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2010年6月30日 (水)

三里塚と沖縄

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 6月27日、三里塚の「全国結集大闘争」の基調報告の中で、萩原進さんは、慎重に言葉を選びながら「『三里塚のようにたたかう』という言葉をもちこもうとするのではなく『三里塚と一緒にやろう』と言っていきたい」と語りかけられました。この萩原さんの言葉には、これまでの各地の住民運動や市民運動に対して「三里塚のようになったらだめだ」と行政や国家権力による懐柔策として語られたことと、三里塚闘争の中での裏切り、分裂といった歴史的経緯を背景とした日本共産党などによる「三里塚のようになったらだめだ、話し合いで平和的解決を」「非武装で」という戦術論議として語られてきていることが背景にあります。42514

 そして萩原さんは、4・25沖縄県民大会での経験を踏まえ、「ああいう闘いをこの三里塚でも再び実現するために、各地での市東さん、三里塚を巡る論議の広がりを背景とした、三里塚現地への結集運動が求められている」と語られました。そして「三里塚と一緒にやる」ことが実現される時、「三里塚のように闘うことが、おのずと各地の運動の中に生まれてくる」とも。(上写真は、4・25県民大会。右写真は、その県民大会中央に陣取る左から市東、萩原、永井、山本各氏の談笑の様子。)

 沖縄、徳之島、岩国、厚木などの日米安保体制、米軍再編と闘うそれぞれの闘い、あるいは福井や山口など各地の反核、反原発の闘い、さらには在日外国人に対する差別や部落差別、障害者差別などとの闘いなど、その歴史的経緯の違いから、若干の人的交流があるとしても簡単には「三里塚といっしょに」となる状況にはありません。何を萩原さんが提起されているのかを、私たちはしっかりと考え、学ばなければならないのではないでしょうか。それぞれを個々に見ていくことは、ここでは不可能ですので、今日の政治的焦点となっている沖縄とのかかわりについて少し考えたいと思います。

沖縄の闘い

 沖縄の闘いは、昨年8月30日の衆議院選挙、11・8県民集会、そして1・24名護市長選挙、4・25県民大会の過程を見て判るように、「基地撤去」を最大のスローガンとしつつ、明らかにそれまでの闘いと質が異なり、確実に「民意」を日米両政府につきつけ、ある意味で自信を持って進んでいます。「初めて全県一致の流れが生まれた」とも言われ、9月名護市議選、11月県知事選に向かってすでに厳しいですが、確実に勝利を求め、「民意」の実現を求めて前進しています。

 先日のある沖縄をめぐる集会が「沖縄を北朝鮮侵略の出撃拠点にするな」という言葉を集会のメインスローガンに掲げているのを知り、驚きました。実は、6・27三里塚緊急闘争を呼びかけるについても「朝鮮半島情勢が緊迫するなか、成田空港軍事化がますます切迫しています」とありましたが、果たしてそうなのでしょうか。鳩山が「県外移設・国外移設」の公約を放棄する最大の根拠としたのが「抑止力の必要」でした。この「北朝鮮侵略の出撃拠点」という論議は、ものの見事にこの鳩山の「抑止力」論議の裏表とはなってはいないでしょうか。「抑止力」論議は虚構でしかありません。詳しく論じるのは別の機会にしたいと思いますが、我々の戦列の中で、一部とはいえこうした虚構の論議に引きずり込まれていることは、残念でなりません。10623

 先日、ひめゆりの塔の近くにある魂魄の塔で開かれた「6・23国際連帯沖縄反戦集会」(左写真)で、「法の下の平等から、もうヤマトのみなさんが基地を引き受けるべきだ。安保をヤマトで引き受けるべきだ」という意見が、宜野湾の市民を代表して語られました。橋下大阪府知事に好感を持つ人が沖縄におられるとも聞きますが、こうした主張なのでしょう。しかし、明らかに会場は、この提起に(代表的な発言でしたから)違和感を持った空気が流れ、小さな声でヤジもあり、司会者は「色々な考えがあることをみとめましょう」とわざわざ異例のコメントを挟み、発言者の仲間から抗議の声が起こるという一幕がありました。横におられた知花昌一さんが「移設を認めたら基地を認めることになる。基地撤去だ!」と声を上げられました。

 この3月22日、普天間基地の前で開かれた60人規模の集会で、「これで普天間に戻るしかないだろう。それはチャンスだ。もう県民は黙っていない。普天間なら3か所のゲートを座り込みで閉鎖すれば、米軍は出ていくしかない。アメリカに持って帰るしかない」と明快に語っておられました。10624_2

 今、沖縄は「もう我慢がならない」という強烈な意志でまとまりつつあります。4・25集会が驚くほど静かだったと言われ、私もそれを感じましたが、この知花さんや普天間での発言に示されるように、もう沖縄は一線を明らかに超えて、基地撤去への歩みを確実に歩み出しているのです。それが静けさを生んだのではないでしょうか。そして、名護市長選挙をめぐる過程に示されたように、民主主義の町ぐるみの形成、新たな街づくりへの道を歩み始めています。「振興策」による町の分断によって一昨年あたり、おじい、おばあが、辺野古のテントに出てこなくなった状況が一時期ありましたが、稲嶺市政の誕生以降、テントには嘉陽のおじいをはじめ、おじい、おばあが必ず元気な顔を出しておられます。この沖縄県民の歩みこそ、非妥協の、座り込みの実力闘争を自信を持って展開しているということではないでしょうか。(右上写真は、キャンプシュワブ前での座り込み。10.6.24)

 そしてこの闘いを中心にになっておられる方々の多くが、この2年、三里塚との交流を心がけられ、私が沖縄現地を繰り返し訪れることが出来る根拠ともなっています。それには、萩原進さん、市東孝雄さんが、これまで2度の沖縄訪問を実現し、こうした皆さんとの熱い交流をされてきたことが大きな基礎となっています。そして名護市長選の歴史的勝利と、その後の稲嶺進市長の奮闘は、9月名護市議選、11月沖縄県知事選への大きな流れを確実に生み出しつつあります。10425_2

 他方、昨年来の天神峰現闘本部裁判闘争の半年以上の激闘から、この3月からの団結街道、第3誘導路を巡る闘いの中で市東孝雄さんの果たした決起の役割の大きさは筆舌に尽くし難いものがあります。その市東さんにとって、昨年5月の沖縄訪問にまして、今年の4・25沖縄県民大会の経験の大きさがあることは、ご本人の幾つかのお話からも明らかです。(左写真は、4・25県民大会で、同盟旗を手から離そうとしないで、同盟の用意したビラをまく市東さん。)

 もちろんまだまだ不十分でしょう。しかし、確実に道はつき始めています。この事を指して、萩原さんは「三里塚と一緒にやろうと呼びかけて行くのだ」と言っておられるのです。

 徳之島の皆さんも、岩国のみなさんも、「もう我慢ならない」と決起を開始しておられます。「安保条約が憲法の上にあるような人権侵害は許されない」と。そこには現下の「日米同盟」を軸に進めようとする政権とは絶対非妥協の方向性が確実に形成され始めています。

 明日は、先日亡くなられた鈴木幸司さんとおつれあいのいとさんが争われている「一坪裁判」が午前10時半から千葉地裁であります。それに先立って9時半より、反対同盟と弁護団によって、団結街道閉鎖に対する執行停止を求める行政訴訟の提訴、裁判後には記者会見が予定されています。出かけられる人は、でかけましょう。私は夜のバスで出かけます。

 

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2010年6月29日 (火)

