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2010年3月31日 (水)

沖縄・三里塚を貫くたたかいを

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 3月28日、三里塚現地全国総決起集会は秋に比べて少し、減ったとはいうものの、あの凄まじい寒さをはね返す熱気に満ちた、4~5月現地決戦を迎え撃つにふさわしい素晴らしい内容をもったものでした。10328_3

 とりわけ萩原進事務局次長が、第3の提起として「三里塚の中で沖縄を語り、沖縄を闘おう」として「4・25沖縄県民集会に自ら出かけ、反対同盟の旗を掲げて三里塚ここにありと示す」と明確に提起されたことによって、沖縄・三里塚を貫く闘いへの共闘の砦の建設に向けた一歩が記されたことは決定的な重みをもったものでした。

 今回、沖縄からは「市東さんの農地を守る沖縄の会」を代表して、読谷の知花盛康さんと、辺野古のカヤック隊を率いるキム チミョン(金 治明)さんのお二人が前夜から来られました。永井さん、山本さんなど私たち関西の4人は、品川でお2人と合流し、車中で2時間余の交流をしながら現地に向かいました。10328_4

  夜、市東さん宅の離れで、萩原さん、市東さん、そして部落の寄り合いから遅れて駆けつけた鈴木さんと沖縄のお2人、関西の4人は、市東さんの手作りの料理や、沖縄からの塩らっきょうなどに舌鼓みを打ちながら飲み、大いに語り合いました。最後はカラオケも。4時間を超える大宴会でした。話しは、知花さんが思わず途中で「沖縄の話ばかりで、いいのでしょうか」と聞かれるほど、沖縄へのそれぞれの思いが語られました(左写真が盛康さん)。そして市東さんが、「同盟旗を持って乗り込みたい」ということを言われたのをきっかけに、萩原さん、市東さん、永井さん、山本さんが一緒に沖縄に行く話が出来上がったのです。10328_5

 翌朝、北原鉱治事務局長宅へみんなと、元関実世話人の森田さん、関西から駆けつけた20人ほどでにぎやかな恒例の交流会(右2枚の写真)。北原さんからは、1972年以来の沖縄の皆さんとの交流が形成される苦労話しと沖縄への想いが披露されました。09522_3 知花さんからは、「昨年5月の沖縄での萩原さん、市東さんとの交流(最初の写真は知花昌一さんと金城実さんとの交流。左の写真は読谷の座喜味城後で、嘉手納弾薬庫を背景に)が大事だった。その結果、昨日の盛り上がりが生まれた」「沖縄は心の底から怒っている」「沖縄、三里塚と共に平和を築こう」と話しがされ、キムさん(左下写真)は「沖縄の闘いの根底的なところに三里塚闘争40年があり、今日の集会は歴史的な凄い集会になる」と喜びが語られました。10328_6

 すでに昨日のブログに掲載しましたように、3・28全国集会は、三里塚現地の攻防が正に決戦局面に入っており、緊急の全国闘争をも含めた総決起が提起され、それと一体のものとして沖縄における決戦情勢が語られ、萩原さん、市東さんを先頭とした4・25県民集会への全力での取り組みが提起されたのです。

 10328_7 私たち関西実行委員会が、昨年3月、米軍再編と闘うとして「三里塚・沖縄・岩国・関西」と呼びかけ、着手した取り組みの核心は「沖縄と三里塚が結びつく」ことでした。(この時、私たちの取り組みに対し、「三里塚が後退している」とか、「決戦性が抜け落ちている」とかいろいろとケチ付けがされましたが)その大きな一歩が踏み出されたのですから、傍にいて興奮せざるを得ませんでした。そして、全国集会のあの盛り上がりでした。

 ただ、一昨日、いち早く3・28全国集会の成功を報じたあるブログで、4・25を訴えられる知花盛康さんと、4・25決起を語る永井さんや山本さんが登壇したことすら紹介されず、おまけに集会の基調報告として萩原さんが提起した「4・25に同盟旗を掲げて闘う」「三里塚の中で沖縄を語り、沖縄を闘おう」といった内容が「米軍基地撤去を求める沖縄の闘いと連帯する」という風に要約されたのです。思わず、我が目を疑いました。これでは、「4・25県民集会」、いや沖縄の人々の「心の底からの怒り」をも無視し、排除しているのではないでしょうか。本当に残念です。

 沖縄と三里塚を貫く闘いを、この三里塚の4~5月の激闘、沖縄の決戦の過程で大きくはばたかせようではありませんか。「県民集会を待っておれない」(盛康さんの言葉)と、4月6日から9日、知花昌一さんや真喜志好一さん、金城実さんなどが呼び掛けて、首相官邸前での沖縄行動団の座り込みが呼び掛けられています。ヤマトも、三里塚に関わる人々も、この呼びかけに応え結集しよう!

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2010年3月30日 (火)

3・28三里塚全国集会に1530人

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 3月28日、三里塚現地、市東さんの天神峰の畑に全国から1530名のみなさんが結集して熱気にあふれた全国集会とデモが行われました。10328_2

 冒頭、開会宣言に立った森田恒一さん(右写真)は、93歳とは到底思えないしっかりとした口調で、「悪質きわまる仲戸川裁判長でさえ、仮執行宣言付きの判決が出来なかったのは我々の大勝利だ」とこの間の闘いを簡潔に述べた上で、「どんな手段を使ってでも、機動隊暴力による天神峰現闘本部の破壊を許さない」と、この日の闘いの位置を明らかにされました。

 主催者挨拶は北原鉱治事務局長(左写真)。「成田空港の現状を見ると、そこには政治の利権争いしかない。農民の未来はあるのか」と。10328_3 学生への大学での弾圧に触れながら、「こんな世の中で若い労働者や学生に未来があるのか。一人一人が立ちあがり、決起して闘わなければならない」と。そして「若い人たちの未来を作るために三里塚闘争を闘ってきた」と。そして有事の米軍による軍事使用を許さないことを明らかにされ、今日の天神峰現闘本部裁判での反動判決、団結街道の廃道化攻撃に対し、「そこには市東孝雄さんが住んでいる」「彼を空港の中に閉じ込める」「これが人間のすることか」「こういうことを許して日本の将来、若い人の未来に展望はない」「我々には正義がある」「闘いによってかちとろう」「そのために今日の闘いがある」と提起されました。

 基調報告に立った萩原進事務局次長(左下写真)は、4点にわたって提起しました。第1に、三里塚闘争が決戦を迎えたことを訴えられました。「人がおり、畑があり、部落がある。これを一方的につぶそうとする。そして新たな誘導路」と鳩山連合政権を弾劾し、「こんなことが許せるか」と。10328_4 「こんな空港をぶっつぶして初めて世の中のは変わるし、人はわかる」「そのために今決戦がある」と。

 第2に、「資本家が労働者を食べさせられなくなって、常識では考えられない攻撃がある」「成田治安法がまかりとおった三里塚は、日本の悪政の象徴だ」「破産国家でしかないのに、ばらまきをやっている」「しかし、農家への戸別補償もコメの価格に見られるようにごまかしであり、世の中を分断しようとしているだけだ」「農民の先頭に立つのは三里塚。動労千葉を先頭とする労働者の闘い。労農連帯が求められている」「動労千葉の今回のストを全面的に支持する」として「こんな敵の攻撃では絶対に出来ないということを我々の闘いで示していこう」と。10328_5

 第3に、「反戦反基地の闘いが求められている」としてとりわけ現下の闘いとして「沖縄との連帯をとことん求めていく」ことの必要性を訴えられました。「普天間問題は、沖縄の新たな闘いの大爆発の始まりである」「本土における闘いの爆発を作っていくには、三里塚闘争の中で沖縄を語り、沖縄との連帯をとことん追求していくことだ」とされ、「我々自身が沖縄に出向いて、4月25日の県民集会の中に反対同盟の旗を掲げて、反対同盟ここにありということを示すことだ」と。

 第4に、現実の三里塚現地の闘いとして、「現闘本部撤去の攻撃をぶち破った地平に立ってこの4月、5月の攻撃を木端微塵にしていく」「あの代執行攻撃に対するあの闘いをもう一度復権させる」「攻撃次第によれば、緊急闘争はもちろん、10月の全国闘争までにもう一度全国闘争を呼びかけることもある」と、さらなる現地への結集、集中を訴えられました。そして「まなじりを決し、火の玉となって闘い抜く」と自らの決意を語られて、基調報告を終えられました。

 続いて、動労千葉、沖縄、関西の3つの特別報告が行われました。最初に立った動労千葉の田中康宏委員長は、先日亡くなられた中野洋前委員長への追悼の言葉を述べられた上で、三里塚との労農連帯、そして「1047名解雇撤回を掲げて」国鉄闘争の発展にむけ闘い抜く決意と提起を行われました。10328_7

 「沖縄・市東さんの農地を守る会」を代表して知花盛康さん(右写真)は、「65年にわたる米軍支配で、ようやく普天間が戻ってくる、基地は外へ出ていくと期待していた沖縄の人々に、また再び新たな基地を作ろうという動き、こんなことは許せない」「この日本政府のやり方に対し、4月25日に県民集会をもちます」と読谷で開く意義を話されました。そして「これ以上基地はいらない」「まだ押し付けてくるなら、労働者と民衆の力でつぶしますよ」「4月6日から9日には、40人から50人で首相官邸まえに座り込み闘う」「三里塚と沖縄が共に手をつないで平和のために頑張らなきゃいかん」「沖縄に足を運んで共に闘ってください」と訴えられました。

 10328_8 関西新空港に反対する住民を代表して、先ず永井満関実代表世話人が、先日の3・14三里塚関西集会において、北原事務局長の戦争体験から78年の横堀要塞戦などの具体的なお話しを通し、「反対同盟と北原さんの姿勢にみじんも揺らぎがないことに感動した」としてこれからも一体となって闘っていくことをあらためて確認できたことを報告されました。その上で、前夜の反対同盟と沖縄の盛康さんなどとの交流の中で、4月25日に萩原さんと市東さんが同盟の旗を掲げて行くと言うなら、私たち関西の住民も行く決断をしたことを明らかにされた上で、「沖縄と三里塚が一つの闘いになる」ことが自分の夢だったと明かされて、「沖縄の県民集会にこぞって行こう」と呼びかけられました。10328_9

