10・10三里塚へ 第3誘導路建設を許すな
10月に入ってこの数日、成田空港地元の千葉の新聞は、30万回への枠の拡大、LCCの導入とそれに伴う新たなターミナルビルの建設や、現在のターミナルビルの拡張などにぎにぎしい。そして地元住民の騒音被害の訴えを抑え込んで、芝山町など地元町村が、10月13日にも開かれる四者協議会(千葉県主催)で、30万回への発着枠拡大に同意することが報じられています。直接のきっかけは、もちろん21日に迫った羽田の第4滑走路供用開始、30日のアメリカとのオープンスカイが始まるという事態に「成田の地位が低下する」と煽られた地元の動きだということです。
こうしたことの最大の論拠が、「第3誘導路建設でなんとかなる」であることは言うまでもありません。第3誘導路建設が持つ犯罪性、強暴性に触れる前に、暫定滑走路とわずか1本の滑走路に3本もの誘導路というこの世界にも例を見ない事態と経緯が、莫大な私たちの税金を投入して行われていることを振り返りたいと思います。
暫定滑走路は、2002年4月に供用が開始されました。市東さんの農地や現闘本部、そして一坪共有地などによる誘導路の「へ」の字問題(右上写真)。滑走路手前50メートルに迫る東峰部落の開拓道路(左写真)。滑走路南端に迫る東峰神社(右写真)。そして、昨日当ブログに書いた東峰地区の島村さんをはじめとした住民が飛行コース直下、それも滑走路南端からわずか300メートルのところに住み、農作業をしておられる、など様々な世界の空港では例を見ない、住民、乗客の生活と生命、安全を無視した供用開始でした。しかし、空港会社NAAは「問題ない」として強行したのです。
案の定、開港して半年近く経た02年12月には、雨とこの地方特有のウインドシェアに煽られて全日空のB767がスリップし滑走路南端で止まることができず、東峰神社手前でようやく止まったということが起こりました。窪地になった東峰神社に落ちておれば大惨事となったことは確実です。また、誘導路内で心配された航空機同士の接触事故が現在まで繰り返し起こっています。
05年5月、元運輸事務次官でNAA社長(当時)の黒田匡彦は、東峰地区住民にお詫びの書面を入れて話し合いのきっかけをつかもうとしました。少し長いですが、その一部を転載いたします。
― 「振り返ってみますと、円卓会議が暫定滑走路なるものを想定していない中で、東峰区の皆様との合意形成を図ることなく、取得済所有地を使った一方的な計画を策定してしまいました。そればかりか、工事についても、事前に十分なご説明をしないまま、滑走路の供用開始から逆算して工事スケジュールで一方的工事を行い、工事の完成が早まったからといって、東峰区の皆様の生活環境に配慮することなく、1ヶ月も供用を前倒ししてしまいました。
その結果、工事やこれに続く供用によって、現に皆様が生活していることが一方的に無視され、生活環境が破壊されたことについて、皆様が非難し、怒り、以後私どもを信用できないと思われてしまったのはもっともなことだと思います。滑走路供用後2年間の騒音測定結果では、平均96デシベル、最大で110デシベルを超えていました。さらに頭上を離着陸する航空機への恐怖心は、表現できないものだと思います。
そもそも、今振り返ってみますと、暫定滑走路計画時に、皆様が日々生活を営んでいるまさにその場所に真上数十メートルに航空機を飛ばすことが、皆様にどのような被害をもたらすかについて、深く検討もせず、看過してしまったというのが正直なところであり、航空行政に携わる者として、全く恥ずべきことであると大変申し訳なく思っております。
これまで申し上げてきましたことは、今考えますと、単なる空港建設の手法や生活環境の問題にとどまらず、人間としての名誉、尊厳に触れる問題であると思います。空港問題が発生してからの長い間の皆様のご苦労、そして失われた名誉、尊厳に対して、私どもは十分心を砕かねばならなかったのだと痛感しており、改めて深くお詫びし、反省する次第です」―
実に、NAA社長黒田は、この手紙を書いた2ヶ月後に、暫定滑走路北延伸の工事を着工したのです。そして狭い1本の誘導路では、常に一方通行で延伸して便を増やそうにも増やせないとして、東峰の森を伐採して第2誘導路の建設を進めることと、成田市農業委員会に申請して農地法で市東さんの農地を取り上げ「へ」の字問題を解消しようとしたのです。
左上写真は、伐採された東峰の森の前を散歩される萩原進さん(09年10月)。この日の翌日、写真の細い木によじ登ってカメラマンのFさんが撮った、ちょうど萩原さんが歩いている当たりの第2誘導路の写真が右写真です。(気づいたNAA社員が吹っ飛んできて、「逮捕されるぞ」などと脅すさなかの写真です。)この誘導路のために、東峰地区のみなさんが、正に営農と生活にとってなくてはならない「いのちの森」であった東峰の森の3分の1が削り取られたのです。地区に住む住民にとって「いにちの森」であることを知っていたNAAは、それまで幾度となく文書で「区民の同意なく、一方的に現状変更を伴う計画は策定しない」と約束していたにもかかわらず。