6・27三里塚全国大結集闘争

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 昨日28日、団結街道は封鎖されました。しかし、その実態は、反対同盟の萩原進事務局次長が、抗議、弾劾の闘いをやりぬいた上での総括集会で語られた言葉に尽きるだろう。「およそ、国策、国家事業とは思えない哀れな姿だ」「やるしかないからやるという切羽詰まったやり方」「こういうやりかたしかやり得ない。こういうやり方が40年続いている」「こんな廃道にしたことに対して、廃港に持って行ってやる」と。まるでコソ泥のように、夜中の3時ころから、機動隊に守られながら閉鎖工事をやること自体に、彼らNAA(空港会社)が、みずからの所業の不当性、犯罪性を自覚しているからにほかなりません。そして、前日、485名の結集のもと意気高く空港直近の萩原さんの畑で開かれた「6・27三里塚全国大結集闘争」に追い詰められ、闘いが爆発することを恐れたからの所業にほかなりません。(萩原さんの発言は、反対同盟ブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2010/06/post-158.htmlの映像から引用しています。)

 10627_2 集会は、三里塚闘争44年を常に先頭に立ち「闘えば必ず勝利する」と語り続けられ、先日、6月12日未明に逝去された鈴木幸司さん(享年86歳)にたいする黙祷ではじめられました。

 主催者を代表して北原鉱治事務局長(右写真)は、先ず共に闘ってきた鈴木幸司さんを偲ばれた上で、団結街道の閉鎖、第3誘導路の建設が、市東孝雄さんの営農、生活、そして生存権と命を奪う攻撃だと弾劾し、この日の闘いの意義を明らかにした上で、「再び闘いの第1歩が始まった」「生きるか死ぬかの闘いだ」「命ある限り闘う」と自らの決意を明らかにされて、「必ず三里塚は勝利する」と結ばれました。

 10627_4 続いて、不当な逮捕攻撃をはね返して奪還された市東孝雄さんと萩原富夫さんが登壇し、ほんとに多くの人々からの激励、抗議行動、援農などが取り組まれたことへの御礼の上で、それぞれの決意を語られました。市東さんは、4・25沖縄県民大会に触れ「あそこで勇気をもらったので、ああいうことになった」「沖縄と三里塚、一緒にやっていきたい」と。萩原富夫さんは、市東さんの闘いに触れ「市東さんと心が一つだから爆発した」と。

 萩原進事務局次長から基調報告です。萩原さんは、今年前半の6か月の闘いを文字通り120%の力を出し切って勝利してきたことを確認しました。何よりも2月、天神峰現闘本部裁判で仮執行宣言を付けさせなかったことで、3月本部撤去の攻撃を粉砕した。10627_6 そして「まなじりをけっして、火の玉となって闘う」という3月の方針を市東さんが1人でやり抜き、反対同盟全体が同じように闘う、そういう地平を築き上げ、4、5月着工の攻撃をはね返してきた。裁判闘争と現地闘争は一体だと訴えてきたが、市東さんの決起が現地の闘いの決起を生み出し、現地支援の火を吐くような闘いと一体となって勝利し抜いた。敵、空港会社は姑息な手段をもって襲いかかってくるだろう。1人でも多くが現地に残り、常駐し、また一人でも多くが各自のところで呼びかけ、組織することが大切になっている。いかに早く、多く結集するか、如何に闘う意志を固められるか、それを「結集大闘争」という言葉で呼びかけたのだ。もう決戦の中に入っている。工事着工などと姑息な手段を使って宣伝すれば、直ちに緊急現地闘争を呼びかける。今年後半の闘いをこれまで以上に奮闘して、勝利しようと呼びかけられました。

 この後、反対同盟顧問弁護団からの裁判闘争方針と決意が語られ、鈴木加代子さんからカンパのアピールが行われました。10627_7

 続いて、共闘団体からの挨拶です。先ず動労千葉の滝口さんに続いて、関西実行委員会を代表して永井満代表世話人と山本善偉世話人が登壇しました。永井さんは、鈴木幸司さんへの哀悼の言葉を述べられた上で、市東さんを我々が支えるのではなく、我々が市東さんの闘いによって励まされ奮い立たされている。今日の勝利感あふれる反対同盟と共に勝利しようと呼びかけられました。山本さんは、監視台に上がった感想を述べながら第3誘導路の狙いは市東さんを生活できなくさせることだと弾劾し、若い人々の援農をはじめ現地での闘いの大切さを確認されました。10627_8

 つづいて、部落解放同盟全国連合会、市東さんの農地取り上げに反対する会のみなさんが、登壇され挨拶されました。

 鈴木謙太郎さんから闘争宣言が読み上げられ、現地支援連を代表して各党派からの決意表明が行われ、同盟員の伊藤信晴さんの音頭で団結ガンバロウを斉唱して、さあ、デモに出発です。閉鎖が目論まれている団結街道を北上し、成田ゴルフの前までデモをやり抜き、帰途につきました。

 この日の闘いの勝利感をバネに、卑劣、不当な、繰り返されるだまし打ちによる団結街道閉鎖に対する激しい怒りをバネに、第3誘導路の建設を断じて許さず、市東さんの暮らしと営農を守り抜こう! 現地への結集を繰り返し、監視行動や援農に決起しよう! 10・10三里塚全国集会を大爆発させよう!

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2010年6月28日 (月)

団結街道封鎖を弾劾する

団結街道封鎖を弾劾する
今日未明、午前3時半頃、異常な物音に市東さんが気付き、機動隊に守られて団結街道封鎖の工事がこそ泥のように強行されていることを発見した。
直ちに結集した反対同盟と支援は、弾劾行動に決起し、萩原さん、市東さんを先頭に南台の畑に入り、団結街道から抗議と弾劾の闘いを続けた。
そもそもそこに住む住民の同意どころか封鎖の説明すらなく、道路を封鎖することなどまったく違法だ! それを、夜陰に乗じてやるそのやり方に不当、不法がしめされている。
反対同盟は急を聞いて駆けつけた支援とともに、総括集会を開き、市東さんを先頭とする反対同盟が不動であるかぎり、このようなまたふたたびの騙し討ち的手法での攻撃はすでに破綻していることを明らかにし、怒りの弾劾をたたきつけた。
敵・空港会社と国交省は、直ちに第3誘導路の認可と着工に手を染めようとするだろう。今こそ市東さんの農地を守ろうという大運動を、うねりを作り出していこう! 第3誘導路建設を粉砕しよう!
最初の写真は、市東さん宅前の監視台の前と現闘本部前まで封鎖された団結街道。南台の畑からは道路に出れないように杭を打ち、成田ゴルフ前には、馬という車止めを置いて団結街道を完全に封鎖した。

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開拓道路の閉鎖が始まった

全国の皆さん。今、三里塚現地から連絡があり、開拓道路の閉鎖が始まったようです。詳しくはわかりませんが、現地に向かえる人は、現地に駆けつけてください。今、新幹線の中からです。

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2010年6月26日 (土)

今週の産直野菜(6月26日)

10626  今、今週の産直野菜が三里塚から届きました。明日の現地闘争に参加するため、昼から出かけるので、「届くかな?」とやきもきしていましたが、無事届きました。先週と大違いで、非常にシンプルです。

