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2010年12月30日 (木)

市東さんの農地を守ろう

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 2003年に空港会社NAAは、市東さんの南台と天神峰の土地を秘密裏に取得していたことを公表しました(取得して15年以上も耕作者にも、農業委員会にも隠していたなど、農地法違反を重ねながら)。(上写真は、今年の10・10現地全国集会) そして農地法によってその土地を奪おうと裁判を訴えました。さらに第2誘導路を空港敷地外に建設して、東峰部落の住民への生活、営農妨害を強行しました。供用開始直後には「使えない」、110億円の無駄遣いであったことを自ら明らかにしながら・・・。この自公政権でさえ躊躇した市東さんの農地強奪、天神峰からの叩き出しを、この1年余り具体的に、強暴に、人権を無視して進めたのが民主党政権でした。

 Photo_2 理由は、昨日明らかにしたように、成田空港の完成(拡張)、ハブ化を追求し、破たんした航空政策の立て直しを図ろうとした民主党政権、NAAにとって、市東さんの農地による「へ」の字誘導路問題の解消なくして、一歩も進まないという追い詰められた状況があったからです。そして、この解消を通して年間飛行回数30万回を2014年に実現すれば、想像を絶する騒音地獄によって東峰地区住民を追い出し、3500メートル化が実現すると踏んだからです。

 この1年の闘いは、この攻撃を迎え撃ち、5・17の市東孝雄さんの実力決起を軸にした、文字通り「反対同盟と支援の団結」の力ではね返し、勝利してきたのです。

 緒戦は、2・25天神峰現闘本部裁判で、本部明け渡しの反動判決は許したとは言え、直ちに解体しようとした「仮執行宣言」を許さない闘いが勝ち取られたことです。Photo_3 本部解体は、「へ」の字問題解消の一歩である以上に、市東さんの畑を完全に孤立化させ、「叩き出し」の一歩としようとしたということです。これを昨年秋、民主党政権成立以来、裁判所前での連日の街宣と、9月、11月の裁判を始めとした法廷での糾弾闘争に反動裁判官仲戸川を震え上がらせたことが決定的でした。それは正に実力闘争の質を持って闘いぬかれたからです。まっとうな証人尋問も行わなければ、現場検証すら行わないで、どうしてこんな反動判決が許せるでしょうか。この点では、早期結審、仮執行宣言を狙う控訴審に対する闘争(来年2月4日)もまた、決定的に重要です。

 これに対し、成田市が国、NAAの意を体現して、第3誘導路の認可も行われていない3月16日、団結街道(市道)廃道化の市議会決議を行うという暴挙でした。誘導路や滑走路との道路の交差はこれまですべて道路の地下道化で対処されており、第3誘導路計画でも、旧小見川県道は地下道化することで計画されています(その是非は別として)。にもかかわらず、なぜ団結街道は廃道なのか。これは市東さんの営農を妨害し、「叩き出し」への新たな攻撃でしかありません。

 5月17日、NAAがまだ取得もしていない団結街道に「通行禁止」の立て看板を立てようとした事に対して市東孝雄さんは、ハンマーを持ち出してぶち壊したのです。Img_3782 違法、不当なのは道路交通法と道路法に違反したNAAであり、市東さんに何の咎もありません。にもかかわらず、千葉県警は市東さんを逮捕し、23日間も拘留したのです。完全黙秘を闘いぬいた市東さんの闘いと、連日の激励行動、そして6月7日の成田市役所における反対同盟による激しい糾弾と闘いの宣言の記者会見(右写真)に恐怖した千葉県警は、起訴できず翌日8日に市東さんを釈放しました。この過程の反対同盟と支援の闘いは、萩原富夫さんも不当逮捕されていただけに営農に、連日の激励行動に、監視行動に、駅や裁判所などでのビラまきに本当に大変でした。多くの時間を共に過ごすことのできた私から見ても、とりわけ現闘、現地支援連の不眠不休の奮闘は、「大丈夫なの?」と思わず聞きたくなる状況でした。萩原さんが先日の関西へのメッセージの中で「同盟と支援の団結」と書かれていますが、本当に実感のこもった言葉だと思います。

 10425 この力は、6月27日の緊急集会翌日の未明の団結街道封鎖、7月26日の裁判の留守を狙った市東さんの畑のフェンスによる囲い込みといった悪辣な攻撃を根元のところではね返しています。

 とりわけ重要なのは、市東孝雄さんが4・25沖縄県民集会に参加され(左写真)、沖縄への想いを新たにされるだけでなく、自らの闘いの方向を確立されたことです。それは、直ちに5・17決起へと実を結びました。70年代、80年代の三里塚闘争の現場にいなかった市東さんが、沖縄のたたかいと自らの闘いを重ねることで、三里塚闘争の神髄である実力闘争、話し合い拒否の闘いを自然に発現させ、仁王立ちしておられることが、いかほど多くの人々を感動させ、奮い立たせていることでしょうか。この市東さんを「叩き出そう」とすることなどうして許せるでしょうか。

 086 先日の「市東さんの会」の集会で、市東さんは「種のまきどころと野菜の成長、そして収穫がピタッといったときにほんとにうれしい」と語っておられました。今年、白菜は、萩原さんのところも、鈴木さんのところも秋の暖かさにほとんどダメでした。産直での年内の白菜の配達はありませんでした。関西の野菜市でも「大変やな」と話していました。ところが、当日、注文通りの白菜が、それも立派な白菜が届き、私たちを驚かせました。市東さんのところで、収穫できたのです。関西の野菜市が反対同盟の努力で34年も続けられてきたと感動するとともに、淡々と営農を続け、先ほどのような言葉を語る市東さんを思わずにはいられませんでした。

 この市東さんの営農と闘いを守り、三里塚反対同盟は、45年にわたる闘いの歴史に、成田空港の完成を阻み続け、農地収奪を許さない闘いの歴史に、今年の決戦状況の中で新たな1ページを書き加えたのです。

 来年早々、第3誘導路の工事のために旧小見川県道のトンネル化のために「切り回し道路」建設に入るとNAAは通告してきています。これによって、すでに団結街道を使う4倍の時間と危険を負わされている市東さんの営農にさらに負担が強制されます。反対同盟は、この攻撃を許せないとして闘いを呼びかけておられます。そして「2011年は、2010年を上回る激闘の年になるでしょう」とメッセージを送ってきておられます。

 2011年、市東さんの農地を守り、市東さんの暮らしを守るために闘いぬきましょう。   (続く)

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