三里塚と沖縄を結ぶ② 安次富浩さん(その1)
沖縄・辺野古と安保体制(その1) 安次富浩さん
今、紹介していただきました名護・ヘリ基地反対協の安次富です。どうぞよろしくお願いいたします。
冒頭にみなさんに報告したいと思いますが、司会のほうからも報告がありましたが、あるいはほかの方からもありましたが、さる9月12日に名護市議会議員選挙がありました。今年の沖縄は統一地方選挙です。名護市議会議員選挙において、「海にも陸にも基地を造らせない」という稲嶺市長、彼を支える与党議員、定数27の議席のうち、与党議員16人が、当選しました。
これはどういう意味を持つのかということを少しだけ説明させてください。実は民主党政権は、とりわけ前原沖縄担当大臣、今回外務大臣になっていますが、彼は、今年の1月24日に名護市長選挙で先ほど言った稲嶺進市長が誕生した、その時敗れた島袋吉和前市長という誘致派等とこの数か月に2回も東京で密会をしているということなんです。沖縄担当大臣が敗北している市長職にもない前任の市長と密会をするということはどういうことなのか。これは正に市議選に向けて何らかの形で民主党中央が選挙に手を入れたのではないのかなあということは想像してもおかしくないと思います。
まあそのころ、つい最近収監された鈴木宗男議員が、沖縄県知事選の時に官房機密費3億円が支払われて、それによって太田県政が負けたんだということに関する暴露の記者会見がありました。私たちは、今回の市議選でも、民主党が官房機密費みたいなものを出したんじゃないか、そうことはありうるという警戒をしました。結局前原の暗躍は功を奏しない形で私たちは民主党政権に答えを突き付けたわけです。
しかも、今回16名というのは、与党系の立候補者18名だったんですよ。ちょっとやばいなと。私も東恩納琢磨を支えてきてますから、お互い票を奪い合いしてちょっとやばいんじゃないかという気持ちが生じていました。ふたを開けてみると、どういうことかというと東恩納も千票を超えました。前回は1票差で泣いて、それで裁判を起こして疑問票で同票になって、同票でくじ引いたら負けちゃった。議員として東恩納琢磨はいろんな経験をやりましたが、こういう体験はあまりないと思うんですが。彼は一生にとって非常にいい体験をしたと思います。でも、4年前のようなことは絶対にさせないということで、いろんな角度で闘いました。
まあ、千票を超えたということを考えてみますと、名護市民がやっぱりきちんとした答えをもっていたということです。マスコミ等の調べだと、やっぱり期日前投票が多かったと言われています。従来、期日前投票、昔でいうと事前投票ですか、この期日前投票が多いということは、業者が従業員を囲って、投票所に向かわせて、社長の命令通りに動くということだった。市長選挙でもそうだったんですが、それが功を奏しなかったわけですね、市長選挙でも。今回の期日前でもうまく機能を果たさなかったということは、社長の顔色をうかがいながら、投票は基地建設反対の、あるいは与党議員のために候補者に票を入れたんじゃないかということは考えられるんです。
そういう意味で16名当選したということは、大勝利です。先ほど言ったように、27名の定数からすると、議長、副議長を与党がとっても、過半数を制するわけです。こういう意味で、実は我々が想像してたのは、あれだけ前原と島袋前市長が暗躍したのは、誘致派の議員が過半数をとって、誘致決議をやり、もしくは稲嶺市長をリコールする腹積もりもあったのではないかと、そういうことを私たちも想像してたので、今回徹底的に闘わねばというこの危機感が功を奏したということも言えます。
その結果、今、名護から県内にものすごいさわやかな風というんですか、沖縄は暑いですけれども、沖縄中にただよっているんじゃないかと思います。
しかも、11月28日には、沖縄県知事選挙があります。私たちは伊波洋一宜野湾市長(左写真、宜野湾市ホームページより)の立候補を要請しました。社大・共産・社民、3党も伊波洋一さんを指名し、そして本人もつい先日承諾し、一昨日、後援会の事務所開きも行っています。もう、いよいよ県知事選挙一本です、これからは。私たちも、伊波さんを当選させるために、勝手連的な形で、労働組合、政党とは別に市民の力で選挙戦を勝ち抜こうということで、「沖縄の未来を拓く市民ネット」というのを立ち上げる(辺野古通信 http://henoko.ti-da.net/e3071963.html をご覧ください)、来週の今日立ち上げる予定です。
