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2010年2月27日 (土)

今週の産直野菜(2月27日)

10227  今、三里塚から産直野菜が届きました。里芋、聖護院大根、ニンジン、ほうれん草、ネギ、小松菜の6品です。小松菜は最終のようです。今週の大根は大きい!

 今日の野菜は、大変な闘いの中から送られてきました。

 2月25日、天神峰現闘本部裁判で、仲戸川裁判長による反動判決に怒りの闘いを、全国から結集した385人の人々とともにやり抜きました。この裁判所を包囲する怒りが、ついに「仮執行宣言」をつけさせないという決定的な勝利をもぎ取って押し返しました。そして昨日は、第3誘導路建設を理由に策動されている天神峰部落の市道(団結街道)の廃道化の攻撃に対し、成田市議会の傍聴闘争に反対同盟は決起しています。この連続した闘いの中から、今日の野菜が出荷されてきたのです。

 確かに、天神峰現闘本部撤去の攻撃は押し返しましたが、市東さんをめぐる第3誘導路を巡る攻防は、正に火を吹いています。この2~5月の決戦を何としても勝ち抜きましょう。北原事務局長をお招きしての3・14三里塚関西集会から、3・28三里塚全国総決起集会へ全力で取り組んでいきましょう。

 合わせて、3月28日の全国集会のあと、31日までの援農、現地調査を計画しています。事務局までお問い合わせください。

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2010年2月26日 (金)

不当判決弾劾! しかし我々は押し返した

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 昨日、2月25日、すでに安藤さんからの速報にあるように、天神峰現闘本部裁判の判決公判が強行され、不当きわまる反動判決が強行されました。10225_2 弁護団から怒りの報告にあったように、仲戸川裁判長は、天神峰現闘本部の反対同盟が持つ地上権を否定する天人とも許すことのできない犯罪を、判決という形で強行したのです。それも、「地代をもらってすぐカンパとして出したのだから地代ではない」という全く論理ならざる論理をかざしての主張でしかないのです。「地代をもらった」ということは「地代を受け取ったことではないか」「それをカンパにするかどうかは受け取った主体の問題であって、地代を払ったことに変わりはない」「こんな論理がどこの世界に通用するのだ」という弁護団の怒りの糾弾が何よりもそのことを物語っています。

 何が何でも市東さんの土地を強奪しようとする、そして三里塚反対同盟と三里塚闘争の破壊に一切を求めようとする国家権力は、卑劣漢・仲戸川に裁判官としての論理と倫理をかなぐり捨てた国策裁判、「初めに結論ありき」の反動判決を強行させたのです。10225_3 それがたとえ、仲戸川という卑劣漢のわが身の保身の故であったとしても、断じて許されることではありません。

 しかし、空港会社NAAが三里塚反対同盟と三里塚闘争の破壊のために何としても実現したかった「仮執行宣言」をこの判決に仲戸川は付けることができませんでした。これは、この半年以上にわたる現地支援勢力による千葉地裁前での決死の仲戸川糾弾の街頭宣伝、各裁判の法廷での反対同盟、弁護団、支援一体となった怒りの糾弾闘争、5度にわたる裁判官忌避を含めた闘い、そして一昨年9月25日、昨年11月12日、そして昨日の闘いをはじめとした裁判闘争そのものによって、仲戸川は、卑劣漢であればこそ、自らの怯えと恐怖心によって、この「仮執行宣言」をつけることが出来なかったのです。10225_4

 これこそ、反対同盟が常々訴えてきた「裁判闘争と現地闘争は一体のものとして闘い抜かれる」としてきた三里塚闘争の真髄、「農地死守」「実力闘争」の三里塚闘争の44年にわたる歴史と闘いを直感し、卑劣漢であればこそ、仲戸川は震え上がったのです。それはまた、国策裁判を進めようとする国家権力自体がもっていた恐怖でもあったからこそそうなったのです。

 正に三里塚反対同盟と我々は、この2・25天神峰現闘本部裁判闘争を2~5月の決戦として構えきり、闘い抜いたがゆえに、この国家権力と卑劣漢・仲戸川の恐怖心を引きよせ、押し返すことが出来たのです。ここに一切があります。

 しかし、この日、法廷が開かれている最中に、6階の法廷前の廊下に座り込んで闘っていた私たちに現地からの情報として、団結街道の閉鎖、第3誘導路建設のための市東さんの南台の農地へ行く付け替え道路の砂利を引きつめる作業が行われていることが報告されましたが、こんな攻撃がどうして許されるでしょうか。10225_5 萩原進さんは、昨日の総括集会で「我々は明日、成田市議会に向かって闘いを挑みます。そして廃道を何としても阻止する闘いを展開する」「そういうことがあれば、それを一刻も早く全国の皆さんに知らせたい。そして何としても三里塚に駆けつけていただきたい」と訴えておられます(反対同盟ブログより引用)。

 私たちは、北原事務局長を迎えて開かれる3・14三里塚関西集会を何としても成功させ、3・28三里塚現地闘争へ全力で決起しようではありませんか。

 写真はいずれも昨日の闘いのものです。

 

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2010年2月25日 (木)

裁判所包囲闘争で仮執行判決粉砕!

2・25現闘本部判決公判傍聴記100225

 この日の決戦を勝利させるべく関西実行委員会は大型バス一台と新幹線で千葉中央公園に結集。全国から集まった385名の仲間と共に、千葉地方裁判所にデモ行進でかけつけ、玄関ロビーと6階601法廷一体となった怒りの包囲闘争を続けました。そして午前1120分裁判長の仲戸川は現闘本部の明け渡しを命じる判決の主文のみを3秒で弱々しく読み上げ、仮執行なしの反動判決を出しました。

 裁判終了後の「総括集会」で、萩原事務局次長が語ったように「我々は終始、仲戸川を追い込んで来た。明け渡せという反動判決だが、NAAが求めた仮執行宣言付判決を粉砕した。この勝利は決定的だ」との思いを参加者全員は共有いたしました。第二ラウンドの東京高裁闘争でも大勝利をかちとりましょう。

 市東さんの農地を守り、現闘本部を取り返すためには、当面の314三里塚関西集会の大成功と328三里塚全国集会への大結集が重要です。ブログ愛読者の皆さんも、どうぞご参加ください。

 以下に、裁判傍聴記を記します。

顧問弁護団全員が怒りの最終弁論

 「判決公判」は原告NAAが欠席し原告席が空っぽの中で始まりました。1054分仲戸川ら3名の裁判長が着席し、「判決言い渡し、」と言うや否や、顧問弁護団事務局長の葉山弁護士が立ちあがって「口頭弁論再開の申し立てを緊急に口頭で行う。水道使用の許可を石橋が認めていたとか、原告訴状の中に八畳間の面積を記していないとか、多くの事実を隠して弁論が行われてきた。NAAの「旧建物は解体吸収された」との主張を鵜呑みにして判決は出せないだろう。石橋恵美子などの証人調べも違法であり、偽りの証拠を土台にした判決は認められない。直ちに、口頭弁論を再開せよ」との怒りの弁論があり、さらに次々と弁護団全員が火を吐く弁論を裁判官にたたきつけました。紙面の都合で、ひとことづつ列記します。

 「弁論再開をせよ、こんな状況で判決はもらえない」「忌避申し立てを却下したが許せない。直ちに法廷から退席せよ」「NAAの申し立てだけを採用する不公平な裁判は憲法違反だ」「忌避申し立ての却下決定文をあらかじめ用意していたから、ロクな審議もせずに却下した」「政治的な判決を出すな」「裁判所は市民の声を聞く、と言っているが、裁判所を包囲している市民の声を聞いて、判決は原告の主張を退けよ」

北原事務局長が「こんな裁判はやり直せ」と机を叩いて詰め寄る

 以上の烈々たる怒りの弁論の最後に、北原事務局長は「仲戸川さん、あなたに何度も現地を見てくれ、闘争本部の建物を検証してくれと頼みましたね。私は、建物封鎖のとき中にいた者として感慨を持ってあなたに頼んだ。しかし来なかった。今現地では、判決が出ていないのに、工事が始まっているではないか。こんな裁判はやり直しなさい」と激しく机をたたいて詰め寄りました。

 弁護団、反対同盟の怒りの弁論に対し「ただいまから合議します」と裁判官は退席し、たった一分間で戻り「合議の結果、弁論は再開しない」との決定を怒号の中で発表。続いて1120分に判決を主文のみ読み上げました。

 傍聴席の最前列に抗議の怒号がまきおこり、その中で弁護団から「仮執行はありません」との報告がなされました。

             報告者 事務局次長 安藤眞一

 

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2010年2月23日 (火)

2・25天神峰現闘裁判 千葉地裁包囲闘争へ!

091011  みなさん。2月25日、午前9時、千葉市中央公園に集まり、千葉地裁包囲闘争に決起しよう!

