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2009年11月28日 (土)

今週の産直野菜(11月28日)

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詳しくは、関実事務局までお問い合わせください。電話 0799-72-5242 または、メール kanjitsu_mail@yahoo.co.jp (これをクリックしていただければメールできます)。お気軽に。

 今日は珍しく早めに、今、産直野菜が届きました。091128

 来た、来た。白菜が。しかし、予想されたこととはいえ、デッカイ! 高さ36センチ、胴が直径24センチ(まん中あたりで)。先日、天神峰現闘本部裁判の前日、11日、萩原さんのところで、畑の白菜を見ました。暖かさのために葉が少ししか巻かない上に大きく育っていました。萩原さんが「大き過ぎると苦情が来るんだよ」と苦笑いしておられましたが、そういう「文句」はやめましょうね、みなさん。天候相手の結果なのですから。

 今日、届いたのは、さつま芋、青首だいこん、じゃが芋、人参、キャベツ、白菜、小松菜、ゆず、葉玉ねぎの9品。先日の「イモ掘り大会」の折の畑見学で、玉ねぎとネギの育っている時の葉の違いなどの説明を聞きましたが、今日の、葉玉ねぎが、玉ねぎの間引きでしょうね。ネギと同じように食べればいいと聞いたように思います。

 今日の「野菜だより」に「今年の冬の野菜事情」と題して、高温で雨が多かったため育ちが早いと書かれていますが、白菜などを見ているとそうなのでしょうね。小松菜は、今週のは並でほっとしました。先週届いたのは、これの2倍くらいの背丈があり、思わず「これ何?」・・・・。「まあいいや」とフライパンに適当に切ってベーコンと一緒に炒めて食べたら、一緒。おいしかったです。「三里塚の野菜、と思うから美味しいのかな?」と思ってみたり・・・。

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2009年11月27日 (金)

岩国爆音訴訟 第3回口頭弁論(11月26日)

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 11月26日、寒いかなと思って出かけた岩国。さすがに南の地、暖かい秋晴れの下、岩国爆音訴訟の第3回口頭弁論に出かけました。091126_2 (最初の写真は、裁判後に開かれた報告会の最後の原告、弁護団を先頭にした団結ガンバローです。右写真は、山口地裁岩国支所)

 追加提訴の原告の参加もあり、この日の傍聴席は11。「やばいな・・」と思っていたら、クジ運のない私は案の定、ハズレ。そんな訳で法廷の中の様子はわかりません。くじけず1時間あまり待って、公民館で開かれた「報告会」へ。

 今日の参加は、原告を含め70名。裁判所から歩いて15分ほどの所にある公民館へ。最初に原告団長から簡単なご挨拶があった後、弁護団長(左写真)からこの日の法廷の様子が話されました。091126_3

 先ず178名の追加提訴があり、原告団は654名の大世帯になったことが報告された。①提訴の書面が第1回口頭弁論として提出。②原告2人からのしっかりした意見陳述が行われた。弁護士から「その人にしかできない陳述で、書面で進めることが多い裁判で、そこで伝えるものが大きい」と感想のコメント。③第1次、第2次が今後一緒に審理(併合)していくことが決定。④被告の立場の主張が膨大な準備書面で提出。基地に関わる一般論しかなく、「争点」は明らかに出来ていない。裁判として余裕が生まれた。⑤原告弁護団から、この被告側準備書面に対する若干の批判の陳述(求釈明?)。その上で、弁護団長は、原告全員の被害の陳述を実現し、654名のパワーが発揮いされていくような闘いを作っていきたい」と述べられました。

 続いて、被告への批判の陳述を行った内山弁護士(右写真)から、論点が説明されました。先ず岩国についての論議が先送りされているとした上で、①岩国現地の概要について、かってどうだったのか、そして米軍再編でどう変わろうとしているのか、米軍再編で、岩国で何が期待されているのか。091126_4 ②沖合移設で騒音が軽減されるというが実際にどうなのか。米軍が好きにやれるというが、日本は植民地なのか。日本国民の安全などはどうなのか。司法救済の現実性。③周辺対策をやってきたというが、実際の被害の軽減等にはなっていない現実。その費用は、「おもいやり予算」に比べてあまりに少ない。④基地の爆音の被害の存在についてはこの20年~30年、認められてきた。にもかかわらず放置されてきた現実は、司法救済が実態としてないことを示している。⑤岩国の基地に対する住民感情は「国家防衛のためにやむをえない」「国のやることだから」と明らかに沖縄とは温度差があった。しかし、今日、「基地や防衛の問題は、国任せでなく、地方と住民が決められる」と、基地の「公益性」を踏まえながら訴えている住民の立場を裁判所が理解し一日も早い救済をするべき。などと訴えられたそうです。

 米軍再編、岩国への厚木基地の空母艦載機部隊の移駐が進められようとしていることに対し、岩国市民は、この爆音訴訟をはじめ、公有水面埋立許可処分取り消し訴訟、愛宕山訴訟、公文書非開示取消訴訟(いずれも略称)の4つの裁判を共に進めて、岩国市、山口県、政府、そして米軍と闘っています。私たちも、注目しましょう。

 次回の爆音訴訟口頭弁論は、2月25日(木)午後2時からですが、三里塚の天神峰現闘本部裁判の公判(同日、午前10時半から千葉地裁)があり、判決攻撃がかけられていることもあり参加できません。残念です。

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2009年11月26日 (木)

大阪の海と空を戦争に使わせない会

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 昨日25日、「大阪の海と空を戦争に使わせない会」が、結成して初めての会合を、淡路町空港反対同盟代表(関実代表世話人)の永井満さんを講師に招いて、20人余りの参加を得て開きました。

 091125 永井さんは、淡路町空港反対同盟の結成宣言などを紹介しながら、関西新空港反対闘争の出発点である淡路の闘いを語られました。1968年11月の津名郡医師会の「淡路空港反対決議」をきっかけに、その衝撃によって北淡路での闘いがまさに「燎原之火」の如くに広がった様子を具体的に語られました。そして、そんな中で、1969年7月の故戸村一作委員長との出会い、71年2月の第1次強制代執行阻止闘争への参加、あるいは、淡路での一坪共有化運動での三里塚反対同盟の働きなどが語られ、その歴史の面白さに聞いているものが、引き込まれます。

 とりわけ、「淡路総破壊計画」(行政からは「淡路総合開発計画」、左図)での石油基地反対闘争の迫力は、何度聞いても面白い。 その計画年度の中で、白紙撤回後に起こった阪神淡路大震災を経験しているだけに、これができておればどれだけ大変なことになっていたか、淡路町反対同盟が、40年にわたって三里塚と交流し、33年にわたって関実運動を引っ張り抜いてきた根拠が、聞いている一人ひとりの胸に明快に示されました。

 Photo_3 一つだけこの過程に関わったものとして異論を唱えさせてください。永井さんの話しに応えて、安藤さんが、74年9月30日の説明会粉砕闘争について「三里塚の精神で」と言われたことについて。確かに、淡路の皆さんにはそうだったのかもしれません。しかし、当日半分以上の50人以上が結集し、闘いを引っ張った神戸の市民は三里塚を知りませんでした。ただ、直前に行われた泉州での説明会で、住民運動連絡会の皆さん等の頑張りで、事実上説明会など行えなかったにもかかわらず、翌日の新聞には「粛々と行われた」ことになったことを聞いて、神戸の市民は怒り、「開かせたらダメだ」と決断したのです。そして逮捕も辞さず先頭で闘ったのです。「民主主義というのは話し合うことだ」と「説明会粉砕」に反対していた山本善偉先生も、結局、パンフレットを手にみんなと一緒に「帰れ」「帰れ」と合唱していたのです。凄い転換がこの闘いの中で実現したのです。ですから、東灘区住民の会は、三里塚に結集するなかで(1976年以降)、今日まで関実の中で、そして神戸空港闘争で踏ん張り抜けているのだと思います。

 もちろん、こうした住民、労働者の根源的な怒りを、闘いの歴史を作り上げる中で一つの方向を示し得たのが三里塚であり、それゆえに「反戦の砦」「反権力の砦」と言われるのだろうと改めて思います。

 非常に個人的な感想になりましたが、「大阪の海と空を戦争に使わせない会」が、こうした私たちが経験したような広範な市民の根源的な怒りを組織して、新たな関空闘争、大阪港軍港化阻止のうねりを生み出してくれることを心から念じます。少数でしたが、本当にいい集会でした。

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2009年11月25日 (水)

農民階層の存在とたたかい

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(先日の「市東さんの農地取り上げに反対する会」主催の「講演&パネルディスカッション」の中での萩原進さんの発言から)

 今の憲法よりも、教育(基本法)、労働(三法)、農地法というのは先に出来てんですね。その中で、教育、労働は別にしても、農地法というのは上から作られたものじゃあなくって、農民階層そのものが騒動を起こすことによって闘いとって作り上げたものなんですね。後は、憲法を作るにあたって、教育や労働、もろもろの法律などが作られるわけだけれども、それよりも前に農地法をつくらざるを得なかったということがあるわけです。091122_2 それが今日、この1、2年、教育、労働の改悪、そして農地法の改悪がなされてきたわけです。

