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2010年5月31日 (月)

排外主義を許さない 5・30関西集会

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 昨日、5月30日、快晴の大阪・扇町公園で「在特会」「主権回復を目指す会」らの暴力を許さない街頭行動として、「排外主義を許さない 5・30関西集会」とデモが、1050名の結集のもとに闘い抜かれました。

 10530_3 主催者挨拶に立った関西生コン支部副委員長の高英男さん(右写真)は、「差別や排外主義による暴力を許す国にしてはならない」「彼ら『在特会』の道は過去の誤った戦争への道に再び進もうとしている」として「露骨な外国人差別、排外主義をやっていることに真っ向から闘う勢力が結集した」とこの日の闘いの意義と方向を明確に示された。

 集会は、それぞれ「在特会」や「主権回復を目指す会」によって暴力的な襲撃を受けながら断固として自らの闘いを推し進めておられる各団体から、怒りの報告と闘う意志が表明されました。

 在日本朝鮮人総連合会大阪本部国際統一部長の朴営致さん、朝鮮学校を支える会・京滋・「共同アピール運動」から、徳島県教職員組合委員長の小原伸二さん、旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画・京都の代表から、水曜デモからアピールと歌、カトリック正義と平和協議会の松浦司教のメッセージが三木仁彦さんから代読され、東西本願寺を結ぶ非戦・平和共同の代表から、そして宝塚市議の大島淡紅子さんから。10530_5

 そして迫る参議院選挙において社民党から立候補予定の大川朗子さんから、この日、全国幹事会で社民党として政権離脱に向けた会議が開かれていることへの想いと報告、そして差別・排外主義を許さない連帯の挨拶が、また、主催者を代表してまとめの挨拶をかねて、全港湾関西地本大阪支部委員長の大野進さんから挨拶が行われました。600を超える個人、団体の賛同のもとにこの集会が開かれたことを確認し、集会宣言が読み上げられ採択されました(「10.5.30集会宣言.pdf」をダウンロード)。10530_7

 さあ、デモに出発です(左上写真)。

  沿道の市民に元気いっぱい呼びかけます。「差別・排外主義を許すな!」「在特会の暴力を許さないぞ!」「やつらを通すな!」などと。

 この日、集会破壊を企んだ「在特会」は、10人足らずで、デモ途中の交差点に現われましたが(右写真)、デモの怒りのシュプレヒコールが彼らを圧倒したことは言うまでもありません。

 しかし、久しぶりに初夏らしい暑い一日でした。

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2010年5月29日 (土)

今週の産直野菜(5月29日)

10529  今週の産直野菜が、さきほど三里塚から届きました。

 そら豆、ほうれん草、春キャベツ、カブ、サニーレタス、スナックエンドウ、玉レタス、エシャロットの8品です。

 そら豆は、先日25日、市東さんの勾留理由開示公判の時、午前中の出荷作業の後、畑を見ていたらありました(右下写真)。萩原さんにお聞きすると、「黒い線が入ってからだから、まだかな」と言っておられたのですが、入ってきました。

 10525 それにしても今回の産直野菜は、収穫から出荷まで、柱の市東孝雄さん、萩原富夫さんお2人と産直に携わっている支援1人が不当に逮捕され、勾留され続けている中での作業で、思わず大変だなぁと荷物を空けながら思いました。

南労会裁判の不当判決に抗議する

 昨日、大阪地裁で南労会の争議に関わる裁判の判決公判があり、原告の港合同南労会支部の訴えを全面棄却する不当判決が下されました。

 港合同南労会支部は、南労会(経営側)と約4億円の賃金未払いについて争っていますが、この裁判は、その中の12回の未払い一時金のうちの一部について、退職者と被解雇者、計21名が総額5千5百万円を請求した裁判です。

 12回の一時金未払いについては、これを不当労働行為と認定した労働委員会命令が行政訴訟においても確定しています。しかし、南労会はこれを履行せず、かたや過料(労働組合法に規定された不履行に対する罪)だけは免れたいとあがいてきました。それが昨年春の団交で経営側が初めて示してきた12回の未払いの一時金の一覧表です。総額が9千万円、本来支払うべき金額1億6千万円の3分の2に過ぎませんが、それに「組合が応じるかどうかだ」としてきたのです。

 この一覧表の中で、退職者と被解雇者の総額は5千5百万円。ところで、労基法23条2項に「使用者は、労働者から請求があれば、退職後7日以内に異議のない部分を支払わなければならない」とあります。組合側は、これに基づいて、退職者・被解雇者21名が原告となって、5千5百万円を双方が「異議ない部分」とみなして、支払いを求める裁判を起こしたのです。

 ところが、経営側は裁判の途中で、この提示した金額は「たたき台」であって変わりうるという事実に反する主張を展開してきました。裁判所は、この労基法の条項についての判例がないことからか、この経営者側の主張を取り入れ原告敗訴の判決を下したと思われます(判決文が入手されていなかったので)。本当に許されません。1014

 南労会は診療報酬を全額債権譲渡するなど、危機的な経営を行っており、争議に対する解決能力も金もありません。主力銀行である三菱東京UFJ銀行の管理下にあります。違法な不当労働行為を続ける南労会の問題の責任は、今や三菱東京UFJ銀行にあります。(左写真は、今年、1月4日の三菱東京UFJ銀行に対する申し入れの折の抗議のデモ。)

 公判の後の報告で、小松委員長代行は「運動の中で、これから変えて行く」と怒りを抑えながら想いを語られました。

 三里塚での裁判所のあまりに不当な国家権力の側に立った立て続く判断に怒りを覚えるものですが、この日の当然勝利すると確信していた裁判での裁判所の理不尽きわまる決定に、思わず「裁判所て、一体、何なのだ!」と腹の底からの怒りを覚えました。

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2010年5月28日 (金)

市東さんへの新たな勾留延長の攻撃弾劾!

Photo  先ほど反対同盟ブログに、市東孝雄さんへのさらに10日間の勾留延長の決定が行われたという記事が掲載されました。千葉地裁、地検、国家権力によるただただ弾圧を目的にしたこのような不当な決定は到底い許されない。怒りを込め弾劾する!

 すでに昨日の当ブログの記事で明らかにしているように、市東さんを勾留する根拠は「証拠隠滅」か「逃亡のおそれ」でしかない。しかし、そんなものが成立しないことは、25日の勾留理由開示公判で一点の曇りもなく明らかにされた。にもかかわらず、本日、千葉地検が勾留延長を請求し、地裁が延長決定を行ったのは、一昨日の萩原富夫さんに対する10日間の勾留決定と同様、ただただ市東さんを屈服させたいという願望のもとでだされた卑劣な政治的決定以外の何ものでもない。

 しかし、こうした卑劣な願望のもとでの攻撃をかけざるをえないほどに、国家権力、空港会社が成田空港政策において追い詰められているからに他ならない。それは沖縄県民、名護市民のあれほどの決定的な反対の前になお、日米両政府の合意を振りかざして辺野古新基地建設を推し進めようとするものと、全く同じだ!

 市東孝雄さん、萩原富夫さんはこのような卑劣、愚弄きわまる攻撃に屈するはずもない。また三里塚反対同盟がこの破壊攻撃にひるむはずもない。ここにおいてすでに彼ら国家権力のこの卑劣な攻撃は完全に破産している。

 だとしても、こんなことが白昼公然と行われたことに対して、萩原進事務局次長が明言したごとく、私たちは、「のしを付けて返し」てやらなければならない。それは三里塚現地を軸にした実力闘争の爆発、農地死守の闘い以外にはない。今、国家権力は、そのことを最も恐れている。断固として突きつけてやろうではありませんか!

 直ちに抗議の嵐を、成田署、千葉県警に集中させよう!

【抗議先】成田署 0476-27-0110 / 千葉県警 043-201-0110 千葉市中央区長洲1-9-1

 

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2010年5月27日 (木)

援農と勾留理由開示公判 (5月25日)

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 5月25日、前日の公聴会粉砕闘争に続いて市東さんと支援の勾留延長理由開示公判が開かれるので、現地に残りました。前日の雨とうってかわった快晴。萩原さんに電話で尋ねると、当然のように朝から農作業があり、その後、産直の出荷をしてから裁判に行くと言われる。慌てて萩原さん宅に送ってもらい、ズボンや長靴などを借りて援農スタイルに。10525_2

 先週金曜に収穫の終わったキャベツの畑(清水の畑)で、キャベツをひっこ抜いて落花生を植えることが出来るようにするのだそうです。「富夫さんがいない分お手伝いしないと」と思い畑に向かう。裁判で仕事を休まれた同盟員の伊藤信晴さんも来られ、現地支援の皆さん3人と。萩原さんはすでに始めておられた。鎌をキャベツの根の下に突き刺して引っこ抜くのですが、なかなかうまくいかずにキャベツが切れてしまい笑われる。そのうち慣れてきたのですが、足許が柔らかい土の上で踏ん張るので、力がいる。写真の右側がキャベツが残っているところ。左側が、萩原さんがトラクターで掘り返されたところ。写真でも萩原さんが、キャベツを抜いたところをトラクターで掘り返している。後はきれいに。トラクターって凄いなぁと思わず見とれる。ほぼ1時間。最後はふらふらに。2日経った今も足腰、腕が痛いです。

 終わってから、一休みしてお茶を。そして出荷作業です。私はスナックエンドウを入れて行く担当。そして終わって片付けを手伝って、昼食。着替えて、萩原さんなどと一緒に乗せていただいて千葉地裁に。10人近い「市東さんの農地取り上げに反対する会」の皆さんを始め100人近い人が駆けつけている。何と、傍聴席は16人分しかないとのこと。裁判所の中に私服警官がうろうろ。しかも法廷前にはものものしい廷吏の数。荷物持ち込み禁止、携帯電話は預かる。その上金属探知機で身体検査。思わず「なんじゃ、これ」と思う。その上、法廷の前で10分以上待たされてやっと入ったら、市東さんと支援の人がもう被告席に着いて、思わず声をかける。裁判長も席に。(法廷の中では写真が撮れないのがほんとに残念!)10525_3

 法廷では約2時間、弁護士の皆さん(4人)が、非常に判り易く勾留理由を尋ねられた。しかし、遠藤裁判長は、ほとんど答える必要はないと拒否。葉山弁護士から、そもそも「器物損壊」されたという看板そのものが、NAAごとき民間企業が勝手に「私有地だから迂回してください」などと看板を立てること自体が道交法などに違反した違法物件であり、この事案はそもそも犯罪を構成していないのだということを指摘した。一瀬弁護士や浅野弁護士からも、繰り返しどういう看板だったと認識しているのかと問われるが答えない。警察が証拠物件として関係ない2枚を含めて3枚の看板全てを撤去して、現場には何も残っておらず、今日の段階でも自由に車が行き来しているということが、この看板の違法性を示していると喝破されても沈黙。当然にも傍聴席は最初から「裁判長!答えろ!」などの怒りの弾劾が行われた。開廷された直後に反対同盟の太郎良さんほか2人が暴力的に退廷させられたのに続いて、萩原さん、鈴木加代子さん、支援がもう1人と6人も退廷。16人のうち10人しか残らない。傍聴を求めて100人もの人が来ているのだから空いた席に入れろと言っただけで退廷ですから。10525_4

 勾留の理由とされた「証拠隠滅のおそれ」については、すでに現場から警察がほとんどのものをもちかえり、この程度の事件で何が「おそれ」なのかと追及。なんと「関係者と・・・」言う。「関係者」とは反対同盟の市東さんが警察や空港会社と話し合って証拠隠滅を図るということらしい。何という理由か!また、「逃亡のおそれ」については、わずか1万6千円程度の「罪」だからと、市東さんが逃亡すると言うのか! 農地死守、何があっても農地を守り、天神峰にとどまると市東さんが闘っているのは全国に知れ渡っていることだと怒りを込め一瀬弁護士が明らかにし、裁判長は三里塚闘争そのもの、この事案が起こった背景というものを認識しているのかと断罪。しかし、遠藤裁判長は沈黙。

 しかし、鈴木加代子さんを退廷させたあたりから、裁判長は終始下を向き、あるいは不安げに周りを見回す。そして傍聴席からの怒りの声にも最初の居丈高な態度は何処へやら、指差すものの「退廷」とは叫ぶことが出来ない。明らかに弁護団と傍聴席に圧倒されている。「検察官の言われるまま、手先になっているのか!」という指弾にも下を向くだけ。しかし、自らの犯罪的な役割にしがみついて法廷を進めた。本当に怒りが沸き起こる。市東さんと支援が、最後に「何か言いたいことがあるか」と言う裁判長の誘いに対し怒りを込め「完全黙秘」を貫かれた。しかし、何のための「勾留理由開示公判」なのかという怒りが沸いてくる!それにしても、2時間叫び続けながら退廷させられなかった私は、何となく「かっこ悪い?」と思わず思えるこの裁判は何なのだ!

