« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »

2010年9月30日 (木)

三里塚と沖縄を結ぶ⑨   連帯あいさつ(その2)

Photo 写真は、ゼネストに突入したみなさん。関西生コン支部のホームページより転載。

連帯の挨拶       武谷新吾さん                          (全日本建設運輸連帯労組関西生コン支部)

 こんにちは。ご苦労さんです。関西地区生コン支部の執行委員をしている武谷といいます。

 まず最初なんですが、沖縄におけるヘリ基地反対協議会の闘いと、44年間におよぶ三里塚芝山連合空港反対同盟のからだを張った弾圧にひるまない闘いに敬意を表します。また本集会に参加されている仲間のみなさんの現場での闘いに敬意を表します。10919

 先ほど紹介していただいた、スーパーゼネコンとセメントメーカーに対するストライキの報告を若干させていただきたいと思います。

 私たち関西地区生コン支部に対するまず刑事弾圧なんですが、これは一昨年、メーカー主導の生コン工事をめぐる事件以降、逮捕者は出ておりません。しかし、今も、我々が現場に出ているところには公安、警備部がいろいろうろついて、十手を持って御用だ、御用だとやってますんで、弾圧事件が作られようとしている状況は続いております。

 この状況は資本、権力が一体となってかかってきておるんですが、昨年の春闘の成果にあるんです。09春闘については、関西地区生コン支部がずっと進めている生コン産業政策運動の成果として5ケタ、一人1万5千円の賃上げを勝ち取りました。この運動がさらに拡大することを恐れて、今年の10春闘を潰しにきているという目的だということは明らかだと考えています。

 しかし、私たち関西地区生コン支部をはじめとした生コン産業政策協議会は、昨年の政策課題ですね、昨年の春闘からの継続審議を実現するために生コン業界の再建、政策運動をさらに推し進めることとして、今年の6月27日には、関西の生コン業界において初めて近畿2府4県の各地区の生コン業界の関係者と生コン関連の労働組合が共同による生コン業界再建総決起集会を2200数名の参加で取り組みました。そして7月2日より、この大阪地区において生コン適正価格の収受を求めてゼネストに突入しております。

 Photo_2 続いて7月5日には阪神地区協同組合、翌6日には灘セメント輸送協同組合、その後12日には近畿圧送労働組合がストライキに合流して、完全なゼネスト状況に入っております(左写真は関西生コン支部ホームページより転載)。

 このゼネストについては7月から始まってますんで、3か月以上にわたっています。この連休も抜け駆けをするような業者がありますんで、きちっと組合員が今配置をして監視を続けておるんですが、この行動によって、とにかく生コンの適正価格、つまり生コンの値上げ、それによって輸送会社の適正な運賃、それとわれわれの雇用安定、賃上げにおいても大きな成果を上げつつあります。

 これは私たちの産業政策運動、中小零細企業が協同組合に大同団結して労働組合と共同で大手のスーパーゼネコンや独占資本のセメントメーカーに立ち向かい闘うことが、中小企業とそこで働く労働者が生きていく唯一の手段であることを証明していると思います。

 この成果は生コン関連業界からは近畿各地に広がろうとしています。兵庫県の方ではね、一番末端である左官屋さん、モルタルを壁に塗る業者の方がおられるんですが、この生コンの運動を見てね、我々も固まってきちっとした適正な料金、請負代金をもらおうと意志一致をしてこれから元請けと闘うというような報告も聞いています。

 いずれにしてもこのストライキというのは、これは武委員長が言っていたんですが、90年代に一度、大阪の東大阪地域ですが、ここで生コンの乱売によってお金をつけて仕事をするというような形になって、業者の方からなんとか手立てはおませんかということで、3日間ストライキを打ったんです。3日間ストライキを打って、わかりましたとね、きちんと適正な価格を収受して、ゼネコンにも赤字にならないような生コンの請求をします業者が約束をして、わかった、それならストライキを解除するからきちんとやれよと、それではストライキを解除しますと言うたんですが、経営者というのはね、喉もと過ぎればということで、結局それを実現しなくなって、もっと生コンの価格が下落をしてね、まあこの当時で49社ほどが倒産してしまったんです10919_2

 今回、生コン支部はその90年代のことを教訓にして、いくら経営側、ゼネコンがきちっと払うと約束をしてもね、要は中小企業の生コン工場にその料金が入った、きちんと支払われたということを確認するまでこのストライキはやめないという決意で進めております。

 最後にですが、今の世界は、先輩方を前に偉そうなことを言って申し訳ないんですが、百年に一度の金融危機と言われていますが、その打開策を、中小企業、農民、商工業者、労働者に対して、政権は戦争政策で乗り切ろうとしていることは明らかです。このような情勢を主導的に切り開くには、多くの犠牲を受けた業者団体の団結力を確保して、大企業との対等取引条件を作ること。それと労働組合が大企業の収奪と闘い、経営と産業の民主化闘争の先頭に立って闘うことと、統一戦線形成力の一翼を担うことが重要だと思っております。そして支配者が行う対米従属、独占資本本位の戦争政策と全面対決をして闘うこと。敵が与えている団結条件を生かして、社会変革の運動を力強く促進することにあると思っております。

 みなさんとともに闘うことをお誓いして挨拶に代えさせていただきます。ともに闘いましょう。どうもありがとうございました。

| | コメント (0)

2010年9月29日 (水)

三里塚と沖縄を結ぶ⑧   連帯あいさつ(その1)

10910 写真は、東京高裁、高検に狭山要請行動を行う部落解放同盟全国連と共闘の支援の人々(2010年9月10日 全国連ホームページより転載)

連帯の挨拶         滝岡広治さん                             (部落解放同盟全国連合会)

 今日は関実の集会に連帯の挨拶をさせていただくことになり、ありがとうございます。

 今日のテーマが「三里塚と沖縄を結ぶ」というテーマで集会が開かれるということで、この間、関実のみなさんからもお伺いしてますけれども、日本の軍事空港反対、基地撤去の闘いが三里塚と沖縄を結んで闘われるということが、非常に重要な私たちの闘いになるという風に全国連も思っておりますし、一緒に闘いたいという風に思っております。10919

 特に沖縄の基地の問題は、基地の問題だけを考えるという風になるとどうも迷路に入ってしまうという気がします。やはり先ほど永井さんがおっしゃったように、日米安保体制というその根幹を変えていくということがなければいけないのではないかと、つくづくこの間の問題を考えて、そういう風に思うところです。

 全国連はこの間、部落解放運動の果たしていくべき役割ということについて考えてきました。この数年、様々な、詳しくは言いませんけれども問題がありましたが、全国連は原点に立ち返ってどう闘うのかいうことを真剣に考えてきました。今日は、連帯を表明すると同時に、全国連の闘いを、紹介させていただいてご支援をお願いしたいという風に思っております。

 司会のほうからもありました。現在、狭山の第3次再審を闘っている最中ですけれども、この間の事情についてはご存知だと思います。昨年、3者協議が開かれて、この5月に一部とはいえ証拠開示が行われました。再審での3者協議と証拠開示という流れは、過去、再審ではありませんでしたけれども、「遂に」と言っていいと思いますけれども、証拠開示を勝ち取るということがありました。私たちは第3次再審というこの段階で、証拠開示が行われたということを非常に重大に受け止めております。石川さんもそうですけれども、何としてもこの第3次再審で再審を勝ち取りたい。それは非常に重い再審の扉ではありますけれども、動き始めたんではないかという風に考えております。

 この間、要請行動を月1回のペースで闘っておりますけれども、裁判所や検察側は確かに私たち要請団に何か約束するということはありません。しかしながら裁判所や検察側は、我々の要請行動をやはり無視できないということははっきりしているという風に思います。まあ、時間のことを言っても仕方がないとは思いますけれども、裁判所は30分、検察側も30分という約束でずっと要請行動をやっておりますけれども、この間、裁判所も検察側も時間のことについてはほとんど触れないまま、我々が、要請と言ってもほとんど糾弾ですけれども、我々がこういう形でやってることについて時間のことも言い出せないまま、要請行動をやりきるという風な状況になっております。Photo (左写真は、石川一雄さん。全国連狭山支部ブログより転載)

 ところでこの狭山の再審を勝ち取るために一体、じゃあ、解放運動は何をしたらいいのかという風に思うわけです。結局、裁判所や検察側、あるいは弁護団にまかせる形で3者協議は行われているわけですけれども、それを見守るというだけでは到底再審は開始されないだろう。これはまあ、過去の例を見てもわかると思うんですけれども、やはり全国連が中心となって、大きな大衆運動をもう一度起こしていくということが絶対に必要だと思います。これはまあ、解放運動だけではなくって三里塚も沖縄も一緒やと思うんですけれども、本当に情勢を決定していく力というのは、やっぱり大衆の力であるという風に思います。

 1974年の寺尾判決が出る前の公判で、全国の部落民、労働者、11万人といわれる人が日比谷に集まって、狭山差別裁判糾弾の闘いが行われましたけれども、私たちは、今、再審の非常に重大な段階でもう一度部落解放運動と労働者との階級的な共同闘争を作り出して情勢をこじ開けていきたいいう風に考えました。これはまあ、部落解放同盟全国連合会だけが考えたわけではないのでして、実はみなさんに是非お願いしたいというのはこの点なのですが、今回、10・31寺尾判決36年になりますけれども、この集会を、以前は毎年この集会を東京のほうで開いておりましたが、今回、全国で、それぞれのブロックに分かれて新たに階級的共同闘争を目指す労働者との共闘、狭山闘争を闘っていく、そういう陣形をぜひとも新たに作っていきたいいう風に思いまして、これは現在進行形の話しですけれども、奈良市従労組のほうから、全関西の労働者に向けて狭山の全関西集会を呼びかけるという風になったと聞いております。全国連は今までこの階級的共同闘争を作りたいと考えている、ちょうどその折、奈良市従も同じことを考えておりまして、今回、10・31を奈良で全関西の労働者集会としてやりたいという呼びかけが行われつつあります。すでに奈良市従のほうは機関決定もして、呼び掛け文も準備されております。ここでみなさんに是非お願いしたいのは、この呼びかけに応えて賛同し、参加していただきたいいう風に思っているところです。

 狭山については、今の現状を考えたときに、それを突破していく力というのを本当に作っていかなければならないし、全国連が今までの闘いに満足してそのまま続けていくだけで果たしていいのだろうか、いう風に私たちも考えております。是非、皆さんのご協力を訴えたいと思います。10919_3

 それから、全国連は、この狭山闘争もそうですけれども、もう一つ、全国実態調査を実施するということをこの大会で決めました。全国実態調査と言えば、地味に聞こえる取り組みではあるんですけれども、今の部落解放運動が目標を見失いつつある、既成の解放運動は特にそうですけれども、そういう風になりつつある中で、いったい部落民は、今、現実、どういう風に生活し、何を望んで、どう考えているのか、いうことを本当に一人一人から聞き取って調査し、全国連の運動の中に反映していく。それがなければ、特に飛鳥会問題以降、部落解放運動の権威というのはまあ、地に落ちたと思うわけですけれども、私たちは全国連ではありますけれども、全国の部落民をまだ代表してと言える状況ではないですけれども、部落解放運動の先頭に立って闘いたいと思う我々が、やはり全国の部落の実態を正確につかんで運動に反映していく。これはもう、ある意味、根底から部落解放運動を作っていきたいという願いを込めて、全国実態調査を実施していきたいと思っております。

 狭山の再審闘争、それから全国実態調査、その中で住宅問題も当然あります。この問題については、もう十年以上、同和住宅、公営住宅の問題に取り組んできましたけれども、私たちには、同和住宅の性格、公営住宅一般には解消できない性格があるんですけれども、しかしながら、政府は、国は、この公営住宅全体をなくしていこうという風に考えているようです。これはまあ、最初からいわれておりましたけれども、しかし、実際には予算を削るということで建て替えをしない、どんどんどんどん数を減らしていくという方向に動いているのはこの民主党の政権でも同じです。私たちとしては、公営住宅からの追い出しということについては断固としてこれを阻止する闘いを組んでいきたいと思っております。

 供託闘争はほとんど裁判が終わってしまって、現実には行政との間の闘いという段階に入っております。その中で、西宮をはじめとして住宅追い出し裁判が闘われてるわけですけれども、全国連は、西宮を筆頭とした住宅追い出しについては、実力をもって闘いたいという風に思っております。全国連としてみなさんに闘いを紹介することを通して、みなさんのご支援と賛同をお願いしたいと思います。

 最後に、来年4月に統一地方選挙があります。実は今日、寝屋川の木邨(きむら)さんが発言することになっておりましたんですが、同時に来年の統一地方選に立候補を予定しております。木邨さんのほうで、今日突然選挙のほうのスケジュールが舞い込んできまして、どうしても発言することができないので、是非みなさんによろしく言ってほしいということを言付かっておりますので、今日はちょっとそういうことを紹介させていただきます。全国連としても、各地方の、それから各自治体の選挙に関しては、できる限り打って出ようではないかという風に考えておりますので、寝屋川がその最初ということになります。ぜひとも寝屋川の選挙を勝利に導いていきたいと思っておりますので、皆さんのご協力をお願いして、連帯の挨拶に代えたいと思います。どうもありがとうございました。  

| | コメント (0)

2010年9月28日 (火)

第3誘導路建設を絶対に許すな

0810627

 上の写真は、今年の6月27日、団結街道の閉鎖、第3誘導路建設に抗議して緊急に開かれた現地集会です。空港のど真ん中にある萩原さんの「横川の畑」で開かれました。

 反対同盟のブログ http://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2010/09/post-187.html が伝えていますが、この畑が、昨日からの関東地方に降った大雨で冠水してしまいました。この程度の雨で、これまでこんなことは起こりませんでした。それが起こり、ニンジンの苗が大変な被害を受けています。10928 この間、第3誘導路建設に向けたあちこちでのフェンスの建設が、反対同盟ブログで伝えられていましたが、今回の事態は、このフェンスの建設が水の流れを閉じてしまったからです(右写真、反対同盟ブログより)。写真左手の柵の左側が、横川の畑で、畑が冠水しています(左下写真、反対同盟ブログより)。

 もともとこのあたり一帯の分水嶺である東峰の森の西側に、東峰神社や、開拓組合道路などを承知で空港を作ったために、空港のコンクリート面は、こうした地面より高く盛り土され固められました。このため暫定滑走路が供用開始する前に、大雨で清水の畑が冠水し、滝のような状態になって、秋の清水の畑での集会が横の林の中で開かれたことがありましたが、本来畑より低地のはずの空港敷地に水の流れがせき止められたために起こったのです。10928_2 同じ事態が、それもそれほどの大雨でないにもかかわらず、第3誘導路のフェンス工事で起こったのです。住民の生活などお構いなし。いや、住民を追い出すために作られようとする第3誘導路のためのフェンス工事だからこそ、こうしたことにお構いなしに、何の思慮もなく作られたのです。こんなことが、どうして許せるでしょうか。

 10・10三里塚現地へ怒りを込め決起しよう!

| | コメント (2)

三里塚と沖縄を結ぶ⑦  萩原進さん(その2)

10919

三里塚からの訴え   萩原進さん(その2)

 誰も戦争に向かおうとすることに賛成の人はいないんですよ。だけど戦争に向かおうとする支配者に対して、この化けの皮をはがして、たたきつけて、こりゃあダメだという旗振りを我々自身がやっていかなくちゃあならない、今そういう時代にあるわけです。そのために三里塚は今、そのことを猛然と、単に飛行場を作らせないということだけじゃなくって、そのことを全国の人に訴えていく。それが我々の使命だ。しかも、こういう中で労働者の闘い、厳しい中で闘いぬいている、関生の人たちがストで何か月も闘いぬいて、しかも大手とのまっこうからの勝負の中で闘いぬいている。あるいは千葉でも動労千葉が闘いぬいている。こういう労働運動をどんどん作っていく。それと我々ががっちり手をつないで連帯して闘いぬいていくそういう構図をつくらなければならない。10919_2

 われわれも沖縄問題を対置するのは、大きなカギは本土の闘いによってどうなるかということを示されてるんですよ。問い詰められてるんですよ。それをだれがやるかと言ったら、今、ここに集まっている三里塚勢力じゃないですか。この人たちがやらなくて誰がやるんですか。その人たちがやっぱり大きな輪として闘いぬいていく。そして勝利していく。そういう構図を作っていきたい。