 小川さんの話にあったけれども、農地の問題というのは、ブルジュア社会、現在の資本主義社会の中で、戦争というのは、宗教戦争とかいろいろあるけれども、煎じつめれば領土の問題ですよね。土地をめぐる問題からでているんですよ。そういうのが基調にあって今日まで来てるんだけれども、先ほど自分はわかりにくい形で「農業問題は(資本主義では)そういう意味では解決できないんだよ」と言いましたけれども、日本の農業だけに限って言えば、第二次世界大戦において敗戦して、6割近い農家が立ちあがって小作争議を起こし、農地解放にまで行きついて、ある意味での革命前夜というようなかたちで、農地法が出来ていって、自作農が作り出されるという歴史がそこにあったわけですよ。

 ある意味では、革命を起し得なかった、支配階級を倒せなかった、資本主義社会を倒せなかった。それで、資本主義社会の方へ移行して行って、労働者階級が主人公として登場してきた。それが今日の世の中なんです。

 だけども、そういう意味で三里塚の闘いというのは、それじゃあ労働者が作った闘いなのか、労働者が主人公の闘いなのか。そういう風に言ってる、主張する部分がありますけれども、決定的に間違えている。

 091122_3 資本主義社会の中といえども、やはり農民階層というものがこういう形で、歴史的にあって、農民階層そのものが闘い抜いて、しかも労働者と同盟軍として闘い抜いていくんだというそういう一方の柱を築いているんですね。

 ここにおいては、単に封建社会の残存物として、今日、資本主義社会の中で農民が存在してるんじゃないんですよ。そのことの誤りというのが、非常にあるんですよ。どこまでも労働者階級が主人公なんだ、農民階層はもう封建社会の解体によって終わったんだという形で、片付けようとしている、また思いこもうとしている部分というのは非常に多いわけです。だけど、違う。

 この農民を解体することができなかった、分解することができなかった資本主義社会の中で、ひきずって、ひきずって、引きずり込んで今日まできちゃったわけです。だから、まだ痛み分けとしてそこに存在してるわけですよ。農民階層というのが。そういう意味では、世界の人口の中でも圧倒的に農民階層というのは多いんですよ。

 そういう人たちとどうやって行くのかということが問題になってくるのが、先ほど第1次産業こそが必要なんだという話題が出ましたけれども、そうなんですけれども、運動が持つ意味から言えば、そこで労働者がどうなんかという事で言えば、今、資本主義社会が倒されようとしているわけでしょ。そこで労働組合なり、労働者が、資本主義、自分の会社が倒されちゃったら大変なんだと、会社のためにやるんだというところに行くのか、会社がつぶれようと何しようと、自分たちが生きるためにそこで闘わなきゃあしょうがないんだという、非常に選択が迫られているのが今日だと思うんですよ。091122_5

 だけども、その上でよく考えていただきたいのは、そういう意味で、また保護主義に走る、貿易管理に走るというのが出てきますけれども、トヨタのためには、キャノンのためには農民がつぶれたってしょうがないんだと、そういう風になるのかどうかというのが問題なんですよ。このことを訴えたいんですね。

 だから、そこで断絶というのがほしんだと。そういう断絶を作ろうというのが今の支配階級であり、資本家であると。ややもすると会社を活かすためにはというのがそこにつくわけでしょう。そのための見返りとして農産物を輸入するのが日本の農業を潰していく、そういう形になっていくわけで、そういう意味で憲法改正論もそうだけれども、アジア・ゲートウェイ構想、あるいは東アジアの経済構想が、むしろ憲法改正を先取り的にくる。そしてしかも農地法改正そのものが、憲法改正の先取り的にやってくる。そういうものに対する闘いとして市東さんの闘いがあるんだということを示してるんですよ。三里塚が。

 だから、労働者階級そのものが、ほんとにそこまで血肉化し、理解して、そして文字通り、農民と一緒にやっていくのか、できるのか、単に残存物として農民はそこに存在してんじゃねえんだということを、三里塚が今、示していると思います。

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2009年11月24日 (火)

学校から「言論の自由」がなくなる!

091123  昨日、23日、「憲法の改悪に反対する元教職員ひょうごネットワーク」が主催した「連続市民講座」の第1回「学校から『言論の自由』がなくなる!― 東京の実態から考える」に参加してきました。

 小学校、高校教員を経て、02年東京都立神津高校校長、05年から09年3月まで東京都立三鷹高校校長を歴任され、定年退職された土肥信雄さん(左写真)が、東京都教育委員会による1998年の教職員会議の補助機関化、03年の10・23通達、そして06年の「職員会議において教職員の意向を聞く挙手・採決の禁止」への流れに抗して、ただ一人、現職の校長として抗議の声をあげられた。校長の権限を絶対化する形をとりながら実際には教育委員会の方針を絶対化するこの流れは、教職員の言論を規制することを通して、教育の主体である生徒の言論を規制し、教育を捻じ曲げるものだということで。Photo

 詳しいことが、岩波ブックレット(No.749)「学校から言論の自由がなくなる ― ある都立高校長の『反乱』 ―」(右写真)に簡潔に書かれています。ぜひ、お読みください。

 非常に豊かな表現力で、参加した私たちをひきつけ、話しの中に引き込んでいかれます。最初に紹介のために映されたビデオの映像でも、日常的に生徒たちと接するその姿が紹介されていましたが、生徒たちに好かれた奇異な校長先生であることが、ご本人のお話しにも伺えました。

 私は1970年代前後の大学にあって、ノンポリであった自分にいつの頃からかどこか後ろめたさのようなものを感じ、こだわり続け、なにより闘いの現場に身を置くことを心がけてきたように思います。ところが土肥さんのお話しを聞きながら、土肥さんがノンポリであった自らの想いにそのままこだわり続けて来られたのだという感想を持ち、思わず楽しくなりました。だから商社マンであった生活を、子供たちを育てる教師の世界に移されたのだと思います。こういう方もおられるのだという驚きもありました。お聞きしながら、三里塚の北原事務局長が、常々、「人に頼ってはダメだ。自分で立ち上がらなければ世の中は変えられない」と言われておられますが、その言葉にぴったりな人格であることがうかがえます。

 土肥さんの「言論の自由」と「平和」への強い想いとその信念に心から敬意を表したいと思います。同年配以上がほとんどの参加者でしたが、土肥さんのレジメの最後に記された「連帯を求めて孤立を恐れず、力及ばずして倒れることを辞さないが、力尽くさずして挫けることを拒否する」という言葉に、みなさんが大いに盛り上がって集いが終えられました。想いのこもった気持のいい会合でした。

 

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2009年11月23日 (月)

今週の産直野菜(11月23日)

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詳しくは、関実事務局までお問い合わせください。電話 0799-72-5242 または メール kanjitsu_mail@yahoo.co.jp (これをクリックしていただければメールできます)。お気軽に。

 091123 今週の産直野菜が先ほどとどきました。「えっ、なんで」と思われるかな? 実は、他の所へは、ほとんど予定通りか、少し遅れて届いたようですが、私のところへは、土曜日の昼過ぎまで、クロネコさんの営業所にも届いていない(というクロネコさんの話し)。土曜日は、昼に「兵庫・星野文昭さんを救う会」の街頭宣伝と打ち合わせ、夜は、「神戸空港の中止を求める市民の会」の例会、日曜日は、「市東さんの農地取り上げに反対する会」の「講演とパネルディスカッションの集い」で、千葉へ。ということで、今になりました。

 さすがに寒さが厳しくなってきた今日この頃ですので、3日間も荷物が放置されても写真の通り、野菜の諸君は元気いっぱい。

 届いたのは、里イモ、青首だいこん、ネギ、葉付き人参、ブロッコリー、ターサイ、ほぷれん草、小松菜、切りショウガ、ゆずの10品。ターサイは春も来たことがあるのですが、炒め物かな? ブロッコリーも初出荷だそうです。白菜が、まだのようですね。この寒さでどうでしょうか・・・。昨日の千葉は寒かったですね。091122

 昨日、千葉市文化センターで開かれた「11・22講演&ディスカッション」の集いは、日本消費者連盟事務局長の山浦康明さんをメインの講師にお招きし、厳しい寒さと雨にもかかわらず、会場いっぱいの120名が集まって、いろいろな論議が噴出したいい集会でした(右写真)。市東さんの農地取り上げに反対する会のブログに報告の第1報が掲載されています。http://www.shitou-nouchi.net/2009/11/post-3bc4.html をクリックしてご覧ください。

 寒くなったことだし、今夜は鍋かな?

