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2010年1月31日 (日)

今週の産直野菜(1月31日)

10131  今週の産直野菜が先ほど届きました。この3日間、飛び回っていたものですから。

 今週は、ヤーコン、聖護院ダイコン、かぶ、ニンジン、小松菜、チンゲンサイ、長ネギ、ほうれんそう、じゃが芋の9品目。

 1月12日の朝日新聞に「日本一の旬の大根 コトコトと」という特集記事がありました。「食べたいダイコン」のトップが聖護院大根だというのです。

 そこに京都で「たいたん」という煮物のレシピーが。「①聖護院だいこんを3等分に輪切りにして、くし形に8等分。計24個になる。皮をむき、面取り。②鍋にたっぷりの水で透き通るまで中火で1時間ほど下ゆで。一つずつ水洗いしてアクをとる。③カツオと昆布のだし10に対し、酒1、しょうゆ1の割合、砂糖は好みで適量。鍋に入れ、下ゆでした聖護院大根を煮る。だしをとった後の昆布は鍋の底に敷いて煮る。沸いたら中火にしてさらに1時間煮る。これで一応、完成なのだが・・・。」「一晩さまして、翌日に煮る、さますを繰り返すと、だしを吸って一層おいしくなります」と。

 こういう説明で、私には具体的にはよくわからないことがよくあります。まあ、経験則ですからやってみるしかないか・・・・。

 とにもかくにも、明日は市東さんの裁判。傍聴に出かけます。帰ってきてからアタック!

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1・30沖縄全国集会

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 昨日、東京・日比谷野外音楽堂で「チェンジ!日米関係 普天間基地はいらない 辺野古・新基地建設を許さない 1・30全国集会」が日比谷野音を文字通り立錐の余地なく6千人の結集で開かれました(写真は開始前で、壇上の沖縄行動団も登場しておらず、これからも続々とみなさんが集まってこられ、通路も座る場所のない人たちが一杯になり、座っていては前が見えない状態になりました)。10130_2

 200人を超える沖縄行動団が登壇して、平和フォーラムの藤本泰成事務局長が主催者の挨拶をされました。国会情勢報告として社民党党首・内閣府特命担当大臣の福島みずほさん(右写真)、そして民主党衆議院議員の斎藤つよしさんが、普天間基地の撤去、辺野古新基地建設反対の意思を明らかにされるとともに、24日の名護市長選挙の結果を民意として鳩山政権の意思を向けさせることを決意表明しました。山内徳信参議院議員や服部良一衆議院議員などが壇上に並び紹介されました。10130_3

 続いて、沖縄行動団が壇上で全員が起立する中で、沖縄から沖縄平和運動センター事務局長の山城博治さん、ヘリ基地反対協共同代表の安次富浩さん(左写真中央)、そして高江の「ヘリパットいらない」住民の会共同代表の伊佐真次さん(右下写真)が立って、鳩山政権の平野幹事長による「名護市長選挙を斟酌する必要はない」という発言に対する「人間として失格だ」という怒りの弾劾と、普天間基地の即時閉鎖、辺野古新基地建設絶対阻止、高江の「ヘリパット」建設阻止、沖縄の基地撤去に向けた闘いの決意がこもごもに語られました。10130_4

 集会に新しい名護市長の稲嶺進さんからのメッセージが届けられ司会から紹介されました。

 連帯挨拶として、熊本の合志市市議会議員・神田公司さんから自治体議員の共同声明が紹介され、前岩国市長の井原勝介さんから自民党政権をそのまま引き継いだ基地予算がついた岩国の訴えもふくめた挨拶がされました。

 集会決議がワールドピースナウの土井登美江さんから読み上げられ、採択されました(「10.1.30集会宣言.pdf」をダウンロード をクリックすればPDFで印刷できます)。10130_5

 さあ、デモの出発です。ものすごい人の波ですから心配しましたが、市民団体は第2てい団で、思いのほか早く出発できました。そして、銀座から東京駅まで道行く人々に訴えながら元気に最後までシュプレヒコールを上げて進みました。解散地点の近くで、辺野古の代表団の6人のみなさんが車いすの80歳のおばあ、島袋さんや団長の山城さんをはじめとしたみなさんが本当に嬉しそうに、歩道から私たちデモ隊に手を振ってくださっておられたのが印象的でした。

 沖縄と三里塚が共にこの3月から5月が決戦となりました。3月28日、三里塚での全国集会を三里塚・沖縄を貫く烽火として大きく上げようではありませんか。

 さあ、明日は市東さんの「耕作権裁判」が午後2時から千葉地裁601号法廷で開かれます。今年最初の市東さんの農地を守る裁判です。私も、明日伺います。

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2010年1月29日 (金)

国会前闘争

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 今日は、国会前での「普天間基地撤去」「辺野古新基地反対」の座り込みに朝から参加し、昼過ぎから4時間に及ぶ、名護、辺野古からの行動団を迎えた衆議院議員会館での院内集会に参加してきました(冒頭写真は、始まったばかりの座り込みでのシュプレヒコール)。

 Img_2340 国会では鳩山首相の所信表明が、衆参両院で行われているため国会議員は入れ替わり立ち代り入ってきました。6人の沖縄の行動団とヘリ基地反対協の安次富さん(右写真)がかけつけ、名護市長選挙の大勝利を口々に確認するとともに、その成果を真正面から受け止められない鳩山政権に対する怒りと糾弾の声が続きました。

 駆けつけた国会議員もまた糸数さんをはじめ、皆さん、口をそろえ名護市長選の結果によって辺野古新基地建設が許されないことを訴えられました。Img_2346 80歳でありながら車椅子で参加された島袋さん(左写真)の戦争体験の中からの訴えは、私たちヤマトの心を揺さぶりました。

 明日は日々谷野外音楽堂での集会です。もう関西の皆さんは出発されたころかもしれませんが、全力で全国の皆さん。明日の日比谷に結集しましょう。

 三里塚、沖縄を軸に、安保改定50年を安保廃棄、沖縄基地撤去の年にするべく、1・24名護市長選挙の勝利を引き継ぎ、明日をその第一歩とすべくがんばりましょう。

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2010年1月28日 (木)

鈴木さんの一坪裁判

 今日、1月28日、千葉地裁で鈴木幸司さん、いとさんの一坪裁判が開かれ、バブルがはじけ千葉県自身の中で企業庁の事業計画がどんどん縮小、撤退が進む中で、しかも日本航空の倒産などで成田空港の位置が限りなく低下している現状の中で「貨物物流基地のために千葉県企業庁が一坪共有地を取得して造成した跡にNAAに売り渡す」行為は、利権のための暴挙以外の何者でもないことなどが弁護団から糾弾されました。Img_2299  

 裁判後、反対同盟は弁護団を先頭に千葉地裁民事第5部に対して、天神峰現闘本部裁判の口頭弁論の再開を求める申し入れを行った上で、弁護士会館で、一坪裁判の報告会の後記者会見を行い以下の内容を北原事務局長、そして弁護団から発表しました。

(1)反対同盟は、旧地主=石橋政次氏との間で地上権を設定しており、土地を使う正当な権利がある。Img_2306 

(2)建物は二重構造になっていて、鉄骨造り建物の中には石橋氏との契約に基づいて登記された木造建物が現存している。

(3)よって空港会社による建物撤去の請求は不当かつ違法。22回におよぶ弁論は、このことを全面的に明らかにした。

(4)ところが仲戸川裁判長は、地上権立証のための決定的証拠である木造建物の実地検証を拒否した。のみならず、空港会社が結審のわずか3週間前に行った「訴状訂正申し立て」に対する弁論要求を封じ、防御の機会を奪っている。Img_2314

(5)これら不当な訴訟指揮の上に、「仮執行宣言」つき不当判決を下すとすれば、ことはさらに重大である。仮執行とは証拠物(木造建物)の破壊のことであり、これは裁判所による証拠隠滅、控訴審段階における防御権の剥奪であって、断じて許されることではない。

(6)反対同盟は口頭弁論の再開を申し立てるとともに、天神峰現闘本部を守るために総力で戦うものである。

 その上で、2月25日公判当日、午前9時から千葉市中央公園で決起集会とデモを行うことを発表しました。

 最後にまとめにたった萩原進事務局次長は、「これは権力犯罪であり、やるというのなら戦いで返すだけだ」と2・25闘争の爆発と現地闘争への決戦態勢を訴えられました。  

 使い慣れないパソコンですが、とりあえず旅先でも報告ができるかやってみました。

 

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2010年1月27日 (水)

「海と空」創刊号発行

Photo  「大阪の海と空を戦争に使わせない会」(略称・「海と空」)が昨年末に発足し、先日その機関紙の創刊号を発行されました(右写真)。その巻頭の文章(写真のもの)を転載いたします。

ごあいさつ

 あけましておめでとうございます。私たちは、昨年「大阪の海と空を戦争に使わせない会」を立ち上げました。

 この会を立ち上げようと思ったのは関西空港軍事使用を許してはならないとの想いからです。

 もう65年前になりますが、戦時中大阪はアメリカ軍によって何度も大空襲を受けました。1945年3月13日深夜から翌日未明にかけて最初の大阪空襲が行なわれ、6月1日、6月7日、6月15日、6月26日、7月10日、7月24日、8月14日と実に8度も無差別爆撃を受けました。これらの空襲で一般市民10,000人以上が死亡したと言われています。

 なぜ大阪だったのか。それは大阪が軍事都市だったからです。陸軍省の兵器工場「大阪工廠」が大阪城の横にあり、大阪港からは兵士、武器、弾薬、兵糧、軍需物資を送り出しました。突堤には倉庫群が立ち並びました。陸軍糧秣支廠や捕虜収容所もありました。

 大阪港(安治川を含む)では強制連行された朝鮮人、中国人も働かされていました。

 また、日の丸の小旗を振って兵士を送り出した国防婦人会発祥の地でもありました。

大阪の海と空を戦争に使わせてはいけない

 昨今巻き起こっている関西空港への沖縄の米軍基地の移設が「関西空港の活用」論になりかけている事に強く反対し、住民・労働者の側から反対運動を作っていかなければなりません。10117_2 橋下知事は、この動きに乗っかり、先頭にたって煽っています。この橋下知事の動きは看過できません。(右写真は、関実の旗開きで挨拶される「海と空」のみなさん)

大阪の地で、関西空港軍事使用反対・大阪港軍港化反対のたたかいを拡大させよう

 11月20日、関西生コンや港合同、管理者ユニオン、関合労など7団体の呼びかけで、大阪港の軍事使用の中止を求める行動が行われました。私たちもこの行動に参加し、三里塚決戦勝利関西実行委員会(関実)の方々とともに関西空港軍事使用反対、大阪港軍港化反対のたたかいをすすめていきます。

 4月ごろには大阪港または関西空港見学ツアーを予定しています。詳細が決まりましたら、会員のみなさまにお知らせいたします。

会員募集中

 お名前・連絡先をお知らせください。「大阪の海と空を戦争に使わせない会」 大阪市港区磯路2-3-9 ℡050-3676-3870 【年会費】1口 1000円(年末更新) 振込先 ゆうちょ口座 00930-6-16591

(管理人より) 明日は、三里塚反対同盟の鈴木幸司さん、いとさんの一坪裁判があります。千葉県が土地強奪の根拠としている「成田空港の物流基地」など必要ありません。しかも空港敷地外の一坪を強奪するなどデタラメです。三里塚闘争破壊が唯一の根拠です。しかも、この裁判を指揮しているのが、あの天神峰現闘本部を、不当に強奪しようとしている仲戸川裁判長ですから、許せるはずがありません。2・25裁判所包囲闘争の前哨戦として頑張ってきます。29日、30日は、名護市長選挙勝利を引き継ぎ、国会闘争、日比谷全国集会があります。そんなことで、3日間、休ませていただきます。泊るところでパソコンが使えれば、速報も・・・。

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2010年1月26日 (火)

門真三中「君が代」処分取消訴訟 第1回口頭弁論

 1月21日、大阪地裁第5民事部で、門真三中の卒業式での「君が代」不起立に対して起こった不当な処分攻撃に対する教師の川口精吾さんが処分取り消しを求めて起こした裁判の第1回口頭弁論が行われました。すでに事務局からの報告が出ていますので、それに基づいて掲載します。10121

 法廷の傍聴席はほとんど満杯、約40人が駆けつけました。提出書面の確認を行ってから、原告の川口さんの冒頭意見陳述が行われました(後掲)。終わったところで、傍聴席から拍手。この当然の行為に裁判長は憮然として「拍手をしないでください」。次回口頭弁論は、3月15日(月)午後4時から809号法廷です。短い法廷ですから、遅れないようにね。