 続いてマイクを持った山本善偉関実世話人は、93歳になる森田先生を讃えた上で、「先生の歳までは死ねない、頑張る」と決意を明らかにされました。そして三里塚44年の闘いに触れながら「三里塚の闘いは正義の闘い、日本を変える闘いだ」として「問題は、憲法より上にある日米安保そのもの、米軍再編そのものだ」と。そして前夜の沖縄と三里塚の交流にやはり触れながら、「沖縄に基地はいらない。本土にも基地はいらない」として、「その闘いをやろう」と呼びかけられました。

 続いて北総の農民から、「労農連帯 農民アピール」が読み上げられ、さらに民主党政権による新自由主義的農業政策、FTA(自由貿易協定)と引き換えの戸別補償制度は、懐柔策でしか過ぎない、農業切り捨ての最後の政策だと指弾されました。そして農地法は農民にとって憲法のようなものだ。それに手をつけたと怒りの弾劾がなされました。

 10328_10 市東孝雄さん(左下写真)を先頭に、「市東さんの農地取り上げに反対する会」のみなさんが登壇し、先ず市東さんが決意を述べられました。空港建設、とりわけ現下の団結街道廃道化の攻撃への怒りを表明して、「私はずっとここに住み続けます」と決意を明らかにし、「第3誘導路も場当たり的なものでしかない」と弾劾されました。そして移転を強要する小泉成田市長に対し「人権をなんだと思ってるんだ」と糾弾されました。その上で「昨年初めて沖縄に行きました」「辺野古の海を忘れることができません」「あのきれいな海に基地を作るなどもってのほかです」と語られ「今こそ全ての人が広く連帯して闘うべき時だ」と訴え、農地取り上げの裁判と闘いへの支援を訴えられました。そのあと、「反対する会」の皆さんからの発言でした。

 そのあと、「団結街道廃止阻止! 特別決議」が鈴木謙太郎さんから読み上げられ、満場の拍手で採択されました。10328_11

 続いて反対同盟顧問弁護団から、葉山主任弁護士を先頭に7人の弁護士が登壇して、全員から三里塚裁判報告が、それぞれの決意を込めてなされました。

 そして、婦人行動隊の鈴木加代子さんのカンパアピールの後、部落解放同盟全国連をはじめ各地の住民団体、そして現地支援連の共闘団体から発言があり、最後に野平さんから集会宣言、そしてスローガンの確認と団結ガンバローが太郎良さんから行われて反対同盟を先頭にしたデモの出発です。10328_12

 東峰十字路から、島村さん宅などの東峰部落を通って、団結街道へ。参加した一人一人の怒りが高まります。天神峰現闘本部では、何を守るのか大挙の機動隊。そして、市東さんの南台の畑で解散(左写真は現闘本部前を行く関実のデモ隊列)。

 本当に寒かった。しかし、素晴らしい集会でした。

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2010年3月26日 (金)

3・28三里塚へ 市東さんの農地を守ろう!

09608  市東さんの畑は4か所あります。右上が、今回3・28集会の会場にもなる天神峰(地番が天神峰で、東峰十字路の近く)の畑です。09608_2 左上が、自宅と作業場のある天神峰の畑です。ここには暫定滑走路の監視台があります。あと2つが、今回企まれている団結街道の廃道化攻撃にさらされている畑です。右下が、言わずと知れた「へ」の字誘導路を強制している団結街道に面した南台の畑です。09608_3 お宅から北へ2~3分のところです。最近の全国集会のデモの解散地点です。最後が、この畑からさらに北へ行って、成田ゴルフクラブの南側を左に折れて少し行ったところにある堀之内の畑です(左下)。取香部落に入ったところなのだと思います。あと田んぼが、更にその先にあります。いずれも昨年6月の援農させていただいた折の写真ですので、人数は多いですが、いつもは市東さんを先頭に2~3人。09609 それでも、それぞれの収穫に1時間もかかりません。産直の出荷に合わせて頃合いの大きさに育ったものを選定して収穫し、その都度、軽トラックに一杯にして自宅前の作業場に戻り、出荷できるようにします。(出荷作業は、これを萩原さんのお宅の作業場に持って行って合同で行います。)それぞれの収穫の合間に、草取りや植え付けの作業などを組み込んでいきます。

 一昨年の秋のイモ掘り大会の時に、萩原さんのお宅の前の1ヘクタールの畑で、苗が出だしたのから収穫が終わったものまで、畑に確認できた作物が30種類ありました。単作ではなく、毎週の産直に旬の野菜が出来るだけたくさん入るように植え付けの時期をずらしたりして工夫をしておられます。市東さんのところも同じです。ですから、4つの畑を細切れに回って、いろいろな作業を行います。1時間足らずの作業をしては収穫したものを作業場に運んだり、トラクターに乗り換えて畑の耕耘(こううん)したりということになります。Photo

 今回、成田市議会が3月16日に、市東さんの自宅前から北側の団結街道を廃道にする決議を強行する暴挙を行いました(右図)。市東さんの南台の畑や堀之内の畑に作業場から数分で行けていたものが、県道を迂回することによって30分から1時間近くもかかることになってしまいます。これでは単に不便になるということではなく、先ほど述べた作業に重大な支障が出てくることは明らかです。営農そのものが破壊されてしまいます。また、トラクターでこんな成田市街への抜け道になっている通行量の多い県道を行くことは大変危険でもあります。

 しかも、この廃道化は、昨日当ブログに掲載した第3誘導路を実現するためのものですから、到底許せません。また、先日、明け渡しを求めた反動判決が下され、また成田治安法がかけられたままのため入れないという状況にあるにしろ、天神峰現闘本部に所有者でありながら同盟が近づくこともできなくなります。空港会社が本部破壊を企んでいることに応じたもであることは明らかです。しかし、第3誘導路はまだ計画に過ぎず建設の認可申請さえ出されていないのです。成田市が率先して、こうした攻撃の先鞭を果たそうとしていることに本当に怒りを覚えます。

 成田市長小泉は、空港会社関係から市議なった男です。そして副市長は国交省の役人でした。こんな連中が、「成田空港圏自治体連絡協議会」をひっぱり、芝山町長の相川などをあやつって、成田空港の深夜・早朝時間帯の制限緩和の動きや、新たな3500メートル滑走路建設への動きなどを始め、しかも今度は、団結街道の廃道化を率先してやろうと言うのですから正に万死に値する極悪犯罪であり、市民の暮らしを守るべき行政の長として許せるはずもありません。

 三里塚反対同盟の解体、闘いの破壊を唯一の目的に市東さんへの農地強奪の攻撃はあります。政府、空港会社、そして成田市などは、この農地強奪、市東さん叩き出しの攻撃に手をかけたのです。それが2・25天神峰現闘本部裁判の反動判決であり、3・16団結街道廃道化への成田市議会決議です。萩原さんが2~5月決戦と提起された(関実旗開き)ように、参議院選挙、秋の千葉国体に規定され、敵の攻撃は5月までを目途として開始されていた事は確実です。しかし、「仮執行宣言」攻撃をはね返した三里塚反対同盟と私たちの闘いは、確実にその攻撃を押し返しています。しかし、敵は、この団結街道廃道化攻撃に活路を求めていることは明らかです。断じて許されません。

 3・28全国集会の成否が、この決戦過程に決定的な意味を持とうとしています。全力で3・28に決起し、団結街道廃道化を阻止し、市東さんの農地を守ろう!そして、天神峰現闘本部破壊の攻撃を阻止しよう!

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2010年3月25日 (木)

3・28三里塚へ 第3誘導路建設を阻止しよう!

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 上は萩原進さんが犬の散歩をしておられる写真(昨年秋撮影)ですが、伐採されすぎて裸になった東峰の森の前を歩いておられるところです。この惨めな「森」の向こう側は、昨年7月30日に供用が開始された2本目の誘導路(以下、「第2誘導路」とします)が「森」を伐採して作られています。航空機が通れば、この部分には高いフェンスがないため、その巨体を見ることができます。向こうに見えるのは、2本の管制塔です。左側が78年3月に占拠・破壊され、開港が阻止された管制塔。しかし低いために暫定滑走路が管理できないとして、2本目の管制塔(右側)が作られ、今では左側は使われていません。しかも、北へ延伸したために2本目の管制塔からも暫定滑走路の北側は見えず、テレビモニターで管理するという世界でも例のない危険な空港、「つぎはぎだらけの空港」を象徴するモニュメントです。Photo

 東峰部落住民の生活と営農を支える「いのちの森」であった東峰の森の3分の1あまりを伐採して第2誘導路が作られ、昨年7月30日に供用が開始されました。右の写真は、上の写真の左側、萩原さんの自宅の方から見た東峰の森です。東峰部落のみなさんが戦後50年余をかけて育ててきた入会の森です。その3分の1を奪うことは、森の保水力を奪います。東峰の森は利根川に至るこのあたり一帯の分水嶺にある森です。その保水力が奪われることは、地下水位の低下などの影響が出、挙句は周辺の有機農業を行っている土壌の「熟度」(微生物や細菌、またミミズなどの地中の生態系)を減退させてしまうことをはじめ様々な問題があることが知られています。(この点で最近、「生きている土壌 -腐植と熟土の生成と働き」(エアハルト・ヘニッヒ著 中村英司訳 農村漁村文化協会発売 2009年刊 1900円)を読みました。非常に参考になりました。一読をお勧めします。)

 ですから、東峰の森を破壊して、成田空港の工事区域をはみ出して第2誘導路を建設することは法的な意味にとどまらず、到底許すことのできない暴挙でした。

 ところが、この第2誘導路の供用を開始する4週間も前の7月4日、第3誘導路計画が浮上していることが新聞の報道で知れ渡り、第2誘導路供用開始に抗議して開かれた7月5日の現地集会は怒りのるつぼと化しました。先に明らかにしたように、「暫定滑走路の北延伸を意味あるものにするため」を唯一の理由に東峰の森を伐採するという暴挙が行われたその誘導路が使われる前から「役に立たない」として、第3誘導路が検討されているなどということがどうして許されるでしょうか。正に「つぎはぎだらけの空港」を象徴する事態ですが、常識では考えられない「先ず空港ありき」の暴挙です。3

 しかも、第3誘導路とは、左の写真にあるように、市東孝雄さんの自宅と作業場、そして畑を完全に空港の中に閉じ込め、その上、自宅からわずか100メートル足らずの西側に作るために、もし使われれば航空機が自走する凄まじい轟音と排気ガス、そして振動に襲われることは明らかです。この市東さんの自宅のすぐ東側150メートルのところには最初の誘導路があり、暫定滑走路差止訴訟控訴審での市東さんの証言にもあるように、その航空機の自走による騒音と排気ガスの被害は深刻を極めています。私自身、いく度か泊めていただく中で、夜と朝、その凄まじい音に寝れない、飛び起きるという経験をいく度もしています。

