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2009年12月30日 (水)

団結野菜市へのメッセージ 萩原進さん

 091011 第33回団結野菜市の取り組みに敬意を表すとともに感謝申し上げます。

 さて、三里塚現地では2010年の決戦を前にして新たな攻撃が表面化してきました。12月15日に行われた成田空港圏自治体連絡協議会の場で、芝山町長の相川勝重が、成田空港の深夜・早朝便の緩和と新たな滑走路の建設の提案を行ったのです。自治体連絡協議会はこの提案について合意し、成田空港会社(NAA)に申し入れることになりました。

 とんでもない内容です。成田空港の飛行時間は現在朝6時から午後11時となっていますが、この飛行時間を延長しようというものです。これは24時間空港化にむけた動きの第1歩です。さらに新たな滑走路の提案とは、暫定滑走路の東側に3500メートルの新滑走路を造るようにするというものです。これも度外れた攻撃です。09715 新滑走路予定地には2010年新年デモを行う予定の東峰部落開拓組合道路(右写真・今年の7・5闘争で。発言している後姿が萩原さん)が存在しており、さらに今年の10・11全国集会を行った私の「清水の畑」(右下写真。トラクターに乗る萩原さん 08年8月30日)が存在しております。「これらを強奪して新滑走路を」とまで言い出したのです。しかも提案者が元反対同盟員の相川勝重です。

 2010年はもともと、2月25日の天神峰現闘本部裁判の判決を焦点に、現闘本部撤去攻撃との大決戦となることが確定していました。これは市東孝雄さんの農地強奪攻撃と連動してきます。その構図の中に、上述の新たな攻撃が加わってきたのです。「来るなら来い」「腕が鳴る」というのが反対同盟の心境です。これらの攻撃は、国交省・NAAの危機を示すものでしかありません。08830 相川勝重、小泉一成成田市長らのふるまいは、およそ町民、市民の感覚を踏まえたものではなく私利私欲、空港利権だけしか考えない身勝手な自治体首長の暴言です。反対同盟は12月21日に記者会見と成田市役所前街宣、24日に芝山町役場前ビラまきと宣伝カーによる相川弾劾の闘いを組みました。多くの市民、町民が共感の声を寄せてくれました。このような白熱的状況で始まる2010年決戦に、反対同盟は胸躍る気持ちでいます。

 関西新空港をめぐっても激しい動きが起こっています。沖縄の普天間基地の移設先として、橋下大阪府知事が、関西新空港を提案したというではありませんか。米軍再編の下で空港がいかに戦争と直結しているのか、あらためて権力者の側から示して見せたのです。

 三里塚と関西新空港反対闘争がともに手を携えて2010年の決戦を勝利しましょう。沖縄基地撤去の闘いも一体です。ついに「改憲」を口に出した鳩山民主党政権を労農の力で打倒しよう。

2009年12月28日

         三里塚芝山連合空港反対同盟事務局次長 萩原進                                                                                         

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2009年12月29日 (火)

第33回団結野菜市が大成功!

091228

 昨日、12月28日、恒例の年末の三里塚の取り組み、第33回団結野菜市が、明石の日本キリスト教団・明石教会のご協力で成功裏に行うことができました。(上写真は、同教会の庭に各団体ごとに仕分けられている野菜)091228_2

 夜からの雨を心配しましたが、集会が始まる1時間前には完全に上がり、寒さもそれほどでもなく、まずは何よりのスタート。明石住民の会の日原年和さんが司会で、簡単な集会が始まりました。まずは永井満関実代表世話人から、「33回もこの野菜市が続いているということは、三里塚の闘いが前進していることであり、関実と三里塚の団結の固さだ」と、新たな決戦を迎えようとする新春を前にした決意を込めて挨拶(右上写真)。続いて、山本善偉世話人からも挨拶。来年90歳を迎えられる山本さんは、この日も落花生の作業のあと、重い大根の束を運んだりと、本当にお元気でした(左写真)。091228_3

 続いて、野菜を運んできてくれた三里塚現闘のKさんから、萩原進反対同盟事務局次長のメッセージが代読され紹介されました(明日、全文掲載します)。「2010年はもともと、2月25日の天神峰現闘本部裁判の判決を焦点に、現闘本部撤去攻撃との大決戦となることが確定していました。これは市東孝雄さんの農地強奪攻撃と連動してきます。その構図の中に、上述の新たな攻撃が加わってきたのです。『来るなら来い』『腕が鳴る』というのが反対同盟の心境です。これらの攻撃は、国交省、NAAの危機を示すものでしかありません」と。

 さあ、仕分け作業です。各野菜は、泊りこんだ人たちで、うずたかく積み上げられています。091228_4 永井さん、山本さんなど住民団体を中心には、落花生を小袋に詰める作業です(右写真)。それぞれの作業が、手際良く進んでいきます。さすがに33回目です(左下は、ゴボウの小分け作業です)。1時間足らずで、ほとんどの作業が終了。

 多くの団体は、支払いを終えるとそのまま車に積み込んで、それぞれの地元へ。Fさんなどは、ワゴン車一杯の野菜を、各注文してくださったところでいきなり分けるとか。うまくいくんだろうかと心配も。明石住民の会は、会員の皆さんが直接取りに来ておられる。091228_5 東灘区住民の会などいくつかの団体は、その場で各注文ごとに仕分けしてから車に積み込んでいく。それでも、11時にはすべての作業が終了し、掃除が始まりました。

 この1年間の闘いの結果、一部の人たちが抜けていったためにどうだろうかと心配していましたが、みなさんの努力の結果、金額ベースでは前年の8割近くを確保し、予定された諸費用に支出しても黒字となりました。大きな基礎が築けたといっていいのではないでしょうか。

 それにしても、かって「産直運動などは三里塚闘争を解体するものだ」などと私たちの取り組みに悪罵を投げかけ、ついに今年の団結野菜市からも抜けて行った人たちは、何を考えているのでしょうか。何の積極的理由もなく、33年間続けられてきた反対同盟と、関西実行委員会、関西の住民、労働者との血盟の証しともいうべきこの団結野菜市を抜けることは、「分裂」などではなく、単純に、関西実行委員会運動、関西における三里塚支援運動からの逃亡でなくてなんでしょうか。非常に残念です。

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2009年12月27日 (日)

上関・田の浦にて(12月23日~26日)

091224 23日の夕方についてから26日の午前中まで、上関・田の浦の団結小屋(右写真、左下写真は夕陽に映える小屋の正面)に泊めていただいて、「虹のカヤック隊」の皆さんと本当に楽しい交流をしながら、のんびりと海辺の時間を楽しんできました。(最初の写真は沈む夕日と、右手が祝島です。団結小屋から写す。)091223

 現場では、海上の台船による埋め立てのための作業は、カヤック隊の青年を海にたたき落としたうえで船に引き揚げて暴行し怪我をさせる事態が起こってから基本的には止まってしまい、残っていた台船も、先日来の時化(しけ)に恐れをなして退却。そのため、私たちが行った時は、海には何もなく、おまけに23日までの寒さとはうって変わった穏やかな、暖かい二日間でした。091225_2 前日22日には、田名埠頭から田の浦へのピースウォークが、各地から集まった100人ぐらいで行われた。夜には1000本のキャンドルナイトの灯りがともされ、祝島からは「田の浦が燃えている」との声が。そして私たちが着いた23日には、山口県庁から市内へのにぎやかなバンドの演奏も入ったパレードが行われ、地元のテレビが大きく報じたそうです。また広島市内でも、中国電力への抗議行動が続けられた。(報じる記事などのPDFが早速、広島のMさんからメールで届きましたので添付しておきます。091225_3 「20091226.pdf」をダウンロード)。そのため、着いた日は、現場にはわずかの人しかおられませんでした。それでも、64歳になられる「灘さん」と遅くまで話し合うことができました(右写真は、24日、祝島でのクリスマスパーティを楽しんで翌朝、「メリー-クリスマス」と叫びながら帰って来られた灘さん。)三里塚闘争についても話したのですが、以来、「まだ続いているんだ」と驚かれた灘さんは僕をみなさんに紹介するのに「今も続いている三里塚をやっている」と一言つけて紹介してくださった。19歳や20代前半の皆さんは「サンリヅカってどんな字を書くんですか」「どこの話ですか」と聞いてくる。091225_4 みなさん成田空港はつかったことがあるようで、「ターミナルビルからは見えないけれども、半分も完成していない」「敷地内で農業がおこなわれている」という説明にびっくり。

 のどかな海を眺めながら、小春日和の中監視小屋(左写真)では入れ替わり立ち替わりに集まってきて、ストーブを囲みながら、話しが続きます。25日には、いつの間にか20人を超える人たちが集まってきて、監視小屋の横に枯れ木を立てて即席のクリスマスツリーを飾って、「ニューオリエンタルブラジル」の伸(のぶ)さんのギターとクリスマスの歌で大いに盛り上がり、若い人たちは踊りだす(右写真)。091225_5 夜には、灘さんの知り合いのプロのグループ「ANBASSA」の3人がギターと太鼓の演奏を、団結小屋で。すごいライブが実現しました。

 ライブの後、座る場所もないくらいぎっしりと集まったみんなでクリスマスパーティ。それぞれが話しに興じる。私は、虹のカヤック隊のリーダー格の「らんぼうさん」と話し合うことができた。若い人たちのこの取り組みの想いを聞かしていただきながら、祝島のみなさんの28年にわたる闘いとの一体化をどうやって作ってこられたかなどもお聞きした。091226 上関の町の全戸に男女2人のペアーで、原発について考えてみようと話しこみに入っているとのこと。台船で怪我をしたOさんが、工事の当事者のところに伺った時には「お前か!」とつかみかかられそうになったとか・・・。