 ニンジン、玉ねぎ、じゃが芋、なす、キュウリ、ズッキーニ、キャベツの6品です。

 「野菜だより」によれば夜盗虫によるキャベツの被害がひどく、市東さんのところでは出荷を諦めねばならないとか。先日、援農に行った時に、加代子さんから夜盗虫の話しをいろいろお聞きし、山本先生のお孫さんの睦っちゃんが、草取りをしながら「これやろか」と見つけてきた黒っぽい虫(青虫を少し大きくした蛾の幼虫)です。カブとチンゲンサイが、虫食いで中止になった模様。虫の発生はそれほどひどくないと先日お聞きしていたのですが、それでも・・・・。

 市東孝雄さんの決起を軸に、この1ヶ月の現地攻防は、完全に押し返しています。しかし、市東さんの農地強奪、生活破壊による追い出ししか最早手がない国と空港会社、成田市は、開拓道路を坪1万円という安い値段で空港会社に成田市が売ったのを始め(勝手に処分できるものではないのだ!)、第3誘導路建設の認可を強行して、力づくで市東さんに襲いかかろうとしています。

 こんな不当がどうして許せるでしょうか。明日の闘いを全力で闘い、多くの人が現地に入ることで、市東さんと反対同盟の闘いを守り抜き、はね返すことが必要です。

 「国策」の名の下での成田空港完成、市東さん叩き出しの攻撃は、沖縄のみなさんの「基地撤去」の怒りの声を踏みつけようとする「日米合意」を振りかざした菅政権の攻撃と同じものです。しかし、沖縄のみなさんの怒りをもはやおしとどめることが出来ないのと同様、市東さんが大地に足をしっかりとつけ、三里塚闘争の実力闘争の爆発があれば、こうした目論見は破たんするしかありません。沖縄、徳之島、岩国、そして三里塚を貫く人民の怒りの火柱によって、こうした非道な攻撃をはね返し、空港粉砕、基地撤去の勝利の道筋をこじ開けよう!

 明日、6・27三里塚現地に総結集しよう!

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2010年6月25日 (金)

沖縄の怒り

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 6月23日「慰霊の日」、摩文仁の平和祈念公園で開かれる沖縄全戦没者追悼式に菅首相が列席すると聞いて駆けつけた抗議の人々が100人余り道路の両側に上写真のように手に手に「怒」のカードを持って並びました。10623_2 警察の規制の凄いこと。白バイに先導された菅首相の車が通った時、「菅首相は帰れ!」「日米合意を許さないぞ!」と声を力の限りあげました。右写真は、多分後ろの車が菅首相の車。残念ながらデジカメはこういう時は、シャッターチャンスを逃してしまいます。

 この式典に参加した伊波宜野湾市長が、直後に開かれた「6・23国際反戦沖縄集会」に駆けつけ、歴代の首相が沖縄について毎年決意しながら何一つ県民の基地負担が変わらない現実を糾弾された上で、菅首相が基地負担を謝罪し、国の平和を守る力となっていることに感謝したことを明らかにして、「私たちは痛みを感謝されたくない。痛みは解決されなくてはならない」と弾劾されたのです。10623_3

 それからひめゆりの塔で開かれている集会に駆けつけましたが、丁度、デモが出発するところ。デモ隊に加わり27回目を迎えた「6・23国際反戦沖縄集会」が開かれる魂魄の塔に向かいました。

 10623_4 敗戦直後、このあたり一帯の遺骨を集め作られた魂魄の塔(摩文仁にはない沖縄の人々の「慰霊の碑」と言えるもの)には、すでに多くのひとがお参りしておられました(右写真)。ここで、デモ参加者や、摩文仁から駆けつけたみなさんで、集会アピール文を朗読して黙祷。それから近くの「ひろしまの碑」の広場で集会です。

 冒頭のミニコンサートのあと、靖国訴訟原告団(この7月20日に結審)を代表して金城実さんなどから、天皇制の問題であり、「英霊化」との闘いであることが訴えられました。

 10623_5 この日、グアム、マリアナ諸島を代表して沖縄を訪れた教師のビクトリア・レオン=グレロさん(左写真)は、チャモロ民族としての想いを切々と訴えられました。500年にわたるスペイン、アメリカそして日本による植民地支配によってチャモロ民族は土地を取られ、言葉を奪われてきたと。2014年までに8万人の米兵を中心とした増加は、グアムの土地を奪い、空気を汚染し、深刻な水不足、そしてサンゴ礁の破壊による海の破壊、漁業の破壊を招く。何よりも、チャモロ民族は最も少ない人口におとされ、その自己決定権が奪われようとしている。聖地が射爆場に変えられることなどで土地に強く関わってきたチャモロの文化と歴史が奪われようとしている。植民地支配の教科書には、そうした子どもたちに伝えるべき長い歴史を持つチャモロの文化が無視され、チャモロ民族は口伝えで、親から子へと伝えざるをえなかった。私たちには市民権はあるが、占領下にあり、国には私たちの声は届かない。そしてビクトリアさんは、沖縄、グアム、テニアンには米軍基地はいらない。米国本土に帰るべきだと結ばれたのです。

 10623_6 また「徳之島の自然と平和を考える会」を代表して来られた幸多勝弘さん(右写真)は、「言葉は島々で違いながら、文化は同じだ」「徳之島は県外ではないのだ」「岩国もそうだが、生ごみを右から左へ持っていくようなことは許されない」と、3月7日、28日、4月18日のこの5カ月の闘いを振り返りながら語られた。徳之島は薩摩藩による400年前からの支配、地を這うような黒糖地獄を生き抜いてきたその歴史に誇りを持っていると。そして沖縄とともに、絶対に基地をつくらせない。共に闘って勝利しましょうと結ばれた。

 沖縄で闘う、宜野湾から住民団体「かまどぅがたちの集い」、辺野古から「ヘリ基地反対協」の安次富さん、高江から「ヘリパッドいらない住民の会」、沖縄市の「泡瀬干潟を守る連絡会」からそれぞれ闘いの報告と決意が語られました。「私たちはめげてはいない」という言葉がありましたが、本当に元気で、逞しい、しかも成熟した論議が「移設では基地を認めることになる。10623_7 撤去につながらない」などと壇上だけでなく、言葉が飛び交う熱気あふれた集会でした。

 集会には宜野湾市の伊波市長を始め、3人の国会議員、そして参議院選挙の候補者山シロさんなどが連帯の挨拶をされました。

 最後に大城しんやさんの演奏と、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会共同代表の高里鈴代さんが閉会のあいさつをされて終わりました。途中雨で濡れながらでしたが、それをも感じさせない熱気でした。10624129

 翌日24日朝、キャンプ・シュワブ前での「守る会」の座り込みが行われると聞いて、参加して共に1時間を過ごしてから、関西への帰途につきました。全国からの129枚の横断幕が、キャンプ・シュワブの第1ゲートを挟んで張り巡らされ、その距離はゆうに200メートルを超え壮観でした。10624 開始の挨拶で、安次富浩さんが、前日の菅首相の言葉を「感謝する前に基地を減らせ!」と弾劾して始まられたのが印象的でした。嘉陽のおじいをはじめ23人の参加でした。

 普天間基地即時閉鎖、辺野古新基地建設反対は、沖縄だけの問題ではなく、私たちヤマトの日米安保体制、米軍再編に対する闘いなのです。巨大なうねりを創り出していきましょう。三里塚の闘いは、その重要な水路となります。明後日、6月27日の三里塚現地の闘いに決起しよう!