 ですから三里塚は今まで勝利の大道を歩いてきました。だけども、敵さんも一度の失敗も許されないところまで来てるんですね。ですから我々もほんとうに丁寧に、丁寧に闘いぬいていこうと思います。今までは向こうがやってきたら、さあ、動員だ、やっていこう、さあ持っていかれた、奪い返した、それの繰り返しじゃなくって、それはそれとしてやりますが、しかしそれだけじゃだめだ。ここが一番弱い環だ、あるいはやっぱり我々が訴えているところはここなんだ、そういうものを重点的に作ってやっていかなければならない。それは今、労働者と農民、労農同盟の構築であり、もう一方沖縄問題なんですよ。ここのところで我々はどう闘いぬいていくのか考えていくべきだと思います。10919_3

 今日は現地では、障害者の人たちが一堂に集まって、三里塚空港反対の闘いを展開しています(左写真、反対同盟ブログより)。ですからそういう意味では、三里塚は健全者も含めて、労働者、学生、市民、そして障害者の人たち、あるいは差別される人たち、そういう人たちが一堂に会して闘いぬいている大衆の闘いの場なわけですよ。そういう場を有意義に活用しながら、しかもそういう中で力を着けてね、現場で闘いぬいていただきたいというのが、自分たちのほんとの願いなんです。

 ですから、もう一度三里塚に、沖縄のような大きな勢力、人民を結集できた時にはじめて三里塚に勝利の展望が切り開かれるという風に思うわけですね。

 時間が制約されていますので。 我々は70年代の学生運動も経験し一緒に闘わせてもらった。これは過去のもんだ、もうそれは夢なんだという風に思っちゃった途端にもう運動なんかできませんから。そうじゃなくって、沖縄の人たちはあれだけのものを集めてんですよ。本土でなぜやり切れないかと言ったら、ほんとにそういうものとして真剣に闘いぬく、あるいは考え抜く、そして組織しぬいていく、そうした活動が足りないんですよ。それをこれからやっていこうというのが三里塚の闘いだと思います。10627

 だから関実の位置というのはもっともっと重要になってきます。ほんとにそういう意味では、関西の地において旗振りの位置として関実の闘いを我々は期待しますし、もっとこういうものを全国に作っていきたいという風に思います(右写真は、6・27緊急現地闘争での関実の隊列)。ですから、形を変えた「市東さんを守る会」も沖縄にできました。そして関西でもそういう形でやっていただいております。それをもっともっと広げていく。そういう中に沖縄問題をどんどん取り入れ、労農同盟の問題も取り入れ、そして広範な人たちの闘いの輪を作っていく。そういう闘いを三里塚闘争を、くどいようですが、やっていきたいという風に思います。

 知花さんなどとも話ししますけれど、彼のこの間の話しで、やはり政党あるいは本土に幻想を持ったけれども、やっぱり自分たちで闘わなければならないというところに結論を持ってきているというような発言がありますけれども(注2)、やっぱり今の政党について確かにそうです。本土の闘いについても現状はそうですよ。それを本土の人たちがどう理解するかどうかがあるんです。

 たとえば移設問題で、「じゃあ、本土に持って行け」と沖縄の人たちが言う。そしたら本土の人たちは、それに対して反論するわけですよ、「そりゃあないだろう」と。しかし、沖縄の人たちの心情から言ったらそれは当然のことなんですよ。10624 それを理解できなかったら沖縄問題なんてダメなんですよ。「そういうことをいう萩原はダメなんだ」と決めつけて「沖縄問題は違うんだ」と言うけれども、沖縄の人たちは、安保問題言わないとしてもですよ、「ここにある基地を撤去してくれ」と、あるいは「アメリカに持って帰ってくれ」と、これこそ安保問題でしょう(左上写真は、キャンプシュワブ前での座り込み。マイクを持っているのが安次富浩さん。中央の黄色い帽子が嘉陽のおじい。10年6月24日)。むしろ「安保を廃棄しろ」ということを意味してるんですよ。これを本土の人たちは理解して、一緒に闘おうじゃないかと。これは理論とかなんとかじゃないですよ。(ここで司会から「時間です」と紙が。)

 差別されている人たちの問題もそこにはあります。そういう意味で我々は根底的に考えを改めていかなければならない、そういう問題があります。ですから、三里塚というのは、そういう人たちが一堂に会して闘いぬく場であります。それを目前に迫った10月の集会の時には今まで以上の集まりを持って敵さんにぶつけて、第3誘導路の問題について我々の回答をしたい。ほんとにね、1本の滑走路に3本の誘導路なんて考えられないですよ。そして1年前に作った誘導路をもう使いもしないで、第3誘導路を作るんだと。

 国会で「金がない、金がない」と言っといて、三里塚で湯水のごとく使っても誰も言わないなんてね、こんな理不尽なことないですよ。今度、第3の誘導路作るだけで200億円使うんですから。前の誘導路に使った200億。合わせてほんの2、3年の間に500億円近くもつぎ込んでいるんですよ。そのために今度は警察の宿舎を作るんだとか、そんなことをやって、あんな塀を作って、やらなくちゃあならん。091025 塀で囲んで我々を追い出そうと言いますけれど、ああいう塀を作らなければ空港を守れないんだ、塀を作って空港を維持し、守らざるを得ないというところに、我々が追い込んでるんだと、そこには勝利の展望があるんだ。先ほどのスライドにありましたが、中に組合道路があり、中に墓地があり、神社があり、民家があるわけですよ。

 こういう中で、先ほど島村さんの上空40メートルがありましたけれど(左下写真)、暫定滑走路はこの一年間、急に、4千メートル滑走路を離陸専用に、2500メートル(暫定)滑走路を着陸専用にした。自分の畑がそのすぐ脇にありますけれども、2分おきに飛行機が脇を通るんですね。Ky3 東京の山手線のガードと同じなんですよ。飛行機が。その下で農作業をしている人というのは、実際を言えばこれは耐えられないんですよ。次々に来るんですから。この間の台風の時の飛行機の状態と言ったら、こういう風に揺れて(両手を広げてバタバタとする仕草をされる)降りてるんですからね。降りられずもう一度上がっていくというような状況。その下で仕事をやっていて怖くてしょうがないわけです。

 空港会社の騒音調査というのは、我々のところは除外して、ほかのところは規定以上の騒音はないと決めつけてますけれども、騒音とかうるささとかいう以上に、今飛行機に突っ込まれるかどうかの中にいるわけですからね。

 そういう中で、市東さんのように「もう金じゃないんだ。ここで農業をやって、作物を人民のために供給する。このことが自分の使命なんだ」という結論に至っているのが、今の三里塚の農民なんです。ですから、今年の暑さはほんとに参りましたけれども、人間が参る以上に作物のほうが大変なんですよ。産直のほうが問題になります。関西のほうにもお願いしておりますけれども、ますますこれから力をお借りする形になりますけれども、よろしくお願いしたいと思います。

 何よりも後半の闘い。一つは裁判闘争があります。先ほど話しにあったように、市東さんが迂回道路を定められたところを使わず近道をしていますけれども、それを封鎖するようなことがあれば、また我々は流血を辞さず闘いぬきます。そういう中で、我々が闘いぬいて火花を上げて、全国住民に訴えて「三里塚の農民ここにあり」「三里塚の闘いここにあり」、そしてこの中に沖縄と連帯して闘うんだと旗を掲げて闘いますので、ぜひ、10月10日には、少なくとも一人、二人仲間を連れて現地に駆けつけていただきたい、そして一緒にその姿を見て、職場なり、学園なり、地域なりに帰って、その輪を広げていただきたいということをお願いして、時間になりましたので終わりにいたします。

(注2)知花昌一さんが、8・6ヒロシマでの「平和の夕べ」で、「我々は、もう本土の政治、本土の運動に一喜一憂しない。期待しない。自分たちで闘う」と言われたことを指す。

 

 

| | コメント (0)

2010年9月27日 (月)

三里塚と沖縄を結ぶ⑥   萩原進さん(その1)

10919

三里塚からの訴え   萩原進さん(その1)

 大枠はスライドでわかると思いますけれど(注1)、三里塚前半の闘いは、その都度言ってますけれど、現闘本部をどうやって撤去するかというところに焦点がありました。裁判の中で、普通もちものはどちらになるかというのが裁判の筈なんだけれど、これは異例ですけれど、そうでなくてすぐ撤去しろということを条件として空港会社のほうは裁判の中に入れてあったわけですね。10919_2 ですから(成田)市当局も、そのためには団結街道を廃道にして、そして闘いをあの辺でやらせない。全部フェンスをやって一歩も入らせない、そういう体制を作らせるために議会で保守勢力に強引に押し込んで3月に議決するというような動きを一方でやった。そして(現闘)本部の周りも重機を入れて完全に整地したんですよ。ですから、判決も厳しい、判決が出た途端にこれは代執行並みの闘いになるなというような判断をして我々はやりました。その間、裁判所に対する抗議は当然ですけれども、周辺、あるいは駅頭、そして(団結街道の)見張りなど態勢づくりに邁進して現闘本部を守り抜くという闘いをやりぬいた。そのおかげで、即刻撤去しようなどという判決はつけられなかった。これが決定的な要素としてあって、彼らはそこで今年度の計画がずたずたに崩れちゃったのです。

 そういう中で、やみくもに団結街道を閉鎖するというような攻撃に出てきたわけです。その中で市東さん、うちの息子の逮捕というのがありました。先ほどスライドの時に報告もありましたけれど、やはり市東さんは親爺さんの遺志を継ぐ形で、闘争に途中から参加して逮捕歴というのも全然ないし、現場での攻防という点でもそういう意味で代執行の経験もないわけです。10425 しかし、決定的には、三里塚闘争に身を置いてみんなと闘う中で、やはり政府の理不尽なやり方、そして農民として生きるためにどうするのかということを、ほんの数年の中で彼は築き上げ、作り上げたのです。そういう気持ちの中で沖縄に行って、日本の中でも非常に大きな闘いがある、そういう沖縄の中であれだけの決起の人たちを観て、これは三里塚が闘わなければならないという気持ちを非常に大きなものとして勝ち取ってきたわけですよ。(左写真は、4・25沖縄で三里塚のびらをまく市東さん。)

 我々の闘いは、そういう意味では、砂川とか北富士とか百里基地とか、そういう各先輩の闘いの中での教えがあった。それと同時に、当初から沖縄から駆けつけてくれた励ましや、同じように闘いぬいている姿を見てきたし、そしてそこで我々が闘いぬいてきたという構図が作られてきたわけですよ。市東さんもそういう中で、まず沖縄の闘いも本土で闘わなければならないという意識のもとに、その旗振りを三里塚でやるという意識のもとにね、そのためにはどうするのか。その答えは自らが決起して闘わなければならないという結果が、彼が団結街道封鎖に対して決起して逮捕という事態になったわけです。

 まあ、23日で返されたんで話しても大丈夫だと思いますけれど、各党派が支援をしています。当日の援農作業として5~6人、市東さんの家に入っていて、その市東さんの家のすぐ目の前に立て看板を立てたわけですね。それを見た市東さんが激しく怒って、やった連中を追っかけて行ったんですよ。彼らは一目散に逃げて影も形もなくなったんですけれど、市東さんはどうしたかというと、大きなハンマーを持ち出して看板を徹底的にめちゃくちゃにぶち壊したんですね。新聞報道では「蹴った」と出てますけれど。その形相を見た各支援がね、「今までの市東さんでは考えられない姿だった」という形で、後で自分は聞かせてもらったんです。やはりここでやらなくてどうするのかという彼の意識の中で、ほんとにハンマーを振り回し、番線切りの大きなカッターでぶち壊してやったのです。10517_2

 知らせを受けて自分が駆けつけた時にはもうわっぱをはめられてるんですよ。事態を自分もすぐに呑み込めなかったんですけれど、「こんなこと許せるか」と自分は畑から駆けつけてトラックで行ったんですけれど、後ろには鍬や鎌が5、6本積んでんだけど、そのまま機動隊の中に突っ込んで、道の真ん中に止めて、市東さんのところに駆けつけた。こういう形で手錠はめられてるんですよ。自分はその中に入っちゃって、市東さんをおんぶするような形で(右写真。反対同盟ブログより)、「市東さん連れて行くんならおれもつれていけ。何の連れて行くような要素があるんだ」と抗議した。彼らは「これじゃあしょうがない」と市東さんの手錠を外して、自分を引きずり出して連れて行った。それども、市東さんは「俺は大丈夫だから。行ってくるから」という形で行ったんだけれど、自分は何をされようと彼を心配していなかったんです。

 むしろ、農作業のほうをどうするのかということでね、毎日見回りに行って支援の学生にこれとこれをやれという風に指図した。そのうち自分の息子を持っていかれちゃって、「こりゃあ」と思ったんだけれど、「これ以上のシナリオはない」と、市東さんがやられて、うちの息子がやられて、「反対同盟健全なり」と、要するに闘ったんだと、市東さんが先頭に立って闘いぬいた。これ以上のシナリオを描いて、さあこの通りやってくださいて言ったって出来っこない。そういうシナリオになった。もう反対同盟は盤石だというね、これで闘えるというかたちで、自分たちは総括しました。

 10731 ですから市東さんをフェンスで囲み、第3誘導路で追い出しを謀ろうとしても、追い出すことなんてできないと、今年前半の闘いの中ではっきりしたんですよ。これはもう、そこに第3誘導路を作ろうと、フェンスを作ろうとね、彼らは失敗だったということを認めざるを得ないところまで追い込んだと、そういうところまで今年の前半やりぬいたという風に思います。

 ですから、今度は羽田の第4滑走路の供用化の中で、地元は、政権は空港建設に邁進せざるを得ない。そして警察権力もそれに対してスライドにもありましたけれど、市東さんのすぐ後ろに宿舎を作って前進基地を作ろうとしているわけです。そういう形でこの工事を防衛するというのがある。

 そのために、裁判、司法でこの土地を取り上げる。立法、行政、司法、三位一体になって三里塚に襲い掛かった。これは沖縄でもそういう状況がなされてるわけですけれども、その上で、地元の利権団体が「完全空港化だ」と、20万回の飛行を30万回に引き上げるんだという形で周辺に対して、空港会社、国、県は説明会を開いて行ってるわけですけれども、このままじゃあ成田が地盤沈下してしまうという形で、「それをのまざるを得ないんだ」という言い方でマスコミは書いているけれども、誰が20万回を30万回にするのを受け入れたり喜んだりする人はいないですよ。ほんとにそう意味で民衆をだましてマスコミなんかも書いてますけれど、そこに闘いがあるんだということを後半の闘いの中で我々は示す。そして、こういうやり方はダメなんだと。

 10919_3 先ほど沖縄で基地との共存という形で言われました。我々のほうも、空港との共存だ、共栄だという形で宣伝され、空港があるから繁栄するんだという形に成されてます。しかし、我々は裁判の中でも主張していますが、今まで空港が大きな国家的事業だと住民をだましてきました。しかしもう一方は、先ほどちょっと話もありましたが、農業政策なんかで見れば、もう200万農家になっちゃってる。5年間で20%以上の農民がもう居なくなっちゃってる。しかも、その内容たるや65歳以上、もう70歳になろうという人たちが農業の担い手になっているというそういう中で、いわゆる食糧問題、農業問題、自然問題、土地問題、これをだれが解決するのかと言ったら、我々自身じゃないのか。

 農民がここにそういうことに目覚め、そして決起して、それを守っていかなかったら守ることはできない。これこそが国家的事業であり、国家的作業ではないのか、ということを、今、裁判の中でも訴えているわけですよ。市東さんが、自分もそうですけれども、辺野古の海を見て「この海を埋め立てたら二度ともどらん。こんなことを許してはなダメだ」と言っていました。これは絶対に守らなければしょうがない。海と畑の違いはありますけれど、これは根本は同じなんですよ。これを一度潰しちゃったら、一度汚しちゃったら戻らない。こういうことは関西空港のことでもわかるんですよ。ですから、こういうことこそ、人民が、国民が、今こそ目覚めて、今までの意識を転換して考えざるを得ない時代に入ってるんじゃないかということを訴えます。 (明日に続く) 

10919_6   

(注1)集会に先立って、約30枚のスライドをもとに、現地の闘いの状況と農作業、産直出荷などの様子を20分くらいで説明いたしました(左写真)。1年前の3月の集会から始めましたが、結構好評で、大切な三里塚関西集会の前座になっています。

| | コメント (0)

2010年9月26日 (日)

三里塚と沖縄を結ぶ⑤   安次富浩さん(その4)

