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2010年7月30日 (金)

殺人的な「第3誘導路」建設を絶対許すな!

 国交省成長戦略会議は、5月17日、破たんした日本の航空政策を立て直すべく答申と、行程表を発表しました。それによると羽田空港の第4滑走路による2011年度中の39万回化、成田空港の第3誘導路による2012年度中の27万回化、そして14年度中の成田30万回化、13年度中の羽田45万回化の実現を柱とした「羽田・成田の強化、ハブ化」をうたっています。

 3_2_2 すでにこの3月28日の「22万回化」実施は、暫定滑走路をほとんど着陸専用に使うことを前提としました。年間の7割近く北風が吹く気象の中で、これは、滑走路南側の東峰地区住民の生活を破壊し、すでに「耐えられない」身体的影響が出始めているとさえいわれています。空港北側の成田市住民や南側芝山町民による「話が違う」「騒音問題を解決しろ」という怒りの声に、全部の着陸機を暫定滑走路に降ろすというのは変えられたようですが、それでもジャンボを交え以前の2倍以上の着陸は、東峰の島村さんなどに非常に深刻な事態を生んでいます。

 一昨年開かれた「2期工事差止訴訟控訴審」において市東孝雄さんは、着陸機の騒音の被害を訴えながら、むしろ着陸機がターミナルに向かって第1誘導路を自走しているときの長時間の異様な騒音、タイヤの摩擦による臭気、そして振動の方が堪えられないと証言しておられます。

 2012年、27万回に増やす根拠とされる第3誘導路は、左写真に示されているように市東さんのお宅の左側100メートルにもならないところに作られるのです。そうすれば、その恐ろしい騒音や振動の被害は第1誘導路の比ではありません。実際にも、5月24日開かれた第3誘導路の公聴会では、市東さんや東峰地区の島村さんなどが住んでいないことを前提とした、隣の取香部落と東峰十字路がアセスメントの対象とされているのです。市東さんや、島村さんは「死んでもいい」とでもいうのでしょうか。それとも「嫌なら出ていけ」とアセスメント自体がなっている、こんなひどいことが許されるでしょうか。

 1069 2016年、成田空港の30万回の達成は「行程表」では「旅客ターミナルの拡充」「駐機場などの拡充」によってとされていますが、誘導路の「へ」の字部分があるかぎり、27万回どころか、現状の22万回でさえ難しいのです(右写真は、今年の6月6日、「へ」の字部分で着陸機を待って、4機のジェット機が滞留しています。クリックすれば写真が大きくなります)。

 つまり、南台の畑がある限り、こうした「行程表」は夢のまた夢でしかありません。しかし、2012年であり、14年の話しなのです。このことに追い詰められているのが、空港会社NAAであり、国交省なのです。ですから、国交省成長戦略会議が「答申」と「行程表」を発表したその日、5月17日、団結街道の閉鎖を目論む「看板」を立てようとしたのであり、市東さんの怒りの決起に慌てふためき逮捕するという暴挙を行ったのです。市東さんの長期勾留をものともしない決死の闘いと反対同盟と支援の闘いは、こうしたNAA,国交省の焦りと破たんを40日余りも野ざらしにし、阻止し続けました。

 行き場を失ったNAAと空港会社は、コソ泥のように夜陰に乗じて6月28日、団結街道の封鎖を、そして裁判のために反対同盟と支援が現地をからっぽにした7月26日、市東さんの南台の畑をフェンスで囲み、コソコソと第3誘導路の工事に着手しました。何の展望もなく、追い詰められているが故の暴挙でしかありません。しかし、たとえそうだとしても、こんな理不尽な、違法、不当な攻撃を一寸たりとも許すことなどできようはずがありません。F

 南台の畑で仁王立ちして踏ん張り抜き、天神峰のお宅での生活を守り抜いておられる市東孝雄さんを、何が何でも支え抜かねばなりません。「国策」の名で、こんな「人殺し」の攻撃が強行されることを許して、私たちに未来はありません。

 それは「日米合意」の名のもとにまた再びの「琉球処分」、新基地建設が押し付けられようとしていることに対して島ぐるみで立ちあがって闘っておられる沖縄の皆さんと私たちとの関係に通じるものがあります。「闘い」を沖縄の皆さんに押し付け、その力に頼るのではなく、私たち「ヤマト」の人間の力で、日米安保体制、米軍・自衛隊による「抑止力」を口実とした戦争体制の構築を許さない「安保のない」世界を築かねばなりません。

 同じように、私たちの反戦の意志を、正に市東さんを支え抜くことを通して「反戦の砦」三里塚闘争を守り抜き、沖縄と結ぶ巨大な闘いの道筋をつくることが、今こそ求められているのではないでしょうか。

 明日7月31日、三里塚現地では、午後3時から市東さん宅の南にある開拓道路で、第3誘導路建設阻止、団結街道閉鎖弾劾、天神峰現闘争本部死守、そして市東さんの農地を守ろうと現地緊急闘争が呼びかけられています。全力で結集しましょう!

 

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2010年7月28日 (水)

7・31緊急三里塚現地闘争に行こう!

10726  7月26日、市東さんの耕作権裁判が開かれ、現地にほとんど反対同盟と支援がいなくなったのを狙って、市東さんの南台の畑をフェンスで囲いこむ工事がこそこそと強行されました。そしてこの日空港会社NAAは、「第3誘導路」の建設着工を発表したそうです。本当に姑息で卑劣な攻撃に怒りがおさまりません。右写真は裁判から駆けつけ、抗議をしている市東孝雄さんです(「市東さんの会」ブログより転載)。

 三里塚反対同盟は、7月31日午後3時より、市東さん宅南側の開拓組合道路に集合して緊急現地闘争を開催すると以下の通り呼びかけておられます。全力で現地に駆け付けましょう。

緊急現地闘争の呼び掛け

 7月26日、成田空港会社は「第3誘導路」の建設着工を発表しました。そしてこの日、「へ」の字緩和の工事のためと称して、市東さんの畑をフェンスで囲い込む暴挙を行ったのです。反対同盟はこれに反撃する闘いとして。7月31日午後3時から、緊急現地闘争を闘うことを決定しました。決戦ゆえの緊急の呼びかけですが、多くのみなさんが結集されることを訴えます。10726_2

 「着工」と言いながら、翌27日の朝刊に掲載されたのは千葉日報1紙だけ。何ともお寒い限りですが、それもそのはず。実際にはすでに工事を始めていたのです。先週初めからコソコソと工事を開始していましたが、反対同盟と支援連による監視を嫌がり、鉄板フェンスで隠しながらの作業を進めていました。必要性も正義性もないからこそ、私たちの反撃を恐れて、まともな着工の発表も出来ないのです。

 だからといって、これから空港会社がやろうとしている「第3誘導路」の工事を、断じて許すわけにはいきません。すべて市東さんに移転を迫る軒先工事そのものです。間髪をいれず、私たちの怒りを叩きつけていきましょう。

【 7・31緊急現地闘争 】 7月31日午後3時 市東さん宅南側の開拓組合道路集合

 左写真も、7月26日、工事に抗議する市東さん(「市東さんの会」ブログより転載)。                       

 

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2010年7月27日 (火)

市東さんの耕作権裁判 第16回口頭弁論 (7月26日)

 昨日、7月26日、千葉地裁で市東さんの耕作権裁判第16回口頭弁論が開かれました。

 裁判冒頭、反対同盟弁護団を代表して、一瀬弁護士より5・17市東さん不当逮捕と夜陰に乗じたコソ泥のごとき6・28団結街道封鎖を頂点とした3カ月余りの攻撃が、裁判の争点である市東さんの農地と営農に関わる重大な権利侵害であることを裁判所が理解するべきであることが厳しく指摘されました。10726

 法廷では、弁護団から原告NAA代理人に対する求釈明が行われるものの、「後日文書で」などと全く答えないばかりか、白石裁判長からの本当に簡単な質問にも「イエスかノーか」ですら答えない原告NAA代理人に怒りの声とヤジが傍聴席から浴びせかけられ続けました。法廷後の記者会見冒頭、市東さん(右写真)は、「下手にしゃべるとボロがでるとでも思っているのか」と厳しく批判されました。法廷が終わった直後、市東さんが原告代理人席に詰め寄り、6月28日のコソ泥的封鎖を弾劾する一幕も。

 白石裁判長は、「求釈明はそれとして、弁護団として農地法批判などの釈明をひと先ずしたら」と早期結審に向けた本音を露わにしました。しかし、2006年開廷以来、5年もかかってまだ求釈明が延々と続けられている最大の原因は、原告代理人が答えない、自ら生み出している齟齬を釈明しないことにあるのだと、反対同盟弁護団は一歩も譲りませんでした。10726_2

