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2010年3月15日 (月)

北原事務局長大いに語る

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 昨日、3月14日、大阪市立中央会館のホールで「三里塚闘争44年 北原事務局長大いに語る 3・14三里塚関西集会」が開かれ、集会後、にぎやかな御堂筋から難波までのデモを行いました。10314_4

 集会前に、前回から恒例になった現地情勢と反対同盟の暮らしを紹介するスライドによる説明が行われました。

 主催者の挨拶に立った永井満関実代表世話人(右写真)は、この集会のきっかけとなった天神峰現闘本部裁判における北原鉱治反対同盟事務局長の3時間におよぶ証言に触れながら「北原さんは44年間、闘いの姿勢がまったくぶれていない」と紹介されました。そして3・28三里塚現地闘争への決起はもちろんのこと、三里塚と共に重大な決戦情勢にある沖縄へも決起していこうと呼び掛けられました。

 この日のメインである北原事務局長(左写真)から約1時間に及ぶお話しが始まりました。 北原さんは「人間らしい社会になっているのだろうか」と問うことから語り始められました。「人間として生きる限り真実を求めて生きることの中に、若い人々の未来を作らなきゃあいけないという気持ちがあって当たり前です」「三里塚闘争44年は、自分にとって勲章だ」「まだ死ねない」と。

  反対同盟が結成された直後の淡路との関わりや、富里空港案に対する「農民に空港はいらない」と決起した富里農民の闘い。10314_18 2年、3年たっても決定できずに追い詰められた政府が、地元住民への何の説明も説得もしないまま三里塚案が強行された経緯を話されました。その折に航空局長に抗議に行って、無条件降伏したことによる米軍支配の問題を感じたと話されました。

 海軍士官として南太平洋の戦争に従軍した経緯を語られ、「戦争とは何か」と悲惨な経験を話されました。「罪もない兵士が、天皇の赤子として死にたくもないのに死んでいく。こんな戦争を起こしてはならない」と。 そして現在の普天間基地問題に触れながら、沖縄の米軍基地問題を語られ、沖縄・三里塚を貫く日米支配者による軍事の問題を語られたのです。10314_17

 三里塚闘争の一端として、32年前の横堀要塞戦に加わり、闘い抜いて逮捕された体験を、準備されてきた図を示しながら、具体的に話されました(右写真)。その面白いこと。このときのお話しは是非、全文を印刷物にしてご紹介したいと思っています。

 休憩をはさんで第2部のフリートークです。司会を代わった安藤さんから「2月25日、私たちはバス1台で決起し、仮執行宣言の攻撃を粉砕した。その勢いをもって今日の集会は開かれており、3・28総決起への決意を固めるフリートークをお願いしたい」との提起があって始まりました。10314_8

 部落解放同盟全国連の滝岡さん(左写真)は、「国家暴力に対して実力で闘う反対同盟の闘いに触れることで、部落解放を闘っていく上で大きな意義があった」と三里塚と共に闘うことの重要性を語られました。

 東灘区住民の会の白石さんは、北原さんの話にあった横堀要塞戦の時、山本先生を始め住民の会の3人が木の根でゴボウ堀の援農をしてから現場に駆け付けたことを紹介しつつ「節を曲げないで三里塚の皆さんと40年一緒にやってこれたし、今後もやっていきたい」と想いを語られました。

 10314_10 高槻市議の小西さんは、68年3・21闘争で三里塚に初めて行った経験を語りながら、医療・福祉が国の戦争政策の中で切り捨てられる現実を、自治体の中から変えていかねばならないと市議会議員としての道を選んだことを話されました。そして「『農地死守』『話し合い拒否』『実力闘争』の原則をブレずに貫いてこられた反対同盟(北原さんの話)に感銘を受けた。ここに一切の信頼をおいて全力で闘い抜くことが大事だ」と想いを語られました。

 ここで我慢できなくなって永井関実代表世話人が登場し、北原さんとの関わりの中でのエピソードを裏話としてご紹介。つられて北原さんも。北原さんは、これまでのみなさんの話への謝意を表された上で、「生きることは闘い」「『誰かがやる』という他力本願の時代じゃない」「いくつになっても感動を忘れてはいけない」「三里塚は闘います」と語られ、現地の成田市議会闘争(16日)などの都合で早く帰らねばならないことを詫びられました。10314_11

 大阪の空と海を戦争に使わせない会代表の青木さんは、「三里塚が勝ち続けていることに、そして関実の湾岸住民の闘いに支えられ続けてきた」として関西空港の軍事使用に反対していく決意を述べられました。その上で、普天間基地の撤去を移設問題にすり替え、有事ではなく平時において関空を代替施設として軍事使用することが公然と政府の中で論議されていることを弾劾されました。

 とめよう戦争!百万人署名運動兵庫県連絡会の世話人・梶原さんは、「今日の北原さんの話しを聞きながら、三里塚への空港づくりの背後に民主主義ではなく国家暴力がある。これは正に戦争政策だ」「日米軍事同盟がその背後にある」「三里塚は、日米軍事同盟、戦争政策と闘う拠点だ」「戦争のための自衛隊基地、日米共同軍事演習と闘うことが、三里塚の闘いと一体のものだ」と語られました。10314_12

 風をおこす女の会の松野尾さんは、「三里塚の闘いを通してどんな暴力にも負けず一歩も引かない、農民やお母さんたちの闘いに学んで、これまで来た。だから『在特会』の襲撃にも『そんなものは怖くない』と思える」「慰安婦の水曜行動の関係で、昨年秋、韓国を訪れ、ソウルのヨンサンで土地開発に反対した住民が虐殺された現場に行った折、その1週間前に三里塚の萩原さんが訪ねておられ、現場の人から『どういう人?』と聞かれ、『成田空港反対闘争』といったらすぐ通じた。『成田闘争』は世界に知られていると実感した」と語られた上で、援農闘争の大切さを訴え、3・28の後の援農を呼びかけられました。

  沖縄出身の立場から座喜味さんは、「北原さんの言葉に『私がやらなくて誰がやるのか』『今やらなくていつやるのか』という沖縄の言葉を常に言っていた古波津さんの言葉を思い出した」 「普天間基地は移設ではなく撤去が前提だ」「来月中旬には県民集会が準備されており、沖縄では怒りが充満している。10314_21 本土の人々のそれに対する受け止めが問題だ」「三里塚のように体を張った闘いが必要だ」「そして沖縄と三里塚の具体的交流が大切だ」と訴えられました。

 最後に、山本善偉関実世話人が立ち、「北原さんは、闘いの核心を話された。本当に感銘を受けた」「関実にとってかってない集会だ」「90歳になって、ますますやる気になっています。命のある限り闘います」「3・16から、3・28へ全力で結集しましょう」と訴えて、簡潔ながら決意みなぎるまとめと閉会のあいさつをされました。

 10314_20 それから世話人、北原さんを先頭にデモに出発しました。関西でも有数の繁華街である心斎橋からナンバまで、約1時間、宣伝カーでの訴えとデモの隊列は、休日と言うこともあり、本当に多くの通行する市民の大きな注目を浴びました。

 

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