 昨夜の「反対同盟」ブログ、「農家だより」によれば、昨日、ユンボ、ブルドーザーなどが天神峰現闘本部横に入り、本部破壊の作業のための整地作業をしていたそうです(右下写真、写真右端が本部・同盟ブログから転載。左写真は、昨年の10・11全国闘争で本部前を行く関実のデモ)。

 100222_5 天神峰現闘本部裁判における仲戸川裁判長の訴訟指揮は、法理を無視し、到底裁判という名に値しないむちゃくちゃなものです。そもそも、忌避をされた裁判官が自分でその忌避を却下するという(これが3回も!)ようなことがまかり通っているのが千葉地方裁判所です。正に「三里塚は無法地帯」という言葉どおりです。その却下に対し、特別抗告を行って受理されているにも関わらず、開廷しビデオリンクによる偽証を手助けする法廷を強行し、おまけにすでに認めていた被告・反対同盟の証言申請をすべて却下して、反対同盟の防御権まで奪うというに至っては、裁判ではありません。(通常、特別抗告が受理されれば、その時点で裁判は停止されるのです)。

 そもそも、この裁判の最大の争点は、正式に登記された天神峰現闘本部(木造建築)が存在するかどうかでした。本部の破壊を狙う空港会社NAAは、木造建築は存在せず、鉄筋3階建ての本部は違法建築だとして提訴したのです。Photo 他方、反対同盟は、木造建築は存在し、鉄筋はそれを増築したものであり、登記は今も有効であり、撤去は財産権の侵害であり、許されないとして全面的に争っていたのです。左の写真(「週刊三里塚」より転載)を見れば、この事は一目瞭然で、現場検証すればわかることです。一昨年、裁判途中で、原告NAA側も現場検証を要請したのです。にもかかわらず、仲戸川裁判長は、昨年9月の口頭弁論でこの現場検証を拒否しました。成田治安法で閉鎖された現場の状態を知る国家権力の意思を代弁したものであることは余りにも明らかです。

 さらにこの本部が、元反対同盟副委員長の石橋政次さんとの正式な契約のもとに地代を払い続けてきたものである事実を否定して撤去の根拠にしようとした原告NAA側は、石橋さんの息子の嫁の恵美子さんに偽証を強制し、「地代は払われていない」「反対同盟が恐ろしかった」と言わそうとしたのです。仲戸川裁判長はこの偽証を支えるために凶悪犯罪の刑事事件で被害者証人の証言を支えるために導入された「ビデオリンク方式」の証言を強行したのです。これが最初に明らかにしている、忌避、特別抗告の経過です。仲戸川裁判長は、反対同盟が裁判所4階の民事5部に抗議していることをいいことに、「被告は弁護権を放棄した」と強弁し、法廷を開廷するだけでなく、偽証を行わせた上で、被告・反対同盟による反対尋問の権利をはく奪したのです。こんな裁判が許されるでしょうか。

 さらに仲戸川裁判長は、昨年11月12日、反対同盟の抗議を無視して一切の審理を打ち切り、最終弁論を強行した上で、原告NAAから出されてきた訴状の訂正を審理を行うことを拒否したまま受け入れたのです。その訂正は、彼ら自体が存在しないとしたはずの木造建築の床面積を加え、さらに閉鎖された本部の外にある井戸や水道、便所を加えるもので、ささいな訂正などではなく立証されなければならない、審理が行われなければならないものなのです。この暴挙は、被告・反対同盟の弁護権を重ねてはく奪するものであり、到底許されません。F

 こんなでたらめが許されるはずもありません。北原事務局長が喝破する通り「判決が書けるはずがない」のです。にもかかわらず、25日に判決を強行するということは、正に国家権力の意思を体現し、国策裁判として「初めに結論ありき」の判決を強行しようとしているにほかなりません。それは、市東さんの農地(右写真、中央の建物が本部)を奪うために、いかなる不正義を行おうとも、暴力的に突破するという国家意思の表明以外ではありません。私たちは、三里塚闘争44年の、農地死守、実力闘争の真価をかけて、2月25日の千葉地裁包囲闘争を、本部破壊の攻撃を粉砕する闘いを、反対同盟とともにやり抜こうではありませんか。

 すべては、追い詰められたが故の国家権力による暴挙であり、三里塚闘争44年の歴史が示すように、勝利の展望は私たちの側にあるのです。

 2月25日、千葉市中央公園に総決起しよう!

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2010年2月20日 (土)

今週の産直野菜(2月20日)

10220  今週の三里塚からの産直野菜が届きました。

 ヤーコン、聖護院大根、ほうれん草、ニンジン、小松菜、チンゲンサイ、間引き大根 の7品。

 先週のニュースで投稿していただいたNさんが書いておられたが、私にもニンジンが多い。毎朝のジュースと夕食の鍋では追いつかない。そして、聖護院大根を最初に手にとって「可愛い」「小さいから助かった?」と思ったら下からもう一つ。小さいから2つ入れてくださったようですが・・・。まだ先週のが3分の1ほど残っている。さあ、頑張って、考えよう。

 ほかの人から見れば、「何を言ってるんだ」と言われるかもしれませんが、焼き飯に初めて挑戦。うまくいったので、今度は玉ネギを買ってきて(旬ではありませんので、入ってこない)、カレーに挑戦。「ルーの箱にレシピーが書いてあるよ」という助言に励まされ買ってみると、あるある。レシピー通りやってみたらめっちゃ具だくさんのカレーが出来上がり、結構おいしかった。少なくともよく食べていた物販の「インスタントカレー」よりは抜群に美味い。この程度の人ですから、結構悪戦苦闘しております。

 昨年の今ごろは三里塚からの産直を始めたばっかり。端境期な上に、天候などのせいで不作。入ってくる野菜の品数も量も少なくて、皆さんからブーイング。しかし、私には、こんな調子ですからちょうど手ごろでした。そんなことも懐かしい。そもそも料理のレシピーを見てみようなどと、変われば変わるものですね。人間、いくつになっても成長、成長。

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2010年2月19日 (金)

厳冬の中、淡路・三里塚写真展(第5回)を開催

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 昨日2月18日(木)、洲本商店街コモード広場で「淡路・三里塚写真展」(~19日)の一日目が終わりました。

 この日は商店街の定休日、人通りが閑散としているので、来場者や野菜の売り上げも低いかなと・・・・心配しつつ始めたら、来場者は50名を超えて、野菜の売り上げも用意した量の半分を達成。2日目の19日も大丈夫かなと思っています。

「私も海軍兵学校や」との老人の方と歓談

 この日は、個人的に6人ぐらいの方と写真を観賞しながら、説明や意見交換をすることが出来ました。その中で85歳の老人の方と話しがはずみ、「50年ぐらい前に、この商店街の会長をしているとき、三洋電機の井植社長と話したことがある。彼は、淡路島に空港をつくれ、と強調していた」「戦時中は海軍兵学校にいた」とか昔話を聞いて「この写真の北原事務局長も海軍兵学校です」と教えましたら、親近感を覚えたのか三里塚の話しに耳を傾けていました。彼は「海軍は英国びいきやったから、米英とは戦争したくなかった・・・」などと回顧していました。096

 また、大学生らしい方と話して「初めて三里塚のこと知りました。うちの大学では学生運動なんかぜんぜんありません」とやりとり。あるご婦人は野菜をたくさん買ってくれて3000円もカンパしてくれました。また、ある方に「萩原さんご一家の写真です(右写真、「萩原進さんの梨緒ちゃんを囲んで」)」と説明し始めたら、「この写ってる左のメガネの人があなたですか」と指摘されてビックリ。私の顔は萩原さんの息子さん、富夫さんに似ているのかな???と複雑な(?)気持ちでした。

 大変寒い一日でしたが、今回は多くの方に三里塚のことを話す機会ができました。これで、また三里塚人口が増加します。

          (報告 淡路町空港反対同盟事務局長 安藤眞一)

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2010年2月17日 (水)

2・25総力結集を! 2・16市東さんの農地裁判傍聴記

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「2月25日には総力結集で裁判所を包囲しよう」

 見出しの言葉は、2月16日市東さんの農地取り上げ裁判(行政訴訟と農地法裁判)終了後の報告会で語られた萩原事務局次長の言葉です。反対同盟のすさまじい怒りがこめられています。裁判所と千葉県とNAAが一体となった不法、不当、市東さんの農地強奪を絶対許してはなりません。2・25は全国闘争として決起しましょう。

 以下に、16日の裁判の傍聴記を記します。

裁判長が早期結審を策す

 この日の裁判においても反対同盟と弁護団は、千葉県、NAAの違法性を徹底的に暴露し、裁判長の反動的な訴訟指揮を糾弾し、傍聴席からもガンガンと怒声を発しました。

 まず「不在地主」が農地を取得できないと規定している農地法にNAAが違反しているとの求釈明に対し、NAA側はまともに答えず、違う裁判の判例を引用して「一時的には不在であったが、いずれ空港用地になるから許される」などと無茶苦茶な言い訳をしてきました。15年間も不在地主を続けていることが「一時的」なのか、傍聴席から「ナンセンス、恥を知れ」の怒号が起こりました。100216_2

 さらに被告側の準備書面3、4、5、6に対し弁護団が求釈明を申し立てたところで、裁判長は突如「裁判がこう着状態ですので今後に向けて進行協議をしたいのですが」と言いだし、裁判の早期決着を画策しようとしました。弁護団は「密室での審議ではなく公開の法廷でやれ」と一斉に反発。「いえ、次の公判日程も入れますから」と弱々しく裁判長が答え、結局4月20日に「進行協議」をすることになりました。裁判終了後の報告会で一瀬弁護士は「進行協議は裁判所からの反動攻撃だ、我々は知恵を出し合って粉砕する」と語っていました。

 この日の裁判も71名の傍聴席がギッシリ埋まり、決戦場と化して終始おしまくっていました。次回の後半は、5月25日午前10時半と11時10分開始です。

報告会で「2・25に大型バス1台で決起」と表明

 裁判終了後、「記者会見と報告会」が千葉市交流センターの15階で開かれました。冒頭に市東孝雄さんから「第3誘導路攻撃をはね返し、堂々と闘う。2・25に総決起してほしい」との呼びかけがあり(最初の写真)、賛同の拍手が起こりました。

 報告会の中で北原事務局長は「仲戸川裁判長は逃げの一手だ。こんないい加減な裁判を許すわけにはいかない。この間、成田市への抗議、芝山町への抗議を続けている。2・25にはぜひ参加してほしい」との提起がありました(2枚目、右写真)。

 傍聴にかけつけた支援の仲間からの発言に続き、関西実行委員会からの決意として「2・25には関西から大型バス1台で決起する。3・14には三里塚関西集会を北原事務局長を招いて行う」ことをアピールしました。2・25への具体的なアピールに会場から大きな拍手が起こりました。

                  (報告 事務局次長 安藤眞一)

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2010年2月16日 (火)

天神峰現闘本部とは? 2・25千葉地裁包囲闘争へ!

