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2010年8月 8日 (日)

8・6ヒロシマ 平和の夕べ

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 8月6日、広島YMCAで 「8・6 ヒロシマ  - 平和の夕べ - 」が会場をほぼ一杯にする参加者のもとに開かれました。1086_2 産婦人科医で被爆2世の河野美代子さんの司会(右写真)で始まった集いは、広島県被団協副理事長の池田精子さんと、沖縄読谷村村議で反戦地主の知花昌一さんによるリレートーク。そして作家の高史明(コウ・サミョン)さんの「ヒロシマの継承と連帯を考える」と題した「平和講演」の3本だけという非常にシンプルなものでしたが、それだけにそれぞれのお話しが、鋭い切り口を持って聞いている私たちに激しく迫る素晴らしい内容をもったものとして、大成功したように思えました。

 池田精子さん(左写真)は、12歳、中学一年生の学徒動員での作業の中で被爆されたその時の様子を皮切りに、死の世界をさまよい、恢復してもなおケロイドで一変した自らの相貌に苦しみ、悩まれたその想いを赤裸々に語られたのです。1086_3 被爆現場でのご自身の見たことや、先輩や仲間の少女の様子や聞いた話しを交えながら、文字通りに「地獄絵」のヒロシマを語られるそのお話しは正に鬼気迫るものがありました。15度の手術を受け「美しくなりたかったのではない。前の自分の顔を、失われたものを取り戻したかった。しかし出来なかった」と淡々と想いを語られます。人間として悲惨の極限に置かれたものとして、お父さんなどとの関わりから立ち直られる中で、二度とこんな悲惨を人間が受けるべきではないと「核兵器廃絶」への想いを自らのケロイドを曝し、世界に出かけ語り続け訴えられたことを語られました。そして、「残された時間は少ない。生きているうちに核兵器廃絶をこの目で見たい」と残された人生への決意を語られて話しを終えられました。「反核ヒロシマ」の運動と闘いが、被爆者の悲惨さをこそその土台に据えるべきであるということを改めて思い知ることが出来たお話しでした。

 1086_4 続いて立たれた知花昌一さんは、池田さんの話を受けて、チビチリガマを通した「お母さんたちの想いを追体験して語り伝えていく」ことの重要性を「チビチリガマが私の生きざまの根元にある」と先ず明らかにされました。そして「命どぅ宝」という言葉に込められた戦争の悲惨さの中で「生き延びてこれた」人びとへの想いを明らかにされました。その上で、沖縄、広島で犠牲が語られる中で、どれほど「加害」ということが語られているかという想いで、前日5日、韓国人被爆者の慰霊塔のそばでしばらく時間を過ごされ、若いガイドの人たちがどう伝えているかを聞いてきたことを話されました。「なぜ、広島で3万人もの朝鮮人の被爆による犠牲者が出たのか」が話されていないことを明らかにされた上で、侵略戦争の中での「被害と加害」の問題を明らかにしていくことを踏まえた上での「語り継ぐことの大切さと、その内容の大切さ」を訴えられ、「それは広島でも沖縄でも行われなければならない」と提起されたのです。

 現在の沖縄について、知花さんは、明治政府による「琉球処分」以来の3つの「琉球処分」の歴史を簡潔に述べられました。とりわけ1952年の「屈辱」の第2の琉球処分から、「守礼の民」と言われた沖縄の人々の「コザ暴動」に象徴される闘いの中で行われた1972年沖縄返還の「第3の琉球処分」によって、それまで日の丸少年であった自分が「日の丸引き下ろしと焼い」たことへと変転したことを語られました。そしてこの5月28日、鳩山政権による日米合意による新たな沖縄への新基地押しつけを「第4の琉球処分である」と弾劾されたのです。島ぐるみの沖縄の「民意」は「沖縄の県内移設はダメだ」ということであると4・25県民大会に至る様々なことを明確にされました。自公政権でさえ出来なかった「辺野古新基地建設」を民主党政権がそのままおしつけることなど許されない、「それが日本の民主主義のレベルだ」と弾劾されたのです。そして菅政権成立直後の菅首相の言動の反動性を厳しく批判した上で、「もう日本の政治の動向に一喜一憂しない」そして「日本の運動にも一喜一憂しない」「あてにしない」「自分たちで切り拓く」とされました。辺野古に13年かけて指一本触れさせてこなかったように徹底した不服従の闘いをやり抜くというのが、今、沖縄のふつうの声になっていることを明らかにされたのです。そして最後に、大きなうねりを党派を超えて作りだし政治を変えていこうと訴えられました。1086_5

