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2010年4月30日 (金)

大阪港と戦跡めぐり (4月29日)

10429_2  昨日、4月29日、地下鉄の大阪港駅に集合して、「大阪の海と空を使わせない会」で、大阪港とその周辺の戦跡めぐりをしました。少し風が強く肌寒かったですが、散策するには格好の晴天。12人が集合。

 先ず、中央突堤に(右写真)。ここから、あるいは住友岸壁、第1、第2、第3突堤から兵員、武器弾薬、軍馬、物資が船積みされ中国、アジアへ向かい、病院船で戻ってきた遺骨や傷病兵が 第2、第3突堤に接岸したという説明を受ける。今は、格好の仕事途中の昼寝場所とYさんの説明も。104292_2

 もどって築港2丁目へ。跡かたもなく市住などの建物が立ち並んでいますが(左写真)、主にイギリス兵の捕虜が千名も収容されていた大阪捕虜収容所本所跡です。捕虜の人たちは、神戸でもそうですが、港湾荷役作業などの強制労働をさせられた。大阪大空襲などの時、「ここは大丈夫」と逃げ込む人たちも被弾。捕虜の医者が負傷者を治療したという話も。10429_4

 次は、築港高野山へ。もともと天保山運河の内陸側にあり、四天王寺と並ぶにぎわいがあったとか。戦争で宿坊が船出待ちの軍隊の宿舎となり、遺骨の帰還には法要と、出征基地の本山となる。6月1日の大空襲ですべて焼け、現在の場所に再建。焼けただれた菩薩像(右写真)や墓、殉職した港湾労働者の碑などがあり、港区の受難の歴史を身をもって歩んだお寺でもあると説明。10429_5

 今度は赤レンガの住友倉庫。手前にあった線路は撤去されている。この倉庫の反対側が、軍需物資を積みだし、出征兵士を最も多く送り出したかっては大阪港の花形岸壁であった住友岸壁。大型船や客船はたいていここに接岸したとか。倉庫の屋上に高射砲が置かれ部隊が駐屯していたとか。10429_6

 すぐ近くに港住吉神社。もともと江戸時代から天保山に鎮座し、塩、魚など町の営みの名残が残る(右石碑)。しかし、大阪港の築港とともに現在の場所に移り、翌年(1904年)日露戦争勃発により、港は出征の足場となった。10429_7 「砲弾の碑」(左写真)は、日露戦争で使われた軍艦の30センチ砲弾2発が寄進され、そのまま碑になっている。

 ここから天保山に移動。高さ30メートルの日本一低い山が、砲台か何かのために削られ、戦後、今の公園に変わったとか。

 10429_9 右は、「獣魂碑」。この近くに「陸軍糧秣省大阪支廠」があった。豚や鶏などがここで処理され、軍の食糧として船積みされた。強制連行され、強制労働に従事させられた人びとの碑などはないのに、こうしたものがあるというところに当時の日本軍の性格が表れている。

 ここから海遊館の方に少し行ったところに「彰往察来の碑」がある。10429_10 「大阪に中国人強制連行があったことを、私たちも知りませんでした」という言葉で始まる碑文が書かれたこの碑は、大阪中国人強制連行受難者追悼実行委員会によって2005年6月になって、やっと建てられた。「彰往察来」とは「過去を明らかにし、未来を察する」ことだと碑文の最後に記されていた。

 この日回れた戦跡以上に、もっと沢山の戦跡が、この周辺、そして大阪中にあります。戦後65年、こうした過去の歴史と向き合い、そして私たちの国の「戦争責任」を私たち自身のこととして向き合うことが本当に必要になっているのではないでしょうか。沖縄のみなさんの闘いを思うにつけ、この日、その思いが強くなりました。10429_11

 この後、帆船型観光船サンタマリア(右写真)に乗って、大阪港巡りをしました。住友岸壁、第1、第2、第3突堤のあたりをまわりました。しかし、港の中だけだったのが残念。

 大阪の海と空を戦争に使わせない会では、今日の行動を引き継いで、6月20日、全港湾OBで、大阪中国人強制連行受難者追悼実行委員会事務局長として「彰往察来の碑」建立に関わられ、また日朝市民連帯・共同代表でもある有元幹明さんをお招きしお話しを聞くことにしております。ぜひ、みなさん、お集まりください。【6月20日(日)午後2時~、会場・田中機械ホール、会費・500円】

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2010年4月29日 (木)

市東さんの耕作権裁判傍聴レポート (4月26日)

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弁護団全員が新裁判長らに「正しい訴訟指揮をせよ」と迫る!

 去る4月26日午前11時、千葉地裁で耕作権裁判の第15回口頭弁論が開催され、この日から裁判長と右陪席が変わったため、顧問弁護団全員が裁判長白石史子らに対する「更新陳述」を行いました。

 葉山弁護団長は、「そもそも収用裁決が取り消されて公共性がなくなった成田空港の用地問題を、民事裁判で強奪しようとする国とNAAと成田市の不法は許せない。裁判長は土地収用委員会の代用をするな。国策裁判に手を貸すな。正しい訴訟指揮をせよ」との陳述を行った。Img 一瀬弁護士からは、「市東さんは今日の法廷で冒頭陳述をする予定だったが、4・25沖縄10万人集会に参加して、このビラ(右写真)を配り、集会場の真ん中に反対同盟の旗を立てて、三里塚と沖縄の連帯を勝ち取っている。沖縄も三里塚も国家権力が暴力で農地を取り上げている。許せない。私は身体を張ってでも、この裁判に勝利する」との烈々たる決意を陳述しました。

 出席した7名の弁護士は、それぞれの決意を述べ、50分間にわたる陳述の後、今後の口頭弁論に対し「原告の準備書面や求釈明への回答は不十分。最初から細かく求釈明を求めてゆく」との要望を裁判所に行い、次回の期日を7月26日に決定。この間、原告NAA側は弱々しく沈黙を守るだけ。この日の裁判は市東さんは欠席でしたが、弁護団、傍聴席一体となった怒りあふれる法廷でした。

 裁判が終了し、弁護士会館で行われた報告会は、萩原富夫さん(最初の写真右端)の司会で行われ、冒頭、北原事務局長から「今日の裁判は弁護団の決意表明で素晴らしかった。正義の弁護団がいるからこの裁判は成立している。この闘いを含めて、三里塚の闘いは次第に全国的に浸透してきた。5・16現地闘争に集まって欲しい。10426_2 廃道攻撃は許せない」との挨拶がありました。

 司会の萩原さんから、「先ほど、沖縄にいる市東さんと萩原事務局次長からみなさんへの次のような伝言が届いた。『昨日の沖縄の闘いに感動した。9万人の人々が結集した。ほとんどの首長も出席した。成田市の小泉市長も見習え。反対同盟は旗を真ん中に立てて、連帯した』」との報告があり、参加者全員は拍手で応えました。このあと弁護団から、原告への求釈明、地番錯誤、インチキな契約など徹底的に争っていく方針が述べられ、報告会は終了。1時からの「学習会」があるため、各団体からの挨拶は割愛されました。

 この日の口頭弁論にも、反対同盟員の森田恒一さん(前関実世話人)もお元気に参加。「94歳になるが、車の運転が出来るかぎり、100歳まで参加する」と、若い(?)私に語ってくれて、大いに励まされる思いでした。

                   (報告 事務局次長 安藤眞一)

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2010年4月28日 (水)

5・16三里塚現地へ! 団結街道閉鎖を阻止しよう!

Photo  すべてのみなさん。

 成田市と空港会社NAAは、成田市天神峰の団結街道(市道)の閉鎖を、この5月20日にも強行しようとしています。他方、国土交通省は、4月2日、NAAから出されていた第3誘導路の認可申請を受けて5月24日に公聴会を成田市内で行うことを公表しています。

 事態は、急を告げています。

 三里塚反対同盟は、3・28全国集会で萩原進事務局次長の基調報告で、緊急事態に向けて全国規模の全国集会の開催も辞さずとすでに訴えておられましたが、この20日以降の団結街道、第3誘導路の攻撃に対し、以下の「5・15三里塚現地闘争のお知らせ」を発し訴えておられます。

 2・25、3・28と続く闘争になりますが、バスの態勢などを整え、関西から全力で5・16三里塚現地へ決起しましょう。

5・16三里塚現地闘争のお知らせ                                   三里塚芝山連合空港反対同盟

 三里塚をともに闘うみなさん!

 成田市は空港会社と示し合わせて、団結街道(成田市道)の廃止を決定し、空港会社への譲渡手続きを進めています。5月20日以降ただちに閉鎖しようとの構えに対して、反対同盟は廃道粉砕・閉鎖阻止の5・16現地闘争を決定しました。F

 不屈に闘う市東さんの営農と生活を妨害して移転を迫り、三里塚闘争を解体しようとする、あせりに満ちたこの攻撃は粉砕あるのみです。5・16現地闘争をもって、反対同盟は、第3誘導路計画と現闘本部撤去攻撃を粉砕し、市東さんの農地を守る新たな闘いに入ります。

 この日、沖縄では普天間基地包囲の大闘争が闘われます。5・16三里塚現地闘争は、基地撤去を闘う沖縄県民への連帯集会です。4・25沖縄全国集会への代表派遣を引き継ぐ闘いとして、ともに闘いたいと思います。

 鳩山内閣は聞きと混迷を深めつつ、いっそうの基地強化と改憲攻撃、労働者・農民からの収奪に踏み出すことは明らかです。反対同盟は農地を武器に闘います。労農連帯の旗の下、東アジア共同体構想と軍事空港建設に反対し、敢然と立ち上がります。

 団結街道閉鎖阻止! 第3誘導路計画粉砕! 沖縄闘争連帯の5・16三里塚現地闘争に多くのみなさんが結集されるよう呼びかけます。

2010年4月20日10516

     

【日時】 5月16日(日)午後1時半

【会場】 成田市東峰 反対同盟所有地

【主催】 三里塚芝山連合空港反対同盟

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2010年4月27日 (火)