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 1910年、日本は日露戦争の数少ない「戦果」として「日韓併合」を強行しました。以来100年。今年は日韓、日朝をめぐる重要な節目だとも言われます。

 その1910年ごろは、世界的な不況の波が襲い、帝国主義間の戦争であった第1次世界大戦に向かう恐慌の過程にありました。イギリスなどのヨーロッパ帝国主義の代理戦争として強行された日露戦争は、賠償金などの戦果を得ることもできず、莫大な戦費による過酷な増税、農村の働き手の兵士としての出兵と膨大な戦死者は、その不況の中で農村の深刻な疲弊と窮乏化を招き、1918年の「米騒動」に至る過程を生み出しました。

 当時、帝国主義への形成過程にあった日本は、まだ金融資本の育成も出来ていない中で、最大の資産を抱えていたのが天皇家でした。天皇制権力を打ち立て帝国主義の巨大な戦争国家への道をひた走っていた当時の権力は、御料牧場などの天皇家所有地の一部の払い下げを1910年前後に行うことで、日露戦争後のこの国家財政の危機に対したのでした。Photo_3

 上の写真の市東さんの畑に沿った左手のフェンスに沿った団結街道(市道)は、かっては国道51号に向かって北へまっすぐに伸びていました。この街道沿いに、取香部落の藤崎家(市東さんの農地強奪問題で出てくる地主)など、当時の大地主たちが払い下げを受けた土地に、入植が行われたのです。そんな中、市東孝雄さんの祖父・市太郎さんは、1912年、農家としてではなく、御料牧場の事務所があった前に食堂と物販の店を営業することで入植されたと聞きます。

 こうして開拓部落としての天神峰部落が形成され、戦後の農地解放によって小川嘉吉さんに代表される地主が生まれたのです。とは言っても成田空港計画が降ってわいた1966年当時には、まだ開拓して2代目にしかならない大変な苦労の中にあったことには変わりがありません。従って、部落の中の交流は、古村とは違い、それほどなかったと聞いています。しかし、三里塚闘争は、その天神峰部落の中に強固な団結を生み出しました。部落を代表して反対同盟の副委員長になっていた石橋政次さんの敷地に、部落の農民の寄り合いの場所として天神峰現闘本部が建てられ、団結街道を隔てた前には小川さんの土地に櫓(やぐら、今はありません)が建てられたのは、そうした結果でした。

 建てられた当時は、右写真の鉄骨の下にある木造の建物で、農民の日ごろの憩いと交流のなくてはならない場所となりました。そして工事が進む中で、東峰、天神峰が闘いの拠点となっていく中で、芝山の農民のみなさんが「敷地内を守ろう」とこの本部に足しげく通い交流していたのです。正に、三里塚芝山連合空港反対同盟の農民の団結を守る生活の場となっていたのです。岩山大鉄塔が芝山におけるもう一つの交流の場となっていましたが、1977年5月、だまし打ちで倒されたことによって、現闘本部のそうした重要性はますます大きくなり、三里塚農民の団結の象徴とも言える場所ともなっていたのです。

 091011 ところが1978年3月、横堀要塞戦、管制塔占拠闘争等によって開港を阻止された国家権力は現行法体系の枠組みを破壊する国家暴力の行使のための「成田治安法」をその年に成立させ、1989年の段階で12か所の適用のうちの一つとして、天神峰現闘本部にも適用を強行し、1990年1月、だまし打ち的に襲撃し封鎖を強行したのです(左写真、昨年の10月11日)。

 一方的に「暴力主義的破壊活動者」とレッテルを張り、「闘争会館」など支援の居住する場所については完全に破壊、撤去し、空港から3キロ以内には建てさせないという乱暴狼藉を働いたのです。それ自体、到底許せないことなのですが、この天神峰現闘本部が、そこに住む農民の憩いの場であり、団結と交流を生む、生活の場だったがゆえに、破壊することも出来ず、封鎖され、出入りが禁じられたまま、今日に至っているのです。

 それは正に三里塚闘争を闘う三里塚農民の生活を破壊し奪うものでしかありません。その不正義のゆえに、国、空港会社は、天神峰現闘本部破壊を狙った裁判で、正式に登記されている木造建築を増築しただけの構造物であることを否定し続け、裁判所は現場検証を拒否したのです。また、石橋恵美子の空港会社に強制された偽証を保持するために、ビデオリンク方式の証言を強行し、おまけに反対同盟側の反証、証人尋問の防御権をはく奪するという暴挙を強行し、2月25日の判決を強行しようとしているのです。こんな訴訟指揮が許されるはずもありません。ここに現在の2・25天神峰現闘本部裁判闘争、千葉地裁包囲闘争の一切の根本があるということを忘れてはなりません。2・25千葉地裁包囲闘争に決起しよう!

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2010年2月15日 (月)

2・14神戸空港の廃港を求める集い

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 昨日、2月14日、神戸空港の廃港を求める集い(神戸空港の中止を求める市民の会主催)が、99名の参加のもと開かれ、集会後、神戸の繁華街をデモしました。10214_2

 白石市民の会事務局長の司会で、まず恒例になったはるまきちまきのお二人による演奏で、集会が始まりました(右写真)。会場備え付けのピアノが使え、新たな感じの演奏でした。

 そのあと三里塚芝山連合空港反対同盟からのメッセージが紹介されました。

 続いて、粟原富夫新社会党神戸市議(左写真)から市議会報告です。日本航空の撤退などによる需要の現状、管理収支の赤字化の現状、そして建設のために起債された2千億円の借金の返済の問題をわかりやすく説明されました。ポーアイ2期の繰り延べられていた借金1400億円など、「資金ショート」という現実を、後世に送っていいのかと。10214_3 そして「関西空港との一体運用」という論議の破綻を明らかにしつつ、市長、神戸市当局は市民に謝罪し、全ての情報を開示して、どうしたらいいかを市民にゆだねるべきだと指摘され、そのために議会で頑張っていきたいと決意を語られました。

 「日米安保改定50年と非核神戸方式」と題して、NPO法人ピースデポ代表の湯浅一郎さん(右下写真)からの講演です。湯浅さんは、「2010年という年が、新たに発足した政権のもとで、韓国併合100年、朝鮮戦争60年、そして安保改定50年を迎えたという点でエポック・メイキングな年だ」とされた上で、戦後の日米安保の流れを説明されました。「1989年米ソ冷戦終結の事態の中で、本来は、自衛隊と日米安保が問われるべきだった」と、民衆の側の問題も含めて指摘された上で、「自民党政権はすりかえ、手をかえ、品をかえ、20年間、海外に自衛隊を出し続けてきた」現実を明らかにされました。10214_4 しかし、同時に戦後60年をテロ特措法を超えることのできない状況に「日本の民衆の側の運動が続けられてきたことをもっと自信を持って評価すべきだろうし、国際的にも意味を持っている」と指摘された上で、「核密約が続いていた時代に、1975年以来、非核神戸方式として実質的な非核三原則の厳守を、日米両政府に突きつけてきた」ことを「先駆的な取り組みだ」「世界的にも価値のあることだ」と指摘されました。

 湯浅さんは、さらに「米軍再編」の中身と日米両政府の政権交代の持つ意味を明らかにされました。「アメリカの国益優先から米軍再編の動きの連続性の歯車が動き続けることによって、2005年の『2+2合意』をそう簡単には代えられないだろう」とした上で、なおかつ「民衆の側からきちんと提案していけば、今の政権は無視できないという構造はある」とされる。そして普天間基地問題に触れて、「移設ではなく閉鎖だ」と述べられた上で、「そもそも冷戦終結で海兵隊の存在意義は薄れたはず」「軍事的には、ほとんど何もしていない。アメリカでは『いらない』という声すら出始めている」現状を明らかにされました。

 そして、「神戸のみなさんこそ、自治体の権限の大きさを感じているでしょう」として、「非核神戸方式を守り、基地のない町であり続けることを求めて行ってください」「私たちも共に闘います」と話しを終えられました。

 10214_5 基調報告に立った讃岐田市民の会代表(左写真)は、「10年前に、①神戸空港事業の財政破たん、②大阪湾の海洋環境破壊は目に見えている。そして③軍事利用への流れがあることを指摘して、我々は運動を開始した」と述べられました。そして10年を経て、今日、「財政的にボロボロで指摘してきたことが実質的に起こっている」「10年間海の調査をやってきたが、海の底を殺してしまっている。神戸空港の埋め立てによる弊害、自然破壊であることは明らか」と弾劾されました。そして「我々の生活、命を本当に奪われるような事態だ」「3つの問題点をこれから厳しく追及していかねばならない」「20年も借り換えるということは、20年先の市民にツケを回すことであり、実質的な『市税の投入』そのものであり、しかも、市長選直後に発表するということ自体が許されない」「3空港論議で、神戸空港とそれに関わる責任を投げ出そうとしている」「矢田市長に罪を認識させ、謝罪させ、責任を取らせて辞任に追い込もう」「空港を廃港にし、撤去させよう」と提起されました。10214_6