 1984年、88年に公団(当時)との売買契約のために作られた地積測量図が、地主藤崎が書いたとする本裁判で提出されたものとまったく異なものであることが指摘されていることについて、原告代理人は当時の担当者上西某がすでに死亡していて判らないと回答しているのです。小さな個人企業でもあるまいしそんな言い逃れが通用するとでも思っているのかと弁護団の追及。(左写真は葉山弁護士)

 また、この売買契約のための地積測量図が地主藤崎の署名がされているものの、その筆跡が明らかに藤崎本人のものと異なり、公団(当時)が関与していることは明らかであり、その経緯を明らかにすべきと筆跡に関わる証拠を示して弁護団は迫りました。

 10726_3 法廷後の報告会で、反対同盟を代表して北原事務局長は、「黒を白にしようとしても無理だ」「結局、ウソで固めて人を殺すやり方のどこに正義があるのか」「連中は力でやってくるしかないところに行く。それを徹底的に叩きなおさなくちゃあダメだ」と決戦を迎えた決意を明らかにされました。

 支援から、「市東さんの会」の井村共同代表、動労千葉の滝口さん、関実から私が挨拶を行いました。私からは、10・10三里塚全国集会の重要性とそれに向けた「9・19三里塚と沖縄を結ぶ関西集会」にかけた関西の決意を明らかにしました。

 なお、この裁判の最中に空き巣のごとく市東さんの南台の畑をフェンスで囲む卑劣な攻撃が行われていることを帰途に聞いた反対同盟と支援は全力で現場に駆け付け、北原事務局長を先頭に抗議の闘いをたたかい抜かれたもようです。詳しくは、反対同盟ブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2010/07/post-164.html、または「市東さんの会」ブログhttp://www.shitou-nouchi.net/2010/07/post-8b73.html をご覧ください。また、「市東さんの会」ブログに抗議先が書かれています。抗議の声を、空港会社NAAと国交省に叩きつけよう。

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2010年7月26日 (月)

市東さんの南台の畑をNAAがフェンスで囲っている!怒りの反撃を

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 今、千葉地裁で開かれていた市東さんの「耕作権裁判」の第16回口頭弁論の傍聴と、弁護士会館での記者会見と報告会に参加して帰ってきたところですが、反対同盟ブログの「ツイッター」と「農家だより」に、市東さんの南台の畑(上写真。6月27日の集会後のデモで、関実の隊列が団結街道を通って南台の畑に差し掛かったところ。この道路と畑の間などにフェンスをつくったということなのでしょう)を、NAAがフェンスで囲む工事を今朝9時ごろからしているとのこと。今日は、裁判が10時半からあるため、市東さんを始め反対同盟と現地支援連の多くは、8時前には現地を出ていたはずです。10726

 NAAは、6月28日の未明からの団結街道の封鎖に続いて、またまたコソ泥のように、みんなが留守をしているのを狙っての卑劣な、姑息な攻撃をしてきたのだ。まだ同盟ブログが「ツイッター」ですので詳しい状況はわかりませんが、午後2時過ぎに発見し、現地に残っていた反対同盟(加代子さん)と支援で抗議を行っているようです。(右写真は現場で抗議する鈴木加代子さん。反対同盟ブログより。報告会が終わったのが12時前ですので、昼食をとって帰った皆さんはまだ現地に帰りついておらず、途中で連絡を受けられたのだと思います。私はその頃は東京に向かっていました。)

 いくらこんな卑劣な攻撃を続けようが、成田空港の本質的欠陥を生み出している暫定滑走路の「へ」の字誘導路の問題は、フェンスで囲まれようが、団結街道の封鎖で営農を妨害されようが、市東さんが農地を守りぬき、営農を続ける限り何一つ解決できません。30万回飛行どころか、22万回でさえ難しいのです。左下の写真の左手の現闘本部左側に航空機がじゅずつなぎになっているのがお解りいただけるように、着陸機が1分から2分に1機降りてくる(20万回でこうなる)状態では、ここで完全に動けなくなるのです(写真をクリックしていただくと写真が大きくなります)。1069_2

 問題は、仁王立ちして踏ん張り抜いてこの現実をNAAに強制している市東さんを、私たちが支え抜けるかなのです。こんな卑劣な攻撃を続けることしかできない、法廷でも何一つ答えることが出来ないNAAに対して、今こそ、私たちの怒りを叩きつけましょう。三里塚現地への日常的な援農、監視台行動などが本当に必要です。なによりこの連日の猛暑で水やりだけでも大変な状態にあることを今日も鈴木謙太郎さんや、萩原富夫さんからお聞きしました。

 みなさん。怒りの反撃を、市東さん、反対同盟の営農を支えながらNAAに叩きつけていきましょう。何よりも、10・10三里塚現地に総決起しよう!

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2010年7月25日 (日)

原発は「地球温暖化対策」にならない

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 昨日、24日、神戸の勤労会館で、「『原子力発電』という恐怖」という講演会が「ききたい つなげたい 8・6ヒロシマを」実行委員会主催で開かれ、小林圭二さんのお話しを聞きました。

 小林圭二さん(右下写真)は、「そもそも うそ、幻想とごまかしで塗り固められているのが原子力の世界」と話しを始められ、最初に標題にあげたように「原発は『地球温暖化対策』にならない」という序論の上で、1時間半を超える講演をされました。この序論が面白かったので、それをご紹介します。以下は、その要旨です。

 鳩山前首相は、世界に先駆けて2020年までに温室効果ガスを1990年比で25%排出削減をすると宣言して注目を浴びました。そしてこの3月には「地球温暖化対策基本法案」に原発の積極的増設を盛り込むと閣議決定しました。そして引き継いだ菅内閣は、新成長戦略で新幹線と原発を海外輸出する2本柱にすえる政策を発表して、自民党政権でさえ及び腰だった原発推進の姿勢を明らかにしました。その根拠が、「地球温暖化対策」です。10724_2

 ①「地球温暖化対策」というのが、原子力にまつわる今の最大の「うそ、ごまかし」だ。そもそも、地球は本当に温暖化しているのか。温暖化の原因が炭酸ガスなのか、科学的には決着はついていないし、根拠は示されていない。主催者から、民主党政権の主張に反論してほしいと言われたが、私には根拠もなく反論しようもない。主張した学者の根拠にインチキがあったことが明らかにされたりで、ますます論議が混迷を深めているのが現状だ。

 確かに産業革命以降、地球の気温が上がってきており、同じように炭酸ガスの濃度が上がっているという事実はある。南極の氷の測定などから、何万年という規模で確かに地球の気温が高かった時期に炭酸ガスの濃度が高く、気温が低かった時に炭酸ガスの濃度が低かったことは判っている。気温と炭酸ガスの濃度に関係があるのは明らか。しかし、どっちが原因でどっちが結果かはわかっていない。つまり、どちらが鶏で、どちらが卵かはわかっていない。

 ②とりあえず炭酸ガスの増加が原因だと仮定して、温暖化の責任は炭酸ガスなのか、炭酸ガスが悪いのかと言うとこれは違う。産業革命以降地球の温暖化が進んだのは、エネルギーの過消費、使い過ぎが原因であって、炭酸ガスの濃度の増加はその結果に過ぎない。「先進国」の大量生産、大量消費の社会のシステムそのものに原因がある。エネルギーの過消費という現実をそのままにして炭酸ガスの削減が実現出来るはずもない。ところが現在の温暖化対策は、「エネルギーの過消費」の問題には向き合わないで、ひたすら炭酸ガスの削減を言う。これが間違っている。だから鳩山首相のような頓珍漢な話しが出てくるのだ。むしろ環境問題という意味では、世界で様々な問題がありながら、全てが「温暖化対策」の影に押しやられ、無視されている傾向にこそ大きな問題がある。

 ③その上で「原発が温暖化対策になる」という話しだが、これは全く違う。誰もが気付く問題として、環境問題は「廃棄物問題」とも言える。確かに炭酸ガスは人間の産業活動、エネルギーの過消費の結果としての「廃棄物」と言われる。その炭酸ガスを減らすために原発と言うが、炭酸ガスというのは人間が出す廃棄物の中で最も無害な廃棄物なわけです。しかも、植物の成長、光合成に不可欠な大事な資源でもあるわけです。それと引き換えに地球上で最も恐ろしい、最も危険な廃棄物である「死の灰」放射性廃棄物に置き換えることを意味する「火力発電に代えて原発を」という論理は、本末転倒の論理と言わざるを得ない。

 ④エネルギーを使うということは、原発であろうが火力発電であろうが、炭酸ガスを経過しないで、地球を直接暖めている。原子力発電は熱効率が悪く、発生したエネルギーの30%余りを電力に変えることが出来るだけで、温排水として残ったエネルギーを海に、地球に排出している。せっせせっせと地球を暖めている。さらに捨てる放射能を薄めて垂れ流しているという問題も持っている。他方、火力発電は、一般の火力発電でも40%以上の熱効率を持っている。その上、最近の主流は単純な石炭火力や石油火力ではなく、関西電力などで現実に1500度の高温にできることによって天然ガスタービン・コンバイン発電によって60%以上(原発の2倍)の熱効率で電力に変えられている。