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2009年11月21日 (土)

大阪港の軍事使用の中止を求める11・20行動

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 11月20日、関西生コンや港合同、管理職ユニオン、関合労など7団体の呼びかけで、大阪港の軍事使用の中止を求める行動が行われました。

 091120_3 12時から、地下鉄淀屋橋駅近くでの街頭宣伝とビラまき(右写真)、そして午後2時から、10名近い代表による大阪市議会への陳情の申し入れと、各会派への申し入れを行いました。最初の写真は、大阪市議会事務局(正面右2人)に、関西生コンの高副委員長(後姿右、左下写真)が陳情の申し入れを行っているところです。「神戸で非核神戸方式が議会の決定で行われているのに、大阪市で出来ないことはないやろ」と。

 申し入れたのは、(1)大阪市は、今後、米軍艦船・自衛隊艦船の大阪港への入港を許可しないこと。(2)大阪市は、今後、自衛隊が大阪港・大阪市管轄の地域・海域を演習に使用することを拒否し、その中止を求めること。(3)大阪市は、1960年以降、大阪港に入港した米軍艦船に関して、以下について調査し、明らかにすること。①安保条約にもとずく事前協議が行われたのか否か。②核兵器の搭載の有無を問い合わせたのか否か。 (申し入れの趣旨を含む詳しい内容は、「11.20大阪港軍事使用反対陳情と署名.pdf」をダウンロードをクリックすればPDFでご覧になれます。なお、署名は12月7日に大阪市議会に提出するため、まだ継続されておりますので、集めて下さい。)

 091120_7 一休みして、午後6時から市役所の隣にある中之島公園の女神像前で、250名が結集して集会が開かれました。冒頭、主催者のあいさつに立った高関西生コン副委員長は、関西生コン支部の沖縄教科書書き換え問題など反戦、平和の取り組みを語り、来年50年の節目を迎える日米安保条約の廃棄を勝ち取ろうと提起する中から、今年から来年にかけての大阪港の軍事使用の中止を実現させていく重要性を訴えられました。

 続いて基調報告に立った港合同の中村副委員長(右下写真)は、大阪が戦前、町と港が一大軍事拠点としてあった、それゆえの朝鮮人、中国人の強制連行などの歴史を振り返りながら、そのことのゆえにあの大阪大空襲などの悲惨な犠牲が生み出されたことを訴えられました。 そしてこの間の自衛艦の展示訓練などが行われてきたことを指弾し、平和な大阪湾に軍艦などが来ることを絶対に許してはならないと提起されました。091120_6

 この後、部落解放同盟全国連合会、関西合同労組など参加した諸団体から、連帯の挨拶とともに闘う想いが語られました。関西実行委員会からも、私の方から話させていただきました。また、この日初登場の「大阪の海と空を戦争に使わせない会」は、11月25日開く公開学習会を呼びかけました。

 最後に、集会決議(「09.11.20集会宣言.pdf」をダウンロード をクリックしていただけるとPDFでご覧いただけます)を採択。

 そのあと、集会参加者は、アメリカ領事館を包囲するデモを行いながら、梅田まで、道行く人々に「大阪港が軍事使用されていることをご存知ですか」と横断幕を出して、大阪港の軍事使用に反対し、日米安保条約を廃棄しようと呼びかけました。

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2009年11月19日 (木)

現地調査

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 11月11日、農作業もなく、おまけに土砂降り。めげずに午前中、現地調査を。この写真がなんだか判る人は、かなりの三里塚通。そうです。新誘導路を行く、離陸機と、その向こうは東峰の森。そして手前にあるのが東峰神社です。

 中央が神社の社。その両サイドに立派に木が生長してきているのが判りますね。2002年6月、東峰神社の立木が、航空機の進入平面に食い込み「航空法違反」だとして、空港会社、機動隊が全て伐採したのです。東峰部落は村をあげて抗議闘争を行った。その中で、トラクターを運転して空港会社の阻止線を突破した萩原進さんが逮捕された。この暴虐な空港会社、国の違法行為に対し東峰部落は裁判を行い、空港会社、国に全面謝罪させ、和解金を払わせた。

 それから5年余。新たに植えられた立木が立派に育ち、「航空法違反」状態を再度生み出したのです。萩原さんは、6月の裁判の集まりの中で「この日を待っていた。北へ延ばすんだから、南を短くすればいい」と、微笑みながら語られた。実は、島村さんのお宅の周りの立木も、同じ状態。091111_2 南から着陸してくるパイロットには、恐ろしいものに見えているのだろうと思う。当然にも、空港会社は「切っていただけませんか」とお願いに来ているそうですが、日頃の理不尽きわまる空港会社のやり口、とりわけ市東さんや、島村さんへの人権侵害をそのままにして、誰も聞くわけがない。さあ、どんどん伸びてくれば・・・。

 右の写真は、今の場所から少し新誘導路を進んで、いつも市東さんの畑で集会をした(3月)後、デモが東峰十字路を過ぎて新たにできたトンネルをくぐるところを行く離陸機です。この直後の所(東峰の開拓道路手前)で、離陸機や着陸機があれば、信号で停止します。

 この日は南風のため、離陸機は、さらに暫定滑走路の北端までトロトロと陸走していきます。見ていて、ターミナルから1時間くらいかかっているのでは・・・。

 091111_4 左の写真は、滑走路を横切って北へ陸走しているのですが、2機の航空機の向きをみると「へ」の字が実感できます。左端にあるのが、閉鎖された天神峰現闘本部です。本来なら、天神峰現闘本部に向かってフェンスで途切れているのが、滑走路と平行の誘導路(予定)なのですが、天神峰現闘本部と、その北にある市東さんの畑で、ここで誘導路が曲がっているのです。

 実は、最初と最後の写真を撮るのに、雨が降りしきり寒さに震えながら、市東さんの畑の監視台に1時間半もいました。着陸機はどんどん来るのに、離陸機は来ないのです。南風の場合、ターミナルから1時間もかかって離陸するのを避けるために、そして着陸機は時間がかからないので、離陸機のほとんどをA滑走路を使って飛ばし、着陸機を暫定滑走路の方に(2500メートル化されたから)回しているのではないかなというのが、その時の実感でした。しかし、寒かった。写真が、曇っているのは、土砂降りの雨のためです。

 みなさん。現地調査をしましょう。

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2009年11月17日 (火)

11・12天神峰現闘本部裁判報告会で永井満関実代表

091112_2  写真は、千葉地方裁判所(左側)前を進む、反対同盟を先頭にした怒りのデモ

 この日、裁判後の報告会で、関実を代表して永井満代表世話人が連帯の挨拶。

永井 満 関実代表世話人

 091112_3 今日、裁判を傍聴させていただきまして、反対同盟、そして弁護士の先生方のものすごい頑張りに敬服いたしました。ならびに傍聴のみなさんが、衛視の「退廷命令」などものの数でないとばかりにどんどん声をあげておられた、それにも強い印象をもちました。以前は「退廷!」とか言って何人かの人が連れ出されたもので、最初はハラハラしたんですが、いつのまにか私も声をあげたりしまして。

 仲戸川裁判長の惨めな姿をとっくりとみたんですけれども、同時に私はかっての治安維持法の時代にほんの片足だけを突っ込んでいる世代なんですけれども、あの治安維持法体制を支えたのは裁判所なんですね、ご承知の通り。たとえば横浜事件などというものがあります。完全なデッチあげをしてまで弾圧する。戦後、戦犯とか公務員が追放されたりいろいろありましたが、そういう裁判をした裁判官だけは全然無傷で戦後も同じ地位にとどまって裁判を続けてきたという歴史があります。今日の仲戸川裁判長などを見ていると、正に権力と一体となって、日本の国を再び亡国へと導く連中だと、本当にそう思いました。

 衛視の人がちょうど前に立ったので、「あんたらどう思う。あんたらが守っている裁判というのがどういうものだと思う。こんなことしていたら日本は滅ぶよ。あんたらが守らないかんのは、何なのか、しっかり見つめてくれ」と言いました。憮然とした顔で何も言いませんでしたけれど。

 それとともに、反対同盟の闘いが、もちろん成田の反対同盟として空港に反対し、土地を守り、生活を守る闘いをされているのですが、同時に、この反対同盟の闘いが、日本の、ほんとうのあるべき日本を守っている。今、またかっての時代になるような中で、反対同盟がこうして闘い抜いていることが、そういう動きを大きく阻止する力になっている。今日の裁判の経過なんかを見ていても、ほんとに大事なことだと。こういう闘いを頑張っていくならば、反対同盟の闘いはますます重要になってくるし、そして多くの人々が共感を覚えて加わってくるんじゃないかという想いをいたしました。

 091112_4 情勢は、来年の2月までは動かないのかなというような思いで聞いていたのですけれども、私たちが、判決を許さない、判決がでようと、実力でそういうものは許さないという闘いを、90年の闘い、また71年の闘いを思い起こして、身体を張って阻止するという覚悟を、萩原さんもそれを集会などでずっと呼びかけられておりますけれども、もう一度私たちは、71年の時の覚悟を、さらには90年の現闘本部の闘い、初心に帰って頑張ろうと思っております。関西のみんなも同じ気持ちだと思います。全国の皆さんと手をつないで、闘っていきたいと思います。今日は本当に御苦労さまでした。(左写真は、この日の朝の集会で山本世話人とともに)

 

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2009年11月16日 (月)

11・12天神峰現闘本部裁判闘争 萩原進さんのまとめ

091112  写真は、裁判所にむけて反対同盟を先頭にデモ(11月12日)

 口頭弁論の後、ひらかれた報告会での萩原進反対同盟事務局次長のまとめ。

萩原進 三里塚反対同盟事務局次長

 いや、ほんとに長時間ありがとうございました。091112_2

 いつもより多い結集で、140、50という人数。そういう意味で、天皇、オバマとの闘いの最中にやれたということで、ありがとうございます。そういう闘いの中で、裁判が、やはり階級裁判だという形で、いわゆる部分的勝利とかね、そういう形のやり方、あるいは判決というのはあり得ないわけで、敵さんもそういう意味なんだということを認めた上で攻撃をしかけてきている裁判ですから、そういう形で自分たちも構えて行っているわけですね。