 続いて集会に参加した9つの団体、ミナト神戸を守る会、新しい神戸をつくる会、神戸再生フォーラム、神戸YWCA、淡路の空を守る会、大阪の海と空を戦争に使わせない会、止めよう戦争百万人署名運動兵庫県連絡会、被災地雇用と生活要求者組合、神戸空港の中止を求める市民の会によってリレートークによる決意が語られました。そして、関西合同労組が集会参加者を代表して「集会宣言」(「10.2.14集会宣言.pdf」をダウンロード )を読み、満場の拍手で採択され、この趣旨にのっとった神戸市への申し入れを2月16日に行うことが提起されました。10214_7

 最後に山本善偉さんからの気力あふれる閉会のあいさつで、集会を終え、会場の前の公園から、神戸最大の繁華街である三宮センター街を通り抜けて、元町の大丸前までのデモが、元気にうちぬかれました。

 デモ解散後も、遠路参加いただいた播磨灘を守る会の青木敬介さんも交え約20人で交流会が、遅くまで続けられました。

 ご参加いただいた皆さん。ご苦労様でした。

 

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2010年2月13日 (土)

今週の産直野菜(2月13日)

10213 今週の三里塚からの産直野菜が今、届きました。

 さつま芋、聖護院大根、ニンジン、ほうれん草、小松菜、チンゲンサイ、白菜、ネギ、それに煎り落花生の9品。

 今週は関実会員のNさんから、ニンジンジャムのレシピーが届きました。

 私のところは息子と2人くらしなんですが、この息子も夜勤や遅出やら食事時間が合わないのでせっかくの野菜がだぶついき気味。

 特にニンジンは野菜炒めに使っても1回の使用料が3~4センチ。

 ニンジンだけ炊くものなあ?

 もともと料理のレパートリーは少ない私。

 ジャムを作ってみようと思い立ちました。昨日作って今朝食べてみましたが、なかなかいけます。

 作り方は簡単Ninjinjyam

 まずニンジンを適当な大きさに切り、ミキサーにかけます。このとき、ヒタヒタくらいに水を入れます。(水を入れないとニンジンが回りません)。ピューレ状になったら、中身を全部鍋に移し、ハチミツ、砂糖をお好みの量加えて弱火にかけます。私は2本に対し、ハチミツ適当、砂糖は大さじ山盛り2杯。もっと多い方が保存に利くかもしれませんね。後は、煮詰めて行って仕上げにレモン汁を加えると完璧。なんですけど、我が家はレモンなどは常備しないので、りんご酢をちょっと垂らしました。要は酸味があればいいわけだから。美味しくできたので試してください。

 Nさん。ありがとう。みなさんのどんどん投稿してください。(管理人より)

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1・29院内集会での安次富浩さんのお話し(その2)

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  写真は、翌日の1・30日比谷で、沖縄行動団を背に訴える安次富浩さん。

安次富浩さん(ヘリ基地反対協代表委員)

 (つづき) 私は普天間基地については、沖縄県民も含めてですが、「県外」というふうに基本的に言ってないんですよ。「普天間はなくしなさい」「辺野古はだめだ」といっているだけに過ぎない。今回の問題で、私の基本的考えは、ここは誤解のないようにしてほしんだけれど、私たちは、私自身は、アメリカに持っていってほしい。普天間基地はね。なぜなら、グアムにいけば、グアムの人たちのもともとの住民である人びとが、米軍の方が増えて行って民族の自決権が奪われて行っている。復帰前の沖縄と同じことになるわけですよ。そういう形は、僕はまずいんじゃないかと思う。だからアメリカに持っていく。アメリカが基地を閉鎖するんだからもっていきゃあいい話しです。それで、アメリカでイヤだっていうんだったら、どっか太平洋上の海の中に藻屑として消せばいいわけです。それが沖縄県民の思いだと思うんですよ。09415

 辺野古の皆さんだって、ずっとこの苦しい思いをほかのところにもっていけというふうにならんわけですよ。普天間のみなさんもそうですよ。ですから私たちは、今、お願いしてるのは、普天間の機能をすぐ停止してくれ、5月決めなくてもいいんです。10月でも、11月でもいいんです。なるべくなら県知事選終わってからにしてほしい。なぜか。普天間でもし5月にも事故が起きたらどうします。そういう危険極まりないからこそ、これを早く日米で普天間の基地機能を止める、これが最重要課題ですよということ。

 さらにですね、「私は県外に持っていきます」というのには、こういうこともあるのです。「普天間をヤマトのどこにも持っていくな」というのは、今年の元旦に田原総一郎という「朝までナマ」という番組で、あのグアム協定の政府側の委員について発言した森本拓殖大学教授がいます。高見沢と言う政策防衛局長も懇談会の中で言ってましたが、MV22オスプレイの配備と言うのはもう決まっていると。森本もそう言ってるわけですよ。彼は前政権の御用学者だけれど。この彼が、あの番組の中で、「こういう番組の中で言っていいか悪いか判断に悩みますが」と言いながら、MV22オスプレイの話しをするわけです。「海兵隊はアメリカには3個師団ある。V22 海兵隊はオスプレイを360機購入する予定だと。普天間には100機前後配備する予定だと。なぜ下地島ではだめなのか。滑走路の距離は十分にある。しかし、100機を収納する能力は下地島にはない。だから辺野古なんだ。その能力がある辺野古なんだ」。辺野古に100機をもってくると前政権はずっと言ってるんですよ。そのことをずーっと前政権はひた隠しに隠してきたわけですよね、防衛省は。で、100機前後が配備されると。彼はこうも言ってましたよ。「アメリカでは『未亡人造成機』と言われている。なぜ『未亡人造成機』か、こう説明します。試作段階で何回も墜落して、アメリカの兵士が何人も亡くなっているので『未亡人造成機』と呼ばれているんだ。今も、離着陸するのに危険がある」。これに対し社民党の・・・さんがかなり批判し森本とやりあうんですが、田原総一郎はそれを止めちゃうんですがね。そういう現在でも、離陸、着陸するときにやばい。「だから海に持っていく、飛行場は海の方がいいんだ。なぜならば、海に落ちるから。アメリカの兵器も悪いけれど、海の方がいいんだ」。こういうことを平然と言ってるわけです。テレビの討論番組ですよ。

 つまり危険極まりない、ひどいMV22オスプレイ。森本はこれは「ヘリじゃない、飛行機だ」と言っている。軍の飛行機は戦闘機か輸送機しかないじゃないですか。こういうのを100機も、宜野湾、普天間の代わりの基地に持ってくる。おそらく岩国にも行きますよ。これは岩国の問題でもあるわけです。そのDVDを岩国のみなさんにもあげましたけれど、これは大変問題があるわけです。だから現在のところに持っていったらいけないんです。そういうシロモノなんです。

 しかもね、100機も配備するということを国会で全然論議されてないじゃないですか。シビリアンコントロールはどうなってるんだ。防衛省の秘密、防衛省は秘密だらけですから、こういう防衛省に、アメリカからのこういう配備計画を国民の前ではっきりさせろと、これをやってほしい、国会で。そうしないとだまされた形で県外へ持っていかれてしまうわけです。絶対に、普天間基地は何処にも持っていく必要はない。持っていく必要があるところはアメリカ本国しかない。これからも、このことを僕は強く訴えて行きたいと思います。10129_2

 こういう事実の下で、私たちは普天間の即時閉鎖、そして辺野古新基地建設ダメだ。普天間に一つくらいがなくなって、ガタガタするようなアメリカ政府じゃありません。アメリカ政府は、「知日派」という外交官で、今、脅かしをかけているのですキャンベル、アーミテージ、ナイ、そういう連中です。しかも、その「知日派」という外交官は、日本を脅かせるから「知日派」なんです。決して日本を友人として扱っている人たちじゃない。その「知日派」のアーミテイジもナイもこれ以上沖縄県民を刺激すると在日米軍の根幹にかかわるということで、「あまり強くやるな」という表現をナイも言い始めてるんですね。それは何かと言ったら在日米軍をそのまま置きたいから。普天間問題について、ちょっと休憩をし始めている。それじゃあ、私たちは、民衆党連立政権の脆弱性を、みんなで、運動の中で強固な体制にしていかなければならないと思います。そのためにも社民党のみなさん。ぜひ、政権の中で、山椒の小粒じゃなくて、唐辛子みたいに、しっかり鳩山政権にぶつかっていただきたいということで、今日、集まったみなさん、我々沖縄の闘いを、ヤマトの地で一緒に闘ってほしいということを最後に申し上げて連帯の挨拶に代えたいと思います。

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2010年2月11日 (木)

1・29院内集会での安次富浩さんのお話し

10129  発言しておられるのが糸数議員、その2人右が安次富浩さん(1・29院内集会で)。

安次富 浩さん(ヘリ基地反対協代表委員)

 今、紹介していただきましたヘリ基地反対協の安次富と申します。どうぞよろしくお願いいたします。

 今日、こちらに辺野古の住民の方々もみえておりますので後から話しがあると思いますが、先ず、山内さんから話がありましたように名護市長選、ようやく勝ちました。市民投票と同じような形で、今回の市長選挙は勝ち取ったと思います。10129_2