 私の方からも、三里塚や神戸のたたかい、そして沖縄などの闘いへの想いを語らせていただき、その中で、沖縄や三里塚、祝島のみなさんが持っておられるアイデンティティへの強い想いなどについて話が及び、いろいろな闘いが手をつなぐことの大切さ、原因となっていることがらの共通性などに話し合いました。娘より若い27歳の方とここまで話し合えたことは、本当に貴重な経験でした。右写真は、最後の26日の荒れた海と、飛び交う鷲の写真です。鷲が6羽も飛び交うのは壮観でした。すごい自然です。091225_6

 最後に、同行したMさんと灘さんに強く勧められ、私もカヤックに乗りました。もちろん一人で。右の写真は、その折の証拠写真です。田の浦の海岸を正面にしています。風と波で動くので、この方向で写真を撮ることの難しかったこと。動いてひっくり返るとカメラがダメになるので恐る恐るでしたが。

 海岸では祝島の人々への脅しのようなものでしょうか。地質調査の工事などがどんどん進んでいます。また、その横では縄文時代の遺跡の発掘調査が進んでいます。この地域は、祝島の神舞に象徴される、本当にすごい歴史と、それに育まれてきた自然があることを満喫できた4日間でした。快く受け入れてくれた皆さん。本当にありがとうございました。

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2009年12月22日 (火)

上関に行ってきます

09125  写真は、12月5日開かれた「もんじゅを廃炉に!全国集会」です(正面の白い建物がもんじゅ)。

 電力会社は、テレビ、ラジオ、新聞など巨費を投じて「温暖化対策として原子力発電」を宣伝しています。そして、鳩山政権も新規の原子力発電所の建設を温暖化対策の柱として打ち出しています。これは、全くのデタラメです。

 電力の中で原子力発電が占める割合は、日本が世界で最も高くせいぜい20%にすぎません。世界は、原子力から撤退の傾向にあります。そして、これから20年、30年の中で、廃炉にしなければ危険極まりない原子炉が続々と出てくる一方で、巨費がかかり、地域にとって迷惑でしかない新規の原子力発電所の建設は進んでいません。原子力発電によるCO2削減の効果は大して見込めないのです。

 ところが原子力発電所は、発電と引き換えに膨大な放射性廃棄物を生み出Photo します。また半減期が2万年という極めて毒性の強い、原爆の原料となるプルトニウムを生産します。地球温暖化は、大量消費社会の変革などで対応しうる可能性を残していますが、この放射性廃棄物、死の灰とプルトニウムは、対処できないだけでなく数100年、数万年にわたって地球に危険極まりない毒として存在し続けるのです。すでに、これまでに発生したものだけでも、保存する場所に困っているのが現状ですし、プルトニウムに至っては、数千発の原爆に相当する量を日本は抱えています。原発から生まれたプルトニウムは純度が悪いので核にはならないといわれてきましたが、インドが原発から出たプルトニウムで核実験を行い、その嘘を暴きました。

 書き出せばきりがないのでやめますが、いずれにしろ原子力発電所の新規建設はやめるべきです。しかし、自民党政権の施策を見直すとする鳩山政権が、原子力発電については、なぜ見直そうとしないのでしょうか。それは、原子力がプルトニウム問題であることからわかるように、軍事問題だからです。だからプルトニウムを生産するための高速増殖炉もんじゅの再開を新年度の予算で早々と確定したのです。昨日のブログに「東アジア共同体構想」について書きましたが、「日米同盟の強化」(これは軍事そのものです)を政策の軸に据えた鳩山政権は、軍事問題は何一つ見直すことなく自民党から引き継ごうとしています。沖縄の普天間基地問題と辺野古新基地建設への「公約」を無視したジグザグが起こっているのもこのためです。「ハブ空港論議」もしかりです。Photo_4

 これまで原発問題にほとんどかかわってこれなかったものですから、触れてこなかったのですが、この一年、小林圭二先生のお話を聞いたりして学習会をいく度かやって、8・6ヒロシマの中で、上関原発に反対しておられる祝島を訪れたりして、これは声を上げていかなければと思い始めていました。そんなことで「もんじゅを廃炉に!全国闘争」にも参加しました。その現場で、小林先生から「えっ!初めてですか」と不思議そうな顔をされましたが。

 そんなこんなで、ともかく現場に行ってみるべきだということで、明日から山口県上関にある長島田の浦(右上地図)に行って、数日、現地で山口電力が原発建設のための埋立を始めようとしていることに反対しておられる人々のところに行ってみようと思い立った次第です。カヤックでの海上行動に加われる友人のMさんを誘って。田の浦周辺は、沖縄の辺野古に匹敵する瀬戸内海でも屈指の豊かな自然と生き物たちが残る海です(左上写真はスナメリ、右下写真はミミズハゼ)。そんな海に130万キロワット級の巨大な原発を作れば、7度以上も温度が高い膨大な量の温排水によって海が破壊されます。Photo_3

 そもそも、田の浦の自然の軸となっている海岸を埋め立てることが生態系をズタズタにすることは確実です。そして対岸の伊方原発で起こっているように、基準以下と電力会社は弁解しますが、放射能の垂れ流しは確実に生き物を傷つけ殺します。こんな無謀なことがどうして許されるでしょうか。しかも、中国電力のエリアでは電力が余り、この建設されようとしている原子力発電所は関西電力に電気を売るためだというではありませんか。ほんとうに許せません。

 祝島の漁民の皆さんが、28年も反対し続け、毎週月曜日には1000回を超える「原発反対デモ」を島で続けておられます。とにかく学んでこようと思います。

 なお下3枚の地図、写真は「長島の自然を守る会」発行の「ナガシマ フィールドガイド」より無断転載いたしました。

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2009年12月21日 (月)

今年も残りわずか(2)

Photo_3 三里塚闘争は、1971年、強制代執行攻撃に対して農民放送塔(左写真)に「日本農民の名において収用を阻む」と大書されていたように、農民切り捨ての自民党農政に真っ向から立ち向かって闘い抜かれました。それは、「3・8分裂」「話し合い攻撃」をも踏み越えて農地死守、実力闘争の原則を守り抜いて、新自由主義による農地強奪、農業破壊の攻撃を跳ね返すことでその真価を発揮し、43年の闘いの歴史を築き、今日の勝利感に満ち溢れた地平を築いてきたのです。

 自民党政府、財界(支配階級)は、2006年6月の「農政最終報告(高木提言)」、そして翌07年5月の「アジアゲートウェイ構想」をもって、立ち遅れていたFTA、EPAの貿易自由化による農業破壊と、「農地流動化」の名の下での農地収奪の攻撃に打って出てきたのです。

 それは、05年5月の成田空港会社社長・黒野の東峰部落への「全面謝罪」の舌の根も乾かない06年6月、市東さんへの「耕作権解除申請」、農地取り上げ攻撃として現れました。それは、まさに43年の三里塚闘争が、市東さんの闘いを先頭に「日本農民の名において」今まさにこうした新自由主義的攻撃に真っ向から立ちふさがったからにほかなりません。

 そして、全国の農民階層は、こうした自民党農政に対して、07年7月参議院選挙における大反撃を行い、そして全国の労働者、市民とともに09年8月、自民党政権を打倒する地平を勝ち取ったのです。

 しかし、この人民の勝利ともいうべき自民党政権の打倒によって生まれた、鳩山民主党政権は、「東アジア共同体構想」の名のもとに、FTA、EPA推進による貿易の自由化と、羽田・成田の一体運用と航空の自由化(オープンスカイ)をその政策の柱とすることを明らかにして、自民党政権の「アジアゲートウェイ構想」(戦前の大東亜共栄圏を目指すアジア侵略の宣言ではないか!)を引き継ぐことを明らかにしました。それは、いまだに「東アジア共同体構想」の中身を提示できないことにもあらわれています。また、「戸別農家補償」自体が、単にFTA、EPAによる農業破壊を「補償する」という意味合いでしかないことも隠そうともしていません。091011

 それゆえに彼ら民主党は、政権発足直前の7月に「農地法改悪」に全面的に賛成したのです。そして何よりも、国策として06年以来開始されてきた市東さんの農地強奪を軸とする成田空港政策を、何の躊躇もなく自民党政権からそのまま引き継いだのです。

 右の写真は、この10月11日の天神峰現闘本部ですが、そこにある2枚の成田治安法による封鎖を告示した看板は、9月付けで就任したばかりの前原国交相の名で出されています。

 そして、10月22日には、何の調査をすることもなく暫定滑走路の北延伸部分の半年も前倒しした供用開始を、前政権が予定した通りに、にぎにぎしく強行したのです。さらには、市東さんの生活を根底から破壊するものでしかない第3誘導路建設(左下写真)を進めるためのボーリング調査などを、この11月末から開始したのです。 これらのことは、彼ら民主党政権の本質が、いかに「新自由主義的政策の転換」だとか「国民の目線に合わせて」と言おうが、本質的には自民党政治を引き継ぐ新自由主義的なものでしかないことを、人民を格差と貧困の中に叩き込む政治でしかないことを明らかにしているのです。3

 その点で、鳩山政権と極小与党として連立を組んだ社民党に指摘をせざるをえません。この間、とりあえず沖縄の普天間基地の移設問題で、かろうじてギリギリのところで存在感を示し得たものの、その中軸の一人でもある辻元清美氏が国交省副大臣に収まって、唯々諾々と前原大臣のこの成田空港政策に従っていることです。あるいは服部良一氏よ、あなたはどうするのですか。私たちは、社民党のこうした皆さんが、三里塚現地を訪れ、自らの目で成田空港の現実と「知らぬではない」三里塚の43年の闘いの歴史を見据えるべきことを指摘せざるをえません。