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2010年6月22日 (火)

辺野古のテント

辺野古のテント
今、辺野古のテントに来ています。安次富さんや平悦美さんなどがおられます。座り込み2256日目です。こちらは梅雨が開けて暑いですが、静かでほんとにのどかです。この海を埋め立てての新基地建設など絶対に許せません。

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2010年6月21日 (月)

歴史を直視すること

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 昨日6月20日、大阪・弁天町にある田中機械ホールで、大阪の海と空を戦争に使わせない会が呼び掛けて、「戦争の加害と被害の史実から学ぶ」学習会が、40人足らずでしたが開催され、非常に貴重な学習と交流の機会がもたれました。

 10620_2 元総評港地区協議会議長の有元幹明さんが、自ら作成にか関わられたビデオ「焦土と化した大阪」を上映しながらの説明の後、「歴史を直視すること」と題してアジアで戦争がどう伝えられているかを語られました。豊臣秀吉の朝鮮侵略の現地検証などを通して、朝鮮、中国、アジアで日本が何をしてきたのか、アジアの人々は忘れていないと提起されました。タイの泰緬鉄道の鉄橋にある「Forgive but not forget」という言葉などをご紹介されながら。そして歴史検証をその場に立つことを通して行うことの大切さを、自らの体験を交えながら話されました。右写真は、話される有元さん。

 集会参加者からの質問や討論が熱心に行われた後、港合同中村副委員長、主催者の青木代表からの挨拶で学習会を終え、同じ場所の「地底旅行」での交流会が10数人で行われ、熱心な意見交換が有元さんを中心に続けられました。

 さて、今日から、沖縄に行きます。明日は、一日辺野古の座り込みに参加させていただき、23日には、摩文仁で開かれる「国際連帯集会」に参加してきます。

 昨日、東灘区住民の会の「おしらせ」80号に掲載した一文の一部を紹介して沖縄を訪れる私の想いの一端を明らかにしておきます。

 ―― 昨年8月30日の政権交代によって、沖縄県民は、自らの民意によって基地撤去への道が開かれたことを実感し、闘いをすすめました。10425

 それは、昨年11月8日の県民集会、今年に入って名護市長選での稲嶺市長の誕生。そして4月25日、9万人の県民大会の成功へと進んだのです。さらには5月16日の普天間基地包囲の人間の鎖の実現へと、「少なくとも県外移設」と約束した鳩山民主党政権に一歩も譲ることなく怒りの刃を突きつけたのです。それは「鳩山の約束」などというものへの幻想ではなく、戦後65年、いや明治政府以来の140年にわたるヤマトによる差別支配、差別と収奪、そして米軍による軍事占領支配に対する「もう我慢ならない」という怒りの刃であったのです。

 それは「移設」などということばでは括りきれない基地撤去の要求、すなわち、米軍基地の前提となる日米安保条約、日米地位協定の見直しなしにはなしえない要求を孕んでいるのです。

 沖縄でも、岩国でも米軍再編のおしつけによる犠牲の強制に対して、国民として当然享受できるはずの憲法で保障された基本的人権が、基地を理由に、日米安保体制を理由に奪われていると怒りの声が上がっています。つまり、日米安保条約が憲法の上にあると。そして、「もう我慢ならない」と。Photo

 この批判を正視しえず鳩山政権は、「日米合意」を行い崩壊しました。しかし交代した菅政権もまた、何の説明もなく「日米合意」を引き継ぐことを明らかにしました。そこには「沖縄の民意」を沖縄だから無視できるとする露骨な沖縄差別の政策が底を流れているとしか説明できません。事実、民主党は唯一沖縄でのみ参議院選挙の候補者を擁立できませんでした。

 沖縄県民の怒りを、もうおしとどめる術を失っていることを日本の政権は知るべきです。「アメとムチ』と言われる振興策による懐柔は最早、沖縄には通用しません。

 今、最も問われているのは、私たちヤマトの民衆が、自ら選んだ政権に沖縄差別の政策を許すのかどうかです。少なくとも冷戦構造が崩壊してすでに20年が経過した今、そして日米安保が改定されて50年もたつ今、「安保が憲法の上にある」などという差別的状況を、人権侵害を許すのかどうかが問われているのです。それは最早、沖縄県民の闘いがどうかではないのです。私たちヤマトの民衆がどう闘い、どう憲法を守り、平和と人権を守るのかが問われているのです。

 「沖縄を切り捨てた鳩山首相は、退陣に追い込まれたが、自業自得だ。しかし、問題はこれからだ。辺野古『移設』=新基地建設を沖縄県民はけっして許さない。もし強行して沖縄と全面対決になれば、追い詰められるのは政府の方だ。」(目取真俊さん 10年6月4日、神戸新聞より)

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2010年6月20日 (日)

6・27三里塚全国結集闘争へ!

団結街道を守り、第3誘導路阻止を!Photo_2

三里塚反対同盟の呼びかけ

 全国の労働者、農民、学生、闘う仲間のみなさん。

 沖縄の基地全面撤去の闘い、国鉄決戦とともに、三里塚闘争は政府権力・空港会社との激突を開始しました。

 5月17日、空港会社は成田市と共謀して、団結街道(成田市道)閉鎖の看板を設置しました。これに対して市東孝雄さんが猛然と抗議。恐れをなした県警・機動隊が市東さんと支援者1名を逮捕する暴挙を行いました。

 24日には、この闘いに応えて公聴会粉砕デモに決起し、不当逮捕をものともせずに闘いました。いま、反対同盟は市東孝雄、萩原富夫両同盟員の奪還のために全力で闘い抜いています【萩原富夫さんは4日不起訴・奪還、市東孝雄さんと支援1名は8日不起訴・奪還】。

 この6月、成田市は団結街道の底地を空港会社に払い下げる手続きを急ピッチで進めており、現地は街道封鎖との実力攻防の緊迫した状況にあります【6月14日、1坪わずか1万円足らずの743万円で成田市は、空港会社に団結街道を売却しました】。1068

 全国の仲間のみなさん! 反対同盟は臨戦態勢に突入しました。市東さんの渾身の怒りと闘いに応えて、もてる力のすべてを三里塚に結集させてください! 【左写真は、8日奪還された日の市東孝雄さん】

 闘争史上まれに見る大弾圧をもたらした第3誘導路計画は、この6月下旬にも認可・着工の構えです。反対同盟は、不当弾圧粉砕・廃道阻止、第3誘導路粉砕を闘う6・27大結集闘争を呼びかけます。

 世界的大不況による航空資本の破たん、成田空港の行きづまりがもたらした「羽田ハブ(基軸空港)」への転換で、空港会社はかってない危機に追い込まれました。朝鮮半島情勢が緊迫するなか、成田空港の軍事化がますます切迫しています。三里塚闘争は、農地を武器に国策(空港建設)を44年間、阻止しています。三里塚の激突は、これゆえに必至です。

 闘いのときがきました! 反安保・基地全面撤去を闘う沖縄で、全国、全世界で闘いの火が燃え上がっています。三里塚は反戦・反核・反権力、反差別の広範な市民運動と住民運動の共闘の砦です。資本による労働者・農民に対する収奪と闘います。Photo_4

 6・27全国結集大闘争を、闘う人民総決起の号砲としよう。全国から大結集されることを、熱烈に呼びかけます。

2010年6月1日

       三里塚芝山連合空港反対同盟

集会要項

団結街道閉鎖阻止! 第3誘導路認可・着工粉砕! 不当逮捕・弾圧を怒りを込め粉砕しよう!