 閉廷後、残れる人は裁判所の裏口に集合。出てくる市東さんと支援を待った。異常な警備の状態で出てくるのがわかる。来た!来た! 警備の制止を吹き飛ばして車を取り囲み窓や車体を叩き、私たちからは見えないが彼らからは見える。手を上げ、手をたたき激励。3枚目(左)の写真が支援、4枚目(右)の写真が、市東さんが乗っていた模様。私は写真を撮るのに必死で近づけず。10525_5

 しばらく廷吏たちともめながら激励を行い、そのあと全体で報告集会を行った。左写真は葉山弁護士が説明しているところ。あと3人の弁護士が報告し、北原さん、萩原さんから挨拶があって、最後に団結ガンバローを行って、散会しました(最初の写真)。

萩原富夫さんへの10日間の勾留決定弾劾! 市東さんと共に直ちに釈放しろ!

 最新の「農家だより」によれば、萩原富夫さんにも10日間の勾留がついた模様。これまた、昨日のブログで報告した通りまったくのでっち上げ、不当逮捕。にもかかわらず、10日間の勾留。ふざけるな! 断じて許されない! 市東さんへの25日の「勾留理由開示公判」で明らかにされたように、全くでたらめな、ありもしない「証拠隠滅と逃亡のおそれ」が理由だろう。しかも、富夫さんは不当な暴力的デモ規制に口頭で抗議していただけではないか。その彼を暴力的に拉致し、逮捕したのは成田署ではないか。断じて許されない! 皆さん! 抗議を集中しよう! 

市東孝雄さんといい、萩原富夫さんといい、これらの不当逮捕と勾留は、ただただ三里塚反対同盟の破壊と三里塚闘争の解体を狙った攻撃だ。直接的には、支援の一人を加え、現地の営農態勢への破壊的な攻撃だ。本当に許せません! みなさん。とりわけ関東のみなさん。一人ずつでもいい。現地の営農への具体的な応援をお願いします。特に、月、火、木、金の出荷のおりの収穫と出荷作業への応援をよろしく。詳しくは現地にお問い合わせください。

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2010年5月26日 (水)

公聴会粉砕! 反対同盟員の不当逮捕弾劾!

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 一昨日、成田国際文化会館で、第3誘導路認可のための手続き、公聴会が開かれた。昨年7月末に供用を開始した第2誘導路は、わずか9カ月足らずでもう使われない運命に。この第3誘導路も、ただただ市東孝雄さんを閉じ込め、叩き出すことを目的に、200億円もかけてつくられるというデタラメなものだ。公聴会に提出された誘導路使用と工事に関する「環境アセスメント」は、空港敷地外の取香部落と東峰十字路について行われているものの、市東さんが住む天神峰や島村さんたちが住む東峰地区は全く無視されている。10524_2 そこには人が住んでいないことになっているのだ。これだけでも、公聴会の不当性、デタラメさが示されており、粉砕の対象でしかない。

 この日の午後2時、雨の中、東峰の開拓道路に100名ほどのみなさんが集まり(最初の写真)、公聴会粉砕に向けた打ち合わせ(集会)が開かれた。挨拶に立たれた北原鉱治事務局長は、先ず市東さんの不当逮捕を弾劾された上で、「まだ決着はついていない」「『皆さん頑張ってください』という市東さんの叫びを受け止めよう」「彼を囲い込み、叩き出すための第3誘導路、公聴会を粉砕しよう。NAAは人殺しをはじめようとしているのだ」と提起された。10524_3 動労千葉、そして関西実行委員会を代表して私から決意が述べられた上で、直ちに会場近くの成田市の河原に移動。

 デモ態勢を整えて、反対同盟を先頭にデモに出発(左写真)。会場の国際文化会館に向けて怒りのシュプレヒコールを上げながら、会場方向に向かった。10524_5

 残念ながら会場前の道路が狭いため手前で右折しなければならなかったが、会場に向けて怒りを叩きつけた。(右写真左上側の白い建物が成田国際文化会館)

 その後、最近では珍しいほどの機動隊の並進規制によるデモ規制が行われた。挑発的なデモ規制に各所で抗議が行われた。腹にすえかねた萩原富夫さんが厳しい形相で機動隊員に抗議を行っていたところ、10524_6 突然5~6人の機動隊員が富夫さんを取り囲み、抱えるようにして反対車線の歩道に拉致した(左写真・中央に富夫さんが見える)。そして路上にねじ伏せ、「公務執行妨害」で不当にも逮捕した(右下写真)。富夫さんは口頭で不当な暴力的規制に抗議していただけだ。明らかな反対同盟破壊を狙った逮捕攻撃であり断じて許されない。10524_7

 この機動隊による暴力的な弾圧にしばらく現場で抗議したあと、デモの解散地点に向かった。そして簡単なアピールが、「集会が届けられていない。直ちに解散しろ」という機動隊の弾圧体制をはね返して、北原事務局長と萩原進事務局次長によって行われた。

 北原事務局長は、富夫さんへの不当逮捕を弾劾した上で、「関係者のいないところで何を話し合うのか」「こうなったらとことん闘うしかない」と怒りを露わにされた。10524_8 萩原事務局次長は、むしろ淡々と「脚本が出来過ぎている」と語られ、5・16の闘争宣言に触れ、市東さんの闘いを振り返り、「200の機動隊の弾圧態勢を向こうにまわし、独りで断固として闘い抜いて全国に訴えた」「(今回の弾圧は)のしを付けて返してやろう」と提起された。そして明日の市東さんの農地法裁判の法廷に市東さんを出させないという検察の弾圧を弾劾して、反対同盟として、「そのような裁判を拒否する」と明らかにされた上で、「全力で勾留理由開示公判に結集してほしい」「『自分は大丈夫だ。本気であることを示した。外の人が頑張ってほしい』との市東さんのメッセージを反対同盟は受け止めて闘い抜く」「5、6月に許し難い攻撃があり、山場を迎えた」と訴えられた。

 富夫さんは現在、千葉西署に勾留されています。抗議と即時釈放を求める手紙や電話、メールを下記の千葉県警本部に送るようにお願いします。

千葉県警本部 千葉市中央区長洲1-9-1  電話 043-201-0110(ファックスは不明)、メールは千葉県警ホームページの「メール受付」(下記)にアクセスして送ってください。 http://www.police.pref.chiba.jp/mail/questionary/ 

 

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2010年5月24日 (月)

写真

2つ前のブログの写真は、分かりにくいですが、デモの反対側の車線の歩道に拉致された富夫さんが寝転がらされて機動隊員5、6人がのしかかって押さえつけ、持ち物を調べている?ところで、路上の白いもののむこうに見えるのが富夫さんの足か、尻です。これ以上近づけませんでした。明日は、萩原さんのところで、出荷作業を手伝ってから、千葉地裁での市東さんの勾留理由開示公判を傍聴します。成田署に抗議を集中させよう!

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のしを付けて返す

今、闘争が終わって現地に向かっています。萩原進さんは、まとめの提起で、この弾圧はのしをつけて返すと怒りを表明された。その上で、明日の農地法裁判に市東さんを出廷させないなら、裁判を弾劾し、法廷を開くことを拒否すると語られた。正に現地は決戦に入っています。全国の三里塚に思いを寄せるみなさん。三里塚に結集しよう!

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萩原富夫さんが不当逮捕

萩原富夫さんが不当逮捕
今、公聴会抗議デモの最中に機動隊の暴行に抗議していた萩原富夫さんが不当に逮捕されました。まだ現場です。成田署に抗議を!

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2010年5月23日 (日)

見直せ!米軍再編 5・23岩国大集会に参加して

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 今日、5月23日、山口県岩国市で、土砂降りの雨の中、4千人が集まって「来るな!艦載機 / いらない!愛宕山米軍住宅 / 連帯しよう!沖縄・全国と  見直せ!米軍再編 5・23岩国大集会」が開かれ、関西から車で駆けつけて参加してきました。あまりの雨音に、録音がほとんど役立たず。簡単に報告します。

 集会は前市長の井原さんを代表に実行委員会で組織されていました。そして集会アピール冒頭に、「4月18日の徳之島1万5千人集会、4月25日沖縄9万人集会に連帯」して開かれたことが明らかにされています。

 そして集会には、沖縄、徳之島、厚木などの米軍再編、基地のおしつけと基地公害に怒る住民団体の代表が参加し、共に闘うことが示されました。

 10523_3 集会アピールは訴えます。「新たに岩国へ59機の艦載機が配備され、極東最大の米軍基地になるなど誰が望んだでしょうか。・・・(略)・・・戦後65年にもなるのにアメリカ軍が居座ることなど、一体誰が予想したでしょうか。  良好な住宅地が出来るはずであった愛宕山開発の夢も無残に打ち砕かれ、防衛省はその跡地に米軍住宅を計画し、199億円の予算を決定しました。『市民の声を聞く』と言いますが、米軍住宅や米軍関連施設などもってのほかです。長年の苦難に耐えてきた岩国市民のために、愛宕山跡地はそっくりまちづくりに使うべきです。  またアメリカは『地元の合意のないところには行かない』と言います。しかし岩国、沖縄、徳之島、厚木の住民は誰も『合意』していないのです」と。

  登壇した高校2年生(右上写真)は、戦闘機の爆音によって授業が中断されるなどの被害を訴える中から、「騒音対策として基地の沖合移転が行われ、そのために削られた愛宕山の跡地が住民のために使われると聞いていたのに、中学2年生の時に艦載機の移駐に伴う米軍住宅になると聞いた時、10523_5 『うそつきは政治家の始まり』という言葉を確信した」と「政治家や官僚」を糾弾し、大人たちにもっと関心を持ってほしいと訴えました。

 集会は、最後に「怒」の一文字を書いたA3の大きさの黄色い紙を全員が傘を差しながら掲げて、怒りを表しました(前から撮れなかったので、写真は逆字になっていますが)。会場になった公園をあふれ、周辺の道路にも一杯の人であふれました。

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2010年5月22日 (土)

市東さんへの不当弾圧弾劾! 団結街道封鎖を許さないぞ!