 三里塚は沖縄と並ぶ日本の反戦闘争、階級闘争の砦であり戦場です。そして今まさに、日本帝国主義を破たんの淵に追い込んでいる闘いです。前原国交相の「羽田ハブ空港論」こそ、そのもっとも象徴的な事態だということを知るべきでしょう。この三里塚での立ち位置を確立することなく鳩山の「日米同盟の強化」に与することは、沖縄においても結局は敗北することを余儀なくされるだろうということを指摘せざるをえません。

 三里塚反対同盟と私たち関西実行委員会をはじめとした人民、労働者、農民は、沖縄や岩国の皆さんとともに、鳩山民主党政権のこうしたうごめきを決して許さず、踏みしだいて前進していくことができると、この一年の闘いの総括として言い切れると思います。

 新しい年を、勝利の年として頑張り抜きましょう。

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2009年12月20日 (日)

今年も残りわずか

091011  写真は、10月11日、三里塚全国集会で基調を提起する萩原進反対同盟事務局次長です。

 今年も残すところ11日になりました。この1年も激動の1年でした。なによりも、民衆の怒りの声で、自公政権を倒すことができました。戦後60年余を支配し続けて自民党支配を、選挙で倒すことができたということは大きなことだと思います。その事実を、生まれた鳩山民主党政権が、「日米軍事同盟強化」を政策の柱に据えて踏みにじっているという許し難い状況があるとしても。

 そして、三里塚闘争が重大な決戦過程に入ったこの1年の中で、3月全国集会に1580人、そして10月11日全国集会には1780人を結集したことが何よりも示しているように、大きく前進した1年でした。0975 7月5日には、新(第2)誘導路の供用開始(7月30日)に抗議して、350名の現地闘争(右写真)が闘われたことも、そうした現われでした。

 「三里塚現地の闘いは、一つは裁判闘争。三里塚の裁判というのは、裁判で判決が下されたらそれで終わりてのじゃないんですよ。これが現地に帰ってきて、ここで肉弾戦になり、血を流し、みんなが武装して闘い抜く、その戦場を作るんですね。これが先ほどから言われている本部裁判であり、市東さんの裁判なんですよ。形を変えた代執行なわけですよ。このことを肝に銘じて、今日、この場でほんとに決意を固めていただきたい。これができないんだったら、今すぐこの畑から出て行っていただきたい。反対同盟は決意を固めました。やります。この闘いを、裁判闘争を、その先頭に立っている奴どもを徹底的に追い詰め、裁判闘争の中で人民の渦をつくり、それを現地にひきついで、現地における武装闘争、実力闘争の爆発を図っていく。この構図を短期間であるんだけれども、もう一度作っていく」(10・11全国集会、基調報告で)。この萩原進さんの言葉が、この一年の反対同盟の闘いの想いを何よりも物語っています。

 裁判闘争も、市東さんの農地を巡る「行政訴訟」「農地法裁判」「耕作権裁判」、そして「天神峰現闘本部裁判」、鈴木幸司さん、いとさんの「一坪裁判」、そして「暫定滑走路変更認可取消控訴審」、全体で20回を超える口頭弁論が開かれ、闘い抜かれました。追い詰められた裁判所は、反対同盟が求める現場検証や証人尋問を拒否して11月12日、天神峰現闘本部裁判の結審を強行するという暴挙を行いました。追い詰められているのは、裁判所、空港会社、国であることを、裁判の場が何よりも如実に明らかにしています。09522

 また、萩原進さんと市東孝雄さんが5月22日から24日、沖縄を訪れ、三里塚に想いを寄せる多くの皆さんとの交流、そして辺野古、高江の闘う現場を訪れての交流を実現されました。左写真は、岩山大鉄塔の「闘う農民像」の作者でもある金城実さん(写真右端)のアトリエを訪ねて交流しておられるところで、右から2人目は知花昌一さん。

 ここで明らかにされたように、43年を超える三里塚闘争の歴史は、多くの闘う人々の心をつかんでおり、萩原さんが提起されている「闘う人民、市民、労働者、差別と闘う人びとの広範な統一戦線」の現実的な根拠があるのです。

 この1年の大きな成果を根拠に、いよいよ決戦に入る来年、2月25日の天神峰現闘本部裁判の仲戸川裁判長による判決攻撃との闘いを突破口に、市東さんの農地を守り、暫定滑走路閉鎖、成田空港廃港にむけ、2010年を闘い抜きましょう。

 沖縄からメール

 沖縄からの緊急の訴えのメールが転送されてきましたので、このブログでも掲載させていただきます(無断転載ですが・・・)。

 沖縄県読谷村で轢き逃げ死亡事故がありました。早朝ウォーキング中の男性が轢かれて、長時間放置された後、畑の中で見つかったが死に至ったもの。

 修理工場に出されていた車両には衝突の痕と血痕などがあり、不審とのことで事件との関連が捜査されました。車の所有者は米軍所属の衛生兵です。米兵の車の血痕が被害者のものと同定されていますが、日米地位協定が障害になって、取り調べも進んでいません。当該米兵は一度だけ聴取に応じたそうですが、衛生兵として、ひき逃げなどしない、と言うような証言があったようです。ただ逆に、状況証拠から飲酒運転であった疑いも持たれています。

 このような事態が続き、解決の見込みが立たない中で、村民大会も行われました。

 米兵は「人権問題」を理由に以降任意の事情聴取に応じていません。日本の捜査の被疑者に対する人権配慮に問題がある、との立場を主張していて、これは一定の合理性は認めねばならないものではあります。一方で、この事を「方便」として、過去に犯人と後に分かった米兵などが米国に出国していて捜査ができなかった例は多くあり、またその事の繰り返しか、との懸念が広がっています。

 この様な事態を受け、知花昌一さんたちがこの米兵が所属する読谷村のトリイ基地のトリイ・ゲート前の芝生でハンスト決行するそうです。12月21日(月)朝10時からテントを張って座り込むとのこと。

 1、21日午前10時からテントを張るときに、もめるかもしれないので、都合のつく人は応援に来てほしい。 2、ゲート前で泊りこみをするので、夜中に妨害されないよう、交替で支援体制を組みたい。 3、当面、25日(金)までは継続する予定。

 以上の内容でした。多くの人に伝えてほしいとのことでした。

 

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2009年12月19日 (土)

今週の産直野菜(12月19日)

091219  先ほど今年最後の三里塚からの産直野菜が届きました。

 里芋、三浦だいこん、じゃがいも、ニンジン、小松菜、チンゲンサイ、セロリ、キャベツの8品です。セロリは初物。朝食の野菜ジュースが、美味しくなりそう。里芋が、先週のがそのまま残っていて、だぶつき気味。おまけに今週は、半ばから旅行に出るので・・・・。さて・・・、旅先に持っていくか・・・。

 今日は、朝から出かけたため、野菜の受け取りが今に。どこに行っていたかって? 実は港合同の田中機械で「餅つき大会」がありまして、お餅の大好きな私としては、交流を兼ねて行ってきた次第です。寒かったのなんの。091219_2 しかし、港合同のみなさんの元気な餅つきの掛け声に励まされながら、つきたてのお餅とお酒をいただきました。昼過ぎからは神戸で街頭宣伝があるために、残念ながら集会には参加できず。それでも、つきたてのお餅をいただいて帰ってきました。

 帰ってくると、団結野菜市の最後の注文が入っていて、住民の会の受注が昨年の1割り増しが確定。この2年連続で増えています。やれやれ。

 さあ、今日も鍋で、がんばって三里塚の産直野菜を御馳走に・・・。

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2009年12月18日 (金)

さあ、団結野菜市(第33回)を成功させよう!

08122732

 みなさん。第33回団結野菜市が近づきました。ご注文の締め切りが、12月20日(日)です。もう、ご注文はお済みでしょうか? 写真はいずれも昨年のもの(第32回、08年12月27日)です。

 市東さんの農地を守り抜く、三里塚闘争支援の、関西実行委員会の今年最後の取り組みです。来春、天神峰現闘本部裁判の判決攻撃(2月25日)との攻防を皮切りに、市東さんの営農と生活を根底から破壊しようとする第3誘導路計画との攻防をはじめ、いよいよ現地闘争における農地死守、実力闘争の正念場ともいうべき決戦の年を迎えます。091227

 萩原さん、市東さん、鈴木さんが精魂こめて作られた新鮮な無農薬、有機栽培の野菜を、年末から正月にいただいて、この決戦の年を迎えようではありませんか。

 団結野菜市は、12月28日(月)、日本キリスト教団明石教会(左下図参照)で、午前8時から開催します。簡単な集会(右写真は昨年の集会)と打ち合わせの後、8時45分から参加者全員で仕分け作業(最初の写真)。午前10時前から引き渡しが始まります。残りがあれば、当日の御注文も受け付けます。Photo

 品目は、白菜(1個)、三浦大根(1本)、さといも(1Kg)、やつがしら(1Kg)、さつまいも(1Kg)、にんじん(1Kg)、ごぼう(1Kg)、長ねぎ(1Kg)、落花生(700g入、1袋)です。括弧( )内は、ご注文単位です。

【主催】三里塚決戦勝利関西実行委員会

【協力】三里塚芝山連合空港反対同盟

 なお、関西実行委員会の新春の「2010年団結旗びらき」は、1月17日(日)午後6時より、神戸学生青年センター(阪急六甲)ホールにて開催いたします。三里塚反対同盟からは、萩原進事務局次長が駆けつけてくださいます。大歓迎しましょう!

