委員長。そして関西実行委員会の永井さん。葉山弁護士と一瀬弁護士。市東さんの農地取り上げに反対する会のみなさん。とりわけ90歳になられた井村さんのお元気な挨拶には本当に励まされます。1119_6 匝瑳市の小川さんも、一緒に来られた農民の皆さんと一緒に農政を批判してご挨拶。 どんどんご挨拶が続きます。星野全国再審連絡会から星野暁子さんが文昭さんのメッセージを携えて想いを語られます。などなど各大衆団体、現地支援連の各党派と・・・。1119_7

 すべての発言の最後に萩原進反対同盟事務局次長が立ってまとめの挨拶をされます(後日掲載)。

 111 「三里塚は人民の闘いとしてここに存在している」「この指とまれという旗ふりを反対同盟がsる」「沖縄の中にもう一度反対同盟の旗を掲げていく」などと決意と展望を語られたうえで、「団結街道の閉鎖取り消しを求める仮処分申請」に対し、裁判所が昨年末、この1月13日に予定されていた審尋を一方的に打ち切り1月31日に終了させると通告してきたことを明らかにし、これは2月4日、天神峰現闘本部裁判の結審・仮執行宣言への攻撃の一体の攻撃であり、断じて許されない。これをはね返し、3・27全国集会に総決起しよう」と提起されました。

 Photo 今日は、関西に、反対同盟の鈴木謙太郎さんをお招きし関西実行委員会の旗開きが、午後2時から、港合同・田中機械ホールで開かれます。会費は1500円(訂正)です。一人でも多くの皆さんが、三里塚闘争の関西での今年の第1歩をしるそうではありませんか。

 今年も、三里塚反対同盟のみなさん、そして沖縄の皆さんとともに、市東さんの農地を守りぬき、反戦の砦の旗を守り抜きましょう。沖縄の基地撤去を実現していきましょう。

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2011年1月 8日 (土)

「米 新核爆撃機開発へ」 なんだこりゃ???

1117  昨日の朝日新聞の夕刊トップに右の記事が。まさに産軍複合の力でしか体制を維持できなくなったアメリカならではの発表に、思わず「なんじゃこりゃ???」。

 そういやあ最近の日本の大新聞も連日、中国軍の空母やステルス機などにぎにぎしい。これでますます「中国の脅威」「朝鮮半島の危機」が叫ばれるのだろう。

 先日も大阪駅で「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」のビラまき、署名活動に参加していたら、中年のおっちゃんが血相を変えて「尖閣を占領されたら沖縄は中国の領土になるぞ。チベットを見ろ」とどなってきた。にこにこしながら「そんなことにはならへんで、おっちゃん」と対応すると、一言、二言何かを叫んで、あっちに行ってしまわれた。政府もそうだが、マスコミの煽りで、何か変な雰囲気がこの国にでき始めているのを実感しました。

 「防衛大綱の見直し」で、南西方面への自衛隊の展開とかで、2万数千の部隊が沖縄に配備されようとしている。家族を含めると10万人近いヤマトの人間が国策として沖縄に送りこまれるのです。戦前、本土防衛の名のもとに中国戦線から大挙して日本軍が送り込まれて以来のことです。「基地撤去」を願う沖縄県民の中に1割近い人間が「防衛」を理由に送り込まれようとしています。このことの方が、重大ではないでしょうか。沖縄に米軍基地を、日米安保の重石を押し付ける差別をさらに強化することではないでしょうか。ヤマトの人間として、それでいいのかと本当に危機感を覚えます。

 今、右も左も「戦争の危機」「尖閣」などで語り始めるのを聞くとき、先のおっちゃんのように、「排外主義」のシミが、右にも左にもじわじわと入り込んでいるのではと恐れます。ほんとにこれでいいんでしょうか。もっと近くにいる中国の人や朝鮮・韓国の人と話し合い、どう考えておられるのかを聞くことから始めることも必要ではないでしょうか。