沖縄・読谷での県民大会(4月25日)

10425

 4月25日、沖縄県読谷の運動広場で「米軍普天間飛行場の早期閉鎖・返還と、移設に反対し、国外・県外移設を求める県民大会」が開かれ、9万人(宮古、八重山で開かれているのと合わせて93,700人)が続々と結集しました。会場から手前の嘉手納まで、集会終了まで10キロ近い渋滞が続きやむなく歩く人も出たとか。会場に間に合わない人々が沢山でて、また第1会場(上写真、私のカメラではワイドに撮れないのが残念)をあふれて第2会場にも沢山の人が。10425_2

 集会には三里塚反対同盟の萩原進事務局次長と市東孝雄さん、そして関西実行委員会から永井満代表世話人と山本善偉世話人を始め約20人が参加しました。集会に先だって、参加される皆さんに反対同盟が用意したビラ「10.4.25反対同盟ビラ.pdf」をダウンロード を、萩原さん、市東さん、永井さん、山本さんを先頭に反対同盟と関西実行委員会がビラまき。ちょっと見られない光景でした。またたくまに用意された2千枚が、皆さんにわたっていきます。10425_3

 第1会場全体が、沖縄の各地域や組合で区割りされていましたが、関係者の了解を確認して会場中央の通路際に私たちは陣取ることができました。青空の中に真っ赤な三里塚反対同盟の旗と関西実行委員会の幟が翻るのは気持ちのいいものです。感動!(集会開始と同時にすべての旗をおろすよう指示があり、残念) 参加される皆さんが、それぞれ黄色いTシャツやリボン、スカーフ、帽子などを身に付け、政府に対して「イエローカード」を突きつける意思表示を。10425_4

 集会は、読谷高校3年生の河口明里さんが堂々と司会をして進行。先ず、主催者挨拶を沖縄県議会の高嶺議長が行い、知事あいさつを仲井真知事が行うことで、文字通り沖縄県民の総意で県民大会が開催されたことを表明したのです。直前まで動揺を繰り返していた仲井真知事を引きづり出した沖縄の民意の凄さが、集会全体を静かな中に行きわたっているのが感じられました。

 住民と地域を代表するとして登壇した伊波宜野湾市長、稲嶺名護市長、島袋うるま市長、そして漁民を代表しての赤嶺勝連漁協組合長の「普天間基地即時閉鎖」「新基地建設反対」の激烈とも言える訴えには、この自治体首長を押し上げてきたそれぞれの住民の闘いと想いが後押ししていることがヒシヒシと伝わってきます。104254 前日報道された辺野古新基地建設のまた再びの動きへの激し怒り、名護市長選挙を闘った名護市民の決起が流れを変えた、世界の政権交代をしフィリッピン、エクアドルなどの国々の8割で米軍は撤退しているのだ、などなどが次々と訴えられ、基地撤去にかけた想いが語られました。

 普天間高校の2人の女子高校生、岡本かなさんと志喜屋成海さんが高校生を代表して、「私たち一人一人が考えれば、何かが変わる。そう信じて今、私はここに立っています」「日本国民全ての人が自分の問題として考えて、私たちの想いが一人でも多くの人たちの心に届くことを心から願っています」と訴えました。

 大会決議「10.4.25県民大会集会決議.pdf」をダウンロードが採択され、10425_5 「日米地位協定の抜本的改定を求める」「返還後の跡地利用を促進するため、国の責任で、環境浄化、経済対策などを求める」「返還に伴う、地権者補償、基地従業員の雇用確保を国の責任で行うよう求める」の県民大会スローガンが採択されました。翌日、26日、直ちに100人の上京団による政府交渉などが行動提起され 、ガンバロー三唱で県民大会が終えられました。

 なお、県内新基地建設を前提とした高江のヘリパッド建設の話しは残念ながら出ませんでしたが、この前日から「高江区住民への起訴を取り下げ、高江区周辺への新たなヘリパッド建設を中止してください」という緊急署名「takae-shomeiApril2010.pdf」をダウンロードが呼び掛けられました。ぜひ取り組んでください。

 10425_6 この日午前中、賑やかに「残波岬駅伝」を開く準備が行われていた残波岬を訪れ、沖縄戦で米軍が上陸した海に降り立ってしばらく時を過ごしました。左の写真は、石の下にひっそりと隠れているクロナマコを引きずり出して見る萩原さんです。岬の公園にある金城実さん制作の巨大な像の前で記念撮影(右写真)。10425_7 そのあと、「やちむんの里」を訪れ、焼き物を見たり買われたり・・・。

 県民大会の後は、金城実さんのアトリエに100人近い皆さんが来られて、バーベキューパーティの交流会を。知花昌一さんや盛康さんなど次々と登壇して話されるのを聞きながら賑やかに款談。関西から来た人は、ほとんどがここに合流。

 10425_8 山本世話人と金城実さんが同じ西宮で教師をしていたことなどから一気に交流を深め、「90歳の先輩は、うろうろしないで横にどんと座っていたらよろしい」といわれる一幕も(左写真)。

 10425_9 うす暗くなりだしたころに萩原進さんと市東孝雄さんが登壇し、三里塚の闘いを訴えるとともに沖縄と三里塚が一体となって闘い抜いていこうと呼びかけられました(右写真)。

 本当に凄い一日でした。ドライバーで飲めなかった私のために、萩原さん、市東さんとそれからスナックへ。12時近くまで、楽しい交流が出来ました。

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2010年4月26日 (月)

今週の産直野菜

10426  遅くなりましたが、今週の産直野菜です。ネギ、のらぼう菜、春大根、小松菜、エシャロット(若採りラッキョウ)、ブロッコリー、春キャベツ の7品です。

 土曜日、クロネコさんが渋滞で遅れ、沖縄に出かけるために荷受が出来ず、先ほど届きました。心配していた傷みはそれほどではありませんが、小松菜が一部黄色くなり(その部分は切り落としました)、傷みやすいといわれるのらぼう菜は、きっちりと菜の花が咲いています。

 ブロッコリーは端境期対策で初挑戦とか。エシャロットは、沖縄でちょうど最盛期で、二日間、泡盛のあてに食べました。2年ぶりだとか。

 沖縄の報告は明日にさせてもらいます。少々疲れていますので。今回、携帯から投稿するのを初めてやってみました。写真が修正できませんし、画面の状態がよくわからないまま送りましたが、写真が横を向いていたり、帰ってきて先ほど修正しました。「反対同盟の旗が翻る」写真は、やはりデジカメの方が萩原さんと市東さんがちゃんと写っており、いいので、せっかくですので差し替えました。これで三里塚現地での闘いで、現場からの速報が出来ると喜んでいます。まだ携帯で写真を撮るのがうまくできませんが、これも練習でしょう。ただ、携帯だと打ちこむことに気が行くせいか、文章が浮かんできません。日ごろパソコンになじんでいるからもあるのでしょうが、不思議ですね。

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2010年4月25日 (日)

始まりました

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今、始まりました。嘉手納から自動車がうごかない状態です。続々と参加者が入場しています。先ほど、知花昌一さんと盛康さんがこられました。

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沖縄県民大会

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今、県民大会開始30分前です。会場中央に反対同盟の旗が翻っています。続々と人々が集まって来ています。

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沖縄

4・25沖縄県民大会を前に三里塚と関西の交流が出来ました。萩原さん、市東さんと永井さん、山本さんの話し合いは、夜遅くまで続きました。沖縄と三里塚がつながることで、新しいうねりがはじまります。明日は、がんばりましょう。

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2010年4月23日 (金)

5・16三里塚現地闘争に起とう!

Photo  成田空港会社NAAは、4月2日、国土交通省に第3誘導路建設の認可申請を行いました。その工事と供用に伴う環境影響調査の結果と称して「B滑走路西側誘導路整備事業に伴う環境とりまとめ」が公表されましたが、そこには市東さんの宅地、畑と反対側にある取香部落での調査(一部は東峰十字路近辺)が行われているものの、計画されている誘導路直近に住む市東さん宅周辺は、まるで存在しないかのよにまったく無視されたデタラメなものです。

 そして国土交通省は、4月20日の官報(「10420.pdf」をダウンロード )で、この申請を受けて「空港の範囲の変更に関する公聴会」を5月24日午後3時、成田市の成田国際文化会館で行うと発表しました

 他方、成田市は、この第3誘導路建設を口実として市道(団結街道)の廃止の告示を、3月19日以来、2か月の期間行った上で、5月19日以降法的に閉鎖し、NAAへの譲渡を行うことを公表しています。NAA、国家権力・機動隊は、5月20日以降に物理的に団結街道の閉鎖を行った上で、市東さんの南台の畑(上写真の一番上の畑)をフェンスで取り囲む攻撃を企んでいます。

 最初の誘導路の県道の地下道化、東誘導路の県道の地下道化、あるいは横堀の小屋への農道の地下道化などが示すように、生活道路として使われている団結街道は、第3誘導路を仮定しても地下道化で道路を残すべきものです。団結街道廃止は道路法にも違反し、何一つ整合性もないのです。それを廃止することに、これがただただ市東さん叩き出しへの攻撃として進められていることが明示されているではありませんか。空港利権にしがみつく小泉成田市政の犯罪性が、ここに示されています。

 2002年の暫定滑走路の供用開始自体をはじめ、北延伸攻撃、東峰の森を伐採しての東側誘導路の建設、農地法による市東さんの農地強奪の攻撃など、この8年間のすべてが市東さんと東峰部落の住民への「地上げ屋」まがいの立ち退き攻撃でした。しかし、それら「外堀を埋める」ような攻撃のことごとくが、市東さんを先頭とした反対同盟の闘いによって打ち砕かれてきました。そして2・25天神峰現闘本部裁判において、本部の撤去策動が破産に追い込まれることによって万策尽きた国家権力、空港会社、成田市は、市東さんそのものに対する直接的な叩き出し攻撃に一気に撃って出てこようとしているのです。それも、この5月20日以降の日程で。Photo_2