沖縄・辺野古と安保体制(その4)  安次富浩さん10919

 普天間爆音の訴訟の中で那覇高裁は判決文の中で「世界一危険な基地」と言って判決が出てるわけですよ。司法でも「世界一危険な基地」と、辺野古に作らなければ固定化だということで民主党は脅かしに入っているわけですよ。マスコミも一緒なんですが、中央メディアは。基地固定化という。ところが民主党でも、不思議な民主党ですよ、民主党の若手の国会議員は川内さんという沖縄問題懇談会の座長をやっているあの人たちが、日米合意になっていく寸前に国会議員の署名活動をしたら171名の民主党の国会議員が新基地建設反対の署名をやった(糸数恵子、社民党10人、計182名)。多くは若手ですよ。ところが、民主党という政党は、前原しかり、岡田しかり、政権の中枢は辺野古への押しつけですよ。この名護市議選の中央メディアによる報道が、民主党の代表選で名護の紙面があまりなかったのは、あれは意図的だったと思いますよ。

 10622 (ここで「時間がありません」と司会から紙が・・・)やっぱり、45分では時間が足りない。(右写真は、6月22日の辺野古のテント。右から2人目が嘉陽のおじい。)

 民主党の若手は新基地建設反対の署名をするけれども、先ほどの実力者は沖縄に押しつけでしょ。こういう政党は、ほんとに民主的な政党じゃないですよ。国会議員の多数が反対なのに幹部連中は押し付けるというこの構図、民主党という名前を変えたほうがいいと僕はよく発言しています。デモクラシーという名前に恥ずべき行為ですよ、今のやり方は。まあ、独裁党といっていいのかわからんけれど。とにかく私は、今の民主党政権は前政権と同じように沖縄に基地を押し付けるという流れ、米国への従属性は変わらないと思います。

 私は、この日米安保65年です。改定50年、私はよく言ってるのは、安保条約はもう平和友好条約に変えろ。平和友好条約でなくてなんで軍事同盟か。マスコミ、メディアは沖縄問題で「日米同盟危機的状況」、「ひびがはいる」なんて論調ですよ。なぜそんなことになるのか。一度、朝日新聞の論説委員と話したんですが、編集局長は、米留帰りだそうですね。そしてアメリカの通信特派員で、だいたい取材源はそういうところしかやっていないから、アメリカのアーミテージとかナイとか、いろんな連中が砲艦外交をずっと続けてるわけです。日本は脅かせば事足りると。脅かしてカネを獲ればいいんだという、そういう乱暴な政策を受け入れてきているのが自公政権であり、また民主党政権も同じような路線を踏んでいる。Photo

 こういう今の日本の流れをほんとに変革するのは誰かと言ったら、私たちではないですか。主権者は国民でしょう。政治家じゃないわけです。政治家は私たちの声を聴いて、国会で論戦すればいいわけです。ところが、今の日本の政治というのは、国民の声を聴くことがない。僕は小沢さんにも一抹の不安を持っている。なぜなら、宮古、八重山に自衛隊の配備と代表選で言ってましたから。むしろ、そういう国境地帯は非武装地帯にしたほうが当たり前なんですけれど、そういう発想はない。また沖縄に自衛隊を配備して、中国との戦争で沖縄を発進基地にしようという目論見が前原あたりにはあるんじゃないか。彼は外相になる前に、宮古に飛んでるわけですからね。尖閣列島の問題でね。それで、外相になったでしょう。

 菅が市民運動出身だというのはあれは嘘っぱちですね、師匠の市川房江さんも天国で怒ってると思うんですよ、菅に対してね。「こんなことを教えたつもりはない」と。市川房江さんを侮辱するようなことを、彼は、今、民主党の総裁として、総理大臣として、沖縄問題を押し付けてきている。

 これに対して、先ほど言った11月28日は、大きな闘いの位置づけがあります。私が絶えず言っているのは、つい最近もある集会で言いました、沖縄でね、伊波知事が誕生したら、伊波さんは市長時代もワシントンで直訴をやった、まあ、仲井真もやっているけれどもどういうことをやったか中身はわからないけれど。我々は、アメリカ政府に、オバマに、沖縄は怒りに怒っている、あんた方はいつまでもこんなことばかりやっていると、沖縄から米軍基地を一つもすぐになくす運動を続けるぞとこういう恫喝をしていきたいと。そのための派遣団を幅広く作るべきだという提案を私はしたいと思う。県知事誕生の後にね。あわよくば東京事務所の規模を縮小してね、ワシントンDCに沖縄事務所を作るとか、ニューヨークの国連本部に事務所を作って、沖縄の怒りを国際的に拡げていく。あるいは、アメリカ政府の喉元に突き刺す。こういう運動を作り上げていくことによって沖縄問題というのは、私たちウチナンチューの力、もちろんみなさんの力も必要としますが。やはり政府に対しては、それくらいの力を出して、作り上げ、解決していきたいと思っています。

 辺野古新基地は「パッケージ論」です。辺野古に新基地を作ったら嘉手納以南の4施設は返すといってるんですよ、アメリカ政府と日本政府は。それの裏を返せば使う必要性がないということです。辺野古問題を解決したら、この4つの施設を返せという運動をやります。10919_3

 私たちはいつまでも米軍基地と「共存、共生」しません。当然、自衛隊もそうです。今の政権は自衛隊を沖縄に配備しようと虎視眈々と狙っています。このことも拒否し、もとの沖縄に戻す。平和の島に作り上げる。そのことによって、アジアとのほんとの平和を、友好的関係を作り上げる。鳩山さんが東アジア共同体と言ったのは、本当の意味で言えば沖縄の米軍基地をなくすこと、そして憲法9条を柱とする友好関係をアジアの諸国と作ることによって、アジア・太平洋から米軍を追い出すことじゃないですか。僕はそう思います。

 そのためにも沖縄の闘いというのは、やはり重要な闘いとなっていると私は自負しています。みなさん。沖縄だけの闘いじゃなくて、先ほどの部落解放同盟全国連からの構造的差別の問題があるように、あるいは中小企業の問題で今、関西生コンが闘っている、三里塚反対同盟の農民が闘っている、そういう今の日本の構造的差別体制、あるいは、いわゆる資本だけが生き延びていく、そういう社会を変えていくのは、ほんとに労働者、国民の闘いですよ。それと沖縄の闘いが結びついていかないと、この国の変革は生まれてこないと思います。

 だから、みなさん。沖縄の闘いを支援してください。県知事選挙でも、できれば支援してください。お願いします。と同時に、みなさん自身が変革のためにもっともっと努力してほしいと、あえて私からお願いをして、もう時間が過ぎましたので閉じたいと思います。ありがとうございました。

| | コメント (0)

2010年9月25日 (土)

今週の産直野菜(9月25日)

10925  先ほど、「三里塚と沖縄を結ぶ④」の記事をアップし終えたところに、間髪を入れずピンポーンとチャイム。三里塚から産直野菜が届きました。箱はまだ小さいほうですが、ずっしりと重い。

 そのはずです。ゴーヤに加えて、冬瓜の今シーズン初お目見えです(写真では、光を受けて白く光って見難いですが)。それに玉ねぎ、なす、ピーマン、オクラ、ししとう、空芯菜、さつま芋の9品です。サツマイモも初物ですね。

 今日荷物と一緒に来たニュースでは、萩原さんが 「猛暑のつけが本格的になるのは、(現在の)夏野菜が終わりになってからです(つまり10月が厳しい?)。」 と言っておられるのが紹介されています。そして、同じニュースで今年の「収穫祭」が、10月31日(日)に決まったと伝え、萩原さんは 「こんな年こそ畑を直接見てもらいたい」と言われています。

 私たちはこれで3度目ですが、「関西・三里塚産直の会」としてこの「収穫祭」に参加し、11月1日、2日と援農をしたいと考えています。「収穫祭」一日だけの参加も大歓迎です。あるいは援農を1日だけというのも。是非、関実事務局までお問い合わせください。全体では10月30日(土)の夜、クルマで午後11時大阪出発にしたいと思います。別に行動される方は、事前に言っていただいておればJR成田駅までお迎えにあがります。

 先週、シイタケをうれしく報じましたが、翌日9月19日の「三里塚と沖縄を結ぶ」集会においでになった萩原さんにお聞きすると、先週写真で示した台木がすべて台風で倒れてしまい全滅したそうです。それで、本来なら秋遅くの収穫なのですが、できているものだけを出荷していただいたのだそうです。だからシイタケが、肉が薄く、濡れていたのです。ほんとに難しいですね。

 また、同じニュースに「生落花生と枝豆がほぼ無理」と書かれていますが、非常に残念です。毎年、楽しみにしていただけに・・・。

| | コメント (0)

三里塚と沖縄を結ぶ④   安次富浩さん(その3)

沖縄・辺野古と安保体制(その3)   安次富浩さん

 10919 まさに8月31日に出た報告は、新聞でも追及があり、私たちもそれを抗議したりしています。そのことによって少なからず名護市議選に反映したんだと、私はそう思います。

 だから、沖縄の民衆には、政府の「アメとムチ」の政策はもう通用しなくなったということです。だって名護市の商店街は完全にシャッター通りになっています。北部振興策ということで1千億円、それに島田懇という別の形で1千億円、やんばるに2千億円というお金が投下されたけれども、すべて箱ものみたいなものだから経済的に何も生まない。箱ものだからゼネコンが持っていくわけです。還流していくわけです。だから地元の業者には影響を与えないから、地元の土建業者がどんどん倒産する。名護は失業率も高い。そういう中で市長選を迎えたし、市議選を迎えたということです。市民はもう確信している、振興策はダメだと目覚めているということを私たちは考えるべきだと思います。

 話しはもう一回戻りますけれども、日米安保体制、日米安保が必要だというのは、沖縄では7%です。もう基地との「共存、共生」はいやだという声が強まっているということです。だから、恐らく11月の県知事選挙において仲井真さんには、「あなた、今みたいな発言で、名護市長が反対ですから無理ですねと、こんないい方してたら選挙に勝てんから基地建設反対と言え」と自民党県連からの圧力はあるわけです。県知事選が近づいてきたら彼は、もしかしたら変わるかもしれない。基地建設反対に。

 さる参議院選挙で沖縄は、私たち革新陣営が統一候補を出し切れなくて、共産党が早々と名乗り出て、立候補取り下げを説得したんだけれどできなかった。はっきり言って、共産党で勝てるわけないじゃないですか。社民、社大のみなさんが平和運動センターの山城博治さんを立てて参議院選挙を闘った。結果的に自民党の島尻あい子という、こういったら皆さんに失礼かもしれないけれど、ヤマト嫁が当選しちゃったわけです。「ほんとにお前、沖縄のこと知ってんのか」と言いたいけれど、当選させてしまったのです。しかし、その時の票は山城さんと共産党系の人のと足した票から、実は自民党より多かったわけです。

 だから状況はちゃんとあるわけです。分裂したから革新支持者は行かなかったわけです。沖縄では割合そういう傾向があるんです。分裂すると「どうせ勝てっこない」と言って、意識ある人は投票所に行かないんです。だから、今回の参議院選挙も投票率が下がってます。報道されました。全国一、投票率最低だと。そんなこと報道される筋あいはないんだ、こっちはね。それより全国のマスコミが、この知事選で市長側が勝ったら安保体制がガタガタになるとそういう風にしてもっと報道すればいいのに。まあ、そういうこともできないところに日本のマスコミの情けなさというのがあります。10919_2

 私たちは、この沖縄が安保体制の「犠牲の島」からも拒否するという闘いが続いてきてるし、また着実に力を着けてきていると私は思います。なぜそういうことが言えるかというと、たとえば米軍基地が解放されているところが多々あります。まあ、多々と言ってもたくさんじゃないです。何か所かあります。まず、早く解放されたところでは、那覇空港の近くの小禄、豊見城の一部、あそこは住宅街になっています。県営住宅や様々な住宅街があって繁栄しています。それから北谷(ちゃたん)のハンビー飛行場が解放されて大きな商業街になっています。那覇の天久(あめく)でいうと実はあそこは米軍の住宅街だった。それが返還されて、天久は今は那覇新都心という名称に代わって、僕はあそこは大嫌い、池袋か、渋谷か、沖縄に相応しくないです、ああいうのは。なんで日本人というのは似たものを作るのですか。だって全国チェーン店が必ず集まるでしょ。ホテルやなんやかんやね。ほんとに日本人というのは都市づくりが下手でよね。

 ああいうのは好きじゃないんだけれども、米軍基地で、軍従業員、軍用地料、基地使用料と比較したら、雇用も増えている。一つの施設でせいぜいい200名程度の従業員。それに軍用地料、土地を貸すというのに、商業地域に土地を貸したらお金が入るんですよ。そして市町村にとっては固定資産税が増えているわけです。北谷も、那覇も増えてるわけですよ。むしろ基地との共存、共生から脱却しようという動きが、沖縄ではもっともっと底辺から広がっています。今、アメリカの嘉手納基地の周辺で米軍住宅街がいろいろ問題になっています。一方で、その住宅街もアメリカ政府が出しているという形になっているみたいなので、アメリカが金がなくなってきたので、住宅を基地内に戻せという指示が出始めています。そうすると貸住宅をしている業者は困ってきているわけですよ。彼らどう転換しているかというと、マンスリーマンションです。もう基地との共存ということからそろそろ脱却しないと自分の首が絞められる。米軍住宅を貸している業界も、そういう風にスタンスを変えてきています。

 だからわかりやすく言うと、基地関連収入は、復帰の時には、県民一人あたりの所得は15%だったんです。基地関連収入が。先ほど言った軍用地料ね、あるいは基地従業員の給料、その他基地建設費用、土建業者の収入など、15%だったのが、今、5%です。いつまでも基地に頼らないで、私たちの知恵で、力で沖縄の将来を作っていく、そういうことができる自信を持っているんですよ、ウチナンチューは。だからこそ、今、普天間基地の解放というのはね、大事なことなんです。  (もう1回、続きます)

| | コメント (0)

2010年9月24日 (金)

三里塚と沖縄を結ぶ③  安次富浩さん(その2)

10919_2

沖縄・辺野古と安保体制(その2)   安次富浩さん

 私たちの闘い、沖縄の闘いというのは、正に日本政府、官僚どもが、あるいは自公政権もそうだったんですが、日本の安全と平和のために沖縄は我慢してくださいと、そして、だから振興策など沖縄にお金を出してんじゃないかというのが前政権です。鳩山政権はそれを変えると、変革すると言ったわけでしょ。「沖縄に来て、最低でも県外移設、国外移設だ」。そういうことを選挙公約にして、沖縄で応援演説した。その結果として去年の8月の衆議院選挙では、沖縄の自民党議員は全滅したわけです。比例区にも沖縄出身の自民党議員はいない。こういう実態を生んだにもかかわらず、この一年間の鳩山、そして菅にいたる民主党政権のやっていることは、前政権となんら変わらない。沖縄を差別していく構造はまったく変わらない。10919_3

 誰かが政治主導と言いましたけれど、こと防衛・外交問題については政治主導ではなく、まさに防衛官僚たちの、あるいは外務官僚を含めての政治を超えた動きが強い。北沢、また防衛大臣になりましたが、北沢などはほんとに防衛官僚の操り人形としてこの間動いてきたと思います

 そういう日本の構図の中で私たちが闘っているのは、まさに平和的生存権の確立です。その裏返しは、先ほど言ったように沖縄を差別構造として出してくる、それは何かというと軍事基地との「共存、共生」というのが日本の政治家、あるいは官僚たちによる押しつけじゃないかと思います。この軍事基地との「共存、共生」と対決していく。それが一つとして、憲法で保障されている、なんで沖縄だけに平和的生存権が確立できないのかということです。

 だから、沖縄の反基地運動というのは正に、全国の0.6%という県土、面積が少ないところに74%の米軍の施設が集中する。沖縄本島だけにおいても、自衛隊と米軍基地のみで、面積を比較すると20%が軍事基地です。こういう歪な構造を、私たちが復帰後もずっと闘い続けている、その中での焦点がまさに辺野古の闘いだと思います。

 今、私たち、沖縄の県民は、たとえば新聞記事を持ってきていますが、琉球新報と毎日新聞の、これもみなさん見ていると思いますが、世論調査では84%が辺野古移設反対です。政党だって、みなさん、社大、共産、社民は当然ですが、下地が属する国民新党の沖縄のグループも反対です。下地自身は本音は陸上案ですけど。それに騙されてはいけないということがありますが。それと自民党も公明党もその沖縄県連は県内移設反対なんです。もう県外に持って行けという状況。

 ただ、沖縄では、選挙の時に唯一、日米安保条約堅持、辺野古新基地建設支持というのがでてきてます。それは誰たちかというと、あの幸福の科学のオカルト集団の政党である幸福実現党という、「真の保守」というようなスローガンでやってますが、こういう連中だけなんですよ。逆に言うと、鳩山も、あるいは菅も幸福の科学と同じで、もしかしたら信者かもしれませんね(場内爆笑)。そういう情けない政治を沖縄に押しつけているということだと。

