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2010年8月22日 (日)

日韓併合100年

 今日、8月22日、100年前のこの日に、日本帝国主義、明治政府は日韓併合を強行しました。それは、朝鮮人民の政治的主体性を抹殺するだけでなく、寺内の武断政治による支配に象徴されるように、数千年にわたる朝鮮人民の文化と歴史、人間性そのものを抹殺する蛮行であり、世界史的な差別犯罪でした。私たちは、100年を経てなお、この歴史と向き合おうとしないばかりか、一切の民族的、国家的賠償責任を取らないままの菅首相による「談話」=開き直りを許している自らの日本人としての在り様を徹底して自己批判しなければならないと思います。

 朝鮮人民は、1894年、反日・反封建(「遂滅倭夷」「盡滅権貴」)を掲げた甲午農民戦争を闘い抜き、1895年10月の閔妃虐殺事件、直後の断髪令の強行に抗して始まった義兵闘争は、日本帝国主義による熾烈な弾圧と虐殺をもはね返して、1913年まで陸続と闘い抜かれました。そしてその闘いは、中国東北部、ソ連極東地帯での中・朝人民による抗日武装闘争に引き継がれ、1919年の「3・1万歳事件」=独立運動への筆舌を尽くし難い弾圧、拷問、虐殺、1920年、「三光作戦」というべき2万の日本軍による間島地域への襲撃と殲滅攻撃をもはね返して、1945年の解放まで闘い抜かれたのです。とりわけ1919年の「3・1万歳事件」は、中国の「5・4運動」をはじめ、アジア諸地域の民族解放闘争への号砲となったのです。

 凄まじい弾圧と恐るべき拷問、虐殺を前にしながら、朝鮮全土で、10代の少年や少女も含め死をも恐れず全民衆的規模で立ちあがって闘い抜かれた「3・1独立運動(万歳事件)」は、朝鮮独立に向けた朝鮮人、そして在日朝鮮人の中に語り継がれました。今日はその折の独立宣言(カナダ人のフレデリック・A・マッケンジーの著「義兵闘争から3・1独立運動へ」を神戸で活動しながら訳して出版した韓皙曦(ハンソクイ)さんの日本語によるものですが)をご紹介して、一つの出発点としたいと思います。

    朝鮮独立宣言書

 われらは、ここにわが朝鮮の独立と、朝鮮人民の自由民たることを宣言する。これをもって世界万邦に告げ、人類平等の大義を明らかにし、かつこれを子孫におしえ、民族独立を天賦の権利として永遠に保持させるものである。

 われわれの背後にある五千年の歴史の権威によってこれを宣言し、二千万民衆の忠誠を合してこれを宣明し、恒久にかわることなき民族の自由な発展のためにこれを主張し、人類良心の発露にもとづく世界改造の一大機運に順応し、これとともにすすまんがためにこれをなすものである。これすなわち天の明命、時代の大勢、全人類の共同共存同生の権利が、正当に発動したものであって、天下のなにものといえども、これを阻止し、抑圧することはできない。

 旧時代の遺物たる侵略主義・強権主義の犠牲となって、有史以来幾千年、はじめて異民族による抑圧の苦痛をなめて以来、ここに十年の歳月がすぎた。わが生存権の剥奪、思想の自由な発展に対する障碍、民族の尊栄を毀損したること、新鋭と独創とをもって世界文化の大潮流に寄与すべき機縁を失ったことなど、およそ幾許か知れない。

 ああ旧来の抑圧より脱し、現下の苦痛よりのがれ、将来の脅威をのぞき、民族の良心と国家的廉義の圧縮銷残せるを回復伸張し、各人人格の正当なる発達をとげしめ、可憐なる子弟にたいして、屈辱の遺産をのこすことを欲せず、子々孫々、永久完全なる慶福をむかえとらんとするならば、その最大急務は、民族の独立を確実ならしむることである。二千万の各個各人が方寸の刃を懐にし、人間性と時代の良心とが、正義の軍と人道の干戈とをもって援護する今日、吾人がすすんでとるになんの障碍もない、しりぞいて事をなすに、吾人の志はかならず達成できる。丙子修好条規以来、時に応じ、種々なる金石盟約を踏みにじりたることをもって、日本の不信を罪せんとするものではない。日本の学者は講壇において、日本の政治家は実際において、わが祖宗の世業を植民地視し、わが文化民族を蛮民視し、もっぱら征服者の快をむさぼるのみであった。わが久遠の社会と、卓越せる民族心理とを無視するものとして、日本の不義を責めんとするものではない。自己を策励するに急なる吾人は、他を怨むいとまはない。現在の問題に多忙なる吾人は、過去をとがめる暇がない。今日われわれの専念するところは、ただ自己の建設のみである。けっして他を破壊することではない。厳粛なる良心の命令によって、自家の新運命を開拓せんとするものである。旧怨および一時の感情によって、他を嫉逐し排斥するものではない。旧思想、旧勢力による日本政府の功名的犠牲である不自然にして、また不合理なる、あやまれる状態を改善匡正し、自然にして合理的なる正経の大原に復帰せんとするものである。当初から、民族的要求に由来しなかった両国併合の結果が、畢竟、姑息なる威圧、差別的不平等、および統計数字の虚飾のもとに、利害相反する両民族間に、永遠に和合することのできない怨みの溝を、ますます深からしむる今日までの実績を見よ。勇気・明断・果敢、もって旧来のあやまりを正し、真正なる理解と同情とにもとずく、友好の新局面を打開することが、彼我のあいだに禍を遠ざけ、祝福をもたらす捷径であることを明察すべきである。また、含憤畜怨の二千万人民を、威力をもって拘束することは、東洋永遠の平和を保証するゆえんではない。のみならず、これによって東洋安危の主軸たる四億万中国人民の、日本に対する危懼と猜疑とを、ますます濃厚ならしめ、その結果として、東洋全局の共倒と同亡の悲運をまねくことは明白である。今日吾人の朝鮮独立は、朝鮮人をして正当なる生活の繁栄の追求をなさしむると同時に、日本をして、その邪道から脱出せしめ、東洋の支持者たる重責を全うせしめ、中国が夢寐にもわすれえない不安・恐怖からこれを脱出せしめ、東洋平和の、またその重要なる一部をなす世界の平和、人類の幸福に必要なる段階たらしめんとするものである。区区たる感情の問題ではない。

 ああ新しい天地は眼前に展開せられた。威力の時代は去って道義の時代はきた。過去全世紀にわたり練磨長養されきたった人道の精神は、まさに新しい文明の曙光を人類の歴史に投じはじめた。新しい春は世界にめぐりきたり、万物の蘇生を催進しつつある。凍氷寒雪に呼吸をとざされたのが、かの一時の勢いなりとすれば、和風暖陽に気脈をふるう、これも一時の勢いである。天地の復運に際会し、世界の変潮に乗じた吾人は、何らの躊躇なく、何らの忌憚もない。わが固有の自由権を護全し、生旺の楽を享受すべく、わが自足の独創力を発揮して、春満てる大界に、民族の精華を結集すべきである。

 われらはここに奮起した。良心はわれらとともにあり、真理はわれらとともにすすむ。男女老若、陰鬱なる古巣よりおどりいで、万民群衆とともに、欣快なる復活をとげんとするものである。千百の世祖は、かげながらわれらをたすけ、全世界の気運はわれらをまもっている。着手はすなわち成功である。ただ前方の光明にむかって驀進するのみ。

朝鮮建国四二五二年(1919年)三月一日

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