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2009年12月17日 (木)

沖縄から基地をなくせ!兵庫県集会

091214

 先日、12月14日、沖縄の「ヘリ基地反対協議会」代表委員の安次富浩さんをお招きして、「沖縄から米軍基地をなくせ!兵庫県集会が、約100名の参加で開かれました。091210 主催は、平和のための市民行動、9プラス25改憲阻止市民の会、社民党兵庫連合、新社会党兵庫県本部。主催者は、集会に先だって、12月8日から12日まで5日間、三宮マルイ百貨店前での「沖縄から米軍基地をなくせ!」と訴える座り込みを行っての集会でした(右写真)。

 安次富さんは、まず沖縄の闘いが憲法で保障された「平和的生存権」に基づいた闘いであることを明らかにされた上で、天皇制の存続をかけての本土決戦の時間稼ぎとして繰り広げられた沖縄戦、そしてヒロシマ、ナガサキの惨劇。そして、戦後、マッカーサーとの間で交わした「沖縄の売り渡し」を行った天皇への沖縄民衆の怒りを明らかにされました。

 091214_3 全国の基地の75%が、沖縄本島の20%を占めている現実は、ほぼ同じ面積の東京都の20%が米軍基地だと考えればわかるだろうと指摘したうえで、先日のテレビで自民党の石破に安次富さん自身が迫ったときに、「日本の平和のために在日米軍のプレゼンテーションは必要だ。沖縄は犠牲になって欲しい」と開き直ったのです。「敵はどこだ」という問いに「中国」と。年間10兆円の交易がある日本と戦争できるわけもないし、オバマが日本に1日しか来ないのに、そのあと中国には5日も行っているとアメリカの中国重視政策を指摘して、安次富さんは、「沖縄は犠牲に」なる論のペテンを弾劾されました。そしてベトナム、あるいは朝鮮、なによりも中国における日本軍と、侵略した国は、いずれその国の民衆に叩き出されるのだ。沖縄は、アジアにとって不必要な基地だと指摘されたのです。

 09118_2 そして11月8日、2万1千人が結集して勝ち取られた県民集会(右写真)の意義を訴えられました。「神戸で、平和のために2万1千人を集めることができますか」と。そして「思いやり予算」の問題を通して、日本は属国じゃないかと指弾されました。普天間飛行場は、沖縄の住民が収容所に入れられている間に、農地や宅地をブルドーザーでならして作られた。「銃剣とブルドーザー」による土地泥棒じゃないかと。核のない、基地もない沖縄をめざして1972年沖縄は復帰した。それを根拠に佐藤はノーベル賞をもらったが、西山さんなどによって密約がどんどん明らかになっている。ノーベル賞は返すべきだと。30年間で5兆6千億円もの思いやり予算が支出されているが、アメリカ政府の発表によれば、世界の国々の駐留経費の拠出の50%に当たることを指摘され、これを許している我々の問題だと指摘されました。09524

 そして辺野古問題について「県外移設は狭き道」と言って逃げるのは政治家じゃない。「狭き道」をどうにかするのが政治ではないのかと訴えられました。エクアドルのマンタ基地返還や、フィリッピンの例を示しながら、「代わりの基地」が問題になったことがあるのか、「県外移設」をまず考えようとするから難しいのだ。私たちの要求は「普天間の閉鎖」だ。危険だから訓練をやめろと言ってるのだ。普天間一つがなくなったからといって、どこかが攻めてくるとでも言うのかと、厳しく糾弾されました(左写真が普天間基地と市街)。

 最後に平和を考えるとき環境を考えなければならないと指摘されました。Photo ジュゴンに加えて、アジサシ(右写真)のお話を。オーストラリアから渡ってきて6月から9月、無人島に棲み、沖縄で卵をうみ、孵化し、育て、成鳥となってオーストラリアに渡っていく。その島の近く、あるいは埋めて辺野古の基地は作られようとしている。また、最近、WWFジャパンという環境団体が辺野古周辺と大浦湾を調査して、36種ものエビやカニの新種を発見した。この3年以上防衛庁は、環境アセスと称して調査しながら、一切そうした事実は隠している、発表したらストップしてしまうからだ。

 誤った国策は民衆の力で止めなければならない。当事者である私たちが声を出すことで国は変革できる。8月31日の選挙は、日本で初めて私たち国民の力で、平和的に政権を倒した。ある種の革命だ。私たち国民はもっと自信と責任をもって行こうと呼びかけてお話しを終えられました。

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2009年12月14日 (月)

関西空港の軍事使用を許すな!

Photo 10月17日、朝日新聞の「経済気象台」という株式記事の中に「関西空港再生論」なるコラムが掲載されました。膨大な負債を抱える関西空港の「有効活用法」として、沖縄の基地を関西空港に移設しようというものです。直後にこれを支持する声が同紙の「声の欄」にも。
 ところが、関西空港の補給金160億円が凍結されるという、関西空港の存続が危ぶまれる事態の中で、左のような記事が日刊ゲンダイに掲載され(11月17日)、国民新党、社民党などで国会論議として論じられていることが明らかになったのです。おまけに、国土交通省では以前から検討されていたとも。
 新空港反対東灘区住民の会は、1971年、神戸沖が関西空港の最有力候補地とされる中で、「軍事空港建設反対」を掲げて結成されました。1990年、神戸空港建設への動きが新たに始まる中で、「神戸空港反対」を掲げ、関西空港反対闘争、三里塚闘争とともに今日まで闘い抜いてきました。
 そうした意味で、この関西空港への米軍基地の移設論議に当然にも強く反対します。

沖縄の基地撤去の闘いとともに

 私たちは、この38年にわたる闘いの中で、常に沖縄における基地撤去の闘い、普天間基地の県外移設、辺野古新基地反対の闘いを全面的に支持してまいりました。私たちが三里塚闘争を全力で闘い抜いていることこそ、沖縄に連帯するヤマト(本土)の反戦の闘いとしてという意味合いが強くありました。
 しかし、日米安保反対闘争が、60年安保闘争、70年安保・沖縄闘争を本土で十分に発展しえず、沖縄の皆さんに今日なお、日本の米軍基地の75%を強制し続けているというこの現実があることもまた厳然としてあります。しかも、日米安保条約60年を来年に迎えようとしながら、米軍再編を軸とした新たな日米軍事同盟の強化が、よりによって自民党政権を打倒して生まれた民主党政権によって進められようとしているという事実があります。
 この厳しい現実に抗して、沖縄県民が、この11月8日、2万1千人の結集によって勝ち取られた県民集会で示した意志とともに、私たちは、今こそ普天間基地の撤去、辺野古新基地建設反対の闘いに立ち上がって突破していきたいと決意を固めております。それは、日米安保体制を粉砕し、米軍再編をこのアジアで食い破ることからだと考えております。三里塚闘争の勝利もまた、そうしたうねりの中から実現できるでしょう。そういった観点から、私たちは米軍再編の中で目論まれている関西空港の軍事使用に強く反対します。
 2005年、すでに陸上自衛隊はイラクへの出兵に関西空港を使いました。私たちは、こうしたことを二度と許さず、関西空港への沖縄の米軍基地の移設が「関西空港の活用」だなどという暴論に強く反対します。沖縄の皆さんとともに闘おう!

 (新空港反対東灘区住民の会発行「おしらせ」第78号より転載)

 091213 この記事が書かれて以降に、橋下大阪府知事がこの問題に関連して、「普天間基地の一部機能を関西に引き受けるなら神戸空港が適している」と発言して物議を醸しています。1975年以来、神戸港の「非核神戸方式」を定着させ、30年以上にわたって、米軍艦船の神戸港への寄港を拒否し続けてきた私たちは、それが何であれ、神戸空港の軍事使用に絶対に反対します。

 沖縄のみなさんの基地撤去の闘いに連帯して、私たちは「神戸の町を基地の町にするな」を合言葉に頑張っていきたいと念じております。とりわけ、神戸市が、戦前戦後を通して、軍需産業の街、そして米軍基地の町として、第1次世界大戦以来町を発展させてきた、そして朝鮮人、中国人をはじめ戦前、外国人の強制連行を行ってきたその負の歴史にかけて、安保条約を破棄し、戦争を、軍備を拒否した国として進んでいくことをこの町で勝ち取りたいと願っております。明治の早い時期から軍艦を建造し、今も、日本で唯一、自衛隊の潜水艦を製造している町だということを、みなさんはご存知ですか。私たちは、そんなことを想いながら、ルミナリエの喧騒を眺めております。

 右写真は、我が家のランとサボテンが花をつけました。

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2009年12月12日 (土)

今週の産直野菜(12月12日)

Photo

詳しくは、関実事務局までお問い合わせください。電話 0799-72-5242、または メール kanjitsu_mail@yahoo.co.jp (これをクリックしていただければメールできます)。お気軽に。

 091212 今週の産直野菜が届きました。さつま芋、三浦大根、じゃが芋、ニンジン、小松菜、白菜、ゴボウ、葉玉ネギ、キャベツ の9品です。「今年は出来が悪い」と萩原さんが言っておられたゴボウが初物です。それに三浦大根。やっぱりデッカイ。

 先々週の白菜とキャベツが、昨夜の鍋で終了。やはり、今日来た。

 昨日の朝日新聞に「低炭素社会 実現に向け」「トマト、温室栽培の排出量は輸送時の5倍」という記事があり、埼玉県の田下さんという有機農業をやっておられる方が紹介されていました。

 「献立を決めてから必要な野菜を選ぶ発想を少し変えて、旬の野菜に合わせてメニューを工夫してみては」。うん、三里塚の産直でやっていることだ。なになに・・・。「燃料を使って暖房するハウス栽培では、生産段階の排出量が輸送段階よりはるかに大きくなることが少なくない」「日本LCA学会がまとめた試算によると、国産の温室トマトの場合、生産にかかるCO2排出量は輸送の約5倍に達する」「農業のやり方にも目を向けないと、低炭素にはならない」と。

 三里塚では、萩原さんも、市東さんも、鈴木さんも、絶対にハウス栽培をやらない。みなさん。知っていてくださいね。だから旬のものしかありません。以前、バザーのような集まりでやるカレーの原料にと、玉ネギなどを年明けにお願いして、萩原さんに叱られたことがあったのを思い出しました。

 今日は、被災地3組合の「団結忘年会」に出かけ、そのあと、神戸空港の中止を求める市民の会の例会で「ハブ空港論議と成田空港反対闘争」と題して1時間ほど話をさせていただくことになっています。あ~大変!