 そういう意味で、判決云々ということでいろいろあるとは思いますけれども、今日を迎えるにあたって最終弁論の闘いをどうするんだという形で弁護団と同盟との話し合いの中でもいろいろあったんですよ。最終弁論をやったって同じ判決文になるだろうと、判決そのものは変わるわけじゃないだろうと。公判廷そのものをぶちこわせばいいんだという意見もありますよね。今日見ていて、みんな立ちあがってやろうという気持ちになったと思います。

 しかし、それもあるけれど、我々の正義の主張そのものをその中で展開しながら、今までの仲戸川の悪行をもっと罰しようというかたちで、我々の主張をば~んと全部やりきる中で、大きく闘いを展開しようという形でまとまったのが今日の闘いなんですよ。091011

 そういう中で、弁護団の闘い、傍聴団の闘いが一体となって闘い抜かれた。我々の主張、弁護団の主張は、ほんとうに理にかなったものとして通ったわけですね。彼らの書く判決文ていうのは、曲がった、あるいは間違った判決を書かざるを得ないところに追い込んだという風に思います。ですから、どのような判決がでようと我々は驚かない。(左写真は、10・11全国集会の折の天神峰現闘本部)

 もう一つは、我々は、そういう部分的勝利とか、何かを獲得しようという裁判じゃあありませんので、全面的に我々の主張を勝ち取るという裁判ですから、非常に難しい裁判ですけれども、ここでどういう判決が出されようと、もう一度闘いの場が現地にもあるし、そしてそういう形で全国の人々に呼びかけて、全国のあらゆる地域でそういう闘いもできるんだということを確信した上で、第1弾の現闘本部裁判を勝利的に闘い抜いて、市東さんの裁判に引き継いで行く、そういう闘いにしたいと思います。091112_3

 2月という形を具体的に言いましたけれど、それはすぐですからね。2月に向けて、我々が勝利するには、現地における構え方、そして裁判に対する構え方、あるいは全国の人民に訴える構え方、そういう形をいろいろとりながら闘い抜いていきたいと思います。

 ほんとに遠い所から来ていただいてありがとうございます。御苦労さまでした。

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2009年11月15日 (日)

11月9日 市東さんの「耕作権裁判」

09119  11月9日、千葉地裁で市東さんの農地をめぐる「耕作権裁判」の口頭弁論が開かれました。左写真(「反対する会」ビラより転載)のA、Bが「行政訴訟」「農地法裁判」で争われている部分で、それ以外(左端とA、Bの間の部分)は、市東さんが不法耕作をしているので土地を明け渡せと空港会社NAAが訴えた裁判が「耕作権裁判」。このNAAの主張は、正に「クロをシロ」と言いなす盗人猛々しいもので断じて許されない。法廷後に開かれた記者会見、報告会での葉山弁護士の報告と解説と、大口弁護士の報告をご紹介します。

 この日の裁判の報告の後、11月4日に行われた天神峰現闘本部裁判における不当きわまる仲戸川裁判官の罷免を求めたことと、12日に迫った「最終弁論」攻撃に対する説明などが行われました。

葉山弁護士

 とりあえず私の方から簡単に報告します。

 今日の裁判闘争、傍聴闘争で闘っていただきまして、法廷を圧倒したということだと思います。こういう傍聴闘争がないと、いくら本人、弁護人が頑張ってもうまくいかないので、そういう意味で非常に大きな闘いになってると思います。

 今日の関係については準備書面の12、これは遠藤弁護士が中心にがんばってやってくれて詳しいことはあとでありますが、農地法6条違反、不在地主は農地を持ってはならない。不在地主と言うのは、成田市に住所を持たない者。空港公団は、1999年以前は東京にあったわけで、明らかな不在地主。農地法6条違反だ。例外的な7条にもあたらない、いうことについて主張しているわけです。

 Photo それから準備書面13、これは一瀬弁護士が準備してくれたものですが、これは青柳土地家屋調査士の鑑定書が乙38号証という形で出ていまして、その鑑定書に従って、NAA側の測量がいかにデタラメかということについて暴露して、特に40番という土地について(右図参照、上写真の左端部分)、「旗竿の形」の地形なんか全くの大嘘だということを徹底的に暴露した鑑定書が出てるんですが、それを準備書面の形にしたということです。

 NAA側は、藤崎(旧地主)が作成したと称する書面を出してきてるんですが、これがまたデタラメなものでありまして、ほそ長い市東さんの所を横切らないといけないから取り替えたと言ってるんですが、その図面に取り換えるべきところの部分が「石橋A」と書いてある。もう一つの方は「石橋B」と書いてある。つまり、「石橋A」を「石橋B」と取り換えるといったってね、同じ人間が同じところを取り換えるといったて矛盾もいいところ。なぜこんな変な図面を出してきたのかわけが分かんない。NAAの側は、これはそうじゃないんだ、いずれかの段階でこれは入れ替わって、「石橋A」と書いてあるところは市東さんが耕作していたんだ、それを昭和46年以降に取り換えたんだということを言ってるんだけれども、そんなことは図面のどこにも書いていない。ひたすら「石橋A」と「石橋B」があって、「石橋A」と「石橋B」を取り換えると言ってるんですが、同じ人間を取り換えたってどうにもなんない。矛盾そのものが図面の中に出てきちゃってる。

 09119_2 それから細長い畑の所を渡んなきゃいけないと言ってるんだけれども、取り換える段階ではすでに、市東さんは当然にこの白い細長い畑と四角ばった長方形の畑の間を作っているわけですから、もし横断するというなら、その細長い畑以外にもうひとつ市東さんの畑を横断しなければならないわけで、そこんところは何も書いていない。ということで、原告側(NAA)は、この図面について不自然なところは何もないと言ってるんですが、とんでもない不自然なことを言っているということです。それを釈明したということで、書面であとで出してくれと言うのでこれは出しますけれども、言ってることがだんだんと矛盾に満ちたことを言い出した。

 しかも、藤崎については証人に出すと非常にボロが出るということで、認証を出す予定もありません、陳述書もありません、それでこのまま逃げ切ろうということなんで、こういうふうな不真面目なことをやってるんだったら徹底的に弾劾しなくちゃならん。矛盾はますます露呈してきたという風に思います。私からは以上です。

大口弁護士

 この件では今、不在地主のことが問題になってるんですけれども、最近、小林多喜二の「蟹工船」ということが話題になっていますが、彼の小説は「蟹工船」だけじゃなくって北海道での不在地主制度の行政、それに対する激烈な小作争議を扱った「不在地主」という小説もございます。

 やはり戦前、天皇家をはじめとして実際に耕さないで大土地を所有する、こういう制度が蔓延したために、農村が疲弊し、それがまた日本全体の非常な右傾化の根拠になって行く。こういう経過があったわけですよね。そういう歴史に踏まえて戦後制定の農地法というものが、不在地主の禁止ということを強く打ち出してきたわけでありまして、それが現在の農地法改悪の中で非常にいい加減にされてきているという現在の危機的な問題があると思います。09119_3

 本件でも、別の裁判で、「移転が予定されていたから、云々」と言ってますけれども、それも20年以上ということで、かつ現在も黙っているわけです。こういう積極的なやり方が、単に事務的なあれが遅れたとか、そういうことではなくて、この「国策」を標榜しているこの空港を彼らが強行するために現地の農家をだましていくというそういう積極的なやり口、道具としてこういう農地法の簒奪ということがあったのであり、また空港は現在、農地法を改悪し、そういう戦後の改革をないがしろにしていくというこの大きな動きの中にこの問題があり、また我々が争っているんだという歴史的な意味も、しっかりと我々は生みだしていかなければならないという風に思います。

 いま現在、今回の選挙でも自民党が大敗し、農協も自民党と手を切るという激烈な流動状況が生じているわけですけれども、このような流動状況において何が核になって行くのかいうことが非常に大切だと思うんですね。そういう点で、「耕すものに権利あり」いう大原則をわれわれが高く掲げてですね、この裁判を闘い、また権力、資本による農地強奪を絶対に許さないということで闘い抜いていく意義は現状況で非常に大きない意味を持っていると思います。

 そういう裁判であるということを肝に銘じて、弁護団でも頑張っていきたいとそういう風に考えています

 

 【管理人より】 なお、11月5日に掲載した「11月9日裁判 市東さんの農地を守ろう!」の中で、この日の裁判を「行政訴訟」「農地法裁判」としたのは間違いだったことを訂正しお詫びします。論じられている内容は、そのままでいいと思いますが。 

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2009年11月14日 (土)

今週の産直野菜(11月14日)

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詳しくは、関実事務局までお問い合わせください。電話 0799-72-5242 または メール kanjitsu_mail@yahoo.co.jp (これをクリックしていただければメールできます)。お気軽に。