 私たちは、この事態の重大性をいささかなりとも軽視してはなりません。これは、萩原進反対同盟事務局次長が繰り返し喝破し訴えておられるように、反対同盟と私たちの闘いが、このたび重なる強暴な国家権力による攻撃を引きよせたのです。しかし、国は、引き寄せられたものの闘いの爆発を恐れ、可能な限り粛々と手続きを進め、市東さんが諦めることを、その農民蔑視の手前勝手な理屈で願望しているに過ぎません。ここに三里塚闘争44年の現実があります。萩原さんが3・28全国集会で提起されたように「あの代執行攻撃に対するあの闘いをもう一度復権させる」ことが私たちに求められているのです。「まなじりを決し、火の玉となって闘い抜く」と決意を固めておられる市東さん、萩原さんは、それゆえに明日から沖縄に向かい、沖縄における4・25県民大会に反対同盟の旗を翻させようとしているのです。

 5・16現地緊急闘争の成功と、5月20日以降の現地における実力闘争の爆発は、沖縄県民の米軍基地撤去の闘いと呼応し、すざまじい情勢を生み出します。5・16のこの日、沖縄では4・25県民大会の爆発を引き継いだ「普天間包囲」の大闘争がすでに呼びかけられています。三里塚では、敵の攻撃の流れからこの日しかなかったのですが、三里塚と沖縄で同時に怒りの闘いの火柱が上がる、これほど凄いことはないではありませんか。

 実は、この5・16闘争は、団結街道の廃止という成田市の犯罪への弾劾であるとともに、「5・24公聴会」を皮切りとする第3誘導路建設攻撃への闘いの号砲です。出来れば、成田市での大集会の実現と大デモンストレーションによる成田市民への訴えという格好の機会にもなるはずでした。しかし、三里塚において成田治安法という悪法が今も厳然と存在するのと同様、成田市は反対同盟に対して100名以上のいかなる場所も会場として許可しない(以前は、桜の花見にさえ貸さなかった)のです。それゆえ、農繁期にさしかかり、夏や秋に向けた植え付けなどに忙しい畑で集会をしなければならないのです。10427

 この記事を書いた後、すぐ医者に行き、続けて外出をし、夜、大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判支援連絡会学習会で「『沖縄問題二十年』から45年 ― 沖縄問題を語り続けて ― 」と題した新崎盛暉さん(沖縄大学名誉教授・左写真)のお話しを聞いて帰ってきたら、反対同盟ブログに、5・16集会の要項が発表されていました。

 このところ10月の全国集会を開催している萩原さんの清水の畑で開かれるようです。

団結街道閉鎖阻止! 第3誘導路計画粉砕!            基地撤去を闘う沖縄闘争連帯!10516

5・16三里塚現地闘争

【日時】 5月16日(日)午後1時30分~                   【会場】 成田市東峰 反対同盟員所有地                  【主催】 三里塚芝山連合空港反対同盟

 みなさん! 5・16三里塚現地闘争に総決起しよう!

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2010年4月22日 (木)

4・25沖縄県民大会のうねりと共に

10425  いよいよ沖縄の読谷で開かれる「普天間基地を『国外・県外』へ」「私たちの意志を日米政府に示そう!」と掲げた県民大会が目前に迫ってきました。

 大会の公式サイト「うまんちゅ揃って県民大会」http://taikai425.ti-da.net/によれば、離島を含む各自治体の実行委員会がたちあがり、東京、大阪、京都など日本各地でも連帯する集会が企画され、海外でもワシントン、ハワイなどでの取り組みが紹介されています。正に「うねり」が始まっています。

 先日、4月6日、首相官邸前座り込みを行った沖縄代表団による内閣府(首相)への申し入れの場で、知花盛康さんは、「政府が誤ると、沖縄の民衆の怒りのマグマは、かってのコザ騒動を超えて爆発するぞ!」と体全体に怒りを露わにして官僚に叩きつけられました。

 昨日、国会で行われた党首討論で鳩山首相は、「昨年12月、移転先の決定を先送りした判断に触れて『もし辺野古に決めていれば、どんなに楽だったか』と漏ら」(今朝の朝日新聞記事)したと伝えられています。判るはずもないと言ってしまえばそれまででしょうが、本当に事態が判っていません。

 昨年8月30日の政権交代、60年にわたる自民党支配の打倒は、「もう我慢ならない」という民衆の決起によって勝ち取られたものです。この間、危機に駆られた日本帝国主義総体が、強烈な右からの揺さぶりを政府にかけていることは事実ですし、本来保守の亜流である民主党がグラグラになり、「東アジア共同体」「日米同盟の深化」の道へと後戻りを始め、また「在特会」に象徴される暴力的な右翼の跋扈、跳梁が始まっていることも事実です。しかし、自民党の無残な解体状況が示されるように、私たちの国は明らかに「後戻りしてはならない道」を歩み始めたのです。

 それは「もう我慢ならない」というあの8・30を引き起こした力です。沖縄の昨年11月の2万1千人の県民集会、1月の名護市長選の勝利、勝連半島への巨大基地建設への蠢きに対するうるま市のみなさんの決起、そして4・25県民大会の前倒しと島ぐるみの決起は、先日4・18の徳之島1万5千の決起、そして岩国での米軍艦載機部隊の厚木からの移駐に反対する5千~1万の市民集会(5月23日実施)の呼びかけと、「米軍再編」を真正面から見据えた決起が続々と始まるうねりを生み出しています。Ch53d

 2004年8月12日、宜野湾市の沖縄国際大学に岩国基地から飛来した米軍海兵隊の輸送ヘリコプターCH-53D(右写真)が墜落、炎上しました。機体の破片は、周辺の住宅に飛び散り、赤ちゃんをあやしていた母親のすぐそばにも飛び込み、負傷者や死者が出なかったことが不思議とさえ言われました。しかし、その現場は武装した米軍によって封鎖され、日本の警察も消防も近づくことが出来なかったのです。これが世界有数の経済大国と言われる日本の主権の実態です。

 昨年11月には、読谷で、酔っぱらった米兵によって男性が轢き殺され放置されたまま米兵は基地に逃げ込みました。起訴が行われるまで、日米地位協定に遮られ警察は事情聴取さえ出来なかったのです。

 こんなことは無数にあります。ここには、沖縄には人権が今もなお存在しないことを物語っています。沖縄の皆さんの怒りは、「もう我慢できない」という怒りは、知花盛康さんが言われたように、最早おしとどめることが出来ない「怒りのマグマ」となってぐつぐつと煮えたぎっているのです。これと8・30の事態が結びついたのです。

 明治政府による琉球処分は、参政権がヤマトよりもはるかに遅れ、奈良原知事による専制支配と杣山処分に象徴される「開墾」に名を借りた農地、森林の強奪が、沖縄県民の戦前の凄まじいまでの差別と貧困を強制し、しかも沖縄戦の悲惨な犠牲を生み出しました。それもヤマト、日本軍による。そして戦後65年にわたる米軍支配です。Photo

 沖縄のみなさんが「もう我慢ならない」と言われる時、こうした130年に及ぶ歴史の総体を指し示し、私たちヤマトの人間に問うておられるのです。そして、その壮絶ともいえる歴史の中から、今、「日米同盟の深化」を沖縄のこの現実の上に語ろうとする日本政府、そして私たちに「もう我慢ならない」と突きつけておられるのです。

 政府が言い、マスコミが流布してきた「普天間基地の移設」という問題の立て方は、こうした沖縄の人々の想いをすり替えようとするものに過ぎません。だから、相も変わらず「キャンプシュワブの中」か「辺野古の沖合い」などと言うプランが、あるいは「普天間基地の継続」が、これでもかと言わんばかりに出てくるのです。沖縄の皆さんが「我々を愚弄するのか」と怒られるのは当然です。

 8・30からこの半年余りの沖縄をめぐる問題の核心は、沖縄の皆さんが訴えておられる「普天間基地の即時閉鎖」(移設先など問題にしているのではない!)と、少なくとも「これ以上の新基地は受け入れられない」「米軍基地は撤去すべき」ということなのです。「基地依存」という言葉がありますが、これこそ自民党政府が、ヤマトが垂れ流してきた沖縄への差別を象徴するデマゴギーです。沖縄の経済の中で米軍基地の存在による影響は、すでに5%をすら割り込んでいます。膨大な基地の土地が解放されれば、もの凄い影響が、沖縄の平和な町づくりが、生きて行く道筋が生まれるのは明らかです。

 私たちは「もう我慢ならない」という沖縄のみなさんの地響きをともなううねりと共に歩む中から、岩国をはじめとした平和な暮らしを求める人々との繋がり、原子力発電の愚を繰り返して貴重な自然と住民の暮らしを破壊しようとする上関や福井(もんじゅ)のみなさんと繋がり、何よりも、国の農地強奪、農業破壊に抗して44年勝利的に闘い抜く三里塚の農民と共に、8・30で始まった「後戻りしてはならない道」を歩もうではありませんか。

 三里塚反対同盟が、萩原進さんと市東孝雄さんが、この4・25県民大会に参加されることは、共に農地強奪を強制される中から、「国策」を押し付けられる中から立ちあがった、日本の戦後史を画する巨大な二つの闘いが合流することであり、決定的に重要な意味を持っています。沖縄のみなさんのうねりを共にさせていただくとともに、この決定的に重要な節目を共にすることが出来ることをかみしめながら、4月25日の県民大会に参加したいと思います。

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2010年4月20日 (火)