 42514 だから、私たちはこの現実をまさに突破できるという自信をもってます。4月25日、9万人余の県民が集まった読谷村での県民大会。萩原さんも参加されたのですが、その日にはちゃんとお会いできなくて申し訳ありませんでした。あの集会と、それから5・16の、記録的な豪雨といわれたその中で普天間基地を包囲した1万7千人。包囲した沖縄の怒りは、鎮静することなく脈々と動いているわけです。それが一つの形として名護市議選に現れたという風に見てください。

 しかも、8月31日には、日米の事務方の協議の報告書が出ました。恐らく政府も、それから仲井真知事も、名護市議選は勝つと思っていたと思うんです。仲井真知事は、「稲嶺市長が反対だから辺野古に作るのは難しいですね」と言って他人行儀な言い方をずっと続けていますが、その彼が名護市議選で何をやったかと言ったら、基地移設誘致派と一緒になって写真を撮ったり、選挙戦で動いたわけです。本音は何か。彼は、今きれいごとを言っているけれども、いずれ誘致に鞍替えするということは明々白々です。だから彼に打撃を与えたわけです。それに政府にも。仲井真知事は、この名護市議選が終わった後の記者の質問に対してしどろもどろでした。「俺に聞くな。政府に聞け」と。まあ、それが彼の本音でしょう。

 8月31日の事務方の報告書の中でまさにでたらめな内容がまたも充満しているということが判明したわけです。私は、アセス違法糾弾訴訟の原告団長をやっています。第6回公判がありまして、その時に新たに意見陳述をやりまして、「いい加減に日本政府は、我々沖縄県民に答えろ」と。裁判で答弁書も出さないんですから。入り口論議ばっかりやってるわけ。それを糾弾しましたけれども。その報告書の内容たるや、みなさん、ほんとに国の政治家の言葉というのは重みがないんです。

 鳩山前首相は、あの退任間際になんと言いました。「埋め立ては自然への冒涜」と言ったんです。それで、埋め立てじゃなくて杭打ち桟橋という方式を彼は提案したわけです。日米の事務方は「埋め立てだ」と。「自然への冒涜」と言った首相のことばを、勝手に無視してるわけです。まあ、もっとも鳩山さんも、「最低でも県外移設」と言って辺野古回帰をしているわけだから、彼自身の政治家としてのことばの重みなんてのはなかったのかもしれませんが、「県外移設」へ努力もしなかったからかもしれませんが。Photo

 とにかく、今回の報告書の中で第1点は、埋め立てです。第2点は、I字、V字型という2論の計画案併記です。当初、米軍再編合意の時にはV字じゃなくて、L字型だったんですよ。1本の滑走路だったわけです。それに対して地元の誘致派、負けた前市長は沖合に出せ、元の所に持って行けということで、政府とけんかをやっていたわけです。それに対して、当時の額賀防衛庁長官が提案したのがV字型滑走路案だったんです。離陸用、着陸用にすると。だから民家の上空は飛ばないんだということで、アメリカとのL字型の合意を、アメリカ側に覆させたわけです。

 ところが、これがV字型になったらアメリカ軍は喜んでるんです。今でも言ってます。V字型で、離陸、風の具合で1本は離陸、着陸という風に分けて飛びます、そんなことは言わない。2本とも離陸したり、着陸すると。アメリカにとって、軍事訓練ということからそれが当然じゃないですか。こういうことではアメリカは本音をちゃんと出すんだけれども、西山問題と同じように、あるいはこの間の核問題と同じように、日本政府、防衛官僚というのは国民をだます、沖縄県民をだますことに長けているというか、長けているんじゃなくって、いずればれる嘘をつかざるを得ないこの情けなさを感じます。

 それで、V字型と今度はI字型にしたわけです。I字型でも米軍の了解を得るように、訓練の内容によっては民家の上空を飛びます、計器飛行とかそういうんだったら民家の上空を飛ばします。しかし、V字型、I字型の次に問題になったのは、飛行経路なんです。アメリカ軍は、着陸、離陸で台形などで飛ぶわけはないと言ってるんです。楕円形で飛ぶんだと。楕円形で飛ぶと、カヌチャベイというホテルがあるわけです。その周辺、安部部落の周辺、集落があるところ、そこに騒音がかかるわけです。それをだまし続けて台形と言った。今頃になってアメリカと日本政府、外務・防衛は、台形にするか楕円形にするか、知事選後に決着するというような言い方です。本当に沖縄県民をだます、こういうことばっかりやってきているわけです。だました割には政府案で決着できないわけですから。

 V22 さらに今回、大きな問題になったのは自衛隊のヘリコプター部隊の常駐というのを防衛省がアメリカに提案しています。アメリカは今のところ「ノー」と言ってます。で、飛行経路に続くんですが、岡田が、今度幹事長になっていますが、岡田外相の時にMV22オスプレイ(左写真)の配備はもう公然としないといけないと記者会見で言い始めています。今まで政府は、私たちがアメリカにおけるジュゴン裁判でその問題を出してきて、国会で山内、照屋さん、あるいは糸数さんとか赤嶺さんとか、野党の国会議員にお願いしてこの問題を追及した時、アメリカ政府からその配備なんというのは聞いていないし、そういうことはありえないと言った。一方でアメリカの会計年度報告では、2012年10月に配備が始まって、CH46ヘリは24機2個中隊全部をMV22オスプレイに代えると。辺野古の基地を作る前に普天間で配備が始まり、それがCH46からオスプレイに替わるということがアメリカの会計年度報告の配備計画ではっきりしているのに、日本政府、防衛省はそれをごまかし続けてきた。そのことがもうごまかしがきかなくなって、軟着陸を図ろうということで岡田が言い始めたわけです。

 このMV22オスプレイというのは、確か24名乗りだったかな、中型の輸送ヘリなんですよ。離陸するときにプロペラがヘリみたいになって(右上写真の状態)、上空になったらこのプロペラのアームが前に来てジェット輸送機になるわけですね。垂直離着陸というやつです。ところがこれは試作段階で何度もヘリ墜落事故を起こして30数名の米兵が亡くなっている。アメリカのほうでは、このMV22オスプレイを「未亡人製造機」というふうに揶揄されているという報道もありました。沖縄のQAB、琉球朝日放送などは報道しましたけれど、あるいはテレビ朝日でも報道されたと思いますが、今年の4月に、アフガニスタンでこのヘリ、MV22が墜落事故を起こしています。4人の米兵が亡くなった。イラクでも事故を起こしていますね。10919_4

 今年5月には、アメリカの航空ショーで、このヘリのデモンストレーションで10数名がMV22オスプレイの突風で怪我をしたということが報道されています。離陸、着陸するときに突風がでるわけですね。一番不安定なのはその時だというんです。プロペラで離陸、着陸するときに不安定だと。日本政府の、前政権の防衛省のお抱え学者、森本敏というのがいますよね。彼は今年の1月の「朝まで生」という衛星放送の中で、自慢げにこの話をしてました。「まだまだ不安定だから、なぜ海岸端に作るかわかりますか。海に落ちればいいんです」。恐ろしい話じゃないですか。海に落ちて、「まあ米兵に対して失礼だけれど」という言い方ですよ森本は。冗談じゃない。海に落ちれば海の生物に影響を与える。漁民に対しても影響を与える。

 そんなものを配備するという、そのことに対して黙認していくという日本の外交・防衛政策に従属性というんですね、これが顕著なんです。私たちは、このことをこれからも追及していく。  (続く)

 

| | コメント (1)

2010年9月23日 (木)

三里塚と沖縄を結ぶ② 安次富浩さん(その1)

10919

沖縄・辺野古と安保体制(その1)  安次富浩さん

 今、紹介していただきました名護・ヘリ基地反対協の安次富です。どうぞよろしくお願いいたします。

 冒頭にみなさんに報告したいと思いますが、司会のほうからも報告がありましたが、あるいはほかの方からもありましたが、さる9月12日に名護市議会議員選挙がありました。今年の沖縄は統一地方選挙です。名護市議会議員選挙において、「海にも陸にも基地を造らせない」という稲嶺市長、彼を支える与党議員、定数27の議席のうち、与党議員16人が、当選しました。10919_2

 これはどういう意味を持つのかということを少しだけ説明させてください。実は民主党政権は、とりわけ前原沖縄担当大臣、今回外務大臣になっていますが、彼は、今年の1月24日に名護市長選挙で先ほど言った稲嶺進市長が誕生した、その時敗れた島袋吉和前市長という誘致派等とこの数か月に2回も東京で密会をしているということなんです。沖縄担当大臣が敗北している市長職にもない前任の市長と密会をするということはどういうことなのか。これは正に市議選に向けて何らかの形で民主党中央が選挙に手を入れたのではないのかなあということは想像してもおかしくないと思います。

 まあそのころ、つい最近収監された鈴木宗男議員が、沖縄県知事選の時に官房機密費3億円が支払われて、それによって太田県政が負けたんだということに関する暴露の記者会見がありました。私たちは、今回の市議選でも、民主党が官房機密費みたいなものを出したんじゃないか、そうことはありうるという警戒をしました。結局前原の暗躍は功を奏しない形で私たちは民主党政権に答えを突き付けたわけです。

 しかも、今回16名というのは、与党系の立候補者18名だったんですよ。ちょっとやばいなと。私も東恩納琢磨を支えてきてますから、お互い票を奪い合いしてちょっとやばいんじゃないかという気持ちが生じていました。ふたを開けてみると、どういうことかというと東恩納も千票を超えました。前回は1票差で泣いて、それで裁判を起こして疑問票で同票になって、同票でくじ引いたら負けちゃった。議員として東恩納琢磨はいろんな経験をやりましたが、こういう体験はあまりないと思うんですが。彼は一生にとって非常にいい体験をしたと思います。でも、4年前のようなことは絶対にさせないということで、いろんな角度で闘いました。

 まあ、千票を超えたということを考えてみますと、名護市民がやっぱりきちんとした答えをもっていたということです。マスコミ等の調べだと、やっぱり期日前投票が多かったと言われています。従来、期日前投票、昔でいうと事前投票ですか、この期日前投票が多いということは、業者が従業員を囲って、投票所に向かわせて、社長の命令通りに動くということだった。市長選挙でもそうだったんですが、それが功を奏しなかったわけですね、市長選挙でも。今回の期日前でもうまく機能を果たさなかったということは、社長の顔色をうかがいながら、投票は基地建設反対の、あるいは与党議員のために候補者に票を入れたんじゃないかということは考えられるんです。

 そういう意味で16名当選したということは、大勝利です。先ほど言ったように、27名の定数からすると、議長、副議長を与党がとっても、過半数を制するわけです。こういう意味で、実は我々が想像してたのは、あれだけ前原と島袋前市長が暗躍したのは、誘致派の議員が過半数をとって、誘致決議をやり、もしくは稲嶺市長をリコールする腹積もりもあったのではないかと、そういうことを私たちも想像してたので、今回徹底的に闘わねばというこの危機感が功を奏したということも言えます。

 その結果、今、名護から県内にものすごいさわやかな風というんですか、沖縄は暑いですけれども、沖縄中にただよっているんじゃないかと思います。

 Photo しかも、11月28日には、沖縄県知事選挙があります。私たちは伊波洋一宜野湾市長(左写真、宜野湾市ホームページより)の立候補を要請しました。社大・共産・社民、3党も伊波洋一さんを指名し、そして本人もつい先日承諾し、一昨日、後援会の事務所開きも行っています。もう、いよいよ県知事選挙一本です、これからは。私たちも、伊波さんを当選させるために、勝手連的な形で、労働組合、政党とは別に市民の力で選挙戦を勝ち抜こうということで、「沖縄の未来を拓く市民ネット」というのを立ち上げる(辺野古通信 http://henoko.ti-da.net/e3071963.html をご覧ください)、来週の今日立ち上げる予定です。

 私たちも名護において今考えているのは、東恩納琢磨さんの名護における選対事務所を、このサポート運動の名護選対事務所として位置づけて、県知事選勝利をもぎ取っていこうと思っています。

 まあ、この11月というのは、沖縄にとって、「沖縄の未来を拓く」というネットワークの名称がありますけれど、沖縄の将来を、わたしたちウチナンチューの力で作り上げていく大事な大事な闘いだと思っています。それに向けて、私たちはこれからも運動を続けていきます。

 今日の表題には「日米安保体制」ということが出ていますが、私たちの沖縄になぜ米軍基地がこんなに集中しているのかということを、やはり振り返らなければならないと思います。

 まず、沖縄には軍隊はなかったわけです。軍事基地はなかったと言ったほうがいいですね、軍隊というんじゃなくって。沖縄戦を決行するために当時の大本営が、中国大陸からも、あるいは日本からも、旧日本軍が移駐してきた。移駐してきた際に、簡単な契約書、ある意味では天皇のためにというかたちでの土地強奪いうこともあって、日本軍の基地が作られていったという歴史があります。そして沖縄戦のさなか、日本軍が敗退していく中で、米軍が次々とその日本軍の基地を接収し、日本への空襲などの出撃基地としていくわけです。普天間基地は、みなさんもご存じかもしれませんが、この沖縄戦のさなか、宜野湾の集落の人たちが避難をしている状況の中で米軍によって奪われた。無人化している宜野湾の集落をブルドーザーで敷きつめて普天間飛行場を作っていくわけです。普天間飛行場は、まさに米軍による土地強奪、土地泥棒であるということなんです。10919_4

 沖縄戦が終結すると、当然、米軍はそのまま居座っていく。1952年にサンフランシスコ講和条約が結ばれますけど、その時、日本の独立と引き換えに沖縄の米軍支配が確立していくわけですよ。その時の背景には、天皇のマッカーサーへのメッセージがあったこともみなさんご存知だと思います。沖縄は半永久的に米軍が占拠してもいいということ。沖縄戦が遂行されたのも、実は国体維持、天皇制を継続するために秘密裏の交渉をやっていた。そういう中で、沖縄戦最後の闘いということで、敵に、連合軍に打撃を与えるために徹底抗戦ということで、住民をまきこんだあの沖縄戦があった。すべて、そういう意味では天皇制と結びついているわけです。だから昭和天皇は沖縄に来れなかったじゃないですか。来させなかったわけですよ。沖縄の人の怒りで。そういうことを是非考えてほしいと思います。

 1952年の講和条約というのは、日本の独立という形をとって沖縄を売り渡したわけです。で、安保条約も沖縄問題を実質的には考えていなかったわけではないですか。60年安保闘争、ほんとにあの時に沖縄問題がそこに組み込まれていたら、あの安保闘争もまた違った闘いになった可能性もあったわけです。そこに、日本の左翼運動の限界性が、僕は今から振り返るとあるんじゃないかと思います。そういう限界性、それがまさにやっぱりどこかに沖縄の差別の構造が根底の中にあるんじゃないかと言わざるを得ないと思います。

 そのことは政府官僚どもにも現在に至って綿々と続いているわけです。その沖縄差別を私たちは絶対に許さないというのが、今の沖縄の闘いの中に顕著になってきている。県民、ウチナンチューが沖縄差別だと言っているわけです。今の民主党政権のやり方に対してね。当たり前のように言っている。あるいは、新聞にも沖縄差別という報道も出はじめているというところに、今の沖縄の現状を映し出しているんじゃないかと私は思います。  (続く)

| | コメント (1)

2010年9月21日 (火)

三里塚と沖縄を結ぶ① 主催者あいさつとまとめ

10919

主催者あいさつ    永井満関実代表世話人

 今日、この集会に多数お越しくださいましてありがとうございます。また三里塚から萩原さん、また沖縄の地から安次富さんがお越しくださいましてありがとうございます。今日はよろしくお願いいたします。

 今ほんとに激しく闘っておられるその代表ともいうべき方々をお迎えいたしまして、この秋、三里塚、そして沖縄の闘いに私たちも全力で参加させていただくその心づもりをうち固めたいとあらためて思っております。10919_2

 三里塚の闘い。この春、市東さんの農地をめぐる闘い、あるいは市道閉鎖の問題、そしてまたフェンスでつなぐ、姑息、卑劣な手段によって、あまつさえ抗議をした市東さんを23日も拘留するなどと許されない攻撃が三里塚でありました。裁判闘争、そして現地でのこうしたことへ、反対同盟の皆さんが毅然と闘いぬかれた。私たちも不十分ではありましたが応援させていただくことがあったわけです。これから、この秋の闘い、それ以降の闘いと重大な闘いが控えておりますけれども、今日はそのあたりを萩原事務局次長からしっかりとお聞きして、私たちもまた30数年の血盟にかけて頑張っていきたいと思っております。