 ところが、暫定滑走路の北延伸と第3誘導路は便数を増やすためだけではなく、航空機の大型化に対応するためなのですから、その轟音と排気ガスによる被害は、住むこと自体を、市東さんの生活を根底から破壊するものとなることは明らかです。

 もともと第2誘導路の無謀な建設と北延伸の強行は、そのいずれもの何の意味もない「前倒し実施」に現われているように反対同盟への脅迫、脅し、そしてそれを通した叩き出し、三里塚闘争の解体にこそその最大の狙いがあったのです。そのことによって本来の南への延伸、平行滑走路の完成ということが目指されていたのです。しかし、それが前倒しによる第2誘導路の供用開始、そして前倒しによる北延伸部分の供用開始(昨年10月22日)によっても何も事態が変わらない、反対同盟は微動だにしないという現実に追い込まれ、考え付いたのが第3誘導路だったのです。ですから、第2誘導路の供用開始前の発表だったのです。Photo_2

 つまり、第3誘導路は、三里塚闘争44年の闘い、農地死守・実力闘争の闘いに追い詰められ破綻を強いられてきた成田空港会社NAAと国家権力による必死の取り戻しの攻撃であったのです。それを鳩山連立政権は、いささかの躊躇もなく引き継ぎ、今日の天神峰現闘本部破壊攻撃、団結街道廃道化攻撃の軸として推し進めようとしているということなのです。

 しかも、周辺自治体は、成田空港の利権が「羽田ハブ化」の動きの中で奪われないかと恐れる中で、空港の使用時間制限の緩和、限りなく24時間使用へと進めようとNAAと一体化して策動を強めています。先ほど触れましたように、現在の午前6時から午後11時までの使用制限でも、市東さんや鈴木さん、反対同盟農民は大変な被害を受けておられます。それが取っ払われるならば、その深刻さは言うまでもありません。

 こんな人権、生活権を蹂躙した理不尽きわまる、そして明らかに憲法に違反した攻撃が、何十人もの総理大臣が変わっても、政権が変わっても引き継がれるなどということをどうして許せるでしょうか。「反戦の砦」と言われてきた三里塚闘争が、このような理不尽なことが強制され破壊・解体されることなど絶対にあってはなりません。正に、日本の将来をかけた闘いがここにはあります。今、三里塚はそうした決戦の渦中に突入しています。3・28こそ、どういう戦場でこの決戦を闘い抜くのかをかけた時と場になろうとしています。渾身の力を込め、3・28三里塚へ総決起しよう!

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2010年3月24日 (水)

矢田神戸市長は、市民に謝罪しろ!

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 今朝(3月24日)、神戸市役所前で登庁してくる神戸市の職員を中心にビラまきを「神戸空港の中止を求める市民の会」(5人参加)が行い、雨の中でしたが、地下道で1300枚のビラが手渡されました。

 10216 開港4年に抗議した「2・14神戸空港の廃港を求める集い」(99人参加、上写真はその折のデモ)で決議された「集会宣言」に基づいて行われた2月16日の神戸市長、市議会議長への申し入れ(右写真、左が市民の会の白石事務局長。右が神戸市公聴課)に対する矢田神戸市長からのあまりにひどい回答に対し、怒りの抗議のビラまきでした。以下に、今日のビラを転載いたします。

何が 神戸空港の「利用客1000万人」か!        矢田市長は、市民に謝罪しろ!

 市民の会では、開港4年を迎えた2月16日、神戸市長と市議会議長に対して、「このまま神戸空港の経営をいたずらに継続することはさらに傷口を大きくし、私たち市民にとって取り返しのつかない憂うべき事態となることは明らか」として、以下の4点についての申し入れを行いました。その回答が、要請より遅れて3月18日に私たちのところに届きましたが、ほとんど「ゼロ回答」で、これが市民の生活を守るべき行政の姿勢かと、我が目を疑いました。

神戸市への申し入れ

(1)矢田神戸市長は、神戸空港建設の当初から関わってきた者としての責任を明らかにし、市民に謝罪することを求めます。Photo

(2)神戸空港に関わる全ての資料などを公開し、財政問題、需要予測、環境問題などの現状について「説明会」「公聴会」などあらゆる市民が参加できることが保障された形での神戸空港の現状についての公開討論を行うことを求めます。

(3)神戸空港の管理収支の赤字に対して市税の投入を行わないよう求めます。

(4)最近、沖縄の普天間基地問題に関連して神戸空港を米軍の演習などに使うことが話題にされていますが、神戸港の非核神戸方式に込められた市民の平和への願いを踏まえ、そうしたことが絶対にないように明らかにすることを求めます。

神戸空港の現状に反省一つない矢田市長

 申し入れの(1)について、矢田市長の回答は「(神戸空港の)利用者は約1000万人を超え」と自慢するのみで、需要予測の6割にも満たない利用者の現状や、管理収支の赤字化、空港島の土地が売れないために企業債の借り換えをしなければならない現状に、謝罪どころか反省の言葉さえありません。Photo_2

 そして申し入れの(2)に対して、「需要予測を見直す予定はありません」、「(返済の)財政計画について・・、見直す予定はない」などとした上で、「情報につきましては、・・適時にお知らせするように努めている」として拒否しています。

市税の投入を否定しない矢田市長

 申し入れの(3)については、「収支不足が生じる見込み」と赤字化を認めた上で、「財政調整基金の一部を取り崩して」と、その基金がほとんど残っていないことを平気で開き直った上で、「空港の管理収支には、現在も市税を投入していません」とすり替えています。現在まで投入していないことは私たちも知っています。申し入れているのは今後のことなのです。にもかかわらず、「現在も・・・・していません」という表現をあえてするということは、「今後はしますよ」ということでなくてなんでしょうか。矢田市長は、管理収支への市税の投入を否定していないのです。本当に許せません。

神戸を基地の町にすることを否定しない矢田市長

 さらに極め付きが、申し入れ(4)への回答です。「米軍基地の移転など安全保障の問題については、国において検討される事項」だというのです。これでは、この35年間、非核神戸方式によって米軍艦船の寄港を許してこなかったことをも否定しています。住民の意思、地方自治の精神を否定し、自らが付託された市長としての責務を放棄しています。政府が神戸空港などを米軍の演習で使うと言えば従うということではありませんか。

 同時に、今、私たちの国を2分する論議となっています沖縄の普天間基地問題について、普天間基地の即時閉鎖を求め、県内新基地建設を拒否している沖縄県民の願いと意思、そしてたたかいを否定する反動的な主張と言わざるを得ません。

 昨年末、矢田市長は平和市長会議に加わったと聞きますが、それは単なるポーズに過ぎなかったのでしょうか。

矢田市長は市民に向き合え!

 これら市民の会への矢田市長、神戸市みなと総局の回答は、私たちを愚弄するにとどまらず、神戸市のほとんどの市民に対する背任行為に等しい開き直りであり、責任放棄でしかなく、断じて許されません。

 私たちは、神戸空港の現状に対する矢田市長の責任をあくまで追求していきます。そして市長に謝罪させ、その責めを負って辞任させるまで声を上げていきます。

(挿絵と4コマ漫画は、ビラに使われた松田妙子さんの作品を拝借しました。)

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2010年3月23日 (火)

三里塚・沖縄を貫く闘いとして、3・28に総決起を!

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 3・28三里塚全国集会まであとわずかになりました。この数日を、関西から、全国から現地への総決起の態勢を作り上げるために全力で頑張りましょう!

 鳩山連立政権は、発足当初から「日米同盟の強化」、あるいは「深化」ということと「東アジア共同体構想」、これが最も基本的な政策であることを内外に明らかにしてきました。それは日米軍事同盟の世界最大の軍事力を背景に、日本固有のアジアでの利権の確保という「二律背反」のようなアクロバットな政治です。そしてそれは、自民党が60年間にわたって進めてきた政治の集約として、あの安倍政権が掲げた「アジアゲートウェイ構想」と改憲攻撃、まさにこれと軌を一にするものでしかありません。

 Photo ですから「戸別補償政策」を掲げ農民の味方のような装いをこらしながら、経済政策の柱としてFTA(自由貿易協定)、EPA(経済連携協定)のアメリカ、オーストラリア、韓国をはじめとしたアジア各国との締結を進めることを外交政策で掲げ、農産物自由化、農業破壊を推し進めようとしているのです。また、農地法の改悪によって農地の強奪をも新自由主義的政策のもとで推し進めようとしているのです。

 昨年8月30日、正に人民の反乱によって自公政権、60年にわたる自民党支配を打倒して生まれた鳩山連立政権でありながら、保守本流、財界からの激しい反動的攻撃にグラグラになりながら、その正体が今日、沖縄の普天間基地問題に象徴されるように現われてきています。

 昨年秋以来、前原国交相による「羽田ハブ空港」論議によって一気に成田空港の拡張への攻撃が強まったかに見えています。しかし、その本質は、すでに2006年「アジアゲートウェイ構想」でもくろまれていた「成田・羽田一体運用」論でしかありません。ですから、前原国交相は政府の政策が練られる前に、すでに明確に「羽田ハブ空港化、成田との一体運用」を言明したのです。そして就任直後から、天神峰現闘本部の成田治安法適用の継続(9月)、暫定滑走路北延伸部分の供用開始(10月22日)、天神峰現闘本部裁判の結審(11月12日)・判決(2月25日)攻撃、昨年秋以来の第3誘導路建設策動と、自公政権が進めていた路線を次々とそのまま引き継いでいるのです。しかも、「羽田ハブ空港」論議に、自らの空港利権が脅かされることを恐れた成田市をはじめとする周辺自治体、地元経済界の蠢きをも利用して、「団結街道の廃道化」決定(3月16日)と付け替え道路の着工に見られるようにむしろ強暴性を増してきてさえいるのです。091011_2