門真三中「君が代」処分取消訴訟 第3回口頭弁論

1027  一昨年3月、門真市立第三中学の卒業式で、卒業生の1人を除く159人と担任5人を含む教師8人が「君が代」斉唱時にそろって着席したことに対して、門真市教育委員会が8人の教師全員と校長に対し、文書訓告処分や口頭厳重注意処分を出したことに対し、当該の川口精吾さん(右写真。「戦争は昔?それとも今?2・7集会」で挨拶される川口さん)が、処分を不当として損害賠償を求めた「門真三中『君が代』処分取消訴訟」の第3回口頭弁論が、昨日大阪地裁で開かれました。川口さんは体調を崩され、5月8日まで休職中で出廷されませんでした。

 この日、30人余りが参加し、傍聴席がほぼ満杯になる中で、原告代理人から、前回口頭弁論で出された被告、門真市、大阪府の主張に対し主要な弁論に先立つ反論が、「原告は、上記のような内心の自由及び表現の自由を尊重するからこそ、起立して歌う自由がある一方、起立もせず歌わない自由があることを生徒に適切に指導したに過ぎないず、何ら非難されるいわれはない。そのことは、原告が公務員であって、『全体の奉仕者』であったとしても、異なるところはない」として行われ、被告双方が賠償責任を免れないとした準備書面(1)を提出しました。そしてその中で、被告側が「混乱がなかったことを争う」としている点で、何が問題であったのか具体的に明らかにすること。また、事情聴取を不必要に繰り返し行った上で職務命令まで発っしたことで、不当な職務命令として原告が応じなかったことについて、事情聴取における議事録など一切の記録の提出を求釈明として求めたことが今日の中心でした。

 なお、裁判長の方から、原告代理人に対し、具体的な争い方についての原告の考えについて確認が行われた上で、次回の口頭弁論期日を、6月7日(月)午後2時からと決めて閉廷しました。

 閉廷後、裁判所の中で報告会が行われ、上記のような経過について太田弁護士から説明があり、いくつかの傍聴者からの質疑が行われて解散しました。

 傍聴された皆さん。ご苦労様でした。

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2010年4月19日 (月)

市民犠牲の神戸市による空港政策を批判

 神戸空港の中止を求める市民の会では、先週の4月14日、神戸市役所に出勤してきた市の職員への早朝ビラまき、昨日の4月18日には、JR元町駅前での市民へのビラまきとマイクを使っての訴えを行い、市民に犠牲を強いる神戸市による空港政策を批判し、訴えました。(「10.4.14市民の会ビラ.pdf」をダウンロード  )14日は、1300枚。18日は、500枚が撒かれました。Photo

 昨日の街頭宣伝では、この25日に沖縄の読谷で開かれる県民集会を紹介しながら、沖縄のみなさんの普天間基地即時閉鎖、県内新基地建設反対の想いを全面的に支持することを訴えました。その上で、神戸空港を米軍の演習のために使うという大阪府知事橋下や国民新党の動きに対して、矢田神戸市長に「反対する」よう申し入れたところ、「米軍基地の移転など安全保障の問題については、国において検討される事項」だとして、拒否する回答をしてきたことを訴えました。

 この矢田市長の回答は、神戸市が1975年以来守り続けてきた「非核神戸方式」を否定するものです。「非核3原則」がありながら、日米両政府による「核密約」によって、核搭載の米軍艦船が日本の港に自由に出入りしてきたことが、連立政権に代わったことで明らかになっています。そんな時代に、35年間も、非核神戸方式は神戸の港に米軍艦船を近づけさせもしないで「非核3原則」を厳密に守ってきたのです。10425

 港湾法という自治を前提とした法律の力でした。矢田市長の回答は、こうした非核神戸方式を通した自治体としての神戸市と私たち市民の平和への願いに裏打ちされた自治の精神を否定するものです。

 同時に、今まさに怒りのマグマが爆発しようとしている沖縄の皆さんの島ぐるみの闘いに冷水を浴びせかけ、反対するものです。本当に許せません。

 この日のこの訴えは、多くの人の関心を呼び、わざわざビラを取りに来られる方が出ました。1時間半、マイクを離さず訴えたのにはさすがに疲れましたが、25日沖縄の県民集会に参加させていただく想いをこめ訴えることが出来たと思います。

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2010年4月18日 (日)

全国連大会での山本関実世話人の挨拶

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 第19回、全国連の全国大会、おめでとうございます。

 自公政権が倒れて、新しい政治が出来るのかと、大して期待もかけていませんでしたけれども、案の定、何も変わらないで、支持率が日に日に落ちるテレビを、いやいや見ています。そういう状況の中で、この一年間を見てみますと、広島の差別事件、続いて長野の差別事件と大きな事件が表沙汰になっています。住宅家賃の値上げ、追い出しとの闘い。これらの闘いに全国連が力いっぱい闘って来られたことに心から敬意を表します。10417_2

 さる3月7日、東京で広島差別事件の真相報告集会がありました。私は、その日はほかに用事がありまして参加できませんでしたけれども、その報告を聞いた中で、森島先生の講演の中で、「差別する側の人間が、警察を使い、裁判所を使って堂々と差別をしておる。今までの差別問題とは根本的に質が変わってきた。これを見逃しておったら、あっという間に水平社以前の社会に戻ってしまう」と森島先生がおっしゃっておられるのを、感銘深く読みました。本当に闘わなければ生きていけない、そういう状況です。

 私たち関西実行委員会は、三里塚と闘って30何年になりますが、その闘いの一番初めに、解放同盟の、荒本の人たちが三里塚を闘うがゆえに除名されるという、その闘いを一緒に闘わせてもらったのが始まりであります。そこから苦しい闘いを続けながら全国連が生まれた。全国連が、本当に融和主義を粉砕して真の水平社を作るという、そういう闘いを私は非常に高く高く評価しております。

 現在、三里塚は、今、伊藤さんが言われた通りの状況です。市東孝雄さんを追い出すため、何としても二期の滑走路を完成させる、あるいは「へ」の字に曲がった誘導路をまっすぐにするためにと言って、第3誘導路を作る、もっと激しいことには、市東孝雄さんがもう生活、農業が出来なくなってしまうそういう中へ追いやっていこうとしています。

 反対同盟は敢然としてこれと闘い、私たちも力いっぱいそれを応援して、さる2月25日でしたか、裁判で権力の側が、あるいは政府の側が期待しておった、あの現闘本部を即時撤去という条件が付けられなかった。裁判は、彼らの方が通ったわけでありますけれども、さすがに裁判長は、即刻撤去することを命じることはできない闘いがあったわけです。それは一つの闘いですが、3月28日、「次の全国集会は、10月10日にするけれども、しかし事態はますます切迫している。必要に応じて、何時全国に、ともに闘おうと呼びかけるかわからない」と言われましたが、今、伊藤さんから聞いたとおり、5月16日、反対同盟は緊急集会を呼び掛けておられます。10417_3

 私たちは、沖縄の基地反対闘争を一緒に闘ってきましたが、三里塚の闘いと沖縄の基地反対の闘いとは、3月28日の三里塚の全国集会において、はっきりと反対同盟と沖縄の基地反対の闘いが一つになるということを確認しました。そして来る4月25日には、反対同盟は旗を掲げて読谷の集会に参加すると言われます。関実も、永井代表を先頭に、私も90になりますから、ひょっとしたら足手まといになるかもしれませんが、もう一度あの闘いに、一緒に沖縄に行くことを決意しております。

 みなさん、一緒に、闘わなければ生きていけない世の中、闘えば勝つんだということを確認して、新しい年を頑張ってほしいと思います。ありがとうございます。

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2010年4月17日 (土)

今週の産直野菜(4月17日)

10417  今日は、部落解放同盟全国連合会の第19回全国大会があり、関実を代表して山本先生とともに参加してきました。

 そのため、クロネコさんに産直野菜を先ほど持ってきてもらいました。

 今週は、ネギ、のらぼう菜、ラディッシュ、小松菜、それにからし菜漬けの5品です。端境期で少ないのですが、久しぶりの緑々した顔ぶれに嬉しくなります。

 それでも、昨夜から今日にかけ、関東地方は季節外れの雪など厳しい寒さが見舞っているようです。先日、15日、鈴木さんの一坪裁判の傍聴に伺った時、萩原富夫さんが「毎日の温度差が凄いのが一番応えている」と言っておられたのですが、心配です。2010417

 先週の竹の子のことをその折に聞いたところ、先週「萩原さんのところと市東さんのところにはそんな森はないので」とブログに書きましたが、お詫びして訂正します。東峰の森のはずれに空港に接して竹林があり、採れたてが美味しいのでと、先週出荷の9日の朝、200本近くの竹の子をみんなで掘ったそうです。それも育ち始めのことで、上には出ていないのを探して掘ったとか。本当に大変だったようです。なお、その時に、竹の子の料理の話しになり、「そのままあく抜きををしないでみそ汁に入れるとあくが出しになって美味しいよ」と富夫さんのお話しでしたよ。

  なお今日の全国連の集会では、来賓あいさつの冒頭に三里塚反対同盟を代表して伊藤信晴さんが連帯の挨拶をされ、5月16日の現地緊急闘争を訴えられました。2010417_6  続いて、関西実行委員会を代表して山本善偉世話人からの挨拶があり、 三里塚に寄せる全国連の皆さんの想いが伝わってきました。

 しかし、90歳になろうとされる山本先生の迫力には、あらためて脱帽させられた一日でした。

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2010年4月16日 (金)

鈴木さん一坪共有地裁判 (4月15日)

10415  昨日、4月15日、鈴木幸司さん、いとさん(左写真)所有の一坪共有地に関わる口頭弁論が開かれました。裁判長は、あの天神峰現闘本部裁判で2月25日、許すことのできない反動判決を行った仲戸川です。裁判長が席に着くや直ちに怒りの抗議が傍聴席から叩きつけられた。仲戸川は、卑劣漢らしく薄笑いを浮かべて下を向くのみでした。