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 19日朝、新幹線で三里塚に向かおうとして萩原さんに電話したところ、「来るなら千葉地裁へ行ってくれ」という指示があり、千葉地裁へ直行。市東孝雄さんが48時間の警察による取り調べの後、この日検察へ移送されてくるのだ。地裁に着くと、鈴木謙太郎さんと加代子さん、太郎良さんと支援の人たちが不当逮捕に対する抗議と市東さん、逮捕された現闘(二人は「成田署 13号、14号」と呼びかけられていた)の二人への激励が宣伝カーで行われていました。10519 裁判所で、葉山、一瀬両弁護士から説明を受け、取り調べの前に接見を行うとのこと。検察庁の方に移って、前で抗議と激励行動を続けました(右写真、右門前にいるのが謙太郎さんと加代子さん)。途中から雨と強い風。入ってきたこれと思われる車に、手を振って激励。外からは見えません。激励を大音響で続けます。

 もうとっくに取り調べは終わったと思われる午後3時過ぎ、それと思われる車。かすかに頭の影が。「市東さんの頭だ」と現闘の声。車をバンバン叩いて激励。宣伝カーは、高速道路の入り口まで追っかけました。検察は、なぜか勾留請求を見送り、明日にするとのこと。「72時間ぎりぎりまで引き延ばそうというのか」と怒りが。

 現地に帰っての同盟と支援の会議で、市東さんの激しい怒りに権力の方がたじろいでいることが確認される。同時に明日の開拓道路封鎖攻撃との闘いが話し合われ、「敵は手を出せなくなっているが、断固として闘う姿勢を示す」と24時間の監視態勢のもと、予定通り朝7時から市東さんの南台の農地を中心にした闘いの方針が確認されました。10520_2 閉鎖予定の道路に車を並べ、三々五々に道路を皆が歩いて閉鎖を許さない意思を示すと。畑には雨に備えたテントと仮設トイレが準備され、朝から豚汁、おにぎりなどの炊き出し態勢も。

 翌朝、6時過ぎに萩原さんとともに現場に。関西からの仲間はすでに現場に。7時ごろには続々と雨の中を60人余りの人々が集まってきました(最初の写真)。8時ごろ、三々五々に畑から成田ゴルフまでのS字部分をデモ。突然、カマボコ3台が指揮官車とともに現われたのです。全員がいったん降りてきました。「すわ、封鎖か」と緊張しましたが、肝心の畑のところには来ていないし、NAAの姿がありません。挑発的なところもありましたが、結局「デモが行われて通行が危ないと通報があったので」と言い訳をして、撤退していきました。10520_3

 畑にもどると関西から前夜北原さん宅に泊られた永井さんも来られました。「孝雄さんの闘いが閉鎖を阻止している」という鈴木謙太郎さんの挨拶で、集会(打ち合わせ)が、畑で始まりました。15日、転んで足を怪我されながら17日、成田署への抗議闘争の先頭に立たれた北原事務局長(右写真)が先ず立って、市東さんへの空港の中に閉じ込めようとする今回の攻撃に対し「これが本当に人間のすることか」と弾劾された上で、「人間としてどう生きるべきかを示す闘いとしてやろう」と今回の闘いの意義を明らかにされました。続いて、萩原富夫さんが弾劾声明(「10.5.20弾劾声明.pdf」をダウンロード)を読み上げました。10520_4 今度は萩原進事務局次長(左写真)が、「市東さんの闘いは120%正しい」「本気なんだということを満天下に示した」「空港会社の動揺が示すように我々は勝ってるんだ」「この闘いの積み重ねで、広範な人々を結集させていく」「現に、今回のことでほんとに多くの人が、抗議やそれぞれの位置でいろいろな取り組みをしてくれた」「勾留請求を昨日出来なかった。そこまで追い込んでるんだ」「どんどん押しこんでいこう」「先ず今日は、現地の監視態勢を維持しながら、奪還闘争を千葉でやろう!」と意気高く語られました。10520_5 動労千葉の川崎さん、関西実行委員会の永井代表、そして「市東さんの農地取り上げに反対する会」のみなさんが、90歳になられる井村代表(左下写真)をはじめ、吉川県議、足立成田市議、など次々と発言されました。「反対する会」のみなさんは、この日も10人近い結集でしたが、17日には、成田署への抗議闘争を夜の11時半まで続けられたのです。最後に団結ガンバロウを三唱して、直ちに千葉に向かいました。(加代子さんたちが用意していてくれていた炊き出しを食べる暇がなかったのが、本当に心残りでしたが。)

 10520_6 裁判所に市東さんたちが移送されてくるのを待ってと思っていたのですが、着いた時には、すでに市東さんたちは裁判所の中に入っていました。 同盟の宣伝カーによる市東さんへの激励、地検、裁判所への抗議を続けながら、私たちは、市東さんが終わって出てくるのを待ちました。途中で、遠藤弁護士からの接見の様子の報告、市東さんの元気な様子などをお聞きしました。市東さんが、「身体の調子の悪い人が近くに収容されているので、自分は元気だから、余り宣伝カーを回さなくていい」と言っておられるという報告には、さすがに優しい市東さんだなと感心。

 地検前と裁判所前で二手に分かれて待機していましたが、12時過ぎに市東さんなどに10日の勾留がついたことが判明し、地検前では抗議のシュプレヒコール。10520_7 結局、裁判所の方から出てくることが、裁判所の職員などの動きからわかり、車の出てくる前に待機。市東さんが乗り込むところが確認されて、20人を超える廷吏などの警備をモノともせず、30人を超える勢いで、車に迫り、車をバンバン叩いたり、両手を振って激励しました。2台の車の中から市東さんらが手を振っているのも確認されました。ここでも「反対する会」の井村さんを先頭とする頑張りにほんとに感心。

 最後に裁判所横でまとめを行い(右写真)、鈴木謙太郎さんが同盟を代表して挨拶をして、散会しました。

 その夜、萩原さんのところへ「勾留理由開示公判」が、25日(火)午後3時から行われることが連絡されてきました。関東のみなさん。この記事の前の「産直野菜」の記事にも書きましたが、この公判への結集と、反対同盟の出荷作業への応援を全力でやろうではありませんか。

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今週の産直野菜(5月22日)

10522  今、今週の産直野菜が届きました。

 春大根、ほうれん草、春キャベツ、カブ、サニーレタス、スナックエンドウの6品です。スナックエンドウ(右下写真)の出来がいいみたいで、19日から21日、泊めていただいた萩原さん宅の食卓には、採れたばっかりのスナックエンドウが。柔らかくて美味しい。

 昨日の出荷作業を手伝ったのが今日着いたわけです。

 昨日は、萩原さんのお宅で援農をさせていただきました。

 先ずは、萩原さんと清水の畑に行って、豊中からの別注のキャベツを収穫に。20個の注文に、40個くらいあるはずだと畑に行ったら、この数日の雨で、大きくなったキャベツが中央でザックリと割れている。10521 はねるしかなく、少し小さいのも入れてやっと21個を確保。

 それから萩原さんの自宅の前の畑にもどって、スナックエンドウの収穫に参加。それから、作業小屋で、収穫したスナックエンドウを萩原さんが計って小分けしたのを新聞紙に包む作業。終わって今度は、トマトの苗を植え付けて、支柱にくくる作業(左写真、手前は萩原富夫さん)。10521_2

 次は、マルチの下に小さく出てきた里芋の芽(右下写真)を、マルチを破って外の空気を吸わせて土をかけてやる作業。ほんとに小さな芽で、それでも必死でマルチを突き上げている。マルチを破るとマルチの下が暑いのにビックリする。そこで昼食。

 昼からは、先ほどの里芋の畑の雑草を取り除いたあと、今度はジャガイモの畑のマルチを外す。これが結構力がいる上に中腰でするため、腰に。すでに二日間、検察庁前での抗議や、団結街道の闘争で立ちづめのため腰を痛めかけていた私にはちょっと厳しかった。最後は、痛さが激しく前に進まず、情けなくなる。10521_3 しかし、出荷作業の時間になりほっ。出荷作業を終えて、萩原さんに成田駅まで送っていただいて帰路につきました。

 3日間、同盟の皆さんと一緒に動いていて、農作業を含め本当に大変なことがひしひしと伝わってきます。それでも、市東孝雄さん一人の実力決起(17日)が、完全に空港会社の企みを粉砕し追いやった勝利感が、皆さんを支えているのが伝わってきます。支援も、団結街道の監視や市東さんへの差し入れや激励行動などをはじめ、少ない人数で必死でやっていますが、明らかに手が足りません。そこへ、月曜の公聴会闘争、そして火曜の市東さんの農地法裁判、行政訴訟、勾留理由開示公判と、農作業と出荷作業が本当に厳しい状態にあります。関東のみなさん。「農家だより」も訴えていますが、一人ずつでもいいのです。反対同盟農家に応援に行くことを訴えます。しばらく、団結街道閉鎖攻撃と第3誘導路建設攻撃との激突が続くこの過程、そうした援農などの現地支援の態勢が早急につくられることの重要性を訴えます。反対同盟の皆さんを、具体的に支えましょう!そして、公聴会闘争、翌日の裁判闘争に行ける人は全力で駆けつけよう!

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2010年5月21日 (金)

市東さんへの不当弾圧を許すな!

市東さんに対する勾留に対する勾留理由開示公判が、5月25日午後3時から千葉地裁で開かれます。団結街道閉鎖攻撃は、昨日の闘いによって一旦おしかえしています。三里塚・萩原さんのところでの援農を終わって今から関西に帰ります。詳しくは明日のブログで。

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2010年5月20日 (木)

弾圧を許さないぞ!

今、市東さんと支援に10日間の勾留がつけられたという連絡が入りました。裁判所、検察庁で抗議しながら市東さんがでてこられるのを待っています。皆さん。検察庁、裁判所への抗議の声たたきつけよう!

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市東さんの畑

市東さんの畑
朝7時前から次々と皆さんが市東さんの畑、南台の畑に集まって来ています。「私有地」だとして封鎖するなど許せるか!市東さんの怒りの決起に、恐れをなした、空港会社は、昨日、マスコミ各社に「閉鎖するとは言っていない」などと弁解しているが、なら、17日の事態は、なんだったのか。今、私たちは、問題とされているS字道路をデモしています。絶対に団結街道の閉鎖を許さない!

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2010年5月19日 (水)

市東さんの不当逮捕弾劾!

市東さんの不当逮捕弾劾!
裁判所の都合か明日、勾留請求が行われるようで、今日の釈放はありません。怒りに耐えません。今も市東さんがでてこられるのを待って、激励と抗議を続けています。

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市東さん、がんばれ

市東さん、がんばれ
市東さんが、地検に移送されてくるのを地検前で激励と不当逮捕への抗議の闘いを反対同盟が闘っています。さらに抗議と即時釈放を求める千葉地検にファックスを集中しよう。

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2010年5月18日 (火)

5・16現地闘争での山本善偉世話人の挨拶

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 結集されましたみなさん。今、私は萩原さんの「もう臨戦態勢に入った」という厳しい言葉に胴震いしています。(上の写真は、市東さんのお宅[後ろの家屋]の前を通って団結街道に入った関実のデモ)

 私は、今、頭の中に浮かぶのは、あの現闘本部が襲われる時(注・1990年1月16日)、あの夜中に緊急の連絡を受けて駆けつけました。寒い日で、夜、雪がパーッと降っている中で、あの現闘本部の中に、北原事務局長一人が閉じ込められて、我々がそれに近づこうとしても近づけない、あの吹雪の中の闘いを想い起します。10516_3

 もうそういう状況が来ているんだということを今日言われた。ほんとに市東さんにとって生活道路としてなくてはならない、市東さんだけじゃない、日に150台も車が通る道を、何の断りもなしに市議会で、足立さん(議員)一人が反対して傍聴からも猛然と反対の声があったけれども、ほかの議員は全員でこれを廃道にすることを認めたという。とんでもないことが起こっている。

 この市東さんの生活を出来なくするための攻撃、さらにまた第3誘導路を作ろうとしている。何という愚かしいことでしょう。第2誘導路をつくるためにあの東峰の森を破壊して、そして今度は第3の誘導路をつくる。しかも、その滑走路は、名前はあくまで「暫定滑走路」です。44年かかってここまできた、そのいよいよ決着が、この団結街道を廃止し、第3誘導路をつくることによって、市東孝雄さんを生活できなくする、追い出す、こういうことをする。こんな人道無視というか、非人道なこと、こんな政府は許せない。

 毎年、今年も、去年も、3万人以上の人が自殺しているという。十数年、毎年3万人以上の人が自殺をしているというこういう現状を、国は、支配者は何を考えているんだ。10516_4