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2009年12月11日 (金)

三里塚・沖縄・岩国とともに闘おう!

鳩山政権の日米軍事同盟強化を許すな!

 3 9月発足した鳩山政権が、何か違ったことを始めたかのような幻想が流されています。「八ッ場ダム」「事業仕分け」と。しかし、三里塚では何一つ変わっていません。政権発足直後に天神峰現闘本部の成田治安法による閉鎖を継続し、10月22日の暫定滑走路北延伸部分の半年も前倒しの供用開始、そして国策裁判として進めた天神峰現闘本部裁判の結審の強行。第3誘導路問題などなど。(左写真は、市東さんのお宅と畑を空港の中に囲い込もうとする第3誘導路計画を中心とした三里塚・天神峰、東峰部落の様子。白い線が空港のフェンス。)
 そもそも前原国交相の「羽田ハブ」論議の結果明らかになったのは、羽田・成田の早急な一体運用とオープンスカイ(航空自由化)でした。そして、農業政策としてのFTA推進。これらは、2007年5月、憲法改悪を進めようとした安倍政権が、アジア侵略の意図の下に出してきた「アジア・ゲートウェイ構想」の柱を焼き直したものにすぎません。鳩山政権が言う「東アジア共同体構想」とは、安倍政権の「アジア・ゲートウェイ構想」を焼き直したものにすぎないということなのです。
 ですから政権発足と同時に強く打ち出されたのが、「日米同盟の強化」だったのです。日米同盟とは、来年60年を迎える日米安保体制(軍事同盟)の強化以外の何物でもありません。それは、「米軍の変革と再編」と言われるアメリカの新たな世界戦略、世界のいかなる所での事態にも即時に対応しうる同盟軍と一体となった世界戦略であり、アジア・中東地域ではグアムと沖縄・辺野古新基地を軸として、自衛隊(日本軍)が、米軍とともに世界のいかなる所へも出ていける体制です。そういうものへの安保体制の改革と強化なのです。
 「選挙公約」という縛りの中で、一見沖縄ではジグザグがあろうとも、この国の根幹にかかわる軍事問題である三里塚、岩国、沖縄などについて、鳩山政権は自民党政権の政策を引き継ごうとしています。
 私たちは、これが鳩山政権の最大の弱点でもあることを見据え切り、三里塚とともに、そして沖縄、岩国の皆さんとともに、鳩山政権の日米同盟強化の攻撃を許さず、米軍再編反対の闘いを作り上げていこうではありませんか。
                    (住民の会事務局長 松原康彦)

 091210 「新空港反対東灘区住民の会」ニュース「おしらせ78号」(12・4発行)より転載。

 09年12月10日付、朝日新聞社説は「日米関係の危機にするな』と題して「普天間問題」を論じています。その論拠として「日米関係の基盤は安保j条約であり、日本が基地を提供するのは不可欠の要件である。移設問題はその重要な一環だ。この基本認識では日米に大きな違いはあるまい」と宣言する。

 私たちは、安保条約60年を来年迎えようとする今こそ、安保廃棄、安保粉砕を課題として真正面から取り上げ、こうした朝日新聞などにみられる反動的な流れを打ち砕いていこう。辺野古新基地建設絶対阻止、普天間基地国外移設を、三里塚闘争の爆発とともに勝ち取る中から日米安保体制打倒の大きなうねりを勝ち取っていきましょう。

 昨日、神戸の中心部、マルイ百貨店前で8日から12日まで行われている「沖縄から米軍基地をなくせ!」の連続座り込み(左写真)に参加してきました。091210_2 座り込みをしながら、沖縄基地問題を訴え、12月14日、沖縄の「ヘリ基地反対協議会」代表委員の安次富浩さんを迎えて開かれる集会(午後6時半~、神戸市勤労会館308号室)の案内が行われました。(集会名称は「辺野古新基地建設反対・沖縄から米軍基地をなくせ!兵庫県民集会」です。)

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2009年12月10日 (木)

第105回 関実代表者会開かれる

09927  写真は、この秋、210人が結集して盛り上がった「9・27三里塚関西集会」

 昨日、関西実行委員会の来年前半の基本的な取り組みを相談する第105回関実代表者会が、20人余の参加で開かれました。

 冒頭、永井満関実代表世話人から、この1年、3・15、9・27の2つの取り組みを軸にいろいろな困難を乗り越え、三里塚反対同盟とともに闘いが前進してきたことが総括されました。そして、市東さんの農地を巡る闘いを始め、決戦に突入した三里塚現地の闘い、そして軍事空港論議が進む関空軍事使用反対の取り組みなどを、来年前半の闘いの柱として進めていくことが提起されました。

 この提起を受けて全体の討論が、安藤事務局次長からの事務局提案を軸に進められ、以下の確認が行われました。

(1)年末三里塚団結野菜市を、12月28日(月)に例年通り明石教会で行います。昨年並みを目標に。

(2)2010年関実団結旗開きを、1月17日(日)午後6時より、神戸学生センター・ホールにて開催します。なお、1月10日に開かれる反対同盟団結旗開きには永井代表を先頭に参加予定。

(3)来春3・28三里塚全国闘争に向け、北原鉱治反対同盟事務局長を講師に招き、講演とフリートークを軸にした大阪市内での集会とデモを、3月14日に行います(詳細未定)。また、それに合わせて「三里塚写真展&野菜市」を各地で取り組むことが提起されました(淡路、神戸の2、3月での取り組みがすでに開始されています)。

(4)羽田ハブ空港化、日航危機、米軍再編・普天間基地問題などが絡んで関空問題、関西3空港問題が激しい流動局面に入っていることを確認し、新たに「大阪の海と空を戦争に使わせない会(略称・「海と空」)」が結成され活動を開始したことが報告されました。そして大阪市内での関空軍事使用反対の集会とデモを、来年、湾岸住民団体と「海と空」の呼びかけで行うことが提案されました。

(5)経営危機に陥っている神戸空港に対し廃港を求め、来年もくろまれている海上自衛隊による大阪湾での一大軍事演習、展示訓練に反対する声を上げるために、2月14日(日)、NPO法人「ピースデポ」代表の湯浅一郎さんを講師に招いて、「神戸空港の中止を求める市民の会」主催の集会とデモが行われます。

(6)参加した各団体から、1月17日(日)の「生きる権利・働く権利を求めつづけて」被災地反失業総行動集会、2月11日(木)の改憲阻止集会(詳細未定)、3月7日(日)の「女たち行動」(大阪北区民センター・詳細未定)などの取り組みの準備が進められていることが報告されました。

 最後に、「90歳になる年として、がんばります」という山本世話人のまとめのあいさつで散会しました。

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2009年12月 9日 (水)

住宅追い出し阻止裁判 第5回口頭弁論 (12月8日)

 12月8日、神戸地方裁判所尼崎支部で、西宮・芦原地区改良住宅にかけられた西宮市による追い出し攻撃に対する「住宅追い出し阻止裁判」の第5回口頭弁論が開かれました。

 法廷に先だって、芦原地区自治連合会・会長の東口博さん、部落解放同盟全国連中央本部中田潔書記長などを先頭に、かけつけた30人近くによる、裁判所民事一部への請願(後掲)、申し入れ行動と集まった署名の一部の提出が行われました。「署名を裁判長に直接手渡したい」と要求し、請願行動は30分以上にわたりました。関実からも、山本善偉世話人を先頭に参加。

 そのあと全員で法廷へ。前回、ようやく分けられていた審理が併合され、今回が事実上の第1回。見ると、書記官の机の上に、部落差別論を中心にした膨大な、500ページに及ぶ準備書面が積み上げられ、書証とともに提出されました。

 次回口頭弁論は、3月2日(火)午後1時半からで、12時45分までに神戸地裁尼崎支部正面玄関にお集まりください。

 法廷後、裁判所の玄関で、東口会長の司会で総括集会。安由美弁護士などから、「今日は、これまでの差別の実態やみなさんの暮らしをまず裁判所に分かってもらうという点での準備書面を出した。これから、『追い出し』がなぜ許されないかと論じていく」などの報告がされた。続いて中田書記長から「西宮の兄弟たちの追い出しを絶対に許さない運動を作っていく」「どれだけ多くの人がこの西宮の問題に関心を持っているか、怒っているかを裁判所にわからせよう」と挨拶された。そのあと全国連各支部、そして私たち共闘からの挨拶が行われ、芦原支部の婦人からの挨拶、団結ガンバロウで終わりました。

西宮市による住宅追い出し請求の棄却を求める請願

       請願の趣旨

 わたしたちがいま、現に住む住宅から明け渡しが強制されることは即、住む家がなくなるということであり、認めるわけにはいきません。よって、御庁平成20年(ウ)第1467号等事件の西宮市の請求の速やかな棄却を、全国から集まっている署名の一部を添えて求めます。