 それから沖縄の問題は、私が今喋々することがいらないくらい、今、大きな焦点となっております。さる12日には名護市議選に大勝利されまして本当におめでとうございます。 この大勝利の中に沖縄のみなさんの強い決意があらためて感じられたと思います。4月25日、私も萩原さん、市東さんとともにあの9万人集会に参加させていただきました。すごい、素晴らしい好天でありまして、雲一つないその読谷村公園で、9万人の人々と、普天間基地即刻撤去を求める熱いそのみなさんの決意のただ中におらせていただきまして、私の心も燃えるような想いがいたしました。9万人といいながらまだなお、集会が始まっていても那覇からの車の列がつながっていて会場に到着できない車がたくさんつながっているとアナウンスがありまして、それほど沖縄の方々がたたかいへの決意、そして次々と登壇される方々、あの女子高校生までも含めたその決意を伺いまして、沖縄の方々のほんとに腹の底からの怒りと決意というものを肌で感じました。10919_4

 そして三里塚の方々とこの場に居るという意味を考えないわけにはいきませんでした。こういう沖縄の方々の闘いに連帯しともに闘う、ことばではそうなんですけれども、実際にはどうすることが私たちの務めなのかとずっと考えておりました。知花さんのあの日の丸決起がありましたが、あのあたりから私も沖縄に出向かせていただきまして一緒にいろんな闘いを闘わせていただきましたけれど、しかし、それだけでいいのかという想いがしきりにいたしました。

 沖縄のこの現実というのは、実は安保条約とか地位協定とかそういう日本国政府がアメリカと取り交わした条約に縛られているわけです。あの「最低でも県外」と言ったあの鳩山が結局崩れてしまいまして、情けないことに「県内ということになってしまうという状況を観ましても、これは私たちがこれからも沖縄の方々に連帯しながら、いざという時にはかけつけるんですけれども、それだけではどうなのか。やはり、本土でかっての安保粉砕闘争のような大きな闘いをしていかなきゃならないんじゃないか。私たちは、本土でこのような状況を覆す闘いをしていかなければならない。ということをつくづく感じました。

 本当に微力なんですけれども、今日も、沖縄のほうからの決意を伺うわけですが、私たちに何ができるのか、何をしなければならないかというようなことを思いながらお話を伺わせていただきたいと、そのように思います。お二人の今日の講師の方々にそのへんをよろしくお願いいたしまして簡単ですが、ご挨拶に変えます。ありがとうございました。

まとめのあいさつ     山本善偉関実世話人10919_5

 きびしい闘いの中から安次富さんが来てくださった。そして萩原さんが来てくださった。

 ほんとに安次富さんの怒りに満ちた、覚信に満ちた方針、胸打たれました。

 三里塚のたたかい、萩原さんの言葉を通してほんとに闘ってる力がここにあるということをまた確信しました。

 われわれ関実は昨年から、三里塚と沖縄をつなぐ、もっともっと広い闘いの輪を作りたいというそういう運動を関実はやってきましたが、今日はその意味で、また一歩前進できたと思います。10919_6

 全国連の発言からも非常に心うたれました。全国連が関西で新しい闘いを生み出そうとされる。本当に実りの多い集会だったと思います。

 いずれも、誰もが闘うんじゃない。我々が闘うんだ。我々が仲間を呼んで闘わねばならぬということを確信しました。

 あらためて、今日は、安次富さん、萩原さんにありがとうございました。

 最後に、我々にはいろんな闘いがありますけれども、10月10日を忘れてはならない、このことをもってまとめとさせていただきます。

 

| | コメント (1)

2010年9月19日 (日)

三里塚と沖縄を結ぶ

10919

 今日、9月19日、関西で最大の繁華街である大阪の心斎橋から御堂筋を難波まで、「市東さんの農地を守ろう」、「第3誘導路建設を許すな」、「辺野古新基地建設反対」、「米軍基地撤去」、「日米合意粉砕」、そして「10・10三里塚現地に行こう」と176人の結集のもと、デモが繰り広げられました。10919_2

 先立って、大阪市中央会館で開かれた「三里塚と沖縄を結ぶ関西集会」では、9月12日の名護市議選で圧倒的な「新基地建設反対」派の勝利を引っさげた名護・ヘリ基地反対協の安次富浩さん(右写真)の講演「沖縄・辺野古と安保体制」と三里塚から駆けつけた反対同盟事務局次長、萩原進さん(左下写真)からの「三里塚の訴え」が行われました。

 集会には、部落解放同盟全国連合会から重大局面を迎えた狭山闘争、そして全日建連帯労組関西生コン支部からの厳しい局面を迎えているゼネスト報告が連帯挨拶として行われました。10919_3

 また、関西実行委員会を代表した「大阪の海と空を戦争に使わせない会」、「風を起こす女の会」、「関西合同労組」からの10・10三里塚に向けた決意表明が行われました。

 いい集会とデモが、関西最大の繁華街で実現できました。10・10三里塚現地へ、そして11.28沖縄知事選挙をはじめとした沖縄での闘いへ、全力で取り組んでいこうという熱気があふれた集会でした。

 それぞれの発言についてはこれから順次、当ブログで掲載していきます。今日は、とりあえずここまで。

10919_4

| | コメント (2)

2010年9月18日 (土)

今週の産直野菜(9月18日)

10918  今週の産直野菜が今、三里塚から届きました。先週の荷物が余りの軽さで驚かされ、しばらく続くかなとあきらめていたところへ、受け取って、確かな手ごたえ。これはいけると開ける前に思いました。

 左写真にあるように、玉ねぎ、なす、ピーマン、オクラ、赤トウガラシ、ゴーヤ、カボチャ、空芯菜、しいたけ、の9品です。すごい!

 葉物が加わったこともびっくりですが、何よりも初顔のしいたけです。昨年初めに萩原さんのところをお訪ねした折、いろいろやってみたいのだという話の上で案内してもらったのがしいたけを育てるための場所。09421 ちょうど作業場と車庫の裏側の狭いところに右写真のように作られていました(09年4月撮影)。

 しかし、昨年秋、「どうでした?」とお聞きすると難しい顔。駄目だったんだとわかりました。それが、今年うまくいったんでしょうね。生シイタケをさっそく今夜いただきます。

 空芯菜も「ダメか」と「野菜便り」に書かれていたので、さっそく味わいます。この厳しい暑さを潜り抜け育ったのですから。

 今から、明日の「9・19三里塚と沖縄を結ぶ関西集会」のプログラムなど資料の印刷にでかけます。萩原さんと安次富さんの出迎えの最終確認も終わり、あとは明日の結集です。みなさん。明日、心斎橋の大阪市立中央会館に是非お集まりください。

| | コメント (0)

2010年9月17日 (金)

鈴木さんの一坪裁判傍聴

10916  昨日、千葉地裁で鈴木さんの一坪共有地をめぐる裁判が、50人ほどの傍聴のもと開かれました。

 裁判では、まず鈴木幸司さんが亡くなられたことで、共有地を管理する「土地を持つ会」理事会が空港反対の意志を持つものに譲渡するという規約に基づいて鈴木謙太郎さん、加代子さんご夫婦が一坪共有地を所有することを承認し、お二人が裁判を引き継ぐことが裁判所に書面をもって示されました。土地の所有者の相続人からも了解している旨が明らかにされているにもかかわらず、仲戸川裁判長は判断を保留。(承認できないということであれば、この点で「一戦を交えなければならないかも」と、法廷後の報告会で葉山弁護士。)

 千葉県側の「価格賠償方式」による買い取りという主張に対し反対同盟弁護団より出された「第19準備書面」で、「狭いから経済的価値がない」というのは勝手な論理であり、反対同盟の空港反対運動の重要な一環。しかも、土地を盛り土にして他に転売するという千葉県の目的は、必要性を評価できない。そもそも千葉県自体の土地整備事業が平成24年をめどに収束し、造成・買収から保有・管理することへ業務を転換しようとしている中で、なぜこれだけ造成にこだわるのか。など5点にわたって論じられていることを遠藤弁護士が補足説明しました。

 また、一瀬弁護士から、民法学者と憲法学者からこの問題についての鑑定書が準備中であることが明らかにされました。10916_2

 法廷後、裁判所内の待合室で報告会が開かれました。まず弁護団からこの日の上記のような法廷でのやり取りが説明されました。

 その上で、鈴木謙太郎さんから「親爺の意志を引き継いで、これからもがんばります」、鈴木いとさんから「がんばります」と挨拶がありました。

 反対同盟を代表して北原鉱治事務局長が、「(千葉県が)土を取り上げて民間に売るなどというのは不動産屋(「地上げだ」と声が)じゃないか。こんな空港は終わりだ」とあいさつされました。

  最後に萩原進事務局次長が、10・10全国集会について、「その結集によって(今年)後半の闘いを左右する位置にある」、10916_4 「支配者の動向に一矢報いる闘いだ」、そして「あらゆる戦線でなりふり構わぬ攻撃がかけられている。この中で三里塚が最も勝利的に闘いぬいているたたかいだということを示すのだ」とその意義を提起されました。

 前夜、大阪を出てから、朝、千葉につくまでずっと雨でしたが、現地は前が見えないほどの激しい雨で、「これで一息つけますか」という私の問いに市東さんは、「しとしとと降ってくれるならいいんだが、こう激しいと育ちかけた苗が流されるなど降ったら降ったで大変です」と。自然相手の農業の大変さをまたまた勉強しました。

| | コメント (1)

2010年9月14日 (火)

鈴木さん一坪裁判の傍聴を!

19

 鈴木幸司さんが亡くなられてはや3か月が過ぎました。上の写真は、鈴木さんが秋に倒れる直前の08年6月にご家族を撮ったもので、下右の写真は、同じ年の3月、全国集会で開会あいさつをされる鈴木さんです。今は謙太郎さんが引き継がれていますが、幸司さんとつれあいのいとさんに対して千葉県が一坪所有地の明け渡しを求めた裁判が「鈴木さんの一坪裁判」です。明後日、9月16日(木)午前10時半より千葉地裁で口頭弁論が開かれます。(傍聴の関係がありますので、来れる方は40分前までに千葉地裁1階ロビーに) 傍聴に駆けつけましょう。

 争われている一坪が、成田空港の敷地の外にあるのですが、千葉県が一帯を整備して(土盛りをして)、「貨物物流基地」用地として空港会社NAAに売り渡そうとして計画された事業「千葉県三角構想」の中にあることが理由です。

 この「千葉県三角構想」をはじめバブル期に多くの開発事業、整備事業が千葉県によって計画されていました。その多くが破綻し、撤退が決められています。成田空港でも、航空貨物が激減し、過去の面影がなくなっている中で、なぜこの「三角構想」だけが、裁判による土地取り上げまでやって進めるのか、貨物物流基地は必要ないではないかが、現在裁判の最大の争点になっています。

 ちょっと立ち止まって考えてみたいのです。

 成田空港について、最近、羽田のハブ化に対応して、LCC(格安航空)と航空貨物の専用空港化と森田知事による「カジノ構想」が言われています。これを指して、「成田空港が2流、3流の空港に転落した」ということが言われます。そうでしょうか。

 実は関西空港についても、最近、24時間空港の特徴を生かして、オーストラリア、アジアのLCCの導入が飛行場使用料の大幅減免のもとに進められるとともに、貨物空港として伸びようとする動きがあります。しかも、大阪財界は、この動きに合わせて「一大カジノ構想をぶち上げているのです。この動きを笑い飛ばしていいのでしょうか。

 実は、この成田空港と関西空港の動きには、民主党政権の成長戦略会議(国土交通省、本年5月17日答申)による、世界の航空事情から取り残された日本の航空政策の見直しがあるからなのです。すでにアメリカやヨーロッパで航空需要の3割以上をLCCが占めている航空業界の現状、日本航空だけでなくナショナルフラッグと言われてきた巨大航空会社が次々と破綻する現状。そして、インチョン(仁川)空港に象徴される巨大ハブ空港の出現。こうしたことを何一つ見据えることなく、巨大利権に目を奪われ、蠢いてきた自民党政権が、慌てふためいて出してきたのが、2006年の安倍政権の「改憲攻撃」と一体となった「アジアゲートウェイ構想」だったのです(ついでに一言っておくと、同じとき農業政策の高木委員会の最終提言も行われた)。それは、航空自由化(オープンスカイ)とハブ空港の育成、そのための羽田・成田の一体運用でした。実際には、それから4年、何一つ改革されないまま民主党は、前原国交相はその現実を突き付けられ真っ青になったのです。

 政権交代までは、「航空特別会計の廃止」「航空政策の見直し」などと威勢よく言っていたものの、着任直後の日本航空の破たんにさらに追い打ちをかけられ、しかもこの世界の利権の巨大さを官僚たちに耳打ちされた前原、民主党にとれた選択は「羽田ハブ化」を錦の御旗にした自民党の航空政策そのままを引き継ぐことでした。ただ、この4年、アジアのハブ化の進行とLCCの発展がさらに進み、中国経済の発展を背景とした中国、アジアからの観光客の増加に目をつけての自民党政権よりはより具体化した、LCCの受け入れを軸とした航空の自由化、貨物取り扱いの増加に活路を見出そうとしているのです。この動きは、今日の羽田へのフィリッピンのLCCエアアジアの年内就航発表、あるいは全日空の対抗的なLCC部門の立ち上げ発表など一気に進もうとしています。

 飛行場収入を切り下げても路線の確保に走る関西空港について、巨大な負債をどうするのかと私たちは疑問に思いましたが、観光客の急激な増加は、飛行場収入などの航空部門収入よりも非航空部門の収入を急激に押し上げています。現に、埋め立てによる空港建設に一定の負債を抱えた(関空とは比較にならないが)インチョン(仁川)空港がはるかに大きな非航空部門の収入によって巨大な利益を上げ、空港の拡張、整備にさらに意欲的になり、民営化の道さえ模索しているというのが、世界の全体的傾向だとさえ言われるのです。083

 まさに新自由主義の申し子のようなこの世界の航空業界の動きに「遅れるな」というのが民主党政権の航空政策であり、森田や関西財界のカジノ構想までも生み出しているのです。

 こうして見たとき、鈴木さんの一坪裁判は空港敷地の外だから、三角構想は破綻した過去のものだからと「大した問題ではない」とするのは間違いです。「三角構想」をブッ飛ばすことを通して、羽田・成田のハブ化、LCCと貨物取扱量の増加で生き残ろうとする、そのために時間制限の緩和、30万回化を実現しようとする動きに突き刺された巨大な棘として存在しているのです。

 私たちは、あの1980年代、二期工事に全力を投入しようとして敷地内に襲い掛かりはね返される中で、一方で条件派を巨大な金で生み出しながら、三里塚闘争のもう一つの柱としての芝山町を「用水事業」の甘い水によって切り崩そうとした空港公団、国の政策にまさに「一人になっても用地内を裏切れない」と仁王立ちし、以来、独りで、ただ一軒で菱田地区の闘いを守り抜き、先日、「闘えば必ず勝つ」の言葉を残して亡くなられた鈴木幸司さんであればこその闘いとしてこの「一坪裁判」が、今、市東さんの農地をめぐるたたかいや天神峰現闘本部のたたかいと一体のものとして輝いているのです。

 新自由主義によるこうした航空政策の道は、確実に農民からの農地取り上げはもとより、地域住民の生活破壊、航空労働者の過酷な労働強化を引きおこします。昨日、全日空のLCC化を歓迎した関経連の下妻会長は、「他国では乗客が飛行機から降りている最中に給油を始めて飛行機の回転率を上げているが、日本ではできない。規制を緩和すべき」(朝日新聞)と安全性を屑籠に捨てることさえはばかりません。こんな航空政策を、空港建設を私たちは断じて許せるはずがありません。

 想いを新たにして、明後日、9月16日の「鈴木さんの一坪裁判」の傍聴に駆けつけましょう。

| | コメント (2)

2010年9月13日 (月)

名護市議選が勝利した

Photo  今日の毎日新聞の以下の報道がネット上に出ていました。名護市議選で稲峰市長を支持する皆さんが目標の15人を上回る16人が誕生し、稲峰市長の新基地建設絶対反対の市政運営が、「基地のない街づくり」が進むことが明らかになりまし。今度はヤマトで、「日米安保はもういらない」「アメリカは出ていけ」という運動を進めましょう。左写真は、守り抜かれた大浦湾と辺野古崎周辺です。

毎日新聞 (13日午前0時配信より)

 政府が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設先として決定した同県名護市の市議選(定数27)が12日投開票された。移設反対を掲げる稲嶺進市長を支える市長派が16人当選して過半数を制し、圧勝した。移設容認派を含む反市長派は11人にとどまった。1月の市長選に続き、市議選でも移設反対の「民意」が明確となり、地元合意を得るのは絶望的な状況になった。政府は移設問題で厳しい対応を迫られ、11月の知事選に影響するのも必至だ。

