1・29院内集会での山内徳信さんのお話し
写真は、1月29日、衆議院第1議員会館で開かれた「沖縄県民と連帯する1・29院内集会で、中央は司会の上原公子元国立市長)
山内徳信参議院議員(元読谷村村長)
少しだけ、沖縄の名護市長選挙の経過とか、その後の国会の官房長官の発言とか、それに対して昨日、今日抗議を続けておりまして、そこらへんの話しを申し上げたいと思っております。
私は、もう何度もお聞きなった方がいらっしゃると思いますが、辺野古の闘争がなければ、ここに、国会議員には決意しなかったと思っております。現地で闘えという方もおれば、いや元凶は東京にあるから、政府にいって闘えと言う話がありまして、結局、ここにきて2年半ほどになります。
さてみなさん。名護の市長選挙、これは、正に辺野古に新基地は作らせないという政策を掲げて、堂々と闘って勝利をしたわけです。今回の選挙の現場を見ておりますと、名護市民だけではありません、沖縄中から、そして「私は北海道からきました」という方がおったり、「私は神戸からきました」とこういう風に日本中から、もちろん東京からもいらっしゃいました。そういう闘いの勝利でございました。そして私たちは、あの24日の開票の結果を見て、「これで辺野古は決着がつくなあ」と、こういう想いをいたしました。
ところが25日、平野官房長官は、いやあ、どういう政治感覚を持っているのか疑いたくなりましたねえ、「民意は尊重します」とこれ以外は言わなければいいのに、あの人も選挙の結果を受けて官房長官についているわけですね、その人が、「いやあ、名護の民意は、これは民主主義社会においては尊重しなければいかん」とこれだけおっしゃればいいのに、結局、余計なことが飛び出してきたんですね。要するに「斟酌する必要はない」と、こういう風におっしゃったんです。それから、その翌日には「法的措置」についての法律の話しまでちらつかせたわけです。
これを許しておいてはいけないということで、昨日は沖縄出身の国会議員で組織しております「うるの会」。「うる」というのは昔の言葉でサンゴ礁のことなんですね。「うるの会」は揃って官房長官に抗議に行きました。まあ、いろいろ弁解じみたお話しをしておりました。
昨日は社民党は常任幹事会で、「明日は官房長官の一連の発言に抗議に行く」とこういうことで、今日は、幹事長を先頭に、中島先生、服部、私、4名で行きました。そして今日も弁解に近いような、釈然としないようなことをおっしゃっておりました。私からは、その前に昨日、決算委員会で私に与えられた時間は4分でした。私の持ち時間、4分ですから。向こうの答弁の時間はそれの3倍はあるわけです。まあ、4分で、私は5問準備したんですが、それの半分もできんのです。そういうことでしたが、昨日も総理にも答弁してもらって、それで、官房長官にももちろん答弁してもらっていますが、そういう一連の動きを受けて今日は社民党として抗議に行ってまいりました。
さらに、今日は午前8時からこの第1議員会館で防衛省の、一連の経過、というよりも辺野古の今日までの経過と、さらにハイチの地震に対する日本の対応の仕方について、これじゃあいかんのじゃないかという、そういう話し合いが今朝8時からありまして、防衛省の担当職員が辺野古について、辺野古問題の一連の経過という形で報告しておりますが、私は、最後に手を挙げましてね、今日の辺野古の一連の経過は、ここに集まっている国会議員に真実と背景を知らさない、こういう経過がありますよという説明に過ぎない。私がいくつか背景を説明したんですが、なぜ比嘉鉄也市長が官邸に呼びこまれて、そして出てきたときに「辺野古を受け入れてきまし」と。この人は辺野古の基地に反対する市民の実行委員長を務めていた市長なんですね。翌日は市議会に辞表を出して辞めた。なぜ辞めていったのか、そういうことを説明しないで、この経過の項目だけを見ていると沖縄の2人の県知事も、名護の3名の市長も、みんな容認して居るじゃないかといって、そういう間違った印象を与えることになりますよと。まあ、朝の8時からでしたから、私もあんまり長い時間とっては悪いと思いましたから、まあ、そういうことですと。岸本建男さんは一応容認したことになっていますが、この人は7つの条件を付けていました。その条件のことが、なぜ今日の報告書にはないのか、いう話しなどをやってきました。結論的には、私たちは名護の市民投票の結果も国家権力によって否定されたわけです。
