4・25沖縄県民大会のうねりと共に
いよいよ沖縄の読谷で開かれる「普天間基地を『国外・県外』へ」「私たちの意志を日米政府に示そう!」と掲げた県民大会が目前に迫ってきました。
大会の公式サイト「うまんちゅ揃って県民大会」http://taikai425.ti-da.net/によれば、離島を含む各自治体の実行委員会がたちあがり、東京、大阪、京都など日本各地でも連帯する集会が企画され、海外でもワシントン、ハワイなどでの取り組みが紹介されています。正に「うねり」が始まっています。
先日、4月6日、首相官邸前座り込みを行った沖縄代表団による内閣府(首相)への申し入れの場で、知花盛康さんは、「政府が誤ると、沖縄の民衆の怒りのマグマは、かってのコザ騒動を超えて爆発するぞ!」と体全体に怒りを露わにして官僚に叩きつけられました。
昨日、国会で行われた党首討論で鳩山首相は、「昨年12月、移転先の決定を先送りした判断に触れて『もし辺野古に決めていれば、どんなに楽だったか』と漏ら」(今朝の朝日新聞記事)したと伝えられています。判るはずもないと言ってしまえばそれまででしょうが、本当に事態が判っていません。
昨年8月30日の政権交代、60年にわたる自民党支配の打倒は、「もう我慢ならない」という民衆の決起によって勝ち取られたものです。この間、危機に駆られた日本帝国主義総体が、強烈な右からの揺さぶりを政府にかけていることは事実ですし、本来保守の亜流である民主党がグラグラになり、「東アジア共同体」「日米同盟の深化」の道へと後戻りを始め、また「在特会」に象徴される暴力的な右翼の跋扈、跳梁が始まっていることも事実です。しかし、自民党の無残な解体状況が示されるように、私たちの国は明らかに「後戻りしてはならない道」を歩み始めたのです。
それは「もう我慢ならない」というあの8・30を引き起こした力です。沖縄の昨年11月の2万1千人の県民集会、1月の名護市長選の勝利、勝連半島への巨大基地建設への蠢きに対するうるま市のみなさんの決起、そして4・25県民大会の前倒しと島ぐるみの決起は、先日4・18の徳之島1万5千の決起、そして岩国での米軍艦載機部隊の厚木からの移駐に反対する5千~1万の市民集会(5月23日実施)の呼びかけと、「米軍再編」を真正面から見据えた決起が続々と始まるうねりを生み出しています。
2004年8月12日、宜野湾市の沖縄国際大学に岩国基地から飛来した米軍海兵隊の輸送ヘリコプターCH-53D(右写真)が墜落、炎上しました。機体の破片は、周辺の住宅に飛び散り、赤ちゃんをあやしていた母親のすぐそばにも飛び込み、負傷者や死者が出なかったことが不思議とさえ言われました。しかし、その現場は武装した米軍によって封鎖され、日本の警察も消防も近づくことが出来なかったのです。これが世界有数の経済大国と言われる日本の主権の実態です。
昨年11月には、読谷で、酔っぱらった米兵によって男性が轢き殺され放置されたまま米兵は基地に逃げ込みました。起訴が行われるまで、日米地位協定に遮られ警察は事情聴取さえ出来なかったのです。
こんなことは無数にあります。ここには、沖縄には人権が今もなお存在しないことを物語っています。沖縄の皆さんの怒りは、「もう我慢できない」という怒りは、知花盛康さんが言われたように、最早おしとどめることが出来ない「怒りのマグマ」となってぐつぐつと煮えたぎっているのです。これと8・30の事態が結びついたのです。
明治政府による琉球処分は、参政権がヤマトよりもはるかに遅れ、奈良原知事による専制支配と杣山処分に象徴される「開墾」に名を借りた農地、森林の強奪が、沖縄県民の戦前の凄まじいまでの差別と貧困を強制し、しかも沖縄戦の悲惨な犠牲を生み出しました。それもヤマト、日本軍による。そして戦後65年にわたる米軍支配です。
沖縄のみなさんが「もう我慢ならない」と言われる時、こうした130年に及ぶ歴史の総体を指し示し、私たちヤマトの人間に問うておられるのです。そして、その壮絶ともいえる歴史の中から、今、「日米同盟の深化」を沖縄のこの現実の上に語ろうとする日本政府、そして私たちに「もう我慢ならない」と突きつけておられるのです。
政府が言い、マスコミが流布してきた「普天間基地の移設」という問題の立て方は、こうした沖縄の人々の想いをすり替えようとするものに過ぎません。だから、相も変わらず「キャンプシュワブの中」か「辺野古の沖合い」などと言うプランが、あるいは「普天間基地の継続」が、これでもかと言わんばかりに出てくるのです。沖縄の皆さんが「我々を愚弄するのか」と怒られるのは当然です。
8・30からこの半年余りの沖縄をめぐる問題の核心は、沖縄の皆さんが訴えておられる「普天間基地の即時閉鎖」(移設先など問題にしているのではない!)と、少なくとも「これ以上の新基地は受け入れられない」「米軍基地は撤去すべき」ということなのです。「基地依存」という言葉がありますが、これこそ自民党政府が、ヤマトが垂れ流してきた沖縄への差別を象徴するデマゴギーです。沖縄の経済の中で米軍基地の存在による影響は、すでに5%をすら割り込んでいます。膨大な基地の土地が解放されれば、もの凄い影響が、沖縄の平和な町づくりが、生きて行く道筋が生まれるのは明らかです。
私たちは「もう我慢ならない」という沖縄のみなさんの地響きをともなううねりと共に歩む中から、岩国をはじめとした平和な暮らしを求める人々との繋がり、原子力発電の愚を繰り返して貴重な自然と住民の暮らしを破壊しようとする上関や福井(もんじゅ)のみなさんと繋がり、何よりも、国の農地強奪、農業破壊に抗して44年勝利的に闘い抜く三里塚の農民と共に、8・30で始まった「後戻りしてはならない道」を歩もうではありませんか。
三里塚反対同盟が、萩原進さんと市東孝雄さんが、この4・25県民大会に参加されることは、共に農地強奪を強制される中から、「国策」を押し付けられる中から立ちあがった、日本の戦後史を画する巨大な二つの闘いが合流することであり、決定的に重要な意味を持っています。沖縄のみなさんのうねりを共にさせていただくとともに、この決定的に重要な節目を共にすることが出来ることをかみしめながら、4月25日の県民大会に参加したいと思います。
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