 千葉県(原告)側の書面に対する求釈明を骨子とした「準備書面16」などが同盟弁護団より提出され、浅野弁護士(左写真)などが要旨を述べられた。

 10415_3 この日、千葉県側代理人は、一坪共有地強奪の口実としてきたすでに破たん状態にある「千葉県三角構想」の中で「貨物物流基地のため」空港会社に譲渡するとする背景をぼかし、すり替えようと「誤解がある」「県独自の整備事業」と居直ろうとしたのです。直ちに傍聴席から「これまでやってきたことは何だったんだ!」などと怒りの弾劾と、「何が誤解か」と浅野弁護士からの追及が。仲戸川は、例の薄笑いの表情を浮かべながら、「弁論の声が聞こえませんので」と弱々しく傍聴席に言うのがやっと。しかし、「誤解がある」とする千葉県側の開き直りを支える発言をして、その反動的正体を曝したのです。

 背景に日航の破綻と貨物機による輸送事業からの撤退があることは明らかです。ならば、強奪の裁判自体を「取り下げればいいのだ!」と怒りが、千葉県と仲戸川裁判長に叩きつけられました。10415_5

 法廷後開かれた報告会では、葉山、浅野、遠藤、一瀬各弁護士から、「ねちねちと」「楽しみながら」と判りやすい、勝利感に満ちた今日の法廷の説明がされました。

 被告当該である鈴木いとさんから、「頑張ります」と簡単な挨拶が行われた後、北原鉱治事務局長(左写真)から、先ず「3・28は寒かった。しかし、中は燃えている」とした上で、「5月16日現地で集会を持ちます」と訴えられ、「大事なことは政治を変えちゃうということ。三里塚から世の中を変えましょう」と語りかけられました。

 10415_6 最後に萩原進事務局次長の方から、5月16日現地集会をめぐる、5月20日から予想される団結街道廃道化の具体的攻撃との闘いと、5月連休明けから開始される「公聴会」など第3誘導路の認可手続きに対する闘いと現地の態勢を強化していくという方針を語られました。そして、この日が沖縄の普天間包囲闘争と重なったことに触れ、「三里塚闘争の中で沖縄闘争を展開する」、そして「沖縄に行った人たちは沖縄の闘いをやりながら三里塚の闘いを展開する」ことをとおして「文字通り三里塚と沖縄が一体となって闘われることが求められている」「ますますこれからそういう状況が生まれてくる」と提起されました。そして、その上で「廃道化にともなう行政訴訟などいろいろと闘っていきたい」「2つ、3つ裁判が増えるかも知れない」とされました。

 5月16日、三里塚現地へ全力で決起しよう!

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2010年4月14日 (水)

無理に無理を重ねてきた二期=暫定滑走路の歴史

 091025 1985年10月20日、「空港突入」をかかげた学生、労働者2千名が三里塚十字路で機動隊と数時間に及ぶ激突をやり抜き、逮捕者241名を出しながら闘い抜いた。追い詰められた政府、空港公団は、86年10月27日、天神峰、東峰を機動隊で制圧して未買収地を残したまま、成田空港二期工事の着工を強行した。

 しかし、未買収地だけでなく、今日、滑走路直近に東峰神社(右写真)、そして東峰の開拓道路(左下写真)が東峰部落の総有財産として、東峰部落が存在する限り手を出せないまま残るという暫定滑走路の破産を象徴する現実を承知の着工であった。言いかえれば、この着工自体が、東峰部落の抹殺を前提とし、そのための見切り発車であったのだ。091025_3 05年5月、北延伸を策動していた空港会社社長黒野による東峰地区住民への「お詫びの書面」こそ、こうした事実を隠蔽し、北延伸という新たな攻撃を強行しようとしたものとして幾重にも弾劾されなければならない。

 そして88年5月、空港公団総裁秋富が、土地収用法による未買収地の強奪をちらつかせるも、闘いによってその10月、千葉県収用委員会の委員全員が辞任して強制収用が不可能となるや、89年3月、公団総裁松井は、「反対派の軒先まで工事を進めご理解いただく」とその人権無視の強硬な姿勢を露わにした。実際に、市東東市さん(孝雄さんのお父さん、99年逝去)の生活は、工事による深刻な振動と騒音に襲われた。

 そして87年、土地収用法は失効した。政府・空港公団は、1993年6月、事業認定処分に基づく権利取得採決申請、および明渡採決申立てを全て取り下げることで、この事実を渋々認めた。成田空港予定地の事業認定処分は全て失効したのだ。今回、成田市が団結街道の廃止をこの失効した事業認定を根拠としたが、正に違法行為そのものである。しかし二期工事は続けられ、02年4月、東峰神社や開拓道路を残し、島村さん宅の上空40メートルの飛行、未買収地による誘導路の「へ」の字化、滑走路と誘導路の間隔が航空法に違反しているなどいくつもの違法状態を「問題なし」として、供用開始が強行された。Ky3_3

 しかも東峰神社の立木が航空法に違反しているとして01年6月、これを伐採するという違法も構わず暴挙を行った上での供用開始であった。立木によって静岡空港の開港が延期されたことが示すように、これは「三里塚なら何をやってもいい」という無法な政府・空港会社の姿勢が如実に表れたものだ。(後日、この違法は、裁判で空港会社の全面的敗北として明らかにされた。)

 そして自らが「問題なし」とし、また東峰地区住民への空港会社社長黒野の自らの「お詫び」などの舌の根も乾かぬ05年7月、暫定滑走路の北延伸が決定され、06年9月着工された。そして同時に、市東孝雄さんの農地と作業所などを農地法を使って奪うという企みが、裁判所を使って始められたのだ。

 こうしたこれまでの歴史は全て、「工事を始めれば諦めるだろう」「飛ばせば出て行くだろう」などといった「国策」をかざした国家権力の農民を虫けらのように見下した思いあがりによる浅知恵によって進められてきた。そしてそれらすべてが、三里塚反対同盟の「空港絶対反対」にかけた想いと闘いによってことごとく破産してきた歴史以外の何物でもない。

 そこには空港計画を前提とした整合性のあるものではなく、ただただ三里塚闘争を叩きつぶしたい、反対同盟農民を叩き出したいということからなされた「つぎはぎだらけ」のデタラメでしかなかった。それは昨年供用が開始された第2誘導路の建設の過程が何よりも如実に物語っている。北延伸の物質的前提として、東峰地区住民の命の森であった東峰の森を破壊し巨費を投じて作られた第2誘導路が、供用を開始するまでもなく破産し、第3誘導路建設が叫ばれた。ここには、一切の基準が市東さんを叩き出す、反対闘争を破壊することを目的としていた事以外に何があるというのか。

 そして無法、乱暴な天神峰現闘本部裁判において具体的撤去のすべを反対同盟と我々の闘いによって失うや、第3誘導路の建設を口実に、団結街道の廃止が今年になって出されてきた。これは市東孝雄さんの営農と生活を破壊することを狙ったものであることは余りにも明らかであろう。団結街道は市東さんの毎日の営農のために使われるだけでなく、明らかに一般交通の用に供している。この道路法の規定に反した「廃止決定」は違法である。ここに「三里塚では何をやってもいい」というこの44年の三里塚の歴史を貫く政府・国家権力・空港会社、そして空港利権に群がる連中の断じて許せない在り方がある。暫定滑走路=二期工事のこの凄まじいまでのデタラメな歴史が示すように、このような在り方には一片の道理もない。

 市東さん、そして反対同盟は、4月25日の沖縄における県民集会に決起されるように、沖縄と三里塚を貫く反戦闘争の火柱によって、この卑劣、暴虐な団結街道廃止、第3誘導路建設の攻撃を粉砕しようとしている。緊急現地闘争が呼びかけられた5月16日には、くしくも沖縄における県民集会を引き継いだ普天間基地即時撤去を掲げた「普天間基地包囲闘争」が呼び掛けられている。私たちはそのいずれをも全力で闘い抜く。

 市東さんの農地を守り抜こう! 臨戦態勢に入った三里塚反対同盟とともに、団結街道廃止を実力で粉砕しよう! 5・16現地緊急闘争に全力で決起しよう!

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2010年4月13日 (火)

5・16三里塚現地闘争へ! 市東さんの農地を守ろう!

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 成田市による団結街道廃止は、5月19日に告示期間を終え、直ちに空港会社NAAに譲渡され、道路の物理的閉鎖、そして市東さんの南台の農地(上写真)を3メートル以上のフェンスで囲いこむことが直ちに行われかねないという事態になっています。断じて許されません。反対同盟が呼び掛ける5月16日の緊急現地闘争に全力で駆けつけ、臨戦態勢に入る反対同盟の皆さんと共に、このような許すことのできない暴挙を実力で阻止する闘いに決起しよう!Photo

 すでに当ブログでもいく度か訴えておりますように、団結街道廃止は、市東さんの営農に非常な困難を強制します。年間50品目を超える作物を1町余りの農地に作ることは非常に細かい作業を毎日必要とします。

 市東さん、萩原さん、鈴木さんなど反対同盟の農家は、格差と貧困と闘う労働者をはじめ、一軒でも多くの家庭に「ここで採れた野菜で食生活をしてほしい」と、無農薬・有機栽培での営農を苦闘しながら続けておられます。アグリビジネスによる種苗の支配から少しでも脱そうと里いもやのらぼう菜のような自家栽培のものも増やしています。

 多くの作物が連作を嫌う中で、これは非常に難しいことです。典型的なものがごぼうで、同じ場所では確実に育たない上に、具体的にも、萩原さんのところで一昨年豊作だったごぼうが、場所を変えても昨年は不作でした。作ってみなければわからないのがゴボウだそうです。それでも、作っておられます。

