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2010年6月15日 (火)

鈴木幸司さん、安らかに

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 昨日、鈴木幸司さんの告別式が、多古町のさくらの宮センターで行われ、関西実行委員会を代表して私が参列してきました。土砂降りの雨にもかかわらず多くの参列者で、次々と椅子が追加されていました。日ごろお目にかかれなかった方々にもお会いできました。

 北原鉱治反対同盟事務局長の弔辞にもありましたが、やはり三里塚の鈴木さんと言えば、シベリア抑留を通した天皇制への怒りと平和への願い、孤立を恐れず闘い抜かれた成田用水阻止闘争ではなかったかと思います。

 今年、韓国併合100年を迎えますが、朝鮮半島への侵略、土地収奪と農民収奪は、1920年前後の間島への「三光作戦」とも言うべき襲撃と略奪、虐殺に象徴される中国東北部への軍事侵攻、そして満州支配を生み出していったのです。それに伴う朝鮮、中国人民の反日武装の闘いに対する軍事支配が日本軍によって行われていた中に鈴木さんは派兵されていました。そして敗戦。ロシア共産党、スターリン主義による日本軍のシベリア抑留、強制労働は言語を絶する過酷なものだったようです。それは、日本軍の持つ非人道的な階級支配とそれへの恨みによるひずみも合わせ、抑留されていた日本人社会の中に想像を絶するような残酷な地獄絵を帰国時を含めて生み出したと言われています(最近、岩波新書で「シベリア抑留」が出版され、詳述されています)。

 鈴木さんは、零下30度まで働かされ指を失なわれたことを言葉少なに語られた上で、昭和天皇の責任を厳しく問い、二度とあのような侵略戦争を許してはならないと、国策としての成田空港建設に反対した自らの原点を語られます。鈴木加代子さんも言われていますが、こうした中国侵略とシベリア抑留の中で体験されたことを鈴木さんのご生前に詳しくお聞きすることが出来なかったことを本当に残念に思います。

 20083 1984年ごろ「3・8分裂」攻撃と表裏一体のものとして成田用水攻撃がありました。用水事業は本来は農水省の管轄であるものが、成田用水では、国土交通省の予算が使われ、補助率も通常の15%も高い95%というものです。このことは、水はけが悪く農民の最大の願いであった用水事業を餌に、当時三里塚闘争の最強の部落と言われた菱田・辺田地区に成田空港反対闘争を分断する攻撃としてかけられたものであることが明らかです。「3・8分裂」がそうであったように、これもまた条件闘争への転落への誘い水だったのです。これに対し、「たとえ一軒になっても敷地内反対同盟を裏切れない」と鈴木幸司さんは孤立を恐れず成田用水反対闘争に決起されたのです。

 その決起の深刻さは、今日、鈴木さんが住む中郷部落が、鈴木さん家族を除いて用水賛成に回り、結局、部落を移転する誘いに応じてしまい、その田んぼを成田空港会社にすべて売り渡したことに示されています。その中に、鈴木さん宅と田んぼが残っているために、地域を巨大な運輸基地にする構想がとん挫してしまい、その利権にあずかれない元住んでいた住民から今も「村八分」のような扱いを受けておられるという厳しい日常があります。農業という、本来地域社会の共同作業がなければ成り立ちにくい現実をも背負いながら、なお今も市東さんや萩原さんとともに闘い抜いておられる鈴木幸司さんはじめご家族の闘いの凄さがここにあります。この用水闘争の最中に「嫁」として来られた加代子さんが、今や反対同盟を代表する「おっかあ」になっておられるのもこの幸司さんの闘いがあってこそなのです。

 一昨年秋に病に倒れて以降、幸司さんはその頑強な体力を武器に必死で闘いを続けられました。(看病、介護する加代子さんの大変さは、それゆえに倍加されましたが。) 今から10数年前のことですが、反対同盟の皆さんと夜が更けるまで大いに飲んだ折の事です。12時近くなっていたと思います。したたか酩酊していた私に、幸司さんが「おい。今からボウリングに行こうか」と声をかけられたのです。もちろん幸司さんも大いに飲んでおられました。驚いた私は、畳に頭を着けるようにお詫びし、勘弁してもらいました。幸司さんは、その晩、3時ごろまでボーリングをされたそうです。その当時でも、だいたい170ぐらいのアベレージだったそうですから驚いたものです。

 この凄いとしかいいようのない強靭な体力を持って、シベリア抑留を生き抜き、三里塚闘争44年を、節を曲げることなく原則をつらぬき、「闘えば勝利する」と言い続けてこられた鈴木幸司さんでした。心からご冥福をお祈り申し上げます。

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