 ⑤さらに、火力発電は電力需要に合わせて調節が可能で、出力を下げ、また止めることが出来る。しかし、原子力発電は、出力を一定に維持することによって安全が保たれている。そのため需要がなかろうと電力を供給する。揚水発電に余った電力を使うことなどが言われたが、これもコストがかかり出来なくなっている。これほどの無駄があるか。

 ⑥排出ガスが温暖化に寄与しているかどうかが疑問な中で、このように原子力発電は直接的にせっせと地球を温暖化させている、最も地球を温暖化させているのが原子力発電だということを強調しておきたい。これを推進側は絶対に言わない。

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2010年7月24日 (土)

今週の産直野菜(7月24日)

10724  今週の産直野菜が、今、三里塚から届きました。お中元の荷物が多いのか、今日も少し遅れました。

 今日は、小さい箱ですが、10品目。じゃがいも(北あかり)、なす、ピーマン、うり、キュウリ、モロヘイヤ、ししとう、ミニトマト、オクラ、空芯菜。

 「野菜だより」によれば、先日のあの大雨の間、成田は風で雨雲が吹き飛んで、風の害が出たそうです。ピーマンやなすに被害があったようです。そのせいか少ない。

 今度は、この連日の日照り続きに高温。現地は大変なようです。一昨日も関東の方で、畑で作業していたお年寄りが2人も熱中症で亡くなられたという報道がありましたが・・・。

 スプリンクラーがある畑はまだいいのですが、そうじゃない畑は大変です。それにこの時期は、草の成長が早く草取りも大変。関西からはなかなか行けないので、心配するしかありませんが。関東の皆さん。時間をつくって、草取り、水まきに行ってください。それに天神峰の監視台の仕事も・・・。

 今も、この原稿を打ちこみながら、良い風は入ってくるのですが、汗がたらたら。ほんとに暑いです。長旅で疲れたモロヘイヤや空芯菜に少し水気を与えてやります。

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天神峰現闘本部裁判控訴審第1回口頭弁論(7月23日)

2010723

 昨日、7月23日、天神峰現闘本部裁判の控訴審第1回口頭弁論が開かれた。我々は、あの2月25日の仲戸川による卑劣な反動判決を絶対に許さない。当然の反対同盟による控訴に対し、NAA(空港会社)は姑息にも「仮執行宣言」を求めて控訴した。できれば東京高裁を使嗾(しそう)してこの日にも早期結審をして現闘本部解体に一気に走ろうという魂胆は見え見えだ。

 10723 この日裁判冒頭、北原事務局長、萩原事務局次長が堂々の意見陳述を行い、NAAの不当を暴いた。そして反対同盟弁護団は7人の代理人が次々と立ち、法廷の時間を15分も超過して、仲戸川反動判決が裁判の体をなさず、不当、異常きわまるものでしかなく直ちに破棄されるべきであることを展開した。これと一体になった傍聴席を満杯にし、倍する人たちが法廷の前の廊下に陣取る熱気が、裁判所を明らかに圧倒し、時間の超過を一言も言わせない関係を作り上げた。(上写真は、傍聴のために並び始めた人々。この後、裁判所の中に並んだため、以降は写真を撮れず。右写真は法廷後の報告会での北原事務局長。)

 この1年は、正に決戦に突入した1年だった。1年前の7月30日、第2誘導路の供用開始。それを前にした7月4日の「第3誘導路建設」のマスコミへのリークと、NAA、国による攻撃が始まり、新たな決戦が開始された。政権交代直後、前原による「羽田ハブ化」、日本航空の破たんが成田空港の凋落を決定づけ、成田市、芝山町など空港利権にまとわりつく地元自治体の危機感にかられた30万回化、時間制限の緩和、3500メートル化などの要求の表面化。そして10月22日の北延伸部分の供用開始強行に続いて、第3誘導路建設、団結街道閉鎖の動きが。そして2・25天神峰現闘本部の仮執行宣言による解体撤去への企み。10723_2

 こうした正に決戦への動きが現実化する中で、闘う側にも、反対同盟への分裂策動などの日和見主義、闘いへの恐怖による反動も蠢いた。しかし、反対同盟は、この1年、微動だにすることなく団結を固め、実力闘争、農地死守の原則を守り抜き、「まなじりを決して、火の玉となって闘う」と宣言し、その言葉通り闘い抜いた。それは、先ず、現闘本部裁判で2・25反動判決を許したとは言うものの、肝心の「仮執行宣言」を粉砕し、敵の攻撃への緒戦での勝利を収めた。そして団結街道閉鎖、第3誘導路建設への動きに対しても、市東さんの決死の決起を先頭に闘い抜き、5月17日以来、敵の封鎖攻撃を40日以上も阻止し続けたのだ。(左写真は報告会で、まとめの発言をする萩原さん。)

 追い詰められたNAA、国は、6月28日、コソ泥のように夜陰に乗じて団結街道を封鎖し、鉄板の中でこそこそと第3誘導路の工事をすでに開始した。しかし、この攻撃に何一つ動じることなく、市東さん、萩原さん、鈴木さんは営農を淡々と続け、萩原さんは「こちらの構えで闘いは決まってくる」と悠然と語っておられる。この日の天神峰現闘本部裁判控訴審の闘いによって、決戦の第2ラウンドの幕が切って落とされたのだ。(右写真は、報告会で関西の支援する会を代表して想いを語る永井関実代表世話人。)10723_3

 裁判後の報告会で、弁護団より「次回公判(11月5日)までに必要な準備書面を双方から出させて、結審へ持っていく土俵が作られた」と現実の厳しさが明らかにされた。萩原さんは、「『天神峰現闘本部裁判闘争を支援する会』の賛同会費を倍加するような取り組みを始め、ここに居る1人1人が自分の闘い、自分の問題として次回公判を見据え取り組んでくれることだ」と提起された。「千葉地裁を包囲し、仲戸川を震え上がらせたような闘いを東京高裁で」という指摘があったが、すでにこの2月判決過程と5月、6月過程で明らかになったように反対同盟はもとより、現地支援連の奮闘は凄まじかっただけに、その限界も明らかになっている。闘いの現場が千葉現地から東京に移り、やはりこの高裁での闘いが決定的に重要である以上、私たち支援が、萩原さんが指摘する通り、「自分たちの闘い」としてどう取り組むかが問われている。このことを痛感させられたこの日の闘いだった。

 第2回口頭弁論は、11月5日(金)午後2時から東京高裁で。

 明後日、26日は、市東孝雄さんの耕作権裁判の口頭弁論が午前10時半から開かれます。可能な方は午前9時半までに千葉地裁へ。

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2010年7月22日 (木)

神戸空港はどうなる? 神戸市との交渉

10721  今日、神戸空港についての神戸市との交渉がありました。

 2006年、2月16日の開港に抗議して集まった新社会党、日本共産党、社民党も含む約20団体が、毎年、開港の日に抗議と検証をかねて申し入れをしていました。「神戸空港の中止を求める市民の会」も、独自の行動をこの日にしつつ、この集まりに実行委員会の一員として参加してきました。

 今年は、2月16日の申し入れに対する神戸市の回答をもとに、3月29日に第2回目の話し合い、そして今日第3回目の話し合いが行われました。神戸市の公聴課だけでなく、神戸空港を担当しているみなと総局、そして借金問題の関係で新都市整備企業会計の担当者も今日は出席しました。

 第2回目では、需要予測問題、赤字寸前となった管理収支、そして2千億円の借金問題について論議となり、「責任を感じないのか」と厳しい声が続きましたが、何を言われているのか全く分からない雰囲気丸出しのみなと総局のMさんの対応に、宿題を出してとりあえずこの日は終わりました。

 しかし、その宿題に対する答えが、例えば需要予測について、今年度月当たり34万人を見込んでいる需要予測に対して、先月はついに14万人という惨憺たる状態にあることに対して「開港後の利用者数が予測を下回っているからといって、需要予測の合理性が否定されるものではありません」「需要予測を見直すことは考えていません」と、まるで「木で鼻をくくった」ような、前回何を聞いていたのかと怒りが噴出すようなものに終始したのです。

 現実に何の危機感も抱いていないみなと総局のMさんの対応に、参加した皆さんの怒りの追及が行われますが・・・。今日も2時間を費やして、結局前回の問題の回答を巡っての応酬で終わってしまいました。

 思わず私から「空港についての意見はそれぞれの団体で違うけれども、この状態で、神戸市は神戸空港をどうするつもりなのかと本当に心配している。神戸市の当面の考えを聞きたいのがわからないのか」と言わざるを得ませんでした。

 神戸市は、神戸空港の埋め立てによる海洋環境への影響について、応えられなくなった2008年以降、一貫して「神戸市環境影響評価審査会が、『近年の神戸海域における底層DO濃度の低下傾向は、神戸海域全域で概ね同様の変動傾向を示していることから、自然的な要因によるものと考えられる』としており、神戸空港島の海洋環境に与える影響は軽微であると考えています」とオウム返しのように答えて事足れりとしています。この事を問いただそうと用意していたのですが、全く手が付けられず、次回に繰り延べ。しかし、この回答の根拠となっている環境局の担当者を次回の会議には呼ぶよう要請することが出来ただけでも前進か・・・。

 しかし、クソ暑い中での話し合い、ほとほと疲れました。

 明日は、三里塚の天神峰現闘本部に対する土地明け渡し、解体を求めた第1審の仲戸川千葉地裁裁判長による反動判決に対する、東京高裁での控訴審、第1回口頭弁論です。午前10時東京高裁前に集合ですので、朝一番に飛び出さなければなりません。怒りを法廷に叩きつけよう!

