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2009年10月30日 (金)

10月25日 東峰部落現地調査

Photo_2  10月25日、イモ掘り大会の後、東京に帰るOさんが現地を回ったことがないので、東峰部落の現地調査を行いました。

 左写真は、新誘導路ができる前のものですが、解りやすいので使います。

  昨日のブログでも紹介した右下写真は、この写真中央の「萩原進さんの畑」の右端をジャンボが通っているところです。10・11集会は、この畑の左側、4割位を使ったのです。

 現地調査は先ず、写真左上の白い誘導路の下部分に接するようにある市東さん宅前の天神峰の畑にある監視台から、「へ」の字誘導路や、東峰神社、新誘導路、そして「へ」の字を強制している天神峰現闘本部、市東さんの畑などの位置関係を説明。東峰神社の立木がかなり育って、滑走路よりもずっと高くなっているのが手に取るようにわかる。説明が終わった頃に、続々と着陸機が目の前の誘導路を進んでいく。手を伸ばせば触れるような距離で、しかも、22日からの2500メートル化の後の故か、一回り大きなジェット機で、その威圧感が凄い。供用を前倒しして開始した22日には、本来A滑走路に降りるものまで、どんどんこちらに降ろしたそうだ。091025_2

 それから天神峰現闘本部前を通り、市東さんの南台の畑で、農地法「耕すものに権利あり」を無視して進められる農地強奪の裁判攻撃を説明。さらに北に進んで、成田ゴルフ倶楽部の前で、暫定滑走路が管制塔から見えないために設置されたテレビモニターのために伐採された立木の後を見学。沢山の立派な木が伐採され、仕方なく背の低い灌木がその切り株の間にみっともなく育っている。このマンガのような状況こそ、安全性を無視した成田空港の破産を物語っているのを改めて感じた(いつものデモの解散地点の少し先です)。091025_4

 それから51号線の滑走路の下のトンネルをくぐって、開拓道路へ。滑走路に70メートルと迫る開拓道路。離陸機の腹の下に、「ヘ」の字部分の誘導路を行く着陸機が見える。これが行くのを待って、離陸。この開拓道路の左手に接して新誘導路が滑走路に向かってあります。滑走路を2度横切るので、2か所に信号があって、誘導路を進む航空機が離着陸機がある時に停止して待機すると聞いていた。1か所は、最初の写真の一番下の部分が滑走路の真南にあるので解るのですが、あと一か所は? と思っていた。091025_6

 しかし、この時、解った。私たちの左側、目の前でジェット機が停止(右写真)。その右側に離れて小さく黒いものが誘導路のすぐ上、雲の下にあるのがわかりますか? 着陸機です。この時は、2機の着陸機を待っていました。着陸機が行き過ぎると、ここで初めてジェット機は大きく左カーブで直角に曲がって進み、私たちの目の前をそろりそろりと滑走路へ(左写真)。そこでまた右に直角に曲がって滑走路へ。091025_7

 自動車と違って、ハンドルもブレーキペダルもないジェット機は、その巨体をエンジンの噴射を工夫して止まったり、曲がったりするしかない。だからパイロットは大変だと聞く。事実、この日、様子を見ていると、デモの時に東峰十字路から先で誘導路の下をくぐったのだが、その先でいったん止まってから、もう一度そろりそろりと動いてまた止まる。この2度止まる理由が最初わからなかったのだが、信号の直前で止まり、その後すぐ直角に曲がれる自信がないから、2度止まるのではと推測される。ほんとに大変な空港だ。そもそも、安全性を無視したからこうなるのだ。しかも、巨費を投入して作りながら使用を開始する直前に、これでは使い物にならないと、第3誘導路の計画が、市東さんの家と畑を空港の中に閉じ込めるように計画されたのだ。それも、東峰部落住民の命の森であった東峰の森を3分の1も破壊して作りながらである。こんなでたらめな、乱暴な話が許せるわけがない。

 それから東峰神社、島村さんのお宅の前を通って、東峰部落の墓地へ。そして、最後に北原鉱治反対同盟事務局長のお宅を訪れ、ちょうど愛犬の散歩に出て来られた北原さんにお会いし、ご挨拶をしてOさんを成田駅に送った。

 

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