 この苦労には、実は消費者にいろいろなものを届けたいということ以上に非常に大切なことがあります。化学肥料や、除草剤などを使うことは土壌の中の生態系を破壊し、その生命力を失わせます。こうしたものを必要とする単作による農業自体が、アメリカなどでの表土の流出に見られるように、土壌の生命力を失わせ破壊します。連作を嫌う、それも生長期間が違う作物をいろいろ組み合わせながら50品目も狭い畑で育て、一年間畑に緑が絶えないことを通して、畑の土の中に分け入る作物の根の働き、そして畑の土の中の小動物や微生物、細菌などによる生態系の環境と循環が守られ、保水力豊かな土が守られ、育つのです。Photo_2 ですから、「強い農業」と言われ「担い手農家」と言われる利潤を前提とした換金農業として求められている大規模農業は、本質的に、この農業にとって最も重要な土壌を破壊して初めて成り立つものです。そもそも、日本の農業が、日本の風土があるとはいえ、2千年も続けられてきたのは、家族農業を軸とした、土を育てる「農」であり「百姓」だったからなのです。そういった意味で、戦後の自民党農政が1950年代末からすでに農地法の改悪と集約農業を進めようと企み現在に至っていること自体が、農業破壊、農民階層への敵対であったのです。ただただ自らの勢力の票田として、「ばらまき農政」でその本質を隠蔽してきたものが、新自由主義に舵を切ることでむき出しになり、自民党の崩壊という現実を生む一端となったにすぎないのです。

 市東さんは「土を育てるのに10年かかる」「土が私たちの命です」と言っておられますが、簡単に書きましたが、実はこの事からなのです。それは本質的に、300万農家が現実の農業破壊、農民殺しの攻撃を打ち破る唯一の水路であり、いかに困難ないばらの道であろうとも唯一の指針なのです。ですから、市東さんの農地を守る三里塚反対同盟の闘いを、萩原さんは「日本農民の名において闘う」と言われるのです。

 詳しくは書きませんが、世界の農業破壊と森林の破壊が、土地の資本主義的強奪(スターリン主義による破壊と収奪をも含め)が、地球の土壌を破壊し、保水力を奪い、雨量が少なくなってきているのに世界的に大洪水が増えているという現実を生んでいます。

 農業、農というものが、土を育てることを基盤に形成されるものである限り、そこには「生産性の論理」は少なくとも現在の段階では有効ではありません。いや、土壌を育てる上で、化学的肥料による破壊に見られるように自然の恵みともいうべき細菌をも含む様々な生き物の全体の力によりはぐくまれるものであるということなのです。Photo_3

 空港という「国策」を理由にしろ、こうした農業の本質を極限的に制限し、破壊するものとして団結街道の廃止と、市東さんの農地のフェンスによる囲い込みはあるのだということです。「農地死守」とは、言われた当初がどうであったかではなく、三里塚闘争44年の苦闘が切り開いたものとして、こうした農、農業の本質に根ざしたものであるのです。成田市、NAA、国家権力による暴力的な団結街道の廃止と市東さんの農地囲い込みは、こうしたことへの真っ向からの挑戦であり敵対である以上、私たちは、三里塚反対同盟と共に、市東さんと共に、実力で、死力を尽くし闘い抜き、市東さんの農地を守り抜かねばなりません。正に「農地強奪を阻む」ことが求められているのです。

 5・16三里塚現地へ全力で決起しよう!

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2010年4月11日 (日)

排外主義を許さない5・30関西集会への賛同と参加を

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 今日、4月11日、大阪で「在特会」のデモが行われ、これに対し「排外主義を許さない5・30関西集会」実行委員会による難波での街宣と抗議行動が行われました。「在特会」は、90人程度で、激しく叫びながら、私たちの抗議には警察と激しくもみ合いながら襲いかかろうとしました。写真を撮るのに夢中だった私の目の前、触れ合うようなところで、屈強なヤクザ風の男が機動隊と激しくもみ合いながら襲いかかろうとしてきたのには、さすがにビックリ。しかし、60人を超える私たちは、怒りの抗議のシュプレヒコールを叩きつけました。

 5・30集会実行委員会では、5・30への参加を訴えるとともに、集会の賛同を呼び掛けるビラを道行く人たちに撒き、訴えました。その一部を転載します。

排外主義を許さない5・30関西集会

【とき】5月30日(日)午後2時

【ところ】大阪・扇町公園

 「在特会」=「在日特権を許さない市民の会」を名乗る排外主義団体による襲撃や暴力行為が横行し、見過ごすことのできないものとなっています。

 埼玉・蕨市では、在留特別許可を得ることができたフィリッピン人の中学生の通う学校へとデモをかけ、「外国人を叩き出せ」と叫びました。10411_2

 京都では朝鮮学校に押しかけ、学校の校門前で「あなたたちはスパイの子だ」「こんなものは学校ではない」と叫びました。

 日本軍「慰安婦」の問題への取り組みに対する襲撃は全国で行われ、西宮「水曜デモ」への襲撃では負傷者を出しています。

 カトリック玉造教会で開かれた「カトリック正義と平和協議会」の集会にたいして攻撃もしています。

 今、日本社会は大きな岐路に立たされていると言えるでしょう。長引く不況と未来に展望が見いだせない閉塞感の中、在日外国人を虐げ、差別することで自らの居場所を確保しようとする人々が、全国的に拡がってきています。

 こうした動きに対し、ここ関西においても多くの人々が対峙し続けています。10411_3

 排外主義の動きを封じ込めるために、5月30日に大阪で排外主義に反対する集会・デモを開催します。多くの、多様な人々と繋がり、社会的な包囲網を関西において形成し、関西から全国へと繋がる反排外主義運動の大きなうねりを創り出す、その第1歩を共に踏み出しましょう。

 連絡先:〒550-0021 大阪市西区川口2-4-28 連帯ユニオン内 / FAX 06-6582-6547 / TEL 06-6583-5546 / メール shukai_530@yahoo.co.jp

 賛同人・団体を募集しています(賛同費は無料です)。公表の可・不可を添えて、上記連絡先へお申し込みください。

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2010年4月10日 (土)

今週の産直野菜(4月10日)

10410  今週の産直野菜が三里塚から届きました。

 ネギ、のらぼう菜、ラディッシュ、ニラ、たけのこの5品です。野菜不足で、今月の豊中の野菜市が中止とか。かなり端境期が長引きそうと聞いていたし、来た箱が先週同様小さく軽い。これはと諦めて箱を開けたら、凄い! ラディッシュとたけのこ。「農家だより」で竹の子のことは書いてありましたが、萩原さんのところと市東さんのところにはそんな森はないので、諦めていたのです。これを入れるには、同盟はもとより、現闘のみなさん、大変だったでしょうね。それに、ニラは初めてではないでしょうか。

 それとのらぼう菜。昨年、同じ時期に入ってきて、丁度、直前の援農で収穫を萩原富夫さんと一緒にしたので、ブログに紹介したのですが、覚えていないでしょうね。再録します。

 09331 「関東の一部だけで栽培されている野菜で、傷みやすく流通に向かないことで余り知られていなかったそうですが、柔らかくて甘いことから、最近関東で栽培が広がっているそうです。同盟農家も取り組んだというわけです。全体は右の写真のもので、中央部分にある菜の花のつぼみのようなものが先端についている茎の太くなったものを手折りして収穫します。残りは使えないので、なんとなくもったいない。菜の花と間違えられるそうで、おしたしにするのが一番簡単な食べ方とか。」

 端境期で天候不順から農作業が、植え替えなどいろいろと大変なはず。それでも、先日7日には、国会・首相官邸前での沖縄のみなさんの座り込みに、雨の中鈴木謙太郎さんと萩原富夫さんが参加されました。本当にご苦労様です。来週の4月15日には、鈴木幸司さん、いとさんの一坪裁判があります。そして25日には、萩原進さんと市東孝雄さんが沖縄の県民集会に参加されます(そのために、26日の市東さんの耕作権裁判には、お二人は参加できなません)。5月下旬には、昨日のブログで書きましたように、団結街道の閉鎖、市東さんの南台の畑をフェンスで囲んでしまおうなどという、到底許せない攻撃が目論まれています。

 この大変な市東さんをはじめ反対同盟農民のみなさんの営農を支え、怒りの反撃で市東さんの農地を守ろう!

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2010年4月 9日 (金)

団結街道廃道化を断じて許すな!

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 上写真は、今、農地法で強奪を企まれている市東孝雄さんの南台の畑です(右下写真の一番上の畑)。正面に天神峰現闘本部が見え、その左手のフェンスに沿って団結街道があります。先日の3・28全国集会のデモの解散地点です。

 さる3月16日、成田市議会はこの団結街道(市道)を成田空港の第3誘導路建設のためとして、「廃道」にすることを決議しました。そして、現地からの情報によれば、3月19日から2週間の縦覧と、2ヶ月間の公告をしています。つまり、5月19日には、法的には廃道にして閉鎖することが可能になります。具体的には、19日以降に成田空港会社NAAに譲渡することが行われ、直ちにNAAによって物理的に閉鎖される恐れがあります。断じて許されません。Photo

 先日、このブログで一度書いておりますが(http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/post-5b29.html)、市東さんは、4ヶ所の畑で常に30品目近い作付をし、その収穫、草取り、植え付け、畑の耕耘など母屋の作業所との間を日に何回も往復しながら営農をしておられます。この南台、その先の堀之内の畑に小型トラックやトラクターを運転して数分で通えるから、そうした複雑な作業が可能となっています。ところが、団結街道が閉鎖されれば、ただ遠い距離を移動するというのではなく、通行量の多い県道を通る危険の上に、時間がかかり、こうした営農に具体的に支障が出ます。正に市東さんの営農を破壊するために企まれたのです。第3誘導路計画は、この4月2日にNAAから国交省に変更申請が行われましたが、その半月も前に市議会決議を強行することに、そうした企みの正体が何よりも現われているではありませんか。

 成田市は、この廃道化の根拠として「団結街道が、1967年に工事実施計画認可申請を行った空港事業用地に含まれている」と主張しますが、この「申請」自体、1987年に失効し、国自身が1993年にそれを認めて、申請認可自身を取り下げているのです。