 ほとんどの方が残って報告集会。先ず、代表の戸田ひさよしさんが挨拶。「提訴から1ヶ月半も経っているのに府教委の答弁書も出ていないのは怠慢だ。政権が代わって大阪で唯一の『君が代』裁判だ。みんなが注目している」と。

 当該の川口さんから挨拶(右写真)。「たくさんの傍聴に感激した。戦争を間接的に知っている世代の僕らがもっと声を上げていかなければ、右翼の圧力に屈してしまう。まだまだ戦争に反対する土壌、平和がいいという土壌がある。国家主義、天皇主義に流れて行くと怖い。どちらに行くか大切な時期。連帯が広がっていくようにこれからもよろしく」と。10121_2

 最後に太田弁護士(左写真、右側)から「裁判所は本来少数者の意見を守るところ。裁判官をみんなが見てるぞということで、次回もたくさんの傍聴で埋めることが大事」と訴えられました。

冒頭意見陳述 

 私は、一昨年の卒業式の国歌(君が代)斉唱時に着席しました。なぜ、私がそのような行動をとったのか、今から述べさせて頂きます。
 私が着席したのは、私の平和への思い、考えと大きな関係があります。
 私は、1953年、長崎で生まれ、長崎で育ちました。高校時代、私がとても尊敬していた体育の先生が、突然白血病で亡くなるということがありました。 先生は、原子爆弾の被爆者だったのです。このことは私にとって大きな衝撃でした。この時から、私は戦争や平和について、深く関心を持つようになり、真剣に考えるようになっていきました。
 戦争や平和について考えていくと、小さい頃、私の父が話していたことの意味が、次第に明確になってきました。私が小学校低学年の時でした。父は、近所に住んでいた父の戦友と話をしていました。二人は戦争に動員され、部隊も同じだったのです。二人は、戦地で人を殺した話をしていました。そして、父は「人の腹を切り裂いたら、とても広い」という話をしたのです。そばで聞いていた私は、どれくらい広いのかと疑問に思い、「学校の運動場くらい広いの?」と質問しました。すると、二人の大人は大きな声で笑いながら「そうだ、そうだ」と言ったのです。人間の腹を切り裂くと、どうして学校の運動場くらい広くなるのか、当時とても不思議に思ったことによって、この話が私の記憶の中に鮮明に残ったのです。
 以上の経験が、戦争や平和について考えるときの私の原点です。
 私は1977年、門真の学校に就職しましたが、そこでとても驚いたことがあります。それは、平和教育がとても熱心に行われていたことです。胸が熱くなりました。
 私は、子どもたちに戦争について教えていくためにも、自分なりにいろいろ勉強しました。そして、その中で、戦前の学校の戦争責任ということに気づいていきます。戦争責任というのは、戦前の学校が、徹底した軍国主義教育を行い、たくさんの若者を戦場へ送っていったという歴史的事実です。 私は、このことは絶対に忘れてはいけないし、絶対に繰り返してはいけないことだと、今日まで考え続けてきました。10121_4
 今、学校の卒業式や入学式で「君が代」を起立して歌うことが強制されています。しかし、「君が代」とは天皇を賛美する歌で、戦前戦争へ国民を駆り立てていったときの精神的シンボルであった歌です。私は、この歌を卒業式で歌うことにはどうしても耐えられないのです。私が卒業式の国歌(君が代)斉唱時に着席し、起立しなかった理由はここにあります。
 さて、私は、自分自身の「君が代」の導入に反対する理由を述べましたが、実は、教育現場では、ほとんどの教員が「君が代」の導入に反対なのです。「君が代」導入については、今まで、職場で何度も話し合いや学習会をしてきましたが、賛成の意見を言った同僚は一人もいません。
 たくさんの同僚が、それぞれの立場から反対の意見を述べてきました。そして、その思いは、管理職である校長も同じなのです。校長としての立場上、国歌斉唱には立って歌って下さいとしか言えない」という言い方を、私は何回も聞いています。
 ここにあるのは、戦時中、戦争の精神的なシンボルとしてあった「君が代」の重さなのです。
 私の職場で起こっているようなことは、多くの職場でも起こっています。だから、毎年、あちこちの学校で国歌斉唱時に着席する教員が出てきていたのです。そして、それに対し、教育委員会が処分をするということも、一切ありませんでした。ところが、昨年、2月20日、私たちは国歌斉唱時に着席したという理由で処分を受けました。背景にあったのは、右翼や右翼的な人たちの圧力であったと、私は考えています。
 一昨年、3月27日、産経新聞が「門真三中偏向教育」という記事を朝刊に載せました。卒業式で8名の教員とほとんどの卒業生が着席したことへの非難です。
 報道された、その日の朝8時過ぎから夜の9時過ぎまで、私たちの職場には抗議の電話が殺到し、その数は数百にものぼりました。抗議のファックスもたくさん送られてきました。電話やファックスの中には「(仕事を)やめさすぞ」「非国民」「赤」「北朝鮮へ帰れ」「殺すぞ」といった、聞くに堪えないような言葉がたくさんありました。
 その後、右翼の車10台が私たちの学校を取り巻いて、大きな声や音を出したり、右翼の車が直接校内に入ってくるということもありました。
 こういった右翼や右翼的な人たちの抗議は、教育委員会の方にもいっていると聞いています。そして、その圧力に押されて、教育委員会は、私たちに処分を出したのではないでしょうか。
 今回の大阪府教育委員会や門真市教育委員会の処分は、私たちにとても大きな危機感と苦痛を与えています。処分の撤回を心から求めます。

 なお、この門真三中「君が代」処分を考える集会が、2月7日、以下の要領で開かれます。お集まりください。

【集会名称】 ~ 門真三中「君が代」処分を考える ~  戦争は昔? それとも今? 2・7集会

【日時】 2月7日(日)14時~16時半(13時半開場)Photo

【場所】 門真市民文化会館 ルミエールホール レセプションルーム (京阪古川橋駅から徒歩5分 門真市末広町29-1 ℡06-6908-5300)

【資料代】 500円

【主催】 子どもの人権を守ろう-門真三中「君が代」処分をただす会

  

 

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2010年1月25日 (月)

沖縄と砂川

2010125  写真は、名護市長選の勝利に酔った今朝の辺野古の朝です(辺野古通信 「きもちのいい夜明け」より転載)。

 昨日、名護市長選挙の投票が行われていた1月24日、十三の第七芸術劇場で沖縄の知花昌一さん(読谷村議)と砂川闘争の島田清作さん(元立川市議)、関大法学部長の吉田栄司さんのディスカッションが、ジャーナリストの今井一さんのコーディネイトでもたれました。

 10125 映画「砂川の熱い日」の上映、そして砂川闘争での伊達判決(1959年)についての吉田栄司さんからの解説があった後、4人によるパネルディスカッションが行われました。途中、8時半ごろ、会場から辺野古の命を守る会の宮城保さんと、普天間基地に隣接する佐喜眞美術館の館長、佐喜眞道夫さんにそれぞれ電話がつながれました。開票がまだ始ったばかりで結果がでていない段階でしたが、出口調査で稲嶺候補の勝利だという現地のお二人からの知らせに、会場は一気に盛り上がり、沸き立ちました。宮城さんとは「次は知事を代えたら終わりや」と。佐喜眞さんは「鳩山政権が何も出来なかったら、沖縄は日本を相手にしないことになる。憲法9条をもって独立だ」と。これには知花さんも「佐喜眞さんは独立派ではなかったが・・」とビックリ(右写真は、25日の朝日新聞より転載)。

 1時間半近い4人の皆さんの討論は、素晴らしい、迫力のあるものでした。その経緯を報告することは無理ですので、それぞれの皆さんのはなされた要点をかいつまんでご紹介します。

 知花昌一さんは、吉田さんからの伊達判決に関連した憲法論議を踏まえ、10条しかない日米安保条約が、最高法規であるはずの103条もある憲法を凌駕していることを糾弾されました。「ゾウの檻」の389日間の不法占拠と特別措置法は、憲法のいう財産権も適正手続きの規定をも無視し、統治行為論で突っ走る。05年の沖縄国際大学への米軍ヘリの墜落で現場を押さえたのは日本の警察が排除され米軍だった。昨年11月7日の読谷村におけるトリイ基地所属の米兵による村民轢き殺しの事件を報告されながら、5520件もの米軍犯罪に対し、日米地位協定が捜査も何も排除する(左写真は、この日の左・島田さんと知花さん。会場では撮影できなかったので、事前の打ち合わせの場に行き撮影させていただきました)。10124

 50年、60年も自民党政権が続いてきたということは、沖縄県民のことよりも、アメリカとの関係の重視、アメリカとうまくやることを日本の国民の多くが望んできた、選択がされてきたことの結果だと思う。今回、政権が代わって、政治が変えられる状況になった思う。みんなで変えていきたいと、知花さんは語られました。

 島田清作さんは、映画「砂川の熱い日」を制作してきた経緯とご自身の砂川闘争の経験の中から、1センチの基地の拡張をも許さなかった砂川の闘いがあったことを知って欲しいと話されました。砂川闘争は「勝利した」という単に想い出ではなく、反安保、反基地の闘いの中で生かしていきたい。当面は、沖縄に新しい基地を作らせてはならない。「伊達判決」は明快に「アメリカ軍の駐留の前提である日米安保は憲法違反であり、アメリカ軍の駐留は許すべからざるもの」と断じている。「県外ならいいとか辺野古以外ならいい」という問題ではない。アメリカ軍の基地を作ることが憲法違反なのだ。「普天間基地をどこに移設するか」という発想が間違っている。世界一危険な基地だというのなら、無条件に即時撤去すべきだ。

 そして憲法12条が「この憲法が国民に保障する自由および権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」としていることに触れ、国民が闘わなければならないということを憲法が求めているのだと訴えられたのです(右下写真は、基地を絶対につくらせないとの名護の市民の想いで守られる辺野古崎。25日朝日新聞より転載)。

 吉田栄司さんは、伊達判決に対して、その日のうちにアメリカ大使によるアメリカ本国政府に対する報告と同政府による強い指示によって、日本政府が最高裁判所に働きかけ、高裁を飛び越え最高裁へ「跳躍上告」させてその年のうちに統治行為論によって差し戻した経緯を明らかにされました。10125_4 そして憲法99条が「天皇をはじめ全ての公務員が憲法を尊重し擁護する義務を負う」としているにもかかわらず、60年にわたる自民党政権が、これを機能させてこなかった。それは憲法が動き始めた50年代の段階で日米安保条約を軸とする法体系によってゆがめられてきた。憲法が求める人権規定、平等や生存権などの実現を阻害してきたのが政権与党であるというこんな国がどこにあるか。野党が憲法を順守しろというような国が・・・。こうした憲法規範と憲法理論の現実とのずれと言うことを広く国民に知らせていくのが自分たちの役目だと思っていると。

 安保改定から50年。今こそ、これを廃棄し、憲法の理念を実現し、米軍基地を撤去していこうというのが、この日の共通の確認でした。名護の勝利もあり、ほんとにほっこりとした幸せな気分になれた集会でした。

 

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2010年1月24日 (日)

阪神淡路大震災15周年の日 1月17日

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 1月17日、阪神淡路大震災から15周年のこの日、私たちは先ず、神戸空港の中止を求める市民の会の仲間たち6人で、神戸市役所前で慰霊に訪れた人々に「何が『震災復興の希望の星』か!」「矢田神戸市長は責任をとれ」「大震災は人災だ」などとするビラをまいて抗議の意思を訴えました。天気も良く、予想をはるかに超える多くの方が慰霊に訪れ、用意した1000枚のビラが40分もかからずなくなってしまいました。

 それから被害が最もひどかった新長田で開かれた「生きる権利・働く権利を求めつづけて」と題した第29回被災地反失業総行動集会にみんなで参加しました。10117_2

 犠牲となった人々への黙祷にはじまった集会で、主催者を代表して被災地雇用と生活要求者組合の長谷川正夫代表(右写真)は、「15年は短い月日じゃなかった」「こういう街並みを望んだか。働きたくても働けない町になっている。こういう状況を行政が作ってきた」と糾弾されました。そして「仕事が奪われ、生存権が脅かされている。今こそ立ち上がらなければならない。失業問題こそが、被災者の声だ」と訴え、「支え合いながら生きていきたい。絶対に孤独死しないでください」と結ばれました。