 私は、先月24、5、6日、90(歳)でもう無理かと思いましたけれども、三里塚が沖縄の地に三里塚の旗を立てる。萩原さん先頭に、市東さんも行かれる。それを聞いて、永井代表も私も黙ってはおれない。無理かなと思いましたけれども、行きまして、帰ってきまして却って元気になりました(拍手)。ほんとにこの目であの9万、恐らく9万できかないと思う、あの人間を見るのは生まれて初めてです。甲子園野球場が満員だと言っても4万5、6千。その倍の人が、集まっている。凄いところです。

 そこでは、私の気持ちは燃え上がっているのに、ある意味では静かな集会だったと思います。あの壇上には仲井真知事を先頭に沖縄の各市町村長、県会議員、各政党の人たち、150、60人が並んでいる。そこではっきりと、まあ、仲井真知事だけはどうもはっきりしませんでしたけれども、みんな「普天間基地は撤去だ」ということをはっきり言っている。42510

 心の中にはまだあの鳩山のにえきらない「5月末」にはかない希望があったんじゃないでしょうか。私自身も、何も言わないからには根本的に普天間を撤去するための日米間の交渉が進んでいるに違いないというような気持ちはあったんです。多分に沖縄の人たちはそれを持っていたと思います。ところが、開けてみたらあの騒ぎ。「県外、国外」と言っておきながら、あんなとてつもない空港を鉄の杭を打ってつくるというような案をはっきり出してきている。(右上写真は、4・25県民大会通路でビラまきをする右から萩原さん、市東さん、永井さん、山本さん)42515

 これは、ほんとに沖縄の人たちははらわたの煮えくりけるような想いを持っておられると思います。あの集会の最中に、沖縄タイムスも、琉球新報も、大きな号外を配ってくれました。あくる日、私は新聞を買いに行きましたが、もう琉球新報はなくて、タイムスだけがあって買いましたが、ほんとに全面に怒りが満ちていた。(左写真は、4・25県民大会会場中央に陣取った反対同盟旗)

 そこへ萩原さんを先頭に市東さんと、我々、永井代表も加わって、ビラを配り、横断幕をはり、旗を立てて、「三里塚がここにあり」ということを明らかにできたことは実に痛快でした。

 今日は雨の中、我々の仲間が、関西からも行っております、普天間の基地を人間の鎖でつなぐ闘いを、今、やってくれているはずです。こちらはこんな晴天ですが、沖縄は昨日から雨です。雨の中で頑張ってくれているに違いない。

 これを想うと、萩原さんが最初に提起された通り、この5、6月が、今まで闘ってきて、彼らから言えば、次々に農民だまし、脅しによってやってきたが、実は、農民の大地に立った断固とした闘いのもとに、反対同盟は決して負けていない、彼らをここまで引っ張りこんだのだ。ここで逆転勝利も考えられる。そういうことを萩原さんが言われた。

 私は、この歳で、自分が何が出来るか、それを顧みると忸怩たるものがありますけれども、幸いにして健康に恵まれております。森田先生が言われた通り、歩ける限りこの闘いに一緒に入ります。若いひとたち、もっともっと頑張ってください。

 沖縄の怒りと、この三里塚の怒りを一つにして闘おうではありませんか。これをもって終わります。

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5・20三里塚へ! 緊急闘争に起とう!

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 写真で、帽子をかぶって白いシャツの人(右から2人目)が市東孝雄さんで、千葉県警が市東さんをパトカーに乗せようとしているのに対して、萩原進事務局次長(市東さんの左となり)が身体を張って阻止しようと闘っておられます。(写真は反対同盟ブログより転載)

 成田署へは、怪我をして休んでおられた北原事務局長を先頭に同盟、支援総力での抗議闘争が昨夜、遅くまで続けられました。今日ももちろん続けられます。一方、現地は、今日は産直の出荷日でもあり、本当に大変です。近くの方は、農作業の応援にも駆け付けてください。

 拘留されている市東さんからは 「自分は元気です。頑張りますから、皆さんも頑張ってください。これで俺たちは本気だということを、空港会社に知らしめることができた」というメッセージが発せられています(反対同盟ブログより)。

 反対同盟は、5月20日、早朝から市東さんの畑で団結街道の閉鎖阻止緊急闘争に起つことを決定し、全国に呼びかけておられます。5・20早朝、現地に行こう!

 関西実行委員会では、永井満代表世話人を先頭に現地に向います。全体としては、19日夜、関西を出発して、20日早朝現場向かう予定です。行ける方は、関実事務局にご連絡ください(電話 0799-72-5242)。私は、先発して明日の一番で現地に向かいます。

 重ねて、成田署、成田市役所への抗議のファックスの集中をお願いします。

抗議先1 成田署 ファックス 0476-27-0110(電話共通)

抗議先2 成田市役所 ファックス 0476-24-1655 / メール抗議先 市民協議課市民相談室 nartsodan@city.narita.chiba.jp

 市東さんの農地を守ろう! 団結街道封鎖を許すな! 市東さんを取り戻そう! 頑張りましょう。

 いったん、当ブログを休みますが、出来れば現地から発信します。

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2010年5月17日 (月)

市東さんの不当逮捕弾劾! 直ちに抗議の嵐を!

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 市東孝雄さんの逮捕の理由は「器物損壊」だそうです。午後9時段階で、弁護士の接見を行っていて、反対同盟は、市東さん宅の離れで現在もその報告を待ちながら対策と方針を話しあっているようです。

 「市東さんの農地とりあげに反対する会」からも成田警察署、成田市役所への抗議の要請が来ています。抗議を集中しよう!

抗議先1 成田警察署 〒286-0036 成田市加良部3-5  電話 0476-27-0110(FAX兼用)

抗議先2 成田市役所 〒286-8585 成田市花崎町760番地  電話 0476-22-1111 / FAX 0476-24-1655  / メール抗議先 市民協議課市民相談室 nartsodan@city.narita.chiba.jp

また、反対同盟は、20日の閉鎖を許さないために20日早朝から臨戦態勢に入ります。現地に行ける方は、前夜から。

 関西実行委員会としても緊急の態勢を準備したいと考えています。(詳しくは、関西実行委員会か反対同盟にお問い合わせください。反対同盟ブログを参照のこと。)上の写真は、5月16日、デモの解散時に南台の畑での市東孝雄さん。この畑の北側、写真のフェンスの前の道路を封鎖しようとしています。断じて許されません! 

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成田署が市東孝雄さんと支援一人を不当逮捕! 厳重抗議する!

10516_9  今、三里塚現地から市東孝雄さん(左写真は昨日の集会で発言する市東さん)と支援一人が、午後3時過ぎに不当逮捕されたという一報が入りました。反対同盟は、萩原さん、鈴木さんを先頭に成田署への宣伝カーによる抗議を始め闘いが始まっています。

 空港会社は、市東さんの南台の畑から北側、開拓道路のS字に曲がったところから成田ゴルフまでの部分をひそかに取得していた。そして、今日の午後3時ごろそれは「私道だから20日から閉鎖します」という立て看板をS字部分に立てようとした上で、市東さんたちの抗議を無視して、先日、団結街道の市東さんの作業所の北側に建てられた監視台(右写真)の前にも立て看板を立てようとした。怒った市東さんと支援がそれを引っ剥がしたのに対して、千葉県警、成田署が、市東さんを不当逮捕し、それに抗議する現地支援一人を不当逮捕したという事態です。10516_10

 市東さんの南台の畑の北側の封鎖は、市東さんの堀之内の畑へ行く道を封鎖することですが、市東さんに何の事前の通告もなく極めて不当、暴虐な事態です。このことは、団結街道閉鎖への暴力的な襲撃であり、到底許されることではありません。とりあえず現在はこれだけしかわかりませんが、成田署への抗議の集中など出来ることをしましょう。すでに反対同盟ブログの右サイドにあるツイッターに自体の経緯が掲載されはじめています。今後の闘いの出来ることについても順次指示があると思いますので集中してください。成田署は差し入れの妨害などをしているようです。

 同時に開始された卑劣な攻撃に対し、昨日の集会で萩原進事務局次長が提起しておられるように、現地に向かう態勢を緊急に作っていってください。

 団結街道閉鎖阻止! 第3誘導路建設を絶対に許すな! 千葉県警、成田署は不当逮捕を謝罪し、直ちに市東さんたちを釈放せよ! 市東さんの農地と暮らしを守ろう!

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5・16緊急三里塚現地闘争

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 昨日、5月16日、三里塚現地の萩原さんの清水の畑で、団結街道閉鎖攻撃、第3誘導路建設攻撃に対する緊急現地闘争(集会とデモ)が、385名の結集のもとに闘われ、私たち関西実行委員会も、山本善偉世話人を先頭に40名で結集しました。(上写真は、基調報告を提起する萩原進事務局次長)

 鈴木謙太郎さんの司会で始まった集会は、先ず、萩原進事務局次長による基調報告。この日、同じ時刻に沖縄の普天間では雨の中1万7千人の人々による人間の鎖で普天間基地を包囲する闘いが実現していました。10516_2 萩原さん(右写真)は、今日の三里塚における闘いがこの沖縄と共に「心を一つに」して闘っていることを確認した上で、敵がこの5~6月に「もう打つ手はない」ところに追い込まれた攻撃をかけようとしていることを明らかにされた上で、「必ず勝つ」「今闘わずしていつ闘うのか」と臨戦態勢に入ったことを明らかにされました。

 先立つ5月13日、小泉成田市長への「厳重抗議」の申し入れを行った(「10.5.13開拓道路申し入れ.pdf」をダウンロード)ことを明らかにされた上で、「絶対許さない闘い」を闘い抜くことと、第3誘導路建設に向けた「アリバイ的な5・24公聴会」粉砕闘争を連続した闘いとして訴えられました。

 そして労働運動が国鉄を軸に大きく高揚し、全国の人民をゆり動かす情勢を迎えていることを明らかにして、4・25沖縄県民大会に決起した想いを語られ、「原則的に闘い抜く中で、必ずそれに応えてくれる人民が、沖縄9万のように必ずあることを確信しよう」と提起されました。そして「あの代執行阻止の闘いができるかどうかだ」とされ、その上で沖縄の闘いを「本土における人民がそれに応えて、どう決起するかにかかっている。その旗振りを三里塚がやろう」と。

 提起の最後に「本日をもって、文字通り緊急時における連絡態勢、結集態勢を直ちにこの場から作り上げてほしい。反対同盟も逮捕を恐れず、身体を張って実力で闘うことを宣言する」として、6月中の再度の結集を軸とした闘いをバネに「沖縄の9万を、この三里塚で実現しよう」と訴えられました。

 10516_4 続いて、顧問弁護団から葉山、一瀬、浅野弁護士が立ち、5・13申し入れの報告と、成田市が近隣住民の生活道路を法的な根拠なしに売り渡そうとしていることを弾劾し、「市道路線廃止処分取消の行政訴訟で闘う」と決意を述べられました。

 市東孝雄さん(左写真)が起って、団結街道閉鎖攻撃を弾劾した上で、「結局第3誘導路をつくって、今以上の騒音で囲い込んで、私のことを追い出しにかかる、それで屈服させて、どうにかしてやろうというのが向こうの狙いだと思います。しかし、やられればやられるほど逆に『なにくそっ!』ていうのが人間だと思います。やれるものならやってみろ。今まさに決戦ということで、私も身体を張ってこれからも闘います」と決意を述べられました。その上で、4・25沖縄県民大会に参加した想いとして「9万人というのは凄かった」「あの勢いを三里塚に持ってきて、三里塚44年の闘いが正義の闘いだということを明らかにしたい」「沖縄と連帯して闘う」と語られたのです。

  鈴木加代子さんのカンパアピール、動労千葉の田中委員長による連帯挨拶に続いて、関西実行委員会を代表して山本善偉世話人(左写真)が、連帯挨拶を行いました。10516_5 山本さんは、90歳とは思えない迫力と大音声で、先ず「萩原さんの提起に胴震いしている」とされた上で、90年1月の吹雪の中での現闘本部封鎖攻撃との闘いに触れながら、「団結街道廃道化攻撃、第3誘導路建設攻撃は何と愚かしいことか」「いよいよ決着をつける時だ」と訴えられました。そして、4・25県民大会に行かれた想いを語られた上で、雨の中でこの日頑張っている普天間包囲闘争に触れながら「沖縄の怒りと三里塚の怒りを一つにして闘おう」と訴えられました。

 その後、部落解放同盟全国連合会、市東さんの農地取り上げに反対する会から連帯の挨拶が続きました。そして現地支援連4党派からの決意表明の後、団結ガンバローを行って、10516_7 さあ、反対同盟を先頭にしてデモに出発です(左写真)。

 東峰部落の中、島村さん宅の前などを通って、いよいよ団結街道へ。市東さん宅の前を通り過ぎると、先日作られたばかりの団結街道の監視台(右写真は監視台の前をいく関西実行委員会のデモ)がそびえています。何人かの人がデモを抜け出し、梯子を上って監視台の上に。10516_8

 現闘本部の前を通って、市東さんの南台の畑の前で解散。着陸専用に変わった暫定滑走路に、次々と着陸機が降りてきます。それを横目に見ながら怒りが沸いてきました。

 来週月曜日24日には、公聴会粉砕闘争(午後2時、市東さん宅南側の開拓道路集合)。そして翌25日には、市東さんの農地法裁判と行政訴訟が。連続しますが、全力で参加しましょう!