 091114 今週の産直野菜が、いつもより早く、今、届きました。すごい! 10品です。

 じゃが芋、青首だいこん、サニーレタス、葉付き人参、キャベツ、チンゲンサイ、玉レタス、冬瓜(とうがん)、カブ、ホウレン草。人参、ホウレン草が、久しぶりのお目見えです。昨日は、雨の中の出荷作業ではなかったのでしょうか。それに、9日、市東さんの農地の耕作権裁判、12日、天神峰現闘裁判の結審攻撃との闘いと連日の闘いの中での出荷作業、本当にご苦労さまです。

 この9日から12日、市東さんの所に泊めていただいて、同盟の皆さんとご一緒させていただきました。

 091110_4 10日は丸一日、援農と出荷作業。先ずは、3月の全国集会の会場になる天神峰の畑で、キャベツの収穫。市東さんが選別して切り取ったキャベツ(右写真)を、コンテナ-に8個づつ入れて運んで行くのですが、足もとが危うい上に、重たい。 1時間ぐらいの作業ですが、足にくるは、息は上がるはで、市東さんが思わず「大丈夫?」。「いやあ、大丈夫です」と返事するものの、まだ10時にもならないのに「これでは・・・・」と内心は不安に。

 次は、サニーレタスの収穫。今度は、選別、切り取りを自分でしました。コンテナ-に10個づつ入れていく。これは軽くて、ほっ。左下写真は、畑に育つサニーレタス。

 それが終わって、10時のおやつをいただいて一休み。今度は自宅前の作業場で、育ってきたキャベツの苗を並べてコンテナ-に移していく。091110_2 それをトラックに積み込んで、南台の畑へ(「ヘ」の字誘導路を強制している畑です)。現闘のFさんが、トラクターでならして、しるしを入れてくれたところに、キャベツの苗を一つ一つ置いていく。そこで12時が過ぎて昼食。

 昼食休みに監視台に上がって様子を見ていて、1時になるので下りてきたら誰もいない。慌てて母屋に行ったら、もう畑に出かけたとのこと。南台の畑に送ってもらって合流。キャベツの苗の植え付けを終わるまでやる。

 それから、冬瓜、さつま芋、ダイコンを車に積み込む。時間が余ったので、午前中に残ったキャベツの苗をコンテナ-に移す作業。虫食いがひどい。畑に入れてやると結構育ってくれるとか。

 それから萩原さんのところへ行って出荷作業。私は、サニーレタスと玉レタスを最後にコンテナ-に入れていく作業。流れ作業なので、最後の方には目が回ってきた。朝からの作業でワイシャツまでドロドロになった地下足袋姿の私に、萩原さんのつれあいの静江さんが、「百姓らしくなったね」と。褒められたのか冷やかされたのか・・・・。終わってお茶を飲み、お菓子や漬物、それに萩原さんの韓国土産のキムチを美味しくいただきながら打ち合わせ。091110_3

 市東さんに乗せてもらって、市東さん宅へ。「終わった、終わった」と思っていると、先ほどキャベツの苗を並べたコンテナ-を積み込み。乗れというのでトラックの助手席に乗ると、もう一度南台の畑へ。必死でやって、暗くなりかけた頃に終了。あ~しんど・・・。

 右の写真は、最初のキャベツの収穫ですが、その右が白菜。これまでの温さで大きくなっている。この寒さで、巻いてくれるかとのお話しでした。温くなっていたため、キャベツには青虫が。もうすぐ白菜が届きますよ。

 風呂に入れていただいての夕食と酒が美味しい。集まって来られた鈴木謙太郎さんと萩原富夫さんと10時ごろまでカラオケに興じることができました。後は、バタンキュー、おやすみ。

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2009年11月13日 (金)

11・12天神峰現闘本部裁判結審 北原事務局長怒りの陳述

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 昨日11月12日、千葉地裁で天神峰現闘本部裁判が開かれ、反対同盟、弁護団、傍聴席が一体となった法廷が騒然となる怒りの抗議を無視して結審が仲戸川裁判長によって強行されました。しかし、早朝からの140名が結集した抗議集会と怒りのデモ(上写真)で開始されたこの日の闘いは、北原鉱治反対同盟事務局長による断固たる陳述(後掲)と、法廷終了後に開かれた勝利感に満ちた報告会に象徴されるように、追い詰められているのが、暴力的な訴訟指揮をしてきた仲戸川裁判長、千葉地裁であり、国策裁判を強制した国家権力、NAAであることを満天下に明らかにしました。9日の市東孝雄さんの農地をめぐる耕作権裁判闘争と一体となったこの4日間の闘いを順次報告していきたいと思いますが、今日は、北原事務局長の陳述を全文紹介いたします。そこに事態が全て明らかにされるとともに、このような国策裁判がなぜまかり通るのか、絶対に許さないという怒りが表明されています。

陳述書  北原鉱治三里塚反対同盟事務局長

 われわれ反対同盟は、今日の法廷を最終弁論として迎えたことに心の底からこみ上げる怒りを抑えることができない。反対同盟は仲戸川裁判長を公正な裁判官であるとは、到底、認めることができない。この裁判長に厳正な裁判などまったく期待できない。反対同盟は、仲戸川裁判長を弾劾するためにこの法廷に立っている。そのことを冒頭申し上げ、その理由を以下に陳述する。

(1)結審まぎわの「訴状訂正申立」と防御権のはく奪

 091112_6 まず、弾劾しなければならないことは、裁判も最終段階の今になって、原告・空港会社が「訴状訂正」を申し立て、仲戸川裁判長が反対同盟に防御の機会を与えることなく、結審する挙に出たことである。

 空港会社の申し立ては、およそ「訂正」などと言えるものではない。「便所」「蛇口及び水道管(埋設部分も含む)4個」「小便器」「流し台」を対象物件とし、これに応じて明け渡し対象地を約8.9坪も広げている。そうである以上、われわれに認否・反論の機会が与えられるべきことは言うまでもない。(右写真は、法廷後の記者会見での北原さん)

 また、収去対象の建物1階については、当初の木造建物の5.5畳の畳敷きの部屋と事務室部分を収去対象の床面積に加えている。当初の木造建物は解体され滅失したという空港会社の主張はどうなったのか、裁判長は確かめることをしないのか。

 しかもこの拡張変更の請求には、「水道管の埋設部分を含む」とされているが、石橋政次氏が反対同盟の権利として残した井戸が含まれていない。対象がどの範囲に及ぶのか、いつからその権利関係が発生したのかといった事実関係を調べもせずに、いかなる判決が書けるというのか。

 空港会社はこの拡張変更を、最終準備書面と同時に提出した。審理のすり抜けを裁判所に認めてもらおうという悪辣な策謀である。仲戸川裁判長はこれに加担した。

 これは空港会社に肩入れする不公平な態度に終始し、暴走と迷走を繰り返してきた仲戸川裁判長の最後的な暴挙であって、断じて認めることができない。

(2)最重要証人の喚問と検証拒否

 次に、最重要証人の再喚問と実地検証を拒否して結審を強行する仲戸川裁判長の暴挙を、徹底的に弾劾しなければならない。

 この裁判の正否を決める最大の争点は、反対同盟が土地を正当に使用する権利としての地上権の存否である。Photo

 これにかかわる地代の授受に関して、虚偽の事実を記載した石橋恵美子証人の陳述書が提出されている。「予め地代の領収書とカンパの領収書と書いたものを持ってきた」とか「金銭を受け取ることは一度もなかった」とかの虚偽の記述は、当人が書いたものとは言えず、まぎれもなく空港会社の作文である。仲戸川裁判長が認めた石橋証人に対するビデオリンクは、真実を白日のもとに明らかにすることを封じるための空港会社の策謀だった。

 さらに、登記された木造建物の存在を確認し、その権利が鉄骨造建物に及ぶ構造上の事実を確認するためには、実地検証が不可欠である。反対同盟は鉄骨造建物の設計段階から、木造建物の保存を第一の目的とした(左写真参照)。木造建物は間違いなく存在する。ところが空港会社は、鉄骨造建物の建設段階で「解体・滅失」したと強弁している。シロをクロと言いくるめる暴論である。

 最重要の争点の事実関係をめぐって、180度対立しているというのに、一度も調べることなく、どうして公正な判決が書けるというのか。

 今回、空港会社が訴えの拡張変更を請求したことも、検証の必要性をますます高めさせている。

 この問題について、反対同盟は二度に渡って書面で申し入れたが、仲戸川裁判長は理由を告げることもなく頑なに拒んでいる。

(3)常軌を逸した訴訟指揮の暴走と迷走

 上記のような、肝心要の重要証人の喚問と実地検証を拒否する偏った訴訟指揮をめぐって、仲戸川裁判長の暴走と迷走が繰り返されたのである。

 検証拒否を不当とした裁判官忌避申立(2007年7月19日)の後の、再開弁論(2008年6月12日)では原告・空港会社の側も検証を申し立てたが、裁判長は双方申請にも応じない姿勢を示した。そして次の弁論(同年9月25日)には、異常な警備のなかで同盟員一名を逮捕するという事件が発生した。過剰警備についての説明を求める法廷で、裁判長は強権的訴訟指揮を乱発し、①検証却下、②3名の証人不採用、③尋問時間と時期の指定を強行した(書記官含め誰一人として告知を確認していない)。091112_3