 こうした鳩山連立政権による「前倒し」とさえ言える成田空港拡張攻撃の強まりに対し、三里塚反対同盟は真っ向から対峙し、決戦として昨年以来闘いを推し進めてきました。裁判闘争と現地闘争の一体的推進を呼びかけ、「これが現地に帰ってきて、ここで肉弾戦になり、血を流し、みんなが武装して闘い抜く、その戦場を作るんですね。これが先ほどから言われている本部裁判であり、市東さんの裁判なんですよ。形を変えた代執行なわけですよ。このことを肝に銘じて、今日、この場でほんとに決意を固めていただきたい。これが出来ないんだったら、今すぐこの畑から出て行っていただきたい」(昨年10・11現地闘争での萩原進さん)と激しく提起されたのです。その力が、国家権力、裁判所が一体となって密集して襲いかかってきた天神峰現闘本部裁判判決攻撃を、基本的なところではね返し、「仮執行宣言」を許さなかったのです。

 その最大の根拠は、北原事務局長が繰り返し訴えておられる「なぜ44年間もかかって成田空港は完成しないのか」という三里塚闘争の勝利の地平なのです。追い詰められ、破綻しているのは国家権力であり、国の航空政策、成田空港政策なのです。

 「何よりも言いたいのは、常識では計りきれないような攻撃が打ち出された、こF れは普通では考えられない。今やっと北へ北へと2回も延伸して、2500メートル滑走路を作ったわけです。これでは用が足りないと、もう少し東側にもう1本3500メートル位のを造れというのを出してきた。これは非常に難しい。第3誘導路もそうですけれども。そして三里塚の空港を羽田に並ぶようなハブ空港にしようという話し、そういう問題を我々の40年の闘いで引きずりだしたんです。向こうが中々出来得ない要求を引きずり出したという闘いが、今日ある。そういう優位性があり、勝利しているんだということです」(今年の1・17関実旗開きでの萩原進さん)。

 私たちは今、鳩山連立政権、民主党政権の総力を挙げた攻撃を三里塚が、三里塚闘争が受けているという深刻さとともに、正に決戦として迎え討っているのが我々三里塚勢力であり、我々が優位を持っているんだという確信を持ちましょう。その優位性と確信を保証するものこそ、我々自身の3・28現地への総決起なのです。

 まさに三里塚への総攻撃ともいえる攻撃と一体のもの、根は同じものとして、鳩山連立政権は沖縄の普天間基地の存続をも含む攻撃を沖縄の人民にかけようとしています。「日米同盟の深化」を問うものとして、グラグラになりながらも政権の全体重をかけた攻撃としてそれは進められようとしています。しかし、沖縄の人々は、昨年11月8日の2万1千人の県民集会、名護市長選、そして4月25日の10万人県民集会の実現に向って激しい反撃の闘いを開始しておられます。3・28三里塚現地闘争の爆発は、この沖縄県民の闘いに呼応した号砲ともなるのです。2~5月の決戦として設定された3・28全国集会は、三里塚にとっても、反戦を闘うすべてのものにとっても非常に重要な闘いとなったのです。正に三里塚闘争が「反戦闘争の砦」であるがゆえなのです。三里塚・沖縄を貫く闘いとして3・28三里塚現地へ総決起しよう!

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2010年3月20日 (土)

今週の産直野菜(3月20日)

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 先ほど、三里塚からの産直野菜が届きました。10320_2 今回はニンジン、さつま芋、ネギ、ほうれん草、からし菜漬けの5品です。

 少ないのですが、昨年から見ればまあこんなものかと納得。からし菜漬けが大好物なので、気になりません。

 「カブを用意いしていたが、とう立ちが一挙に進んで中止し」たとの「野菜だより」。そういえば、昨日から始めた「写真展&野菜市」で、カブが着いた時はなかったのに、この3日で、今日は一斉に菜の花が勢いをもって突き出していたのです。買って帰ってくれた皆さん、大丈夫でしょうか。心配です。

 その「写真展&野菜市 in Kobe」二日目ですが、65人の参加(二日で134人)で、野菜も完売、大成功でした。何より最初の写真にあるように、山本先生10320_3 が疲れも見せず訪れた皆さんに丁寧に三里塚を話されているのには毎度のことながら本当に脱帽。

 今日は、昨日終わってから訪れてくださった方が、前日のスーツ姿とは一変し、カジュアルな私服で来てくださり、「68年に三里塚に行ったのです」と。山本先生と小一時間話されて、野菜を一杯買ってくださいました。

 また、同じ年ごろの方が、「代表の人(戸村委員長のこと)が亡くなってだいぶなりますね。一坪共有などはどうなってますか」など話されながら、ほうれん草を残り全部買ってくださいました。

 兵隊になって戦前を過ごした方が、「昔なら憲兵や陸軍の兵隊が有無を言わさず取り上げるだろうが、今は民主主義、これは無茶やわな」と色々話され、最後に残った里芋を全部買ってくださいました。

 今日は、結構密度の濃い話し合いがあちこちで。そして、昨日買ったけれど、美味しかったのでと来てくださった方が何組も。

 年1回ではなく「毎月しないか」との応援には私たちの方がたじたじ。本当にやってよかったです。3・28への一つのステップになりました。応援してくださったみなさん、ありがとうございました。

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2010年3月19日 (金)

三里塚写真展&野菜市 in Kobe(1日目)

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 10319_2 今日、明日(19、20日)の二日間、神戸で三里塚の「写真展&野菜市」が、神戸駅の近くの「ギャラリー・メトロ」で開かれ、今日はその一日目。思っていたほど人通りがなく、最初はどうなることかと不安に。それでも69人の来訪者で、ほっ。

 この2~3年の写真に、来られた皆さんが驚きの感想。「しかし、こわいねぇ」と住民を無視した国のやり方に率直な感想。本当に知られていません、三里塚は。

 野菜市の方もまずまずの状況でした。「半立ちの落花生」は、高いのでどうかと心配しましたが、大半が売れ、明日の分が無くなりそうなので、途中から案内は中止。野菜の方も、注文を間違えて予定の2倍が入ってきたほうれん草を除いてまずまず。

 予定の時間も終わり閉めかけたところに50代の男性が一人。ポスターを見て「三里塚はどうなってるんですか」「若いころに・・・」と近づいて来られ、「いやあ、今も頑張ってて、空港は半分も出来ていないのですよ」「マスコミが報道しないですからね」と説明。10319_3 驚いた様子で「40年ですか。それは一つの歴史ですよね」。思わずこちらも、「そうですよ」「もう国は止めなきゃあ駄目ですよ」「明日もやってますから来てください」と。

 もう一つは、来られた方の多くが「私も神戸空港に反対してたんですよ」「赤字でどうするつもりですかね」と、やはり空港問題と言えば「神戸空港」に話題はいく。「まだまだ諦めてはだめですよ」「こんなまま後世に残すわけにはいきません」と何人にも説得。

 何とか予算の3分の2の売り上げに、これまたほっ。さあ、明日も頑張ろう!

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2010年3月18日 (木)

あと10日、3・28三里塚へ総決起しよう!

091011  写真は、昨年10・11三里塚全国集会で発言する関西の永井・山本両世話人。

       招請状

                     三里塚芝山連合空港反対同盟

 沖縄の基地全面撤去の闘い、動労千葉を先頭とする国鉄決戦と一体のもとに、三里塚闘争は政府権力・空港会社との激しい攻防に突入しました。

 Photo 2月3日、空港会社と成田市は、天神峰の市東孝雄さんに対して「第3誘導路」計画を口実に団結街道(成田市道)を廃道とする旨を通告しました。これはあからさまな営農妨害による移転の強要であり、現闘本部の強制撤去攻撃です。通告の直前には現闘本部わきの竹林を伐採して整地作業を強行し、2・25仮執行宣言付き判決をもって、解体攻撃にふみこむ構えだったことはあきらかです。

 しかし仮執行宣言(強制執行)判決はものの見事に粉砕されました。団結街道と現闘本部を守り市東さんの農地強奪を粉砕する攻防の緒戦で、反対同盟は敵の計画をガタガタにする勝利を勝ちとりました。地上権をはく奪した仲戸川裁判長(千葉地裁民事第5部)の不当判決に対しては直ちに控訴し、廃道のための迂回道路の取り付け工事と対決し、成田市議会に対する弾劾・追及行動に決起しています。

 全国の労働者、農民、闘う仲間のみなさん。

 反対同盟は、44年間不屈・非妥協の闘いをもって、敢然と決戦を挑む決意です。3・28全国集会は、2・25判決闘争の勝利を引き継ぎ、「第3誘導路」計画粉砕、団結街道・現闘本部防衛、市東さんの農地死守の決戦陣形をうちかためる総決起集会です。大結集を訴えます。

 恐慌がもたらす底知れぬ危機の中、自民党による政治支配が崩壊して登場した鳩山政権は、トヨタと普天間に象徴される日米対立でますます危機と混迷を深め、攻撃を激化させています。なによりも沖縄の基地強化、財政危機の中での消費増税、公務員3万5000人の削減、そして国民投票法の5月施行・改憲攻撃です。300万農家を40万戸に激減させる改悪農地法が施行されました。戸別所得補償は減反協力とFTA(自由貿易協定)推進が引き換えです。資本による農業からの収奪が進行しています。首切りと賃下げ、教育、医療、年金、社会保障などすべての分野で、むき出しの攻撃が襲いかかっています。

 三里塚闘争は44年間、農民殺しと闘い続け、国策=成田空港を破たんさせて航空政策の転換を強制しました(前原国交相の「羽田空港ハブ」発言)。戦後の枠組みの抜本的な転換をかけて、東アジアに延命の道を見出そうとする鳩山内閣(東アジア共同体構想と軍事基地化)の前に敢然と立ちはだかっています。

 国と資本による収奪があらゆるところで強まる現在、いまなお国策を不屈に阻み続けている三里塚闘争は、人々の未来をともに切り開く普遍的な闘いです。それゆえ三里塚は、労農連帯の旗のもと、全国の反戦・反核・反権力、反差別などの広範な市民運動・住民運動が結集する共闘の砦として発展しました。三里塚闘争に対するなりふり構わぬ攻撃の背後にあるのは、政権の危機と人民の決起に対する恐怖です。

 労働者、農民、学生、市民の力こそが、新たな時代を切り開くことができるのです。ストライキで闘う動労千葉、沖縄や関西住民、韓国やアメリカをはじめとする全世界の労働者と連帯して闘おう。

 いまこそ資本と権力による分断をうち破り、「空港絶対反対・一切の話し合い拒否」「農地死守・実力闘争」「空港廃港」の闘争原則のもと、3・28全国集会に総決起されることを心から訴えます。

2010年3月1日10328

          記

【集会名称】 「第3誘導路」計画粉砕! 団結街道廃止許すな! 現闘本部の破壊を阻止し、市東さんの農地を守ろう! 改憲阻止・軍事空港建設粉砕!