 今日は、全国連兵庫の新年会、明日は成田で三里塚反対同盟の団結旗開き、明後日は三里塚決戦勝利関西実行委員会の旗開きです。一昨日は、被災地3組合の事務所開きでした。いよいよ、新しい年の闘いが始まりました。飲んで浮かれているばかりではいけませんが、マスコミの煽りや政府の危機アジリに絡めとられないように、しっかりと足を地につけ頑張りましょう。1月10日の、関西実行委員会の旗開きに是非、お集まりください。

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2011年1月 5日 (水)

関実の団結旗開きに集まろう

10117

反対同盟より鈴木謙太郎さんを招いて

 みなさん、昨年よりもまして厳しい三里塚闘争の決戦の年、2011年を迎えて、9日の三里塚反対同盟の団結旗開きに引き続いて、1月10日(月、休日)午後2時より、港合同のご協力を得て、田中機械ホールで、関西実行委員会の「2011年団結旗開き」を、反対同盟より鈴木謙太郎さん(右写真)をお招きして開催いたします。101212 (最初の写真は、昨年の旗開きの最後に「大地をうてば響きあり」をみんなで合唱。)

 「反対同盟ブログ」や「農家便りブログ」にもありますように、第3誘導路工事を理由に市東さん宅南を通っている(最近デモをしている)県道(取香2号線)をトンネル化するからと、この数日中にも「切り回し道路」の建設に取り掛かることをNAAは市東さんに通告してきています。

 市東さんは、団結街道を封鎖されることによって南台の畑に行くのに4倍の時間と東横イン前のスピンカーブという危険な運行を強制されています。Photo 実は市東さんは現実には、この不便な、危険な「う回路」を使わず、左写真で「地下道化」と書かれたところにある「旧小見川県道」を使って新小見川県道との交差点を右折して南台の畑に行っておられます。これで「う回路」の半分程度の時間に短縮され、しかも多少は安全なのです。ところが「切り回し工事」とは、この「旧小見川県道」を団結街道と同様「廃道化」することなのです。これは明らかに新たな市東さんに対する営農妨害でなくてなんでしょうか。現地が急を告げるときは、可能な限り駆けつけようではありませんか。

 Photo_2 また2月4日の東京高裁での天神峰現闘本部裁判第3回口頭弁論は決定的に重要です。裁判長は明らかに結審策動、仮執行宣言付き判決策動を強めています。第1審での偽証を覆す一切の新たな証人採用も、何よりも第1審が不当にも行わなかった現場検証をも行うことなく結審しようとしています。この攻撃を昨年11月5日の第2回口頭弁論をめぐる決戦的闘いで私たちは突破していますが、市東さんの南台の畑の孤立化、農地強奪を狙うという点で悪辣極まる攻撃として、この高裁の結審策動を断じて許してはなりません。現地支援連を中心に連日の東京高裁に対する宣伝活動を始めとした決戦的闘いが取り組まれようとしています。私たちもまなじりを決して、注目し、2月4日、東京高裁を包囲する闘いに決起しましょう。

 そして市東孝雄さんと沖縄から知花盛康さんを迎えて3・9「三里塚と沖縄を結ぶ集い」を成功させ、3・27三里塚全国集会に総決起してこの決戦情勢を我々の側に引き寄せていきましょう。

 そのために本当に大切な団結旗開きになっています。全力でお集まりください。

2011年関実・団結旗開きPhoto_3

【とき】1月10日(月・休日)午後2時より

【ところ】田中機械ホール(大阪・弁天町より徒歩7分)

【主催】三里塚決戦勝利関西実行委員会

【会費】2000円

お酒、つまみなどの持ち込み大歓迎です。

団体旗、組合旗をお忘れなく。

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2011年1月 4日 (火)

尼崎・伊丹実行委 「抵抗の旗」 第250号より

沖縄との絆を強め市東さんの農地を守ろう!