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2010年7月20日 (火)

「襤褸の旗」 新しいDVDに

Cap002

 「襤褸の旗」は、足尾鉱毒事件と田中正三の闘いと人生、谷中村の農民の闘いを描いた吉村公三郎監督の映画(1974年制作)です。俳優は、三国連太郎、田村亮、西田敏行、中村敦夫、志村喬など、40年近く前ですので少し感じが違いますがそうそうたる顔触れです。Cap006

 監督を始め主だった皆さんがシナリオをもって三里塚反対同盟の北原事務局長を訪れ、反対同盟の協力を要請して作られました。舞台はかなりの部分が、まだ御料牧場が残っていた三里塚の原野で撮影が進められ、北原事務局長や故宮本行動隊長をはじめ反対同盟の農民や支援の労働者、学生が出演して支えることで作られました。

 そんな関係から35ミリフィルムの原本(全9巻)が、北原事務局長(反対同盟)が所有するかたちで残されていました。36年も経ったフィルムですので傷み始めていたものを、今回、私たちが預かり、神戸資料館などのご協力により専門家の手で全巻のクリーニングを行い、保存していけるようにしました。そして、35ミリの映像をそのままDVDにダビングして使えるようにしました。当然ですが、これまでビデオや16ミリフィルムなどで残っていたものに比べ、音質、画像共にいい物に出来あがりました。このDVDは、反対同盟の了解のもと、反対同盟と共に、私たち関西実行委員会でも所有しております。

 上映時間が115分と大作ですので、簡単ではありませんが、皆さんの手で、上映会などが行われることを望んでおります。貸し出しの諸費用などについては、負担のかからない程度にその都度ご相談させていただきます。是非、活用ください。詳しくは、関西実行委員会事務局(電話 0799-72-5242、メール kanjitsu_mail@yahoo.co.jp )にお問い合わせください。

 反対同盟の北原事務局長は、谷中村農民の闘い、田中正三の「亡国に至るを知らざれば即ち亡国の儀」に象徴される壮絶な闘いの意義を絶賛されるとともに、「44年の三里塚の闘いの中で常に『なぜ谷中村は敗れたのか』を考え、勝利に向けて闘い抜いてきた」と言われます。

 ぜひ、「襤褸の旗」DVDを活用してください。

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2010年7月19日 (月)

9月19日 三里塚と沖縄を結ぶ関西集会

09927  写真は、昨年9月27日、210名の結集のもと「米軍再編と日米安保体制50年を問う」と開かれた三里塚関西集会。

 昨日、7月18日、20人が参加して関西実行委員会の拡大世話人会が開かれ、この秋の10・10三里塚全国総決起集会に向けて、関実と三里塚反対同盟共催による9月19日、「三里塚と沖縄を結ぶ関西集会」を開催することが決定されました。

 「日米合意」による基地押しつけの攻撃に対して、この夏から秋、沖縄は名護市議選(9月12日投票)、沖縄県知事選(11月28日投票)を軸に決戦に入っています。10623 名護ヘリ基地反対協の安次富浩共同代表をお招きし、「沖縄・辺野古と安保体制」(仮題)をめぐる講演をしていただきます。(右写真が、安次富浩さん。10年6月23日、国際連帯沖縄反戦集会で。) 今こそ、私たちヤマトの人間は、この沖縄の皆さんの基地撤去にかけた闘いに応え、「日米安保体制はいらない」との国民的論議をわき起こし、その一翼を私たちも担いたいと思います。

 三里塚では、今年前半、2・25天神峰現闘本部解体を叫ぶ反動判決にはじまり、6・28団結街道封鎖、第3誘導路建設へと2014年30万回/年飛行、ハブ空港化実現にむけた市東孝雄さん叩き出しに一切をかけた攻撃が吹き荒れました。しかし、反対同盟の実力決起を軸とした闘いは、この追い詰められた空港会社NAA、国家権力の「コソ泥」的な卑劣な攻撃をはね返して前進しています。10627 「三里塚からの訴え」として、三里塚対同盟事務局次長萩原進さんから、この三里塚の決戦に入った闘いの報告と10・10三里塚現地への総決起の訴えをお聞きするとともに、沖縄からの提起を踏まえた「今こそ三里塚と一緒に闘おう」「大衆的統一戦線を実現しよう」という訴えをお聞きします。(左写真は、6・27現地緊急闘争で発言される萩原進さん。)

集会要項

【集会名称】三里塚と沖縄を結ぶ関西集会

【サブスローガン】第3誘導路建設絶対阻止/市東さんの農地を守ろう/10・10三里塚現地へ総決起しよう

【日時】2010年9月19日(日)午後1時開場 2時開会       (開会前に30分ほどの現地情勢のスライドによる説明があります) 集会後、ナンバまでデモ。Photo

【会場】大阪市立中央会館ホール

【当日参加費】 1000円(資料代)

【主催】 三里塚決戦勝利関西実行委員会/三里塚芝山連合空港反対同盟

【賛同金】 関西実行委員会では、集会の成功のために広範な皆さんのご賛同をお願いしております。賛同金は、個人、団体を問わず、一口500円です(複数口歓迎。また、集会参加費は別にさせていただきます)。

振込口座番号 00980-1-63353

振込口座名 三里塚決戦勝利関西実行委員会

通信欄に必ず「9・19集会賛同」とお書きの上、住所・氏名のほかに、肩書き、公表の可か不可かをご記入の上、ご送金いただければ幸いです。

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2010年7月17日 (土)

今週の産直野菜(7月17日)

10717  梅雨が明けて猛暑になった今日、今、産直野菜が三里塚から届きました。遅かったので、クロネコの配達の方は申し訳なさそうに。お中元とかで、大変な荷物だとか。仕方がないね・・・。

 しかし、開けて、モロヘイヤがへなへな。写真を撮ってから、すぐにボウルに水を入れて、そこに入れてやりました。すぐに元気になるでしょう。

 今日は、じゃがいも、玉ネギ、ピーマン、なす、キュウリ、モロヘイヤ、ウリの7品。

 やっぱりセロリは先週1回だけ。毎朝のジュースで楽しみに少しずついただいてるのですが、あと2日ほどでなくなりそう。トウモロコシも、先週一回きり。残念!

 キュウリは凄い。食べきれそうにない。先週のが少し残っているし・・・。漬物も作って、残りはまた、どこかへ・・・。Photo_2

 三里塚のラッキョを大量に購入して一年分の酢漬けを作られたSさんから、大きめのビンに一杯、おすそわけをいただきました。食べたら、これがまたこりこりして美味しい。しかし、十分に漬かってからと、今は部屋の隅に置いています(右写真)。毎日眺めては、我慢、我慢。今月末くらいからかな・・・? 一粒一粒がびっくりするほど大きい。

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2010年7月16日 (金)

7・23天神峰現闘本部裁判控訴審闘争へ!