                    2009(平成21)年12月8日

神戸地方裁判所尼崎支部民事一部合議係 岡原剛裁判長殿

               芦原地区自治連合 会長  東口 博

       請願の理由

一、住宅明け渡し請求は認められません。

 現に住む住宅からの明け渡しが強制されると、それは即、住む家がなくなるということです。

 わたしたちは、毎月ギリギリの支出で、あるときは遅れをだしながらも、必死になって家賃を払ってきましたが、月額7000円ないしは月額43200円の家賃で、民間の住宅を確保することは、ほぼ不可能です。

 西宮市との交渉において、松村住宅部長は、「市としては個人の事情には関知しない」(つまり、「どうなろうが知ったことではない」と言うこと。)と言いましたが、確実に住む場所がなくなることがはっきりしている住民を住宅から追い出すことを、裁判所が認めることなどあってはなりません。

二、西宮市に対する要求内容は、西宮市行政が受け容れられないような不合理なものではありません。

 わたしたちは一貫して、話し合いによる解決を西宮市に求めてきました。相当期間での家賃の支払いを求めてきただけで、家賃の支払いを拒否したことは一度もありません。

 新たな家賃制度の違法性を争って収入申告をしなかったために、一方的に最高家賃額を課されました。たとえば、ある住民の、現在の決定家賃は7000円です。仮に、現在の家賃決定方式が、入居者の入居者の収入に応じて適正に決定されているものであるとするならば、収入をはるかに超える月額36000円のおよそ10年分の支払い(供託金を差し引いても、計223万9931円の一括支払い)を3年で求められても、払えるわけがありません。

 西宮市も、生活保護を受けている者については、月々5000円ずつ約461回(約38年)で支払う分納を認めたり、「西宮市営住宅滞納家賃等処理要綱」に「期間を超えて徴収猶予をすべき特別の事情が認められる場合は、別途対応できる」と明示で規定しているのに、問答無用とばかりに住宅の明け渡しを求めて裁判所に訴えでました。

三、改良住宅は、部落差別撤廃のために建設された住宅です。

 わたしたちとわたしたちの家族が居住する西宮市営住宅は、いままで住んでいた家や田畑を立ち退いて、部落差別の撤廃のために建設された改良住宅です。

 同和対策は、経済的弱者の救済を目的として行われたのではありません。国が創設した部落差別の賠償責任のために行われてきたのです。収入によって差別されるかどうかが決まるわけではないからです。

 しかし、このまま西宮市の訴えが認められる事態になると、再入居したくても収入によっては再度、入居することができなくなるという本末転倒の事態が生まれてしまいます。

四、まとめ

 西宮市の請求は速やかに棄却されるべきであると同時に、裁判を続行するのであれば、わたしたち住民の訴えは、時間をかけて、もれなく聞くべきです。

 あってはならないことですが、仮にこの住宅明け渡しを認めるつもりであるなら、わたしたちと家族は、一体どこでどのように生活すればいいというのか。裁判所は、必ず責任をもって答えるべきです。同時に、署名は裁判長が直接受け取ること、今後、請願のために、別室を確保することを要望します。

 なお、この日、全国連荒本支部からも、同趣旨の請願が出され、読まれました。

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2009年12月 8日 (火)

ついに破綻をはじめた神戸空港

09215  写真は、今年の神戸空港反対闘争でのデモ(09年2月15日)

もはや、廃港しか道はない

 Jpg 06年2月開港した神戸空港は、07年度に06年度の旅客数を9%伸ばしたものの、08年度は、スカイマーク社の羽田便が4月便からの2便の撤退、同じくスカイマーク社のパイロットが2人退社したことによって6~8月期の羽田便のほとんどが欠航する事態になりました。そして秋からの金融恐慌。これで前年を13%も割り込み、利用客は258万人と当初見込みよりも100万人近くも減少。
 所が、今年度に入って4月以降、今日まで毎月、前年の月を割り込み続け、このままでは、旅客数は230万人さえおぼつかないという状況にあります(右表参照)。
 このため各航空会社が開港以来、撤退、減便、しかも機種の小型化を進めました。その結果、空港会計の最大の収入源であるはずの飛行場収入(着陸料)が減り続けています(左下のグラフ参照。朝日新聞より)。来年度は、飛行場収入の当初予算16億円を半分以下の7億円に下方修正したものの、その確保さえ難しい状況で、昨年までに蓄えられた黒字から3億円以上を投入しますが、来年度は、その黒字を使い果たしても赤字に転落する恐れが出てきたという状態にあります。

日本航空の全面撤退

 091021 そこへ、経営破たんした日本航空がその再建策の最初の方策の柱として神戸空港からの全面撤退を発表しました(11月5日)。70%の搭乗率があるにも関わらず、日航がその再建案として、最初に神戸空港から撤退となぜ決めたのでしょうか。その理由は、日航が格安航空券の旅行会社に売り付けて搭乗率を維持していたからです。地方と結ぶといわれながら、開港3年で結局、那覇、羽田、札幌の基幹航空路だけの空港になっています。それならば、20キロ圏内にある大阪空港、関西空港にすでに航路があります。おまけに羽田便は新幹線と競合しています。結果、神戸空港はスカイマークだけでなく、ディスカウント空港だったのです。神戸空港に資本参加し、役員を送り込んでいる全日空は、そのことを明らかにすることもできず、今年、羽田便を1便減便しました。増便する見込みなどあろうはずがありません。
 日本航空の全面撤退は、神戸空港の経営をどうしようもない所に追い込んでいます。
 最近になって、「関西に3空港は多すぎる」と、当たり前のように各自治体や、財界、そして「専門家」が口をそろえて言い始めています。そんなことは、私たち市民が、開港前に、いや計画そのものに対して指摘していたのです。しかも、この連中は、わずか3年前には、「関西の復権には3空港が必要だ」と宣伝し、開港を強行したのです。本当に許せません。

 もう、神戸空港には、廃港しか道はありません。

借金をどうするのだ


 神戸空港には、もう一つ大きな問題があります。建設のために行った2千億円の借金です。
 空港島の83ヘクタールの土地を売って返済すると言われてきましたが、売れたのは3ヘクタール、45億円にすぎません。手前のポートアイランド二期工区でさえ売れない中、傾きかけた空港のそばなど誰が買うでしょうか。
 今年から返済が始まり、神戸市は、「新都市整備事業会計」が保有する現金から借りて、今年の300億円の返済を行いました。来年度は、同じく300億円はこの会計の保有現金から返済しますが、約400億円を20年の市債を新たに発行して借り換えることを明らかにしました(10月28日)。少なくとも8億円程度の金利が毎年発生します。マスコミの「どうするの?」という問いに、神戸市は、「資金繰りの問題だ」と平然としていたと伝えられています。「資金繰り」とはお金が回ってこその言葉ではありませんか。
 立て替えた「新都市整備事業会計」は、約2千億円の現金を保有していますが、神戸空港だけでなく、ポートアイランド二期の借り換え分や新産業複合団地が売れないことなどで、約4千億円の借金を抱えて、いずれも返済が迫っています。何が「資金繰り」でしょうか。
 「土地ころがし」という言葉があります。神戸市が進めてきた「土地ころがし」による都市経営が完全に破たんし始めたことが、この神戸空港の借金問題で表面化したのです。
 私たちは、この破綻によって市民生活に犠牲を転嫁させてはならないと考えています。
 既に始まっている様々な福祉の切り捨て、弱者切り捨て、格差と貧困の強制。このことがますます激しく私たちに襲いかかるということではないのでしょうか。どうしてこんなことが許せるでしょうか。神戸空港の廃港に向け共に闘いましょう。
                       (東灘区住民の会・松原)

関実「実行委員会ニュース」第128号より。なお、神戸空港の中止を求める市民の会は、来年2月14日、神戸空港の廃港を求める集会(会場・神戸市勤労会館)とデモを行うことを決定し、準備を始めました。ともに闘いましょう。

 

 

 

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2009年12月 7日 (月)

もんじゅを廃炉へ!全国集会に

09125

 12月5日、高速増殖炉もんじゅの14年ぶりの運転再開をもくろむ動きに抗議し開かれた「09年もんじゅを廃炉へ!全国集会」に初めて参加してきました。

 もんじゅ(上写真中央の白い建物)を前にした白木海岸に全国から1000人の人が、いろいろな労働組合の旗などをなびかせて参加してきました。天候はあいにくの雨。しかし、暖かいので我慢できます。09125_2

 簡単な集会をしてから、早速、デモです。もんじゅの入口までですが、このころから雨脚が早くなりだしました。めげずシュプレヒコールを繰り返しながら、もんじゅの門前へ。1000の部隊が、門前に迫る中、代表から先ほどの集会で採択された抗議文を読み上げ、最後にシュプレヒコールを叩きつけました(左写真)。09125_3

 そのあと車で、敦賀市内へ。とろろそばの定食を「そばや」さんで食べたのですが、美味しいでした。

 さて、敦賀市民文化センターで開かれた全国集会に参加しました。会場は1000人の人たちでいっぱいです(右写真)。

 主催者の「09もんじゅを廃炉へ!全国集会実行委員会」を代表してのあいさつは、14年ぶりの運転再開がホントに大丈夫なのかとした上で、新たに発見されたもんじゅの下の2本の活断層の存在と地震による事故の問題、そして輸送途上の危険性について新たに取り組んでいくことが訴えられました。09125_4