 稲嶺市長は13日未明、記者団に対し「私は基地は造らせないと言ってきた。過半数以上の応援団ができ、政府に対しても堂々と自信を持って言える環境ができた」と感想を述べた。市長派は、新議員で臨む9月議会で移設反対を決議することも予想されている。

 知事選には、県内移設反対を掲げる宜野湾市の伊波洋一市長が出馬を表明。近く出馬表明する見通しの仲井真弘多知事は反対を明言していない。市長派勝利の結果は両氏の方針にも影響を与えることになりそうだ。

 市議選には37人が立候補。うち市長派は18人、反市長派は17人。反市長派は、条件付きで移設を容認してきた島袋吉和前市長とつながりが深いグループ。巻き返しを狙ったが、果たせなかった。

 投票率は72・07%で、4年前の前回を1・99ポイント下回り過去最低となった。【井本義親】

もう少し詳しい様子が、目取真俊さんのブログ「海鳴りの島から」http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/79f4f3cec53c00e94cc8d534c047049eに掲載されています。ご覧ください。

9・19三里塚と沖縄を結ぶ集会の成功に向け

 昨日も、猛暑の中、JR元町駅前でマイクを握って1時間、この名護の市議選に触れながら、「9・19三里塚と沖縄を結ぶ関西集会」を訴え、「9・19集会」案内のビラを500枚まきました。市議選のもっともホットな名護の、沖縄の皆さんの想いと声をヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さんから聞こうと訴えました。何人もの人がマイクを持つ私や、ビラをまく人に近寄り、「アメリカは出ていくべきだ」と話しかけてきます。そして「三里塚がまだたたかわれてるのだ」と驚きながら声をかけてきます。みんなの力で大結集を作り出し、安次富浩さんと萩原進さんを迎えよう!

| | コメント (1)

2010年9月12日 (日)

今週の産直野菜(9月12日)

10911  先ほど今週の産直野菜が遅れて到着しました。

 箱がめっちゃ軽い。そして中でゴロゴロ動いています。「えっ?」と思って開けると、左のように、なす、ゴーヤ、じゃがいも(北あかり)、オクラ、ピーマン、シシトウの6品。

 厳しい暑さと雨がない中で、これまでたくさんの野菜が届けられてきたのを、かえって不思議にさえ思っていたのですが、ついにまともにその影響が出てきたなと納得。一昨日、萩原さん、市東さん、鈴木さんに天候や畑の具合をお聞きしていただけにその感が深いです。8日から9日の雨は、それなりには降ったものの、それで土の中で育ち始めたはずのサツマイモなどが息を吹き返してくれればいいのだがと言っておられました。「農家便り」にもありますが、急いで大根など秋から年末の野菜の植え付け、種まきが、始まったようです。いつも10月末にある生産者と消費者の交流会である「芋ほり大会」がどうなるのだろうかと心配です。10911_2

 産直野菜が今日になったのは、昨日、私が忙しかったからです。昼前に出かけて、尼崎で開かれた映画「月下の侵略者」を観て、そのあとの孫敏男さん(右写真)の講演をお聞きしました。孫さんは、「文禄・慶長の役」による虐殺の現場や、それによって連れてこられた陶磁器の陶工、そして神戸に強制連行されてきた人の郷里などをスライドでお話ししてくれました。それから飛んで帰って、六甲で神戸空港の中止を求める市民の会の例会の準備です。

 市民の会の例会では、10月26日の大阪航空局との話し合いの打ち合わせなどを行いましたが、特別報告として、神戸学生青年センター館長の飛田雄一さん(左写真)から、「南京を訪ねて」と題したお話を伺いました。10911_3 15年ほど前の丸木位里さんご夫婦の巨大な南京大虐殺の絵などの展覧会を神戸でしたとき、「南京に行ったことがない」という声から始まった毎年8月15日を挟んだ14回にわたる南京訪問の報告でした。今年の夏は、4人の大学生を交え24人ほどが参加し、南京のあと、中国東北部(旧満州)の延吉と白頭山を訪ねられたそうで、初めて見るそれぞれの写真にほんとうに惹きつけられました。

 なかなか中身の濃い8時間でした。そして、様々な映像と写真から、非常に貴重な宝物を自分の中に取り込めたような思いです。朝鮮、中国の人々とともに、真の意味で歴史に向き合い、自らの立ち位置とありようを作らねばという想いを深めることができた一日でした。準備していただけたみなさん。本当にありがとうございました。

| | コメント (0)

2010年9月11日 (土)

9・10 市東さんの農地法裁判と行政訴訟

10910

 昨日、9月10日、千葉地裁で市東さんの農地をめぐる農地法裁判(明け渡し訴訟)と行政訴訟が、多見谷裁判長はじめ3人の裁判官がすべて入れ替わって新たになる中で開かれました。すでに当ブログで先日明らかにしていますが( http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-282a.html 参照 )、団結街道閉鎖攻撃をはね返す市東孝雄さんの実力決起を通して、闘いを守るべく前回2月16日に開かれた口頭弁論以来7か月を経た口頭弁論でした。

 現地は大切な産直の出荷日ということもあって、鈴木加代子さんや萩原富雄さん、そしておなじみの現闘の皆さんなど何人かの顔が見えない中で、ほぼ傍聴席をいっぱいにする反対同盟を先頭にした60人のみなさんが駆けつけました。(最初の写真は、法廷後開かれた報告会で話される北原さん(後姿)です。)

 法廷では、まず新たに着任した多見谷裁判長から、提出された書証の確認です。後での報告会で葉山弁護士が指摘しておられましたが、裁判長は、7月27日に開かれた進行協議などを通して、論点などの中身について相当準備してきた様子が伺えました。また、その後繰り広げられた市東さんの陳述、弁護団による弁論の展開などへの傍聴席からの拍手や発言を、一切無視し、弾圧しようと構える廷吏が所在げなくなるほどの姿勢には、相当構えていることが伺えました。

 10910_2 その上で、まず市東さんからの陳述です。市東さんは 「5月に予定されていた裁判が、私に対する不当な勾留で延期になり、今日になってしまったことは誠に遺憾です。こうした事態をもたらした市道廃止と不当逮捕に強く抗議したいと思います。今回の事件とこの農地の取り上げ裁判は、まったく一つのことだと思います。」と切り出され、場当たり的空港建設の非とその破綻を簡潔に明らかにされた上で、農民の権利、耕すものの想いを、「空港が戦争に使われることにも反対する私の気持ちは、沖縄とひとつだ」と明快に話されたのです。(右写真は、法廷後の記者会見で挨拶される市東さん)

 その上で、葉山弁護士を先頭に、一瀬、大口、遠藤、西村、久保田、長谷川、藤田、浅野の9人の弁護士が次々と立って、新しい裁判長にこの裁判の意味を諄々と説き起こしたのです。

 まずは葉山弁護士から暫定滑走路そのものが国際条約に違反した建設であり、その後の運用状態にあることを明らかにし、黒田前社長の建設の経緯についての謝罪という形で、空港会社自身が認識しながらの北延伸の強行とこの過程の団結街道閉鎖、第3誘導路建設への動きへの不当、不法を明らかにされました。そして団結街道閉鎖に対する先日の「通行妨害禁止仮処分申し立て」に続いて第3誘導路建設差し止めの手続きに入る考えであることが明らかにされました。(左写真が、法廷後の葉山弁護士)10910_3

 その後、8人の弁護士の皆さんから、農地法による農地取り上げという憲法違反、根拠とされる農地法5条1項4号規定自体が、国会法と憲法を無視したものだという指摘。また、本来、住民に中立であるべき自治体である千葉県に「公正中立性が認められない」。そもそも暫定滑走路の運用自体が「悪質な地上げ屋的手法だ」と弾劾。そして成田市農業委員会による不当、拙速な審理、手続きによる市東さんに対する耕作権の取り上げ、農地転用の申請に対する「許可相当」「受理」の犯罪性が厳しく指摘されました。それに続く千葉県農業会議による不当極まる、でたらめ極まる許可決定の経緯を示しながら、「まともな手続きのもとに裁判を進めるべきだ」と示唆されました。最後に、「41-9」の農地を市東さんの親子3代にわたって耕したことがないにもかかわらず、明け渡し要求されているという基本的事実関係すら誤ったものでしかない提訴は、即刻の棄却決定が相当だと厳しく指摘したのです。

 多見谷裁判長は、今後という形で、二つの裁判に違いがあることを強調して片づけられるほうから順次終わらせることを示唆しようとしました。これは、明らかに早期結審を姑息に謀ろうとしたこと以外の何物でもありません。本来、反対同盟と弁護団は統一して一つの裁判として進めるべきであることを主張していて、それを拒否する空港会社、千葉県との妥協点として、現在の並行して進めるということができあがっているのです。 まだ最初の旧釈明でさえ終わっていないという中でのこんなうごめきが許されるはずはありません。

 はね返された多見谷裁判長は、空港会社、千葉県側に対して、「航空写真で見る限りかなり前から『41-9』は使われていないことは明らか。明け渡せというなら、明確な理由を示さないと理屈にならない」と、決定的な指摘を行ったのです。10910_4 当然といえば当然なことなのですが、空港会社側は、この最大の争点というべき事実について、意味不明な元地主藤崎某の手書きの図面だけで開き直り、覆い隠そうとしてきただけに事態は深刻なはずです。冒頭の市東さんの陳述が示すように、まさに全力を挙げて大地に踏ん張り、実力決起してこられた市東さんの闘い、そして徹底非妥協を貫いてきた反対同盟の闘いが、この農地強奪を狙う裁判の中で、巨大な地平を切り開いた一瞬でもありました。

 10・10三里塚全国集会の爆発に向け、大きな前進を勝ち取った一日でした。やはり、市東さんへの不当逮捕、長期勾留という攻撃をものともせず、闘争勝利、裁判勝利に向けた反対同盟の執念が、「裁判闘争は現地攻防の一環だ」という闘いが、この前進を保証したのです。私たちも、9・19関西集会を全力で成功させ、10・10三里塚へ決起しよう!

 なお、次回口頭弁論は、11月26日(金)、次々回口頭弁論は、2月22日(火)、いずれも午前10時半から、千葉地裁601号法廷で。

 余談ですが、このいずれも産直の出荷日であり、傍聴席から「農民ことを考えろ」、「曜日を変えろ」と糾弾の声。思わず多見谷裁判長は、「裁判所の都合があり変えられない」と返事。思わず苦笑いしながら「傍聴席と話す理由はないのだが、こちらも聞こうとしているのだ」などとごまかしながら、「衣の下の鎧」をちらつかせ、構えていることを自己暴露していました。

| | コメント (0)

2010年9月 9日 (木)

六ヶ所再処理工場の完成を断念しろ

Photo

 9月2日、日本原燃は、原子力発電所から出る使用済み核燃料の再処理工場(青森県六ケ所村、上写真。Wikipediaより転載)について、予定していた本年10月完成を断念し、完成時期を最大で2年延期する方針を固めたと発表しました。
 すでに当初の完成予定から13年以上遅れ、建設費は7600億円の予定が、この延期で2兆6千億円(3.5倍)に膨れ上がっています。まさに事業仕訳で中止すべき事業ではないでしょうか。
 しかし、菅首相は、原子力発電所の増設方針であるばかりか、核技術を輸出の目玉にしようとしています。そして核保有国のインドと原子力協力協定を結ぼうとさえしています。8・6ヒロシマで、「核廃絶」の挨拶をしながら、直後の記者会見で「核抑止力は必要」と発言し、被爆者の怒りを買ったのも菅首相でした。

 そもそも再処理は許されない
 再処理とは増え続ける原子力発電所の廃棄物「死の灰」の処理のように言われますが、「核燃料サイクル」、つまり「無限の燃料」と言われる高速増殖炉によるプルトニウムの生産を目標とする一部で、アメリカをはじめほとんどの国がその危険性から撤退している事業です。民主党政権は、今年度予算で、14年間も停止していた高速増殖炉「もんじゅ」を事業仕訳からわざわざはずし、運転再開を今年3月に決めました。
 「原子力発電は炭酸ガスの排出量が少なく、地球温暖化防止に効果がある」ということが最大の売り文句となっていますが、果たしてそうでしょうか。
 そもそも、炭酸ガスは、人間が生み出した廃棄物の中で最も害の少ない廃棄物です。そして植物が育つ上では、なくてはならない資源でもあります。「地球温暖化の原因物質だ」ということについても、何の科学的根拠もないということが多くの専門家によって指摘されてさえいます。
 他方、原子力発電所は、人類にとって最も有害な廃棄物、それも永遠と言ってもいいほどの害毒が将来に残る恐るべき廃棄物「死の灰」を生み出し続けます。これを「地球にやさしい燃料」などと言う感性を疑います。
 そして核燃料サイクルで生み出されるプルトニウムは、自然界には存在しない恐ろしい有害物質であるだけでなく、長崎に落とされた原爆の原料でもあります。
 さらに、再処理工場から空と海に放出される放射能は、その1日分で原子力発電所が排出する放射能の1年分になるという説さえあると聞きます。
 13年かかっても事故続きで完成できず、しかも膨大な私たちの税金を投入して、結局、恐るべき有害物質でしかない廃棄物「死の灰」のみならずプルトニウムを生産するなど、今の時代でやめるべきではないでしょうか。再処理工場の完成は諦め、中止すべきだと私たちは考えます。日本以外のほとんどの先進国で中止に追い込まれています。何より、プルトニウムが最も欲しいはずのアメリカなどの核保有国ですら断念しているほど危険な代物なのですから。
 原子力発電所の増設は絶対にやめるべきです。とりわけ、現在、中国電力が地元住民、祝島の漁民の28年にわたる反対の声を無視して夜陰に乗じてブイを運び込んだり、この9月1日、仮桟橋の防御柵を建設したりするのは、愚の骨頂です。「瀬戸内海の原風景」とまで言われる豊かな自然、海や山を破壊し、そこに住む希少生物をはじめとした生き物たちを殺して、人類が生み出した最悪の廃棄物「死の灰」を排出し続けるなど、本当に愚の骨頂です。
 私たちは、中国電力が進める上関原発の建設に反対するだけでなく、原子力発電所の増設そのものに反対です。そして、高速増殖炉「もんじゅ」、六ヶ所核燃料再処理施設の中止を強く要求します。将来の人類に恐ろしい廃棄物の山を残すことにしかならない現在の民主党の政治は犯罪と言わざるを得ません。
 みなさん。生活と平和、自然を守るために、アジアの人々とともに原発に反対しましょう。

| | コメント (0)

2010年9月 8日 (水)

9・19から10・10へ 沖縄と三里塚を結ぶ

10425

 東灘区住民の会のニュース 「おしらせ」第81号が発行されました。その記事を転載します。(最初の写真は、9万人が結集した4・25沖縄県民大会)

 民主党の菅と小沢の権力争いにマスコミは注目させようとしていますが、この流れは、いずれが勝ちを収めようと、昨年の8・30で私たちが勝ち取った道筋を何とかご破算にしようとするうごめきに見えるのですがいかがでしょうか。消費税増税、日米合意、この争点が、そのことを物語ってはいないでしょうか。
 私たちは、このような姑息な、反動的なうごめきを断じて許さず、沖縄のみなさんと三里塚、岩国をはじめとした反基地・軍事空港反対をたたかうみなさんと一緒に、今こそ、「日米安保体制はいらない」の声を上げなければならないのではないでしょうか。