 新社会党神戸市議の粟原富夫さん、全国金属機械港合同副委員長の中村吉政さん、部落解放同盟全国連合会書記長の中田潔さんがそれぞれ連帯の挨拶。そのあと、三里塚への援農にも加わってくれているキム・インマンさんが撮影、編集した映像「震災から15年」が上映されました。なかなかの力作でした。そして被災地雇用と生活要求者組合事務次長の蒲牟田宏さんが集会提起を行いました。10117_3

 がらっと雰囲気を変えて、自称「大道芸人」のスマイル・クリエーターのお二人(左写真)によるパントマイム。JR元町駅前で、街頭宣伝の折にたまたまであったお二人でしたが、お願いして一カ月。集まられた被災者の皆さんを励ますホントに気持ちのいい「芸」を見せていただきました。

 休憩をはさんで、メインの元年越し派遣村実行委員の安部誠さん(右下写真)から「極々私的な『年越し派遣村』への道」と題する45分に及ぶ講演でした。

 安部さんは、話しの前提として東京の下町墨田区で生まれて以降の自分史を先ず語られました。通称・松本さんという隣の家族の交流を通した「この世の中のしくみがおかしい」と思った中学時代。朝鮮学校生徒への襲撃に対する怒りを覚えた高校時代。10117_4 そして大学に入った翌年76年から85年の三里塚の想い出。86年、板橋地域労働組合を仲間と立ち上げ、リストラが言葉として認知された1993年のパイオニアの管理職労働者の大量首切りを契機とした東京管理職ユニオンを立ち上げられた経緯(同組合副委員長)。などを話された上で、「どうやって派遣村にたどりついたか」と話しを続けられました。

 「派遣村」が生まれた最大の根拠として戦後「ピンはね」を排除することからはじまり生まれた労働法制が度重なる改悪によって事態が頂点に達したことによると指摘されました。99年合法化から05年の製造業まで拡大された派遣法の改悪によって、08年の派遣村に来た失業者の多くが製造業関係だったのです。

 2005年にはじまった「ホワイトカラーエグゼンプション」に対する闘いの中から「日本版エグゼンプションに反対する共同アピール運動」が、ナショナルセンターを含めた統一戦線によって形成され、07年1月の安倍政権による「断念」という勝利を勝ち取ったことで、一緒にやって結果を得たことで生まれた信頼関係が、そのまま「派遣村」の闘いにつながっていったことを明らかにされました(この辺のことについて、ブログ「57歳パート日記」http://pa-to.at.webry.info/201001/article_8.html に掲載されていますのでご覧ください)。

 このあと、私たち神戸空港の中止を求める市民の会からの「2・14神戸空港の廃港を求める集い」のアピールなど、5つの団体からの決意表明が行われ、飛び入りのフォークの演奏も。

 ミュージシャンのお二人の心和む演奏と歌、みんなでの合唱が行われ、最後に関西合同労組委員長の石田勝啓さんの団結ガンバローで集会を終えました。昨年を上回る145人の、長い、しかし密度の濃い集会でした。10117_6

 私たちは、それから大急ぎで関西実行委員会の旗開きが開かれる六甲へ移動しました。 

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2010年1月23日 (土)

今週の産直野菜(1月23日)

10123  三里塚から今週の産直野菜が、今、届きました。

 さつまいも、三浦大根、かぶ、ニンジン、小松菜、チンゲンサイ、白菜の7品です。昨年の不作に比べ安定して送っていただいているように思うのですが・・・。それでも、「野菜だより」にあるように、じゃがいもに傷みが出たりしたようですね。私の方でも「何だろう?」と思って一部を捨てたのですが・・・。

 先週の「かぶ」がまだ半分以上残っています。頑張って、漬物、味噌汁、鍋につかって食べないと~。

 今朝の朝日新聞の朝刊に、「時々刻々」の記事で、「所得補償 農家を翻弄」と大きく取り上げられていました。「コメ優遇 大豆離れ」「救済措置 場当たり的」との見出しで。

 もともと鳩山民主党政権も、自民党と同じくFTA(自由貿易交渉)、EPA(経済連携協定)をアメリカをはじめ各国と進めようとしています。貿易自由化の生贄に農産物の自由化を差し出そうとしているのです。そこに基本的な農業政策があろうはずはありません。「戸別所得補償」は、その農業破壊の政策を塗り隠し、自民党との違いを主張するためだけの弥縫策にすぎません。もともと朝日新聞は、この間、06年の高木委員会が農政最終報告を出して以降、「農産物自由化」「農地流動化」の「オピニオンリーダー」と化していたのですから、こういう風に現状を面白おかしく書くのでしょう。その衣の下の鎧が見え隠れしています。農業問題を、「助成金」の問題にすり替え、農村の疲弊化、不耕作地の激増、高齢化など、農民が農業で食べていけない状況が起こってきた新自由主義を背景とした農村の現状、農業破壊の歴史を、本当に真正面から農民の皆さんとともに見据えるという姿勢なくして、こうした記事になるのは当然でしょう。断じて許されません。Photo

 産直野菜をあなたもとってみませんか。詳しくは、関実事務局までお問い合わせください。

電話 0799-72-5242 または メール kanjitsu_mail@yahoo.co.jp 。

 お気軽にお問い合わせください。 

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2010年1月22日 (金)

関実旗開き 萩原進さんからの訴え(その2)

10117 やはり関西の地においても、今までと同じように関西実行委員会と三里塚の闘いがお互いに寄り添ってやっていけばいいというんじゃなくって、我々も頑張り抜いてもう一度三里塚から新たな狼煙(のろし)をあげる。そして関西においても関空(闘争)を通しながらあらゆる地域、住民団体、市民団体、住民の闘いを吸収しながらね、関西の地から炎を上げていく。この闘いを沖縄とつなげていく、そして全国の闘いとつないでいって、今の炎よりももっと大きな炎にした時にね、2010年は勝利した年になるんだ。それを一番恐れているのが、今の支配階級ですよ。

 空港を作る側にしても、余力はない。ヨタヨタヨタヨタしながら、一つの滑走路に3本の誘導路を作らなければ対応できない、今まで作って出来上がった途端にもうこの滑走路では通用しない、だから新たな滑走路を造るんだという形で打ち出さなきゃならん。これは非常に難しい問題ですよ。新たな誘導路と新たな滑走路にしてもそうですよ。10月に自分の畑でやりましたけれど、自分の畑が今度は新たな滑走路の文字通りど真ん中になるんですね。あんな中で集会や反対運動やられたら困るというのが向こうの意思なんですよ。だったら我々は、あの中で大いにデモや集会を闘い抜いていくと。そういう意味では今年は絶対に阻止すると、そして一方では裁判闘争では、反動判決は目に見えています。だけども三里塚の裁判というのは裁判所で闘いが終わるんじゃないんですね。そこでどういう判決がでようと。よし、それだったら現地で決着をつけてやりましょうというのが三里塚の裁判なんですよ。ですから本部裁判も、市東さんの裁判も、形を変えた代執行の闘いなんです。この闘いを闘い抜いて、そういう炎を三里塚で上げる。そしてそういうことを受け止めてもらう、そういう人たちを作っていくという闘いを作り上げていきたい(下写真は、昨年10月の全国集j会。発言しているのが萩原進さん)。

 そのためには2月25日の現闘本部の裁判の判決、これは非常に重要な点になります。そのあとの3月の28日の全国集会の現地における闘いの爆発がどういう形になるかが決定的な要素です。 ですからそれを受け継いで、向こうが判決の中で仮執行も含めた判決で、すぐにも現闘本部のぶち壊しを含めた判決として出してくることを我々は予想してそういう態勢を作り上げていくというかたちをもって、2月、3月、4月、5月が、非常に大きな戦いとして出てくるんじゃないか。091011_4 支配者にとってみれば夏の参議院選というのがあって、非常な政治課題としてある。千葉ではちょうど今年は国体の年であって、秋には警備も含めてなかなか非常に難しさがある。ですから2010年の前半の時期において三里塚問題に一定程度の決着をつけたいというのは向こうさんの願望だろうけれども、それを我々は打ち砕いていく。

 何よりも、自分が言いたいのは、そのような形で常識では計りきれないような攻撃が打ち出された、これは普通では考えられないですよ。今やっと北へ北へと2回も北に延伸して2500を作ったわけですよ。これでは用が足りない。もう少し東側にもう1本3500位のを東側に造れというのを出してきた。これは非常に難しいことですよ。第3の誘導路もそうですけれど。そして三里塚の空港を羽田に並ぶようなハブ空港にしようという話し自体が難しい話なんだけれども、そういう問題を我々の40年の闘いで引きずり出したんですね。そこを引きずり出したんですよ。向こうがなかなか出来得ない要求を引きずり出したという闘いが今日あるんだと。そういう優位性と勝利してるんだといことですよ。

 ですから皆さんの言葉にもありますが、我々が「フェンスに囲まれた」というような言い方をします。しかし、よくよく考えてみたらね。自分は韓国に行くときに初めて空港の中に入りました。そしてあそこから自分たちの部落を見たんです。そしたらね、これは空港を包囲してるのは、あるいは空港を攻撃しているのは我々なんだと。フェンスに囲まれざるを得ない空港というのはね、これはあり得ない。沖縄の空港だってそうですよ。あのようなフェンスに囲まれたのはどこにもないですよ。外から見えるんですよ。軍事空港だってそうですよ。だけど成田は違うんですね。10117_3 ああいう風に、4メートルの鉄板で見えないようにして、そして24時間警備体制をとらなくちゃあしょうがない空港というのはね、これはもうどこの国に行ったってハブ空港なんて問題外であって、もう空港の体をなさない、これはぶっ潰す以外にないんだと、もう現実に潰れてんだと。フェンスによって囲んだのは我々なんですね。そういうふうに見ることによって闘いというのは違ってくると思うんですよ。

 そういう闘いとして、関空の闘いもそういう位置づけの下に貫いていただきたい。確かにそういう形で開港しました。しかし開港したら終わりじゃないんですよ。開港したら闘い方はまたあるんですよ。そういう意味で、飛行機が飛びあがってる、そういうものをぶっ潰すのはなかなか難しさはありますけれども、そういう形でやってみましょうや。そういう風に壮大に夢を持って闘い抜きたいと2010年を思います。そういう想いの中で闘い抜けば、2010年勝利できますよ。そういう形で関西の闘いと三里塚の闘い、そして全国の民衆のあらゆる階層、階級の人たちの爆発を永く手助けして勝ちたい。そしてそのことを全国、全世界の人たちと共に闘い抜いていきたいという風に思います。

 相当大きいことを言ってるなぁという感じがあるとおもいますけれど、ほんとにそうですよ。三里塚の空港というのはそうなんですよ。関空もそうですよ。神戸空港も松原さんに案内してもらって見ました。あんなのほんとに芋子を飛ばすような空港ですよ。あんなのはね、各県に一空港なんて作った人たちに全部責任をとらせるべきだ。日航の問題だってほんとにそういうものとしてあるんですよ。こんな空港を作ったのを全部責任とってもらう。そしてそれをぶち壊していく。そこから考えましょうよ。以上です。

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2010年1月21日 (木)

関実旗開き 萩原進さんからの訴え(その1)

10117

 おめでとうございます。

 まあ、毎年、毎年、決戦、決戦という言葉で言っておりましたけれど。まあ、声を上げるだけじゃなくてね、今の政府の姿を見てもね、警察、検察のクーデターという状況を醸し出しているわけですよ。政権を取った民主党にしてみれば、ほんとによちよち、よちよちしたふらふらな状況の中で支配しているような状況があるわけですね。だけど彼らも、支配するためには、政権を維持するためには、民衆をなだめたり、すかしたり、そういうごまかしの政策をとりながら、一方で強権的な政策をもってくるということは目に見えている。10117_2 こういう時だからこそ、闘うものに対しては文字通り強硬な姿勢を持ってやってくるだろうということが考えられる。

 また、我々が今まで予想している、常識で考えてるようなやり方では絶対にありえない。単に民主主義を守るとかいう形で平和主義的にやっていったんではつぶされるということが一方であるんじゃないかいう風に思うわけです。それが端的に沖縄の人たちに対する問題としてあるし、あるいは弱者と言われる、差別される人たちや老人や子供たちのところにも現われているし、何よりも労働者階級においてもう資本が労働者を食べさせられないというところまで行きついているわけですから、そういう中で我々、関西とか三里塚を闘っているものについては今まで以上のやり方でやってくるだろうということが予想される。