6・27全国結集大闘争

日時・6月27日(日)正午

会場・成田市東峰 反対同盟員所有地(会場が、いつもの畑と違います。右図参照)

主催・三里塚芝山連合空港反対同盟

なお、本文中で【 】括弧の部分は、関実事務局で加筆させていただいております。

 

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2010年6月19日 (土)

今週の産直野菜(6月19日)

10619  今、三里塚から産直野菜が届きました。なんと、12品。一昨年末からはじめて最も多いです。クロネコさんから受け取った時、箱がずっしりと重かった。現地に長期に入っていたので、この2週間、この欄はおやすみ。それだけに感激もひとしおです。

 葉付きニンジン、玉ネギ、玉レタス、サニーレタス、じゃが芋、チンゲンサイ、かぶ、小松菜、そら豆、なす、キュウリ、ズッキーニ

 揃った「春の混載トリオ」で、とりあえず今からカレーをつくります。

 先週初め、萩原さん宅の食卓には初物のキュウリとなすが漬物やサラダで添えられ美味しいなぁと味わって、畑ではキュウリがまだまだかなと思っていたので、ちょっと多いですが、ウレシィッ!10611

 11日には出荷作業を手伝ったのですが(右写真)、8品ぐらいだったかな。12品となったら、この作業が大変。しかも、キュウリも含め重さをはかって入れるのが多いだけに手間取ります。みなさん。一度、出荷作業を手伝いませんか・・・。

 しかし、市東孝雄さんが、6月8日、弾圧をはね返して帰ってこられたのが12時過ぎ。午後2時からのこの日の出荷作業に出てこられたのにはビックリ。10611_2 思わず握手攻め。その後は、先頭に立って作業の手順をてきぱきと指図されました。その様子には、ようやく現場に戻れた嬉しさも。通常なら休みの翌日9日も畑を一日回っておられました。9日は、私は市東さんのお宅の前の監視台で一日、寒さに震えながら監視をしていましたので、そのご様子がよくわかりました。本当にお元気でよかったです。左写真は、11日の作業の折の市東さんです。

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2010年6月18日 (金)

市東孝雄さんのたたかい

10612

 6月12日、三里塚では産直交流会が開かれ、70人以上の消費者の家族が、ジャガイモ掘り大会など(上写真)を楽しみました。その交流会で、市東孝雄さん(右写真)は、4日前の8日に23日間の勾留という不当な弾圧をはね返して帰ってきたことについて語られました。「道路の管理者である成田市が看板を立てたのだったら怒らなかったかも知れませんが、空港会社にどんな権利があって立てるのだと怒りが爆発した」と。10612_2

 また逮捕された直後、接見に訪れた弁護士に、市東さんは私たちへのメッセージを託されました。「自分は元気です。頑張りますから、皆さんも頑張ってください。これで俺たちは本気だということを、空港会社に知らしめることができた」と。

 そして市東さんが奪還される前の日の6月7日、反対同盟による怒りの記者会見で、萩原進さんは、「起訴するならしてみろ。そのことで起こる事態の恐ろしさを検察、権力、空港会社は思い知るだろう」と怒りも露わに語られました。そして翌8日、市東さんが奪還された勝利を祝う場で、同じく萩原さん(左写真)は、「こんな出来過ぎた脚本はない」と笑みを浮かべながら、「2・25天神峰本部裁判の緒戦で勝利したこの一年の前半の中で、沖縄に決起したことの大きさが今回の市東さんの闘いを生んだ」「市東さんは、3月の集会で提起したように『まなじりを決し、火の玉となって』100人の機動隊を独りで相手にし闘ったのだ」と、市東さんの闘いを語られたのです。1068

 私自身、市東さん逮捕の一報を聞いた時、「やられた」というイメージが強く、必死の思いで先ず5月19日から3日間、現地に入りました。そして改めて6月3日から10日間援農や団結街道の監視台での監視行動を含めて現地に滞在させていただきました。この20日間余りの中で、事態は全く違うことがひしひしと伝わってきました。

 そもそも第3誘導路とはなんですか。監視台にまる一日上がったのを始め、4度監視行動を行いました。3月28日から暫定滑走路が着陸専用となっているとは聞いていました。着陸機だけを見ると、それまでの3倍近い着陸が行われているのです。北風の時のうるさいこと、うるさいこと。これでは東峰の島村さんたちや、菱田の鈴木さんのところは大変だなと思いました。しかも、驚いたことにジャンボ機が、何不自由なくどんどん着陸しているではありませんか。旧の誘導路(第1と便宜上します)がS字に曲がっている上に狭いのでジャンボ機が使えないから第2誘導路、そして第3誘導路をと言っていたのではないのか! 10610 なら、第3誘導路は必要ないではないか!(右写真は、南から着陸して市東さんの畑の監視台の前を行くジャンボ機。10.6.11)

 市東さんの家の西側100メートルを通る第3誘導路の建設は、すでに第1誘導路の使用で耐えがたい爆音と悪臭で苦しめられている市東さんの日常が、もっとひどいことになることは明らかです。

 そしてこの第3誘導路の建設を理由に強行されようとしている団結街道閉鎖のデタラメさ、違法行為という問題です。成田空港では、無理な建設を強行したことから10ヶ所を超える各所で、生活道路が誘導路や滑走路と交差し、やむなく地下道化されています。第3誘導路計画でも県道は地下道化されることになっています。しかし、団結街道は閉鎖されるのです。一体なぜでしょうか。市東さんの営農を破壊するためです。毎日、4か所の畑を何度も行き来する市東さんにとって、団結街道の閉鎖は致命的な影響を受けることは明らかです。つまり、第3誘導路による生活破壊と道路閉鎖による営農破壊によって、市東さんを叩き出したい。ここにその狙いがあるのです。1069

 理由は簡単です。左の写真は9日に監視台から撮ったものです。クリックすれば少し大きく見れますが、誘導路を行くジャンボに続いて、現闘本部の左側に信号で停止している航空機が4機も連なっているのが判るでしょうか。完全な渋滞です。第1誘導路による問題以上に、この誘導路の「へ」の字問題が解消しない限り、この空港で30万回の使用など夢のまた夢なのです。「へ」の字がある限り、この点からも第3誘導路では、何も問題の解決にもならないのです。ただただこの「へ」の字問題を解決したい、そのためには市東さんを叩き出すしかない。それゆえの、団結街道閉鎖であり、第3誘導路なのです。こんなことが許せるでしょうか。

 3月16日、成田市議会は不当にも団結街道が「市道」であることを廃止しました。しかし、市東さんが毎日何度も使うだけでなく、東峰、天神峰の住民を始めクロネコなど商業車を含め日に150台もの車が通行する生活道路です。道路法によってそのような道路を閉鎖するには、近在者を始め関係者の同意書を添えた手続きが必要とされています。つまり、成田市議会の決議によって成田市の管理権が放棄されただけで、もともと赤道として住民によって90年以上前につくられたこの道路を、まるで私有財産のように処分することなど出来ません。この6月14日に、成田市が750万円で空港会社に売却したと報道されていますが、たとえそうであっても道路を閉鎖する権限は成田市にも、空港会社にもないのです。1068_2

 たかが民間会社でしかない空港会社に封鎖を指示する看板を道路に掲示する資格も権限もありません。そればかりか、明らかな道路交通法違反です。すざまじい怒りの形相で市東さん(右写真は奪還された日の市東さん)が看板をぶち壊したそうですが、違法なものを関係者がぶち壊したとして何が罪でしょうか。事実、警察、検察は勾留し続けながら、市東さんに対して「黙秘は農民のすることじゃない」「黙秘するなら起訴する」と取り調べの中で脅し続けていたのです。これは憲法で保障された供述拒否権の否定であり、多くの冤罪を引き起こしてきた違法な取り調べです。断じて許されません。Photo

 国、空港会社が、追い詰められ、違法の上に違法を重ねて機動隊暴力を前面に出して団結街道の閉鎖、第3誘導路建設に突き進んでくるならば、孝雄さんのお父さん、故・市東東市さんが常々言っておられた「人民の抵抗権」を私たちは行使するだけです。実力闘争の爆発を最も恐れ、姑息な手段を彼らが行使しようと、正に大地に根を張った反対同盟を先頭に、実力闘争を爆発させ、闘い阻止します。阻止できます。

 すでに反対同盟は、全国に「6・27全国結集闘争」(6月27日正午 東峰・反対同盟員所有地 左図)を呼びかけておられます。

 「まなじりを決して、火の玉となって闘う」と言われる反対同盟の皆さんの、市東さんの決意を私たち自身のものとして、6・27三里塚現地へ!