 これを不当とする2度目の裁判官忌避につき最高裁の決定前に、弁論期日を一方的に指定して、原告の申し立てに基づきビデオリンクを採用した。

 3回目の忌避・即時抗告申し立てと、ビデオリンク方式の不当を訴える最中、裁判長は被告不在のまま開廷を強行し(本年3月12日)、すでに決定していた被告側3名の証人調べを一方的に取り消して4月23日を最終弁論として通告した。

 この常軌を逸した訴訟指揮に対して強く抗議するや、裁判長は3名の証人を認めたものの尋問時間を不当に制限した。さらに抗議したところ、事実上その非を認めて全面的に撤回した。

 ところが、6月25日の弁論では、石橋恵美子氏ら重要証人の再喚問と実地検証を却下し、即日結審しようという訴訟指揮を強行した。

 あげくに、空港会社の「訴状訂正申立」に対する防御権の保障の請求を電話で却下し、結審を強行しようとしているのである。

(4)防御権を封殺する証拠隠滅は許さない

 091112_4 以上の経過と裁判長の本件裁判に対する敵対的姿勢を見るとき、反対同盟はじつに重大な懸念を抱かざるをえない。

 それはこの裁判の始めから建物収去の結論ありきの国策裁判として進行する事態の先には、判決に仮執行宣言を付して、現に存在する物的証拠もろとも破壊・隠滅するのではないかという懸念である。これは、控訴審における反対同盟の防御権をあらかじめ封殺することを意味する。(左写真は、この日朝の集会で提起される北原事務局長)

 三里塚現地において、原告・成田空港会社は暫定滑走路北延伸と新誘導路の違法な工事を強行し、地元住民の「反対」の声を押し切って供用した。その上、空港予定地を飛び出しての「第3の誘導路」計画をうち出した。供用されている誘導路の欠陥と破綻を取り繕うためのものだが、同時に別件で農地取り上げと闘う市東孝雄さんの家屋・畑を空港内に囲い込み耐え難い騒音で追い出そうとする非道な国家犯罪である。

 こうした暴挙と一体であるかのような本件裁判は、断じて認められない。司法制度改悪の尖兵となって強行する不当な訴訟指揮は許されない。

(5)裁判官罷免請求は止むに止まれぬ権利の行使

 091112_5 反対同盟は11月4日、裁判官訴追委員会に対して、仲戸川裁判官罷免の訴追請求を行った。これは、偏った訴訟指揮を改めるように何度も訴えたが聞き入れず、地上権立証に不可欠の実地検証をせず、最重要証人の再喚問にも応じない裁判官に対する、やむにやまれぬ権利の行使である。

 反対同盟はいかなる判決がくだされようと微動だにしない。だが、仲戸川裁判長による、かくも常軌を逸した審理が横行することは許されない。反対同盟は、その不当を明らかにして、徹底的に闘うことをこの場で宣言して陳述とする。

 

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2009年11月 7日 (土)

今週の産直野菜(11月7日)

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詳しくは、関実事務局までお問い合わせください。電話 0799-72-5242 または メール kanjitsu_mail@yahoo.co.jp (これをクリックしていただければメールできます)。お気軽に。

 09117 今週の三里塚からの産直野菜が、いま届きました。さつま芋、長ネギ、青首だいこん、チンゲンサイ、カブ、サニーレタス、小松菜の7品です。

 この程度なら一人でも楽勝。といってもズボラな私のこと、こぶダシの鍋がめっきり多くなりました。丁度、寒くなってきたし、酒もおいしい。といっても、芋ほり大会で掘って帰ってきたさつまイモが今もあり、これだけはみなさんにお裾分け?

 しかし、9日に市東さんの裁判と12日には天神峰現闘本部裁判があり、明日の夜から木曜まで千葉に(往復していたら身が持たん?)。さて、どうしよう・・・。

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2009年11月 6日 (金)

始まった神戸空港の破綻

09116  昨日、経営再建中の日本航空が神戸空港に就航している全路線から撤退することを正式に発表した(左記事)。矢田神戸市長は、「搭乗率は70%を超えており、受け入れがたい」と反発しているという。

 開港前から言われてきたが、すでに大阪空港と関西空港という国の基幹空港が30キロ圏内にあり、しかも、新幹線が整備されている中で神戸空港は必要なのかと。大方の予想通り、神戸空港の軸になるスカイマーク社と新幹線の値下げ競争が繰り広げられた。それは、昨年、大阪空港の羽田便と新大阪発の新幹線のダンピング競争まで引き起こした上に、大阪空港の前年割れをも生んだ。

 その中で、日本航空は、格安航空券を発売する各旅行会社に廉売することで搭乗率を確保したにすぎない。それは、70%以上あろうとも、まったく採算がとれない結果を引き起こし、日本航空再建案の最初に全面撤退が公表されるという結果を生んだだけだ。そもそも、7便が当初就航したスカイマーク社も、80%以上の搭乗率を確保しながら、経営改善のために2便を羽田‐旭川便に振り替えざるをえず、現在スカイマーク社の神戸‐羽田便は5往復に減っているのだ。

 もともと神戸空港の需要予測は、開港前の論議で明確に指摘されていたように、今日の経済危機はともかくとして、すでに低成長に入っていた当時でさえ、高すぎるGNP(経済成長)を前提とした予測であることが批判されてきた。しかも、需要の50%近くが、大阪府北部(つまり大阪空港周辺)に見込まれていたという、デタラメなものであることが批判されていた。神戸市当局はいまだに市議会の答弁で、このことをあげて「営業的努力不足」「汗をかかなければ」などと言って恥じない始末なのだ。

 予想されたとおり利用客は開港景気の2年目以降減り続けている。昨年度は、2年目を13%も割り込んで258万人。今年度は、その昨年を毎月下回り、さらに10数%落ち込むことは確実となっている。091021_2 来年度に神戸市が予測していた利用客の6割にしかならない。利用する航空機も29往復なければならないところが、各社の減便、撤退で22往復にしかならない。しかも、利用客の減少と航空会社自体の経営危機から航空機の小型化もあり、当然にも空港の営業収入の柱である着陸料収入は、右図(09年10月21日付、朝日新聞より)に示されるように激減している。今年度の予算の段階で、発生する赤字の予測に対し、3億1600万円のそれまでのもうけを吐き出して、かろうじて帳面を合わせているのがやっとだ。そこへ、この着陸料収入の4割を占める日本航空の全面撤退である。

 そもそも今年度の管理収支(予算)でも、収入18億円のうち、着陸料が7億円であるのに対し、国の地方交付税と兵庫県からの補助金が6億円もあるという、普通の会社ではとても考えられない内容で、それでも、3億円以上の赤字なのだ。この10月22日、関西経済同友会の山中代表幹事は「関西に3つの空港は必要ない」「神戸空港は廃止」と記者会見で言ったという(各紙報道)。06年開港前に、国交省、各自治体、財界が「3空港棲み分け」を大宣伝したことがなかったかのような、この厚かましい主張に苛立ちさえ覚えるが、しかし、当然の結論だろう。

 091029 そこへ神戸市は、10月28日に、2000億円にのぼる建設のために作った借金の返済を先送りすると発表した(左記事)。空港島の埋め立て80数ヘクタールを売却して返済するとしてきたものである。すでに完売されていなければならない今に至るも、3ヘクタール45億円しか売れていない。これで、空港の経営が危うくなるなかで、誰がそのそばを買うというのか。そもそも、手前のもっと利便性の高いポートアイランド2期部分でさえ、大半が売れ残り、返済が700億円も繰り延べされ、新たな返済が神戸空港のこの返済と重なって深刻な事態となっているのではないか。

 新たな市債の発行による返済の繰り延べは、売れる展望もない中、「新たな金利の発生」による負債の増大という事態を招く(それも市債が売れての話しだが・・・)。これに対し、神戸市当局は、なんと「資金繰りの問題だ」と平然とうそぶいたという。これほど市民を愚弄する態度があろうかと、激し怒りを禁じえない。そんな言葉が成り立つのは「売れる展望」があればこそであろうが!

 神戸空港の建設の財源は新都市整備事業会計という特別企業会計で、そこには現在預金などを含め1927億円がある。それを使って一部は返していくと言っている。所が、この新都市整備事業会計は、先に述べたポーアイ2期事業や、新産業都市事業などで、借金総額3703億円もあるのだ。結局、神戸空港の分がまるまる不足している勘定なのだ。

 私たちは、建設が開始される前から、低成長期に入った経済状況の中で、しかもポーアイ2期事業が行き詰っている中で、神戸空港の埋め立て地は売れるはずがないと指摘し反対してきた。1998年、住民投票を求める署名が猛暑の中、わずか1ヶ月で35万人(法定投票31万余、有権者の30%)が集められ、市民の反対の意志が強く示されたのも、このことへの不安が最も大きかったのだ。そしてその不安が現実のものとなったのだ。

 建設当時、当該部局のみなと総局長として先頭で、市民の声を無視し建設を強引に進めた矢田市長よ。需要や環境破壊、財源、様々な指摘されていた問題が何一つ明らかにされないまま2006年開港を強行した最高責任者としての矢田市長よ。将来の神戸市の市民、子供たちや、孫たちにこの巨大な負の遺産を残してはならない。また、市民への犠牲の転嫁は絶対に認められない。自らの資産をはじめ、この事業に加担した企業などの総力をあげて矢田市長が、新たな任期のこの4年の間に全てを清算し、神戸空港を廃港にすることを強く求める。

 そして「死の海」に瀕した大阪湾は、神戸の一部の人間の儲けのためのものではない。将来に「ちぬの海」と言われてきた海を取り返していくことこそ、この半世紀で破壊してきたことによるその恩恵を享受してきた者たちの責任である。矢田市長よ、人生をかけ、神戸空港の埋め立てによって「青潮」を発生し、「死の海」に瀕している大阪湾奥部を回復させることを断固として要求する。そのために神戸空港島を直ちに撤去せよ!