第3誘導路許すな!

新たな関空闘争で橋下反動政治を打倒しよう!

 謹賀新年

 中国漁船衝突事件や朝鮮半島をめぐる緊迫した情勢の中、新年を迎えました。ふりかえれば昨年は三里塚と沖縄が固く結ばれた一年でした。まさに農地死守、実力闘争の三里塚と基地撤去を闘う沖縄が共通の目的を持った闘いとして飛躍していくような時が到来しようとしているのではないでしょうか。

 今年も尼崎・伊丹実行委各人、深酒を慎み、体調を整えて頑張りますので、一層のご指導よろしくお願いいたします。

叩き出しが狙い

 Photo 今三里塚現地ではNAA(成田空港会社)が第3誘導路工事のために、市東さん宅すぐ横の県道(取香2号線)の切り回し道路(右写真のA-Bの間の下側)への切り替えをこの1月と通告してきました。従来の団結街道を通ればすぐに自分の畑に行けるのに、NAAは昨年6月28日に闇討ち的に閉鎖を強行し(左下写真)、今度は危険な迂回道路を通ることを強制してきたのです(右写真矢印)。工事の騒音や振動だけでも大問題なのに、この仕打ちは市東さんに対するまさに営農破壊、人権侵害以外の何ものでもありません。断じて許されません。

 それにこの第3誘導路は仮に完成したとしても、第1誘導路の「への字」を通らねばならず、誘導路としての欠陥はそのまま残り、空港機能が「改善」されたことには全くならないのです。先の第2誘導路も距離が長すぎるという欠陥と滑走路上空の直下を2回も潜らなければならないという危険極まりない代物のためほとんど使い物になっていないのが現状です。05 結局は東峰部落の生活の糧であった東峰の森を破壊し、住民を部落から追い出すことがその目的であったことが明らかになりましたが、この第3誘導路も市東さんをたたき出すための工事であることは明白です。こんな理不尽をどうして許せるでしょうか!

 関西の私たちもこの第3誘導路阻止を反対同盟と共に闘いましょう。そして多くの裁判闘争も可能な限り結集を勝ち取り、実力闘争として闘いぬく1年にしましょう。

新たな関空闘争がスタート

 101121 昨年11月21日、一昨年秋に発足した「大阪の海と空を戦争に使わせない会」と兵庫の住民3団体が主催して、大阪の中心部で久しぶりに関西空港反対集会とデモが勝ち取られました。この間、組織的な混乱もあり闘争が取り組めませんでしたが、ついに新たなスタートラインに立つことができたのです。結集した皆さん、そして発言者もそれぞれ意気揚々、この再出発を喜びました。とりわけこれからの関空闘争が「橋下打倒」の大きなカギとなる闘いであることが確認されました。

橋下知事の暴走許すな

 関西空港は「軍事使用はしない」という約束で建設されました。(無論その約束の信憑性に疑問を抱き長年闘ってきましたが・・)しかし、残念ながら幾度か自衛隊員の海外派兵などに使われ、私たちはそのつど弾劾してきました。これからも軍事使用されないよう監視しなければなりません。

 そんな緊張関係で推移してきたにもかかわらず、今回の普天間の基地機能の一部移設に関して橋下知事はいの一番に手をあげ、「沖縄の痛みを関西も分かちあうべき」といとも簡単に表明しました。彼には「軍事使用しない」ことの重みなどはなから念頭にないのでしょう。しかし知事のどんな権限でそんなことができるのか全く理解できません。さも沖縄の負担軽減のポーズをとっていますが、事実は莫大な借金を抱える関空の帳尻合わせがその狙いです。その証拠に、伊丹との統合案が現実味を帯び、伊丹の黒字が利用できる可能性がでてくると、仲井真沖縄県知事の移設要請にも「神戸空港がよい、私も一緒に行ってあげる」ところりと話をすり替える始末です。戦争(大量無差別殺人だ!)に直結する基地問題をもてあそぶ橋下は絶対に許せない。

