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2009年10月13日 (火)

10・11三里塚 その1 主催者あいさつ

091011  写真は、10・11三里塚全国集会。演壇に北原鉱治反対同盟事務局長

主催者挨拶  北原 鉱治反対同盟事務局長

 本日の集会に、全国よりよく集まりました。

 みなさん。この山野を見て下さい。めちゃめちゃに破壊されて、環境問題なんてものは、無残な、過ぎた話しになってしまいました。

 091011_2 43年間、皆さんとともに、代償を求めることなく闘ってきた反対同盟は、健在です。

 今の世相を見ると、自民から民主に変わったと、何か変わったでしょうかね。まだ、・・・ということはあるけれども、まったく変わってはいないんじゃないかと思います。それは、三里塚闘争43年を振り返ってみると、だましのだまし、彼らには正義というものが一片のかけらもありません。

 今日、ここに集まった人々は、労働者であり、農民であり、また学生であり、この時代を変えるのは、人頼みではだめです。いわゆる他力本願ですね。自らが動かないかぎり世の中は変わらない。そういう意味で結集されたと思います。

 戦いの秋を迎えて43年間、解放同盟のみなさんや障害者、そして労働者、学生、農民、みなさんが三里塚闘争を「わが闘い」として参加して下さった。

 成田空港建設は、最初っから合理性を持っていない。・・・・、公聴会なり説明会なり、法的手続きを踏んだのか。一切それを省略して、1966年の6月23日に内定、閣議決定が7月4日、2週間足らずで閣議決定へと持ち込んでいったわけです。当然ここには、日本での法律があるならば、よく、住民に話しを聞き、手続きを踏むべきであった。一切を省略し、力づくで進めてきたからこそ、今だにこの状態だよ、みなさん。30年前に、3本の滑走路が出来なければならなかったものが、現在に至っても半分しかできていない。なぜ、できないのか。それは、大衆、人民の国に対する怒りがあるから、出来ないんです。私たち反対同盟が、何をやったか。まったく何もやっていない。多くの逮捕者を出し、負傷者も出しています。この闘いの中で、・・・を含め10名以上の人たちが命を失っています。091011_3

 このような無謀空港、とりわけ成田空港は、有事の際には、兵員50万が、この成田空港を拠点にすると、こう言ってるわけです。有事ということを、・・・してはダメだ。戦争をするということが有事だ。

 今、私たちは、足かけ44年目を振り返ってみれば、さらなる闘いに決起しています。それが今日の10・11全国集会です。このような空港は存在価値はない。・・ような一片のかけらもない。従って、廃港あるのみです。戦争につながるこのようなものは、若い労働者、学生の未来のために責任をもって打ち倒しましょう。

 皆さんとともに、三里塚は、全国の人々の共有の財産です。勝てます。追い込んでます。もう一歩、この闘いが進めば、将来、絶対に軍事使用の心配がなくなる。そういう意味で、今日の集会は、44年を振り返り、自分に何ができるか。先ず、自分が動かなかったら、世の中を変えることはできない。未来がある。日本を救うために私たちには責任がある。

 障害者の皆さんも頑張ってください。反対同盟は一緒に闘います。

 簡単ですけれども、主催者の挨拶にかえます。ありがとうございました。

 録音に、近くでの会話が重なり聞き取れない所が多々あり申し訳ありません。091011_6

 なおこの日朝、先だって、北原鉱治事務局長宅を、関実の永井代表、山本世話人、そして元世話人の森田さんをはじめ、20人ほどが訪れ、20年近い恒例となった1時間余りの交流会が開かれた。用意していただいた料理やお菓子をいただきながら、北原さんからの、今日の闘いの意義が冒頭語られ、永井さんなどから、反対同盟との長い交流に寄せる想いや、27日の「三里塚関西集会」の報告などが、そして森田さんから、天神峰現闘本部への代執行攻撃には命をかけて闘うという決意などが披瀝された。(右写真)

 

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