 私たちは、4年前も、あの海上闘争をやって、今度こそ市長選挙は勝てるんじゃないかと思ったわけですが、まあ、いろいろ内部的な問題が出て、分裂選挙になっちゃって、結果的に相手に利を与えてしまった。その市長が「V字型」をうけいれたわけですね。だから、今回の市長選挙は絶対に勝たんといかんということで、いろんな経緯がありますが統一候補になって、今の稲嶺すすむさんが統一候補としてみんなの力で勝ち取ったわけです。

 稲嶺さんも当初はですね、基地問題について非常に躊躇していましたが、名前の通り統一候補としていろいろ話し合った過程で、進化していきましたね。完全に彼は二見以北、・・・の出身ですから、大浦湾の海を見て、あるいは中で育ってきたわけですから、彼は「絶対に作らせない」と市長就任の答弁の中でこう話しをしていますし、あの平野官房長官の名護市民を侮辱する発言に対して「あなたは何処に顔を向けているのか。先ず、名護市民、沖縄県民に顔を向けるべきじゃないか」いうことをかなり痛烈な皮肉を込めて非難をしています。

 ここが私たちにとってですね、ほんとに連立政権の民主党政権側の脆弱性が、この間、明々白々になってきているんですよね。私は、名護市長選挙に勝って、これ以上の民意は何処にあるのか。衆議院選挙の民意を突き出したわけです。そして名護市長選挙の民意を突き出したわけです。しかも、鳩山首相が、市長選前に、11月ごろでしたが、10月ごろでしたか、「名護市長選挙も判断材料の一つだ」と言ったわけですよ。本人がそう言ってるのに、女房役の官房長官が、むしろ首相を支えなければいけないのに「斟酌する必要はない」「法もありうるんだ」と恫喝したわけじゃないですか。こんな沖縄県民を侮辱する発言はないと思います。

 しかし私たちは、それでもなお、絶対に辺野古には基地を作らせない、あるいは県内移設は絶対に認めない、この闘いは続けて行かなきゃならない。私はほんとにあの辺野古の現場のテントを何時たためられるのかと思っています。家族から「いつごろになるの?」と言われていますが、「今年中には絶対にたたむつもりはない」ということで家族に言ってます。10128

 昨日も1500名の大阪集会がありました(左写真 「たたかうアルミさん」ブログより転載)。そこでも話をしてきました。今日と明日、出ると4日間、ほんとにあっちからも来てくれ、こっちからも来てくれと、最初は宣伝に回ってくれとまで。私は、テント村にも座らんといかんし、全国に私たちの怒りを伝えて全国闘争を作らないとこの闘いは勝利できないんじゃないかと、そういう想いで全国にも回っていますが、だんだんだんだん本当にこの闘いが広がっています。

 11月か、12月か、マスコミがいろいろ、新聞もテレビも報道してくれました。11・8の県民大会に向けて、実はヨーロッパのメディアも辺野古現場を取材に来ています。なんかアルジャジーラも来ましたよ。つぃ最近はイランの通信社も来ています。「私たちイランは平和主義者です。アメリカと違います」と言ってましたけど。そういう風に、国際的に私たちの闘いが大きく広がってきてるわけです。

 これで日本がほんとに民主的に主権国家としてアメリカと対等にこの問題を解決しなければ国際的に笑われてしまいます。そういう状況が、少しずつ、少しずつ作られてきているわけです。

 だから、全国的な報道がされたので、「沖縄観光だ」と言って「わ番号」の方々が辺野古が目的じゃないんだけれど、「わ番号」の方々が、現地、私たちのところに来て、私やその他の人の話を聞いて「ああ、こういうきれいな海。そうだったのか。自分の周りにビラをまきますからもらっていいですか」と言う人まで増えてきています。ほんとにこの闘いをやってよかったなと思います。これが、私たちの願うところは、沖縄問題です。ほんとは沖縄問題じゃなくって全国の問題なんですよ。そういうことに少しずつなりつつあります。

 今年、安保改訂50年ですよね。で、どうも鳩山さんは、連立政権の民主党サイドはアメリカからかなり恫喝されてる要素がありますね。だから岡田外相は、就任当初、北側防衛大臣をけん制したんですね。「これは自分の管轄だから余計なことを言うな」と。そう言った岡田外相が、キャンベル、レッズさんたちが日本に来て会談してから、だんだんだんだん。オバマはチャンジ「変革」と言ったけれど、岡田さんの場合には、嘉手納統合案、現行案と言い始めたからね、ああいうのを「チェンジ」じゃなくて「豹変」ですよね。「君子豹変す」ケースですよね。そういう風に彼は変わってきている。

 だから、私たちは絶対に、あの12月の「ワールド・・・グループ」の作業の委員会のこの動きに対して止めんといかんということを、山内さんや照屋さんとも相談しながらやっていきました。その結果、社民党の大きな大きな闘いの結果、3党・政府で、5月までに移転先については消去をしていくというあの大きな一つの流れを変えたわけですね。

 照屋さんに至っては「私を殺してからやれ」と平野官房長官に言ったようですが、受けた平野官房長官が2、3日前の発言というのがですね、「・・・・怒りが上向かなかったのかな・・(意味不明)」と。私はその日大阪にいましたけれど、寛徳さんじゃないけど、私が傍にいたら、蹴っ飛ばしてるか鉄拳を出してたと思います。それぐらい沖縄県民として、みんなカッとしたとおもうんです。

 「法もありうる」と言うのだったら僕もすぐ思ったのは「米軍特別措置法」です。「米軍特別措置法」は沖縄県民の基地を提供したくないという反戦地主たちの土地を奪っていったわけですよ。それが米軍特別措置法なんです。沖縄県民を踏みにじったあの法律を私は想定しましたよ。また同じようなことをやるのかと。10129_3

 そうであればね、私はあえて皆さんの前で言いたいんだけれど、じゃあ、日米安保条約、50年なった今、鳩山新政権は今、どうも継続するような動きがあります。私は国民投票にかけるべきだと思います。日米安保条約をほんとに国民一人一人に訴えて必要なのかどうか、もし必要だという人たちが多い県があれば、沖縄の基地をその県に持っていってください。たとえば、北海道で必要だと言う人が多いのであれば、どうぞ沖縄の基地を北海道に持って行ってくれ。そういうもんですよ。ほんとに日米安保条約と言うものが国民的議論で、論議をして考えないといけない。国会だけでの論議ではだめだと思います。

 じゃあ、それをどうするか。平和条約に変えることによって沖縄の基地もなくなっていくわけですよ。そうじゃないですか。沖縄に基地を集中させておいて日米安保を継続させる。あるいは、鳩山さん、最近なんか「抑止力」という言葉を使い始めましたね。「抑止力」というんだったら北海道に持っていけばいいんだ。自分のところに。    (以下明日に続く)

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2010年2月10日 (水)

1・29院内集会での辺野古の島袋さん(80歳)のお話し

10129  写真は、名護から来られたみなさん。右から二人目が島袋さん。

島袋さん(辺野古在住名護市民、80歳)

 みなさん、こんにちは。

 私は、沖縄県の名護市、辺野古に今、住んでいます。私は本籍地は名護市なんですけど、なぜか南部の糸満と言うところで生まれ、育ってきたんですけれど、ちょうど戦争する時、私、15歳なんです。

 15歳から戦争のために飛行場をつくるとか、あるいは防空壕を作るとか、軍にひっぱりまわされた。空襲のあと、ちょっと怪我しましたけど、それからウチナンチュウの家に家族もぜんぶ怪我しまして、今はいないんですけれど、古波津英興というのがいましたけど、その方は私のいとこなんですけれど、その人の親、兄弟、おじいちゃんもおばあちゃんもみんなこの戦争で亡くなったんですね。10129_2

 今、ここで私が生きているのはですね、戦争で、壕の中で焼かれてでてきたんです。火の中から這い出してきて、生きていますけど、捕虜収容所の前までは、どうしたら生きられるかということで、自分の兄弟たちや、いとこ、おばさんたちが怪我をしても助けることもできないんですよ。自分自身が生きなければいけないから。夜もあっちこっち逃げ場所を探しておって、のどが渇いて水を、夜ですから見えないですよね、水を飲んだら、翌朝見たらその水がどんな水かと言ったら、人間が死んだ水、血を飲んだのと一緒なんです。だから私は、亡くなった人たちの血を飲んで、今、生きているんです。

 日本政府がアメリカにおカネをあげてでも沖縄に基地を置くというのが私は合点がいかないんです。なんで、日本を守るためには沖縄が犠牲になってしまわなければいけないんですか。何度沖縄を殺せば日本は気が済むのかと私は思うんです。

 昨夜、急きょ私がこっちに来たのはですね、みなさんのやっかいになって・・・(雑音で数語聞こえず)・・それは、自分が怪我して、沖縄の住民がどれだけ亡くなったか。

 当時は天皇陛下も恨みました。ほんとに。なぜ、天皇陛下を助けるためになぜ自分たちが、沖縄住民が命を絶たなければいけなかったか。今度戦争があった場合には、天皇陛下にやってやろうと思うほど私は憎みましたよ。ですけど、だんだんだんだん歳もとって考えてみると、天皇陛下がやったんじゃなくて、これは日本の政治家がやったんだねと今はおもってるんですよね。

 沖縄に基地を置いて、沖縄の人間の、基地、軍に働いている給料も、全部日本政府が払っている。アメリカにおカネを上げてまで基地を置くというのはどういうことかねと私は思うんです。日本を守るためだったら、沖縄の基地は全部、日本本土に持っていったらいいんじゃないかと思うんです。どうですか。それはいけないことですか。沖縄の基地をこっちに持ってきたら、みなさん、喜びます? どうです? 返事してください。  (沈黙)  出来ないですよね。