 そもそも橋下には知事という役職が、府民の生活を守るべき最大の責任者であるという自覚など全くなく、「私が大阪府の社長だ。その私の方針に従えないものはやめてもらって結構」とまさに公僕とは思えないとんでもない発言をして平然としています。一般社会の社長でもこんな発言をすれば大問題です。しかし、そのタレントとしての知名度を背景に支持を拡大し、暴言暴走を繰り返しています。

 私たちは、今こそこのような独裁政治を徹底弾劾し、新たな関空闘争の発展と大阪港軍港化阻止の闘い、そして差別教育反対の闘いなど様々な分野で反動攻撃を強める橋下と対決していきましょう。

                    (2011年1月1日)

 

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2011年1月 2日 (日)

和歌山で元旦闘争

1111

 元旦、和歌山のかつらぎ町役場前で、途中から雪が舞う寒い中、(医)南労会の不当解雇、莫大な賃金未払に対する港合同南労会支部の20年にわたる争議の闘いと支援の集会、そして新理事長に就任した紀和病院副院長佐藤宅への抗議デモが行われました。

 1111_2 集会は南労会支部の石原さんが司会をして、この元旦闘争が阪神大震災の年から始まって15回目になることが紹介されて始められました。まず、港合同の中村副委員長(右写真)から、厳しい闘いの中で、しかし少しずつだが南労会闘争で確かに追い込んできていると明らかにされた上で、和歌山での田辺運送の争議などこの一年を簡単に振り返る主催者の挨拶が行われました。

 続いて当該の南労会支部委員長代行の小松さん(左写真)から、昨年9月に南労会の理事長が松浦から佐藤に代わった経緯、松浦、若杉の経営陣の権力争いについて説明がされ、新理事長である佐藤と若杉、松浦に争議の責任はもとより、1111_3 南労会500人の従業員の将来に対する責任、経営の正常化への責任を追及していきたいと闘いの方向がまず明らかにされました。そして昨年12月22日の「退職・被解雇組合員の12回の未払い一時金請求裁判」に対する大阪高裁三浦判決の不当性を弾劾し、本当に悔しいと語られた。そして6億6千万円の未払い賃金をめぐる新損害賠償裁判(大阪地裁係争中)を必勝の決意で進めて行きたいと訴えられました。また南労会の背後で蠢く三菱東京UFJ銀行を絶対に逃がしてはならないとその重要性も訴えられました。

 関西生コン支部から和歌山で闘いを進めておられる大村書記長、関西合同労組の佐々木さん、そして元グリーン製菓労組で公務員臨職の闘いをされている中村さん、そして住民団体として東灘区住民の会から私が連帯の挨拶を行いました。(私はここでは初めてのことで、驚きながら・・・。)

 1111_4 最後は、港合同の田辺運送争議をやっている支部を始め、港合同の各支部からの決意の表明が行われて、さあ、デモに出発です。お正月元旦の昼前の静かなたたずまいの、ところどころに柿の畑も混じる街並みの中を、終始シュプレヒコールを絶やさず佐藤新理事長の自宅目指してデモが進みます。自宅には窓が全部締められてはいましたが、車もあり、電気もついています。声に力を込めて抗議のシュプレヒコールが叩きつけられます。

 元の役場前にもどって、石原さんからまとめが行われ、川口書記長(上写真デモの先頭)の団結ガンバロウで闘いを終えました。

 1111_5 しかし、寒くて遠かった・・・。

 大阪に着いて少し時間を過ごしてから、「辺野古に基地を絶対作らせない大阪行動」の今年最初のビラまきと署名活動の行動があるので、めったに参加できませんので参加してビラまきをお手伝い。夕方の寒さが厳しくなる中でしたが、ビラの受け取りもよく40筆を超える署名とカンパが集まりました。

 今年も当「関実・三里塚ブログ」をよろしくお願いいたします。

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