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2009年10月 3日 (土)

9・27三里塚関西集会 決意表明(その1)

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援農してきた若い人たち(?)  古河さん

 すみません。余り若くなくて。若い人たちが遠慮して上がるの堪忍してほしい言われてね。それなら上がれる人間だけで上がろかと・・・。Kさん、来なあかんで。カメラほっといて・・・。

 大阪でヘルパーやってます古河です。ちょっとね宝塚の奥の方で、荒れ地を耕してくれないかと言われ、4月の初めからガンガン耕して、ほんとに畑にして今も耕し続けてるんですがね、この9月の今ごろというのは、秋冬の作物の準備ですごく忙しい。日曜日の朝、4時間、実際に後の人(Mさん)と耕してきたんですが、そんな時期に、市東さん、萩原さん、そして鈴木さん、ほんとに御苦労さまです。

 萩原さんから「あの空港を廃港にするんや」と鮮明に提案されて身体が震えています。市東さんのところのすぐそばを3本目の誘導路を通す、これを絶対に作らせない。あるいは暫定滑走路をほんとに閉鎖させる。そしてA滑走路へ攻めのぼっていかなければならないと思います。09927_2

 自分自身、71年9月、忘れもしないけれど、狭山の中央集会の最後のところで、三里塚が決戦だから行こうと、労働者がほとんどそのまま三里塚現地へかけつけて強制代執行と激突していった。ほんとに今、そういう激突を恐れずに闘っていくということがすごく重要だと思います。

 あらためて見た時に数がたらないんですよ。もっと隊列を分厚く、強くしなければならない。数を増やさなければならない。それと、44年間、反対同盟の農民が闘い続けてこられ、勝ち続けてきたその根本は何やと言うたら、春、秋、春、秋、夏、冬、ずっと耕し続けて来られたというのが根本の土台やと思うんです。農地死守ってことがここにあると思うんです。

 現地に入って、「それじゃあダメだ」などと言われながら草取りやったりしながら、「100円の大根」というけれど、その通りなんですね。萩原さんも、市東さんも、鈴木さんも畑耕して生きて来られたわけです。それを支えていく、小さい力でもね、どんだけのことができるんやという意見もありますけどね、草取りやって、畑の片付けやって、収穫やって、出荷の手伝いやって、おたおたしながらやけどね、十数人がもうすでに援農を経験しています。今後もね、がんがん援農に入っていこうと思ってます。援農に入れば非常によくわかります。自分たちが勝っている、反対同盟が勝ち続けてるということがよくわかる。今後も、だいたい3月、6月、それから8月、10月というペースで入ってるんですが、若い人たちに提案すると、結構、ケロッと来てくれるんです。今後も援農を続けながら、援農隊の数も増やしていきたいし、何よりも隊列を強化するそういう宣伝、扇動をもっとやっていかなきゃあならないということで、10・11を大きな集会として成功させていきたい。僕の方からは以上です。

Mさん  今日は。神戸からきましたMです。今回三里塚の援農に初めて参加させて貰いました。台風がちょうど来とって、あまりたいした役には立ちませんでしたが、この10・11、そして次の10・25収穫祭には是非参加させて貰いたいと思っています。ちなみに今朝は7時45分から、宝塚で畑仕事、田んぼを耕して、その足でこっちに来させてもらいました。ありがとうございました。081020

Kさん  今年の3月、それから6月、三里塚にお邪魔しました。足手まといになりながらも、ほんとに出来ること、草取りぐらいしかできなかったんですが、市東さんとか、萩原さんとか、鈴木さんとかにお世話になりました。三里塚の大地の上で見る3人のお顔と、今回、関西に来られて、働いている厳しさの顔とか、仕事の合間の笑顔とかを思い出しながら、関西で再会できたことが非常にうれしいことだと僕は思っています。これから、関西の方でも土を掘れるというか、素朴にそこから共感できるものが何か、三里塚と関西の間でちょっとずつ生まれてくればいいなぁと、そんなに大きなことはできないですが、これからも続けていきたいと思っています。

Sさん  関西合同労組の執行委員をやってますSといいます。先日、8月の終わりに先ほどのMさんと一緒に援農に行かせてもらったんですが、残念ながら台風で、ぜんぜん畑に出ることは結局できなかったんですが、鈴木さんのところで、奥さんの加代子さんとかからいろいろ話しを伺って帰ることはできました。実は、私は過去に5年間ほど三里塚にいたことがありまして、三里塚闘争には特別な想いがありまして、これからも一人でも多くの若い人を中心に三里塚闘争に参加してもらえるよう、これからも頑張っていきたいと思います。以上です。09927_3

Dさん  Dです。今年の6月に、私の病気、うつ病と援農の関わりについてということでパンフレットを出さしていただきまして、多くの方に買っていただきまして、そしてカンパも寄せていただきまして、それで6月の援農にも行くことができました。先ずお礼を言わせて下さい。ありがとうございました。それから、援農の喜びと言うのは、私にとっては、大きなことは全然できなくって、ほんとに人の3分の1とかそんなぐらいしか仕事も出来ないし、何もお役にも立てないし、邪魔してるだけなんだけれど、だけどすごくやったあとの達成感というのを味あわせてもらっています。それと、もしみなさんの中で、小回りのきく形で車で現地闘争に参加されたりする方がおられたら、現地調査をぜひやっていただけたらなと思います。いろんな施設、闘争の後の施設や、現在も空港を食い破っているような施設だとか、そういうのをずっと回って、空港がいかにボロボロの姿か見ていただいて、全然うまく行ってないということをその目で確かめていただけたらなと思います。これからも毎年、援農企画が行われると思いますので、年齢に関係なく参加していろんな体験をしてください。現地の方とのふれあいなんかも私は楽しみにしています。どうぞよろしくお願いいたします。

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