3・28全国総決起集会

【日時】3月28日(日)正午

【会場】成田市天神峰 反対同盟員所有地

【主催】三里塚芝山連合空港反対同盟

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2010年3月17日 (水)

成田市弾劾闘争

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 昨日、3月16日、成田市役所近くの公園で、この日団結街道を廃道化する決議を行おうとしている成田市議会と成田市、小泉市長を弾劾する集会が、100人余りが結集して開かれ、集会後、成田市役所、議会を弾劾するデモが打ち抜かれました。10316_2

 司会に立った鈴木謙太郎さんが、成田市が廃道化の根拠とする「成田空港の工事実施計画認可申請」はすでに1989年に失効していることを明らかにして、「廃道化は何の法的な根拠もない」ことを明らかにして集会は始められました。

 挨拶に立たれた北原鉱治反対同盟事務局長は、「団結街道は住む者の生活道路であり、90年にわたる産業道路だ」「空港の中に住む者を閉じ込めようとするなど、人間として絶対にやってはいけないことだ」と語りかけられた。10316_3 そして故長谷川成田市長との北原さん自身の関わりを紹介しながら市長が成田市民を想う大切さを明らかにされた上で、小泉市長のやり方を「市民を市民と思っていない」「航空機の騒音や環境破壊、そこに住む市民の苦しみをわかろうとしていない」と弾劾されました。そして「生きるために闘う」「戦争につながる成田空港を絶対に許さない」「日本の未来、生きるために今日の闘いをしっかり頑張ろう」と提起されました。

 10316_4 続いて市東孝雄さんが立って「これは形を変えた代執行だ」「小泉市長を絶対に許さない」と簡潔に想いを語られました。

 動労千葉からの挨拶に続いて、関西実行委員会を代表して先日の3・14三里塚関西集会が大成功した報告の上で、成田市が、ハブ空港からの転落という事態を恐れ、空港利権を守ろうと躍起になって団結街道の廃道化や飛行制限の緩和などを進めようとしていることが自治体として犯罪であることを弾劾するとともに、その背後で鳩山連合政権と空港会社が「第3誘導路計画」を進めていることは、三里塚反対同盟とその闘いを破壊しようとする攻撃であることを明らかにして糾弾し,3・28現地闘争に総決起することを明らかにしました。10316_5

 さらに集会は、この間、成田市役所への連日の糾弾闘争に決起してきた現地支援連による発言が続いて、さあ、デモに出発です。成田市役所前では、怒りのシュプレヒコールを審議を行っている市議会と小泉市長、成田市に叩きつけました。

 さあ、「廃道化阻止」に向け3・28全国集会に総決起しよう!

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2010年3月15日 (月)

三里塚写真展&野菜市 in Kobe

Photo  来る3月19日(金)~20日(土)、高速神戸駅西改札口の左前にありますギャラリー・メトロで、下記要領の「三里塚写真展&野菜市」を行います。

 写真は、この数年の間に三里塚現地で撮影された写真、約15点です。

 また、野菜は、三里塚で採れた無農薬、有機栽培の野菜です。直前の収穫状況により変更はありますが、ニンジン、ネギ、さつま芋、ほうれん草、ごぼう、里芋、かぶ、半立ち落花生などを予定しています。

 是非、お立ち寄りください。(入場 無料)

【日時】3月19日(金)、20日(土) いずれも正午~午後6時

【会場】ギャラリー・メトロ(高速神戸駅西改札口左前/下地図参照・地図をクリックしていただければ拡大します)

【主催】新空港反対東灘区住民の会/三里塚決戦勝利関西実行委員会Photo_4

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北原事務局長大いに語る

10314_3 

 昨日、3月14日、大阪市立中央会館のホールで「三里塚闘争44年 北原事務局長大いに語る 3・14三里塚関西集会」が開かれ、集会後、にぎやかな御堂筋から難波までのデモを行いました。10314_4

 集会前に、前回から恒例になった現地情勢と反対同盟の暮らしを紹介するスライドによる説明が行われました。

 主催者の挨拶に立った永井満関実代表世話人(右写真)は、この集会のきっかけとなった天神峰現闘本部裁判における北原鉱治反対同盟事務局長の3時間におよぶ証言に触れながら「北原さんは44年間、闘いの姿勢がまったくぶれていない」と紹介されました。そして3・28三里塚現地闘争への決起はもちろんのこと、三里塚と共に重大な決戦情勢にある沖縄へも決起していこうと呼び掛けられました。

 この日のメインである北原事務局長(左写真)から約1時間に及ぶお話しが始まりました。 北原さんは「人間らしい社会になっているのだろうか」と問うことから語り始められました。「人間として生きる限り真実を求めて生きることの中に、若い人々の未来を作らなきゃあいけないという気持ちがあって当たり前です」「三里塚闘争44年は、自分にとって勲章だ」「まだ死ねない」と。

  反対同盟が結成された直後の淡路との関わりや、富里空港案に対する「農民に空港はいらない」と決起した富里農民の闘い。10314_18 2年、3年たっても決定できずに追い詰められた政府が、地元住民への何の説明も説得もしないまま三里塚案が強行された経緯を話されました。その折に航空局長に抗議に行って、無条件降伏したことによる米軍支配の問題を感じたと話されました。

 海軍士官として南太平洋の戦争に従軍した経緯を語られ、「戦争とは何か」と悲惨な経験を話されました。「罪もない兵士が、天皇の赤子として死にたくもないのに死んでいく。こんな戦争を起こしてはならない」と。 そして現在の普天間基地問題に触れながら、沖縄の米軍基地問題を語られ、沖縄・三里塚を貫く日米支配者による軍事の問題を語られたのです。10314_17

 三里塚闘争の一端として、32年前の横堀要塞戦に加わり、闘い抜いて逮捕された体験を、準備されてきた図を示しながら、具体的に話されました(右写真)。その面白いこと。このときのお話しは是非、全文を印刷物にしてご紹介したいと思っています。

 休憩をはさんで第2部のフリートークです。司会を代わった安藤さんから「2月25日、私たちはバス1台で決起し、仮執行宣言の攻撃を粉砕した。その勢いをもって今日の集会は開かれており、3・28総決起への決意を固めるフリートークをお願いしたい」との提起があって始まりました。10314_8

 部落解放同盟全国連の滝岡さん(左写真)は、「国家暴力に対して実力で闘う反対同盟の闘いに触れることで、部落解放を闘っていく上で大きな意義があった」と三里塚と共に闘うことの重要性を語られました。

 東灘区住民の会の白石さんは、北原さんの話にあった横堀要塞戦の時、山本先生を始め住民の会の3人が木の根でゴボウ堀の援農をしてから現場に駆け付けたことを紹介しつつ「節を曲げないで三里塚の皆さんと40年一緒にやってこれたし、今後もやっていきたい」と想いを語られました。

 10314_10 高槻市議の小西さんは、68年3・21闘争で三里塚に初めて行った経験を語りながら、医療・福祉が国の戦争政策の中で切り捨てられる現実を、自治体の中から変えていかねばならないと市議会議員としての道を選んだことを話されました。そして「『農地死守』『話し合い拒否』『実力闘争』の原則をブレずに貫いてこられた反対同盟(北原さんの話)に感銘を受けた。ここに一切の信頼をおいて全力で闘い抜くことが大事だ」と想いを語られました。

 ここで我慢できなくなって永井関実代表世話人が登場し、北原さんとの関わりの中でのエピソードを裏話としてご紹介。つられて北原さんも。北原さんは、これまでのみなさんの話への謝意を表された上で、「生きることは闘い」「『誰かがやる』という他力本願の時代じゃない」「いくつになっても感動を忘れてはいけない」「三里塚は闘います」と語られ、現地の成田市議会闘争(16日)などの都合で早く帰らねばならないことを詫びられました。10314_11

 大阪の空と海を戦争に使わせない会代表の青木さんは、「三里塚が勝ち続けていることに、そして関実の湾岸住民の闘いに支えられ続けてきた」として関西空港の軍事使用に反対していく決意を述べられました。その上で、普天間基地の撤去を移設問題にすり替え、有事ではなく平時において関空を代替施設として軍事使用することが公然と政府の中で論議されていることを弾劾されました。

 とめよう戦争!百万人署名運動兵庫県連絡会の世話人・梶原さんは、「今日の北原さんの話しを聞きながら、三里塚への空港づくりの背後に民主主義ではなく国家暴力がある。これは正に戦争政策だ」「日米軍事同盟がその背後にある」「三里塚は、日米軍事同盟、戦争政策と闘う拠点だ」「戦争のための自衛隊基地、日米共同軍事演習と闘うことが、三里塚の闘いと一体のものだ」と語られました。10314_12

 風をおこす女の会の松野尾さんは、「三里塚の闘いを通してどんな暴力にも負けず一歩も引かない、農民やお母さんたちの闘いに学んで、これまで来た。だから『在特会』の襲撃にも『そんなものは怖くない』と思える」「慰安婦の水曜行動の関係で、昨年秋、韓国を訪れ、ソウルのヨンサンで土地開発に反対した住民が虐殺された現場に行った折、その1週間前に三里塚の萩原さんが訪ねておられ、現場の人から『どういう人?』と聞かれ、『成田空港反対闘争』といったらすぐ通じた。『成田闘争』は世界に知られていると実感した」と語られた上で、援農闘争の大切さを訴え、3・28の後の援農を呼びかけられました。

  沖縄出身の立場から座喜味さんは、「北原さんの言葉に『私がやらなくて誰がやるのか』『今やらなくていつやるのか』という沖縄の言葉を常に言っていた古波津さんの言葉を思い出した」 「普天間基地は移設ではなく撤去が前提だ」「来月中旬には県民集会が準備されており、沖縄では怒りが充満している。10314_21 本土の人々のそれに対する受け止めが問題だ」「三里塚のように体を張った闘いが必要だ」「そして沖縄と三里塚の具体的交流が大切だ」と訴えられました。

 最後に、山本善偉関実世話人が立ち、「北原さんは、闘いの核心を話された。本当に感銘を受けた」「関実にとってかってない集会だ」「90歳になって、ますますやる気になっています。命のある限り闘います」「3・16から、3・28へ全力で結集しましょう」と訴えて、簡潔ながら決意みなぎるまとめと閉会のあいさつをされました。