 予想されるんじゃなくって、正に三里塚にとってみれば、昨年の10月の三里塚の全国集会以後、本部裁判でなんとしても反動判決をやり抜くんだという意志の下に、強行的に一切の裁判の進行状況を破壊して、一気に判決だという形をもって、次の市東さんの農地強奪の裁判に向かっていくというやり方をしてきたのが、本部裁判のやり方です。こういうことがあらゆる裁判制度の改悪にのっとってありますけれど、我々は、この三里塚の裁判の闘いを通して今の裁判制度そのものを訴え、人民の決起を図っていく。

 裁判そのものは向こうの土俵ではないのかという言い方がされますけれども、確かにそうです。だけども、向こうが仕掛けた闘いを利用して、少しずつさせるようなやり方は絶対にあり得ないし、ましてやその内容自体が今まででは考えられないようなやり方でやってくるわけですね。市東さんの裁判をとってみれば、農地法、いわゆる農民を守る、農村を守る、農業を守る法律を逆手にとって農地を奪い取っていく。あるいは金さえ払えばいいんだというかたちで、民法で土地を取り上げていく。そして本部裁判において、そこに我々の権利があるにもかかわらず、成田治安法をかけさせている。あそこに住んだらだめなんだという、3キロ以内に闘うものは住んではいけないなんて法律のもとに閉鎖して、しかもその土地を、あるいは建物を今度はぶち壊すんだということが出来なかったものであるから、獲ろうという形で、裁判所が今度は代執行を行っていくというね、そういう反動的な形をして出てきているんですね(左写真が、昨年10・11での天神峰現闘本部)。091011

 55年体制の崩壊の中で、いろいろな意味合いがありますけれども、今までの自民党政権が崩壊して今日代わったわけですけれども、決してそれは政治や社会が変わるわけじゃなくて、今までの流れの先を、民衆をそこにとどめておいていいのかどうかが問われる時代に入ってきて、しかもそれをも突破してやり抜くということを対象化するかどうかが問われる時代に入ったわけですね。それが今の時代であるし、それをやるためには、支配する側は、そういうものに対して闘うという者をつぶさなきゃならないというところに入ってきた。

 本来ならば、成田の空港なんかは見直しの対象の最たるものなんですよ。何兆円もつかって、40年も経ってね、何十人もの総理大臣が変わって、そしてここにきてまだ出来上がらないなんていうのは、もう断念して、解消しなければならんですね。それにもかかわらず、決定的に遅れた航空宇宙産業を日本としては建て直さなければならないという意志の下に、アジアの中で日本の位置を強固に築いていくという意志の下に、「ハブ空港」などという形で言ってきたわけですね。そうすると地元の経済団体、自治体は浮足立ってきたわけですね。今までは作られた成田空港が「ハブ空港だ」と言われてきたんだけれども、競合的には羽田が有利だという形で羽田がでた途端に、成田の空港圏における各自治体が自分たちの利権がぶっ飛ぶというところで、われわれの農地を差し出す、我々の闘いを差し出してまでも3本の誘導路を作ってくれ、3本目の滑走路を造ってくれと、今まで24時間化出来なかったけれど、それに一歩でも近づくために時間制限を撤廃して、もっと増やしていいんだと。もう考えられないような言い方をもって、我々地元住民を支配者に差し出すというね、そういう話まで出てきたわけです。091226

 これは許し難いものであって、逆に言えば、我々闘う反対同盟がなかったら、もう24時間空港が実現されて、北は利根川流域から南は太平洋まで空港領域にガッポリと拡大されて、文字通りのハブ空港化として成田が展開している。騒音とか何とかそんなものは言わせない。そこに居るものが悪いんだと。そしてそれに反対する者はどんどん潰していく。そういうやり方が今、始ったんですね。

 これはある意味で、もう内戦ですよ。そういう形ではね。そのためにはどうするのだという形で、いろんなものが出てきましたけれど、やはり我々は今まで通り原則的にこれをもって闘い抜く。そして何よりも、我々だけじゃなくって、関西の地でも出てきましたでしょう。先ほど出ましたけれども、沖縄の代替え案だとか、そういう形である。やはりそこには軍事という問題が存在して、しかもそれを遂行しなきゃあならんと、そいうところでしか生き延びられないという今の支配者にとってみれば、これは何が何でもかじり付いても行かなきゃならんと、アジアの盟主としてそれをしなけりゃあならんと、そのための空港であり、そのための港湾であり、そのための産業であると。そして、そのためには、いろんな人たちへの弾圧や強制を醸し出していかなければならない(右上新聞記事は反対同盟ブログより転載)。

 であるならば、今までと同じような闘いではなく、文字通り全国の中でこのように闘っている者たちが手を取り合って大きな渦となって闘い抜いていかなきゃならんのじゃないか。これを我々としては訴えたいわけですよ。  (明日に続く)

 

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2010年1月20日 (水)

関実旗開き  永井代表世話人の挨拶

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 みなさん、明けましておめでとうございます。「今年も共に頑張りましょう」と、私の申し上げることはそれだけで失礼してもいいんですけれども・・・。

 来る年、来る年、この新年の集い、決意を新たにして共に闘ってまいりました。特に昨年はいろんなことがありました。私たちとしてそういう中で、一体となって闘い抜いてこれた。のみならず「闘いの輪を広げよう」ということで3月の集会、さらには9月の集会を成功させることが出来て本当によかったと思っております。10117_3

 三里塚反対同盟に対する本当に理不尽な攻撃が、今また襲いかかってきております。裁判におけるほんとに許し難い、無茶苦茶な審理の進め方に対して、傍聴している私たちも怒り心頭という感じであります。そういう中で反対同盟の方々が、そういう裁判に対しても絶対に負けないということで闘い抜いておられます。ご承知のように、ご報告があると思いますけれども、第3誘導路であるとか、またさらに3500メートルの滑走路であるとか、いろんなことを傍若無人という言葉がありますけれども、ほんとに勝手放題に言っております。そんなことは絶対に許さないということで、反対同盟も強い決意で今年の闘いに臨んでおられます。旗開きにお邪魔してまいりましたけれども、その反対同盟の決意に応えて、私たちはこの反対同盟とともに闘い抜いて絶対に勝利するんだ。

 かって70年、71年に、ああいう代執行を巡る闘いがあり、反対同盟は身体を張って闘い抜いてこられました。私たちもこの代執行の闘いに、関西から馳せ参じることが出来たということを、大きな喜びでありますけれども、今、過去のことを云々している余裕はありません。今年かけてこられるこの攻撃に対して、いかに私たちの力をフルに発揮できるかというこいとが問われていると思います。

 いろんな闘いが今年あると思いますけれども、詳しくは萩原さんから訴えがなされると思いますのでそちらに譲りますけれども、関実77年結成ということで、もう30有余年になりました。関西の住民が反対同盟と初めて出会いましたのが1969年であります。それ以来、私たち、反対同盟の方々と、何よりも関西新空港、淡路空港建設という一番最初の時から、反対同盟が淡路にお出でいただき、そして闘いを指導してくださった。その三里塚の闘いに学んで、私たちが闘い抜いて、とりあえず淡路空港を追い出したという経過があるのを、今もついこの間のように思い出すんです。

 ですから、関西新空港の闘いは、実は40数年前の淡路空港建設阻止の闘い以来、反対同盟は関西に闘いを進めてくださっておったわけですね。私たちは、ただ単に私たちが反対同盟の方々とお付き合いをしてきたということではなくって、淡路島の闘いを、あるいは一坪運動であるとか、あるいは労農学連帯の闘いであるとか、そういう闘いをやれと、戸村委員長をはじめ北原さんなど、同盟の方々が続々と淡路に来てくださって闘いを指導してくださった。そういうことがあったからこそ淡路空港闘争に勝ったんだということを、私は声を大にして言わなきゃならんと思います。ですから関西新空港反対という闘いは、反対同盟がただ応援に来てくださったというようなものではなくって、三里塚の方々の指導、先頭に立ってのそういうことがあって勝利できたと、今、あらためて思っております。その御恩を忘れてはいかんと、今、思っております。10117_5

 今年、予想される裁判闘争、そしてその後の市東さんの農地を巡るさまざまな闘いに全力で決起していきたいと思っております。それ以外に、関西には関西としての問題があります。ご承知のように関空を普天間基地の代替え基地にしたらどうだなどという話が公然と言われるようになってきた。私たちはずっと前から、関西新空港を軍事使用するということに対して「絶対NO!」を言う闘いを言い続けてきましたけれども、ここにきてそういうことが出てきております(左写真は、関空闘争に着手した「海と空」のみなさん)。

 今日、お集まりの皆さんはじめ、これはもう私たちの責任だと思っております。そういうことを許さない闘いを地元で、大阪で、兵庫でやらなくちゃあならない。応援に駆け付けるなどというものではありません。地元の闘いで私たちの真価が問われるというような局面がでてきております。

 まあ、こういうことが起こるであろうということは、40数年前の淡路空港の時にも軍事空港反対ということを真っ先に掲げたことがいかに正しかったかということがわかってくるわけです。それは、反対同盟のご指導があったからそういうことになったということなんですけれども。40何年間言い続けてきたその真骨頂を発揮する時が来た。誰がやるんだと言うと、我々関実がやる以外にないでしょう。関実が先頭に立ってその闘いをやろうじゃありませんか。そして三里塚でも、関西でも、軍事空港などというものは叩き出してしまうという闘いを頑張ってやりたい、やれる、勝利するということでありたいと思います。

 沖縄の方々とも堅く連帯し、今年もやっていきたいと思います。いろんなやるべき問題が発生しましたし、また発生してきますけれども、そんなことはもう関係ないですね。私たちの圧倒的な闘う意志でもって吹っ飛ばして、これからも今年大前進を勝ち取ろうじゃありませんか。

 それで、具体的な問題としてみなさんにお願いしたいと思うんですが、2月25日の裁判闘争。これは、前回、11月の裁判闘争に私も行きましたけれども、あんなもの裁判の体をなしてないですよ。裁判長も無茶苦茶なんですけれども、こっちも無茶苦茶ですよ。もう怒号です。糾弾です。裁判長はそれに対して、石のように黙ったまま。スゴスゴと閉廷してしまうというようなことですね。そういう闘いが進められております。けれども、「だから裁判闘争に勝った」と喜んではおられない。向こうは、裁判の形式はどうであれ、判決、それも仮執行宣言付きの判決で、判決が出るや直ちに撤去という挙に出てこようというのですから、この裁判をやらせるわけにはいかんという面があるわけです。毎回、関西からも傍聴に行っておりますけれども、2月25日には、まず第一の決戦と構えて、関西からたくさん駆け登ろうじゃありませんか。幸い裁判所は傍聴にたくさん入れるようになりました。しかし、みんな入れませんよ。裁判所を包囲して、先ずデモをやりまして、この裁判を「粉砕!」という闘いを先ず今年の第1の目標に掲げたい。10110

 それから毎年、3月の集会ですけれども、反対同盟の3・28全国集会の2週間前ですか、3月14日、大阪の中央会館で、北原鉱治反対同盟事務局長をお招きして、決起集会をやることを予定しております。反対同盟の全国集会の直前ですから、我々はそこで大勝利して現地へ駆け昇っていくことが大事だと思っております。

 この2つを具体的な問題としてみなさんに申し上げて、それに向かって頑張っていきたい。反対同盟の闘いに、私たちも何としても共に闘う。第1次代執行阻止闘争の時に地下壕まで入って一緒に闘わせていただいたそういう闘いをもう一度やろうじゃないかと思います。よろしくお願いいたします。

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2010年1月19日 (火)

関西実行委員会・旗開き(1月17日)

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 一昨日、1月17日、三里塚決戦勝利関西実行委員会の旗開きが67名の結集の下に盛大に行われました(冒頭写真は、最後の団結ガンバロー)。

 10117_3 冒頭、主催者の挨拶に立った代表世話人の永井満さんは、昨年3月、9月の集会の成功を軸にした関実運動の闘いの前進を確認した上で、敵・国家権力の理不尽きわまる三里塚への現下の攻撃を糾弾されました。そして関西新空港反対の闘いが三里塚の皆さんの直接的な関わりの下に闘い抜かれてきたことを明らかにされ、共に空港の軍事使用に反対することを明らかにしました。さらに、裁判の体をなさない天神峰現地闘争本部裁判の2・25判決攻撃に対して、裁判所を包囲し、それを粉砕する闘いを実現するために全力で千葉に駆けつけよう、3月14日、北原反対同盟事務局長を招いて関西での決起集会を成功させて3・28三里塚現地に攻めのぼろうと鮮明に提起されました。10117_17

