歴史を直視すること
昨日6月20日、大阪・弁天町にある田中機械ホールで、大阪の海と空を戦争に使わせない会が呼び掛けて、「戦争の加害と被害の史実から学ぶ」学習会が、40人足らずでしたが開催され、非常に貴重な学習と交流の機会がもたれました。
元総評港地区協議会議長の有元幹明さんが、自ら作成にか関わられたビデオ「焦土と化した大阪」を上映しながらの説明の後、「歴史を直視すること」と題してアジアで戦争がどう伝えられているかを語られました。豊臣秀吉の朝鮮侵略の現地検証などを通して、朝鮮、中国、アジアで日本が何をしてきたのか、アジアの人々は忘れていないと提起されました。タイの泰緬鉄道の鉄橋にある「Forgive but not forget」という言葉などをご紹介されながら。そして歴史検証をその場に立つことを通して行うことの大切さを、自らの体験を交えながら話されました。右写真は、話される有元さん。
集会参加者からの質問や討論が熱心に行われた後、港合同中村副委員長、主催者の青木代表からの挨拶で学習会を終え、同じ場所の「地底旅行」での交流会が10数人で行われ、熱心な意見交換が有元さんを中心に続けられました。
さて、今日から、沖縄に行きます。明日は、一日辺野古の座り込みに参加させていただき、23日には、摩文仁で開かれる「国際連帯集会」に参加してきます。
昨日、東灘区住民の会の「おしらせ」80号に掲載した一文の一部を紹介して沖縄を訪れる私の想いの一端を明らかにしておきます。
―― 昨年8月30日の政権交代によって、沖縄県民は、自らの民意によって基地撤去への道が開かれたことを実感し、闘いをすすめました。
それは、昨年11月8日の県民集会、今年に入って名護市長選での稲嶺市長の誕生。そして4月25日、9万人の県民大会の成功へと進んだのです。さらには5月16日の普天間基地包囲の人間の鎖の実現へと、「少なくとも県外移設」と約束した鳩山民主党政権に一歩も譲ることなく怒りの刃を突きつけたのです。それは「鳩山の約束」などというものへの幻想ではなく、戦後65年、いや明治政府以来の140年にわたるヤマトによる差別支配、差別と収奪、そして米軍による軍事占領支配に対する「もう我慢ならない」という怒りの刃であったのです。
それは「移設」などということばでは括りきれない基地撤去の要求、すなわち、米軍基地の前提となる日米安保条約、日米地位協定の見直しなしにはなしえない要求を孕んでいるのです。
沖縄でも、岩国でも米軍再編のおしつけによる犠牲の強制に対して、国民として当然享受できるはずの憲法で保障された基本的人権が、基地を理由に、日米安保体制を理由に奪われていると怒りの声が上がっています。つまり、日米安保条約が憲法の上にあると。そして、「もう我慢ならない」と。
この批判を正視しえず鳩山政権は、「日米合意」を行い崩壊しました。しかし交代した菅政権もまた、何の説明もなく「日米合意」を引き継ぐことを明らかにしました。そこには「沖縄の民意」を沖縄だから無視できるとする露骨な沖縄差別の政策が底を流れているとしか説明できません。事実、民主党は唯一沖縄でのみ参議院選挙の候補者を擁立できませんでした。
沖縄県民の怒りを、もうおしとどめる術を失っていることを日本の政権は知るべきです。「アメとムチ』と言われる振興策による懐柔は最早、沖縄には通用しません。
今、最も問われているのは、私たちヤマトの民衆が、自ら選んだ政権に沖縄差別の政策を許すのかどうかです。少なくとも冷戦構造が崩壊してすでに20年が経過した今、そして日米安保が改定されて50年もたつ今、「安保が憲法の上にある」などという差別的状況を、人権侵害を許すのかどうかが問われているのです。それは最早、沖縄県民の闘いがどうかではないのです。私たちヤマトの民衆がどう闘い、どう憲法を守り、平和と人権を守るのかが問われているのです。
「沖縄を切り捨てた鳩山首相は、退陣に追い込まれたが、自業自得だ。しかし、問題はこれからだ。辺野古『移設』=新基地建設を沖縄県民はけっして許さない。もし強行して沖縄と全面対決になれば、追い詰められるのは政府の方だ。」(目取真俊さん 10年6月4日、神戸新聞より)
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