農業こそ国策じゃないのか
先日、7月1日、三里塚反対同盟は、鈴木さんの一坪裁判を闘い、その前に団結街道の閉鎖攻撃に対する「通行禁止仮処分」の申し立てを行いました(7月1日当ブログ既報)。その後、弁護士会館で記者会見と報告会を行い「弾劾声明」を発表しました。その席で、反対同盟を代表して萩原進事務局次長が、6・27現地集会と6・28閉鎖攻撃という現地の状況を踏まえた三里塚の闘いへの想いと今後に向けた方針の提起を行われました(全文が、当ブログ4日の記事http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-f828.htmlに掲載しております。ご覧ください)。
そこで劈頭、萩原さんは、「道路封鎖とか、第3誘導路の問題という形で出てきて、市東さんが焦点みたいになっていますけれども、市東さん1人の生活がどうのこうの、空港の問題というんじゃないんだよね」 と言っておられます。聞いた時、思わず「えっ?」と思いました。
「市東さん叩き出し攻撃を許すな」「市東さんの営農と生活を守ろう」ということが、この過程の核心と思っていますから、(また萩原さんがその事を否定するはずもないので)、何をおっしゃりたいのかと思わず緊張しました。しかし、その後の展開で判りました。
特に以下の2か所の表現に想いが凝縮されています。「我々は農地取り上げという問題で、自分は農民という立場で言ってきてるんですけれども、農家が潰され、農民が生活できなくなってきている。その中で、われこそは農民であるということをもってね、いかなるカネや脅しにも負けず、農民として生きていくという、そういう人たちがいるんだということこそ、今、国策じゃないのか。国家としてほんとはやらなくちゃあならない事業じゃないのか。」
そして「その典型的な例として、市東さんはそこに置かれてるんですよ。あるいは空港の周辺の人たちはそこに置かれてるわけですよ。ですから、ますます農業ができなくなって、どんどん農業が衰退していく、そういう状況が今あるわけですね。ですから、そこで農業を守っていく、農地を守っていく。それはもの凄い重要であり、厳しいけれども必要なんですよ。このことを自分たちは訴えてるんですよ」と。
こういう観点に立ち切った時、三里塚闘争が、現在の政治状況の中で非常に重要な位置を新たに持ってきていることが明らかになるのです。「反戦の砦」として44年間、「農地死守」「実力闘争」の原則を守り抜き闘い抜いてきたことが、新たな意義を獲得し、全国、全人民の共闘のたたかいとして存在するのだと言われているのです。
だから萩原さんは、最後の方で 「その事を同じように思っている人たちと一緒になって闘う。ますます厳しくなる経済状況の中で、首切りや配転、また増税の中でますます生活が出来なくなる労働者とか、あるいは沖縄の人たちみたいに歴史的な中で差別され、戦争の中に巻き込まれて生死の中をさまよった、そういう人たちともっともっと手をつないで闘い抜いていく、そういう大きな構図をもって闘いを展開したい」とまとめられているのです。
この萩原さんの想いを理解した時、萩原さんが常々「日本農民の名において闘う」と言われてこられた想いが理解できるのではないでしょうか。それは三里塚の70年、71年を軸とする44年にわたるかっての闘いが凄かったからということではなく、今現在、そうなのだということなのです。
そして、市東さんが、4・25沖縄県民大会の9万人の熱気の中に自ら進んで入り、反対同盟の旗を掲げて共に闘った熱い思いによって、その確信を深め、それ以降の弾圧、逮捕勾留攻撃をはね返し、団結街道閉鎖の攻撃をもはね返して仁王立ちしておられることによって、この萩原さんの確信もますます揺らぎないものになったと言えるのではないでしょうか。
この「農業こそ国策」と言われる三里塚闘争の正義性に立った萩原さん、市東さんをはじめとした三里塚反対同盟の闘いを、守り抜き、巨大な大衆的統一戦線を実現して勝利する、ここに私たちも立とうではありませんか。市東さんの営農と暮らしを守り、市東さんの農地を守り抜く闘いの中から実現していきましょう。その意味で、先ずは「沖縄と三里塚を結ぶ」そうした闘いが、現在の局面として求められているのではないでしょうか。
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