 10314_20 それから世話人、北原さんを先頭にデモに出発しました。関西でも有数の繁華街である心斎橋からナンバまで、約1時間、宣伝カーでの訴えとデモの隊列は、休日と言うこともあり、本当に多くの通行する市民の大きな注目を浴びました。

 

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2010年3月13日 (土)

今週の産直野菜(3月13日)

10313  三里塚からの産直野菜が、今とどきました。

 ニンジン、里芋、ネギ、ほうれん草、かぶ、切り干し大根、小松菜の7品です。荷物を空けながら、「あれ? 小松菜がある」と思いましたが「野菜だより」によれば、「別の有機栽培農家・・、出荷しきれなくなりそうとのことで、譲り受け」たそうで、鈴木さんのところのかな? しかし、先週にも書きましたが、この端境期に葉物があるのはうれしい。

 酒の誘惑も断って必死で自前の料理を追及し、お陰さまで消化もまずまず。先週のも、ネギとニンジンと芋が少しずつ残っただけで順調です。切り干し大根が味噌汁にも使えるとか。やってみよう。

 さあ、明日は、北原事務局長をお招きしての三里塚関西集会。今日は、そのための最後の街頭宣伝が神戸の元町駅であります。

 さらに16日には、成田市の「団結街道」廃道化攻撃に対する成田市弾劾デモがあります。実質上連続闘争で大変ですが、頑張りましょう。19日、20日に神戸では「三里塚写真展&野菜市」。そして3・28全国闘争へ

 そして、普天間基地即時閉鎖、県内移設反対を掲げて、超党派の沖縄県民集会の準備(4月中旬開催?)が始まったようです。この4、5月、沖縄・三里塚を貫く人民の闘いを実現しましょう。その力で、鳩山政権の朝鮮高校への差別的対応や「在特会」の暴力的蠢きなど排外主義の強まり、そして改憲への動きを粉砕していきましょう。

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2010年3月11日 (木)

「普天間移設」への国民新党、社民党の動き

Photo  3月9日付けの琉球新報に「米軍普天間飛行場の移設先を協議する沖縄基地問題検討委員会で、社民、国民新の両党がそれぞれ移設候補地案を提示した」と具体的内容を含めた報道がされています。私たちは、こうした鳩山連立政権の「初めに移設ありき」の動きに憤りを感じます。

 すでに昨日の当ブログに「普天間基地は即時閉鎖すべき」と論じたように、世界一危険な基地と言われる宜野湾の普天間基地周辺の市民への生活破壊、生存権の破壊は我慢の限界を超えています。直ちに閉鎖すべきです。その一方で「移設論議」の根拠となっている「日米安保」「米軍再編」の問題は切り離すべきことなのです。重ねて言いますが「普天間基地一つがなくなっても、アメリカは困らないし、米軍の世界戦略は微動だにしない」のですから。Photo_2

 両案が「在沖米海兵隊は15年後にグアムなどへ国外退去する。2案はそのための暫定措置」としていると言いますが、こうした先送り、すりかえでは「米軍再編」「日米安保」はピクリとも動かないことを沖縄の皆さんは、60年にわたる米軍による占拠を通して痛いほど感じておられます。ですから、「直ちに普天間基地を閉鎖・撤去せよ」「県内移設反対」と言われるのです。このことに真正面から向き合わずに小手先の「論」を立てて誤魔化すことなど許されません。(上の2枚の図表は、いずれも琉球新報より転載。)

 今朝の朝日新聞に「密約と安保」という連載記事で「核寄港 踏み込まぬ日米」と題する記事がありました。ニュージーランドが80年代半ばに核搭載艦の寄港を拒み、アメリカが安全保障義務を打ち切ったことを紹介した上で、「大きな安全保障上の懸念がなかったニュージーランドに対し、日本は軍拡路線を取る中国や核開発を進める北朝鮮などに向き合う。米国の核の傘への依存度は全く異なる」と断じています。ここに、この「移設論議」に通じる大きなすりかえ、キャンペーンがあることを指摘せざるを得ません。

 日米安保体制は、良し悪しは別にして、米ソの冷戦構造を背景にして生まれ、1960年の安保改定から50年を迎える今日、その大前提となった冷戦構造はとっくに消滅しています。アメリカの世界戦略への批判は置くとしても、私たちの国は憲法9条をもち、戦争放棄の原則を打ち立てています。しかし、「国防」の名のもとに世界有数の自衛隊戦力(軍事力)をもち、冷戦構造を前提とした「日米安保」を持っていることについて、もう一度国民を上げた論議をするべきではないでしょうか。少なくとも、現在進められている日米安保体制の実態が国会論議もないままの「2+2」などという閣僚の間の論議で確立され、「軍事機密」の名のもとに一切が明らかにされてきていないことに問題があるのではないでしょうか。今日、一部とはいえ「核密約」が存在したことが明らかになり、自民党政権60年に対して国民的怒りが表明されていることは、何よりもこうした問題があることを示しているのではないでしょうか。

 それを朝日新聞が言うような「ニュージーランドと違うのだ」と無前提に論議の根拠に「国を守ってもらう」といったことを据えることは大きな間違いではないでしょうか。そもそも、「移設」論議の対象となっている在沖米軍は、ほとんどが海兵隊です。海兵隊は、「守る」軍隊ではなく、「攻める」軍隊だともよく言われます。実際にも1年おきにアメリカ本土から移動してきて、沖縄に居る間もアジア各国に「訓練」と称して移動しているために、沖縄に居座ることがないことは周知の事実です。その上、海兵隊が移動するための強襲揚陸艦部隊は、サンゴ礁に囲まれた沖縄にはいい港がないために、遠く離れた長崎の佐世保港に駐留しています。これ自体が軍事的合理性に欠けると、米軍関係者も認めています。では、なぜ沖縄に海兵隊がいるのでしょうか。日米安保条約の「地位協定」があり、膨大なお金(毎年2千数百億円)が日本から拠出され、自由、勝手気ままに使える、アメリカ軍にとってこんな美味しい、居心地のいい基地は世界にないからなのです。日本を守るためなどではないのです。

 「日米安保」を国民的論議に問うこともなく、「日米同盟の深化」を国是の軸に据えようとすることに大きな間違いがあります。普天間基地が「世界一危険な基地」であり、周辺住民の「平和的生存権」(憲法前文)と人権が侵されているのですから、日本が主権国家であるのなら、アメリカと対等な「パートナー」だというのなら、先ず「直ちの普天間基地の閉鎖」それ自体をアメリカに要求することではないでしょうか。それをごまかし、「日米同盟」を前提に論議しているという根本的過ちが「移設論議」にはあるのです。

 社民党の「グアム移設」論は、淡路島ぐらいしかない小さな島国のもともと住んでいた住民に、沖縄の現実をそのまま押し付けることであり、かってミクロネシアの島々を占領し、支配した日本帝国主義の過ちを開き直ることにつながる犯罪的な論議でしかありません。

 また両党による岩国や関西空港などへの訓練などの「移設」論も、戦争体験への痛苦な反省と戦後の米軍占領下での体験、そして平和への願いから「厚木基地の空母艦載機部隊の移駐」に強く反対している岩国市民の想いや、軍事空港反対を掲げて闘い抜いてきた関西の住民の想いを踏みにじる暴論です。

 私たちにとって、「日米安保改定50年」を迎えた今こそ、「安保」「米軍再編」を論議の俎上にあげ、沖縄を始め米軍基地の全面的撤去を含む論議をおこすことこそ必要ではないでしょうか。その大前提として、普天間基地の即時閉鎖を行うことが必要です。そういうことが可能となり、実現してこそ、平和なアジアやアメリカ、そして世界の人々との友好関係が真に生まれてくるのではないでしょうか。

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2010年3月10日 (水)

「初めに移設ありき」の間違い 普天間基地は即時閉鎖すべき

Photo 左写真は、宜野湾市の住宅密集地のど真ん中にある普天間基地です(宜野湾市ウェブサイトより転載)。沖縄国際大に岩国基地所属の米軍海兵隊大型ヘリCH53D(180人乗り)が墜落した事故(04年8月)を出すまでもなく、「世界一危険」と言われる米軍基地です。

 今、鳩山政権は、この「移設問題」の3月集約、5月決定を行おうとしていますし、マスコミが「先ず移設ありき」とキャンペーンを張っています。

 しかし、基地周辺の宜野湾市の住民にとっては60年余り「世界一危険な基地」と隣り合わせに生活させられ「健康で文化的な最低限の生活」(憲法25条)を奪われた状態にあります。日本の国に主権があるならば、これは直ちに基地を閉鎖すべき問題であることは明らかです。「移設」を云々している間にも、深刻な被害がうまれているのですから。そして、これは宜野湾市のみならず、沖縄県民の圧倒的な声なのです。「普天間基地一つが亡くなっても、アメリカは困らないし、米軍の世界戦略も微塵も揺るがない」というのが米軍関係者をはじめとした人びとの意見でもあるのです。Photo_2

 ここに最近、キャンプシュワブ、ホワイトビーチ(津堅島)など「県内移設」をにおわす鳩山連立政権の重大なペテン的なごまかしがあります。

 鳩山政権は、今年に入って沖縄の北部訓練場の南の地域にある東村高江という160人余りの村民が住む村に対して、1月末、新たな「ヘリパッド」(演習場)の建設に反対して座り込んでいた住民2人を「通行妨害」として起訴しました(1月29日)。そして、2月18日には、工事中止を訴える住民を無視して、中断されていた工事を強行しました。

 高江に新たに作られようとしている6つのヘリパッドは、旧来あるヘリパッドの2倍以上の大きさを持ち、垂直離着陸が出来るMV22オスプレイ(左下写真)のためだと言われます。V22 このオスプレイは、米軍の分類でもヘリコプターではなく飛行機とされることから戦闘機です。アメリカのイラク侵略戦争で初めて使用され、墜落が多いことから「未亡人製造機」と異名を持つ危険な戦闘機で、米軍再編の中で、世界に360機が配備計画されるうち、日本の海兵隊に100機が配備されるというものです。その爆音は、ヘリコプターの比ではないと言われています。この100機ものオスプレイの演習が高江で行われるためにヘリパッドの建設が、住民の反対を無視するばかりか、住民を起訴して強行されたのです。

 09523 実はこの100機ものオスプレイが収容できるには「新基地」しかありません。もともと「辺野古新基地」計画が進む中で、付随して「高江へのヘリパッド」建設計画が2006年、東村高江の皆さんに押し付けられようとし、07年7月突然開始された工事に反対して住民による座り込みが始まったのです(右写真はN-4ゲート前の座り込みテントで説明を受ける三里塚反対同盟の萩原さん、市東さん。昨年5月撮影)。

