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2010年2月10日 (水)

1・29院内集会での辺野古の島袋さん(80歳)のお話し

10129  写真は、名護から来られたみなさん。右から二人目が島袋さん。

島袋さん(辺野古在住名護市民、80歳)

 みなさん、こんにちは。

 私は、沖縄県の名護市、辺野古に今、住んでいます。私は本籍地は名護市なんですけど、なぜか南部の糸満と言うところで生まれ、育ってきたんですけれど、ちょうど戦争する時、私、15歳なんです。

 15歳から戦争のために飛行場をつくるとか、あるいは防空壕を作るとか、軍にひっぱりまわされた。空襲のあと、ちょっと怪我しましたけど、それからウチナンチュウの家に家族もぜんぶ怪我しまして、今はいないんですけれど、古波津英興というのがいましたけど、その方は私のいとこなんですけれど、その人の親、兄弟、おじいちゃんもおばあちゃんもみんなこの戦争で亡くなったんですね。10129_2

 今、ここで私が生きているのはですね、戦争で、壕の中で焼かれてでてきたんです。火の中から這い出してきて、生きていますけど、捕虜収容所の前までは、どうしたら生きられるかということで、自分の兄弟たちや、いとこ、おばさんたちが怪我をしても助けることもできないんですよ。自分自身が生きなければいけないから。夜もあっちこっち逃げ場所を探しておって、のどが渇いて水を、夜ですから見えないですよね、水を飲んだら、翌朝見たらその水がどんな水かと言ったら、人間が死んだ水、血を飲んだのと一緒なんです。だから私は、亡くなった人たちの血を飲んで、今、生きているんです。

 日本政府がアメリカにおカネをあげてでも沖縄に基地を置くというのが私は合点がいかないんです。なんで、日本を守るためには沖縄が犠牲になってしまわなければいけないんですか。何度沖縄を殺せば日本は気が済むのかと私は思うんです。

 昨夜、急きょ私がこっちに来たのはですね、みなさんのやっかいになって・・・(雑音で数語聞こえず)・・それは、自分が怪我して、沖縄の住民がどれだけ亡くなったか。

 当時は天皇陛下も恨みました。ほんとに。なぜ、天皇陛下を助けるためになぜ自分たちが、沖縄住民が命を絶たなければいけなかったか。今度戦争があった場合には、天皇陛下にやってやろうと思うほど私は憎みましたよ。ですけど、だんだんだんだん歳もとって考えてみると、天皇陛下がやったんじゃなくて、これは日本の政治家がやったんだねと今はおもってるんですよね。

 沖縄に基地を置いて、沖縄の人間の、基地、軍に働いている給料も、全部日本政府が払っている。アメリカにおカネを上げてまで基地を置くというのはどういうことかねと私は思うんです。日本を守るためだったら、沖縄の基地は全部、日本本土に持っていったらいいんじゃないかと思うんです。どうですか。それはいけないことですか。沖縄の基地をこっちに持ってきたら、みなさん、喜びます? どうです? 返事してください。  (沈黙)  出来ないですよね。

 今、ちょうど沖縄のあっちこっちに飛行場をつくっていますけどね、ちょうど60年前、日本軍が沖縄を守ると言ってきた時には、ちょうど今のようなことをやっているんですね。で、日本軍は沖縄住民を守ったか。守ってないんです。殺しているんです。  (沈黙)

 で、本土の方々、沖縄にいらっしゃるときには、確かに「平和の礎」とか「ひめゆり」にいらっしゃるとは思いますけど、それを単なる観光気分でね来てもらっては困ります。皆さんの・・、私たち住民の・・、アメリカのあっちで見ている・・は、・・・なって眠ってるんです(この部分聞き取れません)。観光気分で来てもらったら、亡くなった方々が泣きますよ、恨みますよ。ですからもう少し沖縄の立場も苦しみも分かってもらって、本土の方々が力を貸してくださってですね、沖縄から基地を国外に移してもらいたい。

 それをお願いするために来ましたんで、どうかこの老いぼれのお願いを聞いていただいて一緒にどうか働いてください。基地は絶対になくさなければ、沖縄においてはいけないということをね。私はそれだけを言いたくて来たんです。お願いします。             (注・最後は涙ぐみながら訴えられました。)

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