 市東さんの農地を守ろう! 団結街道の閉鎖を絶対に許すな! 第3誘導路建設を阻止しよう!

 

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2010年6月17日 (木)

戦争の加害と被害の史実から学ぶ

10429_2  大阪の海と空を戦争に使わせない会では、今度の日曜、20日に、「戦争の加害と被害の史実から学ぶ」学習会を大阪港区の田中機械ホール(下右に地図掲載)で開きます。

 講師は、有元幹明さん。右の写真は大阪港天保山に2005年建立された、強制連行で犠牲になった中国人の追悼の碑ですが、有元さんはこの碑を建てる中心(大阪中国人強制連行受難者追悼実行委員会事務局長)になって募金活動を進められました。碑文の「彰往察来」は「過去を明らかにし、未来を察する」ことだそうですが、有元さんの書によるものです。

 学習会では、有元さんがピースおおさか(大阪国際平和センター)事務局長の折に、アメリカにスタッフを派遣して、戦争末期、軍都・大阪が大空襲で焦土と化した大阪の惨状をとらえたフィルムをワシントンDCで探し、つなぎ合わせて制作した記録ビデオ「焦土と化した大阪」(25分)を先ず上映します。

 10429_3 東・東南アジア各地を旅し歴史検証を続けてこられた有元さんは、戦争を加害・被害の両面からとらえ、次の世代に戦争の悲惨さと平和の尊さを伝える活動をしてこられました。先日、4月29日に、大阪の海と空を戦争に使わせない会では、天保山(大阪港)周辺の戦跡めぐりをして学びました(左写真は、天保山公園の「獣魂碑」)。その中から、有元さんの活動を知り、お話しを聞いてみたいということで、今回の学習会が準備されました。

 有元さんは1936年生まれで、大阪港を管理する大阪市港湾局で勤務された後、ピースおおさか事務局長、市立クラフトパーク副館長などを歴任されました現在は、自治労退職者会大阪府本部事務局長。港湾局時代は、総評港地区協議会(現在、港地区平和人権連帯会議)議長として活躍。70年から闘われてきた大阪港の軍港化阻止闘争も一貫して関わってこられました。

 現在も有元さんは、「アジアとの平和友好関係確立」をライフワークとして、中国・黄土高原緑化協力事業(NPO)「緑の地球ネットワーク」副代表や日朝国交正常化の早期実現を求める市民連帯・大阪共同代表、大阪中国人強制連行受難者追悼実行委員会事務局長、南大阪朝鮮初級学校アプトハムケ代表などを担われ、アジアの旅のガイド、近畿各地での講演などと精力的に活動されています。

 ぜひ、お集まりください。Photo

  学習会要項

【日時】 6月20日(日)午後2時~

【会場】 田中機械ホール          (大阪市港区南市岡3-6-26)

【会費】 500円(資料代)

【問合せ先】 大阪の海と空を戦争に使わせない会 / 大阪市港区磯路2-3-9 / 電話 050-3676-3870

   

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2010年6月16日 (水)

「淡路の空を守る会」が関空会社と空港事務所に申し入れ

10615

 昨日6月15日、「淡路の空を守る会」は永井代表、安藤事務局長、I 事務局員の3名で2年ぶりに関空会社と国土交通省空港事務所を訪れ、「関空を軍事空港にしてはならない」「淡路上空の迷惑飛行を早期に改善せよ」などの申し入れを行いました。

 軍事空港問題では、大阪府橋下知事を筆頭とする「関空を普天間の代替えに」との許しがたい動きについて、関空会社と空港事務所の考えを確認。「関空は平和空港としてこれからも存在する」ことを両者とも表明。橋下知事の発言に対しては「関空会社の意向も聞かずに勝手にしゃべっている」との不快感を示していました。しかし、「もし国から軍事使用を指示されたら、どうするのか」との質問には、「その時は慎重に協議したい」と表明し、国に抵抗する姿勢はありませんでしたが、以前に表明した「国の指示に従う」との姿勢から多少は改善された印象を持ちました。10615_2

 迷惑飛行の改善問題では、関空会社は「CAB(国土交通省空港事務所)にお願いする」と消極的で、改善の姿勢が見られません。また、CABは管制官に報告するという他人任せの姿勢に終始していました。

 私たちは、今後も軍事空港にさせない運動を淡路島や大阪湾岸で広めていきたいと思います。また、環境を改善しようとしない関空会社や無責任なCABに対し、粘り強く飛行監視活動と問題飛行の糾弾を続けてゆきます。

        報告 淡路の空を守る会事務局長 安藤眞一

 なお、最初の写真は関空会社での申し入れ行動(正面右が永井代表、左が安藤事務局長)。右下写真は、CABへの申し入れ。

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2010年6月15日 (火)

鈴木幸司さん、安らかに

10614

 昨日、鈴木幸司さんの告別式が、多古町のさくらの宮センターで行われ、関西実行委員会を代表して私が参列してきました。土砂降りの雨にもかかわらず多くの参列者で、次々と椅子が追加されていました。日ごろお目にかかれなかった方々にもお会いできました。

 北原鉱治反対同盟事務局長の弔辞にもありましたが、やはり三里塚の鈴木さんと言えば、シベリア抑留を通した天皇制への怒りと平和への願い、孤立を恐れず闘い抜かれた成田用水阻止闘争ではなかったかと思います。

 今年、韓国併合100年を迎えますが、朝鮮半島への侵略、土地収奪と農民収奪は、1920年前後の間島への「三光作戦」とも言うべき襲撃と略奪、虐殺に象徴される中国東北部への軍事侵攻、そして満州支配を生み出していったのです。それに伴う朝鮮、中国人民の反日武装の闘いに対する軍事支配が日本軍によって行われていた中に鈴木さんは派兵されていました。そして敗戦。ロシア共産党、スターリン主義による日本軍のシベリア抑留、強制労働は言語を絶する過酷なものだったようです。それは、日本軍の持つ非人道的な階級支配とそれへの恨みによるひずみも合わせ、抑留されていた日本人社会の中に想像を絶するような残酷な地獄絵を帰国時を含めて生み出したと言われています(最近、岩波新書で「シベリア抑留」が出版され、詳述されています)。

 鈴木さんは、零下30度まで働かされ指を失なわれたことを言葉少なに語られた上で、昭和天皇の責任を厳しく問い、二度とあのような侵略戦争を許してはならないと、国策としての成田空港建設に反対した自らの原点を語られます。鈴木加代子さんも言われていますが、こうした中国侵略とシベリア抑留の中で体験されたことを鈴木さんのご生前に詳しくお聞きすることが出来なかったことを本当に残念に思います。