 代わって発言に立たれた反対同盟事務局次長の萩原進さんは、鳩山民主党政権による攻撃の正体を明らかにされた上で、40年もたって、何十人もの歴代の総理大臣が関わって出来ない空港など、本来やめるべきだとされました。 地元首長たちが「羽田ハブ」論議に慌てて、利権を守ろうと地元住民を、農地を、闘いを支配者に差し出そうという現下の攻撃の本質を明らかにし、反対同盟の闘いがなければとっくに24時間のハブ空港が作られていただろうと明らかにされました。そしてこの闘いは、ある意味で内戦であり、原則的にあくまで闘い抜くと。参議院選挙や国体という日程から敵は、2010年前半で三里塚に一定の決着をつけるために攻めたいというのが願望だろうが、今こそ、全ての人民が手を取り合って、渦となって闘い抜き、今よりもっと大きな炎とすることで、2010年は勝利できる。3・28は決定的なものとなるだろうし、4月、5月の闘いが非常に大きなものとなる。そもそも。「フェンスに囲まれた」空港と言われるが、空港を包囲し、攻撃しているのが我々だということを示すものとして、我々の闘いがフェンスで空港を囲んだんだ、こんな空港が世界のどこにあるかと、勝利の確信に満ちて指摘されたのです。10117_5

 90歳のこの年までみなさんと一緒に闘えることが何よりうれしいと語られた山本善偉世話人による乾杯の音頭が続きます。

 部落解放同盟全国連合会の中田潔書記長は、この半年、情勢に必死にしがみついて門野裁判長の棄却攻撃をぶちやぶり、狭山闘争が一歩前進したと勝利感にあふれた報告とともに、来年4月の寝屋川市議選に全国連寝屋川支部事務局長のきむら秀幸さんを押し立てて闘い抜くことを明らかにされ、ご本人からも決意が述べられました。10117_6

 続いて、被災地雇用と生活要求者組合代表の長谷川正夫さんから、「第29回 生きる権利・働く権利を求めつづけて 被災地反失業総行動集会」が、直前まで145人の結集のもと成功裏に開かれた事の報告と、生きる権利、働く権利を求めて闘い続けていく決意が語られました。

 この日は歌あり、踊りあり、本当に解放された一時がこのあと繰り広げられました。ギターの演奏が3つもあったのにはビックリ。新空港反対東灘区住民の会世話人の白石さん。尼崎・伊丹三里塚実行委員会の代表、弥永さん。大阪の海と空を戦争につかわせない会の青木さんをはじめとしたみなさん。10117_7 劇団ほうき星のみなさんによる歌と踊り。初参加の守田さんの頑張りに大きな拍手。10117_9 恒例になった高槻医療福祉労働組合の書記長吉岡さんの歌とギター。 初参加のMさんのなつかしいフォークのギター演奏と歌。「障害児・者の高校進学を実現しよう!1・23西宮集会」を訴えた石川さん。 風をおこす女の会の松野尾さん。とめよう戦争!百万人署名運動兵庫県連絡会世話人の梶原さん。「今年は何としても三里塚に行きたい」と被災地労働者企業組合の山田さん。淡路町反対同盟の江戸さんがギターを持って登場したのにはビックリ。最後はみんなが応援に(左下写真)。10117_14 関西合同労組書記長の蒲牟田さん。戦争と平和を考える集い実行委員会から「アフガニスタンに命の水を」と呼びかける1・31「アフガニスタンの今を考える集い」が訴えられ、最後にターバンの巻き方の実演。

 途中には、ほうき星のみなさんが、萩原さんをひきこんでの踊りも。 萩原さんが役者ぶっておられるのにやんやの喝さいでした(右写真中央が萩原さん)。10117_15

 最後は安藤さんの音頭で、全体が輪になって反対同盟歌「大地を撃てば響きあり」の大合唱。そして団結ガンバローをして決意にあふれた、楽しい旗開きを幕に。

 1月17日は、市役所前での慰霊に訪れたみなさんへのビラまき。被災地総行動。そして旗開きと、朝から本当に凄かった。旗開きでは、みなさんのお世話と写真で、テープを聞くまで何があったのかよくわからないほど。ブログが1日遅れたのでご心配の電話も。10117_16 永井さん、萩原さんのお話は後日掲載したいと思います。いやぁ、よくわからないなりにめっちゃ盛り上がった旗開きでした。みなさん。ご苦労様。

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2010年1月17日 (日)

あれから15年

95117  15年前の今日、1月17日、忘れもしない阪神淡路大震災が私たちを襲いました。右写真は、私の家のすぐ近く、阪神石屋川駅付近で横転した電車と燃え広がる住宅(読売新聞特別縮刷版より)。6400人の人々が圧死、焼死などで亡くなられました。

 1974年6月、神戸市に依頼された大阪市大・京都大学の合同調査で「六甲山周辺で都市直下型大地震の発生する恐れがある」という報告書が提出されていました。しかし当時の神戸市は、「10万年にあるかないかのこと」と田中神戸大学工学部長(当時)などを総動員して、この報告をもみ消しM5強の防災計画のまま放置しました。その後も85年には「兵庫県下など近畿地方にはM7クラスを超える大地震が発生してもおかしくない」と警告されていました。これらは一切無視され、1995年1月17日を迎えたのです。M7.2でした。

 神戸市が無視した理由は、建物の強度や防水槽など防災設備の整備におカネがかかりすぎることもありましたが、何よりも当時「神戸市株式会社」ともてはやされたポートアイランド1期が完成間近まで進んでいた事と、2期工事や六甲アイランドなどの大型埋立工事が準備されていたことでした。M6以上の防災基準に合わすためには工事をやり直すことによる莫大なカネがかかることでした。不可能との判断が、「無視」につながったのです。

 結果は、防水槽には割れて水がなく、家々は倒壊し、火災が発生したことで被害は広がりました。ポートアイランドは液状化現象と橋の倒壊で渡ることもできず、市民病院は何の役にも立ちませんでした。言い出せばきりがありません(左写真は、これも私の家の近く、東灘区でくずれおちた阪神高速道路。読売新聞・特別宿刷版より転載)。

 そのポートアイランド2期が、2割も売れず1379億円の借金が10年も借り換えられながら来年返済期日が来ても展望がないため、新たに20年の借り換えを行うことが昨年末公表されました。95117_3

 他方、「神戸空港は震災復興の希望の星」と、まだ避難所に30万人の市民が避難していた2月初めに神戸空港の建設が打ち出され、是非を問う住民投票を求める35万人の署名を無視し、市民の6割以上が建設に反対している報道をも無視して建設が強行され、開港が4年前に強行されました。そして案の定、建設のための借金2千億円は返せる展望もなく、需要も見込みの6割と言う惨状で経営も赤字に転落。

 またもっとも被害がひどかった新長田周辺に、これ幸いと「復興事業」と称して従来から考えられていた再開発事業が強行されました。昨日の新聞に、神戸市の予定通り売却が進んでも150億円の債務超過がでることと、多くの住民が却って負債を抱え破綻し、家も商売も奪われる惨状が報じられていました。

 私たち神戸市民は、1974年のポートアイランドなど神戸市が進めていた開発事業によって、今、震災での人災と2重に犠牲を強いられようとしていると言っても過言ではありません。現市長矢田は、こうした過程を出世の土台とし、とりわけ神戸空港の建設から開港すべてに旗を振ってきた張本人です。

 15年目の今日を迎えるにあたり、この怒りをしっかりと胸に、今日の市役所前でのビラまき、「生きる権利・働く権利を求めつづけて」被災地反失業総行動集会、そして決戦を迎えた三里塚決戦勝利関西実行委員会旗開きに、1日全力で闘い抜きます。

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2010年1月16日 (土)

今年最初の産直野菜が届きました

10116  今週の三里塚の産直野菜が、さきほど届きました。今年最初です。

 里芋、三浦大根、じゃが芋、ニンジン、小松菜、チンゲンサイ、カブの7品です。今日の「便り」にありますように、12月の高温多雨で、小松菜の大きいこと。

 三里塚から産直野菜をとってみようと始めたのが一昨年11月。ようやく一年余を過ぎて、テンポなど、少しずつ分かって、慣れてきました。

 「市東さんの農地を守ろう」ということが最大の切り口ですが、この数年、三里塚闘争に関わる中で、FTA(自由貿易協定)、農地法改悪など、農業問題に気づかざるをえませんでした。農業破壊、農民切り捨てという政策が背後にあるから、こうも理不尽な三里塚農民への成田空港政策おしつけがまかり通っているのだということを感じたのです。

 三里塚農民の営農を支えたいという思いが、援農を繰り返す中から生まれました。そして産直野菜をとおした生産者と消費者の交流を通して、農業問題を自分たちの問題として取り組んでいきたい。これが一昨年、産直運動を始めたきっかけでした。しかし、「無農薬・有機栽培の野菜だから健康にいいですよ」だけでは広がらないだろうとは思っていました。よくいわれるように、産直運動の基本は「地産地消」です。生産者と交流するにも、遠すぎて現場で農地に、農業に接することが出来るのはごくわずかの人です。そして、昨年夏前に起こりましたが、サニーレタスが、わずか一晩の輸送の過程で「溶けて」しまいました。理解できない消費者からは、当然ブーイング。Photo

 去年は豊作だったごぼうが年を越しても送られてきました。ところが今年は、今日の「便り」にもありますが、無理なようです。しかも「1回作ると5年は同じ畑には作れない」そうです。「農作物は輪作を嫌う」とは聞いていましたが。もちろん輪作できる、荒れ地に強い作物もあります。そうした個々の作物の属性を踏まえながら、50を超える作物を作ることのむずかしさ。しかも「無農薬・有機栽培」なのですから。現場に行けば分かりますが、夏場の雑草の問題はもとより、虫が異常発生した時の凄まじさなど、生き物を相手の仕事ですから大変です。ですから「換金産業」として市場経済の中で営農をしている農家は、有機農業でも単品生産を志向します。洞爺湖サミットの折に訪れた北海道の農地で、ジャガイモなど単品が驚くほどの広大な面積で作られていた事を思いだします。

 Photo_2 萩原さん、市東さん、鈴木さんが、それぞれ2町足らずの農地で、50品目もの農作物を作り、消費者に産直の野菜だけで一年の食生活を組み立ててもらいたいと必死で頑張っておられる営農の中に「農業は、本来家族農業でないとだめだ」という強い思いがあります。この農業が「生産性至上主義」とはなじまない性質を、私たちは今一度、私たちの闘いの中でしっかりと受け止めたいと思います。少なくとも「農業は、封建制の遺物」などという言葉でお茶を濁し、新自由主義者たちがスターリン主義の集団農業に学んだことに屈服してしまっている一部の人たちの在り方に本当に怒りを覚えます。「三里塚は日本農民の先頭に立って闘う」と、反対同盟が言うとき、こうした農業のもつ本質的な問題をも引き受けて立っておられるということを受け止めるべきでしょう。

 こんなことを想いながら、今年も三里塚との産直運動を少しでも関西で広げていきたいと思います。みなさん。取り組んでください。

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詳しくは、関実事務局までお問い合わせください。電話 0799-72-5242、または メール kanjitsu_mail@yanhoo.co.jp (これをクリックしていただければメールできます)。お気軽に。

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2010年1月14日 (木)

水曜行動と「在特会」

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 昨夜(1月13日)、阪急西宮北口のアクタ前2階のロータリーで行われた『日本軍「慰安婦」被害女性と共に歩む大阪・神戸・阪神連絡会』主催の水曜デモに参加してきました。昼は雪が降り、晴れたことでかえって寒さが厳しくなった中で、ビラまきをしながら、日本軍の性奴隷とされた韓国、朝鮮、アジアの女性たちへの日本政府による公式の謝罪と賠償を求める行動でした。

 国内では、一昨年3月の宝塚市議会での日本軍「慰安婦」問題の真相解明と被害者の尊厳回復に努めるよう求める意見書が出て以来、昨年末までに15市議会での政府への意見書採択が行われています。また、07年以来、アメリカ議会、オランダ国会、カナダ国会、欧州議会、フィリッピン議会、韓国国会、台湾立法院、そして韓国各自治体での日本政府に対する対処を求める決議が続いています。