10628  右写真は、団結街道封鎖直後の天神峰現闘本部北側の様子です(反対同盟ブログより転載)。

 この天神峰現闘本部は、1968年以来、反対同盟の農民にとって憩いと交流の場でした。私たち関西の住民にとっても、反対同盟の皆さんのお宅に泊めていただくほかに、ここで泊ることもあり、反対同盟の皆さんとの交流を始め、想い出の場所でもあります。

 この場所が、1990年1月16日未明、雪が降りしきる中、「過激派を取り締まる」目的で超法規的に作られた「成田治安法」によって、暴力的に封鎖されました。正に先日の団結街道封鎖と同じようにだまし討ち的に。その封鎖は毎年、時の国交相によって更新され、封鎖が続けられています。今は、昨年9月民主党連立政権発足直後の前原国交相によって。

 三里塚反対同盟の心のよりどころとも言うべき現闘本部を20年にわたって封鎖し奪っておきながら、建物撤去と土地の明渡しを求めてNAA(空港会社)が起こしたのが、天神峰現闘本部裁判です。

 44年にわたって闘い抜かれ、今も成田空港を半分も完成させない現状を強いている三里塚闘争と反対同盟の背骨を叩きおろうとしかけられた攻撃です。そしてこの建物が、その北側にある市東さんの南台の畑と共に暫定滑走路の誘導路に「へ」の字を強制しているからです。市東さんの「農地死守」の闘いを孤立させ、敗北感を強制することでなんとか市東さんを叩きだそう、農地を強奪しようという攻撃です。

 従って、三里塚反対同盟にとっては、三里塚44年の闘いの歴史を守るとともに、市東さんの農地を守る闘いと一体の闘いとして、この天神峰現闘本部死守の闘いはあるのです。Photo

 今回、7月23日の控訴審第1回口頭弁論を巡る闘いを前に「天神峰現闘本部裁判を支援する会」の会報24号に明らかにされていますように、この2月25日、千葉地裁仲戸川裁判長による反動判決は、法廷で示されてきた反対同盟、弁護団の主張を全く根拠もなく否定し、まったく恣意的に作られた虚構によって下された驚くべきものです。その点で、仲戸川裁判長の犯罪は断じて許されないものです。(鈴木さんの一坪裁判が、今も仲戸川の下で審理が進められており、この反動判決を弾劾し続ける場となっています。)

 しかし、その仲戸川は、反対同盟を先頭とする連日の裁判所に対する弾劾行動をはじめとした実力決起に追い詰められ、この判決で具体的にNAA、国家権力によって求められていた「仮執行宣言」付きの判決を行うことはできませんでした。市東さんの決起と反対同盟の闘いに追い詰められていたNAA、国家権力にとって「団結街道」封鎖と第3誘導路建設と一体の攻撃として天神峰現闘本部解体の攻撃を行い、市東さんを孤立させ、屈服させることで、相互の関係を逆転させたいと狙っていた事は明らかです。10627

 仲戸川の動揺に慌てたNAA、国家権力は、この反動判決を不服とし、「仮執行宣言」を求めて控訴したのです。こんなことがどうして許されるでしょうか。あれほどのデタラメな反動判決を下した仲戸川でさえ出来なかった「仮執行宣言」を、東京高裁に、早期結審で出させようと企んでいるのです。すでに司法の反動化が進む中で、反動的訴訟指揮が日常的に行われている東京高裁で、この許し難い国家犯罪が強行される恐れは十分にあります。(右写真は、団結街道が閉鎖される前日27日に、現闘本部前をデモする関西実行委員会)

 みなさん。7月23日の東京高裁における天神峰現闘本部裁判控訴審の第1回口頭弁論は、こうしたギリギリの攻防の最前線になっています。「団結街道」封鎖、第3誘導路建設攻撃と一体のものです。昨日、現地に電話をかけ萩原進さんとお話しさせていただきましたが、萩原さんも、この裁判の持つ重要性を語り、7月23日の決起を訴えておられました。

 裁判所による姑息な国家犯罪を許さず、不当きわまる一審の反動判決をくつがえし、天神峰現闘本部を守り抜くために、全力で、裁判傍聴闘争に決起しよう!

天神峰現闘本部裁判 控訴審初弁論

◆ 7月23日(金)午前11時

◆ 東京高裁 429号法廷

傍聴券抽選のため、午前10時までに裁判所にお集まりください。

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2010年7月14日 (水)

農業こそ国策じゃないのか

 先日、7月1日、三里塚反対同盟は、鈴木さんの一坪裁判を闘い、その前に団結街道の閉鎖攻撃に対する「通行禁止仮処分」の申し立てを行いました(7月1日当ブログ既報)。その後、弁護士会館で記者会見と報告会を行い「弾劾声明」を発表しました。その席で、反対同盟を代表して萩原進事務局次長が、6・27現地集会と6・28閉鎖攻撃という現地の状況を踏まえた三里塚の闘いへの想いと今後に向けた方針の提起を行われました(全文が、当ブログ4日の記事http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/post-f828.htmlに掲載しております。ご覧ください)。

 1071_2 そこで劈頭、萩原さんは、「道路封鎖とか、第3誘導路の問題という形で出てきて、市東さんが焦点みたいになっていますけれども、市東さん1人の生活がどうのこうの、空港の問題というんじゃないんだよね」 と言っておられます。聞いた時、思わず「えっ?」と思いました。

 「市東さん叩き出し攻撃を許すな」「市東さんの営農と生活を守ろう」ということが、この過程の核心と思っていますから、(また萩原さんがその事を否定するはずもないので)、何をおっしゃりたいのかと思わず緊張しました。しかし、その後の展開で判りました。

 特に以下の2か所の表現に想いが凝縮されています。「我々は農地取り上げという問題で、自分は農民という立場で言ってきてるんですけれども、農家が潰され、農民が生活できなくなってきている。その中で、われこそは農民であるということをもってね、いかなるカネや脅しにも負けず、農民として生きていくという、そういう人たちがいるんだということこそ、今、国策じゃないのか。国家としてほんとはやらなくちゃあならない事業じゃないのか。」

 そして「その典型的な例として、市東さんはそこに置かれてるんですよ。あるいは空港の周辺の人たちはそこに置かれてるわけですよ。ですから、ますます農業ができなくなって、どんどん農業が衰退していく、そういう状況が今あるわけですね。ですから、そこで農業を守っていく、農地を守っていく。それはもの凄い重要であり、厳しいけれども必要なんですよ。このことを自分たちは訴えてるんですよ」と。

 こういう観点に立ち切った時、三里塚闘争が、現在の政治状況の中で非常に重要な位置を新たに持ってきていることが明らかになるのです。「反戦の砦」として44年間、「農地死守」「実力闘争」の原則を守り抜き闘い抜いてきたことが、新たな意義を獲得し、全国、全人民の共闘のたたかいとして存在するのだと言われているのです。

 だから萩原さんは、最後の方で 「その事を同じように思っている人たちと一緒になって闘う。ますます厳しくなる経済状況の中で、首切りや配転、また増税の中でますます生活が出来なくなる労働者とか、あるいは沖縄の人たちみたいに歴史的な中で差別され、戦争の中に巻き込まれて生死の中をさまよった、そういう人たちともっともっと手をつないで闘い抜いていく、そういう大きな構図をもって闘いを展開したい」とまとめられているのです。

 Photo この萩原さんの想いを理解した時、萩原さんが常々「日本農民の名において闘う」と言われてこられた想いが理解できるのではないでしょうか。それは三里塚の70年、71年を軸とする44年にわたるかっての闘いが凄かったからということではなく、今現在、そうなのだということなのです。

 そして、市東さんが、4・25沖縄県民大会の9万人の熱気の中に自ら進んで入り、反対同盟の旗を掲げて共に闘った熱い思いによって、その確信を深め、それ以降の弾圧、逮捕勾留攻撃をはね返し、団結街道閉鎖の攻撃をもはね返して仁王立ちしておられることによって、この萩原さんの確信もますます揺らぎないものになったと言えるのではないでしょうか。

 この「農業こそ国策」と言われる三里塚闘争の正義性に立った萩原さん、市東さんをはじめとした三里塚反対同盟の闘いを、守り抜き、巨大な大衆的統一戦線を実現して勝利する、ここに私たちも立とうではありませんか。市東さんの営農と暮らしを守り、市東さんの農地を守り抜く闘いの中から実現していきましょう。その意味で、先ずは「沖縄と三里塚を結ぶ」そうした闘いが、現在の局面として求められているのではないでしょうか。

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2010年7月12日 (月)

参議院選挙の結果と、沖縄の民意と三里塚の正義

10712  参議院選挙が終わり、今朝の朝日新聞は「民主敗北 衆参ねじれ」と大見出しを書いています。正直なところほっとしています。自公、民主の勢力がどうなったかではないのです。あの昨年の8月30日、戦後60年、侵略戦争を総括することなく、戦犯と軍人が主軸を占め進められてきた自民党政治、それも田母神等の跋扈に象徴される新たに始まった反動の流れを断ち切る、我々民衆が自民党政治を打倒したというのは「夢」だったのか。少なくともその意味では「夢」でなかったことが示されたという意味でほっとしています。

 もちろんこの流れの中で生まれた民主党の政治に不安を持つ資本総体、帝国主義としての総力を挙げたカネと組織を使いこの選挙を支配しようとし、本質的に右翼的潮流が大勢を占めたことを見ないわけにはいきません。それは何よりも、最大の争点であったはずの沖縄、普天間基地問題、新基地建設問題、言いかえれば直前の5・28「日米合意」に象徴される改定50年を迎えた安保体制について、ブルジョアマスコミの総力を挙げた隠蔽という流れがあったにしろ、問題にすらできなかった私たち民衆の側の「非力さ」を意識せざるを得ません。