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2010年5月15日 (土)

今週の産直野菜(5月15日)

10515  今週の三里塚からの産直野菜が届きました。実は、今日は高槻でキル・ウォノク ハルモニの「証言集会」(午後2時~、高槻現代劇場3F)があり、そちらに行こうと思っていたので、「間に合うかな?」と心配していましたが、ほっ!

 今週の野菜は、春大根、ほうれん草、春キャベツ、小松菜、エシャロット、ブロッコリー、チンゲンサイ(ですよね? 右上のものですが、または「ターサイ」となっているのですが・・・。「野菜音痴」の私には区別がつきません。)

 エシャロットが溜まり始めています。トホホ・・・。しかし、「野菜だより」によれば、キャベツに青虫がいないとか。そういえば、昨年のは穴あきだらけだった。それに、「宝塚農園」で、青虫退治の苦労話しを聞かされたのを思い出した。「いなければ気になります・・・」と書かれていますが、確かに変ですよね。寒さのせいでしょうが、無農薬なのですから・・。青虫さんも大変だ・・。

 いよいよ明日は、「5・16三里塚現地闘争」。関西から沖縄の普天間包囲闘争に「4・25県民大会」以上の動員を実現したようですが、三里塚へも大型バス1台と新幹線組で全力結集を準備しています。今からでも遅くはありません。みなさん。三里塚へ決起しよう!

 5月24日に、許し難い「第3誘導路建設」に向けた「公聴会」が成田市で開かれます。三里塚現地では、午後2時に市東さん宅南の開拓道路に結集して、打ち合わせの後、車で成田国際文化センター(会場)付近に移動し、会場に向けてデモで抗議闘争をするそうです。なお、一昨日(13日)、市東さん、反対同盟、弁護団の連署で成田市役所に対して「厳重抗議・申入書」を発送したそうです。

 翌日の5月25日には、市東さんの農地法裁判と行政訴訟の口頭弁論が午前10時半から続いてあります。さあ、24日から参加するか? しかし、前の日は山口県の岩国で「来るな!艦載機 いらない!愛宕山米軍住宅 連帯しよう!沖縄・全国と 5・23岩国大集会」があるしなぁ~。しかし、ここは頑張りどころか・・・。三里塚現地は臨戦態勢やしな。

 野菜を一杯食べて、頑張ろう!

 追記 ・ あけてびっくり玉手箱。キャベツを整理していたら、いた! いた! 青虫さん。ほんとにビックリ! とりあえず4匹をせん滅。まだ玉の中にいるんじゃないかなぁ~

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2010年5月14日 (金)

破綻した航空政策  三里塚・沖縄を貫いて5・16決起を!

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 5月16日、三里塚では団結街道閉鎖攻撃と第3誘導路建設攻撃への怒りの現地闘争が、そして沖縄では普天間基地の即時閉鎖と新基地建設反対を掲げ、普天間基地を包囲する数万のヒューマンチェーンのたたかいが、正に三里塚・沖縄を貫いて取り組まれます。(上写真は、9万人が起ち上がった4月25日の沖縄県民大会)

 42515 今、鳩山首相(民主党連立政権)は、「友愛」の旗のもとに「東アジア共同体構想」を掲げています。しかし、如何に美辞麗句を並べようが、その中味は、あの安倍政権によって、この5月18日からその気になれば改憲がいつでも実施できる国民投票法を引っ提げるとともに提起された「アジア・ゲートウェイ構想」を焼きなおしたものでしかありません。それは、独自の軍事大国化(戦争体制)を前提としたアジア侵略、アジア支配を模索したものです。その柱が「航空の自由化」と農業・貿易の自由化を前提としたEPA(経済連携協定)、FTA(自由貿易協定)の推進です。(右写真は、4・25県民大会に翻る反対同盟旗と反対同盟、関実のみなさん)

 しかし、正にその「航空の自由化」、「EPA、FTA政策」においてアジア、世界で日本が大きく立ち遅れているという現実が、安倍に「アジアゲートウェイ」を叫ばせ、鳩山に「東アジア共同体」を叫ばせる根拠となっているのです。正に、日本が、アジアで、世界で展望を失い、その巨大な債務が示すように立ちゆかなくなってきているというのが、その最大の政治的・経済的根拠となって叫ばれていると言えるのです。

 すでにアジア、世界は、航空の自由化に向けて相当前(20世紀末)から舵がきられ、アジアにおいてシンガポールのチャンギ空港、中国の香港空港、上海浦東空港、そして北東アジアを制しようという韓国の仁川(インチョン)空港などが、すでに巨大なハブ空港としてしのぎを削っています。(左写真は、3・28三里塚全国集会で、4・25県民大会への決起と自らの闘いを語る市東さん)10328

 成田空港、羽田空港は、いずれも利用旅客数ではそれらの空港に引けを取るものではありません。しかしそれは、日本という巨大な経済力を背景にした日本での移動実績に過ぎず、成田空港の貨物取扱量の凋落に示されるように、最早、ハブ空港としての位置を云々出来る状況にはなく、むしろ完全に取り残されているという惨状にあります。今後、ますますその差は開き、正に世界、アジアの「ローカル空港」に転落することは時間の問題とさえ指摘されています。このことへの危機感から、前原国交相の「羽田ハブ空港」論が昨年秋出されたのです。しかし、日本航空の破綻をめぐる右往左往に示されるように、依然としてその「保護主義的呪縛」から抜け出ることが出来ずにいるというのが実情であり、そこには全く展望はありません。その意味で、住民を犠牲にして成田空港の利権にしがみつく成田市、小泉市長などの輩の野望は、何一つ展望のないものであり、反対同盟を先頭にした私たちの実力闘争で打ち砕かれて当然のものなのです。

 また世界、アジアとのEPA、FTA交渉は、明らかに日本のこの分野での立ち遅れがどうしようもないものとなっています。とりわけ、日本にとって最も肝要な中国、韓国、アメリカ、オーストラリアとのEPA交渉が暗礁に乗り上げたままであることが、その事を何よりも如実に物語っています。

 軍事政権下にあった韓国との日韓条約(1965年)に見られるように、日本は、一貫して戦争責任、戦後補償の問題を無視し、開き直り続けています。それは、政権だけでなく、日本人総体といってもいい歴史観、世界観、思想性における退廃を戦後生み続けてきたとも言えるのではないでしょうか。そのことは、戦後65年経っても沖縄を差別し続け、犠牲を強いてきたことをヤマトが放置し続けてきたことが何よりも指し示しているのではないでしょうか。そうした日本という国の、巨大な経済力を背景としたアメリカとの日米安保体制に胡坐をかいた、今日では米軍再編の中で巨大な軍事力を保有して米軍と共に蠢いている現状に対して、中国、朝鮮・韓国をはじめとしたアジア諸国が不信の念を持ち、日本の「共生」「友愛」の虚言を見抜く根拠となっています。10425_3

 昨年8月30日の「政権交代」とは、こうした現実の破綻ということと、こうした政治による一切の犠牲が格差と貧困という形でおしつけられてきた私たち民衆の怒りによる自民党支配の打倒であったと思います。そして、今日の鳩山民主党連立政権の右往左往もまた、鳩山個人の資質という面を含みこそすれ、「東アジア共同体構想」に示された政権の反動的体質に規定されたものであるのです。(右写真は、4・25県民大会で、『三里塚・沖縄』を訴えるビラをまく萩原さんと市東さん)

 三里塚における自民党政治を引き継いだ硬直した市東さんと反対同盟への攻撃、三里塚闘争破壊の攻撃は、沖縄、岩国をはじめとした米軍再編を根拠とした硬直した攻撃と一体のものとして、これまで述べてきた政治の実態の中で起こっていることとして、断じて許してはなりません。それゆえに様々な言辞を弄しながら、結局は130年にわたる沖縄への差別、収奪の歴史、戦後65年にわたる米軍支配という差別の歴史の上に開き直り、「沖縄の皆さんへの応分の負担のお願い」などという基地押しつけの論理がまかり通るのです。朝鮮、中国、アジアへの戦争責任、戦後補償に向き合わず、開き直るからこそ、こうしたことが可能となるのです。

 今、沖縄の皆さんが「もう我慢できない」「怒りのマグマが爆発する」といわれるのは当然です。三里塚反対同盟が、「話し合い拒否」「実力闘争」を掲げて、「廃港まで闘う」とするのもまた、農民を差別し、犠牲にし、農民切り捨ての戦後農政を何一つ反省することなく、「貿易自由化」の名のもとに農業と引き換えにトヨタやパナソニック、キャノンなどの工業製品をアジアに押し付けようとする政治に対する根底的な怒りなのです。

 5月16日、三里塚において団結街道閉鎖を実力闘争で阻止するという闘いと、普天間基地のゲートを座り込みで閉鎖して実力で米軍を叩き出すという闘いが、今や、一つの炎となって燃えあがろうとしています。岩国でも、来週5月23日、この「沖縄と共に」ということを掲げた決起が起ころうとしています。

 今こそ、私たちは、アジアの民衆と共に歩むために、5月16日の三里塚、普天間への総決起を皮切りに起ちあがろう! 三里塚・沖縄を貫く火柱をあげよう!

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2010年5月13日 (木)

団結街道閉鎖、第3誘導路には、一片の道理もない!