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2009年11月 5日 (木)

11月9日裁判 市東さんの農地を守ろう!

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 11月9日午前10時半から、千葉地裁601号法廷で、市東さんの農地(上の写真の南台の畑と自宅前の天神峰の畑)をめぐる行政訴訟(市東さんが訴えた裁判)と農地法裁判(NAAが農地取り上げを謀った裁判)の口頭弁論が開かれます。市東さんの農地を守ることは、今や三里塚闘争の核心中の核心です。しかも、裁判という形で争われる最大の原因は、国とNAAにとって、土地収用法が失効した(1993年)ことによって、半分も完成していない成田空港が完全に展望を失っているということにあります。国家権力の伝家の宝刀「土地収用法」が使えない今、裁判所を使って農地を取り上げようとしているということです。

 すでにこの間明らかにしているように、天神峰現闘本部裁判の仲戸川裁判長に体現されているように、裁判所(司法)は、もはや「三権分立」の府などではない。法理からも行き詰った国家権力の意志を実現するための「国策裁判」でしかない。

 農地法が今年7月の国会で改悪されました。戦後革命情勢の中で、戦前の澎湃と起こっていた小作争議を引き継ぎ決起した農民大衆の怒りを鎮めるために制定されたのが農地法です。それゆえに、憲法9条、教育基本法、労働3法と並ぶ、戦後民主主義の柱ともいうべき法律です。この間、小泉政権以来、憲法9条改憲攻撃を前提に、これらの法律が次々と解体されてきた最後のものとして、この7月の農地法改悪が自民党政権最後の仕事として強行されたのです。しかも、民主党の同意をも取り付けて。

 象徴的事態は、「耕作者に権利あり」と農民、農地の保護を掲げた第1条を削除したことです。しかし、市東さんが耕す、無農薬有機栽培がおこなわれている超1級の農地を奪おうと、農地法裁判が提起されたのはその前年の08年であり、何よりも、「耕作権解除申請」が農地法を理由にNAAによって行われ、成田市農業委員会、千葉県農業会議が十分な審議もおこなわず、堂本千葉県知事によって許可決定までが強行されたのは2006年の7月から9月というわずか3か月の間のことでした。農地法に基づくならば、このような拙速な決定が行われたこと以上に、本来受理されるべきものでなかったことは明らかであり、裁判などあり得なかったはずのものなのです。にもかかわらず、裁判が続けられているということ自体が、裁判所が「国策裁判」を行っているということなのです。091020

 これが萩原進さんが、「三里塚の裁判は、形を変えた代執行だ」といわれる所以です。私たちは、このことへの市東さんをはじめ反対同盟の皆さんの根源的な怒りを、受け止めなければなりません。そして、このことが持つものへの本質的な危機感を受け止めなければなりません。並の裁判闘争ではないのです。現地の農地死守、実力闘争と固く結びついた闘いなのです。(右写真は、先日10月20日開かれた耕作権裁判後の報告会で挨拶される市東孝雄さん)

 裁判そのものは、その前提自体がすでに明らかにしたように破綻した、法規をも無視したものであるだけに、法廷内の論理としても裁判所とNAA、千葉県、国を圧倒して進んではいます。しかし「国策裁判」なのです。裁判所を圧倒する傍聴闘争、裁判所包囲闘争が必要とされています。まだまだ不十分です。とりわけ、今回の法廷は、11・12天神峰現闘本部裁判闘争の決戦局面を迎えた闘いと一体のものとしてあります。多くの皆さんの決起を訴えます。

 今朝の朝日新聞の朝刊の1面に、「日本@世界」と題する朝日新聞主筆・船橋の論文が掲載されていました。細かくは述べませんが、「日米同盟が盤石であってはじめて」とし、多くの農民が強く反対している「日米自由貿易協定と日中韓自由貿易協定を同時に推進すべき」とし、また沖縄県民のほとんどが反対している「普天間移転」を「現実には『辺野古沖』案と海兵隊のグアム移転案を基地統合再編の第一歩と位置付けたい」と結論付けています。

 もちろん朝日新聞が「オピニオンリーダー」と言いながら、新自由主義勢力の闊歩の中で、反動化の道を進んでいたことは承知しています。しかし、この論文は、朝日新聞が公然と日本帝国主義の側にその立ち位置を定めることを宣言しているのです。

 その典型的なインチキな論理を一つだけ明らかにしておきます。「普天間移転に関しては、『県外移設』案も『嘉手納統合』案も日本の国内、沖縄県内に強い反対がある以上、難しい」ゆえに「辺野古」だというのです。この二つの案を「も」で並べ、「日本の国内、沖縄県内に強い反対」と並べることに言葉のマジックというかインチキがあります。沖縄のほとんどの人々が「県外移設」を望み、同時に「嘉手納統合」などという本土の民主党だから考えるにすぎない「案」に当然にも強く反対しています。沖縄の人々の願いは「基地撤去」であり「基地統合再編」などでは断じてありません。この意見と「日本の国内」とを乱暴に並べることですり替えているのです。そもそも、日本国内の米軍基地の75%が、面積にして国土の1%しかない沖縄を占拠しているという現実を無視し、「沖縄県内」の前に「日本の国内」を置いて書くという論理の中にある数百年、少なくとも近代国家日本130年に潜む沖縄への差別を開き直った姿勢が、こうした稚拙な文章を生むのではないでしょうか。文章に責任を持ち、事実を正しく伝えなければならない朝日新聞の主筆がかくも幼稚なすり替えを行わざるを得ないところに、自らが果たそうとしている役割の破綻を、反動性を物語っているといえるのではないでしょうか。戦前の報道機関の歴史を長いこと検証してきた朝日新聞が、その上に立ってこうした「立ち位置」を自らのものとして選択したというこの宣言を怒りを込め弾劾します。

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2009年11月 4日 (水)

11・12千葉地裁デモ・天神峰現闘本部裁判闘争へ(その2)

Photo  天神峰現闘本部をめぐるこの裁判の最大の争点は、反対同盟の地上権があるかないかをめぐる問題です。現在鉄板で囲われ閉鎖されている現闘本部は、左写真に見られるように、成田治安法による破壊攻撃に抗するために、1988年12月に木造建築の旧本部を残したまま、増築して鉄骨3階建てに建てられました。

 1966年12月に石橋政次(元反対同盟副委員長)との間に地上権設定契約が締結されて旧本部は建設され、67年9月に所有権保存登記が、小川三男(当時衆議院議員)名義で行われ、04年6月に反対同盟代表・北原鉱治名義に所有権移転登記がなされました。

 これを空港会社代理人は、旧本部木造建築は解体され、鉄骨3階建てが建てられたから地上権は失っていると主張してきたのです。それゆえ、反対同盟と弁護団は、2004年6月に開始されたこの裁判の当初から、現場検証を強く求めてきました。ところが、06年4月に異動で裁判長に着任した仲戸川隆人裁判官は、早期結審策動を隠そうともせず、現場検証をしないまま証人尋問に入ろうと策動を強めました。

 07年7月19日、反対同盟弁護団は、露骨にNAA寄りの訴訟指揮を繰り返すばかりか、現場検証をやろうとしない仲戸川裁判長に対し、やむなく裁判官忌避の非常手段に訴えました。そのため裁判は、08年6月まで空転。しかし、仲戸川裁判長は、反省するどころか、再開された6月12日の口頭弁論で、NAA側代理人がそれまでの「検証不要」の態度を変えて、「登記建物が滅失したことを証明するため」として現場検証を求めたにもかかわらず、08年9月25日の口頭弁論において、法廷から逃亡しながら、検証を行わないことを決定しました。この日、法廷周辺に機動隊を配置し、反対同盟員を一人不当に逮捕するという弾圧体制の下に、その暴挙が行なわれたのです。

 反対同盟弁護団は、直ちに二度目の裁判官忌避を行って対抗しました。しかし、仲戸川裁判長は、最高裁の忌避についての決定が出ていないにもかかわらず、09年3月12日、開廷を強行し、最重要証人の石橋恵美子(石橋政次の息子の嫁)の証言をビデオリンクで行うという偽証を前提とした訴訟指揮を強行しようとしました。やむなく反対同盟弁護団は、3度目の裁判官忌避を行いましたが、忌避されている仲戸川自身が簡易却下を行い、特別抗告が受理されているにも関わらずそれを無視して、裁判を強行したのです。そして、抗議する反対同盟に対して弁護権を放棄したとして反対尋問を認めなかったのです。

 11月12日の結審攻撃は、こうした現場検証の要求と、証人への反対尋問(再喚問)の要求を一切無視し、拒否したまま行われようとしているのです。それは、仮失効宣言を付して判決を強行し、高裁への抗告を行おうと、現に存在する物的証拠もろとも破壊、隠滅しようという許し難い強権発動を目論んだものであることは明らかです。まさに国策裁判の手先と化した仲戸川裁判長を断じて許してはなりません。

 これは、土地収用法をもぎ取られ、正当な法的手段では市東さんの農地を奪えなくなった国家権力による市東さんへの農地法による農地強奪とともに行われようとする違法、不当な権力犯罪以外の何物でもありません。こんなことをどうして許せるでしょうか。11月12日の千葉地裁に向けたデモに始まるこの日の闘いは、そうした意味でまさに「代執行攻撃」を跳ね返す決戦として闘われるのです。

 11月12日午前9時、千葉市中央公園に、そして10時半、千葉地裁に総決起しよう!