 基地撤去こそ沖縄の民意
 8・30の政権交代を受けて、沖縄のみなさんはこの1年全力で闘いぬいてこられました。
 昨年11月8日の2万1千人を集めた県民集会。そして今年に入って、1月24日、辺野古新基地建設反対を掲げた稲峰進名護市長の誕生。3月、沖縄県議会の全員一致による「普天間基地の県外移設」決議。4月25日には、仲井真知事をも出席させて9万人の県民集会が、基地撤去を求めたのです。そして、今なお84%にのぼる県民が、普天間基地の県外、国外移設を求めているのです。これ以上に明確な「民意」はあるでしょうか。いかに国であろうと、この「民意」を無視したいかなる決定も許されません。それが民主主義ではないでしょうか。
 10623 にもかかわらず、鳩山前首相は、自らの「少なくとも県外」という約束をも反故にし、この「民意」を無視して「辺野古に新基地建設」なる日米合意を5月28日に強行しました。
 これに対し、沖縄のみなさんは、この5月28日を、第2の琉球処分といわれる沖縄の米軍支配を前提とした日本が独立した1948年4月28日を第1の「屈辱の日」とするならば「第2の屈辱の日」だと言っておられます。あるいは「第4の琉球処分」と。(右写真は、6月23日、摩文仁で菅首相の沖縄慰霊式典への出席に抗議するみなさん)
 私たちは、この沖縄のみなさんの腹の底からの怒りを、私たちヤマトに対する糾弾を、当然のことと受け止めなければならないのではないでしょうか。沖縄の知花昌一さんは、「もう日本の政治にも、運動にも一喜一憂しない」「期待しない」と言い切られました(8・6平和の夕べ)。
 そもそも、日米合意を進めようとする鳩山や菅の「抑止力」というのはまったくのデタラメです。彼らはその根拠として「中国の脅威」「北朝鮮の脅威」と口にしますが、そんな言葉を「抑止力」論議を支持する財界人も、アメリカの政財界も本気では信じていません。何よりも、中国経済の前進、繁栄抜きに日本もアメリカも経済的にも政治的にももたないことは、衆目の一致するところです。また、北朝鮮の貧弱な軍事力で日米の巨大な軍事力に対抗するなどあり得ようもないことは、今や世界の常識です。ただただアメリカの巨大な産軍複合の政治・経済とそれに群がる日本財界が、「抑止力」論議を必要としているだけです。「核なき世界」を標榜したはずのオバマ政権の今年度の核予算が、ブッシュ時代を超えて最大規模となていることが、そのことを何よりも物語っています。
 今こそ、このでたらめ極まる「抑止力」論議を可能とする日米安保体制そのものをなくしてしまうことが本当に求められています。
 沖縄の「民意」を守り、基地撤去の道筋を求めて現在、名護市議選(9月12日投票)、そして県知事選(11月28日投票)に向けて、ヤマトの政財界あげての妨害(巨大な金の流れ)に抗して闘いぬいておられる沖縄のみなさんと、私たちヤマトの民衆がどうやればともに歩み、ともに平和を守ることができるかなのです。

 三里塚農民への襲撃を許すな
 他方、成田空港がある三里塚では、6月28日、夜陰に乗じて団結街道の閉鎖が強行され(下写真)、7月26日には、反対同盟も支援も裁判にでかけ現地がもぬけの殻となったのを狙って市東さんの農地をフェンスで囲い込む襲撃が行われました。10731 いずれも、機動隊に守られた民間企業・成田空港会社(NAA)による暴挙です。その理由は、農民・市東孝雄さんの営農と生活が成田空港の拡張、「ハブ化」を阻んでいるから叩き出そうというのです。こんな人権侵害が許されるでしょうか。
 日本の航空政策は、世界の航空自由化の流れに乗り遅れ、韓国の仁川(インチョン)空港に象徴されるアジアのハブ空港化の流れに取り残されています。それは日本航空の破たんとなって表面化しました。これは、アメリカの巨大な産軍複合の力に依拠し、日米安保体制の傘のもとに生き残ろうとしてきた根幹が揺るがされていることを示しています。
 農地強奪に反対し、軍事空港化に反対して44年間闘いぬかれてきた「反戦の砦」といわれる三里塚闘争こそは、民衆の側から、日米安保のもとでのこの日本の政治にこのことを強制してきた闘いなのです。
 そうであるだけに、国も、空港会社も、成田空港が44年もたってなお完成しない、市東さんの営農と生活によって阻まれ続けていることに我慢がならないのです。それが、先に述べた許しがたい人権侵害の根拠です。
 これは日米合意による沖縄への新基地押し付けと全く同じ問題です。実は、つい先日、中国電力による原子力発電所の建設に反対して28年間闘われている山口県上関(祝島)で、夜陰に乗じた工事の強行(9月1日)がありました。また、厚木基地から米軍艦載機部隊の移駐に反対して町ぐるみで闘っている岩国に対して、移駐する米軍のための住宅建設を目指して199億円もの防衛予算が民主党政権によって今年、確保されています。これらはすべて同じ根から出てきているのではないでしょうか。日米安保体制をなくさない限り、このように「民意」は無視され、私たちの生活は、平和は脅かされ続けるのです。これは、沖縄のみなさんの問題ではなく、私たち自身、ヤマトの問題なのです。

 9・19関西集会に集まろう
 日米安保条約そのものの是非は別にしても、1980年代末の世界の冷戦構造の崩壊、そしてソ連の倒壊は、少なくとも日米安保体制を終わらせるべき責任を私たちヤマトに負わせていたのです。それができず、今、あらためて第4の琉球処分が言われ、三里塚への人権侵害がその故に行われようとしている時、私たちに残された最後のチャンスではないでしょうか。三里塚と沖縄を結び、「日米安保体制はもういらない」という動きを始めるべき時ではないでしょうか。
 住民が日に150台もの車の通行で使い、市東さんが毎日の営農のために日に4度も5度も使っている道路を、たとえ成田市が市道であることを廃止しようと、道路であることを廃止することは住民の生活権を保証した道路法によってできません。成田市にその道路を空港会社に売る権利も資格もありません。ましてや、民間企業でしかない空港会社が、違法に取得した道路を閉鎖するなど論外であり、道路法だけでなく、生活権を保障した憲法に違反する行為です。Photo
 国や、国に従う民間企業が、こんな乱暴なしたい放題をすることを許していてはなりません。その根拠が日米安保体制なのですから、それも必要もなくなった日米安保体制なのですからやめるべきではないでしょうか。
 9月19日、大阪市立中央会館で開かれる「三里塚と沖縄を結ぶ関西集会」で、沖縄・名護のヘリ基地反対協の共同代表である安次富(あしとみ)浩さんのお話しと、三里塚芝山連合空港反対同盟事務局次長の萩原進さんのお話しから、こうしたことを考えてみませんか。ぜひ、お出でください。そして、10・10三里塚現地に行きましょう。

| | コメント (0)

2010年9月 7日 (火)

9・19三里塚と沖縄を結ぶ関西集会の成功を!

10731

 尼崎・伊丹実行委員会のニュース 「抵抗の旗」第248号に、以下の記事が掲載されましたので転載いたします。

フェンス囲い込み弾劾! 市東さんの農地を守ろう!

10・10三里塚へ! 9・19三里塚と沖縄を結ぶ関西集会の成功を!

 7月26日、NAAは市東孝雄さんの南台の畑をフェンスで取り囲むという暴挙に出ました。この日はまさにその畑が「不法耕作」とでっちあげられた裁判の公判闘争のため、反対同盟のみなさんや支援の大半が千葉地裁におもむき、留守とわかった上での卑劣極まる工事です。6月28日の団結街道の閉鎖は、全国集会が終わり参加者が各地に帰ったその深夜に「コソ泥」的に強行されましたが、今回のフェンス囲い込みは留守宅に忍び込んだ「空き巣」行為そのものです。断じて許せません。これらの事態は、NAA自身が工事の違法性を百も承知しているがゆえに、堂々とはできないという彼らの姑息さの表れです。工事の正当性など全くありません。またこの違法工事を容認している政府や成田市も徹底弾劾あるのみです。(上の写真は、設置されたフェンスに怒りをぶつける市東孝雄さん。7・31緊急闘争。)

正義は同盟にあり

 しかし現地では、当該の市東孝雄さんの逮捕も恐れぬ実力決起をはじめ、反対同盟、支援一丸となって連続闘争が勝ち取られています。また現闘本部控訴審闘争や市東さんに関わる三つの裁判闘争なども実力闘争の一環として闘われています。そして来る10月10日には第3誘導路建設阻止全国闘争が予定されています。是非結集して反対同盟とともに闘いましょう。

三里塚と沖縄を結ぼう

 それに先立つ9月19日、大阪市内で三里塚と沖縄を結ぶ大切な集会があります(詳しい集会要項は、当ブログhttp://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-ffe9.html をクリックしてご覧ください) 。 最初の写真の市東さんのTシャツの背中の文字が象徴的ですが、今、三里塚と沖縄(そして我が関西実行委も)はまさに赤い糸で結ばれようとしています。沖縄が、岩国が、そして各地の反戦闘争が三里塚と一緒に闘えば、日米安保体制を根底的に揺るがし、世の中の変革を実現することも可能です。沖縄の安次富浩さんの講演と三里塚の萩原進さんの訴えを軸にしたこの9・19集会にこぞってご参集ください。

| | コメント (0)

2010年9月 6日 (月)

9月10日、市東さんの農地法裁判、行政訴訟に傍聴を

1069

 すでにおなじみなった写真ですが、「へ」の字誘導路で、南からの着陸機を待って現闘本部建物の左側に4機もの着陸機が信号で止められ待機している写真です(写真をクリックしていただければ大きくなるのでよくわかります)。理由は、「へ」の字部分で誘導路が滑走路と70メートル余りに接近し、着陸機があれば接触する恐れがあるという安全性を無視した状態にあるからです。

 空港会社は、現闘本部とその北に隣接する市東さんの南台の畑があるから安全性が損なわれているとして、いずれも裁判で解体、強奪を狙っています。それが、天神峰現闘本部裁判(現在、控訴審)であり、市東さんの3つの裁判(農地法裁判、行政訴訟、そして耕作権裁判)です。しかし、これは空港会社の居直りであり、すり替えでしかありません。10731

 2002年、暫定滑走路の開港が強行された時、「へ」の字誘導路問題だけでなく、滑走路に50メートルと迫る開拓道路や東峰神社、一坪用地、そして上空40メートルの飛行によって島村さんなど住民に110ホーンの騒音被害を与えるなど国際法上も明らかに安全性を無視した欠陥、そして違法滑走路だったのです。それを承知で「大丈夫です」と開港を強行したのが空港会社ではありませんか。それを今になって、「30万回化」するためとか、「ハブ空港化」のためと称して、農地の強奪や本部解体の理由とするなど本末転倒も甚だしい、許せないことです。(右写真は、7月31日闘われた緊急現地闘争で、南台の畑で想いを語られる市東さんです。)

 そして、反対同盟が本部解体を許さず踏ん張り、市東さんが農地を守りぬき、営農に励む限り、この空港会社のねらいはそもそも破綻し、事態は微動だにしません。そこに、追い詰められている空港会社、国の現実があります。だからこそ、追い詰められたがゆえに、この間の、市東さんへの逮捕・拘留攻撃、団結街道の封鎖、畑の囲い込み、第3誘導路建設へとの矢継ぎ早の違法攻撃がかけられてきたのです。追い詰められていなければ、これほど理不尽な、しかし破綻した攻撃など彼らにしても必要なかった、いや、やりたくなかったはずです。

 こうした状況を前にし、天神峰現闘本部裁判第1審判決(2月25日)を直前に控えた2月16日、前回の農地法、行政訴訟の口頭弁論が開かれました。しかも5月には裁判官が交代するという局面の中で、早期結審、市東さんの農地強奪に道筋をつけようとした裁判長は、この日、「裁判がこう着状態にある」として「進行協議」を密室で強行しようとして、弁護団、傍聴の闘いで粉砕されたのです。弁護団は、公団(現空港会社)の「不在地主」問題を通して、空港会社の所有権自体が違法であることを追及していた中でした。

 次回口頭弁論は5月25日に予定されました。しかし、市東さん本人が不当に直前の17日に逮捕され、拘留され続けている中で、本人と同盟、弁護団の強い出廷要求に対し、不当な弾圧を続ける検察は、本人の出廷を拒否したのです。これに怒った反対同盟は、断固として開廷を拒否し、裁判の延期を求めたのです。その結果、5月25日の法廷は流れ、この9月10日、新しい裁判長のもとで初めて開かれることになったのです。

 ですから、攻勢を続けているこの市東さんの裁判の持つ意味と、反対同盟を先頭とした怒りを、新しい裁判長に突きつけることが本当に必要です。それには、法廷を溢れる傍聴闘争が何より必要です。

 みなさん。9月10日、市東さんの農地法裁判、行政訴訟の再開ともいうべき口頭弁論に全力で駆けつけましょう。

【日時】 9月10日午前10時半 (傍聴券のために40分以上前に裁判所に)

【場所】 千葉地裁一階ロビー (法廷は601号法廷)

| | コメント (0)

2010年9月 5日 (日)

8・6ヒロシマ・リポート 実行委員会ニュース第131号より

1087

 関実の実行委員会ニュース第131号に、竹田雅博さんからの「8・6ヒロシマ・リポート」が掲載されています。今日は、少し長いですが、それをご紹介します。

 8・6ヒロシマ・リポート

 被爆65年、韓国併合100年の今年、8・6ヒロシマはとりわけ暑かった。
 前日の夕方、資料館前で知花昌一さんと合流。知花さんは、お昼に広島に到着し韓国人慰霊碑などを見てきた、と言っていた。暑い盛りの午後、平和公園
や資料館を巡り「沖縄より暑いね。沖縄では歩いても汗をかかないよ」と、かなり疲れた様子。「教師と子どもの像」と「2中慰霊碑」だけ案内し、早々に宿舎へ。
 6日は、いつものように朝の式典は遠慮、テレビで見た。はじめて参加した無言の米駐日大使、周りのSPが異様に目立つ。秋葉市長のあいさつが、少々歯切れが悪かったと感じたのは私だけか。同じくはじめて出席した潘基文(パン・ギムン)国連事務総長は、広島・長崎で在日韓国人被爆者と面談し、韓国・朝鮮人被爆者慰霊碑を訪れた。ヒロシマの式典後の国際会議では「核の危険を排除するには、核兵器の全廃しかない」と発言していた。対照的に、式典で「核兵器の惨禍を二度と繰り返してはならない」と言いながら、直後の記者会見では「核の抑止力は引き続き必要」とのべた菅首相。相も変わらず、情けない。
 夕方から、「8・6ヒロシマ平和の夕べ」に参加。今年のスピーカーは被爆者・池田精子さん、沖縄から知花昌一さん、そして在日の作家・高史明(コサミョン)さんである。司会の河野美代子さん(被爆2世、産婦人科医)は、「今年は、被爆65年、韓国併合100年。そして戦争と基地を問い続ける沖縄からの発言。それぞれに大変深く、重要なお話をいただくことになる」と。

 池田精子さん
 池田精子さんは被爆の惨状をそのままに語り、その後の被爆者の苦しみ、悲しみ、怒りを振り絞るように話した。事前に、中学生たちに話した証言録を読んではいたが、聞いていて息が苦しくなるような、壮絶な証言だった。1086
 「熱線、爆風、放射線。爆発時の爆心は数百万度。原爆ドーム付近の地表で3千~5千度と言われた。爆風は秒速440メートル。自然界の1万7千倍の放射線。これらが生きた人間に襲いかかる。火傷、ぶら下がった皮膚、内臓が飛び出した人、人・・。逃げる途中、比治山の上から見ると広島の街は消えていた。40度の高熱。膿、膿。生死の境を苦しんだ。数日間、市内で救護に加わった友だちの一人は、けがはなかったのに髪が抜け身体中に斑点ができ亡くなった。半年後、ようやく起き上がれるようになったが、顔のケロイドで、学校に行きたくなかった・・・。親にも当たりちらした。15度の手術。美しくなりたかったのではない。元の顔に戻りたかった。どこかが痛むたびに癌ではないか、白血病ではないかという恐怖と生きてきた。60数年たったいまも、被爆者にとって原爆は終わっていない」。
 この日、池田さんは受けた被害、惨状を語ることに徹したが、戦後は、アジア侵略の歴史とヒロシマを考えるようになったという。「軍国少女で日の丸を振って出征の兵隊さんを送った。あとで分かった。私たちがアジアの人々を苦しめていた、と」。いまなお、思い出したくない記憶を語り続けなければならない。「戦争と原爆を繰り返してはならない。生きているうちに核廃絶を見届けたい」という言葉で締めくくった。

 知花昌一さん
 1086_2 沖縄戦と基地撤去を話した知花昌一さん。「自分の村にチビチリガマがある。そこでの集団自決(知花さんは「集団強制死」という)の調査をした。私の原体験」と言う。自分が産んだ子を手にかけた。親や兄弟姉妹を助けることもできず、自分は生き延びた、そういう体験を調査し聞いた。「命どぅ宝(ぬちどぅたから=命は宝)という言葉が沖縄にはある。それは必ずしもきれいな言葉ではないんだ。そういう体験をして生き延びた人が、それでも生きていく糧として『命どぅ宝』という言葉があった。皇太子が沖縄にきて『命どぅ宝』と言ったらしいが、そんな薄っぺらな言葉ではない」と。広島・長崎、沖縄も犠牲になったが、しかし被害と加害は正しく伝えられているだろうか、と話す。「韓国人慰霊碑を訪れガイドさんの説明を聞いたが、なぜ広島に多数の朝鮮人がいたか、あまり語られない。韓国(朝鮮)人慰霊碑の存在は、私たちの侵略と植民地支配の証。その結果が沖縄戦であり広島・長崎だった」。
 沖縄戦の悲惨から、いまなお沖縄は米軍基地に苦しんでいる。「県外、国外」という鳩山前首相の言葉に期待した。政権が変わったが、「県外どころか、元の辺野古だ。沖縄は、もう本土の政治や動きに一喜一憂しない。基地の移設ではない。命の大切さを知った沖縄は、もう戦争につながる基地を許さない。自分たちで閉鎖、撤去する。きょうも広島ではいくつかの集まりがばらばらに開かれている。運動のありようも、分散ばかりせず、大きなうねりをつくっていかなければ」と話した。