 鳩山政権が、自民党政権の基地建設をそのまま引き継ぎ、この高江のヘリパッド建設にこの2月、再度突入したということは、その大前提として、「新基地」の県内移設が図られているということではないのでしょうか。

 そもそも高江周辺は、「やんばるの森」と言われ、ノグチゲラ、ヤンバルクイナなど世界でこの森にだけに生息する固有種が多く(12種の植物、11種の動物)あり、生息場所の保全が世界自然保護会議などによって呼びかけられており、4千種を超える野生生物が記録されています。こんな貴重な森と生態系を破壊し、160人余りが農業を営む住居と畑を取り囲むようにヘリパッドが建設され、轟音をまきちらすオスプレイが飛び交い、墜落の恐怖にさいなまれるなどどうして許されるでしょうか。

 本来、普天間基地問題は、「移設」問題ではなく「即時閉鎖」であるべきです。にもかかわらず、「移設」問題にすり替えられ、あまつさえ、すでにそれを前提に高江におけるヘリパッド建設がすすめられようとしているということは断じて許されません。鳩山連立政権の許し難いペテンだと弾劾せざるをえません。

 沖縄への日本帝国主義、ヤマトによる130年を超える差別を前提に、今また、鳩山連立政権によって進められようとしている「普天間基地」問題への対応は、新たな差別の上塗り以外のものではありません。「日米安保改定50年問題」とリンクさせ、国民的議論を生み出す責任が、私たちヤマトにはあります。沖縄のみなさんの「基地撤去」の願いを、本当に受け止め立ち上がろうではありませんか。この3月から5月が正念場です。三里塚闘争の3月~5月決戦と一体のものとして、巨大なうねりをこの春、生み出しましょう。

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2010年3月 9日 (火)

第3誘導路建設を絶対に阻止しよう!

Photo  空港会社NAAは、昨年7月末、新たな誘導路の供用を開始する直前に、「これでは使い物にならない」とさらに第3誘導路を建設することを公表し、今年2月、そのために成田市が「団結街道」(市道)を廃道にすると一方的に打ち出し、先月末から決まりもしないのに関連工事に着手しました(左図参照 「週刊三里塚」より引用)。

 これは3重、4重にも許し難い暴挙です。そもそも、東峰部落住民の生活にとってなくてはならない東峰の森を破壊して新誘導路を建設しておきながら、供用をする前から「使い物にならない」と言いなす無責任さです。この誘導路建設に巨額の税金が使われたことの責任を誰が取るというのでしょうか。

 しかも第3誘導路は、左写真でも明らかなように、市東さんの自宅と畑を空港の中に完全に閉じ込めるだけでなく、自宅から100メートルも離れていない場所を巨大なジェット機が轟音を響かせながら行き交うという生活破壊、人権侵害を前提とします。

 その誘導路建設のために市東さんの自宅の際から「団結街道」(市道)を廃道にするというのは、市東さんの生活を根底から破壊します。市東さんは「団結街道」を使って自宅の北にある南台の畑(写真一番上の白く囲まれた畑)や、さらにその北西にある堀之内の畑にトラクターなどで数分で行っておられます。それが車の通行量の多い付け替え道路へ行く道は、危険な上に30分、1時間近くもかかり、営農に重大な影響が生じます。第3誘導路建設と「団結街道」廃道化は、明確な、市東さんへの生活破壊、営農破壊の攻撃です。

 なぜこのような乱暴なことをNAAが考えたのでしょうか? それは、左上の写真でも明らかなように、誘導路が「へ」の字に曲がっているからです。その「原因」となっている市東さんの畑と天神峰現闘本部を力づくで撤去したい、奪いたいということなのです。(右写真は南台の畑で作業をする市東さん。中央部に見える建物が天神峰現闘本部。)F

 この「暫定滑走路」は、国による成田空港の事業認定が1993年に取り下げられ、土地の強制収用が出来なくなる中で建設が強行され、誘導路の「へ」の字の存在など問題ないとして2002年4月に開港が強行されたのです。

 それは、島村さんなどの家の上空40メートルの飛行を前提とし、東峰部落や市東さん(天神峰部落)の生活を破壊することを無視して強行されたのです。

 それを今になって、それも新たに作った誘導路が「使い物にならない」からと、市東さんの生活と営農を破壊することを目的に、第3誘導路建設と「団結街道」(市道)の廃道化が企まれるなど、どうして許されるでしょうか。

 しかも、「団結街道」については、まだ成田市議会の審議すら終わっていないのに工事が開始されたのです。

 成田空港は、1966年の閣議決定以来、つねに「結論先にありき」と金と機動隊の暴力によってこの44年間推し進められてきました。その「国策」を振りかざした問答無用のやり方に三里塚農民は怒り、44年間も闘い続けてきたのです。政府自身が「ボタンの掛け違い」と現地で大臣が謝罪せざるを得なかったのです。

 にもかかわらず、相も変らぬ「そこに住んでいるのが悪いのだ」と言わんばかりの第3誘導路建設と「団結街道」廃道化に、そこに住む市東さんをはじめ反対同盟の農民が怒るのは当然です。Photo_2

 市東さんは、親子3代、90年以上にわたって耕してきた畑、農地をわが命として無農薬・有機栽培の農業に努めておられます。その農地と農業は代替えできません。ですから市東さんは、「1億8千万円の補償金よりも、1本100円の大根を消費者に喜んでもらいたい」と言われるのです。

 農地死守にこめた市東さんをはじめ、三里塚反対同盟のみなさんの44年にわたるこの想いほど大切なものはありません。第3誘導路建設に反対し、市東さんの農地を守るために、みなさんの周りで声を上げてください。3・14関西集会から、3・28三里塚現地へ立ち上がりましょう。

    (新空港反対東灘区住民の会「おしらせ 第79号」より転載)

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2010年3月 8日 (月)

3・14関西集会から3・28三里塚現地へ!

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市東さんの農地を守ろう! 第3誘導路建設を許すな!

 2月25日、千葉地裁・仲戸川裁判長は、法理を無視し、三里塚闘争の象徴でもある天神峰現闘本部の撤去を認める反動判決を下しました。しかし、空港会社NAAが求めていた、控訴しようが直ちに撤去を強行するための仮執行宣言をつけることはできませんでした。これによって三里塚反対同盟とその闘いの破壊を一気に進めようとした国家権力、NAAの野望は後退を余儀なくされました。

 これは、農地死守・実力闘争の闘いの原点を守り、この反動判決攻撃、天神峰現闘本部破壊攻撃に対し、2~5月決戦として態勢を構え、25日の闘いを全国から385名の決起を持って闘い抜いた三里塚反対同盟と私たちがもぎとった緒戦の勝利ともいうことができる地平です。

 しかし、国、NAAは、3月成田市議会において団結街道(市道)を廃道にし、第3誘導路の建設を強行しようとしています。これは、市東さんの宅地と農地を空港の中に閉じ込め孤立させ、しかもその営農自体を破壊することで、市東さんを叩きだし、市東さんの農地を強奪することを狙い三里塚闘争を破壊しようとする悪辣な攻撃です。こんな卑劣な攻撃をどうして許せるでしょうか。

 私たちは、反対同盟とともにこの3月を、3・14三里塚関西集会、3月19日~20日の三里塚写真展(東灘区住民の会・関西実行委員会共催)、そして3・28全国集会と現地での援農闘争と闘い抜き、4~5月の現地攻防を全力で闘い抜きたいと決意を固めています。

 同時にこの過程は、沖縄の普天間基地をめぐる決戦の過程でもあります。鳩山政権は、「日米同盟の深化」を掲げ、沖縄県民の名護市長選に見せた怒りの声を、その民意を踏みにじろうとしています。私たちは、断じて許してはなりません。沖縄の皆さんの闘いに応え、今度はヤマトの私たちが、「安保改定50年」を迎えたこの2010年を安保廃棄の年にし、普天間基地撤去、新基地建設を許さない大きな声を作り上げなければなりません。すでに呼びかけられている5・16普天間基地包囲闘争をはじめ、沖縄での闘いにも全力で駆けつけて行きたいと思っています。この3~5月はこうした沖縄をめぐる決戦でもあります。

 3・28三里塚闘争の爆発を通して、この3~5月、三里塚・沖縄を貫く闘いを実現しようではありませんか。

 そのためにも、3月14日、大阪市立中央会館に三里塚反対同盟の北原鉱治事務局長を招いての3・14三里塚関西集会を成功させましょう。

     (新空港反対東灘区住民の会「おしらせ 79号」より転載)

 

 三里塚反対同盟は、団結街道の廃道化を決議しようとしている成田市議会最終日の3月16日、緊急闘争を呼びかけておられます。反対同盟ブログhttp://www.sanrizuka-doumei.jp/home/2010/03/post-84.htmlに詳しくはあります。14日から日をおかずですが、現地に結集しようではありませんか。

3・16団結街道廃道化許すな! 成田市弾劾デモ

【日時】3月16日(火)午前10時 【集合場所】栗山公園(成田市役所わき 成田駅から徒歩5分)

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2010年3月 6日 (土)

今週の産直野菜(3月6日)

1036  今週の産直野菜が三里塚から届きました。

 ニンジン、ほうれん草、ネギ、カブ、白菜、紫芋、小松菜の7品です。

 野菜と一緒にこの日曜に千葉と東京で開かれた「産直総会」の様子と議案書が入っていました。そこに「もっとも意欲的に取り組んだのは葉物類です。冬場もなるべく長く、『11月から3月なかば頃までは届けられるように』と、ほうれん草、小松菜、カブ、チンゲンサイなど、大幅に作付を増やしました。それがこれまで、結果となってあらわれていると思います。年間を通しても、できるだけ葉物が入るように、気を配って作付に努めました。そのため地道なことですが、次の作付けへの切り替えを早め早めに行うよう、努力しました」とありました。

 確かに「結果となってあらわれ」ています。この2年、毎年、10日あまり三里塚で農作業をさせていただいて現場を知っているだけに、これだけの多品種を、工夫しながら作付されていることに本当に頭が下がります。感謝、感謝です。

 3月14日、反対同盟の北原鉱治事務局長にお出でいただいて開く「三里塚関西集会」まで、あと残り7日になりました。みなさん、連れだって是非おいでください。今日も、これから神戸の元町で集会を訴える街頭宣伝ですが、今は雨がかなり降っています。出来るだろうか?