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2009年11月 2日 (月)

11・12千葉地裁デモ・天神峰現闘本部裁判闘争へ(その1)

091011

 三里塚反対同盟は、来る11月12日(木)午前9時、千葉市中央公園(パルコ前、千葉駅から徒歩10分)から千葉地裁に向けた戦闘的なデモを行い、10時30分から法廷が開かれる天神峰現闘本部裁判への傍聴闘争に総決起しようと訴えておられます(上写真は、10・11現地全国集会で、天神峰現闘本部前をデモする関西実行委員会の隊列)。

 仲戸川裁判長は、常識では到底考えられないような違法・不当な訴訟指揮を繰り返しながら、ついに11月12日の口頭弁論を持って、天神峰現闘本部裁判を結審させ、その上、年内判決を策動し、仮執行処分付きの判決をも強行しようとしています。

 Photo この局面について、萩原進反対同盟事務局長は、先日の10・11現地集会の基調報告の中で、以下の明確な闘争方針を提起された。「三里塚の裁判というのは、裁判で判決が下されたらそれで終わりてのじゃないんですよ。これが前哨戦。これが現地に帰ってきて、ここで肉弾戦になり、血を流し、みんなが武装して闘い抜く、その戦場を作るんですね。これが先ほどから言われている本部裁判であり、市東さんの裁判なんですよ。形を変えた代執行なわけですよ。このことを肝に銘じて、今日、この場でほんとに決意を固めていただきたい。これが出来ないんだったら、今すぐこの畑から出て行っていただきたい。反対同盟は決意を固めました。やります」と。

 右写真を見ればわかるように、天神峰現闘本部は、市東さんの畑の南に隣接し、共に「ヘ」の字を誘導路に強制し、暫定滑走路の最も本質的な破綻を強制しているのです。F 仲戸川裁判長が、あらゆる術策を弄し、早期結審を策動し、ついに結審攻撃に撃って出て来たのは、現闘本部を撤去し、市東さんを孤立させ、「農地法による農地強奪」という天人ともに許されざる暴挙を行おうとするため以外の何物でもありません。それゆえに、11月12日の口頭弁論(結審)の開催自体が、萩原さんが提起されるように決戦の開始を告げるものとなったのです。左写真は、強奪攻撃がかけられている南台の市東さんの畑と孝雄さんですが、その左奥にそびえるのが現闘本部、その左のフェンスが「ヘ」の字部分なのです。091011_2

 そもそも天神峰現闘本部が、現在のような無様な形(右写真は、この10・11集会の折のもの)で、国家権力も含め誰も近づけない、国が裁判で撤去を争わなければならない形に、なぜ残されなければならなかったのかです。

 成田空港二期工事をめぐって、85年10・20戦闘など反対同盟を先頭とした二期阻止の闘いに追い詰められた、国、空港公団は、市東東市さん(孝雄さんのお父さん)などへの軒先工事などの理不尽な地上げ屋まがいの攻撃を行う一方で、成田治安法という超法規的立法によって、闘争会館や大清水の小屋など、空港周辺の闘争拠点の全てを撤去する攻撃に出てきました。天神峰現闘本部もその一環として、1990年1月15日、家宅捜査と称して入りこみ、北原鉱治反対同盟事務局長(所有名義人)をのみ残させて、雪が降りしきる中での弁護団や永井さんを先頭とした関実をはじめ支援の怒りの反撃を機動隊の壁で跳ね返し、こそ泥的に成田治安法の適用を宣言し、今日の鉄板で囲まれた異形に落とし込めたのです。

 他の成田治安法をめぐって閉鎖された場所が跡形もなく撤去され、今では見る影もなくなっているのに、なぜ、ここだけこういう形になり、国・空港会社が撤去のために裁判を起こさなければならなかったかです。

 Photo_2 それは、ここが、すでに闘いから逃亡した元反対同盟副委員長の居宅の庭にあり、反対同盟農民の憩いの場所、天神峰部落の寄り合い場所として旧平屋があった、正に農民の生活の場所であったからです。それが二期決戦の緊迫が深まる中で、反対同盟の所有として登記され、闘争拠点として鉄筋コンクリートの3階建てに増築(左写真)されたものなのです。

 それゆえに、不当にも成田治安法がかけられながら撤去されることなく、その地上権、農民の生活の場であることを認めたが故に、不当にも鉄板で囲われ、閉鎖されたのです。そして、20年近くにわたって毎年、その折の国土交通相によって更新されてきたのです。この9月、前原国土交通相が更新していることは、この三里塚闘争の43年の歴史を民主党政権が一顧だにしなかったものとして、断固として糾弾されなければならないことは言うまでもありません。

 こうした天神峰現闘本部の歴史的経緯、ひいては三里塚闘争の43年の歴史を一切否定するものとして、絶対に現場検証をやろうとしない仲戸川裁判長の結審=判決攻撃があるということ、これが11・12口頭弁論が決戦とされる最大の根拠です。

 三里塚闘争を否定し、市東孝雄さんと三里塚反対同盟に襲いかかろうとする国家権力の意志を体現した仲戸川裁判長を断じて許さず、11・12千葉中央公園での「千葉地裁」デモに総決起しよう!我々の怒りの輪で、千葉地裁、仲戸川を糾弾しよう!

 

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2009年11月 1日 (日)

10・25狭山全国総決起集会で

 10月25日、社会文化会館三宅坂ホールで部落解放同盟全国連合会主催の「10・25狭山全国総決起集会」が開かれ、関実を代表して山本善偉世話人が、連帯の挨拶を述べられた。

連帯挨拶  山本 善偉関実世話人

 まず最初に、関西実行委員会は、さる3月15日の集会、続いて9月27日の三里塚関西集会をやりました。全国連の強力な力をいただいて、関西の三里塚勢力を2倍にも、3倍にも増やすことができました。おかげで、10・11の現地集会には、今までにない熱気をもって終えることができました(右写真は、10・25狭山全国集会で挨拶される山本世話人)。091025

 私は、永井代表が話している間、ずーっと会場を見ましたが、全国連の黄色いゼッケンが沢山見えて非常に心強く思いました。この席であらためてお礼を申します。

 星稜会館での集会に出てから、数年私は失礼しておりました。89になりまして、もうダメかなと思っていましたが、この案内状を読んだ時に、これはどうしても行かねばならん、これは非常に大切なことだと思った。それは、ここに9月10日に、狭山第3次再審に関する裁判長、弁護団、検察による三者協議会が開かれたということが書いてあります。長い間こんなものは開かれなかったのに、ここで開かれた。これは一体どういう意味なのか。

 今の社会情勢から言って、足利事件がああして冤罪がはっきりするというようなこういう状況の中で、これはプラスにとっていいのだろうか。それとも、これは一つの儀礼として、再びこの我々が闘う第3次再審請求を頭から消してしまおうとするペテンではないだろうか。と、まあそういう気持ちでしたので、是非ともこれに参加したいと思いました。

 その中に、この証拠を出せという要求に対して、裁判長は10月末までにそれらがあるかどうか回答せよと検察に言った。これ、いったいどういうことですか。これ、「無かった」と検察が言えば、もうそれでもって手続きはみんな済んだというようなことにするんじゃないでしょうか。

 12月にふたたび三者協議会がもたれるというように聞いています。今こそ証拠を開示させる。菅家さんは17年で無罪になったといいますけれど、石川一雄さんは40数年なんですよ。仮出獄はしておりますけれども、彼の苦しみ、青年時代から、あるいは少年時代から今まで、どんな苦しみをなしてきたか。これを取り戻すことができなくて、我々は本当に人権を守ることはできないと思います。

 今の国家は弱いものを平気でつぶす国です。我々は、それと闘わねばならない。三里塚の実情を見て下さい。あの北側に延伸して、未完成の暫定滑走路をこの22日に2500(メートル)に延ばして、もうはや使用をはじめました。そして、市東孝雄さんを取り囲むように第3の誘導路を作る。絶対に許せない。この石川一雄さんを取り戻すことができなくて、もしも市東孝雄さんをあの権力の力で空港内に閉じ込めてしまって消してしまうというような、そういうことをやらせては、もう日本の将来はありません。

 ぜひともこの両方ともに勝たねばならないと思います。そういう気持ちで、私はこのように杖をついて今日まいりましたが、ともに闘いましょう。

 

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