« 「仮執行宣言」を粉砕! | トップページ | 今週の産直野菜(3月6日) »

2010年3月 5日 (金)

3・4大阪港核艦船入港反対学習集会に参加して

08925  

 昨日、3月4日、大阪の協同会館アソシエで、関西生コン、港合同など労働組合によって組織された「大阪港の軍事使用の中止を求める実行委員会」が主催した「3・4大阪港核艦船入港反対学習集会」に参加してきました。各組合の労働者が200人にのぼる参加で、「これが学習会?」と先ずビックリ。1034

 集会は、関西生コンの高英男副委員長(右写真)の主催者挨拶で始まりました。高さんは「今、大阪には当たり前のように軍艦が入っている」、そして「地球の反対側では今も戦争をしているのに鈍感になっている私たち」と指摘された上で、「例え少数であっても、どんな小さいことであっても戦争につながることには反対していきたい」と想いを語られました。

 早速、横須賀で20年にわたって「ヨコスカ平和船団」の取り組みをされてきた新倉裕史(左下写真)さんの講演です。最初の写真は、一昨年、横須賀を母港とする原子力空母ジョージワシントンが入港してきた時の「平和船団」の闘いの様子です(08年9月25日)。新倉さんはOHPを使って周辺事態法の地位協定と自治体の港湾管理権の関係を明らかにする形で、民間港への米軍艦船の寄港問題を明らかにされました。1034_2 96年の日米新ガイドライン以降、米艦の民間港への寄港は2倍になり、米軍再編(06年)以降、それはさらに増加したことに米軍の民間港へのはっきりとした意思が働いていると指摘されました。横須賀を母港とする空母インディペンデンスが、初めて民間港(小樽)に入港した時、様々な調査をされた経験を話されながら、タグボート、水の供給、ゴミの処理、食料や燃料、氷など様々な形での自治体と民間の協力が試されていた様子を明らかにされました。そして「大変だと言っていても仕方がない。どこに我々の活路があるかを見るべき」とされ、闘いの中から「自治体は周辺事態法に縛られない。あるのは国による『お願い』であり、有事であっても自治体の首長による許可が必要」と指摘されました。そして米軍が戦後全面撤収するにあたって制定された「港湾法」が、それまで国による一括管理だった港湾が自治体の長に管理をゆだねた根拠に平和主義と憲法9条があることを明らかにされました。Photo そもそも「平和船団」が右写真にあるように(イージス艦配備への抗議行動)、米軍の軍港の中をなぜ自由に動けるかを明らかにされました。陸上の米軍基地に侵入すれば直ちに叩き出されるか、逮捕されるのに。米軍の軍港と言えども、横須賀港の中にある限り港湾法の下にあり、船を出しても米軍は文句が言えないのです。この話しには正直驚きました。新倉さんは「港と言うのは安保のアキレス腱だ」と指摘されました。

 主催した実行委員会では、米軍の核艦船の入港を許可すべきでないと大阪市を相手取って裁判を行う準備を進めています。1034_3 その弁護団を代表して、冠木(かずき)弁護士(左写真)が挨拶に。冠木弁護士は、「核艦船は入ってくるな」という大阪市民の平和的生存権として、そして憲法9条、非核3原則などの国家が国是としているものを我々の権利として主張したいとされた上で、イラク派兵差し止め裁判等の経験から、この裁判を「私たちの財産にできるような裁判に」「大阪の平和運動全体が勢いづくような裁判に」、そして「実り豊かな裁判にしてぜひとも勝ちたい」と想いを語られました。

 ここで飛び入りで、フランスとカナダなど12カ国の人々で新自由主義によるヤクザのような力による雇用問題や住宅問題に取り組んでおられるNO-VOXの皆さんが登壇し(右写真)、アフリカでの民営化による解雇問題への取り組みなどを紹介しながら訴えられました。1034_4 労働運動の役割や、国境を越えた取り組み(例えば、大阪の長居公園での退去攻撃に対するフランスでの取り組みなど)を紹介しつつ、「全ての社会運動が力を合わせることによってしか闘うことはできない」と訴えられました。

 続いて、神戸市議会議員の粟原富夫さん(左下写真)から、「非核神戸方式」が生まれた背景と歴史が紹介されました。神戸の港が戦前は国家管理のもと、日本で最初の「国防婦人会」を生んだ町であることを指摘しながら、戦後、1945年から51年米海軍の完全占領下にあり、1034_5 74年に完全返還が行われるまで、朝鮮戦争、ベトナム戦争の中で、一般商船が何日も港に入れないなどの経済的障害や、米軍兵士の死体が港の冷蔵倉庫に保管されていたなどの問題など、神戸市民の労働者も経営者も、その困難を共有していた事によって1975年3月の「核兵器積載艦船の神戸港入港に関する決議」が議会で全会一致で勝ち取られた経緯が語られました。そして市民の声だとして、法律的根拠はないまま港湾管理者としての市長による行政指導として「非核神戸方式」が確立されたことを明らかにされました。1998年のカナダ艦船プロテクター号が、非核証明書もないまま、外務省とアメリカの意向を受けて神戸港に入港を強行しようとして、神戸市が、入港するバース指定を拒否し、結局海上自衛隊阪神基地に寄港せざるを得なかった事を明らかにされて、「まだ首の皮一枚で非核神戸方式は守られている」と語られました。1034_6

 最後に、港合同の中村吉政副委員長(右写真)が、まとめと閉会の挨拶に立ち、「40年間ずっと大阪港への軍艦の入港に反対してきた」想いに立って、「職場や地域から闘っていこう」と訴えられました。

 終わってから交流会も用意されていたようでしたが、後ろ髪をひかれながら、内容豊かな学習会に新たな力をもらったという想いを抱きつつ雨の中、帰途につきました。

|

« 「仮執行宣言」を粉砕! | トップページ | 今週の産直野菜(3月6日) »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「仮執行宣言」を粉砕! | トップページ | 今週の産直野菜(3月6日) »