 しかも、廃止するには「一般交通の用に供する必要がなくなったと認められる」場合と道路法に規定されているのです。この団結道路は、市東さんの毎日の営農にとどまらず近隣の人々によって「交通の用に供され」ているのです。成田市議会の決議自体が違法なものなのです。10328

 市東孝雄さんは、先日の3・28全国集会で、「成田市長・小泉は『交差点の中に住むようなものだ』と言うが、そうやって移転を迫るのは一体誰だ。小泉市長、おまえだ。自分がそういう状況を作りだしているじゃないか」と弾劾しておられます。

 そして同じく萩原進事務局次長は、「廃道策動がある時には、全国に呼び掛けて実力闘争、武装闘争を闘い抜きます。(中略)代執行との闘いによって、社会的政治的問題として広まった三里塚の名声をもう一度取り戻さなくてはならない。10328_2 あのような闘いをやることが一番の勝利の道なんですよ。こういう闘いを恐れるから、あの一帯をフェンスで囲って、近づけないように、見えないようにして、穏便に物事を進めようとするのが今度の団結街道閉鎖なんですよ」と喝破しておられます。

 市東さんの営農を破壊し、農地を強奪する、ここにNAA、国家権力は全体重をかけてきています。しかし、反対同盟と私たちの闘いは、2・25天神峰現闘本部裁判において、ついに「仮執行宣言」を付けることを許さず、その攻撃に遅れを強制しています。そして、萩原さんが喝破されたように「こういう闘いを恐れ・・・、穏便に物事を進めよう」とするしかできないのが、敵の攻撃の正体でもあるのです。今こそ、私たちは、萩原さんの、反対同盟の呼びかけに応え、団結街道閉鎖を許さない闘いに総決起していこうではありませんか。市東さんの農地を守り抜きましょう!

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2010年4月 7日 (水)

首相官邸前座り込み行動 (4月6日)

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 沖縄の普天間基地即時閉鎖、県内新基地建設反対の声を踏みにじり、政権としての公約を破棄して、今、政府原案が「辺野古陸上案」と「勝連沖埋め立て案」であることは、県内タライ回しであり到底認められるものではないと、一昨日の当ブログにも掲載したように、昨日の6日から9日まで、首相官邸前、国会前での座り込み抗議行動が始まりました。1046_3 上の写真は、昨日午前、首相官邸(正面の建物)前で繰り広げられた抗議集会の様子で、この段階で150人を超える人々が、沖縄から、全国から集まられました。

 この日、一日の進行を日本山妙法寺の僧侶の武田さんが行われました。この日請願を行う3人が先ず登場して決意を述べられました。

 最初は金城実さん(彫刻家・右写真)です。金城さんは、「不当な仕打ちを受けてきた歴史を背負って、沖縄県民の五感をもってしっかりと見つめている」と、400年前の薩摩による支配以来の歴史と、佐藤栄作による密約問題を糾弾しながら、「政府は甘く見るな!」「第4の琉球処分をするのか!」と弾劾しつつ、「蟻が象を倒すようなもの」と勝利への確信を語られました。1046_4

 次に立った知花昌一さん(読谷村議・左写真)は、基地のない本土並み返還を求めた闘いをもの凄いエネルギーを投入して闘ってきた歴史と、なくならない基地と米軍犯罪の現実を訴えられた。そして自らの闘いで確かに「ゾウの檻」は取り戻したが、代わりに45億円の日本の税金でキャンプハンセンに新しい施設が作られたことを糾弾し、SACO合意は何だったのかと糾弾。そして沖縄のほとんどの自治体が県内移設に反対し、4・25、10万人の県民集会を迎えようとしている。「最低でも県外」が公約である政府が、4・25を待たずに政府案を出すことを許さない。ヤマトの人々に一緒に座り込んでほしいと呼びかけられました。1046_5

 3番目に知花盛康さん(読谷村農業従事・右写真)。盛康さんは、50数年前の宮森小学校に米軍のジェット戦闘機が墜落し、17人の子供などが亡くなった、あるいは沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落を語られ、命と財産が脅かされている現実を訴えられました。そして米軍が、ベトナム戦争、イラク戦争で多くの人々を殺してきた軍隊であり、沖縄県民を守る軍隊ではないと断じられ、「アメリカの基地はアメリカに持っていけ!」と訴えられました。

 1046_8 続いて、この間、基地の移転先として急浮上した300万坪もの巨大な「与勝沖(勝連半島沖)海上埋め立て案」に反対している住民の代表が、昨日の政府交渉、この日の昼からの「院内集会」の中から駆けつけ、つい最近とった海のサンゴなどの写真を示しながら(左写真)、「与勝のサンゴは死滅している」などという宣伝は許せないと弾劾された。そして「あの戦争で故郷は酷い被害を受け破壊されたが、海によって私たちは助けられた。海は私たちの宝であり、命です」と訴え、この日に始まる闘いが「沖縄だけの問題ではなく、日本全体の問題だ」と訴えられました。1046_9

 その後、激励に駆けつけていた国会議員、山内徳信参議院議員、糸数慶子参議院議員、服部良一衆議院議員の3人のうち、山内さん、糸数さんから挨拶が行われました。

 総理府へ請願を届ける時間になってしまい、集会をいったん中断して、知花さんお二人と金城さんを先頭に首相官邸の前にある総理府に。ところが、何と扉の前から中に入れようとしないではないか。1046_10 昌一さんを先頭に「憲法16条の請願権に基づいて来ている国民に何という対し方だ!」と怒りの抗議(左写真・右の正面で下を向いているのが政府の役人)。しばらくの押し問答の末に、何と今度は扉の内側に場所を作って請願書を受け取ろうとする。皆さんの怒りは倍加し、「米軍犯罪を弾劾して抗議する私たちに対して、米軍でさえ、司令官が迎え、司令官の部屋で座って抗議を受けるぞ!」と弾劾する昌一さんをはじめ、金城さん、盛康さんがそれぞれ抗議されました。1046_11 慌てた役人は、相談に。大分待たされて、ようやく上司が来た。知花昌一さんから、あらためて内閣府の対応に対する抗議が行われ、ようやく申し入れ室に、私たちは案内された。それでも、「部屋が小さいので」とか「マスコミは代表して1社に」とかぶつぶつ言いだすが、委細構わず私たち10数人とマスコミ各社がなだれ込んだら、全員入れるではないか。(といっても、扉をあけ放したままにしてやっとという状態で、勝ち取ったのです。)部屋に入るなりビックリしたのは、「日の丸」がテーブルの上、中央に置いてあるのです。

 1046_12 ようやく落ち着いて、知花昌一さんから鳩山由紀夫首相にあてた請願書(「10.4.6沖縄申し入れ.pdf」をダウンロード)が読み上げられ(最初のうちに件の「日の丸」は誰かが床に落としていた)、内閣府に手渡されました(左写真)。そして金城さん、盛康さん、そして「ひめゆり部隊」の方から強い怒りの表明がされました。「政府が誤ると、沖縄の民衆の怒りはかってのコザ騒動を超えて爆発するぞ!」と警告を込め。

 それから代表団は、待機してシュプレヒコールを繰り返しておられた皆さんのところへ戻り、金城さんから報告。最後に鎌田慧さんからの挨拶を受けて、首相官邸前での行動を終え、沖縄の皆さんを中心に「与勝沖基地建設に反対する」院内集会に100人余りが参加し、続いて記者会見。私たちは議員会館前で座り込みを続けました。1046_13

 記者会見を沖縄の皆さんが終えて帰ってこられてから、賑やかに挨拶や、シュプレヒコール、そして知花昌一さんの三線に合わせた金城実さんの踊り(右写真)などが披露され(これは、9日まで毎日行われるそうです)、賑やかな、元気な抗議行動が、各所での交流を交えながら行われ、4時過ぎに終わりました。

 みなさん。国会前に駆けつけようではありませんか。そして、4月25日、沖縄・読谷運動広場での県民集会に駆けつけよう!

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2010年4月 5日 (月)

3組合合同 花見大会

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 昨日、4月4日、須磨の妙法寺川で開かれた「恒例 3組合合同 花見大会」に参加してきました。今年は、満開直前で、ほんとに見ごろ。たくさんの人出の中、40人の参加のもと、風もなく、久しぶりの暖かい日差しの中での花見大会でした。焼き肉に、組合員さんが用意してくれたオードブルに舌鼓み。組合員さんの職場の労働者も訪れ、賑やかに。大いに食べ、大いに飲みながら、賑やかな交流が行われました。国労闘争団の大串さんや、全国連芦原支部の寺下さん、それに常連の李さんなど「撤廃させる会」の面々も。闘病生活中の大西さんも「暖かくなったので・・」と顔を見せてくださった。1044_2

 ビンゴゲームなどに興じた後、最後に石田委員長の団結ガンバローでお開きに。

 それから大西さんも加わって、カラオケに。歌に、踊りと賑やかに時の経つのも忘れて・・・・。

 みなさん、ご苦労様でした。

 同じ時刻に開かれていた元職ネット主催の纐纈厚さんの講演「日米安保・東アジア共同体を考える」を聞けなかったのが少し心残り・・・。

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2010年4月 4日 (日)

「県外移設」の不履行は絶対に認めない!

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辺野古浜通信から呼びかけれらている「普天間基地即時閉鎖」「県内新基地建設反対」の意思表示のための首相官邸前座り込み行動(4月6日~9日)のお知らせです。(最初の写真は宜野湾市ウェブサイトから転載した普天間基地と宜野湾市です。)

★ 4月6日(火)~9日(金) 沖縄県民(ウチナンチュ)が官邸前へ集結し、鳩山政権に対して「非暴力」で公約遵守を求める意思表示をします。

★ 民主党支持者を含め、「県内落着」はおかしいと考える市民(ヤマトンチュ)のみなさん、集まった沖縄県民に温かい声をかけるとかカンパをするとか、「非暴力」で彼らを応援してください。3000人以上の市民が足を運んでくださることを期待しています。

★ ただし、組織的動員はご遠慮ください。どういう組織・団体に所属されていても結構ですが、誰かに指示、命令されてではなく、個人の意志、責任で応援してください。

★ 4月6日(火)の午前10時30分からスタートさせる予定です。

【呼びかけ人】 安里英子(基地・軍隊を許さない行動する女たちの会)、安次富浩(名護市民)、金城実(彫刻家)、知花昌一(読谷村議、反戦地主)、知花盛康(読谷村の農業従事者)、真喜志好一(建築家、「琉球国・建設親方」)

 みなさん、首相官邸前に出かけよう! 声を上げよう!