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2010年3月 5日 (金)

3・4大阪港核艦船入港反対学習集会に参加して

08925  

 昨日、3月4日、大阪の協同会館アソシエで、関西生コン、港合同など労働組合によって組織された「大阪港の軍事使用の中止を求める実行委員会」が主催した「3・4大阪港核艦船入港反対学習集会」に参加してきました。各組合の労働者が200人にのぼる参加で、「これが学習会?」と先ずビックリ。1034

 集会は、関西生コンの高英男副委員長(右写真)の主催者挨拶で始まりました。高さんは「今、大阪には当たり前のように軍艦が入っている」、そして「地球の反対側では今も戦争をしているのに鈍感になっている私たち」と指摘された上で、「例え少数であっても、どんな小さいことであっても戦争につながることには反対していきたい」と想いを語られました。

 早速、横須賀で20年にわたって「ヨコスカ平和船団」の取り組みをされてきた新倉裕史(左下写真)さんの講演です。最初の写真は、一昨年、横須賀を母港とする原子力空母ジョージワシントンが入港してきた時の「平和船団」の闘いの様子です(08年9月25日)。新倉さんはOHPを使って周辺事態法の地位協定と自治体の港湾管理権の関係を明らかにする形で、民間港への米軍艦船の寄港問題を明らかにされました。1034_2 96年の日米新ガイドライン以降、米艦の民間港への寄港は2倍になり、米軍再編(06年)以降、それはさらに増加したことに米軍の民間港へのはっきりとした意思が働いていると指摘されました。横須賀を母港とする空母インディペンデンスが、初めて民間港(小樽)に入港した時、様々な調査をされた経験を話されながら、タグボート、水の供給、ゴミの処理、食料や燃料、氷など様々な形での自治体と民間の協力が試されていた様子を明らかにされました。そして「大変だと言っていても仕方がない。どこに我々の活路があるかを見るべき」とされ、闘いの中から「自治体は周辺事態法に縛られない。あるのは国による『お願い』であり、有事であっても自治体の首長による許可が必要」と指摘されました。そして米軍が戦後全面撤収するにあたって制定された「港湾法」が、それまで国による一括管理だった港湾が自治体の長に管理をゆだねた根拠に平和主義と憲法9条があることを明らかにされました。Photo そもそも「平和船団」が右写真にあるように(イージス艦配備への抗議行動)、米軍の軍港の中をなぜ自由に動けるかを明らかにされました。陸上の米軍基地に侵入すれば直ちに叩き出されるか、逮捕されるのに。米軍の軍港と言えども、横須賀港の中にある限り港湾法の下にあり、船を出しても米軍は文句が言えないのです。この話しには正直驚きました。新倉さんは「港と言うのは安保のアキレス腱だ」と指摘されました。

 主催した実行委員会では、米軍の核艦船の入港を許可すべきでないと大阪市を相手取って裁判を行う準備を進めています。1034_3 その弁護団を代表して、冠木(かずき)弁護士(左写真)が挨拶に。冠木弁護士は、「核艦船は入ってくるな」という大阪市民の平和的生存権として、そして憲法9条、非核3原則などの国家が国是としているものを我々の権利として主張したいとされた上で、イラク派兵差し止め裁判等の経験から、この裁判を「私たちの財産にできるような裁判に」「大阪の平和運動全体が勢いづくような裁判に」、そして「実り豊かな裁判にしてぜひとも勝ちたい」と想いを語られました。

 ここで飛び入りで、フランスとカナダなど12カ国の人々で新自由主義によるヤクザのような力による雇用問題や住宅問題に取り組んでおられるNO-VOXの皆さんが登壇し(右写真)、アフリカでの民営化による解雇問題への取り組みなどを紹介しながら訴えられました。1034_4 労働運動の役割や、国境を越えた取り組み(例えば、大阪の長居公園での退去攻撃に対するフランスでの取り組みなど)を紹介しつつ、「全ての社会運動が力を合わせることによってしか闘うことはできない」と訴えられました。

 続いて、神戸市議会議員の粟原富夫さん(左下写真)から、「非核神戸方式」が生まれた背景と歴史が紹介されました。神戸の港が戦前は国家管理のもと、日本で最初の「国防婦人会」を生んだ町であることを指摘しながら、戦後、1945年から51年米海軍の完全占領下にあり、1034_5 74年に完全返還が行われるまで、朝鮮戦争、ベトナム戦争の中で、一般商船が何日も港に入れないなどの経済的障害や、米軍兵士の死体が港の冷蔵倉庫に保管されていたなどの問題など、神戸市民の労働者も経営者も、その困難を共有していた事によって1975年3月の「核兵器積載艦船の神戸港入港に関する決議」が議会で全会一致で勝ち取られた経緯が語られました。そして市民の声だとして、法律的根拠はないまま港湾管理者としての市長による行政指導として「非核神戸方式」が確立されたことを明らかにされました。1998年のカナダ艦船プロテクター号が、非核証明書もないまま、外務省とアメリカの意向を受けて神戸港に入港を強行しようとして、神戸市が、入港するバース指定を拒否し、結局海上自衛隊阪神基地に寄港せざるを得なかった事を明らかにされて、「まだ首の皮一枚で非核神戸方式は守られている」と語られました。1034_6

 最後に、港合同の中村吉政副委員長(右写真)が、まとめと閉会の挨拶に立ち、「40年間ずっと大阪港への軍艦の入港に反対してきた」想いに立って、「職場や地域から闘っていこう」と訴えられました。

 終わってから交流会も用意されていたようでしたが、後ろ髪をひかれながら、内容豊かな学習会に新たな力をもらったという想いを抱きつつ雨の中、帰途につきました。

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2010年3月 2日 (火)

「仮執行宣言」を粉砕!

10225

尼崎・伊丹実行委員会の「抵抗の旗」245号が送られてきました。その一部をご紹介します。

反動判決に屈せず粘り強く闘い抜こう

 2月25日、千葉地裁でNAA(成田空港会社)が現闘本部の撤去と明渡しを求めた裁判の判決公判があり、仲戸川裁判長はNAAの「建物の地上権が成立したとの事実は認められない」との主張を全面的に認め、撤去と明渡しを命じました。10225_2 私たちはこの、事実に基づかない超反動判決を絶対に許さない!登記され地代も滞ることなく払い続けている木造建物が厳然と存在しているという事実をを全く検証することなく、かつ「地代はもらっていない」というウソの証言に対し、反論する機会さえ奪っておいて何が「事実は認められない」か、ふざけるな! 怒り心頭とはまさにこのことです。「仲戸川を末代まで、地の果てまで弾劾する」判決後の萩原事務局次長(右写真)の言葉が結集した皆さんの共通の気持ちではなかったでしょうか。

 しかしNAAが最も強く求めていた「仮執行宣言」は判決に付帯されませんでした。(控訴審、上告審の結果を待たずに撤去できるとんでもない制度)考えれば、そもそもこのような「仮・・・」制度は、本来最終審が確定するまで待てば生活が困難になるとか命にかかわるといった弱い立場の当事者の救済のために適用されるべきで、今回のように権力をもった側の当事者が乱用すれば、まさに三審制の否定につながるものではありませんか。その意味でははじめから却下されてしかるべきであるところ、仲戸川は卑劣にも判決当日まで「温存」していたのです。全く許せません。

 しかし、いずれにせよ反対同盟はこの一番重要なポイントで決定的に勝利しました。無論これは仲戸川の「仏ごころ」の結果などでは絶対なく、逆にこの裁判過程だけでなく、鈴木さんの一坪裁判などでも仲戸川を徹底的に追い詰め、弾劾し続けた反対同盟や支援の皆さんの闘いに臆した仲戸川の逃亡宣言にも等しい結果であると思います。どこまでも卑劣きわまる人物です。

 いずれにせよこの判決により裁判そして現地攻防は新たな局面に入りました。まだまだ闘いは続きます。これからも粘り強く闘い抜きましょう。10225_4

 (中略)

実力闘争としての裁判闘争

  その後、元の中央公園に戻り、反対同盟による記者会見と総括集会がもたれました。北原事務局長(左写真)は「反対同盟はこれからもみなさんに支えられて正義を貫きます。そして世の中を変えよう」と結びました。そして弁護団の皆さんから異口同音に「反動判決弾劾」と「仮執行宣言を粉砕した」という内容の発言が続きました。

 最後に萩原事務局次長が「三里塚の裁判はあくまでも現地闘争との関係の中で進んでいく」と裁判闘争が実力闘争の一環であることを改めて強調しました。そして団結街道廃道、第3誘導路建設、市東さんの農地強奪との闘いを通して、10225_5 仮執行宣言を粉砕した力で現闘本部撤去を粉砕する闘いを現地闘争として闘い抜くことを明らかにし、最後に3・28へ多くの結集を訴えました。

 3・14関西集会から、3・28総決起へ!

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2010年3月 1日 (月)

関実「実行委員会ニュース」 第129号発行

Photo  関西実行委員会の機関誌「実行委員会ニュース」第129号が今日、発行されました。

 巻頭は永井満関実代表世話人の「理不尽、傍若無人な農地強奪を絶対許さない!」(1~4ページ)。そして萩原進三里塚反対同盟事務局次長の「天神峰をめぐる2~5月の決戦に勝ち抜こう!」(5~9ページ)。いずれも、1月17日に開かれた関実団結旗開きでの挨拶を再録したものです。

 それに先日の2月25日の天神峰現闘本部裁判の関実事務局による「2・25千葉地裁包囲闘争報告」です(9~12ページ)。

 少し長文ですが、いずれもが読みごたえのある、内容豊かな文章です。ぜひ、お読みください。(ご希望の方は、関実事務局にお申し込みください。)

 なお関実では、神戸での「3・14三里塚関西集会」の街頭宣伝、ビラまきを以下の要領で行うことを今日決めました。(大阪の予定はこれからです。)

 3月6日(土)午後2時~3時 / 3月13日(土)午後3時~4時  いずれも場所は、JR元町駅前、東南の歩道。三里塚の写真の展示も同時に行います。なお、雨の場合は中止します。お近くの方は、お手伝いください。

 使われるビラは、「100314.pdf」をダウンロード をクリックしていただければ、PDFで印刷できます。

 3・14三里塚関西集会、そして3・28三里塚全国総決起集会にうねりをおこしていきましょう。

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