 10113_4 そして今、日本軍「慰安婦」問題の立法解決を求める120万署名が鳩山民主党政権に対して始められています( 「120manshomei.pdf」をダウンロード をクリックしていただくと署名用紙が印刷できます)。

 ところが、この日、本当に凍えるような寒さの中1時間ほど行動が進んでいたころに警察・制私服合わせて30人くらいが私たちを取り囲むように配置。しばらくすると、「在特会」の人たち20人くらいが「慰安婦は売春婦だ」「出ていけ」など口々に罵声をあびせながら、マイクや横断幕、プラカード、日の丸などを手に手に持ちながら暴力的に私たちに襲いかかってきたのです。写真を撮ろうとしたした私にも「肖像権の侵害だ」「カメラをよこせ」「フィルムを渡せ」と襲いかかります。警察は、彼らを制止はしますが、私たちに「早く終われ」と言わんばかりの中途半端な警備で、彼らはやめようとしません。終わる予定時間も近くなったので、私たちは片付け、解散しました。後には、「在特会」の「帰れ」「帰れ」コールでした。

 歴史を偽造し、在日の人たちへの排外主義を煽るこの「在特会」の行動は、本当に許されません。戦前戦後のアジア侵略の歴史と敗戦の歴史をきちんと総括しえず、この日本軍「慰安婦」問題に典型的に見られるように、アジアの民衆への謝罪も賠償もきちんとすることなく、戦後を過ごしてきた私たち日本人の中にある問題が、今、世界的不況が進行する、格差と貧困が吹き荒れ、多くの労働者が住まいも仕事も奪われる惨状の中で、在日への差別と排外主義がこうした形で跋扈する事態として吹き出てきたと思わざるをえません。10113_3

 高校生の歴史教科書の書き換えに怒った沖縄民衆のあの08年9月28日の12万人の決起に、私たちは、まだまだ不十分にしか応えきれていません。そして田母神元航空幕僚長の歴史の捏造によるキャンペーンを突破しきれていません。安保改定50年を今年に迎え、鳩山民主党政権が日米(軍事)同盟強化を政策の柱としようとする今こそ、こうした事態に真正面から向き合って行かねばならないのではないでしょうか。

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2010年1月13日 (水)

2010年 闘争宣言

10110

 1月10日、三里塚反対同盟の新年団結旗開きにおいて「2010年 闘争宣言」が、萩原富夫さんから紹介されました(上の写真は、乾杯の音頭をとる市東孝雄さんと反対同盟のみなさん)。

2010年 闘争宣言

 今年は三里塚闘争、決戦の年である。2・25天神峰現闘本部判決公判と市東さんの農地裁判が実力攻防の最先端にある。この決戦は検修全面外注化と闘う動労千葉、大失業攻撃と闘う労働者、基地全面撤去へと立ち上がる沖縄の闘いと完全に一つだ。国民投票法の5月施行と改憲攻撃。2010年は全人民総決起の年である。反対同盟はその最先頭で闘う決意である。091011

 天神峰現闘本部は成田治安法と闘う闘争拠点であり、市東さんの農地を守る砦である。反対同盟は現闘本部を実力で守りぬく。全人民の共闘と結集の砦をめぐるこの攻防を、危機にあえぐ鳩山政権の命取りとしよう。

 見よ、アジア・ハブ(基幹空港)から陥落した成田空港のぶざまな姿を! 前原発言を引くまでもなく、三里塚闘争は44年間に及ぶ農地死守の闘いの上に、航空政策を大破たんさせている。

 「東アジア共同体構想」に延命の道を求める鳩山政権は、その前に立ちはだかる三里塚闘争をつぶそうと血道をあげざるを得ないのだ。市東さんの家屋を空港内に囲い込む「第3誘導路」計画、空港圏自治体連絡協議会による「深夜・早朝の飛行制限撤廃」と暫定滑走路の「再北延伸」「東側への移設(3500m化)」策動、――新たな農地収用を含むなりふり構わぬこの暴走こそ、混迷と破産を繰り返す成田を象徴する事態だ。反対同盟は必ず勝利する。

 恐慌と大失業で、いまこの瞬間にも数知れない人々の命が奪われている。職を失う労働者、農地を追われる農民、福祉・医療切り捨てがもたらす惨禍に、こみあげる怒りを抑えることができない。オバマはアフガン増派を決定し、平和のためには戦争が必要だと居直った。保護主義が広がり排外主義が大手をふり、改憲と戦争への攻撃が強まっている。10110_2

 全国の闘う人民のみなさん。今こそともに決起しよう!

 反対同盟は、FTA(自由貿易協定)と農地法改悪に抗して闘う農民の先頭に起つ。「労農連帯」の旗のもと、国鉄闘争つぶしの攻撃に立ち向かう動労千葉とともに闘う。沖縄や関西住民を始めとする広範な住民運動、市民運動、学生運動との共闘をさらに強く発展させて闘う決意である。これらの闘いが爆発すれば、今年は必ず勝利する。その力をもって全世界の労働者・農民・民衆と連帯しよう。

 市東さんの農地裁判を闘い、2・25現闘本部判決公判に怒りの千葉地裁包囲闘争として決起し、3・28全国集会に空前の大結集を実現しよう!

 2010年1月10日

                      三里塚芝山連合空港反対同盟

(2枚目右写真は、昨年10・11三里塚全国集会のおりの天神峰現闘本部。最後左の写真は、「闘争宣言」を読む萩原富夫さん)

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2010年1月12日 (火)

三里塚反対同盟 団結旗開き(1月10日)

10110

 1月10日、三里塚反対同盟の新年団結旗開きが成田市で開かれました。

 午前中の集会、デモを闘い抜いた反対同盟のみなさんが、会場に結集され、鈴木謙太郎さんの司会で旗開きが開始されました。

 先ず、萩原富夫さんの方から年頭の「闘争宣言」が読み上げられました(後掲)。続いて、北原鉱治反対同盟事務局長からの挨拶です。10110_2 「三里塚闘争は44年目を迎えた」とした上で、昨年までの裁判を振り返りながら「これが裁判かというような裁判が繰り返されてきた」とし、1990年の天神峰決戦を想い起されながら、現場検証もせずに「公正な判決が書けるのか」「こういう裁判をやる日本の政治が根本から間違っている」と弾劾をされました。そして「30年前には完全空港となるはずのものが45年たっても完成しない」「原因がどこにあるのか」とされた上で、「成田空港を廃港に追い込むことが世界の平和につながると確信している」と述べられました。最後に、「2月25日、千葉市内で集会を持って、千葉地裁を弾劾することになる」と年頭の闘いを提起されました。

 続いて、萩原進反対同盟事務局次長が「闘争宣言にある通りにやり抜ければ勝利できる」とされた上で、反対同盟の年頭の決意を明らかにされました。先ず「自民党政治となんら変わらない鳩山民主党政権を打倒する」とされた上で、「空港政策のヨタヨタしているその状況を生み出したものとして、43年の闘い、我々の闘いがあり、そういう現実を引っ張り出し、表に出したんだ」と。「2500メートル滑走路の供用を開始したとたんに、3500メートルの滑走路を言わざるを得ない。新誘導路を供用開始したとたんに第3誘導路を言い出す」「こういう敵の攻撃を引っ張り出したことで、我々は勝利している」と彼我の関係を明らかにされました。10110_3 カメラを構えるマスコミの記者たちにも語りかけながら「ウインドシェアが吹けば、両方の滑走路を閉鎖しなければならないのに、どんどん暫定の方に着陸させる」「危険だからとやってこなかった同時離陸をやろうという」「円卓会議で、朝と夜、あわせて1時間短縮するので了解してほしいと東峰部落に押しつけてきたはずのものを、今や、そんなことを気にしていたら羽田との競争に勝てないと『24時間化』の禁じ手まで口にする」「あげくは軍事化だ」「そこには旅客の安全や地元住民の安全性などを無視した国のメンツや経済効率しかない」と糾弾されました。「北へ2回も伸ばしながら、東にずらせて3500メートルを作り、2500メートルを誘導路に使えばいいなどと、こんな無茶苦茶があるか」と怒りを露わにされ「やるならやってみろ」と表明されました。そして市東さんの農地に対する裁判闘争、農地強奪の攻撃に対し「敵の土俵かもしれないが、それを大いに活用し、広範な人々に知っていただき、今の空港政策、空港の実情を訴えて、再度三里塚闘争の拡大を図ってきた」ことで、「昨年の3月、10月の千名を越す結集という前進が勝ち取られた」「(反対同盟は)全国の農民の先頭に立って闘い抜く」「労働者、市民、差別と闘う人々、学生が一体となって爆発すれば今年は勝利の年となることは確実だ」「政府、権力には一切の余裕はない。今ですよ。この悪どい攻撃は、民衆の心を揺さぶり、決起させる」として「このことを確信して今年前半、この2月、3月の闘いをやりぬこう」と鮮明に、そして激しく提起されました。10110_4

 市東孝雄さんの乾杯の音頭を皮切りに、関西実行委員会の永井満代表世話人、動労千葉の田中委員長、市東さんの農地取り上げに反対する会(右写真)のみなさんなどをはじめ結集した多くの皆さんから、年頭の三里塚闘争に寄せる思いと決意の表明が続きました。

 さあ、2月25日天神峰現闘本部裁判の判決攻撃に対する闘いを突破口に進撃していきましょう。先ずは、1月17日、関西実行委員会の旗開き、そして同じ日、震災15周年を期して開かれる被災地反失業総行動集会を成功させて進もう。

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2010年1月 9日 (土)

1・17関実旗開きへ! 同盟・萩原進さんを迎えて

09111

 明日10日は、成田で三里塚芝山連合空港反対同盟の団結旗開きです。関実からは、永井満関実代表世話人と私が参加させていただきます。いよいよ突入した決戦の年頭を飾るにふさわしいものとなるでしょう。(写真は、昨年の旗開きで冒頭の同盟のあいさつをされる北原鉱治反対同盟事務局長です。)

 そして、1月17日には、反対同盟事務局次長萩原進さんをお招きして、三里塚決戦勝利関西実行員会(関実)の「2010年団結旗開き」を開催いたします。みなさん。それぞれの旗を持って、酒を持って、今年の三里塚の決戦を担う決意を固め、新たな関空闘争、そして関西における反戦・平和のたたかいの前進を勝ち取り、沖縄、岩国とともに米軍再編粉砕、日米安保体制粉砕の道筋を進むために集まりましょう。

  ご案内

 私たちは2009年一年を通して、三里塚にかけられた農地強奪と空港拡張に対して、反対同盟と一体となって、全力で闘いぬいてきましたまたグローバリズムと新自由主義が生み出した「格差と貧困」と闘い、生活防衛と生きる権利を求める労働者、戦争=「米軍再編」、基地強化・拡大と闘う沖縄や岩国の人たち、そして差別・抑圧と闘う諸階層人民――これらの広範な人々との結びつきを求めて、私たちは新たな闘いの一歩を踏み出しました。09118

 2010年は、この闘いをさらに力強くおし進めていきます。

 暫定滑走路北延伸の供用が始まったものの、政府・空港会社は完全な展望喪失に陥っています。反対同盟と反対派農家が健在であるかぎり、いつまでたっても成田空港の完成などありえません。「八ツ場ダム」同様に、30年も40年も経っても完成しない、できない事業など直ちに中止すべきなのです。(右写真は、昨年の関実団結旗開き)

 2月25日には、天神峰現闘本部裁判の判決を迎えます。千葉地裁仲戸川裁判長の法も道理も無視した訴訟指揮と結審の強行に続く、極反動判決策動―現闘本部強奪・破壊攻撃に全力をあげて闘いましょう。さらに市東さんの農地強奪との闘い(裁判闘争)、市東さん宅を空港内に封じ込めようとする第3誘導路計画を許さない闘いなど、2010年は三里塚闘争の行方を決するような重大なときを迎えます。現地闘争と裁判闘争を軸に、空港絶対反対、農地死守、非妥協・実力闘争をつらぬき、「反戦抵抗の砦」、「全人民の共闘と結集の砦」=三里塚として、全国のあらゆる闘いの中におしひろげていきましょう。

 その決意を込めて、団結旗開きへの参加を訴えます。

                   三里塚決戦勝利関西実行委員会

【日時】 2010年1月17日(日)午後6時~Photo_2

【場所】 神戸学生青年センター・ホール  (阪急神戸線「阪急六甲」下車北東へ徒歩3分)

【会費】 1000円(簡単な食事を含めて)

(注)例年通り、酒・ビールなどアルコール類は各団体持ち寄りでお願いします。 また、団体ごとの出し物などの準備をお願いします。団体旗、組合旗をお忘れなく!