10316

 成田市は、第3誘導路計画が具体的に認可申請もされていない3月16日、市東孝雄さんの営農道路である団結街道を閉鎖することを市議会に決議させました。これは、道路法にも違反し、また第3誘導路建設を前提としたとしても必要性のないものであり、そこには一片の道理すらありません。(上写真は、3月16日、成田市議会の審議と閉鎖決議強行に抗議して行われた集会の最後の団結ガンバローをするところで、中央・後姿が市東孝雄さんです。関実からもかけつけました。)Photo_2

 成田空港会社NAAは、この3月28日から、主滑走路であるA滑走路を離陸専用、2500メートルに延伸され昨年10月22日から供用が開始された暫定滑走路は、着陸専用に使うことにした大幅な運用の変更を行いました。このため、暫定滑走の離陸用に昨年7月30日に供用が開始された(東峰部落住民の命の森であった東峰の森を破壊し巨額を投じてつくったものである)東誘導路がまったく無用の長物になってしまったのです。

 そして着陸してきた航空機はすべて旧来から使われてきた誘導路(右写真右端中央部の「へ」の字誘導路)を使って南にあるターミナルビルに向かっています。この誘導路ではジャンボは使えないと言われてきましたが、何ともなくジャンボも使っている上に、ご存知のように、世界の航空会社は採算性の悪いジャンボは廃止し、中型機のB767や小型機のB737、あるいは新型の中型機に移行が始まっている傾向にあり、世界でもっともジャンボを保有する日本航空に対して、「そんなものを大事に持っているから破綻するのだ」と揶揄されているのです。これでは、第3誘導路を建設する理由など、どこにもありません。しかも、200億円もかけてなど・・・。

 写真下の方、中央部に旧の小見川県道が地下道化されることが示されています。この道路は、もともとある誘導路も地下道で下をくぐり、東誘導路のところでまたまた地下を潜ります。そして現在の小見川県道は、A滑走路の誘導路、滑走路の下を地下道を通って作られ、暫定滑走路も、写真中央左の白い部分で地下にもぐって東峰十字路にでます。また、横堀の小屋が空港敷地の中にあるため、近づくために道路(農道)に見合わない立派な地下道が、1昨年末作られました。「万歩」譲って、第3誘導路を前提とするならば、市東さんの営農道路であり、宅急便など一般道路としての機能を果たしている団結街道は、道路法に照らしても、閉鎖は許されず地下道化すべきなのです。ここに、成田市議会の、現状を精査せず、道路閉鎖が住民の生活にどのような影響を持つかを調べようともせずに閉鎖を決定した、重大な誤り、犯罪があります。Photo_3

 そこには、ただただ市東さんに「農業を辞めろ」、「住む所じゃない」「出ていけ」ということのために団結街道の「閉鎖」が決定されたと断じざるを得ません。市民の生活を守り、農業を守るべき市議会、市長が、このような市民の生活を破壊することに手を染めること自体が到底許されません。(左写真は、市東さんの自宅の前から見た、閉鎖されるとされる部分〈赤い部分〉=「週刊三里塚」第798号より転載)こんな理不尽なことがまかり通ってはなりません。

 昨日の記事に書いたように、左上の写真の右側にある作業所を起点に、4つの畑を細かく回りながら、いろいろな作業が行われます。ここから北へ車で数分のところにある畑に行くにも、3倍以上の距離を周り(右上の写真参照)、しかも、成田市への抜け道の県道のため通行量も多く、時間帯によれば結構渋滞する道路で、時間がかかる上に、トラクタ―で行くには非常に危険が伴います。営農活動への妨害が目的であることは明らかです。正に「一片の道理」もありません。

 すでに当ブログでも暫定滑走建設、供用開始、北延伸の1980年代以来のこの30年近い歴史すべてが、空港計画として何の整合性もないまま、ただただ東峰、天神峰部落住民の叩き出し、農地強奪の「つぎはぎだらけの政策」のオンパレードでした(4月14日付記事http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b9b1.htmlをご参照ください)。

 11 上空40メートルの飛行による轟音被害、東峰の森の破壊、空港施設への囲い込みによる営農への妨害。直近の誘導路の航空機の走行による騒音と排気ガスの被害、そして離陸機のジェットブラストと騒音は、行ったものでないとわからない凄まじいものです。右写真は、市東さんの自宅から100メートルあまりのところにある畑(左写真の道路の右側)に備えられた監視台ですが、前のフェンスが本来なら防壁にならなければならないのに、低すぎて、航空機の騒音と排気ガスは、素通りして市東さん宅に襲いかかってきます。

 こうした住民の被害、生活破壊を、空港利権にしがみつこうとする姿勢の中から、放置するばかりか、今度は、市東さんの生活と営農を破壊し、追い出そうというものですから、成田市、そして空港会社の姿勢は断じて許されるものではありません。3_2

 そして、左の写真にあるように、第3誘導路は、市東さんのお宅と畑を完全に空港の中に閉じ込め、しかも100メートル足らずの距離からの轟音と排気ガス、そして振動で、市東さんの生活を破壊するものとなることは明らかです。しかも、24日に開かれる公聴会で出されている建設にともなう環境影響評価が、市東さんの家と反対側(西側)の取香部落のものはされているものの(それ自体、こういう場合のアセスメントに共通の作るためのいい加減なものですが)、市東さんは、そもそも存在していないことになっているのです。こんなことが許せるでしょうか。5月24日(月)、国土交通省が開く第3誘導路計画にともなう公聴会など断じて許されません。

 「へ」の字誘導路の致命的欠陥を何一つ解決することも出来ず、ただただ市東さんを囲い込み叩きだそうとする最3誘導路計画。しかも、暫定滑走路が着陸専用化されたことで、必要性すら失った第3誘導路計画に怒りの声をたたきつけ粉砕しようではありませんか。

 団結街道閉鎖実力阻止、第3誘導路計画粉砕をかけて、5・16現地闘争に総決起しよう! 

 

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2010年5月12日 (水)

三里塚有機農法 産直の会

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 萩原さんと市東さんは、消費者と一緒に「三里塚有機農法 産直の会」を運営しています。400戸近い消費者と直接結び、年間の生産計画もすべてこの「産直の会」によって立てられています。コメはないものの、「消費者が『産直の会』の旬の野菜で一年間の食生活が出来ることを目指す」と萩原さんは語られています。野菜の「価格」という考えを拒み、生産者の生活と消費者(労働者)の生活を突き合わす中から、運営のための費用という考えで年間の生産計画と経費が、協議の中から決められています。

 081021 野菜の「価格」、農業「経営」という資本の論理のもとにやろうとすれば、おのずと単品生産を軸とした「有機農業」の方向に行かざるをえませんし、結局は民主党連立政権や自民党農政が進めようとしている「担い手農業」に足をすくわれる可能性が大きくなります。それに対して、萩原さんと市東さんは、2町足らずの畑で50品目を超える野菜を生産し、消費者と一緒にくらし、進もうとしておられるのです。今年の春は、端境期の上に異常な寒さと雨で、全国の農業生産が致命的な打撃を受け、野菜不足、高騰の波に襲われました。「産直の会」では、端境期対策としてブロッコリーの生産を試みたりして、5品から7品の野菜を確保し消費者に届けられました。

 毎週、火曜と金曜が出荷日で、それぞれ200戸近い出荷をします。右上の写真が出荷作業ですが、写真のようなコンテナーで直接届けるか、カートンで宅急便で届けます(関西にも20戸近く来ています)。弱い葉物などは、この作業の前にその日に集荷し、集まります。ニンジンや大根といえどもきれいな葉っぱがついた状態ですからその日が主になります。あとは前日です。採り置き出来るのは、じゃがいもやサツマイモなどわずかの根菜類だけです。単品を生産し、農協に届けるというのとは、大変な違いで、裁判闘争といった闘いや、雨などの天候がそれに加わります。反対同盟が抱える裁判闘争は今4つが動いていますが、いずれも月、火、木が開廷日で、この作業の流れの中にあり本当に大変です。Photo

 そして消費者に届けることを前提にした植え付けをずらせたりした上で、畑には常に30品目近い作物が、いろいろな状態で育っています。この3月、4月には、寒さと雨で、植えつけたばかりの苗がいく種類も育たず、植え変えるということも起こりました。

 そして3月26日の当ブログで紹介しましたが、http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-5b29.html 市東さんのところは4ヶ所の畑に別れています(左写真は南台の畑での市東さん 2006年8月)。もちろん、それぞれの出荷日に合わせた収穫が、4ヶ所の畑であります。そして写真のように育ち具合を見て回ったり、草取りや、トラクターで耕したり、植えつけたり、いろいろな作業を、自宅前の作業所を軸に繰り返し移動しながら行わなければなりません。さらに虫が出たり、夏の水やり、風対策など様々な作業が必要です。Photo_3

 成田市、NAAが進めようとしている団結街道の閉鎖とは、この市東さん、「産直の会」の営みを根底から脅かすものなのです。この春から、NAAは暫定滑走路を着陸専用にしました。当然にも第3誘導路は全く必要ありません。しかし、そうでなくても第3誘導路のためとする団結街道の閉鎖は全く必要ありません。それがこの5月19日以降に強行されようとしているというのは、この市東さんの営農、「産直の会」の営みを、ただただ破壊することを目的に行おうとするもので断じて許されません。

 市東さんは「私への圧力というのであれば、それはムダですよ」と、農地を守り、農業を続け、闘い抜くことを明らかにしておられます。ここに、すでに団結街道閉鎖の企み、第3誘導路計画の攻撃は破産しています。

 しかし、であろうと、かっての市東東市さんへの「軒先工事」を上回るこの卑劣な攻撃を許すことなど絶対にあってはなりません。5・16現地闘争に総決起し、引き続く閉鎖攻撃への現地での実力闘争の爆発を自らの決起で勝ち取ろう!

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2010年5月11日 (火)

市東孝雄さん

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 市東孝雄さん(上の写真は、産直の出荷作業で豆の計量中の孝雄さん)のお父さん東市さんは、昨日の記事に書いたように、成田空港計画に絶対反対の意思を貫くために「農地を渡さない」と、農業をしていく決意をあらためて定められました。しかし、すでに孝雄さんを外に出していたので、2つ違いの3男芳雄さん(次男の一男さんは孝雄さんと双子で生まれるとともに夭逝)に継いでもらうつもりでおられましたが、1972年交通事故で亡くなられました(享年20歳)。

 ただ、この芳雄さんの生前、すでに孝雄さんは、「50歳になったら戻って、俺が継ぐつもりだった」と思われていたそうです。その上で、レストランのコックの見習いから、独り立ちするためにはと焼鳥屋の板前さん(というのでしょうか?)に就職されたそうです。Y4

 お父さんの東市さんは、生前、私たちが現地に行くと「この前のニュースに書いてあったあれはどうなった」と、私たちのニュースを読まれた上に覚えておられて聞かれるので、いく度か驚かされました。なにしろ寡黙な方なのですから。孝雄さんも、会われた方のことをすぐ覚えられ、集会に姿が見えないと「明石の○○さんはどうした?」と聞いて来られます。援農の折にも、休憩のお茶飲み話の中でそのたぐいの話がよく出てきます。「なんでそんなにすぐ人の名前と顔を覚えられるのですか」と聞いたことがあります。焼き鳥屋のオーナーが、初めて来たお客さんが二度目に来た時に必ず覚えていて、先ず挨拶をされるのを見て聞くと「これが店のお客を確保し、繁盛する前提だ」と言われ、それ以来孝雄さんは、ノートに初めて来たお客さんの名前や特徴を書き続けてこられたそうです。30余年。それで、すぐ覚えるようになったと。ここに人への孝雄さんの真面目な接し方の一面が現われていると思うのです。

 孝雄さんは、姉妹や従妹の人たちと今も親しくしておられるようです。中学時代の仲間とも、今も行き来があるようです。そして、お父さんの月命日には、毎月お墓にお参りしておられます。(このお墓が、十余三の交差点から51号を左に少し行ったところにあるのですが、団結街道が閉鎖されれば、東峰十字路から回っていかざるを得ず大変な遠回りになります。)親と言わず、人との付き合いを大事にされていることがよくわかります。080600_2

 その孝雄さんですから、働きに外に出ても、盆、正月の休みには必ず家に戻り東市さんと話されていた事と思います。(お母さんのときさんは、孝雄さんの小さい時にすでに発病し、寝たきりに。)孝雄さんによれば「闘争の話はあまりしなかった」そうですが、東市さんの想いや怒りは感じておられたことでしょうし、44年にわたる三里塚闘争を最初から見据え続けてこられたのです。ですから、休憩の時に、現闘の人たちと古い時代の人の話になっても本当によく知っておられます。ですから、昨日も書きましたが、1999年3・28の追悼集会で、孝雄さんが「市東東市はこの世を去りましたが、その遺志は不肖ながら長男の私が継ぎます」といわれる時、それは34年間、そばで見続け、お父さん東市さんの怒りと怨念をも自らのものとして語られているのだと思います。(左写真のネコは、迷い込んできた「ヤブ吉」で、もう1年ほど前から姿を見ません。)

 080600_3 すでに萩原さんと東市さんによって10年近く前から始められていた「産直運動」の取り組みを受け継ぎながら、「1億8千万円よりも1本100円の大根を消費者に喜んでほしい」と孝雄さんが言われる時、単に価値観を表現されているのではなく、国家権力の暴虐な国策のおしつけ、戦争への道への東市さんの怒りを自らのものとした決意が込められていると見るべきではないでしょうか。最新号の「週刊三里塚」で孝雄さんは、「私への圧力というのであれば、それはムダですよ、と言っておきたい。圧力を受ければ受けるほど反発心が高まるのが人間じゃないですか。そうやって三里塚は44年闘いを貫いてきたんです。」と明快に語っておられます。

 この市東孝雄さんの豊かな人間性と闘いを、そして三里塚反対同盟を守れなくして、私たちに未来はないと言っても過言ではないでしょう。三里塚闘争の勝利をかけて、団結街道閉鎖の攻撃、第3誘導路建設攻撃を打ち破って、市東さんの農地を守ろう! 5・16現地闘争に決起しよう!