 その後、「もんじゅの現状とこれから」と題して、原発反対福井県民会議の小木曽美和子さんから「14年間も長期停止した原子炉の再開は世界に例がなく、安全性は確認できない」などと話された上で、「50年前の古びた核燃料サイクル政策の転換」を訴えられました。

 続いて、青森の六ヶ所の核燃サイクル施設に対する闘いの訴えが、核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団事務局長の山田清彦さんから「原子力半島化する下北の問題点について」として行われました。

 09125_5 「そこが問題!日本の核燃料サイクル政策」と題して、淑徳大学教授の横山祐道さんから、パワーポイントを使っての1時間の講演が行われました。地球温暖化対策に絡めて進む「原子力ルネッサンス」の世界的な流れを批判された。そして、プルサーマルの始動を批判し、「夢の原子炉」もんじゅの破たんを指摘した上で、「このまま廃炉になる」との見方があることを指摘された。さらにつまずく再処理工場と高レベル廃棄物処分の現状を指摘。世界の原発の所在地と大地震の発生箇所が不思議と重なることを示しながら、地震国日本と原子力の問題を告発された。そして、プルトニウムは負の遺産としかならないことを指摘して、民主党の核燃サイクル堅持の政策などを批判し、太陽光、風力、地熱発電など自然エネルギーの開発や、微生物など自然の仕組みを利用した温暖化防止に全力を挙げて、原子力から徐々に距離を置くべきだと指摘して講演を終えられました。

  「もんじゅ西村裁判」支援の訴えや、今後に向けた行動提起などが行われて、さあ、敦賀市内でのデモだ。09125_8 人通りが少ない敦賀市の中心街を、敦賀駅までの40分ほどのデモでしたが、さすがに1000人の長蛇のデモは壮観でした。

 山口県上関の原発建設反対の取り組み、祝島の漁民のみなさんの闘いなどを想い起こしながら、帰途につきました。 

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2009年12月 5日 (土)

今週の産直野菜(12月5日)

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 今日は、敦賀で行われた「もんじゅを廃炉へ」全国集会に参加してきました。詳報は後日にしますが、1000人が「もんじゅ」を前にした海岸に雨の中集まり集会とデモ、そして敦賀市内の「市民文化センター」に再結集して集会、そして敦賀駅までのデモ(上写真)。早朝からの行動であったため前日から動き、さすがに疲れて帰ってきたら、産直野菜が留守のため・・・。あわてて電話で届けてもらい、今です。09125_2

 今日は、里芋、青首ダイコン、じゃがいも、ニンジン、ブロッコリー、カブ、小松菜、春菊、ターサイ、根ショウガの10品。出かけると食べられないので、いささかだぶつき気味。

 昔から調子が悪いと足にかぶれたような赤味があちらこちらに。ところによっては痣(あざ)のようになっている。酒の飲みすぎ(?)と思う時も。

 ところがこのところ、足がきれいになっているのです。酒は、ご存じのように変わらず飲んでいます。ひょっとしたら、これこそ三里塚の野菜のせいかな(?)と思える節があります。三里塚の産直野菜を取り出してちょうど1年。身体の野菜による改造が、ようやく形を持ち出したのかな? まったく根拠はありませんが、かゆくないし、本人には非常に気持のいいことです。

 みなさん。産直野菜を、いや、無農薬・有機栽培の野菜を食べましょう!

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2009年12月 4日 (金)

10・11三里塚全国集会に参加して・・・

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               東灘区住民の会  粟井 

 10月11日の三里塚全国集会に前日の夜から車を交代で運転し、集会に参加しました。
 毎回朝早く着き、集会前に北原事務局長宅をお邪魔し、北原さんとの交流を行います。091011_2 集会前の「基調報告」?ともいうべき北原さんのお話を聞きし、闘いへの準備体操。元世話人の92歳になられる森田さんも毎回反対同盟員として参加され、目下焦点の一つとなっている、現闘本部裁判の問題に触れられ、本部を明け渡せというような不当な判決が出れば私は命を投げ出してこれを守り抜く所存ですという決意を示され、参加者全員が身の引き締まる思いをし、昼からの集会にのぞみました。
 集会場へ行く前に、市東さん宅によりゼッケン、旗などの準備をして、会場へむかいましたが、準備の間、市東さん宅の畑の真横を通る、飛行機の轟音と、何とも言えない排気ガスのおえつしそうな匂いを体験し、1年365日この攻撃と闘い、耕すものに権利ありと、日常生活を送っている市東さんに頭が下がるというか、これを強制しているNAA(空港会社)に対する怒りがわき、絶対に三里塚闘争に勝利しなければという思いをいだきました。
 091011_4 集会は3月の集会を上回り、1780名が集まりました。関西新空港反対住民を代表して、永井・山本両世話人が挨拶し、9月の萩原さん、市東さん、鈴木さんに来ていただいた、関西の三里塚集会の成功を報告され、関西でさらに大きな形で三里塚を広げていくと挨拶されました。

第3誘導路計画に怒り 

 集会では、北延伸供用開始攻撃、市東さんへの第3誘導路建設攻撃、そして予測される不当な天神峰現闘本部裁判判決=代執行攻撃への怒りと弾劾がそれぞれの発言者から訴えられました。
 その中でも、第3誘導路建設計画は、市東さんの畑と宅地を空港内に完全に閉じ込めてしまう攻撃で絶対許せません。
 3 最初の誘導路では大型機が使えないとして、滑走路を離着陸する飛行機の直下を2度も横断しなければならないという危険極まりない2本目の誘導路を、7月30日に供用を開始しました。しかし、それがまた不十分だとして、第3の誘導路が計画されているのです。1本の滑走路に3本も誘導路があるなどという空港は世界のどこにもありません。これだけを見ても農民を何度もだまし、だましつくられてきた欠陥だらけの三里塚空
港は即廃港あるのみです。
 NAA(空港会社)の狙いは明らかです。市東さんを轟音と排気ガスの環境下に叩きこみ、生活できない状態にし、叩きだそうとしているのです。
 このような事実を知れば知るほどだれもが何よりまず人間として許せないと思います。しかしこのような三里塚の現実を知らない、知らされてない人がまだまだ多くいます。関西実行委員会は、三里塚の問題を一人でも多くの人に訴えていかなくてはという思いを強くし、デモに参加し、関西への帰路につきました。

            関実「実行委員会ニュース」128号より

 

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2009年12月 3日 (木)

11・12天神峰現闘本部裁判傍聴記

091112  千葉地裁(右側建物、白い部分が新庁舎)前を怒りのデモをする反対同盟を先頭にした隊列。

              尼崎・伊丹実行委 弥永 修

 私自身もあしかけ9年にわたり、原告として裁判闘争を経験し、他の裁判の傍聴にも何度も参加しましたが、こんな異常な体験は初めてでした。まさに人生観を変えられた傍聴でした。
 11月12日当日、午前9時から千葉中央公園において前段集会が持たれ、動労千葉の田中委員長、わが関実から山本世話人、そして駆けつけた仲間が次々と連帯の挨拶をされ、千葉地裁までデモ行進し、10時半から公判が始まりました。
 60席余りの傍聴席に対して倍以上の人が列をつくり、私自身は抽選に外れたものの「関実の枠」で入廷させていただきま
した。法廷には10名程の警備員が配置されており、事あらば「即退廷」の態勢で待ちかまえていました。

仲戸川を裁判官とは認めない
 Photo 裁判官入廷の際の「起立!」に傍聴席はほとんど座ったままでした。それはこの裁判における仲戸川裁判長のあまりに常軌を逸した訴訟指揮(詳しくは同盟ブログや関実ブログを参照してください)に対する反対同盟や支援者の怒りの表れでした。「反対同盟は仲戸川裁判長を公正な裁判官であるとは、到底認めることができない。この裁判長に厳正な裁判などまったく期待できない。反対同盟は仲戸川裁判長を弾劾するためにこの法廷に立っている。」(当日の北原事務局長陳述書より)
 さて公判が始まり、仲戸川裁判長が小さな声でしゃべり始めると早速傍聴席から「聞こえない、大きな声を出せ!」と声がかかりました。私は「うあ、退廷か」と思いましたが、警備員は「静かに」と弱々しく言うだけで、また仲戸川も知らん顔です。そしてその後仲戸川の発言の度に傍聴席から何人もの怒号が飛び交いましたが、最後まで誰一人として退廷させられることなく終わりました。仲戸川はおそらく、「どうせ今日が最終弁論だ。言いたいやつには言わせておけ」という開き直りと、もし「退廷」となれば傍聴席のほぼ全員を退廷させなければならず(禁止されているはずの拍手はほぼ全員がしていた)それはそれで大きな「事件」となり、この不当裁判が表ざたになるとまずいという卑劣な自己保身から恥も外聞も投げ捨てて「ピエロ」に徹していたのではないでしょうか。本当に怒りにたえません。

