三里塚と沖縄
6月27日、三里塚の「全国結集大闘争」の基調報告の中で、萩原進さんは、慎重に言葉を選びながら「『三里塚のようにたたかう』という言葉をもちこもうとするのではなく『三里塚と一緒にやろう』と言っていきたい」と語りかけられました。この萩原さんの言葉には、これまでの各地の住民運動や市民運動に対して「三里塚のようになったらだめだ」と行政や国家権力による懐柔策として語られたことと、三里塚闘争の中での裏切り、分裂といった歴史的経緯を背景とした日本共産党などによる「三里塚のようになったらだめだ、話し合いで平和的解決を」「非武装で」という戦術論議として語られてきていることが背景にあります。
そして萩原さんは、4・25沖縄県民大会での経験を踏まえ、「ああいう闘いをこの三里塚でも再び実現するために、各地での市東さん、三里塚を巡る論議の広がりを背景とした、三里塚現地への結集運動が求められている」と語られました。そして「三里塚と一緒にやる」ことが実現される時、「三里塚のように闘うことが、おのずと各地の運動の中に生まれてくる」とも。(上写真は、4・25県民大会。右写真は、その県民大会中央に陣取る左から市東、萩原、永井、山本各氏の談笑の様子。)
沖縄、徳之島、岩国、厚木などの日米安保体制、米軍再編と闘うそれぞれの闘い、あるいは福井や山口など各地の反核、反原発の闘い、さらには在日外国人に対する差別や部落差別、障害者差別などとの闘いなど、その歴史的経緯の違いから、若干の人的交流があるとしても簡単には「三里塚といっしょに」となる状況にはありません。何を萩原さんが提起されているのかを、私たちはしっかりと考え、学ばなければならないのではないでしょうか。それぞれを個々に見ていくことは、ここでは不可能ですので、今日の政治的焦点となっている沖縄とのかかわりについて少し考えたいと思います。
沖縄の闘い
沖縄の闘いは、昨年8月30日の衆議院選挙、11・8県民集会、そして1・24名護市長選挙、4・25県民大会の過程を見て判るように、「基地撤去」を最大のスローガンとしつつ、明らかにそれまでの闘いと質が異なり、確実に「民意」を日米両政府につきつけ、ある意味で自信を持って進んでいます。「初めて全県一致の流れが生まれた」とも言われ、9月名護市議選、11月県知事選に向かってすでに厳しいですが、確実に勝利を求め、「民意」の実現を求めて前進しています。
先日のある沖縄をめぐる集会が「沖縄を北朝鮮侵略の出撃拠点にするな」という言葉を集会のメインスローガンに掲げているのを知り、驚きました。実は、6・27三里塚緊急闘争を呼びかけるについても「朝鮮半島情勢が緊迫するなか、成田空港軍事化がますます切迫しています」とありましたが、果たしてそうなのでしょうか。鳩山が「県外移設・国外移設」の公約を放棄する最大の根拠としたのが「抑止力の必要」でした。この「北朝鮮侵略の出撃拠点」という論議は、ものの見事にこの鳩山の「抑止力」論議の裏表とはなってはいないでしょうか。「抑止力」論議は虚構でしかありません。詳しく論じるのは別の機会にしたいと思いますが、我々の戦列の中で、一部とはいえこうした虚構の論議に引きずり込まれていることは、残念でなりません。
先日、ひめゆりの塔の近くにある魂魄の塔で開かれた「6・23国際連帯沖縄反戦集会」(左写真)で、「法の下の平等から、もうヤマトのみなさんが基地を引き受けるべきだ。安保をヤマトで引き受けるべきだ」という意見が、宜野湾の市民を代表して語られました。橋下大阪府知事に好感を持つ人が沖縄におられるとも聞きますが、こうした主張なのでしょう。しかし、明らかに会場は、この提起に(代表的な発言でしたから)違和感を持った空気が流れ、小さな声でヤジもあり、司会者は「色々な考えがあることをみとめましょう」とわざわざ異例のコメントを挟み、発言者の仲間から抗議の声が起こるという一幕がありました。横におられた知花昌一さんが「移設を認めたら基地を認めることになる。基地撤去だ!」と声を上げられました。
この3月22日、普天間基地の前で開かれた60人規模の集会で、「これで普天間に戻るしかないだろう。それはチャンスだ。もう県民は黙っていない。普天間なら3か所のゲートを座り込みで閉鎖すれば、米軍は出ていくしかない。アメリカに持って帰るしかない」と明快に語っておられました。
今、沖縄は「もう我慢がならない」という強烈な意志でまとまりつつあります。4・25集会が驚くほど静かだったと言われ、私もそれを感じましたが、この知花さんや普天間での発言に示されるように、もう沖縄は一線を明らかに超えて、基地撤去への歩みを確実に歩み出しているのです。それが静けさを生んだのではないでしょうか。そして、名護市長選挙をめぐる過程に示されたように、民主主義の町ぐるみの形成、新たな街づくりへの道を歩み始めています。「振興策」による町の分断によって一昨年あたり、おじい、おばあが、辺野古のテントに出てこなくなった状況が一時期ありましたが、稲嶺市政の誕生以降、テントには嘉陽のおじいをはじめ、おじい、おばあが必ず元気な顔を出しておられます。この沖縄県民の歩みこそ、非妥協の、座り込みの実力闘争を自信を持って展開しているということではないでしょうか。(右上写真は、キャンプシュワブ前での座り込み。10.6.24)
そしてこの闘いを中心にになっておられる方々の多くが、この2年、三里塚との交流を心がけられ、私が沖縄現地を繰り返し訪れることが出来る根拠ともなっています。それには、萩原進さん、市東孝雄さんが、これまで2度の沖縄訪問を実現し、こうした皆さんとの熱い交流をされてきたことが大きな基礎となっています。そして名護市長選の歴史的勝利と、その後の稲嶺進市長の奮闘は、9月名護市議選、11月沖縄県知事選への大きな流れを確実に生み出しつつあります。
他方、昨年来の天神峰現闘本部裁判闘争の半年以上の激闘から、この3月からの団結街道、第3誘導路を巡る闘いの中で市東孝雄さんの果たした決起の役割の大きさは筆舌に尽くし難いものがあります。その市東さんにとって、昨年5月の沖縄訪問にまして、今年の4・25沖縄県民大会の経験の大きさがあることは、ご本人の幾つかのお話からも明らかです。(左写真は、4・25県民大会で、同盟旗を手から離そうとしないで、同盟の用意したビラをまく市東さん。)
もちろんまだまだ不十分でしょう。しかし、確実に道はつき始めています。この事を指して、萩原さんは「三里塚と一緒にやろうと呼びかけて行くのだ」と言っておられるのです。
徳之島の皆さんも、岩国のみなさんも、「もう我慢ならない」と決起を開始しておられます。「安保条約が憲法の上にあるような人権侵害は許されない」と。そこには現下の「日米同盟」を軸に進めようとする政権とは絶対非妥協の方向性が確実に形成され始めています。
明日は、先日亡くなられた鈴木幸司さんとおつれあいのいとさんが争われている「一坪裁判」が午前10時半から千葉地裁であります。それに先立って9時半より、反対同盟と弁護団によって、団結街道閉鎖に対する執行停止を求める行政訴訟の提訴、裁判後には記者会見が予定されています。出かけられる人は、でかけましょう。私は夜のバスで出かけます。
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