そして今回の名護の市長選挙の結果は、勝ち抜いたわけですね。決着がこれでつくのかなあ、決着ついたと言いたいんですが、政権は権力を握っていますから、アメリカがこわいですから。アメリカに立ち向かう勇気はなくても、沖縄をつぶす勇気。ですから私は皮肉を一杯言ってから質問に入ったんです。足を踏んでおる者には、踏まれておる者の喜びとか、悲しみとか、怒りとか、そういうことを知らない、気付かない人間が存在することを悲しく思いますと言って質問に入ったわけです。まあ、皮肉も何もかも言っておかないとね。
まあ、そういうことで、今日は寒い日でしたが、院内集会を成功させていただきました皆さん方、ほんとに感謝申し上げております。そして、官房長官が選挙直後に「法的措置」まで話しを触れていますから、私は、沖縄県民、国民は、そのことを敏感に感じていますよ。あなたは一般論と言っているが、それは違うだろうと。前に太田知事の時に、みなさんは特措法を作って沖縄県民の願い、要求を特措法の名のもとにおいて踏みにじったんじゃないですか。そう言いましたら、「そのことを知っておる」とこう官房長官、おっしゃるからやはり彼は。しかも「5月までに結論を出す」とこう言っていますね。これは。
私たちは12月1日決着を闘い抜いて、そして5月と言ってるわけです。この残りの4ヶ月間、まあ、3ヶ月間ぐらいは必死に闘わんといかんなとこういう風に思います。
私は、そんなことは言ってはいかんと思いましたが、初めて、昨日の予算委員会で申し上げましたし、「総理、日米安全保障の恩恵だけ受けて、その負担は沖縄だけに終わっていいのか。ほんとに日米安保、安全保障が大事というのならば、ここにいらっしゃる国会議員を含めて」とわざとこう言いました。そして「これを国民的論議をして、どういう風にこれに対応していけばいいのか議論する必要があります。なにゆえにそれを沖縄だけに押しつけるのか」。そういうことを初めて申し上げましたが、「皆で議論をして、もういいと、普天間はお国に帰りなさい」と、こういう声を日本中でどんどん上げていく必要があると思います。
戦後65年経っておりますから、ここらへんで。ですから私は、官房長官にも申し上げました。「辺野古が動かんから、普天間に居座り続けるとアメリカは言ってくるでしょう。居座り論がそろそろ出てきますよ。その時、官邸は、総理大臣も、官房長官も、外務大臣もアメリカに向かって、65年も危険をまきちらし、恐怖を与えたその原因はアメリカ人ですと。日本政府は、新しい政権はもうこれ以上の負担はしません。この議論は国民的な規模で、アジア全域的な規模で私は賛同いただけるんじゃないかと思っています。そういう意味で日本の政治的な外交力を発揮していただきたい」。こういうような想いを今日も官邸にお伝えしてまいりましたが、これは国会におる者、政治に携わっておる者だけでは、やはり勝てんのです。勝つためには、みなさんがたと、民衆と、国会の内外が力を合わせたときにに勝利するということを私はかねがね信じております。
今日はここに疲れ切った顔をして安次富さんがいらっしゃいますが、昨日、服部さんからすぐ報告がありましてね、安次富さん来ていたよ、1500名の人が集まって、大阪で辺野古の新基地を許さない、そういう集会が成功できました。こういうことを言っておりましたが、安次富さんは現場の村長ですから、現場を必死に守っている人ですから、ほんとにこれ勝ち抜いて、みんなで勝ち抜いて、一日も早く楽にして奥さんと一緒に沖縄一周でも、日本一周でもさせたいなあというこういう想いでおります。
そしていよいよ明日、明日は日比谷の野外集会。寒い日になるのかもしれませんが、どうぞみなさん、日比谷に足を運んでいただけますようにお願い申し上げます。闘いはにこにこしながら、闘いは楽しみましょうや。悲壮感が勝ってしまったら下うつむきますから、私たちがやっておるのが正しいんです。正しいことをやっている人は、胸を張ってがんばりましょうね。
すみません。長い話しになりまして。どうも。
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