結成30年を振り返って
結成30周年をこの6月に迎えた尼崎・伊丹実行委員会の弥永修さんから関実の実行委員会ニュース第131号に想いを書いていただきました。ご紹介します。
結成30年を振り返って
私のとっての回顧になりますが、おおざっぱに振り返えれば、最初の10年は三里塚を闘うがゆえに様々な弾圧を受けた10年でした。
私の自宅と職場に対し計6回にわたる不当ガサをはじめ、職場の上司へのスパイ工作、仕事の相手先へのたれこみ(弥永=過激派)による仕事妨害、また仕事関係者を装ってたびたび接近して懐柔しようとするなどなど、あげればきりがないぐらい卑劣な運動つぶしを経験しました。(三里塚を闘う人々は皆さん経験されているとはおもいますが・・) 【右写真は、尼崎・伊丹実行委員会結成集会にかけつけ、挨拶をされる故郡司とめ三里塚反対同盟婦人行動隊長】
元来気弱な私がよく持ちこたえたなあと思うのですが、その底流には「三里塚に対する考えの異なる個人や集団からの妨害や恫喝ならともかく公務員である警察官から公務として弾圧を受ける筋合いは絶対ない」という怒りがありました。そんな不当な事で振り上げた旗を降ろしているようでは、自分の人生だけでなく、自分の子供達にさえも責任がとれる親にはなれないと思っていました。
そして次の10年はそれらの弾圧に対して「不当ガサ兵庫国賠訴訟」を闘った10年でした。この裁判で私は、警察官が平気でうそ八百の証言をする存在である事、そして裁判官がそのうそ証言のみに依拠して「判決ならざる判決」を下した事に、まさに「民主国家日本」の本質を見出した思いがしました。その結果、ますます三里塚を闘う正義性に確信を持つようになりました。
そして最近の10年は自分の人生と三里塚を結びつける10年でした。すなわち「三里塚の勝利が我が人生の勝利」とようやく言えるようになりました。つい最近の事です。それまでは三里塚とのかかわりにどこまで責任がとれるのかはなはだ自信が持てなくて軽々にそのようには公言できませんでした。結成30年にして本当にようやくです。
経済的な問題もあり全国集会以外はなかなか現地入りはできませんが、最近は行ける時がくるのが楽しみでなりません。(こんなふうに言うと、連日緊迫した情勢下にある反対同盟の皆さんからお叱りを受けそうですが・・)
私も還暦を越え体力的には若干衰えを感じていますが、現地には北原事務局長や森田先生、そして我が関西には山本世話人や永井代表など大先輩が頑張っておられ、幸か不幸か弱音をはく場所がありません。
相変わらず微力ながらも、これからも関実の一員として頑張る所存ですので引き続きよろしくお願いいたします。
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