 今、ちょうど沖縄のあっちこっちに飛行場をつくっていますけどね、ちょうど60年前、日本軍が沖縄を守ると言ってきた時には、ちょうど今のようなことをやっているんですね。で、日本軍は沖縄住民を守ったか。守ってないんです。殺しているんです。  (沈黙)

 で、本土の方々、沖縄にいらっしゃるときには、確かに「平和の礎」とか「ひめゆり」にいらっしゃるとは思いますけど、それを単なる観光気分でね来てもらっては困ります。皆さんの・・、私たち住民の・・、アメリカのあっちで見ている・・は、・・・なって眠ってるんです(この部分聞き取れません)。観光気分で来てもらったら、亡くなった方々が泣きますよ、恨みますよ。ですからもう少し沖縄の立場も苦しみも分かってもらって、本土の方々が力を貸してくださってですね、沖縄から基地を国外に移してもらいたい。

 それをお願いするために来ましたんで、どうかこの老いぼれのお願いを聞いていただいて一緒にどうか働いてください。基地は絶対になくさなければ、沖縄においてはいけないということをね。私はそれだけを言いたくて来たんです。お願いします。             (注・最後は涙ぐみながら訴えられました。)

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2010年2月 9日 (火)

戦争は昔? それとも今? 2・7集会

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 2月7日、門真市ルミエホールで、門真三中の「君が代」処分を考える「戦争は昔? それとも今? 2・7集会」が、90名の参加で開かれました。1027_2

 京阪門真駅から会場に向かって歩く間、右翼の街宣車と思われる蛮声が聞こえてきます。会場前には、関西生コンの「連帯」を大書したカラフルな組合旗が林立し、防衛隊が戸田前門真市議を先頭に陣取っておられた。寒い中本当にご苦労様です(右写真)。戸田さんの主催者挨拶によれば、大阪中の右翼の街宣車30台~40台が来ているそうな。

 1027_3 集会前半は、戸田代表のあいさつの後、「紙芝居実演・スーちゃん」。一体何が始まるんだろうかと思っていた私には、本当に面白いでした。いくつもの戦時中の紙芝居を実演しながら、その戦争プロパガンダが行われた歴史に向き合ったスーちゃんこと鈴木常勝さん(左写真)のお話しには、知らなかった世界だけにひきつけられました。そして戦後の絵本として売れ筋になった『かわいそうなぞう』を見てどう考えますかと問われました。この日配る予定だった鈴木さんのこれについてのメモが、事務局のミスで用意されず、今日、メールで届きましたが、そこにはこんな風に書かれています(少し長いですが)。

 「さて、みなさんの感想はいかがですか。餓死に追い詰められた象は、たしかにかわいそう。しかし、その死が戦争推進に利用されて、さらにかわいそう。すると、象を餓死させた園長や飼育係はどんな存在ですか。餓死した象を前にして、作中の飼育係は「戦争さえなかったら」となげきます。飼育係は「政府の戦争推進政策に加担した」ことを反省してなげいたでしょうか。1027_4 加害者にならないために「日ごろから何を考え、何をするのか」という、人としてのあり方を考える時に、この『かわいそうなぞう』は「反面教師」として批判しながら使えます」と。

 この日紹介され購入した鈴木さんの「戦争の時代ですよ!」(大修館書店出版 2009年)には、大学の講義で絵本を実演しながら聞いた大学生たちの感想がアジアの留学生を含めていろいろと書かれています。おもしろいですよ。

 休憩のあとの第2部、先ず「現場からの報告」ということで、川口精吾さんが(左写真)登壇し、「1月20日の第1回口頭弁論で、冒頭陳述で思っていることを言えたと思う」「裁判を起こす前は悩んだけれど、日の丸・「君が代」の裁判は本当に多くあり、その切り開いてきた地平がある。1027_5 その中で一つの地平を切り開き、連帯していきたい」「確実に日の丸の次に「君が代」が来ているし、戦争への流れが始まった」「差別はだめ、仲良くやろうということと天皇制教育は真っ向から対立している」と闘いへの決意を込めて語られました。続いて4人の教師のみなさんが次々と現場の闘いを楽しそうに語られ、会場からも笑いがいく度も漏れました。「門真三中への「君が代」処分をただす会」の事務局による報告の後、太田主任弁護士からの報告、そして代表の三浦たけお守口市議の閉会挨拶で集会を終えました。

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2010年2月 8日 (月)

2月14日、神戸空港闘争にお集まりください

Photo  2月14日、神戸市勤労会館(三宮)で下記の要領で「神戸空港の廃港を求める集い」が開催されます。お集まりください。

 1998年、猛暑の夏の1カ月に35万の署名が、「神戸空港の是非を住民投票で」と集められましたが、その12月、「住民投票は議会制民主主義を否定する」などという暴論によって否決され、建設が議会で決議されました。決議が強行されたその日、本当に悔しい想いの中から、讃岐田訓さん(当時神戸大学助教授)などと、「必ず色々な問題が噴出してくる日がくる」と「神戸空港の(工事の)中止を求める市民の会」を結成し闘いを続けることを話し合ったのです(讃岐田さんは現在も「市民の会」代表)。1994_2

 先立つ1994年、通産省中国工業技術研究所(当時)、京都大学防災研究所は相次いで、神戸空港の埋め立てによって大阪湾の潮流に重大な影響があると研究発表していました(右新聞記事)。2001年、護岸が海上に姿を現した初めての夏から、この研究が事実を予見したものかを船を海に出して海洋環境調査を行うことで、私たちは確かめました。そして早くも最初の年に、その予見が事実であったことを確かめ、今日までの毎年の調査で、ますます大阪湾が破壊され続けていることを確かめてきました(一つの例が海底の溶存酸素・左図)。Photo_2 この事実が、多くの人が諦めていく中で、私たちがこれまで闘い抜いてこれた大きな柱となりました。そして、三里塚の44年にわたる非妥協、不屈の闘いが、私たちに闘い続けることを指し示し、求めたのです。

 予測を大幅に下回る航空需要の現状、その事による航空各社の減便、撤退。それに日本航空の破綻が重なって、わずか開港4年で神戸空港の管理収支(経営)が破綻していることが白日のもとに明らかにされました(右グラフ 朝日新聞より)。そして私たちによるかっての指摘通り、建設のために借りた2千億円は全く返すめどがないことも明らかになりました。091021 しかも、それがポートアイランド2期事業の1400億円の焦げ付き、新長田周辺の震災復興事業(の名を借りた再開発事業)の破たんと同時進行で明らかにされ、神戸市の財政が深刻な破産状態にあることが明らかになったのです。

 矢田市長は、この間の関西空港の補給金問題から出てきた「関西の3空港」論議にすりより、「一体運用」を主張しています。これは、神戸市営空港の経営を投げ出そうとする意図でしかありません。当然にも、政府も財界も取り合おうとはしていませんが。

 この矢田市長という男は、1990年代、港湾局長、みなと総局長として神戸空港の着工に至る過程を陣頭指揮してきた男です。そして震災後の1990年代中ごろに開かれた唯一の公聴会で、ほとんどの市民が「反対」の陳述を続けたことに苛立ち、事もあろうに山本善偉東灘区住民の会代表(関実世話人)の公述に対し「ど素人めが」と聞えよがしに悪罵を投げかけたのです。

 現在起こっている財政、需要問題はほとんどその公聴会ですでに指摘されていたのです。それを無視し、「ど素人めが」という言葉が示すように強行してきた張本人が矢田市長なのです。これが、市民への背任であり、犯罪でなくて何でしょうか。それを投げ出そうとするなどという「卑劣な逃げ」を許せるでしょうか。

 私たちは、今回の2・14集会において、神戸空港の廃港を真正面から掲げるとともに、こうした事態を招いた矢田市長と神戸市当局、議会、そして神戸財界の責任を問いたいと考えています。ぜひ、お集まりください。

                    (文責・東灘区住民の会 松原)

神戸空港への市税の投入をやめろ! 神戸空港撤去・神戸を基地の街にするな! 矢田市長は責任をとれ!