 しかし、沖縄選挙区を見よ。出遅れたと言われた無所属の山シロ候補は、全力で「沖縄は基地はいらない」ということを掲げ、「普天間基地撤去」「辺野古新基地建設反対」を真正面から掲げ、闘い抜いたのです。そして自民党現職の島尻候補にも「県外移設」を公約に掲げざるを得ないところまで追い詰め、日本共産党の相も変らぬ独自候補擁立の党略にもかかわらず、わずかの差で負けました。

 民主党政権は、自民党政治を打ち破った昨年の8・30選挙で生まれながら、岩国での厚木からの空母艦載機部隊の移駐という市民が拒否している政策を今年も199億円の防衛予算でおしつけています。島根原発で事故を頻繁に起こし、政府自身がその安全管理を問題にせざるを得ない中国電力の上関原発建設を28年間反対し続けてきた祝島をはじめとした住民にそのまま押し付けようとしています。辺野古新基地をめぐってとりあえず「県外・国外」移設が論議されている中でも、辺野古新基地を前提にした名護市東村高江の住民の生活を破壊するヘリパット建設を止めようとしないばかりか、住民の座り込みを違法として起訴したのも民主党政権です。そして普天間・辺野古への「日米合意」の押しつけでしかありません。

 とっくに冷戦構造の崩壊とともに破産した論理でしかない「抑止力」を唯一の根拠に「日米同盟」にすがる民主党政権、日本の姿はすでに世界の物笑いになろうとしています。そして沖縄の皆さんは、9・12名護市議選、11・28知事選挙の闘いを通して、こうした民主党政権、日本(ヤマト)に真っ向から立ち向かおうとしています。もはや「日米合意」は破たんした選択でしかないのです。

 問題は、この沖縄の皆さんの「もう我慢できない」という怒りを、この沖縄の現実を65年間も放置してきた私たちヤマトの現実を、改定50年も経ちながら今年その節目に闘いらしい闘いをこれまで作り得なかった私たちヤマトの現実を、私たちヤマトがどうできるのかではないでしょうか。それこそが本当の意味で、昨年の「8・30」自民党支配の打倒を意味あるものにできる道ではないでしょうか。

 1076 しかし、私たちヤマトの中でも、三里塚では、あいもかわらぬだまし討ち的な農民への襲撃、農業破壊の攻撃に対して、一歩も引くことなく「農業こそ国策」とムシロ旗を掲げて闘いが続いています。岩国においても米軍再編に抗して創意工夫を凝らした町ぐるみの闘いが始まっています。私たちが、今回の選挙結果を、昨年の「8・30」にあくまでも軸足を置いて、沖縄の民意と怒りを、三里塚農民の正義を押し立て、この国を変えていくそういう道筋はまだまだ守られているとこの選挙を感じるのはおかしいでしょうか。

 沖縄の「カマドゥー小たちの集い」のみなさん(右写真は、7月6日大正区の沖縄会館で訴えるカマドゥ小たちの集いの知念ウシさん)が、「もう我慢ならない」「もう待てない」と嘉手納基地を関西空港に、普天間基地を神戸空港に引き受けてくださいと叫んでおられます。日米安保条約を廃棄する、三里塚の闘いを勝利するこの闘いを実現する中から、関西空港、神戸空港の軍事使用に絶対反対し、沖縄の、そして日本の米軍基地の撤去を実現するヤマトの闘いをもって、こうした沖縄の民さんの血叫びに応えようではありませんか。

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2010年7月10日 (土)

今週の産直野菜(7月10日)

10710  先ほど三里塚から産直野菜が届きました。箱を開けるなり、ぷ~んとセロリの香りが。

 ニンジン、玉ネギ、ピーマン、なす、キュウリ、とうもろこし、セロリ、ニンニク、ウリ、インゲンの10品です。

 しかし、ズッキーニが「例年より早く木がとろけ始め」て、前回で終わり。「とろけ始めて」とは一体どうなるんだろう? それに、セロリも今回限りだとか。難しんだなぁ~とあらためて思います。

 しかし、この野菜たちを見るにつけ、「団結街道」閉鎖の暴挙に怒りが沸いてきます。前日夜遅く三里塚から帰ってきて5時間ほど経った午前4時半に現地から「閉鎖が始まった」との連絡。何も考えず、現地に泊る用意をすぐして、5時過ぎに家を飛び出しました。新神戸の2番目の「のぞみ」に間に合い現地に駆けつけましたが、それでも11時前。すべてが終わっていました。市東さんのお宅の前のあまりの様変わりに驚きました。気を取り直して、そこにおられた現闘のTさんに経過をお聞きし、畑にもう出ておられた市東さんの携帯に電話。それから萩原さんのお宅にあるいて行って、昼過ぎまで萩原さんと話すことが出来ました。

 前日の集会でも萩原さんが基調報告の中で話しておられたように、「押しているのはこちらだ。追い詰められているのは国と空港会社だ」ということを、あらためて萩原さんとの話の中で確認することができました。市東さんに新たな困難が確かに生まれました。しかし、東峰の森が伐採され、大変な不便をものともせず萩原さんが闘い抜いて来られたように、市東さんも不動です。市東さんが踏ん張っているということは彼らの「第3誘導路」攻撃自体の破たんを物語っています。この市東さん、反対同盟の闘いを、この産直運動の営農を、市東さんの農地を守るために、こうした卑劣な攻撃しかできない国、空港会社に怒りを叩きつけ、勝利しましょう!

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2010年7月 9日 (金)

岩国爆音訴訟 第6回口頭弁論

1078

 昨日、山口地裁岩国支所で、岩国爆音訴訟の第6回口頭弁論が開かれました(最初の写真は、法廷後の報告集会最後の「団結ガンバロー」)。

 Photo 岩国では先日5月29日、新滑走路が供用開始された。この日の報告集会で、事務局から2本の滑走路で2機による同時発進で驚いたとか、沖合いに出たので旋回せずに真っすぐ離陸するので爆音が却って長くなったと、この新滑走路で騒音が軽減されると言われてきたがとんでもないという声が多く挙がっていることが報告されました。しかし、実際には、米軍再編で2014年に厚木基地の空母艦載機部隊の移駐のための新滑走路であったことが明らかになっています。

 空母艦載機部隊の移駐のために自公政権は、井原市政に強引に介入し、巨額の金をもとに市長選挙にも介入してきた。鳩山前政権は、市民が自治会ぐるみで反対している愛宕山米軍住宅建設(空母艦載機部隊の移駐のための米軍住宅)のための199億円の防衛予算を昨年末決めて、自公政権を引き継ぎ岩国基地拡張、空母艦載機部隊の移駐を岩国市民に押し付けてきたのだ。それは、沖縄の「普天間基地移設問題」の辺野古新基地建設への回帰をすでに予想させるような事態であった。10523

 これに対し、岩国市民は、岩国基地周辺でWECPNL75以上の騒音に苦しむ700人近い原告による爆音訴訟を始め、愛宕山住宅訴訟など4つの訴訟を一体となって国や岩国市行政を相手に闘うとともに、4・18徳之島1万5千人、4・25沖縄9万人に引き継いで、雨中の5月23日、怒りの4千人集会(左写真)を開いて「もう我慢ならない」と、米軍空母艦載機部隊の移駐に反対して立ちあがっているのです。

 1078_2 この日の裁判で、国側代理人は、1人1人の被害の実情を早く明らかにしろと求めてきたそうです。これは嘉手納や厚木、小松など他の基地での爆音訴訟ですでにWECPNL75以上の地域は住民の受忍限度を超えているというすでに確定した判例(基準)を無視して、原告の分断を図ろうとするものだという弁護団からの指摘がされ、あくまで原告団全体を一体として裁判を進めていくという弁護団の強い意志が明らかにされました(右写真は報告する内山弁護士)。

 この裁判では、原告住民がこれまでの各基地の爆音訴訟で実現できなかった差し止めの判断を強く求めており、これが俎上に上れば、おのずと米軍再編による空母艦載機部隊の移駐問題自体が論点として浮上してくることを恐れて、国側代理人が、「意味不明」としかとれないような主張をしてきたのではないのかと感じました。

 最後に、この日の法廷で証言された原告住民の西村眞弓さんの証言のごく一部を紹介します。この裁判のもつ意味がよくあらわされております。西村さんは、騒音下の塾で教える子どもたちが爆音で苦しんでいる様々な騒音体験を紹介されました。そして、家族の戦争体験などを明らかにされた上で、以下のように「まとめ」を語られています。

 ―― 「 私は子ども時代、川下の『活気』の中で恐怖を感じながら生きてきました。川下が米兵相手の歓楽街として再び活気づくことは岩国にとって決してあってはならないことです。

 アメリカ人が怖いと言っているのではないのです。海兵隊が特殊なのです。私たち基地のある町に生きている人たちは、戦地に真っ先に乗り込み働くための特殊な軍事訓練を受けている海兵隊と隣り合わせで恐怖を感じながら生きているのです。