 20083 1984年ごろ「3・8分裂」攻撃と表裏一体のものとして成田用水攻撃がありました。用水事業は本来は農水省の管轄であるものが、成田用水では、国土交通省の予算が使われ、補助率も通常の15%も高い95%というものです。このことは、水はけが悪く農民の最大の願いであった用水事業を餌に、当時三里塚闘争の最強の部落と言われた菱田・辺田地区に成田空港反対闘争を分断する攻撃としてかけられたものであることが明らかです。「3・8分裂」がそうであったように、これもまた条件闘争への転落への誘い水だったのです。これに対し、「たとえ一軒になっても敷地内反対同盟を裏切れない」と鈴木幸司さんは孤立を恐れず成田用水反対闘争に決起されたのです。

 その決起の深刻さは、今日、鈴木さんが住む中郷部落が、鈴木さん家族を除いて用水賛成に回り、結局、部落を移転する誘いに応じてしまい、その田んぼを成田空港会社にすべて売り渡したことに示されています。その中に、鈴木さん宅と田んぼが残っているために、地域を巨大な運輸基地にする構想がとん挫してしまい、その利権にあずかれない元住んでいた住民から今も「村八分」のような扱いを受けておられるという厳しい日常があります。農業という、本来地域社会の共同作業がなければ成り立ちにくい現実をも背負いながら、なお今も市東さんや萩原さんとともに闘い抜いておられる鈴木幸司さんはじめご家族の闘いの凄さがここにあります。この用水闘争の最中に「嫁」として来られた加代子さんが、今や反対同盟を代表する「おっかあ」になっておられるのもこの幸司さんの闘いがあってこそなのです。

 一昨年秋に病に倒れて以降、幸司さんはその頑強な体力を武器に必死で闘いを続けられました。(看病、介護する加代子さんの大変さは、それゆえに倍加されましたが。) 今から10数年前のことですが、反対同盟の皆さんと夜が更けるまで大いに飲んだ折の事です。12時近くなっていたと思います。したたか酩酊していた私に、幸司さんが「おい。今からボウリングに行こうか」と声をかけられたのです。もちろん幸司さんも大いに飲んでおられました。驚いた私は、畳に頭を着けるようにお詫びし、勘弁してもらいました。幸司さんは、その晩、3時ごろまでボーリングをされたそうです。その当時でも、だいたい170ぐらいのアベレージだったそうですから驚いたものです。

 この凄いとしかいいようのない強靭な体力を持って、シベリア抑留を生き抜き、三里塚闘争44年を、節を曲げることなく原則をつらぬき、「闘えば勝利する」と言い続けてこられた鈴木幸司さんでした。心からご冥福をお祈り申し上げます。

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2010年6月12日 (土)

鈴木幸司さんご逝去

20083 三里塚反対同盟の実役を長く務められてきた鈴木幸司さんが、今朝未明1時50分頃、ご逝去されました。享年86歳です。
お通夜は、6月13日午後6時から。告別式は、6月14日12時半から。いずれも、多古・さくらの宮ホール。(
住所・香取郡多古町多古3572ー8 電話0479ー76ー4187)

 喪主は鈴木謙太郎さんです。

 心からご冥福をお祈りいたします。

 左写真は、2008年3月の三里塚全国集会で、開会挨拶をされる故鈴木幸司さんです。

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2010年6月10日 (木)

監視台から

監視台から
今朝から新たに関西の5人が援農に入ってくれました。昨日と変わって快晴の空の下、少し暑いですが気持ちいい援農です。
私は午前中鈴木さんのところで草取りをしてから、昨日に続いて、市東さんの前にある監視台で監視活動をしています。
南からどんどん着陸機がおりています。ジャンボ機もおりてきます。第3誘導路など必要ないのだ。団結街道閉鎖と第3誘導路建設は市東さんの営農を破壊し叩きだそうとするもの以外のなにものでもない。断じてゆるされません。
しかし、への字のところで、しょっちゅう2機から4機がたまっています。正に世界に例をみない欠陥空港だ。
援農と監視台での活動を明日までやって、明後日には、産直交流会、じゃがいも掘り大会に参加して関西に帰ります。

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2010年6月 8日 (火)

全員奪還

残っていた現闘も奪還されました。空港会社と権力は、市東さんの単独決起に震え上がりながら、市東さんを不当に逮捕したことをきっかけに団結街頭閉鎖にこぎつけようと、反対同盟への攻撃に姑息にも出ようとし、萩原富夫さん逮捕の挙にでた。しかし、これらの攻撃は、囚われた3人の黙秘の闘いと現地の反対同盟と我々支援の必死の闘いと営農によってことごとく粉砕された。彼らにはこの弾圧によって得たものは何もない。反対同盟はじめ我々にはこの不当弾圧に怒る広範な拡がりを背景にした勝利に向けた新たな確信が、市東さんの農地を守り第3誘導路を絶対にゆるさない、開拓道路の閉鎖など断じて許さない闘いの勝利の確信としてかちとられた。6・27集会に総決起しよう!

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市東さん奪還

市東さん奪還
先程、市東さんが昼ころ出られるという連絡が入りました。
今日は、萩原さんのところで援農、秋の芋掘り大会に使われる芋の苗の植え付けをしていましたが、気が気ではありませんでしたが、みんなで喜びながらのおやつの時間です。
写真は植え付けをする萩原さんです。

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2010年6月 7日 (月)

反対同盟が記者会見

反対同盟が記者会見
今日、午後4時半から成田市役所記者クラブで三里塚反対同盟と弁護団が怒りの記者会見を開いた。そもそも17日の空港会社による団結街頭閉鎖の立て看板が違法であること。それへの市東さんの怒りの鉄槌は、犯罪などではなく関係住民としての当然の権利行使であった。警察自身が当日の夜、追及に任意同行でよかったと認めたように、逮捕自体が違法であり権力の乱用である。加えて行われた勾留と勾留延長は、断じてゆるされない違法行為である。そこには市東さんを潰す、反対運動をつぶすという悪質な空港会社、検察、裁判所一体の非道しかない。市東さんへのこのような不当、卑劣な行為に加えて、万一、明日起訴がおこなわれるなら三里塚闘争の新たな怒りの爆発を必ず招くことを、空港会社をはじめとした連中は思い知ることになる。
弁護団と北原事務局長、萩原事務局次長から火の出るような激しい怒りの記者会見になりました。
写真は記者会見の様子です。
みなさん。6・27三里塚現地に決起し、市東さんを先頭にした反対同盟のこの怒りに応えよう!

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援農です

援農です
今日も、今のところ何もおこっていません。萩原さんのところで援農です。まず市東さんの家の南側の開拓道路沿いにある畑で玉ねぎの収穫。わたしが引き抜いてきた玉ねぎを進さんが切り揃えて量っていきます。2本の列で150キロを収穫。40列以上あるので3トンはあることに。これをすべて6月27日までに終えて集会に備えるのです。ここが今度の6・27集会の会場です。集会一つするにも大変な準備がいるのです。
そのあと、今度は空豆の収穫でした。さすがに腰にきています。しかし、なんとか昼食です。ほっ。
最初の写真は玉ねぎを収穫して一輪車に載せたところで、中央で進さんが作業をしておられます。ここは、古い誘導路のすぐ横で、凄い頻度で航空機が通っていきます。ちょうど進さんと話していると、目の前で、着陸に失敗した航空機が爆音をひびかせながら急上昇していきます。やっぱり欠陥空港だ。

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2010年6月 6日 (日)