2・14神戸空港の廃港を求める集い

【時】2月14日(日)午後1時半開会Photo_3

【所】神戸市勤労会館・多目的ホール(2階)

【講演】「日米安保改訂50年と非核神戸方式」

 講師・湯浅一郎さん(ピースデポ代表)

【演奏】 はるまきちまきのお二人

【基調報告】讃岐田訓市民の会代表(京都学園大学教授)

【市議会報告】粟原富夫神戸市議  その他、リレートークなど

【参加費】 800円(資料代)

【主催】 神戸空港の中止を求める市民の会

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2010年2月 7日 (日)

1・29院内集会での山内徳信さんのお話し

10129  写真は、1月29日、衆議院第1議員会館で開かれた「沖縄県民と連帯する1・29院内集会で、中央は司会の上原公子元国立市長)

山内徳信参議院議員(元読谷村村長)

 少しだけ、沖縄の名護市長選挙の経過とか、その後の国会の官房長官の発言とか、それに対して昨日、今日抗議を続けておりまして、そこらへんの話しを申し上げたいと思っております。10129_2

 私は、もう何度もお聞きなった方がいらっしゃると思いますが、辺野古の闘争がなければ、ここに、国会議員には決意しなかったと思っております。現地で闘えという方もおれば、いや元凶は東京にあるから、政府にいって闘えと言う話がありまして、結局、ここにきて2年半ほどになります。

 さてみなさん。名護の市長選挙、これは、正に辺野古に新基地は作らせないという政策を掲げて、堂々と闘って勝利をしたわけです。今回の選挙の現場を見ておりますと、名護市民だけではありません、沖縄中から、そして「私は北海道からきました」という方がおったり、「私は神戸からきました」とこういう風に日本中から、もちろん東京からもいらっしゃいました。そういう闘いの勝利でございました。そして私たちは、あの24日の開票の結果を見て、「これで辺野古は決着がつくなあ」と、こういう想いをいたしました。

 ところが25日、平野官房長官は、いやあ、どういう政治感覚を持っているのか疑いたくなりましたねえ、「民意は尊重します」とこれ以外は言わなければいいのに、あの人も選挙の結果を受けて官房長官についているわけですね、その人が、「いやあ、名護の民意は、これは民主主義社会においては尊重しなければいかん」とこれだけおっしゃればいいのに、結局、余計なことが飛び出してきたんですね。要するに「斟酌する必要はない」と、こういう風におっしゃったんです。それから、その翌日には「法的措置」についての法律の話しまでちらつかせたわけです。

これを許しておいてはいけないということで、昨日は沖縄出身の国会議員で組織しております「うるの会」。「うる」というのは昔の言葉でサンゴ礁のことなんですね。「うるの会」は揃って官房長官に抗議に行きました。まあ、いろいろ弁解じみたお話しをしておりました。

昨日は社民党は常任幹事会で、「明日は官房長官の一連の発言に抗議に行く」とこういうことで、今日は、幹事長を先頭に、中島先生、服部、私、4名で行きました。そして今日も弁解に近いような、釈然としないようなことをおっしゃっておりました。私からは、その前に昨日、決算委員会で私に与えられた時間は4分でした。私の持ち時間、4分ですから。向こうの答弁の時間はそれの3倍はあるわけです。まあ、4分で、私は5問準備したんですが、それの半分もできんのです。そういうことでしたが、昨日も総理にも答弁してもらって、それで、官房長官にももちろん答弁してもらっていますが、そういう一連の動きを受けて今日は社民党として抗議に行ってまいりました。10129_3  

さらに、今日は午前8時からこの第1議員会館で防衛省の、一連の経過、というよりも辺野古の今日までの経過と、さらにハイチの地震に対する日本の対応の仕方について、これじゃあいかんのじゃないかという、そういう話し合いが今朝8時からありまして、防衛省の担当職員が辺野古について、辺野古問題の一連の経過という形で報告しておりますが、私は、最後に手を挙げましてね、今日の辺野古の一連の経過は、ここに集まっている国会議員に真実と背景を知らさない、こういう経過がありますよという説明に過ぎない。私がいくつか背景を説明したんですが、なぜ比嘉鉄也市長が官邸に呼びこまれて、そして出てきたときに「辺野古を受け入れてきまし」と。この人は辺野古の基地に反対する市民の実行委員長を務めていた市長なんですね。翌日は市議会に辞表を出して辞めた。なぜ辞めていったのか、そういうことを説明しないで、この経過の項目だけを見ていると沖縄の2人の県知事も、名護の3名の市長も、みんな容認して居るじゃないかといって、そういう間違った印象を与えることになりますよと。まあ、朝の8時からでしたから、私もあんまり長い時間とっては悪いと思いましたから、まあ、そういうことですと。岸本建男さんは一応容認したことになっていますが、この人は7つの条件を付けていました。その条件のことが、なぜ今日の報告書にはないのか、いう話しなどをやってきました。結論的には、私たちは名護の市民投票の結果も国家権力によって否定されたわけです。

そして今回の名護の市長選挙の結果は、勝ち抜いたわけですね。決着がこれでつくのかなあ、決着ついたと言いたいんですが、政権は権力を握っていますから、アメリカがこわいですから。アメリカに立ち向かう勇気はなくても、沖縄をつぶす勇気。ですから私は皮肉を一杯言ってから質問に入ったんです。足を踏んでおる者には、踏まれておる者の喜びとか、悲しみとか、怒りとか、そういうことを知らない、気付かない人間が存在することを悲しく思いますと言って質問に入ったわけです。まあ、皮肉も何もかも言っておかないとね。

まあ、そういうことで、今日は寒い日でしたが、院内集会を成功させていただきました皆さん方、ほんとに感謝申し上げております。そして、官房長官が選挙直後に「法的措置」まで話しを触れていますから、私は、沖縄県民、国民は、そのことを敏感に感じていますよ。あなたは一般論と言っているが、それは違うだろうと。前に太田知事の時に、みなさんは特措法を作って沖縄県民の願い、要求を特措法の名のもとにおいて踏みにじったんじゃないですか。そう言いましたら、「そのことを知っておる」とこう官房長官、おっしゃるからやはり彼は。しかも「5月までに結論を出す」とこう言っていますね。これは。

私たちは12月1日決着を闘い抜いて、そして5月と言ってるわけです。この残りの4ヶ月間、まあ、3ヶ月間ぐらいは必死に闘わんといかんなとこういう風に思います。

私は、そんなことは言ってはいかんと思いましたが、初めて、昨日の予算委員会で申し上げましたし、「総理、日米安全保障の恩恵だけ受けて、その負担は沖縄だけに終わっていいのか。ほんとに日米安保、安全保障が大事というのならば、ここにいらっしゃる国会議員を含めて」とわざとこう言いました。そして「これを国民的論議をして、どういう風にこれに対応していけばいいのか議論する必要があります。なにゆえにそれを沖縄だけに押しつけるのか」。そういうことを初めて申し上げましたが、「皆で議論をして、もういいと、普天間はお国に帰りなさい」と、こういう声を日本中でどんどん上げていく必要があると思います。10129_4

戦後65年経っておりますから、ここらへんで。ですから私は、官房長官にも申し上げました。「辺野古が動かんから、普天間に居座り続けるとアメリカは言ってくるでしょう。居座り論がそろそろ出てきますよ。その時、官邸は、総理大臣も、官房長官も、外務大臣もアメリカに向かって、65年も危険をまきちらし、恐怖を与えたその原因はアメリカ人ですと。日本政府は、新しい政権はもうこれ以上の負担はしません。この議論は国民的な規模で、アジア全域的な規模で私は賛同いただけるんじゃないかと思っています。そういう意味で日本の政治的な外交力を発揮していただきたい」。こういうような想いを今日も官邸にお伝えしてまいりましたが、これは国会におる者、政治に携わっておる者だけでは、やはり勝てんのです。勝つためには、みなさんがたと、民衆と、国会の内外が力を合わせたときにに勝利するということを私はかねがね信じております。

今日はここに疲れ切った顔をして安次富さんがいらっしゃいますが、昨日、服部さんからすぐ報告がありましてね、安次富さん来ていたよ、1500名の人が集まって、大阪で辺野古の新基地を許さない、そういう集会が成功できました。こういうことを言っておりましたが、安次富さんは現場の村長ですから、現場を必死に守っている人ですから、ほんとにこれ勝ち抜いて、みんなで勝ち抜いて、一日も早く楽にして奥さんと一緒に沖縄一周でも、日本一周でもさせたいなあというこういう想いでおります。

そしていよいよ明日、明日は日比谷の野外集会。寒い日になるのかもしれませんが、どうぞみなさん、日比谷に足を運んでいただけますようにお願い申し上げます。闘いはにこにこしながら、闘いは楽しみましょうや。悲壮感が勝ってしまったら下うつむきますから、私たちがやっておるのが正しいんです。正しいことをやっている人は、胸を張ってがんばりましょうね。

すみません。長い話しになりまして。どうも。

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2010年2月 6日 (土)

今週の産直野菜(2月6日)

1026  今週の産直野菜が三里塚から今届きました。これぐらいに届くと仕事がしやすい・・・。

 今週は、八つ頭、聖護院大根、かぶ、ニンジン、小松菜、チンゲンサイ、ほうれん草の7品です。

 八つ頭は、今回だけだそうです。年末の団結野菜市では買うのですが、関西ではなじみがないですけれども、みなさん頑張って食べましょうね。

 先週は、聖護院ダイコンの料理法を朝日新聞の引用で紹介しましたが、美味しくできましたよ。今回は、四国のSさんの連れ合いさんに聞いていたおろし鍋(「雪なべ」と言うのだそうです)にするかな?

 1025 さて、反対同盟ブログ、農家便りブログで書かれていますが、市東さんの南台の畑の隣にある天神峰現闘本部の周りの竹藪がユンボを入れて全部伐採されたのに続き、先週末から機動隊が張り付き、フェンス内側には監視台が設けられ、カメラで監視がはじまっています(右写真は抗議する市東さん。同盟ブログより転載)。

 2月25日、天神峰現闘本部裁判で仲戸川裁判長は法理を無視して、反対同盟の防御権を奪い取って「仮執行宣言付き」の反動判決を下そうとしています。この現地における一連の動きは、この反動判決の後、一気に現闘本部を破壊するぞという脅し以外の何物でもありません。同時にそれは、日々ここで生活し営農する市東さんへの脅し、「1億8千万円よりも、1本100円の大根を作って消費者に喜んでもらいたい」という市東さんへの脅し以外の何物でもありません。1025_2

 農民が土を愛し、農業にいそしんでいることを、土足で踏みにじり、農地を強奪しようとするこんなことがどうして許せるでしょうか。みなさん。2月25日、千葉地裁包囲闘争に全力で決起しましょう。関西実行委員会は、大型バスを借りて現地千葉に向かう態勢をとりました。詳しいことは、関実事務局にお問い合わせください(左写真は同盟ブログより転載)。

 2月25日、午前9時、千葉市中央公園へ。そしてデモで千葉地裁包囲闘争に決起しよう! 農地死守、実力闘争の炎を、決戦に突入したこの諸戦にあげて、44年にわたる三里塚闘争の勝利の地平を世に知らしめようではありませんか。

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2010年2月 4日 (木)

新たな「団結街道」閉鎖攻撃  断じて許せない!