 しかも、この上に艦載機が移駐してきて、爆音の回数も増え、その上に愛宕山に米軍住宅が出来て、岩国が極東最大の基地になり、米兵たちが増えてしまったら、そんな中でどうやって子どもたちを安心して育てていくことができるのでしょうか。

 私は、これまで爆音に苦しめられてきました。私の家族も私と同じように爆音に苦しめられてきました。私は、『次の世代の子ども達のために爆音をなくしたい』と考え、この訴訟に参加しました。子ども達は、これまで大人に押さえつけられてきて、爆音に曝される日常を強いられてきています。私は、裁判所に、子ども達の本当の声を聞いてほしいと願っています。」 ――

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2010年7月 6日 (火)

NAAはコソ泥か!  尼崎・伊丹実行委『抵抗の旗』より

10628 団結街道だましうち封鎖弾劾! 第3誘導路建設着工を絶対阻止しよう

 6・27全国結集大闘争を闘い抜き、深夜に帰阪した数時間後の早朝「団結街道封鎖」の知らせが入りました(右写真は、封鎖が続く現闘本部側の団結街道封鎖現場)。

 市東孝雄さんによれば「夜中の3時半頃、音がするので雨かなあと思って外にでると封鎖作業が始まっていた」とのことです。私たちが現地を去るのを見届けた上で真夜中に機動隊に守られながらこそこそと作業を始める、なんと卑劣なことか! コソ泥と同じではありませんか。この状況こそこの封鎖が不正義そのものであることを如実に示しています。

 封鎖された市道(団結街道)は、市東さんにとっては畑に毎日何度も往復している生活道路であり、毎日150台もの車が行き交う、市民にとって必要な道路なのです。それをただただ市東さんをたたきだす目的のために廃道にした成田市に心から怒りをおぼえます。市民の生活を守るのが行政の仕事ではないのか!またその土地をただ同然の価格(坪当たり9200円)で買い受け、200億円もかけて全く意味のない第3誘導路工事を強行し、市東さん宅を取り囲み、今以上の騒音地獄を強制しようとしているNAA(成田空港会社)。どちらも絶対に許せません。

 反対同盟はこの一報を受け直ちに支援者とともに現場に急行し抗議行動に移り、この暴挙を厳しく弾劾しました。(帰阪してすぐとんぼ返りで現地に向かった仲間もいました。)そして「我々は勝利している。焦っているのはNAAの方だ」と総括し、第3誘導路着工阻止へ総力決起することを確認しました。

生きるか死ぬかの闘いが始まった

 その前日(6・27)、485名が結集して現地集会がもたれた。私自身、今年に入って2月の裁判闘争をはじめ3月、5月、そして今回と半年で4回の現地闘争参加です。いかに今年が決戦の年であるかを物語っています。

 集会はまず全員で去る6月12日に逝去された本部役員の鈴木幸司さん(享年85歳)への黙祷から始まりました。そして主催者あいさつに立った北原事務局長は幸司さんへ哀悼の意を表明し、故人の遺志を引き継ぎ「生きるか死ぬかの闘いが始まった。我々は勝利に向かって闘う義務がある。生きている限り闘い抜いて勝利する」と宣言しました。

市東さん、富夫さん奪還!

 10627 続いて、この間極めて不当な逮捕、勾留にも屈せず奪還された反対同盟、市東孝雄さんと萩原富夫さんが登壇しました。市東さんは「みなさんの励ましに勇気づけられました。(取調官の)『黙秘するのは活動家のすること。農民のすることではない。男らしくない(ママ)』に強い怒りを感じました」と語り、また参加された4・25沖縄県民大会にふれ、「9万人の勇気があんなことに繋がった。三里塚も沖縄と一緒に闘いたい」と沖縄への熱い思いを訴え、最後に「2度目の逮捕も恐れずやるときはやります」と素晴らしい決意を示しました。そして富夫さんも「(公聴会における)挑発的なデモ規制に怒りが爆発して逮捕されたが、皆さんの援農や監視台活動に助けてもらいました。これからもいざとなったら駆けつけてほしい」と訴えました。逮捕された2人がこんなにも元気だとは・・・・。これが三里塚だと改めて感心しました。

三里塚と一緒に

 基調報告の萩原進事務局次長は、先ず今回の集会名称が「全国結集大闘争」となっているのは「我々が闘う意志をいかに強く持っているかを示したもの」と説明しました。そしてこの半年間の闘いを振り返り、「3月集会で『火の玉になって』と言ったのはまさにこの間の市東さんを先頭にして現地に残った労働者、学生の闘いです。明日以降も残れる人は残って欲しい」と闘いが間断なく続いている決戦の時であることを訴えました。

 そして大増税をもくろむ菅政権に対し「人民はもう黙っていられない。三里塚は『話し合い拒否、実力闘争』を貫いて民衆に訴える。三里塚と一緒に闘おう」「沖縄、三里塚、その他の闘いが一緒にならなければならない」とあらゆる闘いと三里塚がスクラムを組んで一緒に闘うことの大切さを訴えました。

 そして最後に「何度も結集してもらって忍びないが、ここで勝利しなければならない。決戦の中に入っている。この半年は120%勝利している。後半も勝ち抜く」と結びました。まさに決戦まっただ中にふさわしい提起でした。

 我が関西を代表して永井代表は、市東さんのすばらしい闘いに触れ「支えるどころか引っ張られている」と絶賛し、山本世話人は93歳の反対同盟森田恒一さんの闘いに敬意を表し、「90歳(山本氏)は年寄りではない」とまだまだ闘い続ける決意を述べ私たちを感激させました。

連続闘争に立とう

 みなさん。反対同盟は敵の卑劣な攻撃にも微動だにしていません。この強靭な同盟とともに、これからも第3誘導路着工時の緊急闘争や、7・23現闘本部高裁闘争はじめ、連続闘争に決起していきましょう。

【尼崎・伊丹実行委員会の機関紙『抵抗の旗』247号(2010年7月5日)より転載しました。】

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2010年7月 4日 (日)

萩原進事務局次長 語る

10628 7月1日、鈴木さん一坪裁判の記者会見で、反対同盟を代表して萩原事務局次長が挨拶されました。それを全文、ご紹介します(文責は当ブログ管理人にあります)。

 ほんとに連日、ご苦労様です。北原さんがちょっと体調崩して今日出られませんと電話がありまして、みなさんによろしくと。崩したといっても、実際には電話口でも非常に元気な声で、大丈夫だと思います。

 その上で今日の前に市東さんと話していたんだが、おぎさくの親爺が6月12日に亡くなられたけれども、もう身が軽くなったんでね、今日の千葉地裁に来てる、その辺にいて、「お前たちしっかりやれ」と言ってるんじゃないかと、自分たちもしっかりと構えて闘い抜いていきたいと思います。

 いろいろお話しがありましたけれど、道路封鎖とか第3誘導路の問題という形で出てきて、市東さんが焦点みたいになってますけれども、市東さん一人の生活がどうのこうの、空港の問題というんじゃないんだよね。1071

 もう一つ考えてもらいたいんだけれども、ある新聞が成田高速鉄道をカラーで田んぼの中を印旛沼のほとりで走っているような写真を出していたんだけれども、都心まで近くなったという企画の仕方で出してました。空港は国策だ、あるいは国家事業だと言いましたけれども、ほんとに今までやってきたやり方が、国策なのかどうなのか一つずつ見てほしい。

 この何年間かだけ見ても、北側へ伸ばすという形で2回も滑走路を伸ばして、なんとかこぎつけて、継ぎ足しだらけのやり方をやる。そして誘導路がこれじゃあ駄目だからと今までなかった空港外のところも通って、保存林として残すと言ってた東峰の森まで潰して作った誘導路が供用をはじめたとたんに、これじゃ駄目だからと第3の誘導路を作るんだとね。このようなやり方がまかり通るのかどうか。そして何よりも40何年反省しないということそれ自体、成田そのものがそういう形ではダメなんだということを証明してるんですね。

 要するに国策とか公共事業じゃなくって、その間、我々は農地取り上げと言う問題で、自分は農民という立場で言ってきてるんですけれども、農家が潰され、農民が生活できなくなってきている、その中で、われこそは農民であるということをもってね、いかなるカネや脅しにも負けず、農民として生きていくという、そういう人たちがいるんだというこのことこそ、今、国策じゃないのか。国家としてほんとはやらなくちゃあならない事業じゃないのか。こういう時代に入ってるんですよ。ほんとにそういう意味では転換しなければならない。

 ですから今、市東さんが矢面に立たされているけれども、もう2000ヘクタールに近く広げちゃってるんですね。それだけじゃないんですよ、空港ってのは。その周りに鉄道や道路をやって、駐車場をやって、貨物基地をやって、そして今まであった農業高校が全部つぶされて、そして同じように農地が潰されるわけですよ。先ほど高速鉄道のことを言いましたけれど、鉄道はまっすぐ行くかもしれない。しかし、そこにあった田んぼは、こういう形で斜めに通されると(四角い紙を対角線で切るように示されながら)、田んぼは三角になっちゃう。そしたら農家は作れないんですよ。そういうのが何十キロ、何百キロという形でなされていくんですよ。1071_3