私たちも名護において今考えているのは、東恩納琢磨さんの名護における選対事務所を、このサポート運動の名護選対事務所として位置づけて、県知事選勝利をもぎ取っていこうと思っています。
まあ、この11月というのは、沖縄にとって、「沖縄の未来を拓く」というネットワークの名称がありますけれど、沖縄の将来を、わたしたちウチナンチューの力で作り上げていく大事な大事な闘いだと思っています。それに向けて、私たちはこれからも運動を続けていきます。
今日の表題には「日米安保体制」ということが出ていますが、私たちの沖縄になぜ米軍基地がこんなに集中しているのかということを、やはり振り返らなければならないと思います。
まず、沖縄には軍隊はなかったわけです。軍事基地はなかったと言ったほうがいいですね、軍隊というんじゃなくって。沖縄戦を決行するために当時の大本営が、中国大陸からも、あるいは日本からも、旧日本軍が移駐してきた。移駐してきた際に、簡単な契約書、ある意味では天皇のためにというかたちでの土地強奪いうこともあって、日本軍の基地が作られていったという歴史があります。そして沖縄戦のさなか、日本軍が敗退していく中で、米軍が次々とその日本軍の基地を接収し、日本への空襲などの出撃基地としていくわけです。普天間基地は、みなさんもご存じかもしれませんが、この沖縄戦のさなか、宜野湾の集落の人たちが避難をしている状況の中で米軍によって奪われた。無人化している宜野湾の集落をブルドーザーで敷きつめて普天間飛行場を作っていくわけです。普天間飛行場は、まさに米軍による土地強奪、土地泥棒であるということなんです。
沖縄戦が終結すると、当然、米軍はそのまま居座っていく。1952年にサンフランシスコ講和条約が結ばれますけど、その時、日本の独立と引き換えに沖縄の米軍支配が確立していくわけですよ。その時の背景には、天皇のマッカーサーへのメッセージがあったこともみなさんご存知だと思います。沖縄は半永久的に米軍が占拠してもいいということ。沖縄戦が遂行されたのも、実は国体維持、天皇制を継続するために秘密裏の交渉をやっていた。そういう中で、沖縄戦最後の闘いということで、敵に、連合軍に打撃を与えるために徹底抗戦ということで、住民をまきこんだあの沖縄戦があった。すべて、そういう意味では天皇制と結びついているわけです。だから昭和天皇は沖縄に来れなかったじゃないですか。来させなかったわけですよ。沖縄の人の怒りで。そういうことを是非考えてほしいと思います。
1952年の講和条約というのは、日本の独立という形をとって沖縄を売り渡したわけです。で、安保条約も沖縄問題を実質的には考えていなかったわけではないですか。60年安保闘争、ほんとにあの時に沖縄問題がそこに組み込まれていたら、あの安保闘争もまた違った闘いになった可能性もあったわけです。そこに、日本の左翼運動の限界性が、僕は今から振り返るとあるんじゃないかと思います。そういう限界性、それがまさにやっぱりどこかに沖縄の差別の構造が根底の中にあるんじゃないかと言わざるを得ないと思います。
そのことは政府官僚どもにも現在に至って綿々と続いているわけです。その沖縄差別を私たちは絶対に許さないというのが、今の沖縄の闘いの中に顕著になってきている。県民、ウチナンチューが沖縄差別だと言っているわけです。今の民主党政権のやり方に対してね。当たり前のように言っている。あるいは、新聞にも沖縄差別という報道も出はじめているというところに、今の沖縄の現状を映し出しているんじゃないかと私は思います。 (続く)
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コメント
私、大阪からです。旅する沖縄が、今、辺野古へ基地移設
で菅さんが気になる発言をしています。もちろん、島民が
一番反対ですが、本土からメッセージを送るのは、真意が
が伝わりにくいので、せめてジュゴンの立場でブログに、
記しました。訪ねて頂ければ、とコメントを御送りします。
よろしく、ゆたしく、うにげーさびら。
投稿: 渡り鳥一羽 | 2010年12月23日 (木) 12時42分