草取り

草取り
今日は、鈴木さんのところで援農に入りました。ニンジン畑の草取りです。加代子さんの指揮で現闘さんと私を含め支援が3人。快晴の空のもと気持ちがいい。ほんとにのどかで平和です。加代子さんに三浦吾郎さんのおもいでを聞かせてもらったりしながらの作業です。今日も北風で着陸機がひっきりなしに上空を通過していく。その都度会話が途切れる。
最初の写真が作業の途中で中央が加代子さんです。明後日で市東さんの勾留期限が切れます。その意味で明日にむけ、現地では緊張がたかまっています。

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2010年6月 5日 (土)

今、監視台

今、監視台
今、団結街頭の監視台にいます。北風でほんとに1分か2分に一機爆音をひびかせながら降りてきます。への字手前に常に2機がいるという状態で、そのうるさいこと。先月末からここにつめてくれている若い全学連の学生さんも今日は酷いとおどろいている。島村さんや鈴木さんが大変だというのがよくわかる。市東さんの家の間近に第3誘導路がくればそれこそ凄いことに。思いを新たにしながら、眺めています。写真は、監視台の横の看板のところを通るジャンボ機。

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激励行動

激励行動
今、成田警察署に反対同盟の宣伝カーで市東さんの激励に昨日奪還した萩原富夫さんと一緒に来ています。反対する会からも来ておられます。こんな不当な弾圧がゆるせるか!

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2010年6月 4日 (金)

今富夫さんがかえってきました

今富夫さんがかえってきました
今富夫さんがかえってきました。握手しましたが、ほんとに元気です。
今日は、朝一番はスナックエンドウ豆の収穫。そのあと現闘さんたち3人と萩原さんはカボチャの植え付けをしていて、あまった私は草取り。なぜかしそと玉ねぎが共生している畑の雑草とりです。最初の写真ですが、苦戦の様子がわかるかな?この最中に、富夫さん釈放の一報が入ったのです。これからもう一仕事してから出荷作業です。

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富夫さん奪還

今、萩原さんの畑にいますが、富夫さんが、不起訴で釈放されたとの一報かはいりました。

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2010年6月 3日 (木)

萩原富夫さんは元気です

萩原富夫さんは元気です
先ほど、萩原富夫さんの勾留理由開示公判が開かれました。千葉地裁でも名うての反動裁判長は、弁護団の求釈明に対して勾留理由の文章に書いている通りで釈明の必要はないと何も答えないばかりか、弁護団に意見を早く言いなさいと終わろうとする意思を露骨に示す。傍聴席からと富夫さん本人が抗議を叩きつけた。傍聴席の半数近くが暴力的に退廷させられた。富夫さんは笑顔をみせながら出廷し元気そうでした。しかし、私たちの激励行動を恐れた権力は、あっという間に裁判所から連れ出していきました。最初の写真は、公判後の報告会で、市東さんといい、富夫さんといい、赦しがたいでっち上げであり、反対同盟へのかってない攻撃だと弁護団から口々に批判がされました。警部大網に二度両手でついて暴行したとされるが、私はその一部始終を見ていた。富夫さんは確かに厳しくつめより抗議していたが、手を出すどころかあっという間に機動隊に囲まれ持っていかれたのだ。
北原さんと萩原進さんから、6月27日の闘いへの結集の訴えがあり終わりました。
今、三里塚に同盟のみなさんと向かっていますが、今のところ何もおこっていません。

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2010年6月 1日 (火)

団結街道閉鎖攻撃を断じて許すな!

Photo  成田市は、暫定滑走路の第3誘導路建設を前提にした団結街道の成田空港会社NAAへの売却を強行し、NAAは直ちに閉鎖を行おうという動きが始まっています。

 この攻撃のデタラメさは、この17日、NAAが団結街道のS字部分(写真の北側)を閉鎖しようと3本の「私有地につき迂回してください」という看板を立てようとして、市東孝雄さん独りの実力決起で粉砕され、今も日に150台の車が通行する状態が維持されていることにも示されています。

 そしてそのデタラメさゆえに、この攻撃を続け、あわよくば市東さんの屈服を迫ろうと、何の法的な根拠もなく市東さんの勾留をすでに2週間以上も続けています。断じて許されません。市東さんはこれに屈することなく「自分は元気です。頑張りますから、皆さんも頑張ってください。これで俺たちが本気だということを空港会社に知らしめることが出来た」とメッセージを私たちに発し、完全黙秘の闘いを今も続けておられます。

 そもそも日に何度も市東さんが営農のために使い、一般の車両が日に150台も通る生活道路を、空港拡張のために一方的に閉鎖することなど法的にも許されるはずがありません。たとえ「市道」でなかろうと、「私有地」だからと閉鎖することなど許されるはずがありません。

 すでに暫定滑走路がこの3月28日から着陸専用に使われることで、島村さんをはじめとした東峰地区住民、そして菱田の鈴木さん宅は、1~2分に1機という頻度の着陸機(年間7割が北風でこうなる)の轟音によって耐えがたい生活を強いられています。これは、それまでとは全く異質な深刻な事態となっています。この上、市東さんの住居と畑を空港の中に閉じ込める、そして暫定滑走路の機能を強化するための第3誘導路建設などどうして許されるでしょうか。この点でも、第3誘導路建設のために強行される団結街道の閉鎖は許されるものではありません。

 「国策」だからとただただ三里塚反対同盟の破壊と三里塚闘争の解体を狙った攻撃でしかない、団結街道の閉鎖攻撃はいかなる意味においても不正義であり、粉砕しなければなりません。反対同盟ブログ、あるいは「市東さんの農地取り上げに反対する会」のブログは、現地への決起を訴えておられます(当ブログ左側の「関連ブログ」をクリックしていただければそれぞれに入れます)。

 明後日3日には、午後1時から千葉地裁で萩原富夫さんの不当逮捕、勾留についての「勾留理由開示公判」が開かれます。これも大事です。関西実行委員会では、この裁判傍聴を皮切りに現地に入り、闘いに臨むとともに皆さんに発信を続けます。昨日には関西合同労組への破壊攻撃とも言える弾圧も始まりましたが、こうした攻撃をもはね返し、団結街道閉鎖攻撃を許さず、現地の実力闘争に決起しよう! この闘いを通して、沖縄における普天間基地撤去、辺野古新基地建設絶対阻止の闘いに連帯していきましょう!

 そして6月27日、三里塚現地における「不当逮捕弾劾! 団結街道封鎖阻止、第3誘導路建設粉砕!」の緊急全国集会に集まろう!(詳細は別途)

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関西合同労組Nさんへの不当弾圧弾劾!

10531_2  関西合同労組に対して、7か所の不当家宅捜索と、「暴処法」(暴力行為等処罰法)なるデッチあげで不当逮捕するという弾圧が、昨日31日、大阪府警によって行われました。三里塚を共に闘う仲間へのこの不当弾圧を私たちは許しません。今後、関西合同労組より、抗議先などの訴えがあると思いますので、みなさん注目してください。

 以下は、関西合同労組のホームページ(http://kansaigodo.no-ip.org/main/)よりの転載です。

N組合員の不当逮捕弾劾! 「暴処法」はデッチあげだ! 7ヶ所不当家宅捜索弾劾! 大阪府警はただちに釈放しろ!

 5月31日朝、大阪府警はN組合員を「暴処法」なるデッチ上げで不当逮捕し、組合本部事務所など7ヶ所に対する不当ガサをおこなった。N君は労働相談を先頭で闘っている組合員です! 絶対許せません! 関西合同労組は大阪府警・兵庫県警のデッチあげ弾圧を徹底的に糾弾し、絶対に粉砕する!

 写真は、組合本部事務所を家宅捜索する兵庫県警7名。責任者以外は全員マスクで顔を隠している。

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