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2010年1月 8日 (金)

尼・伊実結成30年、新たなスタートを決意

09927

2・25判決公判に結集し、現闘本部を守り抜こう

 謹賀新年。本年もよろしくお願いいたします。

 さて、我が尼崎・伊丹実行委も早いもので今年6月に結成30年となります。「光陰矢のごとし」まことにアッと言う間でした。「よく続けられたなあ」と自分ながら感心していますが、その原動力はやはり三里塚反対同盟の皆さんの反権力を貫いた闘いへの感動でした。0975_2 昨年7月の緊急集会でも発言させていただきましたが、「どんな偉い先生の話を聞くより、またどんな立派な本を読むより三里塚の大地に立つ事の方が世の中の動き、日本の政治がどの方向に向いているのかが一番よく分かる」 これに尽きると思っています。もしこの大地に立たなかったら「法治国家日本」という虚構と幻想に翻弄され、差別と排外主義にまみれた人生を送っていた事でしょう(右写真は、昨年の7・5緊急現地闘争で発言する尼崎伊丹実行委の筆者・弥永さん)。

 もうひとつは結成後すぐに関実の一員に加えていただいた事です。永井代表はじめ各世話人の皆さん、そして事務局の皆さんからいつもあたたかいご指導をいただき、ささやかながら今日まで活動することができました。

 そして地域の皆さんやいろいろな闘いの中で知り合えた多くの皆さんと交流を続けられたのも大きな一因でした。これからも我が実行委をよろしくお願いいたします。

関実は不動

 皆さん、関実はもとより「上意下達」式の組織ではなく、あくまで「横のつながり」を大切にし、いろいろな立場から三里塚を、そして関空闘争を見据え、連帯していこうという住民運動を中心とした組織です。当然にもそこには様々な考え方があるわけですが、お互いに「個」を尊重して活動を続けてきました。

 ところが昨年は残念なことに、党派的ひきまわしにより一部の人より「これ以外の路線はダメ」的主張がなされ一定の混乱が生じました。恐らく関実結成以来最大の「危機」ではなかったでしょうか。しかし私達は永井代表先頭にあくまでも関実の活動原則を守り抜き行動しました。とりわけても3月と9月の三里塚集会の成功は決定的でした(最初の写真は、反対同盟との絆を確認した9・27三里塚関西集会)。そして反対同盟からも私達を支持する声明が出され、結果として三里塚と関実はより堅い絆で結ばれる事となりました。昨年12月の代表者会議でも永井代表は「いろいろあったが我々の姿勢は不動です。反対同盟との関係はより密接になった」と総括されました。

 我が尼崎・伊丹実行委も昨年のこの事態を教訓に運動の原点に立ち返り、結成30年を新たなスタートとして会員一同老体(?)に鞭打って頑張りたいと決意しています。一層のご指導よろしくお願いいたします。

現地闘争本部を守れ

 Photo 前号でもお知らせしましたが、仲戸川裁判長のむちゃくちゃな訴訟指揮でとても「裁判」とは言えない現闘本部裁判の最終弁論(同盟は認めていない)が11月12日に千葉地裁でありました。この日も仲戸川の醜態は変わらず、(詳しくは関実ブログhttp://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/index.html、関実ニュース128号を参照ください)とても法廷とは思えない怒号飛び交う中で「判決は2月25日」と一方的に言いなし逃げ帰りました。

 皆さん、このような国家の操り人形裁判長の判決など何の期待も出来ないし、聞きたくもありません。怒りでいっぱいです。しかし、その怒りを裁判所には叩きつけなければなりません。2・25判決公判には出来る限り駆けつけようではありませんか。(午前10時30分千葉地裁新庁舎601号法廷、傍聴券抽選のため1時間前に集合)

 そしてもし敵が現闘本部に手をかけてくるならば「ここからが肉弾戦の闘いになる」と決意した反対同盟と共に、関西からも多数駆けつけ本部を守り抜きましょう。(左写真は、1988年12月に鉄骨3階建てに増築された現地闘争本部。1階部分に本来の木造家屋がそのまま現存している。反対同盟ブログより転載)

第3の誘導路工事許すな

 09113 そしてついに市東さんの自宅と葉竹を取り囲む暫定滑走路の第3誘導路予定地の地質調査が、昨年11月末から開始されました(右写真、卑劣にも工事会社名を伏せ、やぐらを立てボーリング調査を強行・反対同盟ブログから転載)。営農生活を破壊し、市東さんをたたき出すことが目的のこの卑劣極まる工事を誰が認めるでしょうか。断じて許されません。

 そもそも1本の短い滑走路にくねくね曲がった3本の誘導路など世界のどこにもありません。欠陥空港「成田」の無様な象徴ではありませんか。撤去あるのみです。

 市東さんがかかわる3つの裁判闘争の勝利と共に農民の生きる権利を守るために、この第3誘導路工事を阻止しようではありませんか。

(三里塚決戦勝利・関西新空港粉砕 尼崎・伊丹実行委員会 機関紙第244号より転載)

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2010年1月 6日 (水)

1・17震災15周年 「生きる権利・働く権利を求めつづけて」集会へ

1015  昨日、被災地雇用と生活要求者組合、しごと開発就労者組合、関西合同労組兵庫支部の3組合合同の旗開き(事務所開き)に参加してきました(右写真。関西合同労組ホームページより転載)。

 それぞれの組合員さんのもちよりの料理もあり、思いのほか豪華な宴会に。長谷川正夫要求者組合代表の年頭のあいさつと乾杯ではじまりました。部屋に入りきれず、写真手前の玄関にも座り込んだ30人のにぎやかな中で、年頭の交流が。障害年金の国籍条項を撤廃させる会の池田さんや私からも連帯の挨拶をさせていただきました。大西和弘さんもげんきな姿を見せてくださりますます盛り上がります。さあ、この元気で、15周年を迎えた被災地反失業総行動集会「生きる権利・働く権利を求めつづけて」を成功させようと確認して、カラオケに行くグループと残って話し合うグループに。少し、飲みすぎたかな・・・。

震災15周年 生きる権利・働く権利を求めつづけて   被災地反失業総行動集会のご案内

 すべての労働者、労働組合、ともにたたかう団体の仲間のみなさん。

 私たち被災地総行動参加団体連絡会は、阪神淡路大震災の当日である1月17日に「生きる権利・働く権利を求めつづけて」をかかげて、15周年の集会を行います。

 みなさんのご参加を心よりうったえます。

 今回は、元年越し派遣村実行委員の安部誠さんをお招きして、お話しを伺います。

 安部さんは一昨年末から昨年年初にかけて東京の派遣村で活動されました。その経験と教訓のお話しを聞いて、私たちが15年前からおこなってきた、雇用保険の失業給付をかちとる闘いから、しごと開発事業獲得にいたる失業反対闘争の総括と、今後の展望を考えてみたいと思っています。

 現在、全国の失業率が5.1%、失業者は360万人を超えています。失業者にとって、仕事の問題だけでなく、住宅も大きな課題ととなっています。労働者の貧困と失業の原因となった派遣法は、鳩山民主党政権のもとで「改正」に向けて議論が進んでいます。しかし労働政策審議会では労働者側と使用者側の両論併記で、派遣法の抜本改正は厳しい状況です。

 私たちは今一度、労働者にとってもっとも根本的な問題である失業について、「何を、どう始めるべきか」というところから考えていかなければならないと思います。安部さんの講演は、その手助けとなると思います。

 集会では、映像をとおして震災から15年をふりかえり、同和住宅の家賃値上げに反対してきた部落解放同盟全国連合会の闘いの報告や、神戸空港の廃港をめざして闘う神戸空港の中止を求める市民の会からの発言もあります。また、パントマイムや音楽を楽しみましょう。

 ぜひ、多くの皆さんのご参加をお願いします。

                             2010年1月

集会要項

【日時】 1月17日(日)午後1時30分開始(参加費 無料)Photo

【会場】 新長田勤労市民センター 大会議室(右図、JR・市営地下鉄「新長田」駅下車、南西へ徒歩1分、大丸・ジョイプラ3階)

【集会内容】 講演 安部誠さん(元年越し派遣村実行委員) / 映像「震災から15年」(仮題) / パントマイムほか

【主催】 被災地反失業総行動参加団体連絡会(被災地雇用と生活要求者組合・新空港反対東灘区住民の会・部落解放同盟全国連合会番町支部準備会・しごと開発就労者組合・兵庫労組交流センター・関西合同労働組合) 

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2010年1月 4日 (月)

(医)南労会は組合つぶしをやめろ

1014

 今日、大阪で医療法人南労会による19年におよぶ12名の組合員の不当解雇、4億円に及ぶ不当な賃金カットなどに対する全国金属機械労働組合港合同と同南労会支部の抗議の闘いが、南労会のメインバンクの三菱東京UFJ銀行に対して取り組まれ、参加してきました。1014_3

 午前9時に、大阪市役所隣にある中之島公園女神像前に、南労会支部はじめ港合同の組合員さん、そして支援の組合員や市民が集まって、まず集会です。 港合同の中村副委員長から主催者の挨拶、そして当該の南労会支部・小松委員長代行(右写真)より経過の報告とこの日の闘いの意義が語られました。結集した支援の組合からの連帯挨拶、そして港合同各支部からの決意表明が続きます。寒い中、短い時間の集会でしたが、決意と戦闘態勢を固めてデモに出発です。

 1014_4 デモは御堂筋を南下し、三菱東京UFJ銀行の大阪本社前を通りながら抗議のシュプレヒコールをたたきつけ、道行く人々には、経過を説明したビラが手渡されていきます。出発点の女神像前にもどって、こんどは三々五々にほとんどの人がもう一度、三菱東京UFJ銀行の前に。周辺の交差点にはビラまき隊のみなさんが、年始のあいさつに回る会社員などに次々と手渡していきます。

 UFJ銀行前では、抗議のシュプレヒコール。南労会支部の代表と大和田港合同事務局長など代表団が、三菱東京UFJ銀行への団体交渉の申し入れに行きました。1014_5 しかし、銀行側は、正面玄関では受け付けず場所を何度も変える不誠実きわまる対応。交渉報告をした川口南労会支部書記長(右写真)は、「すべて『関係ない』『個別取引には答えられない』と繰り返すのみで、『南労会が医療報酬までNECリースに債権譲渡することは銀行へも背信行為ではないか』との指摘に対しても『関係ない』と言い続けるということは、三菱東京UFJ銀行が南労会の違法、不当な行為に加担していることを認めたに等しい」と怒りの弾劾と、これから銀行を追求していくと闘いの方向を示しました。1014_6 最後に全体で怒りのシュプレヒコールを叩きつけて抗議行動を終えました。

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2010年1月 3日 (日)

沖縄をヤマトの中で闘っていこう

1012  

 昨日、大阪駅前で毎週土曜日に行われている「辺野古に基地を絶対につくらせない大阪行動」の署名活動に参加して、ビラをまいてきました。写真は、ジュゴン(勿論ぬいぐるみ)を中心に盛り上がる子供たちです。辺野古の座り込みに応えて04年8月から毎週、大阪駅前で辺野古の基地建設反対を訴え、これまで4万筆以上の署名を政府に提出してこられました。また、この活動を紹介した本「辺野古の海をまもる人たち―大阪の米軍基地反対行動」(田中佑弥編著、東方出版)が昨年末出版されています。といっても、私は、2度目の参加でしかありませんが・・・。今日も、みなさんは難波で、署名の訴えを行っておられます(行けなくてスミマセン)。

 さて、年が明けても普天間基地「移設」問題が新聞紙上をにぎわしています。ある意味では風が吹いています。今年こそ、基地撤去の闘いの転換点としたいものです。そのことが同時に三里塚に、岩国に、そして米軍再編反対の闘いに大きな転機を作ることにもなります。09524

 普天間基地は、右の写真でわかりますように、密集した家並みの中に基地があり、誘導灯などが町の中にある正に航空法から見れば違法状態です。基地で繰り広げられる演習は、凄まじい騒音をはじめとした生活破壊を住民に強制しています。04年8月、沖縄国際大学(写真の青い屋根の右側です)で起こった米軍ヘリ(岩国の海兵隊所属のCH53D)の墜落事故は、破片が周辺一帯に飛び散り、住民に死の恐怖をさえ味あわせたのです。死傷者は出なかったものの、直後から燃える機体を前に消防署も警察も米軍に阻止されて近づけなかったというひどいものでした。ここに「日米地位協定」の現実があります。こんな生存権さえ無視した基地は「どこに移設するかどうか」ではなく、直ちに閉鎖をこそ日本政府は要求するべきなのです。ここに、鳩山政権の根本的な間違いがあります。

