9・27三里塚関西集会 決意表明(その4)
私は、77年の時に三里塚に援農に行く予定でした。前日にテレビを見ると、岩山の大鉄塔(左写真、福島菊次郎さん撮影)が、機動隊に包囲されて巨大クレーンで倒されようとしているニュースを見て、急遽、1日繰り上げて行きました。その時は先輩の指示でですね、スーツ姿で三里塚に行きました。アタッシュケースの中にはすね当て、ひじ当て、そして安全靴等々を入れて行きました所、成田の京成の駅ですかね、駅には大勢の活動家の人たちが検問に会っているところを、私はスタスタと検問に会わずに、天神峰の現闘本部に行きました。ただ、僕はまだ運動に入りたてだったので、非常にやっぱり緊張しました。天神峰に行くと、今現地では火炎瓶と投石で頑張ってるからすぐ飛んで来てくれと言われて、まあ、大変だなと思いながら現場に駆けつけました。
当初は人数は少しで、数百で頑張っていました。その中でちょうど東山さんが機動隊の催涙弾の水平撃ちで亡くなったという情報がはいって、現場は非常に緊張していました。夜には、サーチライトを照らしたヘリコプターが何機も上空をぐるぐる回っているという状況の中で、全国から多くの仲間が駆け付けて最終的には数千人に膨れ上がり、農協での集会場で、そこに催涙弾が撃ち込まれ、たまたま私の前の人のヘルメットにパカッとあたり、ヘルメットがパカッと割れちゃって、その人の頭を心配する前にヘルメットに見とれてしまった。今でも強烈に割れたヘルメットが目に焼き付いています。
開港をめぐって動労千葉のジェット燃料貨車輸送阻止闘争、あるいは航空管制センターへのゲリラ攻撃、また管制塔襲撃の破壊の闘いなどがあって、当時私たちは関西実行委員会として真っ赤な大型バスを十数台も連ねて何回も何回も闘いの現地へ行き闘い抜きました。文字通り、先ほど反対同盟のみなさんがおっしゃっておられたように、全人民共闘の砦というこの実感ですね、この三里塚の闘いが世の中を変えるんじゃないかという力を三里塚闘争の中で感じました。
私自身は今、労働組合のオルグをしておりますが、今、労働運動や市民運動を中軸で担っていく人の中には、三里塚を闘ってきた人が沢山おられると思います。三里塚はニンジンや大根を育てておられます。しかし、やはりその中から闘う人士を何千人と育ててきた大地だったと僕は思います。反対同盟の43年間の不屈の闘いが、今、国家権力による激しい暴力的な攻撃との闘いの中で、ついに、飛行機は飛んでいますが、国策、国家戦略を破綻に追い込んでいるんだという、この反対同盟の決意、この反対同盟農民の闘いと、労農共闘、全人民共闘を、現在は反基地、反戦、反安保の日本の階級闘争のほんとに天王山的闘いとして今も闘う砦としてあると思います。
市東さんの生活を暴力的に封じ込めようとする第3誘導路建設阻止、暫定滑走路の北伸・延伸部分の供用開始阻止。破綻を繰り返す権力の焦りに満ちたこの暴力的な攻撃を断固としてはねかえそうではありませんか。新たな統一戦線の闘いでこの攻撃を絶対にはね返していきたいと思います。私たち関西合同労組は、10・11に全力で決起していきたいと思っております。ともに頑張りましょう。
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