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2009年10月 4日 (日)

9・27三里塚関西集会 決意表明(その2)

09922  写真は、中国電力の台船などに対峙する祝島の漁船群(09.9.22 ブログRadioActiveより転載)

風をおこす女の会  松野尾さん

 こんにちわ。風をおこす女の会というのはたいへんに新しい組織なのです。人間はあまり新しくなくて申し訳ないんですけれども、ちょうど昨年の今ごろから準備を始めて、名前もあれこれ考えて出発しました。今年の夏になってようやく名前ののぼりを作りまして、後ろに緑色ののぼりがあるんですけれども、風をおこす女の会の「のぼり」の今日がデビューの日ですので、これをひるがえして一緒にデモに参加したいと思います。

 みなさんがおっしゃった、三里塚の運動の垣根とか、いろんな違いを乗り越えて、全国にいろんな闘いがあって、みんながいろんな問題を抱えて、怒りを持ってそれぞれの工夫を凝らして闘っている。それをつなげていきたい、それを大きくして、今の社会そのものを打ち倒すような、変えていくような運動を作らなければならないという訴えに、私たちも本当にその通りだと思います。09927

 三里塚については、初めのころから知っている者もいるし、最近はじめて知ったという人たちも私たちの中にはいます。風通信と言うささやかな通信を月1回出しているんですけれども、毎回と言うわけにはいきませんが、三里塚のことは知っているよ、三里塚のことは全部わかってるよという相手じゃなくって、成田空港でそんなことがあったのと言うような人にも、今ここはこうなってんだよ、頑張ってるんだよ、それはみんなの問題なんじゃじゃないのという形で伝えていく、そういうスタンスで風通信を作りたいと思って一生懸命編集をしています。

 例えば援農の報告を書いてもらった時に、それを読んだ人が、三里塚のことはちらちらと知っていたんだけれども、市東さんのことを、ルビを〈しとう〉と打っていたので、「えっ、〈いちとう〉と読むのかと思っていた。〈しとうさん〉と読むんですね」とお便りをくれたり、沖縄の辺野古で頑張っている人が毎回一生懸命読んでくれて、「辺野古で自分たちがやっている想いと三里塚の人たちの想いがほんとに同じなんだね。よく知らなかったけれども、少し判ることができた」という感想を送ってくれたりしています。ちなみに、今年、5月でしたか、三里塚から萩原さんと市東さんが辺野古に行かれた後に、その人からお手紙がきて、「市東さんが名刺をくれた。名刺には〈農民 市東孝雄〉と書いてあって、かっこいいと思いましたた」とありました。〈農民〉としか書いてないんですね。私はその名刺をいただいたことがないんで、いただきたいなと思います。

 自分たちが何か一生懸命にたちむかっている人には、三里塚は必ず伝わると、私たちもあらためてそんな風に思いました。事態は、そんなのんびりした話じゃないんですが、丁寧に、だけども闘いの意欲を起こせるような、そういう風を起こしていきたいと思っています。

 三里塚から無農薬野菜を送ってもらって、月一回の野菜市もかなり定着してきていて、リピーターも増えてきていて、「ああ、こんなところで、こういうことをやっている人たちがいるんだ」とご近所の人たちが毎回楽しみに買いに来てくれるというようなことも少しづつ始まっています。

 そういう意味で、10月11日、この間なにかと大変なんですが、しばらく行けなかった人にも是非一緒に行こう、新しい人を一人でも連れて一緒に行こうというふうに頑張っています。

 09914_2 最後に、ちょっと一言だけ。資料にも入れてもらっていますけれども、上関原発計画に反対している人たちに対して、先日、中国電力による着工攻撃がありまして、その現場に先週14日に行ってきました。そこで見たこと、聞いたことは、辺野古と同じなんですけれども、上関は28年にわたって建設計画を阻止していて、今、原発は少し作られましたけれども、実際に止めているのは今上関だけなんですね。非常に孤立させられているような形で、厳しい事態ではあるんだけれども、そこで三里塚の闘いというか精神と全く同じだなと思いました。ありとあらゆる卑劣な切り崩しや、妨害や、それこそ国賊扱い並のキャンペーンが張られたりしながら、漁業権も祝島の人たちは絶対に売っていませんし、すごく自然の豊なところで、辺野古と同じようないろんな希少生物がいるところで、自分たちはそこで、海で生きていると、「耕すものに権利あり」という言葉がありますが、そこで漁をして、そこで何千年、少なくとも2千年前からの島らしいですが、ここでの生活を壊すわけにはいかない、話し合い絶対拒否、28年間やってきたことを考えれば話し合いなど受けるわけにはいかないと、話し合い拒否、海を売らないで頑張っています。

 それで、今、現実には阻止行動をずっと続けているんですが、漁も畑もほったらかしにするわけにはいかないということで、島民の会の反対行動は、いったん、朝から晩まで船を出して阻止行動をやっていたんですが、いったんちょっと形を変えて、しかし、その話しを伝え聞いた近郷近在、近くの、西日本のシーカヤックにのっている若者たちが次々ときて、大きな中電のクルーザーとか、海上保安庁の船も出てるんですが、それに対して漁船に代わって阻止行動をやってるんですね。そして岸壁にも次々と人が来ていて、島民の闘いが新たな輪を広げている。それに島民が支えられて、必要な時には島民が船を駆って駆け付けるというような闘いが続いていて、9月10日から始まった着工攻撃が、今日まで完全に阻止できています。中国電力はありとあらゆるやりかたを使って、強硬な攻撃を、強行突破してくる可能性はもちろんあるんですが、身体はって、命かけて、生活かけて、一生かけてこの原発計画を阻止すると言っておられますし、86歳の漁民の人が「この阻止行動で死んだんだったら、それは本望だ」という風に言ってるし、お母ちゃんたちが先頭で頑張っています。

 私は、辺野古のおじい、おばあの顔、そして三里塚のお母さんたちの顔、そしてこの祝島のお母さんやお爺さんたちの顔が全部重なって見えました。そういうもの、全国のあらゆるそういう人たちの力を合わせて三里塚を絶対に勝たせることを通して、辺野古も上関も闘いを勝利させたいと思いました。

 09927_2 最後に、こん度、風をおこす女の会としては、ぜひ三里塚のお母さんたちとの交流会を、関西で、どっかで持ちたいと、ずっと願いでもあるんですが、やっぱり反対同盟の闘いにとってお母ちゃんの存在はまったく切り離せない。今日、お留守番をしているけれども、萩原さんのところの静江さんとか、鈴木謙太郎さんのところの加代子さんとか、そのお母さんたちの踏ん張りが、何十年にわたって素晴らしく続いています。なかなか農業があったり、実際に家族に介護があったりして、三里塚の女性たちはなかなか外に出ていくことが難しいんですけれども、私はそういう人たちとともに、特に風をおこす女たちの会としては、そういうお母さんたちと繋がること、そういうお母さんたちの闘いを周りの人にもっともっと知ってもらうこと、そういうことが今後の仕事の一つじゃないかなと思います。こちらから行くことももちろんですけれども、そんなんで関実のみなさんにも、一度そういう機会をどっかで作っていただければ、嬉しいなと。そのために三里塚のお母さんたちを受け入れる地盤をしっかりこちらで作っていきたいと思っています。家族ぐるみでやれなければ、こういう闘争はできないですし、実際にそうやってきたからこそ三里塚闘争は今まであったと思います。

 そういう歴史をふまえて、風をおこす女の会は、新しい組織として、フレッシュな気持ちで頑張っていきたいと思います。みなさん、これからも一生懸命頑張りましょう。

 

 

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