 「平和講演」をされた高史明さんのお話しは、1時間余りの熱弁で、池田さん、知花さんのお話しを引き取り、自らの広島、沖縄との関わりを個人的体験を通して明らかにされながら、原爆を生み出した、いや、今や核分裂ではなく核融合によって広島、長崎の原爆の1千倍、数千倍の恐ろしさを持つ核兵器を生み出した現代の文明のおぞましさを明らかにされました。そして私たちが立ち戻るべき文明論、思想の手掛かりとして、親鸞を軸とした浄土真宗の教えを紹介されたのです。

 そのお話しはあまりにも難解で、とても私の力でまとめることはできません。しかし、「ににんがし」(2X2=4)で全てが分かったような気になって、生命存在を素粒子の段階まで分解して解明したつもりになっているおかしさを指摘されるそのお話しにいつのまにか惹きつけられているのを感じました。そして多くの人々が、その文明論でわかった気になって、現代の様々な問題が噴出してきていることを批判しつつ、この文明論に囚われることなく、原爆を生みだしたこの思想に引きずられることなく、新たな歩みを始めるべきだという様な内容をお話しをしておられるのだということは判りました。

 私自身、自然科学を探求しようとした時期があり、その中で、何よりも原爆の存在が象徴するように、すべてを資本の論理、侵略戦争の論理に身を任せて科学が「進歩」してきた歴史に率直な疑問を抱いていただけに、貴重な指摘があったように思いました。水俣病被害者に見られる現実を、産業の発展、資本の論理で切り捨て、その被害を拡大し、今なお甚大な被害が広がり続けてきていることに象徴される「科学技術の進歩」という化け物に引きずられてきた「現代」を想いながら。そして、それは、被爆者救済ではなく、ただただアメリカの核戦略の基礎資料としての研究を、被爆者をモルモットにしながら続けてきたABCCの問題でもあります。その対極として、大江健三郎さんが「ヒロシマノート」でこだわり続けられた原爆病院の重藤文夫院長を象徴とする多くの人々の被爆者との関わり、そして被爆者の悲惨さを軸として考えていくというものがあるのではないでしょうか。こんなことを想いながらお聞きしておりました。

 しかし、凄い内容に押しつぶされないように、いやこの中身を自らの糧にしようと3時間近く必死で抗ったという気分にさせられた集いでした。ありがとうございました。なお、集会プログラムには、三里塚芝山連合空港反対同盟・北原鉱治事務局長から寄せられたメッセージが、集会賛同者のお名前の紹介と共に掲載されておりました。

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コメント

3名の方だけの、非常にシンプルな集会でした。とても良い構成だと思いました。
内容は、管理人さんが書いておられるように、非常に重厚で深い、すぐには消化しきれないものでした。
会場に一緒に居た方々と語り合って、自分のものにしていくことかな、と思います。
素晴らしい観点を持った方々の存在に、改めて感動しています。

投稿: でっかい | 2010年8月 8日 (日) 23時27分

高さんのお話は、自分が他者に与えてしまった影響を、自分の恥部さえすべてさらけ出してえぐり出し、省みる、静かだけれど激しいものでした。
日本はアジアに対する反省を、あそこまでの深さで行ったことがあるだろうか。平板ではないだろうか。
考えさせられるお話でした。

投稿: でっかい | 2010年8月11日 (水) 08時07分

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