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2010年5月10日 (月)

市東東市さん

Photo 市東孝雄さんの闘いについて想う時、何より、そのお父さん東市さん(1999年1月21日ご逝去、享年84歳)の闘いを考えずにはおれません。右の写真は、春の代かき作業をしておられる東市さん(91年4月)。

 東市さんのお父さん市太郎さんが、1912年、現在の場所に入植。「ながそう」(長竿)という屋号で、飲食、雑貨の店をやっておられたが、御料牧場の事務所の移転に伴い、商売が成り立たず、東市さんが小学校に上がったころには小作に。東市さんは1914年に生まれ、1934年(20歳)、徴兵検査で甲種合格ですぐに中国東北部長春に入隊。通信兵に。ハイラル、チチハルとまわって、2年で満期除隊(1936年)。

 その後、新小岩で3年間サラリーマン生活。その時にときさんと結婚。1941年、召集令状が来て、再び中国東北部に。3年ほどして、ビルマに転戦。敗戦と共に抑留され、1947年引き上げてこられた。「軍隊で散々な目にあって。だからもういやだ。東京に行くのもいやだ」とサラリーマンに戻らず農業をするものの、農地解放の手続きもしなかったため、現在の小作(賃貸)という事態に。こんな中、60年前の今日、1950年5月10日、孝雄さん(長男)が生まれたのです。

 東市さんは、今のお宅の前の畑と、南台の畑(現在の一部)、そして天神峰の畑(3月の集会で使った畑、ここは所有地)を耕しておられましたが、 農業の先行きに懸念を持たれたのとサラリーマンの経験がおありだったことでだと思うのですが、1965年、中学を卒業した孝雄さんに「手に職をつけろ」と送り出されました。その1年後、1966年6月22日に三里塚に成田空港が来ることが発表されたのです。東市さんは、天神峰の畑で作業をしていて初めて聞かれたそうです。Photo_2

 「私は徴兵されたころから反戦、反権力の気持ちが強かった。だから闘争が始まって、自分にぴったりの闘いに出会ったという感じがする。もうどんなことがあってもここから動かない。空港を廃港にして、その跡に『革命の学校』をつくるのが夢だ」と1991年10月16日、喜寿の祝いで語っておられます。左写真、左端が東市さん(91年5月)。「強制的手段を放棄する」という運輸省声明に対して「二期推進のシンポジウムに引き込むためのまやかしだ」と記者会見で抗議しておられます。その右は北原事務局長と萩原事務局次長。お若いですねぇ。

 用水闘争で先頭に立ち、70歳で不当逮捕される経験も(84年)。その後の二期工事では、軒先工事の攻撃、生活破壊を受けながら微動だにせず、母屋の新築(84年)、作業所の新築(89年)と次々と不動の姿勢を明らかにされたのです。Photo_4右の写真は、新築中の作業所の前で(89年5月)。

 寡黙な中で、時折見せられる反対同盟の中で最も戸村精神を受け継いだと言われるその厳しい闘いの姿勢に私たちは何度も本当に励まされました。反対同盟を代表しての弔辞を読まれた萩原進さんは、「いま改めて、故人の言葉を振り返ると、そこには考えの深さと志の高さがありました。『よねのことを『日本一の貧乏婆』と公団は言うけど、公団の方がよほど心が貧しいのだ』、『おれはもう、どんな場合でも侵略の銃はとらない。だから土地を売らないのだ』。間違った戦争に赴いたことへの痛烈な悔悟と自責は、故人を偲ぶにあたって決して忘れることのできないものです」と弔辞の中で想いを語っておられます。

 土地収用法を失効させ、暫定滑走路の誘導路に「へ」の字を強制したものこそ、この東市さんの闘いがあったのです。「また『国策』と言われて、すぐに判ったよ。国策だからといって不当な土地取り上げに従っていたらこれはまた戦争の道だと思った」(84年1月)と明快に語られます。Photo_5

 「市東東市はこの世を去りましたが、その遺志は不肖ながら長男の私が継ぎます。そして故人が生前好きだった『闘魂ますます盛んなり』の言葉を大事にし、市東東市の遺志でもあります『空港反対』、ならびに家族そして農地を守っていきたいと思います」と市東孝雄さんは、その決意を全国の人々を前に明らかにされて私たちだけでなく、空港会社、国家権力を驚かせたのです(99年3・28追悼集会での挨拶)。左写真は、岩山大鉄塔の下での東市さん(1977年)。

 この東市さんの34年にわたる人生をかけての闘いと、孝雄さんのその遺志を引き継いだ闘いに恐怖し、憎悪すればこそ、孝雄さん叩き出しに一切をかけた今日の団結街道閉鎖、第3誘導路建設の攻撃があるのだというこの明確な事実を断じて許してはなりません。5・16三里塚現地へ決起しよう!

 なお、写真と文章中の引用は、すべて 「市東東市 追悼集」より転載させていただきました。

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2010年5月 8日 (土)

今週の産直野菜(5月8日)

1058  今週の産直野菜が、今、三里塚から届きました。

 今週は、春大根、のらぼう菜、春キャベツ、小松菜、野ぶき、ブロッコリー、ラディッシュの7品です。

 野ぶきは、正に季節を感じさせますが、さて、採れたのは、畑なのでしょうか、山なのでしょうか?

 春キャベツは美味しいのですが、毎週となると・・・、食べきれないぃ~。

 今週の「野菜だより」に、「産地交流会」が、例年より少し遅れて6月12日(土)に決まったことが報じられています。09607 どんな風に作物が育てられているのか、畑見学と農家からの説明、そのあとジャガイモ掘り大会と食事をしながらの畑のそばでの交流、子どもたちを中心にしたゲーム、産直の生産者と消費者の貴重な体験交流の場です。めっちゃ楽しいですよ。

 今年も、関西の産直グループからも参加したいと思っています。その前後に援農も。今日の連絡ですので、まだ詳しい日程は決まっていませんが、参加されませんか?(右写真は、昨年6月7日の「ジャガイモ掘り大会」です。)

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2010年5月 6日 (木)

沖縄と三里塚 5・16闘争に向けて

10425  「世界一危険な」普天間基地の閉鎖を先ず何よりもアメリカ政府に交渉すべき鳩山首相が、それを放棄し、4日、沖縄にまた再び押し付けるべく押しかけて行った。虚構でしかない「近隣諸国との関係」「抑止力」を掲げて。

 沖縄のみなさんの怒りのマグマは、もはやとどめることはできない。神戸市の人口よりも少ない県民130万人のうちの少なくとも9万人が、4月25日、読谷の運動広場に結集したのです(上写真)。冒頭述べたものがそれへの政府、鳩山の回答だとするなら、余りにも沖縄の皆さんを愚弄する話であり、通用するものではない。

 戦後65年、そして明治政府による琉球処分以来130年、沖縄には人権はなく、差別と収奪、土地強奪の歴史であった。それを踏み台にして、日本の近現代が、戦後の「発展」があったと言っても過言ではない。この歴史と現実を前に、今、ヤマトに住む私たちの立ち位置が、在りようが、これほど問われたことはないのではないでしょうか。これほど明確な沖縄のみなさんの意志とその正当性を前にどうするのかと。沖縄では、4・25を引き継ぎ、5月16日、普天間基地をヒューマンチェーンで取り囲む包囲闘争が呼び掛けられています。全力で応えよう!

 F ひるがえって三里塚では、「成田空港のハブ化」「地元経済の発展」という最早虚構でしかない理由をもって、市東さんの農地(右写真、例を見ないほどの優良農地だ)の強奪を唯一の根拠に、市東さんが現に生活道路としており、一般の人々が日常的に利用している開拓道路を閉鎖する(道路法に違反している)攻撃が、この5月20日以降、かけられようとしている。鳩山政権によるこの攻撃もまた、その本当の根拠は「米軍再編計画の2014年達成」にあることは余りにも明らかであり、沖縄を愚弄するこの攻撃と根は一つなのだ。

 3月27日、沖縄から三里塚に来られた知花盛康さんなどと反対同盟農民との交流が夜遅くまで続いた。当然、話題は普天間基地閉鎖を巡る4・25県民大会を巡るものとなった。萩原進さんは、翌日の集会での基調報告で明らかなように、4・25県民大会への参加をひそかに決心されていたとは思う。しかし、一言も出されなかった。県民大会の翌日、26日、千葉で自らの農地を巡る裁判で意見陳述を行う予定であった市東孝雄さんは、この交流の中で、「反対同盟の旗を持って行って、県民大会の中で翻したい」と決意され、話された。待っていたように萩原さんが、「二人で行こう。明日の実役で決めよう」と語られ、関西から同席していた永井代表、山本世話人も、押し出されるように「私たちも行く」と決断された(下写真は、同盟旗を手に4・25県民大会でビラをまいておられる市東さん)。10425_2

 市東孝雄さんは、この話の中で、沖縄の闘いの中に自らを置くことで、三里塚の闘いの中での自分の想いをさらに不動のものとしたのです。いかに、国家権力が、空港会社が、成田市が、団結街道を封鎖しようが、市東さんがこの農地を耕し続ける限り、彼らの目論見は完全に破産するのです。

 現に、萩原さんと東峰部落を叩きだそうとして行われた東誘導路の建設による東峰の森の破壊によって、清水の畑(5・16集会の会場)に行くのに時間と危険があろうが、萩原進さんは、何変わることなく耕作を続け、敵の目論見を破産に追いやったではありませんか。その闘いが、市東さんへの攻撃、第3誘導路攻撃、団結街道閉鎖攻撃を引きよせたことは事実でしょう。しかし、市東さんは、萩原さんに続いて、淡々と農作業を続けようとしておられるのです。ここに勝利の鍵があります。

 私たちに必要なことは、市東さんのこの闘いを孤立させることなく、団結街道の閉鎖を阻止し、第3誘導路計画を粉砕することを、正に現地における実力闘争によって、沖縄の怒りのマグマの爆発と呼応し、全国の農民階層に闘いの道を指し示すことではないでしょうか。5・16三里塚現地集会に総決起しよう!

 団結街道の閉鎖を許すな! 第3誘導路計画を粉砕しよう! 暫定滑走路を閉鎖させ、成田空港を廃港へ! 市東さんの農地を守ろう! 沖縄と三里塚を貫いて闘いを爆発させよう! 5・16三里塚、普天間に総決起しよう!

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2010年5月 5日 (水)

日本軍「慰安婦」問題の立法解決を!