 今の成田市の農業委員会でもそうだけれども、条件さえそろっていれば農地転用でどんどん宅地化されていくわけですよ。今まで優良農地であっても、駐車場が出来たりアパートが出来れば、すぐわきの土地はもう田んぼなど作れなくなっちゃうんですよ。そのようなのが空港を基盤にしながらなされているんですね。

 その典型的な例として、市東さんはそこに置かれてるんですよ。あるいは空港の周辺の人たちはそこに置かれてるわけですよ。ですから、ますます農業が出来なくなって、どんどん農業が衰退していく、そういう状況が今あるわけですね。ですから、そこで農業を守っていく、農地を守っていく、それはもの凄い重要であり、厳しいけれども必要なんですよ。このことを自分たちは訴えているんですよ。

 農道や団結街道という1本の道が持つ意味というのは、90年の歴史、何百年の歴史の上に立ってあるわけですよ。そういうものも潰しちゃって、フェンスで囲んじゃって滑走路みたいにコンクリートで固めちゃったらもう生き返らないんですよ。

 今、こういうやり方を見てね、つぎはぎだらけ、つぎはぎだらけをやっていくその元は、「羽田にやられちゃう」という焦りの中で、何とか形だけ整えて「さあ、出来ましたよ」という形を持って、それで(羽田に)対抗しようと、自治体がカネがおりない、あるいは地元の経済界がこれじゃあしょうがないんだと。実際は、成田の町もつぶれていくわけなんだけれども、「今、空港に頼らざるを得ない」という言い方でやっていくわけですよ。

 空港の利権にしがみついて、そこからのおこぼれをもらおうなんていうのは、もうこれから通用しません。実際、そうでしょう。空港会社そのものが破産の状況。そして世界的状況。それ以前にもう、経済そのものが世界的に大恐慌の中に叩き込まれて、どうするのかというところがあるわけですよ。そういう次元で考えていけば、空港の立て直しのためにどんどんカネをつぎ込んでいく、そんな時代じゃないんですよ。その辺をね、我々は考えて行かなければならないし、マスコミの方々は考えてほしい。1071_4

 そっから問題を立てていけば、今回の封鎖活動というのはもの凄い姑息な、そのためにはそこに居る人たちを人間として見ていないということを証明してるわけですよ。だったら、我々はそんなことは許さない。その事を同じように思って思っている人たちと一緒になって闘う。ますます厳しくなる経済状況の中で、首切りや配転や、また増税の中でますます生活が出来なくなる労働者とか、あるいは沖縄の人たちみたいに歴史的な中で差別され、戦争の中に巻き込まれて生死の中をさまよったそういう人たちともっともっと手をつないで闘い抜いていく。そういう大きな構図を持って闘いを展開したい。

 それを出来るものとして、裁判の中で我々は正義性を訴え、それを現地に返して、現地で闘い抜くことをもって全国の人々に知らしめて行く。そして闘いを広げていく。そういう闘いを出来る要素を今持っているんです。

 ですから団結街道の封鎖、第3誘導路のための工事、次には現闘本部の撤去、そして最後的には市東さんの農地を強奪する。こういうものがあるわけですね。こういうものを我々は一つ一つ暴いて、叩いて、そして世の中に知らしめて行く。そういう作業をやりたいと思います。ますますこれからが重要になってきますので、よろしくお願いしたいと思います。

 

 

 

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2010年7月 3日 (土)

今週の産直野菜(7月3日)

1073  今週の産直野菜が、先ほど届きました。雨で遅れているのかなと心配しましたが。

 今週は、ニンジン、じゃが芋、なす、キュウリ、ズッキーニ、ピーマンと6品です。

 タマネギが豊作だったのですが、今回は消されています。傷んだのかな? ちょっと心配です。淡路のように採れるわけではないので、収穫してからしばらく乾燥させる小屋のようなものがなく、先日、6・27闘争の時に、デモで市東さんの南台の畑を通った時に、畑にそのまま天日干しされていたのですが、雨が降らなければいいのだがと聞いていました。(右下写真は、タマネギが天日干しされている南台の畑の横を行く関西実行委員会のデモです。)10627_2

 なすは豊作なのかな。毎回、きれいで数が多いですね。今回初物のピーマンもきれいです。

 キャベツが夜盗虫にやられたか、前回のみになったよう。残念。葉物がないのもさびしいですね。

 6日間に3度も現地を往復して、その前の沖縄行きもあり、少々バテ気味で、ブログの点検をさぼっていたのですが、何と、山口県上関田の浦に中国電力がまたまた作業船を28日夜配置しているではありませんか。10630 台船に乗っている新しいブイの設置が狙いのようです。現場では、祝島の漁船やカヤック隊のカヤックが徹夜で対峙しているようです。詳しくは、RadioActivehttp://radio-active.cocolog-nifty.com/blog/か、虹のカヤック隊ブログhttp://ameblo.jp/nijinokayaker/ をご覧ください。左写真は、田の浦に入った中国電力の作業船です(RadioActiveより無断転載)。三里塚もそうですが、こんな中国電力の原子力発電所の建設など許してはなりません! 駆けつけることが出来る人は現地へ!

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2010年7月 1日 (木)

反対同盟が弾劾声明

10628_2  今日、亡くなられた鈴木幸司さんとつれあいのいとさん(左下写真)にかかる一坪裁判が行われました。

 この裁判に先だって、反対同盟と顧問弁護団は千葉地裁の保全係に赴き、反対同盟全員が債権者として開拓道路の通行妨害を禁止する仮処分を申し立てました。言わずと知れた市東孝雄さんの営農妨害であるのみならず、現闘本部を所有する反対同盟員が近づくことが出来ないことからです。道路を閉鎖する根拠となる道路法10条1項に違反し、債権者らが憲法13条に基づき人格権たる通行権を侵害され、また憲法22条1項に基づく基本的人権としての移動の自由を侵害されているとする。そして成田市による開拓道路の廃止処分が憲法31条が定める適正手続きに違反しているなどとする。1071

 他方、国交省は昨日、6月30日、第3誘導路の新設と空港の範囲の変更を求めた空港会社の申請を認可し、第3誘導路の供用開始を2013年3月31日とすると発表した。

 これに対し、反対同盟は、一坪裁判の後、記者会見を行い、本日の裁判の説明、報告の後、萩原富夫さん(右下写真)から弾劾声明を発表し、萩原進事務局次長が、反対同盟としての想いを語られました。

弾劾声明

 6月28日未明、成田空港株式会社は団結街道の閉鎖を強行した。昨日、国土交通省は第3誘導路建設を認可した。市東孝雄氏の5・17不当逮捕に始まる一連の事態は、天神峰地区に対する襲撃と言うべき暴挙であって、そこには憲法も人権も一切認められない。反対同盟は怒りを込めて弾劾し、敢然と闘う決意を表明する。

 いったいいかなる権限のもとに、団結街道を廃止できるのか。団結街道は明治からの里道であり、今も一日150台を超える車両が通行する。市東孝雄さんにとっては他に代えられない耕作用道路である。反対同盟の本部建物である天神峰現闘本部に通じる唯一の道である。

 この公道を、地権者や関係人の承諾なく、最低限の行政手続きを踏み破って、一坪わずか9,420円という破格の値段で談合し売買する成田市と空港会社に怒りがこみ上げる。1071_2

 夜も明けやらぬ午前3時に人目を盗み、ガードマンと機動隊を盾にして封鎖を強行したことの中に、その不正義が明らかだ。反対同盟は、本日、通行妨害禁止の仮処分を千葉地裁に申し立て、反撃した。

 第3誘導路計画は空港破たんの象徴である。その認可は、無責任な官僚政治の最たるものだ。急坂・急カーブの1本目の誘導路、東峰の森を伐採した2本目の誘導路を見よ! 構造的な欠陥を抱え、成田空港の死重となっている。その責任はあげて、農地を強制収用し農民を弾圧してきた空港会社と政府権力にある。

 3本目の誘導路着工を断固として粉砕する。暫定滑走路を閉鎖に追い込み空港廃港へと前進する。

 全国のみなさん!

 三里塚闘争は、団結街道閉鎖と第3誘導路着工との攻防をもって、現闘本部を防衛し、市東さんの農地を守りぬく高原的な闘いに入りました。

 菅政権の消費大増税、辺野古新基地建設、東アジア共同体構想に対して、三里塚は沖縄の怒りと固く結びつき、身体を張った実力闘争で闘い抜くことを決意します。7・23現闘本部裁判控訴審初弁論、7・26農地裁判に結集し闘うことを訴えます。

 2010年7月1日

                   三里塚芝山連合空港反対同盟

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