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2010年1月25日 (月)

沖縄と砂川

2010125  写真は、名護市長選の勝利に酔った今朝の辺野古の朝です(辺野古通信 「きもちのいい夜明け」より転載)。

 昨日、名護市長選挙の投票が行われていた1月24日、十三の第七芸術劇場で沖縄の知花昌一さん(読谷村議)と砂川闘争の島田清作さん(元立川市議)、関大法学部長の吉田栄司さんのディスカッションが、ジャーナリストの今井一さんのコーディネイトでもたれました。

 10125 映画「砂川の熱い日」の上映、そして砂川闘争での伊達判決(1959年)についての吉田栄司さんからの解説があった後、4人によるパネルディスカッションが行われました。途中、8時半ごろ、会場から辺野古の命を守る会の宮城保さんと、普天間基地に隣接する佐喜眞美術館の館長、佐喜眞道夫さんにそれぞれ電話がつながれました。開票がまだ始ったばかりで結果がでていない段階でしたが、出口調査で稲嶺候補の勝利だという現地のお二人からの知らせに、会場は一気に盛り上がり、沸き立ちました。宮城さんとは「次は知事を代えたら終わりや」と。佐喜眞さんは「鳩山政権が何も出来なかったら、沖縄は日本を相手にしないことになる。憲法9条をもって独立だ」と。これには知花さんも「佐喜眞さんは独立派ではなかったが・・」とビックリ(右写真は、25日の朝日新聞より転載)。

 1時間半近い4人の皆さんの討論は、素晴らしい、迫力のあるものでした。その経緯を報告することは無理ですので、それぞれの皆さんのはなされた要点をかいつまんでご紹介します。

 知花昌一さんは、吉田さんからの伊達判決に関連した憲法論議を踏まえ、10条しかない日米安保条約が、最高法規であるはずの103条もある憲法を凌駕していることを糾弾されました。「ゾウの檻」の389日間の不法占拠と特別措置法は、憲法のいう財産権も適正手続きの規定をも無視し、統治行為論で突っ走る。05年の沖縄国際大学への米軍ヘリの墜落で現場を押さえたのは日本の警察が排除され米軍だった。昨年11月7日の読谷村におけるトリイ基地所属の米兵による村民轢き殺しの事件を報告されながら、5520件もの米軍犯罪に対し、日米地位協定が捜査も何も排除する(左写真は、この日の左・島田さんと知花さん。会場では撮影できなかったので、事前の打ち合わせの場に行き撮影させていただきました)。10124

 50年、60年も自民党政権が続いてきたということは、沖縄県民のことよりも、アメリカとの関係の重視、アメリカとうまくやることを日本の国民の多くが望んできた、選択がされてきたことの結果だと思う。今回、政権が代わって、政治が変えられる状況になった思う。みんなで変えていきたいと、知花さんは語られました。

 島田清作さんは、映画「砂川の熱い日」を制作してきた経緯とご自身の砂川闘争の経験の中から、1センチの基地の拡張をも許さなかった砂川の闘いがあったことを知って欲しいと話されました。砂川闘争は「勝利した」という単に想い出ではなく、反安保、反基地の闘いの中で生かしていきたい。当面は、沖縄に新しい基地を作らせてはならない。「伊達判決」は明快に「アメリカ軍の駐留の前提である日米安保は憲法違反であり、アメリカ軍の駐留は許すべからざるもの」と断じている。「県外ならいいとか辺野古以外ならいい」という問題ではない。アメリカ軍の基地を作ることが憲法違反なのだ。「普天間基地をどこに移設するか」という発想が間違っている。世界一危険な基地だというのなら、無条件に即時撤去すべきだ。

 そして憲法12条が「この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」としていることに触れ、国民が闘わなければならないということを憲法が求めているのだと訴えられたのです(右下写真は、基地を絶対につくらせないとの名護の市民の想いで守られる辺野古崎。25日朝日新聞より転載)。

 吉田栄司さんは、伊達判決に対して、その日のうちにアメリカ大使によるアメリカ本国政府に対する報告と同政府による強い指示によって、日本政府が最高裁判所に働きかけ、高裁を飛び越え最高裁へ「跳躍上告」させてその年のうちに統治行為論によって差し戻した経緯を明らかにされました。10125_4 そして憲法99条が「天皇をはじめ全ての公務員が憲法を尊重し擁護する義務を負う」としているにもかかわらず、60年にわたる自民党政権が、これを機能させてこなかった。それは憲法が動き始めた50年代の段階で日米安保条約を軸とする法体系によってゆがめられてきた。憲法が求める人権規定、平等や生存権などの実現を阻害してきたのが政権与党であるというこんな国がどこにあるか。野党が憲法を順守しろというような国が・・・。こうした憲法規範と憲法理論の現実とのずれと言うことを広く国民に知らせていくのが自分たちの役目だと思っていると。

 安保改定から50年。今こそ、これを廃棄し、憲法の理念を実現し、米軍基地を撤去していこうというのが、この日の共通の確認でした。名護の勝利もあり、ほんとにほっこりとした幸せな気分になれた集会でした。

 

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コメント

「新基地ノー」民意 首相に
名護・稲嶺市長 たらい回し許さず

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(写真)「鳩山首相に会って市民の意思伝えたい」と述べる稲嶺新市長=25日、沖縄県名護市

 沖縄県名護市長選で大激戦を制した稲嶺進・新市長は投票日から一夜明けた25日朝、市内で記者会見を開き、同市辺野古への「米軍新基地はつくらせない」という公約実現のため、「早期に市議会と協力して反対決議・意見書を上げて、それを持って県と国に市民の意思を伝えたい。鳩山首相に会いたい」と述べました。

 稲嶺氏は、「沖縄の言葉で、ブリディ(群手)、みんなの力で、という意味ですが、ブリディでつくりあげた選挙運動、体制でした」と選挙戦を振り返りました。「ボランティアや地域のみなさん、各団体・政党・労組のみなさんの支援の輪が、広がりと厚みを増して運動を展開することができた。『基地反対』というみなさんの思いが形として現れ、その大きな思いと力が結集した結果です。みなさんの支援に感謝したい」としました。

 国政上の熱い焦点となっている宜野湾市に広がる米軍普天間基地問題について、「普天間基地の危険性の除去は一刻も早くなされないといけない。しかし、それを辺野古『移設』を条件とするのは筋が違う。たくさんの米軍基地が集中する沖縄県内に代替施設を求めるということではない」と、基地たらい回しで迷走する鳩山内閣の姿勢を批判しました。

 稲嶺氏はこれからの街づくり・市政運営について、「公約をすぐにでも手がけて住みやすい名護市を、市民の目線で公正公平、透明性が確保できたガラス張りの市政を築いていきたい」と述べました。稲嶺氏は「基地に頼る一時的な振興策では生活は良くならないと市民は実感している。名護の自然や立地を生かした持続的・継続的な経済発展を進める」と語りました。
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頑張っている、名護市長。

投稿: 赤旗からだけど、 | 2010年1月26日 (火) 16時31分

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