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2010年4月 3日 (土)

NAAが第3誘導路建設を国交省に申請 断じて許せない!

3_2 昨日、4月2日、成田空港会社NAAは、国土交通省に対し、暫定滑走路の第3誘導路建設を申請した。ただただ市東さんの生活と営農を破壊することを目的にしたこの暴挙を、私たちは断じて許せない。

 NAAはその申請の「概要」の中で、「滑走路横断や無線設備(GS)の前面横断を解消するため」とのみ理由を書いている。「ふざけるな!」 と言わざるをえない。

 東峰部落住民が50年をかけて育て、その生活と営農を支えてきた「命の森」である東峰の森の3分の1以上を裸にし、住民の反対の声を無視して巨費をかけて第2誘導路を建設し、昨年7月30日に供用を開始したのは誰だ! その建設の過程で、「滑走路横断や無線設備(GS)の前面横断」など判っていたことではないか。にもかかわらず、供用を開始する前から第3誘導路建設をNAAは公言していた。これは第2誘導路建設が、「整備」を目的としたものではなく、その建設によって東峰部落住民の生活を圧迫し、営農を破壊することによって東峰部落そのものの叩き出しを狙い、暫定滑走路の南への拡張を目指していたものでしかないことを自己暴露しているものだ。これ自体許せるものではない。

 その上、今度は第3誘導路だと! これは第2誘導路の建設が、東峰部落叩き出しに、何の効果もなく失敗したことを自認したからの暴挙でしかない。それは、彼らにとって最大の目標であった市東さんの農地強奪、生活と営農の破壊によって市東さんを叩きだし、三里塚闘争を破壊することに手を付けざるを得ない事態に追い込まれた、最早、それしか道がないところに追い込まれたことを意味している。その破産による慌てぶりは、この第3誘導路建設の申請をする前に、そのための団結街道廃道化の成田市議会決議を成田市長小泉などに行わせたデタラメさに何よりも現われているではないか。しかもその第3誘導路建設には200億円もの巨費がかかるという。先日開港した茨城空港の建設費と変わらないというではないか。成田空港のためなら何をしてもいいとでもいうのか。F

 私たちは、こんな暴挙を断じて許さない。

 そもそも、第3誘導路を建設したところで、暫定滑走路の致命的欠陥である「へ」の字誘導路問題は一歩も解決しない。解決できないにもかかわらず、ただただ反対闘争を破壊するために「つぎはぎ」工事を繰り返す。それは、成田空港の破産を物語るだけだ。三里塚闘争の44年は、そこまでNAA、そして国家権力を追い詰めたのだ。3・28全国集会で確認されたように、農地死守・実力闘争の原則を守り抜いた三里塚反対同盟と我々の闘いは、現実的に意味を持たない、いや、実現すら危うい「つぎはぎ」工事の迷路に彼らを追い込んでいるのだ。三里塚・沖縄を貫く人民の闘いは、確実に彼らを破たんの淵に追い込み勝利する。

 あわせて、民主党が、渡部恒三を顧問に安住淳を代表にして、「成田国際空港ハブ化推進議員連盟」を3月31日設立したことを怒りを込め弾劾する。成田空港の利権が失われることを恐れた成田市など地元自治体と財界は、昨年秋の前原国交相による「羽田ハブ空港化」発言以来、夜間早朝の時間制限の緩和、団結街道廃道化、そして新たな3500メートル滑走路の建設策動など、成田空港の発着回数30万回化、24時間空港、ハブ空港化への蠢きを強めてきた。今回の「推進議員連盟」の設立は、それを国会議員の立場からバックアップし、新たな利権を生み出していこうとする動き以外の何物でもなく、断じて許せない。民主党政権の反動的正体が現れたもの以外の何物でもない。確実に破産させる!

 

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今週の産直野菜(4月3日)

1043  今日は早い。先ほど三里塚から産直野菜がとどきました。

 ニンジン、さつま芋、ネギ、大根間引き菜の4品。しかも、ニンジン、さつま芋は「最終」だそうです。

 3・28全国集会に行かれた方はお解りになるでしょうが、あの前後、現地は本当に真冬でした。それに「農家だより」で伝えられているように強風による被害も出ているようです。「どうかな?」と心配していたのですが、案の定。正に「端境期」ですね。次回予定品目も、「ネギ、のらぼう菜、他?」と書いてあるだけ・・・。

 個人的には、3・28の後、援農で残るつもりにしていたので、産直はおやすみしました。お陰さまでだぶつき気味だった野菜が、ほとんどなくなり、ほうれん草やキャベツなどを「店買い」の浮気。内心「スミマセン」と思いながら。しかし、買ってびっくり。ほうれん草のひ弱なこと。味も薄い。産直で来ていたほうれん草の逞しく、美味しいこと。

 その上で、「写真展&野菜市 in Kobe」をやったので、さつま芋を買って、残ったネギを引き取りました。所が、その日に来た産直にも、ネギとさつま芋がどっさり。おかげさまで、この2品は、今も残っています。そこへこの2品が。ネギなんか食事ごとに食べているのに残っているのです。どうしよう???。

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2010年4月 1日 (木)

反省しない神戸市 (3月29日)

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 2月16日、寒風吹きすさぶ神戸市役所前で開かれた「神戸空港開港4年抗議集会」(上写真 約100人参加)で採択された「抗議集会アピール」に対する神戸市の回答について、神戸市と3月29日朝、話しあうことになり、前日夜遅く三里塚から帰ってきたところだけに厳しかったですが、「神戸空港の中止を求める市民の会」を代表して参加させていただきました(右写真は、山本先生はじめ市民の会)。10216_4

 市民の側は、新しい神戸をつくる会、神戸再生フォーラム、ストップ・神戸空港の会など7人でした。神戸市側は、公聴課、みなと総局空港事業課ほか1名の3名でした。

 中田作成さんの司会で会ははじめられ、先ず、第1の要望「市政の参画と協働の理念の形骸化」ということに回答がない, 「回答が、具体的な根拠の数字を示さず、これまでの回答の字句をいじっているだけのいい加減なものだ」 「起こっている事態に面と向かって反省するというような姿勢がまったく感じられない」 「着工前に7割の市民が反対しているのを強行し、一昨年でさえ新聞のアンケート調査で矢田市政の問題点として神戸空港を進めてきたことを6割の人が第1に掲げている」 「反省の姿勢がないというのは、我々の市民感情と余りにも乖離している」と冒頭から激しい指摘が行われました。

 しかし、空港事業課は、「市の職員は努力してきています」などと見当違いな回答をするだけで、「結果」から「反省しろといわれても」と開き直ろうとします。公聴課が慌てて取りなす一幕も。この話しあう前提となる認識の違いの確認は個々の問題の確認を通して行うことにして、先ず需要の問題に入りました。

 「需要のこれまでの推移と21年度の230万人の現実と、22年度の予測403万人との乖離をどう説明するのか」と回答の「需要予測を見直す予定はございません」という主張に批判が集中しました。空港事業課は「これはあくまで予算で」と開き直ろうとするが、すでに議会で繰り返し大阪府北部に100万人の需要があるとする神戸市の「潜在需要」という考え方の問題、1990年代後半の市議会での需要予測論議の市民とのずれの問題、また神戸市の予測の大きな根拠とされたGNPなど経済予測の問題、さらには政権交代の中で「98空港問題」として明らかにされてきた「需要予測が国交省の空港を作りたいという方針に基づいて高めに設定された」といった報道がすでにされていることなどが指摘され、空港事業課は対応不能に。公聴課が、もう一度説明の文章を書いてくるとしてまとめざるを得なかったのです。10329

 次の問題である財政問題については、すでに約束した時間がなくなり指摘だけにとどめ次回の会議までに準備してもらうとして、先ず、管理収支について全く言及しておらず、もっとも緊急を要することへの「税金を使えばいいんだ」という神戸市の安易な態度に批判。そして建設財源の企業債の借り換えについて、金利は何を財源とするのか、また新都市整備事業会計として対応するとするなら、ポートアイランド2期の1400億円の返済をはじめ、新産業複合団地、西神南団地の返済もあると聞いているが全体としてどうしていくのかが明らかにならねばならないことが指摘され、空港事業課は「新都市整備事業会計の担当の者でないと」と責任を回避。当然、「なら新都市整備事業会計のものを呼んでこい!」と怒りの声が一斉に。

 わずかに出されたほとんどの問題でさえ保留にせざるを得ず、公聴課がとりなすように新たな文書回答と、再度の話し合いを提案することで、私たちは了解し、2時間にわたる話し合いを終えました。

 疲れた上に、暗澹たる気分に襲われた「話し合い」でした。会議の中でも触れられましたが、六甲の地下を掘って巨大なシンフォニーホールを建設するという無謀な計画がとん挫し、議会の承認もなく208億円もの欠損がでながら、「事業として妥当なものだった」という答弁で済ます神戸市、震災を好機として強行し半分も出来ない上に全部売れても(ありえない!)150億円の欠損を出すという新長田震災復興事業(実際は以前からの「再開発事業」でしかない)。そして、金がないからと財政難を理由にどんどん福祉を切り捨てている神戸市。そこに、私たちの税金を何だと思っているんだという怒りが、開き直る神戸市の職員の姿に拡大されるだけでした。

 同盟ブログに、昨日は北原さん、今日は萩原さんの3・28集会の発言が全文掲載されました。ぜひご覧ください。

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