しかし、110億円をかけ、昨年7月30日、供用が開始された第2誘導路は、離陸機専用、旧の誘導路が着陸専用とされました。しかし、北風であれば、着陸位置に着く前に必ず着陸機を待たねばならず、ターミナルビルから大回りしてきて、なお2度も信号で止められるという大変な時間がかかることが判明したのです(左写真)。南風の場合は、さらにひどく、滑走路を横切って、さらに「へ」の字部分を通って、ターミナル部分を出てから1時間近くかかってやっと南へ離陸するという不様さでした。一年ももたずに使われなくなりました。しかも、これでは使い物にならないと、供用開始する1ヶ月も前に「第3誘導路」計画が浮上したのです。ここに、成田空港の建設開始の1966年以来の、「行き当たりばったり」の無展望な、そしてめちゃくちゃな無駄遣いの成田空港建設の破綻した姿があります。これを強制してきたものこそ三里塚反対同盟の44年にわたる闘いなのです。しかし、第2誘導路にかけた110億円の問題、そして東峰の森の破壊、こうしたことの責任を一切明らかにすることなく、闇雲に進もうとする国、国交省、NAAの姿勢を断じて許すことはできません。また、東峰の森破壊に示されるように、第2誘導路は「無駄を承知」で東峰地区住民の生活破壊、そして追い出しを目的に作ったにすぎないと言わざるを得ません。地域住民に対してだけでなく、すべての国民に対する背信行為として断罪されるべきです。
そして第3誘導路建設の動きが始まるのですが、まず何よりも、民主党政権が誕生する直前に出されたこの計画とそれが出てきた以上のような経緯を何一つ検証することなく、むしろ2・25天神峰現闘本部裁判反動判決を皮切りに3・16成田市議会の団結街道廃道化決議、5・17市東孝雄さん逮捕、5・24萩原富雄さん逮捕、6・28団結街道封鎖、7・26市東さんの農地囲い込みと警察・機動隊暴力を前面に立てて、第3誘導路建設を、民主党政権が航空政策の転換の帰趨をかけて進めようとしていることを、腹の底からの怒りを込めて弾劾するものです。
この第3誘導路建設が、冒頭のべたように三里塚闘争の解体なくしてありえない「30万回」化の実現のための暫定滑走路3500メートル化と並ぶ唯一の方策だという点で、まず認められるものではありません。そして三里塚闘争解体への道筋をこじ開けるために市東さんの生活を破壊し、生きることさえ許そうとしない暴虐非道の攻撃であるという点で、いかなる意味でも許されるものではありません。
右の写真を見てください。市東さんのお宅は旧の誘導路から130メートルほど離れているだけのため、離着陸の航空機の轟音だけでなく、いやむしろそれよりも誘導路を走行する航空機の爆音と排気ガスの悪臭による肉体的、精神的苦痛と被害を受けています。その誘導路と反対側を、さらに市東さんのお宅に100メートルと近づく第3誘導路を作られるならば、それ自体からの旧の誘導路に倍した被害が襲い掛かることはもちろん、両方の誘導路によるその被害は想像を絶するものとなることは確実です。こうした事実を承知の上での「へ」の字問題の解決を見ないままのこの計画は、第2誘導路がそうであった以上に、市東さんを叩き出したい、三里塚闘争を解体したいという国家権力、民主党政権の航空政策の転換をかけた願望が、その根拠なのです。まさに、自民党政権の44年にわたる成田空港政策を、さらに硬直化させて引き継いだが故の計画なのです。
どうしてこんなことが許せるでしょうか。市東さんを叩き出す、あるいは抹殺しようとするこんな国家権力の横暴を許して、私たちに未来はありません。しかも、三里塚反対同盟、そして市東孝雄さんは、この理不尽な国家権力による航空政策、成田空港建設政策に対し、44年間の闘いの精華をかけて挑もうとしておられます。しかも、その闘いは、44年の不屈非妥協、実力闘争の真価をかけた市東孝雄さんの実力決起を軸に、今年前半の闘いに示されたように明らかに国家権力に破綻を突き付けているのですからなおさらです。ここに私たちが「三里塚と沖縄を結ぶ」という重大な根拠があります。巨大な大衆運動のうねりの一歩がすでに沖縄の「基地撤去」の闘いによって始まっています。今、三里塚の闘いこそは、この沖縄の闘いに応える本土の側の雄叫びとなっているのではないでしょうか。本当にそうなっていくのかどうかは、私たちにかかっているのではないでしょうか。10・10三里塚へ、全力で行こう!
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