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 すでに昨日、反対同盟ブログ、農家だよりブログに掲載されましたが、昨日午前、空港会社と成田市が市東さんを訪れ、「第3誘導路」建設のために市東さん宅の北側から成田ゴルフクラブまでの間の市道十余三天神峰線(団結街道)を閉鎖、廃道にし、市東さん宅前を南に出て右折したすぐのところ(県道)を地下道にするという「十余三天神峰線の廃道と迂回ルート」なる図面(上の写真)をもってきて、3月の成田市議会に提出する予定だとしました。当然にも市東さんは断じて認められないと怒りを込め突っぱねられました(図に、分かりやすくするため天神峰現闘本部やそれぞれの位置の説明などを書き加えております)。1021

 すでに年末、第3誘導路建設に向けたボーリング調査が強行されましたが、それに続く新たな攻撃であり断じて許されません。繰り返しこれまでも指摘してきたとおり第3誘導路は、第1に東峰の森を破壊して作られた新誘導路(昨年7月30日供用開始)が最初から役に立たないという自らの巨額を投じた失策を塗り隠すための極めて乱暴なものです。第2に、上の図でも明らかなように「へ」の字誘導路の存在を残したままのものであり、何ら問題の解決策にはならないものです。しかし、それでも強引に強行しようと今回の新たな攻撃が加えられたのは、第3に、この第3誘導路計画の本質は、市東さんの自宅や作業場を囲い込み、爆音と排気ガスで生活を破壊し叩きだそうとすることにあるということです。この点では、昨年11月12日、仲戸川裁判長によって法理も投げ捨てて結審が強行された天神峰現闘本部破壊に向けたこの2月25日の判決攻撃と一体の三里塚闘争破壊、反対同盟破壊の攻撃であるということです(右写真は、先日の2・1耕作権裁判での市東孝雄さん)。

 現在、市東さんは自宅前からほとんど車の通らない一直線の市道(通称「団結街道」)を通って南台の畑に行っておられます。また、その先の成田ゴルフクラブの南側を左折して堀内の畑に行かれます。いずれも数分で行けます。所が、この廃道が強行されれば、車の通行量が多くなってきた県道などを通って、それぞれに数倍、十数倍の時間をかけて行かなければならなくなり、トラクターなどで行くにはさらに危険なことになります。これは市東さんの営農を破壊することです。1021_2

 萩原進反対同盟事務局次長は、天神峰現闘本部裁判を巡る2・25千葉地裁包囲闘争を起点とした2~5月の闘いが、今後の三里塚闘争の帰趨を決する、破綻した航空政策、成田空港建設を最後的に破産に追い込む新たな決戦過程の緒戦としてあると提起され、その一切が2・25千葉地裁包囲闘争の爆発的なあり方によって今後が規定されるとして、2・25千葉中央公園(午前9時開始)での集会とデモ、千葉地裁包囲闘争に総決起することを全国に向けて訴えておられます(左写真は、2・1耕作権裁判での萩原さん)。

 「団結街道」廃道などという新たな攻撃は断じて許されません。この攻撃を2月25日の天神峰現闘本部裁判闘争、千葉地裁包囲闘争の爆発で、現闘本部破壊の攻撃ともども粉砕しようではありませんか。関西実行委員会、そして全てのみなさんの全力での決起、取り組みを訴えます。

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2010年2月 2日 (火)

2・1耕作権裁判 記者会見での葉山弁護士による説明

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 みなさん。ご苦労様です。大勢の傍聴闘争の参加で、裁判について圧倒的にこちら側のヘゲモニーで進行することができています。Photo_3

 今日の裁判の前に1月の半ばには向こうから釈明がでるだろうと思って1月22日に打ち合わせの会議を開いたんですが、ずっと遅れて、1月25日にやっと出てきたのが準備書面13という原告側、NAA側の書面なわけです。こちらとして延々と緻密に「40番がああいう旗竿みたいなもんじゃない(右図右側参照)」と青柳鑑定測量に基づいて主張を展開したわけですが、彼らの書面の中で、それについて「認否をしない」「ただ、現況で買ったんだからいいじゃないか」いう不十分な反論なわけです。

 それから農地法6条の(不在地主の)問題については、「農地を公共目的に使う場合には、6条違反があっても構わない」という暴論をやっています。これに対しては黙っていられないんで、次回までに徹底的に反論しなきゃあいかんということです。

 Photo_4 それから12月14日の段階で、藤崎メモ(左図・右上図とは上下が逆になっている)という手書きのデタラメなメモなんですが、これに依拠して市東さんの耕作のほうは石橋の地所の裏面、左下2反分と勝手に書いたものです(これが41-9に当たる)。それを内緒で石橋が耕作していたんだと、これまたデッチあげなんです。こういうものを1987年12月の段階で書いて、これに依拠して藤崎の方は勝手に41-9と41-8が賃借地だということで、(市東)東市さん(孝雄さんのお父さん)をだまして、同意書とか境界確認書を作って、41-8、41-9を分筆したという事態があったわけです。

 Photo_5 それで、今回も南台については41-8と41-9について解約の許可をしたということなんですが、実際には1980年には、向こう側から出してきた甲16号証、こういう図面で農道を挟んだ左と右、北と南、そこのところ(右写真のAとC)が市東さんの賃借地だと確定したものを藤崎が作ってるわけです(詳細な測定図面)。その分筆に従って当時の空港公団は1987年4月の時点で、収用委員会に対して、この農道を挟んだ左と右のところが市東さんの賃借地ですとして、そういう形で収用裁決、明け渡しを求めたわけです。つまり空港公団はこの図面に基づいて収用申請を出したにも関わらず、こんどは準備書面11では、この図面は賃借地を反映したものではないとか言ってるわけです。自分で賃借地だと言いながら、こんどは賃借地じゃないと言いだしたということなんですね。完全に矛盾している。

 87年にこうしたもの(収用申請)を出したうえで、こんどは87年の12月に藤崎のデタラメなメモが出てきて、そのデタラメなメモが今度は分筆というかっこうになって今の間違った賃借地に反映してきている。87年の段階での公団の収用委員会にあてた変更申し立てとして、87年の段階の分筆にしたがって収用委員会に変更を出したのかといえば、そんなことは全くない。そのうちに収用委員会の方は93年に取り下げになったという状況で、うやむやになったわけです。

 1021_7 しかし、向こう側がこの書面を出してきてるんです。向こう側の書面にこれは完全に矛盾しちゃってるわけです。そういうことを向こう側が言ってきて、しかも12月14日の求釈明に対しては「釈明しない」と言ってきたんで、「そんなことがあるか」と言ったら、「また文書で出してくれ」と。同じことを12月に既に言ってるんですがね、まあ、答えるのなら同じことを文書で出しましょということでやったんですが、要するにこのデタラメ文書について公団、空港会社は弁解しきれないという状況に追い詰められてきたという状況です。これが弁解しきれないということは、「41-8と41-9が市東さんの賃借地だ」という主張そのものが、もろい、完全に脆弱だ、根拠がないということがはっきりすることなんで、そこのところを追求していこうというのが弁護団の方針のわけです。

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市東さんの耕作権裁判 第14回口頭弁論

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 昨日、2月1日、千葉地裁で市東さんの農地に関わる耕作権裁判の第14回口頭弁論が開かれました。この裁判は、空港会社(NAA)が市東さんの耕作地の一部を「不法耕作」といいなして強奪しようとしているまったく不当、デタラメな言いがかりでしかない裁判で、裁判が開かれ維持されていること事態が怒りに堪えません。1021_2

 しかも、その主張の不当さ、デタラメさが暴露され、追い詰められた原告NAA側代理人は、この日も被告側(市東さん)代理人からの求釈明にまともに答えないという(答えられないというべきでしょうか)態度に終始し、それを裁判長が「求釈明を文章で提出して」と援護射撃し、何も進まないままで閉廷と言う状況でした(詳しい論争点については、葉山弁護士の説明(後掲)をご覧ください)。

 法廷後、記者会見が行われ、先ず市東孝雄さんから「今年も、来年にまして傍聴へのご協力お願いします」と挨拶があり、その後、葉山弁護士(後掲)、一瀬弁護士から今日の法廷についての説明が行われました。

  続いて、報告会が行われ、先ず、1021_4 萩原進事務局次長が反対同盟を代表して「市東さんの裁判が、今年、来年の中で大きな局面を迎えていく」「農業への輸入の自由化と農地の転換が進む中で市東さんの裁判が日本の農業の問題性の最先端を担っている」「動労千葉が今日ストに突入し、この同じ会場で今集会をやっている」「動労千葉の闘いと裁判闘争、現地闘争を一体のものとして闘っていく」と挨拶され、最後に2月25日の天神峰現闘本部裁判をめぐって全国的な決起を訴えられました。報告会のあと、この2・25裁判闘争を巡る会議を行うために、動労千葉、関西実行委員会、市東さんの農地取り上げに反対する会の3者から挨拶と決意表明を行って、報告会を終えました。

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