高史明さん
 1086_5 高史明さんの「ヒロシマの継承と連帯―平和講演」は、100年前の韓国併合から始まった近代日本の戦争と植民地支配の歴史にふれながら、その後の自己史、ケンカで入った留置場で知った寡黙な被爆孤児との出会いを思い起こし、ヒロシマとのかかわりを話した。侵略と植民地支配と重なる「日本の近代化」。その過程は原爆、そしてその数千倍という水爆までつくり出した。「物理学を追究し、理論から開発を手がけたオッペンハイマーは、人類が初の核実験に成功したとき、《失うことがなくなった、その知識》を拒否し、自由の国アメリカから非難を浴びた。人間の理性に潜む闇は、まことに深い」。人間が、理性と知性の粋を結集して科学技術を発展させ、そうすることで深く自然に迫りながら、逆に真実の自然を見失うことになる――核時代・現代の闇をきびしく問う話だったと、私なりに受けとめた。

 8・7平和学習

 1087_3 7日は、「被爆電車651号」の運行と米澤鐵志さん、「爆心に消えた中島本町」に家があった福島和男さんによる平和学習。被爆しながら、いまも運行されている広電651号車に約70人が乗車、「原爆ドーム前」で下車した。T字の相生橋から福島さんの実家があった平和公園に入る。原爆ドームから250メートル、爆心直下に一家は暮らしていた。当時中学2年、動員で8時には西広島(己斐)の工場にいた福島さんを除いて一家は全滅、遺骨もない。町も人も消滅した。福島さんは、あの日、避難する人たちに逆行し中心部にあった家をめざしたが、けっきょく途中で断念し郊外に逃れた。
 米澤さんは、電車内での被爆から母親と白島方面に逃げた。その後の原爆症で生死をさまよう。母は9月1日に。お乳を飲んだ1歳の妹も10月に亡くなったと話した。学校では朝鮮人の友だちが大勢いたが、彼らは疎開もできず被爆後も市外へ避難することができなかった。在日朝鮮人の被害、死者の多さを考えることなしに、被爆の問題を語ることはできない、と指摘した。

| | コメント (0)

2010年9月 4日 (土)

今週の産直野菜(9月4日)

1094_2  先ほど三里塚から、猛暑の中、産直野菜が届きました。

 葉ショウガ、なす、ピーマン、オクラ、唐辛子、ゴーヤ、キュウリ、小玉ねぎ、じゃがいも(北あかり)の9品です。さすがに葉物はおやすみです。

 先週届いた葉しょうがを酢漬けにしていただいているのですが、やわらかくて美味しい。

 きゅうりは、ゴザを広げてその上に蔓を延ばさせたほうがよく育ってたくさんできます。初物が出始めた時期の6月に、そのゴザを畝の間に引くお手伝いをしたのですが、今の日照りでは、かえってやられてしまったのでしょうか。それとも、今のはそのあとに植えられたものでしょうか。いずれにしろ、仕方がないのですが少なくて残念です。代わりにゴーヤを薄く切って、毎朝のサラダにしています。少し苦いですが、ドレッシングをかければ気になりません。

 それにしてもこの異常なまでの暑さと、現地では雨がないことに、本当に大変なようです。「農家便り」にもありますが、この大変な時に、団結街道を閉鎖され、おまけに畑をフェンスで囲われ、その畑にスプリンクラーがないために、東峰の畑(3月の全国集会の会場)にある井戸から水をタンクに入れて、遠回りして運んでいる様子で大変です。改めて怒りを覚えます。

 9・19三里塚と沖縄を結ぶ関西集会、10・10全国集会に全力で集まって闘いを前進させましょう。9月10日は、市東さんの農地法裁判、行政訴訟です。傍聴に駆けつけましょう。

| | コメント (0)

2010年9月 3日 (金)

上関・田浦でも夜陰に乗じ   本当に許せない!

1091_2

 一昨日、9月1日、上関町長島の田浦で、夜陰に乗じ仮桟橋の周りにフェンス(防護柵)が張り巡らされました。これは、4月15日~16日に中国電力の作業員が140人で押しかけ強行しようとして、祝島のおばちゃんたちを先頭にした抗議の前にできなかったものです。

 昨年9月10日から開始されようとした現場へのブイ持ち込みが、祝島の漁師のみなさんの漁船をはじめとした闘いで長期にわたって阻止され続けた中国電力が、工事許可期限終了直前に夜陰に乗じて、他の場所から持ってきた中古のブイを現場に設置を強行し、工事はできたと強弁したのと同じやり方です。この闘いの中から「虹のカヤック隊」が生まれたのです。

 三里塚では、夜陰に乗じ団結街道の封鎖が強行され(6月28日)、裁判で現場には誰もいない隙に市東さんの農地をフェンスで囲い込むことが強行され(7月26日)ましたが、同じ問題です。

 住民の反対と抗議に何の正義性も持ち合わせない、中国電力や空港会社による「やってしまえ」というコソ泥の暴挙以外の何物でもありません。

 「虹のカヤック隊」のTさんは以下のように訴えておられます。

―― 今朝7時半に浜に降りると、桟橋の周りにぐるりと防護柵が張られていました。
夜中か明け方に、こっそりと作業したのでしょう。
(中電さんは今日の午後、朝5時すぎから作業を始めたと発表したと聞きましたが、そんな短時間では到底できそうにない作業でした。)
私達の荷物は桟橋の横に出されていて、一週間以内に撤去しないと処分する意の貼り紙がありました。
浜には中電が30人ほど待ち構えていて、何時からやったかなど質問しても答えなかったり、作業に汚いも何もありませんなど言い残し、説明しましたからと言ってすぐに帰っていきました。
姑息な作業、悔しいです。
まだ工事が始まっていないのに、桟橋周辺を囲って立入禁止にするのは、海岸の自由使用の妨げになると思います。
午後は何もなかったです。
これからも、焦らず粘り強く抗議していきたいと思います。

(詳しくは「虹のカヤック隊」ブログ http://ameblo.jp/nijinokayaker/ をご覧ください。最初の写真は、同ブログから無断転載いたしました。)

 祝島のみなさんは、昨年9月10日に始まった闘いから1年がたったことを期して「上関原発のための埋め立て阻止・田名埠頭現地行動開始1年 もうやめた上関原発!を中電に求める集い(仮称)」を9月4日、午後1時から、平生町田名埠頭で開かれます。行ける方は駆けつけてください。下の写真は、その昨年の闘いの様子です。09914

| | コメント (0)

2010年9月 2日 (木)

在日外国人無年金問題で兵庫県交渉

1091

 昨日、障害年金の国籍条項を撤廃させる会と兵庫在日外国人人権協会が、兵庫県に対して「在日外国籍無年金障害者の早期救済」に関する要望を行い、担当する障害福祉課などと話し合いをもちました(写真手前が兵庫県)。

 本来は国が年金制度の中で対応すべきですが、野党時代にはその立場にあった民主党は、政権についた今、障害者自立支援法に対する対応以上に一顧だにしようとしていません。この「制度的無年金」の問題については、各地で、自治体が人権問題であるとして特別給付金などによって対応が行われております。兵庫県においても、県と各市の共同事業として進められてきました。すでに半分を負担する兵庫県各市は2008年までに完全実施を行ってきました。しかし、共同事業であることを提唱した兵庫県のほうが高齢者の制度的無年金者への対応をようやく今年度、完全実施に踏み切りながら、障害基礎年金1級に相当する制度的無年金者への給付が不十分であり、同2級に相当する無年金者については、まったく放置されたままです。全く所得補償のない29人の命の問題なのです。

 この日、貴重な指摘が両団体から兵庫県の担当者にいくつも行われました。その中で、兵庫県在日外国人人権協会の孫敏男代表の言葉をご紹介して、報告に代えます。(右下写真、右側が孫さん。左は、「撤廃させる会」の佐藤耕壽代表。)

 孫敏男さん

 川西に勤めているんですが、川西の場合、障害2級の方が2人おられるのは間違いないですよね。市会議員を通じて、本人さんに会う手段はないかということでやってみたんですが、相手さんのほうは会いたがらない。ということで、実は私どもが会うには至っていない。私たちとしても、その2名の方がどういう生活実態を持っているんだろうということを、できれば会って確認したいなと。市では支給されたわけですよね。今までゼロだったのが支給されるようになった。どういう気持ちなのか、そんなことを聞こうと思っても、なかなかプライバシーとか、本人の意向ですね。突然、市会議員が出てきて、「何様だ」という風な思いもあるかもしれませんけれども、ちょっと阻まれています。1091_2

 先ほども北川さんが言われてましたけれど、健常者でもなかなか勤め先がない中で、障害者が勤められるのか。また、それでなくても民族差別があって、さらに二重苦で働く場所を失っているという想像しかできない。生活実態は、先ほど言われたような生活保護に頼るしかないと思っています。

 私の親は8年前に亡くなったんですが、この制度ができたときに県はまだ支給していなかったと思います。千円か2千円を出している時代だったと思うんですけれども、日本生まれで日本育ちです。植民地時代に1923年に生まれてるんですわ。1910年に植民地になりましたから。1945年というと22歳。戦争にも行ってるんですよ。赤紙もらって。朝鮮人でありながらね。最後の徴兵だったそうですが。戻ってきてどうするというので、尼崎の常松町あたり、北のほうに住んだ。生まれたのは芦屋で、尋常高等小学校、同級生は生き残っているのが少ないんですね。会うと、みんなは(親が)支給要件のない年金をもらっていたんですね。で、親父だけないわけです。マジに言うんですね。「なんでないんや」と。「なんでないんや」と言われてもないんですわ。生まれてから社会生活を送って、同級生と同じように成人してからずっと税金を納めてきているのもかかわらず、同じようにもらえない。まあ、そんな弱音は吐いていませんけれども、非常につらい、悔しい思いをしていたんではないか。制度ができて結構なりますので、もらえるようになって非常に喜んでおりました。

 特に在日は35歳以上も含めて加入できる制度があってもなかなか入らない方が多い。そんな中で、まあ、払えばいいというもんなんでしょうけれども、そういうのはちょっと置いといてですね、結局、片やあるなし、おまけに生活できない。そういう実態からいうとですね、同じように戦後64万人の在日韓国、朝鮮人が残ってですね、税金を納めてるわけですね。いろんな形で。やっぱり、兵庫県は、兵庫県だけではないんですけれども、制度をこれだけ作って、これだけ理解して、わかっていただいて、高齢者も満額でるようになった。十分理解しているはずなんです。なのに、この(障害)2級だけはどうして理解できないのか。どうして説得することができなのかというのは、われわれは非常にもどかしい思いをしているわけです。

 中西さん、西村さんね(いずれも兵庫県の障害福祉課担当者)。私が予算要求の場に出れるなら想いをぶつけたいです。お二人の責任だけではないんだろうけれども、やはりお二人がたまたま所管で仕事になっている。非常に気の毒な面もあると思うんですけれども。こういう問題になると興味がある人はおるんで、よく「ちょっといっしょに勉強させてほしい」と言ってくる人があります。その時にね、「あんた、この問題で怒ったことあるんか」というんです。中西さん。この問題で財政当局に怒ってほしいんですよ。好奇心、興味本位で見てほしくないわけです。差別をしているのは、兵庫県という地方公共団体ですよ。だから怒ってほしいんです。「誰やねん。こんな差別残してるのは」。ほんまに二人で怒ってほしんです。よう怒らへんかったら僕呼んでください。怒らしてもらいます。想いですよ。その想いをぶつけてほしいと思うんですよ。

 たかが29人ですよ。おまけに市町は実現している。これは生活実態が厳しいのを(市町が)知っていると思うんですよね。想像しただけでもわかる。29人、どんな生活をしているかヒアリングしてほしい。ヒアリング。ヒアリングして回ったらね、汗水流してヒアリングして回ったらね、僕、怒りが込み上げてくると思うんです。怒りが。ほんま僕らまわりたいですよ。市を通しても、なかなかプライバシーがどうの、本人の気持ち、惨めな状況を見せたない、そういう気持ちもあるかもわかりません。いい暮らししてたら「さあ、来てください」となるんでしょうけれど、惨めな生活を見てもらっても余計惨めな気持ちになるだけやという気持ちになっておられるのかもわかりません。

 だから、生活実態、実態をどれだけ把握できているのかちょっと教えてほしいんですよ。そりゃあ、僕らは第3者ですよ。ところが、あなたたちは当事者ですよ。職務をやってる職権である程度は把握することができるかもしれませんし、できれば生活実態を職権で市町に調べさせるなり、どういう状況なのかということを調べさせてですね、実態を把握して、当局に予算要求してほしいんですよ。その辺、どれだけ把握しておられるのか、教えていただけるようなら教えてほしいんです。

 この日の兵庫県との話し合いは、1時間余りでしたが、この日の論議を踏まえて、10月末から11月に兵庫県の回答の場をもち、この問題をともに闘ってきた在日大韓民国民団兵庫地方本部、部落解放同盟兵庫県連合会、兵庫県教職員組合、神戸市教職員組合など36団体で、共同で兵庫県と話し合うことになっています。(なお、孫さんの発言内容については、当ブログ管理人に文責があります。)

| | コメント (0)

2010年9月 1日 (水)

結成30年を振り返って

 結成30周年をこの6月に迎えた尼崎・伊丹実行委員会の弥永修さんから関実の実行委員会ニュース第131号に想いを書いていただきました。ご紹介します。

 結成30年を振り返って

 私のとっての回顧になりますが、おおざっぱに振り返えれば、最初の10年は三里塚を闘うがゆえに様々な弾圧を受けた10年でした。
 
19806 私の自宅と職場に対し計6回にわたる不当ガサをはじめ、職場の上司へのスパイ工作、仕事の相手先へのたれこみ(弥永=過激派)による仕事妨害、また仕事関係者を装ってたびたび接近して懐柔しようとするなどなど、あげればきりがないぐらい卑劣な運動つぶしを経験しました。(三里塚を闘う人々は皆さん経験されているとはおもいますが・・) 【右写真は、尼崎・伊丹実行委員会結成集会にかけつけ、挨拶をされる故郡司とめ三里塚反対同盟婦人行動隊長】
 元来気弱な私がよく持ちこたえたなあと思うのですが、その底流には「三里塚に対する考えの異なる個人や集団からの妨害や恫喝ならともかく公務員である警察官から公務として弾圧を受ける筋合いは絶対ない」という怒りがありました。そんな不当な事で振り上げた旗を降ろしているようでは、自分の人生だけでなく、自分の子供達にさえも責任がとれる親にはなれないと思っていました。
 そして次の10年はそれらの弾圧に対して「不当ガサ兵庫国賠訴訟」を闘った10年でした。この裁判で私は、警察官が平気でうそ八百の証言をする存在である事、そして裁判官がそのうそ証言のみに依拠して「判決ならざる判決」を下した事に、まさに「民主国家日本」の本質を見出した思いがしました。その結果、ますます三里塚を闘う正義性に確信を持つようになりました。
 そして最近の10年は自分の人生と三里塚を結びつける10年でした。すなわち「三里塚の勝利が我が人生の勝利」とようやく言えるようになりました。つい最近の事です。それまでは三里塚とのかかわりにどこまで責任がとれるのかはなはだ自信が持てなくて軽々にそのようには公言できませんでした。結成30年にして本当にようやくです。
 経済的な問題もあり全国集会以外はなかなか現地入りはできませんが、最近は行ける時がくるのが楽しみでなりません。(こんなふうに言うと、連日緊迫した情勢下にある反対同盟の皆さんからお叱りを受けそうですが・・)

 私も還暦を越え体力的には若干衰えを感じていますが、現地には北原事務局長や森田先生、そして我が関西には山本世話人や永井代表など大先輩が頑張っておられ、幸か不幸か弱音をはく場所がありません。
 相変わらず微力ながらも、これからも関実の一員として頑張る所存ですので引き続きよろしくお願いいたします。

| | コメント (0)

« 2010年8月 | トップページ | 2010年10月 »