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 今日、大阪・梅田の陸橋の上で、日本軍「慰安婦」被害女性と共に歩む大阪・神戸・阪神連絡会が、いつもは夜ですが、休日ということもあり正午から1時間、立法解決を求める「緊急120万署名」の訴えとビラまき行動「水曜デモ」を行いました。この日の署名は、70筆が集められたようです。

 この日撒かれたビラから、 

―― 「服を脱がないからと言って殴り、髪の毛をつかんでひっぱられ、周りの固いもの全てで殴られ、気絶したあとにいつ意識が戻ったかわからない。逃げる場所もなく出て行く力もない。これを行った人に『間違ったことをした』と言ってほしい。そのことを聞くことで心が落ち着く」 ・・・・戦後65年がたちました。

 昨年の政権交代で、日本はおきざりにしてきたアジアの被害者に対する戦後補償問題を解決するチャンスを得ました。特に日本軍「慰安婦」問題について、民主党、社民党は野党時代から「戦時性的強制被害者問題解決促進法」を8回にわたって国会に提出してきました。新政権はこの問題をこれ以上先延ばしすることなく、1日も早く法律を作って、高齢の被害者に謝罪と償いを届けるべきです。この問題を次の世代に持ち越すことなく、被害者の方が生存しておられる間に解決するよう求めます。

 戦時において、想像を絶する苦痛を受けた被害者の多くはすでに亡くなっています。韓国だけでも234人の方が名のり出られましたが、現在生存者は85名です。今年に入って4名が亡くなられました。どれほど無念な想いで亡くなられたでしょうか。残された時間はありません。 ――

 1055_2 この訴えの行動に、大阪府警は、開始直後にあっというまに何の法的な根拠もなく右写真のように歩行者と分断し、取り囲み、「やめろ!」と言い続けたのです。しかも、歩道橋の全ての登り口で「歩道橋の上は、混乱していますので避けてください」と大声で通行人に呼び掛け近づかないようにしていたのです。こんなことが許されるでしょうか。

 この日は、関西一帯から駆けつけた支援の人を含め、100人以上で行動が行われたため、警察は手を出せなかったものの、カマボコが6台も出され、私服警官が100人近くも取り囲み、歩道橋の下には機動隊が待機するというものものしさです。しかも、このものものしい警備の理由が「在特会」(在日特権を許さない市民の会)をはじめとした人びとによる、こうした日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める行動をはじめとしたことへの、おぞましい襲撃、暴行です。世の中が一向に良くならない、格差と貧困、失業の問題が吹き荒れる中で、ヨーロッパの「ネオナチ」に似た排外主義の嵐が、日本でも吹き荒れ始めたのです。それに大阪府警が、警備に名を借りて手を貸そうとしているのです。到底許せません。

 この100年ちかくの、日本によるアジアへの侵略と殺戮、略奪の歴史、その戦争責任とアジアの人々への謝罪と賠償問題に向き合うことなく、開き直り、今また排外主義の嵐を、暴力によって起こそうなどという「在特会」をはじめとした動きを到底許すことはできません。

 今、「排外主義を許さない 5・30関西集会」(5月30日午後2時 大阪・扇町公園)が呼び掛けられています。集まって、声を上げようではありませんか。

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2010年5月 4日 (火)

沖縄米軍基地撤去! 9条改憲阻止! 5・3共同行動

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 昨日、5月3日、北区民センターに281名の人が集まり、「沖縄米軍基地撤去! 9条改憲阻止! 5・3共同行動」の集会が開かれ、集会後、梅田までのデモが行われました。1053_2

 集会冒頭、主催者挨拶に立たれた小川登さん(9条改憲阻止の会・関西代表)は、① 目先の動きに惑わされず沖縄米軍基地撤去の軸をしっかりさせること、② 5月18日から始まる「国民投票法」の巨大な権力との闘い、③ 日米安保、地位協定との闘いと簡潔に問題点を指摘されて挨拶されました。

 続いて「名護市民投票から市長選勝利の地平 -辺野古新基地建設阻止・普天間基地撤去の闘い-」と題して東恩納琢磨さん(名護市議会議員)の講演です。東恩納さんは、先ず、6分ほどの映像で「辺野古の海の素晴らしさを知ってほしい」と辺野古の海を紹介されました。

 東恩納さんは、「嫌なものが弱いところに押し込まれる」「誰かが犠牲にならなければ安全、安保というものが成り立たないのか」「それでいいのか」と語り始められました。13年前、住民投票の中で、建設業の職場を辞められた。辺野古にある基地キャンプシュワブは、沖縄最後の基地として、本土の反基地闘争で追い出された海兵隊の基地として作られたが、当時、東恩納さんのお父さんを始め年配の皆さんは、結局米軍の銃剣とブルドーザーで作られると諦めの中で反対闘争をしなかった歴史を語られた。自分も同じようにすることはできないと反対運動に立ちあがったと語られました。その後の住民投票、知事選挙、市長選挙の経緯の中で、国策を押しつけながら、いつも国が「知事が、市長が受け容れたんじゃないか」という言葉で片付けられてきた。そしてジュゴンの問題など外国で問題とされても「地元が受け容れた」と片付けられてきた。1053_3

 「選挙に勝たないと」「諦めない」という強い想いの中から、今回の名護市長選挙に勝ちました。これまでの分裂選挙で一番悔しい思いをしたのは名護市民だとして、一本化への経緯を語られました。この13年間、基地に翻弄され、苦労させられてきた、それは保守も革新も同じだった。その人々が心を一つにして勝つことが出来たと。

 今日4日、鳩山が沖縄に来ることについて「何を考え、何を言いに来るのか判らない」と半ばあきれるような想いを語られました。4・25県民集会の結集の凄さと、にもかかわらず翌日首相を訪れた県民に会おうとしなかった鳩山首相、そして「知事が、市長が受け容れているから」という政治をやってきた人たちが、「市長選挙の結果を斟酌する必要がない」などということは絶対に許せないと語気を強められました。「それが民主主義なのかと私は思う」と。稲嶺市長が、「会わない、会わせないとしないでほしい」、しかし「はっきりと本土へのメッセージを言うために密室ではなく、市民会館で市民の前で鳩山首相に言いたい」と語られたことを紹介され、その市長への期待の想いを語られました。1053_4

 そして「アメリカではありえない『世界一危険な基地』である普天間は即時閉鎖しかない。政府は、先ず市民、国民の安全を確保して交渉に臨むべきだ。交渉する相手は沖縄県民ではありません。アメリカ政府です。なんでアメリカにものが言えないからと沖縄に押し付けてくるのですか」と訴えられたのです。

 そもそも「抑止力」ということが言われるが、海兵隊は、「有事に真っ先にアメリカ市民を救うための軍隊」とアメリカ軍の司令官が言うように「抑止力ではない」と断じられました。「なおさら沖縄の必要はないじゃないか」と。裁判の中でアメリカの国防省が「基地を作るのは日本政府。主権国家である日本を尊重している」と証言し、アメリカは「沖縄に要る」と言っていないことを、「言っているのは日本政府であり、日本のマスコミだ」と語気を強めて批判されました。そしてアメリカの国防省は「アメリカの基地を望まないところに基地を置きたくない」とも証言しているのだと。

 「結局、本土に持っていけば反対があり、沖縄に押し付けておけばいいんだという場当たり的な目先だけの判断でしかない」と怒りを込め断罪されました。そして「そうであってはならないという想いを声に出し、伝えて行くこと」の重要性を訴えられました。「60数年、沖縄は虐げられてきた。沖縄が変わることで日本が変わるというぐらいの想いで取り組んでほしい」とも。

 「密約問題をアメリカ政府は情報公開で認めている。他方、日本は西山裁判に見られるように解決の先送りをして隠そうとする。それでは交渉も出来ないじゃないか」とも。「認めない限り、そこには信頼も生まれない」と。「首相の佐藤栄作がノーベル平和賞をもらっている。これは日本人として恥ずかしい。恥ずかしいんであれば、それを取り下げてもらう」ということも一つの運動ではないかと。国際社会に「きちんと密約問題を明らかにしている」と認めてもらうためにもと。

 「戦場になって、しょうがなかったと諦めるのか、これから生まれてくる子どもたちが、そんな情けない国に生まれたくないだろうと、そう思うと先ず私たちがちゃんとものを言うことではないでしょうか」と訴えられ、最後に沖縄に対する差別ということを訴えられてお話しを終えられました。1053_5

 とつとつとした語り口から、心にしみとおるお話しでした。会場から、この東恩納さんの話に応えて沖縄出身の大阪に住む女性から、日本の方たちが基地を持つ沖縄の現状を「おかしいじゃないか」と言っていくのがほんとじゃないかと思うと、想いをこめて語られました。そのあと休憩をはさんで、「辺野古に基地を絶対つくらせない大阪行動」、「反原発・もんじゅ運転再開を弾劾する」小林圭二さん、「水曜デモ」(日本軍「慰安婦」問題関西ネットワーク)から、「5・30集会実行委員会」から排外主義に反対して、「門真3中『君が代』処分をただす会」から「日の丸・君が代」強制反対、「釜日労」から釜ケ崎の訴え、「連帯ユニオン関西地区生コン支部」を代表して戸田ひさよしさんから、それぞれ連帯の意を込めたアピールが行われ、田川晴信さん(9条改憲阻止の会・関西)から集会まとめが行われた後、インターナショナルを全体で斉唱して集会を終わりました。

 集会後、晴天でようやく暖かくなり始めた大阪を、梅田の中心街まで、元気よくシュプレヒコールを行いながら約30分のデモをして解散しました。

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2010年5月 2日 (日)

実行委ニュース 第130号発行

1051  昨日、関西実行委員会の「実行委ニュース」第130号を発行しました。賛同会員の皆さんのところへの発送は連休明けになりますので、よろしくお願いいたします。

 実は、前号を発行してわずか2ヶ月ですが、「団結街道閉鎖阻止」を掲げた5・16現地闘争の呼びかけに応えて関西実行委員会として態勢を築こうということで、当初予定を半月以上前倒ししての発行です。

 原稿を書いていただいたみなさんには無理をお願いし、発行にこぎつけました。特に巻頭の永井代表には、沖縄に行ってからでは疲れて書けない可能性があるからと、行くまでに書いてくださいとお願いし、書いていただきました。

 巻頭は「5・16三里塚現地へ起とう!」と題して永井満関実代表世話人。

 「3・28三里塚全国集会に参加して」と題して事務局の弥永修さん。

 事務局次長の安藤眞一さんには「北原事務局長の勝利の確信を我がものに -3・14三里塚関西集会の報告-」と「弁護団全員が、新裁判長に『正しい訴訟指揮をせよ』と迫る!-市東さん耕作権裁判(26日)報告-」の2つを書いていただきました。本当にご苦労様でした。

 加えて、当ブログから「無理に無理を重ねてきた二期-暫定滑走路の歴史-」(4月14日記事)、「沖縄・読谷での県民集会」(4月27日記事)の2つを転載しました。

 この「実行委ニュース」を武器に、5・16闘争への現地結集への流れを創り出しましょう。同時に、5・16沖縄・普天間包囲闘争への決起も一体のものとして創り出しましょう!

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2010年5月 1日 (土)

今週の産直野菜 (5月1日)

1051  予想通り、ゴールデンウィークの渋滞で、三里塚の産直野菜が今ごろ(午後3時)届きました。午前中に届けば、例年欠かしたことのない「被災地メーデー」に顔を出しに行こうと思っていましたが、沖縄・県民大会の疲れもあり、諦めて発送作業などごそごそやりながら、野菜が来るのを待っていました。

 今週は、春大根、のらぼう菜、春キャベツ、小松菜、エシャロット(若採りラッキョウ)、ブロッコリーの6品です。ネギが先週で終わりになって、あとは同じですね。

 季節外れの寒さと雨でどうなるんだろうと心配していましたが、「何とかなっているじゃない」という雰囲気ですね。ありがとうございます。反対同盟をはじめ現地の皆さんも、沖縄に行ったり、裁判があったり、いろいろ大変な上に天候不順。本当に大変だろうなと推察します。 

 頑張ってたべなければ・・・。さすがに先週は、沖縄の疲れの上に、色々あってちゃんと食べる機会が少なく、先週の野菜が少し残っていますが、さあ、頑張ってどんどん食べて体力をつけ、5・16三里塚へ!

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