 この普天間基地移設を口実に進められてきた辺野古新基地建設へむけた動きは、明治以来130年間一貫して繰り広げられてきた沖縄を差別してきた歴史、「沖縄への核持ち込み」の密約が明らかにされたように、戦後の平和と繁栄の代償として沖縄の全てを米軍の占領政策に売り渡し、返還後の在日米軍基地の75%が沖縄に押しつけられるという差別政策そのものとして押し付けられようとしています。「沖縄は戦略拠点」なる虚構をおしつけ、戦後の日米地位協定と思いやり予算という世界にも例を見ない「厚遇」を手放そうとしないアメリカ政府、米軍と、そこでの日米同盟に巨大な利権をもつ日本政府との野合がその一切の根拠です。Photo_2

 ジュゴンが棲み、世界的にも貴重な生き物がいきいきと生息する、沖縄自体でも有数のサンゴの生息地でもある辺野古崎周辺、大浦湾(左写真)を埋め立てて、このような利権による巨大基地建設がどうして許されるでしょうか。

 また、この辺野古新基地に配属されようとしているV-22オスプレイ(右下写真)は、すでにイラク侵略戦争に投入された巨大な垂直離陸が可能なヘリコプターです。墜落事故が多いため「未亡人製造機」とさえ呼ばれています。このヘリコプターの離着陸訓練のために、辺野古からさらに1時間余り車を北に走らせた国頭郡との境のやんばるの森の中にある東村高江の集落の周りに巨大な離着陸訓練場がいくつも作られようとしています。V22 高江のみなさんはもとより、沖縄の多くの方々がこの建設の動きに反対しています。正に辺野古新基地建設反対と一体の闘いです。

 昨年末、読谷村では米軍基地キャンプトリイの米兵が酔っ払い運転で轢き逃げし、村民を殺しました。その米兵は、一度は警察の事情聴取に応じたものの、「取り調べへの不信」「人権」を理由に米軍は引き渡しを拒否しています。これが「日米地位協定」の現実です。知花昌一さんたち読谷村のみなさんは年末基地前の座り込みを行い抗議しておられます(詳しい状況は伝わっていませんが)。

 これらは、今の沖縄の現実のごく一部に過ぎません。こうした「日米安保体制」「日米地位協定」を根拠とした75%もの基地が沖縄に差別的に押し付けられている状況の上に私たちヤマトの平和が、暮らしが築かれているということをどう思うかということなのです。09118_2

 昨年11月8日、沖縄では、まさに超党派で2万1千人が結集して「普天間基地国外移設、辺野古新基地建設反対」を掲げた県民集会(左写真)が開かれました。東京や大阪であれば数十万人が結集した集会ということです。この沖縄のみなさんの怒りの声を私たちのものとして、冒頭に書きましたように、明らかに風が吹いています、ヤマトの地から、沖縄基地撤去の闘いを、日米安保体制粉砕、米軍再編反対の闘いを新しい年、やり抜こうではありませんか。

 1月30日、東京の日比谷公園野外音楽堂で、「普天間基地はいらない 新基地建設を許さない 1・30全国集会」が呼び掛けられています(午後2時開会)。一人でも多くの皆さんが、この集まりに結集されることを呼びかけます。

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2010年1月 2日 (土)

関西空港問題

091210  昨年秋以来「関西3空港」論議がにぎにぎしく行われてきました(左表は、神戸新聞2009.12.10より転載)。

 年末開かれた大阪府、兵庫県、大阪市、神戸市、関西財界で構成する「関西3空港懇談会」は、3空港の一元管理を関西空港会社が行うことで合意したというのが大きく報じられました。もちろん、各空港の負債や経営問題は棚上げされたまま。橋下大阪府知事の「大阪空港廃港論」を内に抱えながらの、この急転直下の合意は、新聞各紙が報じるように、関西空港の補給金が例の「事業仕分け」で全面カットされるかもしれないという危機感からでした。結果として、75億円という国交省の目論見の半分以下で落ち着きそうで、この合意がどうなるのか定かではありません。

 ただ、ここで誤魔化されてはならないのは、この「3空港懇談会」というのは、もともと関西空港の民活の下での地元負担をしている主要な関係団体の集まりということなのです。ですから、大阪空港の関連自治体である伊丹市も豊中市も池田市も入っておらず、この議論に必ずしも歩調を合わせていません。そして、その大阪空港は、唯一、3空港の中で40億円の黒字を出し、全国の空港の中でも空港整備向けの特別会計の稼ぎ頭なのです。ですから、ここの論議は「関西空港の破たんをどうするか」「負担をこれ以上押しつけられたらかなわない」という利害で一致して、補給金問題であわてて合意が図られただけなのです。

 この話しを「3空港」論議に偽装するために神戸空港を加えて論議している形をとっているのだと言っても過言ではないでしょう。もちろん完全に破綻を始めている神戸空港、神戸市にとっては渡りに船で、「神戸を含む3空港同時に一元管理を実現すべき」と矢田市長が飛びついたのです。しかし、上の表でご覧いただければ判るように、神戸空港の利用客はわずか全体の8%足らずで、関西空港の落ち込み幅より小さいのです。ですから、前原国交相は「現時点では伊丹は利用度の高い空港。廃港は考えていない」とした上で「将来的には、3空港から神戸を除外して考えたい」とにべもなく明らかにしているのです。国とすれば当然でしょう。

 関西空港には1兆1千億円の有利子負債があります。これも間違えてはならないのは、現在ほぼ完成に近づいていると言われる二期島(現在までで8400億円が投じられている)は上下分離方式で関西空港会社にこれ以上の負担をかけられないということで、別会社が立てられてそこが抱えているのです。なぜこのようなことができるのか、素人の私にはわかりにくいのですが、そうなのです。ですから関西空港会社は、1994年開港してから16年かかってなお、1期工事分の負債を本質的には減らせていないのです。それも、2003年から毎年国からの補給金90億円を加えてもらいながらなのです。昨年までで630億円もの補給金を受けながら、1兆1千億円も有利子負債を抱え、1本の滑走路で16万回の離発着の能力がありながら、11万回さえも昨年は達せず、2本目の滑走路など全く無駄遣い(9千億円の無駄遣い!)であったのです。つまるところ関西空港は完全に破綻しているのです。神戸空港もそうですが、埋め立てて作ることにそもそも無理があったのです。しかも、関西空港はすでに14メートルも沈んでおり、しかも沈み続けているのです。

 ですからこの悲壮な関西空港を中心にした「3空港」問題を、当該の関西空港会社に一元管理させることで、関西空港を救うしかない、これが利害関係者が鳩首を集めて出せた結論なのです。橋下知事の「大阪空港廃港」とは、新自由主義者で現実主義者の彼からすれば、関西空港を生き残らせるにはそれしかないという、なぜ皆が反対するのかと思っているだろうということなのです。

 そういう意味では、橋下が沖縄の普天間基地問題に事寄せて、代替え機能を関西空港に持ってきてもいいと言い始めたのも、4千メートル滑走路が完全に遊んでいるからなのです。大阪空港が主滑走路が3千メートル、そして関西空港の主滑走路が3500メートルであることが示すように、民間空港としてはこの程度の規模があれば十分なのです。関西空港の開港前には超音速ジェットを迎えるにはなどとまことしやかに言われましたが、もうそれもありません。しかも、ジャンボは時代の流れから取り残され、機種はどんどん小型化され、中型機が主流になっています。ですから、なおさら今ごろなぜ4千メートル滑走路を造ったのかということなのです。Photo

 実は、大阪湾は、日米新ガイドライン、そして米軍再編の中で関西空港と神戸港を軸にして一大兵站拠点として考えられていることは衆知の事実です。そして兵站として考えられる航空機は、現状ではC5Aギャラクシー(右写真)です。この輸送機を受け入れるには4千メートル滑走路が必要だと言われています。ですから嘉手納をはじめ、米軍再編の要の空港には4千メートル滑走路があるのです。しかも、その数はイラク戦争やユーゴでの戦闘などで示されたように半端な数じゃない航空機が、C5Aギャラクシーを中心にアメリカ本土から飛んできます。それには、その空港が米軍専用となることが必要です。どうですか。関西空港は連絡道路さえ閉鎖すれば完全に要塞の島と化すのです。しかも、昨年、国は連絡道路を空港会社から取り上げ、国有にしたではありませんか。橋下の発言、「関空を軍事使用も辞さない」というのは、こうした国の米軍再編をめぐる動きを知ればこそと言っても過言ではないのではないでしょうか。

 私たちは、大阪の労働組合の皆さんを中心に新たに高揚が開始された「大阪港を軍事使用させるな」という動きにあわせ、この関西空港の軍事使用を許さない取り組みを早急に強めていかねばならないのではないでしょうか。

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2010年1月 1日 (金)

思いも新たに

091229

闘春

 三里塚において、天神峰現闘本部裁判の判決が2月25日強行されようとしている。これは現闘本部破壊にかけた国家権力による宣言だ。そして市東さんを空港の中に閉じ込め孤立させ、叩きだそうとする第3誘導路建設に向けて昨年末調査が強行された。いよいよ、決戦だ。芝山町長相川を尖兵に、3500メートル新滑走路と24時間化への蠢きも始まった。

 「三里塚現地の闘いは、一つは裁判闘争。三里塚の裁判というのは、裁判で判決が下されたらそれで終わりてのじゃないんですよ。これが前哨戦。これが現地に帰ってきて、ここで肉弾戦になり、血を流し、みんなが武装して闘い抜く、その戦場を作るんですね。これが先ほどから言われている本部裁判であり、市東さんの裁判なんですよ。このことを肝に銘じて、今日、この場でほんとに決意を固めていただきたい。これが出来ないんだったら、今すぐこの畑から出て行っていただきたい。反対同盟は決意を固めました。やります。」(09年10・11全国集会での萩原進さんの基調報告より)

 沖縄では、11月8日、2万1千名による普天間基地県外移設、辺野古新基地反対を掲げた県民集会が闘い抜かれた。普天間基地の即時閉鎖、撤去しか道はない。しかし、国は、「県外移設は無理」「普天間基地の存続。訓練を下地島か伊江島」と沖縄の願いを相も変わらず踏みにじり、米軍再編を押しつけようとしている。

 岩国では、厚木基地からの空母艦載機部隊の移駐に反対して、4つの裁判が闘いを開始した。これに対し、防衛省は愛宕山跡地購入に向けた199億円と移駐に向けた駐機場の整備費など71億円を予算化し、米軍再編を岩国市民に押しつけることを強行しようとしている。

 昨年末、玄海でのプルサーマルを強行し、伊方にも押しつけようとしている。そして14年間動いていなかった高速増殖炉もんじゅの運転再開を、十分な安全審査もなくこの春にも開始しようとしている。また、豊かな自然と生き物で世界的にも貴重と言われる山口県上関田の浦を埋め立てて、新たな130万キロワットの原発を2基も建設しようとしている。

 アメリカ、オーストラリアを切り口に、FTA、EPA(貿易の自由化)を推し進め、農産物の自由化によってパナソニックやトヨタ、キャノンの巨大な利益の犠牲に日本農業を供し、破壊しつくそうとしている。「戸別農業補償」とは、そのための言いわけに過ぎない。

 そして鳩山は改憲をついに口にしたと聞く。

 国の根幹にかかわる政策において、鳩山政権は、自民党政権の60年と何一つ変わることなく進めようとしている。象徴的なものが、安保改定50周年を今年迎える日米安保体制を堅持する、「日米同盟の強化」の宣言である。1011

 私たちは、この2010年を、開始された三里塚における決戦を水路とし、こうした根幹的な戦場においてそれぞれの皆さんとの決死の闘いをともに担いきることで、鳩山政権を許さず、この国を変えていく年としようではありませんか。

 昨年末、アクセス数が20万回を超え(訪問者数は多分10万人)たこのブログですが、三里塚闘争の勝利的な前進とともに奮闘していきますので、今年もよろしく。

 最初の写真は、09年12月29日の辺野古の浜での朝日です(「辺野古浜通信」より転載).。右上の写真は、我が家の初日の出(7時25分)です。これを眺めながら、今からお雑煮を・・・。

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