間際の訴状訂正
 091112_2 この日の最大の論点は、この場に及んで(反対同盟は認めていないが裁判所のいうところの結審過程)原告空港会社が明け渡し対象を従来の現闘本部に、そのそばにある便所や流し台などを加えて対象地を8・9坪も広げて「訴状訂正」を申し立ててきた点にあります。おそらく会社は「仮に本部そのものを撤去できても、そのそばにある施設は依然として反対同盟の所有物だと主張されるとまずい」とあわてて「訂正」してきたのでしょうがこんなもの「訂正」とはいえません。明らかに「変更」です。それに「当初の木造建物は解体され滅失した」という空港会社の一貫した主張を自ら反故にして、木造建物の和室などの床面積をその「訂正」の中に加えています。全くでたらめ極まりない「訂正」ではありませんか。一切は現場確認すれば文字通り「一目瞭然」なのですが、仲戸川は頑なに実施しようとはしません。「仲戸川を弾劾するために法廷に立つ」北原事務局長はじめ反対同盟の皆さんの怒りが本当によくわかりました。
 しかしその「訂正」を被告反対同盟が受け入れるとしても、訴訟内容が大きく変わったのですから、裁判は当然にもふりだしに戻らなければならないはずです。いや百歩譲ってでもその「訂正」部分の審理だけは引き続いて行わなければなりません。しかし仲戸川はその「訴状訂正」をすんなり受け入れ、被告側にはそれに反論する機会さえ与えず、結審を強行しようとするのです。「たとえば200万円の損害賠償を訴えている民事裁判が結審まぎわに300万円に変更されたら審理をいちからやり直すでしょう?」被告側弁護人がまるで子供を諭すように説明しても、仲戸川は筋違いな返事にならない返事をしていました。仲戸川はそんな明らかに会話として「かみ合わない」やりとりを意図的に何度も繰り返し話の本論をはぐらかしました。まるで大木こだま・ひびきの漫才のように話が突然ころころ変わるのです。怒声が飛び交うのも当然です。

一方的な判決日指定
 北原事務局長は用意した陳述書とは別に、まるで我が子に語りかけるように仲戸川に反対同盟の「心」を訴えましたが、「親の心子知らず」仲戸川は平然と「判決日は2月25日」と一方的に言いなし、法廷の中とは思えない怒号を背に逃げ帰りました。私は「これは裁判ではない、国家によるテロだ」と思いました。永井代表も眼前の警備員に「こんな事でいいのか、日本の将来はどうなる」と声をかけたら、黙って下を向いていたとのことでした。

いよいよ決戦のとき
 091112_3 引き続いて近くの会館で、法廷外で共に闘った仲間も合流して報告会が開かれました。各弁護士の皆さんからの経過報告のあと、動労千葉に続き永井代表が挨拶に立ち「裁判所はかって治安維持法を支えた。今日の仲戸川を見ていると再び日本を亡国に導くと感じた。71年(強制代執行)、90年(現闘本部封鎖)を思い起こして身体を張って本部撤去を阻止よう」と語り、最後に萩原事務局次長の力強いまとめでこの日の闘いを終えました。

 皆さん、私たちがかかわる裁判はほとんど相手が権力や行政そして大資本などです。従って並大抵のことではなかなか「勝訴」ということにはならない現実があります。しかし一応「裁判としてのかたち」は保証されています。しかしこの現闘本部裁判はそれすら保証されていません。そして来年の2月25日の判決は火を見るより明らかです。こんな不当な裁判で本部が撤去されるなど絶対に許せません。永井代表の決意に続き、この決戦のときを迎え、関西からも全力で現地結集を勝ち取り、撤去阻止を闘い抜きましょう。

        ―― 関実「実行委員会ニュース」第128号より
 

 

 

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2009年12月 2日 (水)

農民の声 (11・22講演&パネルで 小川浩さん)

091122

 こんにちは。たいへんご苦労様です。

 私は、今、大規模経営、大規模稲作経営をやっておりまして、稲作経営といいましても、今の政府の担い手新法とか政府の農政によって大規模になったんじゃあなくって、30年かけて、30年の間に小さい農家がやっていけなくなって、それを作ってくれというようなことで、30年の間に大きくなってきました。大規模といっても、別の言葉でいえば「大規模小作人」といってもいいですね。3斗2升のコメを地代を払って農業経営してます。091122_2

 今日は、ほかに農民の方も何人か来ております。今は、野菜が大安売りですよね。大根が1本、50円とか、白菜が50円くらいで。トマトやピーマンにしてもほとんどの野菜が安くて採算が合わないという状況になっています。大規模といっても採算が合わない。気候に左右されるという面もあるかもしれませんが、決してそればかりじゃなくって、今の農業政策による構造的な問題というような気がします。

 コメについて言うと、大豊作だった去年よりも不作の今年のほうが値段が下がっている。コメの値段について何年か見てみますと、1985年前後、それがピークで、コシヒカリが2万3千円くらいしたのが、国鉄が民営化された87年ころ下がって、90年代、95年ころ、それ以降またどんどん下がって、1万3千円くらい。1俵あたり6千円から9千円あたり下がっていて、1反歩あたりにすれば大変な金額ですよね。それで、コメだけではなかなかやっていけない。

 大規模化すれば利益が上がってやっていけるのかといったら、決してそうではないんですよね。07年、コメが安くなった時は、専業農家、大規模農家がやっていけなくなるそういう状況がでていました。

 そういう農家の状況の中で、時間がありませんのであまり詳しく言いませんけれども、先ほど山浦さんが農地法の改正について言われましたが、結局、38万町歩の遊休農地があって、農民の責任という形で農地法が改正されましたけれども、じゃあ、一本企業が農業に参入して今の農業問題が解決できるのか。おそらくだれもできないと思っています。確かに、この農地法の改正によって、今、各地で各自治体が企業を誘致するような動きが各地で出ています。または農業生産法人を作ったり、企業が具体的に農業に参入する動きが出てきている。091122_3

 じゃあ、農業危機ということで、何が起こっているかというと、1960年代以降、農産物の自由化がどんどん進められて、70年代には、農産物の自由化率が95%、そして80年代には世界最大の農産物純輸入国になっている。こういう農産物の洪水というか、こういうことで、日本の農業はだんだん採算が合わなくなってたいへんな事態になったんです。農民が一生懸命努力しても、努力して規模拡大したり、産直やったり、自己防衛のためにいろいろやっている。それでも、外国の安い農産物が拡大するこういう現実がどんどん進んできた。

 そういう中で農地法が改悪されたわけなんですけれども、その農地法改悪の元、経済財政諮問会議のなかの農業問題の部会の中で、東大の本間正義という人がまとめたと言われていますけれども、これが農地法改悪の本質のようなものを言っているように思うので、ちょっと紹介したいと思います。

 本間は、国際化に対応していくためには土地利用型農業を10倍、20倍の規模にしていく必要がある。米価も当然下がらざるを得ない。農業の・・・では農地の所有権移転が望ましい。しかし現実には農家はなかなか土地を手放さない。ということで、農地の所有ということではなく、農地の利用ということで農地の集積を図っていく。ほんとは企業が農地を取得したほうがいいんだが、なかなか難しいので、とりあえずは利用ということで企業を参入させようというような考え方。その場合、農地を利用するのは企業であろうが完全に自由化すべきだと。そのうえで、農地の利用集積を進めるには、農地情報を自治体、官だけがやっていてはなかなか進まないから、全国ネットで民間も斡旋業に参入させて官と民を競争させる。その場合の民は不動産業者でもいいといってるんです。不動産業者に農地の売買をさせて利用していってもいいとそんなことを言っています。091122_4

 したがって農地法の改悪というのは、結局、農地と農業を農民から取り上げるそういう本質を持っているんじゃないかと思います。先ほど吉川さんも言いましたけれど、企業というのは利潤追求が目的だから、合わなくなったら撤退しますよね。先ほど吉川さんの話の中で、柏のほうでのゴルフ場の話がありましたよね。ゴルフ場を造ると言って土地を集めて、何年も荒らしておいたんだけど、最近になって農地に戻した。企業というのは、そういうことがどんどん起きる可能性があって、ほんとにその地に住んで、農業をきちんとやっていくというような考えがなくって、状況によったら放り出してしまうそういう可能性もある。

 それと今のことに関連するかもしれないけれど、民主党の農業政策、戸別補償制度の導入ということと、FTAの推進ということが言われていますが、やっぱり民主党の本質は、農産物の完全自由化、貿易の完全自由化のこのために、農家への戸別補償制度と引き換えに、「農産物がどんどん入ってきても戸別補償するからいいじゃないか」という形でね、どんどん進めていく、戸別補償制度というのはそういうもんとしてあるんじゃないかと考えています。

 時間があれで全然まとまらないんですが、市東さんの農地問題。考えてみれば農地制度の変更というのは、単なる農業政策の延長上にあるんじゃない。かっての地租改正、戦後の農地解放、これは体制そのものが大きく変わっていくその中で起きた問題です。一農業政策の変更ということにとどまらない。ということは、今の改憲状況の中で、農地法を改悪して今の農民と農業を根底から変えていく、あるいは収奪して今の社会のありようを変えていく、そういう攻撃として、今の農地法改悪をとらえるべきじゃあないのかとう気がします。Photo

 そういう意味で、市東さんの闘い、先ほど農産物が安くなったといいましたが、市東さんは1億8千万の金じゃない、1本のダイコンのほうが大事だ、農民の誇りは金で売らないということで闘い抜いている、この思想というのは凄まじい。農民というのはなかなか、逆に今、自分のところには高速道路がかからないとかね、逆に待っているようなね、そういう中で、この市東さんの思想というか、ぜひとも農民魂を共有して、何としても市東さんの農地を守り抜く。この市東さんの農地というのは、全国の農民が置かれている状況を一人で体現して、反対同盟とともに闘いぬいているというところで、市東さんの闘いを全国の農民がどこまでともに闘い抜けるか、これからの農民闘争の発展ということにもかかわってくるので、萩原さんが「今たたかわずして、いつ闘うのか」と言いましたけれど、ぜひ、全国の農民の戦いの前進のためにも、労働者がともに決起して、農民獲得のためにも立ち上がって闘いを前進させていただきたい。まとまりませんですが。

(11月22日開かれた市東さんの農地と利上げに反対する会主催の「講演&パネル」の集いでの、匝瑳市のコメ農家・小川浩さんの訴えでした。)

 

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